
いい意味での下世話さが復活したことによって、レビューもおおむね好意的、セールス的にちょっと苦戦した『Savage』から復調した。US34位・日本51位、そして本国UKでは見事1位をマーク、最終的にダブル・プラチナを獲得して、健在ぶりをアピールした。
とはいえ、彼らの活動はここで一旦終了、実質的な再結成作となる『Peace』まで、まるまる10年ブランクを置くことになる。2人が同じ方向を向くまでには、それだけの冷却期間が必要だったのだ。
有終の美と言えば美だけれど、どちらかと言えば彼ら、音楽性同様、ドライなイメージがあったため、フェアウェル的な雰囲気はない。解散イベントもなければ公式インフォメーションもなく、プロモーションのためのワールド・ツアー終了後は、それぞれソロ・プロジェクトへシフト・チェンジしていった。
-『ブレードランナー』のレプリカントを連想させるビジュアルのアニー・レノックスが歌う、ジャーマン風味無機質テクノ・ポップ。シーケンスによるミニマル・ビートは強い中毒性を放ち、ユニセックスなアニーのヴォーカライズとの相乗効果で、強い求心力を生み出した。キャリアを重ねるにつれ、レコーディング・オタクのデイブ・スチュアートによる緻密なバック・トラックから脱線してゆくアニー。アニーの中で有機体が目覚め、プログラムは暴走、人間らしさが前面に出るようになる。もともとロック少年だったデイブも、そんなアニーの変化に引っ張られるように、ロック・コンボ・スタイルにサウンドも変化する。数々のヒット曲を量産してワールドワイドの成功を収めたが、長期に渡るツアーの代償で、肉体的・精神的に疲弊、活動継続に疑問を抱くようになる。成功と賞賛の反動から、極端に厭世的になってサウンドもネガティブ化、そこで毒から憎悪から膿から垂れ流してデトックス、そして最後に大団円-。
ざっくりキャリアを総括すると、こんな感じ。かなり端折っちゃったけど。
緻密なサウンドを構成するマニアック気質のデイブと、繊細かつ時に狂気を孕んだ一面を覗かせるアニー。役割が違うだけで、根っこは一緒である。
どちらも「俺が」「私が」と前に出たがるキャラではない。ないのだけれど、ストレスの溜まる地味なレコーディング作業とは打って変わって、ライブではどちらも前のめりに挑んでいた。
溜め込んだ感情のガス抜きとして、ライブ・アクトは有効に機能していた。ただ、感情爆発の連続は、別の意味でストレスを誘発する。そのストレスの捌け口は他人へ向かい、人を傷つける。その相手がいなくなると、最終的には自分の躰を傷つけることになる。
「作るのはボク、歌うのはキミ」といった風に、ゆるい分業体制がうまく回っていたのがユーリズミックスだった。活動中、多少の諍いはあっただろうけど、それがユニット解消の決定打だったとは言い切れない。
当時隆盛のエレクトロ・ポップに、ゴシック調のダークな味わいを加えたサウンド・コンセプトを提唱したのがデイブだった。アニーの声質やキャラクターを研究した上で、市場に最もインパクトを与えるサウンドに、彼女も同意した。
その試行錯誤の成果は、「Sweet Dreams」のヒットで開花する。押しの強いPVとの相乗効果で、一躍スターダムにのし上がった彼らだったけれど、そこで満足せず、サウンドは変容してゆく。もし「Sweet Dreams」の二番煎じを続けていたら、ヤズーのように早々に店じまいしていただろう。
サウンド面はほぼデイブに丸投げだったアニーだけど、ライブ動員の増加によってスタジアムやアリーナ・クラスでの公演が多くなり、会場規模に合わせてヴォーカル・スタイルもエモーショナルに変化してゆく。シンセ主体だったサウンド・プロダクトも、大会場仕様のスタジアム・ロック・スタイルに変化、演出やパフォーマンスも大きくなってゆく。
そういった変化は、デイブかアニー、どちらかが強制したものではない。多少はマネジメントからの要請もあったかもしれないけど、どんな事であれ、最終的には2人で話し合い、そして互いの合意のもとで進められた。
いわゆるご乱心作となった『Savage』、そしてこの『We too are One』でも、2人の齟齬は見られない。創作上の衝突はあっても、感情的な衝突とは無縁だったのが、ユーリズミックスというユニットの特性だった。
元夫婦がそのまま同じ職場で働き続けることは、実社会ではそれほど珍しいことではない。案外、公私使い分けることは難しくないし、周りだってそれなりに気は遣う。みんながみんな、そんな簡単に転職もできないだろうし。
ただその場合、同じ会社でも別部署、またはどちらかが別会社へ出向、というパターンが多い。そう考えると、始終顔を合わせていたユーリズミックスは、まれな存在である。
夫婦で同じユニットで思いついたのが、テデスキ・トラックス・バンド。デビュー当時、姉弟デュオという触れ込みだったホワイト・ストライプスは、「隠してたけど実は夫婦だった」という謎設定。どちらにしろ、もう解散してるし離縁してるし。
パンク界のおしどり夫婦と称されていたソニック・ユースも、サーストン・ムーアの浮気が原因でキム・ゴードンが激怒、もつれにもつれた末、解散している。テデスキ・トラックス・バンドは今のところ順調みたいだけど、ジャム・バンド特有の交友関係の広さゆえ、こちらもどうなることやら。
で、ユーリズミックス。前進バンド・ツーリストの時は周囲公認のカップルだったけれど、ユーリズミックス結成直前に男女関係を解消している。普通なら、別れちゃったらしばらく顔も見たくなくなるようなものだけど、結成当初から彼ら、商業的成功を見据えたビジネスライクな関係と割り切っており、その後も永くパートナーシップを継続した。
お互い、音楽的な才能に惹かれ合ってのことではあるけれど、でも。
元カノと一緒に「仕事しよう」だなんて思わないって。
で、『We too are One』。自虐的な暴力性を申し訳程度のポップ・センスでコーティングした『Savage』とは一転、剥き出しの攻撃性は失せ、シングル・チャートでブイブイ言わせていたスタジアム・ロック的サウンドが復活している。
でも、ここで奏でられる音は、とてもクレバーで冷静だ。決して芯は熱くなっていない。
みんなが理想とする「ユーリズミックス」を、アニー・レノックスとデイブ・スチュアート、それぞれ個人が手を取り合って演じている。適度にポジティブで、時に陰影を放つ。突き放すほどではないけれど、適度な距離感を思わせる、適度にコンテンポラリーな音。
「このサウンドでなければ」という必然性は、あまり感じられない。いい意味での消化試合、最後のファン・サービス的な音だ。
なんとなく終焉が察せられていた英国ではともかく、世界的なセールスも当時の身の丈程度に落ち着いた。もしこれが大ヒットしたとしても、これ以上の活動継続を彼らが望まなかったことは、容易に想像がつく。
これ以上2人でいても、無為な時間を費やすしかない―。そう彼らは気づいたのだろう。
せっかく長い時間をかけて、ようやく友達と呼べるようになったのに。これ以上時を重ねても、互いに傷つけるようになるだけだ、と。
言葉にしなくても、そのくらいは分かり合える。それが「感覚を共有する」ということだから。
また2人でやりたくなった時、そして、いろいろなタイミングが合えば。誰かに言われなくたって、その時は、互いに引き寄せられることになるだろう。
言葉にしてしまうと、途端に陳腐になる。だから、わざわざ口にしない。
そんな関係は、いくらだってある。
We Too Are One (Remastered)
posted with amazlet at 19.04.03
Sony Music CG (2018-11-16)
1. We Two Are One
これまであまり見られなかったブルース・スケール。とはいえ彼らのことなのでそこまで泥くさくなく、当時流行っていたロバート・クレイのサウンドを想像してもらえば、だいたい説明がつく。
ブルースなんてこれまで興味のなかった女と、いくら音符で追ったとしても、凡庸さの隠せないギター・プレイ。リアルさを求めるのはお門違いで、こういったフェイクっぽさをきちんと構築するところが、彼らの強みなのだ。
2. The King and Queen of America
シングル・カット3枚目で、UK29位・日本でも62位にチャート・イン。ハリウッドやアポロ計画、TVのクイズ・ショウなど、明るい未来にあふれたかつてのアメリカ、そして、軍隊の行進や軍人墓地など、その裏面に潜む悲惨なアメリカとの二面性を揶揄したテーマを、ポジティヴなパワー・ポップに乗せて歌っている。
それよりもとにかく面白いのが、このPV。デイブとアニーふたりが様々なコスチュームに扮しているのが一興。ハリウッド・スターや大統領夫妻などはまだ予想の範疇だけど、月面の宇宙飛行士やヘヴィメタは、ちょっと意外。
さらにさらに、あのネズミの国のキャラクターまで演じちゃうとは。とにかく一度見てほしい。
3. (My My) Baby's Gonna Cry
めずらしく2人のデュエット。初期のシーケンス・サウンドにギターとデイブのヴォーカルをダビングしたような、ドライな作り。リズムを強調すると、スタジアム・ロックとしても充分通用する。それだけシンプルなコード進行ということなのだけど。
デイブのギター・ソロは相変わらず凡庸だけど、サウンドのトータル・バランスとしては、これくらいが程よいくらい。
4. Don't Ask Me Why
2枚目のシングル・カット。US40位・UK25位は妥当だったとして、なんと日本ではオリコン最高15位。ゴシック感と大衆性との奇跡的な邂逅が、東洋の島国のツボにうまくハマったんだろうか。巧みに歌い上げるアニーのヴォーカル、そしてストリングスを絡めながら抑制したバッキングを構築するデイブとの見事なコラボレーション。
後期の名曲として、これを挙げる人も多い。いや俺も好きだもの。
5. Angel
ユーリズミックスは80年代のバンドなので、こういったステレオタイプの80年代ソングがあっても不思議はない。ハートやスターシップあたりが歌ってもおかしくない、大味なアメリカン・ロッカバラード。UK23位まで上がっているのだけど、当時の英国人がこういった大味さを許容していたのかと思うと、そっちがむしろ驚き。
6. Revival
『We too are One』はなんと5枚のシングルが切られているのだけど、これが先行シングルで一発目。UK26位をマークしたアメリカン風ロック。コール&レスポンスもあるくらいだから、まぁパロディだな。アニーのヴォーカルもポップ・ソングをいしきしてか、いつもよりちょっとキーが高め。ストーンズみたいなギター・リフもご愛敬。
こうしてここまで聴いてみても、「最後なんだから、好きなこと全部やっちまえ」的なお気楽ムードに満ちている。そう考えると、シリアス・タッチの曲もどこか客観的。
7. You Hurt Me (And I Hate You)
抑制されたAメロがすごくツボにはまったのだけど、サビになると大味なアメリカン・ロックになってしまうのが、ちょっと惜しい。当初はシンプルだったロック・チューンが、デイブがあれこれ手を入れてくうち、完パケ時には下世話な意味でキャッチ―になっちゃったんだろうか。まぁライブ映えはしそう。
8. Sylvia
なので、こういった静謐なバラードが後に続くと、妙に落ち着いてしまう。ストリングスのリフを基調とした、言っちゃえばマイナーの「Eleanor Rigby」なのだけど、そこにチェンバロを模したエフェクトをかましたギター・ソロを挿入することによって、曲全体が締まっている。このセンスがやはりデイブがデイブたる所以なのだな。
9. How Long?
そう、やはりユーリズミックスは80年代のバンドなのだ。なので、当時でもすでに使い倒されまくってたはずのゲート・エコーも、そしてドライブ感あふれるギターのストロークも、彼らにとっては使って当たり前のツールなのだ。大味でコンテンポラリーに寄り過ぎるけど、まぁいいじゃん、曲順的にもうラス前だし。
10. When the Day Goes Down
ラストはライブ感が強く打ち出された、壮大なスケールを想起させるバラード。正攻法。何の小技もいらない。プレイヤーそれぞれに見せ場があり、そしてそれを緩やかに束ねる、アニーのエモーショナルなヴォーカル。
華麗なるフィナーレとは、このことか。見事なエンディングだった。