デビューからほぼずっと、年一ペースで何かしら作品を発表していたコステロだったけど、The Rootsとのコラボ・アルバム『Wise Up Ghost』リリース以降、その勢いは急速に衰えてゆく。完全にリタイアしたわけではなく、その後もコンスタントにツアーを回っており、なぜかTVショーのホストを引き受けちゃったり、決して悠々自適にふんぞり返っていたわけではないのだけれど、なぜかアルバムだけは制作する気配がなかった。
83年にスマッシュ・ヒットした「Everyday I Write the Book」なんて、ものの10分程度で書き上げられたように、基本、スランプとは縁のない人である。プリンスやスプリングスティーン同様、デモや未発表曲のストックは膨大にあると思われる。
ただアルバム制作となると、選曲や曲順を調整しなければならず、手持ちの楽曲を漫然と並べるわけにもいかない。ファンからすると、楽曲の当たりはずれが少ないため、それはそれで面白い試みだとは思うのだけど、さすがにプロだもの、そうはいかない。
こだわるところは、とことんこだわり抜く。おそらく近しいスタッフでも見分けられない、ちっちゃい細かなディテールにも気を配っていたからこそ、長くやって来られた所以なのだろう。あぁめんどくさい。
なので、アルバム制作は多くの気力・体力を必要とする。ぶっちゃけ、よほどの天才でもない限り、才能やスキルなんてのは、みんなそれほど大差はない。結局は泥くさい根気と執着がものを言うのだけど、そこが欠けていたのが、この時期のコステロだった。
2018年、「コステロが悪性腫瘍の手術を受けた」というニュースが、世界中を駆け巡った。「全世界」って言ったらちょっと大げさだから、ちょっと遠慮して言ってみた。
手術自体はスムーズに行なわれ、術後の経過も良好だった。おそらくブランクの辺りから、体力的な不安を薄々感じていたのだろう。
還暦過ぎてあれだけアクティブに動き回れるのは、世界広しといえど、コステロとミック・ジャガーとデヴィ夫人くらい、多くのまともなベテラン・アーティストは、何がしかの持病や体調不良に悩まされている。活動ペースが緩やかになるのは自然の流れで、そうやってなし崩し的に、彼もまた徐々にフェードアウトしてゆくのかしら、と思っていた。
キャリアの早い段階からナッシュビルに出向いて、全編カントリーのカバー・アルバム『Almost Blue』を作ったり、すでに達観した若年寄っぽかったコステロ、事あるごとに原点回帰するのは、今に始まったことではない。なので、カクテル・ジャズ風味漂う『Painted from Memory』スタイル、または、近年お気に入りのオルタナ・カントリー路線へ傾倒してゆくのも、まぁ納得できる。理解はしたくないけど、まぁ取り敢えず納得。
多分、思うところはみんな一緒だったのだろう。5年ぶりにリリースされた『Look Now』は、いわば「置き」にいったサウンドだった。いつもだったら「またロック路線じゃねぇのかよ」と毒づくところだけど、手術の報を聞いた後だっただけに、それもはばかられる雰囲気があった。とにかく、遺作にならなくてよかった。そんなムードだった覚えがある。
そんな『Look Now』、一応インポスターズ名義ではあったけれど、ロック・コンボ特有の前のめりなアッパー・チューンは少ない。バート・バカラックやキャロル・キングらベテラン勢との珠玉のナンバーも併録もされているのだけど、それがメインというわけでもない。
それぞれのレベルは高いんだけど、レコーディングの時期も場所もバラバラなため、どうにもまとまりがない。「バラエティに富んだ作り」といえばそれまでだけど、フワッとした寄せ集め感は否めない。
漫然とした作品群も面白いんじゃね?と無責任に前述しちゃったけど、やっぱもう少しでも統一感は欲しい。せめてどっちかのコンセプトに寄せればよかったのに。
そんな『Look Now』のレビューを、以前書いていたのを思い出した。何か書いたという事実は覚えてるけど、何を書いたかはさっぱり思い出せない。いつものことだ。
なので、改めて読み返してみた。「大人になったコステロ」って書いてある。なるほど。
ワーナー離脱以降、コステロの音楽遍歴はさらに混迷を増していた。普通、彼くらいのキャリアになると、腰を落ち着けてルーツ路線一本に絞ることが多いのだけど、そんな気配はさらさらない。むしろ、クラシックからヒップホップまで縦横無尽、加齢とは反比例して、そのフッ軽具合は増長している。
もはや腐れ縁のインポスターズとも、始終一緒にいるわけではなく、短期でソロ弾き語りツアーを行なったり、レコーディング・セッションも多種多様なメンツが入れ替わったりしている。クラシック方面でも活動しているスティーヴ・ニーヴのスケジュールの兼ね合いもあるのだろうけど、ちょっとした隙間にも仕事を入れてしまうワーカホリック振りは、一体何なのか。回遊マグロみたく、止まったら死んじゃうと思っているのだろうか。
で、一旦止まっちゃうと、なんか気が抜けちゃったのか、フットワークも重くなった。今どきアルバム作ったって、それほど売れるわけじゃなし、近年はさらにサブスクが追い打ちをかけて、著作権収入も期待できなくなったし。
いま思えば、体力的な不安があってのブランクだったのだけど、でも普通に考えると、そろそろ歩みを止めてもいい頃合いであり、そういった世代だ。この時期に自伝をまとめていたのは、そういった感情も相まっていたんじゃないか、と今にして想ったりもする。
家でくつろぐことが多くなり、これまで触れることのなかった媒体・メディアにも、自然と関心を寄せるようになる。まさか『映像研には手を出すな!』までチェックしていたのは予想外だった。あの作品のどこが彼のツボだったのか、その後の作品に影響があったかどうかは別にして、少なくとも、日本での知名度はちょっぴり上がった。
術後の経過も良好だったらしく、2018年初夏からコステロ、欧米中心に怒涛のライブ本数をこなしている。普通ならリハビリがてら、ニーヴと2人でコンパクトなアコースティック・スタイルで始めそうなものだけど、初っ端からインポスターズが同行しており、ハイテンションぶりは相変わらずだった。
2019年に入ってもそのペースは落ちなかったため、おそらくワールド・ツアーに向けての肩慣らしという意識もあったのだろう。その前にスタジオに入り、インポスターズ名義のアルバム制作も考えていたのかもしれない。
体調的には何の問題もなかった。ただ、自分の力だけではどうにもならないことは、たくさんある。コステロだけじゃなく、全世界がそう痛感せざるを得なかった。
大規模なコロナ禍の煽りを喰らい、ほぼすべてのライブは中止、または無期延期となった。当然、まともなスタジオ・レコーディングはできず、インポスターズは開店休業となった。
これまで様々なスタイルでのレコーディングを行なってきたコステロなので、ギターやピアノ一本だけでねじ伏せるのは可能なのだけど、ライブならともかく、スタジオ・テイクでそれをやられちゃうと、実はあまり面白くない。意外とかしこまっちゃうんだよな。
一応、ご時勢に合わせてWebキャストもやっていたコステロ。そんなに本腰入れてたわけではなく、ヒマつぶしがてらのファンサービスといった程度だったけど。無観客だと調子が出ないこともあって、臨場感が伝わりづらい配信ライブだと、彼の良さがあまり出てこない。
とはいえ、黙ってもいられない。やはり人は、いや彼は走り続けてこそ、エルヴィス・コステロなのだ。立ち止まったままでいると、沸き上がる自分の熱で茹だってしまう。
あれもこれも縛りや自粛ムードで抑えつけられた状況の中、コステロは2020年、ソロ名義で『Hey Clockface』をリリースした。彼クラスのベテランだと、リリース・スパンが10年を超えるのも珍しくないのだけど、たった2年のブランクで新曲ばかりのアルバムを出すのは、かなり奇特な存在だ。いや、ファンとしてはありがたいんだけど。
まず彼が向かったのがフィンランド、ヘルシンキのスタジオだった。これまでレコーディングでは縁が薄かったはずだけど、まさにそんな環境を求めたのか、ここでの3曲は、ほぼすべての楽器を自分で演奏している。
続いてパリに向かい、ニーヴを中心に編まれたアンサンブルで、9曲。さらにそこからニューヨークへ飛び、旧知のビル・フリーゼルらとリモート・セッションを行なっている。
病み上がりの上、コロナ禍真っただ中だったはずなのに、やたらアクティヴだな。体力的な制約もあって、独りマイペースで作業を進めたかった気持ちは、わからないでもない。こんなご時勢ゆえ、リモートでの実験的なレコーディングというのも、興味半分でやってみたかったんだろうし。
何かと制約の多い逆境をひとつのステップと捉え、ミックス作業も敢えて立ち会わず、大方をリモートで済ませたのは、懐の深いベテランの余裕だったのか。もともと戦略的に考えてる風じゃないし、いわば出逢った人の縁に流されるまま、行き当たりばったり。そんな縁を引き寄せる、または感じる嗅覚に秀でてるんだよな。
製作手法としては番外編的なもの、ちょっと試しにやってみた的なアプローチなので、おそらく今後、同様のスタイルで作ることは、多分ないと思われる。「同じことを2度も繰り返さない」なんて前向きなモノじゃなく、いわば限定された条件下での気まぐれみたいなものだから。
そういえばポール・マッカートニーも、ほぼ時を同じく、全編ホーム・レコーディングによるフル・アルバム『McCartney 3』を作り上げた。年齢から鑑みて、状況が好転するのをただ待つほど、残された時間は少ない。限定された環境の中、押しも押されぬレジェンドである彼が取った選択は、ひとつの答えだったと思う。
1. Revolution #49
中近東の不穏なドキュメンタリーのサントラ的な、あまりなかったタイプの曲。コステロはモノローグのみで、なんか怖い。出だしの音は尺八っぽいけど、多分ホーンだろうな。エレクトロなインド風味もあるし、どちらにせよ西欧のセオリーとはかなりずれている。
今回コラボしているビル・フリーゼルとのライブ・アルバム『Deep Dead Blue』もそうだったけど、時々、こういったアンチ・コマーシャルなアプローチに走るんだよな、この人。
2. No Flag
そんな不穏なプロローグに続くのは、ヘルシンキでのほぼソロ・レコーディング・トラック。いつもならインポスターズで成立してしまう、オルタナ風味のガレージ・ロックだけど、この機会とばかりにコステロ、DTMを多用している。
そりゃリズム・ループって言ったって、プリセットをほぼいじらないで使っているんだろうけど、まぁあんまり使いこなしていてもガラじゃない。素材のデモテープっぽさを損なわず、レアなテイストを残すことでソリッドさを引き立てるプロデュース・ワークが光っている。
3. They're Not Laughing at Me Now
『King of America』時代のアウトテイクのリメイク。って言われたらしんじてしまいそうな、正調カントリー・バラード。終盤に向かうにつれて、ドラム(っていうかデカい打楽器)の存在感が増してゆくことで、凡庸さにヒネりを加えている。ヴォーカル・スタイルはいつものコステロ節なんだけど、インポスターズとはアプローチの違うパリ勢が、ちょっぴりインダストリアル風味を添加。
4. Newspaper Pane
メジャー時代以前のR.E.M.風味も漂う、ミステリアさを醸し出したバラード。ビル・フリーゼル参加のニューヨーク・セッションのうちの一曲。クセの強いメンツのわりに、仕上がりは案外聴きやすく、このメンツにしてはかなりポップ。直接顔を合わせないリモート・セッションだけど、変なぎこちなさもないので、距離感が逆にまとまり良く作用したのか。
コステロのリーダー作というより、ゲスト参加セッションっぽい雰囲気もあり、これはこれで面白い。
5. I Do (Zula's Song)
再びパリ・セッション。コステロのヴォーカルは情緒たっぷりなんだけど、ニーヴが仕切るバッキングのサウンドは対してドライで、そのコントラストが絶妙。もともと声質的にロマンティックさはないので、どれだけウェットに寄ろうとしても湿っぽくならないのが、この人の特質であって、でも本人的には多分、コンプレックスだったんじゃなかろうか、と。まぁ芸歴40年過ぎちゃうと、そんなのも取るに足らないことなんだろうけど。
6. We Are All Cowards Now
ほぼソロ・ワークのヘルシンキ・セッションより、マイナー調のガレージ・ロック。ヴァーチャルなバンド・セッションなので、良く言えば浮遊感、穿った言い方では不安定とも言えるアンサンブルは、逆に今の時代ならアリか。
7. Hey Clockface / How Can You Face Me?
能天気なスキャット、っていうかフェイクから始まるミュージカル風味あふれるジャズ・ナンバー。もしかして序盤で油断させといて、終盤に入ってカオスな展開になるパターンなのかも、と思って聴いていたら、結局ほんわかしたまま終わってしまった。何でも斜に構えてみるのは良くないな。素直に楽しもうよ、俺。
8. The Whirlwind
バカラックからの影響色濃い、流麗なピアノ・バラード。こういった曲の時のコステロ&ニーヴは最強。
バラード中心のアルバムと言えば『North』だけど、そういえばちゃんと聴いたことなかったよな。この人の場合ジャズに寄ると、とことん地味になり過ぎちゃうので、メロディ主導のバカラック・テイストからのアプローチがしっくり来る。
9. Hetty O'Hara Confidential
甘口になり過ぎないようバランスを取ったのか、独りでやりたい放題のヘルシンキ・セッション。その中でも異彩を放つEDMチューン。コステロ流トラップとでも言うか、まぁ踊れないけどビート感の強いナンバー。
ベテランが独りでスタジオに籠ると、お遊びで一曲くらい、こういうのができちゃうものだけど、片手間じゃなくきちんと形に仕上げてしまうのがこの人の常であって。そういえば、ヴォイス・パーカッションをフィーチャーした曲ってなかったよな。
10. The Last Confession of Vivian Whip
ガシャガシャ騒々しい「Hetty O'Hara Confidential」を挟んで、8曲目「The Whirlwind」に続く正調ピアノ・バラード。インターミッションと言うにはキャラが強すぎるよ「Hetty O'Hara Confidential」。
通常のロック・コンボ・スタイルでは表現しづらい、こういったピアノ・バラード、またはストリングスをフィーチャーすることで成立する楽曲をプレイするためには、時にインポスターズという存在が足かせとなってしまう場合もある。あらゆる可能性を志向するコステロにとって、インポスターズ以外と言うチャンネルを持つことは必然なのだな、ということに、今さらながら気づかされる。こういう曲聴くと、特に。
11. What Is It That I Need That I Don't Already Have?
『King of America』というより『Mighty Like a Rose』、アーシーなAORバラード。垢抜けたワーナー時代のコステロのアウトテイクっぽさがチラホラ。同じバラードでも、ギターがメインとなるとエモーショナルさが増し、いい意味での粗さが際立ってくる。かしこまり過ぎるのもガラじゃない人だし。
12. Radio Is Everything
硬めのモノローグから察せられるように、ニューヨーク・セッションより。今回収録されているのは2曲だけど、アウトテイクはあるのだろうか。リモートとはいえ、ちょっとした外出さえままならない、最もシビアな時期のセッションなので、そんなに時間はかけられなかったとは思うのだけど、ポエトリー・リーディングという可能性はまだ未知数なので、仕切り直してまたやってほしいな。
13. I Can't Say Her Name
タイトル・チューンと連作って言っちゃってもよい、のどかなミュージカル・ジャズ。このパリ・セッションの中では最もフレンチ感が漂い、ラフさが伝わってくる。アブストラクトなニューヨーク&ヘルシンキと比べると、相対的にパリは肩が凝らない。多分、本人的にはユル過ぎじゃね?と判断したんだろうけど。
14. Byline
エモーショナルなヴォーカルと、それを下支えするピアノの響き。適度にアクセントをつけるゲスト・ミュージシャンの面々。それらのトライアングルがうまく嚙み合わさったことで生まれたバラードがラスト。コステロの楽曲でこういう言葉はあんまり使いたくないんだけど、「珠玉」って言葉がふさわしい。そんな陳腐な言葉を浴びせられても動じない、短いけど地力の強い楽曲。