Folder 1988年リリース、キョンキョンにとって13枚目のオリジナル・アルバム。オリコンでは最高10位をマーク。…10位?それなりに話題になったし、もうちょっと売れてた印象があったのだけど、時代的にベストテンなどの音楽番組が下火になって、アイドルにとっては逆風になりつつある頃だったので、まぁ健闘した方なのか。
 キョンキョンがデビューしたのは1982年で、この年は女性アイドルが豊作だった事でよく知られている。つい先日、お騒がせとなった松本伊代や早見優、堀ちえみもそうだけど、何かにつけテレビでしょっちゅう目にする芸能人が、この時期に集中してデビューしている。
 なぜなのか?

 いろいろと要因はあるのだろうけど、多分に1980年デビュー組の松田聖子のブレイクがひとつの引き金になったんじゃないかと思われる。それまでは、ほぼ男性ファンをターゲットにしたプロモーション戦略だったのが、彼女のデビューによって、これまでほぼ未着手だった女性ファンの新規開拓の可能性が見えてきたため、方針が大きく変わっている。
 芸能プロダクションによって、ルックスからライフスタイルまで細部まで作り込まれたのが、70年代までの女性アイドル像である。趣味といえばお菓子作り、好きな色はピンク、男の子とは手も繋いだことがない、というのが理想的な設定である。ひと昔前の少女マンガの設定と共通点は多い。どっちが先なんだか。
 そういったガチガチのフォーマットでプロテクトされている麻丘めぐみや南沙織や天地真理がどれだけ売れたとしても、基本、疑似恋愛の対象である男性層が反応するだけで、女性層が食指を伸ばすはずもなかった。いつの時代も男は理想を夢見がちだし、女はそんな仕掛けをすぐに見抜いて鼻にもかけない。
 で、70年代までの女性アイドルとは、絶世の美少女がなれるものだった。近所のミスコンレベルのお姉さんくらいでは、とても歯が立たない。あまりに世間と隔絶された存在であったため、同性とはいえ憧れの対象にすらならなかったのだ。

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 70年代の地続きでデビューした松田聖子もまた、美少女レベルは高かった。少なくとも、いまの坂道系やらその大勢の有象無象らを軽く蹴散らすほどのポテンシャルを有している。いまと違って、思い立ったらすぐ次の日にステージに上がれる時代じゃなかったのだ。
 なかったのだけれど、彼女の場合、「聖子ちゃんカット」というマネしやすい記号を発明したことによって、その後のアイドル戦略に大きなターニング・ポイントを残すことになる。
 松田聖子に比肩するルックスを後天的に獲得するには、そりゃもう多大な時間と費用が必要だしそもそもの初期スペックが必要になるけど、「聖子ちゃんカット」なら簡単にマネできる。
 「もしかして、あたしでもアイドルになれるんじゃない?」
 雲の上なら最初から諦めてしまいがちだけど、手を伸ばせば届くのなら、ちょっとは努力する気にもなる。実際は乗り越えるべき壁は恐ろしく高く、トップ・クラスに這い上がれる確率は変わらないのだけど、それでも以前よりはずっと身近な存在となった。そんな女性アイドル戦略の転換点となったのが、松田聖子であり、「聖子ちゃんカット」の登場である。
 誰でも「そこそこ」のレベル・アップが期待できる「聖子ちゃんカット」は多くの女性によってコピーされ、街には多くの聖子ちゃんモドキが出現した。その成功体験の共有として、芸能界においても松田聖子コピーのようなアイドルが量産されるようになる。同時進行で、松田聖子に憧れるティーンエイジャーが手っ取り早くレベル上げするため、「聖子ちゃんカット」にしてもらうために雑誌片手に美容院へ走る。
 そんな多方面の思惑が世に出てきたのが、1982年という時代である。ふぅ。

 当初はこの後、1982年のアイドル戦国図を途中まで書いたのだけど、なんかダラダラ取り止めがなくなってしまったので、一旦ボツにして書き直しした。また次回にでも使おうかな。

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 で、キョンキョンもまた、デビュー当初は松田聖子メソッドの影響下にあった。朝ドラ「あまちゃん」を見てた人ならわかるだろうけど、若き日ののんママは、デビュー時のキョンキョンと虚実ないまぜでシンクロしており、ほんとあんな「聖子ちゃんカット」でアイドルスマイルをキメ、ヒラヒラドレスとピンヒールで歌番組に出演していたのだ。
 1982年デビュー組は、所属事務所のコントロールに縛られない、自己プロデュース能力に長けた人材を多数輩出していることは、歴史が証明している。ただ、事務所の力関係や周辺スタッフの方針によって、売り出しの方針やプッシュのされ方も様々だった。
 デビュー曲ひとつとっても、例えば中森明菜は来生えつこ・来生たかお書き下ろしによる「スローモーション」、伊藤つかさは南こうせつが「少女人形」を提供している。そこまでビッグネームじゃなくても、大方のアイドルがデビュー曲においては、筒美京平や小田裕一郎や馬飼野康二など、歌謡曲御用達作家による書き下ろし楽曲を与えられている。やはりスタートダッシュは大事だし、事務所的にもそれなりに力を入れるはずなのだ。はずなのだけれど。

 キョンキョンの記念すべきデビュー曲「私の16歳」は、1979年リリース森まどかのカバーである。多分、オリジナルは、よほどのマニアじゃないと知らないはず。俺も知らない。で、2枚目の「素敵なラブリーボーイ」、これもカバー。これは知ってる人も多いかな、以前は黒澤一族にいた林寛子1975年のシングル。往年のコアなファン向けのスナックを経営してるって、以前「バイキング」で見たな。まぁそれは余談。
 どちらのオリジナルも、リリース当時は22位・31位とショボい成績に終わっており、なんでわざわざそんな中途半端に売れなかった楽曲しかなかったのか、どうにも疑問が残る。正直、「隠れた名曲」と言えるほどのクオリティでもないし、取り敢えず権利関係がスムーズな楽曲を適当に振り当てた感が強い。
 すごくポジティヴに捉えれば、楽曲的には正統派70年代アイドルの要点は押さえられており、オーソドックスな10代の女の子が歌うには適している。音域もそれほど広いものでもないので、歌唱力が至らなくてもそれなりに歌いこなせるメロディ・ラインではある。でもね。
 音楽活動にはあまり重きを置いていなかったはずの三田寛子でさえ、デビュー曲「駈けてきた処女」はなんと井上陽水制作である。こういった事実関係から察するに、事務所サイドとしてはキョンキョンに力を入れていなかった、または販促方針が迷走していた感が浮かび上がってくる。

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 歌手にとって、自分の持ち歌は大事なものであり、特にデビュー曲に抱く思いは特別である。いわゆる自己紹介的な役割も果たすため、一生使う名刺と形容しても差し支えない。その点、伊代ちゃんはうまい戦略だったよな。あれだとネタ的に一生使えるもの。
 キョンキョンの場合、事務所サイドが女性アイドルの営業ノウハウが不足していたせいもあって、取り敢えずデビューした、という形になってしまったのは不幸だった。その後、3曲目からはようやくオリジナル楽曲を与えられるようになったけど、どうにも70年代的な古くさい「可愛子ちゃんアイドル」の枠を抜け出せずにいた。要するにイモ臭かったのだ。
 旧態依然としたアイドル像にはめ込もうとする事務所と、そんな枠組みにどうもしっくり来なくてふて腐れながら芸能仕事に勤しむ厚木の元ヤン。70年代的「みんなのマスコット」像を求められても演じ切ることができず、フラストレーションは溜まってゆく。ブッキングされるのは主にバラエティ、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「パリンコ学園」での賑やかし要員か、それともその他大勢的な壁の花。
 「これだったら、あたしじゃなくってもいいんじゃね?」
 そう思っちゃってもしょうがない。

 そう言った現状を打破するため、キョンキョンは事務所にも無断で、これまでイヤイヤやっていた「聖子ちゃんカット」をバッサリ切ってしまった。
 今となっては「髪を切る」という行為はずいぶんカジュアルになったけど、この頃までの女性が長い髪を切るというのは、結構な覚悟が必要だった。髪を切ることで、過去やしがらみとの決別を図る、独立した人格として独り立ちするため、「髪を切る」というのはシリアスなものだった。
 松田聖子メソッドからの決別、そして旧態依然のコンセプトしか提示できない事務所方針をリセットし、その後の彼女は自己プロデュースによる独自路線を歩むようになる。
 松田聖子のようにソニーや松本隆が綿密にディレクションしてくれるわけでなければ、明菜のように天性の歌唱力を持っているわけでもない。特別な能力は何もない。だけど「これはイケてる」「これはダサい」という美学はしっかり備えていた。それだけで十分だ。
 「小泉今日子」というプロデューサー視点でもって、自らを素材としてアイドル「キョンキョン」を創り上げてゆくプロセスの提示。なにも全部を全部、自分でやらなくたっていい。あたしはただの言いだしっぺ。実際の作業は、得意な人にやってもらえればいい。でもね、誰でもいいわけじゃないよ。いくらスキルがすごくたって、ダメな人はダメ。あたしと遊べるかどうか、あたしのビジョンを面白がってくれるかどうか。それが大事だから。単なるお仕事だと、楽しくないじゃん―。
 その後のサブカル人脈を巻き込んだ快進撃は、ご存知の通り。

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 で、『ナツメロ』。ここにきて、全曲カバーである。しかも近々の80年代の楽曲はセレクトされず、ほぼ70年代の歌謡曲ばかり。誰でも知ってる大ヒット曲もあれば、同世代でなければちょっとわかりづらい楽曲まで、幅広く選曲されている。要するに、完全にキョンキョンの好みである。
 1988年と言えば、前年までオリコン・チャートを席巻したおニャン子クラブが解散し、女性アイドル市場が急速に収縮した頃である。今のAKBや坂道系の先駆けと言える、ほぼ持ち回りでチャート1位を獲得することによって、歌謡曲のマーケットは完膚なきまで終止符を打たれた。当然、82年組を含めたソロ・アイドルは息の根を止められ、シングル・リリースさえままならない状況に追いやられていた。3か月に一度は新曲リリースのローテーションが組まれていた彼女らも、この時期は年に1枚出せるか出せないか。歌手活動をやめてしまった者も少なくなかった。
 そんな中でキョンキョンは別格的にシングル・リリースを続けており、並行して女優業やCM出演など、多方面に及ぶ活動を続けていた。おニャン子旋風の頃になると、むしろ旬のクリエイターが彼女とのコラボを求めるようになり、よって80年代歌謡史を代表する楽曲が続々誕生している。たかみー作「木枯らしに抱かれて」を始めとして、筒美京平円熟期の傑作「魔女」や「水のルージュ」、大瀧詠一も「快盗ルビイ」を提供しているし。

 押しつけのカバーではない。すべてキョンキョンが、そして盟友である野村のヨッちゃんと頭を突き合わせて選曲し、そのヨッちゃん率いる「最強アマチュアバンド」三喜屋・野村モーター'S BANDと共にアレンジして創り上げた。ヨッちゃんとはデビューもほぼ一緒の同世代、バンド・メンバーもまた、大体似たような年齢層である。大体似た空気を吸って、大体同じような音楽を聴き、大体同じテレビ番組を見て育ってきた。そんな彼らが寄ってたかって「あ・うん」の呼吸でトラックを組み立てた。悪くなるはずがない。
 バブル時代ゆえ大盤振る舞いが当たり前だったレコード会社の金をふんだんに使い、豪華なスタジオを長期間押さえ、半分遊び感覚でも本気でもってあれこれアンサンブルを練り、「せっかくだから」とデーモン小暮などのゲストというか友達もどんどん呼び入れ、出来上がっちゃったのが、このアルバムである。

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 高校の放課後、軽音楽部の部室の隅っこで、別にプロになるつもりもないけど、何となく寄り集まって、くっだらねぇバカ話で盛り上がってる先輩たち。あんまり演奏する姿を見たことはないけど、ごくたまに見せる本気度MAXの演奏は、バカテクでエモーショナルで、それでいてめちゃめちゃ楽しそうで。
 本気で目指せばプロにもなれそうなのに、そういった必死さを見せることはない。
 大事なのは演奏することじゃない。たまたまみんなの共通言語が音楽だったからで、ほんとはダラダラ楽器をいじりながら、ダベってるだけで幸せなんだ。
 そんな情景を思い浮かべてしまうアルバムである。

ナツメロ
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小泉今日子
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1. 学園天国
 1974年リリース、沖縄出身の兄弟姉妹ヴォーカル・グループ、フィンガー5の5枚目のシングル。オリコン最高2位でありながら、累計売上枚数はなんとミリオン超え。阿久悠による甘酸っぱいティーンポップな歌詞世界は、スクールカーストとは無縁のコミュニティを形成している。番長も秀才も、あの娘の前ではみんな純情だ。作曲の井上忠夫とは、自らも歌手としてガンダム映画版の主題歌「哀・戦士」をヒットさせた、あの井上大輔。「め組の人」もそうだったけど、こういったシンコペーションを多用した曲を作るのが、めちゃめちゃうまい。
 キョンキョン・ヴァージョンはもともとシングル・カットの予定はなかったのだけど、のちの主演ドラマ『愛しあってるかい!』の主題歌に採用されることになって、オリコン最高3位のヒットを記録した。



2. S・O・S
 1976年リリース、ピンク・レディー2枚目のシングル。オリコン最高1位、65万枚の大ヒットとなった。基本、リズム・アレンジなどはオリジナルと一緒なのだけど、分厚いシンセを噛ませることによってサウンドに奥行きが生まれ、JourneyやVan Halenのようなアメリカン・ハードのテイストが加えられた。キョンキョンのヴォーカルも比較的ナチュラルな発声で、抑えるようなウィスパー・ヴォイスが楽曲を洗練させている。原曲はもっとバタくさかったよな。

3. お出かけコンセプト
 1980年リリース、近田春夫プロデュースによるテクノポップバンド、ジューシィ・フルーツのデビュー曲「ジェニーはご機嫌斜め」のB面曲。ニューウェイヴ~テクノ・ポップの楽曲の中では一般的な認知度も高く、オリコン最高5位。こちらも2.同様、大味なアメリカン・メロディック・ハード風味の味付け。まぁこの辺はヨッちゃんの好みだし。

4. 赤頭巾ちゃん御用心
 1978年リリース、のちに発展的解消を経てラウドネスに衣替えするアイドル・バンド、レイジー3枚目のシングル。オリコンでは最高32位だけど、ロング・ヒットしたようで最終的には20万枚以上の売り上げとなった。本来なら記念すべき初ヒット、と言いたいところだけど、現在のメンバーにとっては黒歴史的な扱いとなっており、オリジナル・ラインナップでの再演がかなうことはしばらくなさそう。
 テープ逆回転コーラスから始まるサイケデリックなオープニング以外は、至ってオーソドックスなプレイのヨッちゃんバンド。そりゃそうだ、主役はキョンキョン、彼女が可愛く目立つことが重要なのだ。

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5. レディ・セブンティーン
 1973年リリース、矢沢永吉が在籍していたロックンロール・バンド、キャロル3枚目のシングル。この機会に初めてオリジナル聴いてみたけど、ヴォーカル、ジョニー大倉だったんだな。甘い声質がオールディーズ調のマイナー・コードにフィットしている。
 キョンキョンのヴァージョンもオールディーズ的なリズムとコーラスを基本としているけど、その上にキラキラしたシンセや重いギター・リフを乗せたりしている。楽曲のボトムがしっかりしてるから、どんなエフェクト入れても揺るがないんだな。
 世代的に言って、キョンキョンはキャロルのひとつ下に当たるため、リアルタイムでは聴いていないはずなのだけど、まぁヨッちゃんが持ってきたのか、それとも地元の先輩あたりが聴いてたのかも。この辺はヤンキーのコネクションだよな。

6. 尻取りRock'Roll
 1980年リリース、ある意味、伝説のバンド横浜銀蠅のデビュー・アルバム『ぶっちぎり』収録曲。まぁくっだらねぇ曲なので、深く考えることはない。オリジナルももっとくっだらねぇし。いわゆるステレオタイプの「不良」を演じながら、敢えてハズすようなコミック・ソング路線も併せ持っていたことが彼らの魅力であり、ずいぶん長い間、大衆性を保持していた証でもある。ピーク時の人気は凄まじく、宮内庁主催の園遊会にも招かれて、あのコスチュームのまんまで昭和天皇と言葉を交わしたくらい、といえば、今の人にもわかってもらえると思う。
 キョンキョン・ヴァージョンもまぁオリジナルもなんもないけど、くっだらねぇ歌を全力で歌っているところは可愛らしくもある。最後は自分で笑っちゃってるけどね。
 ここでキョンキョンがカバーしたのも驚いたけど、もっと驚いたのはその20年後、安田成美がトヨタ・シエンタのCMでカバーするだなんて,一体誰が想像しただろうか。

7. 恋はベンチシート
 1980年リリースまたまたジューシィ・フルーツ、2枚目のシングル「なみだ涙のカフェテラス」のB面収録曲。またディープなところ狙ってきたな。ちなみに作曲の柴矢俊彦は、あの大ヒット曲「おさかな天国」を書いた人。時代が巡ると、ここまで変わっちゃうものか。
 オリジナルはもっとガレージっぽいラフな演奏で、曲中のセリフもセクシーにこなしてたけど、もともと楽曲的にはオールディーズを下敷きにしているので、キョンキョンは敢えてアイドルっぽくファニーなテイストに仕上げている。コンセプト的には、ここまで開き直っちゃった方が曲が映えている。最後のデーモン小暮との掛け合いはご愛嬌。

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8. やさしい悪魔
 その掛け合いに続いてシームレスで始まるメロディック・ハード・メタル。オリジナルはキャンディーズ、1977年リリース13枚目のシングル。当時の勢いからして、オリコン4位はむしろ低すぎるように思えるけど、ちょうどこの頃からピンク・レディーが台頭してきたんだよな。この頃のキャンディーズは「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」やドリフ番組でのコメディエンヌ的な役割が多かった覚えがある。
 キョンキョン・ヴァージョンもいいのだけど、オリジナルのアレンジがモダン・ソウル・テイストなので、あまり知らない人には聴いてほしい逸品。レアグル―ヴや70年代メロウソウルが好きな人ならハマるはず。

9. Soppo
 1979年リリース、今じゃほぼ俳優業がメインの世良公則が在籍していたロック・バンド、ツイスト6枚目のシングル。人気のピークが過ぎた後期のシングルとはいえ、どうにかオリコン6位に滑り込みしている。この頃は、初期の歌謡ロックっぽさが薄れてバタ臭い本格的なロック・バンドへと移行している時期にあたる。
 やっぱヨッちゃんはメロディック・ハードが好きなんだな。原曲はホンキートンク・ブルースなのだけど、彼にかかればどんな曲も、ギターがメインの大味なサウンドに様変わりしてしまう。ヨッちゃんはギターが好きなんだから、それでいいのか。キョンキョンも決して上手いシンガーではないけど、世良さんとはまったく別のアプローチで歌いこなしている。

10. 夢みる16才
 1981年リリース、シャネルズ(現ラッツ&スター)2枚目のアルバム『Heart & Soul』収録曲。これまたいい選曲だな。オリジナルは珍しく桑マンがリードを取るオールディーズ風ドゥーワップなのだけど、そのポップなテイストを残しつつ、7.同様キュートな女の子になりきって、時には無邪気に時には切なく歌声を使い分けている。

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11. バンプ天国
 またまたフィンガー5、1975年リリース11枚目のシングル。彼らの全盛期は前年でピークを迎え、この頃は緩やかな衰退へ向かっている。俺はリアルタイムでは知らないので、その辺は詳しくないけど。
 ジャジーなスキャットに続くグラウンド・ビートが弾けるオープニングは、オリジナルの意図をうまく掬い取って、しかも当時のトレンドもきちんと押さえている。

12. アクビ娘
 ご存じTVアニメ「ハクション大魔王」のエンディング・テーマ。ハード・ロックとドゥーワップのハイブリット・サウンドをバックに、一番楽しそうに歌うキョンキョン。70年代テレビアニメのテーマ曲の中でも3本の指に入る大名曲。逆に、これを陰鬱に歌う方が無理というもの。「キューティーハニー」同様、「女の子がカラオケで歌うと盛り上がると同時に、自身の思わぬ「女の子」成分に気づいてしまいドキッとしてしまう」曲のひとつ。



13. みかん色の恋
 ラストは1974年リリース、「笑点」の座布団運び山田隆夫が在籍していた歌謡ロック・バンド、ずうとるび3枚目のシングル。チャート記録は見つからなかったけど、記録よりも「記憶」に残る名曲として、ナツメロ番組での彼らが紹介される際には、大抵この曲が使用されている。
 オリジナルはストリングスを多用した、さわやかなフォーク・ロックといった風情だけど、ここではもっとリズムを効かせた軽快なロック・チューンとして解釈している。




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