好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

鈴木雅之

「マーチン」になる前の鈴木雅之、それと、最近のマーチンについても少々。 - 鈴木雅之 『Radio Days』


Folder

 前回のマーチンのレビューから、いつの間に3年経っていたことに気がついた。アレもう書いてなかったっけ?と調べてみると、見事に抜けていた。ありゃま。
 なので、マーチン絡みに限定してこの3年を振り返ってみると、これがまたいろいろあった。個人的なところで大きかったのは、それまで山下達郎とサザン無双だった俺の息子のプレイリストに、マーチンとラッツと大滝詠一が加わった。いまだYOASOBIにも髭ダンにもKing Nuにも見向きもしないくせに、なんでそっち方面へ行っちゃうのか。
 俺のPCに入っている膨大な音楽ファイルをあちこち漁り、気に入ったモノをiPhoneに取り込んでいるらしいのだけど、でもなんで藤井風には食いつかず、マーチンに行ってしまうのか。我が息子ながら偏った嗜好であり、ある意味、将来が楽しみだ。
 それならいっそ、こっそり電化マイルスや裸のラリーズでもぶっ込んでやろうか。ダメだ、歪むな確実に。
 個人的な出来事はさておき、今年、デビュー40周年を迎えたマーチン、さすがにこのご時世ゆえ、華やかなセレモニーやイベントは執り行われなかったけど、その分、オンライン・イベントやメディア出演には積極的である。
 この3年で多くの人の度肝を抜いたのが、まさかまさかのアニソン進出だった。従来のマーチンのファン層はアラフォー以上に集中しているはずで、現役アニメファンとの接点は、どうこじつけても見当たりそうにない。
 世間が思うところの鈴木雅之のイメージといえば、「大人のR&Bシンガー」とか「ラブソングの王様」といったところ。あとはなんだ、そのくらいしか思いつかない。大方間違っちゃいないし、今後もそのイメージが激変するのは、ちょっと考えづらい。
 イチゴと大福のように、ミスマッチな素材同士を掛け合わせると、思わぬ相乗効果を生み出すことがあるけど、でもマーチンとアニソンだもの。何か変な食い合わせでもして思いついたんだろうか。
 「アニソン界期待の新人」という触れ込みのもと、これまで続編含めて2曲の主題歌を担当したマーチン、インパクトの強さもあって広くメディアで取り上げられたのは、制作側としては思惑通りだった。ヒゲ面のおっさん単体ではアクが強すぎる懸念もあったのか、大阪府立登美丘高校ダンス部で脚光を浴びた伊原六花とのデュエットにすることで、結果的に絶妙のミスマッチ感を呼び込んでいる。
 「何となく知ってはいるけど、そこまでマーチンに詳しくない」人にとっては、「アニメの主題歌だからアニソン」という先入観が強いはずで、まぁ俺もそう思ってはいたのだけど、実際ちゃんと聴いてみると、「ラブ・ドラマティック」も「DADDY! DADDY! DO! 」も、ダンサブルかつセクシーな、要はいつものマーチンであり、無理にアニソンに寄せた感は見られない。オファーした側も、マーチンに過剰なアニソン感を期待したわけではなく、微妙な食い合わせの違和感を狙ってキャスティングしたことは想像できる。

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 さすがに還暦を迎えたこともあって、近年のオリジナル・アルバム制作はほぼ4〜5年おきと、スロー・ペースになっているマーチン。90年代まではCDバブルの影響もあって、他のアーティスト同様、1、2年おきにリリースしていたけど、もうそんな時代じゃなくなった。
 アニソンのコア・ユーザーである若年層は、もうアルバム単位で聴く行為自体が薄れてきているけど、マーチン本来のメイン・ユーザーであるアラフォー以上にはまだニーズが強く、オリジナル以外のアイテムはコンスタントにリリースされている。アニバーサリー・ベストやゴスペラーズとコラボしたミニ・アルバム、あとJ-POPのカバー・アルバムなどなど。その『Discover Japan』なんて好評だったのかシリーズ化されて、もう3枚出てるんだよな。聴いたことないけど。
 マーチンのバックボーンは50〜60年代のドゥー・ワップや70年代くらいまでのソウル・ミュージックが主だったものであり、シャネルズから現在まで、基本、ほぼそのスタイルを踏襲している。70年代ニュー・ソウルやフィリー・ソウル、もうちょっと下って80年代R&Bへのリスペクトは強いんだけど、でも何故だかディスコやファンクはすっぽり抜けてるんだよな。
 ブラック・ミュージック全般への造詣は深いと思われるので、新しめのサウンドもそれなりに聴いたりチェックしたりはしているんだろうけど、実際に自分で歌うとなるとマーチン、その辺は案外保守的である。メインストリームのソウル・ミュージックとはまた別の、ヒップホップやラップからの影響はほぼ見られない。今後もそっち方面へ寄せることは、多分ありえない。
 逆に考えるとマーチン、R&Bシンガーとしてのスキルは申し分ないけど、自分のフィールド以外のジャンルを歌うと、ちょっと「アレ?」って思ってしまう時がある。例えば、まだ全部ちゃんと聴いたことがないけど、『Discover Japan』シリーズ。
 大滝詠一つながりで「熱き心に」が入っているのはまだご愛嬌として、「ラブ・イズ・オーヴァー」は曲自体のウェットな情緒が強すぎて、マーチンのヴォーカルとの相性は、正直良くない。マーチン自身が選んだのか、はたまたスタッフが推してきたのかは不明だけど、ピッチもノートも合ってはいるんだけど、そこはかとないカラオケ感が漂ってくる。
 曲目リストを見ると、「エイリアンズ」や「スローバラード」まで歌ってるのか。ほんとに嫌いならそもそも選曲しないだろうし、マーチン本人も聴いて気に入ったんだろうけど、でもね。
 「歌が上手いから、何でも歌いこなせる」という考えもあるんだろうけど、これじゃなんでもアリ、マーチン独自のこだわり・スタイルが見えてこない。「これまでと違うジャンルへの挑戦」という意味合いもあるんだろうけど、「でも、3枚も作ることはなかったんじゃね?」と、俺なんかは思ってしまう。
 そう考えると、俺はマーチンに対し、かなり保守的に捉えているのかもしれない。
 あぁ。古株のファンって、ほんとめんどくさい。

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 そんな感じで、新旧ファン問わず、今でこそ「鈴木雅之=マーチン・ブランド」は確立されており、ある程度、お茶の間ユーザーにも彼のパブリック・イメージは認知されている。一般的には、「恋人」と「別れの街」と「夢で逢えたら」だけの人と思われがちだけど、そんな予定調和の無限ループに陥らないよう、時代に即した旬のクリエイターとのコラボすることで、新陳代謝を保っている。
 ただ最初から、マーチン・ブランドが確立されていたわけでは、もちろんない。それは試行錯誤・紆余曲折を経て培った、長い長いキャリアの積み重ねによる賜物である。当たり前の話だけど、マーチンは生まれた時から「あんな」んじゃなかったのだ。
 シャネルズ→ラッツ&スター時代のサウンド・コンセプトは、50〜60年代のオールディーズや初期ロックンロールをベースとしたものであり、代名詞とされていたドゥーワップ・テイストは、大幅に薄められていた。ディスコ以外のブラック・ミュージックは隅に追いやられていた80年代初頭、メジャー・デビューを目指す彼らの選択肢は、「ビジュアル・イメージ先行のブラック・ミュージック」くらいしかなかったのだ。
 あの独特なコスチュームやステージ・アクション抜きで、純正ドゥーワップだけにこだわり続けていたら、多分、デビューは叶わなかったと思われる。日本初のドゥーワップ・ヒット「グッドナイト・ベイビー」を持つキングトーンズでさえ、当時は決して恵まれた活動状況ではなかったし。
 グループ活動の停滞と前後してソロ活動を始めるにあたり、鈴木雅之にどんなビジョンがあったのか。単なる「ラッツの続き」ではなかったことは、デビュー作『Mother of Pearl』を聴くと、ある程度つかむことはできる。
 まだ日本にR&Bが十分根付いていなかった80年代中盤、彼が所属していたソニー界隈では、ブラック・ミュージック系のアーティストの営業ノウハウが確立していなかった。当時のソニーは圧倒的にロック・ポップス系が主流で、久保田利伸も岡村靖幸もバブルガムも、当初は中途半端な大衆ポップ化によって、中途半端なセールスとポジションに甘んじていた。
 グループ時代の実績があったことで、鈴木雅之はそこまで営業側の要請は少なかったと思われるけど、でもまだ迷走状態にあったことは想像できる。そもそも、ラッツの活動に不満があったわけではなく、ソロになったのもいわばなし崩し的だったわけで、急に言われても明確なビジョンがあるわけでもないし。
 前回のレビューでもちょっと書いたけど、「R&Bと歌謡曲とのブレンド配分」がまだ試行錯誤の段階だった『Mother of Pearl』を経て、じゃあソウル色を強めにした「おやすみロージー」を軸に、山下達郎にプロデュースを委ねるつもりだったのが、この『Radio Days』。ある意味、方向性を探るためのショーケース的な構成だったデビュー作を観測気球として、ヤング・ミドル層向けのアーバン・テイストを指向している。



 ただ達郎、当初はアルバム片面分をプロデュースする予定だったのだけど、こだわり抜いたスタジオワークが予算と時間を圧迫し、3曲仕上げた時点で強制終了を言い渡されてしまう。まぁ長い付き合いのマーチンの頼みなので、適当なものは作れないし、それなりに気は遣ったんだろうけど、サウンド面以外には気が回らなかったのだと思われる。作業中はスタッフとの関係も良好じゃなかったみたいだし。
 そんな事情もあって、思いっきりインパクト重視・タイアップ上等の「Dry・Dry」みたいな曲も差し込まれてして、前作同様、アルバム全体の統一感は薄い。プロローグとエピローグに「おやすみロージー」をフィーチャーすることで、ゆるやかなコンセプトを打ち出しているのはわかるんだけど、ここでの鈴木雅之はまだちょっと試行錯誤、「マーチン」と言い切るほどの自信には欠けている。
 そんな「マーチンができるまでの過程」、その後のマーチン・ソングのプロトタイプとなった達郎作品「Guilty」「Misty Mauve」が収録されているという意味で、実は大きなターニング・ポイントとなっているアルバムである。ここを起点として、さらにR&Bバラードの含水量を高めることによって、その後の「恋人」「別れの街」の大ヒットにつながるのだけど、それはまた後の話。
 あ、そういえばSNS界隈では有名な「違う、そうじゃない」もあったか。それもまた、ここからの派生と言えば派生だし。





1.  “おやすみロージー” introduction
 AMラジオのザッピング・ノイズからスタートするオープニング。ちょっとしたレトロ感の演出、古き良きR&Bへのリスペクトを強く打ち出している。
 マーチンも達郎も東京生まれの東京育ち、FEN(今はAFN)を手軽に聴ける環境ゆえ、こういったラジオショー・スタイルには馴染みも深く、いちいち説明しなくても通じ合えたんじゃないかと。ちなみに大滝詠一は岩手出身だけど、青森三沢基地の放送が聴けたこともあって、彼ら同様、洋楽への間口は広かった。あぁ羨ましい。

2.  Guilty
 2枚目のシングル・カットとしても有名な、達郎作の熱く濡れる切ないバラード。当時の達郎セッションの常連メンバーだった、青山純と伊藤広規によるリズム・セクション、それに達郎自身によるリズム・カッティング。
 生で聴いた人は知ってるはずだけど、達郎のリズム・ギターは、ほんとうまい。このセッション以降から、達郎はセルフ・レコーディングにシフトしてしまうこともあって、このグルーヴはなかなか貴重。

 LADY 鳴るはずのない電話に
 Guilty, なぜ僕は怯えるの

 いまのマーチンなら「思ってても言わない」けど、この時の鈴木雅之は「怯える」とこぼしてしまう。歌詞を書いたのは竹内まりやは、鈴木雅之が歌うことを想定して書いているんだろうけど、実は達郎のことなのかもしれない。
 達郎なら言いそうだもんな。言ったあと、すごく長い理屈と言い訳くっついてきそうだけど。



3.  Misty Mauve
 続いて達郎=まりやによる、ファンク色の強いR&Bナンバー。ドラムとギター以外は打ち込みで、多分、この曲の仕上がりで時間がかかったんじゃないかと思われる。
 ただ手間ひまかけただけの仕上がりとなっており、その後の90年代マーチン無双時代の礎となったサウンド・プロダクションは、いまも充分通用するほど古びていない。3分半過ぎたあたり、リズム・ブレイク周辺のパートは、マーチンのヴォーカルのツボをうまく捉えたている。
 このアルバムの達郎楽曲は、のちにほぼ全曲セルフ・カバーされており、この曲もコンピレーション『Rarerities』に収録されている。聴き比べてみると、イヤそりゃ別の味わいもあってうまいんだけど、マーチンのマニッシュな色気には及ばない。色気で売ってるわけじゃないから、まぁいいんだけど。

4.  Wild Beat
 ここからテンポを上げたファンキーなポップ・チューン。打ち込みサウンドはまだ黎明期だったこともあって、基本は生演奏なんだけど、シンセ・ブラスがちょっと気が抜けてしまう。他はカッコいいんだけどね。
 こういったヴォーカル・パフォーマンスでアンサンブルを引っ張ってゆくパターンのアッパー・チューンは、マーチンの真骨頂ではあるんだけど、メロディがちょっと弱いかな。もう少しフックがあってもいい。

5.  微笑みを待ちながら
 80年代シティ・ポップの旗手だった安部恭弘による、やたらリズムに気合いの入ったポップ・チューン。アレンジャー佐藤博によるLAレコーディングのパートだったことを後で知って、納得。
 当時のジャパン・マネーを惜しげもなく投下した成果もあって、アレンジは精密かつ大胆、そして高クオリティ。ほんとコレだけでひとつの作品として成立しており、フューチャー・ファンクの元ネタとしてオイシイ材料。ていうか、もう誰かが使っているのかもしれない。
 なんとなくスターダスト・レビューを連想してしまう楽曲構成・メロディのため、マーチンとの相性はどうかと言われれば、ちょっと微妙。こういった路線も模索していたのかもしれない。

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6.  雨に願いを
 同じく80年代シティ・ポップのラインから、 カーネーション:直枝政太郎と松尾清憲のタッグによる、淡く切なく爽やかなポップ・バラード。タイトルがオールディーズっぽいので、アルバム・コンセプトに寄り添った世界観でありつつ、ちょっとひと息ついた感が心地よい。
 ここでのマーチンは肩の力を抜き、気負わず、彼にしては軽いタッチのヴォーカルを披露している。でもマーチンなので、時々ソウルフルなフェイクを入れたりコブシが入ったりもするけど、比較的マイルドに抑えている。
 
7. DRY・DRY
 「ビールのCMのあの曲」ということで、初期マーチンの代名詞となった、ちょっと強めな前のめり系のファンク・チューン。とにかくイントロ、ちょっとやさぐれた系のギターが絶品。
 チープでツボを突いたシーケンス・パターンに、女性コーラスやシンセ・エフェクトが差し込まれたり、シンプルな作りは80年代ファンク・マナーに忠実。プロダクションが違うこともあって、この曲だけアルバムから浮いているのだけど、いい意味で「世界観が違う」ということ。
 CMで話題の曲をA面トップに入れるのが、普通のアルバム選曲のパターンのはずだけど、敢えてB面に回したのは、アルバム・コンセプトを優先したマーチンの強いこだわりのあらわれだと思われる。

8.  For Your Love
 オールディーズ・テイストあふれるEPOとのデュエット・ナンバー。LAテイストを前面に出したAORっぽさは、その後のマーチン・サウンドにもつながるのだけど、佐藤博の多重コーラスは、マーチンとの相性がちょっと。あと、セクシャルを感じさせないEPOの声質は、コーラスとしてはいいんだけど、デュエットとなると、ちょっとピンと来ない。菊池桃子もセクシーさはないんだけど、あのミスマッチ感が逆に意外性を生んだんだよな。
 ゴメンEPOはソロで聴くのが一番だな、と感じてしまった一曲。

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9.  Tandem Run
 かなり凝ったアンサンブルとアレンジが、80年代シティ・ポップの中でもダンス寄り、角松敏生や杉山清隆あたりのAORサウンドのバタ臭さを感じさせるナンバー。佐藤博のアレンジは時代性を強く打ち出しながら、充分今も通用する普遍性はあるんだけど、ここまでアレンジの自己主張が強いと、マーチンがフューチャリング扱い、佐藤博のアルバムにゲスト・ヴォーカルで参加した感が残る。
 そういったのを抜きにすると、優秀なポップ・ソングなんだけど。でも、マーチン・テイストは薄いな。イヤほんと好きなんだけど。

10.  河の彼方
 再び松尾清憲:作曲による、正統バラード。当時の松尾清憲は、ELOとクイーンとビートルズのテイストを絶妙にブレンドした大名曲「愛しのロージー」で注目されたのち、杉真理と意気投合してBOXを結成するなど、知る人ぞ知る通好みのクリエイターとして、頭角をあらわしていた。その後はあんまり欲がなかったのかチャンスに恵まれなかったのか、知る人ぞ知る以上になることはなかったけど、このアルバムのクライマックスを飾る曲を書いたことだけでも、もっと評価されてもいい。

11.  おやすみロージー(Angel Baby へのオマージュ)
 ラストは、ご存じ達郎作曲・アレンジのドゥーワップ・ナンバー。単なるコーラス・ワークだけじゃなく、ギター・カッティングのセンスにシカゴ・ソウルあたりのテイストを織り交ぜたりして、単なるノスタルジーで終わらせない気概が感じられる。
 もちろんマーチンも気合いが入っており、ここまでのキャリアの中では、最もエモーショナルなヴォーカル・パフォーマンスとなっている。軽いオールディーズ・ポップや黒光りしたファンク・チューンもいいんだけど、一番フィットしているのは、やはりバックボーンとしてあるソウル・タイプなのだ。
 なのだけれど、でも。それだけじゃ、まだ足りない。
 さらなる音楽的な冒険と探求のためにマーチン、次回作ではまったく別のジャンルの人とコラボレートすることになる。
 その名は、小田和正。
 意表突いたよな、ファンも、そして小田本人も。「え、俺?」って。








80年代ソニー・アーティスト列伝 その10 - 鈴木雅之 『Mother of Pearl』

Folder 80年代初期にチャートの常連だったラッツ&スターが活動休止に至った経緯は、複合的な要因が絡み合ってのものだけど、単純に考えるとシャネルズから改名以降のセールス不振が大きく響いている。
 新生ラッツ&スターとしてのシングル第一弾「め組の人」は、当時有数のヒットメーカー井上大輔のペンによるもので、オリコン1位80万枚を売り上げる大ヒットを記録した。改名に至るゴタゴタを払底するため、ここで一発ヒット曲を出さなければならなかったのが、ラッツが当時置かれていた状況だった。

 化粧品CMとのタイアップの絡みであらかじめタイトルは決まっており、新生第1弾をアピールするため、当初は井上同様、ヒットメーカーだった大滝詠一がプロデュースする予定だった。かつての師匠との再会は話題性充分だったはずなのだけど、当時『Each Time』レコーディングにかかりきりだった大滝のスケジュールが取れず、企画がお流れになったのは、わりと有名な話。
 そういった経緯もあって、2曲目はぜひ師匠の作品で、というのは必須の流れだった。

 大滝プロデュースを最大のセールスポイントとしたアルバム『Soul Vacation』は、ジャケット・デザインを世界的アーティストAndy Warhol に依頼、アレンジャーには村松邦男と井上鑑を起用、当時のナイアガラ・ファミリーを贅沢に使った意欲作となった。
 シングル・カットされた「Tシャツに口紅」も、前作と雰囲気を変えたマイナー・タッチのしっとりしたバラードとなっており、2曲並べることで陰陽のコントラストがくっきり浮かび上がってくる。この曲はラッツ時代の名曲として、今もファンの間では人気が高い。ついでに、俺のカラオケの定番となっているナンバーでもある。
 ただ当時のチャート・アクションは、アルバム3位シングル18位と、中途半端な売り上げに止まってしまう。今ではテレビ出演においても、「夢で逢えたら」と共に選曲される率が高い楽曲なので、「別れの街」や「違う、そうじゃない」クラスの売り上げだったと誤解されているけどとんでもない。当時からすでに。隠れた名曲扱いだったのだ。確かに「め組の人」と比べてアダルティーなサウンドは、当時のヒット曲と比べて明らかに地味だった。
 シングル・リリースのペースが早かった80年代において、2曲目で大きく失速してしまったことによって、その後のラッツのチャート・アクションは下降線を辿ることになる。

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 そういった現状に、ただ手をこまねいていたわけではない。新機軸として、シングルで田代をメインに据えたり、企画色が強いけど、マーチン姉の鈴木聖美をフィーチャーした「ロンリー・チャップリン」は、リリースから四半世紀経った今も、夜の街界隈を賑わす定番デュエットである。あるのだけれど、あくまでどれも単発的な効果に終わり、ラッツ本体へのフィードバックには至らなかった。
 良い意味で姐御肌的存在だったお姉ちゃんとのコラボは、結果的に鈴木姉弟の発言力が増す方向へ作用したため、グループの連帯感は緩やかに崩れていった。

 グループとしてのオファーが少なくなってゆくことによって、自然と個々の仕事が多くなり、これまでの一枚岩体制からシフトチェンジ、ラッツ本体の活動は次第にフェードアウトしてゆく。
 もともとパーティ・バンド的なニュアンスも濃かったシャネルズ時代から、ライブMCでのおちゃらけたトーク・コーナーはあったのだけど、末期のライブでは田代と桑野主導による幕間のコント・パートが設けられており、純音楽主義的な他メンバーとの不協和音がシャレにならなくなっていた。
 他メンバーほど音楽面に執着がなく、志村けんに目をかけられた2人はTVバラエティの世界へと進出、それを機に他メンバーも業界内外へそれぞれ散っていった。バス担当の佐藤善雄が、のちにプロデューサーとしてゴスペラーズを世に送り出したのは、わりと有名な話。
 まとめ売りなら需要は少ないけど、個性に応じたバラ売りによってニーズを創り出せるのなら、結果的に全体の寿命は延びる。大元のブランド・イメージも維持できるし、グループと所属事務所の選択は間違ってはいなかった。

 で、ここでマーチン。解散という最悪の事態を回避、ホームグラウンドであるラッツのアイデンティティを保ってゆくため、マーチンはエピックとソロ契約、ただ独りアーティスト活動を続けて行くことになる。
 とは言っても、単なるラッツの延長線上というわけにはいかない。「ドゥーワップ+オールディーズに歌謡曲のメロディ」という方法論はこの時点で行き詰まっており、ひとりラッツでは立ち行かなくなるのは目に見えていた。
 グループ時代はそれほど前面に出してなかったけれど、マーチンは同じヴォーカリストとして、Marvin Gayeをリスペクトしていた。優秀なソングライターでありながら、時にダイナミックに、時にセクシャリティを強調した彼のステージ・パフォーマンスは、R&B要素を持つ男性ソロ・ヴォーカリストにとって、目指すべき理想形だった。

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 ただ当時のソニーにとって、それは苦手分野のひとつだった。大沢誉志幸の時にも書いたけど、70〜80年代のソニーは、彼のような男性ソロ・ヴォーカリストへの販売戦略が不得手だった。アメリカ進出を模索していた矢沢永吉が、グローバル展開を見据えてワーナーへ移籍したように、良くも悪くもドメスティックな営業戦略で収まってしまうところが、世界的なアーティスト育成の不調に直結している。プレステは世界中のどこにでもあるのにね。
 Marvin をプロトタイプとした和製R&B路線は間違っていなかったのだけど、未開拓の分野ゆえ、マーチン含め周辺スタッフもまた、試行錯誤していたんじゃないかと思われる。

 その和製R&B〜ファンク路線は、松崎しげるをプロトタイプとするディナー・ショー路線とは別のベクトルへ向かうことになる。演歌/歌謡曲とも相似点が多いメロディアスなフィリー・ソウルをルーツとするのではなく、リズムを主体に構成された同時代のファンク〜ヒップホップから着想を得ることによって、80年代洋楽チャートともリンクしていった。
 のちに登場する久保田利伸のブレイクによってコンセプトが固まり、彼を中心としてバブルガム・ブラザーズや安藤秀樹らによるソウルメイト一大勢力を築くことになるのだけど、それはもう少し後の話。マーチンがデビューの時点では、まだ黎明期だった。同じ男性ソロ・アーティストだったとしても、フォーク/ロック系の佐野元春や尾崎豊と同じ手法ではダメなのだ。事実、ヒップホップ色の強い『Visitors』が正当に評価されるまでには、ずいぶん待たなければならなかったし。

 そのような黎明期のソニーR&B部にいたのが、大沢誉志幸。
 希代の名曲「そして僕は途方に暮れる」のヒットによって、デビューから積み上げてきたデジタル・ファンク・サウンドも脚光を浴びるようになっていた。その路線の完成形となったアルバム『in・Fin・ity』も、高い評価とセールスを記録して、ようやくひとつの方向性が定まった頃だった。
 デビュー前から、職業作家としての活動も並行して行なっていた大沢、この頃はアーティストとしてだけでなくライターとしても脂が乗っており、山下久美子「こっちをお向きよソフィア」や吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」など、いまも彼らの代表曲になっている楽曲を立て続けに書き下ろしている。売れたわけじゃなかったけど、ビートたけしにも書いてるんだな、この人。
 ファンクとR&Bと、微妙にジャンルは違えど、同世代で聴いてきた音楽もかなりカブってる2人の相性は良く、コラボするのは成り行きとしても自然の流れだった。

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 で、その大沢は当時、主なブレーンとしてホッピー神山を引き入れており、多分その流れで彼も主要スタッフとしてクレジットに名を連ねている。普通に考えると、メジャーとアンダーグラウンドとのボーダーで活動していたホッピーとのコラボは貴重だし、その流れで参加している布袋寅泰はもっと異色である。当時はBOØWYでブイブイ言わせてたのにね。
 座付き専属作家とレコード会社主導によって築き上げられた歌謡曲の世界は、80年代に入ってからは、はっぴいえんど/ティン・パン・アレー一派がレコーディングを仕切り出し、なし崩し的にはロック系アーティストの参加が多くなる。ロックは金にならないけれど、アイドル関連は確実に収入になるので、中途半端なポリシーを捨てさえすれば、需要はいくらでもある時代だった。
 良く言えば、「他流試合を重ねたことによるスキルの向上」といった見方もできるけど、当時の布袋がマーチンや中島みゆきだけでなく、今ではスッカリ有名になったナウシカの蟲の鳴き声までやっていた、というのを聞くと、なんか日本版Adrian Brew 、ギターの便利屋的印象を受けてしまう。ホッピーもホッピーで、この時期の仕事で有名なのは吉川晃司や布袋の一連のプロデュースだけど、うしろ指さされ組なんて仕事もやってるんだもの。何でもアリだな。

 ディレクターやマーチン本人の方向性がまだ充分固まっておらず、サウンド・プロデュースに徹した大沢もホッピーも、通常の歌謡曲仕事よりは丁寧な仕事をしてはいるものの、R&Bと歌謡曲とのブレンド配分を決めかねている部分が垣間見える。まぁ実質的なデビュー作なので、かっちりした方針も何もないのは当たり前の話だけど。これまでのようなラッツのコーラス・ワークがない分、サウンド的に薄くなるのを回避するため、ひとクセとギミックの多い大沢&ホッピーのアレンジは正解だった。
 『Mother of Pearl』は、マーチンのソロ・ワークの基本指針を決定づけ、その後は山下達郎や小田和正ら気鋭のクリエイターによって、サウンドは磨かれてゆく。和製Marvin Gayeと称される彼が本領を発揮するのはもう少しあと、「ロンリー・チャップリン」で見せたベタなお水っぽさを放つ「別れの街」からである。


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1. ふたりの焦燥
 脱・ラッツという流れを作るためには必要だった、もろ大沢誉志幸チーム、いやPINKのサウンド・プロダクションをそのまんま移植したようなエレクトリック・ファンク。跳ねまくるスラッピング、ボトムを思いっきり膨らませたバスドラ、縦横無尽にスキを見て変なギミックを奏でるキーボード。やっぱりホッピーの仕事だ。
 でももっとすごいのは、こんな一面をまるで見せてこなかったはずなのに、いとも簡単に自分のフィールドに引き寄せてしまうマーチンのテクニック。普通ならサウンドに埋もれてしまうところを、たやすくねじ伏せてしまえるのはさすがだし、こんなトリッキーなサウンドをぶつけて来たホッピーのプロデュース能力も絶妙。
 
2. 別の夜へ〜Let's Go〜
 ホッピーのアレンジメントは続き、今度は新進気鋭の若手作曲家だった岡村ちゃんのペンによるファンク・チューン。詞先か曲先かはわかりかねるけど、言葉の乗せ方には後年の岡村ちゃんのセンスが感じられるし、サビ以外ははっきりしないメロディ・ラインは岡村ちゃん特有のもの。これもまたマーチンがうまく料理しているけれども、若気の至り的な岡村ちゃんヴァージョンも聴いてみたいところ。

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3. ガラス越しに消えた夏
 ギミック色の強いファンクで幕を開けた後、ここでクール・ダウン。シングル15位と成績以上に記憶に残り、「Tシャツに口紅」同様、やはりこれも早すぎた名曲と称された。
 深いエコーの奥深くで奏でられるギターは布袋寅泰によるもの。バラードでは飛び道具を多用できず、U2のEdgeをモチーフとしたサウンドは、正直彼のカラーとは微妙にずれている。やっぱ便利屋的な使われ方だな。
 コード的にはセオリーからはだいぶ外れた構成なのだけど、日清カップヌードルCMとのタイアップを考慮したのか、プロデューサー大沢は技巧を凝らして奇跡的に甘くビターなメロディに仕上げている。シンガーを想定して書き分けることもできる人なのだ。



4. 輝きと呼べなくて
 アレンジといい構成といい「わがままジュリエット」そのまんまで、リリース日を調べてみると、どちらも1986年2月となっており、パクリというよりはむしろ、PINKや布袋周辺のトレンドがこういったサウンドだった、と捉える方が自然。氷室もマーチンもどっぷりロックやソウルに引き寄せるのではなく、ほんの少しだけ歌謡曲側に歩み寄った下世話なテイストを付け加えることで、マスに希求するテーマを展開している。

5. メランコリーな欲望
 と思ったら、インダストリアルなイントロはまるっきりニューウェイヴ、とてもドゥーワップ・ヴォーカルの楽曲とは思えない。タイトルといいサウンドといい、どちらかといえば吉川に提供した方がしっくり来たんじゃないかと思われる。マーチンのヴォーカルは通常運転だけど、バッキングとのミスマッチ感はハンパない。従来と違う方向性で、というオファー通りの仕事だとは思うけど、ベクトルがこじれ過ぎている。

6. 今夜だけひとりになれない
 ここからはB面。岡村ちゃん同様、当時はまだ新進気鋭の作曲家という立場だった久保田利伸によるナンバー。これまた当時の最新鋭機材フェアライトをてんこ盛りに使ったサウンドは、UKダンス・ポップとのリンクを感じさせる。
 もともとガチガチのソウル・シンガーではなく、ポップな楽曲も料理できる柔軟性のある人なので、泥臭いブルースより、むしろこういったポップ・センスの強い楽曲の中でこそ、この人は個性を発揮できる。

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7. ときめくままに
 なので、このようなフィリー・ソウル80年代ヴァージョン的なポップ・ソングだと、マーチンのフットワークの軽さが見えてくる。かなり歌謡曲サイドに近づいたベタなメロディと、硬質なギター・カッティングが案外マッチしている。爽やかささえ感じてしまうサビは、こういった方向性もアリだったかもしれない、とさえ思わせる。でもこれって、久保田っぽくないよね。

8. One more love tonight
 アレンジで登場するのが、当時売れっ子マニピュレーターとして、幅広いジャンルから引っ張りだこだった藤井丈司。ホッピーもそうだけど、「歌を聴かせる」という目的より、自分たちがいかにして遊ぶか、いかにトリッキーな方向へ進むかが目的化してしまって、歌が埋もれてしまっているのが、ちょっと残念。
 結果的に、エンジニア主導のサウンドは数年経つといとも簡単に風化して、再聴するにはちょっと二の足を踏んでしまう。

9. Just Feelin' Groove
 アブストラクトな楽曲を挟んでから聴くと、すごくホッとしてしまうスタンダードなゴスペル・ポップ。単なる多重コーラスではなく、録音にかなり気を使っていることが窺える分離の良さは、やはりバジェットの大きさがモノを言う。8.に続き藤井も参加しているけど、ここは大沢のサジェスチョンが強く作用している。

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10. 追想
 ラストは唯一、マーチン作曲によるバラード・ナンバー。ラッツ時代を彷彿とさせるメリハリのあるメロディーは、キャリアの中でも1,2を争う出来となっている。サウンドも小技を使わず、ここでは歌を聴かせるシンプルなアレンジで収めている。
 このアルバムの中では保守的なナンバーであり、ホッピーのギミックが炸裂した楽曲と比べると地味で影は薄い。けれど、やっぱヴォーカリストにとっては歌を伝えることがもっとも重要なのだ。それがわかっただけでも、十分な収穫だったと言える。




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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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