その告知はあまりに突然だった。
「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」名義による楽曲「時代遅れのRock’n’Roll Band」が5月23日、緊急配信リリースされた。昭和、平成、令和を通して活動を続けてきた“同級生”たちによる、平和へのメッセージと次世代へのエールを刻み込んだロックンロールだ」。
事前に噂が流れることもなかったことから、よほど情報統制がしっかりしていたのか、はたまた漏れる隙間もないくらい、「巻き」のスピードで製作したのか。これが昔だったら、事前にTV・ラジオにサンプル盤ばら撒いて、全番組メディア・ジャックしてプロモーションに励んでいたものだけど、今はそういうの効果ないんだろうな。
近年の海外大物アーティスト、例えばビヨンセやカニエ・ウエストもケンドリック・ラマー、彼らが直前まで情報出さないのは、違法ダウンロード対策もあるけど、そもそもCDショップに並んで買う時代じゃないし。まぁ冷静に考えて、このメンツでピンナップ撮影するだけでもスケジュール調整大変だったはずだし、ましてやTV・ラジオ局行脚も、このご時世なら現実的じゃないし。
今年の2月、桑田と世良が久しぶりに再会したことが、プロジェクトの発端だった。主に桑田が「言い出しっぺ」として実働部隊を引き受け、他3名と直接会って交渉、そこからトントン拍子に事が運んで、5月にリリース。イヤどんな工程表組んだんだコレ。
実質的には、桑田のプロジェクトに4人が参加した形なのだけど、まぁコレが一番効率よかったんだろうな。5人集まってイチから創り上げるとなると、こんなスケジュールじゃ絶対無理だし、お互い変に忖度しちゃって、すごい無難な仕上がりになりそうだし。
こんな錚々たるメンツの中で、影響力やら交渉力やら、それらすべてをまんべんなく兼ね備えているのが桑田であることは、ほぼ衆目一致する事実であり、彼もまたそれを自覚したからこそ、旗振り役を務めたのだろう。前述のスケジュールやら所属レーベルとの調整やら権利関係やら、そういうのを最初から桑田サイドが取りまとめるよう申し合わせたことが、このプロジェクトの成功要因だったんじゃないか、と。
この中では野口五郎が場違いっぽく見えてしまうのだけど、考えてみれば五郎、デビューして間もなくLAレコーディング敢行したり、周囲の反対を押し切ってギター・インストのアルバム作ってみたり、実はロックな人なのだった。フュージョンの大御所ギタリスト:ラリー・カールトンや、知る人ぞ知るプログレ界のベーシスト:トニー・レヴィンとセッションしていたり、ジャパン・マネーに力のあった時代の話。
最もロック一筋なのがCharで、一番こだわり強そうだけど、でも案外フットワーク軽いので、段取りさえ整えてやれば、大抵のことはやってくれる。佐野元春も、こういったイベントやプロジェクトで我を張るタイプではなく、主旨に合わせてキッチリ自分の役割は果たす人である。
そう考えると、絶妙な人選なんだよな。みんな方向性はバラバラだけど、それぞれ独自のポジションを確立しているため、ここで爪痕残して一旗上げよう、ってゲスな考え持っている人いないし。これが同じ同年代アーティストでも、長渕剛入れてたらひと悶着ありそうだし。まぁいろんな意味で。
ところで今回、桑田と世良に繋がりがあったのは、ちょっと意外だった。デビューはほぼ同期だったけど、そういえば接点ってあったっけ?方向性があまりに違うので、相容れないと思っていたのだけど。
彼らがデビューした頃、ロック/ニューミュージック系のアーティストはTVに出ないことが一種のトレンドとなっていた。TBS「ベストテン」にランクインした甲斐バンドも中島みゆきも松山千春も、それぞれアーティスティックな理由をつけて出演しなかった。
大衆に媚びない姿勢がアーティストの格を上げる風潮に対し、そんなの関係なくテレビ出演に積極的だったのが、ツイストとサザン、そしてゴダイゴだった。他にもスペクトラムやクリエイションなんかもいるのだけど、とりあえず出演頻度の多かったこの三者に絞って考えてみる。
あくまで私見だけど、ゴダイゴは結成当初から明確なビジョンを持った集団だった。ど真ん中のロックというよりはポップス寄り、間口の広いソフトロック・サウンドは、老若男女を問わず幅広い人気を誇っていた。
GS時代から培ったキャリアと幅広い人脈を持つリーダー:ミッキー吉野の手腕によって、早くから海外デビューを果たした上、ペンタトニックに頼らない旋律の英語曲も数多く歌っていた。それでいてマニアックにならず、マスにコミットするヒット曲も連発しており、バランスの取れたバンドだったんだな、といまにして思う。
対してツイスト、過去・現在を通して和製ミック・ジャガーを名乗るヴォーカリストは多々いたけど、「世間が思うところのミック・ジャガーのマス・イメージ」を確立し、広く印象づけたのは、世良だったんじゃないか、と。ゴダイゴ同様、彼らもまたマニアックに走らず、かといって単調にルーズに寄せるわけでもなく、「世間が思うところのロック」に程よくウェットな歌謡メロディを巧みに融合させていた。
破天荒でルーズなロック・バンドのイメージを保ったまま、「燃えろいい女」や「銃爪」など、お茶の間にも充分訴求できる大衆的なメロディとキャッチフレーズを量産していた。ゴダイゴとはまるで方向性は違うけど、彼らもまた世間一般で「ロック・バンド」として広く認知されていた。
で、サザン。たまに彼らのヒストリー紹介でオンエアされる「ベストテン」初登場時の映像から窺えるように、当初はほんと、目立ちたがりの学生バンドに毛が生えた程度の扱いだった。勢いだけの一発屋臭がプンプンしており、本人たちもそんな心持ちだったんじゃないかと思われる。
一応前二者同様、「バンド」という括りではあったけれど、「ロック」を冠するには、ちょっとおちゃらけが強すぎた。当時、ロックはシリアスが求められていた。
ゴダイゴやツイストのスタンスがあくまで音楽中心、TV出演もほぼ歌番組限定だったのに対し、サザンは言ってしまえばNGなし、バラエティ番組にも結構な頻度で出演していた。80年代までのバラエティ、例えば「8時だよ全員集合」も「スーパージョッキー」にも、必ず歌のコーナーが設けられていたため、一応、歌手やバンドが出演しても大義名分は立つのだけど、コントやトークがメインの番組の中ではオマケであって、ステージ・セットもスタッフの対応もぞんざいなことが多かった。
そういったテレビ局スタッフの上から目線な対応に嫌気がさして、多くのアーティストらが反旗を翻し、前述のテレビ出演拒否に結びつくことになる。多くのアーティストからオファーを断られる中、出る番組を選ばなかったサザンの存在は貴重だったはずだけど、だからといって扱いは変わらず、軽くあしらわれる立場は変わらなかった。歌「も」歌う若手タレントという認知だった彼らは、ロックというにはあまりに芸能寄りだった。
YouTubeにアップされてもすぐ削除されることが多いのだけど、運が良ければ、当時の彼らの出演映像やCMを見ることができる。メンバー全員で出演した「焼きそばUFO」のCMなんて、もう完全に若手芸人扱い。詳細は書かないけど、興味ある人は自分で調べてみて。
ただ80年を境にして、三者のパワーバランスは微妙に崩れてくる。キャリアを重ねて中堅クラスになったことで、どのバンドも新展開を模索し始めた。
当初から世界展開を視野に入れていたゴダイゴは、次第に英語曲の割合が多くなり、洋楽志向を強めてゆく。シングルのタイトル一覧を見ると、「アフリカ」や「カトマンズ」や「ナマステ」なんてワードが頻出しており、達観したスピリチュアルな香りが漂っている。それまでの実績によって、そこそこCMタイアップはついていたけど、お茶の間に馴染みの薄いテーマが多かったこともあって、シングル・ヒットは減ってゆく。
ツイストもまた、世良をトップとしたバンド内関係は良好だったのだけど、ヤマハ→個人事務所設立を機にいろいろギクシャクし始め、それもあってセールスも活動も停滞してゆく。思えばヤマハ、彼らがポプコンでグランプリ獲得するまではフォーク/ニューミュージックのイメージが強く、ロック方面には弱いとされていたのだけど、それでも後ろ盾としては有効だったんだな。
80年代を境として、70年代メンタリティを持つバンドが続々失速してゆく中、サザンもまた活動方針の転換を図り始める。「ドリフターズに本気で勧誘された」とかなんとか、ミュージシャンのくせに類いまれなタレント性とコメディ・センスを持つ桑田のキャラクターは、テレビとは抜群の相性だったのだけど、知名度とバンド/音楽的な評価の乖離が激しかったことで、次第に迷走してゆく。
-ていうか俺たち、こんなことやりたかったっけか?
とにかく顔を売るため、テレビや雑誌やラジオに出ずっぱりで、そりゃ人気は出たしレコードも売れてるけど、それがバンドや楽曲の魅力で売れてるのかといえば、それはちょっと自信ない。小さい頃からTVのコントやバラエティは見てたから嫌いじゃないけど、でもそれって、ロック・バンドがやることじゃなくね?
思えばこの時期、ダディ竹千代やスペクトラムなど、見た目や楽曲で笑いを取りに行くバンドは、実は結構いた。いたのだけれど、どのバンドも基本のアンサンブルはしっかりしており、プレイヤーとして充分な裏づけを持つ者がほとんどだった。
そもそもの始まりが大学の軽音サークルだったサザンの場合、演奏テクニックを売りにしていたわけではない。この時点では、桑田のキャラとワードセンスに多くを依存した泡沫バンドに過ぎなかった。
バンドとしてのアイデンティティ獲得・ポテンシャル向上のため、彼らは芸能仕事から撤退、音楽活動に専念することを決断する。ゴダイゴのような演奏テクニックもツイストのようなカリスマ性も持たない、まだ学生気分を引きずっていたサザンのひとつの試練となったのが、この時期にあたる。
「テレビ番組などに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」「5か月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」、そう謳って始まったプロジェクト『FIVE ROCK SHOW』を経たことで、サザンはやっとプロのロック・バンドらしくなってゆく。「桑田佳祐とゆかいな仲間たち」だったデビュー時と比べ、メンバー個々の輪郭が浮き上がってくる。
メンバーとスタジオに入って延々セッションを重ねることで、なんとなくクラプトンっぽいフレーズやサザン・ロックの引用みたいなニュアンスは後退していった。過密スケジュールから解放されることによって、間に合わせのやっつけ仕事みたいな楽曲は少なくなった。
音楽の神が降りてくる桑田待ちではなく、メンバーそれぞれ、自分で考えたフレーズやアプローチを持ち寄り、そこからインスパイアされた桑田が叩き台を作り、それをメンバー全員で膨らませた。
クラブ活動の延長線でなんとなくデビューしちゃったパーティ・バンドは、メンバー全員のボトム・アップを経て、アルバム制作に移行してゆく。
前述の『FIVE ROCK SHOW』と併行して作業が進められた『タイニイ・バブルス』、俺は後追いで聴いている。『Nude Man』から聴き始めて順に遡っていったので、実はそんなに思い入れのないアルバムだった。
今ならシティ・ポップの視点から語ることも可能な『ステレオ太陽族』の洗練されたAORサウンドと比べて、まだ青さと泥くささの目立つ『タイニイ・バブルス』は、過渡期と勝手に位置づけていた。ただ俯瞰して見れば、『ステレオ太陽族』もまた、かしこまって背伸びした青臭さはどっこいどっこいなのだけど。
多くの同世代バンドが曲がり角にぶち当たる中、サザンも新たな方向性を模索していた。ゴダイゴやツイストが迷走してゆくのを横目にしながら、愚直にまじめに音楽と向き合い始めたのが、おそらくこのタイミングだったんじゃないかと思うのだ。
サザンは当時から、桑田のワンマン・バンドと言われてきた。多くの楽曲を書き、メイン・ヴォーカルとしてフロントに立ち続けているので、そう言われざるを得ないのだけれど、それでも彼らはいまだ活動し続けている。
何となく周囲の大人たちに仕切られ、流されるままだった学生バンドは、自らの意志で考え動く道を選んだ。このままテレビ・タレントと両立して、そこそこのペースで活動することも可能だっただろうけど、でもそれじゃ、そのうち中途半端にフェードアウトしてしまう。
-バンドとしての足腰がおぼつかない。それは桑田が、そしてメンバー自身が、最も痛感していた。音楽以外の雑事をシャットアウトすることは、長期的な活動継続には必要な過程だった。
がっつり顔を突き合わせることで、それまで見えてなかったことも見えてくる。それは、互いのエゴなど真意など。
言いたくないことも、言わざるを得なくなる。時に声を荒げ罵倒したり、そこから居心地の悪い沈黙が続いたり。
桑田がリーダーシップを執っても、思うように事が運ぶわけではない。時にカンシャクを起こし、時にスタジオを飛び出したりすることだってある。
人と人とが真剣に渡り合うわけだから、衝突は避けられない。意見が食い違い、「顔も見たくねぇ」と憤っても、しばらくすればまたスタジオに入り、ギターを手に取る。
ちょっとしたフレーズを弾くと、誰かがカウンターを入れる。さらにリズムが割り込んでくる。ハーモニーを入れたりオブリガードを思いついたり、徐々に形になってゆく。
みんな多かれ少なかれ不器用で、スッキリ一発ではまとまらない。でも、それが一番手っ取り早い。あちこち頭をぶつけながら、あれこれ試してみることで、サザンの楽曲は少しずつ形を整えてゆく。桑田ひとりのセンスや才覚だけで作られているわけではないのだ。
言っちゃ悪いけど、桑田頼りのおんぶにだっこだったメンバーの意識改革の分水嶺となったのが、ここからだった。なので『タイニイ・バブルス』、サザン史的には大きなターニング・ポイントとなっている。
1. ふたりだけのパーティ ~ Tiny Bubbles (type-A)
「泥くさい」「男くさい」、っていうかムサい洋楽ユーザーのものだったサザン・ロックを、お茶の間にわかりやすく翻訳した好例。メロディよりアンサンブルを重視したせいか、サビのフックはやや弱めだけど、ロック・バンドとしてのサザンを堪能できるオープニング・ナンバー。
ギター・ソロを大きくフィーチャーしたサウンドなので、どうしてもそちらに注目しがちだけど、サイドで硬めのタッチでエレピを叩く原ボーのプレイが際立っている。ザ・バンドに大きく影響を受けた彼女のセンスは、桑田にも匹敵するほど。考えてみればこの時代、女性ピアニストはみんなキャロル・キング へ流れちゃう中、プレイヤー指向の彼女の存在は、貴重だった。
そんな彼女を大きくフィーチャーしたのが、メドレーで続くタイトル・チューン。ジャジーというよりはジャズっぽいというプレイだけど、アーシーなフレーズとサイド・ヴォーカルは、フェイク・スタイルの桑田のヴォーカルを巧みにサポートしている。
2. タバコ・ロードにセクシーばあちゃん
タイトルだけ見ると単なるウケ狙いっぽいけど、実は緻密に真面目にアレンジされたモダンAORブルース。スペクトラム:新田一郎によるストリングス・アレンジは、要所要所でロマンティックと躍動感を演出している。器用な人だよな、のちの代官山プロ。
ファンキーなギター・カッティングやグルーヴィーなエレピ、目立たないけどスラップ・ベースも入っていたりして、各メンバーのアイディアが惜しげもなく投入されている。そういえばムクちゃんのチョッパーって、この曲くらいでしか聴いたことないよな。
当時からトリッキーなタイトルと歌詞として受け取られていたけど、シカゴ・ソウルにも通ずる演奏とのギャップはファンにも人気が高かった。当時のコミック・バンド的偏見を逆手に取った、ある意味、戦略的なナンバーでもある。
3. Hey! Ryudo!
アプローチの仕方は違うけど、サザンに先行して、日本語をロック・サウンドに換装する試みを続けていた宇崎竜童へのリスペクトを歌ったナンバー。でも、なぜかロックじゃなくてビッグバンド・スタイルのディキシー・ジャズ。よく怒らなかったよな、竜童。
単純に「ヘイ・ジュード」→「リュード」→「竜童?」って語呂合わせを思いついて、多分後づけだったんだろうな。コミック・バンドの威を借りて、シャレで押し通せばウヤムヤでどうにかなった、そんなのどかな時代。
サウンドの性質上、メンバーはほぼコーラスに専念しているため、桑田のソロみたいになっているけど、改めてちゃんと聴いてみると、ヴォーカル・スタイルの巧みな使い分けに気づかされる。いつものスタイルに加え、前川清・淡谷のり子タッチは予想の範囲内だけど、テンポを速めたキャブ・キャロウェイまでカバーできてしまうのは、ポテンシャルの高さかものまねスキルの高さゆえか。
後天的に身につけた教養ではなく、サザン結成以前から摂取していた古いジャズや洋楽、歌謡曲や民謡やら、その他もろもろで形成されたバックボーンによって、それは培われている。音楽単体だけじゃなく、日活映画やクレイジーキャッツへのリスペクトも込みで。
4. 私はピアノ
かつては高田みづえヴァージョンが有名だったけど、いまはこっちの原ボー・テイクの方が一般性が高い。そうか、もう40年だもんな。元・若嶋津夫人って言ったって、アラフィフ以下にはおそらく通じないし。
昭和30〜40年代ムード歌謡に寄せたマイナー・メロディはウェットで叙情的で、抑揚の激しい桑田のスタイルではクドくなってしまう。高田みづえ同様、フラットな声質の原ボーが歌うことで、メロディの流麗さが引き立っている。
すごくおぼろげな記憶なのだけど、多分、日曜昼間にやってた「TVジョッキー」で、原ボーじゃなく桑田が歌っていたのを見た記憶がある。あるのだけれど、どう探してもそんな記録がないので、正直自信がない。
誰か知ってたら教えてほしい。
5. 涙のアベニュー
おそらくビリー・ジョエルから強くインスパイアを受けてはいるけど、でもちゃんと桑田のオリジナルとして成立している、サザン初期の絶品バラード。俺的にはこの曲、数あるサザン楽曲の中でも常にベスト5入りしていることもあって、何かと思い入れは深い。
まだ発語快感を優先した言葉遊びが多かった時代の作品であり、実際、この曲もそんな和洋折衷が混在しているのだけれど、日本語の部分は無理やりな造語もなく、オーソドックスな言葉で構成されている。一貫したストーリーテリングではなく、シーンの一瞬を刹那に切り取った散文スタイルは、すでにこの時点で完成している。
「FIVE ROCK SHOW」のスタートを飾る一発目としてシングル・リリースされたのだけど、趣旨コンセプトからすると、もっとストレートなロック・ナンバーの方が相応しかったんじゃね?といまにして思う。オリコン最高16位という微妙なチャート・アクションが、バンドと市場ニーズとの食い違いを象徴している。
まだ不器用だった初期サザンの迷走が転じて、詞・曲・アレンジとも奇跡的なバランスで、唯一無比の世界観を形成している。ゴダイゴやツイストと比べて湿り気を帯びた「涙のアベニュー」は、永遠の隠れ名曲として、いまも鎮座し続けている。
6. TO YOU
曲調といい詞のテーマといい、のちの「涙のキッス」とのリンクを感じさせる楽曲。若気の至りで強がりだけが取り柄だった男は、歳を取ることによって、気負うことなく弱みと情けなさを歌えるようになる。それが「涙のキッス」。
でも、サザンのハートウォーミングな曲って、正直ピンと来ないんだよな、俺。変にかしこまったり抒情的なポップ・チューンは、いわばダシだけの味みたいに思え、ちょっと上品すぎる。
7. 恋するマンスリー・デイ
アルバム構成的に中庸なナンバーの後は、日本ではまだマイナー・ジャンルだったレゲエ・チューン。ラガマフィンやラヴァーズ・ロックを知ってしまった現在では、そのオールド・スタイル振りが際立っているけど、当時としては新鮮なアプローチであったことは間違いない。
男性としては、初めて桑田が生理用品CMに出演することとなり、歌詞もおおよそテーマに沿った内容となっている。テレビ出演をシャットアウトした「FIVE ROCK SHOW」シリーズのシングルなのだけど、しっかりタイアップがついちゃったのは、何かと断れないしがらみもあったのだろう。設立間もなかったアミューズも、まだ経営基盤安定していなかっただろうし。
8. 松田の子守唄
ドラム松田弘のソロ・ナンバー。ドラマー=リズム・マスターという先入観とは裏腹に、フォーキーでメロディ重視なアプローチは、この後のソロ活動でも一貫している。
シングルにするほどの独自性やキャッチーさは薄いけど、圧倒的なメロディメーカーである桑田が同じバンドにいるのだから、その辺はキッパリ割り切っているのだろう。ただ寡作ゆえの奇跡的な良曲というのは失礼だけど、桑田よりセンチメンタルなメロディ・ラインは当時から定評があり、隠れ名曲としてのポジションを確保し続けている。
9. C調言葉に御用心
オリコン最高2位まで上がったこともうなずける、いまだ人気も高くライブの定番曲となっている初期の代表曲。発表から40年以上経っているにもかかわらず、いつ聴いても古さは感じられない。なんだこのサウンドの普遍性は。
爽やかな夏の海辺を想起させるイントロから抑えた展開のAメロ、キーを一段上げるけど、まだテッペンには行かない。もう一周ループして焦らしてその気にさせて、ようやくサビに突入。
そして、
砂の浜辺でナニするわけじゃないの
恋などするもどかしや
乱れそうな胸を大事に
風にまかせているだけ
コミック・バンドの言葉遊びの域を超えた、男女間の切なさと憂い、そして少しの照れを内包しており、はるか江戸の戯作者ともリンクしている。多分、そこまで深く考えてはいなかっただろうけど、20代でこんなフレーズを書いてしまった桑田の言語感覚の鋭敏さ、またそれを引き出してしまうバンド・アンサンブルとの幸福な邂逅による成果である。
ちょっと持ち上げ過ぎだな。
10. Tiny Bubbles (type-B)
オープニングと演奏はほぼ同じだけど、ブルース・スタイルのヴォーカルによる英詞曲。一応タイトル・チューンなので、普通ならコンセプト・アルバムのメインとなるはずなのだけど、そこまでトータル性を強調した風もないので、インタールードやブリッジと捉えた方がよさそう。
これ以降、『ステレオ太陽族』『Nude Man』にもアルバム・タイトルの楽曲が収録されることになるのだけど、どれも小品のため、コンセプトを象徴しているとは言い難い。それから随分経って『キラーストリート』で復活したけど、あれもそんな大げさなモノじゃないし。
11. 働けロック・バンド (Workin' for T.V.)
で、ラストを飾るにふさわしいのが、この曲。タイトルから察せられるように、TV出演やタレント活動に忙殺されていた様を自虐的に描写したロッカバラード。
こういう曲の原ボーのプレイを聴くと、「あぁほんとザ・バンドが好きなんだなぁ」と改めて思う。ややアバウトで情感を込めたヴォーカルに対し、緩急をつけながらも揺るがないリズム、適度なオブリでアクセントをつけるアンサンブルは、時間をかけただけの成果があらわれている。
あんまり言っちゃいけないんだろうけど、やっぱ何回聴いても「天国への扉」なんだよな、曲調といい演奏といい。
オマージュって言っとこうか。