1990年リリース10枚目のソロ・アルバム。この頃になるとさすがに「元YMO」といった肩書きも必要なくなり、大人のロックを演じる渋い中年男性、わかりやすい例えだと和製Bryan Ferryといった趣きである。いや、そんなにわかりやすくないか。
YMOではヴォーカルというフロントにありながら、あのアクの強い2人に挟まれていたせいで、個性を強く打ち出すことができず、終始影が薄かったのは事実である。生来の人の良さなのか、それとも生粋の東京人ゆえの押しの弱さから来るものなのか―、飄々とした佇まいが通好みではあったけれど、アーティスト・エゴは極めて薄く、そこがオリジナリティの弱さと受け止められていた。
なので、サブカル周辺での評価は安定していたけど、そこからの横の広がりが少なく、「名前は知ってるけど、どんな曲を歌ってるのかよくわからない人」というポジションに長らく甘んじていた。
UKニュー・ウェイヴ周辺のアーティストを起用したテクノ・ポップとニュー・ミュージックとのハイブリット的サウンドは小綺麗ではあったけど、そのあまりにバタ臭いサウンドは日本人の好みには合わず、シャレオツな洋楽っぽいサウンドとして聴き流されることが多かった。YMOからの延長線上での幸宏ファンは一定数いたけど、新規のファンを取り込んで行くには、やはり教授や細野さんのような強いエゴが必要だった。
そう思い立ったのかどうかは不明だけど、鈴木慶一とのTENTレーベルが破綻の憂き目に会い、東芝EMI移籍第1弾の『ego』は、そのアーティスト・エゴがこじれた意味で露わになった力作だった。こだわりの音で埋め尽くされたサウンドの洪水は隙がなかったけど、そこに詰め込まれていたのはエゴではなく、逆に没個性な空虚だった。100%幸宏印でありながらも、その質感はどこか他人行儀で、言葉もサウンドも上滑りしていた。サウンドに埋もれるようにミックスされたそのヴォーカルは時に聴き取りづらく、自らの無意識によってオミットされていた。
エゴをどこまでも拒絶したそのサウンドの前で、息が詰まりそうになったのはファンだけではなかった。理想のサウンドを追求すればするほど離れてゆく感覚は、幸宏本人が最も実感していたはず。その徒労感は、以前から患っていた神経症をさらに拗らせてしまい、一時はその安否が気遣われた。
で、その後、サディスティック・ミカ・バンドの再編プロジェクトを経て、チェンジ・アップした心境で制作されたのが、このアルバム。
以前のような最先端のサウンドで埋め尽くされてはいない。むしろバッキングはシンプルで、幸宏のヴォーカルの特性である揺らいだ響きを最大限活かせるよう、サウンドの音圧も少し抑え気味。いい意味でのアーティスト・エゴが前面に押し出された構造になっている。
YMOの中ではメイン・ヴォーカル担当というポジションもあって、シンガー・ソングライター的にメロディアスな旋律を作ることが多かった幸宏、ソロ以降はUKニュー・ウェイヴ勢とのコラボが多かったせいもあって、サウンドのディティールを活かすためミニマルなメロディが多かったけど、ここではそれが復活している。
これまではシンガー・ソングライターとしての宿命を受け止めて、ほぼすべての作詞作曲を自ら手がけていた幸宏だったけど、ここでは歌詞のほとんどを外注している。今後も運命を共にすることになる盟友鈴木慶一もいれば、職業作詞家にしてはエゴの強い森雪之丞など、クセが強いながらも、幸宏のキャラクターに理解の深い人ばかりなので、チグハグな印象はない。むしろ客観的な視点によって描かれた等身大の幸宏像は時に生々しく、そして痛みを伴う。
で、その慶一、ビートニクスの流れからか、全面的にアレンジメントにも参加しており、ほぼ共作と言ってもいいくらいの力の入れようである。幸宏からインスパイアされたのか、または自らもそういった特性があったのか、「弱くって情けなくってもいいんだ」というテーゼが、今後続く3部作の主題になっている。
限りなくリアルに近い幸宏の実像に、ほんの少しのフェイクを混ぜ合わせて、等身大の幸宏、こうでありたい幸宏像を見事に表現している。前作収録の”Left Bank”は迫真のクオリティだったけど、そこにポピュラリティを付加してデカダン要素を薄めたのが、この作品群である。
年齢を経て付きまとってくる立場と責任、時折すべてが鬱陶しくなって放り出したくなる。ちょっとした弾みで心が折れそうになりながらも、必死にそれを心の奥底に押し込めてしまう。何の解決にもならない。ただ、爆発の瞬間を先延ばしにしただけ。一見涼しげな表情でいながら、内面はもう崩れ落ちそうなくらいなのに、そんな表情は見せずに踏み止まらなければならない。
そんな大人たちを無闇に励ましたりするのではない。ただ、自分も同じような立場で同じような境遇でありながら、弱々しくしかし力強く幸宏は歌う。彼も歌い続けることで、何かしらの救済を求めているのだ。
しかし、そんなものはどこにもない。
ないことをわかっていながら、それでも歌わずにはいられないのだ。
逆説的に考えれば、傷ついた大人への応援歌的なニュアンスも含まれている曲が多いのだ、このアルバムは。
このアルバムがリリースされた頃、俺はまだ二十歳になって間もないガキだった。物事を斜に見てわかった気になってるガキが幸宏の歌を聴いて、頭ではわかったつもりでいながら、その言葉をちゃんと受け止めていたかといえば、それはちょっと疑問。
で、年月を経ていま46歳。当時の幸宏の傷み、大人の傷みを少しは実感できるようになってきたんじゃないかと、勝手に思っている。
Broadcast From Heaven
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1 天国からの中継
バグパイプとバンドネオンの音色を使用した、疑似オーガニック・サウンドを表現した打ち込みインスト。天国っぽいかと言えば微妙だけど、のどかな雰囲気はこれまでの幸宏のサウンドにはあまりなかったこと。
2 6,000,000,000の天国
1.のアウトロからそのままメドレーで続く、作曲クレジットがビートニクスなので、ほぼ慶一との共作。宗教的な響きのドラムとシンセ・エフェクト。ビートは強いけど、決して歌を邪魔していない。むしろ荘厳な雰囲気を効果的に演出している。
キリスト教史観による歌詞のため、当時の日本人にとってはイマイチ理解が得られづらい面もあるけど、世紀末を抜けて、エヴァンゲリオンを通過した世代なら、あまり抵抗なく受け入れられるんじゃないかと思う。ルシファーやメサイアなんてワード、ここで初めて知ったわけだし。
3 Fait Accompli
作詞のSteve JansenはUKのビジュアル系バンドの元祖Japanのドラマーだった人。この人は特に幸宏を敬愛しており、特にJapanも解散してヒマだったせいもあって、よく日本に来て、また幸宏がイギリスに行ってはコラボを繰り返していた。
JapanもYMO同様、短い活動期間の中であらゆる音楽的変遷を遂げたバンドだけど、その2人のコラボの完成形が、これ。きちんと時代に即したモダン・ロック・サウンドとニュー・ウェイヴの残り香を放ちつつ、ヒット・チャートにおもねることのないサウンドを創り出している。
90年代も彼らのコラボは続き、日本でもUKでもどこかいびつで収まらないサウンドを創り続けている。
4 4:30amのイエティ
再びビートニクス登場。バック・トラックはむしろのどかで、メロディ・ラインもJポップに即した親しみやすいスタイルだというのに、歌詞だけが紙やすりで撫でられたように痛いのは、この2人のコラボの定番となるスタイル。
イエティ(雪男)にはダブルもしくはトリプル・ミーニングも含まれているのだろうけど、愛しているのに家に帰りたくないその心境は、やはり中年以降じゃないとわかりづらいんじゃないかと思う。最初は俺もピンと来なかったしね。
慶一の歌詞はどうしても主観で描かれていると思われがちだけど、独りよがりではなく、ちゃんと相手との関係性も描かれていることは、もっと評価されてもよい。
この曲のラスト、
だけどいつも僕が
こんな気持ちでいることに 気がついたら
喉から叫ぶだろう
僕と君の間を 切り裂くような
悲しい声で
サブカル中年の独善だけでなく、きちんと他人との距離感も描かれているからこそ、幸宏もまた彼とのコラボを続けているのだ。
5 1%の関係
シングル・カットされて、一時このPVが結構テレビで流されていた。リリース当初から神曲認定され、今でも代表曲としての座を堅持している。
慶一の書く詞はペシミスティックな皮肉と自虐が混じり合ったものが多いのだけど、これはネガティヴなワードを使いながらも希望的観測が織り込まれ、ひ弱ながらも前向きな男の、ある意味理想像が形作られている。リフレインされる1%がラストでは100%になっている、ベタだけどきちんと日本人の琴線に響くストーリー性と言い、ちょっと気恥ずかしかったかもしれないけど、傑作だと思う。
6 The Sensual Object Dance
作詞のChris MosdellはYMO時代からの付き合いで、この人はなぜか日本での活動が多いのに、Eric ClaptonやMichael Jacksonからもオファーがあり、今はなぜか東京国際大学教授という、謎の人。どんな強いコネクションがあるのだろうか。
これまでのソロの経歴をすっ飛ばして、YMO『Service』のサウンドを深化させると、こんな感じになるんじゃね?といったテイストのサウンド。UKニュー・ウェイヴを通過したAORといった感じなので、俺的には好み。でも、日本語詞の言葉の力が強いため、どうしても埋もれちゃうけどね。
7 淋しさの選択
柔らかなレゲエ・ビートとスティール・ドラム風エフェクトが入っていながらも、ちっとも南国っぽく聴こえないのが、幸宏の持ち味。何となくのイメージだけど、冬って印象が強い人である。南国へバカンスに行ったら行ったで、「こんなとこ来るんじゃなかった…」って言いながら木陰でブツブツ言ってそうな幸宏の後ろ姿が想像できてしまう。
唯一、森雪之丞が書き下ろした作品で、慶一が介在してない分、歌声もひ弱ながら前向きな響き。
8 Forever Bursting Into Flame
再びChris Mosdell。ビートのきつくないゴシック・ロックといった趣き。もともとUKテイストが強い人なので、David Sylvianとの類似点が多い。まぁ従来幸宏ファン向けなのかな。
9 Rehabilitation
なぜか共同作詞クレジットとして大村憲司の名が。密林の部族を思わせるアフロ・ビートと、突然挿入されるゴスペル・コーラスといい、これまでの幸宏とはかなり異色。アメリカ音楽へのリスペクトを表明したことがなかっただけに、これはちょっと意外だったけど、それはちょっと誤解だった。
10 What The World Needs Now Is Love
作曲者のBurt Bacharachはアメリカ人で、幸宏もUK音楽ばかり選んで聴いてたわけもなく、あらゆる選択肢の中からUKだけが突出していただけで、これもまた幸宏のヴァリエーションのひとつである。
超有名曲で、Dionne Warwickを筆頭に、あらゆるカクテル・ラウンジ系のシンガーがこれをカバーしているのだけど、日本では幸宏のほか、野宮真貴も参戦している。
いいメロディといい歌詞へのアプローチとして、幸宏が選んだのが、限りなくシンプルなピアノ一本による弾き語り。野宮真貴のパーティーピーポー的アレンジも面白いのだけど、アルバムを締めくくるラストとしては、これが最適。
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