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 「そういえばワーナー・パイオニアの邦楽部門って、誰がいたっけ?」という疑問にぶち当たった。普通、明菜のレビューを書くにあたり、こんな書き出しする人はいないのだけど、俺はここから始める。人よりちょっと、段取りが違うだけの話だ。
 前回の80年代ソニー・アーティスト列伝で触れたCBSソニー同様、外資ワーナーと日本の音響メーカー:パイオニア、それと芸能プロダクション:ナベプロが出資してできた会社である。設立は1970年と、実はCBSソニーより歴史は浅い。





 俺的にはワーナー・パイオニア、アトランティックやリプリーズ、エレクトラなどを擁する、本体のワーナー・ブラザーズの印象が強く、圧倒的に洋楽中心だと思っていたのだけど、ナベプロのおかげで邦楽部門もそこそこ好調だったらしい。邦楽部門の第一号アーティストは小柳ルミ子であり、その後もナベプロ関連のリリースによって、洋邦バランス良く経営できていた。
 潮目が変わったのが78年、ナベプロが、今後は系列のアポロンにレコード出版を移行すると表明、ワーナーから資本撤退してしまう。当然、ナベプロの歌手アーティストは根こそぎそっちへ移籍してしまい、邦楽部門が手薄となってしまう。
 80年代初頭のロック/ポップス系のラインナップを見てると、目立った稼ぎ頭と言えるのは矢沢永吉くらいで、あとは小粒揃いだった。言っちゃ悪いけど、多少名前が売れてるのはスターダスト・レビューくらいだし、一応チャゲアスも在籍していたけど、彼らもブレイクするのはポニー・キャニオン移籍後なので、屋台骨を支えているとは言い難かった。
 じゃあ、ワーナーの女性アイドルはどんなラインナップだったのか、もう少し深く突っ込んで調べてみた。ワーナー・ミュージックのwikiを見ても、ちょっとわかりづらい。
 広い世界には俺のように、80年代のワーナー・パイオニア所属の女性アイドルが気になる輩が結構いるのか、案外早く見つかった。Pヴァインからリリースされた『おしえてアイドル 80s アイドルコレクション ワーナー パイオニア編 ソノ気にさせて』。



 ディープなジャズ・ファンクから『幻の名盤解放同盟』まで、あらゆるジャンルを網羅している、恐るべしPヴァイン。お願いすれば、大抵の音源はリリースしてくれるレーベルとして、ほんと頼りになる。
 で、ラインナップを見てみると、メジャーでは絶対手をつけそうにない泡沫アイドルらの、歴史に埋もれてしまった楽曲が並んでいる。吹田明日香や横須賀昌美の名前なんて、こんなことでもなけりゃ、一生出会えない。
 浅香唯はそこそこ売れてたとして、工藤夕貴がシングル出してるのは初めて知った。森高がブレイクして盛り返すのは、もっと後だ。
 なので、80年代のワーナー邦楽部門は、ほぼ明菜の働きぶりにかかっていたことになる。当時の矢沢はアメリカ進出に頭が行っていたし、そのうち東芝EMIに移籍しちゃうし。

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 ナベプロの撤退以降、特に女性アイドルの育成ノウハウが失われ、それこそ森高登場まで、ワーナーパイオニア邦楽部門は迷走の一途を辿る。藤谷美紀も杉浦幸も、明確な方向づけができず、3枚目くらいで失速していった。
 そんな中、明菜だけが大きく抜きん出た存在となったのは、早い段階から自己プロデュース能力に開眼したことが大きい。ただ、気分で考え動けるからといって、ワーナー以外で同じようにできたかといえば、それもちょっと考えにくい。
 女性アイドル育成のノウハウが劣っていた分、既存のセオリーにとらわれず、洋楽のメソッドを流用できたワーナーの社風も一因だったんじゃないかと思われる。まぁ明菜じゃないと使いこなせないメソッドではあったのだけど。
 デビュー3年弱で「飾りじゃないのよ涙は」が大ヒットし、横並びだった花の82年組に大きく差をつけた明菜、前を走るのは松田聖子だけとなった。ワーナーの稼ぎ頭となった明菜の発言力は強くなり、自らアイドル以降の成長プランを打ち出してゆく。
 85年の「ミ・アモーレ」から89年「Liar」までは、一曲一曲がすべて違うサウンド・コンセプトで製作されている。既存の女性アイドル楽曲とは一線を画し、安直なティーン・ポップや無難なバラードでお茶を濁しておらず、どれも未踏の路線ばかりで占められている。
 いまになって聴き返してみると、確かにクオリティの高さは伝わってくるけど、万人を惹きつける大衆性は薄い。わかりやすいキャッチーなサビメロは少ないし、考えてみればタイアップも少ない。なのに、シングルはチャート上位に入り、結果はきちんと残している。
 CMやドラマ主題歌で頻繁に使われてなかったのは、おそらく楽曲のキャラが強すぎて自己完結しており、他人が作った映像やストーリーにはめ込むことが難しかったんじゃないかと思われる。なので、明菜の曲を聴くには、歌番組かレコードしかない。
 マルチメディア戦略に頼ることなく、すでにこの時点で中森明菜というブランディングを確立していた。彼女がほんとにすごかったのは、そういったところだ。

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 で、ここまで書いてきて沸いた疑問が、なぜ当時の明菜は自ら作詞作曲に乗り出さなかったのか?という点。20代のアイドルとしてはクリエイティブ面に深く関与し、コンセプトを決めてクリエイターを指名するなど、プロデューサー的なポジションも兼ねていたんだし、それならいっそ、自分で書いた方がいいんじゃね?という結論に辿り着いても不思議はないはずだけど。
 明菜が作詞者として初めてクレジットされたのは、93年位リリースされたアルバム『UNBALANCE+BALANCE』で、2曲を担当している。長いブランクを経て発表されたもので、その間、なんやかやあったので、いろいろ思うところ考えるところがあったのだろう、とは推察できる。ただ、ちゃんとした歌詞の体裁を整えているのは「陽炎」だけで、「光のない万華鏡」はせいぜい短歌程度の短い抽象詩で、内容を問うレベルのものではない。
 その後も明菜、作詞を手がけることはあったけど、正直、そこまで心に響くような言葉やフレーズがあるわけでもない。全部に目を通してるわけじゃないけど、断片的な言葉の羅列をセオリー通りに並べました的な、クリエイティヴィティを感じさせるものではない。
 明菜史的に最も才気煥発だった80年代に作詞を手がけていれば、質の高い作品ができたのでは?とも思ったのだけど、考えてみればプロデュース・ワークとクリエイティブな実作業とはまったく別ものだよな、とすぐに気がついた。フワッと「こんな感じ」「あんな感じ」と思いつき、そのご神託をもとに、制作スタッフがいくつか案を出し形にし、最終的に明菜が収受選択とジャッジを行なう。
 こうやって書くと経営者視点だけど、シンガー中森明菜の成長戦略を取り仕切るにあたり、第三者から見た明菜像を複数作ることが、いわば明菜自身を俯瞰で見る最良の方法だったのかもしれない。そこに自分のエゴ、商品として成立しない吐露を介入させる余地はない。
 そのエゴは単なる空虚、中森明菜という入れ物を埋めるには、あまりに陳腐だったのかもしれない。プライベートでは単なる淋しがり屋で夢見がちの女の子のモノローグは、他人が聴くにはちょっとイタいし、おそらく自分でもそうだろう。

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 シングルごとにサウンド・コンセプトやコスチュームまでをプロデュースし、唯一無二の存在感を示していた明菜であったけれど、アルバムをトータルでコンセプトを決めて制作するようになったのは、この『不思議』からである。
 デビュー当初のアルバムはともかく、次第に楽曲コンペにも深く介入するようになってからは、明菜が気に入った曲、歌いたい曲が多くなっていった。ただそれは、考えうる多数の選択肢から抽出→曲順構成するという作業だった。
 これだけでも充分にクリエイティブと言えるのだけど、さらに深く追求してゆくと、アルバム全体を統一するトーン、コンセプチュアルな思想が必須となる。多種多様なオムニバス的なアルバム構成もひとつのコンセプトではあるけれど、明菜が目指したのはトータリティ、楽曲単体ではなく、サウンドのトーンを統一した、総体としてのストーリーだった。
 今もってこのアルバムが異質とされるのは、あまりにもヴォリュームを抑えたヴォーカル処理に尽きる。イヤとにかく聴きづらい。
 記名性の高い声質と歌唱力を最大限奥に引っ込ませ、バックトラックとほぼ変わらぬ定位になっているため、ドラム・パートやエフェクトが入ると、さらに埋もれてしまう。
 当時からコクトー・ツインズのサウンドにインスパイアされたことは知られており、実際に彼らが日本で知られるようになったのは明菜によるところはあるのだけれど、そのオリジナルだってもっとヴォーカルは前に出ている。どうひいき目に見たってエリザベス・フレイザーより明菜の方が歌唱力は秀でてるので、敢えてその技を封印した経緯は、一体どこにあったのか。
 明菜にしてみれば、単に歌のうまさ・表現力の巧みさを前面に出すだけでは、奮起できなかったのだろうという見方もできる。または、プライベートでゴタゴタもしてたから、疲弊していたメンタルがモロに出てしまった、というゲスな見方も。多分、どっちもあながち間違ってない。
 シンガーであることにプライドを高く持っていたことは確かだろうけど、その反面、シンガーとしてしか存在できない自分を卑下していたあらわれだったんじゃないか、というのが俺の私見。「自分なんて、そんな大した存在じゃない」という静かな叫びが、サウンドの海に埋没させた肉声なんかないかと。だとすれば、おそろしくリアルな独白である。

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 共同でサウンド・プロデュースを行なったEUROXは、もともとプログレからスタートして、その後、アニソンを中心に手がけていたバンドである。80年代に入ってから日本のプログレ・バンドは二極化しており、スピリチュアル色ハンパないニューエイジの彼方へ飛ぶか、極端にポップに寄ってアニソン方面へ行くかで、彼らは後者の方だった。
 当初は志高くコンセプチュアルなオリジナル・サウンドの確立を目指し、そのメインの活動を経済的に支える名目で副業に励むのだけど、次第に副業の方がメインになってしまう。特にプログレ界隈の人は理論やテクは折り紙付きなので、何かと声がかかりやすい。
 アニソンの場合は何かと制約も多く、よほどアニメ自体に関心がなければ、どうしてもお仕事的な感覚になってしまうのだけど、ここでのEUROXはインダストリアルやニュー・ウェイヴの要素も導入した、かなり趣味色の濃いアレンジを行なっている。何しろオファーした明菜が掲げたコンセプトが「不思議」であり、彼女のコンセプトや要望を受け入れると、こんな風になってしまう。
 「とにかく変わった音奇妙な音にしてくれ」というオファーなのだから、そりゃEUROXも腕まくりで張り切ってしまう。そういったストレンジな音楽をやりたかったバンドなのだから、そりゃもう趣味全開。やればやるほど明菜は喜ぶ。どちらにも損はない。
 ただ肝心のファンからすれば、まぁ置いてきぼり感はハンパない。声は聴きづらいしやたらエコーの強い音だしで、不親切極まりない音である。
 もしかしてこれを機に、ゴシック・ポップやプログレに目覚めた層も、わずかながらいたのかもしれないけど、イヤないな多分。全盛期の明菜のアルバムだから、正直、どんな内容でもそこそこ売れることは間違いない。
 実際このアルバム、オリコン初登場1位をマークしており、そのまま3週連続トップを死守、年間チャートでは15位で45万枚を売り上げている。リストを見てみると、レベッカの一個下で稲垣潤一の一個上だ。なんか並べてみると微妙なラインナップだな。
 これだけマニアックな内容ながら、再び結果を残してしまった明菜に対し、もはやワーナーが口出しできるはずもなかった。よぉわからんけど、売れてるということは支持を得ているということ。そういうことだ。
 ここでひとつの免罪符を手に入れた明菜のクリエイティヴィティはとどまることを知らず、次作『Crimson』においても、緻密な自意識を投影したコンセプトにて完成度を追求している。





1.  Back door night
 シンセ・ポップをベースにしたファンク・ロックに、エレクトリック・バイオリンをかませるところはニュー・ウェイヴを通過した80年代プログレ・サウンド。歌ってる明菜はと言えば、ケイト・ブッシュばりにコブシをぶん回し続けており、絶好調のはずなんだけど、何しろヴォーカルが小さい。
 しょっぱなからコレだもの。当時、不良品じゃね?と半泣きの少年少女たちがレコード店に殺到した気持ちもわかる。
 
2.  ニュー・ジェネレーション
 プログレ風味は後退し、ボトムの効いたロック・スタイル。こうやって聴くとアレだな、やっぱ80年代のロックって、ギターが中心の音作りで、そこに新興勢力としてMIDI機材が台頭してきたわけだけど、ギターの音色、っていうかギター・ソロっていうスタイルがすでに古臭く聴こえてしまう。
 全体的には無難なシンセ・ポップ感も注入されて、ヴォーカル・バランスもこのアルバムにしては普通だし。
 前述したように、この時代の明菜は自作詞は手掛けていないのだけど、

 希望 失望 くり返せる人
 もう少し血の果てまで 落ちてもいい

 ゴシック・ポップに寄り添った耽美的な言葉を、明菜はなかば狂騒的に歌い上げる。出口も明かりも見えない、漆黒の密室の演戯は、終わりが見えない。

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3.  Labyrinth
 漆黒の密林を想起させる、呪術的なパーカッションの調べ。再び、明菜は闇の奥へ籠る。声聴きづれぇ。女性コーラスの方が聴きやすいくらいだもの。
 こうやって聴いてみると『不思議』、ゴシック・ロック的な要素はあくまで一面であり、むしろシンセ使いのプログレ者によるダンス・ファンクといった印象の方が強い。なので、ギターのカッティングはあんまりグルーヴ感ないんだけど、それが転じてフェイクなテイストが出ており、日本の歌謡ポップスの土壌には合ってる。
 ヨーロッパの中世の教会で歌う、霞の中に佇む明菜。コーラスはブラコンだし、シンセはミニマルだし。こうやって書き出してみると、食い合わせ悪そうだな。そのミスマッチ感を楽しむのもまた一興。
 ちなみにこの『不思議』の収録曲のうち5曲が、2年後にリリースされたミニ・アルバム『Wonder』でリメイクされている。ポリリズム感がきらびやかに演出され、ヴォーカル音量も普通通り。過剰なエキセントリックが好きな人なら断然オリジナルだけど、俺的には楽曲のニュアンスやヴォーカルが明確な、『Wonder』推し。

 
4.  マリオネット
 イントロから波のように押し寄せる、重厚なオーケストラ・ヒット。リヴァーヴの効いたドラムにかき消され、明菜の声は奥に引っ込んでいる。この辺はEUROXの趣味、トレヴァー・ホーン~ZTTサウンドのオマージュといったところか。
 『Wonder』ヴァージョンでも基本アレンジは変わらないのだけど、やはり明菜の声が好きな人にとっては、オリジナルよりこっちなのかな。あまり明菜に詳しくない海外において、『不思議』のコンセプトに対する評価が高いのもうなずける。普段からカーステで流し聴きする分には『Wonder』でいいんだけど、家でじっくり対峙してサウンドの妙を楽しむのなら、やっぱオリジナルということになる。
 
5.  幻惑されて
 ベース・ラインがトニー・レヴィンっぽくてカッコいい、吉田美奈子作による耽美的なポップ・バラード。大人しめなサウンドではあるけれど、ベースがとにかくファンキーかつロジカルで、ジャンルは全然違うけどレッチリに通ずるところがある。最後の唐突なオーケストラ・ヒットでずっこけちゃうんだけど。

 私の皮膚より心が欲しいと
 あなたが呼ぶ声さえ
 二度と来ないような夜明けへと

 猟奇的かつ女性の本能へ直接訴えかける言葉、そして旋律。
 どれだけもってしても満たされない、そんな愛情体質の明菜の特性を見抜き、吉田美奈子はこの曲を書いた。吉田美奈子にこの言葉を書かせてしまった、「中森明菜」という素材の無双感が、如実にあらわれている。
 
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6.  ガラスの心
 エキゾチックなシンセ・ポップ・バンド:サンディー&ザ・サンセッツのプロダクションによる、アフロチックなナンバー。総合アレンジは井上鑑なので、わりかしメジャーな作り。当然、ヴォーカル・バランスもいたって普通。
 なので、『Wonder』のヴァージョンはそんなに面白くない。明菜のヴォーカルこそ絶頂期の低音が効いたスタイルなんだけど、まぁ可もなく不可もなく。多分、歌い直したかったのだろうけど、無難な仕上がりで、なんでリメイクしたのかが伝わってこない。

7.  Teen-age blue
  再び吉田美奈子。このトラックはEUROXは絡んでいないけど、ヴォーカルは霞の向こうに思いっきり引っ込んでいる。アレンジの椎名和夫は「DESIRE -情熱-」で手合わせ済ということもあって、明菜と明菜ファン、ワーナーそれぞれのツボを的確に押さえた作り。ヒットメイカーとして、トップ・アイドルの仕事をしたんだろうけど、ヴォーカルの小ささが大きく違和感を残している。
 じゃあ普通のバランスで歌い直した『Wonder』はどうかといえば、これまた普通のアーバン・ポップス。もちろん全盛期の明菜のヴォーカル/サウンドなので、他の二流アイドルや自称アーティストとは比較にならないんだけど。

8.  燠火(おきび)
 現役アイドルのタイトルじゃねぇよな、コレ。こういうのを持ってきた吉田美奈子が慧眼だったのか、はたまた空気読まなかったのか。
 幻想的な主題と、控えめなアレンジ、ヴォーカルは相変わらず小さいんだけど、楽曲の世界観とマッチして、これが一番『不思議』のコンセプトをあらわしているんじゃないか、というのが俺の私見。オペラ・ヴォイスでミスマッチを煽るのが挑戦的というのはわかるんだけど、コンセプト=アレンジ=ヴォーカルのパワー・バランスは、これが一番取れてると思う。
 ちなみに吉田美奈子、この時期はレコード会社と契約しておらず、いわばフリーで活動していたのだけど、明菜への楽曲提供によって相当潤った、とのちにコメントしている。その印税で製作したのが、世界初の自主製作CD『BELLS』。これもいいアルバムだよ。





9.  Wait for me
 このアルバムの中でも異彩を放っている、ファンク色強めのハードなダンス・ポップ。ヴォーカルのエコーが強いことが幸いして、英語もそれっぽく聴こえてしまう。

10.  Mushroom dance
 再びサンディー&ザ・サンセッツのプロダクションによるエキゾチック・プログレッシヴ・ポップ。こうやって最後まで通して聴いてみると、やはりコクトー・ツインズへのリスペクトというのは一面であり、「ダンサブルなゴシック・ポップ」というのが、明菜の狙いだったんじゃないか、と改めて思う。
 サウンド=ヴォーカルを等価で捉え、単なるデカダンや耽美路線だけではバタ臭くなり過ぎて日本のマーケットには合わないし、ファンとのリンク構築のキーワードがファンク/ダンス要素だったんじゃないかと。

 ちなみに、初期段階では収録候補だったにもかかわらず、最終段階で外されてしまったタイトル・ナンバー「不思議」、『Wonder』に収録されている。作詞・作曲は吉田美奈子。タイトルやアルバム・コンセプトとは裏腹に、ストレートな正攻法バラードである。




 エフェクトやリズムやエキセントリックやデカダンに頼らない、まっさらの「不思議」。引退直前の山口百恵とシンクロする、たおやかで静謐な、誰も侵せざる領域。
 そこまで到達していたのだ、ほんの2年後には。