まさかまさかの30年越し、ほんの数年前までは誰も予想していなかった、バービーボーイズ、フル・ラインナップでのオリジナル・アルバム。大抵の再結成バンドが、満を辞してのアルバム・リリースしたはいいけど、セールス的に大爆死しちゃうこのご時世、なかなかの英断である。
ほぼ全員が「再結成なんてダセェ」と言い放ってしまう人たちなので、パーマネントな再結成はあり得ないと思っていた。フェスや企画での期間限定・ワンショットの再結成はあったけど、だらだら長く続けるのは、彼らの美学に反するんじゃないか、と。
そんな風に思っていたのは周囲やファンだけであって、当の本人たちはといえば、すでにそんな段階を越えて達観していた。走り続けていたキャリアもひと段落つき、一周回って「かたくなに拒否るのも、逆にカッコ悪くね?」といった心境にたどり着いたのだろう。
ただみんなそれぞれ、今は自分のキャリアがあり、置かれている環境も違っている。なので、メンバーそれぞれのソロ活動を優先し、全員のモチベーションが高まった頃合いを見てスケジュール調整、短期集中型の活動スタイルとなっている。
こういった活動形式は、近年の再結成バンド、例えば米米やユニコーンにも共通している。レコード会社主導によるリリース・スケジュールやツアー日程に縛られず、ゆるい連携をとりながら、長いスパンでマイペースに活動することが、良い結果を生んでいる。
かつてのように、ヒットチャートを席巻するようなセールスはもう見込めないけど、80年代に活動していたバンド/アーティストは、単純にファン人口も多いため、そこそこの売り上げを確保することができる。コア・ユーザーがアラフィフということもあって、ライブでの物販単価や関連グッズ価格も、若手バンドよりも少し高めに設定できる。
よほど欲の皮を突っ張らせない限り、古参ファンは簡単には離れない。ただ、そのポジションにたどり着くまでには、地道な努力が必要となる。
そう考えると、そんなシステムの先駆者となった浜省って、すごいよな。まぁ長いスパンでの活動ペースを続けるため、結果的にこうなっちゃった的な部分はあるけど。
後になって、メンバーそれぞれが語っているように、バービーの解散劇は外部的な要因が多くを占めており、深刻な内部分裂が起因ではない。そりゃ始終顔を合わせていたわけだから、多少の衝突は出てくるのは致し方ないけど、そんな内輪の小競り合いが解散に直結したわけではない。
もともと学校などのコミュニティの延長線上で結成されたバンドではなく、基本的には互いの人格を尊重しつつ、ほどほどの距離感を保つ関係性が、バンド内では終始保たれていた。
プライベートも常に一緒というわけではなかったため、ドライな距離感という見方もできるけど、そこまでビジネスライクに徹していたわけではない。顔を合わせれば、言葉が少なくても意思疎通はできるし、多愛ないバカ話だってできる、そんなほどほど具合が、バンド内の均衡を保っていた。
いたのだけれど、知名度もセールスものぼり調子で忙しくなると、それが逆に仇となる。関係者やらブレーンやら取り巻きやら事情通、何やら正体不明の輩がわらわら集い、5人のバンドは5人じゃなくなってくる。
イマサが何をして杏子が何を考えているのか、コンタがそれを知るには、何人もの人を介さなければならない。ブレイクしたバンドは、そんな風に大プロジェクト化してゆく。
それが続くと、次第に誰が何をどうしようが気にならなくなる。互いが互いへの関心を持たなくなり、バンドである必然性はフェードアウトしてゆく。
そして、ジ・エンド―。
プロジェクトは解体し、みな「元・バービー」という肩書きの個人に戻った。時々横目で互いをチラ見しながら、彼らはそれぞれ自分なりに、バービー「じゃない」ことを始めた。
過去の栄光は、決して恥じるものではなかったけど、それに執着したり利用するには、みんなまだ若かった。「じゃない」キャリアを築く時間はたっぷりあった。
それぞれが時間をかけて、自分なりに納得のゆくキャリアを築いていった。そりゃ紆余曲折や妥協する場面もあっただろうけど、自分にもかつてのメンバーたちにも、誇れるポジションを作ることはできた。
-ここまでで、ほぼ四半世紀。それくらいの歳月が必要だったのだ。
再び、互いのキャリアを尊重できるようになり、メンバーと接する時間も少しずつ増えていった。
かつてのように、ほどほどに。ただ前よりも、相手の気持ちを慮って。
リハーサルで顔を合わせ、音を出した瞬間から、それまでの空白はすぐに埋まった。仲違いで袂をわかったわけではないので、距離はグッと近くなった。
ただ、かつて何度も繰り返し演奏してきたし、感覚も戻ってきたはずなのに、アラフィフの身体は思うように動かなかった。かつての声やプレイはあの時代のもので、同じような音を出す方が、そもそも無理ゲーだったのだ。
リハを重ねるにつれ、「別に過去の自分達のコピーをやる必要ないんじゃね?」という結論に行き着いた。酸いも甘いも噛み分けた、熟成された俺たちの今のプレイを見せる方が、ファンにとってはむしろ誠実なのでは―。
まぁ、物は言いようだ。でも、変な気負いが抜けたことで、アンサンブルはまとまりを見せ始め、結局、かつてと同じクオリティを取り戻すことができた。何だそりゃ。
アイドリングを兼ねたテレビ企画やフェスで存在を小出しにし、オーディエンスの反応をつぶさに観察した。5人で出す音に自信はあったけど、果たして21世紀のミュージック・シーンにおいて、そんなニーズがあるのかどうか。
一過性の懐メロバンドとしてなら、そこそこの需要はありそうだけど、現役バンドとしてのニーズとしては、はたして。
多少の不安はあったけど、どうにかいくつかのライブを乗り切ることができた。最初っからレコーディング前提で話を進めるのではなく、客前で音を出すことから始めたのが、結果オーライとなった。やはり彼らはライブが身上のバンドなのだ。
手応えを感じたことで、事は徐々に動き始める。ファンのニーズやマーケティングなど、そんなのは小さいこと。
要は、「俺たちが、やりたいか・やりたくないか」。
「結果がどう」とかより、まず、やってみっか。
そんなこんなでバービー再結成が本決まりとなり、関係各所への調整やら根回しやら、段取りが進められた。事務所はバラバラだし、それぞれ断れない仕事があったりで、周辺スタッフの苦労といったら計り知れないものがあったと想像できる。
往年のバンドのリユニオンといえば、なにかと大規模なプロジェクトになりがちである。当事者の預かり知らぬうちに、あれよあれよと事が進められがちなのだけど、バービー再結成は、極めてコンパクトな形で進められた。
最低限必要なスタッフのフォロー以外は、ほぼ5人で進めていった。とはいっても、事務折衝のほとんどは、現役を退いてオーガスタの社長業に勤しんでいたコイソに丸投げされていたと思われるけど。
まぁ他の4人が、「そんなめんどくせぇ」ことに首突っ込むはずもないし。ただ、様々な収受選択は、5人の総意で進めていったことは確かである。
ほとんどのメンバーが大きなブランクもなく、ほぼ現役で活動していたこともあって、最初のヴァージョン『PlanBee』は現場感覚の強い音で構成されている。リリース時のインタビューを読むと、レコーディングにあたって、「ほぼ40年ぶりにイマサとコンタが合宿してみたはいいけど、やっぱみんな揃って音出した方がいいや」ってことで段取りが変わったり、「なんか知らないけど、5人で音出したら何となく合っちゃう」など、エピソードのひとつひとつがいちいち面白い。
まぁみんな腐れ縁というか、互いが互いを好きで仕方ないんだろうな。で、そんな破天荒で野放図なオッサン男子たちを、時々たしなめる杏子の立ち位置だったり、往年のファンとしては、そんなシチュエーションが想像できたりして、いちいち面白くてしょうがない。
まぁみんな腐れ縁というか、互いが互いを好きで仕方ないんだろうな。で、そんな破天荒で野放図なオッサン男子たちを、時々たしなめる杏子の立ち位置だったり、往年のファンとしては、そんなシチュエーションが想像できたりして、いちいち面白くてしょうがない。
冒頭でも書いたように、今どき再結成バンドが新譜を出すのは、なかなかの英断もしくは暴挙である。あれだけ盛り上がったプリプリ再結成も、頑なに新音源には手を出さなかった。X JAPANなんて、「出す出す」って言いながら、ずいぶん前にタイミングを逸してしまって、多分もう「なかったこと」にされてるのかな。それくらい、再結成バンドの新録音源はリスキーなのだ。
あぁ、それなのに。バービーは「やりたかったから」の一念で作ってしまった。それでも、当初はこっそり配信のみでリリースする予定だったのだけど、何やらおだてられたり持ち上げられたりして、アナログ盤『PlayBee』は作っちゃうわ、曲追加してCD『MasterBee』まで作っちゃうわ。
で、その『MasterBee』の追加曲というのが、今年1月に行なわれた代々木ライブの特典として、入場者全員に配ったCD音源という大盤振る舞いというか破天荒ぶり。ライブのCDって、プリンスも同じことやってたよな。まぁ、あれはメジャー・レーベルへの嫌がらせみたいなものだけど。
で、今のところ、バービー本体の活動はお休み、めいめいのソロ活動中といったところ。具体的な活動再開はいまのところなさそうだけど、とりあえず解散することはなさそうなので、また気長に待とう。
「2度も解散するなんて、再結成よりダセェよな」。
多分、そんな風に言い放つ人たちだし。
1. ぼくらのバックナンバー
豪快なザックリしたリフがリードする、バービーらしいオープニング・ナンバー。歌詞で描かれる男女の距離感や関係性も、30年の時空を超えて、そのまんま。
ライブ映えするアッパーなテンポは、強引に往年のファンらを総立ちにさせ、若いファンも惹きつける魅力を発散している。「イヤ30年ぶりにここまでできるとは」と思ってしまうのは、まだ早い。この後も、スゴいナンバーが目白押しだから。
2. 無敵のヴァレリー
先行シングルを1.と争った末、「青臭いかもしれない」「若者ぶってると思われるのはいやだ」というメンバーの意向を汲んで、結局これになった。俺的にはどっちもアリだけど、「ぼくらの」で始まるのが、さすがに気恥ずかしかったのかね。やはりそこは、最低限の分別は持った大人の主張である。
奔放な街の女王:ヴァレリーに振り回され、翻弄される男どもとの対比は、考えてみればあまりなかった関係性。自由を愛する女性は成長し歳を取り、ここで母性を獲得するに至った。所詮、男たちはいつまで経っても、17歳のまんまなのだ。
3. CRAZY BLUE
原型は10年前のライブで発表済だったらしく、厳密に言えばリメイク・ヴァージョンということになるらしい。ギターのパターンがちょっと古めで懐かし気で、現役当時の未発表曲と言われても、なんか信じてしまいそう。
ソプラノ・サックスが大きくフィーチャーされており、昔はもっと綺麗な音色や旋律を意識していたと思うのだけど、ここではアンサンブルに引っ張られて、アバウトだけどガッツのある響きになっている。これも成長なんだな。
4. カリビアンライフ
曲調自体は抒情的な、生活感があってほのぼのしたカントリー・ロックなのだけど、イマサ自身が歌っており、ヴォーカリストとはまた違った味が出ている。言葉遊びや言い回しが従来のバービーっぽさじゃない曲調・テーマなので、自分で歌ったのかね。
レコーディング・スケジュール完了し、撤収する日の朝、突然イマサが「昨日曲ができた」とスタジオに入り、ほぼ仮歌同然だったけど、結局ノリで仕上げてしまった、というエピソードがある。そういった行き当たりばったり感が通用するのも、メンバーの意思疎通が捗っていた、ということなのだろう。
5. あいさつはいつでも
初出は1986年リリース『3rd Break』のカセット版のみに収録、34年を経てのセルフ・カバーということになるけど、リズムが立ってること以外はほぼ完コピ。
確かに勢いはこっちの方があるんだけど、わざわざ収録した理由はちょっと不明。ライブ用に跳ねてる曲を選んだんだろうけど、まぁやりたかったんだろうね。細けぇことはいいじゃん。
6. 翔んでみせろ
最初期からライブの定番曲だったため、スタジオ・レコーディングする機会を今まで逸してきて、やっと収録の運びとなった。スタジオ用にアレンジするにも、あまりにできあがり過ぎてていじることもできず、かといってストレートに演っちゃうのもどうか…、と若き日のイマサが躊躇していたらしい。若いうちは、何かとメンドクサイことを考えたりする。
そうやって一周回って、音を出した瞬間から、「これでイイじゃん」となって、結局まんまになっちゃった、という経緯。コンタの「翔んでみせろぉー!!!」のかけ声一発で、メンバー含め会場全員のアドレナリンが全開となってしまう、絵に描いたようなパワー・チューン。こういった曲がひとつふたつあると、ライブ・バンドとしては使い勝手が良い。
7. まかせてTonight
バッキングは相変わらずの豪快さなのだけど、メロディがすごくメロウなパワー・ポップ。2人のユニゾンも懐かしいテイストだし、コール&レスポンスのタイミングも完璧。
こういったのって、すごく考え抜いて練り上げたものじゃなくて、チャチャっと合わせられちゃうんだろうな。「まかせてTonight」ってフレーズが、もうアラフィフ世代にとっては、心のどこかがキュンとなってしまう。
…書いててちょっと恥ずかしいけど、いいんだよっ80年代をリアルタイムで通過してきたアラフィフ世代の特権だこういう世界観は。
8. キッズアーオーライ
ラストは「カリビアンライフ」のコンタ・ヴォーカル・ヴァージョン。リズム隊が入ったことで、イマサのヴァージョンより、もうちょっと作り込んでいる。ただザックリした不器用な少年っぽさは残しているので、どっちの優劣とかはない。
もうみんな還暦近いんだけど、中身は17歳だもの。育ってきた環境や聴いてきた音楽も近いので、そりゃテイストは似てくるわな。