1987年リリース、YMO散開後、ソロ活動を開始した高橋幸宏と、ムーンライダーズのリーダーだった鈴木慶一が結成したデュオの2枚目。日本のロック創成期から活動している2人だけあって、まぁ正直YMO以外の商業的な実績はそれほどでもなかったのだけど、長く業界に携わっていただけあって内輪の知名度は高く、その可能性を見越して設立されたのが、彼らを看板アーティストとして担ぎ上げたTENTレーベルである。
まだ具体的な成果は出ていなかったにもかかわらず、特に雑誌媒体での前評判は高く、この時点ですでに重鎮扱いされており、かなり力も入っていたことが窺える。当時はまだ若手ミュージシャンの一人だった小林武史など、サブカル界隈の有能な若手を総動員して制作されており、そのメンツを引き連れて、「夜ヒット」にも出演している。それも二度。場違い感は否めなかったけど。
ただ、ちゃんと調べたわけじゃないけど、具体的な成果、セールス的に健闘したかといえば…、まぁ具体的な数字はググっても出てこなかったので、そういうことなのだろう。
そもそも2人とも、これまでの立ち位置からして、ビッグ・セールス、ましてやシングル・ヒットを期待されるキャラクターじゃなかったはずなのだけど、新興レーベルの立ち上げにおいて、スポンサー・サイドがドでかい花火を打ち上げようと思っていたのか、それとも彼ら以外のメンツがあまりに若手ばかりで地味だったため、資金をそこに投入するしかなかったのか。
当時の音楽業界の傾向としては、アイドルやソニー系を筆頭としたプレ=バンド・ブームとでも言うべきロック/ポップス路線がメインストリームだったのだけど、企業風土としてはまだ先行投資の余裕があった時代で、売れ線で稼いだ金を、期待の新人やアングラ系のアーティストに投入し、リリース・チャンスを与えたりしていた。どうしたって大衆にアピールしなさそうなアングラ系アーティストでも、気骨のあるディレクターやプロデューサーの熱意さえあれば、稟議の通った時代である。
もちろん、そうやってデビューしたほとんどのアーティストはセールス的に惨敗しているのだけど、そこを足掛かりとしてコツコツと実績を積んで、その後は多方面で活躍した者もいるし、またレコード会社の方としても、文化事業の保護的側面から見ると、決して見栄えの悪い話ではない。結果としてはノウハウの蓄積となり、それが後に生きる場合もある。
実際、YMO周辺から派生したサブ・カルチャーの成熟はこの時期と前後しているし、その後の渋谷系ブームの勃興とも直結している。
YMOの「その後」として、一番地味な活動に甘んじていたのが、幸宏である。なまじ現代音楽の素養があったおかげで、一番「音楽家」っぽい活動振りだった坂本龍一が、『戦メリ』の大ヒットによって、大衆性とアーティスティックな方向性との両立を実現し、細野晴臣が次第にスピリチュアルな方向へ傾倒して隠遁してゆく(テクノの祖として、世界中からリスペクトは受けまくっていた)のに対し、幸宏はいまいちピントが定まらない活動が続いていた。前の2人に比べれば、比較的コンスタントにソロ・アルバムをリリースしていたのだけど、まぁそれだけである。
もともとあまりガツガツしていないというか、いまいちアーティスト・エゴの薄い人なので、マイペースな活動と言えばそれまでだけど、何か「これをどうしてもやってみたいんだ‼」という気迫が伝わって来ず、それはいま現在でも続いている。そんな飄々とした振る舞いが、また彼の持ち味ではあるのだけれど。
幸宏同様、慶一率いるムーンライダーズもまた、業界の狭間でフワフワした活動を続けていた。YMOやビックリハウス界隈で徐々に盛り上がりを見せていたサブカル・シーンの中心にいたにもかかわらず、どこか浮足立ってピントのずれたアルバムを連発、その斜に構えたスタンスが業界内では根強く支持されていたのだけれど、当然、一般的なシングル・ヒットに恵まれず、あちこちのレコード会社から契約解除されては、また次のレコード会社への移籍を繰り返している。とはいえ、間髪入れず次の移籍先を確保していたのは、立派な政治力のひとつである。
ちなみにこの時期、ムーンライダーズは5年に及ぶ活動休止の真っ只中である。活動していないにもかかわらず、レーベルだけは確保している、というパラドックス。なのでムーンライダーズ、TENTレーベル在籍中には何ひとつ音源を残していない。もしかすると、デモ・テープ程度の音源くらいは制作していたかもしれないけど、結果的に具体的な形に残すことはできなかった。それが確信犯だったのか、努力の末の契約不履行だったのか。まぁその辺は、いろいろ大人の事情も絡んでいるのだろうけど、どうにも胡散臭い話である。(と勝手に思ってたら、「アルバム3枚出してるよ」というご指摘があった。完全に俺の勘違い)。
ちなみにビートニクスとしてのデビューは1981年、YMOは『BGM』、『テクノデリック』と続けざまに問題作を発表した頃、セールス的には微妙だったけど、作品のクオリティとしては最盛期である。ムーンライダーズもまた、レコード会社から発売を拒否された問題作『マニア・マニエラ』リリースと、こちらも何かと不穏な動きが見られた頃である。
デビュー作『EXITENTIALISM ~出口主義』は、両者の当時のアルバム傾向をそのまま引きずった、ヨーロッパ系ダンディズムとアバンギャルド性とがむき出しになっている。あまりに実験的色合いが濃かったため、セールス的にはもちろん惨敗だったけど、当時のミュージック・シーンに僅かながら傷跡を残した。
「何かに怒りを感じたときに自然に活動を始める」というコンセプトの基、不定期ながらもグループは活動しており、この7年振り2枚目のアルバムも、確かに何かに怒っていたのだろうけど、ガラリと趣きが変わって、最新機器を導入した1980年代のフォーク・ロックをベースに、ポップな仕上がりになっている。
多分、それなりにヒットも意識したのだろうけど、やはり売れなかった。喜んだのは、サブカル周辺の人間だけである。
1. TOTAL RECALL
コンサート前のオーケストラの音合わせっぽいSEから、柔らかなアコギとシンセの響き。幸宏のやや神経質で細いヴォーカルに、ややエフェクトをかけた鈴木慶一の低めのカウンター・ヴォーカル。
英詞で歌われるため、Simon & Garfunkelっぽく聴こえる瞬間もあるけど、この曲の聴きどころは、実は間奏。テッチー世代では一歩抜きん出ていた小林武史の天衣無縫なシンセ・プレイが面白い。ここぞとばかりにドヤ顔で鳴るオーケストラ・ヒットも、時代ならでは。
2. ある晴れた日に
慶一メイン。二人で交互にヴォーカルを取るあたり、Beatles"Two of Us"っぽいスタイル。ほぼ60年代を素直に模倣した、正統派フォーク・ロック。もしかしたらByrdsっぽいのかな?Byrdsはちゃんと聴いたことないので、よくわからない。
3. 初夏の日の弔い (ONCE UPON A SUMMER FUNERAL)
幸宏がこのアルバムで唯一書き下ろした歌詞。でも、弔いって…。
当時のYMO周辺の人間には、多かれ少なかれ神経症を患っていた人たちが多く、幸宏もまた、こんな歌詞をメジャーのアルバムで出すあたり、あまりよろしい状態ではなかったと察する。
曲調としてはジャズっぽい涼しげな響きが心地良い。もうちょっとメロディが明るければ、とも思ってしまうのだけど、ここら辺が当時の彼らの美学であり、また限界でもあったのだろう。
4. COMMON MAN
現在・過去・未来と壮大なスケールの歌詞が傑作。全編聴かないとわかりづらいので、抜粋は省く。
神経症で躁鬱の激しい幸宏が、何故これまで長い間、慶一とのタッグを解消せず、長くやってこれたのか。
「鈴木慶一」とは「高橋幸宏」であり、その逆もまたアリである。単純な鏡の表裏や陰陽ではなく、2人はまったく別物でありながら、だけど別物ではない。慶一の思想、言葉に幸宏が共鳴し、共同で曲を書く。しかし、慶一単体では”Common Man”を書けないのだ。
幸宏がいて初めて、それは成立する。
5. THEME FOR THE BEAT GENERATION
6. ちょっとツラインダ
シングル・カット曲。TENTレーベル・オール・スター総出演で夜ヒットにも出演、Youtubeでは、若き日の高野寛が確認できる。
A面がドラマチックかつ重い終わり方だったので、B面トップは空気を変えて爽やかなフォーク・ロック。当時現代詩にもかなり肉薄するほどの鋭い視線だった慶一にしては、大衆を意識したストレートな歌詞。
7. STAGE FRIGHT
ご存じThe Bandのカバー。多分これまでの音楽的経緯からみて、慶一が提案したと思われる。
70年代をリアルタイムで過ごしてきた人たちにとって、Rick Dankoのヴォーカルは味があって良いのだろうけど、80年代を中心に聴いてきた耳にとっては、このようにテクノ・ポップを消化したサウンドの方がむしろ聴きやすい。
邦訳すると、いわゆる『あがり症』の事を歌っているのだけど、まあ自分たちをパロディにする自虐的な余裕はあったのだろう。
8. 大切な言葉は一つ 「まだ君が好き」
昔は隠れ名曲としての位置づけだったけど、ネット時代になってからは口コミで評判が浸透し、今ではすっかりメイン・ディッシュの位置を獲得した。ビートニクスとしては唯一、ネットで歌詞検索ができる曲でもある。ていうか、俺自身、慶一の全歌詞の中で最も好きな曲。
これまでとは毛色の違うベタなメロディ・アレンジも手放しで受け入れてしまう、とにかく好きで好きでしょうがない曲である。
隣の部屋の夫婦は ぼくがこんな気持ちでいるのに
先週と同じように 傷つけあってて うるさい
夜になるとぼくはまた 空き缶を窓の外に投げる
今まで一度も傷ついた事がない奴は 信じられない
これを初めて聴いたのは18歳、若い頃は最後の2行にすごくシンパシーを覚えたが、年を経るにつれ、タイトルそのものが一番心に響くようになってきた。
年を取るというのはそういうことだと、また改めて思う。
9. GRAINS OF LIFE
10. PILGRIMS PROGRESS
Procol Harumのカバー、多分慶一的に思い入れが強いと思われる曲。ストリングスをバックに、こちらも比較的ベタな展開のバラードなのだけど、wikiで調べてみると、プロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書とあり、向こうでは比較的ポピュラーな書物なのだろう。
宗教観をテーマとした楽曲で厳かな雰囲気が続くが、最後は大団円的にハッピー・エンド。
まだ具体的な成果は出ていなかったにもかかわらず、特に雑誌媒体での前評判は高く、この時点ですでに重鎮扱いされており、かなり力も入っていたことが窺える。当時はまだ若手ミュージシャンの一人だった小林武史など、サブカル界隈の有能な若手を総動員して制作されており、そのメンツを引き連れて、「夜ヒット」にも出演している。それも二度。場違い感は否めなかったけど。
ただ、ちゃんと調べたわけじゃないけど、具体的な成果、セールス的に健闘したかといえば…、まぁ具体的な数字はググっても出てこなかったので、そういうことなのだろう。
そもそも2人とも、これまでの立ち位置からして、ビッグ・セールス、ましてやシングル・ヒットを期待されるキャラクターじゃなかったはずなのだけど、新興レーベルの立ち上げにおいて、スポンサー・サイドがドでかい花火を打ち上げようと思っていたのか、それとも彼ら以外のメンツがあまりに若手ばかりで地味だったため、資金をそこに投入するしかなかったのか。
当時の音楽業界の傾向としては、アイドルやソニー系を筆頭としたプレ=バンド・ブームとでも言うべきロック/ポップス路線がメインストリームだったのだけど、企業風土としてはまだ先行投資の余裕があった時代で、売れ線で稼いだ金を、期待の新人やアングラ系のアーティストに投入し、リリース・チャンスを与えたりしていた。どうしたって大衆にアピールしなさそうなアングラ系アーティストでも、気骨のあるディレクターやプロデューサーの熱意さえあれば、稟議の通った時代である。
もちろん、そうやってデビューしたほとんどのアーティストはセールス的に惨敗しているのだけど、そこを足掛かりとしてコツコツと実績を積んで、その後は多方面で活躍した者もいるし、またレコード会社の方としても、文化事業の保護的側面から見ると、決して見栄えの悪い話ではない。結果としてはノウハウの蓄積となり、それが後に生きる場合もある。
実際、YMO周辺から派生したサブ・カルチャーの成熟はこの時期と前後しているし、その後の渋谷系ブームの勃興とも直結している。
YMOの「その後」として、一番地味な活動に甘んじていたのが、幸宏である。なまじ現代音楽の素養があったおかげで、一番「音楽家」っぽい活動振りだった坂本龍一が、『戦メリ』の大ヒットによって、大衆性とアーティスティックな方向性との両立を実現し、細野晴臣が次第にスピリチュアルな方向へ傾倒して隠遁してゆく(テクノの祖として、世界中からリスペクトは受けまくっていた)のに対し、幸宏はいまいちピントが定まらない活動が続いていた。前の2人に比べれば、比較的コンスタントにソロ・アルバムをリリースしていたのだけど、まぁそれだけである。
もともとあまりガツガツしていないというか、いまいちアーティスト・エゴの薄い人なので、マイペースな活動と言えばそれまでだけど、何か「これをどうしてもやってみたいんだ‼」という気迫が伝わって来ず、それはいま現在でも続いている。そんな飄々とした振る舞いが、また彼の持ち味ではあるのだけれど。
幸宏同様、慶一率いるムーンライダーズもまた、業界の狭間でフワフワした活動を続けていた。YMOやビックリハウス界隈で徐々に盛り上がりを見せていたサブカル・シーンの中心にいたにもかかわらず、どこか浮足立ってピントのずれたアルバムを連発、その斜に構えたスタンスが業界内では根強く支持されていたのだけれど、当然、一般的なシングル・ヒットに恵まれず、あちこちのレコード会社から契約解除されては、また次のレコード会社への移籍を繰り返している。とはいえ、間髪入れず次の移籍先を確保していたのは、立派な政治力のひとつである。
ちなみにこの時期、ムーンライダーズは5年に及ぶ活動休止の真っ只中である。活動していないにもかかわらず、レーベルだけは確保している、というパラドックス。なのでムーンライダーズ、TENTレーベル在籍中には何ひとつ音源を残していない。もしかすると、デモ・テープ程度の音源くらいは制作していたかもしれないけど、結果的に具体的な形に残すことはできなかった。それが確信犯だったのか、努力の末の契約不履行だったのか。まぁその辺は、いろいろ大人の事情も絡んでいるのだろうけど、どうにも胡散臭い話である。(と勝手に思ってたら、「アルバム3枚出してるよ」というご指摘があった。完全に俺の勘違い)。
ちなみにビートニクスとしてのデビューは1981年、YMOは『BGM』、『テクノデリック』と続けざまに問題作を発表した頃、セールス的には微妙だったけど、作品のクオリティとしては最盛期である。ムーンライダーズもまた、レコード会社から発売を拒否された問題作『マニア・マニエラ』リリースと、こちらも何かと不穏な動きが見られた頃である。
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「何かに怒りを感じたときに自然に活動を始める」というコンセプトの基、不定期ながらもグループは活動しており、この7年振り2枚目のアルバムも、確かに何かに怒っていたのだろうけど、ガラリと趣きが変わって、最新機器を導入した1980年代のフォーク・ロックをベースに、ポップな仕上がりになっている。
多分、それなりにヒットも意識したのだろうけど、やはり売れなかった。喜んだのは、サブカル周辺の人間だけである。
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THE BEATNIKS
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英詞で歌われるため、Simon & Garfunkelっぽく聴こえる瞬間もあるけど、この曲の聴きどころは、実は間奏。テッチー世代では一歩抜きん出ていた小林武史の天衣無縫なシンセ・プレイが面白い。ここぞとばかりにドヤ顔で鳴るオーケストラ・ヒットも、時代ならでは。
2. ある晴れた日に
慶一メイン。二人で交互にヴォーカルを取るあたり、Beatles"Two of Us"っぽいスタイル。ほぼ60年代を素直に模倣した、正統派フォーク・ロック。もしかしたらByrdsっぽいのかな?Byrdsはちゃんと聴いたことないので、よくわからない。
3. 初夏の日の弔い (ONCE UPON A SUMMER FUNERAL)
幸宏がこのアルバムで唯一書き下ろした歌詞。でも、弔いって…。
当時のYMO周辺の人間には、多かれ少なかれ神経症を患っていた人たちが多く、幸宏もまた、こんな歌詞をメジャーのアルバムで出すあたり、あまりよろしい状態ではなかったと察する。
曲調としてはジャズっぽい涼しげな響きが心地良い。もうちょっとメロディが明るければ、とも思ってしまうのだけど、ここら辺が当時の彼らの美学であり、また限界でもあったのだろう。
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神経症で躁鬱の激しい幸宏が、何故これまで長い間、慶一とのタッグを解消せず、長くやってこれたのか。
「鈴木慶一」とは「高橋幸宏」であり、その逆もまたアリである。単純な鏡の表裏や陰陽ではなく、2人はまったく別物でありながら、だけど別物ではない。慶一の思想、言葉に幸宏が共鳴し、共同で曲を書く。しかし、慶一単体では”Common Man”を書けないのだ。
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7. STAGE FRIGHT
ご存じThe Bandのカバー。多分これまでの音楽的経緯からみて、慶一が提案したと思われる。
70年代をリアルタイムで過ごしてきた人たちにとって、Rick Dankoのヴォーカルは味があって良いのだろうけど、80年代を中心に聴いてきた耳にとっては、このようにテクノ・ポップを消化したサウンドの方がむしろ聴きやすい。
邦訳すると、いわゆる『あがり症』の事を歌っているのだけど、まあ自分たちをパロディにする自虐的な余裕はあったのだろう。
8. 大切な言葉は一つ 「まだ君が好き」
昔は隠れ名曲としての位置づけだったけど、ネット時代になってからは口コミで評判が浸透し、今ではすっかりメイン・ディッシュの位置を獲得した。ビートニクスとしては唯一、ネットで歌詞検索ができる曲でもある。ていうか、俺自身、慶一の全歌詞の中で最も好きな曲。
これまでとは毛色の違うベタなメロディ・アレンジも手放しで受け入れてしまう、とにかく好きで好きでしょうがない曲である。
隣の部屋の夫婦は ぼくがこんな気持ちでいるのに
先週と同じように 傷つけあってて うるさい
夜になるとぼくはまた 空き缶を窓の外に投げる
今まで一度も傷ついた事がない奴は 信じられない
これを初めて聴いたのは18歳、若い頃は最後の2行にすごくシンパシーを覚えたが、年を経るにつれ、タイトルそのものが一番心に響くようになってきた。
年を取るというのはそういうことだと、また改めて思う。
9. GRAINS OF LIFE
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Procol Harumのカバー、多分慶一的に思い入れが強いと思われる曲。ストリングスをバックに、こちらも比較的ベタな展開のバラードなのだけど、wikiで調べてみると、プロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書とあり、向こうでは比較的ポピュラーな書物なのだろう。
宗教観をテーマとした楽曲で厳かな雰囲気が続くが、最後は大団円的にハッピー・エンド。
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