好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

米米クラブ

当時のキャッチコピーは『新米感覚』。ちょっと何言ってんだか。 - 米米クラブ 『シャリ・シャリズム』


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  1985年10月リリース、米米のデビュー・アルバム。CBSソニー的には次の11月、10代最後となる尾崎豊の3枚目『壊れた扉から』とレベッカの出世作「Maybe Tomorrow』に力を入れていたため、「リリース・スケジュールのエアポケットにラインナップ揃えました」的な、あんまりやる気のない日取りとなっている。
 見た目はハデだけど、音楽的にはまだ方向性が定まっていなかったのか、表ジャケットに貼られたステッカーに書かれたキャッチコピーは「新米感覚」と、何かよくわからない。多分、担当ディレクターもどうやって売り出したらよいのやら、頭を抱えてたんじゃないかと察せられる。
 スタイリッシュなのかおふざけなのかエキセントリックなのかウケ狙いなのか、各メンバーまったく統一感のないポートレートを用いたジャケットから、今でこそ「ニューウェイブ/ニューロマ系のバンドじゃね?」と想像することもできるけど、当時はまだそんなジャンル分けも確立していない時代だった。もう在籍していないメンバーもいるせいか現メンバーにとっても黒歴史なのか、現行ジャケットはシンプルな太陽のロゴに差し替えられているけど、コレだってどんな音か想像つかないって。
 プロモーションもそこまで力を入れた風でもなく、メディア露出もそれほど目立ってなかったはずなのだけど、新人バンドのわりにはオリコン最高35位と、そこそこ健闘している。好事家のイカもの喰いにしては数が多すぎる。
 80年代も後半に差し掛かると、ソニーが地道に築き上げてきた新人育成/マルチメディア戦略の成果が出始めつつあった。主に自社メディア中心ではあったけれど、米米も十把一絡げのニューカマーとしてプッシュされていた。
 ひとつの広告ページにエコーズや大江千里やゴンチチやゼルダと一緒にギュッと押し込まれ、個々に深いつながりはないのだけれど、これだけ幅広くそろえれば、どれか1つくらいはツボにハマる。こういった抱き合わせ商法は昔からあったのだけど、ソニーはそこを徹底してやっていた。楠瀬誠志郎のファンがPSY・Sを気になったり、または何でか小比類巻かおるのレコード買っちゃったり。
 「ソニー系アーティスト」という大きな枠組みにブランド価値がついてきたのがこの頃であり、米米もまたその流れに何となく乗っかって、当初からそこそこの認知度を得ていた。単体で宣伝費かけるには、リスキーな存在でもあったし。

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 80年代後半のCBSソニー邦楽アーティストの序列は、浜省と大滝詠一が大御所扱い、レベッカが若手筆頭、次にハウンドドッグが続く。独自の営業戦略で動く二大巨頭は別として、この時期の若手の多くはSDオーディションを経て育成枠→本契約というプロセスを辿っており、米米もまた同様のルートでデビューしていた。
 まだ独自のブレーンを持たない彼らを後押しするため、宣伝媒体として設けられたのが、雑誌・映像によるマルチメディア戦略だった。ソニー・グループが立ち上げた雑誌「PATi・PATi」と、映像コンテンツ「ビデオジャム」は、エピックも含めた所属アーティストを中心に、ていうかほぼソニー系だけで構成されていた。
 同じグループ内のプロモーションが主目的なので、ギャラも発生しないし、払ったとしても格安で済む。販促費のかけ方としては極めて合理的な手段である。その周辺事情は以前書いてるので、詳しいところはこちらで。




 80年代ソニー隆盛の要因のひとつとして、従来の「良い楽曲だけを地道に売り込む」手段だけではなく、その発信先、アーティスト本体のブランディングに注力した点にある。目新し好きなティーンエイジャーの位相にフィットしたトータルイメージ、「なんかイケてる」風にコーディネートした。単なるレコード流通だけじゃなく、レーベル自らトレンド発信する機能を確立したことによって、80年代ソニーは大きく差別化を図る。
 70年代の「新譜ジャーナル」や「音楽専科」に代表されるように、雑誌に載る写真の多くはインタビューのついでに適当に撮影されたものが大半だった。それに対しソニーは、撮影スタジオを別でセッティングし、照明やメーキャップに凝ることで、ビジュアル映えを強く打ち出した。
 PVもカットアップを多用してスピード感を演出した。漫然とライブ映像を流すのではなく、CGの多用で目新しさを出し、青春や恋愛など10代が共感できるストーリー性も盛り込んだ。
 まだ新米に毛の生えた程度で、バンド運営のノウハウも持っていない米米も、多くの所属アーティスト同様、とりあえずソニーの敷いてくれたレールに乗っかった。ソニー的にも、可能性以外は何も持たない勝手気ままな連中を型にはめるため、そういったシステムに組み込む方が管理しやすかった一面もある。
 メジャー活動の処世術として、ソニー・メソッドに沿っていた米米だけど、そもそも大半のメンバーは自由な校風を謳っていた文化学院の卒業生であり、お行儀よくできるはずがなかった。まぁみんなイキってたんだよな、米米に限らず。

 で、ソニーのビジュアル戦略だけど、当時はハイセンスでキラキラしてた印象が残っていたのだけど、30年以上経ってから再見すると…、まぁ見返すもんじゃないな、こういうのって。「最先端」「トレンディ」を太文字で強調していた80年代の作品って、いろいろと気恥ずかしい。
 逆に一周回って、この時期の作品はシティ・ポップ系で再発見されたものも多いんだけど、歴史に埋もれた作品の方がもっと多いのが事実。そりゃ当時の現場スタッフは、真剣にものづくりに励んでいたのはわかるんだけど、でもあんまり掘り返さない方がいい稚拙な作品も多かった。
 なので「PATi・PATi」といえば、斜をかけたスカしたモノクロ画像、PVはおおむね気恥ずかしいドラマ仕立てと光学処理を施したライブ映像がひとつのフォーマットとなっていた。いまと違って、アーティストを専門に取り扱うカメラマンや映像監督が少なかったこともあって、似たような作品が多かったのは、当時を物語る微笑ましいエピソードである。
 で、米米の場合、カールスモーキーのスカしたビジュアルは、黙ってりゃ充分映えるのだけど、インタビューの発言はいい加減だし適当だし、変にウケを狙ってわかりづらいオチでモヤモヤさせたり、「いいから普通にカッコつけてろよ」と諭したくなってしまう。他のメンバーはといえば、歌舞伎メイクの大男やユニセックスな女装のギタリストやら統一感はないし、こうやって書いてると単なるコミックバンドだな。
 音楽ひとすじで根はまじめなロックバンドや、真摯なメッセージを伝えようともがき足掻く熱血シンガーとは一線を画した。っていうか米米自身も「イヤイヤ俺たちなんて、そんな大したモンじゃねぇでゲスよ」と謙遜していたのだけど、音楽性を高めていく気がまるでない人たちなので、比べること自体にズレがある。それでも博多めぐみやジョプリンら演奏チームはまだ、アレンジやアンサンブルに凝ったりなど、まっとうなミュージシャン・シップを持っていたのだろうけど、見た目ナルシストで内実お調子モンのカールスモーキーはあんなだし、真面目にやればグルーヴ感MAXなファンク・マスターのジェームス小野田もあんなだし。

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 もともとレコード・デビューを目標としていたバンドではなく、米米は結成当初からライブ・パフォーマンスを軸に活動していた。80年代はサブカルチャーの勃興によって、非メジャーの小劇場やパフォーマンス集団がアングラ・シーンで脚光を浴びており、米米もまた「音楽もやる」ユニットのひとつだった。
 ゆるやかなストーリー仕立てのエンタテイメント・ショウは、笑いあり小芝居ありシリアスありのてんこ盛りで、その一要素として音楽も組み込まれている、といった按配だった。本人たちは真剣だったのだろうけど、パロディやギャグの部分がクローズアップされることも多かったため、まじめに音楽に向き合ってる層にはウケが悪かった。
 楽器の弾けないカールスモーキーの適当な鼻歌をもとに、演奏チームが試行錯誤しながらアンサンブルを整え、それらはショウの構成パーツとして当てはめられた。その中で出来のよい楽曲はスタジオでブラッシュ・アップされ、音源として残された。
 「出来が悪い」って言っちゃ語弊があるので、「わざわざ記録するほどではない」「納得いってない」楽曲が大量に残っている。後年、そんなくっだらねぇライブ楽曲、本人たちいうところの「ソーリー曲」を『米米CLUB』でまとめて放出しているのだけど、正直、コア・ユーザー向けのファン・アイテムのため、何度も聴き返すものではない。
 一応『米米CLUB』、以前レビューを書いているのだけど、あんまりにもくっだらねぇので、いつもの楽曲詳細も書いてなかったっけ。そのうち書き足してみようかね。




 で『シャリ・シャリズム』、85年という時代性を感じさせるサウンドでまとめられている。当時からお水っぽさとインチキ振り全開だったカールスモーキーの美メロと、歌えば全部ファンキーになってしまうジェームス小野田、UKニュー・ロマンティックなデカダン・ポップをベースに、ニューウェイヴのショーケース的なサウンドを捻り出す演奏チームがせめぎ合い、最終的にソニー推奨のコンテンポラリー中庸ポップにパッケージングされている。
 一応、メジャーの流儀に沿ったのか、その後の変質ぶりから比べてかしこまってる感はあるけど、レコーディングのイロハもわからない状態ゆえ、ディレクターの意に沿った形になってしまったのは致し方ない。スネークマン・ショーのようなギャグやメロドラマ風小芝居を入れても伝わりづらいし、「I・CAN・BE」タイプのメロウなシンセ・ポップ、それとライブ感が伝わりやすい「かっちょいい!」タイプのファンキー・チューンの二段構えで構成したのは、結果的によかったんじゃないかと。
 ジェームス小野田は当時から相変わらず飛ばしてるからいいとして、やはりカールスモーキーの中途半端さ、ハジけきれなさが目立ってしまう。「狂わせたいの」で見せる天性のタイコ持ちっぷりは、レコードじゃ伝わりづらいよな。
 スタジオ録音で作り込んだ楽曲を、ライブでとことんイジり倒すセオリーとは真逆のベクトルを歩んでいた米米は、その後もしばらく迷走し続ける。最初からパール兄弟みたいな立ち位置でデビューしていれば、もうちょっと楽だったのかもしれないな、とも思ってしまう。
 でも、売れずに解散してたかな、その路線じゃ。




1. フィクション
 バブリーなシンセとブラスのイントロから始まるオープニング・チューン。アート・オブ・ノイズとパワー・ステーションから良さげなところをちょっとずつパクったサウンドは、いい感じで和風に調味されて程よいポップ・ファンクに仕上げられている。サビメロで力みながら歌うカールスモーキーは、ある意味、貴重。多分、こんな歌い方したくなかったんだろうけど、ディレクターに言われて仕方なくやった感がにじみ出ている。
 「シティ・ハンター」の挿入歌としても使えそうな、ハードボイルドな歌詞の世界観は、この時期ならではの産物。「蔑んでいた太陽に手をかざす」なんて抉れた歌詞は、サブカルっ気がまだ染みついている。

2. I・CAN・BE
 アルバムと同時リリースされた、米米のデビュー・シングル。オリコン最高67位は当時としても中途半端なポジションだな。一応、CMタイアップもついてコレだったから、ソニー的にも肩透かしだったんじゃないかと思われる。
 ライブで固めたアレンジをディレクターの美意識、ていうか独断で強引に変えさせられてレコーディングしたことを、ずいぶん後になってからもボヤいており、本来のアレンジに戻したヴァージョンも発表されている。過密スケジュールの中、わざわざリアレンジするくらいだから、よっぽど根に持ってたんだろうな。
 ただ、この『シャリ・シャリズム』ヴァージョンが全然ダメというわけでもなく、俺的には最初に聴いたこちらの方が馴染みも深く、チャラいシンセ・ポップのアプローチはそんなに間違ってなかったんじゃね?とも思う。『K2C』ヴァージョンは落ち着いてて、それはそれでいいんだけど、売れた後の余裕綽々ぶりがちょっと鼻につくんだよな。

3. ニュースタイル
 トムトム・クラブとイレイジャーのイイとこどりで仕上げちゃった、あんまり深く考えて作った感じのない歌詞が逆に印象的。カールスモーキーの適当なフェイクやスキャットを軸に、演奏チームが自由奔放にアレンジ膨らませると、こんな感じになる。
 イントロはソニー系のロック・グループのフォーマットとなっていた、ブライアン・アダムスとU2を適当に混ぜ合わせた感じで、俺的には嫌いじゃない。ていうかスッと馴染むんだよな。

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4. エクスクラメーション・マーク
 祭りばやしとケチャをミックスしたオープニングに続き、性急なシンセビートが走る、このアルバムの中では最もUKポストパンクの影響が強いナンバー。これ見よがしなシンセ乱れ弾きは、人によって抵抗あるかもしれないけど、ただパクりやパロディの域を突き抜けていることから、演奏チームのポテンシャルの高さ・引き出しの多さを感じさせる。
 このアルバム以降はBIG HORNS BEEがフィーチャーされることが多くなり、シンセ<生音という比重になってゆくのだけど、この時期のシンセポップ・アプローチも趣深く、リアタイで触れてきた者にとってはツボ。

5. On My Mind
 OMDとマイク・オールドフィールドの意匠を借りて、壮大なオリエンタル感を演出したバラード。ストレートなラブソングなので、カールスモーキーのクセに真面目に歌っている。

6. かっちょいい!
 初期楽曲の中でも人気の高い、ジェームス小野田ヴォーカルのアッパー・チューン。ライブ映えするしノリはいいしで、米米本来の魅力を最もダイレクトに伝えているのが、このナンバー。いま聴いても単純に気分はアガる。
 ライブの肝となるキラー・チューンであるのと同時に、当時発表されたドラマ仕立てのPVが話題になった。内容はくっだらねえ刑事ドラマとヒーローもののパロディなんだけど、どうでもいいところにすごくこだわったおかげもあって、いま見ても普通に楽しめる。


7. SPACE
  中華テイスト漂うオリエンタルなアレンジに乗せて歌われる、カールスモーキー二枚目路線のナンバー。インダストリアルなリズムとのコントラストが、ちょっぴりアングラ風味。つかみようのないメロディと歌詞は、無理におちゃらけてカールスモーキーを演じる、石井竜也個人の吐露だったのか。
 若さもあっていろいろ抉れてた時期なので、ポロっとこういうのが表出してしまったりする。

8. だからからだ
 後年の健全エンタメ路線に近い、でも言ってることはチャラいバブリーな男の身勝手が、ポップなアレンジで彩られている。メインを張るにはちょっと地味だけど、おちゃらけてない米米を聴きたい人なら、多分好きになるかも。でも、かしこまった米米って、やっぱ一味足りないんだよな。

9. ノンコンプレックス
 シンディ・ローパーから持ってきたようなオケに乗せて歌われる、さらに増長した尻軽男の独白。間奏でガラリと曲調が変わり、ちょっとダークな展開になる、スタジオならではの凝りようがうかがえる。

10. リッスン
 スウィング・アウト・シスターとケニーGのニュアンスをうまくミックスした、男の切なさをストレートに表現したメロディ・タイプのナンバー。いい曲なんだけど、あっさり3分程度で終わっている。
 ここまで聴いてきて、やっぱ物足りないのがジェームズ小野田の存在感。いやインパクトは強いんだけど、もう1,2曲はメインで歌ってほしかった。
 そういった反省も踏まえたのか、次作『E・B・I・S』では、もうちょっと出番が増えることとなる。






「『浪漫飛行』目当てで買ったのに、全っ然違うじゃないのっ!」(当時の20代OL談) - 米米クラブ 『米米CLUB』

Folder そこまでディープな信者じゃなかった俺から見ても、1995年以降の米米クラブは混沌としていた。苦楽を共にした初期メンは脱退するわ正体不明のサポート・メンバーが入れ替わり立ち替わりして、収拾がつかない状態になっていた。
 結成10周年ベストとしてリリースされた『Decade』をピークに、その後は人気も緩やかな右肩下がりが止まらず、そんな状況から目をそらすように、各メンバーのソロ活動が活発化していった。右手と左手とで何をやっているのか、わかりもしないし関心もない、別な意味で混沌としていた初期の彼らの姿はもはや見られず、終わったグループ感が漂っていた。
 とはいえ、全盛期ほどではないにせよ、コンスタントにライブやレコーディングは行なっていたし、CMタイアップやらFMのパワー・プレイやらで、彼らの曲を聴く機会はまだ多かった。もうぶっちぎりのトップを走る勢いはないけど、それでも先頭グループから脱落するほどでもない―、そんな中間管理職みたいなポジションが、彼らの置かれた現状だった。
 「堅実さ」とか「安定感」とは無縁の存在だったはずの米米は、次第に守りの姿勢に入りつつあった。メンバー大量増員やゴージャス化するライブ演出など、あちこちで攻めの姿勢は見られたのだけど、それらの策が肝心の音楽クオリティに反映されなかったことが、バンド終焉の一因だったと言える。

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 お茶の間向けに強力脱臭され、最大公約数のマス・イメージを想定して構築された末期の米米は、ひとつの見方として、コンサバティヴ路線の完成形だったとも言える。カールスモーキー、っていうかフロントマン石井竜也をクローズアップして、彼のヴォーカル・パフォーマンスとメロディ・センスが最も映えるスタイルを追求してゆくと、まぁ誰がプロデュースしてもこんな感じになるんじゃないか、と今にして思う。
 「君がいるだけで」で発揮された、流麗なメロディを中心とする、スマートなエンタテイメント路線は、不特定多数のニーズを掴むためには、最も効率良くシンプルなコンセプトだった。そのコンセプトの純化のため、ジェームズ小野田のファンク・テイストや、キュートな淫靡さを漂わせるシュークリームシュの歌謡ポップ、そして彼らが自虐するところのソーリー曲は、ことごとく排除されていった。
 どんなことにも当てはまることだけど、ひとつ上のステージへ進む際、捨てなければならないものが、何かといろいろ出てくる。過去のしがらみなり男女関係の精算なり、まぁ人それぞれだけど、前に進むために振り捨てなければならない過去は、誰にだってひとつやふたつはある。
 末期の米米の選択が正しかったのかどうかはさておき、果たしてその選択が彼らの望むものだったかといえば、単純なYes/Noで測り切れるものではない。バンドの終焉が先延ばしになるか/早まるかの違いであって、行き着くところは結局のところ、多分同じだった。
 ベストとは言えないけど、ベターな選択だったんじゃね?としか、外野からでは推しはかりようがない。肝心なところは、当事者たちにしかわからない。

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 彼らのキャリアをセールス面のみで区切るとすれば、単純に「君がいるだけで」以前/以降になるけど、バンド内テンションのピークがどの辺だったのか、どこから下り坂になったのかとなると、ファンの間でも議論が紛糾する。それこそ「君がいるだけで」以降という意見もあれば、もっと遡って博多めぐみが抜けてから、という意見もある。
 ある意味、カルト映画として名高い『REX』に魂を売り渡してから、という意見もなかなか捨てがたい。「カールスモーキーが取り巻きに持ち上げられて、映画やアートにうつつを抜かしてから」というのも、見方として間違っていない。
 『Octave』以降、セールス・知名度と反比例するように、ジェームス小野田の存在感は薄くなっていった。シュークリームシュを押しのけて、新参パフォーマンス・チームの露出が増え、ステージ演出もスマートに洗練されていった。
 最大公約数のニーズに応じるためには、最も大衆に支持された「君がいるだけで」タイプの楽曲じゃないと、広く伝わりづらい。アバンギャルドもエロネタも寸劇もゴッチャに詰め込むのではなく、今後のリリースは「君がいるだけで」タイプを中心に―。
 おおよそ、こんな感じで周囲スタッフに吹き込まれたんだろうけど、まぁ言ってることは間違ってない。いつの間にソニーの屋台骨を支えるポジションに祭り上げられ、関連するスタッフも増えて巨大プロジェクトと化した米米を維持するためには、そうすることが最善だった。
 営業戦略的に、ヒット商品の二番煎じ・三番煎じ、または拡大再生産を目論むのは常道であるけれど、そんなに長く続くものではない。「君がいるだけで」と「浪漫飛行」と「sûre danse」の順列組み合わせで続けてきたコンサバ路線も、次第に新鮮味は薄れ、またグループ内のゴタゴタも相まって、わかりやすいくらいに下降線をたどって行く。

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 デビュー以来、長らく色モノ扱いされていた彼らが、音楽面で注目を集めるようになったのが、『Go Funk』である。テンションぶっちぎりのライブの評価は高かったけど、アルバムになると変にかしこまって魅力が伝わりづらかった彼らにとって、起死回生となった作品として知られている。
 実際、このアルバムはすごく良くできており、ファンクやスカ、バラードから小ネタまで、バランス良くひとつのショウとして構成されている。「Kome Kome War」から「Time Stop」から「宴」まで、てんでバラバラなタイプの楽曲が無理なく詰め込まれ、各メンバーの見せ場もしっかりあるし、コンテンポラリーとアングラとの狭間でうまく均衡している。
 総立ちノリノリファンクの後に失笑混じりの小芝居、続けてベタな官能バラード、と言った具合に、擬似ライブ的な構成、「何でも揃えてまっせ奥さん」といった淫靡なバラエティ感こそが、本来の彼らの魅力である。コンサバ路線というのは、あくまでライブ・パフォーマンスの構成要素のひとつであって、二の線ばっかり前面に出しても、彼らの魅力は半分も伝わってこない。
 今でこそキラー・チューンである「浪漫飛行」が収録されていたにもかかわらず、この前作『Komeguny』が思ってたより売れなかったのは、全編スカしたシンセ・ポップ路線でまとめてしまったところが大きい。ポップな要素だけでは、バンドの全体像を見据えることはできないし、同じテイストばかりでは「浪漫飛行」も埋没してしまう。
 『Octave』以降も同様で、スカしたコンサバ路線一本では、全体像を探る以前に食傷気味になってしまう。大トロばっかり食べてても、寿司を堪能したとは言えないのだ。

 そんなコンサバ路線一辺倒へ進む米米の体制に、Nonを突きつけたのが演奏チームだった―、というのを、ちょっと意外と思う人もいるかもしれない。少なくとも後期の路線、音楽的にはちゃんとしている。まっとうなミュージシャンなら、「ポイのポイのポイ」よりも「愛はふしぎさ」を誇りに思うはずである。
 初期ライブの大きな柱であったディープ・ファンクの割合は減ったけど、コンサバ系の源流である、ベタな歌謡テイストのポップ性はまだ残っていた。判で押したようなポップ・テイストに辟易した部分もあっただろうけど、体裁の整った楽曲のレコーディングは、まっとうなミュージシャンのスキルを最大限発揮できるはずだった。
 整然としたアンサンブルを追求してゆくことがミュージシャンとしての条件であるならば、米米の場合、そういった方向性を望んでいなかった、ということになる。ていうか、10年以上一緒にやってるんだもの、オーソドックスなスタイル求めるんだったら、とっくの昔に脱退してるって。
 思うに、音楽的にはあんまり知識のないカールスモーキーがイニシアチブを握っていたこと、サウンド・メイキングにあんまり口出しできなかったことが、逆に米米サウンドの確立につながったという見方もできる。ソウル・ファンクからロックにスカ、カールスモーキーのテイストに合わせたシャンソンや歌謡曲など、あらゆるジャンルの音楽をぶち込んで、ちょっと不細工ではあるけれど、ライブのテンションで乗り切っちまえ、という勢いがあったのが、中期までの米米だった。

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 ムーディーなAOR系ライト・サウンドでスカす反面、くっだらねぇエロ小芝居の伴奏もやってしまう幅の広さが、米米演奏チームのポテンシャルの高さをあらわしている。どっちに優劣をつけるのではなく、彼らの中では「君がいるだけで」も「愛の歯ブラシセット」も等価なのだ。
 「俺色に染まれ」のコード進行やらリズム・アンサンブルがどうした、というより、「ポイのポイのポイ」がいいのか、それとも「ポポイのポイポイ」の方がいいのか―、そんな事に大きな時間を割き、時につかみ合いになるほどのめり込む姿勢こそが、本来の米米であったはずなのだ。
 そんな彼らの一面、くっだらねぇソーリー曲だけを寄せ集めて作られたのが、この『米米CLUB』というアルバムである。コンサバ系だけを集めたベスト『K2C』の3ヶ月後に発売され、そのあまりの落差で新規ファンを困惑させ、反面、古参ファンを狂喜乱舞させた伝説のアルバムである。
 「君がいるだけで」と「ホテルくちびる」が等価であるというのはちょっと強引だろうけど、長年ライブで練り上げて完成度を高め、ファンに愛されたのはどっちかといえば、問答無用で後者になってしまう。いい意味でも悪い意味でも、ファンの度肝を抜くこと、自分たちが面白がることを続けてきたのが、すなわち彼らの歩んできた道であって。
 そんなウンコ曲路線の割合が減ってゆき、なんか普通のポップス・バンドになっちゃったことで、米米のアイデンティティは変容した。遊べる余地も少なくなったため、ジョブリンとリョージはバンドを去った。
 メンバーの誰も彼らを引き止めることはできなかった。アイデンティティであったウンコ曲をないがしろにしたバチが当たり、米米は一気に終息へ向かうこととなる。





1. 愛の歯ブラシセット
2. We are 米米CLUB
3. あたいのレディーキラー
4. 東京 Bay Side Club



5. 東京ドンピカ
6. 二人のアンブレラ
7. オイオイオイ マドロスさん
8. I LOVE YOU
9. パリジェンヌ ホレジェンヌ
10. スーダラ節~赤いシュプール
11. インサートデザート
12. ホテルくちびる



13. AWA
14. 私こしひかり
15. ポイのポイのポイ



―一応、いつも通り曲紹介書いてみたけど、なんか細かく解説するのもバカらしくなってきたので、やっぱやめた。
 めんどくさいことは考えず、まずは全部聴いてみて。






米米のクセして=カールスモーキーのクセに。 - 米米クラブ 『Komeguny』

Folder 1986年リリース、3枚目のオリジナル・アルバム。一般的にはこのアルバム、「初期米米としては、スカしてかしこまったサウンド」という評価だけど、その「米米」というバイアスを外して聴いてみると…、いややっぱどっか変。頭からつま先までビシッとフォーマルにキメているにもかかわらず、ネクタイの趣味が超絶悪い、といった感じで、どこかヌケている。
 カスッカスなドラムと、シャリシャリのMIDIシンセに象徴される、そんな80年代ソニーのサウンド・カラーとは一線を画していたのが、初期の米米だった。だったのだけど、ライブでのはっちゃけ具合とスタジオ音源の無難さとのギャップが大きく、なかなかイメージが定まらなかったことが、ブレイク前の彼らの悲劇である。
 ソニー的にも「どうにかテコ入れを」と案じたのか、ここでは外部アレンジャーを起用して、サウンド・コンセプトの統一を図っている。さらに意味不明の箔づけとして、レコーディングはアメリカで行なわれている。
 とはいえ、スタッフもバンドも日本人で占められており、現地のミュージシャンを使った様子もなさそうなので、なんでわざわざアメリカなのか。wikiに載ってるように、単に「コメグニ」って言いたかっただけなのか。謎だ。

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 大方の80年代サウンドの例に漏れず、当時のソニーからリリースされた音源の多くは、ピーク・レベルが低めに抑えられていた。乃木坂でもあいみょんでも三代目でも何でもいいけど、2019年現在の音圧と比べてみると、その差は歴然。当時リリースされたCDのほとんどは、おおよそボリューム3つくらい上げないと、いまの音圧に太刀打ちできない。
 「音圧爆上げくん」に象徴される、近年の過剰なブースト・ミックスもアレだけど、ほんと昔のCDは音が小さい。「どうせ人間の耳には聴こえないんだから」と、不可聴領域をばっさりカットした結果、クリアではあるけれど、腰の入ってない音になってしまった経緯がある。
 レコード特有のスクラッチ・ノイズがないメリットばかりが喧伝され、いわゆるドンシャリなサウンドが、80年代は持てはやされていた。いたのだけれど、これが全面的に悪かったわけではない。ニュー・ウェイブ系やシンセ中心の音作りをしていたアーティストとの相性が良かったことも、また事実である。
 例えば当時のソニーの屋台骨を支えていたレベッカも、結成当初はレッド・ウォーリアーズ:シャケ主導によるギター・バンドだった。この時代は認知度も低くければセールスもパッとせず、メディアからはほぼ黙殺されていた。
 彼らのブレイクのきっかけとなったのは「ラブ・イズ・キャッシュ」から、シャケ脱退を機に、シンセ主体のサウンドにモデル・チェンジしてからだ。そういう意味で言えば、アーティストとソニーとの相性がうまくマッチングした好例と言える。
 スタジオの特性なりエンジニアのポリシーなり、はたまた時代性など、いろいろな条件が組み合わさって、レーベル独自のカラーが生まれてくる。80年代のソニー・サウンドは、重めのリズム・アプローチとは真逆を指向していたため、そのポリシーに沿ったアーティストを主にマネジメントしていた。または、ポリシーにフィットするよう、アーティスト・コンセプトのモデル・チェンジにも積極的に関与した。「魂を売った」って言われるアーティストも多かったよな、誰とは言わないけど。

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 話を米米に戻すと、彼らの真骨頂であるファンク・ベースのサウンド・アプローチは、当時のソニーのカラーとは、あまりフィットしていなかった。まぁソニーに限らず、ホーン・セクションを擁するバンドのプロデュースは難しい。
 集団による同時演奏から生まれるグルーヴ感をスタジオで再現するのは、プレイヤー側としてもテンションを上げるのが困難だし、エンジニア側からしても、効果的にレコーディングするノウハウに乏しい。キチンと録るには手間も時間もかかるし、そもそもそこまで演奏テクニックをウリにしたバンドではないので、そこにリソースを注ぐのもなんか違うし。
 演奏陣やスタッフの試行錯誤をよそに、カールスモーキー石井はといえば、さらにパフォーマーとしての才能に磨きをかけ、大がかりなスナック芸キャラを固めつつあった。言ってしまえば彼にとって、グルーブ感やらアンサンブルなんてのは瑣末なことであって、極端な話、ミカン箱の上でカラオケをバックに歌うこともアリだったはず。そういえば紅白でも似たようなコトやってたよな。
 本来、卓越したヴォーカリスト立ったはずのジェームズ小野田もまた、歌よりコスチュームやメイクに凝るようになり、シュークリームシュらもまた同様。反応の薄いレコード購買層よりも、直接リアクションを受けるライブ・オーディエンスの方を向くようになるのは、これまた自然の摂理。

 「やるならちゃんとしたプレイを聴かせたい」演奏陣と、「いやいや客ウケするステージがやりたいんだ」というフロント陣との意見のぶつかり合いがしょっちゅうだった米米。みんな大人になった近年こそ、深刻な衝突はなくなったけど、年がら年中顔を突き合わせていた当時は、血で血を洗う内部抗争が日常茶飯事だった(ウソ)。
 プレイヤー主導でアンサンブルを聴かせるタイプの楽曲は、ライブでは好評を期していたけど、そのテンションをスタジオに持ち込んだらアラ不思議、ショボい仕上がりになってしまう。ライブではド迫力なはずなのに、CDになると低ビットレートのMP3にグレード・ダウンしてしまう。なぜなのか。
 前述したように、80年代のソニーのサウンド・アプローチでは、彼らを活かすミックスができなかった/ノウハウに欠けていた。せっかくのブラス・アンサンブルも、変にエフェクトかけ過ぎちゃって響きが軽いんだもの。

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 ライブのテンションをそのまま持ち込もうとするから喧々囂々しちゃうのであって、だったらいっそ、ライブ感を無視しちゃえば?てな経緯で制作されたのが、この『Komeguny』である。やっとたどり着いた。
 意外なことに、米米の楽曲の多くは、カールスモーキーの手によるモノである。作詞はともかくとして、ロクに楽器も弾けなければ音楽の素養もまるでないはずなのに、彼が紡ぎ出すメロディは、多くの人たちをいまも魅了している。
 多分に、鼻歌レベルのデモ・テープを素材として、職人肌の演奏陣らがあれこれ肉付けしての結果なのだろうけど、そのメロディの求心力は、80年代アーティストらの中でも飛びぬけている。あれだけチャラくて調子良いくせして、なので、あんまり認めたくないけど、持って生まれたポテンシャルが段違いなのだろう。
 何しろ、生まれて初めて作った曲が「Shake Hip」だった、というくらいだし。

 とはいえ、この時点での米米は、まだブレイクとは程遠い状況にあった。良いフレーズ・キャッチ―なサビはあるけど、どれもワン・アイディアのまま充分な形に膨らんでおらず、印象のボケた感じになっている。これがライブだったら、強引にグルーヴしちゃうのだけど、スタジオではそんな相乗効果も生まれにくい。初期の米米の楽曲は、得てしてそんなのが多い。
 プレイヤビリティにこだわりの強い演奏陣と、ノン・ミュージシャンであるカールスモーキーとは、愛憎半ばの関係だった。基本のコード進行さえ知らず、感性の赴くまま奏でられる彼のメロディは、楽理的に見れば、いびつなモノも多かったのは事実である。
 本人が鼻歌で歌う分にはいいけど、ここに演奏を載せるとなると、ルール無視の変な転調や不協和音を整えなければならない。そこで演奏陣の出番となる。
 「これは音楽的に間違ってる」と言われても、反論の仕様がない。感覚的にはコッチの方がいいはずだけど、それを覆せるほどの理論武装ができないため、従わざるを得ない。よって、演奏陣らの手によって、メロディは直され、アンサンブルは組み直されてゆく。
 ただそんな彼らも、カールスモーキーよりは音楽的ではあるけれど、プロのバンドとしては所詮駆け出し、そこまで引き出しが多いわけではない。演奏しやすく無難にまとめられたメロディに、無難な演奏をつけてゆく。
 無難なプロデュースによって作られた無難なトラックは、納期に合わせてアルバムにまとめられる。何においても無難なので、セールスもそこそこで終わってしまう。

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 どっちつかずで停滞していた米米をブレイクさせるため、カールスモーキーをメインとしたメロディ路線は、この時点での最良の選択だったと言える。何かとわだかまりのある両者を取り持つ役割として、共同プロデュース&外部アレンジャーとして起用されたのが、中崎英也という人物。
 「1980年、バンド「WITH」のメンバーとしてキング・レコードよりデビュー。1985年のWITH解散後は、作曲家・プロデューサーとして活躍している」。
 Wikiではかなりあっさり紹介されているけど、提供曲を見て、ちょっと驚いた。俺が知ってるだけでも、
 アン・ルイス 「Woman」
 小柳ゆき 「あなたのキスを数えましょう」
 鈴木雅之 「もう涙はいらない」。
 これ全部、中崎氏の作曲・プロデュースによるものである。どれも大ヒットしてるじゃないの。しかもしかも、少女隊「素直になってダーリン」まで書いてるじゃないか!って、誰も知らねぇか、こんなの。
 メンバー全員が一枚岩のミュージシャン・タイプではなく、サムいギャグとアートかぶれと昭和歌謡とが一緒くたとなって、なんだか出所不明のオーラを纏っていた初期の米米は、一部の好事家によって支えられていた。ただ、そんなライブハウス上がり特有の「アングラ的ニュー・ウェイブ」臭も、アルバム2枚程度なら許されるけど、中堅どころになると、そろそろ飽きられてくる。
 ソニー的にも、先行投資の時期は過ぎて、そろそろ資本回収か引き上げを考える頃合いである。音楽を中心とした運命共同体ではないので、このままだったらバンドは空中分解してもおかしくなかった。
 そんな事情もあってか『Komeguny』、 ちゃんとしたプロの手による、ある程度目鼻立ちの整ったアルバムになっている。ここでメロディ・タイプの楽曲をしっかり作り込む機会を得たことが、のちの大ブレイクに繋がったんじゃないかと、今になって思う。


KOMEGUNY
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1. Only As A Friend
 地味な良曲ではあるけれど、「いかにも80年代っぽいポップスだ」「無難にまとめてスカしてる」だ、古参ファンにはあんまり評判はよろしくない。確かに「瞳をそらストップモーション」って歌詞はちょっとどうかと思うけど、そこだけクローズアップして揶揄するのも、ちょっと早計。歌詞をきちんと聴いてみると、案外ビジュアライズで映像的、ストーリー展開もちゃんと練り上げられている。
 「恋愛には誠実なホスト」を演ずるカールスモーキーのヴォーカルによって、二流のハリウッド映画のような世界観が展開されている。褒め言葉だよ、これって。

2. sûre danse
 エモーショナルなヴォーカルと演奏だった、一番最初のライブ・ヴァージョンがレコーディング時に大幅に改変され、ここでは無難にこじんまり、万人向けに聴きやすいポップ・ファンクに仕上げられている。
 本人たちとしても思い入れが相当強かったらしく、その後も2度、リアレンジしたヴァージョンがリリースされているけど、世間的に印象が強いのは、初音源化となるこのヴァージョンなんじゃないかと思われる。テレビのライブ番組でオリジナルに近い形で演奏されていたのを見た覚えもあるけど、結局、「それはそれ」といった具合で、当時ヘビロテされていたPVの印象が刷り込まれている。

3. 浪漫飛行
 のちの大ヒット・ナンバーも、当時は単なるアルバム収録曲のひとつに過ぎず、そこまで話題になったわけではなかった。打ち込み主体の演奏ゆえ、バンド・メンバーの関りが薄いこと、な米米というよりはカールスモーキーのソロっぽいテイストだったこともあって、当時のファンの間では「別モノ」扱いされていた。だってカールスモーキーのくせにスカし過ぎなんだもの。
 この曲が大きく脚光を浴びたのは、リリースから3年後、JAL沖縄キャンペーンのイメージ・ソングに抜擢されたことによるものだけど、書き下ろし新曲を差し置いて旧曲が引っ張り出されるなんて事態は、この時期は珍しかったはず。それだけ楽曲のパワーが強かったということなのだろう。



4. Collection
 UKシンセ・ポップをモチーフとしたバッキングがカッコいいナンバー。ここは演奏陣が結構前面に出ており、軽めのポップ・ファンク風味が時代性を感じさせるけど、いや普通にいま聴いても全然イケる。演奏陣に華を持たせたのか、カールスモーキーの存在感が薄い。と思ったら、ほぼノン・リヴァーブ。まぁスタジオ向けの曲だよね。

5. Primitive Love
 深いドラム・リヴァーブと厚めのコーラス、キラキラしたシンセに噛ませるアコギのストローク。世を席巻した80年代ソニー・サウンドのモデルケースが、これ。でもヴォーカルはジェームズ。しかも真面目にスカしてやがる。そのミスマッチ感を楽しむのが上級者。

6. Make Up
 シンディ・ローパーみたいなポップ・ファンクに、歌謡曲テイストのメロディが乗り、そのサウンドの中を縦横無尽に駆け巡るカールスモーキー。洋楽テイストをうまく吸収した良曲だけど、考えてみればアメリカ録音だったか。ライブ感というのとはまた別に、きちんとスタジオで作り込んだら案外うまくできちゃった的な曲。
 今の俺的には結構好みのサウンドだけど、当時はあんまり印象に残ってなかった。レコードでいえばB面だけど、そういえばA面ばっか聴いてたよな。

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7. Misty Night
 パワー・ステーション以降のデュラン・デュランといった感じの、当時のUKポップ・ファンクを想起させる良曲。地味だけど、演奏陣も結構頑張ってる。意味なく速弾きギターも入ってたりして、この辺はヘッド・アレンジ感が残っている。あと一歩で突き抜けそうで突き抜けない、ちょっとフック弱めのサビメロが、逆にアンサンブルの自由度を増している。

8. Hollywood Smile
 バブル臭漂う高層階のピアノ・バー、飛び入りでピアノの前に座り、弾き語りを始めるカールスモーキー。次第に興が乗り、なぜか偶然居合わせた演奏陣、ついでにこれまた偶然に立ち寄ったBIG HORNS BEE。そんな情景を描きたいがためだけに作られたナンバー。インチキ・ジャズ風味が珍しいけど、ただそれだけ。アルバムの中の箸休め的なポジション。

9. Hustle Blood
 うまくピッチを取ろうとするジェームスがこんなにつまらないなんて、っていうのを露呈してしまった楽曲。ちょっとハードなTMネットワークっぽいので、宇都宮隆ヴォーカルの方がしっくり来るかもしれない。シンセをうまくリンクさせたハードな産業ロックとして、演奏の出来は良いので、ちょっともったいない。時代的に、アニメ「キン肉マン」や「北斗の拳」との曲タイアップもアリだったんじゃないかと、個人的には思う。

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10. Twilight Heart
 ラストはちょっとオリエンタル・テイスト漂うバラード。ヴォーカルはなんとフラッシュ金子、サックスの人。たゆたう大河の流れの如き、ニューエイジ臭漂うサウンドと、フワッとしたヴォーカル。なんでこれがラストなの?他にもっといい曲あったんじゃないの?と思ってしまうけど、まぁプロデューサーの判断なんだろうな。
 最後くらい、遊びのウンコ曲入れちゃった方が米米らしいのだけど、最後まで二の線だったな、『Komeguny』。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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