好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

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強い虚脱感、そして、純粋なカルマ。 - Joni Mitchell 『Night Ride Home』

folder ジョニ・ミッチェルが紹介される際、高確率でくっついてくるのが「才女」というフレーズである。本業の音楽だけじゃなく、写真や絵画など、あらゆる表現活動を行なっていることは、わりとよく知られている。
 特に絵画においては、本業を上回る情熱を注いでいる。自らアルバム・アートワークの多くは手掛けており、不定期で個展も開催されていることから、画家としての評価は高いとされている。
 マイルス・デイヴィスやロン・ウッドなど、サブカルチャーとしての絵画を手がけるアーティストはそこそこいるのだけど、水彩画から線描画、本格的な油彩画まで、メインカルチャーとして幅広く手掛けているのは、思いつくところでは彼女しかいない。ミュージシャン引退後のキャプテン・ビーフハートの後半生は画家だったらしいけど、そんなに有名な作品もない。チラッとググってみたけど、サウンド同様、アバンギャルド臭がちょっと強い。あと100年くらいしたら、再評価されるかもしれないけど。

 一応、ジョニのファンの間では、画家としての作品も一定の評価を得ている。彼女の表現活動を知り尽くしたいため、また世俗の些事に煩わされぬよう、多少値が張っても購入する固定ファンの存在が、アーティスト:ジョニ・ミッチェルを支えている。
 これは何となくのイメージだけど、世代からいってジョニのコア・ユーザーは50代以上、可処分所得が多い層が中心と思われる。ストーンズやスティーリー・ダンのライブ・チケットのプレミア価格に難色を示さない、100ドル単位は誤差と捉える富裕層の存在が、ジョニのカリスマ性を維持していると言ってもいい。
 じゃあ、ミュージシャン:ジョニ・ミッチェルというバイアスを取っ払い、純粋な画家:ジョニ・ミッチェルの評価とは、一体どんなものなのか。音楽業界側からの絶賛・礼賛のレビューは数多くあれど、美術業界側からのそれについては、あんまり目にしたことがない。ていうか、今回探してみたけど、見当たらなかった。
 画壇において、ジョニの評価はどういうものなのか、またどんなポジションにあるのか。工藤静香や片岡鶴太郎同様、芸能人の余技程度の扱いなんだろうか。ちょっと調べてみた。

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 こう言うとき便利なのが、前回のジョニのレビューで触れたオフィシャル・サイト。そこでまとめられた膨大なアーカイブは、音楽作品だけにとどまらず、絵画や写真も年代別に整理されている。ジョニ、または周辺スタッフの強いこだわりが反映してか、一種の博物学・文化事業を思わせるディテールのこだわり振りとなっている。
 絵画作品は「Paintings」のカテゴリでまとめられており、作品ひとつひとつに短い紹介文が添付されている。クロノジカルに分類されることによって、技術や手法、さらに作風の変遷がわかりやすいように構成されている。
 60年代の作品はもっぱらスケッチ的、親しい友人・知人に向けてササッと描いた素描画が中心となっている。変則チューニングを多用した当時のフォーク・サウンドを反映するかのように、シンプルな描写やタッチが特徴。この時期はまだ趣味の範疇で、マスへの公開を前提としたものではない。
 フォーク路線から一転して、ジャズ/フュージョン系を志向した70年代になると、表現活動のベクトル変化の影響もあって、しっかり手をかけた油彩画が多くなってくる。音楽だけではなく、写真や絵画など、表現活動全般に本腰を入れるようになったのが、ちょうどこの頃、ジャコ・パストリアスとの運命的な出逢いとほぼ一致する。
 以前も書いたけどジョニ、その時々のパートナーによって、方向性やテンションがガラリと変化する人である。もう少し正確に言えばジョニ、有能なアーティストやクリエイターを惹きつける一種のフェロモンを常に放っている。強烈なインスピレーションとセクシャリティとに絡め取られた男どもを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げしながら、自身のクリエイティヴィティに取り込んでしまう。才能なりスキルなりをすっかり搾り取られた挙句、ある男は捨てられ、またある男は零落のあと、命を落とす。そんな男どもの屍をものともせず、我が道をただひたすら突き進む、それがジョニ・ミッチェルとして生きるための業である。
 で、話を戻して80年代。ジャコとの別離、さらにはジャズ・レジェンド:チャールズ・ミンガスとの共演でジャズ/フュージョン路線がひと段落して、大きな転機を迎えることになる。この時期から、音楽作品のリリース・ペースはグッと落ちるのだけど、逆に画業のウェイトの方が多くなってゆく。
 ちょうどバブルに差し掛かった80年代後半、絵の個展開催のため、ジョニは来日を果たしている。音楽活動はまったく関係なく、完全に画家として。ミュージシャンの余技としてではなく、独立して商業ペースに載せられるようになったこと、また、成果主義に強く傾倒した音楽業界への不信感が、ミュージシャン<画家という傾向を強めていった。

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 画壇での評価や絵の優劣について、俺は詳しくない。ただ、なにがしかの権威による箔付けによって、高い評判を得、それに見合った実勢価格がつけられることはわかる。それは創作物全般に言えることであって。価格がすべてとは言わないけど、どれだけの評価なのかの目安はつく。
 で、結局のところ、ジョニの作品って、正直いくらなの?という話になる。例えば、サイト内のこの作品だと、どうやら35,000ドルで売りに出されている。他のオークション・サイトを見ると、だいたいが3,000ドル前後となっている。いずれもプリントではなく原画の相場であり、日本円で言えば30万から350万くらい。あまりにもザックリし過ぎて、適正価格がさっぱりわからない。
 これが個展などの販売なら、もっと価格は跳ね上がるのだろうけど、それもミュージシャン:ジョニ・ミッチェルのファンが購入する確率が高いだろうから、純粋に絵画としてのクオリティの対価というには、ちょっと微妙な気もする。画家:ジョニ・ミッチェルは知ってるけど、曲は聴いたことがない、という人が購入するのは、かなりのレアケースだと思われる。

 70年代のジャズ/フュージョン路線から一転、ひと回り以上年下のラリー・クラインと付き合い始めたのを機に、大衆性を強めたコンテンポラリー・サウンドを志向し始めたのが、ゲフィン時代だった。ヒット・チャートの音楽と並べても遜色ない、間口の広い高級AOR路線がこの時代である。
 ハイパー・テクノポップで一世を風靡したトーマス・ドルビーを引っ張り出してきたり、アーティスティックな視点を失わずに商業的成功を成し遂げた、ある意味ジョニの理想形スタンスに最も近かったピーター・ガブリエルとデュエットしたりして。
 ただ音楽制作に対して生真面目だったジョニ、シンセ・ポップやパワー・ポップ的なアプローチをいくら導入したとしても、肝心のメロディやフレーズのキャッチ―さが欠けている。マドンナやホイットニー・ヒューストンとは、そもそも立ち位置が全然違ってるわけだし。
 また、ジョニを聴くユーザーが、そういった方向性を求めていたかといえば、そんなわけでもなかった。ジョニに心酔している原理主義者ならともかく、この頃の大多数のファンは、ジョニの歌と変則ギター・プレイを中軸とした緻密なアンサンブル、時に大胆で予測不能のインタープレイに惹かれていたわけだし。
 ガブリエルやケイト・ブッシュをモデルケースとした、きちんと芸術性を保持しつつ、多くの一般大衆が思うところの「高尚な音楽」をテクニカルに表現した高級AORを志向していたのが、ゲフィン時代のジョニである。大きなセールスに結びつかなかったのは、アーティスト・イメージの演出不足や、ヒット曲に不可欠なある種の下世話さが足りなかったことなど、まぁ理由はいろいろ。
 目に見える売り上げ成果がなく、しかも高級AORへのニーズが薄いことを悟ったジョニ、その後、音楽活動のインターバルは長くなり、反比例して画業に注ぐ熱量は高まってゆく。それがこの、『Night Ride Home』あたりからである。

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 このアルバムを最後に、ジョニはゲフィンと契約解消し、古巣リプリーズへ移籍する。『Night Ride Home』、またその後リリースされた『Turbulent Indigo』『Taming the Tiger』に共通するのが、解脱したかのごとく、脂の抜けたサウンド・アプローチである。
 シンセ機材の使用は最小限に抑えられ、生音を主体とした、骨太でありながら水面のごとく静謐な音楽。俗世間とは隔絶された、ヒットする/しないはもはや関係ない音楽。
 ―彼岸で鳴っている音。
 揶揄でも皮肉でもない、そんな形容がぴったりなサウンドで統一された『Night Ride Home』は、マドンナともケイト・ブッシュとも、はたまた工藤静香ともまったく別の次元で鳴っている。ギリギリの緊張感で培われた完成度は、従来のジョニのファンでさえ、ちょっと敷居が高く感じてしまう。
 安易な流し聴きを許さない、それ相応の覚悟を聴き手にも求める、そんな音楽である。
 辛うじてエンタメ性を残していた前作までと比して、『Night Ride Home』のサウンドは、恐ろしく共感性が薄い。ストイックに研ぎ澄まされ、鋭利に磨かれた結果、音の純度は高い。「鳴らしたい」音ではなく、「こうあるべき」音しか入れなかった―、そんなところだろう。
 収益を得ることを前提とした商業音楽に背を向け、純粋なクオリティのみを追求した結果、『Night Ride Home』には、ジョニのある強い確信が、剥き出しとなってあらわれている。
 そこにあるのは、強い虚脱感、そして、アーティストとしての純粋なカルマだ。


Night Ride Home
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1. Night Ride Home
 とは言っても、ジョニのアコギ・プレイが大きくフィーチャーされたフォーク・タッチの楽曲は、やはり強い吸引力を放つ。ヒット・チャートに入ることはガン無視だけど、彼女なりにリラックスして、聴きやすさとセッションの心地よさ、そんな空気感がうまくプロデュースされている。
 ちなみにずーっとバックで泣いている夜更けの虫の声、そこまでしつこく引っ張る必要はないと思う。

2. Passion Play (When All the Slaves Are Free) 
 前曲から続く、ほぼ同じタイプのフォーク・タッチのナンバー。ていうか、レコードで言えばA面は、ほぼ全篇こんなアレンジが続くのだけど。組曲として捉えれば納得できるかな。ドローンっぽく響くラリー・クラインのベース・プレイが前面にフィーチャーされている。
 前作までだったら、もっとビートを効かせたアレンジになっていたんじゃないかと思われるけど、もうそういったのはやめちゃったんだな。

3. Cherokee Louise
 今回のジョニのギター・プレイは強めのストロークが特徴となっており、時にまったりしがちな空気感を切り裂くようなインパクトを与えている。この辺はアーティストとしての本能、バランスが働くんだろうな。
 ジョニのレコーディングではほぼ常連のウェイン・ショーターが、センチメンタルなプレイで花を添えている。70年代で幾度もセッションを重ねた2人だけど、かつての緊迫したプレイとは、まったくの別物。お互い寄り添いながら、相手をおもんばかる協調性にあふれている。



4. The Windfall (Everything for Nothing) 
 ポエトリー・リーディングのようなモノローグからスタートする、これまでよりはちょっと凝った構成、不思議な味わいのあるチューン。ここに入れるより、むしろ前作『Chalk Mark in a Rain Storm』のテイストに近い。アルバム通して聴くのなら、やはりこういった躍動感のある曲がひとつやふたつ、あったっていい。

5. Slouching Towards Bethlehem
 20世紀初頭に活躍したアイルランドの詩人W.B.イェイツ作「The Second Coming」にインスパイアされて書かれたフォーク・チューン。そういえば、ウォーターボーイズのマイク・スコットも、イェイツに捧げるアルバムを作っていたし、日本人にはわからない創作意欲を掻き立てる何かがあるのかしら。
 アフロ・テイストながら、決して泥臭い方面に行かないカリウタのリズム・アプローチが、ちょっと気に入っている。こういう強者を惹きつけるキャラクターを持つ女、それがジョニ・ミッチェル。

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6. Come in from the Cold
 シンプルなフォーク・タッチのチューンと思われがちだけど、薄くシンセが載せられており、ある意味、ゲフィン時代のジョニの完成形と言い切っちゃっても差し支えない楽曲。
 思えばジョニ、キャリアの中で最も躓きかけたのが、前々作の『Dog Eat Dog』だった。従来の音楽性とMIDI機材とのハイブリッドを模索し、それは消化不良で終わってしまったのだけど、そんな試行錯誤を経てひとつの結論に達したのが、このようなアプローチ。無理にシンセを前面にフィーチャーするのではなく、ベースのリズムをしっかり構築して、その上にスパイスとしてサイドに寄せるやり方。
 時間はかかったけど、実際にやってみて、体を動かし、そして黙考する。それが彼女のやり方なのだ。

7. Nothing Can Be Done
 で、そんな方法論を推し進め、ゲフィンの要請だったのかジョニの出来心だったのか、コンテンポラリー寄りに仕上げられたのが、この曲。多分、シングル向けの曲が欲しいという双方の思惑が一致したのか、男性ヴォーカルとのデュエット仕様。でも、相手はDavid Baerwaldという無名のアーティスト。前作ピーター・ガブリエルと比べると、どうしても格落ち感が否めない。それでかシングル・カットは見送り。

8. The Only Joy in Town
 レコードで言えばB面にあたる6.からの流れは、ややコンテンポラリー寄りのサウンド・メイキングで構成されている。普通、逆だろ。A面をキャッチ―にするのが常道なのに、そんなにメジャーにへそ曲げちゃったのかね。
 ここでジョニがプレイしている、ソプラノ・サックスの音色は、オムニコードという楽器で代用されているのだけど、こんな感じの楽器。日本製の電子楽器だけど、まぁ普通は知らんわな。案外、世界中に愛用者がいるらしく、ブライアン・イーノやマイ・モーニング・ジャケット、アーケイド・ファイアなど様々。トイ・ピアノ的な使い方なのかね。

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9. Ray's Dad's Cadillac
 『Mingus』あたりに入っていそうなジャズ・チューンを、力技で80年代サウンドにねじ伏せたようなナンバー。もしくは「Big Yellow Taxi」のアンサー・ソング的な。コンテンポラリーの文法を使いながら、楽曲的にはいびつだけど、アプローチとしては前向き。ショーターのサックスが入っているけど、そこまで目立ったプレイではなく、むしろ抑え気味。無理に入れなくても良かったんじゃね?

10. Two Grey Rooms
 もともとは『Wild Things Run Fast』セッションでオケとメロディが書かれた、長い構想の下、仕上げられたラスト・チューン。夭折したドイツ人映像作家/俳優Rainer Werner Fassbinder、同性愛者抑圧の象徴だったドイツ刑法175条からインスパイアされて、一気に歌詞が書き上げられた。
 そんな重っ苦しい主題はわからずとも、荘厳としたピアノとストリングスに彩られた流麗なサウンドは、充分にコンテンポラリー/スタンダードとして昇華している。シリアスな主題を和らげるかのように、サウンドはどこまでも心地よい。



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後期のローラ・ニーロもちゃんと聴いてみよう - Laura Nyro 『Live at the Bottom Line』

folder 1989年リリース、ローラにとって通算2枚目となるライブ・アルバム。1997年に亡くなってから以降、70年代のフィルモアから最晩年のツアーまで、続々発掘モノがリリースされたけど、現役活動時にリリースされたのは、1977年の『Seasons of Lights』とこれだけ。ピアノを中心とした音作りのため、上辺の激しさや躍動感とは対極のものだけど、パッションを内に秘めたグルーヴマスターの面影は充分窺えるものとなっている。
 1984年『Mother's Spiritual』リリース以降、ローラはすべての音楽活動から身を引いている。晩年まで共同生活を行なったMaria Desiderio、そして最愛の息子Gil とのプライベートを優先したがゆえの選択だった。加えてこの時期、彼女の関心は音楽よりむしろ、動物愛護運動に強く向いていた。
 この沈黙の時期、スタジオに入ることはほとんどなかったけれど、創作活動まで中断していたわけではない。無理に構えなくても、自然と言葉は湧き出、メロディは奏でられる。それが生まれついての音楽家ローラ・ニーロの性と言うべきものだった。
 休養も4年が経過し、「時が来た」のだろう。ローラは再び、最前線に復帰する意思を固める。気心の知れたバンド・メンバーを集め、小規模会場を中心としたライブ・ツアーを行なった。
 このツアーのセットリストには、古い曲やカバーばかりではなく、未発表の新曲も多く含まれていた。まだリリース契約にこぎ着けていないド新人ならまだしも、彼女のようなメジャー・アーティストとしては異例のことだった。

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 当初の構想としては、レコーディング前のリハビリ、楽曲の練り直しのため行なわれたツアーだった。だったのだけれど、ライブ・パフォーマンスの完成度が高まるにつれ、むしろスタジオ録音で鮮度が落ちることを危惧するようになる。
 「ライブで十分完成度高まっちゃったから、いっそこの勢いでライブ録音した方がいいんじゃね?」
 そんな風に誰が言ったか不明だけど、特にクオリティが高かったニューヨークの伝説的なライブ・ハウス「ボトム・ライン」での公演を、ライブ・アルバムとしてリリースしたい旨を、ローラは所属レーベル:コロンビアに打診する。
 一方、コロンビアが望んでいたのは、スタジオ録音のオリジナル・アルバムだった。おおよそ20世紀まで、ライブ・ツアーとはニュー・アルバムのプロモーションとして企画されることが多かった。その一連の流れの総決算として、いわばコレクターズ・アイテム的な意味合いでリリースされるのがライブ・アルバムという位置づけだった。
 カバーされた曲でヒットしたものはいくつかあれど、自身では大きなヒット曲やアルバムを持っていなかったローラに、コロンビアの決定を覆すほどの発言権はなかった。なのでこのアルバム、彼女の生前のアルバムとしては唯一、A&M系列のサイプレスからリリースされている。コロンビアから離れたわけではなく、このアルバムをリリースするためだけに取られた限定的な措置だった。
 コロンビアとのリリース契約はまだ残っていた。契約を履行するためには、スタジオ録音のアルバムを作らなければならない。さて、どうすれば。
 単純に考えれば、ライブ・メンバーとスタジオ・セッションすれば、そんなに手間もかからなくて済むんじゃね?と思ってしまいがちだけど、きっとローラの中では、そういうことではなかったのだろう。
 あの時、奏でられた音は、あの瞬間で閉じてしまったのだ。
 また何度もパフォーマンスを重ねることによって、新たな切り口が生まれてくるかもしれない。
 機が熟すのはいつなのか。それはローラ自身にもわからない―。

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 80年代から90年代にかけてのローラは、音楽アーティストよりはむしろ、社会情勢に警笛を鳴らす活動家として、クローズアップされることが多かった。まぁ新作が出ていないので、音楽的な話題が少なかったせいもある。
 その活動範囲は多岐に渡り、代表的なところでは動物愛護、はたまたフェミニストからベジタリアン、その他もろもろ。基本、生真面目な人だから、筋が通っていたら何でも引き受けちゃってたんだろうな、きっと。
 名もなき表現者が声を上げることで、そのメッセージが多くの支持者の賛同を集め、ゆっくりと草の根的に広がっていったのが70年代だったとすれば、そんなプロットがもっとシステマティックになっていったのが、80年代中盤だった。稚拙で素朴なメッセージながら、真っ先に拳を振り上げた者がカリスマとなり、大きな運動へ発展してゆくのは同じだけど、スピード感とスケールがけた違いになったのが後者と言える。
 誤解を恐れず言っちゃえば、「哀愁のマンディ」の一発屋だったボブ・ゲルドフが、エチオピアの難民救済を訴えたドキュメンタリーをTVで観たことから始まったのが、1984年のバンド・エイド・プロジェクトだった。そのささやかな思いつきはその後、全世界を巻き込んだ一大プロジェクト「ライブ・エイド」に発展し、それは膨大な収益を上げた。上げたのだけれど、実際にエチオピア難民に届けられた救援物資はほんのわずかだった、というオチがあるのだけれど、それはまた別の話。
 多くのスタッフが絡むことによって、一方では効率化が捗るけど、追随して事務作業やらの煩雑さも増えてきちゃうわけで。単純な熱意や想いだけでは、システムはうまく回らない。一介のアーティストやボランティアの手弁当だけでは、限界があるのだ。
 「だったらいっそ、プロジェクトに応じた財団なり法人を立ち上げて、付帯作業をアウトソーシングしちゃった方が捗るんじゃね?」と誰かが気づき、様々なNPOやらNGOやらが立ち上がる。ただそうなったらなったで、今度は利権の温床やら派閥抗争からの内部分裂やら新たな問題が生まれてきちゃったりして、もう本来の目的がどこへやら。

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 パートナーMariaの影響もあってか、当時のローラは動物保護運動に積極的に関与していた。この時のツアーも支援団体「アニマル・ライツ」に捧げられており、啓蒙活動に一役買っている。ローラが直接的に団体運営に携わっていたとは考えづらいけど、ある程度、世間の認知もあるメジャー・アーティストとして、一種の広告塔的役割を果たしたことは間違いない。
 89年あたりだと、ベルリンの壁が崩壊したり天安門事件があったりパナマ侵攻があったりで、誰もが時代の変遷を同時進行で体感していた頃だった。メッセージ性を強く持ったアーティスト、代表的なところではU2なりスプリングスティーン、またはスティングやR.E.M.らが、様々なメディアを通じて直接的にコメントを発し、真摯な主張を作品に反映させていた。
 原則的には中立と謳いながら、極端にタカ派が多かったメディアは、彼らのスタンスを好意的に捉えていた。ロックやフォークといったジャンルが、まだギリギリ反体制の香りを漂わせていたこともあって、いわば共存共栄の関係性が築かれていた。
 グローバルな大企業となっていたメジャー・レーベルとしては、あまり過激な言動を好みはしなかったが、極端に過激に走ることがなければ、おおよそは容認した。だって、反体制って商売になるから。
 政治的・社会的スタンスを明言することによって、アーティストのカリスマ性は増し、それがセールスに反映される。経営陣にとって、その主張の是非は問題ではない。そこで確立されたイメージがセールスと結びつくかどうか。そっちが重要なのだ。

 で、リリース時から30年経過して、いきさつ抜き・色メガネなしで聴いてみると、どの楽曲もいつものローラである。ライブということでテンションがちょっぴり高めではあるけれど、静かなパッションを秘めた楽曲はしっかり練られたものだし、意図を理解したバッキングも適切に配置されている。主義主張が反映されてはいるけれど、どれも押しつけがましいところはなく、エバーグリーンなポップスとして仕上げられている。
 なので、コンセプチュアルな色彩が残る『Mother’s Spiritual』の続きではなく、パーソナルでありながら開かれた作風の『Walk the Dog and Light the Light』の序章として捉えた方がわかりやすいという結論。


Laura: Laura Nyro Live at the Bottom Line
Laura Nyro
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1. The Confession / High-Heeled Sneakers
 オープニングは2枚目のアルバム『Eli and the Thirteenth Confession』より。オリジナルは神経質なアルペジオを基調としたグルーヴィーなフォークといった印象。21歳のローラの声も、ややストレスがかかっているのだけれど、ここでは四十路を迎えたことでヴォーカルもソフトに、歌とアンサンブルを心地よく聴かせる余裕に満ち溢れている。
 メドレー・スタイルでつながれているのは、1964年、US11位のヒットとなったブルース・シンガーTommy Tuckerの曲。リスペクトなのか、もともとインスパイアされたものなのかは不明だけど、まぁそんなのどっちだっていいか。ゆったりしたブギのリズムは、細かい考察をかき消してしまう。

2. Roll of the Ocean
 ここからはしばらく未発表曲、いわば新曲が続く。タイトルからしてエコロジーっぽさが漂っており、実際、歌詞を読んでみたらそんな感じだった。モノローグやインダストリアルなリズム・パートがランダムに挿入されている、ちょっと複雑な構成。
 しなやかながら芯の通ったヴォーカルは聴いてて心地よいけど、でもこれって、英語ネイティヴのアメリカのライブなので、オーディエンスはどう思ってたんだろうか。多くのファンは1.のようなスタイルを期待していたはずだけど、あと一歩でスピリチュアルに行っちゃうようなアプローチは求めてなかったはずだし。手放しで歓迎されていたとは、ちょっと微妙。

3. Companion
 なので、フィリー・ソウルからインスパイアされたピアノ・バラードが入ってくるとホッとしてしまう。余計なものはなく、足りないものもない。シンプルでいながら、彼女のいいところがすべて詰まっている秀作。



4. The Wild World
 ギアを上げたロッカバラード調のアップテンポ・ナンバー。こういった楽曲も初期のローラなら、ねじ伏せるような強い口調で歌いあげていたはずなのだけど、ここではバック・メンバーに恵まれたせいもあって、ほどよいグルーヴに身を任せている。肩の力を抜くというのはこういうことで、気が抜けたパフォーマンスにはなっていない。

5. My Innocence/Sophia 
 オリジナルは6枚目の『Nested』と7枚目の『Mother's Spiritual』より。どちらも似たようなシャッフル・リズムの曲だけど、はっきりどこから境目というのがなく、二つを一緒くたにしてモザイク状に入り混じった、といった印象。基本のビートは前者だけど、正直、どっちがどれだけ混じってるのかは判断しづらい。
 そんな分析は抜きにして、グルーヴィーなリズムはオーディエンスの腰をいやでも上げさせる。

6. To a Child
 晩年のローラのマイルストーンとも言うべき、次世代の幼子らへのメッセージを込めたナンバー。初出は『Mother's Spiritual』で、9年後の次作『Walk the Dog and Light the Light』でも再度取り上げている。前者はフュージョン・ポップ、後者は静謐なピアノ・バラードとそれぞれ違うアプローチで挑んでいるのだけど、ここではシンプルなリズム・パート以外は後者に近いスタイルとなっている。
 我が子への慈愛を描いたテーマは、その後、自身の体調悪化も相まって、見ることが叶わぬ我が子の未来を案じる見方に変化した。そして、それは最後のライブまで歌い継がれることとなる。 

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7. And When I Die
 タイトルはショッキングだけど、歌詞を読んでみると、実は禅思想に基づいた輪廻転生を描いた歌。「私が死んでも世界は続いてゆく」という刹那的なメッセージもそこかしこに見受けられるけど、基本は前向きな歌だと思う。
 オリジナルはデビュー・アルバム『More Than a New Discovery』。テンションの上がらないマーチ調のブラス・セクションが出しゃばった印象が強いのだけど、ここでのサラッと歌い流すピアノ・バラードの方が、この曲の本質をうまく浮き立たせている。
 俺にとって初期のアルバムは、まだハードルが高そうである。

8. Park Song
 ここから再び新曲が続く。『Mother's Spiritual』の路線を踏襲したような、穏やかでありながらパッションを併せ持ったピアノ・バラード。後半にコーラス・パートが挿入されてノリのいいフィリー・ソウルになるところに、ライブを楽しんでる感が出ている。

9. Broken Rainbow
 もともとは『Mother's Spiritual』リリース後間もない1985年、ネイティブ・アメリカンを描いたTVドキュメンタリーのテーマ曲を依頼されて書かれた曲。オスカーにノミネートされた秀作だけど、残念ながら初期ヴァージョンは未聴。その後、『Walk the Dog and Light the Light』でリメイクされている。
 ピアノが大きくミックスされた荘厳なムードのスタジオ・ヴァージョンに比べ、ライブの統一感を重視したバランスで配置されているため、こっちの方が聴きやすいしメッセージも届きやすいかもしれない。俺的にはライブ・ヴァージョンかな。



10. Women of the One World
 タイトルから察せられるように、フェミニズムを主軸としたテーマには違いないのだけど、彼女が本当に訴えたいのは、女性を尊重したその先にある世界平和や戦争反対であることがあらわれている。長いと説教臭くスピリチュアルになっちゃうけど、2分弱の幕間的ナンバーなので、サラッと流している。

11. Emmie
 これまで静かだったオーディエンスの歓声が聞こえる、初期の代表曲。オリジナルは『Eli and the Thirteenth Confession』。
 「あなたは私の友/そして私が愛した人」。Emmieとはかけがえのない親友を指すのか、それとも友情を超えた親愛を持つパートナーだったのか、というのは、かなり昔から意見が分かれているらしい。最期まで公言することはなかったけど、ローラが古くからのレズビアンであったことは有名な話で、真偽はともかく、どの曲においても様々な解釈がされている。この曲は特にレズビアン・アンセムとしてローラのファンの間でも意見が百出しており、純粋な楽曲としての評価がされづらかった。
 なので、発表から時間を置いて、肩の力を抜いたライブ・ヴァージョンで聴くと、色メガネなしでメロディとハーモニーを堪能することができる。

12. Wedding Bell Blues
 俺が知る限り、ローラの楽曲としては最大のヒット曲。あんまり詳しくは知らないけど、俺的には能天気なポップ・コーラス・グループ:フィフス・ディメンションのヴァージョンは、これはこれでフラワー・ムーヴメント真っただ中の時代感を象徴しており、悪くない仕上がり。オリジナルの方は、バーブラ・ストライサンドをモデルケースとしたよなサウンド・プロダクションで、やたら仰々しい印象。
 で、さっきも書いたけど、時代性というフィルターがはずれてフラットな視点で仕上げられたライブ・ヴァージョンが、楽曲の良さを最もうまく引き出している。発表当時はとがっていたローラも年月を経て、こんな風に素直に歌えるようになったのだろうか。

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13. The Japanese Restaurant Song
 私小説的というか、日常風景の1シーンを切り取った感じで、メッセージ性を下げて作家性を前面に押し出したナンバー。これまでよりリズム・アンサンブルが際立っており、ライブ向けの楽曲ではある。変に肩ひじ張らず、こういったエンタメ性を強めた楽曲の方が、この頃のローラとの相性は良い。そりゃピアノ1本で演じることはできる人だけど、それだけじゃ満足しきれず、バンド・アンサンブルのアプローチを追及し続けている。

14. Stoned Soul Picnic
 こちらもファンの間では人気も高く、代表曲とされているナンバー。イントロが鳴った途端の歓声が違うもの。こちらもフィフス・ディメンションで有名になった曲で、他にもカバーしたアーティストは多い。ポピュラー色の強いオリジナル・ヴァージョンは粗削りの魅力があって、これはこれでいいのだけれど、でも俺的には洗練されたアレンジのSwing Out Sisterのヴァージョンが最もお気に入り。

15. La La Means I Love You / Trees of the Ages / Up on the Roof
 ラストはカバー曲を交えたメドレー。トッドや山下達郎のカバーでもおなじみ、出るフォニックスのナンバーは、オリジナルのポップさとは真逆の落ち着いたピアノ・バラード。続いて『Mother's Spiritual』からのナンバー、そしてキャロル・キングのカバーは『Christmas and the Beads of Sweat』より。
 キャロルの曲は、オリジナルではもっと切羽詰まった余裕のないヴォーカルだったのだけれど、ここでのローラの声に刺々しさはまったくない。
 かつてのような、周りみんなが敵という状況ではない。
 気心の知れた家族と仲間。それだけあれば、もう充分だ。
 ―そうであったはずなのに。



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Walk the Dog & Light the Light
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笑顔はこれが精いっぱいだけど、文句あるか? - Van Morrison 『Sense of Wonder』

folder 1985年リリース、15枚目のオリジナル・アルバム。チャート的にはUS61位・UK25位と、まぁそこそこのポジション。80年代前半のヴァンのチャート・アクションは、ほぼこの辺が指定席であるけれど、多くの同世代アーティストの中では健闘している方である。
 ニュー・ウェイヴ以降、MIDIを始めとする楽器テクノロジーの劇的変化に翻弄され、多くのベテラン・アーティストがこの時期、「やっちまった」感のある作品を連発し、だいたいが玉砕している。ポール・マッカートニー『Press to Pray』然り、ミック・ジャガー『Primitive Cool』然り、80年代中盤のディラン一連の作品然り。
 今でこそみな、何ごとにも動じず悟り切った雰囲気だけど、いま挙げた人たちはこの時代、多かれ少なかれ迷走期を経験している。「時代に即したサウンド・アプローチに載っからないと」と、レコード会社に尻を叩かれて、不似合いなシーケンスまみれのデジタル・サウンドやダンス・ミックスをリリース、それまでのファンから失笑されて赤っ恥かいたアーティストの多いこと。
 トップ40やニュー・ウェイヴから一歩進んで、「大御所ディランにも手を伸ばしてみようか」と思い立ち、無難に『Blonde on Blonde』や『Highway 61 Revisited』あたりを選んどきゃよかったものを、何を血迷ってか手にしたのが、当時の最新作『Knocked Out Loaded』。…バカだ俺。肩透かし感もハンパない。
 本人的にもこの時期は黒歴史と思っているのか、Bootleg Seriesでも取り上げる気はなさそうである。まぁそんなに需要もなさそうだし。

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 ヴァンの場合、時代によって多少の変遷、サウンドのニュアンスの違いはあるにはあるけど、本流からそこまで逸脱したものはない。ソウルフルなヴォーカルを軸に組み上げられたアンサンブルなので、それを脅かす形にはならない。なので、どの時代からピックアップしても、そんなに大きなハズレはない。
 ただ、安定している分だけ変化に乏しいという難点もある。ブレの少ない品質を安定供給し続ける彼の存在は、多くのアーティストにリスペクトされているのだけれど、不特定多数のユーザーに行き渡るほどの明快さがないため、ちょっと伝わりづらくて敷居も高い。
 海外ではディランと並ぶビッグ・ネームだというのに、日本での人気は相変わらず「ない」に等しい状態が続いている。「来日していない最後の大物」という言葉も今は昔、今さらアジアをターゲットにしようだなんて思っていないだろうし、わざわざ招聘しようとするイベンターだって、多分いない。
 それなりのポジションゆえ、ライブ会場も大収容の武道館クラス、もしくはプレミア感優先のビルボードあたりを用意しなくちゃならない。とはいえ、日本におけるヴァンのポジションを考えると、どちらのケースも採算・集客的にちょっと難しい。
 そんな按配なので、日本のレコード会社も今さらプッシュする気もなさそうである。営業側から見たポジションとしてのヴァンは、現役の懐メロ歌手的ポジションのため、リスクを背負って新譜キャンペーンを張っても、大したリターンは見込めない。
 なので、『Moondance』と『Astral Weeks』だけが、定期的にリイッシューされ、他の年代のアルバムはガン無視、といった状況が数十年続いている、といった具合。

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 以前のレビューでも書いたけど、世間一般的にヴァンのクリエイティヴィティのピークは、70年代前半あたりとされている。多くのディスク・ガイドやレビューでも、ピックアップされるのはこの時期に集中している。
 なので、80年代のヴァンを取り上げたレビューは、あんまり見たことがない。前述した他のベテランと比べて、流行りに惑わされず堅実な仕事ぶりが顕著なのだけど、破綻がない分だけ面白くないのかね。キャラは濃いんだけど、頑固一徹と偏屈さばかりがイメージ先行して、どうにもいじりづらいのが災いしてるのか。
 リリースされた当時、北国の中途半歩な田舎の高校生だった俺は当然、このアルバムの存在を知らずにいた。俺的にほぼ同カテゴリだったディランなら、まだそこそこの基礎知識はあったけど、当時のヴァンの情報なんて皆無に等しく、80年代の活動を知ったのは、ずっと後になってからだった。
 前述の2枚がほぼどのディスク・ガイドにも載っていたため、当時も名前くらいは知ってたけど、それ以上先へ興味が行くことはなかった。ラジオでも耳にする機会がないので、出逢いようがない。
 ましてや80年代の田舎、店頭には視聴機もなければ貸しレコにも置いてるのを見たことがない。コンスタントにリリースを続けてはいても、日本ではまともに紹介されないので、いつまで経っても「まだ見ぬ大御所」的イメージばかりが先行していた。
 そんな地味な状況にちょっとだけ風穴を開けたのが、アイルランドのトラッド・バンド:チーフタンズとのコラボ作『Irish Heartbeat』だった。これまで培ってきたジャズだニュー・エイジだブルー・アイド・ソウルだを一旦チャラにして挑んだ、ほぼ直球ストレートのアイリッシュ・トラッド作品である。要するにドメスティックな民謡なのだけど、そこで見せた無骨さがキャリアに箔をつける結果となり、英国では久々のヒットとなった。
 ここ日本でも、当時エスニック/トラディショナル関係には諸手を挙げてウェルカムだったミュージック・マガジン界隈が盛り上がった。インテリ崩れのスノッブが飛びついたことによって、コップの中の嵐はちょっとだけ波立った。まぁ広く外へ向くことはなかったけど。

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 『Sense of Wonder』の前にリリースされた『Inarticulate Speech of the Heart』は、UKでは24位とそこそこの成績だったのだけど、なぜかニュージーランドでは最高4位と、思いもよらぬところでバズっている。イギリスとは地理的に思いっきり正反対だし、共感する部分は恐ろしく少ないはずなのだけど、一体ヴァンの音楽のどこが彼らのツボにはまったのか。
 思惑と違った部分でウケたことでヘソを曲げたのか、これを機にヴァン、突如音楽業界からの引退を宣言してしまう。極端な浮き沈みを経験することもなく、クオリティを大きく損なった様子でもない。この時期、一体何があったというのか-。
 70年代末から、スピリチュアル/宗教色の濃いコンセプトのアルバムを連発していたヴァン、そのストイックな趣きは、余人を近寄せない求道者そのものだった。多くの同世代アーティストが時代に乗り遅れまいと無様な若作りに励むのを横目に、ひたすら動ぜず我が道を貫く道を選んだ。
 ただ、どれだけ行き着いても終着点はない。それくらい、自己研鑽の道のりは果てしなく、そして尽きない。
 先の見えぬ探求の袋小路に見えるのは自己批判であり、耐えられなくなった者は、他者に救いを求める。それを人は「宗教」と呼ぶ。
 そういえばディランもこの時期、ユダヤ教に改宗した、とか何とか騒がれてたよな。

 そんな袋小路を回避したのかそれとも飛び越えちゃったのか、前言撤回してリリースされたのが、この『Sense of Wonder』。表面的には、90年代以降の豪放磊落な俺様伝説の萌芽が見て取れる。
 いわゆる人生やら哲学やら宗教やら、突き詰めればキリがないプログレッシブなテーマから解放されたのかと思われる。でも、声の張りにはまだデリケートな揺らぎが窺える。
 「常に前進していなければならぬ」といった強迫観念と、「まだ極め足りない」という渇望との板挟みがそうさせたのか、ソフトAORと竹を割ったようなソウルとの微妙な混ざり具合。虚ろな確信を頼りに、次の音/次の言葉を探るその姿からは、わずかなブレが垣間見える。
 「これでいいんだ」「間違いないんだ」と信じる背中。そう絶えず言い聞かせながら、前のめりにヴァンは前へ進む。
 大英帝国的にはドン底とも言えた1985年、シーケンスやサンプリング、フェアライトに惑わされることなく、私小説的な精神世界を描き切った点は、もっと評価されても良い。変にエンタメにおもねったりせず、苦悩を苦悩のままさらけ出すその勇気は、他のアーティストより一歩も二歩も先んじている。
 この鬱屈した時期を乗り切ったことが、90年代以降の俺様伝説への自身へとつながっている。単にこじらせていたわけじゃないのだ。


Sense of Wonder
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1. Tore Down a la Rimbaud
 「伝説の詩人」というより、「ポール・ヴェルレーヌを愛欲に狂わせた早熟の美少年」という評判の方が高い、アルチュール・ランボーを歌った楽曲。もともと着想を得たのが1975年で、完成させるまで10年かかったといういわくつきの曲でもある。
  ほどよく抑制されたファンキー・サウンドをバックに、力強いヴォーカルを響かせるヴァン。テーマとは裏腹に、BL要素はまったく見られない。

2. Ancient of Days
 ギターのオブリガードが小気味よい、1.と同じテイストのほどよくソフト、ほどよく泥臭さの漂うチューン。ヴォーカルもちょっと肩の力が抜けており、90年代以降のふっ切れたサウンドに近い。このまま行っちゃえばよかったのにね。

3. Evening Meditation
 タイトルにMeditation(瞑想)なんてワードが入ってるくらいだから、ちょっとメランコリックに寄っている。ハミングともスキャットとも取れるケルト風のメロディは、ムーディでアルバム・ブレイクとしてちょうどいいんだろうけど、多分、顔はしかめっ面なんだろうな。そんな情景が伝わってくる。

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4. The Master's Eyes
 ディランの「Basement Tapes」のアウトテイクって言ったら、100人中5人くらいは信じちゃいそうな、ザ・バンドみたいなカントリー・ロック。大陸的なゆったりしたリズム、ほど良くゴージャスなホーンと女性コーラスは、ライブ映えするだろうし、これはこれでいいのだけど、85年だよ?さすがに時間軸がずれまくっている。

5. What Would I Do
 レイ・チャールズのカバー。偉大な先人にリスペクトしているのか、いつもよりちょっと丁寧に、情感を込めて歌いあげている。LPレコードではA面ラストを飾っているので、その辺も意識しているのか。この時代、ハモンドの響きは古臭く聴こえていただろうけど、一周回って30年も経つと、この音以外はハマらないよな、と思えてくる。

6. A Sense of Wonder
 B面トップを飾るタイトル・チューン。シンセがちょっと前に出たAORとホワイト・ソウルとのハイブリッド。トラック数が多く、ちょっとスピリチュアル風味も添加しているため、エコー成分もちょっと多め。当時まだ四十路に入るか入らないかだったはずだけど、もう神格化しようとしていたのか、それとも周りからはやし立てられていたのか。まぁ、こっちの路線にドップリ行かなくて正解だったんだろうけど。

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7. Boffyflow and Spike
 始めからコッテリお腹いっぱいだったため、箸休め的なインスト・チューン。軽快なギター・リフによる出だしから、とうとうヴァンもニュー・ウェイヴの煽りを受けたのか、と思ったけど、ケルティックなフィドルが入ってきて、あぁやっぱり、と思った次第。クレジットを見ると、演奏は若手ケルト・ロック・バンドMoving Heartsによるもの。6.でもバッキングを担当しており、どうりでテイストが違うと思った。こういうのって、聴くだけじゃわからない。やはり最低限の情報とインフォメーションは必要なのだ。

8. If You Only Knew
 ブルース・テイストの濃いジャズ・ピアニスト:モーズ・アリソンのカバー。ジャジーなロッカバラードというかファンキーなジャズ・ヴォーカルというか、カテゴライズなんてしゃらくさいモノを蹴散らしてしまう、カッコ良さしか伝わってこないチューン。ホット&クールの使い分け、そしてクレヴァ―なバッキング、セクシーな女性ヴォーカル。
 時代なんて関係ない。スピリチュアルもニュー・エイジも吹っ飛んでしまうキラー・チューン。



9. Let the Slave (Incorporating the Price of Experience) 
 と、舌の根も乾かぬうちに畳みかけてほしいところだけど、煌びやかなステージが暗転したようなアコースティックなバラード。カバーならはっちゃけることができるけど、いざ自作曲になると内面をさらけ出そうとしちゃうのが、この時期のこの人の難点。後半はたっぷりモノローグで埋めちゃうし。そういうのはいいんだって。

10. A New Kind of Man
 テイストが似ていることから、おそらく1.と同じセッションで録られたと思われるラスト・チューン。いろいろあったけど、終わり良ければすべて良し、といいたいところ。少なくとも、次回作への明るい展望が見られる力強いソウル・サウンド。
 と言いたかったけど、次回作はシリアスな『No Guru、No Method、No Teacher』。眉間のしわはまだしばらく取れそうにない。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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