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Brian Wilson

ブライアン・ウィルソンがブライアン・ウィルソンであるためのアルバム。 - Brian Wilson 『Smile』


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  苦節37年、ついにブライアン・ウィルソン本人監修でリリースされた「幻の」アルバム『Smile』。ちなみにこのアルバム、ジャケット・アートワークや楽曲リストが流出したことから誤解されているけど、発売を見合わせてお蔵入りしたわけではない。リリース・スケジュールに合わせるため、レコード会社が勝手に勇み足で曲順やデザインを勝手に決めて発注しただけであり、今回が初めてアーティスト側の意向を組んだ形となっている。
 一応、ブライアンお墨つきとなる『Smile』決定版は、当時のマスターテープを参考としつつ、その多くは現在のツアー・メンバーでリテイクされている。当初から収録予定だったメイン・トラック「Good Vibrations」も「英雄と悪漢」も、2004年時点での音質クオリティにアップコンバートされているのだけど、基本構成は当時のまま。
 なので、かつての少年:70オーバーのブライアンのヴォーカルを感慨深く受け取るか、はたまた切なさを憂うか、それは意見の分かれるところ。
 ビーチボーイズもうひとつの代表作『Pet Sounds』同様、これまでさんざん研究し尽くされ、また語り尽くされてきたアルバムなので、「何を今さら」感はあるけど、一応、これまでの経緯を整理してみる。

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 これまでの「夏だ!海だ!サーフィンだ!」のイメージから大きく逸脱した『Pet Sounds』、評論家筋やイギリスのウケは良かったけど、本国アメリカでは微妙なセールスに終わる。
 一方、レコーディング技術を駆使することで、消費サイクルの早いポップソングを、後世に残るアート作品へステップアップできる可能性を見出したブライアン、そのメソッドを突き詰める次回作『Smile』に着手する。
② 取っ掛かりとして『Smile』、「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」という、おそらくブライアンにしか理解できないコンセプトが掲げられた。『Pet Sounds』で意気投合したヴァン・ダイク・パークスをパートナーとしてシノプシスを書き、おおよその概要が見えた頃合いで、ブライアン主導によるレコーディングが開始された。
 ヒット曲や適当なカバー曲を寄せ集めた、これまでのポップ・アルバムと違って、テーマに沿って書かれた小曲をつなぎ合わせた組曲スタイルのコンセプト・アルバムのハシリとなったのが『Pet Sounds』で、そこにシンフォニックな要素を加えたのが、ビートルズ『Sgt. Pepper’s~』だった。田舎町リバプールのチャラ男たちの才能に触発されたブライアンは、その上を行こうと奮起する。
 個々の楽曲単体で起承転結を描くのではなく、ひとつのメロディを転調したりテンポを変えたり、または反復させ、様々なエフェクトや効果音、ハーモニーをブリッジにしたストーリー展開が、『Smile』の初期構想だった。膨大な素材を必要とするため、ブライアンは短いフレーズやモチーフとなるメロディを大量に録音した。コラージュとも言うし、今ならマッシュアップの手法。
 おそらくこの時点で、ブライアンの頭の中では、すでにおおよその完成形は見えていたはずだけど、何百テイクに及ぶ大量の素材を組み合わせて理想の形に仕上げるには、スケジュール的にも技術的にも限界があった。理想のビジョンはあっても、実作業にあたるスタジオ・エンジニアとは齟齬が出るし、当時の機材スペックでは、リズムやピッチもどうしてもズレる。 
 理想と現実のギャップが埋まらず、時間ばかりが過ぎてゆく。
 絶え間なく襲ってくるプレッシャーとストレスを酒とドラッグで紛らわす、一進一退の悪循環に陥るブライアン。「消防士の帽子を被り、スタジオ内で火を焚いてレコーディングした」というエピソードに象徴されるように、もう彼の精神は限界だった。 
 ほどなく『Smile』は製作中止が決定、ブライアンはそのまま永き隠遁生活に入る。ただそれはそれ、新アルバムのリリース・スケジュールは動かせない。 
 大量に残されたデモテープの中から、手直しすれば使えそうなものをピックアップして、ブライアン以外のメンバーがどうにか形にした。それが『Smiley Smile』。
 そんないわく付きのアルバムだったため、グループ的にもレコード会社的にも、できれば「なかったこと」にしたかったのだけど、人伝えで伝説のヴェールは日増しに広がってゆく。また『Smile』がらみだと話題になるものだから、その後も未発表テイクが小出しに発表され、音楽マニアの渇望感を煽り続けてゆく。
 そんなこんなで月日は過ぎて80年代末、どうにかブライアンが社会復帰、初のソロ・アルバムをリリースする。ただこの時は、悪名高い精神科医ユージン・ランディが横にくっついていたため、ほぼ彼の操り人形状態。自分の意思があるかどうかもあやふやなため、完全復活とは言えず。
 家族やメンバーらの助力によって、トラブルメーカーだったユージンとのパートナーシップを解消し、ここからが本格的なブライアン復活。こちらもある意味、呪縛となっていた『Pet Sounds』の全曲再現ツアーを敢行、さらに勢いづいて、ついに2004年、『Smile』の落とし前をつけることを決意するのだった。 

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 …案外長くなった。5行程度でまとめるつもりだったのに。 
 これでもだいぶはしょってるけど、何しろ40年だから、これくらいになるか。 
 さらに補足すると、
 2011年、膨大な未発表セッション音源をまとめた『Smile Sessions』が、ビーチボーイズ名義でリリースされる。ほぼ時系列にそってCD5枚組にまとめられ、5枚目は全25曲「Good Vibrations」別テイクという、もうマニアにとっては垂涎の代物。
 もはやビギナーなんて相手にしない、ハイエンド・ユーザー向けの学術資料とまで言い切ってしまえる重厚感は、ボックスの重さだけにとどまらない。 
 足かけ40年にも渡った『Smile』問題は、これで一応、決着となった。ブライアン本人による完成形が提示されたことで、なかば妄想めいた憶測も解消された。 
 ただ、在庫一掃総ざらいを謳った『Smile Sessions』だけど、実はまだ収録されていないテイクが残っており、研究家・マニアによる発掘作業は続いている。オフィシャルでは補完しきれない音源を網羅するブート界隈では、真偽のほどはともかく、いまだ『Smile』音源はリリースされ続け、手堅い定番アイテムとなっている。 
 逆に言えばビーチボーイズ、『Pet Sounds』『Smile』両巨頭の注目度が飛び抜けて高かったため、他のアルバムはほぼ「知らんけど」扱いである。レコード会社的には悩みの種でもある。 
 全盛期の60年代アルバムのリイッシューがほぼ済んでしまったため、近年は70年代作品のリイッシューが進んでいるのだけど、正直、ラインナップ的にはショボく、格落ち感は否めない。イヤさすがに無理やり感あったよ、『Beach Boys' Party!』のデラックス・エディション化は。 

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 21世紀に入ってから、ほぼ恍惚の人状態だったブライアンにとって、『Pet Sounds』も『Smile』も、すべてはもう終わったことだった。なので、自ら進んで完結させる気は、毛頭なかったんじゃないかと思われる。 
 ただ、自分がステージに立って歌うことで、みんなが喜んでくれる。そのナチュラルな善意のみで、ブライアンは重い腰を上げた。 
 メンタル面・体力面で不安があった彼が、世界ツアーを完走できるようになったのも、ツアーのレギュラー・メンバーであり、よき理解者であるワンダーミンツ:ダリアン・サハナジャのサポート失くしてはあり得なかった。ミュージシャンである前に、熱狂的なビーチボーイズ・マニアだったダリアンは、身勝手で気分屋で駄々っ子のブライアンに根気強く寄り添った。 
 少しずつ音楽への関心を取り戻していったブライアンは、世代も立場も違うはずのダリアンと向き合い、いろいろな話をした。少年時代のこと、グループのこと、家族のこと、音楽のこと。 
 起こってしまったことは、すべてよいことだ。忘れたくなる思い出なんて、所詮、その程度のものだ。 
 ダリアンは焦らずゆっくり、ただ耳を傾けることで、ブライアンの凝り固まった心をほぐしていった。特別、何をするでもない。ただ、そばにいて話を聞くだけ。ユージンなら時間単位で診察料が発生するけど、ダリアンは物質的な何かを要求することはなかった。 
 ふと、ピアノで「God Only Knows」のイントロを奏でるダリアン。 
 「あぁ、そこはこうで…」。言葉少なにキーを探るブライアン。 
 勝手な想像だけど、そんな音楽を通した対話によって、ブライアンの気持ちも前向きになってゆく。少しずつ、ゆっくりと。 

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 「過去の自分と向き合う」ため、『Pet Sounds』の全曲再現ライブに挑んだブライアン―。というのが大方の見解なのだろうけど、おそらくそんな大それたものではない。
 まわりのみんなが求めてくるし、喜んでくれるから。そんな単純な発露だったんじゃね?と、ブライアンを聴くたび、そう思う。 
 時々、ネガティヴになったりもするだろうけど、おおむね21世紀以降のブライアンのメンタルは安定している。いつもコピペで張りつけたような同じ笑顔で、発言もしどろもどろではあるけれど、少なくとも今の生活に大きな不満はなさそうである。
 強烈すぎる体験は、脳が記憶することを拒否する。自己防衛反応がうまく働かなかった時期のブライアンは、自身の殻に閉じこもり、食っちゃ寝の無限ループだった。
 歳を経ることで、イヤな記憶は薄れ、よかった想い出だけが鮮明に残る。 
 自浄作用とは、人が生き続けるための前向きな意思表示だ。

 好評のうちに『Pet Sounds』プロジェクトが一段落し、休む間もなくブライアン、ついに『Smile』完結を決意する。多分、ダリアンあたりが終わった頃合い見て、それとなく勧めてみたら、勢いでOKしちゃったんだろうな。その辺のタイミングは心得ていただろうし。
 ただ承諾したとは言っても、そこから翻意したりドタキャンしようとしたり、一進一退はあっただろうけど、多分、周囲のスタッフもその辺は織り込み済み。なだめすかしたり短いブランク入れたりして、ほぼダリアン主導でトラック作成、事あるごとにブライアンの確認を得て、『Smile』は完成した。
 決着を見たことで、呪縛から解き放たれたわけではない。「囚われている自身を充分把握できていない」っていうか。時々イヤな記憶がぶり返したりするけど、褒められるとそれも忘れちゃうし、しかもやればできるタイプだしブライアン。 

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 前回のレビューの続きとして、長々書いてきた。で、ここまで来てアレなんだけど、個人的には『Smile』、実はそこまで入り込めていない。
 ブライアン版だけではスッキリしなかったため、『Smiley Smile』『Smile Sessions』にまで手を出したのだけど、余計にワケわかんなくなった。 
 なぜ『Smile』は、俺が深く踏み込むのを拒むのか。ちゃんと考えてみた。
 レコーディングを控え、ブライアンは「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」というコンセプトを掲げた、と前に書いた。華やかなロックスター・ライフを満喫していた反面、ブライアンの青春は決して幸福なものではなかった。 
 ロサンゼルスの機械工マリー・ウィルソンは、若い頃に成し得なかったミュージシャンの夢を、3人の息子に託した。厳しい指導は次第にエスカレートしてゆき、時に手が出ることもあった。
 鉄拳制裁が長じて、長男ブライアンは右耳を強打、聴力は永遠に失われた。ステレオ録音がメジャーとなった60年代後半においても、彼がモノラル・レコーディングにこだわり続けたのは、それもまた一因である。
 彼の息子と友達を中心にビーチボーイズが結成され、マリーはマネージャーに就任する。大して実績のない学生ローカル・バンドにマネジメントが付くのも何か変な話だけど、コワモテで弁の立つ大人が交渉役になったことで、早々にキャピトルとのリリース契約にこぎ着ける。 
 兄弟の中で最も才能があったのがブライアンであり、マリーからのプレッシャーや風当たりが強いのも彼だった。息子に期待を寄せていた反面、おそらく自身との才能の差に嫉妬していたのかもしれない。
 ブライアンにとって、曲を書く行為は純粋な悦びであり、また父の機嫌をなだめるための処世術だった。
 「サーフィンの歌を書いてるのに、サーフィンが嫌い」。当時のブライアンが置かれた状況を端的にあらわしているエピソードである。
 ヒット曲を書くことを強いられ、ステージでは精いっぱい陽キャを演じていたけど、素のブライアンは真性の陰キャでインドア派で、地味で控えめな人格だった。強欲な父に脅され尻を叩かれながら、彼は陽気で笑顔で脳天気なポップソングを量産した。
 陽気な笑顔の裏側で、ブライアンは泣くのをこらえていた。長く演じているうち、その笑顔は張りついて戻らなくなった。その笑顔は、いま現在も続いている。

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 ブライアンが経てきた道程は、一見華やかなものであったけれど、その実情は散々たるものだった。きらびやかな栄華の裏側で、ブライアンは父からのプレッシャーに怯え、また他メンバーらの嫉妬、または無関心を嘆いた。彼にとってのリアルな青春時代とは、忌むべきものであったのだ。
 その反作用として、彼は理想の青春時代、ほんとはこうあるべきだった10代の日々、そして視点を再構築しようと試みた。それが『Smile』の真の姿だ。
 ここで描かれる世界観は、ブライアンが思うところの「理想の青春」、そして生活。朗らかで快活な、それでいてナイーブな少年少女たちの独白と讃歌。ほんの少しの感傷と迷走が、アクセントとして作用する。
 こうやって書いてると、ヘッセの世界観とリンクするところ多いんだよな。宗教観の違いだけで。「荒野のおおかみ」なんて、まんまブライアンのもうひとつの人生だもの。
 で、その世界観はブライアンの中で枯れることなく、40年ずっと地続きのままだった。ただ、そのニュアンスを70代のかすれ声で表現するのは、やはりちょっと無理がある。「伊代はまだ16だから」を自虐半分で演じるなら受け入れられるけど、本人にマジ熱唱されてしまうと、ちょっと引いてしまう。ジャンルは大きく違うけど、そういうことだ。

 時を経て、周囲の好意と努力によって、『Smile』は完結した。ただ「完結した」という話題性が先行して、客観的な音楽的評価がしづらくなっているのも、また事実である。 『Pet Sounds』『Smile』推してりゃ、取り敢えず音楽通っぽく振る舞える風潮もまた、ブライアンの真意を見えづらくしている。
 なのでこのアルバム、単体で好評だったヒット曲「英雄と悪漢」「Good Vibrations」はともかく、アルバム総体では、第三者目線での批評が機能しづらい。他人の評価とは別次元の、「ブライアン・ウィルソンがブライアン・ウィルソンであるためのアルバム」というのは、そういうことだ。




1. Our Prayer / Gee 
 ファンファーレ的な位置づけのアカペラと、ガーシュインっぽい小曲との組曲。ビーチボーイズ版では別々だったけど、ここでは自然にシームレスな流れで構成されている。
 コーラス・アレンジもベーシックなアンサンブルも、ほぼ初期テイクと変わりなく、「楽曲単体としてはすでに完成し尽くされていた」というブライアンの意向がダイレクトに反映されている。
 なので、この曲に限らず、ほぼどれも1967年時点のアレンジを踏襲している。唯一、大きく違うのがブライアンの声質なのだけど。
 躍動感あふれる20代と紆余曲折を経てきた60代、まったく性質の違うヴォーカルを同じ土俵で比較するのは無意味だけど、「ティーンエイジ・シンフォニー」というコンセプトを通してみれば、前者の方が意に沿ってはいる。
 ただここで大事なところ、ブライアン自身は歳を取っていない。あくまでブライアン的には。ブライアンのためのアルバムなので、我々はただ、降りてきた音と言霊を黙って受け取るだけなのだ。

2. Heroes and Villains 
 1967年、『Smiley Smile』からシングルカットされて、当時、ビルボード12位にランクインしたのが信じられないくらい、凝りに凝った複雑な構成を持った曲。4分弱の中でコロコロ曲調が変わるので、ラジオでかかりづらかったことが察せられる。大雑把なアメリカ人が受け入れたことが不思議でならない。 
 ちなみに『Smile Sessions』では、1枚丸ごと「英雄と悪漢」のアウトテイクのみで構成されているパートがあり、それだけ制作に紆余曲折があったことが窺える。コーラスだけ・ハープシコードだけのテイクが山盛りで、マニアや研究家にとっては垂涎なんだろうけど、堅気の人が聴くものではない。個人的には面白いんだけど。
 で、この曲でスイッチが入ったのか、ヴォーカルは最新のブライアンがベストテイク。見かけの若さじゃなくて、曲のコンセプトに準じた若さと言う意味で。





3. Roll Plymouth Rock 
 初期タイトルは「Do You Like Worms?(ミミズは好き?)」だったけど、ブライアン版では「あばれるニワトリ」に改題されている。どっちにしろ、意味わかんない。
 ブライアン的には「こっちの方がいいと思ったから」ということらしい。すべては、ブライアンの意に沿うままに。そういうことだ。 
 『Smile』収録曲全般に言えることだけど、単一のフレーズを発展させたものではなく、あらゆるシノプシスを複合的に組み合わせた組曲スタイルが多く、この曲もあっちへ行きこっちへ行きで、ちょっと気を抜いてると全然別の曲になってたりする。
 ハンパない集中力が求められるアルバムなので、キチンと対峙して聴き込まざるを得ない。長いことマニアが掘り続けていたのも納得できる。今さらだけど。

4. Barnyard 
 「英雄と悪漢」セッション時に録音された、動物の声帯模写を主体とした小品。歌いやすいメロディは、全盛期のビーチボーイズを踏襲している。もともと単体ではなく、「英雄と悪漢」に組み込む予定だったらしい。
 今回、独立させた意味は不明だけど、アルバム/ライブ構成的にインターバルとしてちょうどよかったんだろうか。

5. Old Master Painter / You are My Sunshine
 自作曲だけでは世界観が狭くなることを危惧したのか、ここでスタンダード曲を入れてきたブライアン。ていうか、単に歌いたかっただけなのかもしれないけど、アルバムのカラーには合っている。
 ラジオ音声っぽくエフェクトされているけど、この曲も年輪を経た最新版のヴォーカルが最もよい。ただこれも、ほぼサビメロしか歌っておらず、正味1分程度。やっぱ、サビ歌いたかっただけだったのか。

6. Cabin Essence
 ちょっと肩の力が抜けた後、再びやってくる多重構造のポケット・シンフォニー。書いてて「なんか矛盾してる」って気づいてしまった。ポケットに収まるほど気軽じゃないんだよな。
 「カントリーっぽいガーシュイン」のオープニングから、凝りに凝ったコーラスの波状攻撃、再びガーシュインに戻って、また分厚いコーラス、そして二たびガーシュインへ、の円環。『Smile Sessions』聴くと、まだいろいろぶっこんでたらしいけど、これでもシンプルにまとめている。
 ここまでが、第一楽章というくくり。

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7. Wonderful
 神への敬意とティーンエイジャーへの憧憬とが交差する、アルバム・コンセプトを象徴的に描いた歌詞世界は、盟友ヴァン・ダイク・パークスによるもの。地味ではあるけど、確実にアルバムのコアに位置する曲。
 荘厳かつ繊細なメロディは、その後の数多のソングライターにも確実に影響を与えている。特にポストパンク以降、アンディ・パートリッジ(XTC)やパディ・マクアルーン(プリファヴ・スプラウト)など、いわゆるポップ・マエストロの出現を後押しした。 
 腺病質的な繊細さを目指した初期ヴァージョンはエヴァ―グリーンな輝きを放っているけど、甘さの抜けたブライアン版のヴォーカルの方が、メロディの腰の強さを引き立てている。
 歳を経ることで歌える曲もある。そう思わせてしまうだけの説得力がある。

8. Song for Children
 初期セッションでは仮題「Look」というインスト・ナンバーで、ブライアン版ではヴァン・ダイクが新たに詞を書き下ろし、現行タイトルに改題されて完成版となった経緯を持つ。『Smile Sessions』収録ヴァージョンも聴いてみたけど、ヴォーカルを入れる余地もなく、インストでも充分成立している。
 心境の変化なのか、はたまた歌入れ前に製作が頓挫しちゃったのか。その辺はブライアンにしかわかり得ない。
 膨大なアイディアをありったけ詰め込んで、時にとっ散らかった印象さえ受ける第一楽章に対し、第二楽章はひとつのテーマを深く掘り下げる方向に特化した曲が多い。変に凝り過ぎないで、このコンセプトで統一すれば、レコーディングもスムーズに運んだのだろうけど、でもそれじゃ『Smile』にならないか。

9. Child is Father of the Man
 と思ってたら、また曲調変化著しいナンバーが。初期テイクは細かなフレーズをつなぎ合わせた歪さが感じられるけど、37年経ったことでテクノロジーの進化と演奏スキルのレベルアップが、違和感を抑え込んでいる。
 ただ、ストリングスの重厚感は初期ヴァージョンの方が勝っている印象。アナログ・レコーディングの強みかね。

10. Surf's Up
 ポストパンク以降のポップ・マエストロ、いわゆる「ポップ馬鹿」たちが憧れ、そして誰もたどり着けなかった極みとも称される、ブライアン渾身のキラー・チューン。キャッチ―で覚えやすいメロディでもなければ、前向きな歌詞を歌っているわけでもない。
 でも、「なんか他のヒット曲とは立ち位置違う」ことだけは、誰でも理解できる。そんな曲。
 ピアノ一本だけでも成立するし、壮大なオーケストレーションにも負けない、しなやかな旋律。そして、それはブライアンが歌う時のみ成立する。
 万人に愛されるスタンダードとは言えないけど、その存在感の強さには、多くのソングライターがひれ伏してしまう。大げさすぎるかもしれないけど、そんな曲。
 ブライアンであれば、どのヴァージョンでもいい。時空を超えた記名性の強さは、聴けばわかるとしか言いようがない。





11. I'm Great Shape / I Wanna be Around / Workshop
 ここから第三楽章。「英雄と悪漢」セッションからの派生フレーズやスタンダード・ナンバーをメドレー構成にしたオープニング。前曲のイメージを払底し、新たなフェーズに入ることを予想させる、要するに場つなぎ的なブリッジ。
 こういうのまで忠実に再現するのだから、ブライアン的には必要なパートなのだろう。細切れで聴くとつまんないのは、コンセプト・アルバムの善し悪しである。

12. Vega-Tables
 「野菜摂取を勧めることで、万人を健康にしたい」という発想から飛躍に飛躍を重ね、なぜか「人々を野菜に変えてしまいたい」というテーマにたどり着いた、ほんとか冗談かわかりづらい世界観。当時、いろいろ追い込まれてたブライアンならあり得るか。
 もろもろのプレッシャーもあって、こじれにこじれてた当時のブライアン、一説にはこの曲、未完成とされている組曲「The Elements」の一部とされている。レコーディング中に消防士のヘルメットをかぶったりスタジオ内で火を焚いたり、何かとスピリチュアルかつキンキ―なセッションの産物なので、これももしかして、カボチャやズッキーニ振りかざしながらレコーディングしていたのかもしれない。
 …冗談だよ、本気にすんなって。

13. On a Holiday
 もともとインスト・テイクしか残っていなかったのを、このアルバムを機にヴァン・ダイクが新たに詞を提供、これが決定版となる。オリジナルも陽気でドラマティック感は薄く、なんでわざわざこの曲をリテイクに選んだのかは不明だけど、箸休め的にこういった曲もあった方が肩が凝らない。

14. Wind Chimes
 ピアノとハープシコードを主体としたポップバラード。最初の『Smile』セッションでも初期に作られた楽曲なので、そこまで大きな捻りはない。ただ、ハーモニー・アレンジからは強いこだわりが窺える。

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15. Mrs. O'Leary's Cow
 前述した「The Elements」の中核を担うパート「Fire」のリテイク。よくこんなの再録音させようとしたなダリアン。初期レコーディング直後に原因不明の火災に見舞われて、スタジオ全焼しちゃったトラウマ抱えているはずなのに。
 ていうかブライアン、もう忘れちゃったのかな、そういうネガティヴな出来事って。 
 そんなバイアスがかかっている曰く付きの曲なので、前評判は高かったのだけど、当然のことながら仕上がりはスッキリちゃんとしてて、案外普通。初期構想の火・水・木・気の4部作であれば、また違ったテイストになっていたのかもしれないけど、でもスッキリ納めちゃうんだろうなダリアンなら。

16. Blue Hawaii 
 初期セッションでは「Love to Say Dada」「I Love to Say Da Da」「Da Da」「All Day」などあらゆる名称で呼ばれ、その後、『Sunflower』制作時に「Cool, Cool Water」としてリメイクされ、最終的にこのタイトルで決定版となった、大事にされてるんだかされてないんだか、よくわからない曲。
 『Smile Sessions』に収録されているだけでも3テイクあるので、どうにかしようと思ったけど、当時は消化不良で終わっちゃったんだろうな。

17. Good Vibrations 
 ラストは超有名なこの曲だけど、あまりにヒットしたし誰でも聴いたことくらいはある曲なので、なんかここに収録されても今さら感がハンパない。イヤ、ここから始まったってことは知識としては知ってるんだけど、フラットな状態で聴き進めてラストがコレだと、やっぱなんか浮いてる。 
 本文でも書いたように、『Smile Sessions』ではこの曲だけでCD1枚使っているくらいだけあって、ブライアン/ビーチボーイズの歴史的にも外せないことはわかる。わかるんだけど、でも。 
 いっそのこと、アウトテイク全部詰め込んでボーナスCDつけた方が良かったんじゃね?とまで思ってしまう。多分買うよ、マニアだったら世界中にいるし。














歳をとると、いろいろ寛容になれる。 - Brian Wilson 『Brian Wilson』


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 前回の流れから、近年のビーチ・ボーイズのリリース状況を調べてみたのだけど、1969〜1971年のセッションやアウトテイクをまとめた5枚組ボックス『Feel Flows』が8月にリリースされるとのこと。アルバムでいえば『Sunflower』から『Surf's Up』の製作期にあたり、全135曲中108曲が未発表だって。ただラインナップを見てみると、カラオケのみとかアカペラのみ、またはライブ音源が多くを占めており、純粋な未発表曲はそれほどなさそう。まぁマニアにとっちゃ、未発表なら何だっていいんだよ。
 これまで濫造されてきたベスト盤やボックス・セットのたび、またリイッシューごとに発掘・追加収録されてきたビーチ・ボーイズの未発表音源。さすがにネタも尽きかけているのか、よくわからない別ミックスやスタジオ内の雑談があったりして、とにかくテープに残ってるモノは全部公式音源化してしまえ的なヤケクソ感も漂っている。
 ただ見方を変えると、60年に及ぶキャリアを持つビーチ・ボーイズの著作物をクロノジカルに分析する為には、こういった基礎資料の発掘・分類作業は欠かせない。同類の検証作業は、特にジャズの分野では盛んであり、マイルス・デイヴィスやコルトレーンなんかは、世界中のファン有志によって、世界中の放送音源から起こした発掘ライブがリリースされ続けている。
 キャピトルの倉庫には、まだまだビーチ・ボーイズの没テイクや詳細不明のデモ音源なんかが眠ってそうなので、今後のリリース計画も目処は立っているんだろうけど、問題はテープの劣化。ある程度仕分け済みの音源なら、すでにデジタルへのトランスファーは済んでいると思われるけど、まだ積み上げられたままのテープなんかは、さすがにそろそろヤバそう。

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 CBSと契約更新しなかった(できなかった)ビーチ・ボーイズは、戻り戻って古巣キャピタルに復帰することになる。そのキャピトル契約前のほんのすき間の時期、日本でもヒットしたトム・クルーズ主演映画『カクテル』の主題歌として、「ココモ」がシングル・リリースされている。
 当時、アイドル的人気を誇っていたトム・クルーズの魅力だけにフォーカスした映画だったため、内容なんてあってないようなものだし、見た覚えのある俺でさえ、どんな映画だったかなんて、さっぱり覚えてない。アカデミー賞に引っ掛かるような映画ではないけど、トムのブランド・パワーによって映画は大ヒット、相乗効果で「ココモ」も大ヒット、「Good Vibrations」以来、実に22年振りの全米No.1を獲得することになる。
 ただ「ココモ」、いわば映画のテーマに沿った企画モノであり、ブライアンがスケジュールの都合で参加していないこともあって、通常のビーチ・ボーイズ・サウンドとは別路線である。ブライアンの不在もあって、彼ら本来のウリである、繊細かつ流麗なハーモニー・ワークはなく、ラフなユニゾン・コーラスに取って替わられている。
 サウンドトラックという都合もあって、プリプロもレコーディングも充分な時間が取れず、差し迫ったスケジュールに追われての安直な作りだけど、リゾートっぽさを演出するためフィーチャーされたスティール・ドラムの音色は、パーティ・バンドである彼らの本質をうまく突いている。トム・クルーズ様さま、いわば棚ボタ的なヒットではあるけれど、これで彼らの再評価の機運が高まり、キャピトルがその勢いをうまく引き継いだ。今も続く『Pet Sounds』商法の礎となっている。
 初期の「サーフィン・U.S.A」に象徴される、「夏だ!」「海だ!」「ビーチ・ボーイズ!」といったステレオ・タイプのブランド・イメージを踏襲しつつ、シンセ中心の80年代モダン・サウンドにコーディネートするのが、CBSの基本戦略だった。コンセプトとしては間違ってはいないのだけど、プロデューサーのテイストが強すぎて、彼らのパーソナリティが不透明な楽曲も少なからずあった。
 前回レビューした『Beach Boys '85』は、いま聴くと、レトロ・ポップからAORバラードまで、バラエティ感あふれる良質なポップ・アルバムなのだけど、当時は「ロートルが必死こいて媚びてる」印象の方が強く、そんなにヒットしなかった。曲によってシカゴっぽくなったり、まんまカルチャー・クラブやスティーヴィー・ワンダーになっちゃったり、そんな節操のなさが、結局、どの層にもアピールしなかったわけで。
 多分契約上のしがらみがあったと思われるけど、CBSのアーカイブ/リイッシュー方針が、主に『Pet Sounds』以前の初期楽曲中心で、オールディーズの範疇を出なかったこと、なので新鮮な切り口や方向性に欠けていたことが、いまいちブレイクできなかった要因のひとつだったんじゃないかと。ホムセンやコンビニで叩き売りされている、特価CDレベルの企画しか出せなかったCBSを反面教師としたのか、キャピトルは全盛期以降の作品群にフォーカスしたことで、ディープなマニアだけじゃなく、広範な音楽ユーザーを獲得するに至った。



 細かくコツコツ、無限ループで続くと思われていた『Pet Sounds』『Smile』関連のリイッシューがひと段落し、今後のキャピトルは時系列に則った50周年エディション中心のリリース計画に移行してゆくと思われる。ただ『Surf's Up』以降のオリジナル・リリースは、ブライアン不在でマイク・ラブ主導だったり、安直なカバー・アルバムだったりで、正直、あまり面白みがない。
 何しろブライアン絶不調の時期なだけあって、アウトテイク自体少ないだろうし、セールス・ポイントも、かなりこじつけないと出てこない。なので、ちょっと間が空いてしまうけど、ブライアンが全面復帰した1977年『Love You』周辺のセッションを、無理やり45周年でまとめるんじゃないか、と勝手に予想している。
 結果的に放棄しちゃった『Smile』セッション以来、ややメンタル回復したブライアンが、本腰入れて全曲プロデュースしたアルバムであり、来年のネタはそれくらいしか思い浮かばない。5年後となると、多くのコア・ユーザーが鬼籍に入ってる可能性だってある。ビジネス・チャンスは待っててはくれないのだ。
 で、『Love You』で一旦、社会復帰を果たすことになるブライアンだけど、この時期、公私すみずみに渡ってサポートに当たっていたのが、「あの」精神科医ユージン・ランディ。この辺から関わってたのか。

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 当時、豆腐メンタルのブライアンに取り入って、「思うままの洗脳で操り人形に仕立て上げた」というエピソードから、いまだ絶対的な悪役というポジションのランディ。2014年に公開されたブライアンの伝記映画『Love & Mercy』においても、悪徳医師のカリカチュアとして、露悪的に描かれている。よく承諾したよな、こんな切り取られ方されて。
 いわゆる開業医とは違う、ランディは固定のクリニックを持たず、主にクライアントに24時間つきっきりのパーソナル・セラピーを主としていた。アリス・クーパーを始め、芸能界に多くの顧客を持つランディの評判は良く、新進気鋭の精神科医として業界内で知れ渡っていた。
 日常生活のルーティンを自力で行なえるよう管理し、心身ともリフレッシュさせて社会復帰へ導く。朝、目覚めと共に起きて適度な運動、腹八分目の食事のあと、歯を磨いて顔を洗う。ストレスのない行動と、充分な睡眠。
 こうやって書き出してみると、至極当たり前の日常なのだけど、そんなことさえ自発的に行なえないくらい、当時のブライアンが追い詰められていた、ということである。「規律正しい生活パターンを体に覚え込ませることで、メンタルも快方に向かう」というメソッド自体は、間違ってない。ただ、「医師:患者」という立場を超えた関係性は、新たな問題が生じたりする。
 「治療」と称した共同生活が長引くにつれ、2人の関係性は次第に変化してゆく。ウィルソン兄弟の長兄であるブライアンにとって、8歳年上のランディは、兄のような存在となっていった。常にリーダーシップを取らなければならなかったストレス、加えて、クリエイティブ面の行き詰まりでクラッシュしてしまった当時の彼は、近親以上の慈愛を与えてくれるランディの支配下にあった。
 そんなランディもまた、いくらビジネスとはいえ、自分のプライベートを犠牲にしているわけだから、いくら医師とはいえ人間だし、ストレスだってハンパない。同じ時間にメシを食い、同じテレビを見て同じ時間に寝て。そんな生活を続けるうち、「あくまで医療行為」といった適度な距離感は次第に狭まってゆく。個々の人格の境界線は曖昧となって溶け合い、共に精神依存する関係になってゆく。

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 なので、この2人の場合、あっちがこっちを「洗脳した」という見方は、ちょっとニュアンス違うんじゃないか、と思ってしまう。本当のところは当事者しか知り得ないことだけど、孤高の天才:ブライアンと、上昇志向むき出しの凡庸な医師:ランディとの間では、いわば「人格の相互補完」が行なわれていたんじゃないかと。
 互いの弱い面を補い、そして人格や思想は相似性を帯びてくる。他者への依存はブライアンの方が強く、精神的に優位なランディが、彼の一挙手一投足を管理する。
 鏡に映る虚像は、忠実に、そして思い通りに、自分の動きをなぞる。次第に、自分の意思で手を上げているのか、はたまた虚像の動作をなぞっているのか、判断がつかなくなる。個々のアイデンティティは、どっちがどっちかわからなくなる。
 どうにか自分でシャツのボタンもはめられるようになり、少しずつ創作活動にも意欲的になったブライアン。それは間違いなく、ランディの尽力によるものだ。ただクリエイティブな作業まで、自分の功績と取り違えてしまったのは、ちょっとやりすぎた。
 音楽の素養はなかったランディゆえ、実際に楽譜を書いたりピアノを弾いたりすることはなかった。延々続く創作作業に、興味もないのにずっと付き合ってゆくうち、次第に「自分も大いに貢献した」って思い込んじゃったのだろうか。
 客観的に見れば、セラピストの職分を超えた主張であるのだけれど、当時は双方納得していたんじゃないか、と。だってこの時期、ブライアンはランディであり、ランディはブライアンだったんだから。

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 あまりの越権ぶりに、さすがにメンバーや家族もブチ切れ、ランディは解雇、ブライアンとの接見禁止命令が出されることになる。互いに言い分はあるんだろうけど、さすがに共作クレジットはやり過ぎだよな。
 一旦は回復に向かったブライアンだけど、望まなかった環境の変化も相まって、メンタルは悪化、再度ランディが呼び戻されることになる。結局、家族やメンバーは、ブライアンの強い支えにはならなかった。これは悲しいけど、現実だ。
 キャピトルへ移籍したビーチ・ボーイズを横目に、ブライアンはソロ・プロジェクトを進めていた。「治療の一環」とかなんとか適当言って、ランディはメンバーや家族を遠ざけ、再び作品のクレジットを共同名義に書き換えていった。懲りねぇな。
 そんな経緯を辿って完成したのが、この初のソロ・アルバム。「どうにかリリースできたね良かったね」「今まで辛かったろうけど、社会復帰を果たせて良かったね、ブライアン」といった論調が強く、「クオリティがどうした」っていう声は、ほぼ聞かれなかった。
 生きながら伝説となったアーティストの新譜ということもあって、ワーナーもメチャメチャ気合を入れ、こちらもある意味、「生きる伝説」となっていた大物プロデューサー:レニー・ワロンカーとラス・タイトルマンが制作に関わっている。ただ、そんなレジェンド同士がタッグを組んだからといって、前人未到の音楽ができるかと言えば、当然そんな事もなく、記名性の高いブライアンのメロディと、80年代サウンドのトレンドに沿ったエレ・ポップに仕上がっている。まぁ、予想の範疇の仕上がりではある。
 メジャーの予算と時間と人材をたっぷり使い、ある程度のセールスを見込んだコンテンポラリーなサウンドではあるのだけれど、肝心のブライアンのヴォーカルが、…ね。まだ本調子じゃない、「心ここに在らず」の虚ろな歌声は、この時代においても時代遅れだったシンセの響きに埋もれてしまっている。
 「あの」「ブライアン」が「復活」ということで、ここ日本でもプロモーションは大がかりだったし、それに煽られた俺も、タワレコで速攻入手したのだけど、「伝説のソングライター」というバイアスがかかりすぎて、ちょっと肩透かしだった印象。雑誌レビューは、大体手放しで絶賛だったもんだから、どうにかいい所を探そうと、がんばって聴き込んだんだけど、当時は結局よくわかんなくて、そのうち聴かなくなってしまった。そういう経緯をたどったのは多分、俺だけじゃないはずだ。
 サウンド・プロダクションの古さは抜きにして、いまフラットな視点で聴いてみると、メロディやコーラス・アレンジのセンスは、独創的かつポピュラー・ミュージックの伝統に沿ったもので、そこからさらに一歩踏み込んで、高みを目指した作りになっている。商業音楽として「うまくまとめました」感はあるんだけど、でもまとまってない。創造者:ブライアンのアイデンティティは、深いモヤの向こうに隠されている。
 その曖昧なモヤに心地よく包まれながら、ブライアンはランディの導くまま、メロディを書き、機材を操り、張りついた笑顔でもって、たどたどしい旋律を奏でた。実生活はとことん不器用な男は、それでもどうにか一歩踏み出した。
 まずは、それだけで充分だ。多くを求めず、焦らず、ゆっくり待てば、そのうちいい風は吹いてくる。
 歳をとると、いろいろ寛容になれる。





1. Love and Mercy
 のちの伝記映画のタイトルにも冠せられた、「復活!」を宣言するにはぴったりのポップ・ソング。声はたどたどしく、マジックは失われてしまっている。ただ、それ以外のサウンド・メイキングは衰えちゃいない。
 1分半過ぎあたりから始まる、かなり作り込まれた荘厳なコーラス・ワークは、やはりいつ聴いても「おっ」って耳を引いてしまう。でも、シンセのダビングはちょっと余計だったよな。




2. Walkin' the Line
 お気楽だった初期のパーティ・ソングを、中期のサウンド・スキルでコーディネイトすると、こんなハッピーなサウンドに仕上がったんだろうな、っていうお手本。ポップ職人として、また、ファンのニーズに可能な限り応じる、エンタテイメントとしての両面がうまくハイブリッドされている。
 一周回って、どうにかこの境地にたどり着いた。ここに至るまで、ひと休みしたり回り道したりを余儀なくされた、天才の苦悩は巧妙に隠されている。
 ちなみにこの曲、Nick Laird-Clowesというアーティストとの共作で、聴いたことない人なので調べてみると、ドリーム・アカデミーのリーダーだった。「Life in a Northern Town」の人か。まぁリスペクトはしてそうだな。
 さらに、これは豪華って言っていいのかどうか微妙だけど、コーラスにテレンス・トレント・ダービーが参加している。いるのだけれど、キャラは薄い。ていうかテレンス、ビーチ・ボーイズ好きだっけ?あんまり聴いたことないんだけど。謎だ。

3. Melt Away
 「God Only Knows」を彷彿させる、オーケストラ・サウンドとコーラス・ワークの絡みが絶妙な、ある意味、このアルバムのメイン・トラック。ブライアンのソロ・ヴォーカルも、全盛期のマジックには及ばないけど、張りのあるパワーを感じさせる。
 きちんとプロデュースされると、このくらいはできちゃうんだよな、この人。なんでも自分でやろうとせず、ちゃんとした理解者に丸投げしちゃった方が、うまくまとまる。関わってる人みんな、「俺が思うところのビーチ・ボーイズ」的なビジョン持ってるんだから。

4. Baby Let Your Hair Grow Long
 ブライアン曰く、「Caroline, No」の続編的な意味合いで書かれた、とのことで、言われてみれば「あぁ…」って思う。まだ終わってないんだよな、この頃のブライアンの中では。どうにか「あの時のあのサウンド」を再現しようと、まだもがいていた時期なんだよな。
 いい曲だし、『Pet Sounds』の焼き直しっていうアプローチは、レーベル的にもすごくプッシュしやすいんだろうけど、本人的にはそれって、呪縛なんだよな。先はもうちょっと長い。

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5. Little Children
 80年代のテクノロジーを駆使して作られた、ひとりビーチ・ボーイズ・リスペクト的なナンバーだけど、考えてみれば全盛期もブライアン、バック・トラックはほぼ自分ひとりで作っていたのだった。やってることは変わんないか。
 多分、こんなんだったら、いくらでもできちゃうんだろうな、ブライアン。いわば古参ファンに向けたサービス・トラックみたいなもので、あんまり前向きなモノじゃないけど、入ってたらまぁ安心はするんだろう。
 「古いよな」とは思うけど、確信的に「古く」作ってるんだから、ネガティヴな見方はちょっとお門違い。なんだかんだ言って、サラッと聴けちゃうし。

6. One for the Boys
 カウントから始まる、2分弱のアカペラ・ナンバー。曲として発展させるため、素材として録ったのか、はたまた、最初から「これで完成形」のつもりで作ったのかは不明だけど、どちらにせよ、これだけでちゃんと「みんなが思うところのビーチ・ボーイズ」になっている。「ココモ」と比べちゃうと、やっぱこっちが本家って思っちゃうよな。

7. There's So Many
 ラス・タイトルマンが仕切ったトラックは基本、「ブライアンの多重コーラス + 小編成オーケストラ」に適度にシンセをかぶせたプロダクションなのだけど、ベテランだけあって均整の取れた仕上がりになっている。いるのだけれど、シンセの音が古いんだよな。1988年という時代にしても。
 
8. Night Time
 「伝説のアーティスト」としてのバイアスが強かったこのアルバムの中では、最も現場感が強い、80年代ポップにきちっと対峙した楽曲だよな、って思ってたら、Andy Paleyという人との共作だった。ちなみに初リリース時は、ランディも名を連ねていた。なんだそりゃ。

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9. Let it Shine
 一時、ディランやジョージ・ハリスンなど、盛りを過ぎたベテランとの仕事が多く、いわば若年寄扱いされていたジェフ・リンのプロデュースによるナンバー。彼のサウンド・メイキングのパターンとして、メイン・ヴォーカルに強いコンプをかけることが多く、ここでのブライアンのヴォーカルも、薄いコンプにノン・エコー処理を施している。
 全盛期とは明らかに声量が落ちてるブライアンゆえ、この処理はちょっと方向性違うんじゃないか、と今でも個人的に思っている。逆に分厚く盛ってやった方が、キャラが活きると思うんだけど。

10. Meet Me in My Dreams Tonight
 「素敵じゃないか」っぽさがハンパない、イヤ進化形の「素敵じゃないか」って言った方がいいのかもしれない。20年以上経って、ブライアンの脳内に流れる音楽ビジョンに対し、ようやくテクノロジが―追いついたというべきか。

11. Rio Grande
 ラストは全6部から成る8分強のオムニバス組曲。架空の西部劇をテーマに、ゆるいストーリー仕立てとなっており、いわば『Smile』のリベンジ的なナンバーという位置づけなんだろうけど、まぁよほどのマニアでもない限り、面白いものではない。ここまでの曲はほぼ3分台でまとめられており、いくらラストとはいえ、ここで8分オーバーだから、ちょっとダルい。
 全盛期にはあったはずだけど、ここでは失われているもの。それは悪意。闇や毒がない分、刺激は薄く、真意はモヤの向こうにある。









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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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