好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Laura Nyro

後期のローラ・ニーロもちゃんと聴いてみよう - Laura Nyro 『Live at the Bottom Line』

folder 1989年リリース、ローラにとって通算2枚目となるライブ・アルバム。1997年に亡くなってから以降、70年代のフィルモアから最晩年のツアーまで、続々発掘モノがリリースされたけど、現役活動時にリリースされたのは、1977年の『Seasons of Lights』とこれだけ。ピアノを中心とした音作りのため、上辺の激しさや躍動感とは対極のものだけど、パッションを内に秘めたグルーヴマスターの面影は充分窺えるものとなっている。
 1984年『Mother's Spiritual』リリース以降、ローラはすべての音楽活動から身を引いている。晩年まで共同生活を行なったMaria Desiderio、そして最愛の息子Gil とのプライベートを優先したがゆえの選択だった。加えてこの時期、彼女の関心は音楽よりむしろ、動物愛護運動に強く向いていた。
 この沈黙の時期、スタジオに入ることはほとんどなかったけれど、創作活動まで中断していたわけではない。無理に構えなくても、自然と言葉は湧き出、メロディは奏でられる。それが生まれついての音楽家ローラ・ニーロの性と言うべきものだった。
 休養も4年が経過し、「時が来た」のだろう。ローラは再び、最前線に復帰する意思を固める。気心の知れたバンド・メンバーを集め、小規模会場を中心としたライブ・ツアーを行なった。
 このツアーのセットリストには、古い曲やカバーばかりではなく、未発表の新曲も多く含まれていた。まだリリース契約にこぎ着けていないド新人ならまだしも、彼女のようなメジャー・アーティストとしては異例のことだった。

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 当初の構想としては、レコーディング前のリハビリ、楽曲の練り直しのため行なわれたツアーだった。だったのだけれど、ライブ・パフォーマンスの完成度が高まるにつれ、むしろスタジオ録音で鮮度が落ちることを危惧するようになる。
 「ライブで十分完成度高まっちゃったから、いっそこの勢いでライブ録音した方がいいんじゃね?」
 そんな風に誰が言ったか不明だけど、特にクオリティが高かったニューヨークの伝説的なライブ・ハウス「ボトム・ライン」での公演を、ライブ・アルバムとしてリリースしたい旨を、ローラは所属レーベル:コロンビアに打診する。
 一方、コロンビアが望んでいたのは、スタジオ録音のオリジナル・アルバムだった。おおよそ20世紀まで、ライブ・ツアーとはニュー・アルバムのプロモーションとして企画されることが多かった。その一連の流れの総決算として、いわばコレクターズ・アイテム的な意味合いでリリースされるのがライブ・アルバムという位置づけだった。
 カバーされた曲でヒットしたものはいくつかあれど、自身では大きなヒット曲やアルバムを持っていなかったローラに、コロンビアの決定を覆すほどの発言権はなかった。なのでこのアルバム、彼女の生前のアルバムとしては唯一、A&M系列のサイプレスからリリースされている。コロンビアから離れたわけではなく、このアルバムをリリースするためだけに取られた限定的な措置だった。
 コロンビアとのリリース契約はまだ残っていた。契約を履行するためには、スタジオ録音のアルバムを作らなければならない。さて、どうすれば。
 単純に考えれば、ライブ・メンバーとスタジオ・セッションすれば、そんなに手間もかからなくて済むんじゃね?と思ってしまいがちだけど、きっとローラの中では、そういうことではなかったのだろう。
 あの時、奏でられた音は、あの瞬間で閉じてしまったのだ。
 また何度もパフォーマンスを重ねることによって、新たな切り口が生まれてくるかもしれない。
 機が熟すのはいつなのか。それはローラ自身にもわからない―。

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 80年代から90年代にかけてのローラは、音楽アーティストよりはむしろ、社会情勢に警笛を鳴らす活動家として、クローズアップされることが多かった。まぁ新作が出ていないので、音楽的な話題が少なかったせいもある。
 その活動範囲は多岐に渡り、代表的なところでは動物愛護、はたまたフェミニストからベジタリアン、その他もろもろ。基本、生真面目な人だから、筋が通っていたら何でも引き受けちゃってたんだろうな、きっと。
 名もなき表現者が声を上げることで、そのメッセージが多くの支持者の賛同を集め、ゆっくりと草の根的に広がっていったのが70年代だったとすれば、そんなプロットがもっとシステマティックになっていったのが、80年代中盤だった。稚拙で素朴なメッセージながら、真っ先に拳を振り上げた者がカリスマとなり、大きな運動へ発展してゆくのは同じだけど、スピード感とスケールがけた違いになったのが後者と言える。
 誤解を恐れず言っちゃえば、「哀愁のマンディ」の一発屋だったボブ・ゲルドフが、エチオピアの難民救済を訴えたドキュメンタリーをTVで観たことから始まったのが、1984年のバンド・エイド・プロジェクトだった。そのささやかな思いつきはその後、全世界を巻き込んだ一大プロジェクト「ライブ・エイド」に発展し、それは膨大な収益を上げた。上げたのだけれど、実際にエチオピア難民に届けられた救援物資はほんのわずかだった、というオチがあるのだけれど、それはまた別の話。
 多くのスタッフが絡むことによって、一方では効率化が捗るけど、追随して事務作業やらの煩雑さも増えてきちゃうわけで。単純な熱意や想いだけでは、システムはうまく回らない。一介のアーティストやボランティアの手弁当だけでは、限界があるのだ。
 「だったらいっそ、プロジェクトに応じた財団なり法人を立ち上げて、付帯作業をアウトソーシングしちゃった方が捗るんじゃね?」と誰かが気づき、様々なNPOやらNGOやらが立ち上がる。ただそうなったらなったで、今度は利権の温床やら派閥抗争からの内部分裂やら新たな問題が生まれてきちゃったりして、もう本来の目的がどこへやら。

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 パートナーMariaの影響もあってか、当時のローラは動物保護運動に積極的に関与していた。この時のツアーも支援団体「アニマル・ライツ」に捧げられており、啓蒙活動に一役買っている。ローラが直接的に団体運営に携わっていたとは考えづらいけど、ある程度、世間の認知もあるメジャー・アーティストとして、一種の広告塔的役割を果たしたことは間違いない。
 89年あたりだと、ベルリンの壁が崩壊したり天安門事件があったりパナマ侵攻があったりで、誰もが時代の変遷を同時進行で体感していた頃だった。メッセージ性を強く持ったアーティスト、代表的なところではU2なりスプリングスティーン、またはスティングやR.E.M.らが、様々なメディアを通じて直接的にコメントを発し、真摯な主張を作品に反映させていた。
 原則的には中立と謳いながら、極端にタカ派が多かったメディアは、彼らのスタンスを好意的に捉えていた。ロックやフォークといったジャンルが、まだギリギリ反体制の香りを漂わせていたこともあって、いわば共存共栄の関係性が築かれていた。
 グローバルな大企業となっていたメジャー・レーベルとしては、あまり過激な言動を好みはしなかったが、極端に過激に走ることがなければ、おおよそは容認した。だって、反体制って商売になるから。
 政治的・社会的スタンスを明言することによって、アーティストのカリスマ性は増し、それがセールスに反映される。経営陣にとって、その主張の是非は問題ではない。そこで確立されたイメージがセールスと結びつくかどうか。そっちが重要なのだ。

 で、リリース時から30年経過して、いきさつ抜き・色メガネなしで聴いてみると、どの楽曲もいつものローラである。ライブということでテンションがちょっぴり高めではあるけれど、静かなパッションを秘めた楽曲はしっかり練られたものだし、意図を理解したバッキングも適切に配置されている。主義主張が反映されてはいるけれど、どれも押しつけがましいところはなく、エバーグリーンなポップスとして仕上げられている。
 なので、コンセプチュアルな色彩が残る『Mother’s Spiritual』の続きではなく、パーソナルでありながら開かれた作風の『Walk the Dog and Light the Light』の序章として捉えた方がわかりやすいという結論。


Laura: Laura Nyro Live at the Bottom Line
Laura Nyro
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1. The Confession / High-Heeled Sneakers
 オープニングは2枚目のアルバム『Eli and the Thirteenth Confession』より。オリジナルは神経質なアルペジオを基調としたグルーヴィーなフォークといった印象。21歳のローラの声も、ややストレスがかかっているのだけれど、ここでは四十路を迎えたことでヴォーカルもソフトに、歌とアンサンブルを心地よく聴かせる余裕に満ち溢れている。
 メドレー・スタイルでつながれているのは、1964年、US11位のヒットとなったブルース・シンガーTommy Tuckerの曲。リスペクトなのか、もともとインスパイアされたものなのかは不明だけど、まぁそんなのどっちだっていいか。ゆったりしたブギのリズムは、細かい考察をかき消してしまう。

2. Roll of the Ocean
 ここからはしばらく未発表曲、いわば新曲が続く。タイトルからしてエコロジーっぽさが漂っており、実際、歌詞を読んでみたらそんな感じだった。モノローグやインダストリアルなリズム・パートがランダムに挿入されている、ちょっと複雑な構成。
 しなやかながら芯の通ったヴォーカルは聴いてて心地よいけど、でもこれって、英語ネイティヴのアメリカのライブなので、オーディエンスはどう思ってたんだろうか。多くのファンは1.のようなスタイルを期待していたはずだけど、あと一歩でスピリチュアルに行っちゃうようなアプローチは求めてなかったはずだし。手放しで歓迎されていたとは、ちょっと微妙。

3. Companion
 なので、フィリー・ソウルからインスパイアされたピアノ・バラードが入ってくるとホッとしてしまう。余計なものはなく、足りないものもない。シンプルでいながら、彼女のいいところがすべて詰まっている秀作。



4. The Wild World
 ギアを上げたロッカバラード調のアップテンポ・ナンバー。こういった楽曲も初期のローラなら、ねじ伏せるような強い口調で歌いあげていたはずなのだけど、ここではバック・メンバーに恵まれたせいもあって、ほどよいグルーヴに身を任せている。肩の力を抜くというのはこういうことで、気が抜けたパフォーマンスにはなっていない。

5. My Innocence/Sophia 
 オリジナルは6枚目の『Nested』と7枚目の『Mother's Spiritual』より。どちらも似たようなシャッフル・リズムの曲だけど、はっきりどこから境目というのがなく、二つを一緒くたにしてモザイク状に入り混じった、といった印象。基本のビートは前者だけど、正直、どっちがどれだけ混じってるのかは判断しづらい。
 そんな分析は抜きにして、グルーヴィーなリズムはオーディエンスの腰をいやでも上げさせる。

6. To a Child
 晩年のローラのマイルストーンとも言うべき、次世代の幼子らへのメッセージを込めたナンバー。初出は『Mother's Spiritual』で、9年後の次作『Walk the Dog and Light the Light』でも再度取り上げている。前者はフュージョン・ポップ、後者は静謐なピアノ・バラードとそれぞれ違うアプローチで挑んでいるのだけど、ここではシンプルなリズム・パート以外は後者に近いスタイルとなっている。
 我が子への慈愛を描いたテーマは、その後、自身の体調悪化も相まって、見ることが叶わぬ我が子の未来を案じる見方に変化した。そして、それは最後のライブまで歌い継がれることとなる。 

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7. And When I Die
 タイトルはショッキングだけど、歌詞を読んでみると、実は禅思想に基づいた輪廻転生を描いた歌。「私が死んでも世界は続いてゆく」という刹那的なメッセージもそこかしこに見受けられるけど、基本は前向きな歌だと思う。
 オリジナルはデビュー・アルバム『More Than a New Discovery』。テンションの上がらないマーチ調のブラス・セクションが出しゃばった印象が強いのだけど、ここでのサラッと歌い流すピアノ・バラードの方が、この曲の本質をうまく浮き立たせている。
 俺にとって初期のアルバムは、まだハードルが高そうである。

8. Park Song
 ここから再び新曲が続く。『Mother's Spiritual』の路線を踏襲したような、穏やかでありながらパッションを併せ持ったピアノ・バラード。後半にコーラス・パートが挿入されてノリのいいフィリー・ソウルになるところに、ライブを楽しんでる感が出ている。

9. Broken Rainbow
 もともとは『Mother's Spiritual』リリース後間もない1985年、ネイティブ・アメリカンを描いたTVドキュメンタリーのテーマ曲を依頼されて書かれた曲。オスカーにノミネートされた秀作だけど、残念ながら初期ヴァージョンは未聴。その後、『Walk the Dog and Light the Light』でリメイクされている。
 ピアノが大きくミックスされた荘厳なムードのスタジオ・ヴァージョンに比べ、ライブの統一感を重視したバランスで配置されているため、こっちの方が聴きやすいしメッセージも届きやすいかもしれない。俺的にはライブ・ヴァージョンかな。



10. Women of the One World
 タイトルから察せられるように、フェミニズムを主軸としたテーマには違いないのだけど、彼女が本当に訴えたいのは、女性を尊重したその先にある世界平和や戦争反対であることがあらわれている。長いと説教臭くスピリチュアルになっちゃうけど、2分弱の幕間的ナンバーなので、サラッと流している。

11. Emmie
 これまで静かだったオーディエンスの歓声が聞こえる、初期の代表曲。オリジナルは『Eli and the Thirteenth Confession』。
 「あなたは私の友/そして私が愛した人」。Emmieとはかけがえのない親友を指すのか、それとも友情を超えた親愛を持つパートナーだったのか、というのは、かなり昔から意見が分かれているらしい。最期まで公言することはなかったけど、ローラが古くからのレズビアンであったことは有名な話で、真偽はともかく、どの曲においても様々な解釈がされている。この曲は特にレズビアン・アンセムとしてローラのファンの間でも意見が百出しており、純粋な楽曲としての評価がされづらかった。
 なので、発表から時間を置いて、肩の力を抜いたライブ・ヴァージョンで聴くと、色メガネなしでメロディとハーモニーを堪能することができる。

12. Wedding Bell Blues
 俺が知る限り、ローラの楽曲としては最大のヒット曲。あんまり詳しくは知らないけど、俺的には能天気なポップ・コーラス・グループ:フィフス・ディメンションのヴァージョンは、これはこれでフラワー・ムーヴメント真っただ中の時代感を象徴しており、悪くない仕上がり。オリジナルの方は、バーブラ・ストライサンドをモデルケースとしたよなサウンド・プロダクションで、やたら仰々しい印象。
 で、さっきも書いたけど、時代性というフィルターがはずれてフラットな視点で仕上げられたライブ・ヴァージョンが、楽曲の良さを最もうまく引き出している。発表当時はとがっていたローラも年月を経て、こんな風に素直に歌えるようになったのだろうか。

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13. The Japanese Restaurant Song
 私小説的というか、日常風景の1シーンを切り取った感じで、メッセージ性を下げて作家性を前面に押し出したナンバー。これまでよりリズム・アンサンブルが際立っており、ライブ向けの楽曲ではある。変に肩ひじ張らず、こういったエンタメ性を強めた楽曲の方が、この頃のローラとの相性は良い。そりゃピアノ1本で演じることはできる人だけど、それだけじゃ満足しきれず、バンド・アンサンブルのアプローチを追及し続けている。

14. Stoned Soul Picnic
 こちらもファンの間では人気も高く、代表曲とされているナンバー。イントロが鳴った途端の歓声が違うもの。こちらもフィフス・ディメンションで有名になった曲で、他にもカバーしたアーティストは多い。ポピュラー色の強いオリジナル・ヴァージョンは粗削りの魅力があって、これはこれでいいのだけれど、でも俺的には洗練されたアレンジのSwing Out Sisterのヴァージョンが最もお気に入り。

15. La La Means I Love You / Trees of the Ages / Up on the Roof
 ラストはカバー曲を交えたメドレー。トッドや山下達郎のカバーでもおなじみ、出るフォニックスのナンバーは、オリジナルのポップさとは真逆の落ち着いたピアノ・バラード。続いて『Mother's Spiritual』からのナンバー、そしてキャロル・キングのカバーは『Christmas and the Beads of Sweat』より。
 キャロルの曲は、オリジナルではもっと切羽詰まった余裕のないヴォーカルだったのだけれど、ここでのローラの声に刺々しさはまったくない。
 かつてのような、周りみんなが敵という状況ではない。
 気心の知れた家族と仲間。それだけあれば、もう充分だ。
 ―そうであったはずなのに。



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「女」であり、「母」であるということ。 - Laura Nyro 『Mother's Spiritual』

51iRe5jF6VL 1984年リリース、前作『Nested』から6年ぶり、7枚目のオリジナル・アルバム。US最高182位という成績なので、正直、あまり知られてない作品である。彼女が精力的に活動していたのは60年代末から70年代にかけてなので、後期の作品はどうしても印象が薄い。

 以前、初期のLauraの歌が苦手だと書いた。それは今も変わらない。
 一般的にLaura Nyroといえばその初期のイメージが強く、「キリキリ張り詰めた切迫感」「むき出しの激情ソング」という枕詞で紹介されることが多い。実際、認知度が高いのも、初期の3作に集中しているし。
 対して後期の作品は、チャート・アクションが示すように印象が薄く、日本でも本国アメリカでもやんわりとスルーされている感が強い。激動の時代を駆け抜けた後のウイニングラン、いわば全力疾走でゴールした後の余韻で作られたもの、と受け止められている。磨かれる前の原石は魅力的だったのに、いざ磨いちゃうとイヤ実際うまくまとまってはいるんだけど、変に角が取れすぎちゃって新鮮さが失われたというか。

 Lauraに限った話ではなく、キャリアの長いシンガー・ソングライターの多くは、こういったジレンマを抱えている。サウンド・メイキングの多様化を「商業主義に走った」と一蹴され、ソングライティングのスキルが上がると「技巧に走った」と責められる。
 粗野でアラの目立つ初期作品より、完成度は確実に上がっているはずなのに、古くからのファンは、いつまでも全盛期と自身の青春期とをオーバーラップさせてしまう。なので、彼らは音楽的なクオリティより、初期衝動や未完成のサウンド・スタイルを好む。
 まぁ、わからなくはないけど。

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 デビューから一時休業までの彼女にとって、音楽とは人生のすべてであり、思いのたけをぶつける手段だった。ソウルやジャズ、ゴスペルをルーツとした彼女の歌は、未加工の素材が放つ儚げな美しさを醸し出していた。白人版Nina Simone とも称されるソウルフルなヴォーカルやパフォーマンスは、あのMiles Davisさえ一目置くほどだった。
 むき出しのエゴと相反する少女性。ピアノ、そして音楽そのものとガチで格闘するかの如く鬼気迫るプレイは、ライブだけでなく、残されたスタジオ音源からも露わになっている。
 この時代のLauraに音を楽しむ余裕はない。そこにあるのは、叩きつけるピアノと絞り出す肉声、音楽そのものをねじ伏せようと足掻く力技だ。
 音楽だけでなく、自らを取り巻くすべてに対して、シリアスにならざるを得ない時代だった。自分の表現を押し通すため、拳を握り奥歯を噛みしめることが、60年代を生き抜くライフスタイルだった。身を守るために尖らせたヤマアラシの棘は、聴く者の心を搔きむしり、時に容赦なく深い傷痕を残した。

 70年代に入り、潮が引くように喧騒が収まり、真空状態のような空白が訪れた。平和な時代の到来と共に、棘はその突き刺す対象を失った。握りしめた拳はぶつけるべき対象がなくなり、ただ虚を打つばかりだった。
 どこかに怒りをぶつけていないと収まらない者は、時代のステージから降りていった。怒りの対象は曖昧模糊に形を変え、巧妙に表舞台から姿を消していた。60年代の余韻は怠惰と虚無に紛れていった。
 憑き物が落ちたように、Laura もまた、握りこぶしと張り詰めていた糸を緩めた。パートナーを見つけ、そして新たな命を授かった。かつて心の寄る辺にしていた音楽に取って代わり、新しい家族が彼女にとっての生きがいとなった。
 そして彼女は一旦ステージを降り、家庭に入る道を選んだ。それに伴って、引きつっていた笑顔が少し和らいだ。子ども相手には、その方がよい。

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 ハイペースでアルバムをリリースしていた引退前と比べ、復帰後の彼女のリリース・ペースはひどく緩慢になった。
 一時、音楽業界から身を引き、客観的な視点を身につけたLaura の音楽は、明らかに変化した。素朴なピアノ弾き語りと、豊かな表現力を持つ歌声だけで成立していた初期と比べ、ジャズ・フュージョン系のミュージシャンを多く起用して、緻密なアンサンブルを構築するようになったのが後期である。ネガティヴな恋愛観を主軸としたパーソナルな世界観は一掃され、家族愛や自然への賛美など、地に足のついた一人の母親の目線は、後期に培われた。
 それは、音楽のミューズに愛されたアーティストとして、成長の証である。でも大抵、古くからのファンは劇的な変化を嫌う。いつまでも「あの頃」のLauraを求めてしまうのだ。前を向いて進むアーティストにとって、それはめんどくさい相手である。

 あまりにテンションの高いパフォーマンスゆえ自制が効かず、例えばレコーディングにおいても、テイクごとに全力を使い切ってしまう。体力的な問題もあったのか。ほぼリテイクなし・一発録音で仕上げていたのが、初期のLaura である。細かなアラやミスプレイもなんのその、整合性よりエモーショナルな部分を重視していたため、バック・トラックにまで気を配る余裕を持てなかった。
 対して熟考を重ね、レコーディングに時間をかけるようんなったのが、復帰後のlauraである。

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 取り上げるテーマが母性愛やフェミニズムに傾倒するに従い、Lauraのサウンドはバンド/アンサンブル主体に移行してゆく。感情の赴くままパッションをぶつける、ピアノをメインとしたシンプルな初期サウンド・スタイルは、コンセプトとフィットしなくなっていた。大らかな母性を含んだLaura の歌声と言葉は、フュージョン系のアーティストを多数起用して、彩りの深いソフト・サウンディングを希求した。
 これまでとは違うベクトルのメッセージを余すことなく伝えるため、サウンドには緻密さと確かな表現力が求められる。レコーディングにかける時間は膨大なものになった。
 復帰後間もなく、彼女はシングル・マザーとなり、家族と過ごす時間を何よりも優先した。並行して、表現者としての自分もいる。家族優先での活動は断続的となり、まとまった時間を取るのも困難になる。
 家族と過ごす時間を優先し、何年かに一度、まとまった時間を捻出して音楽活動を行なう女性アーティストとして、竹内まりやとダブる部分も多い。ただ、まりやは山下達郎という、公私を共にするパートナーに恵まれたおかげで、焦らずマイペースな活動ぶりである。
 離婚後のLauraもまた、プライベートにおいてはMaria Desiderioというパートナーと出会ったけれど、音楽面での固定したパートナーは、遂に持たずじまいだった。両方を満たすパートナーに出逢えなかったのか、それとも、彼女が要求するレベルに達する者がいなかったのか。
 そうなると、すべてを独りで行なわなければならない。

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 『Mother’s Spiritual』制作にあたり、一時的にパートナーシップを組んだのが、旧知の仲だったTodd Rundgrenである。関係ないけど、そういえば山下達郎に雰囲気似てるよな。
 この時期のToddは、ソロ・デビューから長らく所属していたべアズヴィルと契約解消し、少しの間、表舞台から遠ざかっていた頃である。シングル・ヒットを狙ってパワー・ポップ路線に転じていたUtopiaは、セールス不振によって活動がフェードアウト、ソロ・アーティストとしてよりプロデューサーの仕事が多くなり、何をやってもうまく行かなかった時期にあたる。
 もともと、『A Wizard, A True Star』でのブルーアイド・ソウルへの熱烈なオマージュも、「Gonna Take a Miracle」を始めとしたLauraの歌からインスパイアされたものであるし、Nazz時代にバックバンド結成を持ちかけられたりなど、まぁ狭い業界なので何かと繋がりはあったらしい。
 アーティストとしては互いにリスペクトはしているのだろうけど、何となくToddが便利屋的にこき使われてるんじゃないかと思ってしまうのは、きっと俺だけではないはず。Lauraを有能なアーティストとして見ていたのか、それとも1人の女性として見ていたのか―。
 振り回されてる感のあるToddの本心は半々だったろうけど、少なくともLaura にとって、Todd Rundgrenという男性は重要ではなかった。彼女のため、スタジオ・ワークの細々した仕事や調整を引き受けてくれる彼に、好意以上の思いを持っていたとは思えない。
 結局、Liv Tyler の時もそうだったけど、恋愛対象になるほどじゃないんだよな、この人。

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 女性シンガー・ソングライターにありがちな、「男女間の恋愛」というパーソナルな狭義に収まらず、もっと広いレベルの人間愛や家族愛、そしてオーガニックな自然への感謝が、『Mother’s Spiritual』のメインテーマである。女性運動への傾倒もあって、フェミニズムを礼賛する曲も含まれているのだけれど、これは前述のMarioとの出逢いが大きく影響している。
 『Mother’s Spiritual』は1982年からレコーディングが開始されているが、そのセッションでは納得いく仕上がりが得られず、年末に一旦録音を中断している。復帰以降のジャズ・フュージョン系サウンドは、Laura自身のシビアなプロダクションによって、当時望めるべく最高のサウンドに仕上がっていたけど、彼女のジャッジはさらにレベルが上がっていた。
 -こんなんじゃ足りない。
 頭の中で思い描くサウンドの具現化のため、Lauraは15万だか20万ドル以上をかけて、自宅スタジオを新設する。思い立ったらすぐ、インスピレーションがひらめいたらすぐにレコーディングできる環境を手に入れたことによって、彼女の創作意欲は拍車がかかることになる。
 プレイヤビリティは尊重しながら、あくまで歌をメインに聞かせるためのサウンドを追求した末、『Mother’s Spiritual』で一応の帰着点を得た。一聴する分には、単なる耳障りの良いAORだけど、聴きこんでゆくにつれ、隅々までLauraの主張と美学が濃密に刻まれているのが感じられる。


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1. To a Child
 世の中は悪意と欺瞞に満ちている。まだ知恵も経験も乏しい子供を守るために、母親は慈愛のまなざしを持って、外部から必死に守らなければならない。愛息Gilはまだ6歳。目を離せない年頃だ。自ら選択したシングル・マザーという生き方に対し、まだ気張っていた心情が窺える。
 後年、『Walk the Dog and Light the Light』にてセルフカバーしており、そこでのLauraはピアノ1本をバックに芯の強い女性として振る舞っていた。ここでの彼女はサウンドに細やかに気を配り、日々の疲れを感じさせる力ない口調である。どちらも彼女の本質だけれど、俺的にはここでの「To a Child」が好みである。



2. The Right to Vote
 初期のR&Bタッチを想起させる、軽快なカントリー・ロック。そう、サウンド自体は結構泥臭いのだけど、Lauraの声はむしろ冷静なのだ。バックトラックのドライブ感と、心ここにあらずといった感のヴォーカル&ピアノとの齟齬は、すでにサウンド的に次の方向性を模索していたことが現れている。

3. A Wilderness
 なので、変にバンド・グルーヴを強調するより、このようにヴォーカル・バックアップに徹した「ちょっと引いた」アンサンブルの方が、スタジオ・トラックとしては秀逸。ライブだと2.の方が映えるのだけれど、マザー・アース的なテーマの曲には静謐なサウンドの方が親和性が高い。この曲もそうだけど、ギターの音が太い。繊細に爪弾いているだけにもかかわらず、存在感が強い。こういった響きにも凝ったんだろうな。

4. Melody in the Sky
 ちょっとだけファンキーなギターのカッティングから始まる、セッションっぽくレコーディングされているナンバー。初期の彼女ならエゴが出過ぎていたところだけど、肩の力を抜いて軽く流す感じなので、聴く方もまったりできる。

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5. Late for Love
 サウンド的には1.のバリエーションといったアレンジ。マザーアース的なテーマでは、ヴォーカルを活かした「引いた」サウンドになるのは、次作『Walk the Dog and Light the Light』でも引き継がれる。

6. A Free Thinker
 「自由な思索家」と訳すのか、ソングライターとして表現者としての自身を相対化したファンキーなバンド・サウンド。でも最後は「地球を救えるでしょうか?」で締めちゃうんだよな。まぁそういうアルバムだから、仕方ないけど。

7. Man in the Moon
 Toddがシンセでクレジットされている。とはいってもこれまでのバンド・アンサンブルに変化はなく、彼の存在感は正直薄い。ていうか、「いたの?」といった感じ。うっすらコーラスに参加しているっぽいけど。
 考えるに、バンド・スタイルのレコーディングはToddがバンマス兼アレンジ補助といった感じの役回りだったと思われる。何かと要求の多いLauraと実働部隊であるバンドとの橋渡し役といった感じで。なので、ほぼ全編セッションにはいたのだろうけど、段取りを組み立てるのが主でミュージシャンとしては目立った演奏はしておらず、クレジットをどこかに入れとこうか、とねじ込んだのがこの曲だったわけで。

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8. Talk to a Green Tree
 ちょっと不穏さをあおるコード進行と演奏による、フェミニズム寄りのマザーアース楽曲。サウンド的には最もグルーヴ感とキレがあるのが、このトラック。人によっては説教くさい歌詞に聴こえるかもしれないけど、洗練されたブルース・ロックは捨てがたい。

9. Trees of the Ages
 再びTodd参加。コスミックなシンセの音色は、壮大な地球を憂うLauraの思想とフィットしたのだろう。彼もいくつになっても夢見がちなキャラクターだし。でも、女性という点において彼女の方が地に足がついており、そこに微妙な齟齬が生じた。繋ぎとめてくれるタイプの女性じゃないしね。

10. The Brighter Song
 曲調としては穏やかだけど、女性の権利と自然保護を高らかに訴える、結構肩に力の入った歌。そういったテーマを抜きにすると軽快なミドル・チューン。でも切り離して考えられなんだよな。

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11. Roadnotes
 ローズっぽい響きのエレピはこれまでとタッチが違うので、Laura自身の弾き語りと思われる。冒頭からいきなりジプシーなんて言葉が飛び出し、時間軸も宇宙レベル。ただ主題はパーソナルな家族との時間。壮大なテーマだな。

12. Sophia
 Doobieっぽいファンキーなオープニングが単純にカッコいい。Lauraのヴォーカルも心なしか熱がこもっている。でも、初期のような混沌はなく、きちんとコントロールされたアンサンブル。どの曲もそうだけど、3~4分程度にまとめられてるので、ダラッとした印象がないのも、このアルバムの秀逸な点。



13. Mother's Spiritual
 ラストはしっとりピアノのみのバラード。「愛と平和」をテーマにしていると抹香くさく思われがちだけど、そんな揶揄も凌駕してしまう「すっぴんの力」。「女」であり「母」であるという時点で、大抵の男はすでに「勝てない」ということを思い知らされる。

14. Refrain
  Gilの笑い声を交えた1.のループ。親バカと思われようが構わない。そういった決意を盤面に刻み、アルバムは終焉を迎える。




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となりのお姉さん、最後の便り - Laura Nyro 『Angel in the Dark』

folder 2001年にリリースされた最後のオリジナル・アルバム。卵巣ガンを患った彼女が亡くなったのが1997年なので、いわゆるやっつけ仕事的な便乗商法ではない。時間を掛けてゆっくりと、仕上がり具合を吟味しながら丁寧に作られたアルバムである。
 大滝詠一の時にも書いたけど、ジミヘンや尾崎豊の時のように、「話題が盛り上がってるうちにある物全部出してしまえ」という方針で乱発リリースしてしまうと、結局はアーティストのブランド・イメージを大きく損なうことになり、長い目で見れば時代の徒花として消費され尽くされてしまう。そこには商売人としての彗眼はあるけれど、作品への愛情はない。残された作品を丁寧に扱うことで商品価値も上がり、永続的なファンの獲得に繋がってゆく。
 結局、亡くなった本人ではどうしようもないので、残されたスタッフや遺族次第ということになる。これまで応援してくれたファンの気持ちを考えれば、墓場荒らし的に闇雲なリリース・スケジュールは逆に首を絞めてしまうだけだ。

 そう考えると、David Bowieのようにきちんと余命から逆算したリリース・スケジュールを立てることが、最も賢く手堅いやり方なんじゃないかと思う。きっと彼の場合だと、今後数年先まで綿密に計画されているだろうし、サプライズ的に発掘音源映像が見つかったとしても、それはあらかじめ計画されていたかのように、滞りなく遂行されるだろう。
 対して突然死、例えばKurt Cobainのようなアクシデント的急逝だと周囲も混乱し、どさくさ紛れのリリース・ラッシュが横行する。Nirvanaの元メンバーもそうだけど、やっぱ一番めんどくさそうなのがCourtney Love。何かあれば口出しして揚げ足取ったり、計画が進まなさそうな印象が強い。あくまで印象だけどね。

 で、Lauraの場合だと前者に当てはまる。本人がはっきり死期を意識したのはいろいろな説があるけど、前作『抱擁』リリース時には何となく意識はしていたらしい。気づいた頃には病状はかなり進行していたため、手術によるガン摘出もままならない状態。タイム・リミットを意識した時点でLaura、最後に3枚のアルバムを制作することを決意する。
 まずは全曲書き下ろしのオリジナル・アルバム、そして、これまで自分が影響されてきたアーティストのお気に入り曲のカバー・ヴァージョンをまとめたアルバム、もうひとつが、これまでの総決算的なライブ・アルバム。
 人生の終焉を意識したことで日増しに強くなった創作意欲も相まって、すべてのプロジェクトが並行して行なわれた。何しろ時間がないのだ。いつ気力と体力が潰えるか分からぬギリギリの状況で、Lauraは次々に曲を書き、そして最後のツアーに出た。しかし、自身の予想以上に病状は悪化の一途を辿り、進行中だったレコーディングは中断、療養生活に入ることになる。
 -わかってはいたはずだ。2度と現場に復帰することはなかった。

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 そのうちの2つのプロジェクト、スタジオ・レコーディングのマテリアルがここでは併せて収録されている。全16曲中、オリジナルとカバーとが半々ずつ、ピアノソロ・スタイルのオリジナルと、バンド編成で録音されたカバーとが交互に収録されている。もともとは別々のコンセプトで制作されていたアルバムがひとつにまとめられているのだけど、こういった形がLauraの意図によるものなのか、それはわからない。
 もしかして、生前に何かしら遺言めいたものを残していたのかもしれない。死者の沈黙はできるだけ好意的に受け取るしかない。その辺はスタッフや遺族の良心に委ねるしかない。多分、この形が最もベターな選択なのだろう。

 Lauraのアルバムで有名なのが初期のCBS3部作で、ディスク・ガイドやアマゾン・レビューでも、この時代の作品が紹介されることが多く、思い入れが深い人も多い。村上春樹の小説『ノルウェイの森』の中にLauraの”Wedding Bell Blues”について触れる一節があるように、60年代末の彼女は何かしら特別なオーラを放っていた。
 「女」という性を剥き出しのまま叩きつけるヴォーカル・スタイルは、時代とは逆行する様にソウルフルで、レアな感情を未加工のまま投げ出している。
 確かに良い。良いとは思う。でも、何度も続けて聴きたくなるかといえば、いつも最後まで聴き通すことができない俺。
 誤解を恐れずに言ってしまうと、「一本調子で退屈してしまう」というのが、アメリカの女性シンガー・ソングライターに対する俺の偏見である。なので、Rickie Lee JonesもCarley Simon もまともに聴いたことがない。ヒット曲単体でなら楽しめるのだけど、アルバム通してだとすぐに退屈してしまうのが、お決まりのパターンである。
 彼女たちが悪いのではない。これは単に好みの問題だ。その中でもJoni Mitchellは比較的聴くことができるのだけど、シンガー・ソングライター成分が強い初期、『Blue』以前はフォークの香りが強すぎて、今でもちゃんと聴けずにいる。ジャズ/フュージョン期に移行した後なら、どれも普通に聴いているのだけど。
 思うところがあって最近Carole Kingを聴こうと思い、『Tapestry』にトライしてみたのだけど、やっぱりイマイチだった。70年代女性の方シンガー・ソングライターのアルバムとしては最もポピュラーで間口も広いはずなのだけど、やっぱりダメだった。自分でも何でだろうと思っている。

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 俺が日常的に聴いている数少ない女性シンガー・ソングライターの1人であるLauraだけど、ハマったのがここ半年くらいのことで、しかもまだ『抱擁』とこれくらいしかちゃんと聴いていない。すべてのアルバムを片っぱしから聴いていくタイプのアーティストではないのだ。むしろそういった聴き方が許されないムードがある。1枚のアルバムを大切にじっくりと、それでいて真剣に対峙するのではなく、もっとカジュアルに聴くことができるシンガー、それが俺にとってのLauraである。BGMより早くもうちょっと引っかかりのある、それでいて観葉植物や洗練された家具のような、ごく普通の生活にスッと馴染んでくる音楽。
 最初はサウンドのせいだと思っていた。俺の聴く2枚は90年代の録音なので、音質は当然過去のアルバムより良い。特に『抱擁』はGary Katzプロデュースなので、これ以上はないというくらいLauraとの親和性は高いサウンドを創り出している。
 試しに、音質的にはほぼ同じ条件に近いリマスター音源の初期アルバム、最新のベスト・アルバムも聴いてみた。いいことはわかってる。でも、やっぱりどうも馴染めない。Carole Kingと同じ現象の再来だ。
 これは音楽の優劣の問題ではない。クオリティは当然として、音楽へ向けるパッションだって、強いものを感じ取ることはできる。でも、最終的にその音楽を気にいるということは、それを創り出したアーティストの世界観に入り込めるかどうか、というのが一番大きいファクターになる。その入り口の手前なのに、俺はどうにもその一歩を踏み出せずにいるのだ。そこでは最上のクオリティもパッションも用意されていることはわかっているのに。
 なぜだ?

 俺が初期ではなく、後期Lauraに惹かれる理由がなんなのか、自分なりに気づいたのが、楽曲に対するヴォーカライズの解釈の違い。
 初期のアルバムも曲はいいのだ。うまいよなぁ、と感心してしまう。特に5th DimensionやThree Dog Nightらがカバーした一連のヒット曲など、きちんとアーティスト・エゴも満たしつつ、不特定多数にアピールできる楽曲ばかりである。Laura自身は特別大きなヒットを出したわけではないけど、彼女の曲をカバーした人はいくらでもいる。どちらかといえば玄人受け、プロが歌ってみたくなる曲が多いのだ。
 で、Lauraが自演したテイクを聴くと、自作曲であるにもかかわらず、ヴォーカルの粗さが目立ってしまう。もともと美声やテクニカルな歌唱力がセールス・ポイントではないLaura 、特に初期のヴォーカルは時代性もあって、パッションを未加工のまま投げ出した印象が強い。
 テクニックを副次的な要素としたヴォーカライズは、時に聴く者の琴線にダイレクトに響くけど、その届く先は限られてしまう。曲調によっては細やかな感情の機微を伝えるため、緩急をつけた方がよい場合もあるのに。この頃のLauraのスタイルは、ほとんどがパワフルな自然体だ。

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 自然体とはよく言うけれど、自己の成長と共に感受性も変化してゆき、年齢に応じて創作の傾向も変化してゆくのもまた、自然の摂理である。かつて若気の至りで作った歌を、その当時のテンションのままで歌えるだろうか。同じように歌うこと自体は難しいことではない。懐メロに徹するのならそれもいいだろう。しかし歳を経るにつれて、解釈の仕方は変わってくる。
 作った当時は見えてなかったこと、無意識のうちに書き連ねていた一節にどんな意味が込められていたのか、後になってわかってくる場合だってある。あの時はただがむしゃらに、感情の赴くままに歌っていただけだったけど、今ならもっと違った見せ方ができる。力まかせにねじ伏せるのではなく、その歌に込められた意味をきちんと伝えるには、もっと違った表現の仕方はあるのでは?
 当然、作風は変化してゆく。真摯なアーティストなら当然の帰結だ。キャリアを重ねることで自然と技術的スキルは上がっていったけど、彼女の場合、それに加えて結婚と出産を経験した。そんな事情もあって活動ペースは緩やかになり、音楽への対峙の仕方、受け止め方に変化が現れた。

 そして晩年。もはや声高に何かを伝えたいわけじゃない。強い口調で言うべきことは、若かりし頃に言ってしまった。
 これまでに作った歌は、かつてのように吐き出すのではなく、もっと楽曲に寄り添って、素材の良さを引き出す姿勢で。
 これから作る歌は無理に絞り出すのではなく、自然にこぼれ出たもの。それらを丁寧に拾い上げ、最上のミュージシャンによる最上のサウンドで。湧き出てきたメロディを歌詞を、素直に歌っていこう。

 『抱擁』もそうだったけど、ここでのLauraも強い口調ではない。作品のイメージを虚飾なく伝えるよう、すごくフラットに歌っている。バンド・スタイルの時なんて、ほんと楽しそうに歌っている。
 音程的に、感情的に優れているというのではなく、サウンドとの親和性がものすごいのだ。


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1. Angel In The Dark
 1995年8月のバンド・セットからスタート。
 ちなみにメンバーは、
 John Tropea (g)
 Freddie Washington (b)
 Bernard Purdie (d)
 Michael Brecker (tenor sax)
 Randy Brecker (trumpet)
 Bashiri Johnson (per)
 といった面々。俺が連想したのがSteely Dan。まぁ似てなくもない。録音スタジオがあのパワー・ステーションだったとは、いま初めて知った。
 豪華メンツをこれ見よがしにフィーチャーするのではなく、堅実でスクエアなバッキングで抑制させるのはDanと同じ手法。特にBrecker兄弟のフレーズなんて『Aja』のデジャ・ヴ。
 サウンドと共にLauraの歌声も抑制されながら、これが最も曲の良さを引き出したスタイルだと思う。



2. Triple Godess Twilight
 こちらは4月に行なわれたソロ・セット。1.同様、コーラスも自身で多重録音している。重く陰鬱としたテーマを緊張感あふれるピアノで表現しているのだけど、不思議と重い感じは少ない。多分、初期のLauraならもっとパワフルに表現したのだろうけど、ここではもっと優しく諭すように、かみ砕くような口調で歌っている。歌詞の中身を理解してもらいたいがゆえ、晩年はこういったスタイルを選ぶようになったのだろう。

3. Will You Still Love Me Tomorrow
 オリジナルはCarole Kingが提供した女性コーラス・グループShirellesの1960年のヒット。その後も様々なアーティストによってカバーされており、実は俺が最初に知ったのはAmy Winehouseのヴァージョン。Carole本人も『Tapestry』でセルフ・カバーしており、つい最近俺もそれを聴いてたはずなのだけど、ゴメン、聴き流してた。
 俺的にはアバズレなAmyヴァージョンが基準となってしまうのだけど、1.よりさらにシンプルなバッキングはメロディ本体の良さを引き立たせている。自身が影響を受けた歌として、その魅力を引き出すため、敢えてアコースティックに、それでいてややパーカッシブなプレイを求めたのだろう。
 今度は少しメンツを変えて、
  Jeff Pevar (g)
  Will Lee (b)
  Chris Parker (d)
  Carole Steele (Per)
 といった面々。ホーンレスのこじんまりしたセット、ここでのWill Leeのオーソドックスなプレイは名演。
 
4. He Was Too Good To Me
  Richard RodgersとLorenz Hartというコンビは、あの”My Funny Valentine”を作った著名コンポーザーであり、これは1930年初演のミュージカル『Simple Simon』というミュージカルのために制作されたものの、開演直前にボツになってしまったといういわくつきの曲。だからといって駄作なわけではなく、古今東西カバーしてるアーティストは多い。Carly SimonやNina Simoneも歌ってたらしいけど、俺は知らなかった。
 ここでのLauraは混じりっ気なしのピアノ・ソロ。ヴォーカルも初期の発生の強さを彷彿とさせている。ルーツ的な楽曲なので良し悪しをいうものではないけど、俺的にはCarlyのヴァージョンが案外気に入った。

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5. Sweet Dream Fade
 1.と同じメンバーによるセッション。4.のような超有名なスタンダード・ナンバーの後に来ても遜色なく古びないクオリティ。中盤からテンポ・アップしてポップ性が強くなるのだけど、媚びた感じもなく普通に楽し気に歌うLaura。やっぱすごいわBrecker兄弟。Bernard Purdieのフィル・インも適格。

6. Serious Playground
 ピアノのアタック音が強くなる、初期を思わせるバラード・ナンバー。この時期の楽曲は、ある意味これまでのキャリアの総括的な意味合いも含んでいるので、こういった曲が並ぶのも流れとしては間違っていない。それでも解釈の違いか見せ方の違いか、ガツガツした印象が少ないおかげもあって聴きやすい。終盤のフェード・アウトするファルセットはちょっと苦手だけど。

7. Be Aware
 2.のバンド・セットによる、Burt Bacharachのカバー。ジャジー・テイストも交えた彼の作風はLauraとのシンクロ率は高く、テクニックを要する楽曲を自分のものとしている。言い方は悪いけど、ある意味お抱えシンガーであるDionne Warwickだと、うまいけど引っ掛かりがないんだよな。

8. Let It Be Me
 オリジナルは古いシャンソンだけど、実際にヒットしたのは1960年のEverly Brothers。楽曲提供で付き合いのあった5th Dimensionもカバーしており、その流れもあってここで取り上げられたかと思われる。エモーショナルなピアノ・バラード。

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9. Gardenia Talk
 ボサノヴァのリズムを基調とした、穏やかな午後のお茶の時間にピッタリくるミディアム・スロー。普通ならマッタリしそうな曲調のはずなのだけど、なにしろリズムがPurdie、関係なくグルーヴしたアタックを聴かせている。

10. Ooh Baby, Baby
 言わずと知れたSmokey Robinson & Miracles、1964年のヒット。前曲に引き続き、バンド・セットでのレコーディング。ソウル・レジェンドの一人であるSmokeyであるからして、昔からカバーされることが多く、後で彼がオリジナルだった、と気づくケースが多い俺。この曲も最初に聴いたのはZappのヴァージョンなので、そっちの印象が強い。Smokeyの楽曲全般に言えることだけど、俺的にはオリジナルよりカバーされたヴァージョンの方が、楽曲の良さが鮮明に浮かび上がる印象。いやもちろんオリジネイターが一番なんだろうけど、特にSmokeyの場合、60年代モータウン・サウンドでレコーディングされちゃうと、どの曲も一緒くたに聴こえてしまう。
 ここでは力強くソウルフルなLauraの一面が披露されている。体力的にもきつかっただろうに。



11. Embraceable You
 George Gershwin作によるBilly Holidayのスタンダード・ナンバー。ある年齢以上の女性シンガー・ソングライターにとって、Billyというのはひとつの「越えなければならない」、そしてまた「決して超えることのないだろう」壁であって、真っ向から対峙しづらい相手である。それは単に音楽だけの問題ではなく、生き様なんかも含めているわけで。
 その「Lady Day」と真剣に向き合えるようになったのが、やっと晩年を意識してから。ここでのLauraはひどくストレートで、そして渾身の力を込めてピアノに歌に集中している。おそろしくパワーを使ったのだろう。

12. La La Means I Love You
 言わずと知れたDelfonics1968年のヒット。フィリー・ソウルといえばもうこの曲、というくらい定着してしまった。俺が最初に知ったのはTodd Rundgrenで、次にPrince。カテゴリー的にはかなり遠い2人だけど、少年期に影響を受けたものはあまり変わらない、という事実。Toddとも親交の深いLauraだからこそ、この選曲は納得。彼も10.をカバーしてるしね。

13. Walk On By
 またまたDionne Warwick、ていうかBurt Bacharachのカバー。オリジナルがファニーで上品なポップスだったのに対し、ここでは少しソウルフルなピアノ・バラード。これはオリジナルもいいなぁ。



14. Animal Grace
 自然・環境問題を題材としたピアノ・バラード。最後までエコロジーな視点を忘れなかったという点では一貫してるけど、思想的には受け取り方は人それぞれ。音楽は音楽として、俺的にはあまり興味ない。きれいなバラードだけどね。

15. Don't Hurt Child
 本編ラストは未来ある子供たちへ向けた、大きな母性愛を感じさせる、スケール感の大きいナンバー。声高に拳を振り上げるのではなく、まずは良い楽曲を歌うこと、メッセージは副次的なものであり、楽曲としての整合性をまずは大事にしている。たった3分なのがちょっと惜しい。

16. Coda
 シークレット・トラックとして収録。15.が終わって4分強の無音トラックの後、唐突に始まる1.の別テイク。実質1分半程度なので、もうちょっと聴いていたい。




 ある意味、ほとんどすべての男が抱く女性の理想像、「となり家の年上のお姉さん」像の条件を完璧に満たしているのが、このLaura Nyroという女性ではないのか、と勝手に思う。
 微妙に程よい距離感、取っつきづらそうでいて、話してみたら案外気さく、時々勉強も教えてくれたりして、あんなコトやこんなコトの手ほどきなど、あらゆる妄想を掻き立てられるような。
 そんなくっだらねぇことを想う、46歳の春。


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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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