好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Elvis Costello

還暦でも病み上がりでもコロナ禍でも、相変わらずのフットワークの軽さ。 - Elvis Costello 『Hey Clockface』

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 デビューからほぼずっと、年一ペースで何かしら作品を発表していたコステロだったけど、The Rootsとのコラボ・アルバム『Wise Up Ghost』リリース以降、その勢いは急速に衰えてゆく。完全にリタイアしたわけではなく、その後もコンスタントにツアーを回っており、なぜかTVショーのホストを引き受けちゃったり、決して悠々自適にふんぞり返っていたわけではないのだけれど、なぜかアルバムだけは制作する気配がなかった。
 83年にスマッシュ・ヒットした「Everyday I Write the Book」なんて、ものの10分程度で書き上げられたように、基本、スランプとは縁のない人である。プリンスやスプリングスティーン同様、デモや未発表曲のストックは膨大にあると思われる。
 ただアルバム制作となると、選曲や曲順を調整しなければならず、手持ちの楽曲を漫然と並べるわけにもいかない。ファンからすると、楽曲の当たりはずれが少ないため、それはそれで面白い試みだとは思うのだけど、さすがにプロだもの、そうはいかない。
 こだわるところは、とことんこだわり抜く。おそらく近しいスタッフでも見分けられない、ちっちゃい細かなディテールにも気を配っていたからこそ、長くやって来られた所以なのだろう。あぁめんどくさい。
 なので、アルバム制作は多くの気力・体力を必要とする。ぶっちゃけ、よほどの天才でもない限り、才能やスキルなんてのは、みんなそれほど大差はない。結局は泥くさい根気と執着がものを言うのだけど、そこが欠けていたのが、この時期のコステロだった。
 2018年、「コステロが悪性腫瘍の手術を受けた」というニュースが、世界中を駆け巡った。「全世界」って言ったらちょっと大げさだから、ちょっと遠慮して言ってみた。
 手術自体はスムーズに行なわれ、術後の経過も良好だった。おそらくブランクの辺りから、体力的な不安を薄々感じていたのだろう。
 還暦過ぎてあれだけアクティブに動き回れるのは、世界広しといえど、コステロとミック・ジャガーとデヴィ夫人くらい、多くのまともなベテラン・アーティストは、何がしかの持病や体調不良に悩まされている。活動ペースが緩やかになるのは自然の流れで、そうやってなし崩し的に、彼もまた徐々にフェードアウトしてゆくのかしら、と思っていた。
 キャリアの早い段階からナッシュビルに出向いて、全編カントリーのカバー・アルバム『Almost Blue』を作ったり、すでに達観した若年寄っぽかったコステロ、事あるごとに原点回帰するのは、今に始まったことではない。なので、カクテル・ジャズ風味漂う『Painted from Memory』スタイル、または、近年お気に入りのオルタナ・カントリー路線へ傾倒してゆくのも、まぁ納得できる。理解はしたくないけど、まぁ取り敢えず納得。
 多分、思うところはみんな一緒だったのだろう。5年ぶりにリリースされた『Look Now』は、いわば「置き」にいったサウンドだった。いつもだったら「またロック路線じゃねぇのかよ」と毒づくところだけど、手術の報を聞いた後だっただけに、それもはばかられる雰囲気があった。とにかく、遺作にならなくてよかった。そんなムードだった覚えがある。
 そんな『Look Now』、一応インポスターズ名義ではあったけれど、ロック・コンボ特有の前のめりなアッパー・チューンは少ない。バート・バカラックやキャロル・キングらベテラン勢との珠玉のナンバーも併録もされているのだけど、それがメインというわけでもない。
 それぞれのレベルは高いんだけど、レコーディングの時期も場所もバラバラなため、どうにもまとまりがない。「バラエティに富んだ作り」といえばそれまでだけど、フワッとした寄せ集め感は否めない。
 漫然とした作品群も面白いんじゃね?と無責任に前述しちゃったけど、やっぱもう少しでも統一感は欲しい。せめてどっちかのコンセプトに寄せればよかったのに。

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 そんな『Look Now』のレビューを、以前書いていたのを思い出した。何か書いたという事実は覚えてるけど、何を書いたかはさっぱり思い出せない。いつものことだ。
 なので、改めて読み返してみた。「大人になったコステロ」って書いてある。なるほど。
 ワーナー離脱以降、コステロの音楽遍歴はさらに混迷を増していた。普通、彼くらいのキャリアになると、腰を落ち着けてルーツ路線一本に絞ることが多いのだけど、そんな気配はさらさらない。むしろ、クラシックからヒップホップまで縦横無尽、加齢とは反比例して、そのフッ軽具合は増長している。
 もはや腐れ縁のインポスターズとも、始終一緒にいるわけではなく、短期でソロ弾き語りツアーを行なったり、レコーディング・セッションも多種多様なメンツが入れ替わったりしている。クラシック方面でも活動しているスティーヴ・ニーヴのスケジュールの兼ね合いもあるのだろうけど、ちょっとした隙間にも仕事を入れてしまうワーカホリック振りは、一体何なのか。回遊マグロみたく、止まったら死んじゃうと思っているのだろうか。
 で、一旦止まっちゃうと、なんか気が抜けちゃったのか、フットワークも重くなった。今どきアルバム作ったって、それほど売れるわけじゃなし、近年はさらにサブスクが追い打ちをかけて、著作権収入も期待できなくなったし。
 いま思えば、体力的な不安があってのブランクだったのだけど、でも普通に考えると、そろそろ歩みを止めてもいい頃合いであり、そういった世代だ。この時期に自伝をまとめていたのは、そういった感情も相まっていたんじゃないか、と今にして想ったりもする。
 家でくつろぐことが多くなり、これまで触れることのなかった媒体・メディアにも、自然と関心を寄せるようになる。まさか『映像研には手を出すな!』までチェックしていたのは予想外だった。あの作品のどこが彼のツボだったのか、その後の作品に影響があったかどうかは別にして、少なくとも、日本での知名度はちょっぴり上がった。

 術後の経過も良好だったらしく、2018年初夏からコステロ、欧米中心に怒涛のライブ本数をこなしている。普通ならリハビリがてら、ニーヴと2人でコンパクトなアコースティック・スタイルで始めそうなものだけど、初っ端からインポスターズが同行しており、ハイテンションぶりは相変わらずだった。
 2019年に入ってもそのペースは落ちなかったため、おそらくワールド・ツアーに向けての肩慣らしという意識もあったのだろう。その前にスタジオに入り、インポスターズ名義のアルバム制作も考えていたのかもしれない。
 体調的には何の問題もなかった。ただ、自分の力だけではどうにもならないことは、たくさんある。コステロだけじゃなく、全世界がそう痛感せざるを得なかった。
 大規模なコロナ禍の煽りを喰らい、ほぼすべてのライブは中止、または無期延期となった。当然、まともなスタジオ・レコーディングはできず、インポスターズは開店休業となった。
 これまで様々なスタイルでのレコーディングを行なってきたコステロなので、ギターやピアノ一本だけでねじ伏せるのは可能なのだけど、ライブならともかく、スタジオ・テイクでそれをやられちゃうと、実はあまり面白くない。意外とかしこまっちゃうんだよな。

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 一応、ご時勢に合わせてWebキャストもやっていたコステロ。そんなに本腰入れてたわけではなく、ヒマつぶしがてらのファンサービスといった程度だったけど。無観客だと調子が出ないこともあって、臨場感が伝わりづらい配信ライブだと、彼の良さがあまり出てこない。
 とはいえ、黙ってもいられない。やはり人は、いや彼は走り続けてこそ、エルヴィス・コステロなのだ。立ち止まったままでいると、沸き上がる自分の熱で茹だってしまう。
 あれもこれも縛りや自粛ムードで抑えつけられた状況の中、コステロは2020年、ソロ名義で『Hey Clockface』をリリースした。彼クラスのベテランだと、リリース・スパンが10年を超えるのも珍しくないのだけど、たった2年のブランクで新曲ばかりのアルバムを出すのは、かなり奇特な存在だ。いや、ファンとしてはありがたいんだけど。
 まず彼が向かったのがフィンランド、ヘルシンキのスタジオだった。これまでレコーディングでは縁が薄かったはずだけど、まさにそんな環境を求めたのか、ここでの3曲は、ほぼすべての楽器を自分で演奏している。
 続いてパリに向かい、ニーヴを中心に編まれたアンサンブルで、9曲。さらにそこからニューヨークへ飛び、旧知のビル・フリーゼルらとリモート・セッションを行なっている。
 病み上がりの上、コロナ禍真っただ中だったはずなのに、やたらアクティヴだな。体力的な制約もあって、独りマイペースで作業を進めたかった気持ちは、わからないでもない。こんなご時勢ゆえ、リモートでの実験的なレコーディングというのも、興味半分でやってみたかったんだろうし。
 何かと制約の多い逆境をひとつのステップと捉え、ミックス作業も敢えて立ち会わず、大方をリモートで済ませたのは、懐の深いベテランの余裕だったのか。もともと戦略的に考えてる風じゃないし、いわば出逢った人の縁に流されるまま、行き当たりばったり。そんな縁を引き寄せる、または感じる嗅覚に秀でてるんだよな。
 製作手法としては番外編的なもの、ちょっと試しにやってみた的なアプローチなので、おそらく今後、同様のスタイルで作ることは、多分ないと思われる。「同じことを2度も繰り返さない」なんて前向きなモノじゃなく、いわば限定された条件下での気まぐれみたいなものだから。
 そういえばポール・マッカートニーも、ほぼ時を同じく、全編ホーム・レコーディングによるフル・アルバム『McCartney 3』を作り上げた。年齢から鑑みて、状況が好転するのをただ待つほど、残された時間は少ない。限定された環境の中、押しも押されぬレジェンドである彼が取った選択は、ひとつの答えだったと思う。




1. Revolution #49
 中近東の不穏なドキュメンタリーのサントラ的な、あまりなかったタイプの曲。コステロはモノローグのみで、なんか怖い。出だしの音は尺八っぽいけど、多分ホーンだろうな。エレクトロなインド風味もあるし、どちらにせよ西欧のセオリーとはかなりずれている。
 今回コラボしているビル・フリーゼルとのライブ・アルバム『Deep Dead Blue』もそうだったけど、時々、こういったアンチ・コマーシャルなアプローチに走るんだよな、この人。
 
2. No Flag
 そんな不穏なプロローグに続くのは、ヘルシンキでのほぼソロ・レコーディング・トラック。いつもならインポスターズで成立してしまう、オルタナ風味のガレージ・ロックだけど、この機会とばかりにコステロ、DTMを多用している。
 そりゃリズム・ループって言ったって、プリセットをほぼいじらないで使っているんだろうけど、まぁあんまり使いこなしていてもガラじゃない。素材のデモテープっぽさを損なわず、レアなテイストを残すことでソリッドさを引き立てるプロデュース・ワークが光っている。

3. They're Not Laughing at Me Now
 『King of America』時代のアウトテイクのリメイク。って言われたらしんじてしまいそうな、正調カントリー・バラード。終盤に向かうにつれて、ドラム(っていうかデカい打楽器)の存在感が増してゆくことで、凡庸さにヒネりを加えている。ヴォーカル・スタイルはいつものコステロ節なんだけど、インポスターズとはアプローチの違うパリ勢が、ちょっぴりインダストリアル風味を添加。

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4. Newspaper Pane
 メジャー時代以前のR.E.M.風味も漂う、ミステリアさを醸し出したバラード。ビル・フリーゼル参加のニューヨーク・セッションのうちの一曲。クセの強いメンツのわりに、仕上がりは案外聴きやすく、このメンツにしてはかなりポップ。直接顔を合わせないリモート・セッションだけど、変なぎこちなさもないので、距離感が逆にまとまり良く作用したのか。
 コステロのリーダー作というより、ゲスト参加セッションっぽい雰囲気もあり、これはこれで面白い。

5. I Do (Zula's Song)
 再びパリ・セッション。コステロのヴォーカルは情緒たっぷりなんだけど、ニーヴが仕切るバッキングのサウンドは対してドライで、そのコントラストが絶妙。もともと声質的にロマンティックさはないので、どれだけウェットに寄ろうとしても湿っぽくならないのが、この人の特質であって、でも本人的には多分、コンプレックスだったんじゃなかろうか、と。まぁ芸歴40年過ぎちゃうと、そんなのも取るに足らないことなんだろうけど。

6. We Are All Cowards Now
 ほぼソロ・ワークのヘルシンキ・セッションより、マイナー調のガレージ・ロック。ヴァーチャルなバンド・セッションなので、良く言えば浮遊感、穿った言い方では不安定とも言えるアンサンブルは、逆に今の時代ならアリか。

7. Hey Clockface / How Can You Face Me?
 能天気なスキャット、っていうかフェイクから始まるミュージカル風味あふれるジャズ・ナンバー。もしかして序盤で油断させといて、終盤に入ってカオスな展開になるパターンなのかも、と思って聴いていたら、結局ほんわかしたまま終わってしまった。何でも斜に構えてみるのは良くないな。素直に楽しもうよ、俺。

8. The Whirlwind
 バカラックからの影響色濃い、流麗なピアノ・バラード。こういった曲の時のコステロ&ニーヴは最強。
 バラード中心のアルバムと言えば『North』だけど、そういえばちゃんと聴いたことなかったよな。この人の場合ジャズに寄ると、とことん地味になり過ぎちゃうので、メロディ主導のバカラック・テイストからのアプローチがしっくり来る。




9. Hetty O'Hara Confidential
 甘口になり過ぎないようバランスを取ったのか、独りでやりたい放題のヘルシンキ・セッション。その中でも異彩を放つEDMチューン。コステロ流トラップとでも言うか、まぁ踊れないけどビート感の強いナンバー。
 ベテランが独りでスタジオに籠ると、お遊びで一曲くらい、こういうのができちゃうものだけど、片手間じゃなくきちんと形に仕上げてしまうのがこの人の常であって。そういえば、ヴォイス・パーカッションをフィーチャーした曲ってなかったよな。

10. The Last Confession of Vivian Whip
 ガシャガシャ騒々しい「Hetty O'Hara Confidential」を挟んで、8曲目「The Whirlwind」に続く正調ピアノ・バラード。インターミッションと言うにはキャラが強すぎるよ「Hetty O'Hara Confidential」。
 通常のロック・コンボ・スタイルでは表現しづらい、こういったピアノ・バラード、またはストリングスをフィーチャーすることで成立する楽曲をプレイするためには、時にインポスターズという存在が足かせとなってしまう場合もある。あらゆる可能性を志向するコステロにとって、インポスターズ以外と言うチャンネルを持つことは必然なのだな、ということに、今さらながら気づかされる。こういう曲聴くと、特に。

11. What Is It That I Need That I Don't Already Have?
 『King of America』というより『Mighty Like a Rose』、アーシーなAORバラード。垢抜けたワーナー時代のコステロのアウトテイクっぽさがチラホラ。同じバラードでも、ギターがメインとなるとエモーショナルさが増し、いい意味での粗さが際立ってくる。かしこまり過ぎるのもガラじゃない人だし。

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12. Radio Is Everything
 硬めのモノローグから察せられるように、ニューヨーク・セッションより。今回収録されているのは2曲だけど、アウトテイクはあるのだろうか。リモートとはいえ、ちょっとした外出さえままならない、最もシビアな時期のセッションなので、そんなに時間はかけられなかったとは思うのだけど、ポエトリー・リーディングという可能性はまだ未知数なので、仕切り直してまたやってほしいな。

13. I Can't Say Her Name
 タイトル・チューンと連作って言っちゃってもよい、のどかなミュージカル・ジャズ。このパリ・セッションの中では最もフレンチ感が漂い、ラフさが伝わってくる。アブストラクトなニューヨーク&ヘルシンキと比べると、相対的にパリは肩が凝らない。多分、本人的にはユル過ぎじゃね?と判断したんだろうけど。

14. Byline
 エモーショナルなヴォーカルと、それを下支えするピアノの響き。適度にアクセントをつけるゲスト・ミュージシャンの面々。それらのトライアングルがうまく嚙み合わさったことで生まれたバラードがラスト。コステロの楽曲でこういう言葉はあんまり使いたくないんだけど、「珠玉」って言葉がふさわしい。そんな陳腐な言葉を浴びせられても動じない、短いけど地力の強い楽曲。








「オルタナ・カントリーのルーツ」って最近は言われてるらしい。 - Elvis Costello 『Almost Blue』


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 1981年リリース、6枚目のオリジナル・アルバム。書き下ろしは一曲もなく、全編カントリー&ウエスタンのカバーという地味な内容にもかかわらず、UK7位・US50位、そこそこ売れている。
 ブルーで陰鬱な印象のジャケット・デザインが象徴するように、当時ダウナーだったコステロ、気分を変えるため、アメリカ南部のナッシュビルでのレコーディングを計画した。空が低く、ジメッとした気候の英国で暮らしていると、人は次第にネガティヴになってゆく。コステロのバックボーンである古いカントリーを再発見するには、最適の環境だった。
 81年の英国といえば、パンク黎明期の残党の多くが解散したり路線変更したりで、ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴに衣替えされた時期である。粗野でワイルドで似たり寄ったりなガレージ・サウンドを起点としながら、あらゆるエッセンスを取り込んで細分化していった。
 チャラく享楽的なニュー・ロマンティックや、近未来感満載かつ下世話なテクノ・ポップ、リズムに取り憑かれた者はスカやインダストリアルへ、初期のハード&バイオレンスを先鋭化させたハードコアや、幽玄かつ耽美方面ならゴシック、激しい音に疲れちゃったら原点回帰のネオ・アコなど、もう挙げたらキリがない。あと気になったら、自分で調べてね。
 ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ期のアーティストの多くが、チャートを意識したメジャー・ポップな方面か、あるいは日和らずオルタナティブへ向かう中、一聴してヌルく感じるカントリーへ向かったコステロは、そんな中でも異端である。人と違う・誰にも似てない音楽性という意味で言えば、イデオロギー的にパンク・スピリット本流なんだけど…、イヤ、でもやっぱ、なんか違う。
 ジョー・ジャクソンもそうだったよな、ゴリゴリのロックンロール/パワー・ポップから一転、1920年代スウィング・ジャズをリスペクトした『Junpin’ Jive』リリースしてたもんな。コステロもそうだけど、パンク以前から長くやってる人は、王道ロックばっかやってると、行き詰まってあさっての方向へ行っちゃうんだよな。

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 80年代をリアルタイムで生きてきた俺の視点で言えば、この時代のカントリー・ミュージックは絶対的なスターも不在で、シーン全体が盛り上がりに欠けていた印象である。もしかして、当時は日本に情報が届いていなかっただけで、アメリカ国内では全然そんなことはなかったのかもしれないけど、でも世界的に大きなセールスを上げたアーティストがいなかったのも、また事実である。
 ウィリー・ネルソンとドリー・パートン、あとは…、知らない。どちらにしろ80年代では、この2人のキャリアのピークは過ぎていた。
 一般的な会社組織でも言えることだけど、ベテランばかりに頼って若手が出てこないと、中・長期的に見て、営業実績は次第に先細りしてゆく。新陳代謝がないまま、ベテランばかりが中心になると、フットワークが軽くて広い中堅どころが育たず、やがて同業競合にスポイルされてゆく。
 ただ、カントリーにとって真に低迷期と言えるのはこの80年代だけであり、90年代に入ってガース・ブルックスという絶対神が台頭してから、状況は変化する。AORやダンス・ポップの要素を取り込んだ、コンテンポラリーかつ洗練されたカントリーが、ナショナル・チャートでも大きなセールスを叩き出すようになる。
 史上、最も売れたカントリーのアルバムは、シャナイア・トゥエイン3枚目のアルバム『Come On Over』で、これがなんと累計3,000万枚。なので、音楽業界としても決してぞんざいにできない、大きなシェアを持つジャンルなのだ。
 ポップ・チャートでの活動がメインとなったテイラー・スウィフトがいる一方で、いまだカントリー&ウエスタン専門のFM局は生き残っているし、ネット・ラジオにもブルーグラスのチャンネルがあったりする。老若男女をくまなくカバーする、好き嫌いにかかわらず、アメリカ人のDNAにしっかり刷り込まれているのが、カントリーという音楽産業なのだ。
 比較対照しやすい日本の演歌シーンで例えれば、最近は思いっきりビジュアル系に振り切っちゃった氷川きよしがいる一方で、BS・CSでよくやっている伝統的な演歌や懐メロ番組も、そこそこ安定した視聴率を誇ったりしている。でも日本の演歌って、スタイルが確立したのは第二次世界大戦後だから、実はそんなに長い歴史を持っているわけでもない。なので、カントリーと比較対象できるほどのブランド力があるわけでもない。

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 で、話を戻すと、ジョン・デンバーやオリビア・ニュートン=ジョンらによるカントリー・フォークによって、どうにか70年代を乗り切ったカントリーも、80年代に入ると、その勢いもトーン・ダウンしてしまう。「ブームが終わった」って察したら撤収早かったよな、オリビア。清らかに「カントリー・ロード」歌ってのが、いきなりレオタード着てエアロビ踊りながら「フィジカル」だもの。
 なので、多くのカントリー・シンガーが時流に乗り遅れまいと、中途半端な付け焼き刃でAORやディスコに走り、ファンからの信頼もセールスもいっぺんに失ったのが、この時期にあたる。まぁカントリーだけじゃなく、多くのベテラン中堅アーティストも、同じような失敗してるんだけど。
 そんな非カントリー系の中堅ベテラン連中だけど、キャリアで行き詰まって迷走している時、要はネタ切れになると、「原点回帰」と称してカントリーに走ったりするケースがままある。
 ディランもニール・ヤングも、そんな迷走期にアコースティック・カントリーのアルバムをリリースしている。「困った時のカントリー」というか、「取り敢えず何でもいいからリリースしちまえ」的なノリなので、正直、そんな面白いものではない。
 ぶっちゃけて実名上げちゃうと、『Nashville Skyline』も『Old Ways』も、「これで一発当ててやろう」とか「渾身の名作を作る」といった気負いは感じられない。いわば足元確認、箸休め的な企画なので、続けて何作も出すものではない。なので、何とも面白くない、かといって、正面切って駄作とも言い切れない、微妙な仕上がりで終わる。
 似たようなケースで、人気のピークを過ぎたアーティストが、ジャズやスタンダードに走るというパターンがある。ロッド・スチュワート然り大江千里然り。どちらもちゃんと聴いたことはないけど、多分これからも聴かないと思う。

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 で、コステロに戻ると、実はディランやロッド以上に、あらゆるジャンルをつまみ食い、あっちへフラフラこっちへフラフラ、行ったり来たりしている。この『Almost Blue』に始まり、その後もクラシックやジャズ、エクスペリメンタルからヒップホップに至るまで、まぁ節操がない。
 そんな流浪の音楽遍歴の中でも、幼少時から聴きなじんできたカントリー&ウエスタンには格別の想いがあるようで、その後も迷走したりメンタルが弱ったりすると、たびたび「ルーツ回帰」と称して同路線のアルバムを作っている。『King of America』然り、『Secret, Profane & Sugarcane』然り『National Ransom』然り。
 ほぼ休む間もなく続けられるライブ・ツアー→その間隙を縫って突貫工事で行なわれるレコーディングの無限ループは、コステロを始め、アトラクションズのメンバーたちのHPを確実に削っていった。なので、一般的に言われている「本場アメリカでカントリー&ウエスタンのアルバムを作りたい」という前向きな動機ではなく、「ライブや取材をシャットアウトして、マイペースなアルバム制作をしたい」という切実な理由でナッシュビルへ向かった、というのが真相だったんじゃないかと思われる。
 「時間気にしないでゆっくりレコーディングしてー」→「ジャマの入らない海外がイイナな」→「どっか候補ある?」→「この中ならナッシュビルかなぁ」てな具合で。
 「ナッシュビルといえばカントリーだよな、それっぽいの用意しとくわ」→「スタジオ着いたけどヤベー、クソ忙しかったしスランプだし、曲用意してねーわ」→「しゃあないわ。じゃ俺知ってる曲演るから、みんなウォーミング・アップでついてきて」。
 「アレ、リハーサル・テイク聴いてきたら、案外デキいいわ。もうこのままでいいんじゃね?」
 勝手に妄想して勝手に脚色してみたけど、おおむねこんな経緯だったんじゃないかと思われる。ちゃんとカントリーやるんだったら、もっと地元のミュージシャン入れるだろうし、ほとんどアトラクションズのみで押し切ってるところから、ハナッから本場カントリーに似せようといった気はなかったのだろう。

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 その後、ポップ・スターに憧れたり、しまいにゃヒップホップやテクノのアーティストとコラボしたり、まるっきり動向が読めなかったコステロだけど、それもこれもバックボーンがしっかりしているから、膨大な知識とソング・ライティングのスキルの裏付けがあってこそ、初めて可能なものである。本人が言ってるスランプや迷走というのも、二流のソングライターやアーティストには推し量ることのできない、高次元のレベルのものであるわけだし。
 ボトムがしっかりしているからこそ、あらゆるジャンルを縦横無尽に渡り歩ける。決してそのジャンルに取り込まれることなく、むしろ次のステップのために吸収してしまうこと、さらに飽きっぽいがため、すぐに次のジャンルへ興味が移ってしまうところが、彼の強かさであり、逞しさでもある。





1. Why Don't You Love Me (Like You Used to Do)? 
 伝説のカントリー・シンガー:ハンク・ウィリアムズ1950年の全米NO.1ヒット。知ってる人は必ず知ってる、カントリーの中では有名なナンバー。言い切っちゃってるけど、そこまで詳しくは知らなかった。
 オリジナルよりテンポを上げ、初期ロックンロール/ロカビリーっぽく軽快な仕上がり。ついでに調べてみると、レッチリもこの曲をカバーしてるらしく、聴いてみたら原曲のイメージをことごとく破壊したファンク・ロックだった。面影があるの、メロディだけだもんだな。



2. Sweet Dreams
 で、ここから普通のカントリーっぽいナンバー。シングル・カットされ、UK最高42位。なんだそこそこ売れている。なんで英国人がカントリーに惹かれるんだ?それだけのアーティスト・パワーがコステロにあった、ということか。
 オリジナルは作者でもあるドン・ギブソン1956年のスマッシュ・ヒット。ただ、競作となったファロン・ヤングのヴァージョンの方がセールスが良かったらしく、こちらは地味な印象。実際、映像を見てみたところ、歌もうまいし味もあるんだけど、見た目がちょっとオヤジ臭い。玄人好みの人なのかね。

3. Success
 全米カントリー・チャート6位まで上昇した、ロレッタ・リン1962年のヒット曲。オリジナルと比べると、アレンジはほとんどいじっておらず、ほぼそのまんま。テンポも似たようなスロー・タッチ。オリジナルに敬意を表してか、心なしかコステロのっヴォーカルもいつもより柔和でおとなしい。

4. I'm Your Toy
 1969年にリリースされたグラム・パーソンズ=フライング・ブリトー・ブラザーズのカバー。カントリー・ロックという言葉が出始めの頃にリリースされたため、若き日のコステロがリアルタイムで慣れ親しんでいた楽曲と思われる。ちなみに検索してみると、「Hot Burrito No. 1」と同じ曲らしいけど、詳細はよぉわからん。
 今回、初めて動くグラム・パーソンズを見てみたけど、カッコええなぁ、この人。既存のカントリーから大きくはみ出して、見た目は完全にロック。当時、キース・リチャーズとよくツルんでたという逸話が残ってるのも、納得してしまう。

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5. Tonight the Bottle Let Me Down
 マール・ハガード1966年の楽曲ということで、多分これも青年コステロにとって思い出の一曲。当時の音楽シーンはサイケに侵食されつつあった頃だったため、さぞ肩身を狭くしてコッソリ聴いてたんだろうな、と察せられる。
 オリジナルの動画を見てみると、マッチョなヒゲ男による甘いバラード。コンボ・スタイルによるカントリー・ロックは、あんまりよく知らない俺世代でもホッコリさせられる。

6. Brown to Blue
 カントリー界では大物らしい、ジョージ・ジョーンズ1966年のヒット曲。のちのカバー曲集『Kojack Variety』でも披露したようにコステロ、かなり幅広く深く、アメリカの音楽に精通している。
 当時の英国人がロックかフォーク二択だったにもかかわらず、なんでわざわざいにしえのジャンルにまで首を突っ込んでいたのか。多分、昔から若年寄みたいなところあったもんな、コステロ。

7. A Good Year for the Roses
 アナログではここからがB面。当時のUKチャートで6位をマークした、なかなかのヒット。コステロっていうクレジットを無視すれば、ストリングスも効果的に使われた、ゆったり壮大なバラードに仕上げられている。
 オリジナルはジェリー・チェスナット1970年のナンバー。彼の名前で検索すると、なかなか脂ぎったテンガロン・ハットのオヤジ画像が真っ先に出てくる。顔はいかついけど、奏でられるメロディと声はとてもスウィート。その後のコステロのオリジナル楽曲にも影響を与えているのが伝わってくる。



8. Sittin' and Thinkin'
 チャーリー・リッチ1960年のナンバー。ブギを奏でるピアノの効果か、ちょっとロックンロールっぽい。
 オリジナルはもっとゆったりして、「あぁ雄大な大地を感じさせるカントリーだね」って仕上がりなのだけど、1.同様、テンポ・アップすることでアトラクションズとの演奏の相性が良くなっている。まだ丸くなる年代じゃなかったもんな、みんな。

9. Color of the Blues
 多分、コステロのお気に入りなのだろう、再びジョージ・ジョーンズ1961年のナンバー。歌い上げるという表現がピッタリ来るように、コステロのヴォーカルも伸びがあってうまくハマっている。

10. Too Far Gone
 『Almost Blue』のプロデューサー:ビリー・シェリルが、1967年、女性シンガーに提供した楽曲のカバー。エミリー・ハリスものちにカバーしており、人気のある楽曲らしい。
 なんでエミリーの名を出したかというと、いろいろ動画漁ってみて、彼女のヴァージョンが一番気に入ったから。なんでコステロ、こんな不器用なワルツに仕上げちゃったのか。悪ふざけというには、作者の目の前だし、だとしたら、シェリルの差し金だったのか。

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11. Honey Hush
 「ビッグ・ジョー・ターナーは、アメリカのブルース・シンガー。身長182cm、体重136キロという巨漢を活かして叫ぶ様に歌う、シャウト・ブルースというジャンルのブルースを作り上げた一人でもある」。ウィキペディアよりまんまコピペ。
 プレ:ロックンロールとでも形容できる、ノリのいいナンバーを、ゆったり毒気を抜いたカントリーに衣替えしてしまったのは、コステロにとって、「これがこの曲に最もふさわしいスタイル」と思ったのだろうか。オリジナルとは全然タイプは違うけど、このアレンジも聴かせる。

12. How Much I've Lied
 ラストは(多分)コステロにとっての永遠のアイドル:グラム・パーソンズ1973年のナンバー。カントリーっぽさは薄く、ほとんどロックンロール・スタイルで演じているけど、オリジナルはゆったりカントリーだった。
 俺的には最初に聴いたのがこのアルバムなので、どうしてもこっちのヴァージョンに馴染みがあってか、オーソドックスなオリジナルにはあんまり惹かれなかった。どのアーティストにも言えることだけど、本流からちょっとはみ出してるくらいの方が、クセがあって印象に残りやすいものだ。





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ポリグラムと結んだマルチ・レーベル契約の話を中心に。 - Elvis Costello 『Momofuku』

folder ベスト・アルバム『Extreme Honey』リリースを最後に、ワーナーとの契約を終了したコステロは、さらに巨大な複合メジャー・グループ:ポリグラム(現:ユニヴァーサルの一部門)へと移籍する。のちに、ここ日本でも朝のお茶の間でお馴染みとなる「Veronica」というスマッシュ・ヒットを生み出したのが、このワーナー期だった。
 ラジオのパワー・プレイを意識した、サビのフックが効いたコンテンポラリー路線は、レーベル営業サイドからの意向だけではなく、コステロの上昇志向のあらわれでもあった。当時、すでにレジェンドだったポール・マッカートニーとのコラボなんて、インディーのスティッフやデーモンだったら、コーディネートできなかったろうし。
 アメリカ市場重視の戦略は見事ヒットし、よってコステロのポジションは、確実にステージ・アップした。ライブのギャラ・ランクも上がったし、同世代のスティングなんかとも肩を並べるようになった。
 本人承諾済みだったのかどうかは不明だけど、かつては「コステロ音頭」なんてふざけた邦題を許してしまうくらい、それほどマーケットを強く意識したキャッチー路線を試みて、見事玉砕した過去を持つコステロ、悲願かなってマス・セールスを手中にすることができた。で、そうなると満足しちゃったのか、その後は商業性から一歩引いた作品を連発するようになる。
 現代音楽のカテゴリーに属するブロドスキー・カルテット(『The Juliet Letters』)やビル・フリーゼル(『Deep Dead Blue』)との共演や、趣味性丸出しで、有名曲がほとんどないカバー・アルバム(『Kojak Variety』)など、売り上げ全部合わせても『Spike』1枚に届かないモノばかり。敢えてメジャーの逆張りを狙ったのか、はたまたワーナーへの露骨な嫌がらせなのか、生粋の英国人気質が、ラインナップから垣間見えてくる。

 アトラクションズのリユニオンという、年季の入ったファンにとってはたまらない企画(『Brutal Youth』)も、内輪もめによって単発に終わってしまう。同じ傾向のサウンドはあんまり続けない、ていうか、すぐ飽きて別路線へ興味が向いてしまうコステロ、その後はコンテンポラリーと言ってもアダルティな方向、アクティヴなパワー・ポップ路線とは次第に距離を置くようになる。
 考えてみればワーナー在籍中、「ちゃんとした」メジャー志向のアルバム・リリースは、全体の半分程度であり、チャート・アクションも微妙なモノがほとんどである。パブ・ロック〜パンク・ムーブメントをベースとしたパワー・ポップ路線中心だったインディー時代の方が、むしろチャートを意識したアプローチが多いくらい。
 いわば「勝ち組」の余裕、ベテランの風格を盾として、思いついたアイディアを好き放題にやらせてくれるワーナーという会社は、コステロにとって、都合の良い存在だったと言える。契約枚数を消化する都合もあったと思うけど、『Juliet Letters』みたいなアルバム、営業サイドとしてはやりづらかっただろうな。

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 当時のワーナーは、アトランティックやリプリーズを始めとして、エレクトラやサイアーなどポピュラー系のレーベルを、続々吸収合併の過程にあった。豊富なアーカイブを武器に、ロック名盤を廉価で普及させた「ナイス・プライス」シリーズは、ワーナーの大きな功績のひとつである。これは俺もお世話になった。
 当時のレーベル2大巨頭が、マドンナとプリンスだったことからわかるように、ワーナーはロック/ポップスにウェイトを置いていた。コステロもまた、インディーでは望めない、世界的な販売網と強力なプロモーション体制を求めていた。当初、利害は一致していたはずなのだけど、時がたつにつれ、次第に齟齬が生じてくる。
 シンプルなロックンロールからスタートしたコステロの音楽的志向は、キャリアを重ねるにつれ、飛躍的に拡大していった。本格的なクラシックやジャズ・スタンダードをも視野に入れた彼の探究心は、ワーナーではもはやフォローし難くなっていた。
 待遇自体にそれほど不満があったとは思えないけど、レーベル・カラーにそぐわない作品、場違いのアルバムばかり作るのも、お互い良い結果を生まない。一般にほぼニーズのない、現代音楽系の作品だって、一応リリースしてはくれるけど、取り扱いに慣れていないワーナーのスタッフでは、制作ノウハウも薄いし、プロモーションだって不得手なのは、結果が証明している。
 そんな経緯もあってコステロ、同じメジャーでありながら、さらに幅広いジャンルを取り扱うポリグラム・グループへの移籍を決意する。

 ロックやポップスはもちろんのこと、ワーナーではフォローの薄いクラシック、はたまたテクノからレイヴ、ラップまで、あらゆるジャンルを取り扱うポリグラムは、同じく何でもかんでも首を突っ込みたがるコステロにとって、まさに理想の環境だった。契約金やリリース枚数、プロモーション体制などなど、チェック条項は途方もない数にのぼるけど、コステロが最も重視したのが創作の自由度、特定のジャンルに縛られない活動形態の保証だった。
 コステロ:ポリグラム間で結ばれた契約条項の中、他アーティストではあまり盛り込まれることのない特異点、それが「マルチ・レーベル契約」だった。ざっくり言ってしまうと、楽曲の傾向に応じて、最もテイストの合うグループ内レーベルを選択できる権利である。
 大きめのCDショップで例えれば、クラシックならクラシック、歌謡曲なら歌謡曲のコーナーがあり、それぞれのジャンルに特化した担当者がつく。ジャンルへの思い入れが強い者、興味がなくても取り組んでるうちにのめり込んでくることもあって、陳列やPOP作成にも熱が入り、それは売り上げにも直結する。演歌コーナーでバルトークは不似合いだし、ジャズ・コーナーにあいみょんがあっても、売る方も買う方もちょっと困ってしまう。
 なのでコステロ、ジャズならヴァーブ、クラシック系ならグラモフォン、ポピュラー系ならポリグラムと、作品にふさわしいレーベルから自由にリリースできる権利を獲得した。餅は餅屋って言うくらいだし、ジャズ作品ならジャズ・レーベルで仕切ってもらった方が、製作面でもプロモーション手法でも有利である。
 ちなみに、かつてイングウェイ・マルムスティーンがフル・オーケストラとガチの共演作をリリースし、クラシック・コーナーに陳列されているのを見たことがある。本人的にはマジメに取り組んだと思う。思うのだけれどでも、荘厳なムードのデザインが多いクラシックCD群の中で、いつものメタラー・メイクでポージングするイングウェイのいでたちは、強い違和感を放っていた。
 どっちに置けばいいのか、はたまたどっちにも置いた方がいいのか。おそらくショップ側も、扱いに困ったんだろうな。内容をとやかく言う気はないけど、適材適所が微妙なポジションというのも、ちょっと考えものである。

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 業界内ランク的には、恐らくポール・マッカートニー以上とも言えるバート・バカラックとのコラボ(『Painted From Memory』)で幕を開けたポリグラム期のコステロは、商業的にも芸術的にも大きく飛躍した。予想の向こう側を突き抜けた棚ボタ大ヒット「she」でさらに知名度は上がり、マルチ・レーベル契約をフル活用して、アンネ・ソフィー・フォン・オッターやアラン・トゥーサン、それぞれ両極端のコラボ作をリリースしたり、その無軌道な活動振りはさらに加速してゆく。
 とはいえ。でもね。
 そうは言ってもコステロ、多岐に渡る活動の中、最もニーズが高いのは、やっぱりロック・コンボ・スタイル、古くはアトラクションズ、今ならインポスターズだったりする。そりゃ歳も歳だから、バラード集やカクテル・ジャズに手をつけるのも仕方ないんだけど、でもやっぱり彼が最も生き生きしてカッコよく見えるのは、ジャズマスターかき鳴らしてがなり立てる姿なのだ。
 本人的にもその辺は理解しているのか、クラシックやジャズに特化した趣向でない限り、「Radio Radio」や「Red Shoes」はライブの定番である。またこの辺の曲演る時って、テンション高いんだよな、オーディエンスもコステロも。

 で、『Momofuku』。「ニューヨークの馴染みのヌードル・バーの名前」がタイトルの由来ということだけど、要はタイトル考えてる時、目についた看板から適当につけたのだろう、と察せられる。もともと、このアルバムの制作に至る経緯自体、結構行き当たりでアバウトであるし。
 ロサンゼルスのロック・バンドRilo KileyのヴォーカリストJenny Lewis のソロ・アルバムのレコーディングに、インポスターズのベーシストDavey Faragherが参加、そのツテで、コステロにもお呼びがかかる。手ブラじゃなんだから、提供できる楽曲をいくつか用意してスタジオに出向いたのだけど、リハーサルやセッションを重ねているうちに盛り上がってしまい、コステロ自身のアルバム制作に発展してしまう。何だその70年代的なノリは。
 フル・アルバム制作ともなれば、そこから楽曲制作やらスタジオやミュージシャンのブッキングなんかで時間がかかりそうなモノだけど、そこは多作のコステロ、ジェニーのレコーディングと並行して、チャチャっとアルバム1枚分の楽曲を準備してしまう。そこから1週間という短期集中でレコーディングを行ない、翌々月にはもう店頭に並んでいた、って、なんてインスタントな流れ。
 4ピース・ほぼ一発録りスタイルでレコーディングされたため、一聴すると初期アトラクションズのサウンドに近いのだけど、きっかけとなったジェニーのレコーディングの流れから、オルタナ・カントリーのテイストもミクスチャーされている。Rilo Kiley周辺のゲスト・ミュージシャンの影響もあって、ラウドかつブルージーではあるのだけれど、ただアバウトな作りではなく、細かなダビングを施したりなどして、ちゃんと製品として流通することも考えて作られている。

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 ワーナー期同様、ポリグラム時代もジャンルを縦横無尽に駆け回り、とっ散らかったキャリアは相変わらずのコステロである。あれこれ手当たり次第、思うがままに手をつけてはいるけど、何だかんだ言ってもファンが求めているのはロック・スタイルのコステロであり、それを本人もわかっているのも、また事実。
 この後も、さらにカントリー沼にズッポリハマったり、ルーツと組んでぎこちないヒップホップに走ったり、はっきり言って節操はない。「ないからどうした」と言い返されてしまいそうだけど、でもそろそろバンド・スタイルのコステロが聴きたいよな。
 先日、スティーヴ・ニーヴのライブ・ストリーミング・ショーにコステロがリモート出演、そこで「Peace, Love and Understanding」と新曲「Hey Clockface」を披露、元気に回復した姿を見せてくれた。弾き語りのバラードだったけど、アレンジ次第でまたはっちゃけた感じになるかもしれない。
 信じて、待とう。





1. No Hiding Place
 景気のいいファズ・ギターのストロークから始まるオープニング。サウンドのパーツ自体はラウドだけど、メロディアスなフレーズと適度なコーラス・ワークが盛り込まれている。疾走感とは言い難いテンポだけど、手練れの風格ともいうべき独自のタイム感が心地よい。

2. American Gangster Time
 ここから盟友スティーヴ・ニーヴが参加。彼のオルガンが入るだけでアンサンブルが締まる。コステロも対抗してか、ファズの響きが重いギター・ワーク。スタジオ・セッション風のレコーディングは、この人が最も得意とするところ。

3. Turpentine
 スペイシーっぽかったりラウドだったりブルージーだったり、いろいろなアプローチのギターが浮遊し、全体に強くコンプをかけたリズムとコーラスで形成された、ネガティヴなジャングル・ビートのナンバー。時々、こういったオルタナティヴに走るのは、今に限ったことじゃない。終盤コーダ部分のシャウトは、往年のアングリー・ヤングマンぶりを彷彿させる。

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4. Harry Worth
 演奏はインポスターズ、脱力したコーラスはジェニーのレコーディング参加組によるセッション。ワーナー移籍後に確立した、ボサノバっぽく浮遊するメロディがクセになる。ヴォーカル処理はデッド気味、シンプルなサウンドがメロディの秀逸さを引き立たせている。

5. Drum & Bone
 ドラムに力を入れたかったのか、インポスターズのピート・トーマスに加え、もう一人叩いているのが、テネシー・トーマスという女性ドラマー。トーマス繋がりかと調べてみたら、なんとピートの娘だった、という親子共演ネタ、といったオチ。
 2分ちょっとの小品なので、彼女の印象はあんまりない。ソロ弾き語りでも成立しちゃう曲なので、バンド・アレンジにする途中経過、といった印象。

6. Flutter & Wow
 サザン・ソウルへのオマージュ濃いバラード。ちょっと土臭く泥臭い、米国風味のウェットに流されるところを、英国人のクレバーな感性によって、アウト・オブ・デイトを免れている。
 フレーズごとに響きをコントロールさせる、コステロのヴォーカル・テクニック、盤石としたリズム隊の力が、それを可能にしている。

7. Stella Hurt
 ちょっと落ち着いた流れから一転、荒々しく響くファズ・ギターとツイン・ドラムが暴れ回る、強い当たりのロック・チューン。ジェニーその他によるvocal supergroupも、ここでは大活躍、コステロも血管浮き上がるくらいにがなりまくっている。



8. Mr. Feathers
 ミステリアスなテープ逆回転ピアノのフレーズが印象的で、でもそれが終わったらオーソドックスなポップ・バラード。中期ビートルズを意識したのか、ピアニカや多重コーラスをダビングしたり、シンプルな割には凝ったプロデュース。『Spike』あたりに入ってても違和感なさそうだな。

9. My Three Sons
 変にひねりを利かせず、良いメロディをシンプルに仕上げたカントリー風バラード。転調する美しいサビをフォローするように、David Hidalgo(ロス・ロボス)の奏でるHidalgueraの音色が心地よい。

10. Song With Rose
 GSっぽいギターの響きとスティールのアンサンブルが、日本人には好みかもしれない。あ、だから百福なのか(ウソ)。でもメロディは日本人好み。タイトなリズム隊と丁寧に重ねたギターとコーラスが、単なる勢い一発ではないベテランの術としてあらわれている。



11. Pardon Me, Madam, My Name Is Eve
 こちらも似たような傾向、時に甘く流れがちなメロディを支える、盤石なバッキング、加えて丁寧なコーラス・ワークが光っている。ちょっとメロウだけど一筋縄では行かない、カントリーもロックンロールもオルタナも一手に引き受けた、懐の深さが窺える。

12. Go Away  
 スタジオ・セッション風にフェード・インから始まる、ラストはコステロ風オルタナ・ロック。かつてはコステロ自体がオルタナだったけど、もうそんなことは言えない。そんな時期は、とっくの昔に過ぎてしまったのだ。
 立場は違ったとはいえ、今もアングリー・ヤングマンであることに変わりはない。燃え盛るパッションは静かに、時に若い血とぶつかり合うことで勢いを吹き返す。
 ほぼデュエットと言えるジェニーとのつばぜり合いを見せ、幕は閉じる。







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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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