好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

甲斐バンド 『シークレット・ギグ』


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  最初の解散から3年後にリリースされた、甲斐バンド6枚目のライブ・アルバム。すでに解散していたとはいえ、ネームバリューはまだ充分あったはずだけど、オリコン最高31位と地味目のセールスに終わっている。
 メンバー4人がそれぞれ制作したミニ・アルバムをまとめたラスト作『REPEAT & FADE』から始まった解散プロジェクトは、当時のミュージシャンのステイタスだった武道館5日連続公演でファイナルを迎え、足掛け12年の歴史に終止符を打った。打ったのだけど、その2日後、マスコミや業界関係者、応募総数24万通の中から選ばれた幸運なファンら1500人を招待して、ごく小規模のライブ・パーティが開催された。
 甲斐バンドとして、“ほんと”の「最後」の『最後』となった演奏を収録したのが、この『シークレット・ギグ』。その後、事あるごとに何度も再結成するとは夢にも思ってなかった俺は、その貴重な音源を何度も繰り返し聴き込んだのだった。まだウブだったんだよな、当時の俺。
 会場となった黒澤フィルムスタジオは、名称から察しがつくように、主に映画やTVドラマの収録に使用されており、コンサート会場として使われた例はなかった。調べてみると、この少し後にユニコーンがPV収録しているのだけど、それ以外の使用例は見当たらない。
 大掛かりな舞台装置と緻密に構成されたアンサンブルを柱とした、大規模ステージでの甲斐バンドは、最後の武道館で終止符を打った。前を向いて突っ走り、決して後ろを振り向かなかったバンドのフィナーレとして、最後にたった一度だけ、原点を振り返るー。
 バンドの原点をテーマとして据えるなら、本来は最初にステージに立った福岡のライブハウス「照和」を会場とするべきだったのだけど、すでに時代の役割を終えて閉店していた。いわばその代替案として候補のひとつに挙がっていたのが、都内からアクセスしやすい黒澤フィルムスタジオだった。
 ちなみにこの「照和」、78年に一旦閉店してから91年に営業を再開している。その後、(多分) 再再再結成(くらい)した甲斐バンドは2010年、デビュー35周年を記念して、3日間5回のライブステージを敢行している。彼ら的にも「収まり悪い」って感じてたんだろうな、長らく。

 確かに「きれいなバンド・ストーリー」としてまとめるなら、「照和」をラストに持ってくるのが正解なのだけど、当時の彼らの勢いからして、正味60席程度のライブ喫茶を会場に選ぶのは現実的ではない。東京から遠いし狭いし、いくら盛ったって音響クオリティは望むべくもないし。
 いわば「照和」の代替案としてスタートしたのが、黒澤フィルムスタジオ・プランだった。その後も類例を見ない立食パーティ形式も、言っちゃえば後付けだけど、結果的には良い方向へ作用した。
 普段とは勝手が違う会場の仕様、客席もステージも全員フォーマル・スタイルという異質のライブ空間を演出・記録するためには、映像撮影スタジオは当時の最適解だったのでは、といまにして思う。もし「照和」で撮影できていたとしても、当時の機材・技術スペックでは、ざっくりした記録用以上のクオリティには仕上がらなかったろうし。
 もともと映像前提の企画だったにもかかわらず、ちょっと忘れかけた頃にこの音源が先に出たきり、長らく映像が発表されることはなかった。解散プロジェクトの記録映画として制作された『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』でその一部が収録されていたため、いつか完全版がリリースされることが待望されていた。
 2008年のDVD『DIRTY WORK』にて拡大版が収録されはしたけど、完全版ではない上、他ライブ映像との抱き合わせだった。なんでこんなはしょった形で、しかもお得な詰め合わせ形式でリリースしてしまったのか。
 ぶっちゃけた話、「どうせコアなファンしか買わねぇんだから、完全版で単体リリースした方がよかったんじゃね?」とボヤきたくなってしまう。安直な企画盤乱発するくらいなら、映像アーカイブ整理しとこうよ。そっちの方が需要多いはずだし。
 なぜ、20年の長きに渡って、映像素材が手つかずのままだったのか。あくまで推測だけど、もっと早い段階で何らかの形、タイミング的には解散から1年後あたりで、映画orテレビでの映像公開→ビデオ発売という素案があったんじゃないか、と。
 ゲストの権利関係や、メンバーのスケジュール調整が進まなかったりその他もろもろで、映像プロジェクトが進まなかったんじゃないか、という仮説。そんなこんなで3年引っ張ったけど見通し立たなかったため、比較的軽微な作業で進められる音源リリースをもって、フェードアウトしちゃったんじゃないか、と。
 もうひとつの可能性として、前述『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』を予告編として、CD/ビデオ同時発売もアリだったんじゃね?というのも。83年リリースのライブ『Big Gig』が同様の販売形態だったため、前例がなかったわけではない。
 ちなみにこの『Big Gig』、現在の東京都庁建設前空き地で行なわれ、TVとFMでも特番が組まれている。しかもそのメディア素材すべてがミックス違いという、過剰に力入れ過ぎた企画なのだけど、そんな意気込みがお茶の間やライトユーザーには届かなかった。そりゃそうだよな。
 そんな『Big Gig』の前例が逆に仇となって、同時発売に二の足踏んじゃったのかもしれない。

 黒澤フィルムスタジオ収録から間もなく、最後の武道館ライブを収録した『Party』がリリースされた。6/29ライブ終了→7/31発売だから、入念な前準備があったにしても、相当の突貫作業があったと予想される。
 感動の余韻冷めやらぬうちに、怒涛の人海戦術で『Party』は店頭に並べられ、オリコン最高4位と、スタジオ作品と遜色ないセールスを記録した。LPとシングルEPの袋詰めだけでも充分な手間なのに加え、特製ギターピックを表ジャケットに1枚1枚貼り付ける作業は、パン工場のライン作業にも匹敵する苦行だったことだろう。
 その後も『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』の編集やら何やら、細かな付随作業はあったのだけど、それと並行して甲斐よしひろがソロ活動準備に入ってしまう。バンド末期からすでに「ポスト甲斐バンド」的なサウンド・アプローチに傾いていた彼にとって、目線の先はもうずっと先にあった。
 潔いほど前向きだったゆえ、過去の栄光を懐かしむ言葉を放つには、まだ早すぎた。幕は下りてしまったけど、ノスタルジーと言い切るには、まだ生々しかったー。
 それから時を経て、1989年。甲斐をはじめ、他メンバーのソロ活動も順調だった頃に『シークレット・ギグ』はリリースされた。
 一応リリースはされたけど、メンバー誰も積極的ではなく、目立ったプロモーションは行なわれなかった。フロントマンである甲斐が取材を受けていたかもしれないけど、そんな前のめりではなかったはず。
 無理にこじつければデビュー15周年と言い切ることもできたかもしれないけど、それもちょっと強引過ぎた。要するに、エラい中途半端なタイミング。
 ゲストを招いてのデュエットもあるし、カメラ配置や照明プランの兼ね合いもあって、まったくのノープランだったとは思えないけど、ある程度融通のきく、フワッとしたセットリストに基づいて、ライブは進められた。往年のナイトクラブの再現を狙ったシチュエーションでありながら、カバー曲やゲストとのデュエットも織り交ぜたりして、彼らにしては肩の力が抜けたラフなムードが伝わってくる。
 とはいえ冗長なインプロやMCがあるわけでもなく、どの曲もきっちりした事前リハの上、吟味された構成で演奏されている。その辺は妥協しないし、アドリブかますタイプじゃないんだよな、このバンド。
 このライブに限った話ではないけど、NY3部作以降の楽曲はレコード音源と大差ないため、意外性はそんなにない。まだライブ優先だった初期と違い、末期はレコーディングで練られたアンサンブルの再現となっていたため、ライブ用リアレンジの余地が少なくなっていたせいもある。
 70年代ロック/フォークの定番であるニール・ヤングはまだ予想の範囲として、一貫してストーンズ派とされていた裏をかいてのビートルズ、接点が見えずまったくノーマークだった柳ジョージ&レイニーウッドなど、カバーの人選も多岐に渡っている。「Helpless」はともかく、「Two of Us」のカバーは古今東西かなりレアだし、そういう意味においても範囲は広い。
 オリジナルのアレンジがシンプルだった初〜中期の楽曲の方が、解釈のスキルが上がったこと、単純に演奏回数が多かったことでヴァージョン・アップしていたりして、聴きどころは多い。後期楽曲も打ち込み主体の楽曲ではなく、バンド・アレンジと相性の良い「キラー・ストリート」を選ぶあたりは、ライブのコンセプトとを考慮したはず。
 多くのサポート・ミュージシャンに支えられているとはいえ、ライブバンドとしてのポテンシャルが落ちていたわけではない。単純な洋楽コピーを超えて、まだ日本には根づいていなかった「ハードボイルド」という視点コンセプトを加えたことで、バンドのオリジナリティは強靭さを増していった。そのドライな質感をサウンドで表現するためには、相応のテクニックを有する職人の才覚が必要だったわけで。
 この時点での甲斐バンドは、緻密なスタジオワーク/肉感的なライブ・パフォーマンスとも、高い水準に達していた。「キャリアのピークで潔く散る」という選択肢以外に、2、3年ほど活動休止してリフレッシュの上、再結集するのもアリだったんじゃなかろうか。
 まぁ当時のスタッフも、そんなプランで踏みとどまらせようとしたのだろうし、頑なに首を縦に降らなかった甲斐の覚悟も想像できる。「その先」を見て聴いてみたかった気はするけど。
 なので、このアルバムも『Party』同様、あまりブランクを置かずにリリースしていれば、また評価も変わっていたのでは、と勝手に思う。まぁ年内だったら『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』とかぶるし、そこを外したとしても、年明けてすぐに甲斐のソロデビューが控えているし、そんなこんなでタイミングを逸した末、3年後となったわけだけど、微妙な今さら感は否めない。
 『シークレット・ギグ』がリリースされた89年、ロック/ポップスのバリエーションが一巡した海外では、やたら枚数の多いボックス・セットや未発表ライブの発掘など、アーカイブ・ビジネスが確立しつつあった。対して、歴史もリスナー層もまだ充分育っていなかった日本では、まだ時期尚早だったし、ノウハウを持つ者もいなかった。現在進行形で消費する/させることで、いっぱいいっぱいだったし。あ、1人いたわ、大滝詠一。
 3年なんて中途半端じゃなく、頃合い見て10年くらい経ってからの方が、その後の扱いも違ってたんじゃないだろうか。今後再発するんだったら、やっぱCD/Blu-rayのセット売りしかないな。もちろん完全版で。




1. キラー・ストリート
 実質的に甲斐バンド最後のアルバム『Love Minus Zero』収録曲からスタート。実際のライブでもオープニングナンバーとなっている。
 前述したように、ほぼCD音源と同じアレンジ・構成なので、そんなに意外性はない。ただ、この時期の日本のメジャーなロックバンドで、ファンク・テイストを盛り込みながら、こういった洗練されたスタイルのサウンドは、唯一無二だったんじゃないか、と思う。
 土着的なスワンプか、クラプトン・リスペクトなブルースの二択しかなかったファンク+ロックから一皮むけた、甲斐言うところのハードボイルド・ロックの完成形。ひとつの到達点というべきサウンドなので、再構築するには時間が足りなかった。

2. SLEEPY CITY
 『Gold』に収録されていた、ちょっとマイルドなストーンズタイプのロックチューン。全体的にポップ路線に傾倒した時期の作品なので、ディスコグラフィーの中ではやや地味めの扱いだけど、コンテンポラリー=王道を志向していると言う視点で見ると、バラエティ感もあって飽きないアルバムでもある。
 おそらく極力『Party』とかぶらないように選曲されているんだろうけど、ライブではやっぱ地味なんだよな、この曲に限らずだけど。

3. 東京の冷たい壁にもたれて
 実質的なデビュー・アルバム『英雄と悪漢』収録、初期の人気ナンバー。初めて聴いた時は気づかなかったけど、イントロがゾンビーズ「ふたりのシーズン」そっくりだな。歳を経るごとに気づくことって多い。
 一夜のアバンチュールを真に受けた、未練タラタラな男は、まだ都会に馴染めず虚ろな表情を隠しきれなかった。それから12年を経て、強靭な精神と肉体を獲得した男の声から、曖昧な響きは聴こえない。
 人はそれを、成熟と呼ぶ。

4. ジャンキーズ・ロックン・ロール
 ホンキートンク・スタイルで泥臭い、タイトル通りの直球ロックンロール。下世話一歩手前で踏みとどまるアンサンブルは、初期エアロスミスを彷彿させる。
 ライブで盛り上げやすく遊びも入れやすい、いろいろと便利なチューンではあるけど、ライブのメインとするには、クセが足りない。こういったサウンドを突き詰めてゆく方向性もあるにはあったけど、彼らが目指していたのはそこじゃなかった。

5. HELPLESS
 海外ではディランと肩を並べる知名度・ポジションであるにもかかわらず、日本ではイマイチ知られていない、そんなニール・ヤングの代表曲を弾き語りスタイルでカバー。アレンジが「天国の扉」っぽいけど、こういう曲って、どうしてもこんな感じに落ち着いてしまうのはやむを得ない。
 アルバムのプロモーション・ツアーという性質上、これまでのライブは持ち歌中心だったけど、いわばアンオフィシャルな場であるがゆえ、ここではプライベートな顔で好きな歌を披露している。冒険するシーンは当然ないけど、演奏はきっちり仕上がっている。

6. 港からやって来た女
 このライブのハイライトであり、いまだベスト・バウトと語り継がれている、「今夜最高のクイーン」中島みゆきが登場。薄手のパーティドレスに真紅のローヒールで颯爽と登場、クリスタルのエレキギターをかき鳴らしながら、堂々としたヴォーカルを聴かせている。
 このみゆきのテイクについてはさんざん語り尽くされているので、今さらつけ加えることもないけど、敢えて言うならアレンジのボトムアップ感が飛び抜けている。全般的に音圧薄めだった初出スタジオ音源に比べ、気迫のこもった演奏ぶり。
 冷静に考えれば現実感希薄な世界観にリアリティを与えるには、やはりアタック強めの音の壁が必須だった、ということか。っていうか、これくらいじゃないとみゆきには勝てないし。

7. 青い瞳のステラ、1962年 夏
 おそらく観客の多くが「こんな曲あったっけ?」と、少し戸惑ってしまったと思われる、柳ジョージ&レイニーウッドのカバー。1980年にリリースされたシングルだけど、それほどヒットしたわけでもなく、俺も知らなかった。カバー曲のみのソロアルバム「翼あるもの」でもそうだったように、甲斐は隠れ名曲を察知する能力がおそろしく高い。
 カバーの方を先に聴いてるため、ちょっとひいき目になってしまうけど、ハスキーな声質で雰囲気あるけどやや押し弱めなオリジナルより、ザラっとした質感を持つ甲斐のヴォーカルに引き寄せられてしまう。真摯なロックバンドの終焉を飾る、ひと息抜いた一コマとして、アレンジも演奏もヴォーカルも申し分ないんだけど、シティポップ的な軽やかさは、オリジナルが優っている。

8. ランデヴー
 『破れたハートを売り物に』に収録されたロックチューン。一聴すると普通のロックサウンドで、演奏もオーソドックスなんだけど、メロディの譜割りが独特で、ちょっと引き込まれてしまう。
 この時代あたりから歌謡ロック・テイストが薄くなり、キャッチーで覚えやすいメロディラインは後退してゆく。そんな曲調の変化を促したのが、ハードボイルドを志向した、ドライで現実味の薄い歌詞世界。
 まだステレオタイプな書き割り感がにじみ出てはいるけど、これ以降、カタカナ多用のフェイクさは薄れ、逆に起承転結がはっきりしたストーリー性が前に出てくるようになる。「カンナの花の香り甘く漂い」と歌い出す日本語のロックは、新たな切り口だった。

9. TWO OF US
 最後に選んだカバー曲は、ストーンズじゃなくてビートルズだったのは、意外っちゃ意外。ロックの危うく儚い側面を体現するため、わかりやすいストーンズをモデルケースとしていたのだけど、キャラが認知されて以降は、あまり言わなくなった。
 ロックバンド的なアプローチとしては、ポール・マッカートニーよりジョン・レノン楽曲を聴きたかった気もするけど、多分、やりやすかったのかね。全国ツアー〜武道館ファイナルと来て、そんなに音合わせする時間もなさそうだったし。
 なので、選曲的には意外なところついてるけど、演奏プレイは比較的完コピに近い。

10. 悪いうわさ
 オリジナルは3枚目『ガラスの動物園』なので、1976年のリリース。ほぼミック・テイラー期ストーンズのパクリみたいな演奏と歌謡ロックなメロディが貧相に感じられるオリジナルから10年後、音圧も演奏力も、そして甲斐のヴォーカルも段違いにレベルが上がっている。
 同郷の先輩バンド:チューリップとの差別化を明確にするため、ストーンズのダーティなスタイル取り込みに加え、サウンドもまたロック色の濃いアプローチとして、オリジナルはなんと8分調。ギターソロもなかなかの長尺で、その奮闘ぶりは伝わってはくるのだけど、とにかくリズム・セクションを小さく絞ったミックスがたたって、楽曲の良さがスポイルされている。
 ここでのヴァージョンはギター・パートもタイトに的確に絞られ、もちろん音圧も充分。ソロ・パートをどうにか埋めるため、苦心惨憺の結果だったギター・プレイも、リラックスかつ引き出しが多くなっている。

11. 25時の追跡
 ある意味、ラスト・アルバム『REPEAT & FADE』のメイントラックである、ギター大森によるインスト・チューン。実際のライブではもう少し前に演奏されているのだけど、CDではラス前に移動されている。
 アルバム構成的に、ラスト曲のインタールードに適しているため、ベストな編集だったんじゃないかと思う。当時、常夏リゾートの象徴だった高中正義とは対照的に、タイトル通り、人気の少ない深夜のハイウェイを想起させる硬質な響きは、バンドの影の部分を具現化していた。
 ちなみに後年、甲斐が歌詞を後付けしてヴォーカルを入れているのだけど、逆にその雄弁さが暗闇を薄れさせている。影を形容するのに、多くの言葉は必要ないのだ。

12. 破れたハートを売り物に
 実際のライブでも、これがラスト。メンバー全員楽器を持たず一列に並び、ユニゾン・コーラスで歌い切って幕を閉じる。
 テープ演奏が続く中、1人また1人、手を振りながらステージを降りてゆく演出は、潔さを信条とした彼らにとってふさわしかった。変にウェットなメッセージを残すこともなく、いつもと変わらぬテンションでステージに立ち、そして、散る。
 最後であるはずなのに、『Hero』も『安奈』もない。でも、確実にファンのニーズを捉えている。






ヒデキのシティポップ期音源をまとめて聴くなら、このアルバム。 - 西城秀樹 『Private Lovers』


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 これまでリリースされたアルバムを可能な限り、発売当時の仕様で再現した紙ジャケ復刻プロジェクトが続いている西城秀樹。その対象はスタジオ録音作品だけではなく、数々のライブアルバムやコンピレーションまでをも対象としており、生前よりニッチにディープにもかかわらず、着実な売り上げを記録している。
 没後も新たなファンを獲得し続けてはいるのだけど、新たなアイテムを期待できない状況ゆえ、各メーカーとも膨大なアーカイブの整理・発掘が進行している。TwitterのTLをのぞくと、往年のファン有志によるメモラビリアがほぼ毎日、しかも大量にアップされており、その勢いは現役アイドルとも引けを取らない。
 キャリア末期は病魔に侵され、満足な活動ができずにいたけど、それも含めてレジェンド化が進んでおり、おそらく生前より情報の絶対数も密度も濃くなっている。プレスリーやマイケルみたいだよな。
 日本で同じスタンスのアーティストといえば、思い当たるのが尾崎豊やhideあたりで、彼らも夭折後はデビュー前の音源やら未発表テイクが乱発されたけど、活動期間も短かったため、お蔵出しといっても僅かなものだった。なので、最近は目新しいリリースもない。
 それに比べるとヒデキ、ザッツ芸能界のど真ん中で長く活動していたこともあって、手つかずの素材はまだ膨大に眠っている。音源もそうだけど、特に映像関係は歌番組中心に発掘が進んでいる。この方面は権利関係がいろいろめんどくさいため、法務面・実務面で障害も多い。なので、急かさず気長に待とう。
 昨年から徐々に公開イベントも増えてきて、今年もフィルムコンサートが全国各地で催されている。<



 -2022年に開催された画面のヒデキと生のバンドメンバーが熱い情熱で繰り広げるライブコンサート『THE 50』を映像化。
 いわゆるアテレコなのだけど、それでもファンだったら観に行っちゃうんだろうな。限られた条件下で最大限の臨場感を引き出すには、ベターな手法なんじゃないかと。一時、海外でロイ・オービソンやエイミー・ワインハウスの3D映像使ったコンサートがニュースになったけど、まだやってるのかな。

 テレビの懐メロ特集ではヒデキ、ほぼ高確率で「ヤングマン」や「ローラ」の映像がオンエアされている。そういえば、「走れ正直者」を歌ってる映像は見たことない。せいぜい「ブーメラン・ストリート」くらいかな、他にピックアップされるのって。
 代表曲以外はほぼ取り上げられることもなく、かなり偏ったフィーチャーのされ方ではあるけれど、同年代の歌手と比較すれば、若い世代にもそこそこ知られているはずだし、そういう意味で言えばヒデキ、恵まれている方だとは思う。彼以降にデビューした70年代の男性アイドルたちの多くは、曲はおろか、存在すら埋もれてる現状だし。
 単純にヒットシングルだけに絞っても、大して手間をかけることなく「ベスト選曲」になってしまうため、レコード会社的に「安定したコンテンツ」として、西城秀樹は重宝されていた。ただそのため、ほぼ変わり映えのしないベストアルバムが乱発されたことによって、「情熱的なシンガー」という一面的な評価しかされて来なかったのも、また事実である。
 前にも書いたけど、キャリア通して数々の洋楽カバーをレコーディングしてきた先駆者であるし、特に80年代のスタジオアルバム群はどれも質が高く、現在のシティポップの文脈で語られるべきクオリティなのだ。隠れ名曲や名演は数々あるのだけれど、その辺の再評価はまだ追いついていない。
 90年代に入ったあたりから、それまであまり顧みられず、まともに批評されることがなかった、70〜80年代アイドルのリイッシューが一瞬盛り上がった。この頃になると、洋邦問わずジャズ/ロック/ポップス系はあらかたCD化されてしまっていたため、新たな鉱脈として注目された。
 当初は有名どころの安直なヒット曲集が中心で、それはそれで安定した人気を保っていたのだけど、どんどん掘り下げてゆく日本人の性なのか、各メーカーとも次第にディープな企画を売りにするようになってゆく。シングル3枚程度で引退したB級女性アイドルや、セクシー女優のアイドル時代の音源を集めたコンピなどなど。
 本人的には黒歴史扱いのアイテムが、そこそこ人気を博していた。P-VINEが熱心だったよなこのジャンル。多分、その筋のマニアがディレクターだったんじゃないかと思われる。
 ディレクター陣の思い入れや熱量に左右されるけど、紙ジャケの細かな再現度や重箱の隅つついたようなボーナストラックなど、女性アイドルの方がクロノジカルかつマニアックな傾向にある―。って言い切るのは偏見かもしれないけど、当時の担当ディレクターの多くが男性であることから、まぁ趣味と実益と公私混同がごっちゃになったんじゃないかと。
 もう何回もリイッシューされ尽くされたキャンディーズや岩崎宏美なんて、近年では公式発表曲だけじゃなく、CM用のショートヴァージョンからラジオ番組のサウンドロゴまで、思い当たる限りの音源を収受選択せず、とにかくかき集めて収録している。どこまでニーズがあるかどうかは別として、こうして形にすることによって、ディープなマニアにとっては貴重な研究資料になる。
 海外ではすでにひとつの学問として成立しているディランやビートルズだって、当時は単なる流行り物でしかなかったわけだし。

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 ヒデキのリイッシュー事情を追ってみると、デビュー20周年を迎えた90年代に入ってから、アニバーサリー的なボックスセットが発売されている。この時期はもっぱらテレビ司会などタレント的な活動が多く、歌手としてはシングル中心、まとまったアルバム作品は少ないのだけど、同時期にリリースされたトリビュートアルバムでは、THE HIGH-LOWSを始め、ソフィアやGACKT、筋少やダイアモンド☆ユカイまで、中堅どころから当時の旬のアーティストまで、錚々たるメンツが参加している。
 テレビで歌う姿を見ることは少なくなったけど、パッショナブルなヴォーカルスタイルは全盛期から衰えを見せず、河村隆一をはじめビジュアル系からのリスペクトもハンパなかった。第一線とまではいかないけど、懐メロでもない、ファンからも同業者からも一定の敬意を持たれていたのが、この時期のヒデキだったと言える。
 ただ90年代のCDバブル期、全体売り上げにおける歌謡曲のシェアは縮小の一途、ロック/ポップス系のような丁寧なリイッシューは、費用対効果が見込めなかった面も否定できない。時系列に沿ったオリジナル復刻は手間がかかるので、正直、大して手をかけなくてもベストがそこそこ売れてしまうヒデキは、まとめ売りのボックスセット、ボリュームレベルをちょっと上げただけのリマスター復刻、しかも代表作を抜粋してのラインナップで済まされている。
 「現役バリバリじゃないんだから、この程度で十分だろ」臭が漂うリイッシューは、厳しい言い方をするとマーケティングの読み違え、または怠慢だったとも取れる。はたまたレコード会社、女性アイドルじゃなかったため、テンション上がらなかったか。
 それからさらに30年近くを経て、丁寧に編纂されたCD/DVDはもちろんのこと、フィルムコンサートから派生したメモリアルグッズの売れ行きも好調らしい。リアタイで追ってきたファンはおそらく50〜60代、子育ても終えて可処分所得に余裕を持ったユーザーも多いため、形の残るメディアでの販売スタイルはニーズに適っている。
 TVの懐メロ番組や特番が入り口的な役割を果たし、全盛期を知らない若い世代にも知られてはいるのだけど、そこから先、もっと深く知りたいとなると手軽な手段がないのが、今後の課題ではある。CDプレイヤーを持ってない世代にとって、ブルースペックだ高音質だというのは訴求力が薄く、行き着くところは非合法のYouTube動画しか選択肢がないのが現状だ。
 いまのところCD復刻は、第5弾まで順調に進んでいる。こういう長期プロジェクトって、最初にドカンと盛り上がって徐々にフェードアウトして、いつの間に企画自体がなくなっちゃうことも多いのだけど、堅調な売り上げに支えられて、どうやらこのまま完遂しそうである。
 可能な限りオリジナルの意匠を引き継ぐことで、後世の研究資料としても充分な価値はあるのだけど、ライトなビギナーが即購入するには、ちょっとハードルが高い。もっと気軽に聴ける環境整備が必要なのだ。
 アーティストへの配分還元比率など、まだまだ問題の残るサブスク配信だけど、広く浅く行き渡らせるためには、有効な手段ではある。せっかくのデジタルリマスター素材を最大活用した方が、さらにいろいろ展開できると思うのだけど。

 2023年5月時点での西城秀樹のサブスク配信事情を調べてみると、代表的なAmazonもAppleも共通してオリジナルアルバムはなく、しかも最もニーズの高い70~80年代の楽曲がゴッソリ抜けている。90年代以降を中心に全32曲、うちカラオケが7曲・別ヴァージョン4曲を含んでいるため、実質はたった21曲。Spotifyなんてほんとやる気ないのか、たった5曲しかねぇ。
 せっかくなのでダウンロード系も調べてみると、レコチョクはなぜかデビューアルバム『ワイルドな17才』が入ってる。他に70年代・80年代のシングルA面コレクションが入ってる分、一歩抜きんでているけど、でもそれだけ。iTunesとmoraは、サブスクと大差なし。
 年季の入ったファンならレコードやCDで持ってるだろうけど、若年層にとって試し聴きができないのは、ちょっと親切心が足りなすぎる。古参ユーザーの中にも、レコードもプレーヤーもずいぶん昔に処分しちゃったから、スマホで手軽に聴いてみたい人もいるだろうし。

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 現在、ヒデキの音源・映像関連の販売はほぼソニーが担っているのだけど、どうにも腰が重い気がするのは、俺だけではないはず。賛否両論飛び交うサブスクに対して、明確なポリシーを表明している山下達郎や、権利関係が複雑そうなブルハやチャゲアスと比べれば、ハードルはそう高くないはずなのだけど、いまのところ解禁される話も聞かない。
 ちなみに同じ御三家括りで見てみると、
(郷ひろみ)
 シングル代表曲はもちろんのこと、デビューから最新シングルまで、ほぼすべての音源が配信済み。2021年、デビュー50周年を機に、全555曲を配信・ダウンロード共に解禁している。とにかく「5」にこだわるのが彼らしい。
(野口五郎)
 Amazonではデビュー曲「博多みれん」から今までの全シングル、アルバムは「シングルコレクション」のみ。iTunesとSpotifyはそれに加え、近年のカバー/セルフカバーアルバムが6枚。
 ロックポップス指向が強い前者2人と比べて歌謡曲寄りのイメージが強いけど、昨年の桑田佳祐らとのコラボで片鱗を見せていたように、実はミュージシャン気質の強い人である。中学時代から年齢詐称して、キャバレーのハコバンでギターの腕を磨いていたくらいだから、「自称」ロック程度のレベルでは、足元にも及ばないポテンシャルを秘めている。
 人気絶頂の勢いで、トニー・レヴィンやワディ・ワクテルをバックに従えたライブ実況盤や、ラリー・カールトンをリスペクトしたギターインストアルバムなど、洋楽ファンにも充分アピールできるアイテムが、実はまだ数多く眠っている。単なるオヤジギャグの人ではないのだ。

 決算期に無作為に適当にまとめたディレクター主導のベストはともかく、このアルバムのようにシティポップ・テイストで統一するため、一部新録も追加したコンセプチュアルなベストは、今後再発されるのだろうか。ビートルズも初CD化のおり、世界各国の独自ベストや、入門編の役割を果たしていた『Oldies』が廃盤になった。今回のプロジェクトも、包括的なオールタイムベスト以外は、そんな扱いになるのだろうか。
 まだアイドル以降のキャリア選択肢が少なかった時代、20代でポップス歌手を続けてゆくのは、今よりずっとハードルが高かった。ヒデキも独立以降、基本路線を歌手に据えたはいいけど、まずは事務所経営を軌道に乗せるため、来た仕事はなんでも拒まず受けざるを得なかった。
 シックで青臭さの抜けたヴォーカルスタイルと落ち着いたサウンドで統一された『Private Lovers』は、同時代のニューミュージックの作品と比べても遜色なく、アルバムアーティストとして成立している。ただ、この時代のヒデキの音源は、なぜか日本では正当に評価されていないのが惜しまれる。
 っていうか、広く行き渡ってないから、そもそも知られてないんだよ。もうちょっと考えようよ関係者各位殿。




1. ラストシーン

 76年にリリースされたシングルのリメイクヴァージョン。オリジナルはストリングスと女性コーラスによるムーディなアレンジで、この86年ヴァージョンもシンセの柔らかな響きにコンバートしただけで、基本構造は変わっていない。
 別離の迫ったカップルの対話を、松本隆は印象的なワンカットを時系列に沿って「木綿のハンカチーフ」を書いた。ユーザーそれぞれ、思い思いの映像を喚起させることで、ステレオタイプな歌謡曲との差別化を図ることができた。
 もともと作家志望でもあった阿久悠の書く歌詞は、すでに確固たるひとつの世界観で染められている。そのまま歌詞カードを読むだけで、すでにひとつのドラマとして成立している。
 人それぞれ解釈があるだろうけど、どんなテーマにおいても強いパーソナリティを放ち、「昭和」という時代通して痕跡を残してきた彼の刻む言葉は、とても重い。ほんと、「書く」というより「刻む」という表現が似合う人だ。

 にぎやかな 街の通りの中で 夢をみたように ぼくは泣いていた

 強い物語を求める昭和の大衆は、阿久悠の紡ぐ言葉を求め、幅広い支持を得た。流行り歌でありながら、強い筆圧を感じられる言葉と刹那に流されない物語、そして、それに応える歌手とのせめぎ合い。
 真剣に向き合わないと飲み込まれてしまう。書く方も演じる方も、そして聴く方も真面目だった、そんな時代。
 この歌を託された当時、まだ二十歳たらずだったヒデキの歌を聴いてみる。ハデな大サビもない曲構成なので、肩に入る力を無理に抑え込んでいる感が伝わってくる。いくら大人びていたとはいえ、そんなもんだ。
 それから10年、経験を積み視野を広げたことで、バラードへの向き合い方が明らかに変わっている。肩の力を抜いた穏やかな歌声からは、相手を思いやる包容力が漂っている。

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2. 青になれ

 アルバム用に書き下ろされた新曲。シティポップなミディアムバラードからは、稲垣潤一テイストを感じさせる。歌謡曲テイストを含むメロディは程よいウェット感があって、30代以上には充分アピールできたんじゃなかろうか。
 2時間サスペンスドラマや刑事ドラマの主題歌としてシングル切れば、スマッシュヒットは狙えたんだろうけど、まだそこまでの営業力がなかったか個人事務所ゆえ。

3. You Are the Love of My Life

 初出は前年にリリースされた洋楽カバーアルバム『Strangers in the Night』。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのレコーディングに参加するくらいガチのジャズギタリストだったにもかかわらず、70年代に入ってからフュージョンに転身、80年代はもっぱらムーディーなブラコン職人として名を馳せていたジョージ・ベンソンのカバー。当時はチャラくて甘ったるいバラードと下に見てたけど、いまは一周回って大好物のR&B/クワイエットストームナンバー。
 クレジットがないのでデュエットの相手は不明だけど、多分、当時のレコーディングやライブでの常連メンバーだった、チバチャカこと鈴木晶子と思われる。同じく洋楽カバーに力を入れていた岩崎宏美とコラボしていれば、もうちょっと話題になったんじゃないかと勝手に思ってしまうけど、そういう機会はなかったのかね。「ミュージックフェア」あたりで共演済みかもしれないけど。

4. 君を三日間待っていた

 当時も美麗な王子様キャラではあったけど、まだネタっぽさがなくアーティスト臭が漂っていた、アルフィー高見沢による書き下ろし新曲。まだ研ナオコのバックバンドだった時代から親交があったらしく、ちょっと意外。まぁタカミーもビジュアル系だし元祖の部類に入るし、接点あっても不思議じゃないか。
 TOTOみたいなピアノバラードなアレンジは難波弘之。ストリングスを絡めたゴージャスなアレンジに対し、ややセンチでスケール感の小さい歌詞世界とのギャップを感じてしまう。もうちょっとポップなアレンジで良かったんじゃね?っていうのは大きなお世話か。

5. 悲しみのStill

 1983年にリリースされた46枚目のシングル。当時、スタジオワークでノリに乗っていた後藤次利による作曲・アレンジの歌謡ロック。
 ソリッドなロックビートとジャジーなフリューゲルホーン、要所要所で効果的なシンセワークなど、当時の最先端をバランスよく詰め込んだサウンドなのだけど、無難な歌謡ロックで終わってしまっているのが惜しい。うまく言えないけど、引っかかりが欲しい。
 シンガーとして脂の乗っている時期の作品なのだけど、いわゆる売れ線を狙った曲調がフィットしづらくなっているのがわかる。5年前くらいだったら、このコンセプトで充分通用していたと思う。

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6. レイクサイド

 なので、変にチャートを意識した、テレビ映えを意識した派手なアレンジより、むしろこういったしっとり歌い上げる楽曲の方が合っている。従来の激しくワイルドなヒデキからアーティスト西城秀樹へ移行する過渡期のバラード。
 前述バラード「You Are the Love of My Life」とアプローチ自体は同じなのだけど、ここでは盟友芳野藤丸がアレンジャーとして全面参加しているため、ヴォーカルの引き立て方は絶妙。クドくなる寸前でサッと引くギターソロを聴くと、良き理解者として接してきた彼のスタンスが見えてくる。

7. 抱きしめてジルバ

 オリコン最高18位のスマッシュヒットを記録した、ご存知ワム!「ケアレス・ウィスパー」の日本語カバー。以前『Myself』のレビューでも書いてるけど、同時期に郷ひろみも同曲をカバー、こちらは最高20位と僅差でヒデキに軍配が上がっている。まぁ大した差ではないんだけど。
 そこそこ意訳も入ってはいるけど、比較的オリジナルに忠実な日本語詞は、歌謡曲とも共通点の多いシンプルなハートブレイクストーリーのため、日本人も感情移入しやすい。蒼さの抜けた年齢になってこそ、リアルな情感を込めて歌えるテーマなので、ある意味、ベストなタイミングで巡り会えたんじゃないかと。




8. パシフィック

 初出は84年、48枚目のシングル「背中からI Love You」のB面としてリリース。タイトルから連想するように、穏やかなリゾート感あふれるAORバラードとして仕上げられている。
 山下達郎というよりはむしろ村田一人っぽい、グルーヴ感薄めなアンサンブルが、強いインパクトのヒデキのヴォーカルと好対照なコントラストを作り出している。手がけたのは後藤次利。やればできるじゃん、こういうのも。

9. うたかたのリッツ

 アルバムリリースの時点で最新シングルだった「約束の旅〜帰港〜」のB面。この時期のヒデキのシングルは、歌謡曲でよく見られるB面感、取って付け足した感が薄く、A面にも匹敵するクオリティの楽曲が多い。ひいき目抜きにして、ほんとそう思う。
 異国情緒満載の歌詞世界はちょっとマイナーで、マスへの訴求には大きく欠けるけど、サウンドやメロディはしっかり作られている。おそらくビギナーには地味に聴こえてしまうだろうけど、ヒット曲一巡してから隠れ名曲としてだったら、アリかもしれない。

10. 約束の旅〜帰港〜

 で、こちらがA面。もともとは84年リリース『GENTLE・A MAN』収録曲のリメイク。朝ドラ主題歌に起用されたため、再度アレンジも練り直しヴォーカルも録り直されているのだけど、近年の朝ドラ感はまったくない、むしろ日9日曜劇場のエンディングの方がふさわしい、そんな壮大な直球バラード。
 書き下ろしの新曲じゃなくて既存曲を大きなドラマで使うのは、現在でも異例であり、NHKが気に入ったのかヒデキの強い意向だったのか、そっちが少し気になる。いい曲であるのは間違いないんだけど、朝8時台に合ってるかといえば、ちょっと微妙。

11. ポートレイト

 再び『GENTLE・A MAN』より。歌謡曲のフィールドを超えて、「西城秀樹」というシンガーを自己分析、最良の楽曲とアンサンブル、そして歌詞との有機的結合を目指したアルバムとして、また俺が彼に再注目するきっかけとなったアルバムのラストを飾るバラード。
 西城秀樹という、日本を代表するシンガーの成長過程を辿ってゆくと、いくつかのターニングポイントがあるのだけど、サウンドアプローチとヴォーカルスタイルの幸福な邂逅が見られるのが、このアルバムだった、と俺的に思ってる。安易なシンクラヴィアでは太刀打ちできない、精緻なアンサンブルと大胆不敵な歌声。
 硬軟取り混ぜた歌声の妙は、天性の感覚と地道に積み上げられたキャリアに基づいている。こういった歌を歌える経験と環境を手に入れるため、彼は努力を惜しまなかった。

12. 夢の囁き
 86年のアルバム『FROM TOKYO』収録のジャジーなバラード。ここまで「生楽器メイン+フワッと味つけ程度のシンセ」主体だったサウンドに比べ、ストリングスが大きくフィーチャーされており、ちょっと重厚感がある。
 この時期のエモーショナルなヴォーカルを聴くことができる貴重なトラックという見方もできるけど、せっかくなら書き下ろしでミディアムバラード入れた方が収まり良かったんじゃね?と勝手に思ってしまう。むしろこのコンセプトで曲数増やしてミニアルバム作った方が、また別の魅力が伝わったんじゃないか、と。
 CD復刻一巡したら、新たな視点で、こういったテイストの曲集めたコンピ作るのもアリかもしれない。普通にバラードベストだったら、ニーズはあると思う。










中島みゆき - 『世界が違って見える日』


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  一応、「これで最後(?)」といった名目で始まった全国ツアー『2020 ラスト・ツアー 「結果オーライ」』が、コロナ禍で中止に追い込まれたみゆき、その後3年近く、目立った活動を行なわず、沈黙が続いていた。「ツアーは再開するのか」「次の夜会はどうするのか」「新曲を出す予定はあるのか」「っていうか体の具合はどうなのか?」。声は返ってこなかった。
 ほぼ年1ペースでリリースされていたスタジオ新録アルバムは途絶え、代わりにベストやライブアルバムが、ぽっかり空いた虚無を埋めた。かしこまるほどではないけど、やや距離を置いた文体のメッセージが、時々、送られてきた。
 口は閉ざしていても、心まで閉ざしているわけではない。わかってはいるけれど。ここまで長い沈黙は、デビューしてから初めてのことだった。
 2020年に生きるほぼすべての人が、先の読めない静かな混沌に翻弄された。普通の生活が普通じゃなくなり、すべての所作に過剰に慎重になる。そんな非日常がいつしか日常とすり替わり、何もかも後ろ向きに思うようになってゆく。
 今年に入って幾分安全になったとはいえ、そうすぐに切り替えるのは難しい。歳を取れば取るほど、俯いた顔を上げるのは、体力がいるし億劫になる。
 もう一度腰を上げるのは、できなくはないけど、そこへ向かうモチベがない。一旦、立ち止まると、顔を上げるのがすごく億劫になる。っていうか、もう走りだす年齢でもない。
 もう「中島みゆき」という役割を背負わせなくてもいいんじゃないか。本名の「中島美雪」に戻ってフェードアウトするのは、それはそれで寂しいけど、止めることは誰にもできない。

 みゆきと同じ時を過ごしてきた70年代歌手・アーティストの多くは、もう第一線から退いている。ちょっと上の世代の拓郎は「引退する」って宣言しちゃったし、陽水は生きてるんだろうけど消息不明。ユーミンとさだまさしくらいかな、今も現役感出てるのは。
 名前はそこそこ知られてるけど、そこまでビッグネームじゃないクラス、地道にライブ活動を続けていた者が、外出自粛の煽りをモロに喰らっていた。ごく少数の熱心なファンに向けて小規模ライブハウスを回り、自主制作CDを手売りすることで成り立っていたアーティスト活動は、どうにも動きが取れず手詰まりになった。
 息子一家とのコラボやYouTubeなど、自ら楽しんで「いまできること」をやり続けているイルカはレアケースで、そこまでバイタリティーを持つ者は少ない。「愚直に歌うこと」だけやってきた人ばかりだし。
 かつてフォークという音楽は、こんな困難や逆境でこそ、傷ついた人々を鼓舞したり勇気づけたり、または寄り添って共感を呼び起こす役割を担っていた。いたのだけれど、彼らの歌はあまりに無力だ。声を上げることさえはばかれる世の中では、人前で歌うことすら許されない。
 今さらギター抱えて吟遊詩人を気取っても、街ゆく人々の歩みを止める力は、彼らの歌にはもうない。発する言葉からリアルを感じ取れないのだ。
 かつて拓郎は「古い船をいま動かせるのは、古い水夫じゃないだろう」と歌った。新しい水夫は多くのフォロワーを生み、彼らは前だけを見て走り続けた。
 それから時を経て、彼らも歳を取った。新しい水夫はみな、古い水夫になり替わった。歌の続きが身に沁みてこうべを垂れ、そして独りごちる。
 「古い水夫は知っているのサ、新しい海のこわさを」。
 未曾有の脅威は、それまで培ってきたもの、これまでの積み重ねを無にしてしまう、彼らの紡ぐ言葉は歌は、誰にも届かない。
 「答えは、風の中にある」。かつてディランはそう歌った。彼らが歌い始めるずっと前から、答えは出ていたのだ。これ以上、何が言える?

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 「恨み節」やら「根暗」やら「粘着質」やら、かつてはネガティヴなイメージで評されることの多かったみゆきだけど、そんな印象で語られることは稀になった。いまだテレビの懐メロ特集だと、数少ない初期テレビ出演映像の「わかれうた」が流れることが多いけど、それもサラッと流される。
 普遍的な男女のつながりを描いた「糸」、都会に押しつぶされそうな小羊たちをそっと後押しする「ファイト!」、かつて日本経済を大きく押し上げたサラリーマンたちの応援歌として定着した「地上の星」。
 21世紀の中島みゆきのパブリックイメージは、おおよそこんな感じだ。神経質に爪を噛んで丑の刻参りに耽る彼女は、もういないのだ。イヤちょっと盛り過ぎたか。
 ステレオタイプなフォーク/ニューミュージックからの脱却、より広範な音楽性の獲得を目指し、結果的に迷走して袋小路に突き当たったご乱心期を経て、みゆきに大きなターニングポイントが訪れる。現在も続くサウンドプロデューサー:瀬尾一三とのコラボレーション、そして「夜会」プロジェクトの始動を機に、歌詞の技法に変化があらわれる。
 歌詞とサウンド、そして声質との最適解を追求していたのが、ご乱心期のセルフプロデュースであり、そこで気づかされた乖離のギャップを埋めることが、当時の彼女の試練だった。引き出しが多く共通のセンスを持つ瀬尾にアレンジを委ねたことで、アーティスト:中島みゆきはサウンドの試行錯誤から解放された。
 当初は既発曲のリアレンジを中心に、緩やかな心象スケッチに沿って選曲されていた「夜会」も、回を重ねるにつれ、重層的な構造へと進化してゆく。中国古典や日本神話をモチーフとしたストーリー展開は、よりテーマに肉薄した歌詞を希求してゆく。
 シンプルなラブソングはどの時代でもニーズがあり、創作者にとっては普遍的なテーマのひとつではある。ただ、人生それだけではない。
 歳を重ね経験を積み、主観でも客観でも多くの恋愛模様を経てきたみゆきが、そのような心境の変化を受け入れるのは、ある意味、自然の流れである。どちらにせよ、作風または見方が変わるタイミングでもあったのだろう。
 パーソナルな男女間の憂いや想いを描いた曲からは、一歩引いた距離感が出るようになった。人は一生、恋をする生き物ではあるけれど、恋だけに生きてるわけじゃない。そんな達観によって、生々しさは薄れていった。
 一方通行になりがちな「恋」ではなく、大局的な視点による「愛情」を描くようになったことで、歌の世界観は確実に広がった。他人から見れば些細な痴話喧嘩や恨みつらみも、一種のスパイスとして見ればいいけど、そんなネガティヴな感情をメインとした曲は減っていった。
 見返りを求めない慈愛をベースとしたテーマが多くなることで、かつての刺さくれ立った言葉の棘は鳴りを潜めた。共感を得やすく曖昧な比喩が減ったため、これまでのみゆきのファン層にはない、普通の陽キャの女の子らも、抵抗なく「糸」や「時代」を聴いたりする。
 案外身近なところで、世界は変わっている。
 いや、みゆきは何も変わってない。
 -世界が違って見える。
 そういうことなのだろう。

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 -時代が、中島みゆきの歌を求めている。
 ヤマハの『世界が違って見える日』特設サイトを開くと、まずこんな言葉が飛び込んでくる。
 -こころに寄り添う「愛」と「勇気」、そして「希望」の歌”がここに誕生。
 簡潔でわかりやすい、深読み不要・ど直球のメッセージは、スレたファンからすると、ちょっと気恥ずかしくもある。まるで90年代少年ジャンプみたいなキャッチコピーは、みゆき自身が書いたものではないのは当然として、よくゴーサイン出したよな広報。もうちょっとひねってもよかったんじゃね?とも思ってしまう。
 言葉とはどれも表裏一体であり、使い方次第によって、それは至言にもなるし暴力にもなる。自身の表現にとてもシビアで、清濁どちらも心得ているみゆきゆえ、意図なく安直な言葉を許したわけではないはずだ。
 静かな混乱に翻弄された時代において、声を荒げたり拳を振り回しても、誰にも響かない。人はひとりでは、そんなに強くない。
 むやみに優しい言葉が欲しいわけではないけど、ただ寄り添ってくれてさえいれば、それだけで十分救われる。程よい距離感で、ただ見て、ただ想ってくれるだけでいい。
 なにかを解決できるわけでもなく、具体的な道筋を示してくれるわけでもない。ただ慈愛の笑みを浮かべて、新たに書いた歌を携えて、中島みゆきは天の岩戸を開けた。

 MEGAMI 受け入れる性
 MEGAMI 暖める性
 見返り無用の笑みをあげよう

 35年前、みゆきはそう歌った。わけ隔てない愛を歌うため、女神となる覚悟を決めたのが、その時だ。
 ただ微笑み続け、新たな歌を紡ぎ続けることを生業とする覚悟は、いまも続いている。ずっと続いている。
 想いの強い言葉は口に出した瞬間から、次第に薄くなる。みゆきの言葉は古びず、ずっと後になってからも刺さる。
 女神の奏でる言葉は強さとしなやかさを持つ。それを人は、言霊と呼ぶ。




1. 俱に
 ずっと沈黙を守っていた2022年、突然、TVドラマ『PICU 小児集中治療室』主題歌としてリリースされた先行シングル。まだ先行き不透明な時期、ほぼタイムリーに心に寄りそうタイトルとテーマは、ドラマの世界観とも世情ともフィットしていた。
 もともとドラマ用に書き下ろした曲ではなく、アルバム制作中にオファーがあって、たまたまドラマに合いそうな曲ということで選ばれたらしい。ドラマが希求したのか、はたまたみゆきがドラマの世界観を染め上げたのか。
 言い訳無用の力強く、時に柔和な笑みを垣間見せるみゆきのヴォーカルは、程よい緩急によって、結構ゴージャス感あふれるバッキングに溶け込んでいる。深読み不要の前向きな歌詞は、俺のような古参ファンには直球過ぎてまばゆ過ぎたりもする。でも、いまのみゆきに求められているのは、こういった歌だ。




2. 島より
 2021年、工藤静香に提供した楽曲のセルフカバー。当初、タイトルを見て『Dr. コトー』用の書き下ろし?と思ったのだけど、全然違った。効果的に二胡を用いたオリエンタルなアレンジは、ドラマに向いてると思ったんだけどな。
 遠い島国をモチーフとしたテーマは、初期の『夜会』と通ずるものがあり、これ広げていけば、舞台1本できるんじゃね?と思わせてしまうくらい濃密だけど、おそらくこういった素案って、いっぱいあったんだろうな。いろいろ厳選した結果、ボツになった脚本も数々あるだろうし。
 
 なるようになるものね 恋人たちは
 遠回りしてもなお 宿命ならば
 私だけじゃなかっただけのことね

 かつてのふられ歌・恨み節みたいな口調は、懐かしさすら感じてしまう。執着から離れ、諦念が先立つことで、生々しさは薄れている。
 愛なんて、その程度のものだ。そう言いたげに、みゆきは優しく諭す。

3. 十年
 遡ること2007年、クミコへの提供曲。一応、オリジナル・ヴァージョンも聴いてみたのだけど、ジャジーR&B的なアレンジが心地よい。スタンダードなシャンソン歌手と思っていたのだけど、案外攻めてるな。
 みゆきヴァージョンはもう少しコンテンポラリー寄り、モダンなワルツ調で、かつての加藤登紀子を連想させる。心地よい脱力感が、歌詞の世界観とマッチしている。
 近年にしては珍しく、緩やかな起承転結のあるラブストーリーで、短編小説のようにきれいにまとめている。十年ぶりに再会した元恋人との回想を軸に、みゆきは一歩引いた視点で「こんなこともあったね」と綴る。
 新しい恋人との幸福を祝う彼女は、はたして独りなのか。そのあたりを濁すのが、大人の女なのだ。

4. 乱世
 人によって、捉え方は違う。「どんな時代も乱れていた」と思う人もあれば、「いや今が一番至福の時だ」と思う人もいるだろう。世論が「乱世だ」と唱えれば、みんなその気になってしまう。要はその人次第だ。
 みゆきもまた、今がそうだと断定しているわけではない。乱世に翻弄される人を客観的に描いているだけだ。心の持ち方次第・視点次第で変わる。

 DNAに問う 何処まで遠く運べというの
 DNAに次ぐ 突然変異に気をつけるんだね

 夜空を埋める大宇宙から微細なDNAまでを主題にしてしまう、みゆきの視点はまさに女神だ。

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5. 体温
 引退したはずの吉田拓郎がギター&コーラスで参加したことで、大きな話題を呼んだ曲。実際は引退前のレコーディングなので、そこまで騒ぐことではない。「最後のゲスト参加」って言う方が正確だけど、この人、ずいぶん昔から「ライブ引退する」とか言ってたから、どこまで本気だか。キンキあたりに担がれたら、また出てくるんじゃないか、ってみんな思ってる。
 
 悩み事なら砂の数 砂にまみれて探すのは
 行方知れずの願いのカケラ 透明すぎて見つからない

 こういった歌をサラッとドライに歌い切れてしまうことが、年を取った人間の特権だと思う。でも言ってることは辛辣極まりないので、実際に言われたら、直立不動してしまう。
 歌だったら、こんな風に言える。結局のところ、ただの歌だ。深刻に捉え過ぎちゃいけない。

6. 童話
 メロディックハードなアレンジの、いわゆる警句的なフレーズを積み重ねた、静かな怒りを思わせる楽曲。「子供たちに何んと言えばいいのだろうか」と問いかけ、そこで終わってしまう。
 ちょっとモヤっと感が残るのだけど、その前に「童話は童話 世界は世界」と綴っていることから、フィクションの世界であることを暗示させている。ドラマと現実、歌とリアルを混同させてはならない。

7. 噤
 終わりなき旅と先行きの見えぬ展望から、そこはかとない無常観を漂わせる、シンプルな言葉を慎重に組み立てた歌詞は、実はわずかに前を向いている。
 明けない夜がないように、果てしない道のりも、やがて終わりを告げる。立ち止まったところが生きる場所であり、そして横たわる場所でもある。
 人は、死に場所を求めて歩き続ける。でも、それはみんな同じだ。いつかは死ぬことがわかっているからこそ、人はいま頑張れる。


8. 心月
 「つき」と読ませる、メランコリックなハードロックチューン。シャーマン/巫女として、ある種の憑依を受け入れたみゆきのヴォーカルは力強く、且つ繊細さを秘めている。
 序盤、重くドライブするギターは、突如覚醒して悲鳴を上げる。「ここブチ切れてください」というみゆきの要望、声と音の礫のぶつけ合いは、愚直でありながら、リアルな戦慄を思わせる。それこそが、プロ同士のつばぜり合いなのだ。

9. 天女の話
 重い警告や暗示だけではなく、ホッと一息つかせる寓話を入れることで、アルバムにメリハリがつく。何もみゆき、アジテーターになりたいわけではない。彼女が似合うのはむしろ、炭鉱のカナリアだ。
 心象スケッチを丁寧にまとめた、短編小説的な味わいは、実は難しい。フィクションをフィクションとして描くはずなのに、細かなリアルを入れないと成立しないのだ。そのリアルもまた、実体験ではなく又聞きだったりほぼ想像だったりするのだけれど。
 あえておどけた歌い方によって、悲壮さをうまく中和している。みゆきがシリアスに描くには、ちょっと合わないテーマでもある。

10. 夢の京
 『世界が違って見える日』の主題は、トップの「倶に」に始まり、そしてラストのこの曲で円環を成す。地球上に生を受けたもの全てを受け入れる、超ど級の慈愛の前にでは、揶揄も皮肉も無意味だ。




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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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