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  ちょっと古い話題だけど2020年、「クランベリージュース片手にスケートボードで滑走しながら「Dreams」を口ずさむ」、そんなユルい動画がTikTokで大バズりしたことで注目を集めたフリートウッド・マック。「Dreams」がリリースされたのが45年前なので、往年の国民的流行曲がめぐり巡って、たまたま若い世代にハマった、ってことなのだろう。




 TikTokによる波及効果は日本も同様で、若い世代中心に、PUFFYや倖田來未などのダンス動画が大量生産されている。でも大抵「踊ってみた」系ばっかりなんだよな。
 「50代前後のオヤジが中途半端な田舎の市道をダラダラ運転しながらうろ覚えで昭和歌謡口ずさむ」動画には需要がない。もしかすると、もう誰かやってるのかな、俺が知らないだけで。

 それよりもマック、去年の11月30日、長く中心メンバーとしてバンドを支えていたクリスティン・マクヴィーが亡くなった。正直、そこまで思い入れがあった人ではないのだけど、今後、全盛期メンバーの完全な形での再結成がなくなったことは、ちょっと寂しさも感じる。
 彼女の訃報を受けて、多くのアーティスト/ミュージシャンから哀悼の念が届き、当然、バンドメンバーからも追悼コメントが寄せられた。
 ミック・フリートウッド
 「今日、私の心の一部が飛び去りました」。
 スティーヴィー・ニックス
 「世界で一番仲の良かった友人が亡くなったと聞かされた」。
 リンジー・バッキンガム
 「彼女と僕はフリートウッド・マックという魔法の家族の一員であっただけでなく、僕にとってクリスティンは音楽仲間であり、友人であり、ソウルメイトであり、姉であった」。
 元夫ジョン・マクヴィーのコメントのみ見当たらなかったのだけど、どうやらSNSやってないっぽい。御年77歳なので、スマホ持ってなくても不思議はない。まぁ分別ある大人としてビジネスパートナーとして、日本で言う弔電くらいは出しているんだろうけど。

 ちなみにフリートウッド・マック、最後のオリジナルアルバムがリリースされたのが2003年、それ以降はレコーディングはおろか、アルバム制作する動きもない。『噂』を始めとしたバックカタログのリイッシュー売り上げが堅調なので、わざわざリスクを冒す気もないのだろう。
 多くのベテランバンド同様、代表アルバムのデラックス・エディション → それに付随する全曲演奏ツアーがローテーション化していたのが、近年の彼らである。
 もはや新たなマテリアルをイチから作り上げる気は毛頭ないけど、比較的お手軽に集金できるライブ活動には熱心な彼ら、2018年から2年越しでワールドツアーを敢行している。ヒット曲中心のパッケージツアーなので、アラフィフ以上には大盛況だし、演奏だってほぼサポメン頼りなので、以前ほどのプレッシャーもなく、彼らにとっては至せり尽せりのお小遣い稼ぎである。
 確固たるイデオロギーに裏づけされたバンドではないため、言っちゃ悪いけど金の臭いには目ざとい、フットワークの軽いバンドである。もうちょっとオブラートに包むと、「機を見るに敏なビジネスライク」って言うべきか。
 そんな彼らなので、そろそろクリスティン追悼イベントの噂でも持ち上がりそうなものだけど、いまのところ、どこからもそんな動きは見られない。ツアーじゃなくて単発ライブならどうにでもなりそうなものだけど、誰かが手を挙げる気配もない。
 前回のツアー終了後、世界的なコロナ禍によって、ライブ興行中心となっていたエンタメ事情が一変したせいもある。欧米ではだいぶ落ち着きを取り戻しつつあるけど、一旦止まってしまったシステムは、まだ完全復活には至っていない。
 ぶっちゃけ、音楽的な貢献度は少ないしキャラも薄いけど、一応は顔を立ててジョン・マクヴィーをメインホストにするのが順当なのだけど、彼もまた数年前に大病を患っており、体力的にちょっと難しい。もしやれたとしても、名義だけ借りてビデオメッセージくらいかな。
 名義上のリーダーとして、長年バンドをまとめ上げてきたフリートウッドは、人付き合い良く顔も広いため、ひと声かければあらゆる方面から参加アーティストが集まりそう。バンバン儲けまくった全盛期に破産宣告するくらいの人だから、金遣いも荒いだろうし怪しげな儲け話にもコロッと騙されそうだから、この機を逃すようには思えないのだけど、もうめんどくさいのかね、そういうの。
 思いつきで言い出しっぺの大将タイプなので、それを受けて緻密な計画立案する参謀が必要なのだけど、そうなるとやはり、実作業には欠かせないバッキンガムが必要になってくる。自分から手を挙げることはないけど、でも多分、呼べば来る。なんだかんだ文句は言うけど、絶対に来る。
 いまこの瞬間も、いつ来ると知れぬフリートウッドからのオファーを待っているかもしれない。それが、リンジー・バッキンガムという男だ。

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 それぞれ利害関係や方向性は違えど、おおむね男性陣は前向きと思われる。3人ともオファーがあれば、固辞することはないだろう。
 ここまで来ちゃうと何となく想像できるように、一番めんどくさそうなのが、紅一点となってしまったスティーヴィー・ニックスである。見た目の通り、ラスボス登場だ。
 数々のゴシップやスキャンダルさえ芸の肥やしとしてきた彼女、こういった際の立ち振る舞いはわかっている人なので、「世間のイメージ通りのスティーヴィー・ニックス」的コメントでお茶を濁している。反面、自分が主役じゃないと気が済まない、蝶よ花よと持て囃されることが「当然」と思ってる人でもある。特にクリスティン亡きあと、マックの一挙一動は彼女の意向が最優先されることになるだろう。
 日本ではマック本体すら、「そこそこのメジャー」くらいの知名度のため、彼女の第一印象と言えば、「魔女」や「歌姫」「永遠の妖精」など、レコード会社のキャッチコピーみたいな陳腐なイメージしか思い浮かばない。反面、本国アメリカでのスティーヴィーの人気は根強く、ソロでも堂々とした実績を残している。
 かつては近寄りがたい魅惑と魔性のオーラを発散しまくっていた彼女だけど、さすがに60過ぎたあたりから自分でもイタさを感じるようになったのか、近年はそんなキャラを逆手に取って、謎の魔女役でテレビドラマにカメオ出演したりしている。歌手としての彼女を知らない、これまでのファン層とはリンクしない形で注目されており、芸歴の長さはダテじゃない。

 自己顕示と承認欲求の塊であるスティーヴィー、始終顔を合わせてると、そりゃめんどくさいし疲れるはずなのだけど、やはり彼女がいてこそのマックであることは、誰もが認めているはず。同世代では抜きんでた彼女の声質やメロディに共鳴して、年を追うごとにバッキンガムのクリエイター・スキルは向上していったし、単なるバンドの紅一点に過ぎなかったクリスティンもまた、場末のアバズレ感漂うスティーヴィーとの対比によって、「比較的」フラットなキャラを確立できた。
 リズム隊2人は、まぁどうでもいい。よく言えば何事にも動じない、バンドのブランドが維持できれば、些事にはこだわらない。そんな人たちだ。
 もともとフリートウッド・マック、『噂』以前から、数々のソングライターやフロントマンを馘首したり愛想尽かされたり、それはそれはメンバーチェンジの激しいバンドだった。名前の由来になっているリズム隊2名は、個人のエゴより屋号の継続を優先し、自分たち以外のメンバーをハイペースですげ替えた。
 バンド固有のサウンドコンセプトを持たず、たとえ前作とかけ離れた作品になったとしても、「フリートウッド・マック」のクレジットをつけてしまえば、それは正真正銘の「フリートウッド・マック」なのだ。「とにかく売れれば勝ち」を地で行った、勝てば官軍を体現しているのが、マックというバンドの本質のひとつである。
 なので、全盛期マックのキーパーソンであるバッキンガムの脱退も、尋常じゃない力技で、どうにかねじ伏せてしまう。以前、フリートウッドのソロプロジェクトに参加したビリー・バーネットに打診したところ、「あいつも一緒なら」という条件で、友人リック・ヴィトーも抱き合わせで加入することになってしまう。
 バーネットはカントリー一家の生え抜きだし、ヴィトーはブルースをベースにしたロック全般を得意としているため、微妙にキャラはかぶらない。この際、音楽性はあまり問題にならない。自分で曲が書けて歌えて、しかもギターまで弾けるのだから、リズム隊にとってはオールOKである。

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 どうにか頭数を揃えた新生マックは90年、新作スタジオアルバム『Behind the Mask』をリリースする。偏執的にこだわり抜いた挙句、どの音もフィルターかかり過ぎて密室的なサウンドとなった前作『Tango in the Night』から一転、時代性とリンクしたコンテンポラリーサウンドに仕上がっている。
 クセ強なバッキンガムのサウンドプロデュースは、時に女性ヴォーカル2名の個性すら上回る記名性に満ち溢れていたけど、ここではその窮屈さは見られない。ソングライター4人4様に、それぞれのキャラに応じたアレンジやアプローチが使い分けられ、多様性に富んだ構成になっている。
 言ってしまえば全方位的な無難な音、シングルヒットをこれまでより強く意識したサウンドになっており、まぁ聴きやすいこと。聴きやす過ぎて引っかかりがなく、いつの間にか聴き終えてしまう。
 なので、バッキンガムのクセ強感が鼻についてたファンにとっては、心地よいアダルトコンテンポラリーなポップとして、抵抗なく受け入れることができる。逆に、バッキンガム・フォロワーからすれば、オチもヒネリもないカントリーポップや産業ロックは、ちょっとあっさりして物足りなささえ感じてしまう。
 ジャクソン・ブラウンやドン・ヘンリーなど、主に西海岸のアーティストを手がけてきたグレッグ・ラダニーを共同プロデュースに迎え、ワーナー営業の意に沿ったサウンドコンセプトで固められた『Behind the Mask』。正直、「マックの新作」と銘打ってなければ、バラエティ色に富んだ、スキのないアルバムである。
 いい意味でエゴイスティックではあるけど、決して時代に寄り添わないバッキンガムのサウンド・アプローチは、常連ファンこそ受け入れるけど、90年代の多様化したマーケットではすっかりアウト・オブ・デイト、若い新規ファン層への広がりは期待できない。
 彼らクラスのセールス実績を持つバンドであるなら、ワーナー的にもコケさせるわけにはいかない。下手につまづいて、まだ資産価値のあるバックカタログを引き上げて移籍されようものなら、それこそ重役クラスの首ひとつじゃ済まされない。
 「『噂』ほどは望めなくとも、『Tango in the Night』くらいだったら、おおよそ成功」という営業目標のもと、メンバー平等に見せ場のある総花的な『Behind the Mask』はリリースされたのだった。よほどヘタ打たない限り、大ハズしすることはない。『噂』以降のマックのセールス推移からして、誰もがそう信じて疑わなかった。

 で、何となく想像できるように、『Behind the Mask』は前作セールスを大きく下回った。主要マーケットであるアメリカでは最高18位、欧州圏ではそこそこ評判は良かったけど、でも『Tango in the Night」にはとても及ばなかった。
 どんなオケでもどんなアンサンブルでも、超マイペースで強烈なキャラを示すスティーヴィーは別格としても、新入り2名が中心となった楽曲は、バッキンガムの不在を埋め合わせるには至らなかった。無理にはみ出さず無難な仕上がりとして、聴きやすくはあるけど引っかかりは薄い。
 「フリートウッド・マック」のメンバーがプレイしてるし歌ってるんだけど、でもマックである必然性はない。そういうことだ。
 税理士や弁護士中心で構成された経営陣と、何らリスクを負わない企業コンサルタントの方便 = マーケティング戦略に翻弄されたあげく、『Behind the Mask』は無難で中庸でフワッとした仕上がりになったと言える。理詰めでコントロールできないスティーヴィーは別として。




1. Skies the Limit
 バッキンガムが去って以降、バンド内リーダーシップを発揮したのは、実はクリスティン・マクヴィーだった。総務・人事的な役割のリズム隊2名に対し、スタジオ内でイニシアチブを握ったのが彼女だった。
 バッキンガム&ニックス加入以前のレコーディング・スタイルに回帰して、ほぼメンバー全員が作業に関わった。スティーヴィー・ニックス?彼女は別だ。彼女は常に、独自の時間軸で生きている。
 で、そんなクリスティンがメインのトラックがオープニングを飾ったわけだけど、バッキンガム・サウンドとは明らかに違う。違って当たり前だけど、マック以外のポップソングを意識し過ぎたのか、無難な仕上がり。一応、シングルカットされているけど、ビルボード総合ではランクインしなかったのも頷ける。

2. Love Is Dangerous
 新入りヴィトーとスティーヴィーの共作による、モダンなブルースチューン。「Skies the Limit」同様、シングルカットされてチャートインしなかったけど、初期マックの進化形として見るなら、これはこれでアリ。バッキンガムの緻密な繊細さとはまるで対極だけど、新局面としては全然OK。

3. In the Back of My Mind
 新入りバーネットによる、プログレッシヴ風味漂う大仰なロックチューン。レコーディングにあたり、48トラックレコーダー×3台を使用し、ギネス認定されたという豆知識は、もう今は昔。
 一応、マック名義とはなっているけど、実質はほぼバーネットのソロみたいなもので、メンバーがコーラス参加している体で聴く方がすっきりする。一聴して存在感を醸し出すスティーヴィー、気怠くやる気なさそうだけど、コレいつものことだから。

4. Do You Know
 クリスティン&バーネットによる、穏やかなバラード・デュエット。AORじゃないんだよな、ちょっと古いけど「産業ロック」って言い方がふさわしい。明らかにCD世代にターゲット絞って、中年世代以上のヒット狙ってるもの。ミスチルやバックナンバーみたいなものだよな。
 ロック版「エンドレス・ラブ」みたいなベタな曲なんだけど、ほど良いアコースティック要素やユニゾンの妙など、しっかり作られており、好感度は高い。アルバムセールスがもっと伸びていれば、シングル候補だったと思うんだけど。

5. Save Me
 ビルボード最高33位に達した、このアルバム唯一のヒット曲。クリスティン主導による、やや前ノリなロックチューンであり、アンサンブルの一体感が強い。要はバンドっぽい。
 アルバムのコアと言いきっちゃっても差し支えない、若手2人による疾走感とベテランの安定感がうまく融合している。バッキンガム時代にはなかった、ほど良いキャッチー感と開かれたサウンド。
 新局面の指針として、ふさわしい楽曲だったんだけどな。続かなかったけど。




6. Affairs of the Heart
 やっと登場、スティーヴィーの独壇場トラック。カントリーテイストとメインストリームポップのハイブリットがうまく時代にフィットしているけど、でもそんなの関係ない。彼女が気持ちよく歌ってドレスヒラヒラさせてれば、もうそれでいいのだ。

7. When the Sun Goes Down
 新入り2人によるモダンブルースなロックチューン。コッテリしたスティーヴィーの後なので、箸休め的にこういった軽い曲も悪くない。
 マックっぽさはまるでないけど、一瞬、呪詛のようなスティーヴィーのコーラスが聴こえてくることで、ちょっと我に返ったりする。

8. Behind the Mask
 クリスティンがメインの曲で、やめたはずのバッキンガムがなぜかこの曲のみ、アコギで参加している。わざわざ呼び寄せたというより、『Tango in the Night』セッションのアウトテイクを手直ししたんじゃないかと思われる。
 こうやって聴き進めていると、やはり異色の、っていうか独自のバッキンガム風味。一曲くらいならスパイスとしてアリだし、この曲のテイストにうまくフィットしている。

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9. Stand on the Rock
 ヴィトー主導によるブルースロックチューン。80年代クラプトンが切り開いた、CDサイズのモダンロックの文脈を踏襲しており、極度にはみ出したりアグレッシブなプレイはない。ガチなブルースとしてはアクが弱いけど、この頃はロバートクレイみたいな「うまく調整されたブルースロック」がひとつの潮流としてあったので、時代的には間違ってない。ていうかそんなに嫌いじゃない。

10. Hard Feelings
 お次はバーネットによる王道アメリカンロック。ブライアン・アダムスあたりをモチーフにしたのか、キャッチーで分かりやすく、しかもちょっとだけブルースっぽさも入れている。
 これも嫌いじゃないんだけど、マックっぽさは感じづらい。もう2、3作、この体制で続けていたら馴染んできたのだろうけど。終盤でフィル・コリンズっぽくなるけど、それはちょっとやり過ぎ。

11. Freedom
 大衆が求めるアバズレ感を見事に演じる、どこまでが地なのか、もう自分でもわからなくなってるスティーヴィーのソロ。一応、マックのアンサンブルでレコーディングされているけど、明らかに他の曲とテイストが違うので、ソロプロジェクトの完成デモを持ち込んだんじゃないかと思われる。
 女性陣に限って言えば、ギタリスト2名を入れたのは正解だったんじゃないかと思う。バッキンガム時代では、こんなストレートなロックスタイルのギターソロはほぼなかったし、ヴォーカルとの相性は決して悪くない。
 いっそ開き直ってハートみたいに、女性2人メインのユニット形式に移行する策もあったんじゃなかろうか。ここまで聴いてみて、そう思ったりする。


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12. When It Comes to Love
 「Do You Know」と同じプロダクションと思われる、クリスティン&バーネットによるデュエットチューン。この曲も丁寧に作られた良質なMORで、もうちょっとアルバムが売れてればシングルカットもあったはずなんだけど。2人ともクセが少なくフラットな声質なので、どこまで売れるかは疑問だけど、俺は好きなんだけどな。

13. The Second Time
 トリを務めるのはスティーヴィー。アルバム制作の貢献度からいえばクリスティンなんだけど、そこは花持たせたんだろうな。プロジェクトを円滑に進めるには、微妙な駆け引きも必要だ。
 幻想的でファニーなヴィトーのトラックに対し、相変わらずの酒灼けしたヴォーカルは、「あぁマックのアルバムなんだなぁ」という充足感を与えている。ダミ声ではあるけど、妙な憂いはあるんだよな。