好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

John Coltrane

掘れば尽きない隠しダマ(まだあるよ、きっと) - John Coltrane 『Blue World』

folder 2018年に発表された完全未発表曲集『Both Directions at Once: The Lost Album』で、その年のジャズ発掘音源の話題を独占したコルトレーン。50年以上も前の音源にもかかわらず、世界各国のアルバム・チャート上位に食い込んだこともあって、新世代のファンが多く流入する結果となった。
 そんな盛り上がった市場の熱気も冷めやらぬうちに、また新たな発掘音源が2019年にリリースされた。ロックの世界でもありがちだけど、ひとたび大きな鉱脈が見つかれば、同傾向の音源が畳みかけるように続々リリースされる。
 今回リリースされたのは、1964年リリース『至上の愛』の半年前、カナダ製作のフランス語映画『Le chat dans le sac』のサウンドトラックのために行なわれたセッション。映画は日本未公開のため、詳細は不明だけど、文化事業の助成金を使用して作られた映画なので、多分だけどエンタメ性は薄い。ちょっと調べてみると、どうやらヌーヴェルヴァーグの影響が色濃いアバンギャルド臭が強いため、シネコンよりはアート・シアター向けの映画である。
 そんな一般性の薄い作品であるため、監督も俳優も名の通った人ではない。もしかして、マニアの間では「知る人ぞ知る」ポジションなのかもしれないけど、ゴメン、そこまで映画詳しくねぇや。
 当時、すでにジャズ界で頭角をあらわしていたコルトレーンだったため、マイナー映画のサントラ仕事にガチで取り組んでいたとは思えない。ギャラだって、そんなに出なかったはずだし。
 このちょっと前に、帝王マイルスが『死刑台のエレベーター』のサントラを手掛けていたこともあって、それに触発されたのかもしれないけど、どちらにせよ、そんな前向きな動機じゃなかったことは、内容の微妙さからも窺える。

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 ひとつの小節に体力の続く限り、限界いっぱいにありったけの音を詰め込むシーツ・オブ・サウンドを提唱したのが、1959年の『Giant Steps』からで、以降は求道者然として、サキソフォン・プレイの深化を追及し続けたコルトレーン。緩急をつけたりブレス用のブランクを入れることをハナっから考えず、とにかく隙間なく音を詰め込んでゆくスタイルは、他のサックス・プレイヤーの追随を許さなかった。
 ストイックなアスリートか、はたまた間が怖い漫才師の如く、オンリーワンのサウンドを獲得しつつあったコルトレーンは、その後ジャズ・シーンで独自のポジションを築いてゆく。テクニックの拙さを嘆いてドラッグに溺れ、マイルス・バンドをクビになったのは、もう遠い昔の出来事だった。
 この後のコルトレーンは、カバラ思想にかぶれたりアフリカン・リズムにハマったり、多くのジャズ以外のミュージシャンから、様々なインスパイアを受けることとなる。禁欲的な使命感に絆されて、深化を止めない音楽性は、遂にはコード進行からも解き放たれ、無調の旋律=フリーの沼に足を突っ込むことになるのだけど、それはまた後の話。

 代表作とされる『My Favorite Things』も『Giant Steps』も『至上の愛』も、発表当時から批評家からの評判も高く、最初から名盤扱いされていた。実際、意匠を変え構成を変えたり、50年以上経った今でも堅実に売れ続けている超ロング・セラーではあるけれど、それもあくまで、「ジャズの中では」の話。
 すでにポピュラー音楽の主流の座を、ロック/ポップスに明け渡してしまっていた60年代前半、実はコルトレーンのセールスは微々たるものだった。それまでの彼の累計売上を合算したとしても、モンキーズやビートルズのアルバム1枚にも及ばないほどだった。
 戦後の若者にとって、最もヒップな音楽とされていたジャズは、50年代の終焉と共に役割を終えていた。その後、他ジャンルのエッセンスを取り込むことによって、ビルドアップと蘇生を繰り返してきたけれど、現在までジャズがメイン・カルチャーとなったことはない。
 超ロング・テールのエピローグとリフレインを交互に繰り返すことによって、「伝統芸能」としてのジャズは、どうにか生き長らえている。今後もし、ジャズ・シーンに新たなムーヴメントが起こったとしても、マーケットを揺るがすインパクトと新鮮味を与えることは、もはや不可能だ。
 それらはすでに、誰かが通ってきた道をなぞっているに過ぎないのだ。それほどジャズは、多くのアーティストによって、解体/再構成を繰り返してきた。
 まぁ、これはジャズに限らず、どのジャンルにも言えることだけど。

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 話は戻って1964年、ブルーノートやプレスティッジ、インパルスなど、まだ余力の残っていた独立系レーベルの使命感に支えられて、どうにかこうにかジャズはその命脈を保っていた。レコード売上はロック/ポップスに及ぶべくもなかったけれど、欧米を中心としたツアー回りや客演など、細々した仕事は、まだ山ほどあった。なので、レコーディング契約がなかったとしても、アーティスト自身はどうにかこうにか食える環境にあった。
 著作権収入や印税配分が大ざっぱで、音楽ビジネスが未整備だった60年代、純粋なレコード売り上げで食えているアーティストはごく限られていた。彼らの収入源は、当日に手渡しされるステージ・ギャラが主だったものだった。さらに加えて、アーティストの知名度や集客力によって、相場も違っていた。
 知名度の指標となるのが、リーダー・アルバムを出していること、または、有名アーティストとの共演歴やセッション参加歴だった。この辺は現在とあんまり変わりがない。そりゃ興行主の方だって、何かしら箔付けがあった方が集客しやすいだろうし。
 インパルス時代のコルトレーンともなれば、集客力はジャズ界でもトップ・クラスだったろうし、それに伴って、ギャラのランクも高かったはず。とはいえ、冷静に考えてみると、60年代という時代背景を考慮すると、案外そうでもなかったことは想像できる。
 数々の有名なライブ・レコーディングが行なわれ、一流アーティストの登竜門として、ヴィレッジ・ヴァンガードやファイヴ・スポットといった名門ジャズ・クラブがある。さぞ豪華な設備やキャパを想像してしまいがちだけど、その多くは飲食フロアも併設した中規模ライブハウスであり、何百人・何千人を収容できるサイズではない。そんな収容力のあるホールがジャズ・コンサートに貸し出されるはずもなく、その多くはクラシックに独占されていた。
 さらに、公民権運動の盛り上がりによって、人種問題が一触即発状態だった当時のアメリカ、特に差別の激しい南部においては、黒人ジャズ・ミュージシャンが演奏できる場所は、ごく限られていた。演奏するのも観に行くのも命がけ、というのが常態化していたのが、この時代だったのだ。
 収容数が限られたステージで多くの集客を捌くためには、公演数を増やすしかない。コルトレーンに限らず、当時のジャズ・ミュージシャンの昼夜2回公演が多いのは、そんな理由もある。

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 で、『Blue World』。
 収録されているのは既発曲のリテイクが中心で、新曲は入っていない。一応、タイトル曲が書き下ろし扱いになってはいるけど、こちらも既発曲をベースにアレンジされたものらしく、去年の『Both Directions at Once』ほどのインパクトはない。
 ただ、「名門ヴァン・ゲルダー・スタジオでのセッション音源」というのは、大きなセールス・ポイントとなってはいる。ブートから直接盤起こししたような劣悪なライブ音源じゃなく、きちんと管理保存されていたスタジオ・ライブというのが、マニアの購買意欲のツボをうまくくすぐっている。
 さらにそのセッションが行なわれたのが『至上の愛』の前だったことも、大多数の保守モダン・ジャズ・ファンの注目を集めている。これが翌年、1965年に入ると、フリー・ジャズに感化された『Ascension』がリリースされ、次第にアンサンブルは崩壊、カオスを極めた独演会の様相を呈してくる。ワビサビも情緒もへったくれもない、過剰なブロウが主体となるサックス独演会は、そりゃジャズ考古学的には貴重だけれど、万人向けの代物ではない。
 そんなわけで、シチュエーション的にもタイミング的にも、ちょうど良い頃合いだったことが、この音源の価値を高めている、と言える。4ビート以外は認めない守旧派にとっては、安心し堪能できるアルバムである。
 ただ難を言えば、各パートのアドリブ・ソロも、既発テイクと大きな違いがなく、作品自体のレア度は薄い。事前情報もない状態で聴くと、有名曲のテイク違いを集めたコンピレーションと勘違いしてしまいそうである。
 既発アルバムの「ボーナス・トラックをひとつにまとめた」、または「ボックス・セットのアウトテイク集だけ分売しました」的なアルバムだよ、と言っちゃうと身もフタもないな。だって、ホントそんなアルバムなんだもの。


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1. Naima (Take 1) 
 ご存じ初出は『Giant Steps』。もう何度も演奏しているだけあって、アンサンブルもこなれたものだけど、マッコイ・タイナーのピアノ・プレイが少し多めにフィーチャーされている。テイク1ということもあって、コルトレーン的には肩慣らし程度のソロ・プレイ。

2. Village Blues (Take 2) 
 こちらも初出は1961年『Coltrane Jazz』。発表当時とリズム・セクションが違うため、当然、解釈も違ってくる。原曲はメロウなブルースといった印象だけど、ここでのテイクはちょっと無骨ささえ伝わってくる。

3. Blue World
 不穏さを漂わせる、のちの暴走振りを予見させるコルトレーンの嘶き、クレバーでありながら不安定なコーディングのマッコイのプレイ。次第に演奏は熱を帯びてくる。原曲とされる「Out of this World」は、そんな暴走振りが過熱して14分に及ぶ尺になっているのだけど、ここはサントラ仕様を意識したのか、6分程度で収めている。普及型/汎用コルトレーン・サウンドといったところか。

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4. Village Blues (Take 1) 
 なぜか3テイクも収録されているこの曲。それほど思い入れがあったのか、それともアイディアが湧き出て仕方なかったのか、はたまたクライアントの意向が強かったのか。発掘モノのアルバムではよくありがちだけど、そこまで執心するほどの違いはない。

5. Village Blues (Take 3) 
 ややピッチを上げたスタートから、ちょっとソフトに、ていうかやや力の抜けたコルトレーンのプレイ。逆にエルヴィン・ジョーンズのスネアがバシャバシャ力が入っている。まぁこういったアプローチもアリか。映像とのマッチングを考えて、ちょっと違った風にやってみたのかもしれない。

6. Like Sonny
 巨人ソニー・ロリンズに捧げられた曲。レジェンド級のプレイヤーでありながら、変な大御所感を振りかざすこともなく、小難しい理論やテーゼに縛られず、思うがまま・あるがままのプレイでもって、多くのファンを魅了してしまうソニー。
 そんな人生もあったんじゃないか、と時に人は思うとこともある。そんなコルトレーンの本心が垣間見える、穏やかな曲。

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7. Traneing In
 ジミー・ギャリソンのベース・ソロから始まり、それが結構長い間続く。サックス・プレイヤーのリーダー作としては、あんまり例がない。こういった予測不能なアプローチもまたコルトレーンの神秘性だし、3分弱も間を持たせてしまうギャリソンのポテンシャルも、レベルの高さを窺わせる。
 この後、マッコイのピアノ・ソロが2分続き、ようやくコルトレーン登場。8分程度の力でアドリブを吹きまくり、そのままやりっ放しで行くと思いきや、どうにかテーマまで強引に持ち込んで終了。

8. Naima (Take 2)
 ややバタバタした印象のナイーマ。この曲はやはりベタでメロウなタッチがよく似合う。
 ちなみに出来心で、末期のナイーマがどんな風になってるのかと、66年『Live From Village Vanguard』収録の15分ヴァージョンを聴いてみた。出だしこそナイーマだけど、中盤以降はまったく別モノ。



 ―聴かなきゃ良かったな。



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誇大表現じゃないよ、マジのお宝音源(ちょっと下品だったな)。 - John Coltrane『Both Directions at Once: The Lost Album』

analysis-032-cover 映画『スウィング・ガールズ』にて、高校の数学教師役で出演している竹中直人のエピソード。田舎のパラサイト中高年男性にありがちな、オーオタかつジャズオタの竹中。学校ではサエない風采だけど、それは仮の姿。自室に金にモノを言わせた高級オーディオをズラリと並べ、終日往年のジャズLPを大音量で鳴らして悦に入っている。
 職場ではそんな態度をつゆほど見せず、あくまで密かな愉しみとして、昼行灯のような無気力教師を演じていた竹中、そんな中、ブラバンの顧問を探している生徒たちに自宅を急襲され、裏の顔がモロばれしてしまう。同好の士として快諾すると思いきや、なぜか固辞する竹中。生徒らがどれだけ頭を下げても、その決心は変わらなかった。
 シーンは変わって、同じ町の音楽教室。田舎ゆえ、生徒数は3人程度のこじんまりしたもの。小学生も混じってる顔ぶれから見て、初級クラスと察せられる。
 谷啓演じる講師に指名され、サックスを構える竹中。おもむろに立ち上がり、激しいブロウ中心のフリープレイを披露するのだけれど、すぐさま止められる。「基本的な運指やタンギングもできてないのに、形から入っちゃダメ」と諭され、しょげる竹中。子供にバカにされる竹中。

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 長々と書いちゃったけど、俺が思うところのコルトレーンのイメージとは、だいたいこんな感じである。実際の劇中設定では、アルバート・アイラーをモデルとしたらしいけど、末期のコルトレーンをマネしようとしたら、だいたいこんな感じになるんじゃないかと思われる。
 実際にコルトレーンをちゃんと聴いたことがない層、いわゆるライト・ユーザーが思い浮かべる彼のビジュアル・イメージは、名盤『My Favorite Things』のジャケットが最も多い。ちゃんと集計を取ったわけじゃないので、ソースも何もないけど、最大公約数として一番有名なのはこのアルバムだし。
 神妙な面持ちでソプラノ・サックスを構えるコルトレーン。正直、くすんだブルー・バックと赤のデザイン・ロゴの組み合わせはミスマッチで、もうちょっと何とかならなかったのかね、と突っ込みたくなってしまう。
 総じてコルトレーンのデザイン・アートワークは、往年のジャズ・アルバムと比して、あまりセンスの良いものではない。末期になると、時代の流れで変なサイケ風味が入ってきて、さらに行先不明なものになってゆく。
 あ、でもそれはそれで、内容に偽りなしか。

 何となく聴きかじったところからもう少し先、ジャズ沼に片足を深く突っ込んだところで見えてくるのが、これまた名盤『至上の愛』のジャケットである。神妙な顔つき具合は『My Favorite Things』ともタメを張るけど、モノクロ写真のため、世界観とうまくフィットしている。やっぱジャズのアートワークは、モノクロがハマるよな。
 さらにさらに先に進み、インパルス後期にまで足を踏み入れると、混沌のアバンギャルド・ジャズ一色になってくる。ここまで来ちゃうと、もはや存在という概念を超越した世界。
 解脱した修行僧のような佇まいから漂ってくるのは、問答無用のコルトレーン・ワールド。「聖者になる」と発言したのがちょうどこの頃で、もう天衣無縫のやりたい放題。凛とした佇まいから吐き出される音の洪水は、人智を超えた不可知論の世界でとぐろを巻いている。
 そんな混沌を瞬時に的確に表現したのが、冒頭の竹中直人だった、という結論にたどり着くまで、長々と書いてしまった。ごめん、これもただ書きたかっただけなんだ。

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 ジミヘン同様、生前より没後の方がリリース数の多いコルトレーン、こうしている今もアーカイブの発掘・整理作業は連綿と続けられている。今年リリースされた『The Lost Album』は、ライブ物中心だったこれまでのリリースとは傾向が違って、スタジオ未発表音源ということもあってインパクトが強く、ジャズ村界隈以外でも大騒ぎになったのは、記憶に新しい。
 時々思い出したように、このようなお宝アイテムがリリースされるということは、もちろん市場のニーズあってこそだけど、まだまだ発掘調査の余地が残されている、ということなのだろう。インパルスやアトランティックの倉庫には、まだ封されたままのマルチトラック・テープがゴロゴロしてるんだろうし。
 いや、もう裏ではきちんとカタログ化されてるのかな。小出しにしてった方が、ビジネス的には賢い選択だし。
 ただジミヘン同様、もし彼が今も生き長らえていたとしたら。心身ともに健康なまま、活動を継続していたとしたら、現在のような評価がされていただろうか、と。
 それはちょっと疑問である。

 インプロ中心の独演会と化していた末期の演奏は、もはや本人にも収拾不能の大風呂敷プレイとなっていた。その音はもはや、聴衆に向けて放たれたものではなく、コルトレーンの内的宇宙へ収斂し、そして完結する。
 彼が影響を受けたカバラやインド思想を勉強して聴いたとしても、さらに混迷を極めるばかり。わかったつもりでいても、またすぐわからなくなる。
 ハマればハマるほど、そのサウンドは共感を拒む。いずれにせよ、一見さんに優しい音楽ではない。
 コルトレーンの死後、ジャズ界は一気に電化フュージョンの流れとなる。青息吐息のモダン・ジャズは、BGM用途のイージー・リスニングか、極東のマニアの慰みものとして、辛うじて命脈をつなぐことになる。なので、さらに風当たりの強いアバンギャルド・ジャズは、居場所がなくなる。
 「聴衆の共感を得ることから降り、頑なに求道者のごとく我が道を突き進むコルトレーン、その前衛さゆえ、アメリカ本国での人気は、次第に下降線を辿ってゆく。ファンへの迎合を潔しとせず、まだフリー・ジャズに寛容なヨーロッパへ活路を見いだし、シーツ・オブ・サウンドの探求を続けることになる」。
 なので、メインストリームでの活動は難しかったんじゃないか、というのが俺の私見。

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 コルトレーン自ら制御することをやめてしまったインパルス末期のサウンドは、いわゆる上級者向けである。この辺の発掘音源は、史料的価値は高いのだけど、日常的に聴くものではない。ていうか、それはかなり無理ゲーである。
 これまでもコンスタントに発掘音源がリリースされていたコルトレーンだけど、今年の『The Lost Album』が特別盛り上がったのは、それなりの理由がある。もちろんスタジオ未発表音源というのが大きなセールス・アピールではあったけれど、レコーディング時期が1963年だったというのが大きい。多くのジャズ・ファンのテンションと血糖値が爆上げしたのは、これが大きい。
 63年のコルトレーン・サウンドは、まだフリー・ジャズに足を踏み入れる直前だったため、わりかしモダン・ジャズ寄りである。なので、「ちょっとアドリブ・ソロが長いモダン・ジャズ」といった印象なので、ビギナーにもやや聴きやすい。
 これが65年くらいになると、アドリブが冗長になって暴走しかけてくる。ウブな素人に聴かせるには、ちょっと刺激が強い。完全コンプを狙うマニア以外には、ちょっとおススメしづらくなる。
 なので、63年のスタジオ・アウトテイクというのは、全ジャズ・ファンに広くアピールできるお宝音源と言える。世事の煩悩から解脱した末期と違って、この頃はまだレコード・セールスやファンの反応を気にしていたコルトレーン、ウケの良いバラード集やジャズ・ヴォーカルとのコラボも積極的に行なっている。

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 BGMとしての機能はまるでない末期のアルバムを聴くには、相応の覚悟が求められる。疲れてる時や、風邪をひいてる時なんかに聴くものではない。ちゃんと体調とメンタルを整えてからでないと、心も体も悪化する。
 とはいえ、体調は万全、ポジティブな気分の時は聴く気になれない。なので、結局先延ばしになってしまう。
 その日の気分で棚からひと摑み、という音楽ではない。学ぶ姿勢、時にはねじ伏せる姿勢じゃないと、末期コルトレーンとは向き合えないのだ。
 で、そんな肩ひじ張った態度ではなく、もっとジャズを楽しむことができる時代の音源が、こういったまとまった形で発掘されたのは、素直に喜んでいい。
 飽くことなきクオリティの追求は、ある瞬間から大衆性を超えてしまう。どれだけ純度の高い作品だったとしても、聴き手の感情移入の余地がなければ、それは単なる空気の振動に過ぎないのだ。
 マッコイ・タイナー(P)、ジミー・ギャリソン(B)、エルヴィン・ジョーンズ(Dr)という黄金期カルテットのセッションは、すでに円熟期に達している。もはや既存ジャズのフィールドで、この4人でできることは、それほど残されてなかった。
 完成形をさらに極めることもひとつの手立てだけど、つねに前進するべく、ストイックな姿勢を崩さなかったコルトレーン。商業的なニーズを考えるのなら、この路線を維持した方がもちろんいいわけだけど、それと相反するプレイヤビリティが、次第に音楽性の混沌を導くことになる。
 マッコイ抜きで行なわれた、トリオ編成でのセッションは、そんなコルトレーンの心境の変化のあらわれとも言える。主旋律を導き出すのは自分であり、そしてまた壊すのも自分。
 ていうか、もう整ったメロディはいらない。
 このテイクが63年当時に発表されていたら、フリーへの転身ももう少しスムーズだったんじゃないかと思われる。


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 タイトルさえつけられなかった完全未発表曲のひとつ。この時点で、すでにジャズ界随一のソプラノ・サックス使いとして名を挙げていたコルトレーン。ていうか、ほぼこの人くらいしか使っていなかったけど。
 ある意味、このメンバーの中では常識人だったマッコイの堅実なプレイが、自由奔放なメンバーのプレイをうまく集約させている。みんながみんな野放図だったら、まとまるものもまとまらないもんな。3分過ぎからジミー・ギャリソン、アルコ(弓での演奏)も聴かせてるし。
 プレイ以外の面、楽曲自体は実のところ、そこまで特筆するほどのものではない。そりゃ並みのミュージシャンと比べたらハイレベルだけど、当時の彼らとしてはウォーミング・アップ程度のものだったんじゃないかと思われる。すっきり5分程度でまとめてるし。

2. Nature Boy 
 ナット・キング・コールによってヒットした、いわゆるジャズ・スタンダード。バンドの理性を司っていたマッコイ抜きのレコーディングとなっており、そんなわけでリズム隊がクローズアップされている。ビート感の強いアフロ・リズムは、メロディアスな楽曲にはちょっとミスマッチだったんじゃないか、と俺の私見。コルトレーンのプレイも無理やりねじ伏せてる感が強く、消化不良のまま3分程度で締めくくっている。

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3. Untitled Original 11386 
 志半ばで終わった2.とは打って変わって、アトランティック期のメロディアス感を彷彿させるソプラノ・チューンは、新旧問わず、多くのファンを納得させる。どこかで聴いたようなフレーズが散見されるけど、でもいいじゃんベタでも。緩やかに統率された中でのコルトレーンの暴走、そして時折ペースダウンを促すかのように割り込んでくるマッコイのソロ。でもお互い、譲ろうとしないんだよな。何とか形になっちゃってるんだけど。



4. Vilia
 ジャズ・スタンダードのカバーらしく、あまりコルトレーンっぽさの感じられないナンバー。最初のソロなんてソニー・ロリンズみたい。もちろん次第にこじれて屈折した詰み込みプレイに変化してゆくのだけど、まぁ彼にこういったのは求めないよな。

5. Impressions
 このアルバムの中ではテンポも速く、グルーヴ感も極まってるチューンだけど、数々のライブ・テイクと比べたら全然大人しい。コルトレーン沼にはまると、あっさりして物足りないくらい。マッコイ不在によってリミッターは外れてるけど、スタジオ・テイクな分だけ、クレバーな演奏。

6. Slow Blues 
 考えてみればこのアルバム、まとまった形のマテリアルがまるまる未発表だったわけではなく、単に同じ時期のテイクを並べたものである。なので、一貫したコンセプトで括られてるわけではなく、いわゆる寄せ集めてきな色彩が強い。
 そんなわけで、こういったストレートなブルースはちょっとミスマッチ。正直、11分は冗長。テオ・マセロなら、この半分でまとめちゃったかもしれない。

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7. One Up, One Down
 2005年に発掘された、ハーフ・ノートでの同名ライブ・アルバムのスタジオ・ヴァージョン。多くの人同様、俺的には、ライブ・ヴァージョンの方を先に聴いてるので、スタジオ録音は何だかかしこまってるよなぁ、といった印象。
 ジャズの場合、スタジオ録音=オリジナル・ヴァージョンとは単純に言えないので、先に世に出た方がインパクトが強くなるのはやむを得ない。それでもこのテイクが無視できないのは、やはり完成されたアンサンブルと圧倒的な録音レベルの高さ。ジミーもエルヴィンもマッコイも、みんなにきちんと見せ場がある。そして、彼らの挑発的なプレイを悠々と受け止めるコルトレーン。
 この時代はいい意味で、いわゆる「ジャズ」の範疇にある。この後も面白くなってゆくのだけど、まぁ聴く人を選ぶわな。



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「ジャズ」として聴ける限界値のコルトレーン - John Coltrane 『Transition』

folder 前回のMilesの続き。
 組織論としてのバンドの実例として、ColtraneとMiles両名で検証してみたのだけど、結局、どちらのやり方でも後進への影響やセールス実績を残しているため、優劣をつけることはできない。方向性の違いだけである。なんだそりゃ。

 もともと正統派モダン・ジャズの係累を歩んできた両名、スタイルの違いはあれど、本質的なところではそんなに変化はない。強烈なミュージシャン・エゴに基づくリーダーシップを振りかざし、いち早くツバをつけた若手の尻を叩いてセッションを進行させてゆく、というプロセスは変わりない。
 バンド運営的にも、実績の弱い成長過程の若手はスケジュール的にもギャラ的にも何かとムリが効く。何しろ相手はジャズ界の大ベテランで、むしろ手弁当でもいいくらいの気概で参加している者も多い。
 「ギャラの取り分?まぁ勉強させてもらってるんで、イイっすよ言い値で」。
 なので、コスパ的にも何かと都合が良い。ある程度在籍して発言権を得てきたあたりで独り立ちさせてやりゃいいんだし。

 Coltraneの後期の作品のほとんどが、メイン・ソロイスト(要はColtrane)プラスαというアンバランスな構成になっている。末期はPharoah Sandersとの双頭体制も多かったけど、基本、Coltraneのコンセプトに従ってのプレイなので、突出したオリジナリティを表現する余地はほとんどない。彼が本性をあらわしてくるのは、Coltraneが亡くなってからである。
 対しMiles、リーダー・アルバムであるにもかかわらず、もともと彼の場合、メインのソロの割合はColtraneほど多くない。以前どこかで書いたと思うけど、Milesというアーティストはプレイヤーというよりはむしろサウンド・コーディネーターであり、コンセプト・メーカーである。具体的な意図を提示するわけではないけど、「こんな風にやれ」と彼が指示するだけで、いつの間にかMilesのサウンドになってしまっている。引退直前の一連のアルバムを聴いてみればわかるけど、どのプレイヤーも好き勝手に演奏しているように思われるけど、最終的にはきちんと「Miles Davis」印のサウンドとして成立してしまっている。誰もがみな、Milesの掌の上で踊らされているに過ぎないのだ。
 そんな塩梅なので、何もMiles自らが無理に出張ってソロを吹きまくる必要もない。要所を押さえておけばよいのであって、それをより効果的に演出するため、むしろソロ比率は他のアーティストと比較しても圧倒的に少ない。でも、ちゃんとMilesのサウンドになっちゃってるのだ。

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 で、Coltraneの場合。彼の場合、音楽をプレイするという行為に意味を見出そうとするがため、どうしても曲の構成が理屈っぽくならざるを得ない。ちょっと息苦しささえ感じてしまうのは、何もフリー性が強くなったからだけではない。主に頭の中だけで構築されたサウンドは、敷居を高くする。
 イデオロギーに基づいて頭の中でこねくり回された音楽的なアイディアは、収拾がつかなくなっちゃってるのだけど、とにかく思いついた音はすべて出し切らないと気が済まない。膨大すぎて整理がつかなくなっちゃった末、演奏するたびにテンションが上がりまくって、全部自分でやってしまうパターンが多い。演奏に入る前はそれなりにアンサンブルも構成も考えていたはずなのに、全部チャラ。シーツ・オブ・サウンドの暴走である。
 Pharoahもそうだけど、他にもRashied Aliなど有能なミュージシャンをバックに従えているのだから、彼らを単なる伴奏者として使おうだなんて思っていなかったはず。一応はバンマスとしてのColtraneが取りまとめているのだけど、彼らはバンド・メンバーであると同時にイデオロギーを共にした同志であり、基本、上下関係というのはない。
 なので、Coltraneとしてはみな平等に見せ場を作ろうと開演前には思うのだけど、いざステージに立って演奏が始まってしまうと、すべての目論見はぶっ飛んでしまう。いつもの独演会の始まりである。

 プレイヤーとしてまっとうな感覚を持つミュージシャンなら、そんなバンマスの独善ぶりに嫌気が差しても不思議はない。実際、日に日に肥大化する彼のインプロビゼーションについていけなくなったのか、黄金のカルテットと称されたMcCoy TynerとElvin Jonesもバンドを去っている。
 最後まで残ったのは、前述の2人に加え、Coltrane夫人のAlice。こちらも恋愛関係が昂じて一緒になった夫婦というよりは、イデオロギーに共鳴した同志としての関係であり、世間一般のカップルとはニュアンスが違っている。一般的に考えて、同じ職場に奥さんが在籍しているというのは、あまり気持ちの良いものではなく、むしろ不自然。家内制手工業や3ちゃん農業でもあるまいし、気疲れしなかったのかな。
 そういえば、Paul McCartneyもWingsで妻Lindaを引き入れていたし、Fleetwood Macなんて元夫婦や元カップルやらW不倫やらその他もろもろで、バンドが成立していたのが不思議なくらいである。ミュージシャンって、そういうのあんまり気にしないのかな。

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 これはジャズ全般に言えることだけど、ポップスのようにイントロ→Aメロ→サビ→間奏→Bメロ→大サビ→アウトロという定型化した構造がなく、基本となるフレーズとコード進行、何となくソロの割り振りさえ決めてしまえば、どうにでもなっちゃうジャンルである。同じ曲名なのに、全然違った曲になってしまうことも珍しくはない。その日の気分次第コンディション次第で、アドリブ・パートのフレーズがまったく変わってしまうこともしょっちゅうである。
 なのでColtraneの場合、特にシーツ・オブ・サウンドが一応の完成を見てからのアトランティック後期からは、毎ステージごとが新曲のようなものである。ジャケットや風貌にスピリチュアルな要素が入ってくるのと前後して、彼らの演奏は常に新規巻き直しの真剣勝負の様相を呈している。彼らにとってジャズを演奏するということは、カタルシスを得るためではなく、もっと先にあるなにかに辿り着くための修練、Disciplineなのだ。
 全キャリアを網羅するが如く、Coltraneの未発表セッションの発掘作業は続いている。正規・ブートに限らず、毎月のように世界各国のメディア音源、蔵出し音源がリリースされている。俺自身はそこまでのColtraneマニアではないので、たまに正規音源をつまんでみる程度だけど、すべての録音物をかき集めたとしたら、とんでもない物量になってしまうだろう。そうすると一生を棒に振りかねないので、ライトなユーザーに甘んじている次第。インパルス期はあんまり聴いてない。
 多分、末期にも俺が気に入る音源はあるのだろうけど、いつもyoutubeの視聴程度で断念してしまう。特に俺が大好きな「My Favorite Things」、日本公演のそれはまるまるCD1枚分の物量に肥大化している。あの軽やかに口ずさめるフレーズはほんのちょっぴり、あとは難解かつ混迷とした解釈によって、原形を留めていない。フリー・ジャズをわかってる人間にとっては良いのだろうけど、ライトなユーザーの俺からみれば、迷宮にはまり込んでこじらせちゃった感が強い。
 もうちょっとコンパクトにまとめるとか、誰か進言しなかったのか?

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 そう考えると、Teo Maceroの偉大さが実感できる。後年になってからだけど、めったに人を褒めることのないMilesでさえ、彼の編集技術を高く評価していたし、どれだけとっ散らかったとしても、最後はTeoが何とかしてくれる、という信頼関係によって、セッションが進行していたことも解明されている。
 Stonesのジャム・セッションにも比肩する冗長なセッションによって生み出された膨大なテープの山を前に、躊躇せずバシバシハサミを入れ、そしてシステマティックに繋いでゆくTeo。当時は決して表に出ることのなかった、地道で神経を磨り減らす作業を、彼は黙々と、それでいて誠実にクリアしていった。
 Milesのコンダクトによって続々生産される未編集テープの山を、Teoが商品として適切な形にブラッシュアップ、体裁を整えてリリースされる。その完成ヴァージョンをもとにライブでプレイ、そこからまた新たな着想を得てレコーディングに入る。その好循環は、MilesがCBSと袂を分かつまで続いた。

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 そんなTeo的ポジションの不在が、特に後期Coltraneへの生理的拒否感を助長させたんじゃないかと思われる。双方とも、フリー・ジャズ&インプロビゼーション主体の音楽性であることに変わりはないのだけど、アラスカの奥地へも配給ルートを持つ大メジャーCBSと、アーティストの意向を最大限尊重するジャズ専門レーベルのインパルスとでは、そもそもの販売戦略が違っている。
 どれだけMilesが奔放なプレイをしようと、マス・ユーザーを想定して編集ブースにこもるTeoによって、そのテープは時に原形を留めぬほど切り刻まれた。どれだけ良いアドリブやアンサンブルがあったとしても、冗長で意味がないと判断すれば、彼は容赦なくその部分をカットした。ほんとはもっと短く編集してもよいくらいだけど、2枚組になってしまうのは、Milesに対する敬意を表したものだろう。もし彼がその気になれば、テープをいくらでも短く、または長く編集できたはずである。

 対してインパルス、前述したように極力テープ編集を抑え、アーティストへのリスペクト最大限に表したアルバムが多勢を占めている。要は「録って出し」である。余計なスタジオ経費もかからないし。
 純血主義のジャズ・ユーザーにとっては、もちろんインパルスのメソッドが王道であるはず。それはわかっているんだけど、そういった戦略はあまり大きな広がりを見せない。アトランティック期はともかくとして、このインパルス期はライト・ユーザーへの敷居を高くしてしまい、新参者にとっては足を踏み入れることすら躊躇してしまう。もうちょっと、親しみやすい芸風はなかったのか?と問い詰めたくなってしまう。

John Coltrane & Rashied Ali

 ほとんど完成の域に達していたシーツ・オブ・サウンドに見切りをつけ、集団即興をメインとしたフリー・スタイルへ大きく舵を切ったのが、いまでも問題作の『Ascension』。リリースから50年近く経った今になって聴いてみれば、リード楽器の乱立によってあちこちで不協和音が発生しているのがわかる。セッションいよるマジックは生まれているのだろうけど、あまりに散発過ぎてとっ散らかってちゃってる、というのが俺の印象。Teoに頼めば、もうちょっと聴きやすくしてくれるのだろうけど、まぁそういったコンセプトじゃないし。
 じゃあフリーに入る前、オーソドックスなモダン・ジャズ、シーツ・オブ・サウンドの完成系がどれなのかと言えば、いわゆる過渡期にレコーディングされたこの『Transition』になる。録音されたのは1965年なのだけど、リリースされたのは1970年、いわゆる追悼盤に分類される。生前リリースされなかったのは彼の意志によるもので、妻Aliceにも「俺が生きているうちはリリースするな」と言い残したのはわりと有名。なにかと曰くつきのアルバムとして、裏名盤と呼ばれている所以でもある。
 Coltraneとしては一応レコーディングはしたものの、あくまで旧来ジャズの範疇に収まっている今作に満足できず、心はすでにフリーの方向性に移っていた頃である。シーツ・オブ・サウンドにある程度の完成形を見据えてしまった今となっては、古臭く映ってしまったのだろう。
 徹底的な創造の後に来るのは、もはや自己解体しか残ってない。そう考えるとColtraneの方向性は間違っていない。純粋に自身の音楽を極めるとするならば、当然の帰結でもある。

 ただ、「進化すること=善」というのは短絡的。人はそんな簡単に割り切れない。
 Coltraneが見せる最後の「ジャズ」のアルバムとして、ネット界隈でも人気は高い。そんなこと知らずに聴いていたので、正直意外だった俺。俺を含め、ライトなColtraneファンの分水嶺がここにある。
 ここから先のColtraneの作品は、Coltrane’sジャズを完成させた後、緻密かつ暴力的にジャズを解体してゆく経過報告である。その作業は粛々と、それでいてロジカルに行なわれた。
 それは「徒労」とも言える作業だ。


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1. Transition
 アトランティック期にも通ずる、比較的オーソドックスなテナー・ソロから始まる。流麗に感じるのはホント序盤だけ、次第にColtraneがトランス状態に入り、『Ascension』以降に通ずる超絶冗長ソロに変貌してゆく。それを力づくで押さえつけるようなElvinのシンバル連打。この掛け合いを聴いてるだけでも面白い。この程度の脱線ぶりなら、まだ着いて行ける。

2. Welcome
 オリジナルはここに「Dear Lord」が入るはずなのだけど、俺が持ってるのは違う曲に差し替えられている。調べてみるとリマスター以前と以後とでは収録曲自体が違っており、その辺も混乱を招いて紹介されずらい要因となっている。
 5分程度の小品バラードなので、さすがにここで超絶ブロウを入れる余地はない。時に一本調子に聴こえるテナーにも磨きがかかり、普通にマッタリ聴いていられる。こういった曲調でのMcCoy Tynerは、ほんといい仕事だよなぁ、と思ってしまう。

JohnColtraneWiki

3. Suite (Prayer and Meditation: Day, Peace and After, Prayer and Meditation: Evening, Affirmation, Prayer and Meditation: 4 A.M.) 
 LP時代はB面全部を埋め尽くした21分の大作。堂々5部作になっているのは大風呂敷を広げる傾向にあった彼の趣味。
 これだけ長尺で各パートのソロも割り振ると、あまり脱線することもなく至極全うなシーツ・オブ・サウンドに徹している。時々聴こえてくるカン高いハイノートがうざく感じられてしまうけど、バンド・アンサンブルを楽しむのなら良曲。

4. Vigil
 出だしから一触即発状態だったElvinとのタイマン勝負が収録されている、強い熱量を感じさせるナンバー。ルーティンからはずれようと小技を繰り返すColtrane、そしてチャラチャラした現代ジャズには屈しないという意思表明なのか、普段より手数も存在感も多いElvinのプレイ。すさまじい緊張感の中で録音されたことが窺える良作。
 でも、食い合わせ次第では音の壁にやられてしまいそうになるので、体調を整えたあとに聴くことが望ましい。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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