好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

西城秀樹

80年代歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる その2 - 西城秀樹 『TWILIGHT MADE …HIDEKI』

Folder 1985年リリース、西城秀樹16枚目のオリジナル・アルバム。前作『GENTLE・A MAN』からは1年3ヶ月ぶり、じっくり時間をかけて作られたアルバムとなっている。
 前作に続くアーティスティック路線はさらに顕著となり、アルバム・ジャケットには「西城秀樹」のクレジットもなければ、ポートレートもない。「歌謡曲の西城秀樹」というフィルターをはずし、アーティスト「HIDEKI」で勝負したい意向が、強く反映されている。濱田金吾や南佳孝のアルバムとシャッフルしちゃうと、もう誰が誰だか。
 前作収録の角松敏生作「THROUGH THE NIGHT」のサウンド・メイキングに感銘を受けた秀樹、ここでは4曲を彼に依頼、加えてアーティストとしては開店休業中だった吉田美奈子にも、4曲の作詞をオファーしている。アーバンでシャレオツな音空間構築にターゲットを絞ったキャスティングは、30歳という年齢に応じたイメージ・チェンジには不可欠だったのだろう。
 さらに旧知のSHOGUNギタリスト芳野藤丸は順当として、まだこの時点では作家デビュー間もなく、実力・実績とも未知数だった堀川まゆみ(MAYUMI)の起用は、なかなかの慧眼だった。過去の実績や評判に囚われず、「良いものは良い」という当たり前の感覚を最優先した、秀樹のセンスと直感が強く反映されている。

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 80年代シティ・ポップとして見れば、サウンド・プロダクションもしっかりしており、アートワーク含め、アーティスティック路線のコンセプトも一貫しているため、クオリティはかなり高い。高いのだけど、当時はこのアルバム、ヒデキファン以外にはほぼ知られていなかった。俺も知ったのは、つい最近。
 ティーン・アイドルを卒業してからも、ヒデキは歌謡曲の王道を全力疾走していたため、基本はシングル中心の営業戦略に沿って活動していた。アイドルの世代交代によって、シングル・チャートの常連というポジションではなくなっていたけど、80年代前半は、ロックからバラードまで幅広く歌いこなす本格派シンガーとしての活動を続けている。
 さすがに「オールスター水泳大会」なんかには出なくなっていたけど、毎年恒例の「新春かくし芸大会」や「ハウス・バーモント・カレー」のCMなどで、お茶の間との接点は続いていた。ただデータを見ると、拘束時間が長期に渡る映画や連続ドラマの仕事は、ライブやレコーディングの妨げとなるため、極力受けないようにしていたことが窺える。
 当時、NHK大河ドラマで「独眼竜政宗」の企画が立ち上がり、主役候補としてヒデキにオファーが来たのだけど、事務所サイドで断わった、というエピソードが残っている。これには、「歌手活動に専念したいと」いう理由に加え、独立して間もなかったため、拘束時間が長くギャラの安い大河では、運転資金がまかなえなかった、という切実な事情もある。

 テレビに雑誌に多く露出する、お茶の間ヴァージョンの「ヒデキ」と、サウンドにこだわりを持つ、コンセプト志向のシンガー「西城秀樹」。さらに、プライベートの顔・木本龍雄が存在する。このトライアングルは、彼にとってどれも不可欠な要素であり、どれも疎かにはできない。
 様々な事情が折り重なっていたため、アーティスティック路線と並行しながら、「みんなのヒデキ」としての活動も続けていた。偶然の一致で郷ひろみとの競作となったワム!「ケアレス・ウィスパー」のカバー「抱きしめてジルバ」がオリコン最高18位、通算50枚目の記念シングル「一万光年の愛」が12位と、表舞台でもきちんと実績を残している。
 『GENTLE・A MAN』~『TWILIGHT MADE …HIDEKI』までの間には、デビューからほぼ毎年欠かさず製作されているライブ・アルバムが2枚。それと、これは多分RVCの意向が強かったと思われるのだけど、ベスト・アルバムが2枚リリースされている。いやライブはまだわかるけど、ベスト乱発し過ぎだって。
 こういったリリース・スケジュールに、秀樹サイドの意向がどれだけ反映されていたかは不明だけど、当時は楽曲の二次使用契約が曖昧だったため、よくあることだった。サザンや中島みゆき、井上陽水クラスでさえも、レコード会社主導のベスト・アルバムやカセットが乱発されていたし。
 本人のあずかり知らないところで、そんな風にレコード会社への利益貢献も行ないつつ、アーティスト「西城秀樹」としての表現活動を着々と進めていたのだった。

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 10年くらい前から80年代のシティ・ポップが再評価される風潮が生まれ、リアルタイム世代の俺でも知らなかったアルバムが再発されるようになった。発売当時は生まれてもいない、若い世代がレア・グルーヴ的な受け止め方で影響を受け、インスパイアやらレコメンドやらオマージュしたユニットやバンドを結成した。
 いや俺も一応、聴いてみたのよ、流線型やら一十三十一やらを。オカズてんこ盛りの生演奏を主体としながら、DTM生成ビートでアップ・トゥ・デイトなサウンド空間を演出した、清涼感あふれる爽やかなポップス。近年の音圧MAXのサウンドに疲れた耳には、心地よいのかもしれない。しれないのだけれど、でも―。
 なんかちょっとヌルい。俺が求めていたのは、そういうものじゃないのだ。
 癒しやノスタルジー、追体験じゃなくて、当時のクリエイターが真剣になって、高いクオリティを求めて創り上げた作品が聴きたくて、それでいろいろ漁ったが末、たまたまたどり着いたのが、80年代の歌謡曲アルバム群だった、ということであって。
 なので、気づいたのだ。
 俺は特別、シティ・ポップというジャンルが好きなわけではない。

 アイドル・歌謡曲のアルバムの作りが丁寧になったのは、松田聖子を起点とする80年代デビュー組からで、70年代にデビューした歌手のアルバムの多くは、安直な粗製乱造が当たり前だった。シングル曲をいくつかまとめて洋楽カバーを少し、あとは適当なモノローグや埋め草的な楽曲を少々。シングル3か月・アルバム6か月ごと、という当時のリリース・ペースでは、極力手をかけず、手早く仕上げることが、優秀なディレクターの条件とされていた時代の話である。
 歌謡曲が勝負するフィールドは、シングルのレコード売上、またはブロマイドの売上だった。週に何本も製作されていた歌番組の露出度合いが、それらのセールスと深くリンクしていたため、芸能事務所やレコード会社はこぞってテレビ局に日参し、所属タレントの出演をねじ込んでいった。それが当たり前の時代だった。
 ヒデキがデビューした頃の歌謡曲アルバムは、内容について語られることは、ほぼなかった。ファンからすれば、既発表曲ばかりで目新しさはないのだけど、グッズとしてコレクションの対象であったし、レコード会社にしても、新規で手がけるのはアートワーク程度、肝心の音は適当にまとめるだけ。それでいて、シングルよりも単価は高いしで、いわばおいしい商売だったと言える。

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 ヒデキ世代の歌謡曲歌手の不幸な点が、ここにある。シングルの知名度は80年代組を凌ぐほどだけど、70年代当時はレコード会社の方針もあって、アルバム製作への投資はあまり行なわれなかった。
 それでもヒデキや野口五郎らが意気揚々として製作した70年代のアルバム群は、海外録音やロック・サウンドへの強いリスペクトに溢れていたりして、他のアイドルと比べて差別化が顕著だったりする。するのだけれど、プロモーション自体がシングル中心で行なわれていたこともあって、ほぼ話題に上らなかった。
 80年代前夜となる、1979年のオリコン・アルバム年間チャートを見てみると、ほぼ半分がニュー・ミュージック、もう半分が洋楽勢で占められており、歌謡曲は山口百恵とピンク・レディーが入っている程度。それだけニーズがなかったことの証でもある。
 年が明けて80年代に入ると、レコード会社の方針も変わり、歌謡曲のアルバム制作に力を入れるようになって来る。単なるシングルの寄せ集めではなく、きちんとした成長戦略に則って、人的・時間的コストをかけたアイドルのアルバムが作られるようになった。
 ただその世代の前、西城秀樹の世代がアルバムで注目されることは、その後もなかった。

 中途半端なアーティスト崩れや、拙い技術の新人バンドよりも音楽的素養に長け、ヴォーカル技術も表現力も、多くの80年代組より上回っていた西城秀樹の再評価は、いまだ一面的なものでしかない。やっと「ブルースカイブルー」が少しだけ脚光を浴びたけど、やはり「ヒデキといえばヤングマン」のイメージが強く張り付いている。クド過ぎるんだよ、Yモバイル。
 いやホント、ヘタなテクノ・ポップや歌謡ロックより、ずっと丁寧に作られてるから、ちゃんと聴いてみてほしい。

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1. SWEET SURRENDER
 まんま角松敏生のプロダクションで作られた、デジタル・ガジェット感満載、疾走感あふれるナンバー。歌謡曲テイストはまるでない。大抵のシティ・ポップはヴォーカルが弱い分だけBGMっぽくなりがちなのだけど、秀樹のヴォーカルは聴き流すことを許さぬ説得力を持っている。

2. BEAT STREET
 アルバム発売後にシングル・カット、通算52枚目のシングル。オリコン最高51位と、セールス的には厳しかったけど、コンポーザー角松敏生を業界内に印象付けた点では、大きな功績があった。
 いま聴いてみると、ビジュアルを想起させる、映像との親和性が高い歌詞といいサウンドといい、案外アニメ主題歌としてプレゼンするのもアリだったんじゃないかと思われる。「シティー・ハンター」なんかだと、ストーリーや世界観のリズムとうまくシンクロしていると思うのだけど。
 中盤になって唐突に入り込んでくる女性コーラス&デュエットは、作詞担当の吉田美奈子。インパクトの強さは、ヒデキとタメを張る。



3. HALATION
 シュガー・ベイブみたいなギター・カッティングのオープニングから、角松作と思ってたけど、クレジットを見ると盟友芳野藤丸によるものだった。ちょっと前まで「達郎のコピー」って囁かれてたくらいだから、あからさまなアレンジするわけないか。
 秀樹の通常のキーよりちょっと高めに設定されており、時々苦し気な部分もあるのだけど、逆にそれがシャウトを抑える効果となり、ソフト・サウンディングにうまくフィットしている。藤丸自身もAORっぽさを意識しているのか、いつもの泣きのギター・ソロは抑え目、達郎っぽくリズム・キープに徹している。
 
4. ワインカラーの衝撃
 やたらエレドラが前に出たアレンジ。メロディックなバラードなのに、妙にニュー・ウェイヴ寄り、しかもゴシック・パンク寄りのアレンジがミスマッチ感を誘っている。ミステリアスなムードを狙ったのかな。タイトルからどうしても安全地帯=玉置浩二を連想してしまうのだけど、明らかに狙ってるよな、曲調といいトレンディな歌詞といい。

5. PLATINUMの雨
 ブラコン寄りのリズム抑え目、柔らかなフリューゲル・ホーンをフィーチャーしたソフト・バラード。角松のアレンジの特徴として、スラップ・ベースや16ビートをベースとして、細かなエフェクトなどのオカズを積み重ねてゆく手法が多かったのだけど、正統バラードにもその手法を持ち込むことによって、サウンドの幅が広がった。その成果のひとつが、中山美穂に提供した「You're My Only Shinin' Star」として結実する。

6. リアル・タイム
 ちょっと演歌テイストも入ったメロディだけど、歌謡曲ヒデキが好きな従来ファンにもアピールする、キャッチ―で明快なサビが印象的なナンバー。イントロのシンセ・リフが時代性を感じさせるけど、当時ならシングル候補としても良かったんじゃないか、とは俺の私見。ただ、アーティスト面を強調するのなら、ちょっと歌謡曲っぽ過ぎるよな。俺は好きだけど。



7. オリーブのウェンズディ
 「シティ・ポップ」のアルバムで、「オリーブ(の午后)」「(雨の)ウェンズディ」とくれば、ナイアガラ的なリゾート・ポップを連想していたのだけど、中身は全然違って、なんとラップ・パートから始まるリズム主導のダンス・チューンだった。
 こう言っちゃ悪いけど、シティ・ポップ「ぽく」、角松「っぽく」寄せようとする大谷和夫のアレンジは、やっぱどこか泥臭く思えてしまう。大谷が悪いんじゃない、角松のセンスが切れすぎているのだ、というのがわかるアレンジ。
 しかし、どんな曲でも存在感を見せつける吉田美奈子のヴォーカルの強さといったら。硬軟使い分けたコーラス・アレンジは、天性のカンに基づくものなのだ、きっと。

8. BEAUTIFUL RHAPSODY
 シティ・ポップとはちょっとはずれた、オールディーズ風味の明るめのチューン。箸休めとして、肩の凝らない曲もアルバムには必要。手を抜いてるわけではないけど、力を抜いて楽しいのも、たまにはいい。藤丸のギター・ソロもほどほどにエモーショナルで、コンパクトにまとめられている。

9. TELEVISION
 角松作曲だけど、アレンジは藤丸という、レアなコラボ。ここは角松プロダクションに沿ったサウンドでまとめている。ギターの音だけは、やっぱ藤丸のキャラクターが強いけど。
 秀樹のヴォーカルがなければ角松っぽい、という見方もあるけど、逆に秀樹のヴォーカルが角松の潜在性を引き出してこんな感じに仕上がった、という見方もできる。このレコーディングのメンツでヴォーカルで勝てるのって、考えてみれば吉田美奈子くらいだよな。彼女も今回は極力脇に徹してるけど。
 コラボするクリエイターの才能をさらに引き出すヴォーカルの力が、西城秀樹最大の魅力だったと言える。

10. レイク・サイド
 「クルマの中で黄昏時に掛かっていて、男性が助手席の彼女に、言葉で言わなくても口説いていけるもの」というサウンド・コンセプトで作られた『TWILIGHT MADE …HIDEKI』、ラストを飾るのはこの時期の隠れ名曲とも言える正統派バラード。
 アーバンな最先端サウンドもシティ・ポップもない、丁寧に作られたシンプルなバッキングで歌うヴォーカリスト西城秀樹の真骨頂が、ここにある。



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80年代歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる その1 - 西城秀樹 「GENTLE・A MAN」

folder 1984年リリース、西城秀樹15枚目のオリジナル・アルバム。チャート・アクションは不明だけど、同時期にシングル・カットされた「Do You Know」がオリコン最高30位だったことから、ヒットと言えるほどの売上ではなかったことが察せられる。
 累計180万枚の大ヒットとなった「ヤングマン」をピークに、ヒデキのレコード・セールスは下降線をたどり、80年代に入ると、チャート上位に入ることは少なくなる。たのきんトリオの台頭を機に、男性アイドルも世代交代の波が押し寄せていた。
 スティーヴィー・ワンダーの「愛の園」や、オフコースのデュオ時代の隠れ名曲「眠れぬ夜」、結果的に郷ひろみとの共作(歌詞・タイトルは違うけど)となった「抱きしめてジルバ」など、80年代はクオリティの高いカバーを歌っている。この時期の楽曲では強く印象に残っている「ギャランドゥ」が最高14位だったのは、ちょっと衝撃だった。
 地道にコツコツ、こだわりを見せる楽曲は一定の支持を得てはいたのだけど、大きな爆発力には欠けていた。すでにヒデキは、アイドルというステージからは降りていた。

 同じ御三家くくりの1人である郷ひろみは、絶頂期はアイドルの王道、中性的なルックスと王子様的キャラクターで、主にティーンエイジャーの女の子中心に人気を得ていた。普通ならそのまま、若作りのオッサンとして枯れ果ててゆくところだけど、いち早く「アイドル以降」を見据えて行動に移していたのもまた、郷ひろみだった。
 久世光彦演出による前衛ホーム・ドラマ「ムー」では、端正な顔立ちを逆手に取ったコメディを演じ切り、幅広い客層の支持も得るようになった。「アイドル以降」への脱却も比較的スムーズで、80年代に入ってからは、カネボウ化粧品のCMソング「How many いい顔」や、バーティ・ヒギンズのカバー「哀愁のカサブランカ」など、AOR寄りの楽曲をヒットさせている。世紀末になって突然「GOLDFINGER '99」で覚醒するまでは、セレブ感漂う大人のバラード歌手として生き残った。

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 俺世代の野口五郎といえば、「カックラキン大放送」の1コーナー「刑事ゴロンボ」が真っ先に思い浮かぶ。ちなみにこの「カックラキン」、郷ひろみとヒデキも持ち回りで刑事コントに出演しているのだけど、最も印象に残っているのはゴロンボ。今も変わらぬ天然ボケのセンスは、彼が際立っていた。なので、歌手としてのイメージは薄い。
 端正ではあるけれど、郷ひろみのような王子様ルックスではなかったので、楽曲も3人の中では最も歌謡曲寄りだった。考えてみれば「私鉄沿線」なんて、女の子ウケするタイトルでも曲調でもない。
 郷のようなマスコット性や、ヒデキのワイルドネスとも違う、いわばショーマン・シップを強く打ち出さなかったのが、歌手・野口五郎だったと言える。アイドル路線とは一線を画した五郎は、その後も歌謡路線と並行しながら、趣味嗜好を思いっきり反映させたギター・インストのアルバムを発表している。
 歌手なのに歌わない―、そんなアルバムの企画を通すには、単に「想い」だけで叶うものではない。レコード会社や事務所を納得させられるだけのプレゼン術、そして巧妙な駆け引きが必要となる。
 いま現在も、毀誉褒貶と魑魅魍魎が渦巻く芸能界において、独自のポジションをキープし続けている五郎。テレビで見せる、穏やかで天然な芸風の裏には、慎重かつ狡猾な戦略家の顔が潜んでいる。

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 ジャニーズ → バーニング移籍を機に、華麗なイメージ・チェンジを遂げた郷ひろみと、マイペースで自己プロデュース能力に長けた五郎。いずれも時運・機運にも恵まれたこと、そして時代の趨勢を見誤らなかったことが、その後の活動に深く影響を及ぼしている。
 で、ヒデキなのだけど、3人の中では、彼が最も路線変更に苦労したんじゃないかと思われる。
 デビュー前から洋楽ロックに深く傾倒していたヒデキの声質は、五郎のように、ドメスティックな歌謡曲のメロディには馴染まなかった。デビュー時のキャッチフレーズが「ワイルドな17歳」だったこともあって、しばらくは「傷だらけのローラ」に代表される、シャウト系のヴォーカルを多用した楽曲が多い。
 髪を振り乱し、ステージ上を駆け回るハイ・テンションのイメージが強く、しかも「ちびまる子ちゃん」の影響もあって、初期ヒデキのイメージには何かと誤解も多い。一般的なイメージとしては、「ローラ」から「ヤングマン」にすっ飛んでしまい、その間がすっぽり抜け落ちてしまっている。
 リアルタイムで聴いてきた世代から言わせてもらえば、ヒデキの「アイドル以降」戦略は、早い段階で行なわれている。大野克夫作曲によるロック・チューン「ブーツを脱いで朝食を」や、近年再評価されている正統バラード「ブルースカイブルー」など、暑苦しさを抑えた楽曲にも、果敢に挑戦しているのだ。いるのだけれど、やっぱ「ヤングマン」だな、あれが「ローラ」以降を吹っ飛ばしちゃった。

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 俺が思うに、シンガーとしての西城秀樹は、御三家の中でも抜きん出た表現力を持っていた。本来の資質である、シンガー/コンポーザーだけに集中していれば、十分に評価されていたはずだったのだ。
 ただ、70年代はテレビがメディアの覇権を握っていた時代だった。「露出し続けること」が「存在すること」であり、「テレビに出ていない」=「人気がない」ということと同義だった。
 コンサートや雑誌取材・グラビアに加え、意に沿う・沿わないを問わず、ドラマやバラエティ出演もこなさなければならなかった。単に「歌が上手い」だけでは、周囲が許さなかったのだ。
 前述したように、ヒデキも「カックラキン」に出演していたはずなのだけど、正直、あんまり記憶にない。俳優としての代表作として「寺内貫太郎一家」があるけど、あの役柄もタレント・ヒデキのキャラクターをモチーフに作られたものなので、演じている感はあまりない。旬のアイドルとしてキャラクター映えはするけれど、演技力云々は論ずるほどのものではない。
 その後もヒデキ、80年代に入ってから映画出演や情報番組の司会など、歌手以外の分野にもチャレンジしているけど、どれも継続的に続くものではなかった。プライベートでもロックのヘヴィー・ユーザーだったヒデキにとって、歌手以外の仕事はあくまで余技、そこまで身が入るものではなかったのだろう。
 「ちびまる子ちゃん」のオープニング「走れ正直者」で再ブレイクするまでの80年代まるまる、ヒデキは地味なポジションに甘んじていた。ヒデキに限らず、70年代に活躍した男性歌謡曲歌手はこの時期、セールス的にほぼ誰もが苦戦している。

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 1983年、ヒデキはデビューから長く所属していた芸映を離れ、個人事務所「アースコーポレーション」に移籍している。独立後、初のシングルがあの「ギャランドゥ」。攻めの姿勢だ。
 これまでのように、事務所から仕事が降りてくるのではなく、自ら足を使って動かなければならない。いくら好きなことができるとはいえ、スタッフを食わせてゆくためには、綺麗ごとばかりも言っていられない。
 気が進まなくても、引き受けなければならない仕事だってある。たとえ小さな仕事であったとしても、積み重ねてゆけばそれは信用となり、新たな仕事を引き寄せることになる。
 何だってそうだけど、仕事に対して受動的になるか能動的になるか、選び方次第で気分的には、だいぶ違ってくる。
 生涯現役シンガーであり続けた西城秀樹は、そんな80年代を経て、活動の基盤を築いていった。彼が最も大事にしていたのは、やはりシンガーとしての自分だった。
 自身で作詞・作曲を手がけることはそれほどなかったけど、積み重ねた信用によって得た、優秀なスタッフやブレーンが、何かと手を貸してくれた。「シンガー西城秀樹」という作品を創り上げるため、多くの人がヒデキの元に集い、そして力を注いだ。
 もしかして、彼らがヒデキから得たモノの方が、多かったのかもしれないけど。

 で、やっと登場、『GENTLE・A MAN』。後藤次利や角松敏生など、当時キレッキレだった気鋭の若手クリエイターを結集、あまりあぁだこうだ言わず、彼らに好き放題にやらせていた時期のアルバムである。
 コンセプトはただひとつ、「シンガー西城秀樹が最も映えるサウンド」。関係者コメントは聞いたことないので知らないけど、俺的には勝手にそう思っている。空白期と思われていた「ギャランドゥ」~「走れ正直者」のミッシング・リンクが、ここから始まっている。
 チャートやセールスで大きな貢献をすることはなくなったけど、時代を築いた西城秀樹に対し、レコード会社も無碍な扱いはできない。レコーディングに専念できる時間もポジションも与えられていなかったアイドル時代と違って、予算も時間も納得ゆくまで投入できるようになった。デビュー前からロック志向が強かった彼が暖めていたビジョンが、この時期のアルバムには強く反映されている。

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 歌謡曲のアルバムという偏見もあって、ほぼまったくと言っていいほど関心がなかったのだけど、近年の昭和レア・グルーヴ~海外発シティ・ポップ再評価の流れもあって、最近になっていろいろ聴き倒している。リアルタイムで傍にあったにもかかわらず、聴き逃していたことにちょっと後悔している。あぁ俺のバカ。
 これは俺だけじゃないはずだけど、84年以降というのは日本のロック/ニュー・ミュージックが勢力を強めていた頃であり、アイドル系はほぼシングルのみ、アルバム購入までに至らなかったケースが多いのだ。聖子や明菜のような、いわゆる同時代の楽曲派のアルバムはまだ需要はあったけど、ガチのコアなファンでもない限り、アイドルのアルバムを買う者はあまりいなかった。ましてや一世代前のアイドルなんて、俺世代は見向きもしなかった。
 下手なアーティスト気取りの新人バンドと比べれば、きちんとしたプロ意識のもとで作られたサウンドなので、細かい部分も入念に仕上げられている。きちんとコストをかけて作られているので、それぞれのパーツのボトムが太く、またそれらが合わさった時の珍情感はハンパない。
 言っちゃえば、あの時期のロック/ポップス系のサウンドって、ペラペラしたミックスのものも多かった。粗製乱造って言ってしまえばそれまでだけど、「アマチュアゆえの粗削り感」って、無理やり納得してた部分もあったもんな。


Gentle A Man
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1. センチメンタル・モーテル
 「エレドラとエレべ、フワっとシンセ」の80年代サウンドのコンボは、大抵軽めになりがちなのだけど、SHOGUN大谷和夫がアンサンブルを仕切っていることで、ボトムの効いたサウンドにまとまっている。女性ヴォーカル主流だったUKエレポップのフォーマットに、ロック色強い秀樹のヴォーカルを乗せるのは、大胆な発想。
 時にエモーション全開となるヴォーカルも、テンポがゆったりな分、くどさが薄れ、むしろ説得力が増す。



2. Onesided night
 この時期の後藤次利はアイドル歌謡曲の仕事が多く、コンポーザー/プロデューサーとしての側面が強調されがちだけど、実は現役ベース・プレイヤーとしても一歩も二歩も抜きん出ていた、と言わしめるデジタル・ファンク。サウンドだけ抜き出すと、「Get Wild」のパクりかインスパイアか、どっちが後でどっちが先かはちゃんと調べてないけど、シンクロニシティとしておこう。

3. 彼女は不機嫌
 ちょっとクセのあるメロディ構造を持つ、後藤次利によるソフト・レゲエ。秀樹の場合、ソフトに囁くように歌っても、ヴォーカルの圧が強いので、ちょっと制御がうまく行ってない風。多分、本人的にはこういったライト・タッチのモノも歌いたかったんだろうけど、やはりサビで歌いあげてしまうところが、ちょっとミスマッチ。
 間奏のSEがオリエンタルとインダストリアルがぶつかり合ってて、そこが次利の遊び心満載。予算もあるから遊べたんだろうな。

4. Do You Know
 オールディーズ・テイストの正統バラード、と書いた後に調べてみると、もとは1966年のナンバーだった。フランスの歌手フランツ・フリーデルのシングルで、しかも作詞が湯川れい子。謎だ。謎だけどメロディはいいし、英詞もシンプルで語感もいいので、尾崎紀世彦もカバーしている。で、次が秀樹。
 いつも力んでしまう印象があった秀樹だけど、ここでは思いっきり力を抜きつつ、それでいて、要所を押さえたムーディなバラード・ヴォーカルを披露している。ディナー・ショー仕様と言ってしまえばそれまでだけど、若いうちでは一本調子になってしまうところを、きちんとした解釈の上、情感を込めようとする姿勢が窺える。

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5. 帰港
 ベース・プレイはルート音主体にとどめ、高品質AORサウンドに重点を置いた、後藤次利作による渾身のバラード。ケニーGを思わせるチャラいホーン・アレンジをものともせず、秀樹のヴォーカル・テクニックがいかんなく発揮されている。かなり強引なサビの転調も、逆に彼のポテンシャルを強く引き出している。

6. Through the night
 後年になって最も再評価されている、角松敏生によるサウンド・プロデュースが炸裂するダンス・チューン。まるっきり自分のソロ・プロジェクトと同じ熱量で構築されたサウンドは、絶妙のマッチング。角松と秀樹、2人のサウンド・キャリアのピークがシンクロした結果が、これ。
 このアルバムで角松が手掛けたのはこれ1曲だけど、そのインパクトの強さと相性の良さも手伝って、次作『TWILIGHT MADE …HIDEKI』ではさらに深く関与することになる。



7. かぎりなき夏
 全体的にフックの少ないメロディ・ラインから、サビに入って急に盛り上がる、歌謡曲タッチの強いミディアム・ナンバー。ヴォーカル・スタイルに70年代後期っぽさがうかがえるけど、コーダのフェイクがモダンさを感じる。

8. Love・Together
 秀樹には珍しい、女性ヴォーカルとのデュエット。言っちゃえば当時のブラコンR&Bなのだけど、カラオケで言うところの「しゃくり」が多い彼のヴォーカルとの相性は、案外いい。いいんだけど、小さくまとまり過ぎちゃってるのが、面白くないかね。
 デュエット相手の「チバチャカ」とは、当時のライブやレコーディングでのレギュラー・メンバーだった人。ググってもほぼヒットしなくて謎だったけど、Twitterで教えてもらってやっと判明した。

9. Winter Blue
 シングル「Do You Know」のカップリングとしてリリースされているため、統一感を持たせてリゾートAORっぽいアレンジ。ドラマティックなヴォーカルと生のストリングスが、アーバンかつゴージャス感を演出している。
 そうなんだよ、MIDIだとショボくなっちゃうんだよな、こういうのって。当時の秀樹だからこそ、そういった面にも予算を投入できたのだろう。

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10. ポートレート
 ラストはちょっとセンチメンタルな正統バラード。間奏のハーモニカが、ちょっとスティーヴィーっぽい。ドラマの主題歌あたりでシングル・カットしてもいいくらい、キャッチ―なメロディを持っているのだけど、そこら辺の営業は難しかったのかな。個人事務所だったしね。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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