folder 1981年リリース、ビリー・ジョエル初のライブ・アルバム。出世作となった『Stranger』以前の楽曲中心に収録されているため、フックが効いたポップなメロディの楽曲は、正直少ない。
 当時のレイテスト・アルバムだった『Glass House』に伴う全米ツアーのベスト・テイクを集めたものであるため、基本、アリーナ/スタジアム・クラス会場での収録が多くなっているけど、キャパ1,000人程度のライブ・ハウス収録も含まれている。楽曲の性質上、敢えて小会場っぽい音像に仕上げているのか、大観衆による臨場感は薄い。
 ライブ盤といえば、一般的にベスト的な選曲が多いのが普通で、実際、このツアーもヒット曲中心のセット・リストが組まれているのだけど、そういったキャッチ―な曲は意図的にはずされている。「コロンビアの言いなりになってたまるか」的な、「怒れる若者」としての姿勢を貫いての結果だけど、当時ドル箱アーティストだったビリーの意見は、ちょっと強引でも通ってしまうほどの影響力があった。

 『Stranger』以降の新規ファンへの紹介と、長く支えてくれた古参ファンへの感謝の意味も込めて、『Song in the Attic』は異例の低価格でリリースされた。当時、日本の洋楽新譜は2,500〜2,800円が相場だったけど、このアルバムは2,000円と、破格の価格設定だった。
 21世紀に入ってから、エンタメ界の柱が音源リリースからライブ活動にシフトして久しいけど、90年代くらいまでは、スタジオ・レコーディングのオリジナル・アルバムを中心にすべてが回っていた。巨額の予算を投入したライブもPVもグラビアも、すべてはアルバム・セールスを上げるための販促活動であり、アーティストやレーベルも、チャート・アクションに一喜一憂していた。
 音源リリースのスケジュールに捉われず、何のお題目もなくツアーを行なうことが当たり前となった現在と違い、90年代くらいまでは、オリジナル・アルバムのリリース・タイミングに合わせたプロモーション・ツアーが主体だった。ライブ盤とはあくまでその副産物であり、わざわざ手間ヒマや労力を投入する類のものではなかった。
 ロック名盤ガイドではライブものも多く含まれており、実際、俺も好きなアルバムは数多くある。あるのだけれど、その多くは前向きな動機で制作されたものではない。基本はオリジナル制作までの繋ぎ、または契約消化の目的でリリースされていた。
 『Songs in the Attic』もその例に漏れず、乱暴に言ってしまえば、次回作『Nylon Curtain』までの繋ぎとして企画された。全米ツアーを終えてすぐスタジオに入る気になれないビリーと、マーケットの興味が冷めぬよう、リリース・ブランクを開けたくないコロンビアの思惑とが入り乱れた末の折衷案だった、という見方ができる。

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 新譜であるにもかかわらず、旧譜同様の良心的な価格帯と、無双状態だったビリーの勢いも手伝って、ビルボード最高8位、日本でもオリコン3位を記録している。「オネスティ」も「素顔のままで」も収録されていないけど、「ビリー・ジョエル」とクレジットしておけば、歌謡曲全盛だった日本においても、充分通用するアーティスト・パワーがあったことが窺える。
 このアルバムがリリースされた1981年は、ロック史的には「パンク/ニュー・ウェイヴの新勢力が台頭しつつあった」とされている。ちなみに当時、日本はアイドル歌謡全盛期であり、「ルビーの指環」が年間トップだった。ま、これは余談。
 そんな日本の状況をよそに、ヒューマン・リーグを筆頭としたエレ・ポップ勢や、ポリスやPILらのセンシティブなアーティストらが、クオリティの高いアルバムを続々リリースしており、世代交代は着実に進んでいた。いたのだけれど、世界的なシェアから見れば、その影響はまだ微々たるものだった。
 この年のビルボード・アルバム・チャートの首位獲得リストを見ると、前半はジョン・レノンとスティックスとREOスピードワゴンが持ち回りとなっており、ニュー・ウェイヴ臭なんてカケラも見当たらない。その後も、フォリナーやストーンズ、キム・カーンズという顔ぶれで、なんだ70年代と変わんねぇや。いま見て気づいたけど、ムーディー・ブルースが1位?なに考えてんだアメリカ人。
 本格的な世代交代が始まるのはこの翌年、カルチャー・クラブやデュラン・デュランら第2次ブリティッシュ・インベイジョンに属するアーティストが台頭してからであり、太極的に見れば、ポスト・パンクというのは時代の徒花だったということになる。まぁ、そんな徒花だって、丹念に拾い集めていけば、面白いものも結構あるんだけど。
 活動時期や音楽性から見れば、旧世代寄りのビリーの全盛期がここに位置するのは、時代の必然と偶然とがうまく作用し合った結果と見ていい。70年代初頭、政治的/思想的にノンポリだったビリーの歌は広範な支持を獲得できなかったし、80年代中盤以降の彼は、不似合いなエンタメ性と奇妙な使命感に支配されて、楽曲のクオリティが薄くなってゆく。

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 「過去との決別」ではなく、「総決算」として位置付けられたのがこのアルバムなのだけど、そんな区切りがまずかったのか、その後のビリーのキャリアは緩やかに迷走してゆく。私的な共感を呼び覚ます、労働者階級の視点で描かれた細やかな心象風景を持ち味としたビリーの作風は、時代の要請と相まって、徐々に変質してゆく。
 満を辞して2年ぶりにリリースされた『Nylon Curtain』は、期待値MAXで市場に放たれたが、大きく空振りしてセールス的にはガタ落ちした。前述した作風と一転して、ある種のペシミズムで彩られたサウンドとメッセージ性は、一般大衆のニーズからは大きく乖離していた。
 肉体労働者の貧困やベトナム戦争の惨状を嘆くことは、標準的なアメリカ白人にとって、珍しい感情ではない。ただ多くの大衆は、声高に叫んだり行動に移したりすることを嫌う。ましてや、ビリーの音楽を好む層へコミットするものではなかった。
 アーティスト・エゴとストレート過ぎた正義感とを優先し過ぎて、微妙なセールスと評価を残した『Nylon Curtain』を反面教師として、ビリーは再び、大衆のニーズに沿ったコンセプトを掲げて次回作に取り掛かる。中途半端なアーティスト性を隅に追いやり、少年時代に聴き漁ったゴスペルやR&Bへリスペクトしたポップ・アルバム、それが『Innocent Man』だった。
 小難しいメッセージ性やイデオロギーを一掃し、ポップなエンタテイメントに徹したコンセプトは再び「俺たちのビリー」として大衆に受け入れられることとなる。

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 その後、チャート常連に返り咲いたビリーは、西欧ポピュラー・シンガーとして初の旧ソビエト公演を成功させたり、ベースボールの聖地ヤンキー・スタジアムで初の公演を行なったり、大きなプロジェクトを続々成功に導いてゆく。ただ、そんな華やかなキャリアとは反比例するがごとく、肝心の創作活動は次第に停滞化してゆく。
 ほぼ年1のリリース・ペースだったオリジナル・アルバムの間隔が、この辺から3~4年と長くなってゆく。ベテランになるにつれ、クオリティの追求とリリース基準のインフレ化もあるため、なにもビリーに限った話ではない。
 ビリー・クラスになると、アルバム制作自体が大きなプロジェクトとなり、コロンビア全体の売り上げ中、占める割合も大きくなる。そうそう失敗作を出すわけにはいかなくなる。それはビリーだけじゃなく、音楽業界全体の問題でもあるのだ。
 話題性を煽るため、『Innocent Man』以降のアルバムには多くの豪華ゲストが参加している。シンディ・ローパーやスティーヴ・ウインウッド、ミック・ジョーンズやらジョー・リン・ターナーなど、ジャンルを問わず、まぁ節操がないこと。ウインウッドやミック・ジョーンズはまだ納得できるとして、他の2人が実際の楽曲制作にどれだけ貢献したかといえば、ちょっと疑問が残る。
 クリエイティヴィティは二の次で、大衆の支持を優先した商品を一義とした作業は、ビリーの本意だったのか。そりゃせっかく手に入れたアメリカン・ドリームを手放したくはないだろうから、多少の妥協はあったのだろう。
 ただ、真摯なアーティストとしては、そんな生活を長く続けるものではない。意に沿わぬ行動は、確実に精神を蝕む。「みんなのビリー」を演じる傍ら、私生活では奇妙な行動が目立つようになる。
 そんな悪循環に耐えきれなくなり、1992年の『River of Dreams』を最後に、ビリーは創作活動からの引退を示唆する。正確には、「もう大衆の望むポップ・ソングは書けなくなった」と、いうべきか。
 その後20年あまり、離婚・再婚を繰り返したり深刻なアル中を患ったりはしたけど、どうにかビリーは生き残った。ただ求められるがまま、過去のヒット曲を歌うシンガーとして。
 月1のペースで行なわれるマジソン・スクエアでのライブを主軸に、時々、肩慣らし的なカバーやデュエットを歌ったりはしているけど、まとまった形でリリースする気はなさそうである。エルトン・ジョンやピンクと共作するだのしないだの、断片的なニュースも流れてはくるけど、その後、進展があったという話もない。

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 ただ単に、いい曲を書いたら認められ、そして、多くの人々に愛された幸福な時代。
 世に広く流通した時点で、それは商品ではあるけれど、それ以上の価値と普遍性が認められたのが、80年代以前の音楽業界だった。
 弁護士や実業家によって、きちんと整備される前のエンタメ業界で、歳月に埋もれかけた歌たち。派手な色合いはまるでないけど、心のどこかに心地好い引っ掛かりを残す、そんなただの歌たち。
 ―そんな普通の歌たちを丹念に拾い集めてまとめたのが、この『Songs in the Attic』というアルバムである。


Songs in the Attic
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1. Miami 2017 
 1976年4枚目のアルバム『Turnstiles』のラストを飾ったナンバー。ビリー曰く、「ニューヨークで起こる大破壊を歌ったSFソングとして作った」とのことで、あらかじめそんなコンセプトを知っておけば、冒頭のレトロ・フューチャーなシンセ音も納得できる。てか、できねぇな普通。
 9.11同時多発テロを予見した終末観が注目を浴び、節目ごとにこの曲が演奏されるようになったのは、果たして幸か不幸か、と言いたいところ。

2. Summer, Highland Falls
 続けて『Turnstiles』より。拳を握り締めてしまうような曲から一転、爽やかな夏の午睡を想わせる叙情的なナンバー。メロディだけ聴いていると穏やかな心象風景を描いたものと思えてしまうけど、「鬱病に悩まされている人へ捧げる歌」ということで、さらにそんな人をどん底に突き落とすような内容。いや普通、ラジオ・エアプレイを考えるんだったら、ユーフォリアなんて言葉使わないって。
 こういうのって、アメリカ人って気にしないんだろうか。ライブだったら、そんな細かいフレーズや言い回しなんて、意に介さないのだろう。

3. Streetlife Serenader
 1974年3枚目のアルバム『Streetlife Serenade』のオープニング・ナンバー。邦題「街の吟遊詩人」と表されているように、当時住んでいた西海岸、LA界隈の街角のスケッチを、やや斜めな視線で描いている。ニューヨーク育ちのビリーにとって、LAとは通過点であったはずなのだけど、その居心地の悪さによって俯瞰的な視点を獲得できたことは、ソングライターとして収穫であったんじゃないかと。

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4. Los Angelenos
 続けて『Streetlife Serenade』より。オリジナル・アルバムもこの曲順となっている。勤勉なエルトン・ジョンといった風なピアノ・ロックで、オリジナルはやや線の細さの方が目立ったのだけど、ライブで場数を重ねたことで、ヴォーカルがビルドアップされている。
 当時も何となく思ってたけど、サザンの「DJ・コービーの伝説」そっくりだよな。インスパイアなのかリスペクトなのかオマージュなのか、まぁそっちも俺は好きなんで、どっちでもいいか。

5. She's Got a Way
 1971年のデビュー・アルバム『Cold Spring Harbor』のオープニングを飾った、いわばソロ・シンガー:ビリー・ジョエルが世間に初めて知られた曲。とは言ってもこのアルバム、初リリース時はちっとも売れず速攻杯盤で廃盤の憂き目に遭い、かなり後になってから再発された、というのはファンの間ではわりとよく知られた話。
 初々しいながらも、単調な甘さによるロマンチストぶりが目立ったオリジナルに比べ、ここでのテイクでは、しなやかなアクセントをつけたヴォーカルが、ストーリー性を演出している。ライブにもかかわらずシングル・リリースされ、US最高23位になったのも頷ける仕上がり。



6. Everybody Loves You Now
 こちらも『Cold Spring Harbor』から。基本、ピアノがメインのビリーの曲の中では、軽快なギター・ストロークが印象強いナンバー。オリジナルはやや神経質なピアノ・コードがメインで、エモーショナルなヴォーカル・スタイルは変わらないのだけど、ライブ映えするのはやっぱりギターをフィーチャーしたこのヴァージョン。
 当時はデビュー・アルバムが流通していなかったため、こっちがオリジナルと思っていた人、多いんだろうな。俺もずっとそう思ってたし。

7. Say Goodbye to Hollywood
 リード・シングルとしてもリリースされた、もはやこっちが定番のロック・チューン。有名な「Be My Baby」のドラム・イントロにオマージュを捧げ、過去の音楽遺産に大きな敬意を表している。間奏のサックスなんかはモロE. Street Bandだし、客を煽るヴォーカル・スタイルもスプリングスティーンを強く意識しているし。
 って思ってたらE. Street Band、なんとオリジネイターのロニー・スペクターとこの曲をレコーディングしていた。ま、これは余談。
 さらにさらに、桑田佳祐も幻のデビュー・アルバム『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』で、この曲をライブ・ヴァージョンでカバーしている。もしかして、こっちを聴いた方が先だったかもしれない。

8. Captain Jack
 このアルバムを聴き始めた当時は、キャッチ―でわかりやすい7.や、同じくわかりやすいセンチメンタルなバラードの5.のような曲が好みだったのだけど、年齢を経て、あらゆるジャンルの音楽を聴き倒してくると、この曲の良さがわかってきたりする。『Piano Man』に収録された壮大かつエモーショナルなバラードは、特にアンチ・ドラッグを強く訴えかけるメッセージ性を知ると、また印象も違ってくる。そんな理屈や頭で聴かなくても、シリアスな姿勢は充分伝わってくるけど。



9. You're My Home
 同じく『Piano Man』より。当時の妻:エリザベス・ウェーバーに捧げられた歌で、普遍的で素朴、それでいてやや不器用な男の思いのたけがストレートに描かれている。オリジナルは線の細いヴォーカルが、それはそれで初々しさが漂っているのだけど、成功者となって自信を持った男として歌われるライブ・ヴァージョンが、やはり決定版だろう。

10. The Ballad of Billy the Kid
 アメリカ人にとっての永遠のアンチ・ヒーロー:ビリー・ザ・キッドをテーマに、ビリー流に紡がれた寓話的バラード。日本で言えば石川五右衛門や明智光秀あたりのポジションなのかね。
 勧善懲悪のステレオ・タイプの悪役ではなく、人間臭さとロマンチシズムをデフォルメしたビリー像は、人によって意見が分かれるところなんだろうけど、ライブで盛り上がりたいアメリカン・ヤンキーにとって、内容なんてそんなの関係ねぇ。

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11. I've Loved These Days
 ラストはエモーショナルなピアノ・バラード。邦題は「楽しかった日々」。享楽にあふれた虚飾の生活からオサラバして、本当の人生をつかもうじゃないか、といった内容なのだけど、まだブレイクしていなかった『Turnstiles』の時期にこれを書いたビリー。
 喉から手が出るほど成功に憧れつつ、心のどこかで変容してしまう自分を予見し、そして恐れるビリー。穿った見方をすれば、ちょっとこじらせ過ぎじゃね?とも思ってしまうけど、それだけ純粋な感性の持ち主だったんだ、という風にも受け取れる。



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