好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

岩崎宏美

80年代の岩崎宏美をちゃんと聴いてみないか。 - 岩崎宏美 『戯夜曼』


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  1985年リリース15枚目のオリジナルアルバム。オリコン最高13位は決して高い数字ではないけど、総合ランキングとは別に、この時代は別枠でCDランキングが設けられており、そっちでは最高5位。まだレコード生産枚数が上回っていた時代なので、CD出荷数自体が少ないのだけど、そんな中、歌謡曲としては結構高めのランクインとなっている。
 世界初のCDプレイヤー/ソフトが発売されたのが82年10月だったのだけど、しばらくはオーオタ御用達のレアガジェットの域を出ず、10万・20万が当たり前の殿様商売だった。北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺の周りにも、持っているのは誰もいなかった。
 それからしばらくして84年、ソニーが手のひらサイズの普及型プレイヤーD-50を5万円切る価格で発売し、同業他社も右ならえで廉価版プレイヤーを販売し始めたあたりから、ようやく普及し始めた。ソフトはまだ高かったけどね。
 プレイヤーは徐々に普及し始めたけど、一枚3,200〜3,800円もするソフトを若年層が気軽に何枚も買えるはずもなく、この時代でもメインユーザーはジャズやクラシックファンが中心だった。レコード店もまた、売り場の2割程度を占めるに過ぎないCDコーナーに、ニーズの少ないアイドルや歌謡曲を並べることに積極的ではなかった。
 すでにアイドルという括りから脱皮していた岩崎宏美のファン層は、おおよそ彼女と同世代かちょっと上、20〜30代中心だったと考えられる。就職して可処分所得が多めの年代が多かったことから、CDセールスが好調だったことは想像できる。

 1985年の歌謡界において、岩崎宏美はトップグループに属しており、お茶の間の認知度も高い人気歌手だった。アイドルというにはちょっと苦しいけど、卓越した歌唱力と親しみやすいキャラクターによって、安定した人気を保っていた。
 80年代に入ってからは、メガヒットは少なくなったけど、当時のアイドルの通常ペースである3ヶ月ごとのシングルリリースは続いていた。ベスト10上位に入る確率は減ったけど、ランキング形式以外の歌番組では、顔を見る機会が多かった。
 80年代前半くらいまでの歌謡界において、紅白出場かレコ大大賞を獲ることが、いわゆる「上がり」とされていた。前者の究極的な理想は大トリなのだけど、重鎮から大御所に加え、何で出てるのか知らんけど芸歴が長かったり、事務所のパワーバランスによるゴリ押しがいたりで、中堅クラスでそこに食い込むのは、現実的には難しい。なので、出場し続けることが目的となる。
 81年「すみれ色の涙」で最優秀歌唱賞を受賞し、順当にいけば次期大賞候補だった岩崎宏美、当時の歌謡界のセオリーとルーティン、または各事務所間の持ちつ持たれつで、翌82年の「聖母たちのララバイ」で大賞獲得していたはずなのだけど、この年は細川たかし「北酒場」に軍配が上がった。すでにこの曲で、日本歌謡大賞と有線大賞を受賞していたこともあって、おそらくトップの間で何らかの調整が行なわれた、っていうのは穿ち過ぎか。イヤ、あり得るな。

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 80年代に入ってから女性アイドルの世代交代が急速に進み、特にこの82年はいまも語り継がれるように、新人女性アイドルが大豊作だった。新陳代謝のペースが爆上がりして、70年代デビュー組をプッシュする動きはフェードアウトしてゆく。
 まだまだ男尊女卑がまかり通っていた時代、「女性の年齢=クリスマスケーキ」という例えがあった。「24まではみんな競って買い求めるけど、25になると売れ残ってしまう」。今だったら炎上間違いなしだけど、アラフィフ世代くらいまでなら、聞いたことあると思う。
 女性アイドルはさらに賞味期限が短く、どれだけ結果を残していようとも、大抵3年程度で肩を叩かれた。芸能事務所やレコード会社、他メディアもおおよそそんな認識だったし、本人たちも当たり前のように受け入れていた。
 そこそこヒット曲があれば「ミュージックフェア」には出られるけど、ヤングアイドル中心の「ヤンヤン歌うスタジオ」からは、声がかからなくなる。フレッシュで初々しい82年組と同列に扱うわけにもいかないし、周囲もちょっとイジりづらいし。
 なので、多くの女性アイドルは3年を機に進退を迫られた。進学するか結婚するかで芸能界を引退、事務所に残る場合は、ドラマに出るかそれともヌードになるか。
 今だったら、歌わなくてもテレビに出られるバラエティという場所が用意されているけど、当時は需要が少なかったし、何より「歌を捨てた」という格落ち感が強かった。逆に言えば、残る人はそれだけの覚悟があったということなのだけど。

 デビュー当初から歌唱力を売りにし、「キュートでファニーで歌は二の次」な従来アイドルの要素を排除してきた岩崎宏美もまた、その例外ではなかった。20代前半は無理に演出しなくても、ほのかな蒼さとあどけなさが親しみやすさを醸し出していたのだけれど、中盤に差しかかると、それも薄れてゆく。
 艶やかで長い黒髪と整った顔立ちは、「アイドル」としては充分だけど、「女性歌手」としては物足りない。「アイドル」というエクスキューズを抜きにした「女性歌手」へステップアップするためには、違う要素が必要なのだ。
 それが人によってはセクシャリティであり、また、自ら作詞作曲するアーティストになったり。手っ取り早く日銭を稼ぐため、演歌に転向するルートも、あるにはある。
 「聖母たちのララバイ」が大きなヒットになったことで、歌謡界における岩崎宏美のポジションは、取り敢えず落ち着いたように見えた。大きな賞も獲得できたしアイドル歌手からの脱皮と言うにふさわしい代表曲ができたことで、とりあえずはひと安心。
 変に迷走して、畑違いの路線に走ったりせず、王道から逸れないまま、「アイドル→女性歌手」への移行も、自然な形で済んだ。そりゃ裏では賞レース絡みで、密約やら談合やらの類はあったはずだけど、表面的にはソフトランディングできた。
 あくまで事務所サイドとしては。
 周囲の大人たちの思惑としては、このまま「聖母たちのララバイ」路線の踏襲と深化を狙っていたのだと思う。その後、続けて「火曜サスペンス劇場」主題歌に起用された「家路」(4位)も「橋」(31位)も、テーマや曲調は似たようなテイストで統一されている。
 さすがに「聖母~」ほどの大ヒットには及ばないにしても、同年代女性歌手と比べると格段のセールスだし、どれも崇高なテーマでチャラついてない楽曲なので、箔もつく。この路線だったら年齢を重ねても、紅白出場は安泰だろうし。

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 周囲の大人の言うことに疑問を持たず、まっすぐなレーンを歩んでいた優等生の岩崎宏美も、デビューから10年も経つと、いろいろ思い悩むようになる。普通の社会人だって、中堅クラスになると、先行きを考える。当然っちゃ当然のことだ。
 このまま歌手であり続けることに不満はなかったけど、なぜ歌うのか・何を歌うべきなのか。それを考えるようになった。
 最初はただ、歌えるだけで幸せだった。自分のために作られた楽曲を自分なりに解釈し、難しい旋律を歌いこなす。スポットライトとは縁のなかった10代の少女にとって、それは充分身に余る光栄だった。
 歌番組への露出が、お茶の間の知名度に直結した時代、3ヶ月スパンでリリースされるシングルのセールスは、すなわち歌謡界でのランク付けに大きく影響した。なので、レコード会社はあの手この手を使って売れっ子ライターを押さえ、リスクヘッジに努めた。
 多くの大人たちの思惑が絡むシングル選定コンペでは、営業の発言力が強く、製作サイドの意見が通ることは少なかったけど、アルバム制作ではまだ自由裁量が黙認されていた。岩崎宏美もまた、全作詞とアートディレクションを手掛けた異色コンセプトアルバム『Love Letter』や、オールLAレコーディングの『I WON'T BREAK YOUR HEART』をリリースしている。
 同時代にデビューした女性歌手の多くが路線変更を迫られたり引退したりしている中、彼女はわりと恵まれた方ではあった。大ヒットは少なくなったけど、レコーディング契約は続いているし、このままスキャンダルでも起こさない限り、歌謡界でのポジションは安泰だろう。周囲もおそらく自分自身も、そんな風に思っていたんじゃないか、と。

 1984年、岩崎宏美はデビュー時から所属していた芸映との契約を終了、個人事務所を設立する。この前年に西城秀樹が退社・独立したのに触発されたのか、販促計画が82年組の石川秀美中心にシフトしていったことに危機感を抱いたのか。




 当時の芸能週刊誌記事をアップしているブログがあり、興味深い記事がいろいろ書かれているのだけれど、「ピンクレディーみたいにはなりたくない」と書いてあったりする。心身ボロボロの状態で過密スケジュールをこなすだけの毎日、モチベーションの低下に伴うパフォーマンスの劣化、そして人気の急降下。
 プライベートな時間を削って休みなくこき使われ、挙句の果てに使い捨て。昔からある芸能界の栄枯盛衰は、誰にとっても他人ごとではなかった。後に引けない状況を避けることができるのは、最終的に自分の判断だ。
 利権やしがらみが複雑に絡み合うため、一朝一夕でまとまったものではないだろうけど、過密スケジュールや長期ビジョンの相違が、主だった独立事由だったんじゃないか、と推察できる。ほんとのところはもっと複雑なのだろうけど、主因のひとつであることは間違いない。
 近年も芸能人の独立となると、いろいろ騒がれることが多いけど、この頃の芸能界は魑魅魍魎、大手事務所からの独立は、かなりリスキーだった。よく言われる「干される」という制裁。
 当時の芸能界は独立した場合、「約2年は目立った芸能活動ができない」というしきたりがあった。おそらく所属歌手とのバッティングを避けるため、テレビの出演枠確保のためだと思うのだけど、要はペナルティみたいなもの。
 当時もおそらく、出るとこに出て訴えれば勝てる案件だったのだろうけど、金と時間ばかりかかって、むしろデメリットの方が大きい。こういう場合、あまり要求が多すぎると、事務所が故意にネガティヴな情報をリークしたりするので、立場的にはとても弱い。

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 こういった独立劇となると、環境もガラリと変わって心機一転、一からのスタートになるはずで、岩崎宏美も歌番組からしばらく遠ざかることになるのだけれど、ビクターとのレコーディング契約はそのまま続くことになった。デビュー時からのプロデューサー:飯田久彦はじめ、慣れ親しんだスタッフとの継続は、歌をメインとした活動のためには必須だった。
 これまでのスタッフが敷いた「大人の歌手」という方向性は間違っていなかったのだけど、そのベクトルが彼女の思惑とは別の方向に向き始めた。独りになってまずすべきことは、その軌道修正だった。
 刻一刻と成長し続ける岩崎宏美の歌を求める固定ファンは、そんな彼女の奮闘ぶりを控えめに後押しした。単なる歌手から脱皮して、サウンドプロデュースにも深く関わるアーティスティックな進化を見守り続けた。
 自ら納得ゆく楽曲を探し求め、気になったクリエイターには自らコンタクトを取った。従来の歌謡曲フォーマットのアレンジや歌詞テーマではなく、当時のシンガーソングライター系、今で言うシティポップ系のサウンドをモチーフとして、アルバム制作を進めていった。
 2年のブランクを経てリリースされた『戯夜曼』は、そんな彼女のこだわり、そして今後の方向性が強く打ち出された、コンセプチュアルな構成となった。全編当て字も含んだ漢字タイトルで統一され、それに伴ってビジュアルイメージも一新、トレードマークの長い黒髪は白い帽子の中にまとめられた。
 これが正しい路線なのか、まだちょっと自信はない。ないけど、今までとは違う自分であることには、自信ある。
 ちょっとおどけた感のあるジャケットからは、そんな肩の力の抜けた軽みが伝わってくる。




1. 恋孔雀(こいくじゃく)
 テレサ・テンが歌ってもしっくり馴染んでしまう、歌謡曲寄りのメロだけど、キャッチーなポイントを押さえた職人芸:大村雅朗のアレンジが秀逸。正直、松井五郎の歌詞はベタな職業作家感が拭えないのだけど、岩崎宏美のヴォーカル力によって説得力が増している。

2. 星遊劇(ほしあそび)
 この後、結婚前のアルバム『Me Too』までブレーン的な立場で関わり続ける奥慶一アレンジ、オリエンタル音階を巧みに使ったポップチューン。ニューウェイヴに目覚めた太田裕美のテイストとも共通点を感じる。あそこまでぶっ飛んでいないけど。
 
3. 唇未遂(くちびるみすい)
 リズムセクションが心地よくアンサンブルも凝っている、変にディープでどマイナーな方向へ向かっている近年のえせシティポップと比べて、段違いの高レベル。やっぱ歌がうまくないと、どうにもならない。
 タイトルが安っぽいため、つい聴き飛ばしてしまいそうだけど、テクノファンクなイントロとコーラスアレンジは絶品。多分、歌いこなすの難しかったんだろうな。
 カラオケだとアプローチがちょっと難しい曲でもある。ただメロディをなぞるだけだと、高確率で失敗する。そんな曲。

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4. 夏物語
 リヴァーヴの深いアルペジオとDX7をメインとした、浮遊感漂う緩やかなポップバラード。抒情的な晩夏を描写した歌詞の内容やアレンジからすると、もう少しヴォーカル抑えてもよかったんじゃね?と勝手に思ってしまう。歌い上げる曲調ではないのはわかっていたはずだけど、当時はこういったアプローチが精いっぱいだった、ってことだと思う。
 そりゃそうだ、この時点でまだ27歳だったんだもの。

5. 夢狩人(Version Ⅱ)
 ちょうどご乱心期真っただ中だった中島みゆきを連想してしまうのだけど、シンクロニシティ?ていうか、こういうリズム・アレンジ流行ってたんだろうな。シンセの使い方も『36.5℃』と似てるもの。
 「決心」のB面として先行リリースされたシングルヴァージョンは、ややテンポを落としたスパニッシュなアレンジだったのだけど、俺的にはシンセ・ドラムの音が心地よいアルバムの方が好み。
 歌のうまさ・表現力の豊かさという点において、中島みゆきとは相性良かったと思うのだけど、2005年:デビュー30周年記念シングル「ただ・愛のためにだけ」まで、コラボは実現しなかった。柏原芳恵とバッティングするの避けてたのかね、みゆきの方から。


6. 偽終止(ぎしゅうし)
 かなり強引な3字熟語と思っていたのだけど、ちゃんとした音楽用語だった。「終わりそうでいて終わらない、最後に盛り上がる」コード進行のことらしい。楽理は詳しくないのでよく知らんけど、曲を聴けば、「あぁそういうことね」と何となくわかる。
 お約束な流れじゃないメロディなので、そのクセ強感は好き嫌いが分かれるかもしれない。こういったギミック、俺は好きだけど。

7. 横浜嬢(よこはまモガ)
 歌詞を読むと「あぶない刑事」を彷彿させる、モダンでトレンディな世界観。ジルバやBMW、本牧バーなど、俺が10代の頃に憧れた心象風景が活写されている。敢えてヤンチャっぽくせず、素直なヴォイシングなのは正解。こういうのを下品に歌っちゃうとヤボったくなる。

8. 射麗女(しゃれいど)
 ここだけカタカナやアルファベットにしちゃうのも興覚目なのはわかるけど、でもかなり苦しい当て字。夜露死苦や愛羅武勇なんて、Z世代には通じないんだろうな。
 イージーリスニング的なストリングシンセのオープニングがちょっとチープだけど、歌に入ると80年代モダンクラシックなダンスポップチューン。もっとリズミカルに歌えばWinkみたいになるんだろうけど、そこまでダンサブルに踏み込まないのが、彼女の品の良さなのだ。


9. 決心
 カメリアダイアモンドのCM曲として広く知られた、オリエンタルなアレンジとアダルトな歌唱が話題を呼んだ、80年代を代表するヒットチューン。芸能ゴシップやキャラに頼らず、歌一本でアイドル以降の道筋を切り開いた意味において、ひとつのメルクマールとなる楽曲、って言ったら言い過ぎかもしれないけど、歌謡界からアーティスト路線へ移行する先例として、彼女の存在は大きい。

10. 風関係
 やや歌謡ロック的なテイストも漂う、ギターソロがほど良く泣いているロッカバラード。ライブでは洋楽カバーでロックっぽい曲を歌うことはあったけど、ここまでロックテイストの強い楽曲をスタジオヴァージョンで歌うことはなかったはず。
 そう考えると、これまでの岩崎宏美的イメージから最もはずれた楽曲なのかもしれない。明菜が歌ったらもっと荒れそうなので、やっぱ枠にはきちんと収める彼女の方がふさわしい。

11. 誘惑雨(さそいあめ)
 そういえばこのアルバム、ほぼ彼女の座付き作家と言っても過言ではない筒美京平は一切参加していない。していないのだけど、このラストは筒美テイストを隠さないでいる。
 いわば過去との決別として、また、独立に伴うあれやこれやで、恩師である筒美とは一旦縁遠くなってしまうのだけど、ヴォーカル技法は明らかに従来の岩崎宏美である。過去をすべて否定するのではなく、ひとつの過程として受け止め、礎としてゆく。そんな決意を窺わせる楽曲。
 心なしか、そういう意味での熱がこもっている。







80年代歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる その7 - 岩崎宏美 『Wish』

folder 1980年にリリースされた、9枚目のオリジナル・アルバム。寺尾聡を始めとしたニュー・ミュージック勢が上位独占していたこの時期、女性アイドルでオリコン最高14位というのは、まずまずの成績。
 この年の岩崎宏美の音源リリースは、『Wish』とシングル4枚、それにライブ・アルバムが2枚。ジャム・バンドじゃあるまいし、ライブ盤はちょっと多いけど、当時のアイドルとしては、まぁ通常ペース。これにカセット・オンリーのベスト盤なんかが入ると、もう月刊・岩崎宏美状態になる。
 一応、カテゴリ的に「アイドル」とジャンル分けされてはいるけど、この時点ですでにデビュー5年目、言っちゃ悪いけど、鮮度はどうしたって落ちる。トップ10に入るヒットも少なくなり、世代交代も進んでいるため、そろそろ方向性を考えなくてはならない時期である。
 今も変わらぬ女性アイドルのお約束である、セクシー・グラビア路線や女優、バラエティ要員など、ザッツ・芸能界的路線に軸足を置かぬまま、岩崎宏美はコンサートや歌番組を主戦場としていた。それでもほんのわずか、拙いエッセイを添えた写真集や、水着グラビアのオファーも受けてはいるけど、その多くは露出の少ないバスト・ショット中心で、あからさまなエロさはない。
 こんなんでも、情報に飢えていた当時の中高生からすれば、充分なごほうびだったのかもしれないな。妄想力と情報量とは、得てして相反するモノであるし。

 そんな男の子たちの青臭い妄想を掻き立てるポジションから徐々に身を引き、岩崎宏美はアイドル以降のステップ、ポップス・シンガーへの転身を進めていた。急激な路線変更ではなく、ポップス・シンガーとティーン・アイドルとのクロスフェードが、本人含め周辺ブレーンが描いていた理想形だった。2年目のジンクスを越えられず、女優やバラエティ、はたまた引退に追い込まれてしまう多くの女性アイドルと違って、岩崎宏美はほぼ歌一本に専念できる環境に恵まれていた。
 とはいえ。
 芸能色の濃いバラエティ番組とは適度な距離を保ち、歌を主軸としたアイドル以降のストーリーというのは、案外前例が少ない。小柳ルミ子ほど妖艶ではないし、桜田淳子のように、バラエティもドラマもこなせるほど器用ではない。
 アイドル以降を生き残った歌手として、アイドルでブレイクすることができず、演歌に転向して活路を見出した石川さゆりという実例があるけど、ポップスのカテゴリとなると、ちょっと思い浮かばない。すごく遡って拡大解釈して、「美空ひばりやいしだあゆみもアイドルだったんじゃね?」といった解釈もあるにはあるけど、まぁ、ちょっとこじつけが過ぎる。
 理想的なロールモデルとして、高橋真梨子や大橋純子の路線が最も近いのかもしれないけど、二十歳前後という年齢では、まだちょっと青すぎる。「となりの宏美ちゃん」的キャラを払底するには、もう少し時間が必要だった。
 こう考えると、二十代前半というのは案外中途半端な年代だ。アイドルというにはとうが立っているし、さりとて大人の女性を演じるには、ちょっと経験値が足りない。

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 同世代の女性アイドルと比べて、彼女が優位に立てるのは歌唱力であるけれど、返して言えば、それだけしか持たない。それだけじゃ足りない、と言い換えてもいい。何かひとつ、飛び抜けた才能があるだけで充分恵まれているけど、でも絶対的ではない。
 幼少時から歌唱レッスンを重ねてきた岩崎宏美は別として、女性アイドルの歌唱力はそれほど高いものではない。ていうか、よほどじゃない限り、その辺は重要視されないし、むしろちょっと不安定なくらいの方が、感情移入しやすい。
 デビュー当時は、歌もダンスも人並み程度だったけど、キャリアを重ねるにつれて、少しずつ向上の兆しが見えてくる。ちょっぴり不器用な少女の成長過程をリアルタイムで見守ることで、ツボにはまった者は心動かされ、そして夢中になる―。
 どの項目もまんべんなく平均値をクリアしているより、突出して秀でているか、それとも劣っているか。人はむしろ、そんなアンバランスに強く惹かれる。精神的にも肉体的にも、まだ成長過程にあるティーン・アイドル、そのファンもまた、アンバランスな存在であることに変わりない。
 ぼんやりした不安とコンプレックスを拗らせた厨二病男子は、欠けている部分に共感を抱き、そして、想いのたけを注ぎ込む。どの時代であれ、その基本原理は変わらない。
 デビューしたてならともかく、中堅歌手となっていた岩崎宏美は、そんな思い入れを受け入れる存在ではない。突き抜けた高レベルの歌唱力は、青少年男子を惹きつけるファクターにはなり得ない。

 アイドルとしてシンガーとして、多くの項目で高いポイントを獲得しているので、どの角度から見てもスキはない。優等生的なキャラではあるけれど、無理やり作られたものではないので、あざとさもない。
 アイドル全盛期をリアルタイムで知っているわけではないので、断言はできないけど、強烈なアンチ・ファンは、ほぼいなかったんじゃないかと思われる。セックス・アピールをほとんど感じない、「となりのお姉さん」的イメージは、世代性別を問わず、抵抗なく受け入れられやすい。
 堅調なセールスに支えられ、歌番組の常連として、「みんなの宏美ちゃん」キャラはお茶の間にも充分浸透した。二十歳以降にリリースされた「シンデレラ・ハネムーン」や「万華鏡」は、大人のポップス・シンガーへの着実なステップアップを印象づけた。
 ただ、突出した個性には欠けるため、熱烈なファンというのは案外少ない。それは再評価の盛り上がりの薄さと確実にリンクしている。
 ぶりっ子キャラを前面に出した松田聖子は、デビュー当時、強いバッシングを受けていたけど、アンチの数以上に、熱狂的なファンと多くのエピゴーネンを生み出した。強烈な生理的嫌悪は、同時にカリスマティックな求心力を内に孕む。
 岩崎宏美は、決してトップ独走するタイプではなかった。ただ、アイドル・レースにおいてトップ争いに汲々とせず、マイペースで別のベクトルを進んでいたからこそ、失速もしなかった。
 結果論ではあるけれど、ティーン・アイドルとしてデビューしたのも最適解だったのでは。変に大人びたシンガー路線で売り出して、迷走したあげく、演歌路線へシフトされていたかもしれないし。
 多くの同世代アイドルが次々に失速してゆく中、岩崎宏美は着実にアイドル路線からの脱皮を推し進めていた。大きな浮き沈みもなく、順風満帆に見えるキャリアに見えそうだけど、それもこれも本人含め、周辺スタッフによる緻密な成長戦略の賜物である。

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 ただ、「大人のシンガー路線」とひと口に言っても、漠然としているのもまた事実である。「アイドル以降」をうまく渡り歩いたポップス・シンガーの成功例は、ほぼなかったと言っていい。
 そのビジョンを最もうまく描けたはずの山口百恵は、結婚・引退を機に、自ら身を引いた。そのラインを引き継げるポテンシャルを有するのは、岩崎宏美しかいなかった。
 急激なセクシー路線への転換は無理があるし、多分、そんなにニーズもない。ダンス/ディスコ路線という選択肢も考えていたかもしれないけど、正直、リズムで映えるタイプではない。いくらキャラが活きるとはいえ、バラード一辺倒では、飽きられるのも早い。
 あまり前向きではないけれど、そんな手探りな消去法を推し進め、たどり着いたのがミディアム・ポップを主体としたAOR路線、つまりこの『Wish』ということになる。やっとたどり着いたよ。
 少女から大人への成長過程を丹念に描き込む基本路線を踏襲しつつ、身の丈に合ったシティ・ポップ路線は、その後の彼女の方向性にも大きく作用している。歌謡曲のフォーマットで制作された「すみれ色の涙」のようなベタなシングルを織り交ぜつつ、80年代以降の岩崎宏美は同時進行で、着実な成長戦略を進めている。あらゆるジャンルを貪欲に取り込んできた歌謡曲のひとつの進化系として、『Wish』もまた、その延長線上に位置している。

 シングルの寄せ集めが主体だった、当時の歌謡曲アルバムの中において、『Wish』はビクターの本気が窺える作品となった。LA録音というキーワードが、どれほどセールスに貢献したかはさておき、純粋なクオリティ面において、作曲家:筒美京平の全面参加が大きく影響した。ほぼシングル主体のオファーしか受けなくなっていた当時の筒美へ、アルバム全曲書き下ろしを依頼したディレクター:飯田久彦は、一体どんな手を使ったのだろうか。
 ただ筒美サイドから見ると、正確なピッチに加え、流麗なメロディを素直に表現できる岩崎宏美という素材が魅力的だった、とも言える。わざわざピアノ演奏で参加までしちゃうくらいだから、その肩入れようはかなりのものである。
 周囲の雑音を極力廃し、短期集中で制作されたLAサウンドは、程よくウェットなメロディ・ラインとマッチして、変な背伸び感やバタ臭さは一掃されている。バランス感覚に優れたディレクションによって、お茶の間にも広く受け入れられるよう配慮したドメスティックな味つけが、「よくできたシティ・ポップ」以上のクオリティとして成立している。
 ソフト~ミディアム・ポップのサウンド・アプローチに軸足を置きながら、ペンタトニック主体の歌謡曲とリンクさせる手法は、この後の岡村孝子ら後発女性シンガーのモデル・ケースとなる。

 ほぼ同時進行で、松本隆は「松田聖子」という素材を用い、アイドルのフォーマットを拡大成長させる壮大な実験を進めていた。その作業は聖子本人に引き継がれ、「脱・アイドル」ではない、「生涯アイドル」という新たなフォーマットを生み出した。
 「アイドル以降」と「生涯アイドル」、交わることのないふたつの行程は、いまだ進行中である。



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岩崎宏美
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1. WISHES
 筒美京平自らによるピアノ弾き語りという、なかなかレアなセッション。1分足らずのオーバーチュア的な小品ではあるけれど、岩崎のヴォーカル・テクニックを最大限活かすメロディ・ライン、さらにそれを引き立たせるため、余計なアレンジメントを排したことが効果的となっている。
 岩崎にとって、師匠とも先生ともいえる筒美との共演は相当なプレッシャーだったらしく、リラックスさせるため、筒美がワインを勧めたことは、ファンの間では有名なエピソード。

2. 五線紙のカウボーイ 
 澄み切ったスライド・ギターの音色が美しい、カントリー・タッチのミディアム・バラード。シングルでも充分いけそうなクオリティだけど、歌謡曲として見れば、ちょっと地味なのかね。LAのカラッとした空気も作用してか、バッキングの音は申し分ないのだけど、ヴォーカルの響きがちょっとデッド気味、もう少しリヴァーブかけても良かったんじゃないの?というのは大きなお世話か。

3. SYMPATHY 
 後藤次利アレンジのため、ギターにディストーションがかかり、リズムがちょっと跳ねてくる。海外レコーディングのメリットが活きてくるゴージャスなアンサンブルが聴ける。
 1999年にリリースされたセルフ・カバー・アルバム『Never Again〜許さない』にて、ニュー・ヴォーカルで再録されているのだけど、ベーシック・トラックは『Wish』セッションをそのまま使用している。当時のアンサンブルが時代を超えたクオリティであったのと同時に、岩崎自身も(多分)ヴォーカルに不満が残っていたのだろう。
 1999年ヴァージョンのヴォーカルは、マジ必聴。サラッとした旧ヴァージョンに対し、熟成されたヴォーカルの力に引っ張られ、楽曲のグレードが一段も二段も上がっている。



4. STREET DANCER 
 とはいえ、情感のインフレがすべて良い方向に作用するものでもない。シティ・ポップ・ファンにも人気の高い、ライト・メロウな楽曲には、あまり強いキャラクターより、ちょっと軽いヴォーカルの方がフィットしている。
 バッキングだけ聴くと結構ファンキーなプレイなのだけど、たおやかで少しウェットな岩崎のヴォーカルが、演奏のアクをうまく緩和している。大橋純子が歌ったら、セッション・メンバーも喚起されて、R&B色が強くなるんだろうか。



5. KISS AGAIN 
 フェンダー・ローズの危うい音色から入るイントロ、挑発的なギター・カッティングが、アーバン・グルーヴ感満載。煽情的な女性コーラスも、シティ・ポップ・ファンからの支持が熱い。
 こういった曲調だと、普通、ヴォーカリストならちょっと崩して歌ったりシンコペーション噛ましたりなんかして、無理にグルーヴ感演出したりしてダダ滑りするケースが多々あるのだけど、ここでは逆に正確なピッチを崩さない岩崎のスタイルが、聴きやすいライト・メロウ・テイストとして作用している。

6. HALF MOON 
 後藤次利が重厚なロック・アレンジで頑張っているけど、なんか歌謡ロック臭が漂って、LAっぽさがあんまり感じられない。やたらギター・ソロが長いんだけど、ウェットなフレーズが70年代テイストなので、アルバム・コンセプト的にはちょっとミスマッチ。

7. 女優 
 20枚目のシングルとして先行リリースされているけど、ここで収録されているのは新録ヴァージョン。ディスコ・テイストのシングル・ヴァージョンと、グルーヴ感を強調してテンポを落としたアルバム・ヴァージョン、アングルの違いだけでクオリティはどちらも高いので、好みは人それぞれ。
 前述の『Never Again〜許さない』に新録ヴァージョンが収録されているのだけど、テクニックのさらなる向上ゆえ、歌詞の説得力が凄い。「歌詞が入ってくる」感覚を味わえるのは、こちらの最新ヴァージョンかな。



8. ROSE 
 やはり後藤次利といえば、ベース・プレイがなくちゃね。ボサノヴァ・タッチのメロディを、リード楽器ばりに前面に出てシンプルなアンサンブルを盛り立てている。
 単に声量が合ったり声域が広いのではなく、楽曲に応じて様々なアプローチで対応できるのが、岩崎宏美のポテンシャルの深さである。
 間違いない音程で歌うこと、それは確かに大切だけど、それだけじゃ足りない。同世代アイドルを横目に彼女が生き残ってこれたのは、シンガーとしての基礎体力の違いだった。

9. 処女航海 
 来生たかおみたいなピアノ・コード、ユニゾンするフルート(?)、さらに加わるギター・カッティングとストリングス。まるでお手本のような70年代歌謡曲アレンジによって、ここだけ異空間。ただ妙な圧とグルーヴ感は、日本人のDNAを刺激する。
 何でなのかと思ってクレジットを見てみたら、この曲だけ作詞が阿久悠だった。多分、曲先で書かれているはずだけど、傷心の女性が一から前向きに歩み始めるストーリーが、岩崎のヴォーカルにもアレンジにも、そして演奏にも確実に作用している。
 「私は今 孤独の海に 船を出します」という言葉を、動ぜずに爽やかに歌い上げる岩崎もまた、阿久悠の吐き出す言葉の礫をしっかり受け止めている。

10. 夕凪海岸 
 歌謡曲とAORが程よく混ぜ合わされ、むしろ前者のテイストがやや勝っているため、お茶の間的には相性が良い楽曲。ステージで映える楽曲だよな。

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11. 最後の旅 
 さらに歌謡曲テイストが強くなる。ほんとにLA録音か?と疑ってしまうくらい、アイドルっぽさが強く出ている。「Aメロ→Bメロ→サビ」という王道パターンが、ここにきて裏目に出ちゃったのかね。

12. WISHES (リプライズ)



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ゴールデン☆ベスト デラックス~ザ・コンプリート・シングルス・イン・ビクター・イヤーズ
岩崎宏美, 阿久悠, 阿木燿子, 山上路夫, 三浦徳子, なかにし礼, 康珍化, 松本隆, 山川啓介, 松井五郎, 山口洋子
ビクターエンタテインメント (2015-04-22)

80年代歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる その3 - 岩崎宏美 『Love Letter』

folder 1982年リリース、12枚目のオリジナル・アルバム。前年リリースで大ヒットを記録したシングル「聖母たちのララバイ」を収録した『夕暮れから…ひとり』はオリコン最高4位だったけど、今回は知名度の高いキャッチーな曲が入っていないため、14位とそこそこの実績。
 82年といえば、明菜・キョンキョン・伊代ちゃんを始め、その後の歌謡界を担う女性アイドルが続々デビューしていた頃。なので、販促計画が若手女性アイドルに偏っていたため、意欲作『Love Letter』は、あまり話題にはならなかった。俺もリアルタイムでは聴いていない。

 当初から事務所方針がしっかりしていたこと、また本人の意向もあってか岩崎、いわゆるタレント活動・アイドル仕事には、あまり手を染めていない。当時は「出て当然」と思われていた「オールスター水泳大会」や、「新春かくし芸大会」などの出演はあったにせよ、基本は歌番組中心、または「8時だよ!全員集合」のように、独立した歌のコーナーが設けられているバラエティに絞られている。
 彼女のディスコグラフィーを見てみると、初期の段階から賞味期限の短いアイドルとしてではなく、息の長い本格派シンガーとして育てていこうとする方針が窺える。代表曲である「ロマンス」や「シンデレラ・ハネムーン」など、キャッチーなシングルでお茶の間の知名度と売り上げをゲット、片やアルバムでは、インパクト重視のシングル曲とは一転、ヴォーカルにフォーカスを絞ったメロディとアンサンブルで構成されている。
 女性アイドルでありがちの無垢な少女っぽい楽曲は少なく、歌の主人公は実年齢より少し背伸びしたシチュエーションで設定されており、歌いこなす難易度もちょっぴり高い。人生経験の少ない10代少女が感情移入して歌うには、ハードルが高い楽曲も多いのだけど、楽曲を自分の方に引き寄せられるポテンシャルの高さが、彼女には備わっていた。

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 アラフィフ世代の俺にとっての岩崎宏美とは、ダントツで「聖母たちのララバイ」。この時期のイメージが最も強い。前髪パッツンのサラサラロングヘアにロングドレスというビジュアル・イメージが、しっかり刷り込まれている。
 次に強いインパクトだったのが、コロッケのモノマネによる「シンデレラ・ハネムーン」。直接的な本人の印象じゃないけど、極端にデフォルメされた顔芸は、良くも悪くも岩崎にとってコロッケにとっても、代名詞的な役割を果たした。いまも高橋真麻がこのメソッドを受け継ぎ、知名度に寄与している。
 次に思いついたのが、「男女7人秋物語」。「夏」じゃないよ、「秋」の方。親から受け継いだ下町の釣り船店を営む、サッパリした性格の沖中美樹役は、素の江戸っ子気質と地続きだったため、自然に演じきれていた。最初の「夏物語」の評判の陰に隠れているけど、これはこれで面白い。

 せっかくなので、他にどんなドラマに出てるのか調べてみたのだけど、これが見当たらない。単発ドラマやごく初期に連続ドラマに出ているらしいのだけど、ほぼ「ない」と言っちゃっていいくらい。wikiにある以外にも、なんかあるんじゃないかと探ってみたのだけど、やっぱり目立ったものはない。
 70~80年代は、少しでもテレビでの露出を増やすため、多くのアイドルが歌に芝居にコントにグラビアに、事務所にケツを叩かれながらこなしていた。当然、岩崎にも何らかのオファーはあったはずなのだけど、事務所サイドで断っていたのか、それとも本人にやる気がなかったのか。
 思うに彼女、そこまで器用な人ではない。近年こそ、歌以外でのテレビ出演も受けていたりはするけど、量は決して多くない。
 1979年にロック・ミュージカル「ハムレット」のオフィーリア役を受けてはいるけど、その後もミュージカルに本腰を入れた様子もない。あくまでメインはシンガーである。そこにブレはない。
 他のアイドルのように、芝居もコントも歌も、バランス良くこなすタイプではないのだ。どちらかといえば、ひとつのことに地道に愚直に取り組む、そんな泥くささこそが、岩崎宏美の特性なのだろう。

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 もともとデビュー当時から岩崎のレパートリーは、アイドル・ポップスというより、大人っぽい歌謡曲テイストの楽曲が多かった。大人の鑑賞にも耐えうるテイストの楽曲群は、彼女のパーソナリティにフィットしていた。いたのだけれど、ただそこら辺できれいにまとまっちゃった分、若いがゆえのチャラさが抑えられ、優等生キャラが定着してしまったきらいがある。
 「聖母たちのララバイ」や「万華鏡」の楽曲クオリティは高かったけど、同時代にヒットしていた「青い珊瑚礁」や「少女A」とは、明らかにジャンルが違っていた。言ってしまえば「大人の歌謡曲」、演歌の一歩手前ポジションに収まっちゃったことで、アイドルの最前線にいるとは言えなくなっていた。妹の良美が現役アイドルとしてデビューした瞬間から、岩崎宏美はアイドルではなくなっていたのだ。
 かといって、既存歌謡界のルーティンに沿った、ムード歌謡的な世界へは行きたくない。だって、まだ20代前半だもの。フリルの付いたミニスカはもう履けないけど、フォーマル・ドレスばっかりじゃババ臭くなっちゃうし。

 「火曜サスペンス劇場」のエンディング・テーマとして企画された「聖母たちのララバイ」は、当初、シングル発売の予定すら立てられていなかった。ドラマのエンディング用に1コーラス分が製作されただけだったのだけど、オンエアされると多くの反響があった。
 なので日テレ、視聴者プレゼントとして200本のカセットを製作したが、その応募総数が35万通に達したため、急遽リリースが決定する。日本歌謡大賞を受賞するわ翌春センバツの入場行進曲に採用されるわで、最終的には年間3位、累計130万枚の大ヒットとなった。
 1982年のオリコン年間シングル・チャートを見てみると、1位があみん「待つわ」、2位が薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」、3位岩崎に続いて、4位が中村雅俊「心の色」というラインナップ。こうして並べてみると、実に歌謡曲テイストが強くて地味なチャートだよな。
 「すみれ色の涙」以来、ベスト10ヒットとはしばらくご無沙汰だった岩崎にとって、このブレイクはセールス実績だけでなく、新たな代表曲を生み出したことで、大きな自信につながった。その自信は、これまで愚直に地道に経てきた路への確信とつながる。
 売り上げ実績に基づく発言力を得たことで、岩崎はこれまでとは方向性の違う、パーソナリティを前面に押し出したコンセプト・アルバムを企画・立案する。

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 やっとたどり着いた。で、『Love Letter』。
 タイトル文字からアルバム帯・歌詞カードまで、何から何まで岩崎本人の直筆を使用しており、細やかな手作り感を強調している。レコード・レーベルのデザインも自筆イラストを使用しており、ファンにとっては、至れり尽くせりの岩崎宏美テイストで統一されている。
 作詞はすべて岩崎自身が手がけ、作曲陣には、アーティストとしては休業中だった竹内まりや、また濱田金吾や佐藤純など、当時のシティ・ポップの精鋭らが名を連ねている。キャッチーなサビメロ重視のシングル候補曲ではなく、今回の岩崎の構想である、ニュー・ミュージック系のサウンドが多くを占めている。
 いくつかは歌謡曲テイストのアレンジだったり、AOR志向のムーディーなデュエットも収録されているけど、基本はヴォーカル&インストゥルメンタル・スタイルのシティ・ポップでまとめられている。シャレが効いた即席セッション風の「深川組曲」も、盤石なリズム・セクションに耳を持っていかれたりする。
 歌謡曲の類型パターンである、押しの強いホーン・アレンジやマイナーなストリングス・メロディを極力排除することによって、近年定番のシティ・ポップ名盤とも互角に渡り合えるクオリティに仕上がっている。歌謡曲のルートではなく、ニュー・ミュージックのルートでプロモーションしていれば、その後の方向性も違っていたんじゃないかと思うのだ。

 レコード会社と岩崎との方向性のズレもあって、大きくブレイクすることはなかった『Love Letter』。ただここでの経験は、確実な前進につながった。サウンド・プロダクションの一連の流れをつかむことによって、よりシンガーとしての可能性を広げてゆく手がかりを得ることができた。
 その後の岩崎宏美は、「火曜サスペンス劇場」の主題歌などでシングル実績を残しつつ、並行してアーティスト志向のアルバム制作を進めてゆく。


Love Letter+2(紙ジャケット仕様)
岩崎宏美
ビクターエンタテインメント (2007-04-25)
売り上げランキング: 442,680



1. 南の島の忘れもの
 サンバとカリビアンをベースとしたテンション高めのアンサンブル。シモンズ他エフェクトが適度に挿入され、音数は結構多いのだけれど、メリハリの効いたミックスによってチャカチャカした感はない。この辺は作者佐藤準のセンスだよな。
 後半で「デジタル・ウォッチ」と歌いあげちゃうのは時代を感じさせるけど、作詞経験が少ないわりには、きちんとまとまった「儚いラブ・ストーリー」として成立させている。

2. 夢のかけら
 ブランクなしで全曲アウトロより続く、ストリングスをバリバリに使った歌謡曲テイストの濃い楽曲。チェンバロの音色を奏でるシンセによる導入部、ベースがリードするリズム・セクション、泣きに泣きまくる芳野藤丸のギター・ソロなど、アンサンブル自体の聴きどころはかなりあるのだけど、それを凌駕するように覆いつくすストリングスの嵐。二者のバトルという見方をすれば、これはこれで一興。
 岩崎自身の作詞ということで関心してしまうのは、やはりヴォーカルに寄せた発語に基づいた言葉のセレクト。聴きやすくヴォーカル映えすることを見据えた作詞となっている。歌詞だけ目で追えば、中島みゆきみたいだよな、というのは触れないでおく。

3. 甘いせかい
 続けて聴くと、岩崎の意図をしっかり汲んでサウンド・プロデュースしたのが佐藤準だったことがわかるトラック。歌謡曲タッチな2.を挟んで聴くと、1.とこの曲の洗練されが伝わってくる。
 「ハンドル握った 私にささやかないで」というフレーズは、アイドル時代には出なかったフレーズであり、また自分で運転する経験に基づいた世界観であることが伝わってくる。自分で考え、自分で行動する大人なのだ、岩崎宏美は。
 リズムが案外凝っているのは、山本秀夫と斉藤ノブが噛んでいるから。佐藤準のエレベも含め、技の応酬、やりたい放題。

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4. 深川 その1
 2分程度の小品だけど、俺が岩崎宏美に首根っこをつかまれた曲。即興で作られた、とのことだけど、当時のセッション・ミュージシャンのレベルの高さ、そしてそれに応ずる岩崎のヴォーカルの多彩さには、俺じゃなくても度肝を抜かれると思う。
 幼少時の下町を少しコミカルに描いた歌詞から、岩崎宏美の素顔が見えてくる。

5. My Darling
 竹内まりや作曲、メロディ・アレンジともオールディーズ調にまとめられている。デュエットの相手を務める変名ルイジアナ・パパの正体は、往年のロカビリー歌手にして担当プロデューサー、飯田久彦。歌手人気が低迷後は、ビクターにアルバイトとして入社、その後は現場で着実に実績を重ね、末にはテイチクやエイベックス経営陣に名を連ねるようになった苦労人だというのは、いま調べて初めて知った。
 このレコーディング当時も、歌手として現役ではなかったため、レベル云々を問うものではないけれど、こういった現場へのリスペクトも含めて、彼女のプライベート・アルバムということなのだろう。

6. I LIKE SEIJO
 鈴木茂作曲・アレンジということで、聴いてみて何となく予感はしていたのだけど、クレジットを見ると、ギター笛吹利明、キーボード国吉良一、パーカッション斉藤ノブら、当時のナイアガラ・セッション常連組の名前がちらほら。どうりで俺にしっくり来るよなぁ、と思っていた。
 タイトル通り、岩崎自身が通っていた成城学園初等学校の思い出を、素直に綴っている。「わたしの泥んこ時代」というフレーズから、実は結構おてんばだったんだな、ということが察せられる。チャキチャキの江戸っ子だもんな。

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7. ときめき
 当時、シティ・ポップの旗手、山本達彦と並んで次世代ブレイク最前線にいた濱田金吾作曲の直球シティ・ポップ。クリストファー・クロスを思わせるアーバンな音空間は、岩崎のツボに刺さるものだったことは、ヴォーカルの細やかさからも窺える。
 あまりに流麗なメロディ・アレンジ・歌声のため、歌詞の内容は入ってこない。いいんだよ、そういうムード重視の歌なんだから。

8. ワン・碗
 ディレクター海出景広とほぼ2人で作った、ていうか海出のホンキートンク・ピアノに合わせて即興で岩崎が合わせた、箸休めの小品。最後に笑い声まで収録されているため、手作り感がここにも。

9. 今夜のあなた
 多分時代的に、ほぼフェアライトCMI一台ですべてのオケを作ってしまった、実験的なテクノ・ポップ。「こういうのもアリじゃね?」って感じで、岩崎をおだてて好き放題にフェアライトを使い倒したのか、それとも彼女本人の意向だったのかは不明。出部金時(たぶん絶対変名)の正体が、作曲の大野克夫なのか、それともアレンジ担当清水信之なのか。多分、後者だと思うけど、自信がない。情報求む。

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10. 深川 その2
 再度、アドリブ・セッション。舞台は夏祭りに移る。
 「わたしもこれから 活きのいい おかみさんになる
 深川育ちの 活きのいい あんたのおかみさんになる」
 興が乗ったのか、珍しくアンサンブルよりリズムが走ってしまい、最後は字余りっぽく強引にエンディングに持っていく岩崎。ちゃんとしたセッションならリテイクだけど、そんな茶目っ気をそのまま収録してしまうことも、『Love Letter』のコンセプトだった。

11. やさしい妹へ
 ラストはタイトル通り、妹・岩崎良美に向けて書かれた正統バラード。もうストリングスはてんこ盛りで、弦自体も泣いてるんじゃないかと思ってしまうくらい、ドラマティック。
 幼少時のエピソードや独り立ちへの寂しさなど、様々な感情が織りなすストーリーは、7分を超える大作となった。プロの作詞家ではない分、比喩や表現のテクニックには劣るけど、ストレートな感情が逆に好感が持てる。
 シングル・カットすれば、それなりに話題になったと思うのだけど、まぁ良美のキャリア形成にとって、いい影響を及ぼさないことを危惧したのかな。





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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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