好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Donny Hathaway

その音の先には…。 - Donny Hathaway 『Extension of a Man』

Folder 1973年リリース、ダニー・ハサウェイ3枚目のオリジナル・アルバムにして、最終作。ビルボード最高69位・R&Bチャート最高18位と、リリース当時はそこまで売れたわけではない。
 初期の総決算とも言える歴史的ライブ・アルバム(『Live』)に加え、盟友ロバータ・フラックとのデュエット・アルバムがバカ売れし、一挙に知名度もポジションも爆上げした後にリリースされたのだけど、新規ファンにはちょっと不親切な内容だった。針を落としたらいきなり、なんか思ってたのと違うオーケストラ演奏だもの。それに続くのが、深刻なモノローグのような歌で、なんか違う感がさらに募る。
 もう少しひいき目に見ると、「内省的な黒人青年の葛藤と、彼による社会問題への告発」といった、70年代初頭にはふさわしいテーマではあるのだけれど、わかりやすく拳を振り上げたりシャウトするのではなく、「…こんな世の中は間違ってる」と、静かに諭すだけなので、ちょっと地味過ぎる。まぁ「俺が俺が」と前に出る人ではなかったし。
 社会を変えるのなら、もっと先頭に立って民衆を鼓舞するようなリズムとサウンドが必要なはずで、イヤそりゃ言いたいことはわかるんだけど、崇高で汚れなきシンフォニーとメロディは、ちょっと拳を振り上げずらい。誠実に静かに嘆くのではなく、オーバーに泣き叫んだりしないと、広く大衆には伝わりづらいのだ。
 さらにさらにひいき目で、オリジナル・スタジオ・アルバムの系譜で、端正に仕上げた2枚目『Donny Hathaway』の発展形として見るのなら、そこまで違和感はない。スマートなグルーヴ感を通底音とした『Live』と、好セールスを記録した『Roberta Flack & Donny Hathaway』を挟んじゃったから地味さが際立つわけで、きちんと学んだ楽理に則った、洗練されたメロディと控えめなリズムは、むしろ磨きがかかっている。
 そういった経緯で考えれば、ブレイク前の落ち着いた状態に戻っただけで、ダニー本人は何ら劣化した点は見受けられない。セールス実績もガタ減りしたわけではないし、旧来ソウルの枠を外せば、むしろ野心的なコンセプトでもある。
 この時点ではリリース契約も残っていたと思われるし、周囲の雑音に動ぜず、地道に次回作に向けての準備を進めてればよかったんじゃないの?と勝手に思ってしまう。でも、そう開き直るにはダニー、線が細かったのだろう。
 この後、ダニーはアーティスト活動を停止する。ていうか、隠遁して表舞台から身を引いてしまう。

27TWISTED1-videoSixteenByNineJumbo1600-v2

 ここまで散々「地味っ」と言ってしまったけど、実際のところ、しょっぱなのシンフォニーを乗り越えると、それ以降はユルいグルーヴ感が心地よい、いつものダニーである。思っているほどスロー・ナンバー一辺倒でもなく、それなりにユルいスロー・ファンクもあったりして、きちんとトータルのバランスを考えた構成になっている。
 サウンド面のコンセプトもしっかりして、均整も取れている。いわば組曲形式の小品集といった趣きだけど、どの曲もきちんと独立した世界観を有しており、コンセプト・アルバムにありがちな寄せ集め感もない。
 アーティスト:ダニー・ハサウェイを第三者目線でプロデュースするコンポーザーの視点で、隅々まで丁寧に作り込まれており、創作者としての意向は、可能な限り反映されている。緻密過ぎるゆえか、通して聴くのには、それなりの心構えがいるけど。
 その点、気心の知れたメンバーによって、リラックスしたムードでレコーディングされた『Live』は、俺個人的に聴く機会も多い。「ジェラス・ガイ」や「君の友だち」など、聴き慣れ親しんだ曲が収録されているおかげもあるけど、ライブゆえの間口の広さ、楽しんでプレイしている感じが伝わってくる。
 実際、彼の代表作として真っ先に思い浮かぶのは『Live』であり、それは多分俺だけじゃないと思う。緻密に作り込まれた渾身のスタジオ作品は、言ってることはわかるんだけど、もうちょっと肩の力抜いた方が親しみやすいんじゃね?と、第三者は勝手に思ってしまう。
 そういったアドバイスの意味も含めて、ロバータは「一緒に曲を書こう」と誘ってくれたのだろうし、そしてそれは、死の直前も変わらず同じ想いだった。だったのだけど。
 二度目は、ちょっと遅かった。

 白人アーティストとの差別化として、性急かつ躍動的なファンクのリズムをJBが発明し、ほぼ同時進行でスライが殴り込みをかけ、狂騒的なビートと享楽的なグルーヴがディスコになだれ込んだ―。すごく大雑把だけど、一行で書けば、こんな感じになる。
 公民権運動などの社会問題も含め、白人文化へのカウンターというスタンスで進化していったソウル・ミュージックに対し、ダニーのアプローチはちょっと異色だった。強い問題意識という部分では共通していたけど、彼の書く曲はいわゆるソウル色が薄く、むしろ細やかで端正なメロディが特徴だった。
 ソウル・バラードというには熱量が低く、凝ったハーモニーやカウンター・メロディを駆使する彼の曲は、取り敢えずソウルにカテゴライズされてはいるけど、本人的にも居心地が悪そうだった。シャウト一発で沸点を上げて、そのままノリと勢いで全力疾走する同世代のソウル・グループ/アーティストに対し、そういった常套手段に頼らないグルーヴを創り出していたのが、ダニーだった。
 だったのだけど、他と比べるとちょっと地味過ぎるよな。また「地味っ」って言っちゃった。

1200x0

 同じくニュー・ソウルにカテゴライズされるカーティス・メイフィールドに見出されてこの世界に入り、着実にキャリアを積み上げていったダニーだけど、それほど相似点があったわけではない。ていうか、「ニュー・ソウル」ってひとくくりにされることが得てして多いけど、実際のところ、それぞれの音楽性はバラバラである。
 代表的なアーティストを思いつくそばから挙げてみると、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、カーティスやアイザック・ヘイズといったところだけど、こうして並べてもわかるように、みんな方向性はバラバラである。ほぼ同じタイミングで既存ソウルやファンクでは括れない、いわば「じゃない方」ソウルと言った意味合いで、ユーザーへの配慮でまとめられていただけであり、実は曖昧な定義である。
 ヘイズなんてジャズの方に入れられることもある人だし、マーヴィンとスティーヴィーだって、一応モータウン繋がりではあるけれど、世代が違うこともあって、あまり絡むこともなかったようだし。しかもこの2人、音楽性だってバラバラだ。
 縁あってカーティスつながりだったダニーもまた、むしろ交流が多かったのは、大学時代の盟友ロバータやリロイ・ハトソンだった。音楽の名門:ハワード大学で時を同じく学んだ3人は、それぞれ歩んだ道は違えど、どうにかこうにかプロ・デビューするに至った。
 本格的に学理を学び、進取の気性に富んだ彼らは、これまでの粗野なファンクやポップ・ソウルをなぞるのではなく、新たなアプローチへ果敢に挑んでいた。ダニー同様、カーティスに見込まれてインプレッションズの後釜として見染められ、その後はプレ・R&Bの先鞭を切ったリロイ、案外いそうでいなかった、黒人女性シンガー・ソングライターの先達となり、「やさしく歌って」の大ヒット以降はデュエット御用達となったロバータ。
 彼ら2人に共通するように、ダニーもまた、無理に声を張り上げない、または「不似合いなディスコに走らない」路線を確立しつつあった。あまり泥臭くない、洗練された新世代のブラック・ミュージックを担うひとりとして、堅実に歩んでいたと思うのだけど。

donnyhathawayextensionsofamangatefold1

 話は飛ぶのだけど、今年3月、ビル。ウィザーズが心臓の合併症で亡くなった。微妙に音楽性は違うけど、彼もまたダニー同様、ソウル・シーンにおいては「じゃない方」的なポジションの人だった。
 時にジャジーに、ある時はフォーキーなシンガー・ソングライター的佇まいは、既存のソウル/ファンク・シーンではカテゴライズしづらく、次第にスポイルされ、人知れず引退していった。
 決してシーンのトップに躍り出る音楽ではなかったけど、目立たぬところで微かな光を放ち続ける、何年かに一度、ふと思い出して棚から引っ張り出してしまう、そんな歌だった。 大それた再評価ブームまでは盛り上がらなかったけど、映画やドラマ、CMで効果的な使われ方をされることが多かったため、なんとなく耳にしたことのある、趣味の良い音楽。
 彼が亡くなった頃、こんな記事が出た。その中で、すっかり業界ご意見番的存在となったルーツのクエストラブは、生前の彼について、こう語っている。
 「彼は最後のアフリカ系の普通の人なんです」。
 「マイケル・ジョーダンの垂直跳びは、誰よりも高くなければならない。
 マイケル・ジャクソンは、重力に逆らわなければならない。
 その一方で、(アフリカ系の)私たちは、しばしば原始的な動物としても見られている。
 私たちは真ん中に、普通にいられることはないんです。
(その中で)ビル・ウィザースは黒人にとって、ブルース・スプリングスティーンに最も近い普通の存在なんです」
 黒人とか白人とかじゃなく、単に書き上げた作品を純粋に聴いてほしいだけだったのに。ダンスをうまく踊れるわけじゃないけど、少しでも良い曲を書こうと、いつも努力している。
 シャウトもビートもグルーヴも取っ払った先にある、ただ普通に、みんなに愛される曲。ただ、それだけを求めていたのに。
 持って生まれたレッテルを笑い飛ばすには、繊細過ぎたのだろう。そんな彼による、声にならない悲痛な叫びが、『Extension Of A Man』には端正に刻み込まれている。




1. I Love the Lord; He Heard My Cry (Parts I & II) 
 壮大なオーケストレーションによる、5分に渡る映画音楽のようなインストがオープニングと、ソウルのアルバムとしてはのっけから破天荒な構成。ていうか、制作する時点ですでにソウルだポップだクラシックだ、など細かなジャンル分けは頭になかったのだろう。
 4分近く経ってから曲調が変化し、ここでダニーによるエレピが登場。ストリングスとのコンビネーションが心地よい。ドビュッシーやラヴェル、サティらクラシックからのインプットだけではなく、もうちょっと新しめのガーシュインなんかからもインスパイされたらしいけど、どちらにせよ70年代のポップ・シーンとは大きく乖離したところで、この音は鳴っている。
 この1曲のために大編成のオーケストラがスタジオ入りし、ダニーによる細かなサジェスチョンでレコーディングは行なわれたのだけど、考えてみればダニーのセールス推移で見れば、かなり大きな投資ではある。手間も時間もかかっただろうに、こんな大きなプランにGOサインを出したプロデューサー:アリフ・マーディンの懐の深さと言ったらもう。

2. Someday We'll All Be Free
 シームレスで続く、ダニー末期の代表曲。ウィリー・ウィークスのベースと、コーネル・デュプリー&デヴィッド・スピノザによるギター・プレイ、それにレイ・ルーカスのドラム。ダニーのフェンダー・ローズとヴォーカル。ただ羅列してみただけど、これでもう充分、名セッションに必要なすべてが、ここに詰まっている。
 程よく抑制されたバッキングに対し、熱くエモーショナルなダニーの声。「いつか自由に」という邦題の通り、ある種のアンセム的な扱いとなっているため、曲名で検索すると、カバー曲の多いこと。いつもはクールなアリシア・キーズの熱情的なヴァージョンが個人的には好きなのだけど、有名なのはやっぱりアレサ、映画『マルコムX』でもフィーチャーされたゴスペル・ヴァージョン。いや鳥肌モノだから、どのヴァージョンも。



3. Flying Easy
 冒頭からテンションの高い曲が続いたので、ここで箸休め的なポップ・チューン。う~ん、やっぱりビル・ウィザーズっぽいよな、アンサンブルが。ビートに頼らず、ローズの旋律で引っ張るグルーヴ感は、古今東西この人が一番うまいと思う。
 同時代のディスコやファンクと比べても、っていうか比べようがないくらい立ち位置が違う。カーペンターズやポール・サイモンなんかと同列で語られるべきだったのだ。単に良いポップス・良いメロディを書く、というその一点で。

4. Valdez in the Country
 センスの塊のような、ソウル色はほとんどない、むしろ白人ジャズ・ミュージシャンのような肌触りのオルガン・インスト。「軽妙で洒脱で」といった形容がぴったりな、上品でいながら嫌みのないグルーヴ・チューン。後半で割り込んでくるバス・クラリネットの存在感が、単純なシャレオツに陥らせないよう、ブレーキをかけているのが、秀でたバランス感覚。

5. I Love You More Than You'll Ever Know
 アメリカのブラス・ロック・バンド:ブラッド・スエット&ティアーズの1968年にリリースした楽曲のカバー。名前は聞いたことあったけど、よく知らなかったので、この機会にYouTubeで聴いてみたところ、レオン・ラッセルっぽいなぁと思ったけど、ただそれだけだった。まぁ俺が惹かれるタイプの人たちではない。
 俺的にはダニーで初めて知った曲のため、当然、こっちの方が思い入れが深い。偏見かもしれないけど、60年代末~70年代初頭までのアメリカのバンドって、総じて雑な先入観があるので、どうにも入り込めないのだ。
 かなり気合の入ったセッション風のアンサンブルをバックに、時に切なく、時にエモーショナルなヴォーカルを聴かせるダニー。全体的にちょっとブルース・テイストが濃く、ソウルのカテゴリーではとても推し量れない。

5660eb6b2bc9a115c0599fc80881053b

6. Come Little Children
 で、あまりイメージがないのだけど、ほとんど見られない泥臭いファンク/スワンプ・ロックのサウンド・アプローチ。いやぁ埃っぽいしソウルっぽい。
 こういったタイプもこなせるんだ、と勘違いしてはいけない。あくまでアルバム構成を考えた上で、こういったアッパー系も入れた方がバランスが良い、という判断で作られただけで、多分、これで全篇は作れない。
 ある意味、器用な人なので、こういった曲を書くこともできる。ただスタイルが書けるだけであって、そこにエモーションはない。そこにこだわっちゃうから、難しいのだ。

7. Love, Love, Love
 ポップでありながら、ソウルの熱さもバランス良く混ぜ込まれたミドル・バラード。「What’s Going On」との相似性が語られることが多いこの曲だけど、俺もそう思う。まぁライブでカバーもしてたくらいだし、マーヴィンという存在は、彼の中でおおよその理想形でもあったのだろう。
 跳ねるリズム・セクションは彼の奔放さが最も発揮される空間であり、歌っててとても楽しそう。なので、別に無理に進歩しようとせず、この路線を深化させてゆくだけでもよかったんじゃね?といつも思ってしまうのだけど、そういうことじゃないんだろうな。
 天才ゆえの苦悩なのだろうけど、凡人には知る由もない。
 その音の先に、何があったのか。

8. The Slums
 軽快にやろうとしてるけど、どこかノリ切れないコール&レスポンスが印象的な、またまたインスト、今度はセッション風のジャズ・ファンク。オールド・スクールっぽさも感じ取れる、和やかなラップ・バトルがバックグラウンドで演じられ、ちょっとこじつけだけどシーンの行く末、先見性も感じられる。
 どこを切り取ってもそれなりにサマになってしまう、名プレイ・名フレーズが散りばめられているので、サンプリング素材としても優秀なんじゃないかと思われる。多分、誰かしら使ってるのかね。

images (1)

9. Magdalena
 多分、アリフ・マーディンつながりと思われる、アメリカのシンガー・ソングライター:ダニー・オキーフの1973年楽曲のカバー。オリジナルを聴いてみて、まぁカントリーっぽいよなぁ、と思いつつ、エレピがいい音出すよなぁ、とも思っていたら、なんとダニー自身がバッキングに参加していた。あらら。
 ホンワカしたオリジナルよりピッチを上げて、ロックンロール以前のポップスっぽく仕上げているのは、ちょっとしたお遊びか、それとも「この曲はこうあるべき」という解釈の相違か。

10. I Know It's You
 ラストはレオン・ウェア作の正調バラード。この頃、彼はまだモータウン・スタッフだったはずだけど、レーベルの枠を超えてまで、彼の歌を歌いたかったのかね。そtれともマーヴィンへの間接的なリスペクトか。
 荘厳かつ控えめなストリングスに対し、歪むほどの根城的なヴォーカルのダニー。これが最後と力を振り絞ったのか、その先の音が見えたことで、前へ進もうとしているのか。
 珠玉のバラードと言っても過言ではない、結果的にこれ以降、能動的な歌を作ることがなかったダニー・ハサウェイの悲痛な叫び。



 もっと歌えたはずなのに。



長い青春期の終わり - 『Roberta Flack Featuring Donny Hathaway』

Folder 1980年リリース、旧友Donny Hathaway との2枚目、前回より7年ぶりのデュエット・アルバム。前年のDonnyの急逝を受けた追悼盤として、ビルボード総合で最高25位、ゴールド・ディスクを獲得している。
 Roberta といえば、なんと言っても1973〜74年にリリースされた大ヒット・シングル「Killing Me Softly」「Feel Like Making Love」が広く知られており、他の曲はあまり知られていない。ていうか俺もそんなに知らない。もともとDonnyつながりで入手したアルバムだし。
 その時期をピークとして、チャート的には緩やかに下降線をたどり、70年代末になると、アルバム・トップ40も危ういポジションにまで落ち込んでいる。とはいえ、もともと人目を派手に惹くルックスや作風ではないことから、「落ち目になった」というよりむしろ、「然るべき場所に収まった」という印象の方が強い。
 ソウルのディーヴァといえば、関西のおばちゃんみたいに「どやさどやさ」と前に出て行きたがる印象が強いけど、彼女の場合、そこまでエゴをむき出しにした印象はない。あまり黒さを前面に出さず、白人ポピュラー層へのウケの良さなど、表層的な部分だけ見ると、Diana Rossとの共通点が多い。あの人はもっと野心家だけどね。
 表立った活動からはしばらく身を引いていたけど、70年代初頭のニュー・ソウル・ムーヴメントにおいて、大きな役割を担ったDonnyの死によって、Robertaはどこにもぶつけようのない怒りと悲しみ、そして無常観に苛まれた。再び立ち上がるには、相応の期間を要した。

hqdefault

 以前、Leroy Hutsonのレビューで、大学の同窓としてDonnyとRobertaがおり、メジャー・デビュー以前はキャンバスで共作したり、日毎セッションを行なっていた、と書いた。
 3人に共通しているのは、いわゆる労働者階級からの叩き上げではなく、大学というアカデミックな教育機関で音楽理論を学んでいること、泥くささの拭えなかった既存のソウル・ミュージックとは別のベクトルの、都会風にソフィスティケイトされた音楽性にある。いくら才能ある若者たちとはいえ、人種差別や公民権問題で騒がしかった60年代末のアメリカにおいて、彼らの肩身が狭かったことは、想像に難くない。どうしたって少数派なため、一緒にいることが多くなる。

 DonnyとLeroy は共に1945年生まれ、同じ年にハワード大学に入っている。一時はシェアハウスしていたくらい親密な仲であり、その時期に共作もよく行なっていた。そのうちのひとつが名曲「The Ghetto」だったというのは、ファンの間ではよく知られた話。
 当然、Robertaも同年代くらいかと思いきや、wikiを見ると1939年生まれ、なんと6歳差である。学生と社会人が友達付き合いするようなもので、世代間の開きはわりと大きい。音楽という共通項がなかったら、話題にも事欠くくらいである。
 結構な年齢まで大学に居残っていたくらいだから、よほどの苦学生か、それとも院でモラトリアム期間を満喫しているだけかと思ってたら…。
 いやいや、全然思い違いでした。

 幼少期からクラシック英才教育を受け、当時の黒人層としてはかなり恵まれた環境で育ったRoberta 、なんと15歳でスカラシップを獲得、大幅な飛び級でハワード大学に入学している。スタートから並みの才能ではなかったということだ。もちろん、「努力し続ける才能」というのも併せて。
 もともとピアノ専攻で入学したRoberta、その後も貪欲な向学心と好奇心が後押しして、声楽も本格的にマスター、後のポピュラー・シンガーとしての基盤がここで培われた。卒業後は黒人女性としては初めて、白人主体の学校で教鞭を取り、後進への指導もしっかr行なっている。

4f59e01ece2244edc4362a678a3d445a

 メロウな作風とは対照的に、音楽に関しては貪欲で唯我独尊なRobertaの周りには、才能あるニュー・ソウル世代のアーティストが集まっていた。彼らよりひと世代上に属する彼女は、そんな中では面倒見の良い姉御肌的存在だった。Roberta からすれば、Donny もLeroy も小生意気な弟程度にしか見えなかったのだろう。
 同世代アーティストの中では芸歴も長く、自主レーベル・カートムを設立するなど、親分風をブイブイ吹かせていたCurtis Mayfieldでさえ、彼女より2歳年下だったため、逆らえるはずもなかった。デビューして間もなく、野郎3人をスタジオに呼びつけてレコーディングを手伝わせるくらいだから、彼女の手綱さばき具合が窺える。
 ま、何にせよ、女が強い方が集団はうまく回るもので。

 そんなRobertaを中心としたコミュニティの中で、最も彼女と親交が深く、寵愛を受けたのがDonny だった。男女の関係があったかどうかは不明だけど、純粋に音楽性がフィットしていたのだろう。
 1973年、彼女はDonny と組んで、珠玉のバラードを揃えたアルバムを作った。当時の彼らの作風である、Carole King的にシンプルかつシュアなバッキング、あまり黒さを感じさせないシンガー・ソングライター的サウンドは、後のR&Bのルーツとなった。それぞれ単体でも素晴らしい楽曲を創り上げてはいたけど、2人揃ってピアノの前に座り、いくつかコードを押さえるだけで、独特のマジックが生まれた。
 そのマジックの結晶として、もっとも純度の高い「You've Got a Friend」は、永遠のスタンダードになった。

740full-roberta-flack

 その後間もなくして、Hathawayは体調を崩し、表舞台から身を引くことになる。彼が抱く心の闇は想像以上に深く重く、強い自己嫌悪と厭世観とが歩みを妨げた。光の見えぬ深淵を克服するには、とてつもなく長い時間と周囲の手厚いケアを必要とした。
 家族以外では、公私ともに彼の支えとなったのが、Robertaだった。シングル「The Closer I Get to You」のパートナーとして、RobertaはDonnyの声を欲した。しばらく人前に出なくなってから久しく、腰を上げるまでには躊躇したけれど、彼女の細やかな気遣いやパワーに触発され、どうにか力を振り絞って相手を務めた。
 ビルボード総合2位という好成績をマークできたのは、それだけ彼の復活を待ち望むファンが多かったこと、皆が彼の声を欲していたということだ。
 そして、その成功を誰よりも喜んでいたのがRoberta だった、ということも併せて。

 エキシビジョン的な復活ではあったけれど、取り敢えず健在ぶりはアピールしたDonny、これを機に本格的な復活を果たすはずだった。何よりも、彼自身がそう思っていたはずだから。
 全盛期のテンションはまだ完全に取り戻せていないけど、ゆっくりと慎重に、徐々にギアを上げて、再度ファンの前に姿を現わすはずだった。幸い、Roberta がまた一緒にアルバムを作ろう、と呼びかけてくれていた。
 急ぐことはない。ゆっくりと、慎重に。

 前回のアルバムは、荘厳なムードの漂うバラード中心の選曲だったが、この2枚目は比較的アップテンポ、前向きな未来を予想させる同時代的なアレンジが多い。シリアスなニュー・ソウル真っ只中で製作された72年とは時代が変わり、もっとライトな感触のアーバン・ソウル風の楽曲が多くなった。70年代は終わろうとしていたのだ。
 70年代末のアップテンポなソウルといえば、大抵は下世話なファンクかディスコのどちらかだけど、そこは才女であるRoberta、安易なシーケンスは用いずバカテク・プレイヤーをズラリと並べ、生音主体のサウンド・デザインで統一している。
 強靭なメロディがビートを支配し、伸びの良いヴォーカルを前面に出したミックスも、アナログ・レコーディングの最終進化形の特徴である。リズムを抑えることによって、凡庸なダンス・チューンとして消費されてしまうのを回避したのだろう。

donny-hathaway_roberta-flack

 社会批判や内的自己の深化を主題としたニュー・ソウルは、一時の刹那的なムーヴメントで終わったが、既存ソウルに捉われぬ音楽性の間口の広さは、ジャズ〜フュージョンの要素も貪欲に取り込み、その後の80年代R&Bの礎となった。
 安定したサウンドとメソッドを創り上げたことによって、Robertaの音楽性もまた安定期に入る。根幹のメロディや言葉こそ大きく変わらないけど、時代のトレンドに応じてアップデートしてきたアレンジは、成長することをやめて、普遍的なものに変化していった。

 じゃあ、Donny はどこへ行こうとしていたのか?
 その中間報告となったのが、ここに収録されている2曲であり、それはRobertaにとってもひとつのマイルストーンになるはずだった。
 でも、その先が示されることはなく、Donnyの死によって中途半端な形で終わってしまった。まるで自ら成長するのを放棄したかのように。
 2人のハーモニー、2人の成長はこれが最期となった。

Roberta Flack Featuring Donny Hathaway
Roberta Flack Donny Hathaway
Atlantic / Wea (1996-06-06)
売り上げランキング: 243,814



1. Only Heaven Can Wait (For Love) 
 今日共作者としてクレジットされているEric Mercuryとのデュエットというかたちになっているけど、ほぼRobertaの独壇場。このアルバムでほぼ出ずっぱりで女性コーラスを担当しているのがGwen Guthrieだけど、Roberta以外にもAretha FranklinやMadonnaまで、あらゆるヴォーカリストから絶大な信頼を得ている、いわば「プロのバック・コーラス」。Ericの出番は後半になってからほんの少しだけである。
 一聴する限りでは、オーソドックスなバラードなのだけど、やたらリズム・セクションの音が深い。特にベース。「え、ここで?」といった場面でスラップを入れてきたりで、メリハリのあるサウンドを演出している。

2. God Don't Like Ugly
 Gwen作によるボトムの効いたディスコ・チューン。後に本人によってセルフ・カバーされている。もともとアップテンポ・ナンバーではいまいち印象の薄いRobertaなので、ここでは比較的無難に歌いこなしている。ちょっと洗練され過ぎてアクが少ないのも、彼女の場合は欠点でもあるけれど、大きな利点でもある。
 対してGwenヴァージョンも聴いてみたけど、こちらはテンポを落としたバラード調のアレンジ。俺個人としては、Gwenヴァージョンの方が、ベタな感情移入が強くて好み。このわかりやすいセンチさが好きなのだけど、でもこれってライト・ユーザーにはアクが強いんだろうな。
 多少、薄めた方が万人受けするという好例。

3. You Are My Heaven
 やっとここでDonny登場。そして、なんとStevie Wonder作曲。この時期のStevieは『Songs in the Key of Life』リリース後の虚脱感によって、いわば自作の方向性ン迷っていた時期。デビューから付き合いの深かったMinnie Ripertonにも手を貸したりしている。
 実際に彼が演奏しているわけではないのだけど、イントロから歌い出しから、まんまStevieの色が濃く出ている。ただ彼の曲って、メロディがポピュラーのセオリーから大きく外れて歌いこなすのが難しいはずなのだけど、そこは2人とも音楽理論がしっかりしているだけあって、きちんと世間に流通するポップスとして消化している。
 ビルボード最高47位まで上昇。



4. Disguises
 60年代のソフト・ロック・グループSpanky And Our Gangのプロデュースを手掛けたギタリスト、Stuart Scharf唯一のアルバムの収録曲。まんまDiana Rossなんだよな、俺からすれば。もしかして向こうが真似たのかもしれないけど。流麗ではあるけれど、俺的にはただそれだけ。ムーディだけど引っかかりがない。ライト・ユーザー向けだな。

5. Don't Make Me Wait Too Long
 なので、作曲だけにとどまらず、演奏にも全面的に参加しているStevie作のこの曲が、ひどく良く聴こえてしまう。80年代のバラード時代を予感させる、通り過ぎてしまいそうなメロディ・ラインは、それでも十分4.の凡庸さを凌駕している。ドラムも叩いているだけあって、リズム・パターンはすでに『In Square Circle』の音になっている。
 実は7分超という長尺で、中盤はRobertaによるラップ(ていうかモノローグ)が延々と展開されている。普通ならダレてしまうところを、構成がしっかりしているおかげで飽きさせない展開となっているのは、やはりStevieだからこそ。どうせなら、シャッフルしてこれをトップに持ってゆくのも、ひとつの聴き方である。

6. Back Together Again
 再度、Donny登場。これまでにないファンキーなエフェクトとシーケンスによる、地味なサウンドが多い2人にとっては、これまであまり縁のなかったサウンドである。楽曲製作チームのReggie Lucas & James Mtumeに乗せられたんだろうけど、Robertaは器用な人なので、それなりにアップテンポにも対応できるスキルはある。Donnyもどうにかゴージャス・サウンドに着いてきてはいるけれど、これが生前最後の録音だった、という事実を耳にしてしまうと、何だか複雑である。
 ちなみに、俺がこのアルバムに引き込まれたのはこの曲がきっかけだけど、聴いたのは彼らのヴァージョンではない。何年か前、Soundcloudを使ってレアグルーヴ系のDJミックスを漁ることに夢中になった。その中のラヴァーズ・ロック・ミックスの中に、この曲のレゲエ・ヴァージョンが収録されていた。若い女性ヴォーカリストが歌うこの曲に取りつかれ、オリジナルを探し求めたところ、ここにぶち当たった次第。答えは案外、近いところにあったのだ。



7. Stay with Me
 なんと作詞がGerry Goffin書き下ろし。この時代でもまだ現役でやってたんだ、と思ってから、そういえばCarole Kingは現役バリバリだったんだよな、と思い直した。作曲はDiana Ross 「Touch Me in the Morning」Whitney Houston「Saving All My Love for You」を手掛けたMichael Masserと来てる。プロのソングライターが気合を入れて書いているだけあって、詞曲・アレンジ・ヴォーカルとも完璧な仕上がり。無難なバラードでは収まらないスケール感を思わせるのは、やはりDonnyへのはなむけのためだったのか。


The Very Best of Roberta Flack
Roberta Flack
Atlantic / Wea (2006-02-06)
売り上げランキング: 8,144
ベスト・コレクション<ヨウガクベスト1300 SHM-CD>
ダニー・ハサウェイ
ワーナーミュージック・ジャパン (2017-05-31)
売り上げランキング: 69,388

新しきソウルの光と道 - Donny Hathaway 『Everything is Everything』

MI0001537701 1970年にリリースされたデビュー・アルバム。デビュー前はCurtis Mayfieldのところで下積みを経験、その時代にミュージシャン仲間とのコネを作り、このアルバムでもギターで参加しているKing Curtisの引きによってメジャー・デビューという流れ。
 ちなみにビルボードでは最高73位、R&Bチャートで最高33位というまことに地味なスタートだった。当時の反応がどうだったのかはわかりかねるけど、正直大ヒットするような作風ではない。

 1970年のソウル・ヒット・チャートで目立ったのが断然Slyの”Thank You”で、その後にCurtisが続いており、ニュー・ソウルの流れがチャートにも影響を及ぼし始めているのがわかる。この年は70年代ポップ・ソウルの頂点であるJackson 5がデビューしているし、スタックス/ヴォルト系の泥臭いサザン・ソウル勢ら、いわゆる保守層が上位にチャート・インしているのだけど、Edwin Starの”War”やTemtationsの”Ball of Confusion”など、保守層の代名詞ともいうべきモータウンでさえ、従来のよう伝統的なソウルに捉われないサウンドを続々送り出している。
 そんな玉石混交なチャートにおいて、Donny も”The Ghetto” を10位に チャート・インさせている。これまでのヒット・パターンやフォーマットに基づいた商品ではなく、作り込んだサウンドやコンセプトを前面に出して、表現手段としてのステップ・アップが、この時期のソウル・ミュージックの大きな特徴である。

cde0d616
 
 当時のソウル系のアルバム・ジャケットといえば、大抵はきちんとしたスタジオでニカッと歯を見せながら笑う、アップのポートレートが多かった。アングルやシチュエーションは違えど、真っ白な歯を強調するような満面の笑み、それはソウル・アーティスト共通の表情である。
 考えてみると、これってポピュラー系だけの現象で、ジャズのジャケットにはあまり見られない。管楽器系は口元がふさがってるので仕方ないとして、鍵盤や弦楽器、打楽器系のミュージシャンにも笑顔はなく、大抵は深刻な悩みを抱えたシリアスな表情でフレームに収まっている。確かに演ってる音楽の性質上、天真爛漫な笑顔は似合わない気はする。もっと昔のビッグ・バンド系ならともかく、モダン・ジャズに笑顔はあまり似合わない。

 で、ここでのDonny 、その例に漏れず、確かに満面の笑みである。ダウンタウンの壁際で子供たちと手をつなぎ、日本で言うところの「かごめかごめ」っぽい遊びに興じている。その表情には一点の曇りもなく、誠実なクリスチャンとしての人柄が垣間見える。
 ただ、そのショットは引きで撮られており、デビュー・アルバムのジャケットとしてはいささか控えめ、自身も引きの立場に甘んじているようである。この後もリリースされたアルバムのどれもが引きのショットで、エゴを前面に出す様子がない。歴史的名作の『Live』は横顔のアップだけど、スタジオでポーズを取ってるのではなく、ライブ・プレイ中のワン・ショットである。
 さすがに宣材用のポートレートではキチンとしたポーズを取っているのだけど、心なしかその笑顔からは覇気が感じられず、畏まってはにかんだ程度の微笑みが多い。悲劇的な末路を知ってしまってるせいもあるのだろうけど、アーティストにしては押しが弱く、あまりグイグイ前に出るようなキャラクターではないことが窺える。

58de3c52

 そのポートレートやアルバム・ジャケットを見ると、ほとんどの場面で帽子をかぶっていることに気づく。大きめの白いハンチングがお気に入りだったらしく、紹介される際に使われる写真では、大体これをかぶっている。
 たまに被ってない写真もあるのだけど、別に頭髪が薄いわけでもない。単にオシャレで被っていたということになるのだけど、ここまで徹底してるとなると、どうやらそれだけではなさそうである。いやもちろん、似合ってはいるんだけどね。

 心理学のフィールドでは「帽子と仮面の違いによる精神分析」というのがあるらしく、「仮面」は劣等感を隠すためのもの、変身願望 を表す象徴である、とのこと。自我の隠蔽によって、別の人格を演じてカタルシスを得る、というのは何となくわかる。仮面とはちょっと違うけど、ロックにおける過剰なメイクの歴史を紐解いてみると、納得できる部分が多い。
 あれだけヒットを連発したKissも素顔でやってた時はセールスがガタ落ちしたし、70年代のDavid Bowieもアルバムごとに、キャラクターからコンセプトからまるっきり変えてパラノイア気味だったし。デーモン閣下は‥、まぁあれは「素顔」か。
 
51beb7a3

 で、「帽子」という意匠はそのまったく逆であって、被ることによって自我の強調を表しているとのこと。隠すべき自我ではなく、自我そのものの顕示、剥き出しのエゴを象徴しているらしい。
 帽子をかぶってるアーティストといえば、と記憶を探ってみたのだけど、手塚治虫か藤子不二雄Fなど、漫画家ばかりしか思い浮かばなかった。アーティストのパーソナルとはプライベートのそれとは別人格なので、よほどの天才でもない限り、多かれ少なかれ演じるという部分はついて回るのだろう。

 ミュージシャンで誰かいないものか、と記憶を辿っていった結果、やっと思い出したのがThelonious Monk。
 彼もDonny 同様、残されてるポートレートでは帽子をかぶっていることが多い。Monkの場合、その帽子がすっかりトレード・マークとなってしまったため、外すに外せなくなってしまった事情もあったらしい。ただそこまで行っちゃうと逆に開き直って色々なデザインを試すようになり、中国帽・コサック帽・山高帽など、多種多様なファッションで聴衆を楽しませている。

 「リハーサルを一切行なわない」「いきなりステージ上で踊り出す」など、その奇行振りが大きく取り沙汰されたMonkだけど、音楽的な評価、特に同業ミュージシャンからは羨望の的とされ、独特のリズムやコード展開、エキセントリックな演奏スタイルは多くの後続ミュージシャンらの指針となった。
 多くのモダン・ジャズ・レジェンド同様、Monkもまたキャリアのピークは50〜60年代にかけてである。その間に歴史的なアルバムを数々残し、多くのミュージシャンと共演した。
 そんなMonkも70年代に入ると急激に活動ペースが落ちる。以前からその気配はあったのだけど、長年押さえ込んでいた躁鬱病が深刻になり、ステージはおろか人前に出ることも困難になった。ほとんどすべての演奏活動から手を引き、あとはひたすら内向きの世界に隠遁してしまった。その後、ステージに上がったのはほんの数回程度、いずれの時も往年のMonk’s Magicが訪れることはなく、脳溢血で亡くなるまで引き篭もり、失意の晩年 を過ごした。

_Gottlieb_06191)

 終生唯我独尊な態度を貫いたMonkと、敬虔なクリスチャンだったDonnyとを単なる帽子つながりで比較してしまうのは、俺的にもちょっと強引過ぎるんじゃないかと思ったのだけど、どちらも強烈なオリジナリティを有していたのは確かである。
 なので、正確に言えば「帽子をかぶることがライナスの毛布となって、自我の発散を促していた」ということなんじゃないかと思う。

 このアルバムからは、従来のソウル・ミュージックでは収まらない才能のほとばしりが感じ取れる。使い古されたパターンではなく、ゴスペルやジャズ、ファンクの要素も一緒くたにされているにもかかわらず、すべての構成要素がギリギリのところでハーモナイズされているため、統一感がある。新人のデビューとしてはかなりの完成度ではある。
 ただ、そのサウンドは熟成された「静」のグルーヴが流れており、勢いは感じられない。ソウルというよりはシンガー・ソングライター的、内省的なムードが漂っている。ニュー・ソウル・ムーヴメントのカテゴリーに入れられたのも納得できる音作りである。
 彼の作り上げたその繊細なサウンドは、70年代初頭という時代に受け入れられたのだけど、そのあまりの完成度は「ここ」が到達点であることも同時に意味しており、その後の展開に彼は苦しめられることになる。

 晩年のMonkはそのトレード・マークであるはずの帽子を脱ぎ捨てていた。自己顕示とはまた別の、他人には理解しがたい世界で彼はメロディを奏でていたのだろう。
 Donnyが命を絶った時、帽子を被っていたのか。
 それはわからない。


Everything Is Everything
Everything Is Everything
posted with amazlet at 16.02.16
Donny Hathaway
Imports (2000-03-13)
売り上げランキング: 183,413




1. Voices Inside (Everything Is Everything)
 ジャズのフレーズを奏でるベース、次に飛び込んでくるのはゴスペル・コーラス、ホーン・セクションもピアノも基本はジャズなのだけど、どこかソウルの香りも漂ってくる。ソフトな響きの音を出すPhil Upchurch(b)のプレイも影響してるのだろう。
 ちなみにこの曲を捧げられているHerb Kentとは、シカゴのAMラジオWVON(The Voice of A Nation)のDJ。



2. Je Vous Aime (I Love You)
 オーソドックスなスウィート・ソウル。この曲はDonnyの妻Eulaulahに捧げられており、これは終盤のPhilが弾くギター・ソロが聴きどころ。

3. I Believe to My Soul
 初出は1959年Ray Charlesがオリジナル。ブルースを基本としながら、歌心にあふれた曲をこの時点で書いていたことに、辛気臭いブルースが全盛だったこの時代においては異色だったことが窺える。
 もちろんRayほどパワフルではなく、どこか線の細さが見え隠れするDonnyのヴォーカルは、まぁ好き好き。俺はこういった情けなさの漂うソウルは好きだけどね。Marvinだって似たようなものだし。

4. Misty
 もともとはジャズ・ピアニストErroll Garnerが1954年にリリースしたのが初出だけど、実際にヒットして知れわたるようになったのはJohnny Mathisのヴァージョン。その後もElla FitzgeraldやSarah Vaughanなど大物ジャズ・ヴォーカリストによるカバーが続くのだけど、ポピュラー畑でこれをカバーしたのは比較的早い方。
 スタンダードのニュー・ソウル的解釈で、これまでこういったスタイルを理想形としてMarvinが何度も挑戦してそのたび玉砕したのを、ここでDonnyは軽々とアベレージをクリアしている。

3d1c4618

5. Sugar Lee
 スロー・テンポで紡がれる、和気あいあいと言った雰囲気のジャム・セッション。なので、それほど厳密な構成ではないのだけど、Donnyとシノプシスを共作したRic Powellの鳴り物プレイは必聴。彼がこのセッションをリードしているといっても良い。そんなサウンドの中で縦横無尽に自由に駆け巡るDonnyのピアノ、ヴォーカライズ。

6. Tryin' Times
 レコードで言えば、これがA面ラスト。最後はシンプルなピアノ・ブルース。大学時代の盟友Leroy Hutsonとの共作であり、同じく同窓だったRoberta Flackに大きくインスパイアされている。まぁシンプルなブルースなので、習作といった趣き。

7. Thank You Master (For My Soul)
 ここからB面スタート。このアルバムでは唯一Donny単独の作曲クレジットとなっている。シンガー・ソングライター的な印象が強い彼だけど、実際キャリアを通して単独での曲は少なく、大抵はLeroyや後にはRobertaなど、または知る人ぞ知るといった感じのマイナー曲のカバーが多い。自己主張がもっと強くてもいいはずなのに、どこか他人に助けを必要としてしまうところが、終生断ち切れなかった線の細さともつながるのだろう。
 この曲も単純なソウル・ナンバーではなく、ジャズ的展開のコードやテンションが散りばめられて、エモーショナルでありながらどこかクレバーな側面が垣間見える。
 最後のフレンチ・ホルンの響きにいつもドキッとさせられる。

hqdefault

8. The Ghetto
 Donny自らつま弾くウーリツァーに導かれて、この頃はまだ珍しいアフロ・ビートが展開する、大きなヒットとなったこのアルバムの中のキラー・チューン。オルガン・ソロとスキャット、野太いコーラス、もともとはジャム・セッションのワン・シーンを切り取ったようなサウンドなので、どこから聴いても良く、そして何時か続いても心地よい安息の空間。
 ライブではもう少しテンポ・アップするのだけど、俺的には最初に聴いたこのヴァージョンが一番落ち着いてすき。グルーヴィーだけど、どこか客観的に冷めた頭脳のDonnyには、この冷静さが似合っている。



9. To Be Young, Gifted and Black
 このアルバムと同年にリリースされたNina Simoneのナンバー。共作者にはあのWeldon Irvineが共作者として名を連ねている。タイトルから察せられるように、この時期のNinaは黒人社会の地位向上・意識改革に燃えていた頃。それに煽られた形でWeldonなどの周囲のミュージシャンらも意欲作を制作することになるのだけど、その熱さに煽られた一人がDonnyであり、その後もAretha Franklinが続いてカバーすることになる。ずっと後にElton Johnがカバーしてるらしいけど、何かの冗談か?
 そういったメッセージ性は抜きにして、ひどく素晴らしい曲である。基本、こちらもブルース・ベースの曲なのだけど、黒人への迫害を歌にしていながら、きちんとしたエンタテインメントとして成立しているのは、やはりNinaのスターたる所以だろう。
 正直、Donny1が歌わなくても全然曲の良さは変わらないのだけど、デビュー作でありながら、きちんと自分なりに解釈でもってこの曲を料理しているのは、やはり才能のなせる力か。



10. A Dream
 初リリース時には収録されていなかったけど、後にCDの時代になってからは、ボーナス・トラックとして定番になっている。こちらもエモーショナルあふれるバラードで、なぜ当時収録されなかったのか不明なくらいの良い出来。
 コーラスは入ってないけど、ゴスペル的な響きに聴こえるのは、主題が神だから。敬虔なクリスチャンでもあるDonnyだからこそ歌える内容であり、その歌声には一点の曇りもない。




Never My Love: the Anthology
Never My Love: the Anthology
posted with amazlet at 16.02.16
Donny Hathaway
Atlantic (2013-11-12)
売り上げランキング: 61,860
DONNY HATHAWAY - ORIGINAL ALBUM SERIES
DONNY HATHAWAY(ダニー・ハサウェイ)
Warner Music (2010-02-27)
売り上げランキング: 6,921
サイト内検索はこちら。

カテゴリ
アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
最新コメント