好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

なんとなく忘れられてるアルバムをちゃんと聴いてみる その2 – Jeff Beck 『Flash』


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  -On behalf of his family, it is with deep and profound sadness that we share the news of Jeff Beck’s passing. After suddenly contracting bacterial meningitis, he peacefully passed away yesterday. His family ask for privacy while they process this tremendous loss.

 「家族を代表して、ジェフ・ベックの訃報を深く深く悲しみます。突然、細菌性髄膜炎に感染し、昨日、静かに息を引き取りました。彼の家族は、この大きな喪失を処理する間、プライバシーを守ることを求めます」。

 ほぼ70年代あたりから、見た目が変わってなかったため、いくつか知らなかったけど、78歳だったんだ。ロックミュージシャンにつきものの、酒やドラッグや女関係のトラブルもそれほど聞かず、比較的ヘルシーな生活ぶりだったはずだけど、寿命ばかりは避けられない。
 もう何十年も、イギリスの片田舎で車いじりとギターいじりのルーティンを満喫していたジェフ、ストレスを溜め込まず、比較的節制した生活のおかげで、同世代のミュージシャンと比べて老いは感じられなかった。染めてたのかズラだったのかは不明だけど、あの豊かな黒髪は年齢を感じさせない。
 「この機会に」っていうのは適当じゃないかもしれないけど、日本で言えば喜寿、1944年生まれで存命のアーティストを調べてみた。

 ロッド・スチュワート (1/10)
 ロジャー・ダルトリー (3/1)
 ボズ・スキャッグス (6/8)
 レイ・デイヴィス (6/21)
 ピーター・セテラ (9/13)
 ジョン・アンダーソン (10/25)

 一時はアメリカン・スタンダードばっかり歌ってラウンジ歌手みたいになっていたロッド、ここ数年はロックに回帰して、ジェフとは2019年、一夜限りのライブで共演したばかりだった。まとまった作品を残せなかったのが惜しまれる。
 去年亡くなったウィルコ・ジョンソンとのコラボがまだ記憶に新しいロジャー、今のところはザ・フーの稼働待ち。要はピート・タウンゼントのやる気とメンタル次第なんだけど、もう彼もアーカイブいじる気力すら残ってなさそう。どれだけ作ったんだろうか、『トミー』や『Live at Leeds』のエディション違い。
 ここ数年のAOR再評価の流れで、ちょっとだけ話題になったボズ、もともとグローバル展開の野心を持った人ではなく、もっぱらアメリカ国内で、ジャズ/R&B/ブルースをベースとしたマイペースな音楽活動を続けている。そう考えると、全盛期70年代の音楽性と何ら変わっていないわけで、ブレずに初志貫徹している。
 80年代に解散以降、弟デイブとの兄弟ゲンカでしか話題にならなかったデイヴィス兄弟、近年は和解して、目下キンクス再編に向けて鋭意準備中らしい。とはいえ2人とも70オーバーのため、何をやるにも遅々と進んでおらず、それもいつになることやら。だから若いうちに仲直りしておけって、ギャラガー兄弟。草葉の陰で母ちゃん泣いてるぞ。
 全然興味なかったので知らなかったけど、ずいぶん昔にシカゴを脱退していたピーター・セテラ。2020年、シカゴがロックの殿堂入りした時も、頑なに出席を固辞、ライブも行なっておらず、いまはどうやら引退したらしい。過去の栄光に囚われないって言ったらカッコいいけど、偏屈なジジイになっちゃったのかね。
 同じく啖呵を切ってイエス脱退後、同世代プログレ系界隈をフラフラしながら、「ほぼイエス」関連でしのぎを削っているジョン・アンダーソンは、どうやら健在。いまも黄金期イエスの名曲をメインに、精力的にライブも行なっている。本家を挑発するように「正調」イエス・サウンドを主張するジョン、あんまり調子に乗りすぎてスティーヴ・ハウを本気で怒らせたら、法的手段に訴えられて楽曲差し止めにもなりかねないのだけど、今のところそんな雰囲気もない。多分、プロレスなんだろうな、あの界隈の仲違いって。
 ちなみに日本に目を移すと、該当するアーティストはグッと少なくなり、せいぜい小椋佳くらい。この世代は坂田明や日野皓正・元彦兄弟などジャズ系が多く、ロック系となるとGS残党で故人が多くを占めている。内田裕也ももういないしね。

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 ヤードバーズでデビュー以降、半世紀に渡る活動歴を誇るため、ファン層も多種多様である。多くのベテランアーティスト同様、キャリア全体を網羅しているユーザーは少なく、各期・各時代に嗜好が点在している。
 最も人気が集中しているのが70年代のジャズ・フュージョン期で、多分、そこに異論はないと思われる。ギターを「メインとした」ロックサウンドを追求した結果、ギターを「主役にする」ため、ヴォーカルを取っ払ってしまった一連のインスト作品は、ロック/フュージョンファン双方に好評を得た。テクニック至上主義ではあるけど、根っこにあるロックテイストは、程よいポピュラリティを生み出した。
 ロックバンドのギターアンサンブルが好きな層には、ジェフ・ベック・グループの人気が高い。ロッドとロン・ウッドという花形プレイヤー2名を擁したブルースベースの1枚目と、メンバーチェンジによってR&Bに路線変更した2枚目とでは、まるで別のサウンドではあるけど、どちらも根強い人気がある。別バンドだけど、ベック・ボガート&アピスもほぼ同じ括りで、こちらも日本では人気が高い。ここまでが70年代。
 その後、時代は大きく飛んで21世紀、すっかり過去の人、またはセミリタイアを満喫中と思われていたベックは突如復活する。あまり積極的ではなかったライブ活動も活発となり、加えて1999年の『Who Else!』以降、5枚のスタジオアルバムをリリースしている。
 ほぼ5年に1枚だから、このキャリアにしてはかなりのハイペースである。この他にもライブアルバムも8枚リリースしてるし。
 ほぼ孫世代の若手ミュージシャンを積極的に起用し、ライブで鍛え上げてアンサンブルを固め、頃合いを見てスタジオ入りしてアルバム制作という、理想的なロックバンドのルーティンが展開されていた。普通の70代なら手元もおぼつかず、難易度高いプレイはイキのいい若手に任せるものだけど、ギタープレイは以前にも増して手数は増えるわトリッキーな奏法に磨きはかかるわ、むしろ進化している。
 図らずも遺作となった最新作は、なんとジョニー・デップとの共演で、ここでも俺様節が炸裂している。ロウソクの最後の輝きなんてものじゃない、アイディアと奇想のぶつかり合い。
 なんでこの年齢で、こんなアクティヴなの?ちょっとは見習えよ、3大ギタリストの残り2人。

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 そんな毀誉褒貶の激しい波乱万丈なキャリアを築いてきたジェフだけど、80年代から90年代はパッとしない。フュージョン期最後となる80年『There & Back』以降から99年『Who Else!』 直前までは、あまり話題にのぼることがない。
 まだ70年代のフットワークの軽さが残っていた80年代はまだしも、90年代となると、まとまった作品と言えるのは、ロカビリーのカバーアルバムと雰囲気重視のモヤっとしたサントラの2つくらいで、いずれも前向きな仕事ぶりとは言いづらい。もしかして表に出ていないだけで、実は中途半端で投げ出されたデモテイクの山が残されているのかもしれない。今後、発掘されるのかね。
 ほぼニートみたいな活動ぶりだった90年代は置いといて、80年代を振り返ってみるとジェフ、結構手広く働いている。オリジナルのアルバムリリースは3枚、当時の同世代アーティストと比べると少なめだけど、ミック・ジャガーやティナ・ターナーのレコーディング参加など、少ないけど強いインパクトを与える仕事を残している。
 で、80年代にリリースされたのは『Flash』と『Guitar Shop』の2作だけど、一般的に後者の評価が高い。リリース当時の反応も、ギターをメインとした全編インスト作品であったことから、「ついに復活!」的なニュアンスで取り上げられることが多かった。
 対して『Flash』、「取ってつけたアーサー・ベイカーとは相性最悪」だの「People Get Ready以外はイマイチ」だの「ていうか、歌ってるの初めて聴いたけど声が微妙」だの、当時からネガティブな意見が多かった。前作から5年ぶり、満を持してのリリースだったにもかかわらず、肩透かし感が強かった。
 名前と存在くらいは知ってた当時の俺も、そんなロキノンレビューを真に受けて、実際に聴いたのはずいぶん後だった。

① 時代に迎合してパワーステーション・サウンドや大味なアメリカンロックを演じてみたけど、ミスマッチ感が失笑を買った『Flash』。
② 時代に迎合し過ぎた反省を活かし、っていうか「そんなの関係ねぇ」と言わんばかりに開き直り、轟音パワーで押しまくるパワートリオの直球ロック『Guitar Shop』。

 おおよそこんな対比と思われるけど、でもちょっと待ってほしい。「時代に迎合」って書いちゃったけど、そもそもベックが時代性を意識しないことなんてなかったか?
 プレイスタイル自体はずっと異端ではあったけれど、70年代のロック期もフュージョン期も、時代の要請に導かれたサウンドである。ベック自身の感性とベクトルは、各時代ごとのトレンドとシンクロしており、類似作はあっても逆行はしていない。
 そういった時系列で見てゆくと、『Guitar Shop』はベック・ボガート&アピスのリベンジマッチであり、93年の『Crazy Legs』もロカビリー懐古のコンセプト作であって、前向きとは言い難い。こんなのは別に気張らなくても、片手間にできてしまうのだジェフ・ベックというアーティストは。
 なので『Flash』、いまだ空気みたいな扱いのアルバムだけど、先入観なく聴いてみると、思ってるほどの駄作ではない。ひとつのプロダクションで一気呵成に作られたのではなく、複数のセッションから構成されているため、ギターサウンドが物足りない楽曲もあるのは事実だけど、ある程度の商業性、メインストリームを視野に入れたサウンドコンセプトは、決して的はずれではない。
 当時、ヒットメイカーとして名を馳せていたナイル・ロジャースとアーサー・ベイカーの2大巨頭を擁しながら、US39位・UK83位とチャートは低迷した。一見すると、この時代のベテランアーティストにありがちな「時流に踊らされて大恥かいちゃった」パターンだけど、少なくとも前向きではある。
 ややオケと噛み合わなってないトラックもあるけど、インスト曲はアベレージを充分満たしている。もっとデジタルっぽさを強調すれば、トリッキーなギタープレイとマッチしていたはずだけど、ちょっと時代を先取りし過ぎた。テクノロジーが追いつくには、世紀を跨がなければならなかった。
 ヴォーカルパートも、いっそ全部ロッドに振っちゃった方がレベル上がったんだろうけど、それじゃどっちが主役かわかんなくなっちゃう。やっぱ、これでよかったんだな。




1. Ambitious
 ナイル・ロジャース作による典型的なパワステ・サウンドで、ジェフのギターを抜けば凡庸なコンテンポラリーロック。こんな風に書いてるけど、ギターソロの存在感が前に出ているため、案外悪くない。
 バンドのヴォーカルオーディションを模したPVは様々な有名人がカメオ出演しており、代わる代わるマイクに立って実際に歌っている。おそらくアフレコだろうけど、みんなそこそこ巧い。この辺が、アメリカのエンタメ界の裾野の広さなんだろうな。
 やたらオーバーアクションで演奏するジェフも笑顔を見せており、そこそこ楽しんでたんじゃないかと思われる。あんまり映ってないけど、フィンガーピッキングも見ることができる。




2. Gets Us All in the End
 デフ・レパードかヨーロッパを連想させる、繊細さも色気も何にもないハードロック。冒頭の気合入ったギタープレイ自体はいいんだけど、ていうかジェフである必要性がまるでない。
 アルバムセールスの好調を見越して、のちのちシングル向けの楽曲として用意して、実際その通りになったんだけど、結果はビルボードのメインストリームチャートで最高20位。あれ、そこそこ評判良かったんだ。大味なサウンドなので、サバイバーあたりと勘違いして聴かれていたのかもしれない。

3. Escape
 以前もコラボしていて、相性の良いヤン・ハマーのプロダクションによるインストチューン。ジェフの、というよりほぼハマーの世界観にゲスト参加したみたいな感じなので、安心して聴ける。他のトラックと比べて、ギターはそれほど暴走していないため、安定感はある。
 従来ファンへの抑えとしては有効。当時のハリウッド映画って、こんなサウンド一色だったよな。「ビバリーヒルズ・コップ」や」「マイアミ・ヴァイス」やら。

4. People Get Ready
 最近も車のCMで起用されて耳にすることが多いけど、昔も何かのCMで使われたよな。すぐに思い出せないけど。
 オーティス・レディングで言うところの「The Dock of the Bay」みたいな、ロッド・ジェフ双方にとってベタな選曲で一般的な人気も高い曲だけど、そういった先入観を抜きにしても、やっぱりいい。当時の2人のいいところが全部詰まっている。
 もともとロッドのソロアルバムにジェフがゲスト参加して、そのお返しで参加した、という流れなのだけど、ここでそのままユニット結成ってわけには行かなかったのが惜しまれる。
 何度も繰り返し見たけど、思いっきりセンチに振ったPVもいい。




5. Stop, Look and Listen
 前述のヤン・ハマーをもっと下品に展開した、これ見よがしなオーケストラヒットから始まるロックチューン。ロックアーティストが不慣れなダンスチャートに食い込むため、いわばエクステンデッド・ミックスしやすいトラックを組んだナイル・ロジャース。考え方は間違っていないのだけど、イヤやっぱヴォーカルがきついわ大味すぎて。
 ジェフのギターソロもトラックに準じたプレイで独創性が少ない。もうちょっと自由にエキセントリックに、リズム無視するくらいで弾かせてあげればよかったのに。

6. Get Workin'
 ジェフ自身のヴォーカルによる「エレクトリック・ダンス・ポップ」って形容したらいいのか、まぁとにかくそんな曲。「あぁこんな声してるんだ」っていう印象。
 くり返すようだけど、デジタルビートと予測不能なジェフのギタープレイとの相性は、決して悪くない。ドラムンベースやテクノみたいなアプローチがまだなかった時代ゆえ、ここまでが限界だったのだ。おそらくジェフの中では、曖昧ではあるけれどビジョンは見えていたはずで、ただ前例がなかったしシンセ使いでもなかったから、そんな意図をナイル・ロジャースには伝えきれなかった、ってわけであって。

7. Ecstasy
 普通にビートの効いたエレポップとしても出来が良い、このアルバムの中では比較的成功しているんじゃね?と思わせてしまうトラック。クレジットを見ると、作曲クレジットにサイモン・クライミーの名が。
 日本でもCMに起用されたりで、やや名の知れていたエレポップユニット:クライミー・フィッシャーの人だった。キャッチーでツボを心得たメロディは、前述のジミー・ホールが歌っても大味に聴こえない。やっぱプロダクションって大事なんだな。

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8. Night After Night
 再びジェフ・ヴォーカルによるエレポップチューン。おそらく「Let’s Dance」みたいにしたかったんだろうけどハマらなかった、そんなミスマッチ感が惜しい。スカしたヴォーカル・スタイルは大目に見るとして、曲芸的なアクロバット・ギタープレイは悪くない。
 要は当時のシンクラヴィアやDX7では、ジェフのギターサウンドに対してマシンスペックが足りなかった、っていう結論。

9. You Know, We Know
 この次の『Guitar Shop』で組むことになるトニー・ハイマスのプロダクション。適度なセンチメンタリズムを織り交ぜたプレイは、クラプトンっぽく聴こえるため、「らしくない」んだけど、でも弾いてるジェフは楽しそう。
 後半からシンセの音圧が高くなって、ギターとのバトルみたいな展開になるのが面白い。フュージョンとはまた違う、ロックの文法を使ったインスト作品は、ひとつの可能性を見出したんじゃなかろうか。
 ここまで書いてきてなんだけど、『Guitar Shop』聴きたくなってきちゃったな。続けて聴いて、また次回に書こう。





 

なんとなく忘れられてるアルバムを聴いてみる その1 - Fleetwood Mac 『Behind the Mask』


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  ちょっと古い話題だけど2020年、「クランベリージュース片手にスケートボードで滑走しながら「Dreams」を口ずさむ」、そんなユルい動画がTikTokで大バズりしたことで注目を集めたフリートウッド・マック。「Dreams」がリリースされたのが45年前なので、往年の国民的流行曲がめぐり巡って、たまたま若い世代にハマった、ってことなのだろう。




 TikTokによる波及効果は日本も同様で、若い世代中心に、PUFFYや倖田來未などのダンス動画が大量生産されている。でも大抵「踊ってみた」系ばっかりなんだよな。
 「50代前後のオヤジが中途半端な田舎の市道をダラダラ運転しながらうろ覚えで昭和歌謡口ずさむ」動画には需要がない。もしかすると、もう誰かやってるのかな、俺が知らないだけで。

 それよりもマック、去年の11月30日、長く中心メンバーとしてバンドを支えていたクリスティン・マクヴィーが亡くなった。正直、そこまで思い入れがあった人ではないのだけど、今後、全盛期メンバーの完全な形での再結成がなくなったことは、ちょっと寂しさも感じる。
 彼女の訃報を受けて、多くのアーティスト/ミュージシャンから哀悼の念が届き、当然、バンドメンバーからも追悼コメントが寄せられた。
 ミック・フリートウッド
 「今日、私の心の一部が飛び去りました」。
 スティーヴィー・ニックス
 「世界で一番仲の良かった友人が亡くなったと聞かされた」。
 リンジー・バッキンガム
 「彼女と僕はフリートウッド・マックという魔法の家族の一員であっただけでなく、僕にとってクリスティンは音楽仲間であり、友人であり、ソウルメイトであり、姉であった」。
 元夫ジョン・マクヴィーのコメントのみ見当たらなかったのだけど、どうやらSNSやってないっぽい。御年77歳なので、スマホ持ってなくても不思議はない。まぁ分別ある大人としてビジネスパートナーとして、日本で言う弔電くらいは出しているんだろうけど。

 ちなみにフリートウッド・マック、最後のオリジナルアルバムがリリースされたのが2003年、それ以降はレコーディングはおろか、アルバム制作する動きもない。『噂』を始めとしたバックカタログのリイッシュー売り上げが堅調なので、わざわざリスクを冒す気もないのだろう。
 多くのベテランバンド同様、代表アルバムのデラックス・エディション → それに付随する全曲演奏ツアーがローテーション化していたのが、近年の彼らである。
 もはや新たなマテリアルをイチから作り上げる気は毛頭ないけど、比較的お手軽に集金できるライブ活動には熱心な彼ら、2018年から2年越しでワールドツアーを敢行している。ヒット曲中心のパッケージツアーなので、アラフィフ以上には大盛況だし、演奏だってほぼサポメン頼りなので、以前ほどのプレッシャーもなく、彼らにとっては至せり尽せりのお小遣い稼ぎである。
 確固たるイデオロギーに裏づけされたバンドではないため、言っちゃ悪いけど金の臭いには目ざとい、フットワークの軽いバンドである。もうちょっとオブラートに包むと、「機を見るに敏なビジネスライク」って言うべきか。
 そんな彼らなので、そろそろクリスティン追悼イベントの噂でも持ち上がりそうなものだけど、いまのところ、どこからもそんな動きは見られない。ツアーじゃなくて単発ライブならどうにでもなりそうなものだけど、誰かが手を挙げる気配もない。
 前回のツアー終了後、世界的なコロナ禍によって、ライブ興行中心となっていたエンタメ事情が一変したせいもある。欧米ではだいぶ落ち着きを取り戻しつつあるけど、一旦止まってしまったシステムは、まだ完全復活には至っていない。
 ぶっちゃけ、音楽的な貢献度は少ないしキャラも薄いけど、一応は顔を立ててジョン・マクヴィーをメインホストにするのが順当なのだけど、彼もまた数年前に大病を患っており、体力的にちょっと難しい。もしやれたとしても、名義だけ借りてビデオメッセージくらいかな。
 名義上のリーダーとして、長年バンドをまとめ上げてきたフリートウッドは、人付き合い良く顔も広いため、ひと声かければあらゆる方面から参加アーティストが集まりそう。バンバン儲けまくった全盛期に破産宣告するくらいの人だから、金遣いも荒いだろうし怪しげな儲け話にもコロッと騙されそうだから、この機を逃すようには思えないのだけど、もうめんどくさいのかね、そういうの。
 思いつきで言い出しっぺの大将タイプなので、それを受けて緻密な計画立案する参謀が必要なのだけど、そうなるとやはり、実作業には欠かせないバッキンガムが必要になってくる。自分から手を挙げることはないけど、でも多分、呼べば来る。なんだかんだ文句は言うけど、絶対に来る。
 いまこの瞬間も、いつ来ると知れぬフリートウッドからのオファーを待っているかもしれない。それが、リンジー・バッキンガムという男だ。

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 それぞれ利害関係や方向性は違えど、おおむね男性陣は前向きと思われる。3人ともオファーがあれば、固辞することはないだろう。
 ここまで来ちゃうと何となく想像できるように、一番めんどくさそうなのが、紅一点となってしまったスティーヴィー・ニックスである。見た目の通り、ラスボス登場だ。
 数々のゴシップやスキャンダルさえ芸の肥やしとしてきた彼女、こういった際の立ち振る舞いはわかっている人なので、「世間のイメージ通りのスティーヴィー・ニックス」的コメントでお茶を濁している。反面、自分が主役じゃないと気が済まない、蝶よ花よと持て囃されることが「当然」と思ってる人でもある。特にクリスティン亡きあと、マックの一挙一動は彼女の意向が最優先されることになるだろう。
 日本ではマック本体すら、「そこそこのメジャー」くらいの知名度のため、彼女の第一印象と言えば、「魔女」や「歌姫」「永遠の妖精」など、レコード会社のキャッチコピーみたいな陳腐なイメージしか思い浮かばない。反面、本国アメリカでのスティーヴィーの人気は根強く、ソロでも堂々とした実績を残している。
 かつては近寄りがたい魅惑と魔性のオーラを発散しまくっていた彼女だけど、さすがに60過ぎたあたりから自分でもイタさを感じるようになったのか、近年はそんなキャラを逆手に取って、謎の魔女役でテレビドラマにカメオ出演したりしている。歌手としての彼女を知らない、これまでのファン層とはリンクしない形で注目されており、芸歴の長さはダテじゃない。

 自己顕示と承認欲求の塊であるスティーヴィー、始終顔を合わせてると、そりゃめんどくさいし疲れるはずなのだけど、やはり彼女がいてこそのマックであることは、誰もが認めているはず。同世代では抜きんでた彼女の声質やメロディに共鳴して、年を追うごとにバッキンガムのクリエイター・スキルは向上していったし、単なるバンドの紅一点に過ぎなかったクリスティンもまた、場末のアバズレ感漂うスティーヴィーとの対比によって、「比較的」フラットなキャラを確立できた。
 リズム隊2人は、まぁどうでもいい。よく言えば何事にも動じない、バンドのブランドが維持できれば、些事にはこだわらない。そんな人たちだ。
 もともとフリートウッド・マック、『噂』以前から、数々のソングライターやフロントマンを馘首したり愛想尽かされたり、それはそれはメンバーチェンジの激しいバンドだった。名前の由来になっているリズム隊2名は、個人のエゴより屋号の継続を優先し、自分たち以外のメンバーをハイペースですげ替えた。
 バンド固有のサウンドコンセプトを持たず、たとえ前作とかけ離れた作品になったとしても、「フリートウッド・マック」のクレジットをつけてしまえば、それは正真正銘の「フリートウッド・マック」なのだ。「とにかく売れれば勝ち」を地で行った、勝てば官軍を体現しているのが、マックというバンドの本質のひとつである。
 なので、全盛期マックのキーパーソンであるバッキンガムの脱退も、尋常じゃない力技で、どうにかねじ伏せてしまう。以前、フリートウッドのソロプロジェクトに参加したビリー・バーネットに打診したところ、「あいつも一緒なら」という条件で、友人リック・ヴィトーも抱き合わせで加入することになってしまう。
 バーネットはカントリー一家の生え抜きだし、ヴィトーはブルースをベースにしたロック全般を得意としているため、微妙にキャラはかぶらない。この際、音楽性はあまり問題にならない。自分で曲が書けて歌えて、しかもギターまで弾けるのだから、リズム隊にとってはオールOKである。

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 どうにか頭数を揃えた新生マックは90年、新作スタジオアルバム『Behind the Mask』をリリースする。偏執的にこだわり抜いた挙句、どの音もフィルターかかり過ぎて密室的なサウンドとなった前作『Tango in the Night』から一転、時代性とリンクしたコンテンポラリーサウンドに仕上がっている。
 クセ強なバッキンガムのサウンドプロデュースは、時に女性ヴォーカル2名の個性すら上回る記名性に満ち溢れていたけど、ここではその窮屈さは見られない。ソングライター4人4様に、それぞれのキャラに応じたアレンジやアプローチが使い分けられ、多様性に富んだ構成になっている。
 言ってしまえば全方位的な無難な音、シングルヒットをこれまでより強く意識したサウンドになっており、まぁ聴きやすいこと。聴きやす過ぎて引っかかりがなく、いつの間にか聴き終えてしまう。
 なので、バッキンガムのクセ強感が鼻についてたファンにとっては、心地よいアダルトコンテンポラリーなポップとして、抵抗なく受け入れることができる。逆に、バッキンガム・フォロワーからすれば、オチもヒネリもないカントリーポップや産業ロックは、ちょっとあっさりして物足りなささえ感じてしまう。
 ジャクソン・ブラウンやドン・ヘンリーなど、主に西海岸のアーティストを手がけてきたグレッグ・ラダニーを共同プロデュースに迎え、ワーナー営業の意に沿ったサウンドコンセプトで固められた『Behind the Mask』。正直、「マックの新作」と銘打ってなければ、バラエティ色に富んだ、スキのないアルバムである。
 いい意味でエゴイスティックではあるけど、決して時代に寄り添わないバッキンガムのサウンド・アプローチは、常連ファンこそ受け入れるけど、90年代の多様化したマーケットではすっかりアウト・オブ・デイト、若い新規ファン層への広がりは期待できない。
 彼らクラスのセールス実績を持つバンドであるなら、ワーナー的にもコケさせるわけにはいかない。下手につまづいて、まだ資産価値のあるバックカタログを引き上げて移籍されようものなら、それこそ重役クラスの首ひとつじゃ済まされない。
 「『噂』ほどは望めなくとも、『Tango in the Night』くらいだったら、おおよそ成功」という営業目標のもと、メンバー平等に見せ場のある総花的な『Behind the Mask』はリリースされたのだった。よほどヘタ打たない限り、大ハズしすることはない。『噂』以降のマックのセールス推移からして、誰もがそう信じて疑わなかった。

 で、何となく想像できるように、『Behind the Mask』は前作セールスを大きく下回った。主要マーケットであるアメリカでは最高18位、欧州圏ではそこそこ評判は良かったけど、でも『Tango in the Night」にはとても及ばなかった。
 どんなオケでもどんなアンサンブルでも、超マイペースで強烈なキャラを示すスティーヴィーは別格としても、新入り2名が中心となった楽曲は、バッキンガムの不在を埋め合わせるには至らなかった。無理にはみ出さず無難な仕上がりとして、聴きやすくはあるけど引っかかりは薄い。
 「フリートウッド・マック」のメンバーがプレイしてるし歌ってるんだけど、でもマックである必然性はない。そういうことだ。
 税理士や弁護士中心で構成された経営陣と、何らリスクを負わない企業コンサルタントの方便 = マーケティング戦略に翻弄されたあげく、『Behind the Mask』は無難で中庸でフワッとした仕上がりになったと言える。理詰めでコントロールできないスティーヴィーは別として。




1. Skies the Limit
 バッキンガムが去って以降、バンド内リーダーシップを発揮したのは、実はクリスティン・マクヴィーだった。総務・人事的な役割のリズム隊2名に対し、スタジオ内でイニシアチブを握ったのが彼女だった。
 バッキンガム&ニックス加入以前のレコーディング・スタイルに回帰して、ほぼメンバー全員が作業に関わった。スティーヴィー・ニックス?彼女は別だ。彼女は常に、独自の時間軸で生きている。
 で、そんなクリスティンがメインのトラックがオープニングを飾ったわけだけど、バッキンガム・サウンドとは明らかに違う。違って当たり前だけど、マック以外のポップソングを意識し過ぎたのか、無難な仕上がり。一応、シングルカットされているけど、ビルボード総合ではランクインしなかったのも頷ける。

2. Love Is Dangerous
 新入りヴィトーとスティーヴィーの共作による、モダンなブルースチューン。「Skies the Limit」同様、シングルカットされてチャートインしなかったけど、初期マックの進化形として見るなら、これはこれでアリ。バッキンガムの緻密な繊細さとはまるで対極だけど、新局面としては全然OK。

3. In the Back of My Mind
 新入りバーネットによる、プログレッシヴ風味漂う大仰なロックチューン。レコーディングにあたり、48トラックレコーダー×3台を使用し、ギネス認定されたという豆知識は、もう今は昔。
 一応、マック名義とはなっているけど、実質はほぼバーネットのソロみたいなもので、メンバーがコーラス参加している体で聴く方がすっきりする。一聴して存在感を醸し出すスティーヴィー、気怠くやる気なさそうだけど、コレいつものことだから。

4. Do You Know
 クリスティン&バーネットによる、穏やかなバラード・デュエット。AORじゃないんだよな、ちょっと古いけど「産業ロック」って言い方がふさわしい。明らかにCD世代にターゲット絞って、中年世代以上のヒット狙ってるもの。ミスチルやバックナンバーみたいなものだよな。
 ロック版「エンドレス・ラブ」みたいなベタな曲なんだけど、ほど良いアコースティック要素やユニゾンの妙など、しっかり作られており、好感度は高い。アルバムセールスがもっと伸びていれば、シングル候補だったと思うんだけど。

5. Save Me
 ビルボード最高33位に達した、このアルバム唯一のヒット曲。クリスティン主導による、やや前ノリなロックチューンであり、アンサンブルの一体感が強い。要はバンドっぽい。
 アルバムのコアと言いきっちゃっても差し支えない、若手2人による疾走感とベテランの安定感がうまく融合している。バッキンガム時代にはなかった、ほど良いキャッチー感と開かれたサウンド。
 新局面の指針として、ふさわしい楽曲だったんだけどな。続かなかったけど。




6. Affairs of the Heart
 やっと登場、スティーヴィーの独壇場トラック。カントリーテイストとメインストリームポップのハイブリットがうまく時代にフィットしているけど、でもそんなの関係ない。彼女が気持ちよく歌ってドレスヒラヒラさせてれば、もうそれでいいのだ。

7. When the Sun Goes Down
 新入り2人によるモダンブルースなロックチューン。コッテリしたスティーヴィーの後なので、箸休め的にこういった軽い曲も悪くない。
 マックっぽさはまるでないけど、一瞬、呪詛のようなスティーヴィーのコーラスが聴こえてくることで、ちょっと我に返ったりする。

8. Behind the Mask
 クリスティンがメインの曲で、やめたはずのバッキンガムがなぜかこの曲のみ、アコギで参加している。わざわざ呼び寄せたというより、『Tango in the Night』セッションのアウトテイクを手直ししたんじゃないかと思われる。
 こうやって聴き進めていると、やはり異色の、っていうか独自のバッキンガム風味。一曲くらいならスパイスとしてアリだし、この曲のテイストにうまくフィットしている。

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9. Stand on the Rock
 ヴィトー主導によるブルースロックチューン。80年代クラプトンが切り開いた、CDサイズのモダンロックの文脈を踏襲しており、極度にはみ出したりアグレッシブなプレイはない。ガチなブルースとしてはアクが弱いけど、この頃はロバートクレイみたいな「うまく調整されたブルースロック」がひとつの潮流としてあったので、時代的には間違ってない。ていうかそんなに嫌いじゃない。

10. Hard Feelings
 お次はバーネットによる王道アメリカンロック。ブライアン・アダムスあたりをモチーフにしたのか、キャッチーで分かりやすく、しかもちょっとだけブルースっぽさも入れている。
 これも嫌いじゃないんだけど、マックっぽさは感じづらい。もう2、3作、この体制で続けていたら馴染んできたのだろうけど。終盤でフィル・コリンズっぽくなるけど、それはちょっとやり過ぎ。

11. Freedom
 大衆が求めるアバズレ感を見事に演じる、どこまでが地なのか、もう自分でもわからなくなってるスティーヴィーのソロ。一応、マックのアンサンブルでレコーディングされているけど、明らかに他の曲とテイストが違うので、ソロプロジェクトの完成デモを持ち込んだんじゃないかと思われる。
 女性陣に限って言えば、ギタリスト2名を入れたのは正解だったんじゃないかと思う。バッキンガム時代では、こんなストレートなロックスタイルのギターソロはほぼなかったし、ヴォーカルとの相性は決して悪くない。
 いっそ開き直ってハートみたいに、女性2人メインのユニット形式に移行する策もあったんじゃなかろうか。ここまで聴いてみて、そう思ったりする。


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12. When It Comes to Love
 「Do You Know」と同じプロダクションと思われる、クリスティン&バーネットによるデュエットチューン。この曲も丁寧に作られた良質なMORで、もうちょっとアルバムが売れてればシングルカットもあったはずなんだけど。2人ともクセが少なくフラットな声質なので、どこまで売れるかは疑問だけど、俺は好きなんだけどな。

13. The Second Time
 トリを務めるのはスティーヴィー。アルバム制作の貢献度からいえばクリスティンなんだけど、そこは花持たせたんだろうな。プロジェクトを円滑に進めるには、微妙な駆け引きも必要だ。
 幻想的でファニーなヴィトーのトラックに対し、相変わらずの酒灼けしたヴォーカルは、「あぁマックのアルバムなんだなぁ」という充足感を与えている。ダミ声ではあるけど、妙な憂いはあるんだよな。






元ビューティフル・サウス:ポール・ヒートン栄光の軌跡と紆余曲折 その2 - Paul Heaton & Jacqui Abbott 『What Have We Become?』


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  前回の続き。




 一応、円満な発展的解消に落ち着いたビューティフル・サウス解散を経て、ポール・ヒートンはソロ活動を再開する。2006年サウス最終作『Superbi 』リリース以降、バンドは開店休業だったため、時間だけはたっぷりあった。
 2007年、正式に解散が発表され、翌2008年にはソロ再デビュー作『The Cross Eyed Rambler』をリリースする。相変わらず立ち直り早いし切り替え早いし、尽きない量産ぶりはコステロ並みだなヒートン。
 細かい変遷はあったけど、基本はオーソドックスなアコースティック/フォークポップだったサウス〜ビスケット・ボーイに対し、独りになって思うところがあったのか、ここでは大胆なイメージチェンジを図っている。
 どこから引っ張ってきたのかヒートン、ひと回り世代の違う若手ミュージシャンを集め、新たにバンドを結成した。その名も「The Sound of Paul Heaton」。有名どころはヒートンしかいないので、ほぼバックバンドみたいなものである。しかしダセェネーミングだよな。
 Mark E. Smith率いるFallに一瞬いたSteven Trafford以外、ほぼ無名の若手中心で、インディーポップ/ロックバンド的なアプローチが展開されている。ガレージロックに触発されたラウドめのサウンドに触発されたのか、メロディもシンプルに抑えられ、ヴォーカルも心なしか前のめり気味になっている。
 わざわざバンド名義にするくらいだから、それなりに気合い入れてたはずだし、原点回帰でマメにUKツアーも行なったのだけど、チャートはUK最高43位に終わっている。まっさらの新人バンドならともかく、ヒートンのネームバリューがまったく通用しなかったのは、スタートとしてはちょっと肩透かしだった。
 「まぁロック界隈ではそんなに知名度なかったし、そんなにプロモーションもしてなかったし」と、第2弾『Acid Country』でも引き続き、ギターメインのパワーポップで押し通してみたのだけど、前作よりさらに低い最高51位という結果に終わる。明らかに固定ファン離れてるな。

 ポップなメロディとガレージロックは決して相性が悪いわけではなく、ハードめならメロコア、ソフトに振れてもパワーポップというフォーマットがあるのだけど、そのどちらともリンクせず中途半端だったのは、やっぱ向いてないんじゃなかろうか。かつては英国の標準家庭に一枚はあったサウスのアルバム、そんな保守層が荒ぶるヒートンを求めているとは、とても思えないわけで。
 山下達郎だって、ほんとはAC/DCみたいなハードなサウンドが大好きなんだけど、自分の声質には合わないから、ソフトサウンド路線を選択したわけだし。今はもう無理だろうけど、ヘドバンする達郎も見てみたかった気もする。イヤやっぱいいわ、なんか怖いし。
 さすがに2作続けてコケたことで懲りたのか、バンドは解散、ロック路線にさっさと見切りをつける。多分、周辺スタッフも「そろそろサウス路線に戻った方がいいんじゃね?」と口添えしていたはずだけど、そう言われると逆張りに行ってしまう英国人気質。元メンバー残党で結成されたThe Southの手前、同じ路線は歩みたくない。
 そんな矢先、ちょっと違う方面からオファーが舞い込む。アーティストとしてではなく、サウンドプロデューサーとして。

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 「世界で初めて新作の委託製作のみに特化した国際フェスティバル。2007年に第一回を開催。舞台芸術、ビジュアルアート、ポップカルチャーを融合した作品が特徴的」という趣旨のマンチェスター国際フェスティバル。隔年で約2週間の開催期間中、演劇からオペラ、映画から現代美術からパフォーミングアートまで、世界中さまざまなジャンルのアーティストが参加している。
 過去のラインナップを見ると、スティーヴ・ライヒとクラフトワークのコラボ、マッシヴ・アタックによる映像と音楽のパフォーマンス、デヴィッド・リンチ:プロデュースの舞台パフォーマンスなど、斜め上のサブカル好きには垂涎のプログラムが並んでいる。今年も草間彌生が新作提供していたり映画『マトリックス』をテーマとしたダンスパフォーマンスがあったりして、興味なくても行けば虜になってしまうイベントが盛りだくさんである。
 そんな2011年のラインナップのひとつとして、「七つの大罪」をテーマとしたショウが企画された。マンガや映画『セブン』でも取り上げられた、カトリック由来のテーマである。そのサウンドプロデューサーとして「なぜか」ヒートンが指名された。
 高潔でアーティスティックで先鋭的なフェスティバルに対し、場末のアイリッシュパブでサッカー中継を横目にクダを巻く労働者階級のヒートンは、控えめに見ても場違いである。彼の作風である「市井の一般庶民のドタバタ悲喜劇」と新約聖書とのギャップ萌えを狙ったー、イヤ強引すぎるな、どう好意的に見ても。やっぱ何かの間違いだったとしか思えない。
 地元の強力なコネでもあったのか、はたまたキュレーターが誰かと勘違いしたのか。ヒートン自身も「なんで俺?」って思わなかったんだろうか。

 ただショウのすべてを取り仕切ったわけではなく、大筋のコンセプトは著名劇作家のChe Walkerがシノプシスを書き、舞台演出も実績のあるGeorge Perrinが腕を奮った。そりゃそうだ。
 ヒートンの役割は、シノプシス/テーマに沿った、8楽章から成る組曲を制作することだった。嫉妬や強欲など、テーマにフィットしたシンガーの選出・構成も、彼のミッションだった。強引に1人で歌い分けることも可能っちゃ可能だけど、それじゃただのソロライブだもんな、サエない中年男だけじゃ華もないし。
 これまでとは趣きの違う不慣れな仕事ゆえ、いろいろ苦心惨憺だったことは察せられる。いろいろダメ出し食らったりボツにされたりもしたんだろうな。
 おそらく敬虔なクリスチャンとは思えないヒートン、これまで宗教を揶揄したり遠回しに小バカにしたような楽曲は書いてきたけど、パロディ抜きのシリアスな表現はしたことがなかった。今回はさすがにシニカルな視点は傍に置いて、真摯かつエンタテインメントとして成立してなければならない。
 きちんとしたシナリオがある分、まだ救われたと言える。じゃないと、ヒートン成分が入りすぎてキンクスみたいになっちゃってただろうし。
 世界的には無名だけど、堅実な仕事をするスタッフやアーティストによって、『The 8th』は格調高いエンタテイメントとして演じられた。キリスト教由来のテーマなので、無宗教の俺がどうこう言えるものではないけど、トータル的にはちゃんとしている。ヒートンのくせに。
 ていうかヒートン、この本編ではほぼモノローグのみの役割で、基本的には裏方である。なので、彼目当てだとちょっと肩透かしを喰らってしまう。
 のちにこのプログラム、CD/DVDにまとめられたのだけど、実際の公演では後半でヒートンのソロライブもあり、むしろそっちの方が堅苦しくなくて好評だったらしい。大衆的なアーティストの箔づけとしては有効なんだけど、本人的にもお呼びじゃない感が先立って集中できなかったんじゃなかろうか。
 ちなみにこの年のマンチェスター国際フェスティバル、他のプログラムがやたら充実しており、デーモン・アルバーン制作の京劇オペラやビョークのライブなど、ヒートンが霞んでしまうラインナップが目白押しとなっていた。そりゃ世間の注目はそっちに行くし、そこまで興味のない俺でさえ、やっぱ生ビョークは見たいもの。

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 なのでこの『8th』、これまでのヒートンのキャリア中、CDセールスは最低ランクだった。まぁ本人歌ってるわけじゃないしね。
 収益性はともかく、クリエイティヴ面で手ごたえを感じていたら、その後も地道に続けているはずだけど、いまのところそんな動きもない。当時の劇評に目を通すと、それほど批判的な意見は見受けられないのだけど、だからと言って絶賛もない。
 ヒートンにしてみれば、たまたまスケジュールが空いてた時に舞い込んだ請け負い仕事であり、評判良ければ、そっち方面へ行くのもアリかな?と思ってはいたけど、リアクションの薄さと作業の煩雑さに辟易しちゃったんじゃなかろうか。いつもの自作自演と違って、お題はガチガチに決まってるし、そもそも長編小説的な組曲を書くタイプではなく、短編小説の作風だし。
 なので、ヒートンのキャリア中、ほぼなかったことにされているこの『8th』。セールス面でもクリエイティヴ面でも、ほぼ得るものはなかったのだけど、大きな出逢いがひとつあったため、重要なターニングポイントとなっている。
 プロジェクトに参加したシンガーの多くは初顔合わせだったのだけど、おそらくヒートンの強い希望だったのか、旧知のジャッキー・アボットが参加していた。

 「もうこんな下品な歌は歌いたくない」という理由で脱退したブリアナ・コリガンの後釜として、アボットはサウスの2代目女性ヴォーカリストに就任した。脱退後、ソロデビューを経て、学校の先生になったコリガン。もともとまともなキャリアを歩んできた人だから、相当我慢してたんだろうな。
 そんな反省もあったのかヒートン、アボット加入以降、あからさまで下品なエロを表現することは減ってゆく。チマチマした小市民のソープオペラは相変わらずだったけど、クセの少ないアルトヴォイスはヒートンの声質とも相性が良く、数々のヒット曲を生み出す名パートナーとなった。
 そんなサウスの黄金期を支えていたアボットだけど、2000年に脱退を表明することになる。幼い息子が自閉症と診断され、多忙なツアーに帯同することが困難になったのが理由だった。
 事情が事情なため、脱退はスムーズに受け入れられるのだけど、思えばこの辺からサウスの凋落が始まっている。三代目女性ヴォーカリスト:アリソン・ウィーラーを加入させて建て直しを図るのだけど、一度止まった勢いはもとに戻らなかった。フェードアウトするように解散したサウス以降、彼女もまたThe Southに合流することになる。
 ソロ活動も行なわず、ほぼ引退状態だったアボットに声をかけたのは、偶然だったのか何か意図があったのか。多分、どっちもだろう。
 ほぼ10年、表舞台に出ていなかったにもかかわらず、彼女の歌はヒートンの書いた曲にすっぽり収まった。たった一曲だけだけど、彼女の歌う「Envy」は、ヒートンの世界観を巧みにかつ自然に表現していた。
 「彼女はは私が一緒に仕事をした中で最高の歌手の 1 人であり、私の過去の一部でもあります」とヒートンはアボットを絶賛している。「私はいつもジャッキーを念頭に置いて曲を書きました」。ここまで言うと調子良すぎるけど、実際、彼のメロディに最適なハーモニーを合わせられる/メロディに選ばれたのが、彼女だった。
 大げさな表現ではない。実際、2人のハーモニーを待ち望んでいた音楽ファンが多かったのだ。

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 最初のコラボアルバム『What Have We Been?』は、発売間もなくUKチャート3位、たちまちゴールド認定された。この週のトップがマイケル・ジャクソンの遺作『Xscape』、2位がコールドプレイという、ビッグネームに続いての3位だから、発売週によってはトップだった可能性もある。
 ライブはどこもソールドアウト、テレビ出演も引っ張りだこで、これまでの迷走はなんだったのやら。盟友アボットの力を借りながら、ヒートンは再びトップシーンに躍り出る。といっても、相変わらずの普段着ファッションは変わらなかったけど。
 その後もマイペースを守りつつ、コンスタントにコラボは継続しており、今年も3枚目のアルバムがリリースされた。こちらはUK1位。天下獲ったなヒートン。
 もう過去の人ではない。ちゃんとしたメインストリームを歩む真っ当なアーティスト。それが現在のポール・ヒートンだ。
 ただ、キャリア総括ベストに『The Last King Of Pop』ってタイトルつけちゃう茶目っ気残ってるけど。




1. Moulding of a Fool
 直訳すれば「愚か者の形」だけど、Mold=カビのダブルミーニングにかけてるっぽい。だってヒートンだもん。
 リーディングトラックだけあって、爽やかで軽快なポップソングだけど、歌ってる内容はひねくれた視点で相変わらず性格悪い。間奏でなぜかギターが荒ぶってるけど、こういう曲調ならアクセントとして機能している。

2. D.I.Y.
 アボットがリードを取る、ロカビリータッチのトラック。こちらも軽やかでメリハリの効いた小品なのだけど、「自分より若い娘に彼氏を取られた」って内容なので、やはりスパイスが効いている。アメリカ人を小バカにしたような脳天気なコーラスも小気味よい。




3. Some Dancing to Do
 ファズ入ったギターから始まる、やや大仰なサウンドプロダクトのデュエットソング。2人とも、彼らにしては情感込めてドラマティックに歌い上げているのだけど、内容は「レストランや映画館、病院、高速道路出口など、とにかく行列でテンションガタ落ち」って、どうでもいいこと。そんな他愛もないことをわざわざ歌にしてしまうところが、ヒートンの個性でもある。

4. One Man's England
 センテンスを目いっぱい詰め込んだ、全盛期のサウス節全開のフォーク・ポップ。古き良き大英帝国から現在までの風刺を盛り込んだ内容になってるっぽいけど、ネイティヴじゃないとわかりづらい歌詞。でもこのポップさは嫌いじゃない。

5. What Have We Become
 5曲目と言う地味な配置のタイトルチューン。こちらも全盛期サウスを彷彿させる、時代が時代だったらシングルヒットしていたはずのナンバー。アボットのヴォーカルに幅があり、時々、上品なスティーヴィー・ニックスみたいに聴こえたりもする。
 こうしてここまで聴いてみると、確かにサウスの演奏スキルじゃ望めないアイディアやアレンジがあったりして、やっぱこの2人でやるのが正解だったと、改めて思う。

6. The Snowman
 DeepLで翻訳したのを読んだだけだけど、比較的皮肉も暗喩もなさそうな、ストレートな寓話調のポップバラード。もしかして裏があるのかもしれないけど、俺の英語力じゃ無理だ。
 なので、普通に楽しもう。メロディとハーモニーは文句のつけようがない。

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7. Costa del Sombre
 サウンドこそハードめだけど、昔のメキシコ歌謡っぽさ漂うレトロ風味のメロディは、案外日本人にもヒットするんじゃないかと思う。橋幸夫もメキシカンロックって歌ってたし、我々日本人はもともと、こういった異国情緒エキスの濃いサウンドやメロディを好む傾向にあるのだ。
 いわゆるパロディなのだけど、サウンドもメロディもしっかり作り込まれており、2人とも巻き舌多用したりしている。

8. The Right in Me
 このアルバムの中では異彩を放つ、ボトムの効いたガレージポップ。ていうかどの曲も統一性なく、結構曲調ばらけてるか。何もコレだけが特別じゃない。

9. When It Was Ours
 「Some Dancing to Do」同様、大げさなアレンジ・凝ったアンサンブル・ドラマティックなヴォーカルと3つ揃ってるけど、相変わらず歌ってるのはどうでもいいことばかり。「再び墓地やパブ、クラブへ行こう」なんてイミフで中身がないことを、全力で歌う2人。いい年してコレをやることに、一つの意味がある。

10. I Am Not a Muse
 珍しくリズムループを使った、ヒートンにしては「今風」のトラック。「俺は音楽の女神なんかじゃない」ってどういう意味?
 「俺はジャズにもヒップホップにも興味なければ、ブルースにだって関心ないんだ」とモノローグ調で語ってるけど、要は「饅頭怖い」みたいなもの。全編DTMなのも、逆説的に「好き」っていってるようなもので。

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11. Stupid Tears
 彼らのレパートリーの中では数少ない、ストレートなラブソング。歌詞がノーマルな分だけ、せめてサウンドでアクセントをつけようという意図なのか、The Sound of Paul Heatonみたいなガレージ・ロック。ただアボットのヴォーカルがある分、ヒートンだけでは単調になるのをうまく回避している。

12. When I Get Back to Blighty
 サザンが往年の歌謡曲にインスパイアされたような、ドリーミーなバラードポップ。ドライな声質のアボットのヴォーカルによって、甘さがほどほどに抑えられており、そこがいい塩梅。これも日本ウケしそうなんだけどな。









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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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