野心作『miss M.』リリース後、フル・スロットル状態が止まらず、ずっとレッド・ゾーンを振り切っていたみゆき。甲斐よしひろという、1986年当時の日本のロック・シーンにおいて、クリエイティブ面ではトップ・レベルのポジションにいた彼を、サウンド・プロデューサーとして確保、あとは理想のサウンドに向けての楽曲制作、それに伴う様々な段取りや調整を行なうだけだった。
ただ、その甲斐がちょうど自身のキャリアのひと区切り、甲斐バンドの解散プロジェクトに忙殺されていたため、本格的なアルバム製作に着手できずにいた。なので、その熱気が冷めないうち、ちょうどタイミングも合って製作したのが、ニュー・ミュージック系ではまだ珍しかった12インチ・シングル”つめたい別れ”。
単に7分超という長尺になったための12インチ・リリースであって、特別リミックスやダンス・ヴァージョンが収録されているわけではない。さだまさしの”親父の一番長い日”と同じパターンだと思ってもらえれば、わかりやすい。と書いてみたけど、別にわかり易い例えじゃねぇな、これ。
どういった繋がりなのか、なぜかStevie Wonderがハーモニカで参加しているのが、このシングルの最大のセールス・ポイント。ここでのStevieのプレイは、曲調に合わせてセンチメンタルなフレーズが中心のソロを展開、一聴して彼ならではの演奏ぶりである。
で、肝心の楽曲とはいえば、かなり脱力感の伴うゆる~いテンポのワルツを基調としており、サビにちょっとレゲエ・ビートを入れたりしてるのは、Stevieを迎えたことで、ちょっと意識したためか。歌詞はあまり思わせぶりな比喩を使うこともなく、シンプルな言葉を巧みに組み合わせている。Stevie参加にあたって、歌詞やコンセプトを説明するのに、込み入った内容は真意を伝えづらいと判断したのだろう。
結局のところ、Stevieの参加によって、自ずとみゆきのカラーばかりを前面に出すためにはいかず、それなりのクオリティは維持しているのだけれど、オリジナリティという点では近作よりも控えめ。『寒水魚』から連綿と続くご乱心時代の作品とはテイストも違っており、別の流れの作品と捉えた方が良い。
甲斐のスケジュールが空くまでの間、自身の楽曲製作のほか、三田寛子や松本典子への楽曲提供、NHKのドラマの音楽担当など、細々とした仕事も並行して行なっているのだけど、この時期の最大のイベントと言えば、何と言っても甲斐バンドの解散ライブへの客演である。
一般的に最後のライブとされている武道館5日間連続公演の2日後、あの黒澤明所有の撮影スタジオを使用して、1500人限定完全招待制のフェアウェル・ライブが行なわれた。このライブは映画撮影と並行して行なわれたため、ライブ・シューティングに最適な大きめのスタジオということで選ばれたらしいのだけど、世界のクロサワとコネがあったことがまず、当時の甲斐バンドのアーティスト・パワーが強烈なものだったということが窺える。
で、24万通の応募から厳選された1500名のオーディエンスだけど、ライブのプレミア感演出のため、ほぼ正式なドレス・コードが採用され、参加する者はフォーマルな正装が義務づけられた。これまではシリアスで好戦的なライブを行なってきた彼らだけど、この最後のライブだけは性質が違い、どちらかといえばアフター・ショウ/パーティ的な意味合いが強く、スタイルだけはフォーマルながら、どこか身内感が漂い、カジュアルな性質のものだった。
なので、通常のかっちり決められたセット・リストではなく、BeatlesやNeil Youngのカバーや、吉川晃司をゲストに迎えての共演など、いい意味でルーズな感じの進行だったのだけど、そこへみゆきもスペシャル・ゲストとして招待された。これまで他アーティストへの客演はほとんどなかったみゆき、特にこの時期のライブ映像はこれ以外ほぼ皆無なので、かなり貴重な音源/映像である。
「今夜の最高のクイーンを紹介します」という甲斐の言葉によって、ステージ中央へ招かれるみゆき。フォーマルに統一された会場に合わせて、フレアのロング・ドレスに白いショールを羽織っているのだけど、ドレスの柄はよく見ると、白を基調とした淡いレインボー・カラー、首筋には、この頃はまだ一般的ではなかったチョーカーをつけている。そして手に持つのは、華やかなドレスとはミスマッチな、クリスタルのエレキ・ギター。当時、ロック・サウンドへの傾倒が大きかったことを知っていたみゆきファンならまだしも、これまでフォーク/ニュー・ミュージックのイメージが強かった甲斐バンドファンにとっては、パーティに相応しいサプライズだった。
甲斐がみゆきとのデュエットに選んだのは、”港からやってきた女”。ブルース・ベースのこの泥くさい曲を、サウンドに負けない声量で歌いこなすみゆき。最後のライブにもかかわらず、甲斐もここでは一歩引いて、みゆきに華を持たせている。
歌い終えると、また颯爽と袖に引っ込むみゆき。挨拶の言葉も甲斐へのねぎらいもなく、凛とした態度のまま。80年代日本のロック史に確実に残る名シーンである。
36.5℃(紙ジャケット仕様)
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中島みゆき
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1. あたいの夏休み
1986年6月、先行シングルという形でリリース。前作に引き続きStevie参加という点がセールス・ポイントだったのだけど、今回はなんか適当にサンプラーをいじくってる程度で、それほど特筆するほどのプレイではない。
むしろ話題になったのが、あまりに直截的な、本人未出演の脱力系PVだった。日本でもそろそろPV製作が当たり前になりつつあった頃なのに、ほぼ手抜きみたいなそのビジュアルは、逆に言えば大掛かりでビッグ・バジェットなPVへのアンチテーゼだったのかもしれない。いや、違うなきっと。多分、映像に感心がなかっただけだ。
かなりニュー・ウェーブ系に寄ったダンサブルなビートをバックに、感情を抑えた無機的なヴォーカルというのは、当時流行っていたEurythmicsを連想させるけど、まぁ甲斐あたりが意識してたんじゃないかと思う。
これまでもご乱心期は、あらゆる意味で世間を驚かせていたけど、みゆきが意識的だったのは、あくまでサウンド、アレンジやアンサンブルへのこだわりが強かった。なので、リズムへのアプローチはほぼ手つかずな状態だったため、ここまでの変化は誰も予想していなかった。
2. 最悪
なんとアレンジは、あの久石譲だった。今の作風からすると信じられないくらい、デジ・ロック・テイストも入ったハード・ロック。ディストーション・ギターのドライブとゲート・エコーバリバリのドラムとのアンサンブルは、案外今でもイケるんじゃないかと思う。アクセント的に入る無機的なシンセもイイ味出してるし。
歌詞もサウンドに負けない、ストレートで力強い言葉を選んでいるけど、サウンドに寄り添い過ぎた面があり、みゆき特有の言葉のニュアンスはちょっと弱い。そういったものを求める曲じゃないから、これはこれで良いのだろう。
3. F.O.
ちょっとダークにテンポを落としたユーロビートに乗せて、決してアゲアゲにならずクレバーに、それでいて要所要所で憂いを魅せるヴォーカルを聴かせている。名曲で目白押しの『36.5℃』の中でも5本の指に入る名曲。
1.でリズム、2.でサウンドと、それぞれ変容を魅せたみゆき、この3曲目はそれらがうまく融合しており、そして歌詞も印象深いものになっている。
男はロマンチスト 憧れを追いかける生き物
女は夢のないことばかり無理に言わせる魔物
先に言ったわけじゃない愛の言葉
肝心なひとことは 極力避けた
ののしり合って終わるのは
悲しいことだと わかっておくれ
考えてみればこんな歌詞、17歳の俺がきちんと理解していたのだろうか?いや、多分してないだろうし、今だって全部わかってるわけじゃないと思う。
あの時聴いたあの歌詞、あれはこういうことだったのか。
そんなこともあるので、みゆきの歌はいつまでたっても新鮮に聴けるのだ。
4. 毒をんな
シンセ・パーカッションの後、すぐにみゆきのサンプリング・ヴォイス。最初から飛び道具だが、曲が始まれば、後は比較的オーソドックスなサウンド。
助けてくださいと レースペーパーに1000回 血で書いた手紙
ここだけ抜き出すと、まるで“わかれうた”『生きていてもいいですか』の世界観だけど、これ以外にもあらゆる暗示や暗喩的な言葉が飛び交っており、みゆきの全楽曲の中でも難解さではかなりのトップ・クラス。
色恋沙汰を超越した人間の諦念や輪廻をあらゆる角度から描写した歌詞なのだけど、他にもいろいろな解釈がありそうなので、まずは聴いてもらったほうがよい。
5. シーサイド・コーポラス
6.のB面としてシングル・カットされた、みゆきの曲の中でも1,2を争う短めの曲。かなり濃いめのサウンド/歌詞が炸裂するこのアルバムの中で、ひときわ目立つようにほっこりした、シンプルなアコースティック・ナンバー。
情景描写を中心とした曲なので、歌詞の解釈を小難しく語るのは、野暮な行為。
アルバムでは1番しか歌ってないけど、シングルでは2番まで歌詞があり、最後にみゆきの「こんなもんでどうかな?…うん」という言葉で終わるのは、みゆき自身の弾き語りだから。
6. やまねこ
サウンド自体はファンクを消化した歌謡ロックといったところなのだけど、とにかくこの歌、歌詞に関しては一番エキセントリック、ていうか文脈が破綻している。これを他のアーティストが歌ったら支離滅裂になってしまうところを、そこはやはりみゆき、問答無用の表現力で、きちんと歌謡として成立させてしまっている。
傷つけるための爪だけが 抜けない棘のように光る
天からもらった贈り物が この爪だけなんて
ほぼコーラス常連の杉本和世、Eve、それにみゆき自身によってリフレインされるこのフレーズ、文字に起こすとドロドロ極まりないのに、これをサウンドに乗せてハイ・テンションでノリノリに歌ってしまうこと、そしてこんなフレーズを持つ曲をシングルとして発売してしまうことなんて、普通なかなかできることではない。
さぞかし、ヤマハ的にもポニー・キャニオン的にも困惑したことが窺える、なかなかの問題作。ただ、普通にノリの良い曲のため、カラオケではなかなかの人気度を誇るナンバーでもある。
7. HALF
一転して、情感あふれるヴォーカルを聴かせる、この時期にしては珍しくセンチメンタルさが強いストレートなバラード。冒頭は震えるように、そしてサビでは力強く声質を使い分けることによって、単調なバラードにしっかりメリハリを与えている。
ゴスペルを思わせるコーラス、地の底から響くような青山純のドラム、こちらも情感たっぷりにギターを泣かせまくる北島健二のリフと間奏ソロといい、演奏自体もこのアルバム中、最もグルーヴ感が強い。
なんで遠回りばかりしてきたの
私 誓いを忘れて 今日の日まで
私たちは こうしてさすらいながら
この人生も すれ違ってしまうのですか
叶わぬ願いと知りながら抱く刹那の想い、それでも信じていたいと願う、女としてのみゆき。
いや、これはみゆきだけのことではない。
みゆき的な部分を持つ女性なら、誰でも抱いたことのある想いである。
8. 見返り美人
当初、中森明菜に提供される予定だった曲。シングル・カットされて、オリコン最高16位まで上がったのは、この時期にしては健闘した方。アルバム・ヴァージョンとシングル・ヴァージョン、それと1991年のシングル”トーキョー迷子“のB面としてリリースされたヴァージョンがあるのだけれど、まぁ俺的にはファースト・インパクトの強い初期ヴァージョンに思い入れが深い。で、どちらが良いかと言えば、ヴォーカルの説得力が強いアルバム・ヴァージョンの方が好み。あくまで好みなので、あとは人それぞれ。
ひと晩泣いたら 女は美人
生まれ変わって 薄情美人
通る他人に しなだれついて
鏡に映る あいつを見るの
9. 白鳥の歌が聴こえる
しっとり歌を聴かせるアレンジは、久石譲によるもの。2.のハードなサウンドより、彼の持ち味が活かされているのは、こちらの方だと思う。なので、シンプルなアレンジは歌をジャマせず、あくまで寄り添うような響きが中心。いつもはエフェクターを利かせまくる北島健二も、珍しくナチュラルな音色を聴かせている。
海外で「Swan Song」と言えば、臨終を前にした白鳥が歌うといわれる美しい歌のこと。ロック・ファンにとっては、Led Zeppelinのプライベート・レーベルとしての認知度が高いかもしれない。
ご乱心期の最後を締めくくる曲として、これを最後に持ってきたことは、やはりみゆきの自信、または強い確信のあらわれだろう。もはや奇をてらったアレンジもなく、飛び道具もない。ただ時代に寄り添ったサウンドを自分なりに吸収し、そして素直に出してきたのが、この曲。
歌詞もこのアルバムの中では、最もシンプル。小難しく考える人なら、様々な暗示や暗喩を読み取るのだろうけど、単に歌詞だけを抜き出して評価するのではなく、あくまで詩・曲と演奏、そしてみゆきのヴォーカルが加わることによって成立する、ひとつの到達点としてのサウンドを堪能してほしい。
なので、歌詞の抜粋はなし。総合芸術として判断してほしいので。
36.5℃とは、人間の平熱を指す言葉とのこと。
あくまで熱くならず、かといって過剰にクレバーにもならず、
いつも通り、平常心でのサウンドを目指したというのは、みゆきの言葉。
もはやご乱心ではなく、自分が望むサウンドを手中に収め、自らの体内に取り込んだ成果が、このアルバムなのだろう。
あくまで熱くならず、かといって過剰にクレバーにもならず、
いつも通り、平常心でのサウンドを目指したというのは、みゆきの言葉。
もはやご乱心ではなく、自分が望むサウンドを手中に収め、自らの体内に取り込んだ成果が、このアルバムなのだろう。
この後のみゆき、それを証明するかのように、文字通り『中島みゆき』、セルフ・タイトルのアルバムを発表することになるのだけれど、それはまた次回。
中島みゆき
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中島みゆき全歌集1975-1986 (朝日文庫)
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