なので、マーチン絡みに限定してこの3年を振り返ってみると、これがまたいろいろあった。個人的なところで大きかったのは、それまで山下達郎とサザン無双だった俺の息子のプレイリストに、マーチンとラッツと大滝詠一が加わった。いまだYOASOBIにも髭ダンにもKing Nuにも見向きもしないくせに、なんでそっち方面へ行っちゃうのか。
俺のPCに入っている膨大な音楽ファイルをあちこち漁り、気に入ったモノをiPhoneに取り込んでいるらしいのだけど、でもなんで藤井風には食いつかず、マーチンに行ってしまうのか。我が息子ながら偏った嗜好であり、ある意味、将来が楽しみだ。
それならいっそ、こっそり電化マイルスや裸のラリーズでもぶっ込んでやろうか。ダメだ、歪むな確実に。
個人的な出来事はさておき、今年、デビュー40周年を迎えたマーチン、さすがにこのご時世ゆえ、華やかなセレモニーやイベントは執り行われなかったけど、その分、オンライン・イベントやメディア出演には積極的である。
この3年で多くの人の度肝を抜いたのが、まさかまさかのアニソン進出だった。従来のマーチンのファン層はアラフォー以上に集中しているはずで、現役アニメファンとの接点は、どうこじつけても見当たりそうにない。
世間が思うところの鈴木雅之のイメージといえば、「大人のR&Bシンガー」とか「ラブソングの王様」といったところ。あとはなんだ、そのくらいしか思いつかない。大方間違っちゃいないし、今後もそのイメージが激変するのは、ちょっと考えづらい。
イチゴと大福のように、ミスマッチな素材同士を掛け合わせると、思わぬ相乗効果を生み出すことがあるけど、でもマーチンとアニソンだもの。何か変な食い合わせでもして思いついたんだろうか。
「アニソン界期待の新人」という触れ込みのもと、これまで続編含めて2曲の主題歌を担当したマーチン、インパクトの強さもあって広くメディアで取り上げられたのは、制作側としては思惑通りだった。ヒゲ面のおっさん単体ではアクが強すぎる懸念もあったのか、大阪府立登美丘高校ダンス部で脚光を浴びた伊原六花とのデュエットにすることで、結果的に絶妙のミスマッチ感を呼び込んでいる。
「何となく知ってはいるけど、そこまでマーチンに詳しくない」人にとっては、「アニメの主題歌だからアニソン」という先入観が強いはずで、まぁ俺もそう思ってはいたのだけど、実際ちゃんと聴いてみると、「ラブ・ドラマティック」も「DADDY! DADDY! DO! 」も、ダンサブルかつセクシーな、要はいつものマーチンであり、無理にアニソンに寄せた感は見られない。オファーした側も、マーチンに過剰なアニソン感を期待したわけではなく、微妙な食い合わせの違和感を狙ってキャスティングしたことは想像できる。
さすがに還暦を迎えたこともあって、近年のオリジナル・アルバム制作はほぼ4〜5年おきと、スロー・ペースになっているマーチン。90年代まではCDバブルの影響もあって、他のアーティスト同様、1、2年おきにリリースしていたけど、もうそんな時代じゃなくなった。
アニソンのコア・ユーザーである若年層は、もうアルバム単位で聴く行為自体が薄れてきているけど、マーチン本来のメイン・ユーザーであるアラフォー以上にはまだニーズが強く、オリジナル以外のアイテムはコンスタントにリリースされている。アニバーサリー・ベストやゴスペラーズとコラボしたミニ・アルバム、あとJ-POPのカバー・アルバムなどなど。その『Discover Japan』なんて好評だったのかシリーズ化されて、もう3枚出てるんだよな。聴いたことないけど。
マーチンのバックボーンは50〜60年代のドゥー・ワップや70年代くらいまでのソウル・ミュージックが主だったものであり、シャネルズから現在まで、基本、ほぼそのスタイルを踏襲している。70年代ニュー・ソウルやフィリー・ソウル、もうちょっと下って80年代R&Bへのリスペクトは強いんだけど、でも何故だかディスコやファンクはすっぽり抜けてるんだよな。
ブラック・ミュージック全般への造詣は深いと思われるので、新しめのサウンドもそれなりに聴いたりチェックしたりはしているんだろうけど、実際に自分で歌うとなるとマーチン、その辺は案外保守的である。メインストリームのソウル・ミュージックとはまた別の、ヒップホップやラップからの影響はほぼ見られない。今後もそっち方面へ寄せることは、多分ありえない。
逆に考えるとマーチン、R&Bシンガーとしてのスキルは申し分ないけど、自分のフィールド以外のジャンルを歌うと、ちょっと「アレ?」って思ってしまう時がある。例えば、まだ全部ちゃんと聴いたことがないけど、『Discover Japan』シリーズ。
大滝詠一つながりで「熱き心に」が入っているのはまだご愛嬌として、「ラブ・イズ・オーヴァー」は曲自体のウェットな情緒が強すぎて、マーチンのヴォーカルとの相性は、正直良くない。マーチン自身が選んだのか、はたまたスタッフが推してきたのかは不明だけど、ピッチもノートも合ってはいるんだけど、そこはかとないカラオケ感が漂ってくる。
曲目リストを見ると、「エイリアンズ」や「スローバラード」まで歌ってるのか。ほんとに嫌いならそもそも選曲しないだろうし、マーチン本人も聴いて気に入ったんだろうけど、でもね。
「歌が上手いから、何でも歌いこなせる」という考えもあるんだろうけど、これじゃなんでもアリ、マーチン独自のこだわり・スタイルが見えてこない。「これまでと違うジャンルへの挑戦」という意味合いもあるんだろうけど、「でも、3枚も作ることはなかったんじゃね?」と、俺なんかは思ってしまう。
そう考えると、俺はマーチンに対し、かなり保守的に捉えているのかもしれない。
あぁ。古株のファンって、ほんとめんどくさい。
そんな感じで、新旧ファン問わず、今でこそ「鈴木雅之=マーチン・ブランド」は確立されており、ある程度、お茶の間ユーザーにも彼のパブリック・イメージは認知されている。一般的には、「恋人」と「別れの街」と「夢で逢えたら」だけの人と思われがちだけど、そんな予定調和の無限ループに陥らないよう、時代に即した旬のクリエイターとのコラボすることで、新陳代謝を保っている。
ただ最初から、マーチン・ブランドが確立されていたわけでは、もちろんない。それは試行錯誤・紆余曲折を経て培った、長い長いキャリアの積み重ねによる賜物である。当たり前の話だけど、マーチンは生まれた時から「あんな」んじゃなかったのだ。
シャネルズ→ラッツ&スター時代のサウンド・コンセプトは、50〜60年代のオールディーズや初期ロックンロールをベースとしたものであり、代名詞とされていたドゥーワップ・テイストは、大幅に薄められていた。ディスコ以外のブラック・ミュージックは隅に追いやられていた80年代初頭、メジャー・デビューを目指す彼らの選択肢は、「ビジュアル・イメージ先行のブラック・ミュージック」くらいしかなかったのだ。
あの独特なコスチュームやステージ・アクション抜きで、純正ドゥーワップだけにこだわり続けていたら、多分、デビューは叶わなかったと思われる。日本初のドゥーワップ・ヒット「グッドナイト・ベイビー」を持つキングトーンズでさえ、当時は決して恵まれた活動状況ではなかったし。
グループ活動の停滞と前後してソロ活動を始めるにあたり、鈴木雅之にどんなビジョンがあったのか。単なる「ラッツの続き」ではなかったことは、デビュー作『Mother of Pearl』を聴くと、ある程度つかむことはできる。
まだ日本にR&Bが十分根付いていなかった80年代中盤、彼が所属していたソニー界隈では、ブラック・ミュージック系のアーティストの営業ノウハウが確立していなかった。当時のソニーは圧倒的にロック・ポップス系が主流で、久保田利伸も岡村靖幸もバブルガムも、当初は中途半端な大衆ポップ化によって、中途半端なセールスとポジションに甘んじていた。
グループ時代の実績があったことで、鈴木雅之はそこまで営業側の要請は少なかったと思われるけど、でもまだ迷走状態にあったことは想像できる。そもそも、ラッツの活動に不満があったわけではなく、ソロになったのもいわばなし崩し的だったわけで、急に言われても明確なビジョンがあるわけでもないし。
前回のレビューでもちょっと書いたけど、「R&Bと歌謡曲とのブレンド配分」がまだ試行錯誤の段階だった『Mother of Pearl』を経て、じゃあソウル色を強めにした「おやすみロージー」を軸に、山下達郎にプロデュースを委ねるつもりだったのが、この『Radio Days』。ある意味、方向性を探るためのショーケース的な構成だったデビュー作を観測気球として、ヤング・ミドル層向けのアーバン・テイストを指向している。
ただ達郎、当初はアルバム片面分をプロデュースする予定だったのだけど、こだわり抜いたスタジオワークが予算と時間を圧迫し、3曲仕上げた時点で強制終了を言い渡されてしまう。まぁ長い付き合いのマーチンの頼みなので、適当なものは作れないし、それなりに気は遣ったんだろうけど、サウンド面以外には気が回らなかったのだと思われる。作業中はスタッフとの関係も良好じゃなかったみたいだし。
そんな事情もあって、思いっきりインパクト重視・タイアップ上等の「Dry・Dry」みたいな曲も差し込まれてして、前作同様、アルバム全体の統一感は薄い。プロローグとエピローグに「おやすみロージー」をフィーチャーすることで、ゆるやかなコンセプトを打ち出しているのはわかるんだけど、ここでの鈴木雅之はまだちょっと試行錯誤、「マーチン」と言い切るほどの自信には欠けている。
そんな「マーチンができるまでの過程」、その後のマーチン・ソングのプロトタイプとなった達郎作品「Guilty」「Misty Mauve」が収録されているという意味で、実は大きなターニング・ポイントとなっているアルバムである。ここを起点として、さらにR&Bバラードの含水量を高めることによって、その後の「恋人」「別れの街」の大ヒットにつながるのだけど、それはまた後の話。
あ、そういえばSNS界隈では有名な「違う、そうじゃない」もあったか。それもまた、ここからの派生と言えば派生だし。
1. “おやすみロージー” introduction
AMラジオのザッピング・ノイズからスタートするオープニング。ちょっとしたレトロ感の演出、古き良きR&Bへのリスペクトを強く打ち出している。
マーチンも達郎も東京生まれの東京育ち、FEN(今はAFN)を手軽に聴ける環境ゆえ、こういったラジオショー・スタイルには馴染みも深く、いちいち説明しなくても通じ合えたんじゃないかと。ちなみに大滝詠一は岩手出身だけど、青森三沢基地の放送が聴けたこともあって、彼ら同様、洋楽への間口は広かった。あぁ羨ましい。
2. Guilty
2枚目のシングル・カットとしても有名な、達郎作の熱く濡れる切ないバラード。当時の達郎セッションの常連メンバーだった、青山純と伊藤広規によるリズム・セクション、それに達郎自身によるリズム・カッティング。
生で聴いた人は知ってるはずだけど、達郎のリズム・ギターは、ほんとうまい。このセッション以降から、達郎はセルフ・レコーディングにシフトしてしまうこともあって、このグルーヴはなかなか貴重。
LADY 鳴るはずのない電話に
Guilty, なぜ僕は怯えるの
いまのマーチンなら「思ってても言わない」けど、この時の鈴木雅之は「怯える」とこぼしてしまう。歌詞を書いたのは竹内まりやは、鈴木雅之が歌うことを想定して書いているんだろうけど、実は達郎のことなのかもしれない。
達郎なら言いそうだもんな。言ったあと、すごく長い理屈と言い訳くっついてきそうだけど。
3. Misty Mauve
続いて達郎=まりやによる、ファンク色の強いR&Bナンバー。ドラムとギター以外は打ち込みで、多分、この曲の仕上がりで時間がかかったんじゃないかと思われる。
ただ手間ひまかけただけの仕上がりとなっており、その後の90年代マーチン無双時代の礎となったサウンド・プロダクションは、いまも充分通用するほど古びていない。3分半過ぎたあたり、リズム・ブレイク周辺のパートは、マーチンのヴォーカルのツボをうまく捉えたている。
このアルバムの達郎楽曲は、のちにほぼ全曲セルフ・カバーされており、この曲もコンピレーション『Rarerities』に収録されている。聴き比べてみると、イヤそりゃ別の味わいもあってうまいんだけど、マーチンのマニッシュな色気には及ばない。色気で売ってるわけじゃないから、まぁいいんだけど。
4. Wild Beat
ここからテンポを上げたファンキーなポップ・チューン。打ち込みサウンドはまだ黎明期だったこともあって、基本は生演奏なんだけど、シンセ・ブラスがちょっと気が抜けてしまう。他はカッコいいんだけどね。
こういったヴォーカル・パフォーマンスでアンサンブルを引っ張ってゆくパターンのアッパー・チューンは、マーチンの真骨頂ではあるんだけど、メロディがちょっと弱いかな。もう少しフックがあってもいい。
5. 微笑みを待ちながら
80年代シティ・ポップの旗手だった安部恭弘による、やたらリズムに気合いの入ったポップ・チューン。アレンジャー佐藤博によるLAレコーディングのパートだったことを後で知って、納得。
当時のジャパン・マネーを惜しげもなく投下した成果もあって、アレンジは精密かつ大胆、そして高クオリティ。ほんとコレだけでひとつの作品として成立しており、フューチャー・ファンクの元ネタとしてオイシイ材料。ていうか、もう誰かが使っているのかもしれない。
なんとなくスターダスト・レビューを連想してしまう楽曲構成・メロディのため、マーチンとの相性はどうかと言われれば、ちょっと微妙。こういった路線も模索していたのかもしれない。
6. 雨に願いを
同じく80年代シティ・ポップのラインから、 カーネーション:直枝政太郎と松尾清憲のタッグによる、淡く切なく爽やかなポップ・バラード。タイトルがオールディーズっぽいので、アルバム・コンセプトに寄り添った世界観でありつつ、ちょっとひと息ついた感が心地よい。
ここでのマーチンは肩の力を抜き、気負わず、彼にしては軽いタッチのヴォーカルを披露している。でもマーチンなので、時々ソウルフルなフェイクを入れたりコブシが入ったりもするけど、比較的マイルドに抑えている。
7. DRY・DRY
「ビールのCMのあの曲」ということで、初期マーチンの代名詞となった、ちょっと強めな前のめり系のファンク・チューン。とにかくイントロ、ちょっとやさぐれた系のギターが絶品。
チープでツボを突いたシーケンス・パターンに、女性コーラスやシンセ・エフェクトが差し込まれたり、シンプルな作りは80年代ファンク・マナーに忠実。プロダクションが違うこともあって、この曲だけアルバムから浮いているのだけど、いい意味で「世界観が違う」ということ。
CMで話題の曲をA面トップに入れるのが、普通のアルバム選曲のパターンのはずだけど、敢えてB面に回したのは、アルバム・コンセプトを優先したマーチンの強いこだわりのあらわれだと思われる。
8. For Your Love
オールディーズ・テイストあふれるEPOとのデュエット・ナンバー。LAテイストを前面に出したAORっぽさは、その後のマーチン・サウンドにもつながるのだけど、佐藤博の多重コーラスは、マーチンとの相性がちょっと。あと、セクシャルを感じさせないEPOの声質は、コーラスとしてはいいんだけど、デュエットとなると、ちょっとピンと来ない。菊池桃子もセクシーさはないんだけど、あのミスマッチ感が逆に意外性を生んだんだよな。
ゴメンEPOはソロで聴くのが一番だな、と感じてしまった一曲。
9. Tandem Run
かなり凝ったアンサンブルとアレンジが、80年代シティ・ポップの中でもダンス寄り、角松敏生や杉山清隆あたりのAORサウンドのバタ臭さを感じさせるナンバー。佐藤博のアレンジは時代性を強く打ち出しながら、充分今も通用する普遍性はあるんだけど、ここまでアレンジの自己主張が強いと、マーチンがフューチャリング扱い、佐藤博のアルバムにゲスト・ヴォーカルで参加した感が残る。
そういったのを抜きにすると、優秀なポップ・ソングなんだけど。でも、マーチン・テイストは薄いな。イヤほんと好きなんだけど。
10. 河の彼方
再び松尾清憲:作曲による、正統バラード。当時の松尾清憲は、ELOとクイーンとビートルズのテイストを絶妙にブレンドした大名曲「愛しのロージー」で注目されたのち、杉真理と意気投合してBOXを結成するなど、知る人ぞ知る通好みのクリエイターとして、頭角をあらわしていた。その後はあんまり欲がなかったのかチャンスに恵まれなかったのか、知る人ぞ知る以上になることはなかったけど、このアルバムのクライマックスを飾る曲を書いたことだけでも、もっと評価されてもいい。
11. おやすみロージー(Angel Baby へのオマージュ)
ラストは、ご存じ達郎作曲・アレンジのドゥーワップ・ナンバー。単なるコーラス・ワークだけじゃなく、ギター・カッティングのセンスにシカゴ・ソウルあたりのテイストを織り交ぜたりして、単なるノスタルジーで終わらせない気概が感じられる。
もちろんマーチンも気合いが入っており、ここまでのキャリアの中では、最もエモーショナルなヴォーカル・パフォーマンスとなっている。軽いオールディーズ・ポップや黒光りしたファンク・チューンもいいんだけど、一番フィットしているのは、やはりバックボーンとしてあるソウル・タイプなのだ。
なのだけれど、でも。それだけじゃ、まだ足りない。
さらなる音楽的な冒険と探求のためにマーチン、次回作ではまったく別のジャンルの人とコラボレートすることになる。
その名は、小田和正。
意表突いたよな、ファンも、そして小田本人も。「え、俺?」って。