80年代のサブカル系、「宝島」や「ビックリハウス」周辺をチェックしていた人なら、名前くらいは聞いたことがある人もいるだろうけど、当時からバツグンに知名度があったわけでもない。ただサブカル=業界人からの評判はめっぽう良く、時々インターバルを置きながらも、細く長くではあるけれど、音楽業界で生き残っている。
重要キャラでの映画出演(いとうせいこう原作『ノーライフ・キング』)、数々のCMソング製作(最も有名なのが『日清チキンラーメン』)、アニメのサントラ仕事(『ケロロ軍曹』)、近年ではセキスイハイムのTVCMに自ら出演、変わらぬ美貌に40代以上のサブカル残党が狂喜乱舞したのも記憶に新しい。
同じシリーズに、今は故人となってしまったムーンライダーズのかしぶち哲郎も出演しており、団塊ジュニアをターゲットにしたキャスティングとしては、かなりズッパマリだったと思う。
もともとは音大出の鈴木さえ子、幼少の頃から永くクラシック・ピアノを専攻しており、ポピュラー音楽とは畑違いの環境で育ってきた人である。それが高校の時にドラムと出会ってからはロックに傾倒、卒業してからは幾つかのバンドを渡り歩き、プロのサポート・ミュージシャンとして名前が知られるようになる。泉谷しげるのバックで叩いていたこともあるけど、一番有名なのは忌野清志郎と坂本龍一によるコラボ・シングル"いけないルージュ・マジック"でのドラム・プレイ。まぁメインで出張っていたわけではないので、俺も後日知ったわけだけど。
で、この辺のサブカル枠からムーンライダーズ鈴木慶一と接点を持つようになり、レコード会社とのコネができてデビューに至った、という次第。ただメジャー・デビューはしたのだけど、ムーンライダーズ周辺での活動が中心だったため、ヒット・チャートでブイブイ言わせてたわけではない。
サウンド的には、当時のサブカル系女子ポップによく見られたように、Kate Bushをソフトに展開した、クラシック要素もちょっぴり取り入れた箱庭系ポップと、現代音楽にカテゴライズされそうな打楽器中心のミニマリズム炸裂のインストとの二本の柱。
まぁ歌謡曲全盛だった1980年代においては、多くのリスナーに訴求するタイプの音楽ではない。どちらかといえばもっとピンポイント、サブカルかぶれの中高校生や、周りが「PATiPATi」なんかを読んでいるのを尻目に、「Techii」や「Pop ind's」を読んで独り優越感に浸っている文系大学生あたりにヒットする、影響範囲がめちゃめちゃ狭いジャンルである。
考えてみれば、それって俺のことだった。
3枚目のアルバムまでは、鈴木慶一との二人三脚でプロデュースを行なっていたのだけど、この『Studio Romantic』からは、鈴木さえ子単独名義での製作になっている。スタジオ・ワークのテクニカルな部分でのサポートが必要なくなったこと、実績の積み重ねによって、独自のコネクションで自ら希望スタッフを調達できるようになったこともあるのだけど、まぁ一番大きいのは、当時プライベートにおいてもパートナーだった鈴木慶一とのすれ違いだろう。ミュージシャンとしての成長過程において、鈴木慶一との方向性のズレが大きくなり、パートナー解消の遠因となったことは、彼にとっては皮肉な結果だったと思われる。
で、次に彼女が組んだのは、日本のサブカル村を飛び出して、向かったのは大英帝国、XTCのAndy Partridgeである。
以前のレビューでも書いたけど、ちょうどAndy、あの『Skylarking』を作り終えた後、後に語り草となったTodd Rundgrenとの衝突によって、ストレスが溜まりまくり、神経症の度合いがMAXになっていた頃である。
当時はVirginレーベルに搾取されて貧困の極みにあったAndy、気分転換とバブル絶頂期のジャパン・マネーに惹かれてオファーを受けたところ、最初は日本の無名ミュージシャンとたかを括っていたけど、思いのほかミュージシャン・シップにあふれたその才能、その姿勢を気に入ってしまい、XTC加入を勧めたほどである。まぁ、ちょっとした下心もあったんじゃないかと思われるけど。
この『Studio Romantic』、言ってしまえば、これまでの集大成的なアルバムである。
もともとアカデミックな環境で学究的に音楽を探求していた少女は、ロックをメインとしたポピュラー音楽と出会ってからはそっちへ路線変更、当初はサブカル系というミニマムなスケールのムラ社会で活動していた。これまで培ったクラシックや現代音楽のテイストをミックスした、ちょっぴりアバンギャルドなポップ作品が、思っていたよりも好評を期した。あくまで内輪、身内の中での話だけど。
そこは居心地は良い。けど、広がりはない。
次のステージへ向かうためには、違う環境が必要なのだ。
そんなわけで、鈴木さえ子が目指したのはさらにニッチな空間。マスを多少は意識するけれど、でもベースとなる音楽性は曲げない。ほんの少しわかりやすく、でも、これまでのユーザーも納得してもらえる出来栄え。それがこの作品である。
集大成ゆえ、過去の作品のリテイクも収録されているのだけど、以前の作品がYMO以降のテクノ・ポップの延長線上的なサウンドだったのに対し、今回のサウンドはボトムの部分がしっかりした、きちんと人に聴かせるための音楽になっている。
これまでのようにスタジオ・ワークのみで完結する、フェアライトやシーケンサー頼りの音ではない。これはAndyの偏執狂的なスタジオ・ワークの賜物でもあるのだけれど、それ以外にも楽器本体から出る音の太さ、それをもっと突き詰めて考えてゆくと、日英の電圧の違いに行き着く。
日本の定格電圧が100Vに対し、イギリスは220V。2倍以上もの差がある電圧は、出力されるサウンドの質にそのまま直結する。サウンドにこだわるアーティストが海外レコーディングを行なうのは、何も観光のためではない。求める音があるから、そこへ行くのだ。
日本の定格電圧が100Vに対し、イギリスは220V。2倍以上もの差がある電圧は、出力されるサウンドの質にそのまま直結する。サウンドにこだわるアーティストが海外レコーディングを行なうのは、何も観光のためではない。求める音があるから、そこへ行くのだ。
1. BLOW UP
当時、鈴木さえ子の音楽を表現する言葉としてよく用いられたのが、「ポップ印象派」。それを体現するような曲で、何ていうか非常にノン・ジャンル。現代と古典、スタンダードとアバンギャルド、普通のポップ・ソングの文脈ではとても表せない。じゃあ難解なのかと言えば、そんなこともない。これはこれでちゃんとしたポップ・ソング、先入観なしで聴いてみると、その親しみやすさが伝わってくるはず。
2. YOU’RE MY SPECIAL
作詞が大貫妙子なのは、多分当時レーベル・メイトだった繋がりからなのだと思う。サウンドはそれなりに遊びが多いのだけど、少女性を残した大人の女性の歌モノなので聴きやすい仕上がり。シングル・カットしても良かったんじゃないかと。
当時の大貫妙子はもっとシニカルな視点の歌詞が多かったはずなのだけど、鈴木さえ子が歌うことを強く意識したのか、とってもファニーな歌詞世界に仕上げている。ほんとはこういった世界観を演じてみたかったのか、それともややブリッ子気味だった鈴木さえ子に対する当てつけだったのか。
3. SOMETHING IN THE AIR
もともとはThunderclap Newmanというサイケ・ロック・バンド1969年のシングル・ヒット。らしいのだけど、今回初めて知った。で、これまた初めてYoutubeで確認してみると、鈴木さえ子ヴァージョンとはまるで違うポップ・ロック。なんとなくThree Dog Nightを連想させる。しかも歌詞はプロテスト・ソング。知るたびに、パブリック・イメージの鈴木さえ子からはますます遠くなる。
オリジナルがユニゾン中心のポップ・サイケ調だったのに対し、こちらはUKエレ・ポップをベースに、80年代特有の変調ドラムとインダストリアルなエフェクトの数々がサウンドを彩っている。途中からポップな現代音楽とも言うべきストリングスが飛び交って、次第に混沌を極めてゆく。ストリングスの響きがサンプリング臭いのがちょっと惜しい。もうちょっと生音っぽい感じで録っておけば、普通のポップ・スタンダードとしても通用したかもしれないのに。
4. HAPPY FAMILIES
で、Andyの持ち味がうまく発揮されたのが、このトラック。Andyが彼女のために書き下ろした、とのことだけど、アイディア自体はもうちょっと前、『Murmer』の頃から断片くらいはできあがっていたらしい。
マザー・グースを想起させる寓話的な歌詞、小編成のポップ・サウンドながら、すべてのパーツが適正な場所にはめ込まれており、ほんとよくできた小品といった出来栄え。
この路線でこの時期に、ファニーな少女性を全面に出したPVでも作っていれば、もっと違った展開があったかもしれないのに、実に惜しい。ちなみに、この意匠をそのまま使って、脱アイドル的な活動を行なっていたのが、斉藤由貴である。
5. I WISH IT COULD BE CHRISTMAS EVERYDAY IN THE U.K.
こちらはデビュー・アルバムのタイトル曲のリメイク。初出テイクはリズムがもう少し走っており、サウンド全体が硬質な印象、鈴木さえ子のヴォーカルも女性っぽさを抑えた、テクノ・ポップ・エラというコンセプトだったのだけど、ここではAndyが持ち味を上手く引き出している。
テンポはもう少しゆったりと、ファニー・ヴォイスを強調、
3分程度の短い曲なのだけど、その中でサウンドはコロコロ変遷しており、何曲分ものアイディアが惜しげもなく詰め込まれている。これだけ肩入れしてトラックを仕上げたAndy、やはり恋をしている男は違う。
6. TV DINNER
冒頭のギター・ソロがちょっとニュー・ウェイヴしていて、UKレコーディングの成果が表れている。このトラックも曲調が劇的に変化しており、よく例えられるような「おもちゃ箱をひっくり返したような」サウンドが展開されている。
7. HAPPY END
もともとは『Studio Romantic』の1年前にリリースされていた12インチ・シングルが初出。そのヴァージョンよりもやはりファニー・ヴォイスを強調。バック・トラックもメジャー感を意識しているので、これもうまくタイアップできれば、もうちょっと何とかなったんじゃないかと思われるのが惜しい。
PSY・Sよりもメロディはキャッチーだし、ビジュアル的にも今だって充分通用するくらいのコケティッシュさがあるのに、イマイチ知名度が薄かったのは、所属レーベルだった新興ディア・ハートにソニー並みの営業力がなかったためと思われる。
8. FREAK IN
1980年代の最新鋭機材を使いまくってスウィング・ジャズを演じた、鈴木慶一と共作のインスト・ナンバー。まぁスタジオ遊びの延長線上といったところなのだけど、そのインストを飽きさせず最後まで聴かせてしまうのが、鈴木さえ子の才能であると思う。鈴木慶一主導だったら、ほんとただの楽器いじりに終わってしまうだろう。きちんと音楽を勉強していると、こんなに違うモノなのか。
9. STUDIO ROMANTIC
1.のリプライズと思われるホーンのソロから始まる、ほぼインスト・ナンバー。エスニックとスタンダード・ジャズとの融合とも言える、悠々と流れる大河のごとく、メロディは流れ、コードは宙を舞う。
音の定位がすごく良く、録音にセンスが感じられる曲でもある。ゆったり流れる空気感が心地よく、年に一度は聴きたくなってしまう曲のひとつである。
10. DEAR WALT
モダンな現代音楽。Herbie Hancockが『Future Shock』制作時にホーン・セクションをもう少し前面に出したら、こんな感じになったんじゃないかと思う。
11. ADVENTURE IN SOUTH PACIFIC
ラストを飾るのは、ヴォーカル・パートはほんのちょっぴり、メインはインスト。これまで様々なエフェクトや技巧を凝らしていたけれど、これはあまりギミックも使わない、シンプルなポップ・ソング。可愛らしい曲なので、ぜひ「みんなのうた」で取り上げてほしかった。
大きい国 さよなら
もっと小さな島へ 南へ
大きいもの いらない
だって小さなものが たくさんあるから
シンプルだけど、ストレートで味のある歌詞、時々警句的なものも感じ取れる。
このアルバムを仕上げた後、鈴木さえ子は前述した映画『ノーライフ・キング』のサウンドトラック製作と出演、その後長い沈黙に入ることになる。
復活後はかつての盟友松尾清憲らと伝説のバンド「シネマ」を復活させたりケロロ軍曹のサントラをリリースしたりとマイペースな活動振りだけど、きちんとした形のソロ・アルバムは出る気配がない。『Studio Romantic』製作ですべて出しきっちゃったのかもしれない。どちらにせよ、あのクオリティのアルバムを再び作ることは、予算的にもモチヴェーション的にも難しいのだろう。
XTC『Nonsuch』レビューでも書いたように、半隠居状態になったAndyと再び組んでも当時のマジックは再現できないと思うので、もっとリアルタイムで活動しているアーティスト、例えばtofebeatsあたりとガッチリ組んで、半年くらい予算と時間を与えてスタジオに軟禁してしまうのも面白いかもしれない。
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