1984年にリリースされた『Future Shock』の功績は、既存ジャズの流れを大きく変えただけではない。それまで「知る人ぞ知る」といったヒップホップという音楽を大々的にフィーチャーしたことで、80年代黒人カルチャーの大きな飛躍に寄与した。
ネット環境のない当時は、情報の伝播が手旗信号並みに遅かったため、日本に正確な情報が届くまでは、途方もない時間を必要とした。「デカいラジカセを担いだ屈強な黒人が、リズムに合わせて、踊り叫んでレコードをこする」。肝心の音も映像もなく、耳に入ってくるのはゲスな豆知識ばかり。これじゃ伝わらんわ。
すでにジャズ・フュージョン界のスーパースターだったハービーが、まだニューヨークの下町のストリート・カルチャーに過ぎなかったヒップホップに、どうして目をつけたのか。まさかここまで売れちゃうとは、本人もCBSも思っていなかったはず。
とにもかくにも、ヒップホップ・カルチャーがお茶の間レベルにまで浸透したのは、彼の功績である。
グラミー受賞とUSプラチナ獲得の勢いを借りたハービー、早くも翌年、わかりやすいくらいの二番煎じ『Sound System』をリリースする。あまりに堂々とした二匹目のドジョウ狙いのため、したたかさを通り越して漢を感じさせる。
曲がりなりにもメジャーのアーティストなので、「サウンド・プロダクトは同じだけど、コンセプトやアプローチは全然違うんだ」と言い張るんだろうけど、いや単なるヴァージョン・アップだし。正直、『Future Shock』とシャッフルしても、まったく違和感はない。
それでも『Sound System』、プラチナ獲得には至らなかったけど、そこそこは売れた。さすがに『Future Shock』ほどではないけど、これまでのジャズ・フュージョンのアルバムとは、ケタ違いの売り上げだった。キャリア中、最も売れていた「Watermelon Man」でさえかすんでしまうくらい。
ロックやポピュラーの売り上げと比べれば、ジャズの売り上げなんてたかが知れている。採算面だけで考えるのなら、ジャズなんて真っ先に切り捨てた方が効率的ではある。でも、パイは小さいけど売り上げは安定しているし、文化事業としての使命感が、単純な割り切りにストップをかける。
極端な話、そこまで売れなくてもよい。中途半端に新譜が売れてしまうと、予測不能なバック・オーダーで在庫がかさんでしまい、事業計画にブレが生じる。それよりも、往年のジャズ名盤のリイッシュー企画の方が、売り上げ読みやすいし。
それまでは「ジャズ村の中でのスーパースター」だったハービーだったけど、『Future Shock』以降は、ジャズ以外のジャンルからのオファーが多くを占めるようになる。ミック・ジャガーのソロ・プロジェクトに参加したのもこの頃だ。
とはいえ、ロック/ポップスでのセッション・ワークはあくまで余技であり、メインの仕事ではない。これで調子に乗って、ジャズから足を洗っていたら、いまのハービーはない。
R&Bやディスコ、ファンクなど、あらゆるジャンルに手を出してはきたけど、結局のところ、ハービーが行き着くところは、原点のジャズである。ジャズ界で巧成り名を遂げた裏づけがあったからこそ、『Future Shock』はあれだけ注目されたのだ。
CBS的には「さらにもうひと押し」との思惑で、勝手に3部作構想を練っていたのだけど、それを知ってか知らずかハービー、ここで一旦、ヒップホップ路線から撤退してしまう。次に彼が向かったのは原点回帰、本流のメインストリーム・ジャズだった。
1986年に公開された米仏合作映画『Round Midnight』は、ジャズをテーマとした映画としては珍しく、全世界で1000万ドルという興行収入をたたき出した。ミュージシャン・シップに沿った丁寧な映像と音楽は、今もジャズ映画の金字塔として語り継がれている。
この映画ではハービー、単なる音楽監督だけでなく、主人公デクスター・ゴードンのバンド・メンバーとして、重要な役で出演している。演技レベルはさておき、テーマの性質上、企画制作にも深く関与している。当然、片手間で行なえる仕事ではない。
そんな状況だったため、いくら『Future Shock』続編を求められたとして、物理的にそんな時間はないし、またそういったテンションにもなれない。ヒップホップ路線の作品が片手間と決めつけるのは乱暴だけど、メインのジャズ製作と比べれば、向き合う姿勢は全然違ってくる。
で、『Round Midnight』が一段落し、ビル・ラズウェルとのコラボが再開する。するのだけれど、彼らが手がけたのはヒップホップでもジャズでもない、言ってしまえばあさっての方向だった。
アフリカの弦楽器コラを操るFody Musa Susoとのコラボ作『Village Life』は、静かな流行となっていたエスニック音楽とニューエイジ系とのミクスチャー、要は「ミュージック・マガジン」が絶賛しそうなサウンドだった。ディスコ期突入前のE,W & Fのインスト・ナンバーをヴァージョン・アップしたようなサウンドは、いま聴くと程よいアンビエント感が心地よいのだけど、まぁ第2・第3の「rockit」を求めていたCBSからすれば、肩透かし感もハンパない。質が高いのはわかるけど、こりゃ売れんわな。
80年代CBSのジャズ・ラインナップは、ウィントン・マルサリスを筆頭とした若手中心の新伝承派と、復活した帝王マイルスによるエレクトロ・ジャズ=ファンク路線を両軸としていた。若手に保守的な懐古ジャズをやらせ、ロートルが革新的なボーダーレス・サウンドを新規開拓してゆくというのも変な話だけど、両極端な戦略というのは、リスクヘッジとしては悪くない。
ハービーのポジションは当然マイルス寄りだけど、電化一辺倒だけじゃなく、並行してメインストリーム寄りのVSOPもやっていた。ひとつのジャンルで括られることを極端に嫌う人なのだ。
もし『Round Midnight』がなかったら、CBSの思惑に沿って、『Perfect Machine』はもっと早く製作されていたのかもしれない。「モダン・ジャズの復権」という崇高な目的の前では、目先のトップ40ヒットにもハービーの食指は動かなかった。ただどちらにせよ、ビル・ラズウェルも当時は売れっ子プロデューサーとして、ジョン・ライドンや坂本龍一、前述のミック・ジャガーに関わっていたため、スケジュール調整は相当苦労しただろうけど。
で、ある程度まとまった時間が取れたのは、『Sound System』から4年も経ってのことだった。もうこれだけブランクが空くと、煎じるものもドジョウもいなくなってる。
Run D.M.C.によって、より深く世間に浸透したヒップホップも、一様なオールド・スクールだけではなく、LL cool JやPublic Enemy、Beasty Boysなど、よりクセの強いパフォーマーが台頭していた。そんな秒進分歩の流れにおいて、長く前線を退いていたハービーの感性では、とても太刀打ちできなかった。
たとえブランクが短かったとしても、粗製乱造と捉えられ、どっちにしろ市場には受け入れられなかったんじゃないか、というのが俺の私見。
当時のCBSジャズ部門は、経営陣主導による、商業主義と芸術至上主義との振り幅が大きかったため、多くの所属アーティストが翻弄されていた。
長くCBSの主だったマイルスも、オクラ入りしていた『Aura』のリリースを巡って、当時の副社長ジョージ・バトラーと対立する。交渉は平行線をたどり、最終的にマイルスはCBSと袂を分かち、ワーナーへ移籍する。
ハービーもまた、そんなマイルスへの処遇を目の当たりにし、CBSに見切りをつける。次回リリースのアルバムを最後に、ジャズの名門レーベル「ヴァーブ」への移籍を決断する。
そうと決まれば、早めに契約は満了したい。今さらCBSには恩義も義理もないハービー、早速新作に取りかかる。
言ってしまえば契約消化のための作品なので、CBSの利になるモノは作りたくない。かといって、単純な手抜きの駄作はプライドが許さないし、ファンにも失礼だ。名を汚さない程度のクオリティは保っておきたい。
イチから企画立ち上げは面倒だし、良い企画ならヴァーブで使いたい。どちらにせよ後ろ向きな企画なので、モチベーションも上がりようがない。
そうなると、誰かにお膳立てしてもらうしかない。じゃあやっぱビルだよな。
せっかく2人でやるんだったら、CBSのお望み通り、時代遅れのヒップホップでもやってみようか。どうせ売れないだろうけど、強引に「3部作完結!」とか言えるし。
始まる前までは気乗りがしなかったはずだけど、スタジオに入れば気持ちも切り替わり、いつも通りのプレイを披露している。前2作ではビル・ラズウェルのサウンド・プロダクトがかなり強かったけど、3作目ともなると自身のソロもちょっと多めになっている。
セッションが進むにつれてミュージシャン・シップも触発されたのか、いつものフェアライトだけじゃなく、様々なヴィンテージ・エレピまであれこれ引っ張り出してきている。それに対してビル・ラズウェル、クレジットはされているけど、ほとんど何もしてねぇ。
当時、Pファンクもラバー・バンドも自然消滅し、ビル・ラズウェル絡みの仕事が多かったブーツィー・コリンズ、協調性とは無縁の人なので、脈絡もないフレーズをブッ込んできたり、相変わらずのやりたい放題ぶりである。アンサンブル?何それ。
そんな異物をも寛容に受け入れるハービーの懐の深さ、という見方もあるけど、いや単にどっちでもよかったんだろうな。まとめるような音楽じゃないし。
楽面で言えば、取り立てて新機軸はないのだけど、これまで履修してきたヒップホップのエッセンスと、ジャズ以外のエッセンスも貪欲に取り込んできた末に培われたリズム・パターン、そして、スパイスのくせに粘着力の強い、ブーツィーのベタっとしたベース・ラインとがごちゃ混ぜになった怪作に仕上がっている。
しかし、レーベルの置き土産となる、有終の美を飾るはずの作品が、これとは。マスター・テープを受け取ったCBSディレクターの微妙な表情がチラついてしまう。
Perfect Machine
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Herbie Hancock
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1. Perfect Machine
テレビのドキュメンタリーやバラエティのバックで使われることが多いため、結構な確率で耳にしたことのある人が多い。ファンクというよりはテクノ・ポップ成分が強く、フュージョン寄り。なのでBGMとしての汎用性が高い。
2. Obsession
サンプリング音源を多用したエレクトロ・ファンク。これ見よがしなスクラッチやヴォコーダーは、この時代、すでに古びた印象となっていた。もう3年早ければ、大御所のお戯れとして許されたかもしれないのに、タイミングが悪すぎた。
ヴォーカルを取るのはオハイオ・プレイヤーズのシュガーフット。オハイオ自体がドメスティックなドロドロのファンクなので、逆にこういった無機的なサウンドとのミスマッチ感を狙ったのだろう。案外面白いんだけど。
3. Vibe Alive
ブーツィーのリズム・アプローチが前面に出た、ボトムの効いたファンク。キャッチ―なサビは当時のソフト・ファンクにも引けを取らぬメロディとなっており、実際R&Bチャートでも25位と健闘した。ハービーの場合、こういったファンク・アプローチの場合は自身が前面に出ない方が出来がよい。
4. Beat Wise
ビル・ラズウェル仕切りによって、ブーツィーに自由奔放にやらせたら、こんな感じになりました的なトラック。どんな状況でも対応してしまうハービーゆえ、予測不能のブーツィーのフレーズにもちゃんとカウンターを決めている。最後に、できあがったベーシック・トラックにビルがエフェクトかましたりスクラッチ入れたりすると、どうにか形になってしまう。
5. Maiden Voyage/P. Bop
「処女航海」のリメイクというより、ヒップホップのトラック作成にサンプリング素材として使用したトラック。US3 がヒットさせた「Cantaloop Island」のように、ジャジー・ラップでのアプローチなら、もっとスマートだったのかもしれないけど、まぁビル・ラズウェルだし一筋縄ではいかない。そんなうまくまとめようだなんて、ハービーだって思っていなかっただろうし。
6. Chemical Residue
ラストはほぼハンコック主導、崇高ささえ漂うメロディアスなフュージョン。サンプリングも多用しているのだけど、あくまで隠し味的な使い方で、メロウさを前面に押し出したサウンド・アプローチは嫌いじゃない。でも耳障りが良すぎる分、ディスカバリーやナショナル・ジオグラフィックのBGMに収まっちゃうんだよな。
'Round Midnight - Original Motion Picture Soundtrack
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The Essential Herbie Hancock
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