1985年10月リリース、米米のデビュー・アルバム。CBSソニー的には次の11月、10代最後となる尾崎豊の3枚目『壊れた扉から』とレベッカの出世作「Maybe Tomorrow』に力を入れていたため、「リリース・スケジュールのエアポケットにラインナップ揃えました」的な、あんまりやる気のない日取りとなっている。
見た目はハデだけど、音楽的にはまだ方向性が定まっていなかったのか、表ジャケットに貼られたステッカーに書かれたキャッチコピーは「新米感覚」と、何かよくわからない。多分、担当ディレクターもどうやって売り出したらよいのやら、頭を抱えてたんじゃないかと察せられる。
スタイリッシュなのかおふざけなのかエキセントリックなのかウケ狙いなのか、各メンバーまったく統一感のないポートレートを用いたジャケットから、今でこそ「ニューウェイブ/ニューロマ系のバンドじゃね?」と想像することもできるけど、当時はまだそんなジャンル分けも確立していない時代だった。もう在籍していないメンバーもいるせいか現メンバーにとっても黒歴史なのか、現行ジャケットはシンプルな太陽のロゴに差し替えられているけど、コレだってどんな音か想像つかないって。
プロモーションもそこまで力を入れた風でもなく、メディア露出もそれほど目立ってなかったはずなのだけど、新人バンドのわりにはオリコン最高35位と、そこそこ健闘している。好事家のイカもの喰いにしては数が多すぎる。
80年代も後半に差し掛かると、ソニーが地道に築き上げてきた新人育成/マルチメディア戦略の成果が出始めつつあった。主に自社メディア中心ではあったけれど、米米も十把一絡げのニューカマーとしてプッシュされていた。
ひとつの広告ページにエコーズや大江千里やゴンチチやゼルダと一緒にギュッと押し込まれ、個々に深いつながりはないのだけれど、これだけ幅広くそろえれば、どれか1つくらいはツボにハマる。こういった抱き合わせ商法は昔からあったのだけど、ソニーはそこを徹底してやっていた。楠瀬誠志郎のファンがPSY・Sを気になったり、または何でか小比類巻かおるのレコード買っちゃったり。
「ソニー系アーティスト」という大きな枠組みにブランド価値がついてきたのがこの頃であり、米米もまたその流れに何となく乗っかって、当初からそこそこの認知度を得ていた。単体で宣伝費かけるには、リスキーな存在でもあったし。
80年代後半のCBSソニー邦楽アーティストの序列は、浜省と大滝詠一が大御所扱い、レベッカが若手筆頭、次にハウンドドッグが続く。独自の営業戦略で動く二大巨頭は別として、この時期の若手の多くはSDオーディションを経て育成枠→本契約というプロセスを辿っており、米米もまた同様のルートでデビューしていた。
まだ独自のブレーンを持たない彼らを後押しするため、宣伝媒体として設けられたのが、雑誌・映像によるマルチメディア戦略だった。ソニー・グループが立ち上げた雑誌「PATi・PATi」と、映像コンテンツ「ビデオジャム」は、エピックも含めた所属アーティストを中心に、ていうかほぼソニー系だけで構成されていた。
同じグループ内のプロモーションが主目的なので、ギャラも発生しないし、払ったとしても格安で済む。販促費のかけ方としては極めて合理的な手段である。その周辺事情は以前書いてるので、詳しいところはこちらで。
80年代ソニー隆盛の要因のひとつとして、従来の「良い楽曲だけを地道に売り込む」手段だけではなく、その発信先、アーティスト本体のブランディングに注力した点にある。目新し好きなティーンエイジャーの位相にフィットしたトータルイメージ、「なんかイケてる」風にコーディネートした。単なるレコード流通だけじゃなく、レーベル自らトレンド発信する機能を確立したことによって、80年代ソニーは大きく差別化を図る。
70年代の「新譜ジャーナル」や「音楽専科」に代表されるように、雑誌に載る写真の多くはインタビューのついでに適当に撮影されたものが大半だった。それに対しソニーは、撮影スタジオを別でセッティングし、照明やメーキャップに凝ることで、ビジュアル映えを強く打ち出した。
PVもカットアップを多用してスピード感を演出した。漫然とライブ映像を流すのではなく、CGの多用で目新しさを出し、青春や恋愛など10代が共感できるストーリー性も盛り込んだ。
まだ新米に毛の生えた程度で、バンド運営のノウハウも持っていない米米も、多くの所属アーティスト同様、とりあえずソニーの敷いてくれたレールに乗っかった。ソニー的にも、可能性以外は何も持たない勝手気ままな連中を型にはめるため、そういったシステムに組み込む方が管理しやすかった一面もある。
メジャー活動の処世術として、ソニー・メソッドに沿っていた米米だけど、そもそも大半のメンバーは自由な校風を謳っていた文化学院の卒業生であり、お行儀よくできるはずがなかった。まぁみんなイキってたんだよな、米米に限らず。
で、ソニーのビジュアル戦略だけど、当時はハイセンスでキラキラしてた印象が残っていたのだけど、30年以上経ってから再見すると…、まぁ見返すもんじゃないな、こういうのって。「最先端」「トレンディ」を太文字で強調していた80年代の作品って、いろいろと気恥ずかしい。
逆に一周回って、この時期の作品はシティ・ポップ系で再発見されたものも多いんだけど、歴史に埋もれた作品の方がもっと多いのが事実。そりゃ当時の現場スタッフは、真剣にものづくりに励んでいたのはわかるんだけど、でもあんまり掘り返さない方がいい稚拙な作品も多かった。
なので「PATi・PATi」といえば、斜をかけたスカしたモノクロ画像、PVはおおむね気恥ずかしいドラマ仕立てと光学処理を施したライブ映像がひとつのフォーマットとなっていた。いまと違って、アーティストを専門に取り扱うカメラマンや映像監督が少なかったこともあって、似たような作品が多かったのは、当時を物語る微笑ましいエピソードである。
で、米米の場合、カールスモーキーのスカしたビジュアルは、黙ってりゃ充分映えるのだけど、インタビューの発言はいい加減だし適当だし、変にウケを狙ってわかりづらいオチでモヤモヤさせたり、「いいから普通にカッコつけてろよ」と諭したくなってしまう。他のメンバーはといえば、歌舞伎メイクの大男やユニセックスな女装のギタリストやら統一感はないし、こうやって書いてると単なるコミックバンドだな。
音楽ひとすじで根はまじめなロックバンドや、真摯なメッセージを伝えようともがき足掻く熱血シンガーとは一線を画した。っていうか米米自身も「イヤイヤ俺たちなんて、そんな大したモンじゃねぇでゲスよ」と謙遜していたのだけど、音楽性を高めていく気がまるでない人たちなので、比べること自体にズレがある。それでも博多めぐみやジョプリンら演奏チームはまだ、アレンジやアンサンブルに凝ったりなど、まっとうなミュージシャン・シップを持っていたのだろうけど、見た目ナルシストで内実お調子モンのカールスモーキーはあんなだし、真面目にやればグルーヴ感MAXなファンク・マスターのジェームス小野田もあんなだし。
もともとレコード・デビューを目標としていたバンドではなく、米米は結成当初からライブ・パフォーマンスを軸に活動していた。80年代はサブカルチャーの勃興によって、非メジャーの小劇場やパフォーマンス集団がアングラ・シーンで脚光を浴びており、米米もまた「音楽もやる」ユニットのひとつだった。
ゆるやかなストーリー仕立てのエンタテイメント・ショウは、笑いあり小芝居ありシリアスありのてんこ盛りで、その一要素として音楽も組み込まれている、といった按配だった。本人たちは真剣だったのだろうけど、パロディやギャグの部分がクローズアップされることも多かったため、まじめに音楽に向き合ってる層にはウケが悪かった。
楽器の弾けないカールスモーキーの適当な鼻歌をもとに、演奏チームが試行錯誤しながらアンサンブルを整え、それらはショウの構成パーツとして当てはめられた。その中で出来のよい楽曲はスタジオでブラッシュ・アップされ、音源として残された。
「出来が悪い」って言っちゃ語弊があるので、「わざわざ記録するほどではない」「納得いってない」楽曲が大量に残っている。後年、そんなくっだらねぇライブ楽曲、本人たちいうところの「ソーリー曲」を『米米CLUB』でまとめて放出しているのだけど、正直、コア・ユーザー向けのファン・アイテムのため、何度も聴き返すものではない。
一応『米米CLUB』、以前レビューを書いているのだけど、あんまりにもくっだらねぇので、いつもの楽曲詳細も書いてなかったっけ。そのうち書き足してみようかね。
で『シャリ・シャリズム』、85年という時代性を感じさせるサウンドでまとめられている。当時からお水っぽさとインチキ振り全開だったカールスモーキーの美メロと、歌えば全部ファンキーになってしまうジェームス小野田、UKニュー・ロマンティックなデカダン・ポップをベースに、ニューウェイヴのショーケース的なサウンドを捻り出す演奏チームがせめぎ合い、最終的にソニー推奨のコンテンポラリー中庸ポップにパッケージングされている。
一応、メジャーの流儀に沿ったのか、その後の変質ぶりから比べてかしこまってる感はあるけど、レコーディングのイロハもわからない状態ゆえ、ディレクターの意に沿った形になってしまったのは致し方ない。スネークマン・ショーのようなギャグやメロドラマ風小芝居を入れても伝わりづらいし、「I・CAN・BE」タイプのメロウなシンセ・ポップ、それとライブ感が伝わりやすい「かっちょいい!」タイプのファンキー・チューンの二段構えで構成したのは、結果的によかったんじゃないかと。
ジェームス小野田は当時から相変わらず飛ばしてるからいいとして、やはりカールスモーキーの中途半端さ、ハジけきれなさが目立ってしまう。「狂わせたいの」で見せる天性のタイコ持ちっぷりは、レコードじゃ伝わりづらいよな。
スタジオ録音で作り込んだ楽曲を、ライブでとことんイジり倒すセオリーとは真逆のベクトルを歩んでいた米米は、その後もしばらく迷走し続ける。最初からパール兄弟みたいな立ち位置でデビューしていれば、もうちょっと楽だったのかもしれないな、とも思ってしまう。
でも、売れずに解散してたかな、その路線じゃ。
1. フィクション
バブリーなシンセとブラスのイントロから始まるオープニング・チューン。アート・オブ・ノイズとパワー・ステーションから良さげなところをちょっとずつパクったサウンドは、いい感じで和風に調味されて程よいポップ・ファンクに仕上げられている。サビメロで力みながら歌うカールスモーキーは、ある意味、貴重。多分、こんな歌い方したくなかったんだろうけど、ディレクターに言われて仕方なくやった感がにじみ出ている。
「シティ・ハンター」の挿入歌としても使えそうな、ハードボイルドな歌詞の世界観は、この時期ならではの産物。「蔑んでいた太陽に手をかざす」なんて抉れた歌詞は、サブカルっ気がまだ染みついている。
2. I・CAN・BE
アルバムと同時リリースされた、米米のデビュー・シングル。オリコン最高67位は当時としても中途半端なポジションだな。一応、CMタイアップもついてコレだったから、ソニー的にも肩透かしだったんじゃないかと思われる。
ライブで固めたアレンジをディレクターの美意識、ていうか独断で強引に変えさせられてレコーディングしたことを、ずいぶん後になってからもボヤいており、本来のアレンジに戻したヴァージョンも発表されている。過密スケジュールの中、わざわざリアレンジするくらいだから、よっぽど根に持ってたんだろうな。
ただ、この『シャリ・シャリズム』ヴァージョンが全然ダメというわけでもなく、俺的には最初に聴いたこちらの方が馴染みも深く、チャラいシンセ・ポップのアプローチはそんなに間違ってなかったんじゃね?とも思う。『K2C』ヴァージョンは落ち着いてて、それはそれでいいんだけど、売れた後の余裕綽々ぶりがちょっと鼻につくんだよな。
3. ニュースタイル
トムトム・クラブとイレイジャーのイイとこどりで仕上げちゃった、あんまり深く考えて作った感じのない歌詞が逆に印象的。カールスモーキーの適当なフェイクやスキャットを軸に、演奏チームが自由奔放にアレンジ膨らませると、こんな感じになる。
イントロはソニー系のロック・グループのフォーマットとなっていた、ブライアン・アダムスとU2を適当に混ぜ合わせた感じで、俺的には嫌いじゃない。ていうかスッと馴染むんだよな。
4. エクスクラメーション・マーク
祭りばやしとケチャをミックスしたオープニングに続き、性急なシンセビートが走る、このアルバムの中では最もUKポストパンクの影響が強いナンバー。これ見よがしなシンセ乱れ弾きは、人によって抵抗あるかもしれないけど、ただパクりやパロディの域を突き抜けていることから、演奏チームのポテンシャルの高さ・引き出しの多さを感じさせる。
このアルバム以降はBIG HORNS BEEがフィーチャーされることが多くなり、シンセ<生音という比重になってゆくのだけど、この時期のシンセポップ・アプローチも趣深く、リアタイで触れてきた者にとってはツボ。
5. On My Mind
OMDとマイク・オールドフィールドの意匠を借りて、壮大なオリエンタル感を演出したバラード。ストレートなラブソングなので、カールスモーキーのクセに真面目に歌っている。
6. かっちょいい!
初期楽曲の中でも人気の高い、ジェームス小野田ヴォーカルのアッパー・チューン。ライブ映えするしノリはいいしで、米米本来の魅力を最もダイレクトに伝えているのが、このナンバー。いま聴いても単純に気分はアガる。
ライブの肝となるキラー・チューンであるのと同時に、当時発表されたドラマ仕立てのPVが話題になった。内容はくっだらねえ刑事ドラマとヒーローもののパロディなんだけど、どうでもいいところにすごくこだわったおかげもあって、いま見ても普通に楽しめる。
7. SPACE
中華テイスト漂うオリエンタルなアレンジに乗せて歌われる、カールスモーキー二枚目路線のナンバー。インダストリアルなリズムとのコントラストが、ちょっぴりアングラ風味。つかみようのないメロディと歌詞は、無理におちゃらけてカールスモーキーを演じる、石井竜也個人の吐露だったのか。
若さもあっていろいろ抉れてた時期なので、ポロっとこういうのが表出してしまったりする。
8. だからからだ
後年の健全エンタメ路線に近い、でも言ってることはチャラいバブリーな男の身勝手が、ポップなアレンジで彩られている。メインを張るにはちょっと地味だけど、おちゃらけてない米米を聴きたい人なら、多分好きになるかも。でも、かしこまった米米って、やっぱ一味足りないんだよな。
9. ノンコンプレックス
シンディ・ローパーから持ってきたようなオケに乗せて歌われる、さらに増長した尻軽男の独白。間奏でガラリと曲調が変わり、ちょっとダークな展開になる、スタジオならではの凝りようがうかがえる。
10. リッスン
スウィング・アウト・シスターとケニーGのニュアンスをうまくミックスした、男の切なさをストレートに表現したメロディ・タイプのナンバー。いい曲なんだけど、あっさり3分程度で終わっている。
ここまで聴いてきて、やっぱ物足りないのがジェームズ小野田の存在感。いやインパクトは強いんだけど、もう1,2曲はメインで歌ってほしかった。
そういった反省も踏まえたのか、次作『E・B・I・S』では、もうちょっと出番が増えることとなる。