特に絵画においては、本業を上回る情熱を注いでいる。自らアルバム・アートワークの多くは手掛けており、不定期で個展も開催されていることから、画家としての評価は高いとされている。
マイルス・デイヴィスやロン・ウッドなど、サブカルチャーとしての絵画を手がけるアーティストはそこそこいるのだけど、水彩画から線描画、本格的な油彩画まで、メインカルチャーとして幅広く手掛けているのは、思いつくところでは彼女しかいない。ミュージシャン引退後のキャプテン・ビーフハートの後半生は画家だったらしいけど、そんなに有名な作品もない。チラッとググってみたけど、サウンド同様、アバンギャルド臭がちょっと強い。あと100年くらいしたら、再評価されるかもしれないけど。
一応、ジョニのファンの間では、画家としての作品も一定の評価を得ている。彼女の表現活動を知り尽くしたいため、また世俗の些事に煩わされぬよう、多少値が張っても購入する固定ファンの存在が、アーティスト:ジョニ・ミッチェルを支えている。
これは何となくのイメージだけど、世代からいってジョニのコア・ユーザーは50代以上、可処分所得が多い層が中心と思われる。ストーンズやスティーリー・ダンのライブ・チケットのプレミア価格に難色を示さない、100ドル単位は誤差と捉える富裕層の存在が、ジョニのカリスマ性を維持していると言ってもいい。
じゃあ、ミュージシャン:ジョニ・ミッチェルというバイアスを取っ払い、純粋な画家:ジョニ・ミッチェルの評価とは、一体どんなものなのか。音楽業界側からの絶賛・礼賛のレビューは数多くあれど、美術業界側からのそれについては、あんまり目にしたことがない。ていうか、今回探してみたけど、見当たらなかった。
画壇において、ジョニの評価はどういうものなのか、またどんなポジションにあるのか。工藤静香や片岡鶴太郎同様、芸能人の余技程度の扱いなんだろうか。ちょっと調べてみた。
こう言うとき便利なのが、前回のジョニのレビューで触れたオフィシャル・サイト。そこでまとめられた膨大なアーカイブは、音楽作品だけにとどまらず、絵画や写真も年代別に整理されている。ジョニ、または周辺スタッフの強いこだわりが反映してか、一種の博物学・文化事業を思わせるディテールのこだわり振りとなっている。
絵画作品は「Paintings」のカテゴリでまとめられており、作品ひとつひとつに短い紹介文が添付されている。クロノジカルに分類されることによって、技術や手法、さらに作風の変遷がわかりやすいように構成されている。
60年代の作品はもっぱらスケッチ的、親しい友人・知人に向けてササッと描いた素描画が中心となっている。変則チューニングを多用した当時のフォーク・サウンドを反映するかのように、シンプルな描写やタッチが特徴。この時期はまだ趣味の範疇で、マスへの公開を前提としたものではない。
フォーク路線から一転して、ジャズ/フュージョン系を志向した70年代になると、表現活動のベクトル変化の影響もあって、しっかり手をかけた油彩画が多くなってくる。音楽だけではなく、写真や絵画など、表現活動全般に本腰を入れるようになったのが、ちょうどこの頃、ジャコ・パストリアスとの運命的な出逢いとほぼ一致する。
以前も書いたけどジョニ、その時々のパートナーによって、方向性やテンションがガラリと変化する人である。もう少し正確に言えばジョニ、有能なアーティストやクリエイターを惹きつける一種のフェロモンを常に放っている。強烈なインスピレーションとセクシャリティとに絡め取られた男どもを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げしながら、自身のクリエイティヴィティに取り込んでしまう。才能なりスキルなりをすっかり搾り取られた挙句、ある男は捨てられ、またある男は零落のあと、命を落とす。そんな男どもの屍をものともせず、我が道をただひたすら突き進む、それがジョニ・ミッチェルとして生きるための業である。
で、話を戻して80年代。ジャコとの別離、さらにはジャズ・レジェンド:チャールズ・ミンガスとの共演でジャズ/フュージョン路線がひと段落して、大きな転機を迎えることになる。この時期から、音楽作品のリリース・ペースはグッと落ちるのだけど、逆に画業のウェイトの方が多くなってゆく。
ちょうどバブルに差し掛かった80年代後半、絵の個展開催のため、ジョニは来日を果たしている。音楽活動はまったく関係なく、完全に画家として。ミュージシャンの余技としてではなく、独立して商業ペースに載せられるようになったこと、また、成果主義に強く傾倒した音楽業界への不信感が、ミュージシャン<画家という傾向を強めていった。
画壇での評価や絵の優劣について、俺は詳しくない。ただ、なにがしかの権威による箔付けによって、高い評判を得、それに見合った実勢価格がつけられることはわかる。それは創作物全般に言えることであって。価格がすべてとは言わないけど、どれだけの評価なのかの目安はつく。
で、結局のところ、ジョニの作品って、正直いくらなの?という話になる。例えば、サイト内のこの作品だと、どうやら35,000ドルで売りに出されている。他のオークション・サイトを見ると、だいたいが3,000ドル前後となっている。いずれもプリントではなく原画の相場であり、日本円で言えば30万から350万くらい。あまりにもザックリし過ぎて、適正価格がさっぱりわからない。
これが個展などの販売なら、もっと価格は跳ね上がるのだろうけど、それもミュージシャン:ジョニ・ミッチェルのファンが購入する確率が高いだろうから、純粋に絵画としてのクオリティの対価というには、ちょっと微妙な気もする。画家:ジョニ・ミッチェルは知ってるけど、曲は聴いたことがない、という人が購入するのは、かなりのレアケースだと思われる。
70年代のジャズ/フュージョン路線から一転、ひと回り以上年下のラリー・クラインと付き合い始めたのを機に、大衆性を強めたコンテンポラリー・サウンドを志向し始めたのが、ゲフィン時代だった。ヒット・チャートの音楽と並べても遜色ない、間口の広い高級AOR路線がこの時代である。
ハイパー・テクノポップで一世を風靡したトーマス・ドルビーを引っ張り出してきたり、アーティスティックな視点を失わずに商業的成功を成し遂げた、ある意味ジョニの理想形スタンスに最も近かったピーター・ガブリエルとデュエットしたりして。
ただ音楽制作に対して生真面目だったジョニ、シンセ・ポップやパワー・ポップ的なアプローチをいくら導入したとしても、肝心のメロディやフレーズのキャッチ―さが欠けている。マドンナやホイットニー・ヒューストンとは、そもそも立ち位置が全然違ってるわけだし。
また、ジョニを聴くユーザーが、そういった方向性を求めていたかといえば、そんなわけでもなかった。ジョニに心酔している原理主義者ならともかく、この頃の大多数のファンは、ジョニの歌と変則ギター・プレイを中軸とした緻密なアンサンブル、時に大胆で予測不能のインタープレイに惹かれていたわけだし。
ガブリエルやケイト・ブッシュをモデルケースとした、きちんと芸術性を保持しつつ、多くの一般大衆が思うところの「高尚な音楽」をテクニカルに表現した高級AORを志向していたのが、ゲフィン時代のジョニである。大きなセールスに結びつかなかったのは、アーティスト・イメージの演出不足や、ヒット曲に不可欠なある種の下世話さが足りなかったことなど、まぁ理由はいろいろ。
目に見える売り上げ成果がなく、しかも高級AORへのニーズが薄いことを悟ったジョニ、その後、音楽活動のインターバルは長くなり、反比例して画業に注ぐ熱量は高まってゆく。それがこの、『Night Ride Home』あたりからである。
このアルバムを最後に、ジョニはゲフィンと契約解消し、古巣リプリーズへ移籍する。『Night Ride Home』、またその後リリースされた『Turbulent Indigo』『Taming the Tiger』に共通するのが、解脱したかのごとく、脂の抜けたサウンド・アプローチである。
シンセ機材の使用は最小限に抑えられ、生音を主体とした、骨太でありながら水面のごとく静謐な音楽。俗世間とは隔絶された、ヒットする/しないはもはや関係ない音楽。
―彼岸で鳴っている音。
揶揄でも皮肉でもない、そんな形容がぴったりなサウンドで統一された『Night Ride Home』は、マドンナともケイト・ブッシュとも、はたまた工藤静香ともまったく別の次元で鳴っている。ギリギリの緊張感で培われた完成度は、従来のジョニのファンでさえ、ちょっと敷居が高く感じてしまう。
安易な流し聴きを許さない、それ相応の覚悟を聴き手にも求める、そんな音楽である。
辛うじてエンタメ性を残していた前作までと比して、『Night Ride Home』のサウンドは、恐ろしく共感性が薄い。ストイックに研ぎ澄まされ、鋭利に磨かれた結果、音の純度は高い。「鳴らしたい」音ではなく、「こうあるべき」音しか入れなかった―、そんなところだろう。
収益を得ることを前提とした商業音楽に背を向け、純粋なクオリティのみを追求した結果、『Night Ride Home』には、ジョニのある強い確信が、剥き出しとなってあらわれている。
そこにあるのは、強い虚脱感、そして、アーティストとしての純粋なカルマだ。
Night Ride Home
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Joni Mitchell
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1. Night Ride Home
とは言っても、ジョニのアコギ・プレイが大きくフィーチャーされたフォーク・タッチの楽曲は、やはり強い吸引力を放つ。ヒット・チャートに入ることはガン無視だけど、彼女なりにリラックスして、聴きやすさとセッションの心地よさ、そんな空気感がうまくプロデュースされている。
ちなみにずーっとバックで泣いている夜更けの虫の声、そこまでしつこく引っ張る必要はないと思う。
2. Passion Play (When All the Slaves Are Free)
前曲から続く、ほぼ同じタイプのフォーク・タッチのナンバー。ていうか、レコードで言えばA面は、ほぼ全篇こんなアレンジが続くのだけど。組曲として捉えれば納得できるかな。ドローンっぽく響くラリー・クラインのベース・プレイが前面にフィーチャーされている。
前作までだったら、もっとビートを効かせたアレンジになっていたんじゃないかと思われるけど、もうそういったのはやめちゃったんだな。
3. Cherokee Louise
今回のジョニのギター・プレイは強めのストロークが特徴となっており、時にまったりしがちな空気感を切り裂くようなインパクトを与えている。この辺はアーティストとしての本能、バランスが働くんだろうな。
ジョニのレコーディングではほぼ常連のウェイン・ショーターが、センチメンタルなプレイで花を添えている。70年代で幾度もセッションを重ねた2人だけど、かつての緊迫したプレイとは、まったくの別物。お互い寄り添いながら、相手をおもんばかる協調性にあふれている。
4. The Windfall (Everything for Nothing)
ポエトリー・リーディングのようなモノローグからスタートする、これまでよりはちょっと凝った構成、不思議な味わいのあるチューン。ここに入れるより、むしろ前作『Chalk Mark in a Rain Storm』のテイストに近い。アルバム通して聴くのなら、やはりこういった躍動感のある曲がひとつやふたつ、あったっていい。
5. Slouching Towards Bethlehem
20世紀初頭に活躍したアイルランドの詩人W.B.イェイツ作「The Second Coming」にインスパイアされて書かれたフォーク・チューン。そういえば、ウォーターボーイズのマイク・スコットも、イェイツに捧げるアルバムを作っていたし、日本人にはわからない創作意欲を掻き立てる何かがあるのかしら。
アフロ・テイストながら、決して泥臭い方面に行かないカリウタのリズム・アプローチが、ちょっと気に入っている。こういう強者を惹きつけるキャラクターを持つ女、それがジョニ・ミッチェル。
6. Come in from the Cold
シンプルなフォーク・タッチのチューンと思われがちだけど、薄くシンセが載せられており、ある意味、ゲフィン時代のジョニの完成形と言い切っちゃっても差し支えない楽曲。
思えばジョニ、キャリアの中で最も躓きかけたのが、前々作の『Dog Eat Dog』だった。従来の音楽性とMIDI機材とのハイブリッドを模索し、それは消化不良で終わってしまったのだけど、そんな試行錯誤を経てひとつの結論に達したのが、このようなアプローチ。無理にシンセを前面にフィーチャーするのではなく、ベースのリズムをしっかり構築して、その上にスパイスとしてサイドに寄せるやり方。
時間はかかったけど、実際にやってみて、体を動かし、そして黙考する。それが彼女のやり方なのだ。
7. Nothing Can Be Done
で、そんな方法論を推し進め、ゲフィンの要請だったのかジョニの出来心だったのか、コンテンポラリー寄りに仕上げられたのが、この曲。多分、シングル向けの曲が欲しいという双方の思惑が一致したのか、男性ヴォーカルとのデュエット仕様。でも、相手はDavid Baerwaldという無名のアーティスト。前作ピーター・ガブリエルと比べると、どうしても格落ち感が否めない。それでかシングル・カットは見送り。
8. The Only Joy in Town
レコードで言えばB面にあたる6.からの流れは、ややコンテンポラリー寄りのサウンド・メイキングで構成されている。普通、逆だろ。A面をキャッチ―にするのが常道なのに、そんなにメジャーにへそ曲げちゃったのかね。
ここでジョニがプレイしている、ソプラノ・サックスの音色は、オムニコードという楽器で代用されているのだけど、こんな感じの楽器。日本製の電子楽器だけど、まぁ普通は知らんわな。案外、世界中に愛用者がいるらしく、ブライアン・イーノやマイ・モーニング・ジャケット、アーケイド・ファイアなど様々。トイ・ピアノ的な使い方なのかね。
9. Ray's Dad's Cadillac
『Mingus』あたりに入っていそうなジャズ・チューンを、力技で80年代サウンドにねじ伏せたようなナンバー。もしくは「Big Yellow Taxi」のアンサー・ソング的な。コンテンポラリーの文法を使いながら、楽曲的にはいびつだけど、アプローチとしては前向き。ショーターのサックスが入っているけど、そこまで目立ったプレイではなく、むしろ抑え気味。無理に入れなくても良かったんじゃね?
10. Two Grey Rooms
もともとは『Wild Things Run Fast』セッションでオケとメロディが書かれた、長い構想の下、仕上げられたラスト・チューン。夭折したドイツ人映像作家/俳優Rainer Werner Fassbinder、同性愛者抑圧の象徴だったドイツ刑法175条からインスパイアされて、一気に歌詞が書き上げられた。
そんな重っ苦しい主題はわからずとも、荘厳としたピアノとストリングスに彩られた流麗なサウンドは、充分にコンテンポラリー/スタンダードとして昇華している。シリアスな主題を和らげるかのように、サウンドはどこまでも心地よい。
Songs of a Prairie Girl
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