好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

太田裕美

ここから始まる太田裕美の大暴走 - 太田裕美 『TAMATEBAKO』

folder 前回の米米もそうだけど、近年の太田裕美もまたライブ中心の活動で、オリジナル・アルバムのリリースは、とんとご無沙汰になっている。現時点での最新アルバム『始まりは“まごころ”だった。』のリリースが13年前、その後、散発的にシングルをリリースしてはいるけど、新録よりは企画・アーカイブの方が多い。
 ちなみにソニーの公式サイトのインフォメーションを見ると、「22年ぶりのオリジナル・アルバム・リリース」とある。35年で2枚か。大滝詠一並みだな。
 ソロのライブ活動と並行して、伊勢正三らとアコースティック・ユニット「なごみーず」を結成、こちらは3者のスケジュールの都合がついた時に活動している。そのどれもが大会場ではなく、市民会館クラスの小・中規模ホールが主体となっている。
 彼女のメイン・ユーザーはもっぱら50代以上が占めているので、それも納得である。スタジアム/アリーナ・クラスではスタンディングになるので、オーディエンスの体力が持たないし、またそんな音楽性じゃないし。
 ステージも客席も気楽にゆったり、他愛ないトークと時々休憩を挟みながら、定番のセット・リストでコンサートは進行する。時たま感慨にふけったり、はたまた一緒に口ずさんだりして。
 目に見える熱狂やグルーヴはないけど、ちょっぴりノスタルジックで居心地の良い空間が、そこにはある。進歩や革新性とは無縁だけど、作業効率や費用対効果に翻弄される日常を忘れる、そんな別の時間軸があったっていい。

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 歌謡界に足を踏み入れて間もない松本隆が書いた「木綿のハンカチーフ」は、情緒あふれる筒美京平のメロディとの相乗効果によって、オリコン年間4位の大ヒットを記録した。これによって「アイドルとアーティストのハイブリッド」という方向性を確立した太田裕美は、その後もソニーが作り上げたコンセプトに則り、「となりのお姉さん」的文学少女キャラで70年代を乗り切った。
 ちょっと話は逸れるけど、「太田裕美」という絶好の素材と出会ったからこそ、その後の松本隆の方向性も決まった、と言い切っちゃっても過言ではない。その後、松本隆は「松田聖子」という新たな素材とめぐり合い、太田裕美では書ききれなかった「少女→大人の女性への成長過程」にきちんとケリをつけた。
 その松田聖子の登場によってアイドルのフォーマット自体が変化し、旧世代となった太田裕美のセールスは、次第に頭打ちになってゆく。「アーティスト」と「アイドル」、両方のいいとこ取りを狙った戦略は長期戦略に則ったものだったけど、アイドル自体のテーゼが変わってしまうと、それも通用しなくなり、新たなアップデートが必要になる。
 そんなこんなで路線変更が急務となったわけだけど、そう急に思いつくものではない。ソニーやナベプロのスタッフから提示されるのは、従来路線にちょっと修正を加えた程度で、抜本的な改革とはほど遠い。
 停滞する状況に業を煮やしたのか、太田裕美は1982年、活動休止を宣言、単身NYに渡る。8ヶ月に渡る海外留学によって、歌謡フォーク以外の可能性をつかんだ彼女は、ニュー・ウェイブ路線3部作をリリースすることになる。
 「清楚な歌のお姉さん」といった従来イメージを打ち砕いた、って意味では正解だったこの3部作だけど、セールス的には惨敗だった。この時期の作品は、中島みゆきで言うところの「ご乱心期」、いわば黒歴史化されており、あまり顧みられることもない。

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 前述した『始まりは“まごころ”だった。』の前のアルバムが、これから書く『TAMATEBAKO』なのだけど、それはまた後で触れるとして、今回書きたかったのが、その後の話。一般的なイメージの太田裕美とはまた別路線の、ダークでインダストリアルでアバンギャルドな方面の作品について。
 ある程度キャリアの長いアーティストなら、毛色の違うジャンルに浮気してみたくなるのもわからないわけではないけど、彼女の場合、その振り幅がちょっと大きすぎる。まっとうな人生を送ってたら、まず巡り会うこともない人たちばかりだもの。
 まず太田裕美が足を踏み外したのが、1988年のこと。あまり目立った活動を行なっていなかった当時、ジョン・ゾーンのアルバム『Spilene』に参加している。
 海外アーティストからのオファーというだけで、オッと思ってしまうけど、「ところでジョン・ゾーンって誰?」というのが、ごく普通の反応。まっとうな生活を送ってたら知る機会もない、フリー・ジャズ/現代音楽界隈の人である。その筋では結構大御所だけど、まっとうな社会人の多い太田裕美ファンにとっては、まるで縁のない人である。
 彼女が参加しているのは「Forbidden Fruit」という曲、モノローグというか朗読で参加している。ジョン・ゾーン自身はサックスプレイヤーであるけれど、ここでは主にコンセプト立案のみ、サウンド・コラージュ的に変な音のエフェクトを加えたりはしているけど、実際の演奏には参加していない。
 ベーシック・トラックは、現代音楽寄りの弦楽四重奏団:クロノス・カルテットによるもので、それをカットアップしたりループさせたりして解体、太田裕美のモノローグが挿入されたりする。さらに、現代音楽寄りのターンテーブル・プレイヤー:クリスチャン・マークレイが、ヒップホップとはベクトルの違う、アブストラクトなスクラッチを入れまくる。
 ちなみに歌詞というかテキストを書いたのは、日本のハードコア・パンクのレジェンド、フリクションのリーダー:レック。古い日活の映画『狂った果実』からインスピレーションを得て書かれた、とのこと。もう何が何だか、書いてる俺も意味が分からない。
 どいつもこいつも一癖二癖あり、こじれてよじれて屈折したメンツをコーディネートしたジョン・ゾーンもすごいけど、こんな百鬼繚乱の中で、「いつも通りの太田裕美」を演じる太田裕美こそが、一番ぶっ飛んでるんじゃないかと思う。
 言語で解説するのが難しい音楽なので、まずは一度聴いてみて。



 ちょっとだけ遡って1987年、太田裕美は若手箏奏者:沢井一恵のアルバムに参加している。ちなみに「そう」って読むんだよ、この漢字。パッと見、琴と大差ないけど、全然別の楽器らしい。
 今なら和楽器バンド、ちょっと前なら東儀秀樹など、純邦楽シーンは不定期に若手が台頭していたりする。もっと昔なら尺八とジャズ、または現代音楽とのコラボがあったりして、案外、進取の気性に富んでいたりする。
 80年代は、この沢井一恵が「ニューウェイヴ邦楽」の急先鋒として、新たな路線を開拓していた。その流れでリリースされたのが『目と目』。
 プロデュースを務めたのは、当時、新進気鋭の若手音楽家だった髙橋鮎生。彼が作ったシンセ主体のニュー・エイジなサウンドに載せて、ニュー・ウェイヴっぽくエフェクトされた沢井の箏演奏が奏でられている。
 ビギナー向けに聴きやすくする意図はわかるのだけど、変調された箏の音色は西洋ハープのようで、ていうかハープにしか聴こえないので、差別化が充分ではない。「停滞する純邦楽シーンに一石を投じた」という意味では重要作なのだろうけど、太田裕美ファンにとっての重要作とするには、ちょっと苦しい。音源コンプしたいなら別だけどね。
 ここでの太田裕美は4曲に参加、うち3曲は「みんなのうた」みたいな童謡タッチで、そんなに面白いものではない。沢井同様、「別ジャンルに進出した」こと自体が大きな意味であり、音楽的にどうのこうのってのは、あんまり意味を成さない。
 で、その沢井のアルバムに参加したことが縁で、髙橋鮎生との交流が深まってゆく。親子二代に渡って現代音楽を手がける髙橋と、一体どんな経緯でウマが合うようになったのかは不明だけど、何か通じるものがあったのか、意気投合してしまう。その後は不定期にレコーディングやライブを重ね、2004年には共同名義でのフル・アルバム『Red Moon』をリリースしている。
 リリース当時、日本ではこのアルバムは未発売だったのだけど、再発盤がいまは流通しており、その気になれば容易に入手は可能。さすがだぜ、アマゾン。でも、太田裕美参加のトラックだけ聴きたかったので、YouTubeに上がっていたのを聴いてみた。
 ―ノイズとガムランの洪水の中で、いつものテンションで「いつもの太田裕美」として、伸びやかな美声で歌い上げる太田裕美。そのミスマッチ感によって、表層的なアバンギャルド音楽より、それは過激に映る。映るのだけど、購買意欲を掻き立てられるほどではない。やっぱ無理だ、こういうの俺。

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 なんか調べてるうちに面白くなっちゃって、長々と書いてしまった。まっとうな社会生活を送っていたら決して巡り会うことのない、エキセントリックな面々とのコラボを続ける動機は、一体どこにあるというのか。
 親に敷かれたレールに反発して、道を踏み外すご令嬢というのは、二流アイドル主演のドラマにありがちだけど、どうもそんな雰囲気とも違う。既存路線に沿ったコンサートやレコーディングは継続しているし、そこに大きな不満を抱いている様子も見えない。
 これまで挙げたアバンギャルド系のセッションのどれにも共通することだけど、太田裕美自身が目に見えてアバンギャルドなわけではない。バック・トラックがどれだけぶっ飛んでいようと、彼女はいつも平常心、「赤いハイヒール」や「さらばシベリア鉄道」と同じように、アイドル性をキープしたヴォーカルで通している。
 どれだけカオスやバイオレンスが蠢くサウンドをもってしても、「いつもの太田裕美」を崩すことはできない。

 で、本題の『TAMATEBAKO』。やっと戻って来れた。
 『Far East』『I do you Do』「TAMATEBAKO』は、ファンの間では三部作として認知されているけど、共通しているのは「歌謡フォーク路線からの脱却」という一点のみであり、実のところ、音楽性は三者三様バラバラである。
 ハードAORポップへの転換を図った『Far East』、奇才:銀色夏生の言語感覚をテクノ・ポップ・サウンドで彩った『I do you Do』。そして、同じテクノ・ポップ路線を踏襲しながら、「ポップ」の大衆性を極限まで削り、結果、若手クリエイターの実験場と化しているのが、この「TAMATEBAKO』である。
 前作から続いて、アレンジャー:大村雅朗・作詞:山本美紀子(のちの銀色夏生)が参加しており、さらに追い打ちをかけるようクセの強いメンツが名を連ねている。異端ばかりの80年代ニュー・ウェイヴの中でも、奇妙なポップ・センスが突出していた「くじら」杉林恭雄を始め、岡野ハジメ・ホッピー神山を擁したオルタナ・ポップ・ロック・サイバー・テクノ・ユニット(適当)PINKの面々。『I do you Do』に続き、チャクラ:板倉文も参加しており、そんな連中がソニーの豊富なバジェットを使って、やりたい放題実験し放題しまくっている。
 同時代のヤズーやソフト・セルからインスパイアされたと思われるUK直輸入エレ・ポップは、元ネタのギクシャクしたビートとエフェクトにブーストがかかり、ダンス仕様ではなくなっている。そんな屈折具合も何もかも吞み込んだ、前代未聞のヒロミック・ワールドが形成されている。
 のちの夫:プロデューサー福岡智彦のニュー・ウェイヴ趣味が強く反映されたサウンド、そして銀色夏生の素っ頓狂な言語感覚に喚起されて、太田裕美に遂にビッグ・バンが訪れている。流麗なメロディとハーモニーで彩られた歌謡フォークを隅に追いやり、しちめんどくさいことはヌキにした、不揃いなリズムとエフェクトとブレイクに振り回される様を、真っ先に自分が楽しんでいる。
 起承転結に沿ったストーリーではなく、衝撃的な1シーンの羅列によって、フレキシブルな映像をインスパイアさせる銀色夏生の言葉は、聴き手や歌い手のハンパな解釈を拒否し、既成概念を振り回す。「考えちゃダメだ、感じるんだ」とでも言いたげに、銀色夏生のテキストは、本能に暗示をかける。
 ただ、ビッグ・バンとは一回限りのものであって、連続性はない。爆発的な崩壊のあとに残るのは、虚無的なエピローグだけだ。
 売り上げ的にはソニーを満足させるものではなかったけれど、太田裕美が得た達成感はかけがえのないものだった。平穏にフェードアウトしてゆくだけだったキャリアに、かすかな爪痕を残すことはできた。

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 ただこの『TAMATEBAKO』を作ったことによって、その後の太田裕美は制御不能のブラックホールを内に孕むことになる。前述したように、それは「いつもの太田裕美」でありながら、取り巻く環境によって不気味さを助長させる。
 2019年現在、彼女はそのカオスを表に出していない。
 でも、それは不意に訪れる。
 オフィシャルHPの関連サイトには、伊勢正三や松本隆らと並び、「髙橋鮎生」の名が残っている。その異彩さは、太田裕美にとって、何らかの免罪符なのだろうか。


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1. 青い実の瞳
 ストロベリー・スウィッチブレッドをパンキッシュにひねったテクノ・ポップ。ルイス・キャロル風の寓話と暗喩をたっぷり含んだ銀色夏生の言語感覚は、サウンドに捩りをかける。
 ―考えるな、感じるんだ。

2. ランドリー
 なので、「雨の日のランドリーで 子供たちが回ってる」と歌ってたって、何ら不思議はない。ここで作られた世界観では、何だってありうる。くじら杉林が書いたシュールな歌詞とメロディは、大村雅朗の時間軸さえ揺らぎをかけ、ソリッドなファンク・ロックに仕上げている。
 論理的ではない。そんな不条理が流行った80年代。誰もがとがったサウンドを指向していた。

3. 花さそう鳥目の恋人
 バナナ川島によるエスニック調ダンス・ポップ。妙に堂々としたDEVOみたいなヴォーカルを取る太田裕美って、初めてじゃないかと。『Let’s Ondo Again』をもうちょっとスマートにしたお囃子も入る、一体何がしたいのか、どの辺のニーズを狙ったかわからない曲だけど、まぁ多分そんな市場リサーチなんて、まるで眼中にないことだけはわかる。



4. ささら
 で、ここまでぶっ飛んだサウンド・アプローチの楽曲が続いたけど、やっと「いつもの太田裕美」ファンにもアピールする、郷愁誘うオリエンタルなバラード。銀色の歌詞なのに、気味が悪いくらいに普通っぽいのが、エキセントリックといえばエキセントリック。

5. グッバイ・グッバイ・グッバイ
 再びバナナ川島によるテクノ・スカ・ポップ。大抵の曲なら穏やかにねじ伏せて歌いこなしてしまう太田裕美でさえも、ちょっとこの曲は難しかったと思われる。リズム主体になると、やはり弱点となってしまうのか。まぁ誰にだって向き不向きはある。でも、本人的にはこういうのも好きなんだろうな、というのが伝わってくる。

6. 夏へ抜ける道
 PINK色の濃い、複合リズムのインパクトが強いパワー・ポップ。サウンドと銀色の言葉に触発され、ここでは太田裕美による作詞・作曲となっている。周囲に感化されたのと、センシティヴなアレンジのおかげでニュー・ウェイブ・テイストは強いけど、ベーシックなものは松本隆と筒美京平の世界観で成り立っているため、そこまで降り切れていない。でも、そこがいい。

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7. よそ見してると…
 「くじらとバナナのコラボレーション」って書いてみたら、これだけでなんかタイトルっぽい字面。童謡と歌謡フォークとインダストリアルとが奇跡的に同居する、奇妙な味わいのナンバー。後のジョン・ゾーンや高橋鮎生との作品とも、ある意味地続きとなっている。この曲の落とし前をつけるため、彼らとのコラボはいつか再開するのだろう。

8. チラチラ傘しょって
 チャクラ板倉によるポスト・パンク風テクノ・ポップ。トムトム・クラブやDEVOなんかと地続きな、思いついたアイディアをやたらめったら詰め込んで、一応整理はするけど、結局とっ散らかった印象のまま投げ出してしまった箱庭ポップ。
 その場のノリと思いつきが多くを占めたレコーディングだったのか、ヴォーカルも珍しくいろいろテイストを変えたアプローチを見せている。あんまり詳しくないけど、アニソンとしてもアリだったんじゃないかと、勝手にそう思っている。

9. ロンリィ・ピーポーⅣ
 『Far East』から続く連作も、今回で最終作。ファニーなAORのⅠ、チャイナ・テイストのテクノ・ポップのⅡ・Ⅲ、そしてここでは国境も時代設定もすっ飛ばした、オリエンタルとエスニックとデカダンスとが混在したヒロミック・ワールド。「We are All Alone」というカラッとした刹那が、すべてを物語っている。



10. ねえ.その石は
 ラストは正統派オリエンタル・ポップ。雄大な大河を喚起させる、坂本龍一テイストのバラード。これだけドラマティックなのに、なぜかヴォーカルはノン・リヴァーブ。どこかベタになっちゃうのを一歩手前で拒否しているかのような処理ではあるけれど、それで臆することもなく、太田裕美はたおやかに歌い上げる。
 これまでの殻を破りはするけど、過去は否定しない。それもまた、自分だから、と。



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80年代ソニー・アーティスト列伝 その12 - 太田裕美 『I do, You do』

idoyoudo 80年代のソニー・グループといえば、レベッカやハウンド・ドッグ、尾崎豊からTMネットワークに至るまで、来たるバンド・ブーム前夜の日本のロック/ポップス・シーンを一手に引き受けていたイメージが強いけど、70年代は女性アイドルがメインのレコード会社だった。
 総合レコード・メーカーとしては最後発だった、CBSソニーの70年代所属アーティストのラインナップを見てみると、ロック/ニューミュージックの看板アーティストと言えるのは、吉田拓郎や矢沢永吉くらい。いずれも他社から移籍してきた者ばかりで、生え抜きアーティストの存在感はわずかなものだった。
 五輪真弓は「恋人よ」がヒットするまでは通好みのポジションだったし、ふきのとうは、さらに限られたフォーク村での人気にとどまっていた。試行錯誤の途中にあった浜田省吾がブレイクするのは80年代に入ってからだし、シティ・ポップの先駆けだった南佳孝は、もともと大衆的ヒットとは無縁の音楽性だった。

 70年代のCBSソニーを支えていたのは、彼らアーティストではなく、もっと芸能寄りの女性アイドルたちだった。同じ70年代ラインナップを見ると、キラ星のようなメンツが並んでいる。
 創業時は浅田美代子や天地真理に始まり、その後も南沙織やキャンディーズ、山口百恵など、それぞれ一時代を築き上げた旬のアイドルたちが、切れ目なく輩出されている。年を追うに従って、アイドル育成のノウハウが蓄積され、他社とはひと味違ったコンセプト、例えば雑誌グラビアやジャケット撮影ひとつにおいても、アイドル定番の貼り付けたような営業スマイルではなく、篠山紀信によるアーティスティックな写真を起用するなど、従来のセオリーをはずすことで、他社との差別化を図っていた。80年代から始まったとされるソニーのビジュアル戦略は、実は早い段階から試行されていた。
 フォーク/ニューミュージック系のアーティストは、すでに他社の青田買いによって、有望な新人には大抵手がつけられていた。新参者だったソニーが他社との優位性を図るには、育成期間もそれほどかからず、メディア露出によって即効果の出やすいアイドル系に力を入れざるを得なかった、といった事情もある。

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 もともとナベプロ主宰のスクールメイツで、後にキャンディーズとしてデビューする面々と同期だった太田裕美は、ソニー通常の育成ラインに沿えば、オーソドックスなアイドルとしてデビューするはずだった。だったのだけど、ナベプロ的にはキャンディーズをプッシュして行きたい、という意向もあって、また、初期のディレクター白川隆三が主に洋楽を手がけていたこともあって、シンガー・ソングライターとアイドル、そのハイブリッド・スタイルでのデビューとなった。
 その白川のインタビューによると、ちょうど小坂明子が「あなた」で鮮烈なデビューを飾っていたことから、「ピアノによる弾き語り女性シンガー」という世間の新たなニーズに応えた、とのこと。ちょうど近くにいた太田裕美がピアノが弾けたから、という偶然の出逢いは、単なる偶然というより時代の要請でもあった。
 アイドルで通用するルックスを持ち、しかも自作自演もできるとなれば、まだどこも手をつけていない分野だった。戦略的に言って、その選択は的を射ていた。

 そんな隙間を狙った戦略が実を結んだのが、代表曲の「木綿のハンカチーフ」で、その後も基本は松本隆と白川によるアーティスト戦略に沿って、スマッシュ・ヒットを重ねていった。
 この分野においては、竹内まりやが出てくるまで、彼女の独壇場だった。アーティストとアイドル、両面バランス良く対処できる女性歌手は、なかなか現れなかったのだ。
 ただ、そのバランス感覚は、のちのち仇となる。悪く言っちゃえば、どっちつかずの状態ゆえ大きな爆発力を生むことはなく、ポジション的には終始、トップグループの2番手か3番手という位置にあった。
 たまにバラエティに出たりはするけど、イメージ戦略の都合上、当時のアイドルの定番であるグラビアやコント出演は、極力抑えられた。アーティストというポジションでは、「隣りのお姉さん」的な親しみやすさは薄かったため、当時の青少年から見れば敷居が高すぎ、妄想を掻き立てずらかった。
 とはいえ、「アーティスト」と名乗っているわりには、ほとんどの楽曲は外部委託、アルバムでも自作曲はほんの1〜2曲といった具合だった。今でこそ、「アーティストは作詞作曲ができてこそ一人前」という空気でもなくなったけど、ニューミュージック全盛時は、最低でも作詞は自分で行なうのが当たり前とされ、単に歌うだけなのは、歌謡曲の人間とカテゴライズされていた。
 そんなわけで、当時の太田のポジションは、「自称アーティストを名乗るアイドル」といった具合である。双方のおいしいとこ取りを狙ったにもかかわらず、どっちのカテゴリでも着地点が見出せなかったのは、時代を先取りしすぎた不幸でもある。
 アイドルの解釈の多様性が広がって、森高千里が登場できるようになるまでには、もう少し待たなければならなかった。

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 今も昔も変わらないけど、女性アイドルの賞味期限はとても短い。どれだけトップグループを維持しようと、歳を取ればバトンタッチしなければならない。代わりの新人はいくらでも出てくるし、そりゃ新しい方が鮮度も違ってくるので、次第にかわい子ちゃん路線は通用しなくなる。
 個人差はあるけど、一般的にその賞味期限は3〜5年、それを過ぎると、路線変更を余儀なくされる。そりゃやってる方だって、いくつになってもミニスカ・ドレスやビキニ・スタイルで営業スマイルばっかりだと、ウンザリしてくるだろうし。
 大抵は芸能界引退、ごく少数は女優へ転身する者もいたけど、トップグループ組で最も多かったのが、大人の歌手への転向だった。処女性を前面に出したマスコット的存在から、もう少し年齢に即した「大人びた恋愛」をテーマにすることによって、コンテンポラリーな歌謡曲へとスライドしていくのが、セオリーとされていた。

 で、デビュー以来の松本隆-筒美京平コンビによる青春路線から、イメージ・チェンジを試みていた太田裕美が巡り合ったのが、大滝詠一だった。
 まだロンバケのヒット前だった彼から「さらばシベリア鉄道」を譲り受け、それが小ヒットにつながった。アイドル的には賞味期限が切れ、アーティストとしては迷走中、セールスも低迷していた彼女にとって、それは大きな転機となった。
 歌詞を書いたのは松本隆だったけど、シンガー大滝詠一を想定して書かれた言葉は力強く、アイドル的な世界観とは一線を画していた。
 続いて松本-大滝コンビによって制作された「恋のハーフ・ムーン」は、太田裕美のイメージを保ちつつ、彼の特性であるオールディーズ風味を交えた、キャッチーなポップ・チューンだった。こちらも大きなヒットにはならなかったけど、おおむね評判は良く、アーティスティック路線へのスムーズな移行は、これで問題ないはずだった。
 実際、それはうまく行きかけていたのだけど。

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 1982年、太田裕美は活動休止を宣言し、単身ニューヨークへと留学してしまう。徐々に仕事はフェード・アウトしていたのだろうけど、ファンや世間からすれば、それは突然のできごとだった。年齢的にアイドル仕事は無くなっていたので、旧来の清純派イメージを保持したまま、アーティスト活動へシフトして行くのが、自然な流れのはずだったのだけど。
 帰国後にリリースされた復帰第一弾『Far East』は、レコードA面をニューヨーク・サイド、B面を日本サイドに分けて制作された。ニューヨーク在住のソングライター・コンビによる、コンテンポラリー寄りのロック・サウンドは、従来の歌謡フォーク的なウェット感を一掃した。
 また日本サイドでは、まだ知る人ぞ知る存在だったテクノ・ポップ・バンド「チャクラ」のリーダー板倉文を大々的に起用、まだお茶の間には浸透していなかったニューウェイヴ・テイストの楽曲は、古参ファンの度肝を抜いた。
 とはいえ、従来イメージの面影を残すかのように、従来の歌謡フォーク的楽曲も収録されていたため、大きな混乱には至らなかった。少なくとも『Far East』では、アーティスト路線へのソフト・ランディングは成功したように思われた。
 問題はその次だ。
 ここから太田裕美は覚醒する。

 わずか半年のインターバルでリリースされた『I do, You do あなたらしく、わたしらしく』は、前作の日本サイドで展開されたテクノ・ポップ・サウンドがフル稼動している。『Far East』はいわば、試運転と世間の動向をリサーチするためのアルバムであり、ほんとにやりたかったのは、こういったサウンドだったのだ。
 当時、聖子プロジェクトで頭角を現し、ライト・ポップなシンセ使いとして脂の乗っていた大村雅朗が全面参加、ここではラテンやレゲエなど、多彩なリズム・アプローチを駆使しつつ、最新MIDI機材のスペックを最大限まで引き出したテクノ・サウンドで遊びまくっている。
 「しっとり落ち着いた大人の歌手」然としていた大滝作品とは一転して、これまで築き上げたキャリアをチャラにしてしまった、一周回って大人可愛いアイドル唱法は、オモチャ箱をひっくり返したようにとっ散らかったサウンドとマッチしている。いわば、のちのガールズ・ポップの原点と言える。
 徹底的にフィクショナブルな空間構築のため、重要なファクターとなったのが、初めて起用された作詞家山本みき子が持ち込んだ世界観だった。書き出してみると、捉えどころのない無意味なフレーズの羅列だけど、死角から突拍子もなく飛び込んでくるその言葉たちは、発語の快感に基づいた言語感覚に紐付けされ、未曽有のイマジネーションを喚起させる。のちに作家に転身して「銀色夏生」と名乗ることになる山本の、どこから飛んでくるかわからない千本ノックのような言葉の礫は、作曲家太田裕美の能力を覚醒させる。
 『Far East』同様、『I do, You do』でも、従来ファン取り込みのための印象派バラードも収録されているのだけど、それはもはや付け足しでしかない。太田-銀色によるコラボが残した最高傑作「満月の夜 君んちへ行ったよ」の前では、無難なバラードは霞んでしまう。
 強烈な無意味、強力なオリジナリティは、いま聴いてもインパクト十分。何かよくわかんないけど、聴いてて楽しい。踊りたくなってくる。
 これだけで、もう成功だ。

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 「大人になる」とは「丸くなる」こと、「フォーマルを装う」というのは、今も昔もあんまり変わらない。「成長する」ということは、「窮屈さを甘んじて受け入れる」ことと、ある意味では同義である。
 でも、単に世間に流されて、上記の感じで大人になっても、いいことなんて何もない。どうせ大人になるのなら、違う道だってあるはずだし、それならそれで自分で選びたい。
 そんな風に思ったか思わなかったか、とにかく世間の思惑の斜め上を行った彼女のイメチェンは、かすかではあるけれど、確実に衝撃を残した。現役アイドルも霞んでしまう、ファニーでポップな甘いヴォーカルは、それまでかしこまっていた太田裕美像のアンチテーゼとして、また無理にフォーマルに収まろうとする大人の歌手への痛烈な批評となった。

 その後も太田裕美の覚醒は治まらず、『I do, You do』で手応えをつかんだテクノ・ポップ路線をさらに深化、ご乱心時代の総決算となる快作『Tamatebako』 をリリースする。ただ残念なことに、イメージ・チェンジに着いていけなかった従来ファンは離れたことによって、セールスは低迷する。
 シンセ機材のスペックを丁寧にアップデートすれば、今の時代にも通用する極上のポップ・アルバムなのだけど、主力ユーザーになるはずの「TECHII」や「POP IND'S」読者が彼女の動向をつかんでいなかったこと、また、本来なら買い支えるはずの従来ファンが離れてしまったことが、彼女にとっての不幸だった。
 考えてみれば、中島みゆきの「ご乱心」だって相当なものだったけど、ファン離れはそれほど起きず、熱心に買い支えていたのだ。そう考えると、薄情なもんだよな太田裕美ファンって。
 この路線が志半ばで終わってしまったのか、それとも十分やり切った結果なのかはわかりかねるけど、イメージ定着にはもう1、2作は続けて欲しかった、とは今になって思う。もうちょっと続けていれば、「TECHII」読者も気づいてくれただろうし、「PATi PATi」創刊にも滑り込めて、ビジュアル展開が面白かったんじゃないかと。



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1. 満月の夜 君んちへ行ったよ
 チョッパー・ベースとシモンズによるベーシック・リズムをバックに、エスニック・ドラムによる怪しげなムードを醸し出しながら、銀色によるシュール・ネタのような無意味性の凝縮は、太田裕美のヴォーカルすら別世界へ導く。

 満月の夜 君んちへ行ったよ
 満月の夜 君んちへ行ったよ
 なのに 君んちは 丸い丸い月の中に
 君んちは ぷかりぷかり 浮いてしまってて

 清純派アイドルが書いた、アルバム用の自作詞よりもぶっ飛んだ言葉たちは、メロディやアレンジの可能性を開放する。ほぼタイトル連呼のサビとAメロだけで構成されたメロディを包むアレンジには、Human LeagueやOMDらUKダンス/ニューウェイヴの影響が色濃く反映されている。
 自身で書いたメロディだから、いわば当たり前ではあるけど、注目すべきなのは歌のうまさ。単なるピッチの合わせだけじゃなく、リズム・パートとメロディ・パートでの歌い分けは、やはりベテランならではの表現力の豊かさ。



2. 葉桜のハイウェイ
 チャクラ板倉によるミディアム・ポップ。タイトルからしてメロディからして、従来タイプの楽曲だけど、ほぼDX7によるシーケンス・リズムやテクノポップ風エフェクトは、やっぱりソニーだけあってレベルが高い仕上がり。
 やっぱり注目してしまうのは、銀色による、日本のロック/ポップスでは、まず使われることがなかった、独特の言語感覚。「早く帰って お風呂に入ろう」「今日も世界は みかん晴れ」なんて、普通思いつかないよな。皮膚感覚に基づいた言葉を書く女性アーティストの出現は、ドリカム吉田美和まで待たなければならない。あ、そういえば彼女もソニーか。
 その銀色の言葉を自分の言葉として吸収し、こんな大人カワイイ楽曲として歌いこなしてしまう太田裕美の底力といったらもう。ヴォーカル録りしててテンションが上がったのか、アイドル顔負けのフェイクも入れている。

3. お墓通りあたり
 いきなり木魚の音からスタート。そこから導かれるように、オリエンタルなピアノの調べ。なんだこれ。チャイナ風メロディから紡ぎだされる、印象的なフレーズ。
 「たばこ屋はいつも 角にあるね」「三叉路はいつも 風が来るね」。思わせぶりでいて実は無意味な空間はシュールで、どことなくつげ義春の世界を思わせる。

 そんな風に 誰かときっと すれ違ってしまうんだね

 突然、こんなフレーズを滑り込ませちゃうのだから、油断がならない。アレンジと言葉、そして歌とが絶妙のバランスで拮抗している。



4. ガラスの週末
 普通に80年代アイドルに提供できそうな、完成度の高いポップ・ソング。完成度が高いというのは「うまくまとまっている」ということで、冒頭3曲のインパクトと比べると、ちょっと霞んでしまう。でも考えてみれば、このくらいテクノ度を薄めてやった方が、一般性はあったのかな。このままバックトラック使い回して南野陽子が歌っても、違和感なさそうだし。
 あ、彼女もソニーか、そういえば。

5. こ・こ・に・い・る・よ
 複雑な変拍子と転調が交互にやって来る、大陸的な雄大さを思わせる正攻法のバラード。ニューミュージック時代とは違って一皮むけた、品格の高さを思わせる。でもね、これだけ録音レベルが低く、こもったような音がクオリティを損なっているのだけど、これって俺のCDだけ?

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6. 移り気なマイ・ボーイ
 コケティッシュな大人の女性じゃないと歌いこなせない、一周回ってアイドルを演じてみました的な、はじけたアイドル・ポップ。キョンキョンより早かったんだな、批評性を感じさせるアイドル・ソングって。ファズ・ギターをフィーチャーしたバンド・サウンドと、チャイナ・テイストのエフェクト。確かにキョンキョンが歌ってても違和感ないよな。
 キョンキョンはビクターだった。ちょっと惜しい。じゃあ渡辺美奈代だな。

7. パスしな!
 シンセ奏者として全面参加している川島裕二作曲による、レゲエ風味のテクノ・ポップ。ダブっぽいリズムとコンプをかけたヴォーカル、ラテンっぽいエフェクトは南国テイスト満載。
 アイドル・テイスト全開のファニー・ヴォイスで歌われるのは、シュールでキュートで実は無意味で刹那的な銀色ワールド。意味なんてあるもんか、ノリがイイからそれでいいでしょ。

8. ロンリィ・ピーポーIII
 名前だけは聞いたことがあった、シンガー・ソングライター下田逸郎による、大人の恋愛模様を描いたトレンディな空間。前作『Far East』からの連作で、アイドルを卒業した女性シンガーにはぴったりの世界観だけど、銀色夏生のシュールリアリスティックな文体と比べると、あまりにオーソドックスで分が悪い。
 歌詞の平凡さとは対照的に、板倉アレンジによるサウンドは凝りに凝りまくっている。琴の音色をエフェクト的に使ったオリエンタル・サウンドは、東洋音階に凝っていたと思われる太田のメロディ・ラインとの相性も良い。アウトロはちょっとカオスだけど。

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9. ロンリィ・ピーポーII
 なぜかIIIの後のII。8.のプロローグ的なモノかと思ったけど、歌詞には特別関連性はなさそう。多分、あんまり深い意味はないんだろうな。「福生ストラット」みたいなもんか。
 シングルとしても発売されており、多少はそれ向けにかしこまったのか、作曲は岡本一生・亀井登志夫の歌謡曲畑によるもの。なので、8.ほどの破壊力は薄い。

10. 33回転のパーティー
 ラストは正攻法。アーティストとしての顔を強く押し出してきたけど、アイドルとして活動してきたことは、誇らしい過去でもある。大人のアイドルとして何を歌って行くのか、その理想形のひとつが、この珠玉バラード。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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