ここ日本ではエキセントリックすぎて、メジャーにはなれなかったクラウディ・スカイ解散後、ソロ・デビュー前の大沢は、もっぱら職業作家として活動していた。当時の彼はナベプロに所属していたため、同じ事務所であるアン・ルイスや沢田研二、吉川晃司や山下久美子からの作曲依頼が多かった。
この時点では、まだソニーとのアーティスト契約前であり、ソングライターとしてもナベプロ専属というわけではなかった。なので、言っちゃえば試用期間、いつ切られるかわからない中途半端な立場である。
ここで何らかの実績、手っ取り早く言えばシングル・ヒットを出さなければ、単なるお抱え作曲家で終わってしまう可能性もあった。なので大沢、ナベプロからのオファーだけでなく、所属事務所・レコード会社の垣根を超えて、ジャンルを問わずやたらめったら、あらゆるオファーを受けている。ビートたけしにも書いてたんだな。
ジュリーのシングルで「おまえにチェックイン」「晴れのちBLUE BOY」が採用されたのを取っ掛かりに、各方面へデモ・テープを送りまくり、楽曲コンペに参戦したりして、徐々に実績を積み上げてゆく。そんな地道な努力が実って大ヒットとなったのが、中森明菜「1/2の神話」。「少女A」の後だったから、相当の激戦だったと思われる。
松田聖子を頂点とする、いわゆる「可愛い子ちゃんアイドル」のアンチテーゼとして、山口百恵に続く「ちょっと影のある大人びた少女」を踏襲したのが、明菜だった。「少女A」に続く、ファズ・ギターをメインとしたハードな曲調は、混戦状態だった82年組女性アイドルの中で、強烈なインパクトを残した。
打率も高いし従来の歌謡曲っぽくない、それでいてクライアントのオーダーから大きく逸脱しない大沢の楽曲は、業界内でも評判を呼び、さらにオファーが途切れず続くことになる。で、並行して制作していた自身のデモ・テープがエピックの目に留まり、めでたくソロ・デビューに至った、という次第。
70年代歌謡界では絶対王者だった筒美京平の勢いは、80年代に入ってからも衰えていなかったけど、その王道からちょっとズレたところを狙う新勢力が現れたのが、80年代である。既存の歌謡曲の定石に収まらない、フォーク/ニューミュージック界からの人材流入は、この辺りから本格的に始まっている。
それ以前にも、アイドルからの脱皮を図っていた山口百恵が、谷村新司やさだまさしなど、すでに実績のあるアーティストを起用していた例もあった。ただ、実績の少ない成長株、言っちゃえばどこの馬の骨とも知れない新人を起用する例は、70年代は少なかった。
そんな中、楽曲のクオリティ優先でネーム・バリューにこだわらず、独自の審美眼で若手アーティストを登用していたのが、ソロ・デビュー後のジュリーである。まだCMソングでしか実績のなかった大滝詠一を始めとして、その後も伊藤銀次や佐野元春、そして大沢など、「ジュリーに曲を書いた」というバックボーンでもって頭角を現わしてきた者は数多い。
新人アーティストの登竜門として、歌謡界への楽曲提供が多くなってきたのが、80年代であり、そのメソッドは80年代ソニー隆盛の伏線となる。
で、大沢、80年代という時節柄、ニューウェイヴ・テイストのパンク/ロックをイメージとしたオファーが多かった。デビュー以降も、ソウル/ファンクの影響が色濃いサウンドを前面に押し出していたため、リズムやビート感を強調したアレンジの楽曲が多い。なので、実は彼の特性のひとつである、メロディ・ラインの卓越さは見過ごされがちである。
例を挙げると、ファンから名曲との誉れ高いビートたけしに書いた「BIGな気分で唄わせろ」。導入部が情緒的なバラード、そこからBruce Springsteenを想わせる疾走感あふれるロックに転換する構造は、片手間でできるものではない。本職のシンガーではないたけしに合わせて、声域やピッチも狭く設定し、歌いやすいメロデイになっている。それでいてカッコいい仕上がりなんだよな。
ファンクやR&Bの文脈だけで捉えられがちな80年代の大沢だけど、学生時代からプロになる前までの膨大な音楽体験、Dylan からOtis Redding に至る、ジャンルレスな幅広い雑食性が、彼のバイタリティーあふれるメロディの源泉となっている。
豊潤な音楽体験のバックボーンを持つ大沢のメロディは、時に破壊的になるほどテンションが高く、そして時に、ロマンティックな旋律を奏でる。
いくら天性のひらめきがあろうとも、長年培った蓄積には敵わない。思いつきのメロディは、時に強い求心力を生むこともあるけど、同じレベルを続けて作れるわけではない。コンスタントに高レベルの作品を作り続けるためには、膨大な音楽体験に基づく学習が必要なのだ。
-「万人向け」のヒット曲という制約の中、時々顔を見せる「暴力性とアバンギャルド」。
大沢が単なるヒットメイカーで終わらなかったのは、彼のそんな両極性が拮抗しながら共存していたからである。
当時のナベプロは吉川晃司イチオシで、大沢はほぼ野放し状態だった。なので、予算も大してかけられず、プロモーションもささやかなものだった。
3枚目のアルバム『Confusion』レコーディングで、ニューヨークのスタジオでの作業中、「吉川に投資しちゃって予算ないから、その辺でレコーディング切り上げて帰ってこい」という事務所からの指示があった。とはいえ作業も大詰めに入っていたし、それに加えて鼻っ柱の強い性分も手伝って、大沢は自分のディールを削って作業続行した、というエピソードがある。ひでぇ扱いだよな、これって。
当時の吉川といえば、デビューにあたってナベプロが社運を賭けて主演映画制作、しかも3部作という力の入れよう。かたや当時の大沢といえば、まだセールス実績もない自由契約選手的な扱い。立場が違いすぎて、妬むこともできないわな、こりゃ。
「何やってんだかわかんない奴」キャラとして、ナベプロ内でレッテル張りされていた大沢だったけど、その『Confusion』収録の「そして僕は途方に暮れる」がカップヌードルのCMソングに採用され、ソロでは初のヒットを記録する。当初は鈴木ヒロミツのオファーを受けて書いたけど、長い間陽の目を見ず、その後もあらゆるシンガーにタライ回しにされ、それでも世に出ることがなかったため、「エェイじゃ俺が歌うわ」的ないきさつでレコーディングされた、考えてみると何かと曰く付きの楽曲である。
強烈な映像イメージと紐づけされる、シンプルに配置された言葉たち。その行間に込められた、感情の微細な揺れとのコントラストを刹那的に定着させた先駆者と言えるのが、歌詞を書いた銀色夏生。ランダムに配置された散文的なキャッチフレーズは、起承転結を軸とした従来のストーリー展開ではないため、構文的には破綻している。
数は少ないけれど歌詞も手掛ける大沢だと、多様な解釈を孕んだその世界観に理解はあっただろうけど、すでに自分なりのメソッドを確立した専業シンガーにとって、シュールな銀色の歌詞は、自身の解釈を挟み込む余地が少ないため、抵抗があったんじゃないかと想像する。
「ちょっと変わっててイイね」と思ってもらえるんならまだしも、「なに言ってんだかワカンねぇ」と拒絶するシンガーもいただろうし。
鈴木ヒロミツなら言いそうだよな。
で、『Life』。
シングル・ヒットを出したことによって、音楽的にもナベプロ内的にもポジションを確立した大沢だけど、そうなったらなったで、ナベプロが敷いたレールから外れたくなるのが、この人の特性である。普通なら、そのままポジション・キープのため、同路線を推し進めるところだけど、そっちの道は選ばなかった大沢。二番煎じの無限ループという「守り」ではなく、「ヒットしたんだから、もう好きにやってもいいでしょ」と言い放って、別のアプローチへ進む道を選んだ。でも兄さん、これまでだって好き放題・やりたい放題やっとるがな。
「急激に増えたファンの篩い落としを行なった」とコメントしているように、『Life』では、歌謡曲テイストのキャッチーなメロディは封印されている。正直、どの曲にも口ずさみやすそうなフレーズはない。
『Life』のベーシック・トラックは、「汗臭くないロック」として定評のあったニューウェイヴ・バンド「ピンク」のメンバーを中心に、倉庫を改造したスタジオを使用、ライブ形式で録音された。そのマテリアルを素材として、さらにスタジオであれこれ加工する、手の込んだ方式で製作されているため、これまでのアルバムに比べると、バンド・アンサンブルを重視したサウンドになっている。これまでシーケンス中心だったリズム・トラックは生演奏にシフトされ、手練れのプレイヤーによるジャストなリズムに加え、セッションから誘発されたグルーヴ感が詰め込まれている。
大まかな流れだけ決めといて、バンド・マジックによるサプライズを引き出したセッションと、MIDI機材を駆使してデスクトップ上で行なわれるDTMレコーディングは、相反するものと思われがちだけど、突き詰めて行くと、本質は同じものだ。
レコーディング中のコンポーザーの脳内では、無数のヴァーチャル・セッションが行なわれ、そこからさらに収受選択と順列組み合わせがフル回転する。まだおぼろげなイメージをオペレーターに伝え、音やリズム・パターンを作ってもらう。時には自ら機材を操り、試行錯誤しながら理想の音を探し出す。理想の音とはちょっと違うけど、偶然できたマテリアルから、新たなインスピレーションが生まれることだってある。予想の範囲外から生まれた着想は、新たなアイディアとして、さらに広がりを見せる。
理想のサウンドを構築するためのツールとして捉えると、人力によるバンド・アンサンブルも、モニター上でプログラムされる打ち込みサウンドも、プロセスは違うけれど、着地点は同じである。
その2つのメソッドのハイブリッドが、『Life』という作品として結実している。
大沢誉志幸
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1. I'm not living (But) I'm not dying
イントロのキッチュな音色のキーボードはホッピー神山。この頃から「変な音」担当として、存在感を出しており、同じく「変なサウンド」探究者である大沢とはウマが合ったことを象徴している。
基本サウンドはこれまで培ったデジタルファンクを生のグルーヴに移植した形だけど、これがまたうまくハマっている。ホーンも入れたライブ録音主体のトラックは、もはや日本のファンを視野に入れておらず、海外でも通用する演奏クオリティとして成立している。
このアルバムから銀色とのコラボは解消しているのだけど、確かにここまでダイレクトにリズム主体になると、あのシュール性は合わないわな。
2. Planet love
シンセに川島裕二が参加。この辺は前回レビューした太田裕美とメンツがかぶっている。デジタル系は当時、ピンク周辺のミュージシャンが一手に引き受けていた。マリンバっぽいDX7の音色が郷愁を誘う。45歳以上にはリアルに響く、まったりしたシンセの旋律。
大沢の一面であるメロディアスな特性がうまく発揮された、ミディアム・スロウを引き立てているのは、サックスの矢口博康。この人の音色はデジタルとも相性が良くて、引っ張りだこだったことを思い出す。
3. Blue-Break-Blue
オーソドックスなピアノ・バラードにアクセントをつけているのは、エスニック・テイストを醸し出すポリリズミックなシーケンス・ドラム。大沢自身による内省的な歌詞は、銀色のような映像的イマジネーションこそ薄いけど、ライブ感覚に即したパッションを込めやすい言葉選びとなっている。
4. ジェランディア (願望国)
これまでになかったソフト・タッチ、ていうか穏やかなポップ・テイストでまとめられた、隠れた人気曲。軽やかなスカ・ビートを軸に、ハープシコードやオルガン、さらには子供のコーラスまで入れてしまうという、ある意味、これまでの大沢ファンの予想を最も裏切った、とんでもない斜め上のナンバー。
ねじれたストリングス・アレンジを展開する中西俊博との手合わせは、いい意味での他流試合。2人とも真剣に、そして楽しみながらのセッション。
5. 雨のecho
で、これなんかは従来のファンへのサービス的な、最も当時のパブリック・イメージに近いファンク・ナンバー。
1人じゃ寂しすぎる 2人じゃ傷つきすぎる
変わらないこの部屋に 雨音が響いている
前のめりのヴォーカルに引っ張られる鉄壁のリズム・セクション、そこに絡む矢口のサックス・ソロ。元倉庫という広めのスタジオを使用した効果もあって、ドラムの音も奥行きと深みがあり、この時期の録音としては高クオリティ。シモンズのペラペラ・ビートも、あれはあれでいいんだけど、こういった大人数セッションには合わない。
6. ガラスの部屋
ギター弾き語りをベースとした、直球バラード。ただ一筋縄では行かないのが、ブロウしまくる矢口サックス。切々と語るバラードの世界を打ち破る豪快な音色は、サザンの「メロディ」でも発揮された。そういえば時期的にも近い。
7. クロール
レコード版は6曲入りのミニ・アルバム編成となっており、ここから2曲はCDのみ収録のボーナス・トラック扱いだった。でも俺はCDプレーヤー持ってたし、三ツ矢サイダーのCMとしてテレビでも流れていたので、よく耳にした覚えはある。
夏を想起させる涼しげなシンセの響きは、やっぱりシングルを意識してたんだろうな。ただ大沢のハスキーな声は、あんまり夏向きじゃない。心なしか爽やかさとは別のベクトルを指向してるみたいだし。
このアルバムでは唯一、銀色夏生による作詞。百人百様の解釈と比喩を含んだ「クロール」。肉体性と理性とが交差するイマジネーション、意味と無意味のシャッフルは、シンガーを困惑させる。大沢=銀色コラボレーションの終焉を決定づけた楽曲でもある。
8. Time passes slowly
ラストはボーナス・トラックらしく、趣味性の強い洋楽カバーで。そんな風に思ってたのか、意表を突いたBob Dylanのカバー。いくらなんでも裏の裏をかき過ぎてる。原曲は『New Morning』という、これまたDylanの中でも地味なアルバムからの選曲。よくこんな選曲、ディレクターも許したよな。
簡素でのどかなカントリー・ロックといった風情のオリジナルに対し、ここでは極端の向こうを行った大胆な解釈、ソリッドなファンク・ロックでまとめている。どっちのファンもビックリするだろうな、ここまで改変しちゃうと。4.で起用した子供合唱団も入ってるし。
ジャズやファンクのセッションでよくある、原曲のテーマだけ合わせておいて、あとはそれぞれの解釈でアドリブやインプロビゼーションを詰め込んでいったらこうなっちゃった的な、カオスではあるけれど、恐ろしく高い熱量と疾走感が真空パックされている。
「薄っぺらい」と揶揄されがちな80年代サウンドだけど、MIDIに完全移行する前のフィジカル・プレイによる名演が残っているのも、この時代の特徴である。この後のバンド・ブームによって、それもだいぶ少なくなっちゃうんだけど。
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