好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

甲斐バンド

甲斐バンド 『シークレット・ギグ』


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  最初の解散から3年後にリリースされた、甲斐バンド6枚目のライブ・アルバム。すでに解散していたとはいえ、ネームバリューはまだ充分あったはずだけど、オリコン最高31位と地味目のセールスに終わっている。
 メンバー4人がそれぞれ制作したミニ・アルバムをまとめたラスト作『REPEAT & FADE』から始まった解散プロジェクトは、当時のミュージシャンのステイタスだった武道館5日連続公演でファイナルを迎え、足掛け12年の歴史に終止符を打った。打ったのだけど、その2日後、マスコミや業界関係者、応募総数24万通の中から選ばれた幸運なファンら1500人を招待して、ごく小規模のライブ・パーティが開催された。
 甲斐バンドとして、“ほんと”の「最後」の『最後』となった演奏を収録したのが、この『シークレット・ギグ』。その後、事あるごとに何度も再結成するとは夢にも思ってなかった俺は、その貴重な音源を何度も繰り返し聴き込んだのだった。まだウブだったんだよな、当時の俺。
 会場となった黒澤フィルムスタジオは、名称から察しがつくように、主に映画やTVドラマの収録に使用されており、コンサート会場として使われた例はなかった。調べてみると、この少し後にユニコーンがPV収録しているのだけど、それ以外の使用例は見当たらない。
 大掛かりな舞台装置と緻密に構成されたアンサンブルを柱とした、大規模ステージでの甲斐バンドは、最後の武道館で終止符を打った。前を向いて突っ走り、決して後ろを振り向かなかったバンドのフィナーレとして、最後にたった一度だけ、原点を振り返るー。
 バンドの原点をテーマとして据えるなら、本来は最初にステージに立った福岡のライブハウス「照和」を会場とするべきだったのだけど、すでに時代の役割を終えて閉店していた。いわばその代替案として候補のひとつに挙がっていたのが、都内からアクセスしやすい黒澤フィルムスタジオだった。
 ちなみにこの「照和」、78年に一旦閉店してから91年に営業を再開している。その後、(多分) 再再再結成(くらい)した甲斐バンドは2010年、デビュー35周年を記念して、3日間5回のライブステージを敢行している。彼ら的にも「収まり悪い」って感じてたんだろうな、長らく。

 確かに「きれいなバンド・ストーリー」としてまとめるなら、「照和」をラストに持ってくるのが正解なのだけど、当時の彼らの勢いからして、正味60席程度のライブ喫茶を会場に選ぶのは現実的ではない。東京から遠いし狭いし、いくら盛ったって音響クオリティは望むべくもないし。
 いわば「照和」の代替案としてスタートしたのが、黒澤フィルムスタジオ・プランだった。その後も類例を見ない立食パーティ形式も、言っちゃえば後付けだけど、結果的には良い方向へ作用した。
 普段とは勝手が違う会場の仕様、客席もステージも全員フォーマル・スタイルという異質のライブ空間を演出・記録するためには、映像撮影スタジオは当時の最適解だったのでは、といまにして思う。もし「照和」で撮影できていたとしても、当時の機材・技術スペックでは、ざっくりした記録用以上のクオリティには仕上がらなかったろうし。
 もともと映像前提の企画だったにもかかわらず、ちょっと忘れかけた頃にこの音源が先に出たきり、長らく映像が発表されることはなかった。解散プロジェクトの記録映画として制作された『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』でその一部が収録されていたため、いつか完全版がリリースされることが待望されていた。
 2008年のDVD『DIRTY WORK』にて拡大版が収録されはしたけど、完全版ではない上、他ライブ映像との抱き合わせだった。なんでこんなはしょった形で、しかもお得な詰め合わせ形式でリリースしてしまったのか。
 ぶっちゃけた話、「どうせコアなファンしか買わねぇんだから、完全版で単体リリースした方がよかったんじゃね?」とボヤきたくなってしまう。安直な企画盤乱発するくらいなら、映像アーカイブ整理しとこうよ。そっちの方が需要多いはずだし。
 なぜ、20年の長きに渡って、映像素材が手つかずのままだったのか。あくまで推測だけど、もっと早い段階で何らかの形、タイミング的には解散から1年後あたりで、映画orテレビでの映像公開→ビデオ発売という素案があったんじゃないか、と。
 ゲストの権利関係や、メンバーのスケジュール調整が進まなかったりその他もろもろで、映像プロジェクトが進まなかったんじゃないか、という仮説。そんなこんなで3年引っ張ったけど見通し立たなかったため、比較的軽微な作業で進められる音源リリースをもって、フェードアウトしちゃったんじゃないか、と。
 もうひとつの可能性として、前述『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』を予告編として、CD/ビデオ同時発売もアリだったんじゃね?というのも。83年リリースのライブ『Big Gig』が同様の販売形態だったため、前例がなかったわけではない。
 ちなみにこの『Big Gig』、現在の東京都庁建設前空き地で行なわれ、TVとFMでも特番が組まれている。しかもそのメディア素材すべてがミックス違いという、過剰に力入れ過ぎた企画なのだけど、そんな意気込みがお茶の間やライトユーザーには届かなかった。そりゃそうだよな。
 そんな『Big Gig』の前例が逆に仇となって、同時発売に二の足踏んじゃったのかもしれない。

 黒澤フィルムスタジオ収録から間もなく、最後の武道館ライブを収録した『Party』がリリースされた。6/29ライブ終了→7/31発売だから、入念な前準備があったにしても、相当の突貫作業があったと予想される。
 感動の余韻冷めやらぬうちに、怒涛の人海戦術で『Party』は店頭に並べられ、オリコン最高4位と、スタジオ作品と遜色ないセールスを記録した。LPとシングルEPの袋詰めだけでも充分な手間なのに加え、特製ギターピックを表ジャケットに1枚1枚貼り付ける作業は、パン工場のライン作業にも匹敵する苦行だったことだろう。
 その後も『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』の編集やら何やら、細かな付随作業はあったのだけど、それと並行して甲斐よしひろがソロ活動準備に入ってしまう。バンド末期からすでに「ポスト甲斐バンド」的なサウンド・アプローチに傾いていた彼にとって、目線の先はもうずっと先にあった。
 潔いほど前向きだったゆえ、過去の栄光を懐かしむ言葉を放つには、まだ早すぎた。幕は下りてしまったけど、ノスタルジーと言い切るには、まだ生々しかったー。
 それから時を経て、1989年。甲斐をはじめ、他メンバーのソロ活動も順調だった頃に『シークレット・ギグ』はリリースされた。
 一応リリースはされたけど、メンバー誰も積極的ではなく、目立ったプロモーションは行なわれなかった。フロントマンである甲斐が取材を受けていたかもしれないけど、そんな前のめりではなかったはず。
 無理にこじつければデビュー15周年と言い切ることもできたかもしれないけど、それもちょっと強引過ぎた。要するに、エラい中途半端なタイミング。
 ゲストを招いてのデュエットもあるし、カメラ配置や照明プランの兼ね合いもあって、まったくのノープランだったとは思えないけど、ある程度融通のきく、フワッとしたセットリストに基づいて、ライブは進められた。往年のナイトクラブの再現を狙ったシチュエーションでありながら、カバー曲やゲストとのデュエットも織り交ぜたりして、彼らにしては肩の力が抜けたラフなムードが伝わってくる。
 とはいえ冗長なインプロやMCがあるわけでもなく、どの曲もきっちりした事前リハの上、吟味された構成で演奏されている。その辺は妥協しないし、アドリブかますタイプじゃないんだよな、このバンド。
 このライブに限った話ではないけど、NY3部作以降の楽曲はレコード音源と大差ないため、意外性はそんなにない。まだライブ優先だった初期と違い、末期はレコーディングで練られたアンサンブルの再現となっていたため、ライブ用リアレンジの余地が少なくなっていたせいもある。
 70年代ロック/フォークの定番であるニール・ヤングはまだ予想の範囲として、一貫してストーンズ派とされていた裏をかいてのビートルズ、接点が見えずまったくノーマークだった柳ジョージ&レイニーウッドなど、カバーの人選も多岐に渡っている。「Helpless」はともかく、「Two of Us」のカバーは古今東西かなりレアだし、そういう意味においても範囲は広い。
 オリジナルのアレンジがシンプルだった初〜中期の楽曲の方が、解釈のスキルが上がったこと、単純に演奏回数が多かったことでヴァージョン・アップしていたりして、聴きどころは多い。後期楽曲も打ち込み主体の楽曲ではなく、バンド・アレンジと相性の良い「キラー・ストリート」を選ぶあたりは、ライブのコンセプトとを考慮したはず。
 多くのサポート・ミュージシャンに支えられているとはいえ、ライブバンドとしてのポテンシャルが落ちていたわけではない。単純な洋楽コピーを超えて、まだ日本には根づいていなかった「ハードボイルド」という視点コンセプトを加えたことで、バンドのオリジナリティは強靭さを増していった。そのドライな質感をサウンドで表現するためには、相応のテクニックを有する職人の才覚が必要だったわけで。
 この時点での甲斐バンドは、緻密なスタジオワーク/肉感的なライブ・パフォーマンスとも、高い水準に達していた。「キャリアのピークで潔く散る」という選択肢以外に、2、3年ほど活動休止してリフレッシュの上、再結集するのもアリだったんじゃなかろうか。
 まぁ当時のスタッフも、そんなプランで踏みとどまらせようとしたのだろうし、頑なに首を縦に降らなかった甲斐の覚悟も想像できる。「その先」を見て聴いてみたかった気はするけど。
 なので、このアルバムも『Party』同様、あまりブランクを置かずにリリースしていれば、また評価も変わっていたのでは、と勝手に思う。まぁ年内だったら『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』とかぶるし、そこを外したとしても、年明けてすぐに甲斐のソロデビューが控えているし、そんなこんなでタイミングを逸した末、3年後となったわけだけど、微妙な今さら感は否めない。
 『シークレット・ギグ』がリリースされた89年、ロック/ポップスのバリエーションが一巡した海外では、やたら枚数の多いボックス・セットや未発表ライブの発掘など、アーカイブ・ビジネスが確立しつつあった。対して、歴史もリスナー層もまだ充分育っていなかった日本では、まだ時期尚早だったし、ノウハウを持つ者もいなかった。現在進行形で消費する/させることで、いっぱいいっぱいだったし。あ、1人いたわ、大滝詠一。
 3年なんて中途半端じゃなく、頃合い見て10年くらい経ってからの方が、その後の扱いも違ってたんじゃないだろうか。今後再発するんだったら、やっぱCD/Blu-rayのセット売りしかないな。もちろん完全版で。




1. キラー・ストリート
 実質的に甲斐バンド最後のアルバム『Love Minus Zero』収録曲からスタート。実際のライブでもオープニングナンバーとなっている。
 前述したように、ほぼCD音源と同じアレンジ・構成なので、そんなに意外性はない。ただ、この時期の日本のメジャーなロックバンドで、ファンク・テイストを盛り込みながら、こういった洗練されたスタイルのサウンドは、唯一無二だったんじゃないか、と思う。
 土着的なスワンプか、クラプトン・リスペクトなブルースの二択しかなかったファンク+ロックから一皮むけた、甲斐言うところのハードボイルド・ロックの完成形。ひとつの到達点というべきサウンドなので、再構築するには時間が足りなかった。

2. SLEEPY CITY
 『Gold』に収録されていた、ちょっとマイルドなストーンズタイプのロックチューン。全体的にポップ路線に傾倒した時期の作品なので、ディスコグラフィーの中ではやや地味めの扱いだけど、コンテンポラリー=王道を志向していると言う視点で見ると、バラエティ感もあって飽きないアルバムでもある。
 おそらく極力『Party』とかぶらないように選曲されているんだろうけど、ライブではやっぱ地味なんだよな、この曲に限らずだけど。

3. 東京の冷たい壁にもたれて
 実質的なデビュー・アルバム『英雄と悪漢』収録、初期の人気ナンバー。初めて聴いた時は気づかなかったけど、イントロがゾンビーズ「ふたりのシーズン」そっくりだな。歳を経るごとに気づくことって多い。
 一夜のアバンチュールを真に受けた、未練タラタラな男は、まだ都会に馴染めず虚ろな表情を隠しきれなかった。それから12年を経て、強靭な精神と肉体を獲得した男の声から、曖昧な響きは聴こえない。
 人はそれを、成熟と呼ぶ。

4. ジャンキーズ・ロックン・ロール
 ホンキートンク・スタイルで泥臭い、タイトル通りの直球ロックンロール。下世話一歩手前で踏みとどまるアンサンブルは、初期エアロスミスを彷彿させる。
 ライブで盛り上げやすく遊びも入れやすい、いろいろと便利なチューンではあるけど、ライブのメインとするには、クセが足りない。こういったサウンドを突き詰めてゆく方向性もあるにはあったけど、彼らが目指していたのはそこじゃなかった。

5. HELPLESS
 海外ではディランと肩を並べる知名度・ポジションであるにもかかわらず、日本ではイマイチ知られていない、そんなニール・ヤングの代表曲を弾き語りスタイルでカバー。アレンジが「天国の扉」っぽいけど、こういう曲って、どうしてもこんな感じに落ち着いてしまうのはやむを得ない。
 アルバムのプロモーション・ツアーという性質上、これまでのライブは持ち歌中心だったけど、いわばアンオフィシャルな場であるがゆえ、ここではプライベートな顔で好きな歌を披露している。冒険するシーンは当然ないけど、演奏はきっちり仕上がっている。

6. 港からやって来た女
 このライブのハイライトであり、いまだベスト・バウトと語り継がれている、「今夜最高のクイーン」中島みゆきが登場。薄手のパーティドレスに真紅のローヒールで颯爽と登場、クリスタルのエレキギターをかき鳴らしながら、堂々としたヴォーカルを聴かせている。
 このみゆきのテイクについてはさんざん語り尽くされているので、今さらつけ加えることもないけど、敢えて言うならアレンジのボトムアップ感が飛び抜けている。全般的に音圧薄めだった初出スタジオ音源に比べ、気迫のこもった演奏ぶり。
 冷静に考えれば現実感希薄な世界観にリアリティを与えるには、やはりアタック強めの音の壁が必須だった、ということか。っていうか、これくらいじゃないとみゆきには勝てないし。

7. 青い瞳のステラ、1962年 夏
 おそらく観客の多くが「こんな曲あったっけ?」と、少し戸惑ってしまったと思われる、柳ジョージ&レイニーウッドのカバー。1980年にリリースされたシングルだけど、それほどヒットしたわけでもなく、俺も知らなかった。カバー曲のみのソロアルバム「翼あるもの」でもそうだったように、甲斐は隠れ名曲を察知する能力がおそろしく高い。
 カバーの方を先に聴いてるため、ちょっとひいき目になってしまうけど、ハスキーな声質で雰囲気あるけどやや押し弱めなオリジナルより、ザラっとした質感を持つ甲斐のヴォーカルに引き寄せられてしまう。真摯なロックバンドの終焉を飾る、ひと息抜いた一コマとして、アレンジも演奏もヴォーカルも申し分ないんだけど、シティポップ的な軽やかさは、オリジナルが優っている。

8. ランデヴー
 『破れたハートを売り物に』に収録されたロックチューン。一聴すると普通のロックサウンドで、演奏もオーソドックスなんだけど、メロディの譜割りが独特で、ちょっと引き込まれてしまう。
 この時代あたりから歌謡ロック・テイストが薄くなり、キャッチーで覚えやすいメロディラインは後退してゆく。そんな曲調の変化を促したのが、ハードボイルドを志向した、ドライで現実味の薄い歌詞世界。
 まだステレオタイプな書き割り感がにじみ出てはいるけど、これ以降、カタカナ多用のフェイクさは薄れ、逆に起承転結がはっきりしたストーリー性が前に出てくるようになる。「カンナの花の香り甘く漂い」と歌い出す日本語のロックは、新たな切り口だった。

9. TWO OF US
 最後に選んだカバー曲は、ストーンズじゃなくてビートルズだったのは、意外っちゃ意外。ロックの危うく儚い側面を体現するため、わかりやすいストーンズをモデルケースとしていたのだけど、キャラが認知されて以降は、あまり言わなくなった。
 ロックバンド的なアプローチとしては、ポール・マッカートニーよりジョン・レノン楽曲を聴きたかった気もするけど、多分、やりやすかったのかね。全国ツアー〜武道館ファイナルと来て、そんなに音合わせする時間もなさそうだったし。
 なので、選曲的には意外なところついてるけど、演奏プレイは比較的完コピに近い。

10. 悪いうわさ
 オリジナルは3枚目『ガラスの動物園』なので、1976年のリリース。ほぼミック・テイラー期ストーンズのパクリみたいな演奏と歌謡ロックなメロディが貧相に感じられるオリジナルから10年後、音圧も演奏力も、そして甲斐のヴォーカルも段違いにレベルが上がっている。
 同郷の先輩バンド:チューリップとの差別化を明確にするため、ストーンズのダーティなスタイル取り込みに加え、サウンドもまたロック色の濃いアプローチとして、オリジナルはなんと8分調。ギターソロもなかなかの長尺で、その奮闘ぶりは伝わってはくるのだけど、とにかくリズム・セクションを小さく絞ったミックスがたたって、楽曲の良さがスポイルされている。
 ここでのヴァージョンはギター・パートもタイトに的確に絞られ、もちろん音圧も充分。ソロ・パートをどうにか埋めるため、苦心惨憺の結果だったギター・プレイも、リラックスかつ引き出しが多くなっている。

11. 25時の追跡
 ある意味、ラスト・アルバム『REPEAT & FADE』のメイントラックである、ギター大森によるインスト・チューン。実際のライブではもう少し前に演奏されているのだけど、CDではラス前に移動されている。
 アルバム構成的に、ラスト曲のインタールードに適しているため、ベストな編集だったんじゃないかと思う。当時、常夏リゾートの象徴だった高中正義とは対照的に、タイトル通り、人気の少ない深夜のハイウェイを想起させる硬質な響きは、バンドの影の部分を具現化していた。
 ちなみに後年、甲斐が歌詞を後付けしてヴォーカルを入れているのだけど、逆にその雄弁さが暗闇を薄れさせている。影を形容するのに、多くの言葉は必要ないのだ。

12. 破れたハートを売り物に
 実際のライブでも、これがラスト。メンバー全員楽器を持たず一列に並び、ユニゾン・コーラスで歌い切って幕を閉じる。
 テープ演奏が続く中、1人また1人、手を振りながらステージを降りてゆく演出は、潔さを信条とした彼らにとってふさわしかった。変にウェットなメッセージを残すこともなく、いつもと変わらぬテンションでステージに立ち、そして、散る。
 最後であるはずなのに、『Hero』も『安奈』もない。でも、確実にファンのニーズを捉えている。






なぜか空気扱いのアルバム。40年以上経ったいま、ちゃんと聴いてみよう。 - 甲斐バンド 『地下室のメロディー』

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  1980年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『My Generation』を最後に、デビューからのベーシスト:長岡和弘が脱退し、甲斐・大森・松藤の3人体制で作られた初めてのアルバムでもある。
 時系列でアルバムリリースをたどってゆくと、 
 79年10月『My Generation』
 80年3月ライブ『100万$ナイト』
 80年10月『地下室のメロディー』
 81年6月ライブ『流民の歌』
 81年11月『破れたハートを売り物に』
 という流れになる。まるでアイドル並み、ほぼ半年ペースでアルバムがリリースされているのは驚きだけど、当時はこれが当たり前だったのだ。
 シングル「HERO」の大ヒットを受けて、本格的なロック・サウンドへ大きく舵を切ったのが『My Generation』から、というのが、大まかな流れとなっている。デビュー以降、長らく「フォーク」または「歌謡」という注釈付きだったサウンドは、地道なライブ演奏によって鍛えられ、強いビート感を獲得している。
 長いロードを経て自信と確信を得た彼らが、70年代の総決算とした『100万$ナイト』には、骨太なマッチョイズムとセンチメンタルな郷愁とが、混在して刻まれている。この2年前にリリースされているライブ『サーカス&サーカス』では、まだ蒼く情緒的なメロディが勝っていたのだけど、ここでは強靭なリズムの成長が著しい。
 『流民の歌』は以前レビューしているけど、解き放たれた野性のギラつき、急激に変化せざるを得ないアンサンブルの荒々しさが、克明に記録されている。荒々しくザラついた音の礫は、洗練より混沌に収斂され、予定調和を拒む当時の彼らのスタンスを象徴している。
 そんなライブ演奏に比肩するカタルシスを追求するため、彼らはスタジオ・レコーディングのグルーヴを強化するため、試行錯誤の袋小路にはまり込む。その過渡期に産み落とされたのが「破れたハートを売り物に」だった。
 同名アルバムもあるけど、この一曲だけで、それまでのフル・アルバム以上の密度と暗中模索が詰まっている。このトラックをあるべき姿に仕上げること、それが彼らの大きなターニング・ポイントとなり、またバンド・ストーリーのエピローグの幕開けとなる。
 「HERO」以降からNY3部作までを辿ってゆくと、おおよそこんな感じになる。どのアルバムもベクトルが明快だし、プロセスの連続性は保たれている。
 で、敢えてすっ飛ばしちゃったのが、本題の『地下室のメロディー』。ここまで一気に書いてみたけど、どうにもハマらない。
 スタジオ作品としては「明確なロック路線を打ち出した『マイジェネ』と、NY3部作の糸口となる『破れた~』との橋渡し的アルバム」と言いたいところだけど、2作との連続性はほぼ感じられない。前作の『マイジェネ』で歌謡ロック・テイストは払底したはずなのに、ここでは再びメロディが立つアレンジが多くなっている。言っちゃえば番外編、まるで寄り道しちゃったような立場のアルバムである。
 その上、前後をライブ・アルバムに挟まれているため、ますます印象に残りづらい。まるでエアポケットみたいな場所に突っ込まれていることもあって、地味さ加減がハンパない。
 サウンドの変遷で言えば、むしろ『マイジェネ』の前にリリースされていた方が収まりがいいくらいである。リリースから40年以上経った現在なら、順番なんか気にせずランダムに聴き進めてゆけるけど、リアタイで聴いてたファンなら多分、ちょっと戸惑ったんじゃないかと思えてしまう。

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 このアルバムがリリースされた頃、俺はまだ小学生で、甲斐バンドは「ヒーロー歌っている人たち」程度の存在でしかなかった。少年ジャンプとガンダムこそ至高だった俺が『地下室のメロディー』を聴くのは、もっと後の話である。
 日本のロックに興味を持ち始めたのが中学生になってからで、甲斐バンドの存在を意識するようになったのが『Gold』からだった。なので、リアタイで聴くようになったのはキャリアも末期の頃で、それ以前のアルバムは後追いである。
 チャチャっとネットで調べられる時代ではなかった80年代前半、詳しい情報を得るには、雑誌やラジオを細かくチェックするしかなかった。レベッカやBOOWYを聴く同級生は多かったけど、甲斐バンドを聴いてる者は周囲にいなかった。北海道の中途半端な田舎なんて、そんなもんだ。
 そんな1985年、甲斐バンドの歴史を網羅した一冊の本が上梓された。音楽評論家:田家秀樹による「ポップコーンをほおばって」。
 エンボス加工を施された表紙カバーに映るのは、濃いサングラスをかけた甲斐の虚ろな横顔。荒い粒子のモノクロ写真とザラついた手触りは、無骨さとダンディズムを強く打ち出している。カバーをはずした表紙は眩いゴールド一色で覆われ、余計な装飾は排除されている。シンプルだけどこだわりの強いレイアウトと装丁は、静的なインテリアとしても遜色ない。
 基本は甲斐の発言を中心に、バンドの歴史を年代別で追ってゆくオーソドックスな内容なのだけど、関係者や周辺スタッフのインタビュー・エピソードに紙幅を多く割いており、この手のアーティスト本ではあまり見ないスタイルである。なのでニュアンス的に、「甲斐バンド」じゃなくて「甲斐よしひろ」、彼を素材に多角的に捉えたノンフィクション・ノベルという意味合いが強く出ている。
 サイド・ストーリーを丁寧に組み立ててメインを引き立たせる手法は、当時、ノンフィクションの主流だった沢木耕太郎の流れを汲んでおり、タレント本のセオリーとは一線を画している。このメソッドをストレートに用いると、もっと傍観者的視点が強くなるはずなのだけど、それより田家の甲斐バンドへの思い入れが強いため、結局は熱心なファンもビギナーも共感できる作品になっている。
 久しぶりに読み返してみると、おおむね事実関係に沿ったプロットになってはいるのだけど、熱心なファンである田家の主観、「俺の見解=甲斐の主張」というバイアスが強くかかっていることに気づかされる。対象への過度な感情移入は、ノンフィクション的にはNGなのだけど、甲斐バンドのブランド・イメージ形成という目的は達せられている。
 この本が上梓された80年代、音楽雑誌のレビューはこういった文体が善しとされていたのだった。当時のロキノンの読者レビューなんて、おおむねこんな感じだったしもっと赤裸々な感情吐露も多かったし。
 で、「ポップコーンをほおばって」、書籍版は早々に絶版、のちに加筆訂正された文庫版も、絶版になってから随分経つ。よくある話だけど、引っ越した時に無くしちゃったんだよな書籍版。なので、いま俺の手元にあるのは文庫版のみである。
 話は戻って、北海道の中途半端な田舎の高校生の時に初版を入手した俺はその後、巻末の全アルバム・レビューを頼りに、『GOLD』以前のアルバムを追っていった。200字程度のシンプルな文章ではあったけれど、予備知識ゼロの状態だった俺にとっては、貴重な情報の宝庫だった。
 当時、廃盤扱いだったことから、おそらく甲斐的にも黒歴史だった『らいむらいと』と並んで、なかなか食指が動かなかったのが、『地下室のメロディー』だった。そのアルバム・レビューをちょっと引用してみる。
 「甲斐よしひろの私生活を感じ取りたいという人は、このLPを聴けばよいのかもしれない。男と女の別離の痛みが、そこここににじみ出ている。歌詞カードに、レコーディングの時期を明記してあるのは、もしかすると「この時期だった」という時間的なことを残しておきたかったのかもしれない。このLPで一番意味を持っているのはそこなのかもしれない」。
 取材対象への深いリスペクトが伝わってくる文章ではあるけれど、内容についてはまるで触れてない。プライベートな色彩の濃い内容なのだろうな、というのはフワッと感じるけど、どんな音なのかは、これを読んでもさっぱり掴めない。
 「じゃあ」と本文に戻って1980年の章を見ても、「漂泊者(アウトロー)」がドラマ主題歌に採用された経緯しか書かれておらず、アルバムについては一切触れていない。そんなに田家、『地下室のメロディー』に関心がないのか、はたまた書きようがないほど印象薄いアルバムなのか。
 レコーディングに至る経緯や状況を事細かく綴っている『マイジェネ』や『破れた~』と比べ、ひどくぞんざいな扱いの『地下室のメロディー』。投下された熱量がまるで違っているのは、当時の俺にも感じ取れた。

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 その後ずいぶん経って、CD借りたのか買ったのか、それすら判然としないのだけど、結構後追いで聴いたのは確かである。こんな書き方でわかるように、初めて聴いた時はあんまり印象に残らなかった。
 ていうか、聴く前から負のバイアスがかかっていたせいもある。まぁ、そんな先入観を吹き飛ばすほどのインパクトには欠けていた、ってことなのかもしれない。
 借り物の歌謡ロックから脱却して、彼らオリジナルのロック・サウンドの追求、揺るぎないスターダムを確立し、純音楽路線へ突き進んでゆくプロセスの流れでは、このアルバムはうまくハマりづらい。だからこそ「ポップコーンをほおばって」でも、軽く流さざるを得なかったわけで。
 変な先入観抜きで聴いてみても、確かに地味だった。ただ最近、アナログで入手して聴き直してみると、思い込んでたのと印象が変わったので、取り上げてみたわけで。
 ロックだけどメロディアス、歌謡曲っぽさもありながらドライな質感。「ロックの」「歌謡フォークの」という注釈から自由になった、甲斐よしひろの素直な音楽性がストレートに反映されている。特に甲斐のヴォーカルからは甘さや粗雑さが抜け、大人の色気と憂いを漂わせている。
 ストレートなロック・チューン「漂泊者」がオープニングだけど、他の曲はバラエティ豊かに多彩なアレンジを施されている。曲ごとにアプローチを変えて丁寧に歌うことで、ヴォーカリスト:甲斐よしひろの可能性を引き立たせている。
 甲斐バンド独自のロック・サウンド確立の発露となったのが『マイジェネ』で、その実践→迷走が『破れた~』という位置づけになる。サウンド括りではなく、楽曲の解釈やアプローチの変化に意識的になったのが、この『地下室のメロディー』だったと捉えればすっきりする。横道に逸れたんじゃなくて、フロントマン:甲斐のアイデンティティ確認という、併行した流れだった、と。
 一様なバンド・アレンジに限定せず、楽曲に合わせてアレンジを変えたりヴォーカル・スタイルを変えることに躊躇いを感じなくなったことも、甲斐の覚悟のあらわれのひとつである。前に進むために、余計な気遣いをやめた、というべきか。
 なので『地下室のメロディー』、楽曲ごとに多くのゲスト・ミュージシャンが参加しており、どの曲のサウンド・メイキングにも、甲斐の意向が強く反映されている。急速に変容してゆくバンド・サウンド、そして自身のアイデンティの確立のため、甲斐はクリエイティブな前進を選択した。
 バンドを取り巻く状況はのぼり調子でありながら、当時の内情はゴタゴタしていた。混乱した状況を取りまとめるためには、とにかく前に進むしかなかったのだ。
 まだ見えぬ理想を想いながら、甲斐は80年代へ進む覚悟を決めた。行き先は不確かだけれど、前向きに倒れることさえ厭わなかった。後ろを振り返るには、まだ若く頑なだったから。




1.  漂泊者(アウトロー)
 当初、発売未定のままテレビドラマ『土曜ナナハン学園危機一髪』主題歌として採用され、番組プレゼント用に片面シングルを制作したところ、60万通の応募があったため、急遽発売となったエピソードを持つ。ただこのドラマ、「ポップコーンをほおばって」によると平均視聴率は10~15%、当時の基準としては良かったわけではない。
 なので、60万人が関心持ってたのか、当時からちょっと疑問だった。まぁこういう数字って大抵盛ってるんだろうけど、一定の支持はあったことは事実なのだろう。
 クラッシュとボブ・マーリーからインスパイアされたと思われる歌詞はパンクで、楽曲もロックのフォーマットなんだけど、アレンジがちょっとお茶の間に媚びちゃってるよな、というのが俺の私見。ハードな歌謡ロック、っていうか歌謡曲のアイドル歌手がロック歌ってるっていうか。
 ブラスとピアノがミスマッチなんだよな。なんでこんな中途半端なアレンジ組んじゃったんだろ星勝。

2. 一世紀前のセックス・シンボル
 星勝はそんなにブラス・アレンジが好きなのか、それともこれも甲斐の意向だったのか。そんなアレンジの甘さが目立ってしまう曲。なんでホンキートンクなんだろ、難波弘之のピアノ。引き出し多い人だけど、そんな技使う曲調じゃないのに。
 ベーシックなアンサンブルはファンキーで、甲斐のヴォーカルも程よいルーズさが引き立っている。「ソフィア・ローレン」や「ラクエル・ウェルチ」なんて人名、当時でも古くて伝わらなかっただろうに。

3. ダイヤル4を廻せ
 松藤ヴォーカルによるミステリアスなロック・チューン。あまり目立つポジションではないけれど、時に甲斐よりもキャッチ―なフレーズを繰り出す、寡作だけど優秀なメロディー・メーカーでもある。
 当時の甲斐はあまり使わなかったリズム・ボックスやシンセ・エフェクトを多用しており、声質も含めてライトに寄り過ぎてしまうところを、大森の重いギターがボトムを支えることでバランスを取っている。「ハイウェイはハリケーン」という無国籍観は、ある意味、甲斐のハードボイルド志向への同調と思われる。

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4. スローなブギにしてくれ
 南佳孝と同題の曲だけど、リリースされたのはこっちの方が先。主題歌がリリースされたのが81年1月で、片岡義男原作の映画公開が81年3月、『地下室のメロディー』が前年10月で、時期的には近い。
 楽曲選考コンペで負けちゃったのかしら、と思っていたのだけど、考えてみれば、ボツになった曲をそのまんま発表するのは、当時の甲斐のプライド的に、ちょっと考えづらい。原作小説は75年発表なので、タイトルからインスパイアされて歌詞を書いた、と考えた方が自然。
 小説のあらすじは、ティーンエイジャーを主人公に、ひと夏の無為な同棲生活を描いた青春ストーリーなのだけど、甲斐バンド・ヴァージョンは夜のバーを舞台としたハードボイルド・タッチなので、映像とは明らかにミスマッチ。爽やかさのかけらもないシリアスなストーリーテリングは、まったく別ものと考えた方がよい。

5. 聖夜
 デビュー間もなくから、キーボードでライブ・サポート参加していた豊島修一作曲によるバラード・ナンバー。タイトルから察せられるように、一応クリスマスをテーマとしているのだけれど、かなりダウナーな内容で、あんまりクリスマス・ソングっぽくない。
 独り淋しいプライベートの赤裸々な告白は痛々しい。それをウェットになりすぎず、ありのままをさらけ出すのは、少年から青年へ、そしてちゃんとした大人の男への成長過程でもある。

6. 地下室のメロディー 
 アルバム・リリース後にシングル・カットされて、オリコン最高75位にチャートインしたタイトル・チューン。一応、アルバムのメイン・トラックという位置づけだからシングル切ったのだろうけど、適当な宣材写真を適当にレイアウトしたようなジャケットが物語るように、あんまり売る気が感じられないデザインであり、曲調である。
 ダルシマーやマリンバなど、ロックとはあんまり相性の良くない楽器をフィーチャーしたり、ある意味実験作ではあるのだけれど、これ以降、同様のアプローチでの楽曲は発表されていないので、果敢な失敗作という見方もできる。あくまでサウンド的には。
 ただ「妖しいマダム」や「いなせなジゴロ」など、オールド・スタイルな無国籍感漂う歌詞のワード・センスは、これまでとは違うステージに立とうとする甲斐のビジョンを強く打ち出している。古めかしい映画のフォーマットを用いることによって、日本のロックに「ハードボイルド」という新たな語彙を根づかせようとする試みは、この時点では先駆的なものだった。

7. 街灯
 シングルとしては地味だけど、ファンの間では根強い人気を保つ、趣き深い正統派バラード。しんみり落ち着いた「聖夜」より、ドラマティックなサビが印象的な「街灯」の方が、俺も好みではある。
 今夜むくわれない 恋人たちのように
 あの人は 涙を流している 
 一緒の景色を見ているはずなのに、彼女との隔たりはとても深い。肩をそっと抱きしめても、その先に進めない。
 ハードボイルドと背中合わせのペシミズムは、大人の苦みを伴っている。




8. マリーへの伝言
 この曲のみ、元メンバーの長岡が参加していることから、おそらく『マイジェネ』のアウトテイクだろうか。妙に歌謡ロックなホーン・セクションも女性コーラスも後付けっぽいし、直情的な歌詞も蒼さが残っている。
 「男のダンディズム」を主題としたアルバム・コンセプトとは趣きが異なるので、流れとしてもちょっと浮いている。独立したシングル・オンリーだったら、まだアリだったかもしれない。

9. 涙の十番街
 ちょっとスワンプ入ったファンキーなロック・チューン。ほど良いキャッチーなメロと練られたアンサンブルは秀逸で、こういった路線もアリだったんじゃね?と思わせてしまう。
 もっとアレンジをシンプルにして、ベーシックなバンド・サウンドだけでも充分イケたと思うのだけど、なんでいろいろ足しちゃうんだか。いらないってば雷のSEなんて。






甲斐バンドのライブ・アルバムについて、いろいろ思うこと。 - 甲斐バンド 『流民の歌』

Folder 1981年リリース、甲斐バンド3枚目のライブ・アルバム。1枚目の『サーカス&サーカス』が1枚もの、次の『100万ドルナイト』が2枚組で、「3枚目だから3枚組か」と揶揄されたりもしたけど、レコード1枚2,800円・2枚組4,000円が相場の時代、3枚組としては破格の4,920円という特価でリリースされたこともあって、オリコン最高9位と健闘している。
 『Hero』と『安奈』のシングル・ヒットによって、お茶の間への認知も充分広まり、甲斐バンドの活動基盤は安定した。ストーンズやキンクスへのリスペクトが色濃いフォーク・ロックからスタートして、力強さと繊細さとを併せ持つに至った歌謡ロック路線は、時代の趨勢とうまくリンクした。
 セールス効果によるライブ動員も増えてゆく中、バンドはさらにその先を見据えていた。この後、甲斐バンドはシングル・ヒットを狙う戦略から、アルバム制作に重点を置く方針にシフトチェンジする。
 『流民の歌』は、結成からのベーシスト:長岡和弘が脱退して初のアルバム『地下鉄のメロディー』リリース後に行なわれたツアー音源を、主な素材としている。いわゆる『安奈』以降~『破れたハートを売り物に』以前、アルバム主義へ本格移行する直前の記録である。

 『流民の歌』に先立つこと1年ちょっと前、初の武道館公演を収録した『100万ドルナイト』がリリースされている。今の感覚で見れば、「かなり短いスパンでライブ・アルバムがリリースされてるな」と思ってしまうけど、当時のレコード・リリース状況からすれば、案外これが普通だったりする。
 西城秀樹も岩崎宏美も山口百恵も、全盛期の70年代には、ほぼ毎年のようにライブ・アルバムをリリースしている。日本のロックと歌謡曲とを同列に捉えるのは、ちょっと無理があるけど、当時の彼らのポジション=歌謡ロックという位置づけで考えれば、それもちょっと納得がゆく。サザンや中島みゆきだって、本人公認・未公認のベスト・アルバムが乱発されていた時代だったしね。
 「初武道館」という明確な達成目標の克明な記録という意味合いもあってか、アマゾン・レビューでの『100万ドルナイト』の評価は、おおむね好意的である。対して『流民の歌』だけど、こちらは複数公演からの抜粋という弱点もあって、微妙な評価が多い。
 多くのレビューで書かれているように『流民の歌』、歓声と演奏パートとのバランスや繋ぎが悪いため、擬似ライブっぽい感触がある。あるのだけれど、これって実はちょっとだけ誤解がある。
 『流民の歌』の録音はちょっと特殊で、NHKが開発した当時の最新技術「スペースサイザー360コンポーザー」を使用して行なわれた。すごく簡単に言うと、特別なシステムや複数スピーカーを用いなくても、サラウンド効果が得られる、という謳い文句のアイテムだった。
 一応、「四方八方からサウンドや歓声が飛び交い、絶妙な臨場感を味わえる」ということだけど、CDやサブスク音源ではあんまり効果は実感できなかった。もしかして、初版レコードならそのポテンシャルを引き出せるのかもしれないけど、俺もレコードは持ってないし、またほとんどの人がそんな環境を持っているとは思えない。
 CDは2枚組のため、レコード3枚組時代のようなディスク・チェンジの煩わしさはだいぶ解消されたけど、返して言えば、1.5枚分を無理やり1枚にまとめちゃっているため、昔から聴き込んでいるユーザーであればあるほど、居心地の悪い違和感が残る。
 とはいえ、時代に応じて価値観は変わってくる。PC・スマホ主流となった現在は、ディスク交換自体がなくなったため、どんな長尺のアルバムも一気に聴くことができるようになった。
 そうなると、そつなくまとめられた『100万ドルナイト』もいいんだけど、ラフで無骨な肌触りの『流民の歌』の良さが見えてくる。ライブ録音には不向きな武道館で、あれだけの高音質を実現させた『100万ドルナイト』も見事だけど、まるで録って出しのように荒々しい、良質のブートレグみたいな響きの『流民の歌』にこそ、当時のバンドのスタンスが反映されているんじゃないか、と思われる。

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 時節柄、休日といっても家に引きこもることが多いため、古いアルバムを聴き直す機会が多い。新しい音楽を遠ざけているわけじゃないけど、メンタルが求めているのかね、最近は10代・20代に夢中になったジャンルを掘り返している。
 そんな流れで甲斐バンド、『英雄と悪漢』から『シークレット・ギグ』まで、一気に通しで聴いてみた。ちなみに『シークレット・ギグ』以降の甲斐バンドは、俺的には思い入れも薄く、ちょっと別モノである。歯切れの悪い言い方だけど、まぁそういうこと。

 ライブ活動主体だった甲斐バンドがスタジオ・ワークへのこだわりを強めていったのが、『流民の歌』リリース前後とされている。年間100本以上のライブを敢行してきたバンドはこれ以降、レコーディングに力を入れるようになり、相対的にライブの回数は少なくなってゆく。
 スタジオ・ワークにこだわる=従来のレコーディングに不満を感じていた、ということである。ライブ演奏のテンションを、レコーディングでも再現したい―。ライブで本領を発揮するバンドであるほど、高くなる障壁である。
 初のライブ・アルバムとなる『サーカス&サーカス』は、録音自体そこまで分離の良いものではないため、歓声も演奏もダンゴになっちゃってる部分もあるけど、それを覆すテンションの高さが伝わってくる。重厚さや安定感には欠けているけど、「そんなのいいから勢いでねじ伏せちまえ」的な若気の至りが、むしろ潔ささえ感じてしまう。
 そんな無鉄砲さに惹かれて、「じゃあオリジナルはどうなの?」とスタジオ・アルバムを聴いてみると―、ライブと比べてまったくショボい。ライブで練り上げたアンサンブルをそのままスタジオに移植しているので、サウンドの差異はそれほどないはずなのに、なんか違う。デモテープ聴きながら忠実になぞっている、そんな拙さばかりが印象に残る。
 ―何でこんなに違ってしまうのか。
 恐らく本人たちも、そう自問自答していたんじゃないかと思われる。

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 甲斐バンド一気聴き一巡目は、俺の中でそんな結論となった。まだボブ・クリアマウンテンと会う前だったし、国内スタジオの技術的な遅れという問題もあった。針飛びを恐れるがあまり、ピーク・レベルがかなり低めに設定されていたことから、当時の日本のレコードは総じてダイナミズムに欠けていた。
 「甲斐バンドはやはりライブなのだ」という確信を持って二巡目、今度はライブ・アルバムに絞って聴いてみた。NY3部作以降はともかく、それ以前のスタジオ音源はまた別の機会に。
 初ライブ・アルバム『サーカス&サーカス』が放つ勢いは、観衆とバンドとの一体感によって成立している。熟練には程遠いバンドを支える観衆の熱狂、それに呼応して、普段以上のアドレナリンを放出するバンド、それらの相互作用によって。
 初期甲斐バンド楽曲の多くは、甲斐が影響を受けたアーティストへのオマージュやリスペクトが強く反映されている。ライブを重ねることでアンサンブルを整え、オーディエンスの反応を見ながらアップデートしているため、詞曲のクオリティは高い。
 高いのだけど、そのままスタジオ・セッションに移植しても、その通りにはならない。無観客ではアドレナリンも十分ではなく、その中途半端さがパフォーマンスにモロに影響する。
 ピーク・レベルを遵守したクリアなサウンドは、鮮明である分、ボトムの貧相さが露呈してしまう。あとでエフェクトなりコンプレッサーをかけたとしても、素材の状態が良くなければ、どうしたって一緒である。
 拙いながらも試行錯誤を重ね、スタジオ・テイクは発展途上としても、長年ライブで育ててきた楽曲については、ある程度満足ゆくクオリティに仕上げることができた。『サーカス&サーカス』とは、そんな位置づけのアルバムである。

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 で、次の『100万ドルナイト』になると、またちょっと違ってくる。前作との間はまる2年なのだけど、『Hero』以降にリリースされたこと、キャリア初の武道館公演ということもあって、スターダムを全速力で駆け上がる勢いが克明に記録されている。
 短いスパンでのリリースのため、『サーカス&サーカス』とかぶる曲も多いし、アンサンブルも大きな変化はないのだけど、下世話な話、バジェットが大きくなったことによる余裕と達成感が、出てくる音にも影響を与えている。勢い余って力み過ぎな印象もあったバラード・ナンバーも、ここでは硬軟使い分けてドラマティックな表情を見せている。
 ライブ・バンドとしてはひとつの到達点であり、事実、このアルバムをベストに推すファンも多い。ライブで起こり得る偶発性や奇跡という点において、やはりこの時期が甲斐バンドとしてのピークだった、というのは俺も同意。

 『流民の歌』は一旦置いといて、次は『Big Gig』以降。『シークレット・ギグ』は余興というかアンコールみたいなものなので別枠として、『Big Gig』と『Party』は、もう以前とは別のバンドである。
 ライブ音源とも十分拮抗できる、ボトムの太いスタジオ・レコーディング実現のため、甲斐は多くのサポート・ミュージシャンを大量起用した。さらに磨きをかけるため、多くの予算を割いて、ニューヨーク:パワー・ステーションのミックス・ダウン技術を導入した。妥協なきスタジオ・ワークによって、後期甲斐バンドのサウンドは緻密な肉体性を獲得するに至った。
 ライブの肉体性をスタジオで具現化することが、後期甲斐バンドが追求したテーマであった。あらゆる手段を講じることによって、そのクオリティは極限まで研ぎ澄まされた。
 ただサポート・メンバーへの依存度が高すぎたため、ステージでの再現が困難な楽曲が増えたことも、また事実。スタジオ・テイクを再現するため、ライブではテープやシーケンス使用も多くなっていった。
 『Party』は特にその傾向が強く、サポートの助力もあって、スタジオ音源と負けず劣らぬサウンド・クオリティとなった。なったのだけど、初期ライブで見られた偶発性は、そこでは失われていた。
 「それが進歩だ/完成形だ」と言われてしまえばそれまでだけど、「いや、そこ求めていたわけじゃないし」という声もあったりして。

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 で、『流民の歌』。『100万ドルナイト』で頂点に達したライブ・パフォーマンスがどう変化してゆくのか。東芝の要請もあって短いスパンで出すことになったライブ・アルバムだけど、人と同じこと/以前やったことを繰り返さないのが、当時の甲斐バンドの美学だった。
 モノクロで統一されたアートワーク、荒々しいミックスが象徴するように、この時期の甲斐は焦燥感とプレッシャーとが相まって、近寄りがたい殺気を放っている。かつてはコール&レスポンスから生ずる相乗効果によって、カタルシスを得ていた観衆に対しても、強い対抗心を剥き出しにしている。
 共感を誘う一体感を拒む、そんなザラついた空気は強い違和感を放つ。
 「俺たちの居場所はここじゃない」。
 この時すでに、彼らはずっと先を見据えていたのだ。
 一度作り上げたものを壊すことでしか、前に進むことができない―。そんな性を、当時の甲斐バンドは背負っていた。誰がそれを強いたわけではないのに、でも彼らは、それを受け入れた。他にも道はあったはずなのに、彼らは新たな道を切り開いて行くことを、自ら選んだのだった。
 ライブ・パフォーマンスの偶発性に頼らず、スタジオ・レコーディングのクオリティを上げてゆくことが、『流民の歌』以降の彼らの課題だった。そして、その試みは大きな成果となり、『Love Minus Zero』でやり切った彼らは一旦、活動に終止符を打つこととなる。
 ただ、安定を拒み、前のめりにぶっ倒れることも辞さない、そんな模索する甲斐バンドもまた、強烈な求心力を放っていたりする。洗練という言葉が最も似合わない。それがこの頃の彼らだ。
 ―とにかく仰向けに倒れなければ、今より確実に前へ進む。そんな姿勢や生き様が克明に刻まれているのが、この『流民の歌』なんじゃないかと思う。





1. 翼あるもの
 当時としては珍しい、パーカッションによるオープニング。当時、甲斐はリズム・アプローチで暗中模索しており、これまでのロック・アレンジに効果的なプラスアルファを加えるため、やたらパーカッションを多用していた。
 オリジナルは稚拙なレゲエ・ビートだったのだけど、ここではギターとのユニゾン、キーボードも効果的に使われているため、ギアが確実に一段上がっている。

2. 地下室のメロディー
 そういえば、これもオリジナルはスカ・ビートだったよな。オリエンタルなギターの音色が印象的な、これまでとはテイストの違うナンバーだった。パーカッションの連打以外は、スタジオ・テイクとそれほど大差はないのだけど、演奏が前に出たミックスによって、オリジナルの歌謡曲っぽさが薄まっている。
 
3. 一世紀前のセックス・シンボル
 70年代ストーンズのサウンドをオマージュし、歌詞もまるで直訳のようなリスペクトに溢れたバッド・ボーイズ・ロック。一聴ではラフなホンキートンクだけど、乱れ飛ぶパーカッションの響きが、祝祭感を演出している。

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4. カーテン
 スタジオ・テイクでは、淫靡なムード演出が稚拙で、歌謡曲とシティ・ポップのどっちつかずだったのが、ここでは骨太なリズムとギターが、強く背中を押している。「さぁおいで ここに来て」というフレーズも、オリジナルは囁き程度だったのが、ここでは強引に手を引いている印象。
 それよりも何よりも、この曲のハイライトはやはり後半のギター・バトル。「ギター・バトル」という言葉自体、すでに死語になっているけど、そそり立つテンションとカタルシスの放射は、問答無用のナルシシズム。

5. 嵐の季節
 先日、リモート・セッションでも配信されていたけど、あらゆる困難な状況において存在感を発揮する、ある意味、彼らのキラー・チューン。ここぞという時、この曲を聴いて背筋を正すヘヴィ・ユーザーは多い。
 「そうさ コートの襟を立て じっと風をやり過ごせ」
 無謀に立ち向かうのではない。かといって、背を向けるわけでもなく。
 拳は、これ見よがしに振り上げるものではない。ポケットの中で握りしめ、時が過ぎるのをじっと待つ。それが大人の男である、と甲斐は訴え続ける。



6. ポップコーンをほおばって
 言わずと知れた彼らの代表曲であり、ライブの定番。ライブ・アルバムの収録率も高く、よって、発表されただけでもいろいろヴァージョンはあるのだけど、まぁアンサンブルはほぼ不変。崩せないんだろうな、きっと。
 起承転結もはっきりして、英語のフレーズはひとつも使ってないのに、それでもちゃんとロックに聴こえてしまう、非常に完成度の高い楽曲である、と気づいたのはつい最近。持ち上げすぎかもしれないけど、デビュー時からこんなの作っちゃうと、後が大変だったことが察せられる。

7. 氷のくちびる
 「Hotel California」にそっくりだなんだ、というのは昔から言われてたけど、まぁ今さら蒸し返すのは野暮なのでスルーして、それより気になるのは録音の悪さ。ここまで比較的クリアな音質だったのだけど、マイクが声拾ってなかったり音割れしたり、評判の悪い歓声のアンバランスなんかが、ここで全部露呈している。
 もうちょっと何とかならなかったのかね、と思うのだけど、演奏のテンションはこれが一番だったのか。その辺はちょっと謎。

8. 最後の夜汽車
 スタジオ・テイクとあまり変わらない構成で演奏される、ファン以外にも人気の高いバラード。明石家さんまがフェイバリットに挙げ、近年ではMISIAがカバーしたことによって、知名度は案外高い。
 ライブならではの臨場感、そして感極まる甲斐のヴォーカルを堪能するには、最適のナンバー。ツボを押さえる感傷的なメロディーでありながら、ベタつく印象がしないのは、甲斐の声質に依るところが大きい。

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9. 安奈
 逆に、ライブによって無骨な印象となるこの曲は、むしろスタジオ・テイクの方が良かったりする。リズムが前に出過ぎてるせいもあるけど、この曲はいい意味で歌謡曲なので、むしろ淡々としたバッキングでメロディーを強調した方が、しっくり来る。
 そう考えると、スタジオでもライブでもあまりブレることのない、安定した甲斐のヴォーカルが光っている。テレビで歌われる「安奈」は力み過ぎなところがあるけど、こんな感じでサラッと歌う方がフィットしている。

10. 二色の灯
 スタジオ・テイクはメロウなフォーク歌謡といった風情。あんまりよく知らないけど、ガロのアルバム曲っぽい。対してライブはちょっとテンポを落とした弾き語り。悲し気に響くブルース・ハープ、強くつま弾かれるアコースティック・ギターが、無骨に吐き出される。
 決して間口の広い曲ではないけど、甲斐バンドのダークな側面を最も反映していることは確か。きちんと対峙して聴き入ってしまう魅力がある。

11. きんぽうげ
 アフロティックなリズムの乱舞に続き、最高潮に達した観衆の声援。言わずと知れたライブの定番であり、名曲であるけど、あんまりコンガが似合う曲ではないよね。
 映像を喚起させる情景描写を20代そこそこで書き上げてしまった甲斐の文才も然ることながら、幾度も演奏しているおかげで安定したアンサンブルも絶品。ただ、安定し過ぎというか、破綻もないのでそんなに面白くはない。

12. 涙の十番街
 なので、当時のレイテスト・アルバム『地下鉄のメロディー』収録曲である、演奏回数の少ない楽曲の方が、逆に面白かったりする。正直、スタジオ・テイクはどのパートもコントラストが強くて、ミックス的には単にクリアなだけで失敗しているのだけど、ライブではうまく改善されている。
 中途半端な歌謡ロックを、ライブのテンションによって、ソリッドなロックに転換できる。そんな地力が、当時の甲斐バンドにはあった。

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13. HERO(ヒーローになる時、それは今)
 言わずと知れた大ヒット・チューン。多分、イベンター側もファン側としても、いつ演ってくれるか待ち望んでいただろうけど、ここはギター中心のライブ・アレンジですっきりまとめている。まぁこの曲だけのために、ストリングス配置するのも現実的じゃないし。
 今じゃテレビ出演の際も気軽に応じてくれるこの曲だけど、解散前までは敢えてセットリストから外されることも多く、いわばレア曲であった。そう考えると、貴重なテイクではある。

14. LADY(レディー)
 オリコン首位を獲得した「Hero」の直前にリリースされたシングルであり、当時最高94位だったことで、そのギャップの大きさだけで語られることが多い重厚なバラード。スタジオ・テイクの甲斐の声は少し甘さが勝って、未練を引きずった男の純情が表現されていたけど、ここでは激情的かつ傷心を跳ね返そうとする男のマッチョイズムが浮き上がっている。
 甘くメロウな甲斐のヴォーカルも魅力的だけど、時に暴力的でさえあるライブの顔は、その後のハードボイルド路線への伏線とも取れる。

15. ビューティフル・エネルギー
 ただマッチョだ豪快だ、とばかりでは肩が凝る。一本調子にならぬよう、ここで思いっきりポップな松藤登場。ドラムスでありながらメロディアスな特性を持つ松藤が奏でるシティ・ポップは、ちょうどいいブレイクとなっている。
 
16. 汽笛の響き
 ヴォーカルは甲斐だけど、これも松藤作の軽快なカントリー・ロック。当時はシングル「感触」のB面としてリリースされ、それほど認知度は広くなかったはずなのだけど、コア・ユーザーには人気だったのかね。
 まるでオーヴァーダブしたように、歓声がフェード・インしてくるあたり、ポップなメロディーが親しみやすかったんじゃないか、と勝手に想像。

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17. 荒馬
 ニール・ヤングへのオマージュのような、荒々しいストローク、そして情緒的なスライドの響き。これも初出は「ビューティフル・エナジー」のB面と地味な扱いだったのだけど、ライブ映えする無骨さとダンディズムは、強い存在感を醸し出している。

18. 天使(エンジェル)
 ツアー中にシングル・リリースされたアルバム未収録曲。ポップな味わいのフォーク・ロックなバッキングと、ロック・テイストの甲斐のヴォーカルとのギャップが気になるけど、当時はコレで充分ウケが良かったんだろうな。
 この数年後、甲斐はこの曲をマッチョにブーストしてリメイクするのだけど、正直、俺はそっちの方が好き。まぁでも、歌詞とフィットするのはオリジナルのアレンジなんだけど。

19. 漂泊者(アウトロー)
 スタジオ・テイクと遜色ない、いやライブにも負けないスタジオ・テイクといった方がいいのか、とにかく刹那な疾走感とグルーヴが支配する、猪突猛進タイプのハードなロック・チューン。とにかくカッコいいの一言。
 こんな破壊的な曲がオリコン最高14位まで行ってしまったのは、時代状況から考えてもすごいこと。



20. 100万$ナイト
 アンコールに応えて歌われた、当時の定番となっていたラスト・ナンバー。直前に飛び込んできたジョン・レノンの訃報を聞き、彼に捧げられている。そんな事情もあってか、感極まった前回『100万ドルナイト』ヴァージョンより、さらに情緒的になっている感がある。
 もともとセンチメンタルな曲なので、古いファンには馴染みが深いのだろうけど、ちょっと遅れてファンになった俺的には、それほど思い入れは薄い。まぁそれは人それぞれ。
 ただ一節、
 「真夜中にふと襲う やりきれなさに どこで二人が間違えたのか 考えてみるさ」。
 甲斐が何を描写し、書きたかったのかー。
 それがずっと気になっている。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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