1989年リリース、ローラにとって通算2枚目となるライブ・アルバム。1997年に亡くなってから以降、70年代のフィルモアから最晩年のツアーまで、続々発掘モノがリリースされたけど、現役活動時にリリースされたのは、1977年の『Seasons of Lights』とこれだけ。ピアノを中心とした音作りのため、上辺の激しさや躍動感とは対極のものだけど、パッションを内に秘めたグルーヴマスターの面影は充分窺えるものとなっている。
1984年『Mother's Spiritual』リリース以降、ローラはすべての音楽活動から身を引いている。晩年まで共同生活を行なったMaria Desiderio、そして最愛の息子Gil とのプライベートを優先したがゆえの選択だった。加えてこの時期、彼女の関心は音楽よりむしろ、動物愛護運動に強く向いていた。
この沈黙の時期、スタジオに入ることはほとんどなかったけれど、創作活動まで中断していたわけではない。無理に構えなくても、自然と言葉は湧き出、メロディは奏でられる。それが生まれついての音楽家ローラ・ニーロの性と言うべきものだった。
休養も4年が経過し、「時が来た」のだろう。ローラは再び、最前線に復帰する意思を固める。気心の知れたバンド・メンバーを集め、小規模会場を中心としたライブ・ツアーを行なった。
このツアーのセットリストには、古い曲やカバーばかりではなく、未発表の新曲も多く含まれていた。まだリリース契約にこぎ着けていないド新人ならまだしも、彼女のようなメジャー・アーティストとしては異例のことだった。
当初の構想としては、レコーディング前のリハビリ、楽曲の練り直しのため行なわれたツアーだった。だったのだけれど、ライブ・パフォーマンスの完成度が高まるにつれ、むしろスタジオ録音で鮮度が落ちることを危惧するようになる。
「ライブで十分完成度高まっちゃったから、いっそこの勢いでライブ録音した方がいいんじゃね?」
そんな風に誰が言ったか不明だけど、特にクオリティが高かったニューヨークの伝説的なライブ・ハウス「ボトム・ライン」での公演を、ライブ・アルバムとしてリリースしたい旨を、ローラは所属レーベル:コロンビアに打診する。
一方、コロンビアが望んでいたのは、スタジオ録音のオリジナル・アルバムだった。おおよそ20世紀まで、ライブ・ツアーとはニュー・アルバムのプロモーションとして企画されることが多かった。その一連の流れの総決算として、いわばコレクターズ・アイテム的な意味合いでリリースされるのがライブ・アルバムという位置づけだった。
カバーされた曲でヒットしたものはいくつかあれど、自身では大きなヒット曲やアルバムを持っていなかったローラに、コロンビアの決定を覆すほどの発言権はなかった。なのでこのアルバム、彼女の生前のアルバムとしては唯一、A&M系列のサイプレスからリリースされている。コロンビアから離れたわけではなく、このアルバムをリリースするためだけに取られた限定的な措置だった。
コロンビアとのリリース契約はまだ残っていた。契約を履行するためには、スタジオ録音のアルバムを作らなければならない。さて、どうすれば。
単純に考えれば、ライブ・メンバーとスタジオ・セッションすれば、そんなに手間もかからなくて済むんじゃね?と思ってしまいがちだけど、きっとローラの中では、そういうことではなかったのだろう。
あの時、奏でられた音は、あの瞬間で閉じてしまったのだ。
また何度もパフォーマンスを重ねることによって、新たな切り口が生まれてくるかもしれない。
機が熟すのはいつなのか。それはローラ自身にもわからない―。
80年代から90年代にかけてのローラは、音楽アーティストよりはむしろ、社会情勢に警笛を鳴らす活動家として、クローズアップされることが多かった。まぁ新作が出ていないので、音楽的な話題が少なかったせいもある。
その活動範囲は多岐に渡り、代表的なところでは動物愛護、はたまたフェミニストからベジタリアン、その他もろもろ。基本、生真面目な人だから、筋が通っていたら何でも引き受けちゃってたんだろうな、きっと。
名もなき表現者が声を上げることで、そのメッセージが多くの支持者の賛同を集め、ゆっくりと草の根的に広がっていったのが70年代だったとすれば、そんなプロットがもっとシステマティックになっていったのが、80年代中盤だった。稚拙で素朴なメッセージながら、真っ先に拳を振り上げた者がカリスマとなり、大きな運動へ発展してゆくのは同じだけど、スピード感とスケールがけた違いになったのが後者と言える。
誤解を恐れず言っちゃえば、「哀愁のマンディ」の一発屋だったボブ・ゲルドフが、エチオピアの難民救済を訴えたドキュメンタリーをTVで観たことから始まったのが、1984年のバンド・エイド・プロジェクトだった。そのささやかな思いつきはその後、全世界を巻き込んだ一大プロジェクト「ライブ・エイド」に発展し、それは膨大な収益を上げた。上げたのだけれど、実際にエチオピア難民に届けられた救援物資はほんのわずかだった、というオチがあるのだけれど、それはまた別の話。
多くのスタッフが絡むことによって、一方では効率化が捗るけど、追随して事務作業やらの煩雑さも増えてきちゃうわけで。単純な熱意や想いだけでは、システムはうまく回らない。一介のアーティストやボランティアの手弁当だけでは、限界があるのだ。
「だったらいっそ、プロジェクトに応じた財団なり法人を立ち上げて、付帯作業をアウトソーシングしちゃった方が捗るんじゃね?」と誰かが気づき、様々なNPOやらNGOやらが立ち上がる。ただそうなったらなったで、今度は利権の温床やら派閥抗争からの内部分裂やら新たな問題が生まれてきちゃったりして、もう本来の目的がどこへやら。
パートナーMariaの影響もあってか、当時のローラは動物保護運動に積極的に関与していた。この時のツアーも支援団体「アニマル・ライツ」に捧げられており、啓蒙活動に一役買っている。ローラが直接的に団体運営に携わっていたとは考えづらいけど、ある程度、世間の認知もあるメジャー・アーティストとして、一種の広告塔的役割を果たしたことは間違いない。
89年あたりだと、ベルリンの壁が崩壊したり天安門事件があったりパナマ侵攻があったりで、誰もが時代の変遷を同時進行で体感していた頃だった。メッセージ性を強く持ったアーティスト、代表的なところではU2なりスプリングスティーン、またはスティングやR.E.M.らが、様々なメディアを通じて直接的にコメントを発し、真摯な主張を作品に反映させていた。
原則的には中立と謳いながら、極端にタカ派が多かったメディアは、彼らのスタンスを好意的に捉えていた。ロックやフォークといったジャンルが、まだギリギリ反体制の香りを漂わせていたこともあって、いわば共存共栄の関係性が築かれていた。
グローバルな大企業となっていたメジャー・レーベルとしては、あまり過激な言動を好みはしなかったが、極端に過激に走ることがなければ、おおよそは容認した。だって、反体制って商売になるから。
政治的・社会的スタンスを明言することによって、アーティストのカリスマ性は増し、それがセールスに反映される。経営陣にとって、その主張の是非は問題ではない。そこで確立されたイメージがセールスと結びつくかどうか。そっちが重要なのだ。
で、リリース時から30年経過して、いきさつ抜き・色メガネなしで聴いてみると、どの楽曲もいつものローラである。ライブということでテンションがちょっぴり高めではあるけれど、静かなパッションを秘めた楽曲はしっかり練られたものだし、意図を理解したバッキングも適切に配置されている。主義主張が反映されてはいるけれど、どれも押しつけがましいところはなく、エバーグリーンなポップスとして仕上げられている。
なので、コンセプチュアルな色彩が残る『Mother’s Spiritual』の続きではなく、パーソナルでありながら開かれた作風の『Walk the Dog and Light the Light』の序章として捉えた方がわかりやすいという結論。
Laura: Laura Nyro Live at the Bottom Line
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Laura Nyro
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1. The Confession / High-Heeled Sneakers
オープニングは2枚目のアルバム『Eli and the Thirteenth Confession』より。オリジナルは神経質なアルペジオを基調としたグルーヴィーなフォークといった印象。21歳のローラの声も、ややストレスがかかっているのだけれど、ここでは四十路を迎えたことでヴォーカルもソフトに、歌とアンサンブルを心地よく聴かせる余裕に満ち溢れている。
メドレー・スタイルでつながれているのは、1964年、US11位のヒットとなったブルース・シンガーTommy Tuckerの曲。リスペクトなのか、もともとインスパイアされたものなのかは不明だけど、まぁそんなのどっちだっていいか。ゆったりしたブギのリズムは、細かい考察をかき消してしまう。
2. Roll of the Ocean
ここからはしばらく未発表曲、いわば新曲が続く。タイトルからしてエコロジーっぽさが漂っており、実際、歌詞を読んでみたらそんな感じだった。モノローグやインダストリアルなリズム・パートがランダムに挿入されている、ちょっと複雑な構成。
しなやかながら芯の通ったヴォーカルは聴いてて心地よいけど、でもこれって、英語ネイティヴのアメリカのライブなので、オーディエンスはどう思ってたんだろうか。多くのファンは1.のようなスタイルを期待していたはずだけど、あと一歩でスピリチュアルに行っちゃうようなアプローチは求めてなかったはずだし。手放しで歓迎されていたとは、ちょっと微妙。
3. Companion
なので、フィリー・ソウルからインスパイアされたピアノ・バラードが入ってくるとホッとしてしまう。余計なものはなく、足りないものもない。シンプルでいながら、彼女のいいところがすべて詰まっている秀作。
4. The Wild World
ギアを上げたロッカバラード調のアップテンポ・ナンバー。こういった楽曲も初期のローラなら、ねじ伏せるような強い口調で歌いあげていたはずなのだけど、ここではバック・メンバーに恵まれたせいもあって、ほどよいグルーヴに身を任せている。肩の力を抜くというのはこういうことで、気が抜けたパフォーマンスにはなっていない。
5. My Innocence/Sophia
オリジナルは6枚目の『Nested』と7枚目の『Mother's Spiritual』より。どちらも似たようなシャッフル・リズムの曲だけど、はっきりどこから境目というのがなく、二つを一緒くたにしてモザイク状に入り混じった、といった印象。基本のビートは前者だけど、正直、どっちがどれだけ混じってるのかは判断しづらい。
そんな分析は抜きにして、グルーヴィーなリズムはオーディエンスの腰をいやでも上げさせる。
6. To a Child
晩年のローラのマイルストーンとも言うべき、次世代の幼子らへのメッセージを込めたナンバー。初出は『Mother's Spiritual』で、9年後の次作『Walk the Dog and Light the Light』でも再度取り上げている。前者はフュージョン・ポップ、後者は静謐なピアノ・バラードとそれぞれ違うアプローチで挑んでいるのだけど、ここではシンプルなリズム・パート以外は後者に近いスタイルとなっている。
我が子への慈愛を描いたテーマは、その後、自身の体調悪化も相まって、見ることが叶わぬ我が子の未来を案じる見方に変化した。そして、それは最後のライブまで歌い継がれることとなる。
7. And When I Die
タイトルはショッキングだけど、歌詞を読んでみると、実は禅思想に基づいた輪廻転生を描いた歌。「私が死んでも世界は続いてゆく」という刹那的なメッセージもそこかしこに見受けられるけど、基本は前向きな歌だと思う。
オリジナルはデビュー・アルバム『More Than a New Discovery』。テンションの上がらないマーチ調のブラス・セクションが出しゃばった印象が強いのだけど、ここでのサラッと歌い流すピアノ・バラードの方が、この曲の本質をうまく浮き立たせている。
俺にとって初期のアルバムは、まだハードルが高そうである。
8. Park Song
ここから再び新曲が続く。『Mother's Spiritual』の路線を踏襲したような、穏やかでありながらパッションを併せ持ったピアノ・バラード。後半にコーラス・パートが挿入されてノリのいいフィリー・ソウルになるところに、ライブを楽しんでる感が出ている。
9. Broken Rainbow
もともとは『Mother's Spiritual』リリース後間もない1985年、ネイティブ・アメリカンを描いたTVドキュメンタリーのテーマ曲を依頼されて書かれた曲。オスカーにノミネートされた秀作だけど、残念ながら初期ヴァージョンは未聴。その後、『Walk the Dog and Light the Light』でリメイクされている。
ピアノが大きくミックスされた荘厳なムードのスタジオ・ヴァージョンに比べ、ライブの統一感を重視したバランスで配置されているため、こっちの方が聴きやすいしメッセージも届きやすいかもしれない。俺的にはライブ・ヴァージョンかな。
10. Women of the One World
タイトルから察せられるように、フェミニズムを主軸としたテーマには違いないのだけど、彼女が本当に訴えたいのは、女性を尊重したその先にある世界平和や戦争反対であることがあらわれている。長いと説教臭くスピリチュアルになっちゃうけど、2分弱の幕間的ナンバーなので、サラッと流している。
11. Emmie
これまで静かだったオーディエンスの歓声が聞こえる、初期の代表曲。オリジナルは『Eli and the Thirteenth Confession』。
「あなたは私の友/そして私が愛した人」。Emmieとはかけがえのない親友を指すのか、それとも友情を超えた親愛を持つパートナーだったのか、というのは、かなり昔から意見が分かれているらしい。最期まで公言することはなかったけど、ローラが古くからのレズビアンであったことは有名な話で、真偽はともかく、どの曲においても様々な解釈がされている。この曲は特にレズビアン・アンセムとしてローラのファンの間でも意見が百出しており、純粋な楽曲としての評価がされづらかった。
なので、発表から時間を置いて、肩の力を抜いたライブ・ヴァージョンで聴くと、色メガネなしでメロディとハーモニーを堪能することができる。
12. Wedding Bell Blues
俺が知る限り、ローラの楽曲としては最大のヒット曲。あんまり詳しくは知らないけど、俺的には能天気なポップ・コーラス・グループ:フィフス・ディメンションのヴァージョンは、これはこれでフラワー・ムーヴメント真っただ中の時代感を象徴しており、悪くない仕上がり。オリジナルの方は、バーブラ・ストライサンドをモデルケースとしたよなサウンド・プロダクションで、やたら仰々しい印象。
で、さっきも書いたけど、時代性というフィルターがはずれてフラットな視点で仕上げられたライブ・ヴァージョンが、楽曲の良さを最もうまく引き出している。発表当時はとがっていたローラも年月を経て、こんな風に素直に歌えるようになったのだろうか。
13. The Japanese Restaurant Song
私小説的というか、日常風景の1シーンを切り取った感じで、メッセージ性を下げて作家性を前面に押し出したナンバー。これまでよりリズム・アンサンブルが際立っており、ライブ向けの楽曲ではある。変に肩ひじ張らず、こういったエンタメ性を強めた楽曲の方が、この頃のローラとの相性は良い。そりゃピアノ1本で演じることはできる人だけど、それだけじゃ満足しきれず、バンド・アンサンブルのアプローチを追及し続けている。
14. Stoned Soul Picnic
こちらもファンの間では人気も高く、代表曲とされているナンバー。イントロが鳴った途端の歓声が違うもの。こちらもフィフス・ディメンションで有名になった曲で、他にもカバーしたアーティストは多い。ポピュラー色の強いオリジナル・ヴァージョンは粗削りの魅力があって、これはこれでいいのだけれど、でも俺的には洗練されたアレンジのSwing Out Sisterのヴァージョンが最もお気に入り。
15. La La Means I Love You / Trees of the Ages / Up on the Roof
ラストはカバー曲を交えたメドレー。トッドや山下達郎のカバーでもおなじみ、出るフォニックスのナンバーは、オリジナルのポップさとは真逆の落ち着いたピアノ・バラード。続いて『Mother's Spiritual』からのナンバー、そしてキャロル・キングのカバーは『Christmas and the Beads of Sweat』より。
キャロルの曲は、オリジナルではもっと切羽詰まった余裕のないヴォーカルだったのだけれど、ここでのローラの声に刺々しさはまったくない。
かつてのような、周りみんなが敵という状況ではない。
気心の知れた家族と仲間。それだけあれば、もう充分だ。
―そうであったはずなのに。
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