苦節37年、ついにブライアン・ウィルソン本人監修でリリースされた「幻の」アルバム『Smile』。ちなみにこのアルバム、ジャケット・アートワークや楽曲リストが流出したことから誤解されているけど、発売を見合わせてお蔵入りしたわけではない。リリース・スケジュールに合わせるため、レコード会社が勝手に勇み足で曲順やデザインを勝手に決めて発注しただけであり、今回が初めてアーティスト側の意向を組んだ形となっている。
一応、ブライアンお墨つきとなる『Smile』決定版は、当時のマスターテープを参考としつつ、その多くは現在のツアー・メンバーでリテイクされている。当初から収録予定だったメイン・トラック「Good Vibrations」も「英雄と悪漢」も、2004年時点での音質クオリティにアップコンバートされているのだけど、基本構成は当時のまま。
なので、かつての少年:70オーバーのブライアンのヴォーカルを感慨深く受け取るか、はたまた切なさを憂うか、それは意見の分かれるところ。
ビーチボーイズもうひとつの代表作『Pet Sounds』同様、これまでさんざん研究し尽くされ、また語り尽くされてきたアルバムなので、「何を今さら」感はあるけど、一応、これまでの経緯を整理してみる。
① これまでの「夏だ!海だ!サーフィンだ!」のイメージから大きく逸脱した『Pet Sounds』、評論家筋やイギリスのウケは良かったけど、本国アメリカでは微妙なセールスに終わる。
一方、レコーディング技術を駆使することで、消費サイクルの早いポップソングを、後世に残るアート作品へステップアップできる可能性を見出したブライアン、そのメソッドを突き詰める次回作『Smile』に着手する。
② 取っ掛かりとして『Smile』、「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」という、おそらくブライアンにしか理解できないコンセプトが掲げられた。『Pet Sounds』で意気投合したヴァン・ダイク・パークスをパートナーとしてシノプシスを書き、おおよその概要が見えた頃合いで、ブライアン主導によるレコーディングが開始された。
③ ヒット曲や適当なカバー曲を寄せ集めた、これまでのポップ・アルバムと違って、テーマに沿って書かれた小曲をつなぎ合わせた組曲スタイルのコンセプト・アルバムのハシリとなったのが『Pet Sounds』で、そこにシンフォニックな要素を加えたのが、ビートルズ『Sgt. Pepper’s~』だった。田舎町リバプールのチャラ男たちの才能に触発されたブライアンは、その上を行こうと奮起する。
④ 個々の楽曲単体で起承転結を描くのではなく、ひとつのメロディを転調したりテンポを変えたり、または反復させ、様々なエフェクトや効果音、ハーモニーをブリッジにしたストーリー展開が、『Smile』の初期構想だった。膨大な素材を必要とするため、ブライアンは短いフレーズやモチーフとなるメロディを大量に録音した。コラージュとも言うし、今ならマッシュアップの手法。
おそらくこの時点で、ブライアンの頭の中では、すでにおおよその完成形は見えていたはずだけど、何百テイクに及ぶ大量の素材を組み合わせて理想の形に仕上げるには、スケジュール的にも技術的にも限界があった。理想のビジョンはあっても、実作業にあたるスタジオ・エンジニアとは齟齬が出るし、当時の機材スペックでは、リズムやピッチもどうしてもズレる。
理想と現実のギャップが埋まらず、時間ばかりが過ぎてゆく。
⑤ 絶え間なく襲ってくるプレッシャーとストレスを酒とドラッグで紛らわす、一進一退の悪循環に陥るブライアン。「消防士の帽子を被り、スタジオ内で火を焚いてレコーディングした」というエピソードに象徴されるように、もう彼の精神は限界だった。
ほどなく『Smile』は製作中止が決定、ブライアンはそのまま永き隠遁生活に入る。ただそれはそれ、新アルバムのリリース・スケジュールは動かせない。
大量に残されたデモテープの中から、手直しすれば使えそうなものをピックアップして、ブライアン以外のメンバーがどうにか形にした。それが『Smiley Smile』。
⑥ そんないわく付きのアルバムだったため、グループ的にもレコード会社的にも、できれば「なかったこと」にしたかったのだけど、人伝えで伝説のヴェールは日増しに広がってゆく。また『Smile』がらみだと話題になるものだから、その後も未発表テイクが小出しに発表され、音楽マニアの渇望感を煽り続けてゆく。
⑦ そんなこんなで月日は過ぎて80年代末、どうにかブライアンが社会復帰、初のソロ・アルバムをリリースする。ただこの時は、悪名高い精神科医ユージン・ランディが横にくっついていたため、ほぼ彼の操り人形状態。自分の意思があるかどうかもあやふやなため、完全復活とは言えず。
⑧ 家族やメンバーらの助力によって、トラブルメーカーだったユージンとのパートナーシップを解消し、ここからが本格的なブライアン復活。こちらもある意味、呪縛となっていた『Pet Sounds』の全曲再現ツアーを敢行、さらに勢いづいて、ついに2004年、『Smile』の落とし前をつけることを決意するのだった。
…案外長くなった。5行程度でまとめるつもりだったのに。
これでもだいぶはしょってるけど、何しろ40年だから、これくらいになるか。
さらに補足すると、
⑨ 2011年、膨大な未発表セッション音源をまとめた『Smile Sessions』が、ビーチボーイズ名義でリリースされる。ほぼ時系列にそってCD5枚組にまとめられ、5枚目は全25曲「Good Vibrations」別テイクという、もうマニアにとっては垂涎の代物。
もはやビギナーなんて相手にしない、ハイエンド・ユーザー向けの学術資料とまで言い切ってしまえる重厚感は、ボックスの重さだけにとどまらない。
足かけ40年にも渡った『Smile』問題は、これで一応、決着となった。ブライアン本人による完成形が提示されたことで、なかば妄想めいた憶測も解消された。
ただ、在庫一掃総ざらいを謳った『Smile Sessions』だけど、実はまだ収録されていないテイクが残っており、研究家・マニアによる発掘作業は続いている。オフィシャルでは補完しきれない音源を網羅するブート界隈では、真偽のほどはともかく、いまだ『Smile』音源はリリースされ続け、手堅い定番アイテムとなっている。
逆に言えばビーチボーイズ、『Pet Sounds』『Smile』両巨頭の注目度が飛び抜けて高かったため、他のアルバムはほぼ「知らんけど」扱いである。レコード会社的には悩みの種でもある。
全盛期の60年代アルバムのリイッシューがほぼ済んでしまったため、近年は70年代作品のリイッシューが進んでいるのだけど、正直、ラインナップ的にはショボく、格落ち感は否めない。イヤさすがに無理やり感あったよ、『Beach Boys' Party!』のデラックス・エディション化は。
21世紀に入ってから、ほぼ恍惚の人状態だったブライアンにとって、『Pet Sounds』も『Smile』も、すべてはもう終わったことだった。なので、自ら進んで完結させる気は、毛頭なかったんじゃないかと思われる。
ただ、自分がステージに立って歌うことで、みんなが喜んでくれる。そのナチュラルな善意のみで、ブライアンは重い腰を上げた。
メンタル面・体力面で不安があった彼が、世界ツアーを完走できるようになったのも、ツアーのレギュラー・メンバーであり、よき理解者であるワンダーミンツ:ダリアン・サハナジャのサポート失くしてはあり得なかった。ミュージシャンである前に、熱狂的なビーチボーイズ・マニアだったダリアンは、身勝手で気分屋で駄々っ子のブライアンに根気強く寄り添った。
少しずつ音楽への関心を取り戻していったブライアンは、世代も立場も違うはずのダリアンと向き合い、いろいろな話をした。少年時代のこと、グループのこと、家族のこと、音楽のこと。
起こってしまったことは、すべてよいことだ。忘れたくなる思い出なんて、所詮、その程度のものだ。
ダリアンは焦らずゆっくり、ただ耳を傾けることで、ブライアンの凝り固まった心をほぐしていった。特別、何をするでもない。ただ、そばにいて話を聞くだけ。ユージンなら時間単位で診察料が発生するけど、ダリアンは物質的な何かを要求することはなかった。
ふと、ピアノで「God Only Knows」のイントロを奏でるダリアン。
「あぁ、そこはこうで…」。言葉少なにキーを探るブライアン。
勝手な想像だけど、そんな音楽を通した対話によって、ブライアンの気持ちも前向きになってゆく。少しずつ、ゆっくりと。
「過去の自分と向き合う」ため、『Pet Sounds』の全曲再現ライブに挑んだブライアン―。というのが大方の見解なのだろうけど、おそらくそんな大それたものではない。
まわりのみんなが求めてくるし、喜んでくれるから。そんな単純な発露だったんじゃね?と、ブライアンを聴くたび、そう思う。
時々、ネガティヴになったりもするだろうけど、おおむね21世紀以降のブライアンのメンタルは安定している。いつもコピペで張りつけたような同じ笑顔で、発言もしどろもどろではあるけれど、少なくとも今の生活に大きな不満はなさそうである。
強烈すぎる体験は、脳が記憶することを拒否する。自己防衛反応がうまく働かなかった時期のブライアンは、自身の殻に閉じこもり、食っちゃ寝の無限ループだった。
歳を経ることで、イヤな記憶は薄れ、よかった想い出だけが鮮明に残る。
自浄作用とは、人が生き続けるための前向きな意思表示だ。
好評のうちに『Pet Sounds』プロジェクトが一段落し、休む間もなくブライアン、ついに『Smile』完結を決意する。多分、ダリアンあたりが終わった頃合い見て、それとなく勧めてみたら、勢いでOKしちゃったんだろうな。その辺のタイミングは心得ていただろうし。
ただ承諾したとは言っても、そこから翻意したりドタキャンしようとしたり、一進一退はあっただろうけど、多分、周囲のスタッフもその辺は織り込み済み。なだめすかしたり短いブランク入れたりして、ほぼダリアン主導でトラック作成、事あるごとにブライアンの確認を得て、『Smile』は完成した。
決着を見たことで、呪縛から解き放たれたわけではない。「囚われている自身を充分把握できていない」っていうか。時々イヤな記憶がぶり返したりするけど、褒められるとそれも忘れちゃうし、しかもやればできるタイプだしブライアン。
前回のレビューの続きとして、長々書いてきた。で、ここまで来てアレなんだけど、個人的には『Smile』、実はそこまで入り込めていない。
ブライアン版だけではスッキリしなかったため、『Smiley Smile』『Smile Sessions』にまで手を出したのだけど、余計にワケわかんなくなった。
なぜ『Smile』は、俺が深く踏み込むのを拒むのか。ちゃんと考えてみた。
レコーディングを控え、ブライアンは「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」というコンセプトを掲げた、と前に書いた。華やかなロックスター・ライフを満喫していた反面、ブライアンの青春は決して幸福なものではなかった。
ロサンゼルスの機械工マリー・ウィルソンは、若い頃に成し得なかったミュージシャンの夢を、3人の息子に託した。厳しい指導は次第にエスカレートしてゆき、時に手が出ることもあった。
鉄拳制裁が長じて、長男ブライアンは右耳を強打、聴力は永遠に失われた。ステレオ録音がメジャーとなった60年代後半においても、彼がモノラル・レコーディングにこだわり続けたのは、それもまた一因である。
彼の息子と友達を中心にビーチボーイズが結成され、マリーはマネージャーに就任する。大して実績のない学生ローカル・バンドにマネジメントが付くのも何か変な話だけど、コワモテで弁の立つ大人が交渉役になったことで、早々にキャピトルとのリリース契約にこぎ着ける。
兄弟の中で最も才能があったのがブライアンであり、マリーからのプレッシャーや風当たりが強いのも彼だった。息子に期待を寄せていた反面、おそらく自身との才能の差に嫉妬していたのかもしれない。
ブライアンにとって、曲を書く行為は純粋な悦びであり、また父の機嫌をなだめるための処世術だった。
「サーフィンの歌を書いてるのに、サーフィンが嫌い」。当時のブライアンが置かれた状況を端的にあらわしているエピソードである。
ヒット曲を書くことを強いられ、ステージでは精いっぱい陽キャを演じていたけど、素のブライアンは真性の陰キャでインドア派で、地味で控えめな人格だった。強欲な父に脅され尻を叩かれながら、彼は陽気で笑顔で脳天気なポップソングを量産した。
陽気な笑顔の裏側で、ブライアンは泣くのをこらえていた。長く演じているうち、その笑顔は張りついて戻らなくなった。その笑顔は、いま現在も続いている。
ブライアンが経てきた道程は、一見華やかなものであったけれど、その実情は散々たるものだった。きらびやかな栄華の裏側で、ブライアンは父からのプレッシャーに怯え、また他メンバーらの嫉妬、または無関心を嘆いた。彼にとってのリアルな青春時代とは、忌むべきものであったのだ。
その反作用として、彼は理想の青春時代、ほんとはこうあるべきだった10代の日々、そして視点を再構築しようと試みた。それが『Smile』の真の姿だ。
ここで描かれる世界観は、ブライアンが思うところの「理想の青春」、そして生活。朗らかで快活な、それでいてナイーブな少年少女たちの独白と讃歌。ほんの少しの感傷と迷走が、アクセントとして作用する。
こうやって書いてると、ヘッセの世界観とリンクするところ多いんだよな。宗教観の違いだけで。「荒野のおおかみ」なんて、まんまブライアンのもうひとつの人生だもの。
で、その世界観はブライアンの中で枯れることなく、40年ずっと地続きのままだった。ただ、そのニュアンスを70代のかすれ声で表現するのは、やはりちょっと無理がある。「伊代はまだ16だから」を自虐半分で演じるなら受け入れられるけど、本人にマジ熱唱されてしまうと、ちょっと引いてしまう。ジャンルは大きく違うけど、そういうことだ。
時を経て、周囲の好意と努力によって、『Smile』は完結した。ただ「完結した」という話題性が先行して、客観的な音楽的評価がしづらくなっているのも、また事実である。 『Pet Sounds』『Smile』推してりゃ、取り敢えず音楽通っぽく振る舞える風潮もまた、ブライアンの真意を見えづらくしている。
なのでこのアルバム、単体で好評だったヒット曲「英雄と悪漢」「Good Vibrations」はともかく、アルバム総体では、第三者目線での批評が機能しづらい。他人の評価とは別次元の、「ブライアン・ウィルソンがブライアン・ウィルソンであるためのアルバム」というのは、そういうことだ。
1. Our Prayer / Gee
ファンファーレ的な位置づけのアカペラと、ガーシュインっぽい小曲との組曲。ビーチボーイズ版では別々だったけど、ここでは自然にシームレスな流れで構成されている。
コーラス・アレンジもベーシックなアンサンブルも、ほぼ初期テイクと変わりなく、「楽曲単体としてはすでに完成し尽くされていた」というブライアンの意向がダイレクトに反映されている。
コーラス・アレンジもベーシックなアンサンブルも、ほぼ初期テイクと変わりなく、「楽曲単体としてはすでに完成し尽くされていた」というブライアンの意向がダイレクトに反映されている。
なので、この曲に限らず、ほぼどれも1967年時点のアレンジを踏襲している。唯一、大きく違うのがブライアンの声質なのだけど。
躍動感あふれる20代と紆余曲折を経てきた60代、まったく性質の違うヴォーカルを同じ土俵で比較するのは無意味だけど、「ティーンエイジ・シンフォニー」というコンセプトを通してみれば、前者の方が意に沿ってはいる。
ただここで大事なところ、ブライアン自身は歳を取っていない。あくまでブライアン的には。ブライアンのためのアルバムなので、我々はただ、降りてきた音と言霊を黙って受け取るだけなのだ。
2. Heroes and Villains
1967年、『Smiley Smile』からシングルカットされて、当時、ビルボード12位にランクインしたのが信じられないくらい、凝りに凝った複雑な構成を持った曲。4分弱の中でコロコロ曲調が変わるので、ラジオでかかりづらかったことが察せられる。大雑把なアメリカ人が受け入れたことが不思議でならない。
ちなみに『Smile Sessions』では、1枚丸ごと「英雄と悪漢」のアウトテイクのみで構成されているパートがあり、それだけ制作に紆余曲折があったことが窺える。コーラスだけ・ハープシコードだけのテイクが山盛りで、マニアや研究家にとっては垂涎なんだろうけど、堅気の人が聴くものではない。個人的には面白いんだけど。
で、この曲でスイッチが入ったのか、ヴォーカルは最新のブライアンがベストテイク。見かけの若さじゃなくて、曲のコンセプトに準じた若さと言う意味で。
3. Roll Plymouth Rock
初期タイトルは「Do You Like Worms?(ミミズは好き?)」だったけど、ブライアン版では「あばれるニワトリ」に改題されている。どっちにしろ、意味わかんない。
ブライアン的には「こっちの方がいいと思ったから」ということらしい。すべては、ブライアンの意に沿うままに。そういうことだ。
『Smile』収録曲全般に言えることだけど、単一のフレーズを発展させたものではなく、あらゆるシノプシスを複合的に組み合わせた組曲スタイルが多く、この曲もあっちへ行きこっちへ行きで、ちょっと気を抜いてると全然別の曲になってたりする。
ハンパない集中力が求められるアルバムなので、キチンと対峙して聴き込まざるを得ない。長いことマニアが掘り続けていたのも納得できる。今さらだけど。
4. Barnyard
「英雄と悪漢」セッション時に録音された、動物の声帯模写を主体とした小品。歌いやすいメロディは、全盛期のビーチボーイズを踏襲している。もともと単体ではなく、「英雄と悪漢」に組み込む予定だったらしい。
今回、独立させた意味は不明だけど、アルバム/ライブ構成的にインターバルとしてちょうどよかったんだろうか。
5. Old Master Painter / You are My Sunshine
自作曲だけでは世界観が狭くなることを危惧したのか、ここでスタンダード曲を入れてきたブライアン。ていうか、単に歌いたかっただけなのかもしれないけど、アルバムのカラーには合っている。
ラジオ音声っぽくエフェクトされているけど、この曲も年輪を経た最新版のヴォーカルが最もよい。ただこれも、ほぼサビメロしか歌っておらず、正味1分程度。やっぱ、サビ歌いたかっただけだったのか。
6. Cabin Essence
ちょっと肩の力が抜けた後、再びやってくる多重構造のポケット・シンフォニー。書いてて「なんか矛盾してる」って気づいてしまった。ポケットに収まるほど気軽じゃないんだよな。
「カントリーっぽいガーシュイン」のオープニングから、凝りに凝ったコーラスの波状攻撃、再びガーシュインに戻って、また分厚いコーラス、そして二たびガーシュインへ、の円環。『Smile Sessions』聴くと、まだいろいろぶっこんでたらしいけど、これでもシンプルにまとめている。
ここまでが、第一楽章というくくり。
7. Wonderful
神への敬意とティーンエイジャーへの憧憬とが交差する、アルバム・コンセプトを象徴的に描いた歌詞世界は、盟友ヴァン・ダイク・パークスによるもの。地味ではあるけど、確実にアルバムのコアに位置する曲。
荘厳かつ繊細なメロディは、その後の数多のソングライターにも確実に影響を与えている。特にポストパンク以降、アンディ・パートリッジ(XTC)やパディ・マクアルーン(プリファヴ・スプラウト)など、いわゆるポップ・マエストロの出現を後押しした。
腺病質的な繊細さを目指した初期ヴァージョンはエヴァ―グリーンな輝きを放っているけど、甘さの抜けたブライアン版のヴォーカルの方が、メロディの腰の強さを引き立てている。
腺病質的な繊細さを目指した初期ヴァージョンはエヴァ―グリーンな輝きを放っているけど、甘さの抜けたブライアン版のヴォーカルの方が、メロディの腰の強さを引き立てている。
歳を経ることで歌える曲もある。そう思わせてしまうだけの説得力がある。
8. Song for Children
初期セッションでは仮題「Look」というインスト・ナンバーで、ブライアン版ではヴァン・ダイクが新たに詞を書き下ろし、現行タイトルに改題されて完成版となった経緯を持つ。『Smile Sessions』収録ヴァージョンも聴いてみたけど、ヴォーカルを入れる余地もなく、インストでも充分成立している。
心境の変化なのか、はたまた歌入れ前に製作が頓挫しちゃったのか。その辺はブライアンにしかわかり得ない。
膨大なアイディアをありったけ詰め込んで、時にとっ散らかった印象さえ受ける第一楽章に対し、第二楽章はひとつのテーマを深く掘り下げる方向に特化した曲が多い。変に凝り過ぎないで、このコンセプトで統一すれば、レコーディングもスムーズに運んだのだろうけど、でもそれじゃ『Smile』にならないか。
9. Child is Father of the Man
と思ってたら、また曲調変化著しいナンバーが。初期テイクは細かなフレーズをつなぎ合わせた歪さが感じられるけど、37年経ったことでテクノロジーの進化と演奏スキルのレベルアップが、違和感を抑え込んでいる。
ただ、ストリングスの重厚感は初期ヴァージョンの方が勝っている印象。アナログ・レコーディングの強みかね。
10. Surf's Up
ポストパンク以降のポップ・マエストロ、いわゆる「ポップ馬鹿」たちが憧れ、そして誰もたどり着けなかった極みとも称される、ブライアン渾身のキラー・チューン。キャッチ―で覚えやすいメロディでもなければ、前向きな歌詞を歌っているわけでもない。
でも、「なんか他のヒット曲とは立ち位置違う」ことだけは、誰でも理解できる。そんな曲。
ピアノ一本だけでも成立するし、壮大なオーケストレーションにも負けない、しなやかな旋律。そして、それはブライアンが歌う時のみ成立する。
万人に愛されるスタンダードとは言えないけど、その存在感の強さには、多くのソングライターがひれ伏してしまう。大げさすぎるかもしれないけど、そんな曲。
ブライアンであれば、どのヴァージョンでもいい。時空を超えた記名性の強さは、聴けばわかるとしか言いようがない。
11. I'm Great Shape / I Wanna be Around / Workshop
ここから第三楽章。「英雄と悪漢」セッションからの派生フレーズやスタンダード・ナンバーをメドレー構成にしたオープニング。前曲のイメージを払底し、新たなフェーズに入ることを予想させる、要するに場つなぎ的なブリッジ。
こういうのまで忠実に再現するのだから、ブライアン的には必要なパートなのだろう。細切れで聴くとつまんないのは、コンセプト・アルバムの善し悪しである。
12. Vega-Tables
「野菜摂取を勧めることで、万人を健康にしたい」という発想から飛躍に飛躍を重ね、なぜか「人々を野菜に変えてしまいたい」というテーマにたどり着いた、ほんとか冗談かわかりづらい世界観。当時、いろいろ追い込まれてたブライアンならあり得るか。
もろもろのプレッシャーもあって、こじれにこじれてた当時のブライアン、一説にはこの曲、未完成とされている組曲「The Elements」の一部とされている。レコーディング中に消防士のヘルメットをかぶったりスタジオ内で火を焚いたり、何かとスピリチュアルかつキンキ―なセッションの産物なので、これももしかして、カボチャやズッキーニ振りかざしながらレコーディングしていたのかもしれない。
…冗談だよ、本気にすんなって。
13. On a Holiday
もともとインスト・テイクしか残っていなかったのを、このアルバムを機にヴァン・ダイクが新たに詞を提供、これが決定版となる。オリジナルも陽気でドラマティック感は薄く、なんでわざわざこの曲をリテイクに選んだのかは不明だけど、箸休め的にこういった曲もあった方が肩が凝らない。
14. Wind Chimes
ピアノとハープシコードを主体としたポップバラード。最初の『Smile』セッションでも初期に作られた楽曲なので、そこまで大きな捻りはない。ただ、ハーモニー・アレンジからは強いこだわりが窺える。
15. Mrs. O'Leary's Cow
前述した「The Elements」の中核を担うパート「Fire」のリテイク。よくこんなの再録音させようとしたなダリアン。初期レコーディング直後に原因不明の火災に見舞われて、スタジオ全焼しちゃったトラウマ抱えているはずなのに。
ていうかブライアン、もう忘れちゃったのかな、そういうネガティヴな出来事って。
そんなバイアスがかかっている曰く付きの曲なので、前評判は高かったのだけど、当然のことながら仕上がりはスッキリちゃんとしてて、案外普通。初期構想の火・水・木・気の4部作であれば、また違ったテイストになっていたのかもしれないけど、でもスッキリ納めちゃうんだろうなダリアンなら。
16. Blue Hawaii
初期セッションでは「Love to Say Dada」「I Love to Say Da Da」「Da Da」「All Day」などあらゆる名称で呼ばれ、その後、『Sunflower』制作時に「Cool, Cool Water」としてリメイクされ、最終的にこのタイトルで決定版となった、大事にされてるんだかされてないんだか、よくわからない曲。
『Smile Sessions』に収録されているだけでも3テイクあるので、どうにかしようと思ったけど、当時は消化不良で終わっちゃったんだろうな。
17. Good Vibrations
ラストは超有名なこの曲だけど、あまりにヒットしたし誰でも聴いたことくらいはある曲なので、なんかここに収録されても今さら感がハンパない。イヤ、ここから始まったってことは知識としては知ってるんだけど、フラットな状態で聴き進めてラストがコレだと、やっぱなんか浮いてる。
本文でも書いたように、『Smile Sessions』ではこの曲だけでCD1枚使っているくらいだけあって、ブライアン/ビーチボーイズの歴史的にも外せないことはわかる。わかるんだけど、でも。
いっそのこと、アウトテイク全部詰め込んでボーナスCDつけた方が良かったんじゃね?とまで思ってしまう。多分買うよ、マニアだったら世界中にいるし。