1985年リリース15枚目のオリジナルアルバム。オリコン最高13位は決して高い数字ではないけど、総合ランキングとは別に、この時代は別枠でCDランキングが設けられており、そっちでは最高5位。まだレコード生産枚数が上回っていた時代なので、CD出荷数自体が少ないのだけど、そんな中、歌謡曲としては結構高めのランクインとなっている。
世界初のCDプレイヤー/ソフトが発売されたのが82年10月だったのだけど、しばらくはオーオタ御用達のレアガジェットの域を出ず、10万・20万が当たり前の殿様商売だった。北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺の周りにも、持っているのは誰もいなかった。
それからしばらくして84年、ソニーが手のひらサイズの普及型プレイヤーD-50を5万円切る価格で発売し、同業他社も右ならえで廉価版プレイヤーを販売し始めたあたりから、ようやく普及し始めた。ソフトはまだ高かったけどね。
プレイヤーは徐々に普及し始めたけど、一枚3,200〜3,800円もするソフトを若年層が気軽に何枚も買えるはずもなく、この時代でもメインユーザーはジャズやクラシックファンが中心だった。レコード店もまた、売り場の2割程度を占めるに過ぎないCDコーナーに、ニーズの少ないアイドルや歌謡曲を並べることに積極的ではなかった。
すでにアイドルという括りから脱皮していた岩崎宏美のファン層は、おおよそ彼女と同世代かちょっと上、20〜30代中心だったと考えられる。就職して可処分所得が多めの年代が多かったことから、CDセールスが好調だったことは想像できる。
1985年の歌謡界において、岩崎宏美はトップグループに属しており、お茶の間の認知度も高い人気歌手だった。アイドルというにはちょっと苦しいけど、卓越した歌唱力と親しみやすいキャラクターによって、安定した人気を保っていた。
80年代に入ってからは、メガヒットは少なくなったけど、当時のアイドルの通常ペースである3ヶ月ごとのシングルリリースは続いていた。ベスト10上位に入る確率は減ったけど、ランキング形式以外の歌番組では、顔を見る機会が多かった。
80年代前半くらいまでの歌謡界において、紅白出場かレコ大大賞を獲ることが、いわゆる「上がり」とされていた。前者の究極的な理想は大トリなのだけど、重鎮から大御所に加え、何で出てるのか知らんけど芸歴が長かったり、事務所のパワーバランスによるゴリ押しがいたりで、中堅クラスでそこに食い込むのは、現実的には難しい。なので、出場し続けることが目的となる。
81年「すみれ色の涙」で最優秀歌唱賞を受賞し、順当にいけば次期大賞候補だった岩崎宏美、当時の歌謡界のセオリーとルーティン、または各事務所間の持ちつ持たれつで、翌82年の「聖母たちのララバイ」で大賞獲得していたはずなのだけど、この年は細川たかし「北酒場」に軍配が上がった。すでにこの曲で、日本歌謡大賞と有線大賞を受賞していたこともあって、おそらくトップの間で何らかの調整が行なわれた、っていうのは穿ち過ぎか。イヤ、あり得るな。
80年代に入ってから女性アイドルの世代交代が急速に進み、特にこの82年はいまも語り継がれるように、新人女性アイドルが大豊作だった。新陳代謝のペースが爆上がりして、70年代デビュー組をプッシュする動きはフェードアウトしてゆく。
まだまだ男尊女卑がまかり通っていた時代、「女性の年齢=クリスマスケーキ」という例えがあった。「24まではみんな競って買い求めるけど、25になると売れ残ってしまう」。今だったら炎上間違いなしだけど、アラフィフ世代くらいまでなら、聞いたことあると思う。
女性アイドルはさらに賞味期限が短く、どれだけ結果を残していようとも、大抵3年程度で肩を叩かれた。芸能事務所やレコード会社、他メディアもおおよそそんな認識だったし、本人たちも当たり前のように受け入れていた。
そこそこヒット曲があれば「ミュージックフェア」には出られるけど、ヤングアイドル中心の「ヤンヤン歌うスタジオ」からは、声がかからなくなる。フレッシュで初々しい82年組と同列に扱うわけにもいかないし、周囲もちょっとイジりづらいし。
なので、多くの女性アイドルは3年を機に進退を迫られた。進学するか結婚するかで芸能界を引退、事務所に残る場合は、ドラマに出るかそれともヌードになるか。
今だったら、歌わなくてもテレビに出られるバラエティという場所が用意されているけど、当時は需要が少なかったし、何より「歌を捨てた」という格落ち感が強かった。逆に言えば、残る人はそれだけの覚悟があったということなのだけど。
デビュー当初から歌唱力を売りにし、「キュートでファニーで歌は二の次」な従来アイドルの要素を排除してきた岩崎宏美もまた、その例外ではなかった。20代前半は無理に演出しなくても、ほのかな蒼さとあどけなさが親しみやすさを醸し出していたのだけれど、中盤に差しかかると、それも薄れてゆく。
艶やかで長い黒髪と整った顔立ちは、「アイドル」としては充分だけど、「女性歌手」としては物足りない。「アイドル」というエクスキューズを抜きにした「女性歌手」へステップアップするためには、違う要素が必要なのだ。
それが人によってはセクシャリティであり、また、自ら作詞作曲するアーティストになったり。手っ取り早く日銭を稼ぐため、演歌に転向するルートも、あるにはある。
「聖母たちのララバイ」が大きなヒットになったことで、歌謡界における岩崎宏美のポジションは、取り敢えず落ち着いたように見えた。大きな賞も獲得できたしアイドル歌手からの脱皮と言うにふさわしい代表曲ができたことで、とりあえずはひと安心。
変に迷走して、畑違いの路線に走ったりせず、王道から逸れないまま、「アイドル→女性歌手」への移行も、自然な形で済んだ。そりゃ裏では賞レース絡みで、密約やら談合やらの類はあったはずだけど、表面的にはソフトランディングできた。
あくまで事務所サイドとしては。
周囲の大人たちの思惑としては、このまま「聖母たちのララバイ」路線の踏襲と深化を狙っていたのだと思う。その後、続けて「火曜サスペンス劇場」主題歌に起用された「家路」(4位)も「橋」(31位)も、テーマや曲調は似たようなテイストで統一されている。
さすがに「聖母~」ほどの大ヒットには及ばないにしても、同年代女性歌手と比べると格段のセールスだし、どれも崇高なテーマでチャラついてない楽曲なので、箔もつく。この路線だったら年齢を重ねても、紅白出場は安泰だろうし。
周囲の大人の言うことに疑問を持たず、まっすぐなレーンを歩んでいた優等生の岩崎宏美も、デビューから10年も経つと、いろいろ思い悩むようになる。普通の社会人だって、中堅クラスになると、先行きを考える。当然っちゃ当然のことだ。
このまま歌手であり続けることに不満はなかったけど、なぜ歌うのか・何を歌うべきなのか。それを考えるようになった。
最初はただ、歌えるだけで幸せだった。自分のために作られた楽曲を自分なりに解釈し、難しい旋律を歌いこなす。スポットライトとは縁のなかった10代の少女にとって、それは充分身に余る光栄だった。
歌番組への露出が、お茶の間の知名度に直結した時代、3ヶ月スパンでリリースされるシングルのセールスは、すなわち歌謡界でのランク付けに大きく影響した。なので、レコード会社はあの手この手を使って売れっ子ライターを押さえ、リスクヘッジに努めた。
多くの大人たちの思惑が絡むシングル選定コンペでは、営業の発言力が強く、製作サイドの意見が通ることは少なかったけど、アルバム制作ではまだ自由裁量が黙認されていた。岩崎宏美もまた、全作詞とアートディレクションを手掛けた異色コンセプトアルバム『Love Letter』や、オールLAレコーディングの『I WON'T BREAK YOUR HEART』をリリースしている。
同時代にデビューした女性歌手の多くが路線変更を迫られたり引退したりしている中、彼女はわりと恵まれた方ではあった。大ヒットは少なくなったけど、レコーディング契約は続いているし、このままスキャンダルでも起こさない限り、歌謡界でのポジションは安泰だろう。周囲もおそらく自分自身も、そんな風に思っていたんじゃないか、と。
1984年、岩崎宏美はデビュー時から所属していた芸映との契約を終了、個人事務所を設立する。この前年に西城秀樹が退社・独立したのに触発されたのか、販促計画が82年組の石川秀美中心にシフトしていったことに危機感を抱いたのか。
当時の芸能週刊誌記事をアップしているブログがあり、興味深い記事がいろいろ書かれているのだけれど、「ピンクレディーみたいにはなりたくない」と書いてあったりする。心身ボロボロの状態で過密スケジュールをこなすだけの毎日、モチベーションの低下に伴うパフォーマンスの劣化、そして人気の急降下。
プライベートな時間を削って休みなくこき使われ、挙句の果てに使い捨て。昔からある芸能界の栄枯盛衰は、誰にとっても他人ごとではなかった。後に引けない状況を避けることができるのは、最終的に自分の判断だ。
利権やしがらみが複雑に絡み合うため、一朝一夕でまとまったものではないだろうけど、過密スケジュールや長期ビジョンの相違が、主だった独立事由だったんじゃないか、と推察できる。ほんとのところはもっと複雑なのだろうけど、主因のひとつであることは間違いない。
近年も芸能人の独立となると、いろいろ騒がれることが多いけど、この頃の芸能界は魑魅魍魎、大手事務所からの独立は、かなりリスキーだった。よく言われる「干される」という制裁。
当時の芸能界は独立した場合、「約2年は目立った芸能活動ができない」というしきたりがあった。おそらく所属歌手とのバッティングを避けるため、テレビの出演枠確保のためだと思うのだけど、要はペナルティみたいなもの。
当時もおそらく、出るとこに出て訴えれば勝てる案件だったのだろうけど、金と時間ばかりかかって、むしろデメリットの方が大きい。こういう場合、あまり要求が多すぎると、事務所が故意にネガティヴな情報をリークしたりするので、立場的にはとても弱い。
こういった独立劇となると、環境もガラリと変わって心機一転、一からのスタートになるはずで、岩崎宏美も歌番組からしばらく遠ざかることになるのだけれど、ビクターとのレコーディング契約はそのまま続くことになった。デビュー時からのプロデューサー:飯田久彦はじめ、慣れ親しんだスタッフとの継続は、歌をメインとした活動のためには必須だった。
これまでのスタッフが敷いた「大人の歌手」という方向性は間違っていなかったのだけど、そのベクトルが彼女の思惑とは別の方向に向き始めた。独りになってまずすべきことは、その軌道修正だった。
刻一刻と成長し続ける岩崎宏美の歌を求める固定ファンは、そんな彼女の奮闘ぶりを控えめに後押しした。単なる歌手から脱皮して、サウンドプロデュースにも深く関わるアーティスティックな進化を見守り続けた。
自ら納得ゆく楽曲を探し求め、気になったクリエイターには自らコンタクトを取った。従来の歌謡曲フォーマットのアレンジや歌詞テーマではなく、当時のシンガーソングライター系、今で言うシティポップ系のサウンドをモチーフとして、アルバム制作を進めていった。
2年のブランクを経てリリースされた『戯夜曼』は、そんな彼女のこだわり、そして今後の方向性が強く打ち出された、コンセプチュアルな構成となった。全編当て字も含んだ漢字タイトルで統一され、それに伴ってビジュアルイメージも一新、トレードマークの長い黒髪は白い帽子の中にまとめられた。
これが正しい路線なのか、まだちょっと自信はない。ないけど、今までとは違う自分であることには、自信ある。
ちょっとおどけた感のあるジャケットからは、そんな肩の力の抜けた軽みが伝わってくる。
1. 恋孔雀(こいくじゃく)
テレサ・テンが歌ってもしっくり馴染んでしまう、歌謡曲寄りのメロだけど、キャッチーなポイントを押さえた職人芸:大村雅朗のアレンジが秀逸。正直、松井五郎の歌詞はベタな職業作家感が拭えないのだけど、岩崎宏美のヴォーカル力によって説得力が増している。
2. 星遊劇(ほしあそび)
この後、結婚前のアルバム『Me Too』までブレーン的な立場で関わり続ける奥慶一アレンジ、オリエンタル音階を巧みに使ったポップチューン。ニューウェイヴに目覚めた太田裕美のテイストとも共通点を感じる。あそこまでぶっ飛んでいないけど。
3. 唇未遂(くちびるみすい)
リズムセクションが心地よくアンサンブルも凝っている、変にディープでどマイナーな方向へ向かっている近年のえせシティポップと比べて、段違いの高レベル。やっぱ歌がうまくないと、どうにもならない。
タイトルが安っぽいため、つい聴き飛ばしてしまいそうだけど、テクノファンクなイントロとコーラスアレンジは絶品。多分、歌いこなすの難しかったんだろうな。
カラオケだとアプローチがちょっと難しい曲でもある。ただメロディをなぞるだけだと、高確率で失敗する。そんな曲。
4. 夏物語
リヴァーヴの深いアルペジオとDX7をメインとした、浮遊感漂う緩やかなポップバラード。抒情的な晩夏を描写した歌詞の内容やアレンジからすると、もう少しヴォーカル抑えてもよかったんじゃね?と勝手に思ってしまう。歌い上げる曲調ではないのはわかっていたはずだけど、当時はこういったアプローチが精いっぱいだった、ってことだと思う。
そりゃそうだ、この時点でまだ27歳だったんだもの。
5. 夢狩人(Version Ⅱ)
ちょうどご乱心期真っただ中だった中島みゆきを連想してしまうのだけど、シンクロニシティ?ていうか、こういうリズム・アレンジ流行ってたんだろうな。シンセの使い方も『36.5℃』と似てるもの。
「決心」のB面として先行リリースされたシングルヴァージョンは、ややテンポを落としたスパニッシュなアレンジだったのだけど、俺的にはシンセ・ドラムの音が心地よいアルバムの方が好み。
歌のうまさ・表現力の豊かさという点において、中島みゆきとは相性良かったと思うのだけど、2005年:デビュー30周年記念シングル「ただ・愛のためにだけ」まで、コラボは実現しなかった。柏原芳恵とバッティングするの避けてたのかね、みゆきの方から。
6. 偽終止(ぎしゅうし)
かなり強引な3字熟語と思っていたのだけど、ちゃんとした音楽用語だった。「終わりそうでいて終わらない、最後に盛り上がる」コード進行のことらしい。楽理は詳しくないのでよく知らんけど、曲を聴けば、「あぁそういうことね」と何となくわかる。
お約束な流れじゃないメロディなので、そのクセ強感は好き嫌いが分かれるかもしれない。こういったギミック、俺は好きだけど。
7. 横浜嬢(よこはまモガ)
歌詞を読むと「あぶない刑事」を彷彿させる、モダンでトレンディな世界観。ジルバやBMW、本牧バーなど、俺が10代の頃に憧れた心象風景が活写されている。敢えてヤンチャっぽくせず、素直なヴォイシングなのは正解。こういうのを下品に歌っちゃうとヤボったくなる。
8. 射麗女(しゃれいど)
ここだけカタカナやアルファベットにしちゃうのも興覚目なのはわかるけど、でもかなり苦しい当て字。夜露死苦や愛羅武勇なんて、Z世代には通じないんだろうな。
イージーリスニング的なストリングシンセのオープニングがちょっとチープだけど、歌に入ると80年代モダンクラシックなダンスポップチューン。もっとリズミカルに歌えばWinkみたいになるんだろうけど、そこまでダンサブルに踏み込まないのが、彼女の品の良さなのだ。
9. 決心
カメリアダイアモンドのCM曲として広く知られた、オリエンタルなアレンジとアダルトな歌唱が話題を呼んだ、80年代を代表するヒットチューン。芸能ゴシップやキャラに頼らず、歌一本でアイドル以降の道筋を切り開いた意味において、ひとつのメルクマールとなる楽曲、って言ったら言い過ぎかもしれないけど、歌謡界からアーティスト路線へ移行する先例として、彼女の存在は大きい。
10. 風関係
やや歌謡ロック的なテイストも漂う、ギターソロがほど良く泣いているロッカバラード。ライブでは洋楽カバーでロックっぽい曲を歌うことはあったけど、ここまでロックテイストの強い楽曲をスタジオヴァージョンで歌うことはなかったはず。
そう考えると、これまでの岩崎宏美的イメージから最もはずれた楽曲なのかもしれない。明菜が歌ったらもっと荒れそうなので、やっぱ枠にはきちんと収める彼女の方がふさわしい。
11. 誘惑雨(さそいあめ)
そういえばこのアルバム、ほぼ彼女の座付き作家と言っても過言ではない筒美京平は一切参加していない。していないのだけど、このラストは筒美テイストを隠さないでいる。
いわば過去との決別として、また、独立に伴うあれやこれやで、恩師である筒美とは一旦縁遠くなってしまうのだけど、ヴォーカル技法は明らかに従来の岩崎宏美である。過去をすべて否定するのではなく、ひとつの過程として受け止め、礎としてゆく。そんな決意を窺わせる楽曲。
心なしか、そういう意味での熱がこもっている。