好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

大沢誉志幸

「これからはやりたい事をやる」(ずっとやっとるがな) - 大沢誉志幸 『Life』

512d9flL7KL ここ日本ではエキセントリックすぎて、メジャーにはなれなかったクラウディ・スカイ解散後、ソロ・デビュー前の大沢は、もっぱら職業作家として活動していた。当時の彼はナベプロに所属していたため、同じ事務所であるアン・ルイスや沢田研二、吉川晃司や山下久美子からの作曲依頼が多かった。
 この時点では、まだソニーとのアーティスト契約前であり、ソングライターとしてもナベプロ専属というわけではなかった。なので、言っちゃえば試用期間、いつ切られるかわからない中途半端な立場である。
 ここで何らかの実績、手っ取り早く言えばシングル・ヒットを出さなければ、単なるお抱え作曲家で終わってしまう可能性もあった。なので大沢、ナベプロからのオファーだけでなく、所属事務所・レコード会社の垣根を超えて、ジャンルを問わずやたらめったら、あらゆるオファーを受けている。ビートたけしにも書いてたんだな。

 ジュリーのシングルで「おまえにチェックイン」「晴れのちBLUE BOY」が採用されたのを取っ掛かりに、各方面へデモ・テープを送りまくり、楽曲コンペに参戦したりして、徐々に実績を積み上げてゆく。そんな地道な努力が実って大ヒットとなったのが、中森明菜「1/2の神話」。「少女A」の後だったから、相当の激戦だったと思われる。
 松田聖子を頂点とする、いわゆる「可愛い子ちゃんアイドル」のアンチテーゼとして、山口百恵に続く「ちょっと影のある大人びた少女」を踏襲したのが、明菜だった。「少女A」に続く、ファズ・ギターをメインとしたハードな曲調は、混戦状態だった82年組女性アイドルの中で、強烈なインパクトを残した。
 打率も高いし従来の歌謡曲っぽくない、それでいてクライアントのオーダーから大きく逸脱しない大沢の楽曲は、業界内でも評判を呼び、さらにオファーが途切れず続くことになる。で、並行して制作していた自身のデモ・テープがエピックの目に留まり、めでたくソロ・デビューに至った、という次第。

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 70年代歌謡界では絶対王者だった筒美京平の勢いは、80年代に入ってからも衰えていなかったけど、その王道からちょっとズレたところを狙う新勢力が現れたのが、80年代である。既存の歌謡曲の定石に収まらない、フォーク/ニューミュージック界からの人材流入は、この辺りから本格的に始まっている。
 それ以前にも、アイドルからの脱皮を図っていた山口百恵が、谷村新司やさだまさしなど、すでに実績のあるアーティストを起用していた例もあった。ただ、実績の少ない成長株、言っちゃえばどこの馬の骨とも知れない新人を起用する例は、70年代は少なかった。
 そんな中、楽曲のクオリティ優先でネーム・バリューにこだわらず、独自の審美眼で若手アーティストを登用していたのが、ソロ・デビュー後のジュリーである。まだCMソングでしか実績のなかった大滝詠一を始めとして、その後も伊藤銀次や佐野元春、そして大沢など、「ジュリーに曲を書いた」というバックボーンでもって頭角を現わしてきた者は数多い。
 新人アーティストの登竜門として、歌謡界への楽曲提供が多くなってきたのが、80年代であり、そのメソッドは80年代ソニー隆盛の伏線となる。

 で、大沢、80年代という時節柄、ニューウェイヴ・テイストのパンク/ロックをイメージとしたオファーが多かった。デビュー以降も、ソウル/ファンクの影響が色濃いサウンドを前面に押し出していたため、リズムやビート感を強調したアレンジの楽曲が多い。なので、実は彼の特性のひとつである、メロディ・ラインの卓越さは見過ごされがちである。
 例を挙げると、ファンから名曲との誉れ高いビートたけしに書いた「BIGな気分で唄わせろ」。導入部が情緒的なバラード、そこからBruce Springsteenを想わせる疾走感あふれるロックに転換する構造は、片手間でできるものではない。本職のシンガーではないたけしに合わせて、声域やピッチも狭く設定し、歌いやすいメロデイになっている。それでいてカッコいい仕上がりなんだよな。
 ファンクやR&Bの文脈だけで捉えられがちな80年代の大沢だけど、学生時代からプロになる前までの膨大な音楽体験、Dylan からOtis Redding に至る、ジャンルレスな幅広い雑食性が、彼のバイタリティーあふれるメロディの源泉となっている。

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 豊潤な音楽体験のバックボーンを持つ大沢のメロディは、時に破壊的になるほどテンションが高く、そして時に、ロマンティックな旋律を奏でる。
 いくら天性のひらめきがあろうとも、長年培った蓄積には敵わない。思いつきのメロディは、時に強い求心力を生むこともあるけど、同じレベルを続けて作れるわけではない。コンスタントに高レベルの作品を作り続けるためには、膨大な音楽体験に基づく学習が必要なのだ。
 -「万人向け」のヒット曲という制約の中、時々顔を見せる「暴力性とアバンギャルド」。
 大沢が単なるヒットメイカーで終わらなかったのは、彼のそんな両極性が拮抗しながら共存していたからである。

 当時のナベプロは吉川晃司イチオシで、大沢はほぼ野放し状態だった。なので、予算も大してかけられず、プロモーションもささやかなものだった。
 3枚目のアルバム『Confusion』レコーディングで、ニューヨークのスタジオでの作業中、「吉川に投資しちゃって予算ないから、その辺でレコーディング切り上げて帰ってこい」という事務所からの指示があった。とはいえ作業も大詰めに入っていたし、それに加えて鼻っ柱の強い性分も手伝って、大沢は自分のディールを削って作業続行した、というエピソードがある。ひでぇ扱いだよな、これって。
 当時の吉川といえば、デビューにあたってナベプロが社運を賭けて主演映画制作、しかも3部作という力の入れよう。かたや当時の大沢といえば、まだセールス実績もない自由契約選手的な扱い。立場が違いすぎて、妬むこともできないわな、こりゃ。

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 「何やってんだかわかんない奴」キャラとして、ナベプロ内でレッテル張りされていた大沢だったけど、その『Confusion』収録の「そして僕は途方に暮れる」がカップヌードルのCMソングに採用され、ソロでは初のヒットを記録する。当初は鈴木ヒロミツのオファーを受けて書いたけど、長い間陽の目を見ず、その後もあらゆるシンガーにタライ回しにされ、それでも世に出ることがなかったため、「エェイじゃ俺が歌うわ」的ないきさつでレコーディングされた、考えてみると何かと曰く付きの楽曲である。
 強烈な映像イメージと紐づけされる、シンプルに配置された言葉たち。その行間に込められた、感情の微細な揺れとのコントラストを刹那的に定着させた先駆者と言えるのが、歌詞を書いた銀色夏生。ランダムに配置された散文的なキャッチフレーズは、起承転結を軸とした従来のストーリー展開ではないため、構文的には破綻している。
 数は少ないけれど歌詞も手掛ける大沢だと、多様な解釈を孕んだその世界観に理解はあっただろうけど、すでに自分なりのメソッドを確立した専業シンガーにとって、シュールな銀色の歌詞は、自身の解釈を挟み込む余地が少ないため、抵抗があったんじゃないかと想像する。
 「ちょっと変わっててイイね」と思ってもらえるんならまだしも、「なに言ってんだかワカンねぇ」と拒絶するシンガーもいただろうし。
 鈴木ヒロミツなら言いそうだよな。

 で、『Life』。
 シングル・ヒットを出したことによって、音楽的にもナベプロ内的にもポジションを確立した大沢だけど、そうなったらなったで、ナベプロが敷いたレールから外れたくなるのが、この人の特性である。普通なら、そのままポジション・キープのため、同路線を推し進めるところだけど、そっちの道は選ばなかった大沢。二番煎じの無限ループという「守り」ではなく、「ヒットしたんだから、もう好きにやってもいいでしょ」と言い放って、別のアプローチへ進む道を選んだ。でも兄さん、これまでだって好き放題・やりたい放題やっとるがな。
 「急激に増えたファンの篩い落としを行なった」とコメントしているように、『Life』では、歌謡曲テイストのキャッチーなメロディは封印されている。正直、どの曲にも口ずさみやすそうなフレーズはない。

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 『Life』のベーシック・トラックは、「汗臭くないロック」として定評のあったニューウェイヴ・バンド「ピンク」のメンバーを中心に、倉庫を改造したスタジオを使用、ライブ形式で録音された。そのマテリアルを素材として、さらにスタジオであれこれ加工する、手の込んだ方式で製作されているため、これまでのアルバムに比べると、バンド・アンサンブルを重視したサウンドになっている。これまでシーケンス中心だったリズム・トラックは生演奏にシフトされ、手練れのプレイヤーによるジャストなリズムに加え、セッションから誘発されたグルーヴ感が詰め込まれている。

 大まかな流れだけ決めといて、バンド・マジックによるサプライズを引き出したセッションと、MIDI機材を駆使してデスクトップ上で行なわれるDTMレコーディングは、相反するものと思われがちだけど、突き詰めて行くと、本質は同じものだ。
 レコーディング中のコンポーザーの脳内では、無数のヴァーチャル・セッションが行なわれ、そこからさらに収受選択と順列組み合わせがフル回転する。まだおぼろげなイメージをオペレーターに伝え、音やリズム・パターンを作ってもらう。時には自ら機材を操り、試行錯誤しながら理想の音を探し出す。理想の音とはちょっと違うけど、偶然できたマテリアルから、新たなインスピレーションが生まれることだってある。予想の範囲外から生まれた着想は、新たなアイディアとして、さらに広がりを見せる。
 理想のサウンドを構築するためのツールとして捉えると、人力によるバンド・アンサンブルも、モニター上でプログラムされる打ち込みサウンドも、プロセスは違うけれど、着地点は同じである。
 その2つのメソッドのハイブリッドが、『Life』という作品として結実している。



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1. I'm not living (But) I'm not dying
 イントロのキッチュな音色のキーボードはホッピー神山。この頃から「変な音」担当として、存在感を出しており、同じく「変なサウンド」探究者である大沢とはウマが合ったことを象徴している。
 基本サウンドはこれまで培ったデジタルファンクを生のグルーヴに移植した形だけど、これがまたうまくハマっている。ホーンも入れたライブ録音主体のトラックは、もはや日本のファンを視野に入れておらず、海外でも通用する演奏クオリティとして成立している。
 このアルバムから銀色とのコラボは解消しているのだけど、確かにここまでダイレクトにリズム主体になると、あのシュール性は合わないわな。



2. Planet love
 シンセに川島裕二が参加。この辺は前回レビューした太田裕美とメンツがかぶっている。デジタル系は当時、ピンク周辺のミュージシャンが一手に引き受けていた。マリンバっぽいDX7の音色が郷愁を誘う。45歳以上にはリアルに響く、まったりしたシンセの旋律。
 大沢の一面であるメロディアスな特性がうまく発揮された、ミディアム・スロウを引き立てているのは、サックスの矢口博康。この人の音色はデジタルとも相性が良くて、引っ張りだこだったことを思い出す。


3. Blue-Break-Blue
 オーソドックスなピアノ・バラードにアクセントをつけているのは、エスニック・テイストを醸し出すポリリズミックなシーケンス・ドラム。大沢自身による内省的な歌詞は、銀色のような映像的イマジネーションこそ薄いけど、ライブ感覚に即したパッションを込めやすい言葉選びとなっている。

4. ジェランディア (願望国)
 これまでになかったソフト・タッチ、ていうか穏やかなポップ・テイストでまとめられた、隠れた人気曲。軽やかなスカ・ビートを軸に、ハープシコードやオルガン、さらには子供のコーラスまで入れてしまうという、ある意味、これまでの大沢ファンの予想を最も裏切った、とんでもない斜め上のナンバー。
 ねじれたストリングス・アレンジを展開する中西俊博との手合わせは、いい意味での他流試合。2人とも真剣に、そして楽しみながらのセッション。

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5. 雨のecho
 で、これなんかは従来のファンへのサービス的な、最も当時のパブリック・イメージに近いファンク・ナンバー。

 1人じゃ寂しすぎる 2人じゃ傷つきすぎる
 変わらないこの部屋に 雨音が響いている

 前のめりのヴォーカルに引っ張られる鉄壁のリズム・セクション、そこに絡む矢口のサックス・ソロ。元倉庫という広めのスタジオを使用した効果もあって、ドラムの音も奥行きと深みがあり、この時期の録音としては高クオリティ。シモンズのペラペラ・ビートも、あれはあれでいいんだけど、こういった大人数セッションには合わない。

6. ガラスの部屋
 ギター弾き語りをベースとした、直球バラード。ただ一筋縄では行かないのが、ブロウしまくる矢口サックス。切々と語るバラードの世界を打ち破る豪快な音色は、サザンの「メロディ」でも発揮された。そういえば時期的にも近い。

7. クロール
 レコード版は6曲入りのミニ・アルバム編成となっており、ここから2曲はCDのみ収録のボーナス・トラック扱いだった。でも俺はCDプレーヤー持ってたし、三ツ矢サイダーのCMとしてテレビでも流れていたので、よく耳にした覚えはある。
 夏を想起させる涼しげなシンセの響きは、やっぱりシングルを意識してたんだろうな。ただ大沢のハスキーな声は、あんまり夏向きじゃない。心なしか爽やかさとは別のベクトルを指向してるみたいだし。
 このアルバムでは唯一、銀色夏生による作詞。百人百様の解釈と比喩を含んだ「クロール」。肉体性と理性とが交差するイマジネーション、意味と無意味のシャッフルは、シンガーを困惑させる。大沢=銀色コラボレーションの終焉を決定づけた楽曲でもある。

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8. Time passes slowly
 ラストはボーナス・トラックらしく、趣味性の強い洋楽カバーで。そんな風に思ってたのか、意表を突いたBob Dylanのカバー。いくらなんでも裏の裏をかき過ぎてる。原曲は『New Morning』という、これまたDylanの中でも地味なアルバムからの選曲。よくこんな選曲、ディレクターも許したよな。
 簡素でのどかなカントリー・ロックといった風情のオリジナルに対し、ここでは極端の向こうを行った大胆な解釈、ソリッドなファンク・ロックでまとめている。どっちのファンもビックリするだろうな、ここまで改変しちゃうと。4.で起用した子供合唱団も入ってるし。
 ジャズやファンクのセッションでよくある、原曲のテーマだけ合わせておいて、あとはそれぞれの解釈でアドリブやインプロビゼーションを詰め込んでいったらこうなっちゃった的な、カオスではあるけれど、恐ろしく高い熱量と疾走感が真空パックされている。
「薄っぺらい」と揶揄されがちな80年代サウンドだけど、MIDIに完全移行する前のフィジカル・プレイによる名演が残っているのも、この時代の特徴である。この後のバンド・ブームによって、それもだいぶ少なくなっちゃうんだけど。








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80年代ソニー・アーティスト列伝 その9 - 大沢誉志幸 『in・Fin・ity』

Folder 1985年リリース、4枚目のソロ・アルバム。ある程度下積みキャリアを経てからのデビューだったため、ストックがめちゃめちゃ溜まってたのか、はたまた表舞台に出られた事でハッチャけちゃったのか、この『in・Fin・ity』以前にリリースされた3枚は、わずか1年強の間に制作されたものである。そんな超短いスパンでのリリースだったけど、同時代のシンガー・ソングライターの作品と比較しても、コンセプトはしっかりしているしクオリティも高い。今じゃすっかりスタンダード・ナンバーになった「そして僕は途方に暮れる」も、この時代の作品である。
 普通ならこのヒットの勢いに乗って、同路線の作品をチャチャッと短期間に作りそうなものだけど、そこはシングル・ヒットが出たことによってバジェットが大きくなったのか、これまでよりも制作期間を長く取ってじっくりレコーディング、たっぷり一年かけることによって、これまでとはまた別コンセプトのアルバムを世に出した大沢である。男だな、そういったところは。
 前作『Confusion』とは違って、ヒット性を持つキラー・チューンが入っていないワリには、オリコン年間チャート34位とセールス的には健闘している。「卒業」が収録された尾崎豊『回帰線』と肩を並べているくらいだから、コア・ユーザーの裾野が広がったことによる結果なのだろう。

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 音楽業界に明日を踏み入れるきっかけとなったのが、大学時代の軽音仲間と結成したロック・バンド、クラウディ・スカイのヴォーカルとしてだけど、俺は未聴。発売当時は散々たる売上だったらしく、だいぶ後になってからやっと再発されたらしいけど、今は再び廃盤扱いになっている。どちらにせよ、気軽に聴けるような環境ではないようだ。
 ちょっとだけ調べてみると、多分Earth, Wind & Fireかスペクトラムのフォロワー的な線を狙ったのか、宇宙服みたいなコスチュームでテレビ出演させられたらしく、それがイヤでイヤで当時は周囲にキレまくっていたらしい。まぁ売れるわきゃないか、そりゃ。
 肝心の楽曲は、「そこらの大衆に媚びたバンドとは違うんだぜ」的なアピールなのか、「悲しきコケコッコー」やら「明日はきっとハレルヤ」など、違う線を狙いすぎて逆にやらかしちゃった的なタイトルの楽曲ばかりで、しかもそれが世間的にはまったく無視されていたのもイタ過ぎた。
 奇をてらうのではなく、この時代はまだ少数だった後期Roxy Musicのスタイリッシュさをモデルとしたら、せめて東京JAP程度には売れたかもしれない。お茶の間に受け入れられやすいビジュアルでありながら、楽曲にこだわるという選択肢はなかったんだろうか。まぁ聞く耳持たなかったんだろうな。

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 語呂合わせみたいなタイトルの楽曲が多かった点から、当時はまだ半分コミック・バンド的な扱いを受けていたサザン、または子供ばんどの路線でレコード会社は売っていきたかったのかと思われるけど、その後の音楽性から類推するに、バンドまたは大沢との見解の相違、方向性のズレが短命の要因だったんじゃないかと思われる。
 当時の所属事務所だったナベプロは、ジュリーやアン・ルイスに代表されるように、昭和歌謡界のドメスティックなフォーマットに、比して「ニュー・ウェイヴ」であるロックのメソッドを取り入れたアーティスト戦略に長けており、そのベクトルにおいては一致していたと思われる。ただ、そのプロモーション展開というのが、当時の流行発信力の多勢を占めていたテレビを主体としていたため、どうしてもビジュアル映えするパフォーマンスに偏っていた。メディアに注目してもらうためには、多少ポリシーを曲げて、インパクトの強いキャラクターを前面に押し出さざるを得なかったわけで。
 で、本人たちがどこまで乗り気だったのかはわかりかねるけど、思うようにセールスも伸びずに不本意な活動を強いられたのだから、そりゃ長くは続かんわな。

 バンド解散後、大沢は一旦表舞台から退き、職業作家としてのキャリアを積み上げることになる。中森明菜の「1/2の神話」や吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」、ジュリーの「おまえにチェックイン」など、これまで畑違いだった歌謡曲畑でも通用するポップ・センス、それでいて粗製濫造がまかり通っていた従来歌謡曲のセオリーに縛られないクオリティは、ソングライターとしてのポテンシャルの高さを証明した。ナベプロに代表される、ザッツ芸能界的な活動環境に馴染めなずに身を引いたにもかかわらず、他人への提供曲となれば、きちんとヒットのツボを押さえた楽曲を作れちゃうのは、皮肉っちゃ皮肉である。
 それほど戦略的なリリースではなかったにもかかわらず、息の長いヒットを記録した「そして僕は途方に暮れる」によって、自身でもヒットメイカーのポジションを確立したわけだけど、その頃すでに大沢のビジョンは別の方向を向いていた。
 二番煎じで畳み掛けるミディアム・バラード路線を放棄して、Herbie Hancokによって一気に開花したニューヨーク・アンダーグラウンド発のエレクトロ・ファンクへ傾倒、日本的なウェット感を払底したのが、この『in・Fin・ity』になる。
 日本のメジャー音楽業界において、アクの強いファンクネスと歌謡曲にも通底したポップ・センスとを絶妙にブレンドさせたという点において、大沢の功績はもっと評価されても良い。

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 CBS/エピックも含めたソニー全体において、ブラック・ミュージック系の影響が強いアーティストといえば、ラッツ & スターくらいという現状が長らく続いていた。一応、当時のソニーにはR&B風歌謡と称される「悲しい色やね」をヒットさせた上田正樹がいたのだけれど、本来の彼のルーツはR&B以前の泥くさいブルースだったし、サウス・トゥ・サウスというキャリアを経た移籍組だったため、ソニー生え抜きの特色とは言えなかった。
 そのラッツ & スターも、ベースとしていたのは50〜60年代のオールディーズとドゥーワップをブレンドしたポップ・ソウルであって、現在進行形のR&Bやファンク的メソッドを導入した音楽をやっている者はほとんどいなかった。
 もともとソニーのロック/ポップス系の主流は吉田拓郎〜浜田省吾のシンガー・ソングライター系であって、純粋なロック系のサウンドへの取り組みは不得手だった。だから矢沢もワールドワイド展開というビジョンを持ってワーナーに移籍しちゃったわけだし。で、総合メーカーであるCBSだけでは対応しきれない、パンク/ニューウェイヴ以降のアーティストの受け皿として、エピック創設という流れができる。
 CBS的要素も含んでいた佐野元春のほか、最もニューウェイヴ的存在だった一風堂まで、幅広いジャンルをカバーしていたエピックだったけど、ブラコン/ファンク系においてはノウハウの確立が遅れていた。
 のちにソニーのブラコン系の一角を担う鈴木雅之がソロになるのは、もうちょっと先の話である。

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 『in・Fin・ity』を構成するベーシック・サウンドであるエレクトロ・ファンクという音楽は、オリジネイターの1人とされているBill Laswellの縦横無尽で節操ない活動範囲からわかるように、もともとロックとの相性は良い。80年代サウンドの象徴とされているTR - 808やDX7が創り出すテイストは、ロック/ファンク双方との親和性が高かった。特に、どんな奇矯なジャンルも寛容に呑み込んでしまう昭和歌謡界でも、比較的早く受け入れられた。
 この『in・Fin・ity』が、いわゆる大沢にとっての「メインカルチャーとサブカルチャー」の分水嶺的ポジションであったことは間違いない。その後の『Life』では、明快な肉体性はフェードアウト、エスニック・リズムの導入によって、サウンドはさらに複雑化、内省的なスタジオ・ワークへシフトチェンジしている。その偏執的なこだわりの頂点を極めたのが、のちの大作『Serious Barbarian』シリーズであり、アーティスト・エゴのサウンドへの完全なる移管という点において、当時の日本のアーティストの中では最高峰に位置していたんじゃないかと思うのは、俺の独断。
 享楽的なパーティ・ファンクで一世を風靡したSly Stoneが、「ファンク」という音楽を突き詰めるがあまり、音を「抜く」という作業によってサウンドを「解体」、その過程で『暴動』や『Fresh』を創り出したように、「ファンク」とは内部に収斂してゆく類の音楽なのだろう。全盛期のPrinceだって、一時は取り憑かれたようにスタジオ・ワークに凝りまくり、膨大な未発表曲を量産していたし。

 大沢がもっと肉体性と精神性とをコミットさせ、ダンス・ビートへの傾倒を強めていたら、必然的にラップ/ヒップホップのエッセンスを吸収し、それこそメジャー・シーンにおけるジャパニーズ・ファンクのパイオニアになっていたかもしれない。
 ただ、大沢の基本スペックはロックが主だったものであって、ブラック・ミュージック的な要素は一部でしかなかった。
 前述の『Serious Barbarian』は、そんなロックやファンクやエスニック・ビートやポップスやらをシャッフルしたものを、大沢の執念によって再構築した力作である。そのクオリティはバカ高いものだけど、あまりに凝りまくったスタジオワークは作り込みが過ぎて、何度も聴き返すには濃密過ぎて肩が凝ってしまう。大沢自身のパーソナリティが色濃く出すぎた分、半自伝的な色彩が強く、ポピュラリティは薄いのだ。
 そういった意味で、聴きやすさと芸術性とがうまく拮抗しているのが『in・Fin・ity』、といった次第。


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1. 彼女はfuture-rhythm
 先行シングルとしてリリース。アルバム全編がホッピー神山によるアレンジとなっている。なので、当時ホッピーが所属していたバンドPINKの人脈がフル活用されており、ポップとファンクとのハイブリッドがうまく表現されている。
 サウンドの性格上、英語が多くなってしまうのは致し方ないことで、口語体の日本語を使用したファンクは岡村ちゃんまで待たなければならない。この時点での日本産ファンクとして、またメジャーで流通できるクオリティとしては最高峰に位置している。



2. Lady Vanish
 シンセの使い方がちょっとTMっぽいけど、地を這う重厚なベースと複合リズム・エフェクトを組み合わせることによって、安易なシンセポップになってしまうところをうまく回避している。ファンクとロックのいいとこ取り的なハイブリッド・サウンドは、大沢のハスキー・ヴォイスにもうまくフィットしている。
 ヴォーカル・スタイルはパンキッシュなロックとなっており、それに呼応するように間奏のギターはノイジーに悶える。

3. Infinity
 シンプルなバラードゆえ、ここは大沢のヴォーカルの切なさを強調するためか、ホッピーにしてはシンプルなアレンジ。OMDあたりをモチーフとしたシンセポップは案外心地よい。間奏の硬い響きの拙いピアノがアクセントとなっている。
 松本隆ほど思わせぶりでなく、平易な言葉で地に足の着いたストーリーを紡ぐ銀色夏生の世界観は、どこまでも涼しげな香りがある。狂騒的なリズムの洪水の中で、流されることなくイメージを焼き付ける彼の言葉は、大沢との相性が絶妙だった。

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4. 盗まれた週末
 PINKが主導権を握ったかのような、ファンクとロックのミクスチャー加減が絶妙なナンバー。ただこの曲、Aメロは抑え気味ですごくクールなのだけど、サビに入ると一気に歌謡曲臭くなってしまうのが惜しいところ。無理にキャッチーにしない方がカッコよかったのに。

5. Love Study
 このアルバムの中では比較的オーソドックスに聴こえてしまう、それほどギミックのないハードブギ・ファンク。シンプルな構成なので、ライブでは盛り上がりそうだけど、音源単体ではあまり面白くない。なので、ホッピーがぶち込んだエフェクトやサウンドの妙を楽しむ楽曲。でも大沢のヴォーカルは

6. レプリカ・モデル
 Herbie Hancock 「Rockit」へのリスペクト、いや日本側からの回答と言っても良い、当時の現在進行形ハイパー・ファンク。ねじれた音色と独特のフレーズ間隔を持つ矢口博康のサックス・ソロも、短めではあるけれど、楽曲のコンセプトにフィットしたインパクトを残している。
 DX7やフェアライトの使い方という観点で見ると、初期のTMはプログレ~パワー・ポップをベースとしているので、メロディ主体、70年代的なモッサリ感を引きずっている印象が強い。大沢のようにファンク~ロックをベースにすると、シンセ・ベースなどリズムを骨格として構成されているので、ドライな感触が強くなる。多分、俺がこういった音を好むのは、そういった使用法に由来するのだろう。



7. 最初の涙、最後の口吻
 なので、こうしたオーソドックスなバラードでも、リズミックなフレーズを多用することによって、無駄なウェット感は払底されている。大沢にしては比較的甘めのメロディで、タイトルや曲調からして歌謡曲っぽさが強い。これって、吉川あたりに書いた提供曲のボツ曲なのかも?そんな妄想さえしてしまうくらい、フックの効いたメロディが引き立っている。

8. 熱にうかされて
 アブストラクトなリズムがUKっぽいけど、誰だったかな?忘れた。ほぼリズムで構成されたような曲で、メロディは添え物。しっかしこの頃のPINK、芸達者だよね。こんな癖の強いバンドとアクの強いアーティストとの奇跡的な出逢いによって、このアルバムは生まれた。ヴォーカル抜きでも聴いていたいナンバー。

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9. 恋にjust can’t wait
 「ラ・ヴィアンローズ」を我流に引き寄せた感が強い、シングル・カットされたポップ・ナンバー。ファンク臭は薄く、PINKのアーティスト・エゴもかなりマイルド。バラードで売れちゃったから、次はアップ・テンポでのシングル・ヒットにトライしてみたのか。まぁそれほど評判は呼ばなかったけどね。

 
 たよりなく流れる雲より これっきりになるかもしれない
 心変わりは果てしなく それぞれの傷つきやすさで

 平易なフレーズで詩情を紡ぐ銀色夏生の言葉は、80年代に青春時代を過ごした数多くのティーンエイジャーのDNAに深く刻まれた。GLAYの歌詞世界とリンクする部分が多い、と俺は勝手に思っているのだけど、いかがだろうか?
 


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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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