好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

西城秀樹

ヒデキのシティポップ期音源をまとめて聴くなら、このアルバム。 - 西城秀樹 『Private Lovers』


images

 これまでリリースされたアルバムを可能な限り、発売当時の仕様で再現した紙ジャケ復刻プロジェクトが続いている西城秀樹。その対象はスタジオ録音作品だけではなく、数々のライブアルバムやコンピレーションまでをも対象としており、生前よりニッチにディープにもかかわらず、着実な売り上げを記録している。
 没後も新たなファンを獲得し続けてはいるのだけど、新たなアイテムを期待できない状況ゆえ、各メーカーとも膨大なアーカイブの整理・発掘が進行している。TwitterのTLをのぞくと、往年のファン有志によるメモラビリアがほぼ毎日、しかも大量にアップされており、その勢いは現役アイドルとも引けを取らない。
 キャリア末期は病魔に侵され、満足な活動ができずにいたけど、それも含めてレジェンド化が進んでおり、おそらく生前より情報の絶対数も密度も濃くなっている。プレスリーやマイケルみたいだよな。
 日本で同じスタンスのアーティストといえば、思い当たるのが尾崎豊やhideあたりで、彼らも夭折後はデビュー前の音源やら未発表テイクが乱発されたけど、活動期間も短かったため、お蔵出しといっても僅かなものだった。なので、最近は目新しいリリースもない。
 それに比べるとヒデキ、ザッツ芸能界のど真ん中で長く活動していたこともあって、手つかずの素材はまだ膨大に眠っている。音源もそうだけど、特に映像関係は歌番組中心に発掘が進んでいる。この方面は権利関係がいろいろめんどくさいため、法務面・実務面で障害も多い。なので、急かさず気長に待とう。
 昨年から徐々に公開イベントも増えてきて、今年もフィルムコンサートが全国各地で催されている。<



 -2022年に開催された画面のヒデキと生のバンドメンバーが熱い情熱で繰り広げるライブコンサート『THE 50』を映像化。
 いわゆるアテレコなのだけど、それでもファンだったら観に行っちゃうんだろうな。限られた条件下で最大限の臨場感を引き出すには、ベターな手法なんじゃないかと。一時、海外でロイ・オービソンやエイミー・ワインハウスの3D映像使ったコンサートがニュースになったけど、まだやってるのかな。

 テレビの懐メロ特集ではヒデキ、ほぼ高確率で「ヤングマン」や「ローラ」の映像がオンエアされている。そういえば、「走れ正直者」を歌ってる映像は見たことない。せいぜい「ブーメラン・ストリート」くらいかな、他にピックアップされるのって。
 代表曲以外はほぼ取り上げられることもなく、かなり偏ったフィーチャーのされ方ではあるけれど、同年代の歌手と比較すれば、若い世代にもそこそこ知られているはずだし、そういう意味で言えばヒデキ、恵まれている方だとは思う。彼以降にデビューした70年代の男性アイドルたちの多くは、曲はおろか、存在すら埋もれてる現状だし。
 単純にヒットシングルだけに絞っても、大して手間をかけることなく「ベスト選曲」になってしまうため、レコード会社的に「安定したコンテンツ」として、西城秀樹は重宝されていた。ただそのため、ほぼ変わり映えのしないベストアルバムが乱発されたことによって、「情熱的なシンガー」という一面的な評価しかされて来なかったのも、また事実である。
 前にも書いたけど、キャリア通して数々の洋楽カバーをレコーディングしてきた先駆者であるし、特に80年代のスタジオアルバム群はどれも質が高く、現在のシティポップの文脈で語られるべきクオリティなのだ。隠れ名曲や名演は数々あるのだけれど、その辺の再評価はまだ追いついていない。
 90年代に入ったあたりから、それまであまり顧みられず、まともに批評されることがなかった、70〜80年代アイドルのリイッシューが一瞬盛り上がった。この頃になると、洋邦問わずジャズ/ロック/ポップス系はあらかたCD化されてしまっていたため、新たな鉱脈として注目された。
 当初は有名どころの安直なヒット曲集が中心で、それはそれで安定した人気を保っていたのだけど、どんどん掘り下げてゆく日本人の性なのか、各メーカーとも次第にディープな企画を売りにするようになってゆく。シングル3枚程度で引退したB級女性アイドルや、セクシー女優のアイドル時代の音源を集めたコンピなどなど。
 本人的には黒歴史扱いのアイテムが、そこそこ人気を博していた。P-VINEが熱心だったよなこのジャンル。多分、その筋のマニアがディレクターだったんじゃないかと思われる。
 ディレクター陣の思い入れや熱量に左右されるけど、紙ジャケの細かな再現度や重箱の隅つついたようなボーナストラックなど、女性アイドルの方がクロノジカルかつマニアックな傾向にある―。って言い切るのは偏見かもしれないけど、当時の担当ディレクターの多くが男性であることから、まぁ趣味と実益と公私混同がごっちゃになったんじゃないかと。
 もう何回もリイッシューされ尽くされたキャンディーズや岩崎宏美なんて、近年では公式発表曲だけじゃなく、CM用のショートヴァージョンからラジオ番組のサウンドロゴまで、思い当たる限りの音源を収受選択せず、とにかくかき集めて収録している。どこまでニーズがあるかどうかは別として、こうして形にすることによって、ディープなマニアにとっては貴重な研究資料になる。
 海外ではすでにひとつの学問として成立しているディランやビートルズだって、当時は単なる流行り物でしかなかったわけだし。

HIDEKI-SAIJO-CONCERT-2023-in-Zepp-TIME-PASSAGE

 ヒデキのリイッシュー事情を追ってみると、デビュー20周年を迎えた90年代に入ってから、アニバーサリー的なボックスセットが発売されている。この時期はもっぱらテレビ司会などタレント的な活動が多く、歌手としてはシングル中心、まとまったアルバム作品は少ないのだけど、同時期にリリースされたトリビュートアルバムでは、THE HIGH-LOWSを始め、ソフィアやGACKT、筋少やダイアモンド☆ユカイまで、中堅どころから当時の旬のアーティストまで、錚々たるメンツが参加している。
 テレビで歌う姿を見ることは少なくなったけど、パッショナブルなヴォーカルスタイルは全盛期から衰えを見せず、河村隆一をはじめビジュアル系からのリスペクトもハンパなかった。第一線とまではいかないけど、懐メロでもない、ファンからも同業者からも一定の敬意を持たれていたのが、この時期のヒデキだったと言える。
 ただ90年代のCDバブル期、全体売り上げにおける歌謡曲のシェアは縮小の一途、ロック/ポップス系のような丁寧なリイッシューは、費用対効果が見込めなかった面も否定できない。時系列に沿ったオリジナル復刻は手間がかかるので、正直、大して手をかけなくてもベストがそこそこ売れてしまうヒデキは、まとめ売りのボックスセット、ボリュームレベルをちょっと上げただけのリマスター復刻、しかも代表作を抜粋してのラインナップで済まされている。
 「現役バリバリじゃないんだから、この程度で十分だろ」臭が漂うリイッシューは、厳しい言い方をするとマーケティングの読み違え、または怠慢だったとも取れる。はたまたレコード会社、女性アイドルじゃなかったため、テンション上がらなかったか。
 それからさらに30年近くを経て、丁寧に編纂されたCD/DVDはもちろんのこと、フィルムコンサートから派生したメモリアルグッズの売れ行きも好調らしい。リアタイで追ってきたファンはおそらく50〜60代、子育ても終えて可処分所得に余裕を持ったユーザーも多いため、形の残るメディアでの販売スタイルはニーズに適っている。
 TVの懐メロ番組や特番が入り口的な役割を果たし、全盛期を知らない若い世代にも知られてはいるのだけど、そこから先、もっと深く知りたいとなると手軽な手段がないのが、今後の課題ではある。CDプレイヤーを持ってない世代にとって、ブルースペックだ高音質だというのは訴求力が薄く、行き着くところは非合法のYouTube動画しか選択肢がないのが現状だ。
 いまのところCD復刻は、第5弾まで順調に進んでいる。こういう長期プロジェクトって、最初にドカンと盛り上がって徐々にフェードアウトして、いつの間に企画自体がなくなっちゃうことも多いのだけど、堅調な売り上げに支えられて、どうやらこのまま完遂しそうである。
 可能な限りオリジナルの意匠を引き継ぐことで、後世の研究資料としても充分な価値はあるのだけど、ライトなビギナーが即購入するには、ちょっとハードルが高い。もっと気軽に聴ける環境整備が必要なのだ。
 アーティストへの配分還元比率など、まだまだ問題の残るサブスク配信だけど、広く浅く行き渡らせるためには、有効な手段ではある。せっかくのデジタルリマスター素材を最大活用した方が、さらにいろいろ展開できると思うのだけど。

 2023年5月時点での西城秀樹のサブスク配信事情を調べてみると、代表的なAmazonもAppleも共通してオリジナルアルバムはなく、しかも最もニーズの高い70~80年代の楽曲がゴッソリ抜けている。90年代以降を中心に全32曲、うちカラオケが7曲・別ヴァージョン4曲を含んでいるため、実質はたった21曲。Spotifyなんてほんとやる気ないのか、たった5曲しかねぇ。
 せっかくなのでダウンロード系も調べてみると、レコチョクはなぜかデビューアルバム『ワイルドな17才』が入ってる。他に70年代・80年代のシングルA面コレクションが入ってる分、一歩抜きんでているけど、でもそれだけ。iTunesとmoraは、サブスクと大差なし。
 年季の入ったファンならレコードやCDで持ってるだろうけど、若年層にとって試し聴きができないのは、ちょっと親切心が足りなすぎる。古参ユーザーの中にも、レコードもプレーヤーもずいぶん昔に処分しちゃったから、スマホで手軽に聴いてみたい人もいるだろうし。

i-img900x1200-1631711834nvfutu358421

 現在、ヒデキの音源・映像関連の販売はほぼソニーが担っているのだけど、どうにも腰が重い気がするのは、俺だけではないはず。賛否両論飛び交うサブスクに対して、明確なポリシーを表明している山下達郎や、権利関係が複雑そうなブルハやチャゲアスと比べれば、ハードルはそう高くないはずなのだけど、いまのところ解禁される話も聞かない。
 ちなみに同じ御三家括りで見てみると、
(郷ひろみ)
 シングル代表曲はもちろんのこと、デビューから最新シングルまで、ほぼすべての音源が配信済み。2021年、デビュー50周年を機に、全555曲を配信・ダウンロード共に解禁している。とにかく「5」にこだわるのが彼らしい。
(野口五郎)
 Amazonではデビュー曲「博多みれん」から今までの全シングル、アルバムは「シングルコレクション」のみ。iTunesとSpotifyはそれに加え、近年のカバー/セルフカバーアルバムが6枚。
 ロックポップス指向が強い前者2人と比べて歌謡曲寄りのイメージが強いけど、昨年の桑田佳祐らとのコラボで片鱗を見せていたように、実はミュージシャン気質の強い人である。中学時代から年齢詐称して、キャバレーのハコバンでギターの腕を磨いていたくらいだから、「自称」ロック程度のレベルでは、足元にも及ばないポテンシャルを秘めている。
 人気絶頂の勢いで、トニー・レヴィンやワディ・ワクテルをバックに従えたライブ実況盤や、ラリー・カールトンをリスペクトしたギターインストアルバムなど、洋楽ファンにも充分アピールできるアイテムが、実はまだ数多く眠っている。単なるオヤジギャグの人ではないのだ。

 決算期に無作為に適当にまとめたディレクター主導のベストはともかく、このアルバムのようにシティポップ・テイストで統一するため、一部新録も追加したコンセプチュアルなベストは、今後再発されるのだろうか。ビートルズも初CD化のおり、世界各国の独自ベストや、入門編の役割を果たしていた『Oldies』が廃盤になった。今回のプロジェクトも、包括的なオールタイムベスト以外は、そんな扱いになるのだろうか。
 まだアイドル以降のキャリア選択肢が少なかった時代、20代でポップス歌手を続けてゆくのは、今よりずっとハードルが高かった。ヒデキも独立以降、基本路線を歌手に据えたはいいけど、まずは事務所経営を軌道に乗せるため、来た仕事はなんでも拒まず受けざるを得なかった。
 シックで青臭さの抜けたヴォーカルスタイルと落ち着いたサウンドで統一された『Private Lovers』は、同時代のニューミュージックの作品と比べても遜色なく、アルバムアーティストとして成立している。ただ、この時代のヒデキの音源は、なぜか日本では正当に評価されていないのが惜しまれる。
 っていうか、広く行き渡ってないから、そもそも知られてないんだよ。もうちょっと考えようよ関係者各位殿。




1. ラストシーン

 76年にリリースされたシングルのリメイクヴァージョン。オリジナルはストリングスと女性コーラスによるムーディなアレンジで、この86年ヴァージョンもシンセの柔らかな響きにコンバートしただけで、基本構造は変わっていない。
 別離の迫ったカップルの対話を、松本隆は印象的なワンカットを時系列に沿って「木綿のハンカチーフ」を書いた。ユーザーそれぞれ、思い思いの映像を喚起させることで、ステレオタイプな歌謡曲との差別化を図ることができた。
 もともと作家志望でもあった阿久悠の書く歌詞は、すでに確固たるひとつの世界観で染められている。そのまま歌詞カードを読むだけで、すでにひとつのドラマとして成立している。
 人それぞれ解釈があるだろうけど、どんなテーマにおいても強いパーソナリティを放ち、「昭和」という時代通して痕跡を残してきた彼の刻む言葉は、とても重い。ほんと、「書く」というより「刻む」という表現が似合う人だ。

 にぎやかな 街の通りの中で 夢をみたように ぼくは泣いていた

 強い物語を求める昭和の大衆は、阿久悠の紡ぐ言葉を求め、幅広い支持を得た。流行り歌でありながら、強い筆圧を感じられる言葉と刹那に流されない物語、そして、それに応える歌手とのせめぎ合い。
 真剣に向き合わないと飲み込まれてしまう。書く方も演じる方も、そして聴く方も真面目だった、そんな時代。
 この歌を託された当時、まだ二十歳たらずだったヒデキの歌を聴いてみる。ハデな大サビもない曲構成なので、肩に入る力を無理に抑え込んでいる感が伝わってくる。いくら大人びていたとはいえ、そんなもんだ。
 それから10年、経験を積み視野を広げたことで、バラードへの向き合い方が明らかに変わっている。肩の力を抜いた穏やかな歌声からは、相手を思いやる包容力が漂っている。

249567779_pic1_full


2. 青になれ

 アルバム用に書き下ろされた新曲。シティポップなミディアムバラードからは、稲垣潤一テイストを感じさせる。歌謡曲テイストを含むメロディは程よいウェット感があって、30代以上には充分アピールできたんじゃなかろうか。
 2時間サスペンスドラマや刑事ドラマの主題歌としてシングル切れば、スマッシュヒットは狙えたんだろうけど、まだそこまでの営業力がなかったか個人事務所ゆえ。

3. You Are the Love of My Life

 初出は前年にリリースされた洋楽カバーアルバム『Strangers in the Night』。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのレコーディングに参加するくらいガチのジャズギタリストだったにもかかわらず、70年代に入ってからフュージョンに転身、80年代はもっぱらムーディーなブラコン職人として名を馳せていたジョージ・ベンソンのカバー。当時はチャラくて甘ったるいバラードと下に見てたけど、いまは一周回って大好物のR&B/クワイエットストームナンバー。
 クレジットがないのでデュエットの相手は不明だけど、多分、当時のレコーディングやライブでの常連メンバーだった、チバチャカこと鈴木晶子と思われる。同じく洋楽カバーに力を入れていた岩崎宏美とコラボしていれば、もうちょっと話題になったんじゃないかと勝手に思ってしまうけど、そういう機会はなかったのかね。「ミュージックフェア」あたりで共演済みかもしれないけど。

4. 君を三日間待っていた

 当時も美麗な王子様キャラではあったけど、まだネタっぽさがなくアーティスト臭が漂っていた、アルフィー高見沢による書き下ろし新曲。まだ研ナオコのバックバンドだった時代から親交があったらしく、ちょっと意外。まぁタカミーもビジュアル系だし元祖の部類に入るし、接点あっても不思議じゃないか。
 TOTOみたいなピアノバラードなアレンジは難波弘之。ストリングスを絡めたゴージャスなアレンジに対し、ややセンチでスケール感の小さい歌詞世界とのギャップを感じてしまう。もうちょっとポップなアレンジで良かったんじゃね?っていうのは大きなお世話か。

5. 悲しみのStill

 1983年にリリースされた46枚目のシングル。当時、スタジオワークでノリに乗っていた後藤次利による作曲・アレンジの歌謡ロック。
 ソリッドなロックビートとジャジーなフリューゲルホーン、要所要所で効果的なシンセワークなど、当時の最先端をバランスよく詰め込んだサウンドなのだけど、無難な歌謡ロックで終わってしまっているのが惜しい。うまく言えないけど、引っかかりが欲しい。
 シンガーとして脂の乗っている時期の作品なのだけど、いわゆる売れ線を狙った曲調がフィットしづらくなっているのがわかる。5年前くらいだったら、このコンセプトで充分通用していたと思う。

USDEP210607135902

6. レイクサイド

 なので、変にチャートを意識した、テレビ映えを意識した派手なアレンジより、むしろこういったしっとり歌い上げる楽曲の方が合っている。従来の激しくワイルドなヒデキからアーティスト西城秀樹へ移行する過渡期のバラード。
 前述バラード「You Are the Love of My Life」とアプローチ自体は同じなのだけど、ここでは盟友芳野藤丸がアレンジャーとして全面参加しているため、ヴォーカルの引き立て方は絶妙。クドくなる寸前でサッと引くギターソロを聴くと、良き理解者として接してきた彼のスタンスが見えてくる。

7. 抱きしめてジルバ

 オリコン最高18位のスマッシュヒットを記録した、ご存知ワム!「ケアレス・ウィスパー」の日本語カバー。以前『Myself』のレビューでも書いてるけど、同時期に郷ひろみも同曲をカバー、こちらは最高20位と僅差でヒデキに軍配が上がっている。まぁ大した差ではないんだけど。
 そこそこ意訳も入ってはいるけど、比較的オリジナルに忠実な日本語詞は、歌謡曲とも共通点の多いシンプルなハートブレイクストーリーのため、日本人も感情移入しやすい。蒼さの抜けた年齢になってこそ、リアルな情感を込めて歌えるテーマなので、ある意味、ベストなタイミングで巡り会えたんじゃないかと。




8. パシフィック

 初出は84年、48枚目のシングル「背中からI Love You」のB面としてリリース。タイトルから連想するように、穏やかなリゾート感あふれるAORバラードとして仕上げられている。
 山下達郎というよりはむしろ村田一人っぽい、グルーヴ感薄めなアンサンブルが、強いインパクトのヒデキのヴォーカルと好対照なコントラストを作り出している。手がけたのは後藤次利。やればできるじゃん、こういうのも。

9. うたかたのリッツ

 アルバムリリースの時点で最新シングルだった「約束の旅〜帰港〜」のB面。この時期のヒデキのシングルは、歌謡曲でよく見られるB面感、取って付け足した感が薄く、A面にも匹敵するクオリティの楽曲が多い。ひいき目抜きにして、ほんとそう思う。
 異国情緒満載の歌詞世界はちょっとマイナーで、マスへの訴求には大きく欠けるけど、サウンドやメロディはしっかり作られている。おそらくビギナーには地味に聴こえてしまうだろうけど、ヒット曲一巡してから隠れ名曲としてだったら、アリかもしれない。

10. 約束の旅〜帰港〜

 で、こちらがA面。もともとは84年リリース『GENTLE・A MAN』収録曲のリメイク。朝ドラ主題歌に起用されたため、再度アレンジも練り直しヴォーカルも録り直されているのだけど、近年の朝ドラ感はまったくない、むしろ日9日曜劇場のエンディングの方がふさわしい、そんな壮大な直球バラード。
 書き下ろしの新曲じゃなくて既存曲を大きなドラマで使うのは、現在でも異例であり、NHKが気に入ったのかヒデキの強い意向だったのか、そっちが少し気になる。いい曲であるのは間違いないんだけど、朝8時台に合ってるかといえば、ちょっと微妙。

11. ポートレイト

 再び『GENTLE・A MAN』より。歌謡曲のフィールドを超えて、「西城秀樹」というシンガーを自己分析、最良の楽曲とアンサンブル、そして歌詞との有機的結合を目指したアルバムとして、また俺が彼に再注目するきっかけとなったアルバムのラストを飾るバラード。
 西城秀樹という、日本を代表するシンガーの成長過程を辿ってゆくと、いくつかのターニングポイントがあるのだけど、サウンドアプローチとヴォーカルスタイルの幸福な邂逅が見られるのが、このアルバムだった、と俺的に思ってる。安易なシンクラヴィアでは太刀打ちできない、精緻なアンサンブルと大胆不敵な歌声。
 硬軟取り混ぜた歌声の妙は、天性の感覚と地道に積み上げられたキャリアに基づいている。こういった歌を歌える経験と環境を手に入れるため、彼は努力を惜しまなかった。

12. 夢の囁き
 86年のアルバム『FROM TOKYO』収録のジャジーなバラード。ここまで「生楽器メイン+フワッと味つけ程度のシンセ」主体だったサウンドに比べ、ストリングスが大きくフィーチャーされており、ちょっと重厚感がある。
 この時期のエモーショナルなヴォーカルを聴くことができる貴重なトラックという見方もできるけど、せっかくなら書き下ろしでミディアムバラード入れた方が収まり良かったんじゃね?と勝手に思ってしまう。むしろこのコンセプトで曲数増やしてミニアルバム作った方が、また別の魅力が伝わったんじゃないか、と。
 CD復刻一巡したら、新たな視点で、こういったテイストの曲集めたコンピ作るのもアリかもしれない。普通にバラードベストだったら、ニーズはあると思う。










秀樹のCD復刻プロジェクトについて、今後の要望やら疑問やら、その他もろもろ。 - 西城秀樹 『Myself』


Folder

 秀樹ファンにはとっくに周知されているはずだけど、今年から大々的なCD復刻企画がスタートした。オリジナル・アルバムはもちろん、これまで完全な形でのリイッシューがなかったライブ・アルバムも含め、順次紙ジャケ仕様でリリースされている。
 マニアックなリイッシュー企画だと、カセット・オンリーの音源やファンクラブ限定のソノシート音源など、とにかく声が入ってるアイテムをかき集めて、ボーナス・トラックに収録するケースもあるのだけど、今回の秀樹は、そういうのはなし。オリジナル意匠の忠実な再現をコンセプトとしているらしい。
 第3期まで発表された現時点では、1・2期がデビューから70年代のオリジナル、3期がライブ5枚と、緩やかな時系列に沿って、それぞれテーマ別で編纂されている。安直なベストやカセット企画は除外されるようだけど、おおよそ50枚を2年かけて復刻してゆく壮大なプロジェクトとなっている。
 Twitterのタイムラインの盛り上がりから見て、売れ行きも上々らしく、デアゴスティーニみたいにフェードアウトしてしまうことはなさそうである。デビュー50周年を迎え、本人不在は残念なことだけど、映像方面の発掘も進んでおり、結構な波及効果を生んでいる。
 熱狂的なファン層の厚みがそこそこあったにもかかわらず、他の同世代アイドルや歌謡曲シンガーと比べて、秀樹のリイッシュー状況は大幅に遅れている。サブスク界隈だと、iTunesでは70・80年代のシングル・コレクションとデビュー・アルバムは配信されているのに、Amazon Musicは後期のシングルが少しだけ。
 今回のリイッシュー音源が配信されそうな気配は、今のところなさそうである。何でだろ。

 iTunesのラインナップが象徴するように、秀樹のアーカイブのニーズは基本、全盛期とされる70年代の作品に集中している。あとは「ギャランドゥ」までの80年代シングル、「走れ正直者」、付け加えてターンAガンダムの主題歌、ってところか。
 多少の差異はあるにせよ、近年流通している秀樹のベストは、概ねこの辺の楽曲を中心に構成されている。リリース状況が活発だった80年代のシングルまでは、どうにかコンパイルされているけど、90年代以降はリリースも不定期だったため、アルバム単位でのパッケージが難しかった。この辺をどうまとめるかが、今後の課題だろうな。
 wikiのディスコグラフィーを参照してみると、94年のボックスセット『HIDEKI SAIJO EXCITING AGE '72-'79』にて、現時点まで復刻されたオリジナルがCD再発されている。99年には、そのうち初期4枚が分売、さらに、70〜80年代のライブ・アルバムを6枚組にダイジェストした『HIDEKI SUPER LIVE BOX』がリリースされている。
 94年と99年に何がしかのアニバーサリーがあったのかは、ちょっと不明。多分に、94年は10年ぶりの紅白出場、99年はレコード会社の移籍があったので、その辺がちょっと絡んでいたと思われる。
 前述したように、コンセプト色の薄い、レコード会社のリリース計画の穴埋めで制作されたようなベスト・アルバムは、リイッシュー予定から除外しているらしい。現時点で復刻されたベストは、79年の『YOUNG MAN/HIDEKI FLYING UP』のみ。
 収録内容を見てみると、タイトルが象徴するように「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」大ヒットにあやかった、70年代後半のシングル中心のベストであり、すごいレア音源が収録されている風でもない。なんでコレだけ復刻されたんだろ。。謎だ。しかも、95年にもベストでは唯一、コレだけCD再発されている。

AS20180517005564_comm

 これまでの再発ラインナップからわかるように、70年代の秀樹のアルバム・リリースは、そりゃもうとんでもないペースだった。秀樹に限らず、トップグループはみんな、年間シングル4枚、アルバム3〜4枚リリースがデフォルトだった。
 ほぼ毎月、何らかのニュー・アイテムによって、レコード店の売れ筋エリアを死守することが、レコード会社の営業戦略の柱だった。とは言っても、過密スケジュールの彼らがレコーディングに避ける時間は限られており、オリジナル・アルバムは2枚が限界で、残りはライブやベスト盤で埋め合わせるのが実情だった。
 極端な話、一発録音でどうにかなってしまうライブ盤は、制作期間も短くて、リリース計画の埋め合わせとして好都合だった。70年代アイドルはやたらライブ盤が多いのだけど、そういう事情もある。
 80年代に入ると、案外ニーズがなかったのか、どのアイドルもライブ盤のリリースは少なくなってゆく。言っちゃ悪いけど、リリース点数を稼ぐためには、製作コストも少ないライブ盤は適しているはずなのだけど、これがちょっと疑問。誰か知ってる人いたら教えて。
 で、秀樹に話を戻すと、80年代に入ってからは世代交代もあって、リリース・ペースはだいぶ落ち着いた。レコード会社による企画ベストやコンピは相変わらずだったけど、オリジナル・アルバムには自身の意向が強く反映されるようになった。
 シングルの楽曲コンペでの発言権も増し、カバーする楽曲についてのプレゼンも自ら行なうようになってゆく。アルバム制作においても、自らコンセプト立案して企画書を作り、時にクリエイターを自ら指名したり、積極的にプロデュース活動を行なっている。
 そうなると、アルバムごとに手間暇がかかり、いきおい制作期間は長くならざるを得ない。ディレクターのお膳立てに沿って、スケジュールをこなすだけのレコーディングならともかく、それなりのベテランになると、自己プロデュース能力が求められるし、ディテールへのこだわりも、挙げればキリがない。

 ビートルズのアルバムが初CD化される際、EMIとアップルはアーカイブの抜本的な見直しを断行した。それまで世界各国、本社未公認で乱発していたベスト盤やコンピレーションを廃盤にし、UK仕様オリジナルに統一した。
 当時、定番ベストとされていた『Oldies』や赤盤・青盤がその煽りを食らい、市場から回収された。入門編の役割を果たす赤盤・青盤は、のちにリイッシューされたけど、各国で意匠を凝らした未公認盤の多くは、一部を除き未CD化のままだ。
 今回の秀樹のプロジェクトも、ビートルズ同様、アーカイブを時系列で整理し、カタログを一本化することでスタンダードとする構想が見えてくる。秀樹亡き後に立ち上がった企画ゆえ、遅きに失した感は否めないけど、一歩前に進んだだけでも良しとしなければならない。
 今後のリリース計画としては、カバー・アルバムも対象としているようだけど、こういうのって許諾関係が最大の障壁なので、こっちは時間がかかりそう。70年代の音源も、オリジナル・アルバムだけではすべてを補完できないはずなので、今後、何がしかの形でオリジナル・コンピの企画が控えているんじゃないかと思われる。
 ここで微妙なポジションとなってくるのが、80年代以降のベスト・アルバム。スーパーやホームセンターのワゴンに並んでいたカセット企画なんかは論外として、ある程度、秀樹の意向が反映されていると思われるコンピはどうなるのか。

D5XXKrpUcAURiMv

 で、『Myself』。思いっきりベストである。
 83年から84年のシングル中心にコンパイルされており、B面曲やアルバム楽曲も収録されている。当時の秀樹が志向していた、アイドル以降のAORテイストのサウンドで統一されており、トータル性を考慮した選曲になっている。
 ただレア曲や目新しさには欠けているため、リイッシューの基準としてはボーダーぎりぎりなんじゃないかと思われる。はっきり言っちゃえば80年代シングル・コンピで間に合っちゃうわけだし。
 84年のコンピレーションはもうひとつ、『背中からI Love You』があるのだけど、こっちは「ローラ」や「情熱の嵐」など、全方位的な選曲となっており、統一感はちょっと薄い。「ギャランドゥ」だけではインパクトが弱いので、保険として70年代ヒットを入れたんだろうけど、それが災いして散漫な作りなんだよな。こっちも再発は微妙だ。
 コンセプチュアルなベストという意味合いで『Myself』を取り上げたのだけど、でもコレ、ジャケットは地味なんだよな。シングル「抱きしめてジルバ」をそのまま引き延ばした、正直、あまり売る気が感じられないデザインである。
 85年のオリジナル『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、「西城秀樹」というアイドルの先入観を払底するため、ジャケットから名前やポートレイトを排除した。そんな意向の延長線上でのアートワークだったんじゃないかと思うのだけど、でももうちょっと飾り立ててもよかったんじゃね?とも思ってしまう。

 ニューミュージックのアーティストにも見劣りしない、強いこだわりを持って作られた80年代のアルバムと並行して、秀樹はシングルにも同様の熱量を込めて製作にあたっていた。シングル・リリースにおいては、ある程度の商業的成功が前提としてあり、多くの場合はアベレージをクリアしていたと思われる。
 80年代に入ってからは、松田聖子が先鞭をつけたことで、それまで存在が薄かったアイドル/歌謡曲のアルバムにも注目が集まるようになった。ただ、70年代デビューの秀樹がその恩恵を受けることはなく、ほぼ黙殺されていた。
 人的時間的コストに見合う対価が得られなかったことで、80年代中盤以降、秀樹のリリース・ペースは緩やかになってゆく。オリジナルの製作コストを補填するかのように、70年代中心のベストは、絶えず市場に供給されていた。
 その間もシングルはコンスタントにリリースしていたのだけど、セールスは想定以上に伸びず、過去のヒット曲ばかり流通する状況が、しばらく続くことになる。この時代の音源を聴いてみると、ハンパな自称アーティストと比べて、そのクオリティの高さにビックリしてしまうのだけど、当時は気づかなかったんだよな。
 なので、80年代のリイッシューは、オリジナルだけを単純に復刻しても、その全貌はつかみづらい。ある程度、テイストの近い楽曲を中心に編纂したテーマ別ベスト、『Myself』と『HIDEKI SAIJO』をラインナップに入れることで、初めて「時系列で補完できた」と言える。
 アルバムとアルバムの間のミッシング・リンクを繋ぐこの2枚は、80年代秀樹を知るにおいて、はずせないアイテムである。だからお願い、復刻してください。よろしくお願いします。





1. 抱きしめてジルバ - Careless Whisper -
 1984年にリリースされた49枚目のシングル。世間的には、この次の50枚目のシングル「一万光年の愛」の方がアニバーサリー的な盛り上がりだったため、あまり印象に残りづらかったかもしれない。
 時系列を調べてみると、本家ジョージ・マイケルのシングル発売が7月で、秀樹が10月なので、発売前から音源を入手し、即断即決でレコーディングに踏み切ったんじゃないかと思われる。かなりディープな洋楽マニアだった秀樹、おそるべし。
 ちなみに盟友:郷ひろみも11月に両A面シングル「ケアレス・ウィスパー」をリリースしており、ごく一部でカバー対決として盛り上がりを見せたらしい。実際に「夜ヒット」でそんな企画で2人が出演したらしいけど、まぁ優劣がどうというものでもない。この頃になると、もはや2人とも別路線だし、たまたまカバー曲がかぶっただけのことだし。
 オリジナルについては、誰でも一回くらいは聴いたことがあるはずなので割愛するとして、2つのカバーの特徴について。
 秀樹:うまく緩急使い分けた、ソウルフルなジョージのヴォーカルに対し、バラード・パートはほぼ同じだけど、力のこもる大サビ・パートでは、もともとのロックの熱くたぎる血がほとばしる。当時、常連スタッフだった森田由美による訳詞は、アダルティな秀樹のアーティスト・イメージに寄せつつ、オリジナルにほぼ忠実。
 GO:作詞クレジットの「ヘンリー浜口」は、彼のペンネーム。怪しげな日系三世みたいで、センスが疑われる。御三家の中では歌唱力はやや劣るとされていたGOも、アダルト路線の楽曲が中心だったこの頃は、普通に歌いこなしている。ただ、高音パートやファルセットがちょっと弱いかな。
 オリジナルのストーリーに縛られず、比較的自身の解釈を多めに入れた歌詞になっているのだけど、「一人でいい あなたの子供 産んでみたいの」やら「死ぬほど愛した女は お前だけなのさ」というフレーズは、旧来の歌謡曲の作詞作法をそのまま持ち込んだ感があって、ちょっとミスマッチだな。誰か言ってやれるスタッフいなかったのか。
 ちなみにオリコン・チャートでは、秀樹が18位でGOが20位。まぁそんなに変わらない。




2. 哀しみのStill
 83年リリースの46枚目シングル。オリコン最高29位、デビュー以来、初めて売り上げ5万枚に届かなかったシングルという、不名誉な称号がある。この時期の「ベストテン」は、圧倒的に女性アイドルとジャニーズの力が強く、中堅どころである秀樹もGOもチャート的には奮わなかった。
 アダルトでAORなテイストのサックスと、ブイブイ響くチョッパー・ベースの連打のミスマッチ感は、いま聴くとキッチュでオツだね~ってところなのだけど、まぁこの時代だとお茶の間では受け入れられづらい。それをわかって我流を通しているんだから、ある意味、確信犯だよな後藤次利。

71iPoxwXw2L._AC_SX355_

3. ジェラシー
 「抱きしめてジルバ」のB面としてリリースされた、こちらも後藤次利による楽曲。正直、「悲しみのStill」より、こっちの方がシングルっぽい。基本の歌謡ロック・サウンドに森田由美によるドライな歌詞、ハードロック・テイストのギター・ソロは、多分吉野藤丸だと思うけど、短いサイズながらここぞとばかり、強烈なインパクトのプレイ。
 その辺の詳しいクレジットも知りたいから、『Myself』を復刻してほしいのだ。安直なシングル・コレクションだったら、そういうのって端折られるからね。

4. 背中からI Love You
 この時期は後藤次利がお気に入りだったのか、また登場。シャッフル・ビートで歌う秀樹は、なんか尾崎豊みたい。ほどよい歌謡テイストとパーティ・ソウルのアレンジは相性がいいんだけど、オリコン最高30位。もうちょっと売れてもよかったはずなんだけどな。
 前のめりなアップテンポ・ナンバーに森田由美は馴染まなかったのか、当時、チェッカーズで上り調子だった売野雅勇を起用しており、このキャスティングは正解だったと思う。時代を超えたサウンドとは言い難いけど、少なくとも80年代の享楽感を味わうには程よいトラック。

5. パシフィック
 「背中からI Love You」のB面で、作詞・作曲とも同じコンビでのトラック。一転してリゾート・テイストなバラードで、タイプは全然違うけど、これも味わい深い。
 こういった80年代LAサウンドも守備範囲だったのが当時の秀樹の特質であり、歌謡曲畑では異色の取り組みだったと言える。先入観抜きで聴けば上質のシティ・ポップなんだけど、彼の試みを受け入れる環境がなかったのが悔やまれる。

kizudarake2

6. Winter Blue
 47枚目のシングル「Do You Know」のB面収録曲。なんと作曲は秀樹本人。
 A面がオールディーズのリメイクだけど、普通なら裏表逆なんじゃね?って思ってしまうのだけど、何か思うところでもあったのだろうか?多くのアーティストがカバーしてきた「Do You Know」、確かにそこそこ知名度はあるけど、正直、地味なバラードだし、「秀樹初の自作曲シングル」って名目でA面リリースすれば、そこそこ話題にもなったはずだけど。
 ただ、実際に聴いてみると、際立った特徴も見当たらない、いわば置きにいったようなポップ・バラ―ドなので、その辺で秀樹が遠慮しちゃったのかもしれない。

7. Do You Know
 で、こっちがA面。「そこそこ知名度がある」ってさっき書いちゃったけど、実は秀樹ヴァージョンを聴くまで知らない曲だった。尾崎紀世彦がカバーしてヒットしたらしいけど、さすがに彼までは俺、フォローしてない。
 もともとは、オリジナル・アルバム『GENTLE・A MAN』の先行シングルとしてリリースされたこの曲、オリコン最高30位と地味なアクションだった。イヤいい曲ではあるんだけど、でももっといい曲があるんだよ、このアルバム。
 それについては以前書いてるので、どうぞこちらで。




8. ギャランドゥ
 言わずと知れた秀樹80年代最大のヒット曲。オリコンは最高14位だったけど、もんたよしのりによるファンク・テイストを交えた軽快な歌謡ロックは、唯一無二の存在感をアピールし、そして「ギャランドゥ」という隠微な代名詞の普及にも大きく貢献した。
 ちなみにギャランドゥ、語感とフレーズが一致しただけで何の意味も由来もないらしいけど、それが何でかあんな俗語に発展してしまったのか。いろいろな説が流布しているけど、考現学・現代風俗の考証としては、興味深い題材ではある。
 秀樹自身のことを言えば、ちょうど芸映から独立後、初のシングルであり、何が何でもヒットさせる必要があった。あったのだけど、変に時代におもねったり媚びたりするのではなく、あくまで自分のやりたい音楽にこだわったことが、結果的に大きな成功につながったと言える。
 正直、アーティスト・パワーとしてはピークを過ぎていたもんたに楽曲を依頼するのはリスキーだったはずだけど、彼もまた、秀樹の心意気に打たれて、一世一代の名曲を書き下ろすことができた、と解釈すべきだろう。強烈なパーソナリティを持つ2人のコラボレーションが化学反応を作り出し、類似例のない楽曲が生まれた。
 確かにこんな曲、後にも先にも似た例がない。

ee75c98a

9. ナイトゲーム
 去年、アナログ再発で大いに盛り上がった、秀樹45枚目のシングル。オリジナルは、80年代、アルカトラスやマイケル・シェンカー・グループで名を馳せたグラハム・ボネットによるもので、ヘヴィメタはとんと明るくない俺でも知ってた有名曲。といっても洋楽ファンだけだけど。
 オリジナルはベテラン前田憲男による、ブラスも入れた歌謡ロック・アレンジだけど、2020年ヴァージョンは未発表ヴォーカルに加え、バック・トラックは日本のメタルバンド:アンセムが担当、さらにオリジネイターのボネット本人がコーラス参加という、めちゃめちゃ濃い豪華仕様。でも、初回分は完売で、気軽に聴ける手段がもうないんだよな。
 『Myself』復刻時に追加トラックで収録されるのか、はたまた別枠で準備中なのか。その辺も今のところ不透明なんだよな。まぁ期待しよう。

0310145328_60485ed895c8e

10. Love・Together
 『GENTLE・A MAN』収録曲より。珍しく女性とのデュエット曲で、歌うはチバチャカこと鈴木晶子。この時期のレコーディングやライブでの常連メンバーなので、気心知れて息も合っている。
 歌謡界のベテランとして、これまでもデュエットのオファーはあったはずだし、また、秀樹ならもっとネーム・バリューのある歌手とのコラボも可能だったはずなのだけど、敢えてツアー・メンバーとのデュエットを選んでいるところから、楽曲との相性やクオリティを優先していることが窺える。ヒット性を考慮するならあり得ない選択なんだけど、そのこだわり具合が秀樹たる所以なんだろうな。

11. 陽炎物語
 「ナイトゲーム」のB面収録曲。ロック調の楽曲で抜擢されるのは後藤次利と決まっており、こちらもヘヴィ・ロックのテイストで、しかもバラード。こうやって書いちゃうと食い合わせ悪そうだけど、そこを強引にまとめてしまうのが、80年代ヒットメイカーだった後藤の力技。
 和のテイスト漂う森雪之丞の歌詞は、正直、サウンドとの相性はイマイチなんだけど、そんな逆境をさらに強引にまとめてしまう秀樹のヴォーカルの力。そう考えると、秀樹がすごく頑張っている作品と言える。

12. ロマンス - 禁じられた遊び 
 ラストは「ギャランドゥ」のB面収録曲。なんかこの曲だけ、異常に古く際。70年代と錯覚してしまうような、それでいてあからさまなオーケストラ・ヒットがアクセントで入っていたり、なんか「ヤングマン」のパロディみたいなアレンジがあったりして。
 って思いながらクレジットを見ると作詞作曲にJ.lglesiasの名が。フリオ・イグレシアスだ。この頃は世界を股にかけたディナー歌手として、また各国に多くの愛人を持つジゴロとして女ったらしとして、楽曲よりもそういったゴシップ関連の方が有名だった、あのフリオ・イグレシアス。
 彼の肩を持つわけじゃないけど、なんでこんな変な人生応援歌みたいなアレンジにしちゃったんだろう。ていうか、「ギャランドゥ」に見合う楽曲、他になかったのか。
 さらにさらに、何もこのコンピレーションに入れる必要があったのか。それなら『GENTLE・A MAN』からもう一曲くらい入れてくれよ、と言いたい。






80年代の西城秀樹をちゃんと聴ける環境を作ろう。 - 西城秀樹 『FROM TOKYO』

400_400_102400 去年書いた西城秀樹:80年代シティ・ポップ期のアルバム『GENTLE・A MAN』『TWILIGHT MADE …HIDEKI』のレビューが大きくバズり、洋楽関連が多かった俺のTwitterのタイムラインは大きく変化した。レビューに対して、リツイートや「いいね」してくれると、ほぼ無条件でフォロバする主義のため、フォロワーはヒデキのファンがかなりの割合を占めている。
 なので、ほぼ連日、ヒデキのメディア情報に加え、熱いヒデキ愛にあふれた様々なツイートを目にしている。没後2年経っているにもかかわらず、その勢いは衰えることを知らず、ますます盛り上がりを見せている。
 このブログは歌謡曲からジャズ・ファンク、それこそちあきなおみからウェルドン・アーヴィンまで、節操なく幅広いジャンルを取り上げている。なので、様々なジャンルのフォロワーの声を聞く機会も多いのだけど、ヒデキ・フォロワーの熱量は、そんな中でかなり高い。
 「ヒデキLOVE・好き好き」といった他愛もないつぶやきもあれば、どこから引っ張り出してきたのか、古い雑誌のピンナップや記事画像、または古いビデオ動画も盛んにアップされていたり、なかなかの賑わいとなっている。
 過去の情報・マテリアルを丹念に拾い集め、そしてより分ける。時系列でもテーマ別でも、ある種の一貫した基準でまとめ上げることで、散逸した情報は、固有の価値基準として生まれ変わる。
 それはひとつの考現学となり、また商品としての付加価値となる。精力的な活動を続けたヒデキのアーカイブは膨大であるけれど、きちんとした検証作業が行なわれるようになったのは、ほんとつい最近のことである。
 ここ1年の間に、若き日の写真集『HIDEKI FOREVER blue』、1985年のライブBlu-ray 『’85 HIDEKI SPECIAL IN BUDOHKAN -For 50 Songs-』が発売された。判で押したようなヒット曲中心のベストでお茶を濁すのではなく、ヘヴィー・ユーザーを満足させるコンテンツの提供に、やっと本腰を入れるようになったのだろう。
 そういった姿勢は、素直に喜ぶべきことであって。

6b63efba455ee500e44b183cf27e6c91

 ヒデキにまつわるツイートのほとんどは、様々な出演記録やエピソードに基づく、あふれんばかりのリスペクトが多くを占めている。斜め上からの否定的な意見や、アンチによる荒らしなどは、ほとんど見たことがない。
 これだけ知名度もあって評価も確立されたアーティストゆえ、悪意や揶揄混じりの意見が出てもおかしくはないのだけど、ほんとそういったのは目にしない。これは結構すごいことである。
 多くの夭折したアーティスト同様、ヒデキもまた皮肉なことに、没後から再評価が進んでいる。過去のドラマや映画出演、歌番組のアーカイブが商品化され、異例の売り上げを記録している。きちんとマーケティングすれば利益が出るコンテンツとして、需要は根強いのだろう。
 ただ肝心のところ、メインの活動である音楽面については、いまだ正当な評価が進んでいない。ていうか、評価対象となるアーカイブの整理作業が、あまり進んでいないのが現状だ。
 これが女性アイドルの場合だと、思うにディレクターの熱量や思い入れが強いのか、結構な博覧強記振りのアーカイブ構築が進んでいる。ファンクラブ限定のカセット音源やラジオのCMスポットまで、とにかく録音されたモノはすべてかき集めてボーナス・トラック化するマニアック振りなのだけど、ヒデキにおいては今のところ、そのような動きは見られない。
 煩雑な権利関係や社内事情、テープの保存状態如何にもよるので、レコード会社だけに責任を問うのは、ちょっと早計である。あるのだけれど、でももうちょっと、メディアの方から盛り上げてもよろしいんじゃないかと。

 とはいえ、「ヤング・マン」や「ローラ」や「情熱の嵐」や「走れ正直者」など、パッと聞かれて誰もが即答できるヒット曲が複数あるだけ、ヒデキはまだ恵まれている方である。あるのだけれど、メジャーな楽曲ばかりクローズアップされ、その他がないがしろにされている状況がもどかしいのだ。
 ヒデキに限ったことじゃないのだけど、70年代の歌謡界において、楽曲クオリティが論議されることは、ほぼなかった。「売れた曲」が「いい曲」で、キャッチーで覚えやすいサビを持つのが、「名曲」の条件だった。
 内輪のコミュニティ・レベルでは、ミュージシャン・クレジットへの言及やインスパイアされた洋楽などの分析も行なわれていたのかもしれないけど、外部へ拡散するほどの波及効果はなかった。そもそも、「歌謡曲の批評」という視点、論ずる土壌がなかったのだ。
 賞味期限が短く、早いスパンで消費されていたため、「多くの歌謡曲は、流れ作業で安直に作られている」というのが、近年までの定説だった。シングルこそ、著名なヒット・メイカーにオファーしたり、さらに楽曲コンペで候補を厳選したりはするけど、「B面曲やアルバム収録曲には、そこまで予算も時間もかけなかった」とされていた。まぁ大方は事実。
 歌謡界のセオリーとして、「シングル音源の二次利用」という扱いだったアルバムゆえ、予算も時間も限られていたのは事実だけど、だからといってすべてがすべて、手を抜いて作られていたわけではない。限られた時間の中、「最低限、歌手の声が入っていれば、何をやってもオッケー」という条件を逆手に取って、レコーディング・スタジオは大胆な発想と果敢な実験精神にあふれていた。
 以前も書いたけど、『サージェント・ペパーズ』のぶっ飛んだ解釈が伝説となった大場久美子、有名どころでは、いしだあゆみのブランドを利用して、従来歌謡曲とは別次元のサウンドをねじ込んだティン・パン・アレイなど、ディレクターやスタジオ・ミュージシャンらの暴走による怪作・奇作は、枚挙にいとまがない。
 まさか30年後、菊池桃子/ラ・ムーが海外ディガーのマスト・アイテムになるだなんて、当時は一体、誰が予想したことだろう。

51ElhaHlpkL._AC_SY355_

 80年代のヒデキのシングルで、一般的に知名度が高いのが「ギャランドゥ」、次に「抱きしめてジルバ」といったところだろうか。ちょっと地味なところでは、なぜかスティーヴィー・ワンダーの、なぜか地味曲カバー「愛の園」、当時はオフコース・ファンの間では名曲認定されていた「眠れぬ夜」カバーも追加で。
 80年代に入ってからは、アイドルの世代交代も進んでいたため、ヒデキがチャート上位に食い込める確率は、大幅に減っていた。どの曲もそこそこのスマッシュ・ヒットで終わっており、アイドルとしてのピークは明らかに過ぎていた。
 1983年、所属事務所からの独立以降は、歌手に限定せず、テレビの司会や俳優業の割合が多くなってゆくのだけど、リスクヘッジを考えた経営者目線で言えば、間違った選択ではない。結果的に仕事の幅を広げたことで新たな人脈も生まれ、その後の息の長い活動に結びついている。
 歌番組への露出が減り、芸能界的な仕事が多くなっていた80年代のヒデキ、大きなヒットに恵まれることはなかったけど、それでも音楽活動は地道に続けている。ディスコグラフィーを見ると、独立後初のシングル「ギャランドゥ」以降、ほぼ年2〜4枚のペースでシングルをリリースしている。思ってたより出していたのは、ちょっと意外だった。
 通常、シングル3か月:アルバム半年とされる、アイドルのリリース・ペースに対し、80年代のヒデキのアルバムは年1枚前後だけど、今回調べてみると、全盛期の70年代も年1ペースだった。ここにライブやベスト盤が追加されて、なんだかんだで年3枚程度にはなるのだけど、一貫して年1だったのは、ちょっと驚きだった。
 安易な水増しや量産を潔しとしない、事務所やブレーン、そしてヒデキ本人の強いこだわりだったのだろう。

 上質な和製AORサウンドで彩られた前作『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、元来洋楽志向が強かったヒデキの音楽センスが、強く反映された力作となった。なったのだけど、歌謡曲のサウンドとしては垢抜け過ぎ、選民的なジャパニーズ・ロック/ポップスのメディアからは徹底的に無視され、セールスも反響も芳しいものではなかった。
 「歌謡曲のアルバム」というエクスキューズ抜きで評価してもらうため、「西城秀樹ブランド」を前面に出さないプロモーション戦略を取ったにもかかわらず、当時の音楽メディアは意固地で排他的で性格がねじ曲がっていた。従来の固定ファンは無条件で受け入れたけど、ライト・ユーザーにまで波及するほどの勢いはなかった。
 ただ、ヒデキが描く「アイドル以降の大人の歌」というビジョンは、確実に具現化されており、製作現場やレコード会社の反応は良かった。クオリティ的にある程度の成果を残したこともあって、コンセプトは引き継がれ、次作『FROM TOKYO』へ発展する。
 アーバンでトレンディな80年代中盤の東京の空気感を表現するため、ヒデキが選択したのは、リズムを主体としたダンス・チューン中心のサウンド・プロダクトだった。当時、一時的なセミ・リタイア状態で、もっぱら裏方に徹していた吉田美奈子を前作に続いて起用したこともあって、ブラック・コンテンポラリー/R&Bへの接近が著しい。
 一般的にヒデキのパフォーマンス・スタイルといえば、ロッド・スチュワートやミック・ジャガーをモチーフとした、ロックのイメージが強い。強烈なエモーションを含んだ、リミッターを外したシャウトが、ステレオタイプの「西城秀樹」として広く認識されている。
 ただ70年代の作品でも、複雑なシャッフル・ビートを多用した「ブーツを脱いで朝食を」や、スケール感あふれる壮大なバラード「ブルースカイブルー」など、高度な表現力を駆使した楽曲がある。「ほとばしる熱情」というイメージはあくまで一面でしかなく、アイドルの枠を超えた早熟なエンターテイナーというのが、シンガー:西城秀樹の実像なのだ。

4926235_1

 もともとデビュー時点から、アイドル特有のバブルガム・ポップではなく、洋楽サウンドと歌謡曲メロディを強引にまとめた、ハード・ロック/ブラス・ロック主体のシングルが多かったヒデキであり、その傾向は自身の趣味・嗜好と一致していた。年齢を経ることによって、そのコアが変わることはなかったけど、新たなジャンルの吸収・異ジャンルのミュージシャンとの交流によって、嗜好の幅は広がった。
 このアルバムでも見られるように、派手なホーン・セクションや四つ打ちビートに頼らない、洗練されたブラック・ミュージックをソフトに、それでいてエモーショナルに表現できるようになったことは、シンガーとしての成長である。背伸びして歌っていたバラードも、年相応にしっくり馴染み、気負わず歌えるようになった。そして、その歌を活かせるサウンド・メイキングにも、深く関われるようになった。
 前作同様、セールスも評判も芳しいものではなかった。ただこのアルバムに限らず、80年代の西城秀樹が残した作品はどれも、同時期に勃興したバンド・ブームのアーティストよりも、ずっと挑戦的である。上辺だけ取り繕った、安易なマーケティングに基づいて構成された時代のあだ花より、丁寧に作られたサウンド・プロダクトは、深い傷跡を残す。
 今年に入ってからも、いち早くアルカトラスをカバーした1983年のシングル「ナイトゲーム」が再発されている。リマスターされた当時のバック・トラックに、ヒデキの未発表ヴォーカル・トラックを載せ、さらにオリジナル・シンガーのグラハム・ボネットがバック・ヴォーカルで参加という、ちょっとなに言ってるかわかんない状態になっている。誰も思いつかないすごい企画であるのと同時に、それがきちんと売れちゃってるのだから、もはや潜在ニーズと言えないところまで来ているのだ。
 ほんとはこういった動きを、もうちょっと深く突っ込んで語りたいのだけど、あいにく80年代を総括したコンピレーションもなければ、実はこの『FROM TOKYO』、2020年時点では今どき配信もされていないため、気軽に聴くことはちょっと難しい。辛うじてiTunes に80年代のシングルA面コレクションがあるけど、単にリリース順に並べているだけなので、何とも芸がない。さらにAmazon Musicときたら、ガンダム関連や90年代以降がごくわずか、といった体たらくである。
 「ニーズがない」というのは考えづらいので、「再発や配信の条件すり合わせが捗っていない」というところなのだろう。映像も含めた再発プロジェクトはそこそこ順調なので、近い将来、公開されるのだろうと信じたい。





1. CITY DREAMS FROM TOKYO
 フュージョン系のギター・ソロに絡まる、軽快なシンセ・ドラム。前作に続き起用となったMAYUMIの曲をトップに据えたことから、あくまで楽曲重視で選曲されたことが窺える。やたらアーバンでトレンディでセクシーなオケを作ったのは、まだアイドル仕事がメインだった頃の鷺巣詩郎。この前、久しぶりにバラエティのロケに出ててビックリしたな。
 初出はシングル「追憶の瞳 - Lola -」のB面で、なんでこれがA面じゃないの?と思ってしまうくらい。同時代の日本のロックやポップスより、ずっとしっかり作り込まれているのだけど、こういった洗練された楽曲を受け入れるには、当時の歌謡界は硬直化していた、ということなのだろう。シチズンのCMソングに起用され、アジア諸国のテレビで流されたのだけど、なぜか日本はスルー。謎だ。

2. MADNESS
 再び、MAYUMI - 鷺巣のコンビによる、さらにブラコン色を強調したダンス・チューン。イントロのキラキラしたシンセ使いは、これはもう職人の技が冴える。そこからシーケンスとサンプラーの洪水で、今にして思えばチャカチャカ騒々しいのだけど、バブリーな空気感の演出には最適だった。
 打ち込みサウンドに対し、肉感的なヒデキの声との相性はあんまり良くないんじゃないか、と思っていたのだけど、いや普通に対応してるんだよな。あらゆるアレンジに対応できる反射神経は、ベテランの成せるわざ。

3. MESSAGE OF SILENCE
 ここで急に、ガクッとウエットに、歌謡曲っぽくなる。作曲・アレンジは中堅どころの水谷公生。歌謡曲の視点から見れば、安心できるバラードとしてアリだけど、まぁちょっと落ち着きすぎるかな。アルバムの中の1曲として、箸休め的なポジションか。
 ヒデキとは関係ないけど、この水谷公生という人、かつてGSを経て、柳田ヒロとLOVE LIVE LIFEを結成、イギリスのミュージシャン:ジュリアン・コープに「日本のフランク・ザッパ」と称賛されるくらい、実はなかなかのキャリアを持つ人だった。まぁジュリアン・コープ、今じゃ仙人みたいな風貌になっちゃってるけど、なかなか本格的なジャパニーズ・ロックの研究家なので、耳は確かだ。
 さらに話はズレて、日本のハード・ロックの祖と言ってもいいLOVE LIVE LIFE、テンションMAXで血管ブチ切れでシャウトするヴォーカルは、なんと布施明。あの布施明だよ、イメージと全然違うじゃないの。なんで俺、知らなかったの?
 はっぴいえんど史観とは別の次元に位置する日本のロック。まさかジュリアン・コープに教えられるだなんて…。



4. 夢の囁き
 同じ歌謡曲属性のバラードとは言っても、付き合いの長い鈴木キサブローの楽曲だと、ヴォーカルの艶がまた違ってくる。ヒデキのヴォーカルが最も映えるキーを多用することで、セクシーな男性像が浮かび上がってくる。
 ラス前にストリングスにアルト・サックスを絡めるという、まぁベタなシチュエーションを想起させるところも、ヒデキなら許せる。このヴォーカルは、そんな世界観を享受する力を持っている。

5. RAIN
 で、ここからレコードB面。吉田美奈子の独壇場となる。
 妖し気な美奈子のフェイクに、シンセ・ベースと軽快なギター・ワーク。一聴して思いっきりブラコン風味だけど、歌謡曲のセオリーである、明快なAメロ~Bメロ~サビという構造はきっちり抑えており、そこら辺はさすが業界が長い美奈子。

6. AGAIN
 いろいろギミック的なサウンド・プロダクトがクローズアップされることが多い『From TOKYO』、この時期の吉田美奈子を起用すること自体が大きなギミックでもあるのだけど、そういった事前情報を抜きにして、ストレートにいいメロディ・いいヴォーカル・プレイとなったのが、この曲。
 ちょうどバリー・マニロウやジョージ・デュークとの交流が始まっていた頃なので、英語で歌い直して海外展開するのもアリだったんじゃないかと、外野からは勝手に思ってしまうのだけど、まぁ何かのかけ違いでうまく行かなかったんだろうな。埋もれてしまうには惜しい曲だ。



7. ROOM NUMBER 3021
 初出は1986年のシングル『Rain of Dream 夢の罪』B面。しかし、この『FROM TOKYO』からまともなA面シングル・カットがなかったのが疑問。シングルとは別に、アルバム・アーティストとしての評価を欲していたのはわかるけど、もうちょっと周辺スタッフに柔軟性があれば、TVタイアップなんかでシングル・ヒットの可能性はあったんじゃないか、と。
 まぁ現場では努力はしていたのだろうから、外野のぼやきとして聞き流してもらえれば。

8. 今
 ラストは作詞・作曲・アレンジとも吉田美奈子による、ゴスペル・タッチの壮大なバラード。世界初の自主製作CDと謳われた『BELLS』制作時期と被るので、同じメソッドを使用したんじゃないかと思われる。





サイト内検索はこちら。

カテゴリ
アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
最新コメント