好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

甲斐バンド

なぜか空気扱いのアルバム。40年以上経ったいま、ちゃんと聴いてみよう。 - 甲斐バンド 『地下室のメロディー』

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  1980年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『My Generation』を最後に、デビューからのベーシスト:長岡和弘が脱退し、甲斐・大森・松藤の3人体制で作られた初めてのアルバムでもある。
 時系列でアルバムリリースをたどってゆくと、 
 79年10月『My Generation』
 80年3月ライブ『100万$ナイト』
 80年10月『地下室のメロディー』
 81年6月ライブ『流民の歌』
 81年11月『破れたハートを売り物に』
 という流れになる。まるでアイドル並み、ほぼ半年ペースでアルバムがリリースされているのは驚きだけど、当時はこれが当たり前だったのだ。
 シングル「HERO」の大ヒットを受けて、本格的なロック・サウンドへ大きく舵を切ったのが『My Generation』から、というのが、大まかな流れとなっている。デビュー以降、長らく「フォーク」または「歌謡」という注釈付きだったサウンドは、地道なライブ演奏によって鍛えられ、強いビート感を獲得している。
 長いロードを経て自信と確信を得た彼らが、70年代の総決算とした『100万$ナイト』には、骨太なマッチョイズムとセンチメンタルな郷愁とが、混在して刻まれている。この2年前にリリースされているライブ『サーカス&サーカス』では、まだ蒼く情緒的なメロディが勝っていたのだけど、ここでは強靭なリズムの成長が著しい。
 『流民の歌』は以前レビューしているけど、解き放たれた野性のギラつき、急激に変化せざるを得ないアンサンブルの荒々しさが、克明に記録されている。荒々しくザラついた音の礫は、洗練より混沌に収斂され、予定調和を拒む当時の彼らのスタンスを象徴している。
 そんなライブ演奏に比肩するカタルシスを追求するため、彼らはスタジオ・レコーディングのグルーヴを強化するため、試行錯誤の袋小路にはまり込む。その過渡期に産み落とされたのが「破れたハートを売り物に」だった。
 同名アルバムもあるけど、この一曲だけで、それまでのフル・アルバム以上の密度と暗中模索が詰まっている。このトラックをあるべき姿に仕上げること、それが彼らの大きなターニング・ポイントとなり、またバンド・ストーリーのエピローグの幕開けとなる。
 「HERO」以降からNY3部作までを辿ってゆくと、おおよそこんな感じになる。どのアルバムもベクトルが明快だし、プロセスの連続性は保たれている。
 で、敢えてすっ飛ばしちゃったのが、本題の『地下室のメロディー』。ここまで一気に書いてみたけど、どうにもハマらない。
 スタジオ作品としては「明確なロック路線を打ち出した『マイジェネ』と、NY3部作の糸口となる『破れた~』との橋渡し的アルバム」と言いたいところだけど、2作との連続性はほぼ感じられない。前作の『マイジェネ』で歌謡ロック・テイストは払底したはずなのに、ここでは再びメロディが立つアレンジが多くなっている。言っちゃえば番外編、まるで寄り道しちゃったような立場のアルバムである。
 その上、前後をライブ・アルバムに挟まれているため、ますます印象に残りづらい。まるでエアポケットみたいな場所に突っ込まれていることもあって、地味さ加減がハンパない。
 サウンドの変遷で言えば、むしろ『マイジェネ』の前にリリースされていた方が収まりがいいくらいである。リリースから40年以上経った現在なら、順番なんか気にせずランダムに聴き進めてゆけるけど、リアタイで聴いてたファンなら多分、ちょっと戸惑ったんじゃないかと思えてしまう。

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 このアルバムがリリースされた頃、俺はまだ小学生で、甲斐バンドは「ヒーロー歌っている人たち」程度の存在でしかなかった。少年ジャンプとガンダムこそ至高だった俺が『地下室のメロディー』を聴くのは、もっと後の話である。
 日本のロックに興味を持ち始めたのが中学生になってからで、甲斐バンドの存在を意識するようになったのが『Gold』からだった。なので、リアタイで聴くようになったのはキャリアも末期の頃で、それ以前のアルバムは後追いである。
 チャチャっとネットで調べられる時代ではなかった80年代前半、詳しい情報を得るには、雑誌やラジオを細かくチェックするしかなかった。レベッカやBOOWYを聴く同級生は多かったけど、甲斐バンドを聴いてる者は周囲にいなかった。北海道の中途半端な田舎なんて、そんなもんだ。
 そんな1985年、甲斐バンドの歴史を網羅した一冊の本が上梓された。音楽評論家:田家秀樹による「ポップコーンをほおばって」。
 エンボス加工を施された表紙カバーに映るのは、濃いサングラスをかけた甲斐の虚ろな横顔。荒い粒子のモノクロ写真とザラついた手触りは、無骨さとダンディズムを強く打ち出している。カバーをはずした表紙は眩いゴールド一色で覆われ、余計な装飾は排除されている。シンプルだけどこだわりの強いレイアウトと装丁は、静的なインテリアとしても遜色ない。
 基本は甲斐の発言を中心に、バンドの歴史を年代別で追ってゆくオーソドックスな内容なのだけど、関係者や周辺スタッフのインタビュー・エピソードに紙幅を多く割いており、この手のアーティスト本ではあまり見ないスタイルである。なのでニュアンス的に、「甲斐バンド」じゃなくて「甲斐よしひろ」、彼を素材に多角的に捉えたノンフィクション・ノベルという意味合いが強く出ている。
 サイド・ストーリーを丁寧に組み立ててメインを引き立たせる手法は、当時、ノンフィクションの主流だった沢木耕太郎の流れを汲んでおり、タレント本のセオリーとは一線を画している。このメソッドをストレートに用いると、もっと傍観者的視点が強くなるはずなのだけど、それより田家の甲斐バンドへの思い入れが強いため、結局は熱心なファンもビギナーも共感できる作品になっている。
 久しぶりに読み返してみると、おおむね事実関係に沿ったプロットになってはいるのだけど、熱心なファンである田家の主観、「俺の見解=甲斐の主張」というバイアスが強くかかっていることに気づかされる。対象への過度な感情移入は、ノンフィクション的にはNGなのだけど、甲斐バンドのブランド・イメージ形成という目的は達せられている。
 この本が上梓された80年代、音楽雑誌のレビューはこういった文体が善しとされていたのだった。当時のロキノンの読者レビューなんて、おおむねこんな感じだったしもっと赤裸々な感情吐露も多かったし。
 で、「ポップコーンをほおばって」、書籍版は早々に絶版、のちに加筆訂正された文庫版も、絶版になってから随分経つ。よくある話だけど、引っ越した時に無くしちゃったんだよな書籍版。なので、いま俺の手元にあるのは文庫版のみである。
 話は戻って、北海道の中途半端な田舎の高校生の時に初版を入手した俺はその後、巻末の全アルバム・レビューを頼りに、『GOLD』以前のアルバムを追っていった。200字程度のシンプルな文章ではあったけれど、予備知識ゼロの状態だった俺にとっては、貴重な情報の宝庫だった。
 当時、廃盤扱いだったことから、おそらく甲斐的にも黒歴史だった『らいむらいと』と並んで、なかなか食指が動かなかったのが、『地下室のメロディー』だった。そのアルバム・レビューをちょっと引用してみる。
 「甲斐よしひろの私生活を感じ取りたいという人は、このLPを聴けばよいのかもしれない。男と女の別離の痛みが、そこここににじみ出ている。歌詞カードに、レコーディングの時期を明記してあるのは、もしかすると「この時期だった」という時間的なことを残しておきたかったのかもしれない。このLPで一番意味を持っているのはそこなのかもしれない」。
 取材対象への深いリスペクトが伝わってくる文章ではあるけれど、内容についてはまるで触れてない。プライベートな色彩の濃い内容なのだろうな、というのはフワッと感じるけど、どんな音なのかは、これを読んでもさっぱり掴めない。
 「じゃあ」と本文に戻って1980年の章を見ても、「漂泊者(アウトロー)」がドラマ主題歌に採用された経緯しか書かれておらず、アルバムについては一切触れていない。そんなに田家、『地下室のメロディー』に関心がないのか、はたまた書きようがないほど印象薄いアルバムなのか。
 レコーディングに至る経緯や状況を事細かく綴っている『マイジェネ』や『破れた~』と比べ、ひどくぞんざいな扱いの『地下室のメロディー』。投下された熱量がまるで違っているのは、当時の俺にも感じ取れた。

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 その後ずいぶん経って、CD借りたのか買ったのか、それすら判然としないのだけど、結構後追いで聴いたのは確かである。こんな書き方でわかるように、初めて聴いた時はあんまり印象に残らなかった。
 ていうか、聴く前から負のバイアスがかかっていたせいもある。まぁ、そんな先入観を吹き飛ばすほどのインパクトには欠けていた、ってことなのかもしれない。
 借り物の歌謡ロックから脱却して、彼らオリジナルのロック・サウンドの追求、揺るぎないスターダムを確立し、純音楽路線へ突き進んでゆくプロセスの流れでは、このアルバムはうまくハマりづらい。だからこそ「ポップコーンをほおばって」でも、軽く流さざるを得なかったわけで。
 変な先入観抜きで聴いてみても、確かに地味だった。ただ最近、アナログで入手して聴き直してみると、思い込んでたのと印象が変わったので、取り上げてみたわけで。
 ロックだけどメロディアス、歌謡曲っぽさもありながらドライな質感。「ロックの」「歌謡フォークの」という注釈から自由になった、甲斐よしひろの素直な音楽性がストレートに反映されている。特に甲斐のヴォーカルからは甘さや粗雑さが抜け、大人の色気と憂いを漂わせている。
 ストレートなロック・チューン「漂泊者」がオープニングだけど、他の曲はバラエティ豊かに多彩なアレンジを施されている。曲ごとにアプローチを変えて丁寧に歌うことで、ヴォーカリスト:甲斐よしひろの可能性を引き立たせている。
 甲斐バンド独自のロック・サウンド確立の発露となったのが『マイジェネ』で、その実践→迷走が『破れた~』という位置づけになる。サウンド括りではなく、楽曲の解釈やアプローチの変化に意識的になったのが、この『地下室のメロディー』だったと捉えればすっきりする。横道に逸れたんじゃなくて、フロントマン:甲斐のアイデンティティ確認という、併行した流れだった、と。
 一様なバンド・アレンジに限定せず、楽曲に合わせてアレンジを変えたりヴォーカル・スタイルを変えることに躊躇いを感じなくなったことも、甲斐の覚悟のあらわれのひとつである。前に進むために、余計な気遣いをやめた、というべきか。
 なので『地下室のメロディー』、楽曲ごとに多くのゲスト・ミュージシャンが参加しており、どの曲のサウンド・メイキングにも、甲斐の意向が強く反映されている。急速に変容してゆくバンド・サウンド、そして自身のアイデンティの確立のため、甲斐はクリエイティブな前進を選択した。
 バンドを取り巻く状況はのぼり調子でありながら、当時の内情はゴタゴタしていた。混乱した状況を取りまとめるためには、とにかく前に進むしかなかったのだ。
 まだ見えぬ理想を想いながら、甲斐は80年代へ進む覚悟を決めた。行き先は不確かだけれど、前向きに倒れることさえ厭わなかった。後ろを振り返るには、まだ若く頑なだったから。




1.  漂泊者(アウトロー)
 当初、発売未定のままテレビドラマ『土曜ナナハン学園危機一髪』主題歌として採用され、番組プレゼント用に片面シングルを制作したところ、60万通の応募があったため、急遽発売となったエピソードを持つ。ただこのドラマ、「ポップコーンをほおばって」によると平均視聴率は10~15%、当時の基準としては良かったわけではない。
 なので、60万人が関心持ってたのか、当時からちょっと疑問だった。まぁこういう数字って大抵盛ってるんだろうけど、一定の支持はあったことは事実なのだろう。
 クラッシュとボブ・マーリーからインスパイアされたと思われる歌詞はパンクで、楽曲もロックのフォーマットなんだけど、アレンジがちょっとお茶の間に媚びちゃってるよな、というのが俺の私見。ハードな歌謡ロック、っていうか歌謡曲のアイドル歌手がロック歌ってるっていうか。
 ブラスとピアノがミスマッチなんだよな。なんでこんな中途半端なアレンジ組んじゃったんだろ星勝。

2. 一世紀前のセックス・シンボル
 星勝はそんなにブラス・アレンジが好きなのか、それともこれも甲斐の意向だったのか。そんなアレンジの甘さが目立ってしまう曲。なんでホンキートンクなんだろ、難波弘之のピアノ。引き出し多い人だけど、そんな技使う曲調じゃないのに。
 ベーシックなアンサンブルはファンキーで、甲斐のヴォーカルも程よいルーズさが引き立っている。「ソフィア・ローレン」や「ラクエル・ウェルチ」なんて人名、当時でも古くて伝わらなかっただろうに。

3. ダイヤル4を廻せ
 松藤ヴォーカルによるミステリアスなロック・チューン。あまり目立つポジションではないけれど、時に甲斐よりもキャッチ―なフレーズを繰り出す、寡作だけど優秀なメロディー・メーカーでもある。
 当時の甲斐はあまり使わなかったリズム・ボックスやシンセ・エフェクトを多用しており、声質も含めてライトに寄り過ぎてしまうところを、大森の重いギターがボトムを支えることでバランスを取っている。「ハイウェイはハリケーン」という無国籍観は、ある意味、甲斐のハードボイルド志向への同調と思われる。

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4. スローなブギにしてくれ
 南佳孝と同題の曲だけど、リリースされたのはこっちの方が先。主題歌がリリースされたのが81年1月で、片岡義男原作の映画公開が81年3月、『地下室のメロディー』が前年10月で、時期的には近い。
 楽曲選考コンペで負けちゃったのかしら、と思っていたのだけど、考えてみれば、ボツになった曲をそのまんま発表するのは、当時の甲斐のプライド的に、ちょっと考えづらい。原作小説は75年発表なので、タイトルからインスパイアされて歌詞を書いた、と考えた方が自然。
 小説のあらすじは、ティーンエイジャーを主人公に、ひと夏の無為な同棲生活を描いた青春ストーリーなのだけど、甲斐バンド・ヴァージョンは夜のバーを舞台としたハードボイルド・タッチなので、映像とは明らかにミスマッチ。爽やかさのかけらもないシリアスなストーリーテリングは、まったく別ものと考えた方がよい。

5. 聖夜
 デビュー間もなくから、キーボードでライブ・サポート参加していた豊島修一作曲によるバラード・ナンバー。タイトルから察せられるように、一応クリスマスをテーマとしているのだけれど、かなりダウナーな内容で、あんまりクリスマス・ソングっぽくない。
 独り淋しいプライベートの赤裸々な告白は痛々しい。それをウェットになりすぎず、ありのままをさらけ出すのは、少年から青年へ、そしてちゃんとした大人の男への成長過程でもある。

6. 地下室のメロディー 
 アルバム・リリース後にシングル・カットされて、オリコン最高75位にチャートインしたタイトル・チューン。一応、アルバムのメイン・トラックという位置づけだからシングル切ったのだろうけど、適当な宣材写真を適当にレイアウトしたようなジャケットが物語るように、あんまり売る気が感じられないデザインであり、曲調である。
 ダルシマーやマリンバなど、ロックとはあんまり相性の良くない楽器をフィーチャーしたり、ある意味実験作ではあるのだけれど、これ以降、同様のアプローチでの楽曲は発表されていないので、果敢な失敗作という見方もできる。あくまでサウンド的には。
 ただ「妖しいマダム」や「いなせなジゴロ」など、オールド・スタイルな無国籍感漂う歌詞のワード・センスは、これまでとは違うステージに立とうとする甲斐のビジョンを強く打ち出している。古めかしい映画のフォーマットを用いることによって、日本のロックに「ハードボイルド」という新たな語彙を根づかせようとする試みは、この時点では先駆的なものだった。

7. 街灯
 シングルとしては地味だけど、ファンの間では根強い人気を保つ、趣き深い正統派バラード。しんみり落ち着いた「聖夜」より、ドラマティックなサビが印象的な「街灯」の方が、俺も好みではある。
 今夜むくわれない 恋人たちのように
 あの人は 涙を流している 
 一緒の景色を見ているはずなのに、彼女との隔たりはとても深い。肩をそっと抱きしめても、その先に進めない。
 ハードボイルドと背中合わせのペシミズムは、大人の苦みを伴っている。




8. マリーへの伝言
 この曲のみ、元メンバーの長岡が参加していることから、おそらく『マイジェネ』のアウトテイクだろうか。妙に歌謡ロックなホーン・セクションも女性コーラスも後付けっぽいし、直情的な歌詞も蒼さが残っている。
 「男のダンディズム」を主題としたアルバム・コンセプトとは趣きが異なるので、流れとしてもちょっと浮いている。独立したシングル・オンリーだったら、まだアリだったかもしれない。

9. 涙の十番街
 ちょっとスワンプ入ったファンキーなロック・チューン。ほど良いキャッチーなメロと練られたアンサンブルは秀逸で、こういった路線もアリだったんじゃね?と思わせてしまう。
 もっとアレンジをシンプルにして、ベーシックなバンド・サウンドだけでも充分イケたと思うのだけど、なんでいろいろ足しちゃうんだか。いらないってば雷のSEなんて。






甲斐バンドのライブ・アルバムについて、いろいろ思うこと。 - 甲斐バンド 『流民の歌』

Folder 1981年リリース、甲斐バンド3枚目のライブ・アルバム。1枚目の『サーカス&サーカス』が1枚もの、次の『100万ドルナイト』が2枚組で、「3枚目だから3枚組か」と揶揄されたりもしたけど、レコード1枚2,800円・2枚組4,000円が相場の時代、3枚組としては破格の4,920円という特価でリリースされたこともあって、オリコン最高9位と健闘している。
 『Hero』と『安奈』のシングル・ヒットによって、お茶の間への認知も充分広まり、甲斐バンドの活動基盤は安定した。ストーンズやキンクスへのリスペクトが色濃いフォーク・ロックからスタートして、力強さと繊細さとを併せ持つに至った歌謡ロック路線は、時代の趨勢とうまくリンクした。
 セールス効果によるライブ動員も増えてゆく中、バンドはさらにその先を見据えていた。この後、甲斐バンドはシングル・ヒットを狙う戦略から、アルバム制作に重点を置く方針にシフトチェンジする。
 『流民の歌』は、結成からのベーシスト:長岡和弘が脱退して初のアルバム『地下鉄のメロディー』リリース後に行なわれたツアー音源を、主な素材としている。いわゆる『安奈』以降~『破れたハートを売り物に』以前、アルバム主義へ本格移行する直前の記録である。

 『流民の歌』に先立つこと1年ちょっと前、初の武道館公演を収録した『100万ドルナイト』がリリースされている。今の感覚で見れば、「かなり短いスパンでライブ・アルバムがリリースされてるな」と思ってしまうけど、当時のレコード・リリース状況からすれば、案外これが普通だったりする。
 西城秀樹も岩崎宏美も山口百恵も、全盛期の70年代には、ほぼ毎年のようにライブ・アルバムをリリースしている。日本のロックと歌謡曲とを同列に捉えるのは、ちょっと無理があるけど、当時の彼らのポジション=歌謡ロックという位置づけで考えれば、それもちょっと納得がゆく。サザンや中島みゆきだって、本人公認・未公認のベスト・アルバムが乱発されていた時代だったしね。
 「初武道館」という明確な達成目標の克明な記録という意味合いもあってか、アマゾン・レビューでの『100万ドルナイト』の評価は、おおむね好意的である。対して『流民の歌』だけど、こちらは複数公演からの抜粋という弱点もあって、微妙な評価が多い。
 多くのレビューで書かれているように『流民の歌』、歓声と演奏パートとのバランスや繋ぎが悪いため、擬似ライブっぽい感触がある。あるのだけれど、これって実はちょっとだけ誤解がある。
 『流民の歌』の録音はちょっと特殊で、NHKが開発した当時の最新技術「スペースサイザー360コンポーザー」を使用して行なわれた。すごく簡単に言うと、特別なシステムや複数スピーカーを用いなくても、サラウンド効果が得られる、という謳い文句のアイテムだった。
 一応、「四方八方からサウンドや歓声が飛び交い、絶妙な臨場感を味わえる」ということだけど、CDやサブスク音源ではあんまり効果は実感できなかった。もしかして、初版レコードならそのポテンシャルを引き出せるのかもしれないけど、俺もレコードは持ってないし、またほとんどの人がそんな環境を持っているとは思えない。
 CDは2枚組のため、レコード3枚組時代のようなディスク・チェンジの煩わしさはだいぶ解消されたけど、返して言えば、1.5枚分を無理やり1枚にまとめちゃっているため、昔から聴き込んでいるユーザーであればあるほど、居心地の悪い違和感が残る。
 とはいえ、時代に応じて価値観は変わってくる。PC・スマホ主流となった現在は、ディスク交換自体がなくなったため、どんな長尺のアルバムも一気に聴くことができるようになった。
 そうなると、そつなくまとめられた『100万ドルナイト』もいいんだけど、ラフで無骨な肌触りの『流民の歌』の良さが見えてくる。ライブ録音には不向きな武道館で、あれだけの高音質を実現させた『100万ドルナイト』も見事だけど、まるで録って出しのように荒々しい、良質のブートレグみたいな響きの『流民の歌』にこそ、当時のバンドのスタンスが反映されているんじゃないか、と思われる。

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 時節柄、休日といっても家に引きこもることが多いため、古いアルバムを聴き直す機会が多い。新しい音楽を遠ざけているわけじゃないけど、メンタルが求めているのかね、最近は10代・20代に夢中になったジャンルを掘り返している。
 そんな流れで甲斐バンド、『英雄と悪漢』から『シークレット・ギグ』まで、一気に通しで聴いてみた。ちなみに『シークレット・ギグ』以降の甲斐バンドは、俺的には思い入れも薄く、ちょっと別モノである。歯切れの悪い言い方だけど、まぁそういうこと。

 ライブ活動主体だった甲斐バンドがスタジオ・ワークへのこだわりを強めていったのが、『流民の歌』リリース前後とされている。年間100本以上のライブを敢行してきたバンドはこれ以降、レコーディングに力を入れるようになり、相対的にライブの回数は少なくなってゆく。
 スタジオ・ワークにこだわる=従来のレコーディングに不満を感じていた、ということである。ライブ演奏のテンションを、レコーディングでも再現したい―。ライブで本領を発揮するバンドであるほど、高くなる障壁である。
 初のライブ・アルバムとなる『サーカス&サーカス』は、録音自体そこまで分離の良いものではないため、歓声も演奏もダンゴになっちゃってる部分もあるけど、それを覆すテンションの高さが伝わってくる。重厚さや安定感には欠けているけど、「そんなのいいから勢いでねじ伏せちまえ」的な若気の至りが、むしろ潔ささえ感じてしまう。
 そんな無鉄砲さに惹かれて、「じゃあオリジナルはどうなの?」とスタジオ・アルバムを聴いてみると―、ライブと比べてまったくショボい。ライブで練り上げたアンサンブルをそのままスタジオに移植しているので、サウンドの差異はそれほどないはずなのに、なんか違う。デモテープ聴きながら忠実になぞっている、そんな拙さばかりが印象に残る。
 ―何でこんなに違ってしまうのか。
 恐らく本人たちも、そう自問自答していたんじゃないかと思われる。

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 甲斐バンド一気聴き一巡目は、俺の中でそんな結論となった。まだボブ・クリアマウンテンと会う前だったし、国内スタジオの技術的な遅れという問題もあった。針飛びを恐れるがあまり、ピーク・レベルがかなり低めに設定されていたことから、当時の日本のレコードは総じてダイナミズムに欠けていた。
 「甲斐バンドはやはりライブなのだ」という確信を持って二巡目、今度はライブ・アルバムに絞って聴いてみた。NY3部作以降はともかく、それ以前のスタジオ音源はまた別の機会に。
 初ライブ・アルバム『サーカス&サーカス』が放つ勢いは、観衆とバンドとの一体感によって成立している。熟練には程遠いバンドを支える観衆の熱狂、それに呼応して、普段以上のアドレナリンを放出するバンド、それらの相互作用によって。
 初期甲斐バンド楽曲の多くは、甲斐が影響を受けたアーティストへのオマージュやリスペクトが強く反映されている。ライブを重ねることでアンサンブルを整え、オーディエンスの反応を見ながらアップデートしているため、詞曲のクオリティは高い。
 高いのだけど、そのままスタジオ・セッションに移植しても、その通りにはならない。無観客ではアドレナリンも十分ではなく、その中途半端さがパフォーマンスにモロに影響する。
 ピーク・レベルを遵守したクリアなサウンドは、鮮明である分、ボトムの貧相さが露呈してしまう。あとでエフェクトなりコンプレッサーをかけたとしても、素材の状態が良くなければ、どうしたって一緒である。
 拙いながらも試行錯誤を重ね、スタジオ・テイクは発展途上としても、長年ライブで育ててきた楽曲については、ある程度満足ゆくクオリティに仕上げることができた。『サーカス&サーカス』とは、そんな位置づけのアルバムである。

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 で、次の『100万ドルナイト』になると、またちょっと違ってくる。前作との間はまる2年なのだけど、『Hero』以降にリリースされたこと、キャリア初の武道館公演ということもあって、スターダムを全速力で駆け上がる勢いが克明に記録されている。
 短いスパンでのリリースのため、『サーカス&サーカス』とかぶる曲も多いし、アンサンブルも大きな変化はないのだけど、下世話な話、バジェットが大きくなったことによる余裕と達成感が、出てくる音にも影響を与えている。勢い余って力み過ぎな印象もあったバラード・ナンバーも、ここでは硬軟使い分けてドラマティックな表情を見せている。
 ライブ・バンドとしてはひとつの到達点であり、事実、このアルバムをベストに推すファンも多い。ライブで起こり得る偶発性や奇跡という点において、やはりこの時期が甲斐バンドとしてのピークだった、というのは俺も同意。

 『流民の歌』は一旦置いといて、次は『Big Gig』以降。『シークレット・ギグ』は余興というかアンコールみたいなものなので別枠として、『Big Gig』と『Party』は、もう以前とは別のバンドである。
 ライブ音源とも十分拮抗できる、ボトムの太いスタジオ・レコーディング実現のため、甲斐は多くのサポート・ミュージシャンを大量起用した。さらに磨きをかけるため、多くの予算を割いて、ニューヨーク:パワー・ステーションのミックス・ダウン技術を導入した。妥協なきスタジオ・ワークによって、後期甲斐バンドのサウンドは緻密な肉体性を獲得するに至った。
 ライブの肉体性をスタジオで具現化することが、後期甲斐バンドが追求したテーマであった。あらゆる手段を講じることによって、そのクオリティは極限まで研ぎ澄まされた。
 ただサポート・メンバーへの依存度が高すぎたため、ステージでの再現が困難な楽曲が増えたことも、また事実。スタジオ・テイクを再現するため、ライブではテープやシーケンス使用も多くなっていった。
 『Party』は特にその傾向が強く、サポートの助力もあって、スタジオ音源と負けず劣らぬサウンド・クオリティとなった。なったのだけど、初期ライブで見られた偶発性は、そこでは失われていた。
 「それが進歩だ/完成形だ」と言われてしまえばそれまでだけど、「いや、そこ求めていたわけじゃないし」という声もあったりして。

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 で、『流民の歌』。『100万ドルナイト』で頂点に達したライブ・パフォーマンスがどう変化してゆくのか。東芝の要請もあって短いスパンで出すことになったライブ・アルバムだけど、人と同じこと/以前やったことを繰り返さないのが、当時の甲斐バンドの美学だった。
 モノクロで統一されたアートワーク、荒々しいミックスが象徴するように、この時期の甲斐は焦燥感とプレッシャーとが相まって、近寄りがたい殺気を放っている。かつてはコール&レスポンスから生ずる相乗効果によって、カタルシスを得ていた観衆に対しても、強い対抗心を剥き出しにしている。
 共感を誘う一体感を拒む、そんなザラついた空気は強い違和感を放つ。
 「俺たちの居場所はここじゃない」。
 この時すでに、彼らはずっと先を見据えていたのだ。
 一度作り上げたものを壊すことでしか、前に進むことができない―。そんな性を、当時の甲斐バンドは背負っていた。誰がそれを強いたわけではないのに、でも彼らは、それを受け入れた。他にも道はあったはずなのに、彼らは新たな道を切り開いて行くことを、自ら選んだのだった。
 ライブ・パフォーマンスの偶発性に頼らず、スタジオ・レコーディングのクオリティを上げてゆくことが、『流民の歌』以降の彼らの課題だった。そして、その試みは大きな成果となり、『Love Minus Zero』でやり切った彼らは一旦、活動に終止符を打つこととなる。
 ただ、安定を拒み、前のめりにぶっ倒れることも辞さない、そんな模索する甲斐バンドもまた、強烈な求心力を放っていたりする。洗練という言葉が最も似合わない。それがこの頃の彼らだ。
 ―とにかく仰向けに倒れなければ、今より確実に前へ進む。そんな姿勢や生き様が克明に刻まれているのが、この『流民の歌』なんじゃないかと思う。





1. 翼あるもの
 当時としては珍しい、パーカッションによるオープニング。当時、甲斐はリズム・アプローチで暗中模索しており、これまでのロック・アレンジに効果的なプラスアルファを加えるため、やたらパーカッションを多用していた。
 オリジナルは稚拙なレゲエ・ビートだったのだけど、ここではギターとのユニゾン、キーボードも効果的に使われているため、ギアが確実に一段上がっている。

2. 地下室のメロディー
 そういえば、これもオリジナルはスカ・ビートだったよな。オリエンタルなギターの音色が印象的な、これまでとはテイストの違うナンバーだった。パーカッションの連打以外は、スタジオ・テイクとそれほど大差はないのだけど、演奏が前に出たミックスによって、オリジナルの歌謡曲っぽさが薄まっている。
 
3. 一世紀前のセックス・シンボル
 70年代ストーンズのサウンドをオマージュし、歌詞もまるで直訳のようなリスペクトに溢れたバッド・ボーイズ・ロック。一聴ではラフなホンキートンクだけど、乱れ飛ぶパーカッションの響きが、祝祭感を演出している。

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4. カーテン
 スタジオ・テイクでは、淫靡なムード演出が稚拙で、歌謡曲とシティ・ポップのどっちつかずだったのが、ここでは骨太なリズムとギターが、強く背中を押している。「さぁおいで ここに来て」というフレーズも、オリジナルは囁き程度だったのが、ここでは強引に手を引いている印象。
 それよりも何よりも、この曲のハイライトはやはり後半のギター・バトル。「ギター・バトル」という言葉自体、すでに死語になっているけど、そそり立つテンションとカタルシスの放射は、問答無用のナルシシズム。

5. 嵐の季節
 先日、リモート・セッションでも配信されていたけど、あらゆる困難な状況において存在感を発揮する、ある意味、彼らのキラー・チューン。ここぞという時、この曲を聴いて背筋を正すヘヴィ・ユーザーは多い。
 「そうさ コートの襟を立て じっと風をやり過ごせ」
 無謀に立ち向かうのではない。かといって、背を向けるわけでもなく。
 拳は、これ見よがしに振り上げるものではない。ポケットの中で握りしめ、時が過ぎるのをじっと待つ。それが大人の男である、と甲斐は訴え続ける。



6. ポップコーンをほおばって
 言わずと知れた彼らの代表曲であり、ライブの定番。ライブ・アルバムの収録率も高く、よって、発表されただけでもいろいろヴァージョンはあるのだけど、まぁアンサンブルはほぼ不変。崩せないんだろうな、きっと。
 起承転結もはっきりして、英語のフレーズはひとつも使ってないのに、それでもちゃんとロックに聴こえてしまう、非常に完成度の高い楽曲である、と気づいたのはつい最近。持ち上げすぎかもしれないけど、デビュー時からこんなの作っちゃうと、後が大変だったことが察せられる。

7. 氷のくちびる
 「Hotel California」にそっくりだなんだ、というのは昔から言われてたけど、まぁ今さら蒸し返すのは野暮なのでスルーして、それより気になるのは録音の悪さ。ここまで比較的クリアな音質だったのだけど、マイクが声拾ってなかったり音割れしたり、評判の悪い歓声のアンバランスなんかが、ここで全部露呈している。
 もうちょっと何とかならなかったのかね、と思うのだけど、演奏のテンションはこれが一番だったのか。その辺はちょっと謎。

8. 最後の夜汽車
 スタジオ・テイクとあまり変わらない構成で演奏される、ファン以外にも人気の高いバラード。明石家さんまがフェイバリットに挙げ、近年ではMISIAがカバーしたことによって、知名度は案外高い。
 ライブならではの臨場感、そして感極まる甲斐のヴォーカルを堪能するには、最適のナンバー。ツボを押さえる感傷的なメロディーでありながら、ベタつく印象がしないのは、甲斐の声質に依るところが大きい。

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9. 安奈
 逆に、ライブによって無骨な印象となるこの曲は、むしろスタジオ・テイクの方が良かったりする。リズムが前に出過ぎてるせいもあるけど、この曲はいい意味で歌謡曲なので、むしろ淡々としたバッキングでメロディーを強調した方が、しっくり来る。
 そう考えると、スタジオでもライブでもあまりブレることのない、安定した甲斐のヴォーカルが光っている。テレビで歌われる「安奈」は力み過ぎなところがあるけど、こんな感じでサラッと歌う方がフィットしている。

10. 二色の灯
 スタジオ・テイクはメロウなフォーク歌謡といった風情。あんまりよく知らないけど、ガロのアルバム曲っぽい。対してライブはちょっとテンポを落とした弾き語り。悲し気に響くブルース・ハープ、強くつま弾かれるアコースティック・ギターが、無骨に吐き出される。
 決して間口の広い曲ではないけど、甲斐バンドのダークな側面を最も反映していることは確か。きちんと対峙して聴き入ってしまう魅力がある。

11. きんぽうげ
 アフロティックなリズムの乱舞に続き、最高潮に達した観衆の声援。言わずと知れたライブの定番であり、名曲であるけど、あんまりコンガが似合う曲ではないよね。
 映像を喚起させる情景描写を20代そこそこで書き上げてしまった甲斐の文才も然ることながら、幾度も演奏しているおかげで安定したアンサンブルも絶品。ただ、安定し過ぎというか、破綻もないのでそんなに面白くはない。

12. 涙の十番街
 なので、当時のレイテスト・アルバム『地下鉄のメロディー』収録曲である、演奏回数の少ない楽曲の方が、逆に面白かったりする。正直、スタジオ・テイクはどのパートもコントラストが強くて、ミックス的には単にクリアなだけで失敗しているのだけど、ライブではうまく改善されている。
 中途半端な歌謡ロックを、ライブのテンションによって、ソリッドなロックに転換できる。そんな地力が、当時の甲斐バンドにはあった。

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13. HERO(ヒーローになる時、それは今)
 言わずと知れた大ヒット・チューン。多分、イベンター側もファン側としても、いつ演ってくれるか待ち望んでいただろうけど、ここはギター中心のライブ・アレンジですっきりまとめている。まぁこの曲だけのために、ストリングス配置するのも現実的じゃないし。
 今じゃテレビ出演の際も気軽に応じてくれるこの曲だけど、解散前までは敢えてセットリストから外されることも多く、いわばレア曲であった。そう考えると、貴重なテイクではある。

14. LADY(レディー)
 オリコン首位を獲得した「Hero」の直前にリリースされたシングルであり、当時最高94位だったことで、そのギャップの大きさだけで語られることが多い重厚なバラード。スタジオ・テイクの甲斐の声は少し甘さが勝って、未練を引きずった男の純情が表現されていたけど、ここでは激情的かつ傷心を跳ね返そうとする男のマッチョイズムが浮き上がっている。
 甘くメロウな甲斐のヴォーカルも魅力的だけど、時に暴力的でさえあるライブの顔は、その後のハードボイルド路線への伏線とも取れる。

15. ビューティフル・エネルギー
 ただマッチョだ豪快だ、とばかりでは肩が凝る。一本調子にならぬよう、ここで思いっきりポップな松藤登場。ドラムスでありながらメロディアスな特性を持つ松藤が奏でるシティ・ポップは、ちょうどいいブレイクとなっている。
 
16. 汽笛の響き
 ヴォーカルは甲斐だけど、これも松藤作の軽快なカントリー・ロック。当時はシングル「感触」のB面としてリリースされ、それほど認知度は広くなかったはずなのだけど、コア・ユーザーには人気だったのかね。
 まるでオーヴァーダブしたように、歓声がフェード・インしてくるあたり、ポップなメロディーが親しみやすかったんじゃないか、と勝手に想像。

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17. 荒馬
 ニール・ヤングへのオマージュのような、荒々しいストローク、そして情緒的なスライドの響き。これも初出は「ビューティフル・エナジー」のB面と地味な扱いだったのだけど、ライブ映えする無骨さとダンディズムは、強い存在感を醸し出している。

18. 天使(エンジェル)
 ツアー中にシングル・リリースされたアルバム未収録曲。ポップな味わいのフォーク・ロックなバッキングと、ロック・テイストの甲斐のヴォーカルとのギャップが気になるけど、当時はコレで充分ウケが良かったんだろうな。
 この数年後、甲斐はこの曲をマッチョにブーストしてリメイクするのだけど、正直、俺はそっちの方が好き。まぁでも、歌詞とフィットするのはオリジナルのアレンジなんだけど。

19. 漂泊者(アウトロー)
 スタジオ・テイクと遜色ない、いやライブにも負けないスタジオ・テイクといった方がいいのか、とにかく刹那な疾走感とグルーヴが支配する、猪突猛進タイプのハードなロック・チューン。とにかくカッコいいの一言。
 こんな破壊的な曲がオリコン最高14位まで行ってしまったのは、時代状況から考えてもすごいこと。



20. 100万$ナイト
 アンコールに応えて歌われた、当時の定番となっていたラスト・ナンバー。直前に飛び込んできたジョン・レノンの訃報を聞き、彼に捧げられている。そんな事情もあってか、感極まった前回『100万ドルナイト』ヴァージョンより、さらに情緒的になっている感がある。
 もともとセンチメンタルな曲なので、古いファンには馴染みが深いのだろうけど、ちょっと遅れてファンになった俺的には、それほど思い入れは薄い。まぁそれは人それぞれ。
 ただ一節、
 「真夜中にふと襲う やりきれなさに どこで二人が間違えたのか 考えてみるさ」。
 甲斐が何を描写し、書きたかったのかー。
 それがずっと気になっている。






ちゃんとお金と手間をかけて作った音楽 - 甲斐よしひろ 『ストレート・ライフ』

41JJVW1M8JL._QL70_ 1987年リリース、甲斐よしひろ初のオリジナル・ソロ・アルバム。甲斐バンド解散プロジェクト終了から5か月、その余韻が冷めぬタイミングでリリースされたこともあって、オリコン最高3位と、セールス的にも成功を収めた。
 当時の日本のバンドとしては珍しく、甲斐バンドはキャリアのピークを保ったまま、終焉を迎えることができた幸福なグループである。まだロック・ビジネスが未整備だった80年代、バンドの解散というのは静かに迎えるものだった。金か女でもめてのケンカ別れか、はたまた人気のピークを過ぎて、ひっそりフェードアウトしてゆくかのどちらかで、いずれにせよ大団円とは言えないものばかりだった。大抵の場合、ちゃんとしたラスト・アルバムやライブが行われることもなく、契約解消で「ハイそれまでよ」といった具合。解散をコンテンツとして捉える視点がまだなかった時代の話だ。
 そんな刹那的な流れに一石を投じたのが、YMOの解散だった。解散を前提としたアルバムとライブ、そのプロセスを記録したドキュメンタリー映像や写真集など、彼らが興したコンテンツは、その後の解散ビジネスのモデル・ケースとなった。

 NY3部作が進行している最中、甲斐は東芝とのソロ契約を結んでいる。当時の甲斐バンドは、新興レーベル「ファンハウス」の所属だった。バンドとソロで所属レーベルが違うという時点で、なんかキナ臭い交渉や取引があったんじゃないか、と邪推してしまう。
 ファンハウスでの甲斐バンドのオリジナル・アルバムは『Love Minus Zero』のみ、実質ワンショット契約で東芝に舞い戻っている。不可解なレーベル移籍劇の詳細は不明だけど、初代社長である新田和長の意向によるものだったことは間違いない。
 レーベル立ち上げにつき、知名度のある目玉アーティストをラインナップしたい。ただどのレーベルだって、そう易々とドル箱アーティストを手放したりはしない。なので、日本的な義理人情に訴えかけ、旧知の仲である甲斐に声をかけた、というのを以前のレビューで書いた。
 もちろん、甲斐の漢気一本で決められるものではなく、東芝とファンハウスとの生臭い交渉や駆け引きが繰り広げられたことは、想像に難くない。いくら真摯なアーティストとはいえ、浪花節的な義理人情に縛られることだってあるし、政治的なしがらみだってある。人はカスミばかりを喰っては生きていけないのだ。
 名義貸しのようなレンタル移籍というミッションを終え、甲斐はソロ・プロジェクトに本腰を入れることになる。

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 末期の甲斐バンドの収支面は、お世辞にも優良と言えるものではなかった。ネーム・バリューこそ磐石となってはいたけれど、かつてのようなヒット・シングルを生み出すことはなくなっていた。
 NY3部作によって、海外のロック・アルバムにも匹敵するクオリティのサウンドを生み出し、硬派なロック・バンドとしてのポジションを獲得した。ただ、冷静と情熱とを併せ持つ歌詞の世界観は、当時のライト志向のユーザーに訴求するには、ちょっとストイック過ぎた。
 最新鋭のレコーディング技術と精鋭スタッフによって、甲斐バンドは孤高のサウンドを獲得し、それは古参ファンやうるさ型の評論家も認めるところだった。ただそんな絶賛も、膨大な経費をリクープするに至らなかった。初動こそ、ベスト10圏内には確実に入ったけど、累計セールスは決して大きなものではなかった。
 ライブ活動を縮小してレコーディングされた『Love Minus Zero』には、3枚の既発シングルが収録されている。このシングル・カットはバンド側の意向ではなく、レコーディング予算計上のため、東芝の要請によるものだった、とされている。あまり語られていないけど、決して順風満帆ではなかった台所事情が窺える。

 いい意味で、素朴で馴れ親しみやすかった初期のフォーク風歌謡ロック路線は、メンバー内で充分賄えるサイズのサウンドでまとめられていた。ライブでの再現性を前提としたアンサンブルは、ギターとベース、ドラムによるシンプルなパーツの組み合わせによって構成されていた。甲斐の歌とメロディを際立たせるため、複雑なアレンジは必要ない。
 ほぼ毎日のようにステージに立ち、バンド演奏を前提とした楽曲制作を行なっていた甲斐よしひろだったけど、キャリアを重ねるにつれ、作風の変化が顕著になってゆく。単純な8ビートやロック・サウンドにはそぐわない、ストリングスやシンセを使う楽曲も多くなり、ベタな歌謡曲メロディは後退してゆく。
 ベース長岡和弘の脱退を機に、ユニット形式と移行した甲斐バンドは、徐々に外部ミュージシャンの起用が多くなってゆく。それが頂点に達したのが『Gold』で、ほぼメンバーが参加していないトラックも収録されている。
 メンバーの演奏スペックと甲斐の理想のビジョンとの開きは大きくなり、それは人間関係にも大きく影響してゆく。それが頂点に達したこの時期、バンドは解散の危機を迎えている。

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 とはいえ、メンバーはみな、熱い血潮のたぎる九州男児である。ミーティング時は怒号も飛び交い、時にはつかみ合いになったりもするけど、もともとは友人・知人関係から始まったバンドなので、単なる音楽性の相違だけで解散には至らない。袂を分かつに至った真相は、結局のところ、第三者がとやかく言ってもしょうがない。
 甲斐バンド・オリジナルのサウンドを追求するがゆえ、次第に独善的な言動が多くなってゆく甲斐。そして、理解はすれど、スタンド・プレイの多さゆえ辟易するメンバーたち。
 どちらが悪いわけではない。単に進むべきベクトルが違ってきただけなのだ。いや、そもそも最初っからスタート地点は違ってた、とでも言うべきか。
 デビューから苦楽を共にしてきたこともあって、一蓮托生、いわば運命共同体的なメンタリティもあった甲斐にとって、解散という選択肢はありなかった。ただ、メンバーの好意に甘えたがゆえのサウンド強化、演奏者のプライドを無視した外部ミュージシャンの積極的な導入は、ちょっと独善的すぎた。

 日増しにストイックなAOR化してゆく甲斐バンド・サウンドの頂点に達したのが、実質的な最終作『Love Minus Zero』である。ここでひとつの区切りがついたと言ってよい。バンド全員でスタジオに入ることは少なくなり、各パートの個別ベスト・テイクを集結する、スティーリー・ダン方式でレコーディングが進められた。
 もはやバンドとしての必然性を感じられないサウンドは、崩壊を予兆するものだった。クオリティは究極を示すものだったけど、バンド・マジックを感じられない『Love Minus Zero』は、評価こそ高かったけど、資本投下に見合うセールスを上げるには至らなかった。
 孤高のスタンスでサウンド・クオリティの向上に腐心している最中、時代は確実に動いていた。BOOWYやレベッカら、次世代・さらに次々世代のアーティストがチャートを席巻していた。それに気づいていたのかいなかったのか、ともかくすでに彼らの場所は失われていた。「甲斐バンド」というブランド・ネームが通用していた時代は、もう過ぎ去っていたのだ。
 真摯に愚直に、オリジナルを追求していた甲斐バンドは、「過去のビッグ・アーティスト」というポジションに収まっていた。
 ―もうこれ以上、どこへも動けない。
 そう悟った甲斐バンドは、解散を決断する。

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 『ストレート・ライフ』は、どれも甲斐バンドで演るにはそぐわない、ソロ傾向の強い楽曲中心に構成されている。バンド時代は、合同演奏から誘発されるグルーヴ感がひとつの柱となっていたけど、ここではそういった制約から解き放たれた自由なアプローチが、結果的にサウンドにバラエティ感を添えている。
 『Gold』制作時からプリプロ作業が行なわれていたため、当然だけどNY3部作との親和性は高い。実際、この時代はひとくくりにされており、数年前にボックス・セットにまとめられている。
 参加ミュージシャンやレコーディング・スタッフもかぶる部分が多いので、バンド時代と地続きと思われがちだけど、実際聴いてみると、バンドとは別の製作意図があちこちで窺える。まぁ当たり前のことだけど。
 ここでの甲斐よしひろは、ソングライター以上に、ヴォーカリストとしての側面を強く打ち出している。過剰に歌詞に感情移入せず、フラットな発声でありながら、単調に陥らないヴォーカライズは、もっと評価されてもいい。ロックっぽくしようと変に巻き舌になったり、カタカナ英語やカタカナ日本語でごまかすことなく、きちんと音節や文脈を意識した甲斐のヴォーカルは、実は稀有なものである。過剰な洋楽かぶれやはっぴいえんど史観とはまったく別の流れなので、なかなかフォロワーがあらわれないのも、再評価されずらい一因なのかね。
 そういえば、矢沢永吉も巻き舌って使わないよな。2人とも方向性は違うけど、老若男女問わず、誰にでもきちんと伝わる日本語で歌いながらロックを感じさせるのは、案外難しい。あとは民生くらいかな、俺が知る限り。
 初期の椎名林檎は思いっきり巻き舌だけど、あれはあれでいい。前にも書いたけど、カワイイは正義だ。


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1. イエロー・キャブ
 度肝を抜かれたサウンド・プロダクション。シンセとシーケンスてんこ盛りなのに、どの音もボトムが太いので、80年代サウンド特有の腰の軽さがまったくない。ちょっとバランスを崩せばとっ散らかった響きになるはずなのに、きちんとまとまっている。聴かせたい音は大きく、そして引っ込ませる音は小さく。それでいて音割れすることもなく、かき消されることもない。
 当時、ボブ・クリアマウンテンと双璧をなす一流エンジニアだったJason Corsaro最高のミックスがここにある。甲斐がミックスにこだわった結果が、この曲にぜんぶ込められている、と言っても過言ではない。
 なので、当時の最先端だよとこれ見よがしにインサートされたスクラッチ・ビートをとやかく言うのはやめよう。



2. ブルー・シティ
 たった今まで知らなかったのだけど、もともとは近藤真彦に提供した楽曲のセルフ・カバー。甲斐ヴァージョンはさんざん聴いてたけど、せっかくなのでマッチさんヴァージョンも聴いてみたのだけど、オケは『Love Minus Zero』テイストのソリッドなロックなのだけど、まぁヴォーカルがちょっと…。
 マジで調子悪くなってきたので、再度甲斐ヴァージョンへ。アイドル向けなので歌詞はちょっと甘めだけど、シンセの圧の強いロック・テイストは、マッチとはまた違ったアプローチでこっちの方が好き。

3. 電光石火BABY
 「破れたハートを売り物に」をもっとメロディアスにしたシンセ・ビートから始まる、このアルバムのリード・シングル。リリース当時からリック・オケイセックとの関連性が囁かれていたけど、まぁオマージュと受け取れば全然オッケー。ていうか当時はこの程度のリスペクトは当たり前だったし。
 ワールドワイド仕様のサウンドを追及していた当時の甲斐だっただけに、世界進出の可能性を模索していたことが窺えるサウンド・プロダクションになっている。質の追求だけでなく、アメリカ市場を視野に入れたコンテンポラリー・サウンドがこのアルバムのテーマであり、それを最も象徴しているのが、この曲。
 なので、ちょっとバタ臭い風のPVも日活アクション映画みたいな歌詞も、意気込みのあらわれだった、ということで温かく見守ろう。

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4. クール・イブニング
 リリース前からみんな知ってた、ご存じ「サウンドストリート」のオープニング・テーマ。ていうかリアルタイム世代しか知らねぇか、まぁいいや。
 このアルバムの中では最もシンプルなアンサンブルで、すごく密室的、それでいながら親密さが漂う不思議な曲。淡々と歌いながら、サビやラストでは声を張ってしまうパターンはよくあるけど、メロディの浮遊感もあってか、最後まで淡々としたテンションを保っている。バンド時代にはなかった一面である。
 
5. レイン
 そりゃGodley & Crèmeまんまのアレンジだけど、一歩間違えれば演歌スレスレのベタなメロディをボトムアップさせるには、このサウンドしかなかったわけで。歌謡ロック調のデモ・ヴァージョンは、まぁお蔵入りして納得だな。
 「夜ヒット」出演時にこの曲が披露されたのだけど、ギターにストリート・スライダーズの蘭丸が抜擢されて、ファンの間で一時騒然となったことを覚えている。どう辿っても接点のなかった2人がどうして出逢ったのか。ストイックなロッカバラードと蘭丸の小技たっぷりのブルース・フィーリングとの相性は良く、ちょっとした伝説になっている。
 当初、話題性を目的にメンバー入りさせたのかと思ってたけど、その後も断続的にこの2人はコラボしているので、相性は良かったのだろう。久しぶりにまたやらないかな。



6. 夜にもつれて
 歌詞もコード進行もブルース・タッチだけど、バック・トラックはほぼシンセで構成されている、ある意味チャレンジャーな楽曲。コンボ・スタイルで演ったらもっと泥臭くなっていただろうけど、敢えてモダン・スタイルでやってみたところに、今後の可能性を予見させる。

7. モダン・ラブ
 OMDあたりのUKシンセ・ポップに、ピーター・ガブリエルのエキセントリック性を付加したソフト・ファンク。こういうサウンドって流行ったよな。流行りのサウンドを貪欲に取り入れているのが当時の甲斐のコンセプトであり、その後の雰囲気AOR化につながってゆくのだけど、まぁあんまり面白くない。16ビートは合わんよな、甲斐のヴォーカルって。

8. 441 WEST 53rd ST. - エキセントリック・アベニュー
 ハードボイルドな世界観とサウンドのボトムアップをテーマとしたのがNY3部作とすれば、厳選されたアウトソーシングによるヴォーカル&インストゥルメントのコンテンポラリー化を目指したのが、『ストレート・ライフ』である。外部の血の積極的な導入は、バンド神話とは一線を画したサウンドの純化につながった。
 ドラム:青山純、ベース:伊藤広規、シンセ:難波弘之という参加ミュージシャンからわかるように、これって当時の山下達郎バンド。ドラムの音は思いっきりパワステ仕様でコンプがかけられており、シンセもちょっと時代に寄り添い過ぎてて、もうちょっと何とかならなかったの、と余計なツッコミを入れたくなってしまう。この頃はどんなベテラン・ミュージシャンも迷走していた時代なので、致し方ない部分も多々ある。


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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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