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西城秀樹

秀樹のCD復刻プロジェクトについて、今後の要望やら疑問やら、その他もろもろ。 - 西城秀樹 『Myself』


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 秀樹ファンにはとっくに周知されているはずだけど、今年から大々的なCD復刻企画がスタートした。オリジナル・アルバムはもちろん、これまで完全な形でのリイッシューがなかったライブ・アルバムも含め、順次紙ジャケ仕様でリリースされている。
 マニアックなリイッシュー企画だと、カセット・オンリーの音源やファンクラブ限定のソノシート音源など、とにかく声が入ってるアイテムをかき集めて、ボーナス・トラックに収録するケースもあるのだけど、今回の秀樹は、そういうのはなし。オリジナル意匠の忠実な再現をコンセプトとしているらしい。
 第3期まで発表された現時点では、1・2期がデビューから70年代のオリジナル、3期がライブ5枚と、緩やかな時系列に沿って、それぞれテーマ別で編纂されている。安直なベストやカセット企画は除外されるようだけど、おおよそ50枚を2年かけて復刻してゆく壮大なプロジェクトとなっている。
 Twitterのタイムラインの盛り上がりから見て、売れ行きも上々らしく、デアゴスティーニみたいにフェードアウトしてしまうことはなさそうである。デビュー50周年を迎え、本人不在は残念なことだけど、映像方面の発掘も進んでおり、結構な波及効果を生んでいる。
 熱狂的なファン層の厚みがそこそこあったにもかかわらず、他の同世代アイドルや歌謡曲シンガーと比べて、秀樹のリイッシュー状況は大幅に遅れている。サブスク界隈だと、iTunesでは70・80年代のシングル・コレクションとデビュー・アルバムは配信されているのに、Amazon Musicは後期のシングルが少しだけ。
 今回のリイッシュー音源が配信されそうな気配は、今のところなさそうである。何でだろ。

 iTunesのラインナップが象徴するように、秀樹のアーカイブのニーズは基本、全盛期とされる70年代の作品に集中している。あとは「ギャランドゥ」までの80年代シングル、「走れ正直者」、付け加えてターンAガンダムの主題歌、ってところか。
 多少の差異はあるにせよ、近年流通している秀樹のベストは、概ねこの辺の楽曲を中心に構成されている。リリース状況が活発だった80年代のシングルまでは、どうにかコンパイルされているけど、90年代以降はリリースも不定期だったため、アルバム単位でのパッケージが難しかった。この辺をどうまとめるかが、今後の課題だろうな。
 wikiのディスコグラフィーを参照してみると、94年のボックスセット『HIDEKI SAIJO EXCITING AGE '72-'79』にて、現時点まで復刻されたオリジナルがCD再発されている。99年には、そのうち初期4枚が分売、さらに、70〜80年代のライブ・アルバムを6枚組にダイジェストした『HIDEKI SUPER LIVE BOX』がリリースされている。
 94年と99年に何がしかのアニバーサリーがあったのかは、ちょっと不明。多分に、94年は10年ぶりの紅白出場、99年はレコード会社の移籍があったので、その辺がちょっと絡んでいたと思われる。
 前述したように、コンセプト色の薄い、レコード会社のリリース計画の穴埋めで制作されたようなベスト・アルバムは、リイッシュー予定から除外しているらしい。現時点で復刻されたベストは、79年の『YOUNG MAN/HIDEKI FLYING UP』のみ。
 収録内容を見てみると、タイトルが象徴するように「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」大ヒットにあやかった、70年代後半のシングル中心のベストであり、すごいレア音源が収録されている風でもない。なんでコレだけ復刻されたんだろ。。謎だ。しかも、95年にもベストでは唯一、コレだけCD再発されている。

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 これまでの再発ラインナップからわかるように、70年代の秀樹のアルバム・リリースは、そりゃもうとんでもないペースだった。秀樹に限らず、トップグループはみんな、年間シングル4枚、アルバム3〜4枚リリースがデフォルトだった。
 ほぼ毎月、何らかのニュー・アイテムによって、レコード店の売れ筋エリアを死守することが、レコード会社の営業戦略の柱だった。とは言っても、過密スケジュールの彼らがレコーディングに避ける時間は限られており、オリジナル・アルバムは2枚が限界で、残りはライブやベスト盤で埋め合わせるのが実情だった。
 極端な話、一発録音でどうにかなってしまうライブ盤は、制作期間も短くて、リリース計画の埋め合わせとして好都合だった。70年代アイドルはやたらライブ盤が多いのだけど、そういう事情もある。
 80年代に入ると、案外ニーズがなかったのか、どのアイドルもライブ盤のリリースは少なくなってゆく。言っちゃ悪いけど、リリース点数を稼ぐためには、製作コストも少ないライブ盤は適しているはずなのだけど、これがちょっと疑問。誰か知ってる人いたら教えて。
 で、秀樹に話を戻すと、80年代に入ってからは世代交代もあって、リリース・ペースはだいぶ落ち着いた。レコード会社による企画ベストやコンピは相変わらずだったけど、オリジナル・アルバムには自身の意向が強く反映されるようになった。
 シングルの楽曲コンペでの発言権も増し、カバーする楽曲についてのプレゼンも自ら行なうようになってゆく。アルバム制作においても、自らコンセプト立案して企画書を作り、時にクリエイターを自ら指名したり、積極的にプロデュース活動を行なっている。
 そうなると、アルバムごとに手間暇がかかり、いきおい制作期間は長くならざるを得ない。ディレクターのお膳立てに沿って、スケジュールをこなすだけのレコーディングならともかく、それなりのベテランになると、自己プロデュース能力が求められるし、ディテールへのこだわりも、挙げればキリがない。

 ビートルズのアルバムが初CD化される際、EMIとアップルはアーカイブの抜本的な見直しを断行した。それまで世界各国、本社未公認で乱発していたベスト盤やコンピレーションを廃盤にし、UK仕様オリジナルに統一した。
 当時、定番ベストとされていた『Oldies』や赤盤・青盤がその煽りを食らい、市場から回収された。入門編の役割を果たす赤盤・青盤は、のちにリイッシューされたけど、各国で意匠を凝らした未公認盤の多くは、一部を除き未CD化のままだ。
 今回の秀樹のプロジェクトも、ビートルズ同様、アーカイブを時系列で整理し、カタログを一本化することでスタンダードとする構想が見えてくる。秀樹亡き後に立ち上がった企画ゆえ、遅きに失した感は否めないけど、一歩前に進んだだけでも良しとしなければならない。
 今後のリリース計画としては、カバー・アルバムも対象としているようだけど、こういうのって許諾関係が最大の障壁なので、こっちは時間がかかりそう。70年代の音源も、オリジナル・アルバムだけではすべてを補完できないはずなので、今後、何がしかの形でオリジナル・コンピの企画が控えているんじゃないかと思われる。
 ここで微妙なポジションとなってくるのが、80年代以降のベスト・アルバム。スーパーやホームセンターのワゴンに並んでいたカセット企画なんかは論外として、ある程度、秀樹の意向が反映されていると思われるコンピはどうなるのか。

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 で、『Myself』。思いっきりベストである。
 83年から84年のシングル中心にコンパイルされており、B面曲やアルバム楽曲も収録されている。当時の秀樹が志向していた、アイドル以降のAORテイストのサウンドで統一されており、トータル性を考慮した選曲になっている。
 ただレア曲や目新しさには欠けているため、リイッシューの基準としてはボーダーぎりぎりなんじゃないかと思われる。はっきり言っちゃえば80年代シングル・コンピで間に合っちゃうわけだし。
 84年のコンピレーションはもうひとつ、『背中からI Love You』があるのだけど、こっちは「ローラ」や「情熱の嵐」など、全方位的な選曲となっており、統一感はちょっと薄い。「ギャランドゥ」だけではインパクトが弱いので、保険として70年代ヒットを入れたんだろうけど、それが災いして散漫な作りなんだよな。こっちも再発は微妙だ。
 コンセプチュアルなベストという意味合いで『Myself』を取り上げたのだけど、でもコレ、ジャケットは地味なんだよな。シングル「抱きしめてジルバ」をそのまま引き延ばした、正直、あまり売る気が感じられないデザインである。
 85年のオリジナル『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、「西城秀樹」というアイドルの先入観を払底するため、ジャケットから名前やポートレイトを排除した。そんな意向の延長線上でのアートワークだったんじゃないかと思うのだけど、でももうちょっと飾り立ててもよかったんじゃね?とも思ってしまう。

 ニューミュージックのアーティストにも見劣りしない、強いこだわりを持って作られた80年代のアルバムと並行して、秀樹はシングルにも同様の熱量を込めて製作にあたっていた。シングル・リリースにおいては、ある程度の商業的成功が前提としてあり、多くの場合はアベレージをクリアしていたと思われる。
 80年代に入ってからは、松田聖子が先鞭をつけたことで、それまで存在が薄かったアイドル/歌謡曲のアルバムにも注目が集まるようになった。ただ、70年代デビューの秀樹がその恩恵を受けることはなく、ほぼ黙殺されていた。
 人的時間的コストに見合う対価が得られなかったことで、80年代中盤以降、秀樹のリリース・ペースは緩やかになってゆく。オリジナルの製作コストを補填するかのように、70年代中心のベストは、絶えず市場に供給されていた。
 その間もシングルはコンスタントにリリースしていたのだけど、セールスは想定以上に伸びず、過去のヒット曲ばかり流通する状況が、しばらく続くことになる。この時代の音源を聴いてみると、ハンパな自称アーティストと比べて、そのクオリティの高さにビックリしてしまうのだけど、当時は気づかなかったんだよな。
 なので、80年代のリイッシューは、オリジナルだけを単純に復刻しても、その全貌はつかみづらい。ある程度、テイストの近い楽曲を中心に編纂したテーマ別ベスト、『Myself』と『HIDEKI SAIJO』をラインナップに入れることで、初めて「時系列で補完できた」と言える。
 アルバムとアルバムの間のミッシング・リンクを繋ぐこの2枚は、80年代秀樹を知るにおいて、はずせないアイテムである。だからお願い、復刻してください。よろしくお願いします。





1. 抱きしめてジルバ - Careless Whisper -
 1984年にリリースされた49枚目のシングル。世間的には、この次の50枚目のシングル「一万光年の愛」の方がアニバーサリー的な盛り上がりだったため、あまり印象に残りづらかったかもしれない。
 時系列を調べてみると、本家ジョージ・マイケルのシングル発売が7月で、秀樹が10月なので、発売前から音源を入手し、即断即決でレコーディングに踏み切ったんじゃないかと思われる。かなりディープな洋楽マニアだった秀樹、おそるべし。
 ちなみに盟友:郷ひろみも11月に両A面シングル「ケアレス・ウィスパー」をリリースしており、ごく一部でカバー対決として盛り上がりを見せたらしい。実際に「夜ヒット」でそんな企画で2人が出演したらしいけど、まぁ優劣がどうというものでもない。この頃になると、もはや2人とも別路線だし、たまたまカバー曲がかぶっただけのことだし。
 オリジナルについては、誰でも一回くらいは聴いたことがあるはずなので割愛するとして、2つのカバーの特徴について。
 秀樹:うまく緩急使い分けた、ソウルフルなジョージのヴォーカルに対し、バラード・パートはほぼ同じだけど、力のこもる大サビ・パートでは、もともとのロックの熱くたぎる血がほとばしる。当時、常連スタッフだった森田由美による訳詞は、アダルティな秀樹のアーティスト・イメージに寄せつつ、オリジナルにほぼ忠実。
 GO:作詞クレジットの「ヘンリー浜口」は、彼のペンネーム。怪しげな日系三世みたいで、センスが疑われる。御三家の中では歌唱力はやや劣るとされていたGOも、アダルト路線の楽曲が中心だったこの頃は、普通に歌いこなしている。ただ、高音パートやファルセットがちょっと弱いかな。
 オリジナルのストーリーに縛られず、比較的自身の解釈を多めに入れた歌詞になっているのだけど、「一人でいい あなたの子供 産んでみたいの」やら「死ぬほど愛した女は お前だけなのさ」というフレーズは、旧来の歌謡曲の作詞作法をそのまま持ち込んだ感があって、ちょっとミスマッチだな。誰か言ってやれるスタッフいなかったのか。
 ちなみにオリコン・チャートでは、秀樹が18位でGOが20位。まぁそんなに変わらない。




2. 哀しみのStill
 83年リリースの46枚目シングル。オリコン最高29位、デビュー以来、初めて売り上げ5万枚に届かなかったシングルという、不名誉な称号がある。この時期の「ベストテン」は、圧倒的に女性アイドルとジャニーズの力が強く、中堅どころである秀樹もGOもチャート的には奮わなかった。
 アダルトでAORなテイストのサックスと、ブイブイ響くチョッパー・ベースの連打のミスマッチ感は、いま聴くとキッチュでオツだね~ってところなのだけど、まぁこの時代だとお茶の間では受け入れられづらい。それをわかって我流を通しているんだから、ある意味、確信犯だよな後藤次利。

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3. ジェラシー
 「抱きしめてジルバ」のB面としてリリースされた、こちらも後藤次利による楽曲。正直、「悲しみのStill」より、こっちの方がシングルっぽい。基本の歌謡ロック・サウンドに森田由美によるドライな歌詞、ハードロック・テイストのギター・ソロは、多分吉野藤丸だと思うけど、短いサイズながらここぞとばかり、強烈なインパクトのプレイ。
 その辺の詳しいクレジットも知りたいから、『Myself』を復刻してほしいのだ。安直なシングル・コレクションだったら、そういうのって端折られるからね。

4. 背中からI Love You
 この時期は後藤次利がお気に入りだったのか、また登場。シャッフル・ビートで歌う秀樹は、なんか尾崎豊みたい。ほどよい歌謡テイストとパーティ・ソウルのアレンジは相性がいいんだけど、オリコン最高30位。もうちょっと売れてもよかったはずなんだけどな。
 前のめりなアップテンポ・ナンバーに森田由美は馴染まなかったのか、当時、チェッカーズで上り調子だった売野雅勇を起用しており、このキャスティングは正解だったと思う。時代を超えたサウンドとは言い難いけど、少なくとも80年代の享楽感を味わうには程よいトラック。

5. パシフィック
 「背中からI Love You」のB面で、作詞・作曲とも同じコンビでのトラック。一転してリゾート・テイストなバラードで、タイプは全然違うけど、これも味わい深い。
 こういった80年代LAサウンドも守備範囲だったのが当時の秀樹の特質であり、歌謡曲畑では異色の取り組みだったと言える。先入観抜きで聴けば上質のシティ・ポップなんだけど、彼の試みを受け入れる環境がなかったのが悔やまれる。

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6. Winter Blue
 47枚目のシングル「Do You Know」のB面収録曲。なんと作曲は秀樹本人。
 A面がオールディーズのリメイクだけど、普通なら裏表逆なんじゃね?って思ってしまうのだけど、何か思うところでもあったのだろうか?多くのアーティストがカバーしてきた「Do You Know」、確かにそこそこ知名度はあるけど、正直、地味なバラードだし、「秀樹初の自作曲シングル」って名目でA面リリースすれば、そこそこ話題にもなったはずだけど。
 ただ、実際に聴いてみると、際立った特徴も見当たらない、いわば置きにいったようなポップ・バラ―ドなので、その辺で秀樹が遠慮しちゃったのかもしれない。

7. Do You Know
 で、こっちがA面。「そこそこ知名度がある」ってさっき書いちゃったけど、実は秀樹ヴァージョンを聴くまで知らない曲だった。尾崎紀世彦がカバーしてヒットしたらしいけど、さすがに彼までは俺、フォローしてない。
 もともとは、オリジナル・アルバム『GENTLE・A MAN』の先行シングルとしてリリースされたこの曲、オリコン最高30位と地味なアクションだった。イヤいい曲ではあるんだけど、でももっといい曲があるんだよ、このアルバム。
 それについては以前書いてるので、どうぞこちらで。




8. ギャランドゥ
 言わずと知れた秀樹80年代最大のヒット曲。オリコンは最高14位だったけど、もんたよしのりによるファンク・テイストを交えた軽快な歌謡ロックは、唯一無二の存在感をアピールし、そして「ギャランドゥ」という隠微な代名詞の普及にも大きく貢献した。
 ちなみにギャランドゥ、語感とフレーズが一致しただけで何の意味も由来もないらしいけど、それが何でかあんな俗語に発展してしまったのか。いろいろな説が流布しているけど、考現学・現代風俗の考証としては、興味深い題材ではある。
 秀樹自身のことを言えば、ちょうど芸映から独立後、初のシングルであり、何が何でもヒットさせる必要があった。あったのだけど、変に時代におもねったり媚びたりするのではなく、あくまで自分のやりたい音楽にこだわったことが、結果的に大きな成功につながったと言える。
 正直、アーティスト・パワーとしてはピークを過ぎていたもんたに楽曲を依頼するのはリスキーだったはずだけど、彼もまた、秀樹の心意気に打たれて、一世一代の名曲を書き下ろすことができた、と解釈すべきだろう。強烈なパーソナリティを持つ2人のコラボレーションが化学反応を作り出し、類似例のない楽曲が生まれた。
 確かにこんな曲、後にも先にも似た例がない。

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9. ナイトゲーム
 去年、アナログ再発で大いに盛り上がった、秀樹45枚目のシングル。オリジナルは、80年代、アルカトラスやマイケル・シェンカー・グループで名を馳せたグラハム・ボネットによるもので、ヘヴィメタはとんと明るくない俺でも知ってた有名曲。といっても洋楽ファンだけだけど。
 オリジナルはベテラン前田憲男による、ブラスも入れた歌謡ロック・アレンジだけど、2020年ヴァージョンは未発表ヴォーカルに加え、バック・トラックは日本のメタルバンド:アンセムが担当、さらにオリジネイターのボネット本人がコーラス参加という、めちゃめちゃ濃い豪華仕様。でも、初回分は完売で、気軽に聴ける手段がもうないんだよな。
 『Myself』復刻時に追加トラックで収録されるのか、はたまた別枠で準備中なのか。その辺も今のところ不透明なんだよな。まぁ期待しよう。

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10. Love・Together
 『GENTLE・A MAN』収録曲より。珍しく女性とのデュエット曲で、歌うはチバチャカこと鈴木晶子。この時期のレコーディングやライブでの常連メンバーなので、気心知れて息も合っている。
 歌謡界のベテランとして、これまでもデュエットのオファーはあったはずだし、また、秀樹ならもっとネーム・バリューのある歌手とのコラボも可能だったはずなのだけど、敢えてツアー・メンバーとのデュエットを選んでいるところから、楽曲との相性やクオリティを優先していることが窺える。ヒット性を考慮するならあり得ない選択なんだけど、そのこだわり具合が秀樹たる所以なんだろうな。

11. 陽炎物語
 「ナイトゲーム」のB面収録曲。ロック調の楽曲で抜擢されるのは後藤次利と決まっており、こちらもヘヴィ・ロックのテイストで、しかもバラード。こうやって書いちゃうと食い合わせ悪そうだけど、そこを強引にまとめてしまうのが、80年代ヒットメイカーだった後藤の力技。
 和のテイスト漂う森雪之丞の歌詞は、正直、サウンドとの相性はイマイチなんだけど、そんな逆境をさらに強引にまとめてしまう秀樹のヴォーカルの力。そう考えると、秀樹がすごく頑張っている作品と言える。

12. ロマンス - 禁じられた遊び 
 ラストは「ギャランドゥ」のB面収録曲。なんかこの曲だけ、異常に古く際。70年代と錯覚してしまうような、それでいてあからさまなオーケストラ・ヒットがアクセントで入っていたり、なんか「ヤングマン」のパロディみたいなアレンジがあったりして。
 って思いながらクレジットを見ると作詞作曲にJ.lglesiasの名が。フリオ・イグレシアスだ。この頃は世界を股にかけたディナー歌手として、また各国に多くの愛人を持つジゴロとして女ったらしとして、楽曲よりもそういったゴシップ関連の方が有名だった、あのフリオ・イグレシアス。
 彼の肩を持つわけじゃないけど、なんでこんな変な人生応援歌みたいなアレンジにしちゃったんだろう。ていうか、「ギャランドゥ」に見合う楽曲、他になかったのか。
 さらにさらに、何もこのコンピレーションに入れる必要があったのか。それなら『GENTLE・A MAN』からもう一曲くらい入れてくれよ、と言いたい。






80年代の西城秀樹をちゃんと聴ける環境を作ろう。 - 西城秀樹 『FROM TOKYO』

400_400_102400 去年書いた西城秀樹:80年代シティ・ポップ期のアルバム『GENTLE・A MAN』『TWILIGHT MADE …HIDEKI』のレビューが大きくバズり、洋楽関連が多かった俺のTwitterのタイムラインは大きく変化した。レビューに対して、リツイートや「いいね」してくれると、ほぼ無条件でフォロバする主義のため、フォロワーはヒデキのファンがかなりの割合を占めている。
 なので、ほぼ連日、ヒデキのメディア情報に加え、熱いヒデキ愛にあふれた様々なツイートを目にしている。没後2年経っているにもかかわらず、その勢いは衰えることを知らず、ますます盛り上がりを見せている。
 このブログは歌謡曲からジャズ・ファンク、それこそちあきなおみからウェルドン・アーヴィンまで、節操なく幅広いジャンルを取り上げている。なので、様々なジャンルのフォロワーの声を聞く機会も多いのだけど、ヒデキ・フォロワーの熱量は、そんな中でかなり高い。
 「ヒデキLOVE・好き好き」といった他愛もないつぶやきもあれば、どこから引っ張り出してきたのか、古い雑誌のピンナップや記事画像、または古いビデオ動画も盛んにアップされていたり、なかなかの賑わいとなっている。
 過去の情報・マテリアルを丹念に拾い集め、そしてより分ける。時系列でもテーマ別でも、ある種の一貫した基準でまとめ上げることで、散逸した情報は、固有の価値基準として生まれ変わる。
 それはひとつの考現学となり、また商品としての付加価値となる。精力的な活動を続けたヒデキのアーカイブは膨大であるけれど、きちんとした検証作業が行なわれるようになったのは、ほんとつい最近のことである。
 ここ1年の間に、若き日の写真集『HIDEKI FOREVER blue』、1985年のライブBlu-ray 『’85 HIDEKI SPECIAL IN BUDOHKAN -For 50 Songs-』が発売された。判で押したようなヒット曲中心のベストでお茶を濁すのではなく、ヘヴィー・ユーザーを満足させるコンテンツの提供に、やっと本腰を入れるようになったのだろう。
 そういった姿勢は、素直に喜ぶべきことであって。

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 ヒデキにまつわるツイートのほとんどは、様々な出演記録やエピソードに基づく、あふれんばかりのリスペクトが多くを占めている。斜め上からの否定的な意見や、アンチによる荒らしなどは、ほとんど見たことがない。
 これだけ知名度もあって評価も確立されたアーティストゆえ、悪意や揶揄混じりの意見が出てもおかしくはないのだけど、ほんとそういったのは目にしない。これは結構すごいことである。
 多くの夭折したアーティスト同様、ヒデキもまた皮肉なことに、没後から再評価が進んでいる。過去のドラマや映画出演、歌番組のアーカイブが商品化され、異例の売り上げを記録している。きちんとマーケティングすれば利益が出るコンテンツとして、需要は根強いのだろう。
 ただ肝心のところ、メインの活動である音楽面については、いまだ正当な評価が進んでいない。ていうか、評価対象となるアーカイブの整理作業が、あまり進んでいないのが現状だ。
 これが女性アイドルの場合だと、思うにディレクターの熱量や思い入れが強いのか、結構な博覧強記振りのアーカイブ構築が進んでいる。ファンクラブ限定のカセット音源やラジオのCMスポットまで、とにかく録音されたモノはすべてかき集めてボーナス・トラック化するマニアック振りなのだけど、ヒデキにおいては今のところ、そのような動きは見られない。
 煩雑な権利関係や社内事情、テープの保存状態如何にもよるので、レコード会社だけに責任を問うのは、ちょっと早計である。あるのだけれど、でももうちょっと、メディアの方から盛り上げてもよろしいんじゃないかと。

 とはいえ、「ヤング・マン」や「ローラ」や「情熱の嵐」や「走れ正直者」など、パッと聞かれて誰もが即答できるヒット曲が複数あるだけ、ヒデキはまだ恵まれている方である。あるのだけれど、メジャーな楽曲ばかりクローズアップされ、その他がないがしろにされている状況がもどかしいのだ。
 ヒデキに限ったことじゃないのだけど、70年代の歌謡界において、楽曲クオリティが論議されることは、ほぼなかった。「売れた曲」が「いい曲」で、キャッチーで覚えやすいサビを持つのが、「名曲」の条件だった。
 内輪のコミュニティ・レベルでは、ミュージシャン・クレジットへの言及やインスパイアされた洋楽などの分析も行なわれていたのかもしれないけど、外部へ拡散するほどの波及効果はなかった。そもそも、「歌謡曲の批評」という視点、論ずる土壌がなかったのだ。
 賞味期限が短く、早いスパンで消費されていたため、「多くの歌謡曲は、流れ作業で安直に作られている」というのが、近年までの定説だった。シングルこそ、著名なヒット・メイカーにオファーしたり、さらに楽曲コンペで候補を厳選したりはするけど、「B面曲やアルバム収録曲には、そこまで予算も時間もかけなかった」とされていた。まぁ大方は事実。
 歌謡界のセオリーとして、「シングル音源の二次利用」という扱いだったアルバムゆえ、予算も時間も限られていたのは事実だけど、だからといってすべてがすべて、手を抜いて作られていたわけではない。限られた時間の中、「最低限、歌手の声が入っていれば、何をやってもオッケー」という条件を逆手に取って、レコーディング・スタジオは大胆な発想と果敢な実験精神にあふれていた。
 以前も書いたけど、『サージェント・ペパーズ』のぶっ飛んだ解釈が伝説となった大場久美子、有名どころでは、いしだあゆみのブランドを利用して、従来歌謡曲とは別次元のサウンドをねじ込んだティン・パン・アレイなど、ディレクターやスタジオ・ミュージシャンらの暴走による怪作・奇作は、枚挙にいとまがない。
 まさか30年後、菊池桃子/ラ・ムーが海外ディガーのマスト・アイテムになるだなんて、当時は一体、誰が予想したことだろう。

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 80年代のヒデキのシングルで、一般的に知名度が高いのが「ギャランドゥ」、次に「抱きしめてジルバ」といったところだろうか。ちょっと地味なところでは、なぜかスティーヴィー・ワンダーの、なぜか地味曲カバー「愛の園」、当時はオフコース・ファンの間では名曲認定されていた「眠れぬ夜」カバーも追加で。
 80年代に入ってからは、アイドルの世代交代も進んでいたため、ヒデキがチャート上位に食い込める確率は、大幅に減っていた。どの曲もそこそこのスマッシュ・ヒットで終わっており、アイドルとしてのピークは明らかに過ぎていた。
 1983年、所属事務所からの独立以降は、歌手に限定せず、テレビの司会や俳優業の割合が多くなってゆくのだけど、リスクヘッジを考えた経営者目線で言えば、間違った選択ではない。結果的に仕事の幅を広げたことで新たな人脈も生まれ、その後の息の長い活動に結びついている。
 歌番組への露出が減り、芸能界的な仕事が多くなっていた80年代のヒデキ、大きなヒットに恵まれることはなかったけど、それでも音楽活動は地道に続けている。ディスコグラフィーを見ると、独立後初のシングル「ギャランドゥ」以降、ほぼ年2〜4枚のペースでシングルをリリースしている。思ってたより出していたのは、ちょっと意外だった。
 通常、シングル3か月:アルバム半年とされる、アイドルのリリース・ペースに対し、80年代のヒデキのアルバムは年1枚前後だけど、今回調べてみると、全盛期の70年代も年1ペースだった。ここにライブやベスト盤が追加されて、なんだかんだで年3枚程度にはなるのだけど、一貫して年1だったのは、ちょっと驚きだった。
 安易な水増しや量産を潔しとしない、事務所やブレーン、そしてヒデキ本人の強いこだわりだったのだろう。

 上質な和製AORサウンドで彩られた前作『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、元来洋楽志向が強かったヒデキの音楽センスが、強く反映された力作となった。なったのだけど、歌謡曲のサウンドとしては垢抜け過ぎ、選民的なジャパニーズ・ロック/ポップスのメディアからは徹底的に無視され、セールスも反響も芳しいものではなかった。
 「歌謡曲のアルバム」というエクスキューズ抜きで評価してもらうため、「西城秀樹ブランド」を前面に出さないプロモーション戦略を取ったにもかかわらず、当時の音楽メディアは意固地で排他的で性格がねじ曲がっていた。従来の固定ファンは無条件で受け入れたけど、ライト・ユーザーにまで波及するほどの勢いはなかった。
 ただ、ヒデキが描く「アイドル以降の大人の歌」というビジョンは、確実に具現化されており、製作現場やレコード会社の反応は良かった。クオリティ的にある程度の成果を残したこともあって、コンセプトは引き継がれ、次作『FROM TOKYO』へ発展する。
 アーバンでトレンディな80年代中盤の東京の空気感を表現するため、ヒデキが選択したのは、リズムを主体としたダンス・チューン中心のサウンド・プロダクトだった。当時、一時的なセミ・リタイア状態で、もっぱら裏方に徹していた吉田美奈子を前作に続いて起用したこともあって、ブラック・コンテンポラリー/R&Bへの接近が著しい。
 一般的にヒデキのパフォーマンス・スタイルといえば、ロッド・スチュワートやミック・ジャガーをモチーフとした、ロックのイメージが強い。強烈なエモーションを含んだ、リミッターを外したシャウトが、ステレオタイプの「西城秀樹」として広く認識されている。
 ただ70年代の作品でも、複雑なシャッフル・ビートを多用した「ブーツを脱いで朝食を」や、スケール感あふれる壮大なバラード「ブルースカイブルー」など、高度な表現力を駆使した楽曲がある。「ほとばしる熱情」というイメージはあくまで一面でしかなく、アイドルの枠を超えた早熟なエンターテイナーというのが、シンガー:西城秀樹の実像なのだ。

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 もともとデビュー時点から、アイドル特有のバブルガム・ポップではなく、洋楽サウンドと歌謡曲メロディを強引にまとめた、ハード・ロック/ブラス・ロック主体のシングルが多かったヒデキであり、その傾向は自身の趣味・嗜好と一致していた。年齢を経ることによって、そのコアが変わることはなかったけど、新たなジャンルの吸収・異ジャンルのミュージシャンとの交流によって、嗜好の幅は広がった。
 このアルバムでも見られるように、派手なホーン・セクションや四つ打ちビートに頼らない、洗練されたブラック・ミュージックをソフトに、それでいてエモーショナルに表現できるようになったことは、シンガーとしての成長である。背伸びして歌っていたバラードも、年相応にしっくり馴染み、気負わず歌えるようになった。そして、その歌を活かせるサウンド・メイキングにも、深く関われるようになった。
 前作同様、セールスも評判も芳しいものではなかった。ただこのアルバムに限らず、80年代の西城秀樹が残した作品はどれも、同時期に勃興したバンド・ブームのアーティストよりも、ずっと挑戦的である。上辺だけ取り繕った、安易なマーケティングに基づいて構成された時代のあだ花より、丁寧に作られたサウンド・プロダクトは、深い傷跡を残す。
 今年に入ってからも、いち早くアルカトラスをカバーした1983年のシングル「ナイトゲーム」が再発されている。リマスターされた当時のバック・トラックに、ヒデキの未発表ヴォーカル・トラックを載せ、さらにオリジナル・シンガーのグラハム・ボネットがバック・ヴォーカルで参加という、ちょっとなに言ってるかわかんない状態になっている。誰も思いつかないすごい企画であるのと同時に、それがきちんと売れちゃってるのだから、もはや潜在ニーズと言えないところまで来ているのだ。
 ほんとはこういった動きを、もうちょっと深く突っ込んで語りたいのだけど、あいにく80年代を総括したコンピレーションもなければ、実はこの『FROM TOKYO』、2020年時点では今どき配信もされていないため、気軽に聴くことはちょっと難しい。辛うじてiTunes に80年代のシングルA面コレクションがあるけど、単にリリース順に並べているだけなので、何とも芸がない。さらにAmazon Musicときたら、ガンダム関連や90年代以降がごくわずか、といった体たらくである。
 「ニーズがない」というのは考えづらいので、「再発や配信の条件すり合わせが捗っていない」というところなのだろう。映像も含めた再発プロジェクトはそこそこ順調なので、近い将来、公開されるのだろうと信じたい。





1. CITY DREAMS FROM TOKYO
 フュージョン系のギター・ソロに絡まる、軽快なシンセ・ドラム。前作に続き起用となったMAYUMIの曲をトップに据えたことから、あくまで楽曲重視で選曲されたことが窺える。やたらアーバンでトレンディでセクシーなオケを作ったのは、まだアイドル仕事がメインだった頃の鷺巣詩郎。この前、久しぶりにバラエティのロケに出ててビックリしたな。
 初出はシングル「追憶の瞳 - Lola -」のB面で、なんでこれがA面じゃないの?と思ってしまうくらい。同時代の日本のロックやポップスより、ずっとしっかり作り込まれているのだけど、こういった洗練された楽曲を受け入れるには、当時の歌謡界は硬直化していた、ということなのだろう。シチズンのCMソングに起用され、アジア諸国のテレビで流されたのだけど、なぜか日本はスルー。謎だ。

2. MADNESS
 再び、MAYUMI - 鷺巣のコンビによる、さらにブラコン色を強調したダンス・チューン。イントロのキラキラしたシンセ使いは、これはもう職人の技が冴える。そこからシーケンスとサンプラーの洪水で、今にして思えばチャカチャカ騒々しいのだけど、バブリーな空気感の演出には最適だった。
 打ち込みサウンドに対し、肉感的なヒデキの声との相性はあんまり良くないんじゃないか、と思っていたのだけど、いや普通に対応してるんだよな。あらゆるアレンジに対応できる反射神経は、ベテランの成せるわざ。

3. MESSAGE OF SILENCE
 ここで急に、ガクッとウエットに、歌謡曲っぽくなる。作曲・アレンジは中堅どころの水谷公生。歌謡曲の視点から見れば、安心できるバラードとしてアリだけど、まぁちょっと落ち着きすぎるかな。アルバムの中の1曲として、箸休め的なポジションか。
 ヒデキとは関係ないけど、この水谷公生という人、かつてGSを経て、柳田ヒロとLOVE LIVE LIFEを結成、イギリスのミュージシャン:ジュリアン・コープに「日本のフランク・ザッパ」と称賛されるくらい、実はなかなかのキャリアを持つ人だった。まぁジュリアン・コープ、今じゃ仙人みたいな風貌になっちゃってるけど、なかなか本格的なジャパニーズ・ロックの研究家なので、耳は確かだ。
 さらに話はズレて、日本のハード・ロックの祖と言ってもいいLOVE LIVE LIFE、テンションMAXで血管ブチ切れでシャウトするヴォーカルは、なんと布施明。あの布施明だよ、イメージと全然違うじゃないの。なんで俺、知らなかったの?
 はっぴいえんど史観とは別の次元に位置する日本のロック。まさかジュリアン・コープに教えられるだなんて…。



4. 夢の囁き
 同じ歌謡曲属性のバラードとは言っても、付き合いの長い鈴木キサブローの楽曲だと、ヴォーカルの艶がまた違ってくる。ヒデキのヴォーカルが最も映えるキーを多用することで、セクシーな男性像が浮かび上がってくる。
 ラス前にストリングスにアルト・サックスを絡めるという、まぁベタなシチュエーションを想起させるところも、ヒデキなら許せる。このヴォーカルは、そんな世界観を享受する力を持っている。

5. RAIN
 で、ここからレコードB面。吉田美奈子の独壇場となる。
 妖し気な美奈子のフェイクに、シンセ・ベースと軽快なギター・ワーク。一聴して思いっきりブラコン風味だけど、歌謡曲のセオリーである、明快なAメロ~Bメロ~サビという構造はきっちり抑えており、そこら辺はさすが業界が長い美奈子。

6. AGAIN
 いろいろギミック的なサウンド・プロダクトがクローズアップされることが多い『From TOKYO』、この時期の吉田美奈子を起用すること自体が大きなギミックでもあるのだけど、そういった事前情報を抜きにして、ストレートにいいメロディ・いいヴォーカル・プレイとなったのが、この曲。
 ちょうどバリー・マニロウやジョージ・デュークとの交流が始まっていた頃なので、英語で歌い直して海外展開するのもアリだったんじゃないかと、外野からは勝手に思ってしまうのだけど、まぁ何かのかけ違いでうまく行かなかったんだろうな。埋もれてしまうには惜しい曲だ。



7. ROOM NUMBER 3021
 初出は1986年のシングル『Rain of Dream 夢の罪』B面。しかし、この『FROM TOKYO』からまともなA面シングル・カットがなかったのが疑問。シングルとは別に、アルバム・アーティストとしての評価を欲していたのはわかるけど、もうちょっと周辺スタッフに柔軟性があれば、TVタイアップなんかでシングル・ヒットの可能性はあったんじゃないか、と。
 まぁ現場では努力はしていたのだろうから、外野のぼやきとして聞き流してもらえれば。

8. 今
 ラストは作詞・作曲・アレンジとも吉田美奈子による、ゴスペル・タッチの壮大なバラード。世界初の自主製作CDと謳われた『BELLS』制作時期と被るので、同じメソッドを使用したんじゃないかと思われる。





80年代歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる その2 - 西城秀樹 『TWILIGHT MADE …HIDEKI』

Folder 1985年リリース、西城秀樹16枚目のオリジナル・アルバム。前作『GENTLE・A MAN』からは1年3ヶ月ぶり、じっくり時間をかけて作られたアルバムとなっている。
 前作に続くアーティスティック路線はさらに顕著となり、アルバム・ジャケットには「西城秀樹」のクレジットもなければ、ポートレートもない。「歌謡曲の西城秀樹」というフィルターをはずし、アーティスト「HIDEKI」で勝負したい意向が、強く反映されている。濱田金吾や南佳孝のアルバムとシャッフルしちゃうと、もう誰が誰だか。
 前作収録の角松敏生作「THROUGH THE NIGHT」のサウンド・メイキングに感銘を受けた秀樹、ここでは4曲を彼に依頼、加えてアーティストとしては開店休業中だった吉田美奈子にも、4曲の作詞をオファーしている。アーバンでシャレオツな音空間構築にターゲットを絞ったキャスティングは、30歳という年齢に応じたイメージ・チェンジには不可欠だったのだろう。
 さらに旧知のSHOGUNギタリスト芳野藤丸は順当として、まだこの時点では作家デビュー間もなく、実力・実績とも未知数だった堀川まゆみ(MAYUMI)の起用は、なかなかの慧眼だった。過去の実績や評判に囚われず、「良いものは良い」という当たり前の感覚を最優先した、秀樹のセンスと直感が強く反映されている。

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 80年代シティ・ポップとして見れば、サウンド・プロダクションもしっかりしており、アートワーク含め、アーティスティック路線のコンセプトも一貫しているため、クオリティはかなり高い。高いのだけど、当時はこのアルバム、ヒデキファン以外にはほぼ知られていなかった。俺も知ったのは、つい最近。
 ティーン・アイドルを卒業してからも、ヒデキは歌謡曲の王道を全力疾走していたため、基本はシングル中心の営業戦略に沿って活動していた。アイドルの世代交代によって、シングル・チャートの常連というポジションではなくなっていたけど、80年代前半は、ロックからバラードまで幅広く歌いこなす本格派シンガーとしての活動を続けている。
 さすがに「オールスター水泳大会」なんかには出なくなっていたけど、毎年恒例の「新春かくし芸大会」や「ハウス・バーモント・カレー」のCMなどで、お茶の間との接点は続いていた。ただデータを見ると、拘束時間が長期に渡る映画や連続ドラマの仕事は、ライブやレコーディングの妨げとなるため、極力受けないようにしていたことが窺える。
 当時、NHK大河ドラマで「独眼竜政宗」の企画が立ち上がり、主役候補としてヒデキにオファーが来たのだけど、事務所サイドで断わった、というエピソードが残っている。これには、「歌手活動に専念したいと」いう理由に加え、独立して間もなかったため、拘束時間が長くギャラの安い大河では、運転資金がまかなえなかった、という切実な事情もある。

 テレビに雑誌に多く露出する、お茶の間ヴァージョンの「ヒデキ」と、サウンドにこだわりを持つ、コンセプト志向のシンガー「西城秀樹」。さらに、プライベートの顔・木本龍雄が存在する。このトライアングルは、彼にとってどれも不可欠な要素であり、どれも疎かにはできない。
 様々な事情が折り重なっていたため、アーティスティック路線と並行しながら、「みんなのヒデキ」としての活動も続けていた。偶然の一致で郷ひろみとの競作となったワム!「ケアレス・ウィスパー」のカバー「抱きしめてジルバ」がオリコン最高18位、通算50枚目の記念シングル「一万光年の愛」が12位と、表舞台でもきちんと実績を残している。
 『GENTLE・A MAN』~『TWILIGHT MADE …HIDEKI』までの間には、デビューからほぼ毎年欠かさず製作されているライブ・アルバムが2枚。それと、これは多分RVCの意向が強かったと思われるのだけど、ベスト・アルバムが2枚リリースされている。いやライブはまだわかるけど、ベスト乱発し過ぎだって。
 こういったリリース・スケジュールに、秀樹サイドの意向がどれだけ反映されていたかは不明だけど、当時は楽曲の二次使用契約が曖昧だったため、よくあることだった。サザンや中島みゆき、井上陽水クラスでさえも、レコード会社主導のベスト・アルバムやカセットが乱発されていたし。
 本人のあずかり知らないところで、そんな風にレコード会社への利益貢献も行ないつつ、アーティスト「西城秀樹」としての表現活動を着々と進めていたのだった。

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 10年くらい前から80年代のシティ・ポップが再評価される風潮が生まれ、リアルタイム世代の俺でも知らなかったアルバムが再発されるようになった。発売当時は生まれてもいない、若い世代がレア・グルーヴ的な受け止め方で影響を受け、インスパイアやらレコメンドやらオマージュしたユニットやバンドを結成した。
 いや俺も一応、聴いてみたのよ、流線型やら一十三十一やらを。オカズてんこ盛りの生演奏を主体としながら、DTM生成ビートでアップ・トゥ・デイトなサウンド空間を演出した、清涼感あふれる爽やかなポップス。近年の音圧MAXのサウンドに疲れた耳には、心地よいのかもしれない。しれないのだけれど、でも―。
 なんかちょっとヌルい。俺が求めていたのは、そういうものじゃないのだ。
 癒しやノスタルジー、追体験じゃなくて、当時のクリエイターが真剣になって、高いクオリティを求めて創り上げた作品が聴きたくて、それでいろいろ漁ったが末、たまたまたどり着いたのが、80年代の歌謡曲アルバム群だった、ということであって。
 なので、気づいたのだ。
 俺は特別、シティ・ポップというジャンルが好きなわけではない。

 アイドル・歌謡曲のアルバムの作りが丁寧になったのは、松田聖子を起点とする80年代デビュー組からで、70年代にデビューした歌手のアルバムの多くは、安直な粗製乱造が当たり前だった。シングル曲をいくつかまとめて洋楽カバーを少し、あとは適当なモノローグや埋め草的な楽曲を少々。シングル3か月・アルバム6か月ごと、という当時のリリース・ペースでは、極力手をかけず、手早く仕上げることが、優秀なディレクターの条件とされていた時代の話である。
 歌謡曲が勝負するフィールドは、シングルのレコード売上、またはブロマイドの売上だった。週に何本も製作されていた歌番組の露出度合いが、それらのセールスと深くリンクしていたため、芸能事務所やレコード会社はこぞってテレビ局に日参し、所属タレントの出演をねじ込んでいった。それが当たり前の時代だった。
 ヒデキがデビューした頃の歌謡曲アルバムは、内容について語られることは、ほぼなかった。ファンからすれば、既発表曲ばかりで目新しさはないのだけど、グッズとしてコレクションの対象であったし、レコード会社にしても、新規で手がけるのはアートワーク程度、肝心の音は適当にまとめるだけ。それでいて、シングルよりも単価は高いしで、いわばおいしい商売だったと言える。

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 ヒデキ世代の歌謡曲歌手の不幸な点が、ここにある。シングルの知名度は80年代組を凌ぐほどだけど、70年代当時はレコード会社の方針もあって、アルバム製作への投資はあまり行なわれなかった。
 それでもヒデキや野口五郎らが意気揚々として製作した70年代のアルバム群は、海外録音やロック・サウンドへの強いリスペクトに溢れていたりして、他のアイドルと比べて差別化が顕著だったりする。するのだけれど、プロモーション自体がシングル中心で行なわれていたこともあって、ほぼ話題に上らなかった。
 80年代前夜となる、1979年のオリコン・アルバム年間チャートを見てみると、ほぼ半分がニュー・ミュージック、もう半分が洋楽勢で占められており、歌謡曲は山口百恵とピンク・レディーが入っている程度。それだけニーズがなかったことの証でもある。
 年が明けて80年代に入ると、レコード会社の方針も変わり、歌謡曲のアルバム制作に力を入れるようになって来る。単なるシングルの寄せ集めではなく、きちんとした成長戦略に則って、人的・時間的コストをかけたアイドルのアルバムが作られるようになった。
 ただその世代の前、西城秀樹の世代がアルバムで注目されることは、その後もなかった。

 中途半端なアーティスト崩れや、拙い技術の新人バンドよりも音楽的素養に長け、ヴォーカル技術も表現力も、多くの80年代組より上回っていた西城秀樹の再評価は、いまだ一面的なものでしかない。やっと「ブルースカイブルー」が少しだけ脚光を浴びたけど、やはり「ヒデキといえばヤングマン」のイメージが強く張り付いている。クド過ぎるんだよ、Yモバイル。
 いやホント、ヘタなテクノ・ポップや歌謡ロックより、ずっと丁寧に作られてるから、ちゃんと聴いてみてほしい。

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1. SWEET SURRENDER
 まんま角松敏生のプロダクションで作られた、デジタル・ガジェット感満載、疾走感あふれるナンバー。歌謡曲テイストはまるでない。大抵のシティ・ポップはヴォーカルが弱い分だけBGMっぽくなりがちなのだけど、秀樹のヴォーカルは聴き流すことを許さぬ説得力を持っている。

2. BEAT STREET
 アルバム発売後にシングル・カット、通算52枚目のシングル。オリコン最高51位と、セールス的には厳しかったけど、コンポーザー角松敏生を業界内に印象付けた点では、大きな功績があった。
 いま聴いてみると、ビジュアルを想起させる、映像との親和性が高い歌詞といいサウンドといい、案外アニメ主題歌としてプレゼンするのもアリだったんじゃないかと思われる。「シティー・ハンター」なんかだと、ストーリーや世界観のリズムとうまくシンクロしていると思うのだけど。
 中盤になって唐突に入り込んでくる女性コーラス&デュエットは、作詞担当の吉田美奈子。インパクトの強さは、ヒデキとタメを張る。



3. HALATION
 シュガー・ベイブみたいなギター・カッティングのオープニングから、角松作と思ってたけど、クレジットを見ると盟友芳野藤丸によるものだった。ちょっと前まで「達郎のコピー」って囁かれてたくらいだから、あからさまなアレンジするわけないか。
 秀樹の通常のキーよりちょっと高めに設定されており、時々苦し気な部分もあるのだけど、逆にそれがシャウトを抑える効果となり、ソフト・サウンディングにうまくフィットしている。藤丸自身もAORっぽさを意識しているのか、いつもの泣きのギター・ソロは抑え目、達郎っぽくリズム・キープに徹している。
 
4. ワインカラーの衝撃
 やたらエレドラが前に出たアレンジ。メロディックなバラードなのに、妙にニュー・ウェイヴ寄り、しかもゴシック・パンク寄りのアレンジがミスマッチ感を誘っている。ミステリアスなムードを狙ったのかな。タイトルからどうしても安全地帯=玉置浩二を連想してしまうのだけど、明らかに狙ってるよな、曲調といいトレンディな歌詞といい。

5. PLATINUMの雨
 ブラコン寄りのリズム抑え目、柔らかなフリューゲル・ホーンをフィーチャーしたソフト・バラード。角松のアレンジの特徴として、スラップ・ベースや16ビートをベースとして、細かなエフェクトなどのオカズを積み重ねてゆく手法が多かったのだけど、正統バラードにもその手法を持ち込むことによって、サウンドの幅が広がった。その成果のひとつが、中山美穂に提供した「You're My Only Shinin' Star」として結実する。

6. リアル・タイム
 ちょっと演歌テイストも入ったメロディだけど、歌謡曲ヒデキが好きな従来ファンにもアピールする、キャッチ―で明快なサビが印象的なナンバー。イントロのシンセ・リフが時代性を感じさせるけど、当時ならシングル候補としても良かったんじゃないか、とは俺の私見。ただ、アーティスト面を強調するのなら、ちょっと歌謡曲っぽ過ぎるよな。俺は好きだけど。



7. オリーブのウェンズディ
 「シティ・ポップ」のアルバムで、「オリーブ(の午后)」「(雨の)ウェンズディ」とくれば、ナイアガラ的なリゾート・ポップを連想していたのだけど、中身は全然違って、なんとラップ・パートから始まるリズム主導のダンス・チューンだった。
 こう言っちゃ悪いけど、シティ・ポップ「ぽく」、角松「っぽく」寄せようとする大谷和夫のアレンジは、やっぱどこか泥臭く思えてしまう。大谷が悪いんじゃない、角松のセンスが切れすぎているのだ、というのがわかるアレンジ。
 しかし、どんな曲でも存在感を見せつける吉田美奈子のヴォーカルの強さといったら。硬軟使い分けたコーラス・アレンジは、天性のカンに基づくものなのだ、きっと。

8. BEAUTIFUL RHAPSODY
 シティ・ポップとはちょっとはずれた、オールディーズ風味の明るめのチューン。箸休めとして、肩の凝らない曲もアルバムには必要。手を抜いてるわけではないけど、力を抜いて楽しいのも、たまにはいい。藤丸のギター・ソロもほどほどにエモーショナルで、コンパクトにまとめられている。

9. TELEVISION
 角松作曲だけど、アレンジは藤丸という、レアなコラボ。ここは角松プロダクションに沿ったサウンドでまとめている。ギターの音だけは、やっぱ藤丸のキャラクターが強いけど。
 秀樹のヴォーカルがなければ角松っぽい、という見方もあるけど、逆に秀樹のヴォーカルが角松の潜在性を引き出してこんな感じに仕上がった、という見方もできる。このレコーディングのメンツでヴォーカルで勝てるのって、考えてみれば吉田美奈子くらいだよな。彼女も今回は極力脇に徹してるけど。
 コラボするクリエイターの才能をさらに引き出すヴォーカルの力が、西城秀樹最大の魅力だったと言える。

10. レイク・サイド
 「クルマの中で黄昏時に掛かっていて、男性が助手席の彼女に、言葉で言わなくても口説いていけるもの」というサウンド・コンセプトで作られた『TWILIGHT MADE …HIDEKI』、ラストを飾るのはこの時期の隠れ名曲とも言える正統派バラード。
 アーバンな最先端サウンドもシティ・ポップもない、丁寧に作られたシンプルなバッキングで歌うヴォーカリスト西城秀樹の真骨頂が、ここにある。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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