この年の年間トップは、映画『フラッシュダンス』のサウンドトラック、3位は松本隆主導によるプロジェクト戦略がピークに達していた、松田聖子『ユートピア』、次に明菜・サザンと、順当なラインナップになっている。
ちょっと不意を突かれたのが、2位のフリオ・イグレシアス。外タレというよりディナー・ショー歌手の印象が強いので、カタカナで書いちゃったけど、アラフォー世代以下はもう知らないんだろうな。「バイラモス」をヒットさせたエンリケの親父ってことだったらわかるかな?とも思ったけど、あれだって、もう20年前なんだよな。本題と関係ないから、まぁいいか。
続いて6位がMichael Jackson 『Thriller』。マイコーより売れてたのか、フリオ。で、この次に達郎が続く。
単独トップこそ『フラッシュダンス』に譲ったけど、本当の意味でのこの年のトップは、断然明菜。しかも、年間トップ10圏内に3枚も送り込んでいるブッチギリ状態。さらに、ベスト・アルバムじゃなくて、全部オリジナル。出来不出来はあったとしても、尋常じゃないペースである。
当時のアイドル歌謡曲のリリース・スパンが、シングル3ヶ月・アルバム半年が平均だったため、実現できた記録である。アニメ関連以外じゃ、こういうのってなくなっちゃったよな。
ちょっと言いづらいけど、こんなキラ星が並んだラインナップの中では、何ていうかこう、地味で場違いな感が否めないのが、達郎の存在である。テレビでの露出が必須だった歌謡界や、いい意味でPV的な構成の『フラッシュダンス』や『Thriller』と違って、映像によるアプローチは、まったくと言っていいほどない。竹内まりやとの結婚式での取材ラッシュに辟易して、それ以降は頑なに映像での露出を拒んでおり、いまだ頑固にそのポリシーを貫いている。
とはいえ、当時のニュー・ミュージック勢の戦略として、メディア露出を絞ってユーザーの情報飢餓感を煽ることがセオリー化していたので、達郎だけが特別だったわけじゃない。ないのだけれど、当時のTV出演拒否を謳っていたアーティストの多くが、今では普通に出演している中、彼だけは頑なに初心を貫いている。そこまでの頑固一徹さは、もはや賞賛に値する。ここまで行っちゃったら、もう引退するまで貫いてほしい。
ビジュアル面でのインパクトの薄さは、アルバム・アートワークでも顕著にあらわれている。「FMステーション」でお馴染み、鈴木英人デザインによる、ポップでアメリカンナイズされたアートワークでパッケージされた『For You』から一転、『Melodies』のジャケットは、インパクトもなく地味である。オールディーズ・ナンバーのオムニバスのような、素っ気ないデザインとなっている。歴代のアルバム・ジャケットの中では、『Spacy』と肩を並べるくらい、掴みどころがない。
逆に考えれば、小洒落たデザインや話題性などを抜きにして、音楽のクオリティだけで勝負する-、そんな強い決意の表れ、そして自信だったと言える。
JALのCMソングとなった「高気圧ガール」以外、マスコミにとって形容しやすいセールス・ポイントがないアルバムがここまで売れちゃったのも、そんな強い自信のあらわれ、真摯な決意の賜物だったんじゃないか、というのはちょっと持ち上げすぎかな。でも、当時置かれた立場的には、普通に『For You』の二番煎じでも、誰も批判はしなかったと思われるし、周辺スタッフだって、内心は気が気でなかったんじゃないかと思われる。大滝詠一だって、『Each Time』は自嘲的に「ロンバケⅡ」って語っていたくらいだし。
達郎がデビューした頃、日本のロック/ニュー・ミュージックの市場はまだ未成熟で、単体で採算が取れるほどのレベルではなかった。吉田拓郎や井上陽水など、ごく一部のアーティストらは安定したセールスを積み上げていたけど、その他大多数は商業的にいわばお荷物、絶大なセールスを誇っていた歌謡曲の売上で活動させていただいているようなものだった。一部の看板歌手によって得た利益を再分配して次世代へ投資する、この図式は今もそんなに変わらない。まぁ市場規模が小さくなっちゃったので、原資自体が減っちゃって配分も何もなくなっちゃったけど。
で、80年代に入ったあたりから、歌謡曲以外のシェアが増大する。さらなる売り上げ拡大を目指すアーティストもいるにはいたけれど、純粋な動機で音楽を始めた者が多かったこの時代、セールスの裏付けによる発言力を得たことによって、強いアーティスト・エゴを反映させた作品もまた多い。
9位のユーミン『リ・インカーネーション』は、後の恋愛至上主義からは想像もつかないSFチックなスピリチュアル路線だし、11位の中島みゆき『予感』だって、ご乱心路線にギアが入り始めた頃の作品である。事実上の独立第1弾となる『Melodies』も、シングル曲以外は内省的で派手さのない、アーティスト・エゴを優先させたサウンド・コンセプトで統一されている。
「Ride on Time」や「Loveland, Island」の拡大再生産的な「高気圧ガール」一色で埋め尽くしたって、誰もケチはつけないだろうし、市場のニーズとはマッチしている。でも、そうはしたくない、時代に寄り添い過ぎたくはない、という嗅覚が働いたのだろう。それが得策だったことは、時代が証明しているわけだし。
「Ride on Time」のスマッシュ・ヒットで注目され、そこから『For You』~『Melodies』と続く第一次達郎全盛期は、同時にニュー・ミュージック時代の終焉に位置づけられる。80年代後半のバンド・ブーム以前、非歌謡曲系のアーティストの主軸がソニー系ロック/ポップ系へ移行する、そのちょっと前の時代。
70年代にデビューした、叙情派フォーク勢が中心となったニュー・ミュージック系の歌手らは、時代の趨勢に従うように、ソフィスティケイトされた洋楽テイストのサウンドを志向するようになる。赤裸々なメッセージとイデオロギーをコアとした60年代組と違って、白樺派的雰囲気フォークの後発勢らは、ポップで耳ざわりの良い英米のシンガー・ソングライターのメソッドをパクって吸収していった。男だったらPaul Simon、女ならCarole King、「第2の~」「日本の~」というキャッチフレーズが多かったのも、この頃である。
そんな小ブームも一過性に終わり、次の元ネタを探しに次に向かったのが、アーバンで落ち着いた「大人の音楽」、Christopher CrossやBobby CaldwellらによるAORサウンドだった。一歩間違えれば演歌にも通ずる情緒的なメロディ・ラインは、日本人のメンタリティにも心地よくフィットしたため、流用するにはうってつけだった。
達郎の場合、そんな並行輸入のAORもどきとは一線を画し、ウェットな感性を排したサウンドとメロディを持ち味としていた。ただ、「洗練された大人のシャレオツなサウンド」といったくくりで行くと、あながち間違ってはいないし、プロモーション展開としてはやりやすい。
「夏だ海だ達郎だ」といったリゾート・ミュージック的な捉えられ方は、自分の音楽的ポリシーや意向が完全に反映されたものではない」と後年、達郎は語っている。当時の音楽シーンを鑑みると、刹那的な流行だったと思っても仕方がない。
ただ、100パーセント自身の嗜好が反映されたモノを作っているアーティストがどれだけいるのかといえば、実際のところ、そんなに多くはない。ていうか、むしろごく少数。
かつてはMarvin Gayeがジャズ・スタンダードのアルバムをリリースしたり、近年でもPaul McCartneyが単発的にクラシックのプロジェクトを興したりしているけど、ほとんどは採算度外視の道楽みたいなもので、どれもヒットを前提として作られたものではない。商業ベースに乗せるためには、大なり小なり妥協がついて回るのだ。
インタビューなどの発言やラジオの選曲傾向から、オールディーズやドゥーワップをベースとした音楽が好みであることは、よく知られている。嗜好としては間違ってはいないのだけど、本来の志向とは微妙にズレがあることは、ライト・ユーザーにはあまり知られていない。
実際の達郎は、古くはAC/DC、近年ではEastern YouthやThe Birthdayらをこよなく愛する、意外に意外なハードロック壮年である。ただ、「自分の声質にはフィットしないことを自覚し、消去法的選択で今のような作風に向かった」と、これも自身でコメントを残している。
達郎がインタビューで頻発して用いるのが、「商業音楽」という言葉。
彼曰く、「不特定多数のユーザーに届かせるためには、嗜好よりも適性が優先される。商業音楽の世界では、売れないのは無と同然であり、売れる事によって初めて優劣の評価が成される」と。詳細までは覚えてないけど、このニュアンスの発言は何度か目にしたことがある。こういう事語らせたら止まらないのが、この人の持ち味でもある。
「商業音楽」の世界で生きて行こうと決めた時点で、達郎の音楽性は狭まったのか、それとも逆にフォーカスが絞られたのか。多分、後者だろう。言っちゃえば結果論くさいのだけど、それをまた後付けで理論武装してしまうのも、この人のしたたかさである。
前年に立ち上げたアルファ・ムーン・レーベルへの移籍を機に、達郎は自ら作詞を手がけるケースが多くなる。それまでは、多くの作詞を吉田美奈子に委ねていたのだけど、自ら選んだ言葉とテーマを歌う行為は、今後のアーティスト活動の継続において必然と判断したのだろう。
もともとサウンド・メイキングの方の評価が高くて、歌詞なんて添え物程度にしか考えてなかったんだから、どうせなら長所を伸ばす方向、サウンドやヴォーカルのディティールに力入れた方がいいんじゃないの?と余計な勘ぐりをしてしまいたくなる。当時の内情を知らない俺だってそう思うんだから、身近な関係者や事情通の中には、そんな風に思ってた人もいたんじゃないかと思われる。
いざ「自分で書く」と決めたはいいけど、プロフェッショナルな職業作家ではないので、高度なレトリックやダブル・ミーニングを多用できるわけではない。気取った言い回しができるタイプじゃないし、特に30過ぎだったら、内面をさらけ出すことに対する気恥ずかしさが先立ってしまう。
ある意味、見切り発車的な(ほぼ)全曲作詞だったため、類型的な情景描写が多く、赤裸々な心理描写を表現した作品はない。メロディ・ラインとヴォーカルの発語感のマッチングが齟齬を来たし、拙いものもあるにはある。
「商業音楽」としてのクオリティを追求するなら、外部委託もまたひとつの手段である。製品レベルの維持安定を図るのなら、むしろ信頼できる第三者に委ねた方が合理的だ。
でも彼は、人に書いてもらうことより、自分で言葉を選び、歌うことを選んだ。「商業音楽」の世界に生きていながら、やはりそこはアーティストだ。なぜ自分が、多くの人に作品を聴いてもらいたいのか。単なる利潤の追求なら、もっと効率的なやり方はある。
効率的なロジックとは対極の、抑えきれぬアーティスト・エゴの発露。湧き上がる表現欲求に駆り立てられるように、その後の達郎は言葉の表現にも注力するようになる。
後にリリースしたアルバム・タイトル『Artisan(アルチザン)』。職人をあらわす英語である。その後の彼の足取りを想えば、アーティストというより、この言葉の方がふさわしい。
1. 悲しみのJODY (She Was Cring)
大滝詠一だったか誰だったか、「日本で最初にファルセットでメジャーになった曲」と称された、なのに8ビートのストレートなロック・チューン。ファンクやディスコと言えば16ビートだけど、敢えてそこをはずしたところに、新境地への意気込みが窺える。
多重コーラスはもちろん、やたら重たいベースや終盤のドラム・ソロも、ぜんぶ達郎独りでこなしている。井上大輔にサックスを頼んだ以外は、ほぼ全部自分。こういうスタイルって、もっとこじんまりとまとまっちゃうものだけど、ちゃんと広がりのあるヴァーチャル・バンド・サウンドに仕上げている。この時期はあんまりライブに積極的ではなかったけど、後のバンド・アンサンブルも想定していたんだろうか。
2. 高気圧ガール
オリコン最高17位まで上昇した、先行シングル・カット。当時のJALのキャンペーン・ソングということで、やたら大量に出稿されていたのは、中途半端な田舎の中学生だった俺の記憶にも強く残っている。ていうか、一般的な認知が定着したのは、多分この頃だったんじゃないかと思われる。
享楽的な夏の宴を思わせるサンバのビートは、裏表もあまり感じさせず、その辺はやはりオファーに則った職人芸。「夏の男」というベタなニーズにそのまんま応えた、コマーシャルな達郎像が具現化されている。アカペラとパーカッションで構成されたイントロは、一歩間違えればエスニックな泥臭いものになりがちだけど、そういった危惧をすべて回避して、コンテンポラリーなポップ・スタンダードとして仕上げている。
ちなみに甘い吐息の主は、しばらく明かされていなかったのだけど、正体は竹内まりや。やっぱりな。
3. 夜翔 (Night-Fly)
ゆったりした正統フィリー・ソウルなバラード。ベタでムーディでスウィートなホーン・セクションと優雅なストリングス。なので、決して技巧的ではないベタな歌詞がフィットする。小難しい言葉を連ねるタイプのサウンドじゃないしね。
リリース当時は1.2.のようなアッパーなサウンドのインパクトに心惹かれていたけど、年を取るにつれ、こういったシンプルなソウル・バラードの方がしっくり馴染むようになる。
大人になればわかるよ、そういうのって。
4. GUESS I'M DUMB
Bryan Wilson作のカバーというのを、だいぶ後になってから知ったのだった。ちなみにYouTubeでオリジナルのGlen Campbellヴァージョンを聴いてみたのだけど、歌い方は完コピだな。達郎ヴァージョンを先に聴いてるので、俺的にはこっちがオリジナルみたいなものだけど、結構やるよな、Glen。ヴォーカルの力だけで引き込まれてしまう。
アカペラ多重コーラスで彩ることによって、サウンドの深みがグッと引き立ったのはアイディア勝ち。ていうか、このコーラスが入ってこそ、この曲は完成したんじゃないか、とさえ思ってしまう。
ちなみにこの曲も1.同様、達郎独りによる多重録音。この時、30歳。それでこの完成度だから、どれだけ老成してるんだよ。やっぱ若年寄だな。
5. ひととき
レコードではA面ラスト、本人いわく、60年代フォークっぽくやりたかった、とのことで、サウンドはポップなフォーク、ヴォーカルはちょっと抑えめのソウル・タッチ。要所を多重コーラスで締め、コンパクトにまとめている。夏っぽさどころか季節感も薄い、もう少しウェットに寄れば抒情フォークになってしまうところ。でもこの雰囲気は悪くない。3.同様、年を重ねてから聴くと、じんわり来る。
6. メリー・ゴー・ラウンド
このアルバムのメイン・トラックのはずだったのだけど、一般的な認知度で言えば10.に取られてしまい、不遇を囲っているどファンク・チューン。ただファン歴が長くなればなるほど、この曲の人気は高くなる。
最強のリズム・セクションだった伊藤広規(B)と青山純(Dr)によって構築された盤石のビートは、誰も太刀打ちできない。この2人の勇姿を見ることは叶わなかったけど、昨年、初めて参加したライブで、俺が最も楽しみにしていたのが、この曲。いやもう、心も体も持ってかれてしまう。
7. BLUE MIDNIGHT
『For You』のアウトテイクということで、この曲のみ作詞が吉田美奈子。フィリーなソウル・バラードは3.と似たタッチで、いつも印象がかぶってしまう。まぁノリノリの6.の後だから、その後のクール・ダウンといったポジショニング。
逆に言えば、このアルバムのサウンドには非常にフィットしており、よって『For You』だと入れどころに困ってしまう。すでにこういったライト & メロウ路線が芽生えていたのだろう。
8. あしおと
こちらも『For You』時に制作された楽曲。軽いタッチのシカゴ・ソウルは、やっぱシックなこのアルバムとの方が相性が良い。肩の力を抜いたポップ・ソングだけど、コマーシャルな路線とも違う、それでいて優しく寄り添ってくる。不思議な魅力のあるナンバー。これまでも、そしてこれ以降もないタイプなので、なかなか貴重。多分、もう書けないんだろうな、こういう方向性って。
9. 黙想
ラス前のインタールード的な小品バラード。歌詞は至ってシンプルだし、アレンジもピアノ1本。しかし、ポップのアルバムで、こんなタイトルの曲を入れるだなんて、なかなかの冒険。一過性のヒットを狙うのなら悪手だけど、長期的な展望で見れば…、ややっぱないな、普通。
10. クリスマス・イブ
あまりに語られ過ぎてるし、誰もが知ってる曲なので、大して書くことはないけど、本格的なアカペラ・コーラスを大々的にフィーチャーされた、初めてのヒット曲。若書きとも取れる歌詞も、過度なセンチメンタリズムを避け、それでいて情熱的。考えてみれば、ソウルにどっぷり浸かっている人なので、ストレートな表現を多用するのは当たり前なのだ。
初回の12インチ・ピクチャー・レコードを速攻で買ったのは俺の自慢のひとつだけど、金に困って売っぱらっちゃったのもまた、俺の数少ない後悔のひとつ。こういうのは手元に残しておくものだよね。みんなも大事なアイテムは、簡単に手放さないようにね。