これまでリリースされたアルバムを可能な限り、発売当時の仕様で再現した紙ジャケ復刻プロジェクトが続いている西城秀樹。その対象はスタジオ録音作品だけではなく、数々のライブアルバムやコンピレーションまでをも対象としており、生前よりニッチにディープにもかかわらず、着実な売り上げを記録している。
没後も新たなファンを獲得し続けてはいるのだけど、新たなアイテムを期待できない状況ゆえ、各メーカーとも膨大なアーカイブの整理・発掘が進行している。TwitterのTLをのぞくと、往年のファン有志によるメモラビリアがほぼ毎日、しかも大量にアップされており、その勢いは現役アイドルとも引けを取らない。
キャリア末期は病魔に侵され、満足な活動ができずにいたけど、それも含めてレジェンド化が進んでおり、おそらく生前より情報の絶対数も密度も濃くなっている。プレスリーやマイケルみたいだよな。
日本で同じスタンスのアーティストといえば、思い当たるのが尾崎豊やhideあたりで、彼らも夭折後はデビュー前の音源やら未発表テイクが乱発されたけど、活動期間も短かったため、お蔵出しといっても僅かなものだった。なので、最近は目新しいリリースもない。
それに比べるとヒデキ、ザッツ芸能界のど真ん中で長く活動していたこともあって、手つかずの素材はまだ膨大に眠っている。音源もそうだけど、特に映像関係は歌番組中心に発掘が進んでいる。この方面は権利関係がいろいろめんどくさいため、法務面・実務面で障害も多い。なので、急かさず気長に待とう。
昨年から徐々に公開イベントも増えてきて、今年もフィルムコンサートが全国各地で催されている。<
-2022年に開催された画面のヒデキと生のバンドメンバーが熱い情熱で繰り広げるライブコンサート『THE 50』を映像化。
いわゆるアテレコなのだけど、それでもファンだったら観に行っちゃうんだろうな。限られた条件下で最大限の臨場感を引き出すには、ベターな手法なんじゃないかと。一時、海外でロイ・オービソンやエイミー・ワインハウスの3D映像使ったコンサートがニュースになったけど、まだやってるのかな。
テレビの懐メロ特集ではヒデキ、ほぼ高確率で「ヤングマン」や「ローラ」の映像がオンエアされている。そういえば、「走れ正直者」を歌ってる映像は見たことない。せいぜい「ブーメラン・ストリート」くらいかな、他にピックアップされるのって。
代表曲以外はほぼ取り上げられることもなく、かなり偏ったフィーチャーのされ方ではあるけれど、同年代の歌手と比較すれば、若い世代にもそこそこ知られているはずだし、そういう意味で言えばヒデキ、恵まれている方だとは思う。彼以降にデビューした70年代の男性アイドルたちの多くは、曲はおろか、存在すら埋もれてる現状だし。
単純にヒットシングルだけに絞っても、大して手間をかけることなく「ベスト選曲」になってしまうため、レコード会社的に「安定したコンテンツ」として、西城秀樹は重宝されていた。ただそのため、ほぼ変わり映えのしないベストアルバムが乱発されたことによって、「情熱的なシンガー」という一面的な評価しかされて来なかったのも、また事実である。
前にも書いたけど、キャリア通して数々の洋楽カバーをレコーディングしてきた先駆者であるし、特に80年代のスタジオアルバム群はどれも質が高く、現在のシティポップの文脈で語られるべきクオリティなのだ。隠れ名曲や名演は数々あるのだけれど、その辺の再評価はまだ追いついていない。
90年代に入ったあたりから、それまであまり顧みられず、まともに批評されることがなかった、70〜80年代アイドルのリイッシューが一瞬盛り上がった。この頃になると、洋邦問わずジャズ/ロック/ポップス系はあらかたCD化されてしまっていたため、新たな鉱脈として注目された。
当初は有名どころの安直なヒット曲集が中心で、それはそれで安定した人気を保っていたのだけど、どんどん掘り下げてゆく日本人の性なのか、各メーカーとも次第にディープな企画を売りにするようになってゆく。シングル3枚程度で引退したB級女性アイドルや、セクシー女優のアイドル時代の音源を集めたコンピなどなど。
本人的には黒歴史扱いのアイテムが、そこそこ人気を博していた。P-VINEが熱心だったよなこのジャンル。多分、その筋のマニアがディレクターだったんじゃないかと思われる。
ディレクター陣の思い入れや熱量に左右されるけど、紙ジャケの細かな再現度や重箱の隅つついたようなボーナストラックなど、女性アイドルの方がクロノジカルかつマニアックな傾向にある―。って言い切るのは偏見かもしれないけど、当時の担当ディレクターの多くが男性であることから、まぁ趣味と実益と公私混同がごっちゃになったんじゃないかと。
もう何回もリイッシューされ尽くされたキャンディーズや岩崎宏美なんて、近年では公式発表曲だけじゃなく、CM用のショートヴァージョンからラジオ番組のサウンドロゴまで、思い当たる限りの音源を収受選択せず、とにかくかき集めて収録している。どこまでニーズがあるかどうかは別として、こうして形にすることによって、ディープなマニアにとっては貴重な研究資料になる。
ヒデキのリイッシュー事情を追ってみると、デビュー20周年を迎えた90年代に入ってから、アニバーサリー的なボックスセットが発売されている。この時期はもっぱらテレビ司会などタレント的な活動が多く、歌手としてはシングル中心、まとまったアルバム作品は少ないのだけど、同時期にリリースされたトリビュートアルバムでは、THE HIGH-LOWSを始め、ソフィアやGACKT、筋少やダイアモンド☆ユカイまで、中堅どころから当時の旬のアーティストまで、錚々たるメンツが参加している。
テレビで歌う姿を見ることは少なくなったけど、パッショナブルなヴォーカルスタイルは全盛期から衰えを見せず、河村隆一をはじめビジュアル系からのリスペクトもハンパなかった。第一線とまではいかないけど、懐メロでもない、ファンからも同業者からも一定の敬意を持たれていたのが、この時期のヒデキだったと言える。
ただ90年代のCDバブル期、全体売り上げにおける歌謡曲のシェアは縮小の一途、ロック/ポップス系のような丁寧なリイッシューは、費用対効果が見込めなかった面も否定できない。時系列に沿ったオリジナル復刻は手間がかかるので、正直、大して手をかけなくてもベストがそこそこ売れてしまうヒデキは、まとめ売りのボックスセット、ボリュームレベルをちょっと上げただけのリマスター復刻、しかも代表作を抜粋してのラインナップで済まされている。
「現役バリバリじゃないんだから、この程度で十分だろ」臭が漂うリイッシューは、厳しい言い方をするとマーケティングの読み違え、または怠慢だったとも取れる。はたまたレコード会社、女性アイドルじゃなかったため、テンション上がらなかったか。
それからさらに30年近くを経て、丁寧に編纂されたCD/DVDはもちろんのこと、フィルムコンサートから派生したメモリアルグッズの売れ行きも好調らしい。リアタイで追ってきたファンはおそらく50〜60代、子育ても終えて可処分所得に余裕を持ったユーザーも多いため、形の残るメディアでの販売スタイルはニーズに適っている。
TVの懐メロ番組や特番が入り口的な役割を果たし、全盛期を知らない若い世代にも知られてはいるのだけど、そこから先、もっと深く知りたいとなると手軽な手段がないのが、今後の課題ではある。CDプレイヤーを持ってない世代にとって、ブルースペックだ高音質だというのは訴求力が薄く、行き着くところは非合法のYouTube動画しか選択肢がないのが現状だ。
いまのところCD復刻は、第5弾まで順調に進んでいる。こういう長期プロジェクトって、最初にドカンと盛り上がって徐々にフェードアウトして、いつの間に企画自体がなくなっちゃうことも多いのだけど、堅調な売り上げに支えられて、どうやらこのまま完遂しそうである。
可能な限りオリジナルの意匠を引き継ぐことで、後世の研究資料としても充分な価値はあるのだけど、ライトなビギナーが即購入するには、ちょっとハードルが高い。もっと気軽に聴ける環境整備が必要なのだ。
アーティストへの配分還元比率など、まだまだ問題の残るサブスク配信だけど、広く浅く行き渡らせるためには、有効な手段ではある。せっかくのデジタルリマスター素材を最大活用した方が、さらにいろいろ展開できると思うのだけど。
2023年5月時点での西城秀樹のサブスク配信事情を調べてみると、代表的なAmazonもAppleも共通してオリジナルアルバムはなく、しかも最もニーズの高い70~80年代の楽曲がゴッソリ抜けている。90年代以降を中心に全32曲、うちカラオケが7曲・別ヴァージョン4曲を含んでいるため、実質はたった21曲。Spotifyなんてほんとやる気ないのか、たった5曲しかねぇ。
せっかくなのでダウンロード系も調べてみると、レコチョクはなぜかデビューアルバム『ワイルドな17才』が入ってる。他に70年代・80年代のシングルA面コレクションが入ってる分、一歩抜きんでているけど、でもそれだけ。iTunesとmoraは、サブスクと大差なし。
年季の入ったファンならレコードやCDで持ってるだろうけど、若年層にとって試し聴きができないのは、ちょっと親切心が足りなすぎる。古参ユーザーの中にも、レコードもプレーヤーもずいぶん昔に処分しちゃったから、スマホで手軽に聴いてみたい人もいるだろうし。
現在、ヒデキの音源・映像関連の販売はほぼソニーが担っているのだけど、どうにも腰が重い気がするのは、俺だけではないはず。賛否両論飛び交うサブスクに対して、明確なポリシーを表明している山下達郎や、権利関係が複雑そうなブルハやチャゲアスと比べれば、ハードルはそう高くないはずなのだけど、いまのところ解禁される話も聞かない。
ちなみに同じ御三家括りで見てみると、
(郷ひろみ)
シングル代表曲はもちろんのこと、デビューから最新シングルまで、ほぼすべての音源が配信済み。2021年、デビュー50周年を機に、全555曲を配信・ダウンロード共に解禁している。とにかく「5」にこだわるのが彼らしい。
(野口五郎)
Amazonではデビュー曲「博多みれん」から今までの全シングル、アルバムは「シングルコレクション」のみ。iTunesとSpotifyはそれに加え、近年のカバー/セルフカバーアルバムが6枚。
ロックポップス指向が強い前者2人と比べて歌謡曲寄りのイメージが強いけど、昨年の桑田佳祐らとのコラボで片鱗を見せていたように、実はミュージシャン気質の強い人である。中学時代から年齢詐称して、キャバレーのハコバンでギターの腕を磨いていたくらいだから、「自称」ロック程度のレベルでは、足元にも及ばないポテンシャルを秘めている。
人気絶頂の勢いで、トニー・レヴィンやワディ・ワクテルをバックに従えたライブ実況盤や、ラリー・カールトンをリスペクトしたギターインストアルバムなど、洋楽ファンにも充分アピールできるアイテムが、実はまだ数多く眠っている。単なるオヤジギャグの人ではないのだ。
決算期に無作為に適当にまとめたディレクター主導のベストはともかく、このアルバムのようにシティポップ・テイストで統一するため、一部新録も追加したコンセプチュアルなベストは、今後再発されるのだろうか。ビートルズも初CD化のおり、世界各国の独自ベストや、入門編の役割を果たしていた『Oldies』が廃盤になった。今回のプロジェクトも、包括的なオールタイムベスト以外は、そんな扱いになるのだろうか。
まだアイドル以降のキャリア選択肢が少なかった時代、20代でポップス歌手を続けてゆくのは、今よりずっとハードルが高かった。ヒデキも独立以降、基本路線を歌手に据えたはいいけど、まずは事務所経営を軌道に乗せるため、来た仕事はなんでも拒まず受けざるを得なかった。
シックで青臭さの抜けたヴォーカルスタイルと落ち着いたサウンドで統一された『Private Lovers』は、同時代のニューミュージックの作品と比べても遜色なく、アルバムアーティストとして成立している。ただ、この時代のヒデキの音源は、なぜか日本では正当に評価されていないのが惜しまれる。
っていうか、広く行き渡ってないから、そもそも知られてないんだよ。もうちょっと考えようよ関係者各位殿。
1. ラストシーン
76年にリリースされたシングルのリメイクヴァージョン。オリジナルはストリングスと女性コーラスによるムーディなアレンジで、この86年ヴァージョンもシンセの柔らかな響きにコンバートしただけで、基本構造は変わっていない。
別離の迫ったカップルの対話を、松本隆は印象的なワンカットを時系列に沿って「木綿のハンカチーフ」を書いた。ユーザーそれぞれ、思い思いの映像を喚起させることで、ステレオタイプな歌謡曲との差別化を図ることができた。
もともと作家志望でもあった阿久悠の書く歌詞は、すでに確固たるひとつの世界観で染められている。そのまま歌詞カードを読むだけで、すでにひとつのドラマとして成立している。
人それぞれ解釈があるだろうけど、どんなテーマにおいても強いパーソナリティを放ち、「昭和」という時代通して痕跡を残してきた彼の刻む言葉は、とても重い。ほんと、「書く」というより「刻む」という表現が似合う人だ。
にぎやかな 街の通りの中で 夢をみたように ぼくは泣いていた
強い物語を求める昭和の大衆は、阿久悠の紡ぐ言葉を求め、幅広い支持を得た。流行り歌でありながら、強い筆圧を感じられる言葉と刹那に流されない物語、そして、それに応える歌手とのせめぎ合い。
真剣に向き合わないと飲み込まれてしまう。書く方も演じる方も、そして聴く方も真面目だった、そんな時代。
この歌を託された当時、まだ二十歳たらずだったヒデキの歌を聴いてみる。ハデな大サビもない曲構成なので、肩に入る力を無理に抑え込んでいる感が伝わってくる。いくら大人びていたとはいえ、そんなもんだ。
それから10年、経験を積み視野を広げたことで、バラードへの向き合い方が明らかに変わっている。肩の力を抜いた穏やかな歌声からは、相手を思いやる包容力が漂っている。
2. 青になれ
アルバム用に書き下ろされた新曲。シティポップなミディアムバラードからは、稲垣潤一テイストを感じさせる。歌謡曲テイストを含むメロディは程よいウェット感があって、30代以上には充分アピールできたんじゃなかろうか。
2時間サスペンスドラマや刑事ドラマの主題歌としてシングル切れば、スマッシュヒットは狙えたんだろうけど、まだそこまでの営業力がなかったか個人事務所ゆえ。
3. You Are the Love of My Life
初出は前年にリリースされた洋楽カバーアルバム『Strangers in the Night』。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスのレコーディングに参加するくらいガチのジャズギタリストだったにもかかわらず、70年代に入ってからフュージョンに転身、80年代はもっぱらムーディーなブラコン職人として名を馳せていたジョージ・ベンソンのカバー。当時はチャラくて甘ったるいバラードと下に見てたけど、いまは一周回って大好物のR&B/クワイエットストームナンバー。
クレジットがないのでデュエットの相手は不明だけど、多分、当時のレコーディングやライブでの常連メンバーだった、チバチャカこと鈴木晶子と思われる。同じく洋楽カバーに力を入れていた岩崎宏美とコラボしていれば、もうちょっと話題になったんじゃないかと勝手に思ってしまうけど、そういう機会はなかったのかね。「ミュージックフェア」あたりで共演済みかもしれないけど。
4. 君を三日間待っていた
当時も美麗な王子様キャラではあったけど、まだネタっぽさがなくアーティスト臭が漂っていた、アルフィー高見沢による書き下ろし新曲。まだ研ナオコのバックバンドだった時代から親交があったらしく、ちょっと意外。まぁタカミーもビジュアル系だし元祖の部類に入るし、接点あっても不思議じゃないか。
TOTOみたいなピアノバラードなアレンジは難波弘之。ストリングスを絡めたゴージャスなアレンジに対し、ややセンチでスケール感の小さい歌詞世界とのギャップを感じてしまう。もうちょっとポップなアレンジで良かったんじゃね?っていうのは大きなお世話か。
5. 悲しみのStill
1983年にリリースされた46枚目のシングル。当時、スタジオワークでノリに乗っていた後藤次利による作曲・アレンジの歌謡ロック。
ソリッドなロックビートとジャジーなフリューゲルホーン、要所要所で効果的なシンセワークなど、当時の最先端をバランスよく詰め込んだサウンドなのだけど、無難な歌謡ロックで終わってしまっているのが惜しい。うまく言えないけど、引っかかりが欲しい。
シンガーとして脂の乗っている時期の作品なのだけど、いわゆる売れ線を狙った曲調がフィットしづらくなっているのがわかる。5年前くらいだったら、このコンセプトで充分通用していたと思う。
6. レイクサイド
なので、変にチャートを意識した、テレビ映えを意識した派手なアレンジより、むしろこういったしっとり歌い上げる楽曲の方が合っている。従来の激しくワイルドなヒデキからアーティスト西城秀樹へ移行する過渡期のバラード。
前述バラード「You Are the Love of My Life」とアプローチ自体は同じなのだけど、ここでは盟友芳野藤丸がアレンジャーとして全面参加しているため、ヴォーカルの引き立て方は絶妙。クドくなる寸前でサッと引くギターソロを聴くと、良き理解者として接してきた彼のスタンスが見えてくる。
7. 抱きしめてジルバ
オリコン最高18位のスマッシュヒットを記録した、ご存知ワム!「ケアレス・ウィスパー」の日本語カバー。以前『Myself』のレビューでも書いてるけど、同時期に郷ひろみも同曲をカバー、こちらは最高20位と僅差でヒデキに軍配が上がっている。まぁ大した差ではないんだけど。
そこそこ意訳も入ってはいるけど、比較的オリジナルに忠実な日本語詞は、歌謡曲とも共通点の多いシンプルなハートブレイクストーリーのため、日本人も感情移入しやすい。蒼さの抜けた年齢になってこそ、リアルな情感を込めて歌えるテーマなので、ある意味、ベストなタイミングで巡り会えたんじゃないかと。
8. パシフィック
初出は84年、48枚目のシングル「背中からI Love You」のB面としてリリース。タイトルから連想するように、穏やかなリゾート感あふれるAORバラードとして仕上げられている。
山下達郎というよりはむしろ村田一人っぽい、グルーヴ感薄めなアンサンブルが、強いインパクトのヒデキのヴォーカルと好対照なコントラストを作り出している。手がけたのは後藤次利。やればできるじゃん、こういうのも。
9. うたかたのリッツ
アルバムリリースの時点で最新シングルだった「約束の旅〜帰港〜」のB面。この時期のヒデキのシングルは、歌謡曲でよく見られるB面感、取って付け足した感が薄く、A面にも匹敵するクオリティの楽曲が多い。ひいき目抜きにして、ほんとそう思う。
異国情緒満載の歌詞世界はちょっとマイナーで、マスへの訴求には大きく欠けるけど、サウンドやメロディはしっかり作られている。おそらくビギナーには地味に聴こえてしまうだろうけど、ヒット曲一巡してから隠れ名曲としてだったら、アリかもしれない。
10. 約束の旅〜帰港〜
で、こちらがA面。もともとは84年リリース『GENTLE・A MAN』収録曲のリメイク。朝ドラ主題歌に起用されたため、再度アレンジも練り直しヴォーカルも録り直されているのだけど、近年の朝ドラ感はまったくない、むしろ日9日曜劇場のエンディングの方がふさわしい、そんな壮大な直球バラード。
書き下ろしの新曲じゃなくて既存曲を大きなドラマで使うのは、現在でも異例であり、NHKが気に入ったのかヒデキの強い意向だったのか、そっちが少し気になる。いい曲であるのは間違いないんだけど、朝8時台に合ってるかといえば、ちょっと微妙。
11. ポートレイト
再び『GENTLE・A MAN』より。歌謡曲のフィールドを超えて、「西城秀樹」というシンガーを自己分析、最良の楽曲とアンサンブル、そして歌詞との有機的結合を目指したアルバムとして、また俺が彼に再注目するきっかけとなったアルバムのラストを飾るバラード。
西城秀樹という、日本を代表するシンガーの成長過程を辿ってゆくと、いくつかのターニングポイントがあるのだけど、サウンドアプローチとヴォーカルスタイルの幸福な邂逅が見られるのが、このアルバムだった、と俺的に思ってる。安易なシンクラヴィアでは太刀打ちできない、精緻なアンサンブルと大胆不敵な歌声。
硬軟取り混ぜた歌声の妙は、天性の感覚と地道に積み上げられたキャリアに基づいている。こういった歌を歌える経験と環境を手に入れるため、彼は努力を惜しまなかった。
12. 夢の囁き
86年のアルバム『FROM TOKYO』収録のジャジーなバラード。ここまで「生楽器メイン+フワッと味つけ程度のシンセ」主体だったサウンドに比べ、ストリングスが大きくフィーチャーされており、ちょっと重厚感がある。
この時期のエモーショナルなヴォーカルを聴くことができる貴重なトラックという見方もできるけど、せっかくなら書き下ろしでミディアムバラード入れた方が収まり良かったんじゃね?と勝手に思ってしまう。むしろこのコンセプトで曲数増やしてミニアルバム作った方が、また別の魅力が伝わったんじゃないか、と。
CD復刻一巡したら、新たな視点で、こういったテイストの曲集めたコンピ作るのもアリかもしれない。普通にバラードベストだったら、ニーズはあると思う。