1983年リリース、当時すでに御大扱いだったディラン22枚目のオリジナル・アルバム。カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、ワムらによるブリティッシュ・インベイジョンで沸いていたご時世、US20位・UK9位という成績は、まぁ十分といったところでは。
ただこのセールス実績で、レコーディングその他もろもろの経費と照らし合わせて、採算が取れていたのかと言えば、その辺はちょっと微妙なところ。予算には無頓着そうだし、ベテランの新譜ということもあって、CBSもプロモーションにはそれなりに力を入れざるを得ないし。
逆に考えれば、時代のあだ花的な一発屋ではないので、ロングテールの売り上げ推移を辿っており、長期的には充分採算は取れているんじゃないかと思われる。でも60年代の作品と比べると、その差は大きいんだろうな。
当時、北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺でも、「ボブ・ディラン」というのは大物アーティストだというのは、知ってはいた。いたのだけれど、果たしてどんな功績があって、どんな経緯で大物になったのか―、そこまでは知らなかった。
ていうか、それ以上、深く掘り下げるほどの興味もなかったので、俺の中では長い間、「とにかくすごい人」という印象で止まっていた。なので、「ディラン復活!」という当時のキャッチコピーは、あんまり響かなかった。
「復活」というくらいだから、多分、一度は全盛期みたいなものがあって、それから長い低迷期に入り、で、復活に至ったのだろう―。そこまでは何となく察することはできたけど、そもそも興味が薄いので、その憶測のまま、10年ほど経過することになる。
なので『Infidels』、リアルタイムでは聴いていない。
俺が本気でディランと向き合うようになったのは20代半ばになってから、ブートレグ・セラーズの4枚目、ロイヤル・アルバート・ホールのライブを買ったのがきっかけだった。「投げやりな歌い方のダルい弾き語り」といった先入観を打ち砕く、剥き出しの無鉄砲さをブン回しながら観客を煽る彼のファイティング・スタイルは、ちょっとロックに飽きていた当時の俺を虜にしたのだった。
それを機に、60年代電化ディランを片っぱしから買い集め、さらにそこからフォーク期に遡る。そっちはあんまりピンと来なかったのですっ飛ばしたけど、ソングライティングの深化が顕著な『血の轍』と、無記名性のノマドを指向した『欲望』の2作は、しばらくヘビロテになった。
詳細に歌詞を分析したり暗喩を辿ったり、いわゆる「ディラン学」的な聴き方ではなかったけれど、朴訥に吐き出される言葉とメロディから発散されるエゴは、流し聴きを許さぬオーラが充満していた。本人としては、そこまで深読みされるつもりはなかったかもしれないけど、ポップ・ミュージックのセオリーから大きくはみ出た彼の歌は、強い求心力を放っていた。
そんなディランしか聴かない日々が3ヶ月ほど続いたところで、その熱はパッタリ止んだ。なぜかはよくわからないけど、それは突然だった。
その後、何年かに一度、無性に『欲望』を聴きたくなることはあったけど、他の作品へ興味が向くことはなかった。ノーベル賞で小ブームが沸き起こった時も、俺の中のディラン・スイッチは作動しなかった。
これが去年までの話。
で、昨年、アズテック・カメラ『Knife』のレビューを書くにあたり、超久しぶりにディランを聴いた。『Knife』のプロデューサーであり、ダイアー・ストレイツのリーダー:マーク・ノップラーが、直前に手掛けたのが『Infidels』だった。プロデューサー人選にあたり、ロディ・フレイムが『Infidels』を気に入っていたことが、最終的なオファーに繋がった。
そうなると、「『Infidels』って、どんなんだっけ?」と、ちょっと気になってくる。で、聴いてみた。
聴いてみたら聴いてみたで、久しぶりに火が点いてしまう。なし崩し的に、昔の音源をいろいろ引っ張り出してくることになった。
せっかくだから、『Infidels』つながりで、まだちゃんと聴いてなかった80年代の作品も聴いてみる。あんまり評判の良くない時代であることは聞き知っていたけど、確かに当たりはずれは大きい。でも、そんなアンバランスさも含めて、それがディランだ。
そこからさらに進んで、未チェックだった90年代以降の作品になだれ込んだ、と言いたいところだけど、これがならなかった。結局のところ、俺のディラン熱はせいぜい3ヶ月程度しか持たないらしい。
その後も、ほぼ2年ごとにリリースされるブートレグ・セラーズの内容だけはちょっと気になるけど、わざわざ買うほどの意欲はない。特にここ最近って、やたら枚数が多いので、気軽に買えるモノではない。
なので、新作に心動かされることもない。何曲かのサワリを試聴する程度で、わざわざ入手することもない。
ディランを聴くには、それなりの覚悟がいる。俺の中で、それはいまも変わらない。
不器用なレゲエ・ナンバー「Jokerman」がどうにも馴染めなかったこともあって、『Infidels』をちゃんと聴くのを後回しにしていたのだけど、2曲目「Sweetheart」から聴いてみると、印象がちょっと違ってくる。『Infidels』といえば、「ユダヤ教への改宗」という周辺情報がクローズアップされがちだけど、市場に流通する商品として、きちんとプロデュースされている。
不器用ではあるけれど、時代のトレンドを意識し、市場リサーチを反映していることは窺える。80年代テクノロジーを導入し、MTVユーザーにも対応できるよう、彼なりに商業性を意識したサウンド・アプローチとなっている。
年季の入ったファンからも微妙な反応だったボーン・アゲイン・クリスチャン3部作を経て、前線に復帰したディランが描いたビジョンが、「シングル・トップ40のラインナップとも引けを取らないサウンド」だった。ベーシックな部分は残しつつ、時代のエッセンスをちょっと散りばめて、新規ユーザーへの敷居を低くすることが、ディラン含めCBSの目論見だったと思われる。
ここで変に勘違いして、不似合いなファンカラティーナやテクノ・ポップに走ったりしたら、ある意味、カルトな怪作として、後世に語り継がれていたのかもしれない。そういえば、ニール・ヤングもテクノに傾倒したアルバム出してたよな。動機はちょっと違うけど。
ただディラン、緻密なスタジオ・ワークに精通しているわけではない。もしかして、メチャメチャ熟練したフェーダー使いかもしれないけど、あんまり想像したくない。歌いっぱなし・弾き語りっ放し、というのが、ディランにはふさわしい。
これまでのような「俺様」的なセッション・ワークではなく、時代性も考慮したアルバム制作となると、それなりに精通したプロデューサーが必要になってくる。アーティスト・イメージを保ちつつ、それでいて確かな新機軸を提示できる人物。さらに加えて、気難しくエゴイスティックなディランと良好な関係を保てて、うまく誘導できることも、条件となってくる。めんどくせぇな。
で、アルバム制作にあたり、まずはプロデューサーの人選に入る。のちの伝記や資料によって、候補者が明らかになっているのだけど、これがまた支離滅裂。本気なのか冗談なのか、ちょっと判断しがたい。
ディランの希望だったのかCBSの希望だったのかは不明だけど、有名どころとして、デヴィッド・ボウイとフランク・ザッパの名が挙がっている。あまりに両極端なラインナップで、もうこの時点でガセ臭い。エルヴィス・コステロへのオファーも検討されていたらしいけど、これも信じがたい。多分、会議とも言えないミーティングの席で、誰かがポロっと口にしたことが、大げさに伝わっただけなんじゃなかろうか。
そりゃ芸歴も長いディランのことだから、「知り合いのまた知り合い」みたいな感じで、みんなどこかで繋がってはいるんだろうけど、どれも現実性に欠けている。ソングライターとしてリスペクトしていると思われるボウイとコステロなら、まだギリギリわからなくはないけど、ザッパの方はディランなんて、興味もないだろきっと。
結局、そこそこスタジオ・ワークに長けてて、あまりぶつかり合うこともなさそうな、いわば「無難な線」ということで、最終的にノップラーに落ち着くことになる。ただノップラー、この時点では「Money for Nothing」のリリース前だったため、そこまで知名度があるわけではなかった。『Infidels』を手掛けるまで、目立った外部プロデュース実績もなかったし、これもある意味、謎めいた人選である。
『Infidels』がリリースされた80年代前半は、ポスト・パンクやニュー・ロマ、ゴシック・パンクやテクノ・ポップ、その他もろもろのニュー・サウンドが台頭し、急速な世代交代が進行していた。パンク・ムーヴメントでも揺るがなかった旧世代アーティストも、これまでの実績に胡坐をかきっぱなしではいられなかった。
シンセ機材を中心としたテクノロジーの進歩に伴い、「超絶早弾きテク」や「一糸乱れぬアンサンブル」という言葉は、時代遅れとなった。時代の最先端を突っ走ってきた旧世代ほど、取って代わる新世代に大きく差をつけられた。
時代に取り残された疎外感からか、はたまたレコード会社からの要請もあったのか、生き残りをかけて流行りに乗じたベテラン・アーティストが多かったのが、この時代である。そして、多くのアーティストが高確率で、この時期は黒歴史となる作品を発表している。
それまで培ってきた音楽性をよそに、無理やりシーケンスやシンセ・エフェクトをかませたり、MTVのトレンドに合わせた、不器用なドラマ仕立てのPVを作っちゃったりなんかして、どうにか市場のニーズに合わせようとしたロートルの多いこと。で、その多くがセールス的に惨敗したりして。
そう考えると、時代性との微妙なシンクロ具合をコントロールしたノップラーの功績は、案外大きかったことがわかる。絶妙にコンテンポラリーでありながら、風化の少ないサウンド・アプローチで構成されることによって、『Infidels』は良質のカタログになった。
ただここでディラン、ほぼ半分はセルフ・プロデュースだったこともあって勘違いしちゃったのか、以降は自身でスタジオ・ワークを仕切るようになる。なので、『Infidels』以降の80年代アルバムは、大幅に微妙な作品が多くなってゆく。
1. Jokerman
「聖書の一節からインスパイアされた」とか、「政治的な比喩を含んでいる」など、いろいろな解釈があるらしいけど、多分に様々な見方があるというだけじゃね?と日本人からは思ってしまうのだけど、そう言っちゃうと身もフタもないな。
やたら手数の多いロビー・シェイクスピアのベース・ラインと、ストーンズ直系のプレイを聴かせるミック・テイラーのギターなど、パーツごとでは聴きどころは多い。多いのだけど、俺的にはやっぱあんま相性は良くない。ライブで披露されることも多かったり、コンピレーションに入ることも多いのだけど、あんまりピンと来ない。もしかして、あと10年くらい寝かせたら、印象もまた違ってくるかもしれないけど。
2. Sweetheart Like You
なので、妙な新機軸よりはむしろ、こういったわかりやすいエモーショナルなナンバーの方が、馴染みが良かったりする。ディランはいつものダミ声だけど、ノップラーによるナチュラル・トーンのギター・ソロが粗野なテクスチャーを打ち消し、イイ感じのAORになっている。
女性賛歌という見方の反面、言葉の端々に亭主関白的な物言いが合ったりして、どっちとも取れる意味合いは、何を暗示していたのかいなかったのか。ただ21世紀の感覚からすると、ちゃんとした女性に「Sweetheart」って呼ぶのはどうなの?と思ってしまう。
それが許されたのが、80年代だったのかね。
3. Neighborhood Bully
ミック・テイラーが大きくフィーチャーされた、ソリッドなロック・ナンバー。それまでジョン・メイオールとつるんでいたテイラー、このセッションで意気投合し、しばらくの間、ツアーにも帯同、ディランの片腕となっている。
考えてみればディラン、ここまではザ・バンドとのコラボに代表されるように、カントリーをベースとしたルーツ・ロックが中心だった。テイラーが持つブルース・フィーリングを取り込んで、洗練されたロック・コンボのスタイルを取り込もうとしていたんじゃないか、と。
そう考えると、グラサンかけて斜に構えたアルバム・ジャケットや、MTVのパワー・プレイを想定したPV製作も、ちょっと納得がゆく。
4. License to Kill
「殺しのライセンス」って、二流の冒険小説じゃあるまいし…、って思ってしまうけど、まぁあくまでモチーフとしての言葉であって、そんな荒唐無稽な内容を歌っているわけではない。収奪する者と、搾取される者。生殺与奪の権利を持つ者は、常に傲慢である。
そんな殺伐とした内容のわりに、サウンドは真っ当なロッカバラード。この時期にしては、ドラムの音も真っ当な録り方なので、いま聴いてもそんなに違和感はない。ラス前のハープも、適度に情感が込められている。
5. Man of Peace
「雨の日の女」をリアレンジしたような、きちんと作り込まれたロック・チューン。ライブを前提としたバンド・アンサンブルが気持ちよく聴こえるのは、やはりミック・テイラーの存在感あってのもの。ちょっとガサツなブルース・テイストが、声質にも合ってるんだよな。
ちなみにこのちょっと後のライブ・エイドでディラン、同じストーンズ繋がりのキース・リチャーズ&ロン・ウッドと共演しているのだけど、あれはグタグタだったよな。なんで3人ともアコギなんだよ、ちゃんとしたバンド・アレンジで聴きたかった。
6. Union Sundown
で、こちらもメロディといい譜割りといい、がっつりストーンズを意識したアプローチ。いや普通にカッコいいんだよな。単なるノリで仕上げたセッションに加え、入念に行なわれたミックス&オーヴァー・ダブによって、レベルが一段も二段も上がっている。のどの調子が良かったのか、ここでのディランのヴォーカルも表現力豊か。
ストーンズをリスペクトしながら、同時期の彼らを軽く追い抜いてしまった、このアルバムのベスト・トラック。
7. I and I
イケイケだった6.に比べ、ちょっと落ち着いたトーンのロッカバラードだけど、これもまた傑作。ノップラー+アラン・クラークのダイアー・ストレイツ組が中心となった、ソリッドさが際立つサウンド・プロダクション。無理に音を歪ませないノップラーのプレイは、手数は多くないけど、要所をしっかり締めるフレーズを散りばめている。
泥臭さを極力排しつつ、テクニックに頼らない彼のアプローチは、その後の自身のキャリアに活きることになる。
8. Don't Fall Apart on Me Tonight
最後はいろいろ暗喩や示唆も含んではいるけど、言いたいことは結局「お前が好きだ」という、シンプルなラブ・ソング。「天国の扉」っぽく聴こえる部分もちょっとあるけど、マーケットにも広く受け入れられやすいサウンド・アプローチは、だてに長く生きてきたわけではないベテラン・アーティストの思惑が反映されている。
で、『Infidels』といえば、やっぱりこれに触れないわけにはいかない「Blind Willie McTell」。
マニアとは決して呼べない俺でも知っている、恐らく世界で最も有名な未発表曲のひとつ(結局、蔵出しされてるけど)。
絞り出すように、ある種の諦念を込めながら、ディランはこう歌う。「誰も、ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルースを歌えない」。もう何十年も前に早逝したブルース・マンの生きざまに、何を見たのか。または、見えない何かを追おうとしているのか。
いつものように、ディランは問いに答えてくれるわけではない。答えはいつも、それぞれ聴く者の心の中にある。ないのかもしれない。
まるで突然変異のように生まれた「Blind Willie McTell」。強い輝きを放つ言葉とメロディを持つ楽曲は、コンテンポラリーなアレンジにそぐわなかったため、『Infidels』のどこにも入り込むことができなかった。
『Infidels』セッションの中でも異質だった「Blind Willie McTell」が日の目を見るのは、『Bootleg Series Volumes 1–3』リリースの8年後まで待たなければならなかった。結果的に「80年代のベスト・テイク」と称されるわけだから、どんな経緯があったにせよ、いつかは注目されたと思われる。
ほどよく抑制されながら、ドラマティックな展開を持つアレンジは、繊細かつシンプルな音の配置となっている。ここでのディランは吐き捨てることなく丁寧に、聴き取りやすく言葉を発している。
ディランが語る寂しさと虚無、そして微かな憧憬。彼はなにを、歌いたかったのか―。