folder  どこから来たかわからない音楽というものがある。
 得体が知れない、と言うと不気味なようだけど、出所不詳の音楽と言えばよいのか、ごくたまにそういった音がある。
 これだけポピュラー音楽の歴史も長くなると、砂上の楼閣のように埋もれてしまった音楽も多々あるわけで、その中でうまくサルベージされた物はごく僅か。
 ていうか、たとえ十年程度でも、後世に残る音楽の方が稀な存在であり、この世に生まれ出てきた音楽のほとんどは、ほぼ誰にも知られることなく、ひっそりとフェード・アウトしていった物の方が多いのだ。
 
 このAlice Clarkという女性の唯一のアルバムもまた、そういった類の音楽である。
 まず、デビューの経緯がはっきりしない。オリジナル・リリースのレーベルであるメインストリームは当時ジャズ/ジャズ・ファンク系の老舗だったが、それがどうしてこんな畑違いの「モロ」ディープ・ソウルのサウンドを手掛けたのか。多分、当時キャリアのピークだった Aretha Franklinの二番煎じを狙いに行ったと思われるが、あいにくそこまで売れることはなかった。
 作品のクオリティは申し分なかったのだけど、やはりジャズ系のレーベルだけあって、ソウル/ポピュラー系へのプロモーションが不得手だったのだろう。レーベルとしてもあまり力を入れてなかったのか、それともノウハウがなかったのか、あまりプロモーションも行なわれず、ほんと、ただ「リリースしただけ」といった感じだったらしい。
 
 セールス実績を残せなかったことにより、契約はワン・ショットで終わるのだけど、その後の彼女の足取りは不明である。その後も地道にライブを行なった風でもなく、ひっそり表舞台(というほど華やかでもないが)から姿を消している。記録にも残らないくらい場末のクラブばかり廻っていたのか、それとも完全に身を引いたのか。それすらもはっきりしない。

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 James Masonのレビューでも書いたけど、文字通りオンリー・ワンのアルバム、「無記名の音楽」である。突然何の脈絡もなく姿を現わし、そして何事もなかったかのように完全に姿を消す。
 よって、残ったのは純粋に音楽だけ。
 
 Aliceがほんとに脚光を浴びるのは90年代に入ってから。世界的なレア・グルーヴ・ムーヴメントによって、過去のジャズ、ファンク、ソウル、ラテンなどの音源が再発見されるようになり、レア物の発掘が盛んに行なわれるようになった。イギリスのアシッド・ジャズ界隈のオムニバスに収録され、注目を浴びたことが発端となった。
「この女は誰だ?」
 日本でも橋本徹提唱による「Free Soul」ムーヴメントによって、世界中にその歌声が飛び火した。その後も地味ながらもロング・テール型の需要によって徐々に評価が定着し、今ではディープ・ソウルのルーツ的名盤、レア・グルーヴの入門編として定番の位置にある。
 
 1972年という年はディスコ・ブーム前夜であり、ソウル系に絞ってみると、Roberta FlackやAl Greenが全米チャートで上位にランクインしている。泥臭いディープ・ソウルやソフィスティケィトされたニュー・ソウル系のアーティストがまだ元気だった最後の時代だ。そんな中、当時女性シンガーの最高峰とされていたのが、前述のAretha Franklinである。女性シンガーの誰もがArethaのように歌いたいと思っていたし、Aliceもまた例外でなく、彼女の影響下にあった。

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 俺的には、またAlice好きな人なら大抵そうだろうけど、やはりどうしてもArethaとの比較で聴いてしまうことが多い。ちなみに俺は断然Aliceのヴォーカルの方が好み。
 ネーム・バリュー的には圧倒的にArethaの方が優位だったため、昔から何枚も Arethaのアルバムは聴いていた。その中で好きな曲もいくつかあるし、今でも決して嫌いなわけじゃないのだけれど、何というか、Arethaの自信に満ちあふれ過ぎるヴォーカル・スタイルには、時々辟易してしまうことがある。ゴスペル・シンガーの家系に生まれ育ったArethaにとって、「歌う」ということはすなわち「生きる」ことと同義であり、そういったバックボーンに裏付けされた自信によって、彼女は 「Queen of Soul」の称号を得た。多くの人の心を大きく震わせるその声は、ポジティヴな確信に満ちあふれている。
 
 それに引き替え、Aliceのヴォーカルにそういった力はない。不特定多数の大衆の心に届くほどのカリスマ性は持ち合わせていない。もしArethaと並んで歌ったとしても、その声量・声質によって、確実にArethaの方に軍配が上がるだろう。ただ、一聴して大きく響くことはないけれど、その歌声は時間をかけて緩やかに、しかし確実に人の心を捉える。
 それこそが MainstreamのプロデューサーBob Shadの狙いどころだったのかもしれない。
 Arethaのようにバック・バンドを食ってしまいかねない爆発力のヴォーカルよりも、ジャズ的なサウンド・デザインによって、ヴォーカルも楽器の一部として捉え、他の楽器と並列して組み合わせるには、このくらい抑えた声質の方がトータル的にはフィットするのだ。
 
 まだ生きているのか、そしてまだ歌っているのかすらわからないけど、とにかく音楽は残った。ただ、後年まで記録として残ってしまうことが、Alice本人の望んでいたことだったのか。
 それは誰にもわからない。


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1. I KEEP IT HID
 もともとは70年代アメリカのシンガー・ソング・ライターJimmy Webb作のカバー。一番有名なのはLinda Ronstadtのヴァージョンだけど、基本はMOR的で中庸なポピュラー・ソングなのだけど、この曲にグルーヴィーなソウル・テイストを吹き込んだのはAliceの功績。
 冒頭の 「Deep down ~」の歌い出しから、この曲をすっかり自分のモノにしてしまっていることがわかる。Aliceのヴァージョンを聴くと、前者2人のヴォーカルが物足りなく感じてしまう。ていうか、俺はAliceで最初に知ったので、このヴァージョンが基準になってしまっている。
 Aliceの声の伸びが良い。全体的にフラット気味の発声がセクシーで、それに絡むギターのオブリガード(Cornell Dupreeらしいけど、クレジットにはない)も最高のサザン・ソウル。
 
2. LOOKING AT LIFE
 オリジナルはイギリスのシンガー兼女優のPetula Clarkで、こちらも王道のポピュラー・ソング。オリジナル・ヴァージョンは壮大なオーケストレーションがドラマティックさを演出しているのだけれど、Aliceのヴァージョンはもっとエモーショナルに、サザン・ソウル・マナーに基づいた音作り。
 しかし、この選曲がAliceの本意だったのか、それともプロデューサーの意向だったのだろうか。ステージでの定番曲だったとしたら、いい選曲センス。これをうまく料理できたのも、 Bernard Purdie(Dr)やGordon Edwards(B)らによる演奏のたまもの。終盤のフェイクからして、Aliceがもっともノッていた曲だというのがわかる。

 
  

3. DON’T WONDER WHY
 Stevie Wonder作による、こちらもエモーショナルなヴォーカルが聴けるナンバー。オーケストレーションを入れてドラマティックな展開のStevieに対し、リズムとホーン・セクションによるシンプルなサザン・ソウルを演じている。
 しかし、これもバックの演奏がノリにノッている。ドラムはドッカンドッカン、ベースもブォンブォンッと鳴りまくっている。やはりヴォーカルの力によって演奏のテンションも上がるのだろう。
 ちなみに Stevieのヴァージョンもオススメ。アレンジこそモータウンのフォーマット通りだけど、曲自体は既に完成されており、3部作のレベルにまで達している。
 
4. MAYBE THIS TIME
 女優兼シンガーLiza Minnelliの代表作『Cabaret』中の挿入曲のカバー。それほど熱心な映画ファンじゃないので、さすがに見たことはない。Youtubeでちょっと見てみたところ、やはりこれはこれでオリジナルも良かった。ていうか、Lizaすげぇ。
 Aliceは基本クールに歌っており、やはりミックスによってバック・バンドの存在感が強い。これもやはりプロデューサーの意向が強いのだろう。もちろん、Aliceの卓越したヴォーカル・テクニックがあってこそだけど。
 
5. NEVER DID I STOP LOVING YOU
 Free Soul系のコンピレーションではもはや定番となった、今で言う「神曲」。このアルバムの中では数少ないオリジナル曲で、やはりAliceの力の入れようも違う。アレンジ、ヴォーカル、演奏すべてが完璧なバランスで噛み合っており、あっという間の2分間。特にイントロのドラム・ロールとGordonによるベースの独特なフレーズ。ほんの1秒程度だけど、これを聴くだけでも価値がある、そんな曲。
 後にオーストラリアのディープ・ファンク・バンド Bamboosがライブでカバー。ライブCDにもこのまんまのアレンジで収録されているので、ゼヒ一聴を。

 

6. CHARMS OF THE ARMS OF LOVE
 ここからアルバムB面、ペンタトニック・スケールによる、日本人好みな曲。往年の昭和40年代歌謡曲チックな香りがプンプン。欧陽菲菲か和田アキ子あたりが歌ったら、日本でも受けたかもしれない。
 
7. DON’T YOU CARE
 こちらもレア・グルーヴ系のコンピレーションやミックス・テープに収録される率の高い、ファンキーなトラック。後半のブレイク、バックがドラムのみになってバンドを煽るAlice、そしてそれにまた絶妙に絡んでくるGordonのベースが気持ちいい。クールなリフをキメるホーン・セクションが、強制的にリズムを取らせてしまう。
 
8. IT TAKES TOO LONG TO LEARN TO LIVE ALONE
 アメリカのジャズ・シンガーPeggy Leeがオリジナル。
 しっとりした歌唱のオリジナルに沿って、Aliceにしては抑えたヴォーカライズなのだけど、やはりバックが好き放題にノッテしまい、ヴォーカルの陰影が目立たなくなってしまっている。この曲だけはちょっとオーバー・アレンジだったんじゃないかと思う。
 楽器と並列に考えたヴォーカル・ミックスと言えばそれまでだけど、もう少し何とかなんなかったの?と思ってしまう。
 ただ、バンドが悪いわけではない。ヴォーカルを抜きに考えれば、バンドのテンションは絶頂に達してるので、できれば分けて聴きたいくらい。

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9. HARD HARD PROMISES
 今度はホーン・セクションが悪ノリ。もちろんいい意味でだけど。そこにリズム・セクションが乗っかって、もうノリノリのファンキー・ナンバーになっている。これだけバンドに煽られて、Aliceも相当疲れたかと思う。
 アルバム中唯一、声が裏返っている曲。
 
10. HEY GIRL
 ラストは少ししっとりと。もともとはCarole King & Gerry Goffinによるオールディーズだけど、一般的に有名なのはやはりDonny Hathawayのライブ・ヴァージョン。
 オリジナルよりもDonnyのヴァージョンを手本として組み立てられたアレンジだけど、やはりバンドがノリッノリとなって、原曲とは似ても似つかぬファンキー・ナンバーに変貌してゆく。なんでこの曲でサックスが思いっきりブロウするんだよ、確かにかっこいいけどさ。主役は Aliceのはずなのに。
 
 




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