今どきフィジカルの売り上げなんてたかが知れているし、固定ファンだけが購入しているだけなので、特別広がりを見せるはずもない。豪華ゲストもいなければ、キャッチーなシングル候補曲もない、いわばジョーの通常営業のアルバムである。
同世代のコステロみたいにもっとうまく、他アーティストとのコラボやタイアップを手広くやっていれば、それこそコステロやスティングくらいのポジションにも行けてたんじゃないかと思うのだけど、まぁ無理か。ヴァージン時代にメジャー路線に乗せられたこともあったけど、思惑ほどうまく行かなくてメンタル病んじゃった経緯があるので、今さら本人も分不相応な扱いは望んでいないだろうし。
現在はドイツ在住のジョー、本来ならここを拠点にEU諸国を小まめにツアーで回る人生設計だったんだろうけど、深刻なコロナ禍にぶち当たったことで、予定していたライブは中止・順延となってしまっている。ジョーに限った話ではないけど、おかげで行動範囲が限定されてしまい、まともな演奏活動ができない状況が続いている。
今のところはFacebookでつぶやいたりオフィシャル・サイトに長文エッセイを寄稿したり、それなりに元気そうではある。あるのだけれど、もともと独りで何でもできちゃう人なので、それならそれで、オンライン・ライブでもやれば日銭を稼げるんじゃないかと思うのだけど、本人にその気はなさそうである。
今回のアルバム収録曲は、主に春・夏恒例のツアーで初披露されたものが中心となっている。オーディエンスの反応を見つつ、ツアー中にまとめ上げることを目安として、微調整を続けていった。ある程度形になったところを見計らってスタジオに入り、一気に仕上げたらしい。
神経質そうなルックスと頭頂部から、ロジカルな印象が強い人だけど、制作プロセスにおいてライブ感を重視する姿勢は、一貫して変わらない。そんなこだわりが、無観客ライブへの抵抗があるんじゃないかと思われる。
今回のアルバムのテーマはトラジコメディ(悲喜劇)で、シェイクスピアを引用してのコメントをジョー自身が残している。古典からインスパイアされての表現活動は、英国出身のベテラン・アーティストに結構ありがちな例で、例えばウォーターボーイズのマイク・スコットも、詩人イェイツの作品にメロディをつけたアルバムを発表したりしている。
調べてみると、ブレイクやミルトンを題材にしているアーティストもいたりして、我々日本人が思っている以上に、英国において古典詩は身近なものなのだろう。特にプログレ系は多いな。いくらでもインテリっぽく演出しやすいしな。
とはいえ、純粋な文系ならともかく、多くのロック・アーティストがそこまで博学とは言い切れず、むしろメイン・カルチャーに対するコンプレックスの裏返しという意味合いの方が強い。かつてクラシック/現代音楽への転身を図り、いろいろと及ばず撤退を余儀なくされたジョーの場合だと、そんな穿った見方もできるわけで。
まぁほんとにそういったのが好きなんだろうし、「年相応の表現手段」というのもわからないではないけど、「でも、あなたの長所はそういうとこじゃないんじゃないの?」と言うのは、余計なお世話だろうか。「ちょっと知的で、それでいてクセのあるAOR」をやりたい気持ちはわかるんだけど、でもファンの本当のニーズは、「そこじゃない」って。小理屈や大上段なコンセプトをすっ飛ばした、テンション高めのロックンロールやバラードを歌っているジョーが一番映えている。年季の入ったファンなら、周知の事実である。
とはいえ、同世代のミュージシャンの多くがセミ・リタイア、または新譜リリース契約にありつけないでいる中、創作意欲を切らさず走り続けている彼の存在は、突出している方である。メインストリームの世界から離脱して、もうかなりになるジョー、小規模ではあれ、ツアーは定期的に続けているし、彼なりに趣向を凝らした音源制作は続けられている。
オリジナル・アルバムも20枚目ともなると、新たに歌うべきテーマも主題も使い果たしてしまい、過去の繰り返しになってしまうのは致し方ないことだけど、それでも何かしら新たなコンセプトを設定し、クオリティの向上に研鑽している。好んで使うコード進行があるのか、聴いたことがあるメロディや展開に気づかされることもままあるけど、変にセオリーをはずしてグダグダになるより、よっぽどいい。
メジャー時代ほど大きな反響はないけど、新作を作れば発表できる環境があること、また、大会場を埋めるほどの動員は望めないけど、そこそこのホール・クラスを回るツアーを組める現状は、案外恵まれているんじゃないか、と思えてしまう。
デカいキャパを相手にすると、それなりのエンタメ性を求められ、妥協しなければならない部分だって生じてくる。余計なことを吹き込んでくる自称関係者も増えてきて、それでいて彼らの助言なんかは、大抵ひとつも役に立たなかったりする。
いくつかのレーベルを渡り歩き、メリットもデメリットも享受した結果、ジョーはクリエイティヴ面の自由を選択した。ワールドワイドな販売網とプロモーション、バジェットの大きさという利点は魅力であったけれど、そもそも21世紀に入ってからというもの、そんな環境は望むべくもない。
特にコロナ禍によってズタズタにされた今年以降のエンタメ界は先行き不透明、どのメジャー・アーティストも安泰とは言い切れない。最近だと、モリッシーが契約を切られたというニュースが入ってきたくらいだし、安穏とはしていられない。
ホーン・セクションを擁したビッグ・バンドや大編成オーケストラを経て、ポップ・シーンに帰還してからのジョーは、もっぱら少人数アンサンブルでの楽曲制作を行なっている。一聴してのバラエティ感やダイナミズムは薄れたけど、それと引き換えに3〜4ピースで生ずる緊迫感やソリッドなサウンド・プロダクションには磨きがかかった。
ぶっちゃけ、いまのジョーのポジションでは大人数を抱えるほどのバジェットが得られるはずもなく、コンパクトな編成じゃないと継続するのは難しい。それならそれで、初期ジョー・ジャクソン・バンドのリユニオンもアリなんだろうけど、もうみんな60オーバー、往年のテンションを甦らせるには、気力体力的にちょっとキツい。
もともとひとつのスタイルを深く掘り下げてゆくのではなく、アルバムごとにコンセプトを設けて、様々なアプローチを行なってきた人である。2作続けて同じ内容のアルバムを作ることがほとんどないのは、音楽的探究心の強さのあらわれである。
前作『Fast Forward』は、世界4か国の地元バンドとのセッションをまとめた趣向となっていた。その前の『Duke』はタイトル通り、デューク・エリントンのトリビュート、多種多様なアーティストとのコラボだけど、ここでは総合プロデューサー的な立場で采配を振るっている。
で、今回はライブ・メンバーによるコンパクトな編成。近年のピアノ・オリエンテッドなポップ・ソングも年相応でいいんだけど、そういった丸く収まったスタイルより、老骨に鞭打って「ジジイやってんな」的な前のめりロックの方が、ファン的には嬉しかったりする。
今のところは悶々と自宅待機中のジョー、創作活動は日常的に行なっているので、状況が収まれば、出せるネタは充分溜まっているんじゃないかと思われる。ただ、時間を持て余している分、また変な方向に行っちゃってるんじゃないか、というのが、心配といえば心配。
オーソドックスなピアノ・ソロなら全然いいんだけど、懲りずにオーケストラのスコアなんかに手を出すと、また何かとこじれてメンタルやられちゃうのは目に見えてるし。そこそこ自分の目の届く範囲で、極力手をかけず素直なアプローチの作品を出し続けてさえくれれば、もうそれでいいや。
でも冒頭にも書いたけど、簡単なライブ配信くらいはやってみようよ。多分、またツアーに出ても、日本には来てくれなさそうだし。
1. Big Black Cloud
オープニングらしく分厚い音の壁が猛々しい、久しぶりに血圧を上げてきたナンバー。ほぼスタジオで一発録りに近いスタイルだったのか、ところどころラフな部分も見られるけど、勢いを殺さないためには最適だったのだろう。
スタジオ・ヴァージョンはそれなりに緩急をつけた凝った構成になっており、単純なロックに終わらせないぞという気概を感じさせる。でも、ほんとはシンプルで充分なんだけどな。
2. Fabulously Absolute
実は結構覚えやすくキャッチ―なサビメロを書くのは、ファンなら知られてる事実なのだけど、あんまり世間では知られていない。この曲だって一聴すると、無骨さと緻密さとを併せ持ったロック・チューンなんだけど、地に足の着いたメロディはこの人の持ち味のひとつである。
シェイクスピア云々というのはいわばカッコつけであって、単純にいい曲を書いて汗水たらしてピアノを叩きがなり立てるシンガーというポジションが最もふさわしいはずなのに。でもどこかで斜に構えちゃうんだな。
3. Dave
ちょっとビートルズっぽさも加味されたミディアム・バラード。ピアノ主体だけど、アタック音が強く、『Rain』あたりで見せたかしこまったポップ感は薄く、むしろピアノ・ロック。べン・フォールズ・ファイヴはいつの間にか消えちゃったけど、そう考えるとジョーはしぶとく残ってるよな。その辺はやはりポテンシャルの違い、楽理にも長けていることによる地力の差なのだろう。
4. Strange Land
単純にノリのいいロックやポップスだけじゃなく、エモーショナルなバラードもきちんと書けるんだよな。正直、時流に合ってるわけじゃないんだけど、普遍性の高いメロディ。『Body and Soul』に入ってても何の違和感もない。それだけ早くから完成していたという見方もあれば、「大きな進歩はない」という見方も。
でも、年季の入ったファンからすれば、ジョー・ジャクソンというアーティストは安全株なんだよな。よほどクラシックに振れない限りは、大きなハズレはないし。
5. Friend Better
こういったビートルズ風のポップ・テイストは、ヴァージン移籍後から顕著になってきており、大抵、どのアルバムにも1、2曲は入っている。まぁ年齢的に体力的に、こういったミディアム・チューンが多くなってくるのは自然の流れ。
コレばっかりだったらあんまり面白くないんだけど、アルバム全体の流れとしては、こういった肩の力を抜いた曲が入ってるのは悪くない。端正に作られたポップスっていう感じで、刺激はちょっと足りないのだ。
6. Fool
なので、その反動といった感じで、猥雑さを感じるロック・チューンが入ると、こっちもつい体を起こしてしまったりする。オリエンタルなエフェクトはちょっと余計だけど、コール&レスポンスが入ったりすると、やはり聴き入ってしまう。
ただジョーの場合、どれだけハードなサウンドに寄っても、基本のメロディはポップなので、そこまで下品にはならない。その匙加減がやはり大人なのだろう。
間奏の大胆かつ繊細なピアノ・ソロは、現役感としぶとさとを感じさせる。
7. 32 Kisses
多分に本作のテーマであるシェイクスピア色の強いピアノ・バラード。アルバム・コンセプトが立ちすぎると、ここの楽曲のカラーが弱くなってしまう場合が見受けられるのだけど、そのデメリットが如実に出てしまったのが、この曲。
イヤいいんだけどさ、バラードとしてはちょっと凡庸。これまでの必勝パターンを適当に組み合わせて作ったような、または出来合いの楽曲に無理やりシェイクスピアをはめ込もうとして、あちこちいじってたら、可もなく不可もない仕上がりになっちゃった的な。
8. Alchemy
ラストはコンパクトな組曲形式。こういうのは好きだよな、ジョー。強い思い入れを反映してか、有無を言わせず聴かせてしまう吸引力は確かにある。あるんだけど、それは俺が長年のファンだからだろうな。外部へ波及するほどのポピュラリティは望めないけど、でも多くのファンは納得できるクオリティに達しているんじゃないかと思われる。