「二十歳を迎えるまでに、アルバム3部作を完結させる」と、誰が言い出しっぺだったのかはともかく、どうにか誕生日を迎える前に、3枚目のアルバム『壊れた扉から』は完パケした。「大きな達成感が本人とスタッフに訪れた」と言いたいところだけど、当時はまだ全国ツアーの真っ最中、センチメンタルな感慨に浸っている余裕はなかった。
10代の少年による、10代のやり切れぬ想いや葛藤を瑞々しく活写したことで、『十七歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』と続く3部作は、日本の音楽史に深い痕跡を残した。一歩間違えれば、厨二病の稚拙な独白で終わってしまうところを、きちんとした大人のプロフェッショナルがサポートしたことで、彼の歌は市場に流通するレベルに仕上げられ、最終的にはお茶の間にも広く行き渡ることとなった。
10代なかばの少年にとって、「憤り」や「反抗」というのは普遍的なテーマであって、なにも尾崎特有のものではない。彼が人より秀でていたのは、どのテーマにおいても、短編小説のごとく起承転結をつけられるストーリーテリング能力、そして卓越した歌唱の表現力に他ならない。
そんな10代のやり切れぬ想いや怒り、言語化できないジレンマを、彼らと同世代の少年が丹念に描写した。そしてその言葉は、同世代の共感を呼び、また大人たちを感服させた。
職業作家では描けない彼の歌は、ソニー主導によるビジュアル戦略が大きな相乗効果を生み出し、シングル「卒業」以降、爆発的に広まった。悩み多き繊細な少年の叫び、そして脆くはかない憂いを漂わせた彼のスナップ・ショットは、カリスマティックな求心力を生み出した。
ちょっとご本人には失礼かもしれないけど、これが例えば加藤諒みたいな顔で歌われたとしたら、おそらくここまでの波及効果はなかったと思われる。それは尾崎本人もまた、自覚していることだった。
古来より、アウトロー役はちょっと捻ねて無愛想なのがセオリーであり、尾崎豊もまた、そんなステレオタイプのアンチ・ヒーローを自ら演じていた。スタッフによるコーディネートのもと、ティーンエイジャーの共感を呼ぶ作品や発言、またパフォーマンスを演じることで、徐々にファン層を広げていった。
もがき足掻き苦しみ吐き出していた10代が終わり、「さて、そこから」。
似たような行程を経てきた先達として思い浮かぶのが浜田省吾だけど、彼もまたシフト・チェンジには相応の苦労を要した。
尾崎同様、不都合な真実や不条理な現実に強い違和感を覚え、それをストレートな口調で表現した彼の歌は、多くの若者の共感を呼び、着実にファンを増やしていった。ただ尾崎と大きく違っていたのは、発信する立場だった。
2人に共通するのは、ぼんやりした不安と茫漠な不満とが交差する、10~20代の若い世代からの支持だった。同じ目線でリアルな不満を吐き出す尾崎に対し、彼らとひと回り年齢の違う浜省の目線は、次第に乖離が目立つようになってゆく。
声無き声の代弁者として言葉を紡ぎ、その真摯な姿勢には嘘は感じられなかったし、それはファンのニーズと噛み合ってはいたのだけれど、浜省自身が、そんなジレンマに悩まされつつあった。金も地位もそこそこ得た30過ぎの男が、いくら社会や体制に不満をぶつけても、白々しく思えてしまう。
それは浜省本人だけではなく、ブレイク前からついてきたファンも抱えていた問題だった。みんながみんな、社会に不満を持ったまま、大人になったわけではない。
浜省より成功し、大金を手にした者だっていたかもしれない。家庭も仕事も大事だし、何かと人間関係のしがらみにも付き合っていかなければならない。彼らもまた、歳を取ったのだ。
そんな双方のギクシャクに一旦区切りをつけたのが、アルバム『J.BOY』だったんじゃないか、と今にして思う。少年時代の回想や、現実逃避したくなる日常との葛藤、強いメッセージ性よりプライベートな心情を主題とした楽曲が多くを占めており、それは疾走するばかりだった青年時代との訣別と総括を意味していた。
このアルバムを機に、浜省の作風は年齢相応のシチュエーションに変化してゆく。そしてまた、ファンの受け止め方も同様だった。浜省とファンとの成長過程がシンクロしつつあったのだ。
当初はそれほどうまく行かなかった。35歳なら35歳、40歳なら40歳に根づいた言葉やテーマを、どんな語彙や文法、またサウンドで表現すればいいのか―。
明確な答えが見つからないまま、浜省の活動は一時トーン・ダウンする。自身の年齢とテーマに折り合いをつけられるようになるまで、相応の時間が必要だった。
尾崎に話を戻すと、「若者の代弁者」としてカリスマティックな人気を集めていたのは、あくまで彼の一面に過ぎない。アジテーターでもオーガナイザーでもない、「多様性のあるシンガー・ソングライター」というのが、彼の本質である。
尾崎がソングライターとして優れていたのは、直截なメッセージや主張を、ただ思いついたまま投げ出すのではなく、時に高度な暗喩、時に平易な言葉の組み合わせを、テーマに応じて書き分けることができた点にある。どんな主題においても、最適な文法・話法を選択することで、ユーザーそれぞれの主観や実体験と重ね合わせること、また、実体験でなかったとしても、間接的に共感できる余地を生み出すことができた。
例を挙げると、「ダンスホール」や「I Love You」のような、ある種の寓話性を含んだフィクショナブルな世界観は、説得力のあるヴォーカルによって、より伝わりやすく、そして強い仲間意識を生み出す。「自分のことを歌っている」、または「自分の考えと重なり合う部分が多い」と思わせることは、カリスマの持って生まれた資質である。
そう考えると、リアルタイムを知らない世代から、「Oh My Little Girl」や「Forget-me-not」の人気が高い理由が見えてくる。若い世代にとっての「尾崎豊」とは、「美しく繊細な楽曲を歌うシンガー」であって、今ならセンシティヴな「15の夜」や「卒業」の世界観にはピンと来ないのだ。
10代を総括した全国ツアーを完遂したはいいけど、問題はそれ以降。その後の具体的なビジョンは何もなく、ほぼ白紙の状態だった。それは尾崎だけじゃなく、周囲のスタッフもまた同様だった。
とにかく毎日が年末進行の状態で、あと先考える余裕が生まれたのは、すべてのプロジェクトが終わってからのことだった。分別ある大人のブレーンやら関係者やら事情通やらが右往左往してる中、誰もPDCAサイクルを考えてなかった、というのもちょっと信じ難いけど、まぁスターダムまっしぐら・イケイケ状態の尾崎に忠心するのが難しい状況だったことは、否定できない。
その後の活動方針も何もなく、ふんわり大人になってしまった尾崎。あまりに宙ぶらりんだったこともあって、その後は精神的な路頭に迷うことになるのだけれど、ついに最後まで行き先を決められなかった、という悲劇-。
一般的な社会通念に置き換えて考えると、この時点での尾崎は「まだ二十歳」になったばかり、少年とは言えない程度の年齢であって、大人と認識されることは少ない。無理な背伸びをして、10代を卒業しようと、もがき足掻く必要性なんて、どこにもないはずだった。
ちなみに当時の浜省は、レイテスト・アルバムであった『J.BOY』リリースに合わせたツアーで全国を回っていた。自分なりに青春時代にケリをつけた彼は、ツアー終了後、しばしの沈黙に入ることになる。
それに先立つように、尾崎もまたツアー終了を機に、無期限の休養期間に入った。単なる静養なら、ハワイあたりのコンドミニアムでゆったりバカンスでもしてればよかったんだろうけど、まぁ「まだ二十歳」だし、もっと刺激も欲しいし遊びたいわな。
デビューからずっと闇雲に突っ走ってきて、やっとひと休みできるようになったはいいけど、ハイパー・テンションの後の虚脱感が、メンタルをダウナーに引きつけたのだろう。そこで悪い遊び覚えちゃったことが尾を引いて、のちのキャリアに大きく影響することになってしまうのだけど。
その闇雲に突っ走ってきた克明な記録として、「LAST TEENAGE APPEARANCE」はリリースされた。ファンやソニーの意向はどうであれ、これで区切りはつけたのだから、シフト・チェンジするには、このタイミングしかなかったはずなのだ。
無理に声を張り上げたり叫ぶことなく、シンプルなラブ・ソングや日常の心象風景を丹念に描くだけでよかった。無理にファンと共に背伸びしようとせず、「まだ二十歳」の青年の等身大を見せればよかったはずなのに―。まぁ、それが一番難しいんだろうけど。
でも、早逝するよりは、生き続ける方がずっといい。死して伝説を残したって、本人にとっては、何の足しにもならないのだ。
これ以降の尾崎の作風は、次第に混迷を極めてゆく。やたら哲学的な言葉、また独りよがりな主観が強まってゆく。言葉に込めるパッション自体は衰えていないけど、その情熱が誰に向けられているのか、ひどく曖昧なのだ。
そのベクトルは次第に範囲を狭め、袋小路に突き当たった。「誰も理解してくれない」から「理解なんかされなくたっていい」。報われることのない徒労が無情感にとって代わり、そして尾崎は絶望の淵に堕ちた。
もしかしてその先に、また別の道が開けていたのかもしれない。反面、「そんなものはない」とわかってはいながら、突き進むしかなかったのか。
-なんて残酷な結末だろう。
1. 卒業
凄まじい歓声から始まる、当時最大のヒット曲。「I Love You」でも「Oh My Little Girl」でもなく、このアルバム・リリース時の尾崎のキラー・チューンといえばこれだった。
「やたら熱い歌を歌う男がいる」という噂が草の根的に広まり始めた頃、日比谷野外音楽堂で催されたイベント「アトミック・カフェ」に出演した尾崎は、あまりの興奮で7メートルの高さの照明台から飛び降り、左足を骨折してしまう。それ以降のスケジュールはすべてキャンセルとなり、ブレイクのタイミングを一旦逸してしまう。
その事件から半年後、ほぼ突然リリースされた「卒業」は、同時多発的にティーンエイジャーの心を鷲づかみにした。俺もまたその一人だった。
当時は過激な言動ばかりがクローズアップされ、それはいまも変わらないのだけど、もう30年を経てフラットな視点で歌詞を読んでみると、直截なメッセージよりむしろ、丹念に描かれた高校生の何気ない日常描写の秀逸さに惹かれたりする。
校舎の影 芝生の上 吸い込まれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた
リアルな将来がイメージできない、虚ろ気な高校生の心象風景を、19歳の少年がここまで瑞々しく描いている。むしろそっちの面を評価してほしい。
2. 彼
このライブが収録されたのが1985年11月15日の代々木オリンピックプールで、『壊れた扉から』がリリースされたのが同年11月28日なので、オーディエンスにとっては新曲であり、そんなせいもあって「卒業」ほどの熱気は少ない。そう思えば納得。
スタジオ・ヴァージョンよりジャズっぽさの強いアルト・サックスが印象的で、尾崎のヴォーカルも最初抑え気味。と思ってたらサビで絶叫するところはやっぱり尾崎。バック・メンバーが適度にレスポンス入れてるんだから、ちょっと休めばいいのに、と思ってしまう俺はもう純粋じゃないんだな。
比較的第三者目線で描かれた、うまくまとめた短編小説の味わいがあるけれど、そんなまとまり加減がちょっと鼻について受け付けなかったりする。まだ若いんだから、そんな小さくまとまらなくたっていいだろうに、とアラフィフ目線だとそう感じてしまう。
3. Driving All Night
こちらも『壊れた扉から』収録。ライブ映えする軽快なロック・ナンバーなので、一気にブーストがかかる。
メロディもアレンジもブルース・スプリングスティーンへのリスペクトが強く、粗さは目立つけど、そこはライブの勢いで押し切っている。いま冷静に歌詞だけ読んでみると、当時は感じなかった直訳っぽさが結構露骨である。
刹那的でネガティヴな、先行きの見えない若者の焦燥感を描かせたら、この時期の尾崎に並ぶ者はいなかった。切迫した想いをダイレクトに、作為の感じられない言葉の礫は、いまも混じり気はない。
4. Bow!
「十七歳の地図」が象徴しているように、尾崎のボキャブラリーには中上健次の影響が色濃く降りているのだけれど、この曲でも「鉄を喰え 餓えた狼よ 死んでも豚には 食いつくな」というフレーズなんかは、初期中上作品からインスパイアされたシチュエーションである。
当時の中高校生は真面目で読書家で、普通にこういった文学作品がバックボーンにあったのだ。そうだよな、俺も高校生の時、バタイユからジャン・ジュネとか、片っ端から読んでたもんな。今じゃすっかり読まなくなったけど、読書が教養の一要素であった時代が確実にあったのだ、俺世代くらいまでは。
5. 街の風景
オリジナルはデビュー作『十七歳の地図』のオープニング。ここではテンポを落とし、中盤の歌詞も追加されて、10分の大作となっている。軽快なポップ・フォークだったアレンジも、当時流行っていたポリスにインスパイアされたギターとドラムが前面に出たライブ仕様にビルドアップしている。
そんな重厚感に合わせて、ヴォーカル・スタイルもやたら肩に力が入っており、血管も切れそうな勢いである。俺的には軽く語り掛けるようなオリジナルのヴォーカルの方が好きなのだけど、まぁライブで聴いたらハート持ってかれるんだろうな。
デビュー前に書かれた歌詞は、想いが先走って未整理なところも見受けられるし、常套句でまとめてしまっている箇所もあって、テクニック面では決して巧いとは言い難いのだけど、この時期・この年代にしか書けなかった蒼さと未熟さとが、結局は良い方向へ作用している。
6. ダンスホール
ソニーのオーディションで初披露されたという伝説を持つ、いまだシングル・カットはされていないけど、幅広いファンに根強い人気を持つバラード。こうやって書いてると尾崎、キラー・チューンばっかりだな。71曲しか書いてないのに。
15、6の少年が思いっきり背伸びして想像して、思いのたけと寓話とをない交ぜにして書き上げた。いま目を通してみると、ステレオタイプな描写も見受けられるけど、中高校生が書いた詞としては、充分だと思う。
次の水割り手にして 訳もないのに乾杯
「こんなものよ」とほほ笑んだのは たしかに 作り笑いさ
耳年増の想像による若書きだけど、これはなかなか書けないよな。
7. 存在
主観・客観問わず、ネガティヴな視点が多かった尾崎の曲の中で、これは比較的ポジティヴ寄りの応援歌であり、ラブ・ソング。相手にとってはちょっと重く感じてしまう真実の愛を、高らかに歌い上げる尾崎の姿は、とてもエネルギッシュでいて、それでいて儚ささえ漂わせている。
21世紀以降に生まれた人間にとって、多くの尾崎の楽曲の世界観は現実離れしており、一種のファンタジーとなっていることが、この曲に象徴されている。「反抗」や「真実の愛」というメッセージや、「盗んだバイクで走り出す」「校舎の窓ガラス壊して回った」という衝動を、彼らは現実として受け止められないのだ。
尾崎の楽曲の多くは、その生き様やライフ・スタイル、エピソードという予備知識がないと、共感しづらい。本文でも書いたように、シンプルなラブ・ソングがロング・セラーを記録し続けているのは、そんな事情もある。
単にラジオから流れてきただけだと、この曲も40歳以下にとっては、ちょっと共感しづらい。
8. Scrambling Rock'n'Roll
オケが「Born to Run」そっくり、って今なら言っちゃってもいいだろう。それくらい、80年代のスプリングスティーンは日本の音楽業界にも大きな影響を与えていた。
この曲もストレートなメッセージ性が前面に出たロック・チューンなのだけど、むしろそんなサビ以外の歌詞パートに耳が行ってしまう。ぶっちゃけてしまえば、全篇あれこれ手を尽くした口説き文句の羅列なのだけど、アラフィフにとっては、その熱さが羨ましかったりもする。
9. 十七歳の地図
熱く重く無鉄砲さが漂う2分のMCの後、続けて歌われる代表曲。ネガティブで破壊的な言葉の羅列の先に輝く、微かで、しかし確かな光。歌っている情景は殺伐だけど、決してそれだけじゃない、ということを、尾崎は全身全霊で教えてくれた。
これだけは確かだ。
10. 路上のルール
言いたいこと伝えたいことを、単に拳を振り上げて嘆くのではなく、きちんと伝える技術と想いが重なり合うことで、説得力は増し、そして作品としてのクオリティも高くなる。変に技巧的ではなく、かといってあざとさもない。デビュー3作目で、尾崎は見違えるほどの成長を手にした。しかし、それはあまりにキャパを超えた成長でもあった。
今夜もともる街の明かりに 俺は自分のため息に微笑み
お前の笑顔を探している
ここが到達点であるべきだったのだ。それ以降、無理に成長なんかせず、自己増殖だけでよかったはずなのに。
11. 15の夜
アラフォー世代以上には確実にアンセムとなっているけど、それ以降の世代にとっては、「めちゃイケ」の曲という認識しかされていない、確実に代表曲のはずなのに、そんな世代間ギャップのおかげで肩身の狭い曲。
多少のデフォルメはあるけど、ほぼ尾崎自身の実体験に基づいて書かれた曲なので、いわばプライベートな作品ではある。実際に同様の体験をした者はごく限られるはずなのだけど、こういった内的衝動の共有範囲は、思いのほか広かった。
こうやって書いてると、やはり俺は『十七歳の地図』が一番好きなのだ、ということに気づかされる。どの曲も客観であったとしても、決して悪い見方はできない。
だって、それは当時の俺を否定することと同義だから。
12. I LOVE YOU
歓声がひときわ大きくなる、当時から人気の高かった名バラード。スタジオ・ヴァージョンの時点ですでに完成されているため、ライブでもアレンジはほぼそのまんま、歌い方もまんまである。
どのパートを抜き出しても、これ以外はあり得ない言葉と世界観。十代の頃、ここまで熱く切ない恋愛をしたはずはないのに、時空を超えてなぜだか共感してしまう、そんな歌。
とんでもなくスケールのデカいビギナーズ・ラック。いつか尾崎豊というアイコンが忘れられたとしても、この曲だけは確実に残る。
13. シェリー
いま聴くと、むせ返るほどの赤裸々な心情吐露が、ちょっと疲れてしまう。多分、早熟だった尾崎はこの曲を書いた頃から、10代を卒業した「その後」を、ぼんやりではあるけれど見据えていたのだろう。
自分と、そしてファンもまた成長「しなければならない」or「するべきなのか」と。それは自ら先導しなければならないのか、またはファンの間で自然発生的に行なわれるものなのだろうか。
自分の歌は、10代にとっては単なる通過儀礼であり、自分は常に変わることなく、新たな10代に向けてメッセージを発信しなければならないのか―。
そんな錯綜した想いを、ファンに向けて、または自問自答するように、尾崎は歌う。
ある意味、それは切実に追い詰められた若者の告白でもある。