好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Soul

その音の先には…。 - Donny Hathaway 『Extension of a Man』

Folder 1973年リリース、ダニー・ハサウェイ3枚目のオリジナル・アルバムにして、最終作。ビルボード最高69位・R&Bチャート最高18位と、リリース当時はそこまで売れたわけではない。
 初期の総決算とも言える歴史的ライブ・アルバム(『Live』)に加え、盟友ロバータ・フラックとのデュエット・アルバムがバカ売れし、一挙に知名度もポジションも爆上げした後にリリースされたのだけど、新規ファンにはちょっと不親切な内容だった。針を落としたらいきなり、なんか思ってたのと違うオーケストラ演奏だもの。それに続くのが、深刻なモノローグのような歌で、なんか違う感がさらに募る。
 もう少しひいき目に見ると、「内省的な黒人青年の葛藤と、彼による社会問題への告発」といった、70年代初頭にはふさわしいテーマではあるのだけれど、わかりやすく拳を振り上げたりシャウトするのではなく、「…こんな世の中は間違ってる」と、静かに諭すだけなので、ちょっと地味過ぎる。まぁ「俺が俺が」と前に出る人ではなかったし。
 社会を変えるのなら、もっと先頭に立って民衆を鼓舞するようなリズムとサウンドが必要なはずで、イヤそりゃ言いたいことはわかるんだけど、崇高で汚れなきシンフォニーとメロディは、ちょっと拳を振り上げずらい。誠実に静かに嘆くのではなく、オーバーに泣き叫んだりしないと、広く大衆には伝わりづらいのだ。
 さらにさらにひいき目で、オリジナル・スタジオ・アルバムの系譜で、端正に仕上げた2枚目『Donny Hathaway』の発展形として見るのなら、そこまで違和感はない。スマートなグルーヴ感を通底音とした『Live』と、好セールスを記録した『Roberta Flack & Donny Hathaway』を挟んじゃったから地味さが際立つわけで、きちんと学んだ楽理に則った、洗練されたメロディと控えめなリズムは、むしろ磨きがかかっている。
 そういった経緯で考えれば、ブレイク前の落ち着いた状態に戻っただけで、ダニー本人は何ら劣化した点は見受けられない。セールス実績もガタ減りしたわけではないし、旧来ソウルの枠を外せば、むしろ野心的なコンセプトでもある。
 この時点ではリリース契約も残っていたと思われるし、周囲の雑音に動ぜず、地道に次回作に向けての準備を進めてればよかったんじゃないの?と勝手に思ってしまう。でも、そう開き直るにはダニー、線が細かったのだろう。
 この後、ダニーはアーティスト活動を停止する。ていうか、隠遁して表舞台から身を引いてしまう。

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 ここまで散々「地味っ」と言ってしまったけど、実際のところ、しょっぱなのシンフォニーを乗り越えると、それ以降はユルいグルーヴ感が心地よい、いつものダニーである。思っているほどスロー・ナンバー一辺倒でもなく、それなりにユルいスロー・ファンクもあったりして、きちんとトータルのバランスを考えた構成になっている。
 サウンド面のコンセプトもしっかりして、均整も取れている。いわば組曲形式の小品集といった趣きだけど、どの曲もきちんと独立した世界観を有しており、コンセプト・アルバムにありがちな寄せ集め感もない。
 アーティスト:ダニー・ハサウェイを第三者目線でプロデュースするコンポーザーの視点で、隅々まで丁寧に作り込まれており、創作者としての意向は、可能な限り反映されている。緻密過ぎるゆえか、通して聴くのには、それなりの心構えがいるけど。
 その点、気心の知れたメンバーによって、リラックスしたムードでレコーディングされた『Live』は、俺個人的に聴く機会も多い。「ジェラス・ガイ」や「君の友だち」など、聴き慣れ親しんだ曲が収録されているおかげもあるけど、ライブゆえの間口の広さ、楽しんでプレイしている感じが伝わってくる。
 実際、彼の代表作として真っ先に思い浮かぶのは『Live』であり、それは多分俺だけじゃないと思う。緻密に作り込まれた渾身のスタジオ作品は、言ってることはわかるんだけど、もうちょっと肩の力抜いた方が親しみやすいんじゃね?と、第三者は勝手に思ってしまう。
 そういったアドバイスの意味も含めて、ロバータは「一緒に曲を書こう」と誘ってくれたのだろうし、そしてそれは、死の直前も変わらず同じ想いだった。だったのだけど。
 二度目は、ちょっと遅かった。

 白人アーティストとの差別化として、性急かつ躍動的なファンクのリズムをJBが発明し、ほぼ同時進行でスライが殴り込みをかけ、狂騒的なビートと享楽的なグルーヴがディスコになだれ込んだ―。すごく大雑把だけど、一行で書けば、こんな感じになる。
 公民権運動などの社会問題も含め、白人文化へのカウンターというスタンスで進化していったソウル・ミュージックに対し、ダニーのアプローチはちょっと異色だった。強い問題意識という部分では共通していたけど、彼の書く曲はいわゆるソウル色が薄く、むしろ細やかで端正なメロディが特徴だった。
 ソウル・バラードというには熱量が低く、凝ったハーモニーやカウンター・メロディを駆使する彼の曲は、取り敢えずソウルにカテゴライズされてはいるけど、本人的にも居心地が悪そうだった。シャウト一発で沸点を上げて、そのままノリと勢いで全力疾走する同世代のソウル・グループ/アーティストに対し、そういった常套手段に頼らないグルーヴを創り出していたのが、ダニーだった。
 だったのだけど、他と比べるとちょっと地味過ぎるよな。また「地味っ」って言っちゃった。

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 同じくニュー・ソウルにカテゴライズされるカーティス・メイフィールドに見出されてこの世界に入り、着実にキャリアを積み上げていったダニーだけど、それほど相似点があったわけではない。ていうか、「ニュー・ソウル」ってひとくくりにされることが得てして多いけど、実際のところ、それぞれの音楽性はバラバラである。
 代表的なアーティストを思いつくそばから挙げてみると、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、カーティスやアイザック・ヘイズといったところだけど、こうして並べてもわかるように、みんな方向性はバラバラである。ほぼ同じタイミングで既存ソウルやファンクでは括れない、いわば「じゃない方」ソウルと言った意味合いで、ユーザーへの配慮でまとめられていただけであり、実は曖昧な定義である。
 ヘイズなんてジャズの方に入れられることもある人だし、マーヴィンとスティーヴィーだって、一応モータウン繋がりではあるけれど、世代が違うこともあって、あまり絡むこともなかったようだし。しかもこの2人、音楽性だってバラバラだ。
 縁あってカーティスつながりだったダニーもまた、むしろ交流が多かったのは、大学時代の盟友ロバータやリロイ・ハトソンだった。音楽の名門:ハワード大学で時を同じく学んだ3人は、それぞれ歩んだ道は違えど、どうにかこうにかプロ・デビューするに至った。
 本格的に学理を学び、進取の気性に富んだ彼らは、これまでの粗野なファンクやポップ・ソウルをなぞるのではなく、新たなアプローチへ果敢に挑んでいた。ダニー同様、カーティスに見込まれてインプレッションズの後釜として見染められ、その後はプレ・R&Bの先鞭を切ったリロイ、案外いそうでいなかった、黒人女性シンガー・ソングライターの先達となり、「やさしく歌って」の大ヒット以降はデュエット御用達となったロバータ。
 彼ら2人に共通するように、ダニーもまた、無理に声を張り上げない、または「不似合いなディスコに走らない」路線を確立しつつあった。あまり泥臭くない、洗練された新世代のブラック・ミュージックを担うひとりとして、堅実に歩んでいたと思うのだけど。

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 話は飛ぶのだけど、今年3月、ビル。ウィザーズが心臓の合併症で亡くなった。微妙に音楽性は違うけど、彼もまたダニー同様、ソウル・シーンにおいては「じゃない方」的なポジションの人だった。
 時にジャジーに、ある時はフォーキーなシンガー・ソングライター的佇まいは、既存のソウル/ファンク・シーンではカテゴライズしづらく、次第にスポイルされ、人知れず引退していった。
 決してシーンのトップに躍り出る音楽ではなかったけど、目立たぬところで微かな光を放ち続ける、何年かに一度、ふと思い出して棚から引っ張り出してしまう、そんな歌だった。 大それた再評価ブームまでは盛り上がらなかったけど、映画やドラマ、CMで効果的な使われ方をされることが多かったため、なんとなく耳にしたことのある、趣味の良い音楽。
 彼が亡くなった頃、こんな記事が出た。その中で、すっかり業界ご意見番的存在となったルーツのクエストラブは、生前の彼について、こう語っている。
 「彼は最後のアフリカ系の普通の人なんです」。
 「マイケル・ジョーダンの垂直跳びは、誰よりも高くなければならない。
 マイケル・ジャクソンは、重力に逆らわなければならない。
 その一方で、(アフリカ系の)私たちは、しばしば原始的な動物としても見られている。
 私たちは真ん中に、普通にいられることはないんです。
(その中で)ビル・ウィザースは黒人にとって、ブルース・スプリングスティーンに最も近い普通の存在なんです」
 黒人とか白人とかじゃなく、単に書き上げた作品を純粋に聴いてほしいだけだったのに。ダンスをうまく踊れるわけじゃないけど、少しでも良い曲を書こうと、いつも努力している。
 シャウトもビートもグルーヴも取っ払った先にある、ただ普通に、みんなに愛される曲。ただ、それだけを求めていたのに。
 持って生まれたレッテルを笑い飛ばすには、繊細過ぎたのだろう。そんな彼による、声にならない悲痛な叫びが、『Extension Of A Man』には端正に刻み込まれている。




1. I Love the Lord; He Heard My Cry (Parts I & II) 
 壮大なオーケストレーションによる、5分に渡る映画音楽のようなインストがオープニングと、ソウルのアルバムとしてはのっけから破天荒な構成。ていうか、制作する時点ですでにソウルだポップだクラシックだ、など細かなジャンル分けは頭になかったのだろう。
 4分近く経ってから曲調が変化し、ここでダニーによるエレピが登場。ストリングスとのコンビネーションが心地よい。ドビュッシーやラヴェル、サティらクラシックからのインプットだけではなく、もうちょっと新しめのガーシュインなんかからもインスパイされたらしいけど、どちらにせよ70年代のポップ・シーンとは大きく乖離したところで、この音は鳴っている。
 この1曲のために大編成のオーケストラがスタジオ入りし、ダニーによる細かなサジェスチョンでレコーディングは行なわれたのだけど、考えてみればダニーのセールス推移で見れば、かなり大きな投資ではある。手間も時間もかかっただろうに、こんな大きなプランにGOサインを出したプロデューサー:アリフ・マーディンの懐の深さと言ったらもう。

2. Someday We'll All Be Free
 シームレスで続く、ダニー末期の代表曲。ウィリー・ウィークスのベースと、コーネル・デュプリー&デヴィッド・スピノザによるギター・プレイ、それにレイ・ルーカスのドラム。ダニーのフェンダー・ローズとヴォーカル。ただ羅列してみただけど、これでもう充分、名セッションに必要なすべてが、ここに詰まっている。
 程よく抑制されたバッキングに対し、熱くエモーショナルなダニーの声。「いつか自由に」という邦題の通り、ある種のアンセム的な扱いとなっているため、曲名で検索すると、カバー曲の多いこと。いつもはクールなアリシア・キーズの熱情的なヴァージョンが個人的には好きなのだけど、有名なのはやっぱりアレサ、映画『マルコムX』でもフィーチャーされたゴスペル・ヴァージョン。いや鳥肌モノだから、どのヴァージョンも。



3. Flying Easy
 冒頭からテンションの高い曲が続いたので、ここで箸休め的なポップ・チューン。う~ん、やっぱりビル・ウィザーズっぽいよな、アンサンブルが。ビートに頼らず、ローズの旋律で引っ張るグルーヴ感は、古今東西この人が一番うまいと思う。
 同時代のディスコやファンクと比べても、っていうか比べようがないくらい立ち位置が違う。カーペンターズやポール・サイモンなんかと同列で語られるべきだったのだ。単に良いポップス・良いメロディを書く、というその一点で。

4. Valdez in the Country
 センスの塊のような、ソウル色はほとんどない、むしろ白人ジャズ・ミュージシャンのような肌触りのオルガン・インスト。「軽妙で洒脱で」といった形容がぴったりな、上品でいながら嫌みのないグルーヴ・チューン。後半で割り込んでくるバス・クラリネットの存在感が、単純なシャレオツに陥らせないよう、ブレーキをかけているのが、秀でたバランス感覚。

5. I Love You More Than You'll Ever Know
 アメリカのブラス・ロック・バンド:ブラッド・スエット&ティアーズの1968年にリリースした楽曲のカバー。名前は聞いたことあったけど、よく知らなかったので、この機会にYouTubeで聴いてみたところ、レオン・ラッセルっぽいなぁと思ったけど、ただそれだけだった。まぁ俺が惹かれるタイプの人たちではない。
 俺的にはダニーで初めて知った曲のため、当然、こっちの方が思い入れが深い。偏見かもしれないけど、60年代末~70年代初頭までのアメリカのバンドって、総じて雑な先入観があるので、どうにも入り込めないのだ。
 かなり気合の入ったセッション風のアンサンブルをバックに、時に切なく、時にエモーショナルなヴォーカルを聴かせるダニー。全体的にちょっとブルース・テイストが濃く、ソウルのカテゴリーではとても推し量れない。

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6. Come Little Children
 で、あまりイメージがないのだけど、ほとんど見られない泥臭いファンク/スワンプ・ロックのサウンド・アプローチ。いやぁ埃っぽいしソウルっぽい。
 こういったタイプもこなせるんだ、と勘違いしてはいけない。あくまでアルバム構成を考えた上で、こういったアッパー系も入れた方がバランスが良い、という判断で作られただけで、多分、これで全篇は作れない。
 ある意味、器用な人なので、こういった曲を書くこともできる。ただスタイルが書けるだけであって、そこにエモーションはない。そこにこだわっちゃうから、難しいのだ。

7. Love, Love, Love
 ポップでありながら、ソウルの熱さもバランス良く混ぜ込まれたミドル・バラード。「What’s Going On」との相似性が語られることが多いこの曲だけど、俺もそう思う。まぁライブでカバーもしてたくらいだし、マーヴィンという存在は、彼の中でおおよその理想形でもあったのだろう。
 跳ねるリズム・セクションは彼の奔放さが最も発揮される空間であり、歌っててとても楽しそう。なので、別に無理に進歩しようとせず、この路線を深化させてゆくだけでもよかったんじゃね?といつも思ってしまうのだけど、そういうことじゃないんだろうな。
 天才ゆえの苦悩なのだろうけど、凡人には知る由もない。
 その音の先に、何があったのか。

8. The Slums
 軽快にやろうとしてるけど、どこかノリ切れないコール&レスポンスが印象的な、またまたインスト、今度はセッション風のジャズ・ファンク。オールド・スクールっぽさも感じ取れる、和やかなラップ・バトルがバックグラウンドで演じられ、ちょっとこじつけだけどシーンの行く末、先見性も感じられる。
 どこを切り取ってもそれなりにサマになってしまう、名プレイ・名フレーズが散りばめられているので、サンプリング素材としても優秀なんじゃないかと思われる。多分、誰かしら使ってるのかね。

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9. Magdalena
 多分、アリフ・マーディンつながりと思われる、アメリカのシンガー・ソングライター:ダニー・オキーフの1973年楽曲のカバー。オリジナルを聴いてみて、まぁカントリーっぽいよなぁ、と思いつつ、エレピがいい音出すよなぁ、とも思っていたら、なんとダニー自身がバッキングに参加していた。あらら。
 ホンワカしたオリジナルよりピッチを上げて、ロックンロール以前のポップスっぽく仕上げているのは、ちょっとしたお遊びか、それとも「この曲はこうあるべき」という解釈の相違か。

10. I Know It's You
 ラストはレオン・ウェア作の正調バラード。この頃、彼はまだモータウン・スタッフだったはずだけど、レーベルの枠を超えてまで、彼の歌を歌いたかったのかね。そtれともマーヴィンへの間接的なリスペクトか。
 荘厳かつ控えめなストリングスに対し、歪むほどの根城的なヴォーカルのダニー。これが最後と力を振り絞ったのか、その先の音が見えたことで、前へ進もうとしているのか。
 珠玉のバラードと言っても過言ではない、結果的にこれ以降、能動的な歌を作ることがなかったダニー・ハサウェイの悲痛な叫び。



 もっと歌えたはずなのに。



「まだイケる」。そう思わせてくれる渾身の一作 - Stevie Wonder 『A Time to Love』

folder 「新しいアルバムを製作中」というインフォメーションからもう数年、これが事実上のラスト・アルバムになるとは思いたくないけど、2020年時点では、これが最新作。ガンズ&ローゼスやXジャパンよりはまだ望みがありそうだけど、去年の秋、腎臓移植の手術を受けてから休養中のため、今のところ、次回作が出る気配はない。
 80年代に入ったあたりからその傾向はあったけど、特に90年代に入ってから、パッタリ創作ペースが落ちたスティーヴィー、この『A Time to Love』も、前作『Conversation Peace』から10年振りのリリースだった。さらにそこから15年経っているので、30年でたった3枚しかリリースしていない計算になる。そのうち1枚はサントラだったため、純粋なオリジナル・アルバムはたった2枚。
 1年で2〜3枚のアルバム制作に加え、ライブ活動も積極的だった全盛期とは、時代背景も制作環境も違ってきているので、単純に比較することはできないけど、でももうちょっとペース上げてもいいんじゃね?と言いたくなってしまう。あんまりブランク空けられても、モータウン的にも売り出しづらそうだし。

 とはいえスティーヴィー、この15年の間、何もしていなかったわけではない。他アーティストへの客演やゲスト参加に加え、自身名義でもいくつかシングルをリリースしている。
 数少なくなった存命中のレジェンドとして、多くのチャリティ・イベントや追悼ライブでは欠かさぬ存在である。近年のアレサや殿下の際も、悲しみに暮れる中、気丈なパフォーマンスを見せていた。ちょっと古いけど、森繁的なポジションだな。
 アルバムというまとまった形ではないけど、そんな感じで割と話題が途切れることもなく、むしろリタイア気味の同世代アーティストより、ずっとアクティブな方である。ニーズはあるはずなのに、ダイアナ・ロスなんて、とんとご無沙汰だし。
 70年代初頭ほどの創作意欲までは求めないにしても、アルバム制作へ向かう気力・体力の衰えは否めないのが、近年のスティーヴィーの置かれた現状である。また、そんな彼へのフォローアップ、制作環境をコーディネートできるブレーンがいないことも、また事実。
 幼いうちから「天才」と持ち上げられていたこともあり、また事実その通りなのだけど、年齢を経てくると、それが悪い方向へ作用し、他人の意見に耳を傾けなくなっていることは、何となく想像できる。「愛と平和の人」という仮面の裏側が傲慢な自己中であるのは、何もスティーヴィーに限ったことではない。
 ベリー・ゴーディもマイケルも鬼籍に入り、助言なりアドバイスなり、心を開いて語り合える相手がいなくなった現在、スティーヴィーは孤独である。長期療養中の身であるため、私人としては家族が支えとなってはいるけれど、アーティストとしての彼は、とても孤独だ。

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 で、『A Time to Love』、リリースまで10年かかったこともあって、完パケに至るまで、それなりの紆余曲折やコンセプト変更があったことは伝えられている。小品を集めた組曲形式のコンセプト・アルバムも検討されたようだけど、最終的には特別コンセプトは設けず、バラエティに富んだ曲構成で落ち着いた。下手にメッセージ性のバイアスが強かったりすると、エンタメ性も薄くシリアスなモノになっちゃいそうなので、適切な判断だったんじゃないかと思われる。
 サウンドのトーンのバラつきやセッション・データから、短期集中で行なわれたものではなく、複数のセッションからベスト・テイクを厳選したことが察せられる。娘アイシャとのデュエットなんかは、まぁご愛嬌として、インディア・アリーやアン・ヴォーグら新世代シンガーからのインスパイアを受け、結果的に時代に即したサウンド・アプローチで仕上げられている。
 バックトラックは、いつものスティーヴィー節満載だし、誰とコラボしても結局スティーヴィーのサウンドになっちゃうのは、記名性の強さが衰えていない証拠でもある。「時代を超えた普遍性」というのはちょっと持ち上げ過ぎだけど、ここまで強いキャラを保ち続けているアーティストは、彼以外、ほんの数えるくらいしかいない。
 同様にキャラが強い殿下とのコラボも収録されているのだけど、芸歴では格上のスティーヴィーが、殿下のフィールドに歩み寄っているのと、さすがの殿下も「スティーヴィーは別格」と認めているのか、前に出過ぎることもなく、もっぱらフォローに徹している。
 なので、スティーヴィーの固定ファンにはあまり馴染みのない、新進のインディア・アリーとのコラボの方が、スティーヴィーの漢気が垣間見えてたりする。ポール・マッカートニーとスティーヴィー、大御所2人が余裕シャクシャクで胸を貸してみたはいいけど、思っていたより相手に地力があって、勢いで押しまかされそうなところを踏みとどまる本気さ、そこから生まれるケミストリーは、まだレジェンドに祭り上げられるのを拒む現役感が表れている。

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 天賦の才と熟練に裏づけされたエンタテイメント性と、新たな才能からインスパイアされた知己とスキルによって、21世紀現在進行形のビジョンを示した『A Time to Love』は、US5位・UK24位、日本でもオリコン12位と好成績をマークした。やっぱ日本人って、スティーヴィー大好きなんだな。
 若手とレジェンド・クラスを織り交ぜた他アーティストとのコラボと、スティーヴィー流デジタル・ファンクと鉄板バラードという構成は、ここで必勝パターンとして確立した。曲調やコンセプトに統一性を持たせるのは難しいけど、トータル感よりバラエティ性を優先させる方が、iTunes対応としては正解だった。
 で、それから今年で15年。重い腰は上がらず、いまに至る。
 「その気になれば、勢いでチャチャっと作れる」とタカを括っていたのかもしれないし、実際、それができるだけの地力はあるのだけど、なんかテンションが上がらない。「やればできる子」は、背中を押しても動くものではない。
 この記事によれば、デヴィッド・フォスターとのコラボや、亡き母に捧げるゴスペル・アルバムなど、いろいろな企画が同時進行中になっているらしい。でもこういうのって、肩慣らし的なセッション1回でフェードアウトしちゃってるか、スケジュール調整が折り合わなくて自然消滅しちゃったり、はたまた企画書段階で本人自体が忘れちゃってるケースも多い。Xジャパン同様、可及的速やかに完成させる気はなさそうである。
 次回作がどうなるのかは気になるところだけど、いまのところはまず、体調回復を祈るばかりだ。
 生きてさえいてくれれば、必ず次はある。そういうことだ。


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1. If Your Love Cannot Be Moved
 日本ではほぼ知名度はないけど、本国アメリカではチャカ・カーンやホイットニーまで敬意を表する、大御所ゴスペル・シンガー:キム・ヴァレルとのデュエット。ポピュラー界ではともかく、実力的にはほぼタメのため、ぶつかり合うオーラが拮抗し合い、オープニングとしてはなかなかスリリングで挑戦的。
 この曲で着想を得て、前述のゴスペル・アルバムのアイディアに発展していったのかも、と想像してしまうけど、この感じだったらもっと聴きたいな。メッセージ性が前面に出ながら、サウンドの主張もしっかりしてるし。



2. Sweetest Somebody I Know
 音質こそモダンながら、全体的なテイストは70年代の密室サウンドを想起させる、ボサノヴァとデジタル・ファンクのハイブリッドという、なかなか難易度の高い曲。こういうサウンドになるとスティーヴィー、やはり興が乗るのか、メロディの自由度がハンパなくなる。他の人が歌えば支離滅裂になっちゃうところを、強引ともいえる力技で曲として成立させてしまう。

3. Moon Blue
 で、次はジャズ・ヴォーカル。まるでスタンダードのように聴こえるけど、まぎれもないスティーヴィーのオリジナル。いつものようにメジャーで作った曲を、無理やりマイナーに丸ごと転調しちゃったような、そんな印象。
 ただ歌うだけ、ただ演奏するだけじゃつまらない。世に出すためには、何かひとつミッションを設けることを課しているのか。ただ終盤になるとちょっと飽きてきたのか、フェイクもなんか適当っぽいのは、人間らしさが垣間見えてくる。

4. From the Bottom of My Heart
 どこかで聴いたようで懐かしい、そんなハーモニカのフレーズ。よく考えてみたら、シングルだったため、当時、FMでパワー・プレイされてたんだよな。US:AORチャート最高6位だって。
 楽曲的にはスティーヴィーとしては平均点レベルだけど、鉄板のハーモニカが入ってくると、それだけで確実にギアが一段上がる。取り敢えず、彼がハーモニカ吹いてる曲がいくつかあれば、みんな納得してしまう。

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5. Please Don't Hurt My Baby
 「Superstition」からインスパイアされたような、ノリも良くハード&ポップなデジタル・ファンク。自己模倣というかセルフ・パロディという受け止め方もあるけど、「自分で作ったネタ使い回して何が悪い?」という開き直りが見えて心地よい。

6. How Will I Know
 さすがに実娘とのデュエットでは、あんまり変なこともできないのか、ここは落ち着いたジャジー・バラード。最大公約数的なオーソドックスなバラードなので、まぁ安心しては聴ける。

7. My Love Is on Fire
 ジャズでは珍しいフルート・プレイヤー:ヒューバート・ロウズをフィーチャーした、こちらも70年代テイストの強い、ややAORテイストのナンバー。ジャズともファンクともポップとも形容しがたい、敢えて例えるならドナルド・バードっぽいのかな。
 フルートもそうだけど、ストリングスの入れ方なんて、やはり真似しようのないセンスの塊。

8. Passionate Raindrops
 静かでいながら、熱い想いを強く封じ込めた、腰の座ったラブ・ソング。単に耳障りが良く流麗なメロディだけでは、心に響かないし、そんなのを歌えるシンガーはいくらでもいる。多少クセはあれど、引っかき傷を残すインパクト。スティーヴィー自身も求めるパッションが、むき出しで投げ出されている。

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9. Tell Your Heart I Love You
 『Innnervisions』のアウトテイクをレストアしたような、やはり攻撃的なデジタル・ファンク。こうやって客観的に聴いてみると、今回のスティーヴィー、なかなか攻撃的だな。
 あまり多くの音を使わず、極力デモ・ヴァージョンの鮮度を落とさずに仕上げると、多分こんな感じになる。この勢いでもう1枚くらいは余裕で作れそうだけど、そこまでテンションが上がり切らないのか、それとも「今度仕上げる」がずっと先延ばしになっているのか。
 ちなみに何故かボニー・レイットがギターで参加している。よくわからんけどこの2人、そこまで関連性あったっけ?曲調からして、ジェフ・ベックと再演しても良かったんじゃね?と思ってしまう。

10. True Love
 もし鉄板バラードをジャズ・コンボと共演してみたら…、という思いつきを実際にやってみたら、なかなか面白い仕上がりになった好例。これって、新曲だからうまく行ったけど、セルフ・カバーだったらつまんねぇんだろうな、聴く方もスティーヴィー自身も。
 ライブでちょっとアレンジいじることはよくあるけど、考えてみればこの人、キャリア長い割には、セルフ・カバーって手を付けてないな。あんまり興味ないんだろうか。
 セルフ・カバーのバラード集なんて結構需要ありそうだし、多分、これまでも企画書くらい上がってるんだろうけど、全部鼻で笑って却下してるんだろうな。そういう意味では前向きな人だ、スティーヴィーって。

11. Shelter in the Rain
 アルバム・リリース直前、アメリカ南東部を襲った大型ハリケーン:カトリーナは、ミシシッピ・ルイジアナ州に甚大な被害を巻き起こした。被災者への経済・メンタル支援のため、多くのアーティストがチャリティ・イベントやコンサート開催に動いた。
 殿下も「ルイジアナ」って、そのまんまストレートなタイトルのシングルをリリースし、他にもモトリー・クルーからドクター・ドレーに至るまで、広範なジャンルから様々な手法によって、傷む彼らの心の平穏を支えた。
 「愛と平和の人」として、スティーヴィーもまた、3枚目のシングル・カットとしてこの曲をリリース、収益をすべて被災者支援に捧げた。スティーヴィーのこのタイプの楽曲は、時代を問わず普遍的なメッセージ性を有しているので、こういった有事の際、いい意味で汎用性が高い。
 特に2020年現在、我々はそんなスティーヴィーを、最も欲している。



12. So What the Fuss
 リリース前から話題になっていた、殿下とがっぷり4つに組んだコラボ。コーラス参加しているのが、再結成と分裂をたびたび繰り返しているアン・ヴォーグ。まぁ全員ピン張れるレベルの女性3人組だから、そりゃ割れるわな。
 本文でも書いたけど、ベーシック・トラックは殿下が作っているのだけど、かなりスティーヴィーに寄った作りになっており、一ファンとして楽しそうにギターを刻んでいる様が思い浮かぶ。

13. Can't Imagine Love Without You
 定番であり鉄板である、壮大かつパーソナルなバラード。単体で聴くと「Ribbon in the Sky」タイプのベタな曲なのだけど、このアルバム終盤近くに据えたのは正解。「何だかんだ言っても、結局こういうのが好きなんだろ?オイ」と見透かされてるようで、確かにその通りだ。

14. Positivity
 かつてかなり親しい関係にあったミニー・リパートンと過ごした日々のことを歌った、リズミカルなポップ・チューン。再びアイシャ・モリスとの父娘デュエット。
 ちなみにこの曲、シングル・カットされているのだけど、カップリングが元妻シリータとのこちらもデュエット。アイシャ的には、親父の愛人(?)や元妻も入り乱れて、もう何が何だか。フェミニズム的にはめっちゃ叩かれそうだけど、何もかも受け入れて、しかも納得させてしまうスティーヴィーの器の大きさゆえなのかね。

15. A Time to Love
 9分を超える壮大なバラード。ポールが参加していると言っても、もっぱら裏方に徹しているというか、ちょっと手を貸した程度の印象。本文にも書いたけど、むしろインディア・アリーの堂々とした佇まいが印象深い。
 このアルバムの根幹テーマとなるべく、ゴスペルからアフリカン・リズムからバラードまで、あらゆる要素を盛り込んで組曲となっているのだけど、冗長な印象はない。エンディングを飾る曲として相応しく、また今後、スティーヴィーが模索する新たなサウンドへの可能性も示唆していたと思うのだけど。



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スティーヴィーくんとシリータちゃん。 - Syreeta 『Stevie Wonder Presents: Syreeta』

folder モータウン系が続いたその流れで、70年代のスティーヴィー・ワンダーの未発表曲がどれだけあるのか、ちょっと調べてみた。
 マスターピースとされる3部作『Talking Book』『Innervisions』『Fulfillingness' First Finale』プラス『Songs in the Key of Life』を立て続けにリリースしていた頃のスティーヴィーは、大量の楽曲を書き、そしてレコーディングに励んでいた。あまりの多作ゆえ、すべてを発表しきれず、未発表テイクは膨大な数に上ると言われている。
 これについては諸説あって、その総数は何百〜数千以上とかなり幅広く、要はすっげぇアバウトである。今のところ、本人がコメントしているわけではなく、多くは自称(他称)関係者の曖昧な証言ばかりのため、真相は謎のままである。ちゃんとした完パケ状態だけじゃなく、簡素なリズム・トラックまで律儀にカウントしているのか、その基準は不明だけど、「とにかくメチャメチャある」ということだけしかわかっていない。
 成人になったと同時に、モータウンとは別に、自身の版権管理会社を設立したスティーヴィー、よほど音源管理がしっかりされているのか、この時期の流出音源は、ブート・サイトにもほぼ出回っていない。管理が雑だったせいで記録が残っていないのか、それともテープをケチってどんどん上書きしていたのかもしれない。

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 ごくたまに、何十周年かのタイミングでリリースされるモータウンのコンピで、過去の未発表曲が蔵出しされることがある。ほぼ終夜営業でファンク・ブラザーズをこき使い、四六時中、どこかのスタジオでレコーディングが行なわれていたモータウン、そこは膨大な未発表テイクの宝庫として知られている。
 もちろんスティーヴィーの楽曲も入っていたりはするのだけれど、そのほとんどは未成年時、モータウンのコントロールが強かった頃の音源ばかりで、正直、そこまで驚くようなものはない。ロバート・マーゴレフ & マルコム・セシルと共にスタジオにこもり、ムーグやTONTOを駆使して生み出されたた未曾有のシンセ・サウンドは、いまだその全貌を明らかにしていない。
 きちんとした新規リリースが途絶えているとはいえ、現在も精力的に活動を続けているスティーヴィー、現役であることにこだわっているのか、ベテラン・アーティストのわりに、アーカイブへの興味は薄い。70年代期アルバムのデラックス・エディションなんて、確実に需要があるはずなのに、そんな動きも見られない。
 ていうかスティーヴィー、もはやレコーディングそのものに関心を失っているのか、新曲を作ってもライブで発表する程度、アルバムにまとめる気もなさそうである。今どき新譜のアルバム出しても売れないだろうし、下手に大コケして晩節を汚したくない、という気持ちも働いているのかもしれない。

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 この時期のアウトテイクは、世界中で多くのユーザーの関心を寄せているらしく、ネット上では、様々な情報や憶測が行き交いしている。そのほとんどは、熱心なファンやマニア有志によるもので、関係者やオフィシャルな情報はごくわずか、その真贋を見極めるのも、またひと苦労する。
 ただ、真偽がどうこう言うのも大事だけど、単純に掲示板のやり取りを眺めるのは、これはこれで楽しい。ビートルズなんか、かなり研究が進んでいる方だけど、残されたマルチ・テープのラベルやスタジオ作業の進行表を解析して照合し、推論を立てる作業は、オフィシャル音源を聴き倒したマニアならではの愉悦である。
 同類は同類を呼ぶのか、同じく未発表音源の宝庫である殿下、プリンスの大型ファン・サイト「vault」の掲示板に、スティーヴィーの未発表曲についてのスレッドが立っていたりする。その内容を見ると、音源はないけど未発表曲を羅列したリストや、ジャクソン5時代のマイケルとのセッションを報じた音楽雑誌の記事など、興味を引くモノも多い。
 今年、春になってスティーヴィー、腎臓移植手術を受けることをステージで発表した。予定通りに行っていれば、9月に手術は終わっているはずだけど、今のところ公式なインフォメーションは途絶えたままだ。
 もしかして今この瞬間にも、「終活」と称した版権整理が進んでいるのかもしれない。

 この頃のスティーヴィーは、主にスタジオ・ワークに勤しんでいたとされている。とはいえ、まったくの引きこもりだったわけでもない。
 心身ともにピークを迎えていたスティーヴィー、エネルギーの放出が収まらなかったのか、それとも単なる気分転換か、自身のスタジオを飛び出して、数多くのセッションに顔を出している。単なる楽曲提供やカメオ出演的なコーラス参加もあれば、ガッツリ手間ヒマかけた全面プロデュースまで、その関わり具合は多岐に渡る。
 ソロ2枚目となるシリータのこのアルバムではスティーヴィー、初期のデモ・テープ制作段階から共作者として深く関わっている。時期的に言えば、『Innervisions』と『Fulfillingness' First Finale』との間にレコーディングされたものなので、サウンド・プロダクションは、ほぼその流れで組み立てられている。
 ほとんどのリズム・トラックでは、前述したムーグやTONTOがふんだんに使われており、シリータのヴォーカルをミュートするとあら不思議、スティーヴィーのソロのできあがり。多分に、それまでのデモ・テイクのストックをベースに、またはインスパイアされて書き上げた曲が多いのだろう。

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 当初、コーラス要員としてモータウンに入社したシリータだったけど、下っ端のままで終わるつもりではなく、多くのシンガー候補同様、隙あらば這い上がる野心を持っていた。特徴的なウィスパー・ヴォイスがスタッフの目に留まり、1968年、「リタ・ライト」の名でソロ・デビューを果たしている。
 デビュー曲はヒットには結びつかなかったけど、シュープリームスの新曲の仮歌を担当したことが縁で、グループ加入を勧められる。ダイアナ・ロスがソロ・デビューを機に脱退したため、その後釜に、というプランだったのだけど、メンバーのメアリー・ウィルソンに拒否されたため、その話はおじゃんとなる。
 どちらにせよシュープリームス、ダイアナがメインのグループだったため、その後の人気が下降線をたどるのは目に見えていた。いくらトップ・グループだったとはいえ、加入せずに済んだのは、ある意味幸運だった。
 時を同じくしてシリータ、この時期はスティーヴィーと男女の仲になっていた。無理に落ち目のグループに入るより、伸びしろのある若手クリエイターに取り入った方が得策なことは、女のカンで熟知していた。

 時代を超えて通用する、シャープでスレンダーなルックス、それに加えてクリエイターの創作意欲を刺激する、キャラクターの強いウィスパー・ヴォイスは、確かにスティーヴィーを虜にするに値するものだった。さらにさらに、天はシリータにソング・ライティングの才能まで与えてしまっていた。致せり尽せりだな神様も。
 正確に言えば、彼女単体の才能というより、パートナーの潜在スキルを掻き立てる触媒として、多くのクリエイターのレベル・アップに寄与した。スティーヴィーとの初めての共作となったのが、スピナーズに提供したレア・グルーヴのスタンダード「It’s a Shame」だったことから、ソング・ライティングの相性はすこぶる良かったと思われる。
 ただ、クリエイター同士のキャラとエゴとの衝突は激しく、そこで生じる確執はプライベートの関係にも大きく影響した。2人の蜜月は1年足らずで破局となり、以降は互いのスタジオ・ワークのサポートのみの関係へと移行する。
 何となく構図としては、「都度、新たな男性パートナーを踏み台に生き抜いてきたシリータ」と、「純音楽主義を貫く愛と平和のスティーヴィー」というのを想像してしまいがちだけど、その辺は疑問が残る。実際のところは早熟だったスティーヴィー、その後も切れ目なく女性遍歴を重ね、現時点で3回目の結婚、加えて5人の女性との間に9人の子供を設けている。
 なんだ、どっちも似たもの同士か。

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 『Music on My Mind』と並行して制作されたシリータのデビュー・アルバムは、ファースト・インプレッション間もない2人のセンスと先進性とが、強く打ち出されている。ほとばしるアイディアとスキルを剥き出しのまま、勢いに任せたあげく、強引な力技でまとめられている。
 ほぼすべての楽器をプレイしているスティーヴィーも、この頃はまだシンセ機材を導入したばかりで、スペックのすべてを使いこなしているわけではない。ストレンジなサウンドを創り上げることを優先しているためか、正直エンタメ性は薄い。
 いやクオリティは高いんだよ、でもアクが強い。モータウン特有の万人向けのポップ性より、インスト・パートの自己主張が強すぎる。
 サウンドの構成パーツとして扱われているシリータのヴォーカルは、強いエフェクトがかけられているため、バッキングに取り込まれている。実際に聴いてみると、機械的に変調されたウィスパー・ヴォイスとシンセ・サウンドとの相性は良く、それでいて埋もれてしまわず、きちんと「シリータ・ライト」の記名性はキープしている。
 サウンド・プロデュースとしては正解だったと思うのだけど、まぁちょっとやり過ぎた感も強い。シリータからすれば、「あたし目立ってないじゃないの、あんた誰のアルバムだと思ってんのよ」とボヤいても仕方がない。
 その反省もあったのか、再々デビューとも言えるこの2枚目では、スティーヴィーのアーティスト・エゴはほどほどに薄められている。いやバッキングは『Innervisions』成分が多いのだけど、シリータのヴォーカルにフォーカスしたサウンドになっている。


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1. I'm Goin' Left
 威勢の良いロック・テイストでのオープニング。前作と違ってコンボ・スタイルでのレコーディングのため、シリータのヴォーカル、それをフォローするデニース・ウィリアムスのコーラス、マイケル・センベロのギター・プレイも盛り上げに作用している。



2. Spinnin' and Spinnin'
 ミニー・リパートンっぽさが感じられるのは、レコーディング直前にミニーの『Perfect Angel』を手掛けた余韻が残っていた、との説が。まぁ確かにまんまミニーだな。
 あまり黒っぽさを感じさせない声質が好みだったのかスティーヴィー、ここでも安易なダイナマイト・シャウトに頼らないサウンド・プロデュース。子守歌のようなワルツのリズムは、スティーヴィーとの蜜月の回想を表現しているのか。だとしたら未練たらしいよな。でも、それが男の性だ。

3. Your Kiss Is Sweet
 古いメリーゴーラウンドを想わせるシンセのリフに対し、時に力強いヴォーカルを利かせるシリータ。泥臭いトラディショナルな歌唱とファニーなサウンドとのコントラストこそが、スティーヴィーの狙ったところか。
 フェイクのパートなんてスティーヴィーのパフォーマンスを連想させるけど、もしかしてシリータの方が先取りしてたのかもしれない。

4. Come and Get This Stuff
 もともとはスティーヴィーがチャカ・カーンのために書き下ろしたものだけど、チャカに拒否されたため、こちらに収録される運びとなったいわくつきの曲。確かにシリータにしてはリズムが立った曲で、いにしえのソウル・チューンといったところをチャカが嫌ったのか。ベタなコーラスがらしくないけど、チャカへの当てつけだったのかしら。

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5. Heavy Day
 シンプルなソウル・バラード。ソウル特有のコブシやグルーヴを徹底的に排除すると、こんな感じで流麗なポピュラー・ソングに昇華する。ソウルとしては食い足りないけど、「Lovin’ You」を好きな多くの人にはヒットするナンバー。俺?案外好きだけど。

6. Cause We've Ended as Lovers
 ひと昔前の恋愛映画のサントラを思わせる、ムーディーなバラード。ヴォーカル・パフォーマンスとしては、このアルバムの中でも会心の仕上がり。情感たっぷりながらクドくならないのは、声質だけじゃなく細かなテクニックの賜物。しかしスティーヴィー、こんな技も持ってたのか。あんまり見せないよね、こういうアプローチ。

7. Just a Little Piece of You
 こちらもストリングスを効果的に使ったバラードだけど、ちょっと違うのはスティーヴィーのリズム・アレンジ。やたら鳴り物が多いため、過剰にドラマティックに寄り過ぎないように作っている。本職じゃない人がドラムを叩くと、こんな風に手数が多くなる。ちょっと出しゃばり過ぎだよ、スティーヴィー。

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8. Waitin' for the Postman
 どの辺が郵便配達夫なのかは不明だけど、意味なんかないよ、楽しければそれでイイじゃん、といったムードのジャム・セッションを素材としたインタールード。こういった短い曲をつなぎで入れるのはコンセプト・アルバムの手法だけど、そこまでカッチリ作られているわけではない。スティーヴィー的には一貫したテーマでもあったのかね。

9. When Your Daddy's Not Around
 コンセプト・アルバムとして考えれば、どんな構成であっても不思議はない。ここでヴォーカルを取るのはシリータではなく、デニス・モリソンという男性シンガー。謎でも何でもない。単なるスティーヴィーの変名。契約の関係なのかお遊びなのかは不明だけど、いやあんたの声って、すごくわかりやすいから。

10. I Wanna Be by Your Side
 スティーヴィー臭が強かったこのアルバム、ここでガラっと雰囲気が変わる。エモーショナルなポップ・バラードでデュエットを務めるのは、後にタッグを組むことになるスピナーズのGCキャメロン。「It’s a Shame』でリード・ヴォーカルを務めた男である。正直、テクニック的にはやや粗雑で凡庸なのだけど、アクの強いシリータとのバランスは良い。やっぱあれだな、アクが強い同士のデュエットってとっ散らかった仕上がりになってしまう。
 凡庸なバラードだけど、凡庸にやろうとしてやっているのだから、いいじゃないのそれで。



11. Universal Sound of the World
 多分にこの曲はシリータ主導で書かれたものと思われるけど、セオリー無視のスティーヴィーと比べ、彼女のメロディは破綻の少ない構造であることに気づく。そう考えると、メロディを立たせるためには、サウンドはそこまで凝らなくてもいいんだよな。
 ここで二人が袂を分かったというのも、何となく納得がゆく。
 どっちもアーティストだもの、引かないよな。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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