1992年のYMO再生プロジェクトは、あの伝説となった記者会見でひとつのピークを迎え、その後、緩やかな下降線をたどっていった。間もなくリリースされたアルバム『テクノドン』はそれなりのセールスを上げはしたけど、一般的に強く印象に残っているのは、豪奢な棺に収められた姿であり、やる気があるのかないのか微妙なリアクションの「モジモジくん」のコントだった。なので、当時の音楽シーンに多大な影響を与えた感は、まったくなかった。
業界総出で盛り上げられた、そりゃもう空前の前評判に煽られて、一応、即買いしたはいいけど、なんかピンと来なくて2、3回聴いただけで、速攻売り払ってしまった『テクノドン』。近年になってアナログ再発されたこともあって、再評価の機運を盛り上げるムードが高まりつつあって―、と途中まで書いてみたけど、いやないな。
CDバブル華やかなりし90年代までと違って、音楽メディアや業界が扇動しても、マーケットはそれほど簡単に動かなくなった。YMOの評価や歴史的位置づけが、そこそこ固まってしまった現在、「往年のファンに向けての高額ノベルティ」といったエクスキューズ以外、ニーズはそんなにないんじゃないかと思われる。
かつて創造したテクノ・ポップというイディオムを引き継がず、果敢に現在進行形のテクノを取り込んでいたのは、強い攻めの姿勢のあらわれだと思っていたのだけど、その後の各メンバーの発言やコメントからすると、どうもそんな感じでもないっぽい。彼らが自発的に、抑えきれぬ表現衝動に突き動かされて発動したプロジェクトではなかったこともあって、消化不良と妥協と齟齬の積み重ねが、全体に暗い影を落としている。
3人が3人とも、プレイヤーとしてコンポーザーとして、それぞれピンで成立しちゃっているので、フワッとしたお題がひとつあれば、チャチャッと1トラック仕上げてしまうのは、お茶の子さいさいである。極端な話、ザックリしたアイディアやフレーズをメンバーに伝え、あとはスタジオでいじくり回せば、それなりに形になってしまう。出来はどうであれ。
YMOというユニットは、カッチリした民主制でもなければ、絶対的カリスマによる独裁制でもない。一応、年長者であり、言い出しっぺでもある細野さんがリーダーではあるけれど、音楽的なイニシアチブを完全掌握しているわけでもない。
「細野さん」≠「教授」という、微妙に位相のズレたカリスマ2人の緩衝役として、「両者のパワー・バランス調整に神経をすり減らし、それでいて案外、そんな役回りが性に合っている幸宏」という相関関係が奇跡的に釣り合っていたのが、散開前までのYMOだったと言える。そんな張りつめたテンションの緩急具合は、時に『テクノデリック』、時に「トリオ・ザ・テクノ」といった風に、大きな振り幅を描いていた。
ただ、そんな緊張緩和が永続的に続くはずもない。細くしなやかな糸も、次第に擦り減ってゆく。
無理やり結び直したとしても、かつてのしなやかさを取り戻すことはない。そう考えると、再生YMOに大きな「バッテン」がついたのも、納得がゆく。
それなりのキャリアや実績を築いたバンドが解散すると、1人くらいはソロ活動がうまく行かなかったり、表舞台から消えたりするものだけど、YMOはその轍を踏まなかった稀有な例である。セールス的に大きな成果を上げることはなかったけれど、3人とも新レーベルを立ち上げたり海外アーティストとのコラボがあったりで、クリエイティブ面ではむしろYMO時代よりアクティブだった。
3人が3人とも、「元YMO」という肩書きを振りかざすこともなければ、真っ向から否定することもなかったけれど、それまで築いた過去の業績は、未来のキャリア形成において、確実に有利に働いた。客観的に見て、新たなプロジェクトやレコード会社の移籍話ひとつ取っても、「元YMO」というブランドは、3人にとって都合の良い方向に作用したことは明らかである。下世話な話、企画書に彼らの名前があると、予算は確実に一桁違ってくる。
散開後、真っ先に行動を起こしたのが教授だった。ていうか、もともとバンド活動に理想を求めないノマド体質だったからして、逆にYMOで5年も続いたこと自体、奇跡だった。
映画『ラスト・エンペラー』サントラでアカデミー賞ゲット後、名実ともに「世界のサカモト」となり、現代音楽からハウスまで、はたまたイギー・ポップからユッスー・ンドゥールまで、興味が湧けば手当たり次第、あらゆる音楽性を貪り、未知の音楽への経験値を上げていった。
細野さんは細野さんで、『銀河鉄道の夜』のサントラや、松田聖子・中森明菜への楽曲提供といった、比較的コンテンポラリーな路線と並行して、「ノン・スタンダード」と「モナド」2つの新レーベルを立ち上げ、若手アーティストの育成やプライベートな色彩の作品を発表していた。ゼビウスの音源をベースとしたメタ=テクノ・ポップ的なアルバム・リリースの傍ら、「セックス・マシーン」のカバーでJBと共演したり、実は3人の中で最も振り幅の大きい活動をしていたのが、細野さんである。
2人ともザックリ要約しちゃったけど、深く知りたい人は自分で調べてね。細かく拾ってくと、めちゃめちゃ長文になるし、ていうか、本題とは大きくズレる。
で、幸宏。
良い言い方で天衣無縫、悪く言っちゃえば傲慢この上ない2人のカリスマの板挟みに合って、文字通り、身も心もすり減らしたのが彼だった。橋渡し役と言えば聞こえはいいけど、体のいいサンドバッグみたいなもので、5年に渡るジャブの応酬は、確実に彼の精神を蝕んだ。
基本、控えめで自分の意見をゴリ押しせず、なんとなく気心の知れたメンツを中心に、ほどほどの距離感を保つのが、いわば彼の処世術だった。これは何も幸宏だけではなく、当時の東京人の特性と共通する。
身ひとつで田舎から上京してきた地方出身者と違い、都内が実家なら、そんなに生活の心配もいらない。ていうか、都内が実家で学生時代からバンド活動ができるというのは、つまりはそういうことである。
楽器が買えて大きな音で演奏できる環境は、中高校生が努力して得られるものではない。医者や経営者、または大地主の子息による、同じ趣味を持った緩やかなコミュニティからの派生で、日本のミュージック・シーンの一面は形成されていった。
カリスマティックなコンポーザー:加藤和彦が多くを仕切っていたミカ・バンド時代の幸宏は、いわばバンドの1ピースに過ぎなかった。強く進言することもなく、与えられた役割をきっちりこなす。
バンドと違うコンセプトでやりたいのなら、ソロでやればいい。自分から事を荒立てるのは好きじゃないし、意見をゴリ押しするのは、ちょっと気恥ずかしい。
そんなゆるく穏やかな東京人が集うコミュニティにも、異彩を放つ者がいないわけではない。ちょっと違う感性・違う見方をする者は、時に孤立し、時に同好の士として意気投合したりする。
そんなカリスマを2人も抱えていたのが、YMOだった。当時から何を考えているのかわからないけど、先見の明はズバ抜けていた、ミステリアスな細野さんと、同じく何を考えているのかわからないけど、理屈っぽくてエゴの強い教授。
当時から洒脱なセンスと育ちの良さが際立っていた幸宏もまた、一般人の視点からすれば、充分カリスマティックではあるのだけれど、この2人に比べれば、キャラの強さはちょっと落ちる。ていうか、一歩引いちゃうんだよな。
周辺スタッフからすれば、最も聞き分け良さそうな幸宏に進言することが多くなり、バンドの調整弁とならざるを得ない。四方八方丸く収めなくちゃ、という気持ちが先立ってしまい、自分のことは後回しになってしまう。
あくせくせず、飄々とした表情の裏は、常に泣き顔だった。YMOで得たポジションや収益の代償は、それなりに高くついたという事なのだろう。
YMOから解放されてからは心機一転、テント・レーベルを立ち上げたり映画で主演したみたり、あれこれ手を尽くしたけど、どれも消化不良気味で終わっている。密度の濃い5年間をリセットするには、やはり同程度の歳月が必要だったのだ。
EMI移籍第1弾としてリリースされた『Ego』にて、それまでの膿をある程度出し切ることに成功し、幸宏はのちに「恋愛3部作」と称されるコンテンポラリー寄りの作品群に着手することになる。
神経症が完治したわけではない。ただ、病との向き合い方、無理せず長く付き合ってゆく心づもりを体得した、という事なのだろう。大きな意味で、人はそれを「大人になった」と呼ぶ。
鬱屈した想いを主観で吐露するのではなく、客観で語る。大局的な視点とは、突き詰めれば神同然になってしまうけど、そこまで大袈裟なものではない。
もっと地に足のついた、古典的なストーリーを軸とした、傷つき、疲れ切った大人の男を主人公としたメタ・フィクション。ハッピー・エンドで終わるとは限らない、迷走なら迷走のまま、なんとなく終着点の見えてしまったコスモポリタンへ向けた自虐、そして、ささやかなエール。
ごく普通のラブ・ストーリーのフォーマットを用いながら、きちんと言葉を追うと、聴いた後にほのかな苦味が残る。陳腐な言葉と物語でお茶を濁さず、それでいて広範な大衆性を意識できる存在として、EMIにとって高橋幸宏は理想の素材だったと言える。
恋愛3部作は玉置浩二をロール・モデルとしており、意識してそっち方面へ寄せるよう心がけていた、という発言が残っている。そこに加えて、徳永英明や小田和正のエッセンスも入れたんじゃないかと思われる。
要は都会的センスを持ち合わせた男性アーティスト全般、東京または地方中核都市で、仕事にプライベートに充実した、または充実させたいと願っているホワイト・カラーをターゲットにしたマーケティング戦略に則っている。
で、何を言いたいのかというと、この時期の幸宏もまた、ポスト・ユーミン戦略の一環だったんじゃないか、と。EMIに限らず、当時のレコード会社はユーミンの対抗馬作りを模索していた。
岡村孝子はそこそこ成長株だったはずなのだけど、絶対神:ユーミンの前では屈せざるを得なかった。杏里や今井美樹も、作品クオリティ的には健闘したのだけど、初回出荷でミリオン叩き出しちゃう力技に対抗できる術を持たなかった。
難攻不落のユーミン一強体制に一矢でも報いるため、各メーカーはあらゆる手段を講じていた。真っ向勝負で新進女性アーティストをぶつけるのと並行して、同傾向の男性アーティストもまた、それまでのキャリアとはちょっぴり意匠を変えて、ポスト・ユーミンとしてコーディネートされた。
リスクマネジメントの視点で言えば、この戦略はそのままEMIにも当てはまってくる。ユーミン無双が「永続的なものではない」と仮定すると、やはりポスト・ユーミンの存在は必要となってくるし、むしろその可能性は高くなる。
EMI内におけるポスト・ユーミン戦略の中で、大人目線から恋愛教を語れる男性アーティストとなると、確かに幸宏が適任だったと思われる。当時の所属アーティスト・ラインナップを振り返ってみると、元BOOWY2名とYAZAWA、あとはRCと、ロック勢が多くを占め、ポップス系でセールスを見込めそうな者が、いそうで案外いなかった。
単発のプロジェクトでは世間への浸透力が薄いため、コンスタントに3枚続けて同コンセプトのアルバムを制作したのも、そう考えれば納得がゆく。もともとセンチメンタリズムを持ち合わせていた人なので、その部分をクローズアップして大衆向けにコーディネートした、というのが正確な言い方だけど。
大人の「痛い恋愛」路線も軌道に乗り、そこそこタイアップも取れてセールス的にも安定した、とされているのが、この時期の幸宏である。EMIが目論んでいたほどのビッグ・セールスには及ばなかったけど、変に気負わず無理をせず、都会を生きるホワイト・カラーを対象とした戦略は、幸宏自身のメンタル・ケアにも幾分か作用した。
鬱の人に「ガンバレ」と声をかけるのが逆効果であるように、幸宏もまた、声高に励ましたり、背中を押すわけではない。時にネガティブに呟きながら、「ダメだなぁ僕」と肩を落とす。
共感を押しつけたりはしないけど、その姿・スタイル・生き方は、思わぬところから共感を呼ぶ。癒し成分の多い幸宏の声質は、そういう意味ではかなり得をしている。
―時々、すべてを投げ出して、リセットしたい衝動に駆られる。でも、そこへ一歩踏み出す勇気なんてない。今の自分の置かれた環境・ポジションに折り合いをつけて、どうにか1日を乗り切って行くしかないのだ。
あまり展望の見えぬ生き方ではあるけれど、でも後ろ向きではない。そこに踏みとどまっているうちは、まだ後退ではないのだ。
1. 元気ならうれしいね
アルバム発売前に先行リリースされたリード・シングル。クノール・カップスープCMとのタイアップが話題となって、オリコン最高82位。あれ、思ってたより全然低いな。ただ、1992年当時のシングル・セールスは、10位までがミリオン超えなので、そう考えると決して低い数字ではない。まぁEMIの皮算用は大きくはずれちゃったけど。
なので、幸宏のことを詳しく知らなくても、聴いたことある人は案外多いんじゃないかと思われる。当時の牧瀬里穂が凛々しくて可愛くて、その辺の印象が強い名CMでもあった。
デジタル臭の薄い、跳ねたリズム・パターンを基調に、オーガニックなアコースティック・テイストでまとめられたサウンドをバックに、緩い脱力感のヴォーカルの幸宏。思えば、この辺から再生YMO関連で周囲がざわついていた頃だから、こういった肩の力が抜けるセッションは、精神衛生のバランス的にも作用していたんじゃないかと思われる。
人が言うほど 僕は不幸じゃない
こんなに君のこと 想えるから
ホンワカしたメロディに載せて、サラッと重い心情吐露してしまうのが、やはり幸宏の持ち味。つい自己投影してしまうアラサー男子の穏やかな叫びを代弁してしまっている。
「愛はちょっと 不思議なんだ」で締めるところに、ほんの少しの救いを感じさせる。
2. 男において
で、この時期の幸宏の代弁者、または「もう一人の幸宏」と言い切っちゃっていい存在だったのが、鈴木慶一。当時、ムーンライダーズもEMI所属であったため、かなり密な間柄だった。
互いに近づくことによって、互いの精神状態も侵食し合って、特に慶一の言葉は才気走っていた。ズバッと本質をえぐり出すわけじゃないけど、ジワジワ傷口を広げ蝕んでゆく、それでいてクセになってしまう遅効性の刺激は、多くのアラサー男子を悶絶させた。
ステレオタイプの「男」を演じるため、いろいろ失ってきた。「こうであるべき」なんてのに意味はないのに、体面やしがらみなんかを考えると、「男」であることは楽ではある。
ただ、そんな自分が時折、とても窮屈で泣き出したくなってくる。もう少し勇気があって、もっと素直になったら、自分自身も、そして、君も好きになれるかもしれない。
ユーミンなら、同じ主題を流麗な比喩やプロットで飾り立てるけど、慶一はシンプルな言葉に重層的な意味を込める。その辺が最大公約数じゃないんだよな。俺は好きだけど。
3. 素敵な人
アルバムと同時リリースされた、2枚目のシングル・カット。オリコン最高74位と、あれ、1.よりチャート・アクションいいんだ。ラジオではちょっと流れてたかもしれないけど、タイアップもないので、あまり印象に残っていない。
ピリッとしたスパイスは効いているけど、おおむねコンテンポラリー・サウンドの枠をはみ出ない、そんな職人:森雪之丞による大人のラブ・ソング。
夢は風になって 明日は今日になって
人を好きになって、君は君になった
慶一が書くと、もう少し陰影がつくのだけど、ちょっと刺激が強すぎる。ある程度のセールを見込むのなら、この程度の文学性が行き渡りやすい。
4. Follow You Down
海外ドラマ『Friends』の挿入歌でおなじみ、アメリカのポップ・デュオ:レンブランツのカバー。って書いてみたけど、彼らの存在知らなかったし、しかも海外ドラマちゃんと見たことないしで、俺にとっては未知の存在だった。
なので、オリジナルをYouTubeで聴いてみたのだけど、ほぼまるっきり同じアレンジだった。アレンジもリズムも特別ひねりがなく、違いといえばヴォーカルくらい。当たり前か。
なので、純粋に「歌ってみた」かったんだろうな。この人の洋楽カバーは、大抵ストレートなアプローチなので、特段珍しいことではない。
5. Good Days、Bad Days
アルバム・ジャケットのポートレイトにて、玄関の掃き掃除の手を止めて、虚空を見つめる幸宏。そんな彼がつぶやくように、かつ丁寧に言葉を紡ぐ。
砂の国の争いや 汚れた星を嘆くけど
僕には 君さえ救えない
悩み過ぎて拗れすぎて、あらぬ方向まで想いが巡ってしまうけど、大事なことは、いつもすぐそこにあるんだ。ていうか、足元さえおぼつかない者が、どうして世界を、そして愛する女を救うことができる?
でも、僕には空を見上げ、涙をこぼすことくらいしかできない。情けない男の真骨頂が、ここにある。刺さるよなぁ。
6. Fathers
亡き父親へのストレートな憧憬と思慕が交差する、まっとうな男のラブ・ソング。酸いも甘いも孤独も葛藤もすべて飲み込んで、常に動ぜず変わらぬ横顔を見せる父の面影。
こういう歌を正面切って歌えるようになったこと、それはやはり「大人になる」ということなのだろう。
7. Pursuit Of Happiness
アルファ時代を思わせる、全篇英語詞のドライな質感だな、と思っていたら、作詞はステーィヴ・ジャンセン。幸宏が声をかけると、すぐ馳せ参じちゃうジャンセン。美しき師弟愛だよな。
ちなみにこの時期のジャンセン、Japan解散後は、元メンバーとくっついたり離れたりを繰り返していたけど、遂にフロントマンであり、同時に実兄であるデヴィッド・シルヴィアンの説得に成功し、再結成Japan(なんやかや諸般の事情があってRain Tree Crowに名称変更)始動となるのだけど、始まった途端にまたなんやかやあって、アルバム1枚で活動停止、ちょっとへこんでいた頃である。
それぞれ経緯は違うけど、師匠・弟子とも、近い時期に再結成騒動に巻き込まれていた、というオチ。あそこの兄も、何かとめんどくさそうだもんな。同時期にロバート・フリップともつるんでたし。
8. Happy Children
何となくスタジオで空き時間ができて、何となく機材いじってたら、面白い音があったんでループさせて、あれこれいじくり回してたら案外出来がよかったんで、ならマンドリンも入れちゃえ、ってな感じで仕上がっちゃった曲。タイトル通り、ゆったり和んでしまうサウンドなので、最適なインタールード。
9. MIS
はるばる大英帝国から駆け付けたスティーヴ・ジャンセンに対抗意識を燃やしたのかどうかは知らないけど、日本からの門下生代表:高野寛とのコラボ。クラフトワークを意識したこともあって、まんまテクノ・ポップ。
こじれて屈折した恋愛観が描かれた歌詞は、オーソドックスなラブ・ソングのような歌い方では合わず、強いエフェクトをかけたドライな質感が似合う。皮肉の強い言葉の端々に、ストレスが見え隠れする。
10. しあわせになろうよ
幸せにするから「ついて来いよ」と言うのではなく、「だから許してよ」と言ってしまうのが、やはり幸宏流。でも、言えるだけまだいい。泣いて時をやり過ごすだけのアラサー男子は、斜に構えず、一歩踏み出すことも大事だよ、と教えてくれた曲。
もう少し力強さを加えたらヒットするんだろうけど、でもそれじゃ長渕みたいになっちゃうか。
11. 幸福の調子
ラストは、アルバムのサブ・タイトルとなったミディアム・バラード。ここまで慶一と森雪之丞に手伝ってもらっていた歌詞も、ここは単独クレジットとなっている。
アルバム全体に通底したテーマという想いがあったのか、平易な言葉をストレートに、無理に技巧を凝らしたり比喩を織り交ぜたりすることもない、純粋なメッセージ。誰かに押し付けたりすることもなく、無理な共感を得ようともしないけど、でもちょっとは気づいてほしい。
すごく自分を卑下しているかのような口振りだけど、「そんなことないよ」と言ってあげたい。そしてまた、言ってもらいたい。
でも、誰でもいいわけじゃない。そんな風に思ってもらいたいのは君なんだ、と。
いくつになっても、頭ポンポンされたい気持ち。そんなのは、誰だってある。表立って言えないけどね。