前回の米米もそうだけど、近年の太田裕美もまたライブ中心の活動で、オリジナル・アルバムのリリースは、とんとご無沙汰になっている。現時点での最新アルバム『始まりは“まごころ”だった。』のリリースが13年前、その後、散発的にシングルをリリースしてはいるけど、新録よりは企画・アーカイブの方が多い。
ちなみにソニーの公式サイトのインフォメーションを見ると、「22年ぶりのオリジナル・アルバム・リリース」とある。35年で2枚か。大滝詠一並みだな。
ソロのライブ活動と並行して、伊勢正三らとアコースティック・ユニット「なごみーず」を結成、こちらは3者のスケジュールの都合がついた時に活動している。そのどれもが大会場ではなく、市民会館クラスの小・中規模ホールが主体となっている。
彼女のメイン・ユーザーはもっぱら50代以上が占めているので、それも納得である。スタジアム/アリーナ・クラスではスタンディングになるので、オーディエンスの体力が持たないし、またそんな音楽性じゃないし。
ステージも客席も気楽にゆったり、他愛ないトークと時々休憩を挟みながら、定番のセット・リストでコンサートは進行する。時たま感慨にふけったり、はたまた一緒に口ずさんだりして。
目に見える熱狂やグルーヴはないけど、ちょっぴりノスタルジックで居心地の良い空間が、そこにはある。進歩や革新性とは無縁だけど、作業効率や費用対効果に翻弄される日常を忘れる、そんな別の時間軸があったっていい。
歌謡界に足を踏み入れて間もない松本隆が書いた「木綿のハンカチーフ」は、情緒あふれる筒美京平のメロディとの相乗効果によって、オリコン年間4位の大ヒットを記録した。これによって「アイドルとアーティストのハイブリッド」という方向性を確立した太田裕美は、その後もソニーが作り上げたコンセプトに則り、「となりのお姉さん」的文学少女キャラで70年代を乗り切った。
ちょっと話は逸れるけど、「太田裕美」という絶好の素材と出会ったからこそ、その後の松本隆の方向性も決まった、と言い切っちゃっても過言ではない。その後、松本隆は「松田聖子」という新たな素材とめぐり合い、太田裕美では書ききれなかった「少女→大人の女性への成長過程」にきちんとケリをつけた。
その松田聖子の登場によってアイドルのフォーマット自体が変化し、旧世代となった太田裕美のセールスは、次第に頭打ちになってゆく。「アーティスト」と「アイドル」、両方のいいとこ取りを狙った戦略は長期戦略に則ったものだったけど、アイドル自体のテーゼが変わってしまうと、それも通用しなくなり、新たなアップデートが必要になる。
そんなこんなで路線変更が急務となったわけだけど、そう急に思いつくものではない。ソニーやナベプロのスタッフから提示されるのは、従来路線にちょっと修正を加えた程度で、抜本的な改革とはほど遠い。
停滞する状況に業を煮やしたのか、太田裕美は1982年、活動休止を宣言、単身NYに渡る。8ヶ月に渡る海外留学によって、歌謡フォーク以外の可能性をつかんだ彼女は、ニュー・ウェイブ路線3部作をリリースすることになる。
「清楚な歌のお姉さん」といった従来イメージを打ち砕いた、って意味では正解だったこの3部作だけど、セールス的には惨敗だった。この時期の作品は、中島みゆきで言うところの「ご乱心期」、いわば黒歴史化されており、あまり顧みられることもない。
前述した『始まりは“まごころ”だった。』の前のアルバムが、これから書く『TAMATEBAKO』なのだけど、それはまた後で触れるとして、今回書きたかったのが、その後の話。一般的なイメージの太田裕美とはまた別路線の、ダークでインダストリアルでアバンギャルドな方面の作品について。
ある程度キャリアの長いアーティストなら、毛色の違うジャンルに浮気してみたくなるのもわからないわけではないけど、彼女の場合、その振り幅がちょっと大きすぎる。まっとうな人生を送ってたら、まず巡り会うこともない人たちばかりだもの。
まず太田裕美が足を踏み外したのが、1988年のこと。あまり目立った活動を行なっていなかった当時、ジョン・ゾーンのアルバム『Spilene』に参加している。
海外アーティストからのオファーというだけで、オッと思ってしまうけど、「ところでジョン・ゾーンって誰?」というのが、ごく普通の反応。まっとうな生活を送ってたら知る機会もない、フリー・ジャズ/現代音楽界隈の人である。その筋では結構大御所だけど、まっとうな社会人の多い太田裕美ファンにとっては、まるで縁のない人である。
彼女が参加しているのは「Forbidden Fruit」という曲、モノローグというか朗読で参加している。ジョン・ゾーン自身はサックスプレイヤーであるけれど、ここでは主にコンセプト立案のみ、サウンド・コラージュ的に変な音のエフェクトを加えたりはしているけど、実際の演奏には参加していない。
ベーシック・トラックは、現代音楽寄りの弦楽四重奏団:クロノス・カルテットによるもので、それをカットアップしたりループさせたりして解体、太田裕美のモノローグが挿入されたりする。さらに、現代音楽寄りのターンテーブル・プレイヤー:クリスチャン・マークレイが、ヒップホップとはベクトルの違う、アブストラクトなスクラッチを入れまくる。
ちなみに歌詞というかテキストを書いたのは、日本のハードコア・パンクのレジェンド、フリクションのリーダー:レック。古い日活の映画『狂った果実』からインスピレーションを得て書かれた、とのこと。もう何が何だか、書いてる俺も意味が分からない。
どいつもこいつも一癖二癖あり、こじれてよじれて屈折したメンツをコーディネートしたジョン・ゾーンもすごいけど、こんな百鬼繚乱の中で、「いつも通りの太田裕美」を演じる太田裕美こそが、一番ぶっ飛んでるんじゃないかと思う。
言語で解説するのが難しい音楽なので、まずは一度聴いてみて。
ちょっとだけ遡って1987年、太田裕美は若手箏奏者:沢井一恵のアルバムに参加している。ちなみに「そう」って読むんだよ、この漢字。パッと見、琴と大差ないけど、全然別の楽器らしい。
今なら和楽器バンド、ちょっと前なら東儀秀樹など、純邦楽シーンは不定期に若手が台頭していたりする。もっと昔なら尺八とジャズ、または現代音楽とのコラボがあったりして、案外、進取の気性に富んでいたりする。
80年代は、この沢井一恵が「ニューウェイヴ邦楽」の急先鋒として、新たな路線を開拓していた。その流れでリリースされたのが『目と目』。
プロデュースを務めたのは、当時、新進気鋭の若手音楽家だった髙橋鮎生。彼が作ったシンセ主体のニュー・エイジなサウンドに載せて、ニュー・ウェイヴっぽくエフェクトされた沢井の箏演奏が奏でられている。
ビギナー向けに聴きやすくする意図はわかるのだけど、変調された箏の音色は西洋ハープのようで、ていうかハープにしか聴こえないので、差別化が充分ではない。「停滞する純邦楽シーンに一石を投じた」という意味では重要作なのだろうけど、太田裕美ファンにとっての重要作とするには、ちょっと苦しい。音源コンプしたいなら別だけどね。
ここでの太田裕美は4曲に参加、うち3曲は「みんなのうた」みたいな童謡タッチで、そんなに面白いものではない。沢井同様、「別ジャンルに進出した」こと自体が大きな意味であり、音楽的にどうのこうのってのは、あんまり意味を成さない。
で、その沢井のアルバムに参加したことが縁で、髙橋鮎生との交流が深まってゆく。親子二代に渡って現代音楽を手がける髙橋と、一体どんな経緯でウマが合うようになったのかは不明だけど、何か通じるものがあったのか、意気投合してしまう。その後は不定期にレコーディングやライブを重ね、2004年には共同名義でのフル・アルバム『Red Moon』をリリースしている。
リリース当時、日本ではこのアルバムは未発売だったのだけど、再発盤がいまは流通しており、その気になれば容易に入手は可能。さすがだぜ、アマゾン。でも、太田裕美参加のトラックだけ聴きたかったので、YouTubeに上がっていたのを聴いてみた。
―ノイズとガムランの洪水の中で、いつものテンションで「いつもの太田裕美」として、伸びやかな美声で歌い上げる太田裕美。そのミスマッチ感によって、表層的なアバンギャルド音楽より、それは過激に映る。映るのだけど、購買意欲を掻き立てられるほどではない。やっぱ無理だ、こういうの俺。
なんか調べてるうちに面白くなっちゃって、長々と書いてしまった。まっとうな社会生活を送っていたら決して巡り会うことのない、エキセントリックな面々とのコラボを続ける動機は、一体どこにあるというのか。
親に敷かれたレールに反発して、道を踏み外すご令嬢というのは、二流アイドル主演のドラマにありがちだけど、どうもそんな雰囲気とも違う。既存路線に沿ったコンサートやレコーディングは継続しているし、そこに大きな不満を抱いている様子も見えない。
これまで挙げたアバンギャルド系のセッションのどれにも共通することだけど、太田裕美自身が目に見えてアバンギャルドなわけではない。バック・トラックがどれだけぶっ飛んでいようと、彼女はいつも平常心、「赤いハイヒール」や「さらばシベリア鉄道」と同じように、アイドル性をキープしたヴォーカルで通している。
どれだけカオスやバイオレンスが蠢くサウンドをもってしても、「いつもの太田裕美」を崩すことはできない。
で、本題の『TAMATEBAKO』。やっと戻って来れた。
『Far East』『I do you Do』「TAMATEBAKO』は、ファンの間では三部作として認知されているけど、共通しているのは「歌謡フォーク路線からの脱却」という一点のみであり、実のところ、音楽性は三者三様バラバラである。
ハードAORポップへの転換を図った『Far East』、奇才:銀色夏生の言語感覚をテクノ・ポップ・サウンドで彩った『I do you Do』。そして、同じテクノ・ポップ路線を踏襲しながら、「ポップ」の大衆性を極限まで削り、結果、若手クリエイターの実験場と化しているのが、この「TAMATEBAKO』である。
前作から続いて、アレンジャー:大村雅朗・作詞:山本美紀子(のちの銀色夏生)が参加しており、さらに追い打ちをかけるようクセの強いメンツが名を連ねている。異端ばかりの80年代ニュー・ウェイヴの中でも、奇妙なポップ・センスが突出していた「くじら」杉林恭雄を始め、岡野ハジメ・ホッピー神山を擁したオルタナ・ポップ・ロック・サイバー・テクノ・ユニット(適当)PINKの面々。『I do you Do』に続き、チャクラ:板倉文も参加しており、そんな連中がソニーの豊富なバジェットを使って、やりたい放題実験し放題しまくっている。
同時代のヤズーやソフト・セルからインスパイアされたと思われるUK直輸入エレ・ポップは、元ネタのギクシャクしたビートとエフェクトにブーストがかかり、ダンス仕様ではなくなっている。そんな屈折具合も何もかも吞み込んだ、前代未聞のヒロミック・ワールドが形成されている。
のちの夫:プロデューサー福岡智彦のニュー・ウェイヴ趣味が強く反映されたサウンド、そして銀色夏生の素っ頓狂な言語感覚に喚起されて、太田裕美に遂にビッグ・バンが訪れている。流麗なメロディとハーモニーで彩られた歌謡フォークを隅に追いやり、しちめんどくさいことはヌキにした、不揃いなリズムとエフェクトとブレイクに振り回される様を、真っ先に自分が楽しんでいる。
起承転結に沿ったストーリーではなく、衝撃的な1シーンの羅列によって、フレキシブルな映像をインスパイアさせる銀色夏生の言葉は、聴き手や歌い手のハンパな解釈を拒否し、既成概念を振り回す。「考えちゃダメだ、感じるんだ」とでも言いたげに、銀色夏生のテキストは、本能に暗示をかける。
ただ、ビッグ・バンとは一回限りのものであって、連続性はない。爆発的な崩壊のあとに残るのは、虚無的なエピローグだけだ。
売り上げ的にはソニーを満足させるものではなかったけれど、太田裕美が得た達成感はかけがえのないものだった。平穏にフェードアウトしてゆくだけだったキャリアに、かすかな爪痕を残すことはできた。
ただこの『TAMATEBAKO』を作ったことによって、その後の太田裕美は制御不能のブラックホールを内に孕むことになる。前述したように、それは「いつもの太田裕美」でありながら、取り巻く環境によって不気味さを助長させる。
2019年現在、彼女はそのカオスを表に出していない。
でも、それは不意に訪れる。
オフィシャルHPの関連サイトには、伊勢正三や松本隆らと並び、「髙橋鮎生」の名が残っている。その異彩さは、太田裕美にとって、何らかの免罪符なのだろうか。
TAMATEBAKO
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1. 青い実の瞳
ストロベリー・スウィッチブレッドをパンキッシュにひねったテクノ・ポップ。ルイス・キャロル風の寓話と暗喩をたっぷり含んだ銀色夏生の言語感覚は、サウンドに捩りをかける。
―考えるな、感じるんだ。
2. ランドリー
なので、「雨の日のランドリーで 子供たちが回ってる」と歌ってたって、何ら不思議はない。ここで作られた世界観では、何だってありうる。くじら杉林が書いたシュールな歌詞とメロディは、大村雅朗の時間軸さえ揺らぎをかけ、ソリッドなファンク・ロックに仕上げている。
論理的ではない。そんな不条理が流行った80年代。誰もがとがったサウンドを指向していた。
3. 花さそう鳥目の恋人
バナナ川島によるエスニック調ダンス・ポップ。妙に堂々としたDEVOみたいなヴォーカルを取る太田裕美って、初めてじゃないかと。『Let’s Ondo Again』をもうちょっとスマートにしたお囃子も入る、一体何がしたいのか、どの辺のニーズを狙ったかわからない曲だけど、まぁ多分そんな市場リサーチなんて、まるで眼中にないことだけはわかる。
4. ささら
で、ここまでぶっ飛んだサウンド・アプローチの楽曲が続いたけど、やっと「いつもの太田裕美」ファンにもアピールする、郷愁誘うオリエンタルなバラード。銀色の歌詞なのに、気味が悪いくらいに普通っぽいのが、エキセントリックといえばエキセントリック。
5. グッバイ・グッバイ・グッバイ
再びバナナ川島によるテクノ・スカ・ポップ。大抵の曲なら穏やかにねじ伏せて歌いこなしてしまう太田裕美でさえも、ちょっとこの曲は難しかったと思われる。リズム主体になると、やはり弱点となってしまうのか。まぁ誰にだって向き不向きはある。でも、本人的にはこういうのも好きなんだろうな、というのが伝わってくる。
6. 夏へ抜ける道
PINK色の濃い、複合リズムのインパクトが強いパワー・ポップ。サウンドと銀色の言葉に触発され、ここでは太田裕美による作詞・作曲となっている。周囲に感化されたのと、センシティヴなアレンジのおかげでニュー・ウェイブ・テイストは強いけど、ベーシックなものは松本隆と筒美京平の世界観で成り立っているため、そこまで降り切れていない。でも、そこがいい。
7. よそ見してると…
「くじらとバナナのコラボレーション」って書いてみたら、これだけでなんかタイトルっぽい字面。童謡と歌謡フォークとインダストリアルとが奇跡的に同居する、奇妙な味わいのナンバー。後のジョン・ゾーンや高橋鮎生との作品とも、ある意味地続きとなっている。この曲の落とし前をつけるため、彼らとのコラボはいつか再開するのだろう。
8. チラチラ傘しょって
チャクラ板倉によるポスト・パンク風テクノ・ポップ。トムトム・クラブやDEVOなんかと地続きな、思いついたアイディアをやたらめったら詰め込んで、一応整理はするけど、結局とっ散らかった印象のまま投げ出してしまった箱庭ポップ。
その場のノリと思いつきが多くを占めたレコーディングだったのか、ヴォーカルも珍しくいろいろテイストを変えたアプローチを見せている。あんまり詳しくないけど、アニソンとしてもアリだったんじゃないかと、勝手にそう思っている。
9. ロンリィ・ピーポーⅣ
『Far East』から続く連作も、今回で最終作。ファニーなAORのⅠ、チャイナ・テイストのテクノ・ポップのⅡ・Ⅲ、そしてここでは国境も時代設定もすっ飛ばした、オリエンタルとエスニックとデカダンスとが混在したヒロミック・ワールド。「We are All Alone」というカラッとした刹那が、すべてを物語っている。
10. ねえ.その石は
ラストは正統派オリエンタル・ポップ。雄大な大河を喚起させる、坂本龍一テイストのバラード。これだけドラマティックなのに、なぜかヴォーカルはノン・リヴァーブ。どこかベタになっちゃうのを一歩手前で拒否しているかのような処理ではあるけれど、それで臆することもなく、太田裕美はたおやかに歌い上げる。
これまでの殻を破りはするけど、過去は否定しない。それもまた、自分だから、と。
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