この年の岩崎宏美の音源リリースは、『Wish』とシングル4枚、それにライブ・アルバムが2枚。ジャム・バンドじゃあるまいし、ライブ盤はちょっと多いけど、当時のアイドルとしては、まぁ通常ペース。これにカセット・オンリーのベスト盤なんかが入ると、もう月刊・岩崎宏美状態になる。
一応、カテゴリ的に「アイドル」とジャンル分けされてはいるけど、この時点ですでにデビュー5年目、言っちゃ悪いけど、鮮度はどうしたって落ちる。トップ10に入るヒットも少なくなり、世代交代も進んでいるため、そろそろ方向性を考えなくてはならない時期である。
今も変わらぬ女性アイドルのお約束である、セクシー・グラビア路線や女優、バラエティ要員など、ザッツ・芸能界的路線に軸足を置かぬまま、岩崎宏美はコンサートや歌番組を主戦場としていた。それでもほんのわずか、拙いエッセイを添えた写真集や、水着グラビアのオファーも受けてはいるけど、その多くは露出の少ないバスト・ショット中心で、あからさまなエロさはない。
こんなんでも、情報に飢えていた当時の中高生からすれば、充分なごほうびだったのかもしれないな。妄想力と情報量とは、得てして相反するモノであるし。
そんな男の子たちの青臭い妄想を掻き立てるポジションから徐々に身を引き、岩崎宏美はアイドル以降のステップ、ポップス・シンガーへの転身を進めていた。急激な路線変更ではなく、ポップス・シンガーとティーン・アイドルとのクロスフェードが、本人含め周辺ブレーンが描いていた理想形だった。2年目のジンクスを越えられず、女優やバラエティ、はたまた引退に追い込まれてしまう多くの女性アイドルと違って、岩崎宏美はほぼ歌一本に専念できる環境に恵まれていた。
とはいえ。
芸能色の濃いバラエティ番組とは適度な距離を保ち、歌を主軸としたアイドル以降のストーリーというのは、案外前例が少ない。小柳ルミ子ほど妖艶ではないし、桜田淳子のように、バラエティもドラマもこなせるほど器用ではない。
アイドル以降を生き残った歌手として、アイドルでブレイクすることができず、演歌に転向して活路を見出した石川さゆりという実例があるけど、ポップスのカテゴリとなると、ちょっと思い浮かばない。すごく遡って拡大解釈して、「美空ひばりやいしだあゆみもアイドルだったんじゃね?」といった解釈もあるにはあるけど、まぁ、ちょっとこじつけが過ぎる。
理想的なロールモデルとして、高橋真梨子や大橋純子の路線が最も近いのかもしれないけど、二十歳前後という年齢では、まだちょっと青すぎる。「となりの宏美ちゃん」的キャラを払底するには、もう少し時間が必要だった。
こう考えると、二十代前半というのは案外中途半端な年代だ。アイドルというにはとうが立っているし、さりとて大人の女性を演じるには、ちょっと経験値が足りない。
同世代の女性アイドルと比べて、彼女が優位に立てるのは歌唱力であるけれど、返して言えば、それだけしか持たない。それだけじゃ足りない、と言い換えてもいい。何かひとつ、飛び抜けた才能があるだけで充分恵まれているけど、でも絶対的ではない。
幼少時から歌唱レッスンを重ねてきた岩崎宏美は別として、女性アイドルの歌唱力はそれほど高いものではない。ていうか、よほどじゃない限り、その辺は重要視されないし、むしろちょっと不安定なくらいの方が、感情移入しやすい。
デビュー当時は、歌もダンスも人並み程度だったけど、キャリアを重ねるにつれて、少しずつ向上の兆しが見えてくる。ちょっぴり不器用な少女の成長過程をリアルタイムで見守ることで、ツボにはまった者は心動かされ、そして夢中になる―。
どの項目もまんべんなく平均値をクリアしているより、突出して秀でているか、それとも劣っているか。人はむしろ、そんなアンバランスに強く惹かれる。精神的にも肉体的にも、まだ成長過程にあるティーン・アイドル、そのファンもまた、アンバランスな存在であることに変わりない。
ぼんやりした不安とコンプレックスを拗らせた厨二病男子は、欠けている部分に共感を抱き、そして、想いのたけを注ぎ込む。どの時代であれ、その基本原理は変わらない。
デビューしたてならともかく、中堅歌手となっていた岩崎宏美は、そんな思い入れを受け入れる存在ではない。突き抜けた高レベルの歌唱力は、青少年男子を惹きつけるファクターにはなり得ない。
アイドルとしてシンガーとして、多くの項目で高いポイントを獲得しているので、どの角度から見てもスキはない。優等生的なキャラではあるけれど、無理やり作られたものではないので、あざとさもない。
アイドル全盛期をリアルタイムで知っているわけではないので、断言はできないけど、強烈なアンチ・ファンは、ほぼいなかったんじゃないかと思われる。セックス・アピールをほとんど感じない、「となりのお姉さん」的イメージは、世代性別を問わず、抵抗なく受け入れられやすい。
堅調なセールスに支えられ、歌番組の常連として、「みんなの宏美ちゃん」キャラはお茶の間にも充分浸透した。二十歳以降にリリースされた「シンデレラ・ハネムーン」や「万華鏡」は、大人のポップス・シンガーへの着実なステップアップを印象づけた。
ただ、突出した個性には欠けるため、熱烈なファンというのは案外少ない。それは再評価の盛り上がりの薄さと確実にリンクしている。
ぶりっ子キャラを前面に出した松田聖子は、デビュー当時、強いバッシングを受けていたけど、アンチの数以上に、熱狂的なファンと多くのエピゴーネンを生み出した。強烈な生理的嫌悪は、同時にカリスマティックな求心力を内に孕む。
岩崎宏美は、決してトップ独走するタイプではなかった。ただ、アイドル・レースにおいてトップ争いに汲々とせず、マイペースで別のベクトルを進んでいたからこそ、失速もしなかった。
結果論ではあるけれど、ティーン・アイドルとしてデビューしたのも最適解だったのでは。変に大人びたシンガー路線で売り出して、迷走したあげく、演歌路線へシフトされていたかもしれないし。
多くの同世代アイドルが次々に失速してゆく中、岩崎宏美は着実にアイドル路線からの脱皮を推し進めていた。大きな浮き沈みもなく、順風満帆に見えるキャリアに見えそうだけど、それもこれも本人含め、周辺スタッフによる緻密な成長戦略の賜物である。
ただ、「大人のシンガー路線」とひと口に言っても、漠然としているのもまた事実である。「アイドル以降」をうまく渡り歩いたポップス・シンガーの成功例は、ほぼなかったと言っていい。
そのビジョンを最もうまく描けたはずの山口百恵は、結婚・引退を機に、自ら身を引いた。そのラインを引き継げるポテンシャルを有するのは、岩崎宏美しかいなかった。
急激なセクシー路線への転換は無理があるし、多分、そんなにニーズもない。ダンス/ディスコ路線という選択肢も考えていたかもしれないけど、正直、リズムで映えるタイプではない。いくらキャラが活きるとはいえ、バラード一辺倒では、飽きられるのも早い。
あまり前向きではないけれど、そんな手探りな消去法を推し進め、たどり着いたのがミディアム・ポップを主体としたAOR路線、つまりこの『Wish』ということになる。やっとたどり着いたよ。
少女から大人への成長過程を丹念に描き込む基本路線を踏襲しつつ、身の丈に合ったシティ・ポップ路線は、その後の彼女の方向性にも大きく作用している。歌謡曲のフォーマットで制作された「すみれ色の涙」のようなベタなシングルを織り交ぜつつ、80年代以降の岩崎宏美は同時進行で、着実な成長戦略を進めている。あらゆるジャンルを貪欲に取り込んできた歌謡曲のひとつの進化系として、『Wish』もまた、その延長線上に位置している。
シングルの寄せ集めが主体だった、当時の歌謡曲アルバムの中において、『Wish』はビクターの本気が窺える作品となった。LA録音というキーワードが、どれほどセールスに貢献したかはさておき、純粋なクオリティ面において、作曲家:筒美京平の全面参加が大きく影響した。ほぼシングル主体のオファーしか受けなくなっていた当時の筒美へ、アルバム全曲書き下ろしを依頼したディレクター:飯田久彦は、一体どんな手を使ったのだろうか。
ただ筒美サイドから見ると、正確なピッチに加え、流麗なメロディを素直に表現できる岩崎宏美という素材が魅力的だった、とも言える。わざわざピアノ演奏で参加までしちゃうくらいだから、その肩入れようはかなりのものである。
周囲の雑音を極力廃し、短期集中で制作されたLAサウンドは、程よくウェットなメロディ・ラインとマッチして、変な背伸び感やバタ臭さは一掃されている。バランス感覚に優れたディレクションによって、お茶の間にも広く受け入れられるよう配慮したドメスティックな味つけが、「よくできたシティ・ポップ」以上のクオリティとして成立している。
ソフト~ミディアム・ポップのサウンド・アプローチに軸足を置きながら、ペンタトニック主体の歌謡曲とリンクさせる手法は、この後の岡村孝子ら後発女性シンガーのモデル・ケースとなる。
ほぼ同時進行で、松本隆は「松田聖子」という素材を用い、アイドルのフォーマットを拡大成長させる壮大な実験を進めていた。その作業は聖子本人に引き継がれ、「脱・アイドル」ではない、「生涯アイドル」という新たなフォーマットを生み出した。
「アイドル以降」と「生涯アイドル」、交わることのないふたつの行程は、いまだ進行中である。
岩崎宏美
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1. WISHES
筒美京平自らによるピアノ弾き語りという、なかなかレアなセッション。1分足らずのオーバーチュア的な小品ではあるけれど、岩崎のヴォーカル・テクニックを最大限活かすメロディ・ライン、さらにそれを引き立たせるため、余計なアレンジメントを排したことが効果的となっている。
岩崎にとって、師匠とも先生ともいえる筒美との共演は相当なプレッシャーだったらしく、リラックスさせるため、筒美がワインを勧めたことは、ファンの間では有名なエピソード。
2. 五線紙のカウボーイ
澄み切ったスライド・ギターの音色が美しい、カントリー・タッチのミディアム・バラード。シングルでも充分いけそうなクオリティだけど、歌謡曲として見れば、ちょっと地味なのかね。LAのカラッとした空気も作用してか、バッキングの音は申し分ないのだけど、ヴォーカルの響きがちょっとデッド気味、もう少しリヴァーブかけても良かったんじゃないの?というのは大きなお世話か。
3. SYMPATHY
後藤次利アレンジのため、ギターにディストーションがかかり、リズムがちょっと跳ねてくる。海外レコーディングのメリットが活きてくるゴージャスなアンサンブルが聴ける。
1999年にリリースされたセルフ・カバー・アルバム『Never Again〜許さない』にて、ニュー・ヴォーカルで再録されているのだけど、ベーシック・トラックは『Wish』セッションをそのまま使用している。当時のアンサンブルが時代を超えたクオリティであったのと同時に、岩崎自身も(多分)ヴォーカルに不満が残っていたのだろう。
1999年ヴァージョンのヴォーカルは、マジ必聴。サラッとした旧ヴァージョンに対し、熟成されたヴォーカルの力に引っ張られ、楽曲のグレードが一段も二段も上がっている。
4. STREET DANCER
とはいえ、情感のインフレがすべて良い方向に作用するものでもない。シティ・ポップ・ファンにも人気の高い、ライト・メロウな楽曲には、あまり強いキャラクターより、ちょっと軽いヴォーカルの方がフィットしている。
バッキングだけ聴くと結構ファンキーなプレイなのだけど、たおやかで少しウェットな岩崎のヴォーカルが、演奏のアクをうまく緩和している。大橋純子が歌ったら、セッション・メンバーも喚起されて、R&B色が強くなるんだろうか。
5. KISS AGAIN
フェンダー・ローズの危うい音色から入るイントロ、挑発的なギター・カッティングが、アーバン・グルーヴ感満載。煽情的な女性コーラスも、シティ・ポップ・ファンからの支持が熱い。
こういった曲調だと、普通、ヴォーカリストならちょっと崩して歌ったりシンコペーション噛ましたりなんかして、無理にグルーヴ感演出したりしてダダ滑りするケースが多々あるのだけど、ここでは逆に正確なピッチを崩さない岩崎のスタイルが、聴きやすいライト・メロウ・テイストとして作用している。
6. HALF MOON
後藤次利が重厚なロック・アレンジで頑張っているけど、なんか歌謡ロック臭が漂って、LAっぽさがあんまり感じられない。やたらギター・ソロが長いんだけど、ウェットなフレーズが70年代テイストなので、アルバム・コンセプト的にはちょっとミスマッチ。
7. 女優
20枚目のシングルとして先行リリースされているけど、ここで収録されているのは新録ヴァージョン。ディスコ・テイストのシングル・ヴァージョンと、グルーヴ感を強調してテンポを落としたアルバム・ヴァージョン、アングルの違いだけでクオリティはどちらも高いので、好みは人それぞれ。
前述の『Never Again〜許さない』に新録ヴァージョンが収録されているのだけど、テクニックのさらなる向上ゆえ、歌詞の説得力が凄い。「歌詞が入ってくる」感覚を味わえるのは、こちらの最新ヴァージョンかな。
8. ROSE
やはり後藤次利といえば、ベース・プレイがなくちゃね。ボサノヴァ・タッチのメロディを、リード楽器ばりに前面に出てシンプルなアンサンブルを盛り立てている。
単に声量が合ったり声域が広いのではなく、楽曲に応じて様々なアプローチで対応できるのが、岩崎宏美のポテンシャルの深さである。
間違いない音程で歌うこと、それは確かに大切だけど、それだけじゃ足りない。同世代アイドルを横目に彼女が生き残ってこれたのは、シンガーとしての基礎体力の違いだった。
9. 処女航海
来生たかおみたいなピアノ・コード、ユニゾンするフルート(?)、さらに加わるギター・カッティングとストリングス。まるでお手本のような70年代歌謡曲アレンジによって、ここだけ異空間。ただ妙な圧とグルーヴ感は、日本人のDNAを刺激する。
何でなのかと思ってクレジットを見てみたら、この曲だけ作詞が阿久悠だった。多分、曲先で書かれているはずだけど、傷心の女性が一から前向きに歩み始めるストーリーが、岩崎のヴォーカルにもアレンジにも、そして演奏にも確実に作用している。
「私は今 孤独の海に 船を出します」という言葉を、動ぜずに爽やかに歌い上げる岩崎もまた、阿久悠の吐き出す言葉の礫をしっかり受け止めている。
10. 夕凪海岸
歌謡曲とAORが程よく混ぜ合わされ、むしろ前者のテイストがやや勝っているため、お茶の間的には相性が良い楽曲。ステージで映える楽曲だよな。
11. 最後の旅
さらに歌謡曲テイストが強くなる。ほんとにLA録音か?と疑ってしまうくらい、アイドルっぽさが強く出ている。「Aメロ→Bメロ→サビ」という王道パターンが、ここにきて裏目に出ちゃったのかね。
12. WISHES (リプライズ)
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