Folder 1983年リリース6枚目のオリジナル・アルバム。彼女にとって最大のヒットとなる同名タイトル曲を始め、収録曲はすべて中島みゆき作品で統一されている。デビュー当時から、それほどアルバム制作には力を入れていなかったのか、オリコン20位以内が彼女の定位置だったのだけど、コンセプチュアルな構成が良かったのか、この作品のみ、最高6位32万枚のヒットとなっている。ただこれ以降は、再び20位前後の定位置に戻ってしまうのだけど。
 今では自分のアルバム・リリース時でさえ、滅多に取材を受けることもなくなったみゆきだけど、この頃は積極的にインタビューに応じている。80年代初頭、すでにある程度のポジションを築いていたみゆきだったけど、大御所というにはまだまだ。中堅シンガー・ソングライターとして、テレビ以外のメディア露出が多かった頃でもある。
 現役アイドルへの楽曲提供が桜田淳子以来ということもあって、月刊「明星」だか「平凡」だかで、2人の対談を読んだ覚えがある。こういうのって大体、編集が適当にまとめた他愛ないものなので、内容はさっぱり覚えてない。
 ただ17歳ながら、すでにフォトジェニックな営業スマイルを身につけた柏原と、もう三十路も近いのに、相変わらずぎこちなさの抜けないみゆきの笑顔。そんなコントラストが如実にあらわれたグラビアだけは、印象に残っている。

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 柏原がデビューした80年は、俺がざっと思いついたところでも、松田聖子や河合奈保子、あと岩崎良美に三原順子と、キャラの強いアイドルが多かった。山口百恵の引退と重なっていたため、空位となったその座をめぐって、芸能事務所各社が新人発掘に躍起になっていた時期である。
 総合的に見れば、この年は田原俊彦の無双状態、年末の賞レースはほぼ彼が総なめしていた。トシちゃんに続いて、女性アイドルは聖子がトップ、その他が2番手・3番手を争っている状態だった。
 当時は歌番組も多かったため、どのアイドルもテレビでの露出が多く、柏原も目にする機会は多かったのだけど、楽曲に恵まれなかったせいもあって、セールスはそこそこの位置に収まっていた。なので、年末の新人賞レースもノミネート止まり、目立った成績を上げてはいない。
 この時期のシングルのタイトルを並べてみると、柏原のスタート・ダッシュが遅れた要因も、何となくつかめてくる。「毎日がバレンタイン」「めらんこりい白書」「恋はマシュマロ」などなど。
 デビューが15歳だったからか、「とりあえず清純派で売り出してみよう」というのはわからないではないけど、でも正直言って、80年代当時からすでにダサい認定されていた。「青い珊瑚礁」や「セクシーナイト」、「赤と黒」と並べたら、「明らかに時代間違ってるんじゃね?」的に浮きまくってる。
 河合奈保子のように「西城秀樹の妹」という肩書きもなければ、三原順子のように「金八のスケ番」的なインパクトもなかったため、差別化に苦慮していたのが、いわゆる「ひらがな時代」、初期の柏原よしえだった。

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 大人の歌手も顔負けする、憂いを含んだアルトの声質を巧みに操る柏原の歌唱力は、同期アイドルの中でもトップ・クラスだった。少なくとも、松田聖子や三原順子よりは秀でていたはず。はずなのだけど、そんなスキルを活かせる楽曲が回って来なかったのが、ひらがな柏原の不幸だったと言える。
 同じ中学生デビューである岩崎宏美のように、ちょっと背伸びしたティーン・アイドルという成長戦略だってあったはずなのに、先を見据えたビジョンを描けなかった周辺スタッフの思慮の浅さも否定できない。「取り敢えずデビューさせてみて、それから方針考えよっか」的な、そんな安易な成り行きまかせ感が漂っている。
 いわゆるティーン・アイドルお決まりのポップ・ソングに、彼女の声質はあまりフィットしていない。デビュー曲の「No.1」だって、ピンク・レディー黄金期を支えた阿久悠・都倉俊一コンビの手によるもので、本来ならもっとビートが効いてていいはずなのに、ヴォーカルとオケがチグハグで消化不良だったし。

 手を替え品を替えしても、なかなかヒットに巡り会えず、なかばヤケクソ気味でリリースした「ハロー・グッバイ」が当たったことで、ひとつの指針が見えたはずだった。いわば偶然の産物ではあったけれど、ポップでライトな80年代とは対照的な、ウェットで情緒的な歌謡曲の香りを残した「ハロー・グッバイ」は、柏原のキャラクターにマッチしていた。
 オリジナルは、アグネス・チャン1975年のシングルB面という、いわばレア・グルーブ的な隠れ名曲。こんなのよく見つけてきたよな。
 ひとつ当たれば畳み掛けるように、二番煎じ・三番煎じと続くのは当たり前。その後も同じような、70年代歌謡曲タッチの楽曲を立て続けにリリースする。するのだけれど、当然、最初のインパクトに敵うはずもない。
 ここからさっさとアイドル路線に見切りをつけ、開き直って岩崎宏美路線へ舵を切るのもアリだったんじゃないか、と思うのだけれど、まぁ15、6歳なら、まだ落ち着きたくないよな。ヒラヒラしたドレス着て、チヤホヤされたいだろうし。
 

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 1982年、ひらがな名義の「よしえ」から、漢字の「芳恵」に改名したのは、従来路線との決別を知らしめるためだった。ミスマッチ感が拭えなかったティーン・アイドル路線から、良質な歌をじっくり聴かせるシンガーへのハード・ランディングは、生き残り策として必然だった。
 70年代アイドル楽曲のリサイクルでお茶を濁していたフィリップスも、事務所からの要請なり圧力でもあったのか、きちんとしたリリース戦略を描くようになる。歌謡曲フィールドの職業作家ではなく、谷村新司や松山千春など、フォーク/ポップスのシンガー・ソングライターを続けざまに起用した。短期集中消費型のアイドル楽曲ではなく、大人の鑑賞にも耐えうる楽曲が、この時期に集中している。
 日本のロック/ポップスと歌謡曲との垣根が低くなり、楽曲提供という形で交流が盛んになったのが、ちょうど80年代に入ったこの頃からである。次から次へと新人アイドルが大量にデビューしていたことで、供給するライターの絶対数が足りなくなったことが主因なのだけど、さらに付け加えれば、「制作スタッフの世代交代」という問題もある。若いディレクターらにとって、大御所の職業作家にお伺いを立てるよりは、同世代アーティストの方がリスペクトもあったし、声もかけやすかったし。

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 で、『春なのに』。
 シングルのリリースが1月で、アルバム発売が2月。なので、シングルが売れたから、チャチャっとレコーディングして即席で仕上げたわけではない。以前のようなやっつけ仕事ではなく、きちんとしたリリース計画に則って制作されたことが窺える。
 それならそれで、すでに発表された曲ばかりじゃなく、書き下ろし曲の割合がもう少し多くても良かったんじゃないか、と余計なお世話を焼きたくなってしまう。まぁお互いタイトなスケジュールで動いていたこともあって、まとまった時間が取れなかったことも察せられるのだけれど。
 「みゆき楽曲しばり」というコンセプトのもと、「わかれうた」や「明日天気になれ」など、耳馴染みしたシングル・ヒットを収録したのは、営業戦略もあってのことと思われるけど、「ダイヤル177」や「髪」など、ちょっとダウナーな楽曲までリストアップしている。
 選曲したディレクター、攻めてるよな。
 研ナオコや桜田淳子のように、みゆきの楽曲提供によってターニング・ポイントを迎えた歌手は、それまでもいた。既存歌謡曲のフォーマットをなぞりながらも、安易な喜怒哀楽のルーティンに陥らず、暗喩とも啓示とも取れる様々な解釈を含んだ歌詞の世界観。
 ハッピー・エンドでもバッド・エンドでも、何かしらの結末が用意される歌謡曲と違って、みゆきが紡ぐ物語に、明快な結末はない。エンド・マークを記さないその手法は、時に聴き手の感性を試す。
 「起」「承」「転」「結」がランダムだったり反復されたり、またはどれか一つか二つ抜けていたりするので、受け止め方は百人百様だ。そんな不定形な世界観、そしてその深い奥底で、静かに鼓動を刻む不可侵の硬く小さなコア。その礫は、心の琴線をピンポイントで突き刺す。
 なので、歌い手側にも、それなりの解釈が求められる。単にメロディや仮歌をなぞるだけでは、キャラクターが言葉に負けてしまう。
 みゆきを歌うことによって、新境地を開くことは可能だけれど、生半可な姿勢では歌いこなすのは至難の技だ。ものまね番組で、みゆきそっくりに歌えるタレントも時々見かけるけど、節回しやニュアンスを真似るだけでは、肝心の中身は伝わらない。まぁバラエティでそこまで求めるのは酷だけれど。

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 タイトル曲以外は既発表曲のため、すべての曲を柏原が歌いこなせているかといえば、それはちょっと嘘になる。デビューして3年、魑魅魍魎が渦巻く芸能界を渡ってきて、それなりに苦労も積んできたとはいえ、そこはやはり17歳の少女、すべてを見渡せるわけではない。想像で補った解釈は、所詮付け焼刃でしかない。
 それでも持ち前の歌唱力と天性のカンの鋭さによって、どうにかこれらの難曲に食らいついている。単にピッチを揃えるだけじゃなく、ティーン・アイドルとしてのピュアネスを残しながら。
 穏やかなアルカイック・スマイルを浮かべながら、予測不能のビーンボールや豪速球を放つみゆきの千本ノックに対し、アイドルとしての矜持を失わず、貼りつけたような営業スマイルで難球をさばく柏原。互いに微笑を崩さずにいようとも、互いの背中はじっとり汗で濡れている。書き手と歌い手、立場も年齢も違えど、突き詰めればそれは、2人の女によるせめぎ合いなのだ。
 柏原のスペックを見切ったみゆきは、同時に彼女をパートナーとして認め、その後もシングル3作を提供することになる。


春なのに
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1. ボギーボビーの赤いバラ
 みゆきヴァージョンはデビュー・アルバム『私の声が聞こえますか』に収録。オリジナルはジョーン・バエズやPFMなど、60年代アメリカン・トラッド・フォークを思わせる。寓話的な主人公とストーリーの裏に見え隠れする、暗示的な社会批判というか批評眼というか、いわゆる習作っぽい硬さが目立つのだけど、ここでは少し湿り気の残るオールド・タイプのロックンロールに仕上げられている。
 歌の内容については、将来書く予定のレビューで書くとして、オープニングくらいはこういった軽快なナンバーで正解だったと思う。

2. あした天気になれ
 かなりオリジナルに準じた、ていうか普通に別テイクと言っても通用するギター・ソロの気合いが窺える、オリコン最高25位ながら、知名度も高くて広く知られたナンバー。オリジナルでは、サビのコーラスでヴォコーダーを嚙ませるという、みゆきにしては珍しいアプローチを行なっていたけど、ここでは普通の女性コーラス。柏原のヴォーカルも比較的マイルドでクセも少ない。
 まぁ取り立ててオリジナリティは少ない。でも17歳でここまで歌いきれちゃうのは、素直にすごい。

3. わかれうた
 初期のみゆきの中では最も売れた、言わずと知れた代名詞的ナンバー。チェンバロが奏でるメロディに合わせて、少し熱のこもったヴォーカルが印象的。みゆきの場合、もうちょっと投げやりっぽくヤケッパチっぽくなるのだけど、柏原の場合、カラオケで言うところの「しゃくり」を効果的に使い、演歌の一歩手前まで情感を込めている。
 みゆきが歌うと「恨み節」になってしまうところを、ここで描かれる女性はもう少しか弱く、逆に同情を誘うような憐憫が漂っている。若くか弱い女の子が歌うと、ここまで歌の表情も違ってくる。でもね、そういった表情見せる方がしたたかなんだよね。

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4. 海よ
 もともと演歌っぽい節回しとメロディ、そして状況設定なので、ちょっとうまく歌おうとすれば、どうしたって歌謡曲に寄ってしまう。70年代っぽさがすごく漂っているのだけど、言ってしまえば、柏原自体が80年代アイドルの中では旧主流派だったので、これはこれでいいのか。

5. ダイヤル117
 『親愛なる者へ』収録、みゆきヴァージョンはギターで、ここではピアノがメイン。どっちにしろアレンジのアプローチはシンプル。こちらもかなり情感たっぷり、みゆきに倣いながらも、丁寧なピッチを保っている。さらにムードを煽る情緒的なストリングスの分厚さと言ったら。ティーンエイジャーでここまで歌えるのは天性だけど、震えるようなビブラートとなると、みゆきの方に軍配が上がってしまう。まぁ元ネタだから、当たり前か。

6. バス通り
 レコードで言えば、ここからがB面。A面ラストが鬱々とした印象で終わってしまったので、ここからはムード一転、『臨月』の中でもかなりポップ寄りのチューン。ちょっと落ち着いた風なアレンジとヴォーカルだけど、こういった曲調が最も彼女の声質にはフィットしている。
 丁寧なストリングスの重ね方もそうだけど、案外冒険しているベース・ラインと言い、この時期の歌謡曲のアルバムの多くは、職人肌のスタッフやミュージシャンによって、きちんと作られていたことが表れている。

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7. 渚便り
 オリジナルは朴訥とした叙情派フォークの習作といった仕上がりだったのが、ここではキーも高めに設定、アイドル成分がかなり強調されている。もともとシングル「春なのに」のB面として先行発表されており、基本、同じプロダクションでレコーディングされているのだけど、ストリングスとの相性が良いことがわかる。もともと記名性、キャラの強い柏原のヴォーカルには、簡素なアレンジはあまりに合わない。むしろこれくらいオーバーで分厚いストリングスとの方が、ちょうど拮抗してバランスが取れている。

8. 髪
 初出はみゆきではなく、もとはアルゼンチン出身グラシェラ・スサーナに提供された曲。それをみゆきが『おかえりなさい』でセルフ・カバーし、柏原ヴァージョンはみゆきヴァージョン寄りのアプローチ。考えてみれば、アレンジはギタリスト石川鷹彦。当時はみゆきのレコーディングにも準レギュラー的扱いで参加していたため、テイストが近くなるのは、当たり前っちゃ当たり前。

9. 春なのに
 柏原のために作った歌だから、彼女が歌ってこそ最も映えるのは、これも当たり前だけど、オリジネイターというか作者の意図すら軽く飛び越えてしまった名曲。これまでもセルフ・カバーで数々の提供曲を歌い直してきたみゆきだけど、この曲だけは完全にみゆきの手を離れてしまっている。

 さみしくなるよ それだけですか
 向こうで友だち 呼んでますね

 一見、卒業してゆく先輩への名残惜しさ・愛おしさが描かれているけれど、どこかでホッとしている客観的な視点が描かれている。サビでは別れを惜しんでいるようだけど、締めの言葉は「ため息 またひとつ」。これが憂鬱を表しているのか、それとも安堵なのか。
 「記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます」。
 彼が卒業することで、彼女の恋心も卒業したことが窺える。叶わぬ想いをずっと胸にしたためておいても、前へは進めない。これを機に、彼から卒業することが、一歩進むということなのだ。
 みゆき視点では書き得なかった、少女の前向きな視点を憂いというヴェールで包んで活写した名バラード。みゆきと柏原との感性がシンクロしたことで、奇跡的な傑作となった。



10. 夜曲
 ヴォーカルだけ取り上げると、「春なのに」と匹敵するほどの表現力。あまり気負いせず、しっとり丁寧に歌い上げたことで、エピローグ的なエンディングを飾った。声こそ若いけど、軽い諦念を含んだ大人の歌を、背伸びした感もなくきっちり歌い上げている。



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