その前から「ライディーン」や「テクノポリス」がテレビ・ラジオで流れていたため、一応、「イエロー・マジック・オーケストラ」という存在は知っていた。いたのだけれど、まだ音楽に興味の薄かった俺にとっては、「インベーダー・ゲームみたいな音を出すグループ」でしかなかった。『増殖』においてもメインは小林克也であり、YMOのメンバーの名前も知らない有様だった。
いくら背伸びしていたとはいえ、まだ小学生だもの、「テクノ・ポップの革新性」や、「オリエンタリズムを逆手に取った西欧世界へのアンテチーぜがどうした」なんてのを、理解できるわけがない。それよりもむしろ、「何となく理解したフリしてるけど、実はよくわかってない下ネタ」や、いかがわしい大人たちによって妖しげに演じられる不条理ネタの方が、小学生のウケは良かった。ドリフよりもエキセントリックで新しくて、それでいて正体不明のギャグ寸劇は、ようやく性に興味を持ち始めた小学校高学年の好奇心を鷲づかみにしたのだった。
いま振り返ると、くっだらねぇモノも多かったけど、下品なギャグの裏に見え隠れするスノッブさがまた、小学生男子の好奇心と探究心とを刺激した。兄の持つ『増殖』のレコードを聴かせてくれた友達を軸として、小学生3人組の俺たちは、毎日飽きずにギャグの完コピを競い合った。
そんな熱病的なテンションも次第に落ち着き、我々の関心はメインの音楽へ移っていった。それまでの俺たちにとって、YMOとはオマケの存在だったのだけど、音楽と性欲に目覚めた1人が「バンドを組もう」とのたまった。
とはいえ、40年前の田舎の小学生がシンセやドラムを入手できるはずもなかったため、3人でラジカセを囲んで、いまで言うボイパや擬音を駆使して、「ナイス・エイジ」や「ライディーン」をプレイしたのだった。テープは残ってない。あっても「ない」って言うよ、恥ずかしいもの。
ここまでが、俺的YMOの原体験である。
で、その辺から音楽に目覚める友人が多くなってゆくのだけど、俺はどこか脇道に逸れて、サザンと中島みゆきと大滝詠一に流れてゆくのだった。並行して、「いけないルージュ・マジック」PVに度肝を抜かれ、「胸キュン。」PVで冷笑、散開宣言を経て『サービス』を買った―、というのが、リアルタイムでの俺的YMO体験である。
なので、『増殖』から『浮気なぼくら』までの間、いわば中期にあたる『BGM』や『テクノデリック』を聴いたのはずっと後になってからで、リアルタイムでは聴いていない。ていうか、そこら辺の時代はまるで関心がなかった。
今でこそ「テクノ・ポップ→テクノ」へ進化を遂げたターニング・ポイントとして、YMOに限らず、80年代の最重要作として知られているこの2作だけど、リリース当時、俺たち3人の間では、ほぼ話題にものぼらなかった。運動会や校内放送などで「ライディーン」「テクノポリス」が使用されるくらい、お茶の間にも人気が浸透した彼らだったけど、そこから一転、マス・セールスから背を向けた内向的な作風は、お茶の間を中心としたライト・ユーザーに至極冷淡だった。
実際、リリースしていたことすら知らなかったもの、当時の俺。
「胸キュン。」〜『浮気なぼくら』〜「以心伝心」〜「過激な淑女」といった、オリコン・セールスを強く意識した後期路線が功を奏し、YMOは再びお茶の間の認知を広く得た。YMOという「チーム」ではなく、メンバー個々のパーソナリティを優先し、それぞれのアーティスト・エゴを無理やりYMOという「ブランド」に型取った中期2作は、無暗に増殖しすぎたファンへの試練として、コアなユーザーの振り分けを行なった作品として、位置づけられている。
ちょっと音楽にうるさい層、言ってしまえばレココレやサンレコ界隈ということだけど、あの辺では「YMOの音楽的ピークは中期」とされており、「『テクノデリック』と『BGM』がわからないとダメ」みたいな風潮になっている。後期の歌謡曲路線とは一線を画し、安易な商業性に流されず、後世のミュージシャンにも大きな影響を与えた、高貴な作品として定義づけられている。これについて「ホントかよ」と言いたいのだ。
細野晴臣:坂本龍一:高橋幸宏という、ピンでも十分やっていける才能を誇る3人が、YMOという「ブランド」を使って、好き放題/やりたい放題の半ば遊び/半ば実験をパッケージしたのが、中期2作品である。キャッチーなセールス・ポイントは皆無だったため、『増殖』と比べてセールスは半減した、とされている。そりゃそうだよな、だって、売る気ないんだもの。
今でこそリスペクトの度合いも大きく、妙に神格化されている中期2作だけど、当時は知る人ぞ知る作品、売り上げの急落もあって、評価の良し悪しどころか、俎上にも上げられなかった。散開後は少数派だった後期アンチ・ファンによって、多少は評価されることもなくはなかったけど、まだ多くの賛同を得られるほどではなかった。『テクノドン』あたりからじゃないのかな、中期2作がクローズアップされるようになったのは。
「セールス実績がすべて」とは言わないけど、リリース当時の評価、また散開前後において、中期2作の立ち位置は、そりゃもう影の薄いモノだった。「だから何だ」というわけではないけど、何となく選民的な、妙な持ち上げ方にずっと違和感があったので、書いてみた次第。
そんな「中期最高」といった風潮もあって、どうにも肩身が狭い状況に甘んじていた感のある後期YMOだけど、20世期末を過ぎたあたりから、「テクノ歌謡」のちっちゃなブームを契機として、再評価されるようになってゆく。YMOメンバー自身が手がけた歌謡曲仕事を始め、二番煎じのユニットやら、影響を受けたクリエイターらによる、すっかり風化して埋れていた珍曲・駄曲を、キッチュな視点で晒し者にするという、あんまり性格のよろしくない企画ではあったけれど、それをきっかけに、オリジネイターの先進性がまともに評価されることになった。
自虐的なアイドル的ビジュアル戦略と、セルフ・パロディみたいな歌謡曲メロディは、それまでのYMO時系列とはまったく別物のように思われているけど、世間の裏の裏のそのまた裏を欠いた戦略と捉えれば、納得しないでもない。客観的に考えて、『テクノデリック』を最後に散開しちゃってたら、サブカル周辺に消費されたあげく、今ごろ「ちょっと売れたP-MODEL程度」で終わっちゃってたかもしれない。あ、でも、それも今だったらアリか。
「胸キュン。」のインパクトが強すぎて、アルバム全体が売れ線狙いと受け取られがちだけど、ちゃんと最後まで聴いてみると、案外クセモノな印象が残る。のちに細野さん、このアルバムについて、「『テクノデリック』の続編として作った」というコメントを残しているように、バック・トラックは偏執的もとい丁寧に作り込まれている。
キャッチーなメロディー・タイプの楽曲が多いこともあって、巧妙に隠されているけど、どのトラックも手を抜いて作られたモノはない。『テクノデリック』を骨組みとして、メロディーとアレンジをヴァージョン・アップしたのが、この『浮気なぼくら』だったのかもしれない。
ドメスティックな情緒を削ぎ落とし、ロジックなコンセプトとレコーディング手法の偶発性を実践したのが、中期YMOだった。そこからさらに進んで、「松本隆」という情緒を取っ掛かりとして、セルフ・パロディとシステマティックなスタジオ・ワークの産物が、『浮気なぼくら』だったと言える。
浮気なぼくら&インストゥルメンタル
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1. 君に、胸キュン。(浮気なヴァカンス)
カネボウのタイアップ話がまとまったことによってシングル作成が急遽決まり、そのプロジェクトは『浮気なぼくらに』に発展するのだけど、結果的にこの曲がアルバム全体のカラーを象徴することになった。逆に言えば、「WILD AMBITIONS」のように、結構攻めている楽曲もあるのだけど、あまりに強いインパクトのおかげで、他の曲も「歌謡曲っぽい」と受け取られてしまったのは、長きにわたっての誤解である。ま、それも含めての確信犯だったのかもしれないけど。
心の距離を測る 罪作りな潮風
目を伏せた一瞬の せつなさがいい
1983年と言えば、松本隆は聖子プロジェクトの成功を謳歌していた頃であり、クオリティもピークに達していた。「胸キュン。」というクライアント側からのオファーをクリアしつつ、こんなフレーズをさり気なくぶっ込んでしまうポテンシャルの高さと言ったらもう。
2. EXPECTED WAY/希望の路
「何が不安かはよくわからないけど、ぼんやりした不安を抱えて何もできないまま、独り佇む」描写を語ることでは右に出る者はいない、そんな幸宏作のテクノ・ポップ。曲調は実に淡々としたものなのだけど、バック・トラックは乱舞するドラム・パターンと暴走しまくるプロフェット5が入り乱れ、ちゃんと聴くと結構変な曲。「テクノデリック」を一般向けにライトにしたのではなく、純粋なヴァージョン・アップであることが、このサウンドに強く反映されている。
3. FOCUS
幸宏だけではやや甘めになってしまうところを、細野さんが手を加えると、こんな風にニュー・ウェイヴ臭が強く浮き出てくる。ややエスニックも盛り込んで、トラック数は少なめだけど、「テクノデリック」成分が強く、メロディも硬質的。この配合具合の妙が、YMOの真骨頂である。
タイトルまんま、写真週刊誌のハシリだった「FOCUS」をテーマとした歌詞は、まぁどっちでもいい。歌詞が大事な曲ではない。
4. ONGAKU/音楽
当時、まだちょっぴり家庭を顧みていた坂本龍一が、当時3歳の坂本美雨のために書いたと伝えられている、まっとうなポップ・ソング。無垢な3歳児を楽しませるには、どのようなリズムやメロディが良いのか―、30秒ほど黙考する姿が思い浮かぶ。
いくらクライアントが幼児とはいえ、きちんと教授自身のアイデンティティも損なわず、YMOブランドに足るクオリティで仕上げている。
5. OPENED MY EYES
PSY・Sみたいなシンセの使い方だな、と思ってたら、そういえばYMOの方が先だった。オカズの入れ方なんて松浦雅也、結構影響受けてるよな。
幸宏主導になると途端に甘くなってしまい、その辺が他2名との明確な差別化となってはいたのだけど、まぁここまで独りで成立しちゃうと、グループである必然性ないわな。やはりこの辺が音楽集団としての限界だったんじゃないかと思われ。
6. YOU'VE GOT TO HELP YOURSELF/以心電信(予告編)
レコードではB面トップ。ビートルズ・オマージュのようなフレンチホルンの音色(もちろんnot生音)は、否が応でも期待を煽る。でもこれ、予告編だけあって20秒くらいしかないんだよな。でもある意味、このヴァージョンが最強なのかもしれない。予告編だけで満足しちゃう映画って多いもんな。
7. LOTUS LOVE
「胸キュン。」タッチで、ビートルズをモチーフにしてやってみよう、と思ってスタジオにこもったら、何がどうしてあれがこうして、そしたら全然違うモノができあがっちゃった、という感じの曲。これで伝わるかな、多分だいじょうぶさ、きっと。
やたらコンプがかかったようなシンセや、凝った録り方のドラムといい、80年代サイケデリックを狙ったのだろうけど、これがもう細野さんのオンリーワン・サウンドとして昇華している。
8. KAI-KOH/邂逅
YMOフォロワーと言える、ヒューマン・リーグやウルトラヴォックスなんかのUKエレ・ポップ勢への返答とも言うべき、疾走感あふれるチューン。「戦メリ」の使い回しとされている高貴な鐘の音が、エピゴーネンとは一歩も二歩も先を行く、オリジネイターとしての矜持を内包している。
9. EXPECTING RIVERS/希望の河
端正にまとめ上げた幸宏のポップ・センスに対し、カウンターとして「変なフレーズ」をぶち込んでくる教授とのせめぎ合い。拮抗したプライドのぶつかり合いは、どこかで突然変異を起こして不可分の調和を構成している。
このアルバムでたびたび登場してくるビートルズ・テイストが、ユニゾン・パートに強く表れていることから、もしかしてもしかしてだけど、バンド・マジックを指向していたんじゃないか、と深読みさえしてしまう。2人とも、その辺はやんわり否定しそうだけど。
10. WILD AMBITIONS
幸宏=教授、幸宏=細野さんというコラボはあったけれど、教授=細野さんのコラボというのは長い少なく、ていうかYMO楽曲の中でも世紀にクレジットされているのは、この曲くらいしかない。ポップなメロディを鼻で笑う人と、存在はポップだけど宇宙人の2人が、ビートルズを意識して共作すると、こんな風になる。
当時はレコードB面ラストに位置していたため、すごく地味なポジションではあるけど、ある意味、再評価の引き金となったのは、この曲が収録されていたから、という面も大きい。「胸キュン。」ベクトルとはまた違うけど、このクールさは中毒性が強い。
このコンビでの楽曲があといくつか、きちんと完パケしていれば、中期を超えるインパクトを持つアルバムになっていたんだろうけど、最悪の相性だった当時では、この曲しか形にならなかった。
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