好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock

アドレナリンだだ漏れのスパゲッティ・モンスターなアルバム - Todd Rundgren 『Todd』


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 1974年リリース、5枚目のスタジオ・アルバム。ソロ・デビューしてまだ4年くらいしか経ってないのに、2枚組アルバムはこれが2枚目。曲によって当たりはずれが大きい人だけど、多産だった時期の…、って、いまもそんな変わんないか。
 一応、70年代初頭に隆盛だったアメリカン・シンガーソングライターの系譜でデビューした人だけど、3枚目の2枚組大作『Something/Anything?』で変なやる気スイッチが入っちゃったのか、4枚目の『A Wizard, a True Star』は、アドレナリンだだ漏れのスパゲッティ・モンスターなアルバムになってしまう。
 この頃のトッドは、シンガー・ソングライターであると同時に、大方の楽器を演奏するマルチ・プレイヤーであり、さらにつけ加えると、所属レーベル:ベアズヴィル・スタジオのハウス・エンジニアを務めていた。自分で描いて歌って演奏して、さらにコンソールいじってミックスまでやってしまうのだから、こうなると誰も口出しできるはずもない。
 こうやって描いてると、周囲を顧みない傍若無人なマッド・サイエンティストみたいだけど、実際のトッドは案外常識人で、客観的なバランス感覚も併せ持っている。自分の作品はとことんマニアックに走ってしまうけど、他人のプロデュースは手堅く、それでいてクライアントのターニング・ポイントとなる作品に仕上げていたりする。
 賛否両論はあるけど、ミートローフやグランド・ファンクはセールス実績を残しているし、新たな側面をうまく演出している。人のこととなれば、ちゃんとやれる人なのだ。
 一応、処方薬であるリタリンの助けを借りつつ、ソロ活動とエンジニアというマルチタスクをこなしていたトッド、充分オーバーワーク気味だったというのに、そんなの関係ねぇと言わんばかりに、アメリカでも台頭しつつあったプログレッシヴバンドの結成を思いついてしまう。それがのちのユートピア。
 ともに『Runt』を製作したトニー/ハント・セールス兄弟を引き連れてツアーに出るのだけど、何しろフワッとした思いつきだけで始めてしまったため、思ってた以上に収拾がつかなくなり、初期ユートピアは空中分解してしまう。ただでさえ忙しいはずなのに、なにやってんだこの人。
 バンド構想は一旦仕切り直すことになるのだけど、その合間にトッド、プログレのテーマ探しに没頭したせいか、今度はオカルトにハマってしまう。神智学の祖ブラヴァツキー夫人やルドルフ・シュタイナーの書籍を読み漁ってインスピレーションに火がついたのか、独りスタジオに篭り、一気呵成にレコーディングを終えてしまう。
 それが、この『Todd』。でも、オカルト風味は全然ない。思い始めからどんどんズレて、あさっての方向に行ってしまう、それがトッド・クオリティ。

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 まだマーケティング戦略も未成熟だった70年代前半は、「地味だけど良質な音楽を供給する」という理想論が、まだ通用していた時代だった。初期ディランのマネジメントだったアルバート・グロスマンによって興されたベアズヴィルは、ファジーな音楽性のトッドにとって、居心地の良い環境だった。
 当時の所属アーティスト・ラインナップを見てみると、
 ジェシ・ウィンチェスター
 ポール・バターフィールド
 フォガット
 フェリックス・キャバリエ
 などなど。
 「厳選された、良質な音楽の発信」という理想にはかなっており、商業主義に偏らず、こだわりのスタイルを持つ者ばかりである。あるのだけれど、はっきり言っちゃえば、あまり売れそうにない、コスパの悪い連中ばかりである。
 1974年のビルボード・アルバム・チャートを見てみると、ポール・マッカートニーやクラプトン、ディランやストーンズなど、錚々たるメンツが名を連ねている。中堅ベテラン組がマーケットを陣取り、新陳代謝が滞っていた時期にあたる。なかなか這い上がれない若手が暴発してパンク・ムーヴメントに繋がるのだけど、それはもう少しあとの話。
 そんな膠着したチャート状況ゆえ、この『Todd』も大ヒットするはずがなく、ビルボード最高54位。でも、微妙な成績でもある。お世辞にもバカ売れしたとは言えないけど、全然泣かず飛ばずだったとも言えない。
 その後、末長い代表曲となるメロウ・バラード「A Dream Goes On Forever」が収録されており、これがキラー・チューンといえばキラーなのだけど、特別キャッチー路線を狙って作ったとは思えず、言っちゃ悪いけど偶然の産物としか思えない。正直、近年のアルバムは当たりはずれが激しいんだけど、どれも一曲くらいはこういった美メロがあったりして、それだから目が離せなかったりして。そういう意味では、策士だなトッド。
 この時点でのトッドのポジションは、シングル「I Saw the Light」と「Hello it’s Me」がスマッシュ・ヒットした程度で、決してヒットメイカーとは言えなかった。アルバム・セールスが重視されていた時代でもあり、普通のメジャーなら大きな顔はできなかったはずだけど、中小マイナーのべアズヴィルの中では、充分な稼ぎ頭だった。
 地道でコツコツを身上とし、ヒット曲を出してスターダムにのし上がる気なんてまるでないジェシ・ウィンチェスターに比べれば、まだトッドの方がレーベル運営の貢献度が高かった。自社スタジオ使い放題というやましい目的もあってだけど、ハウス・エンジニアとして所属アーティストらの面倒を見るトッドの存在は大きくなっていった。
 成り行き的にトッドの発言力は強まり、アーティスト活動に歯止めをかける者はいなくなってゆく。地味なジェシ・ウィンチェスターが物申すはずもなく、ていうかみんな、めんどくさいスタジオワークは全部トッドに押しつけてた感もある。

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 グロスマンの所有する別荘を増改築して作られたベアズヴィル・スタジオは、ニューヨーク郊外の深い森の中にあった。外観は正直ショボいけど、録音ブースはナチュラルな反響を活かすため、高い天井と板張りの床で構成されている。コンソール・ルームも同様、ふんだんに木材を使用しており、機材も整っている。
 トッドはほぼここを根城にして、主にレーベル所属のアーティストのレコーディングを手掛けていた。マイク・セッティングから掃除、弁当の手配など、やることはいくらだってある。要は何でも屋、チーママみたいなものだ。
 何かと神経も使うだろうし、ストレスも溜まる一方だったことだろう。と、思ったのだけど、立ち止まって考えてみると、また別の側面が見えてくる。
 前述した所属アーティストの多くはソロ・シンガーであり、ほぼ弾き語りがメインだった。バックの演奏もピアノか簡素なリズム・セクション程度で、いずれもピークレベルを気にするラウドな音を奏でることはなかった。
 簡単なリハを経て本番だけど、それもせいぜい2、3テイクくらいで終了、いちいちプレイバックしてサウンドチェックするようなジェシ・ウィンチェスターではなさそうなので、レコーディングに手間はかからなかった。
 フォガットのようなハード・ロックだと、全体的に音も大きめのため、音割れしないように気を使わなければならなかったけど、ほぼ自分たちでアンサンブルをまとめられるため、労力はたいしてかからなかった。マイクの向きに気をつけてさえいれば、あとはコントロール・ルームでふんぞり返っていればよかった。
 そこそこ名の知れたメジャー・アーティストからのオファーならともかく、正直、当時でもヒットする要素の見当たらないベアズヴィル・アーティストのレコーディングは、手間のかからない作業だった。手を抜いてるわけではないけど、余計な手を加えず、ナチュラルな質感を保つことによって、彼らのキャラクターや楽曲はより引き立った。
 スタジオワークを短期間で済ませることが、すなわち低コストにつながるため、結果的にトッド、経費削減にも貢献していたことになる。短期間で効率良く、しかも低予算で収めるトッドのプロデュース・ワークは評判を呼び、外部からのオファーも引きも切らなかった。
 手抜きと悟られぬよう、それでいてアーティストにとって最良のメソッドで、彼は数々のアルバムを制作した。与えられたバジェットを守り、そこそこ融通が効くこともあって、業界内での彼の評判は地道に広まっていった。

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 そんなオーバーワークの合間を縫って、70年代のトッドはレコーディングに没頭し続けた。とにかく演って出し・録って出しを続けた結果、大量のテイクが仕上がった。
 第三者的なプロデューサーがいれば、あれこれ削ったり縮めたりして、どうにか1枚に収めようとするところだけど、ベアズヴィルではトッドが王様、誰も進言することもなく、『Todd』はアナログ2枚組としてリリースされた。
 需要と供給を考えれば、どうがんばったってペイしないはずなのに、ベアズヴィルはいつも通り、トッドの要望を受け入れた。「2枚組」と聞いて、「売るの大変だな」って思うより、「おぉ〜、スゲェ豪華じゃん」って受け取るスタッフの方が多かったんじゃないかと思われる。
 前作『A Wizard, a True Star』は、全編カラフルでストレンジな世界観が炸裂したコンセプト・アルバムだったけど、プレ・ユートピアを経てレコーディングに臨んだトッド、ここでは統一したコンセプトを設けず、幅広いジャンルの楽曲をランダムにまとめている。バラードもあればパワーポップもあり、タイトルまんまのヘヴィメタも入っているため、こんなこともできまっせ的な、カタログみたいなものと思えばよい。
 のちのユートピアの予行演習的なハード・プログレや、意識的に多用したシンセの導入など、いろいろ新基軸を試していたりして、全般的にとっ散らかった印象はあるのだけど、そんなアバウトさも含めて、この時期のトッドの作品は親しみやすい。アバンギャルドなアプローチをやってはみたけど、ピッチやテンポが雑なため、綻びが見え隠れしたりして、そんなところに人間性があらわれている。
 演奏パートをもう少し刈り込んだりすれば、無理やり1枚に収めることもできるんだろうけど、そういうことじゃない。圧倒的な無駄パートも含めた、このボリュームだからこそ成立しうるトッド・ワールドが、ここには凝縮されている。





1. How About a Little Fanfare?
 タイトル通り、ファンファーレ。テープ編集によるトッドの宣誓に続き、エレクトロなシンセの洪水。「International Feels」に似たイントロだけど、さらにスペイシ―な世界観が展開されている。

2. I Think You Know
 シームレスに続く、『Runt』に入ってても違和感なさそうなポップ・バラード。セオリー通りに行くのを嫌ったのか、前曲の宇宙空間的な音像がストレンジで、クセが強い。間奏のギター・ソロもミックスがアバウトなせいもあって、居心地の悪さはさらに増している。
 そんな一筋縄では行かない、奇妙な味わいが屈折具合に拍車をかけているわけであって。普通に無難なミックスにすれば万人受けするのは間違いないんだけど、彼もファンも、求めているのはそこじゃなかった。

3. The Spark of Life
 レトロ・フューチャーな未来感が炸裂する、手に入れたばかりのシンセを「これでもか」とばかりに使い倒した、いわば音の博覧会。考えてみれば、このアルバムがリリースされた5年前にアポロ18号が月面着陸したわけで、未来に対して明るい展望があった時代だったのでは?と思うのだけど、あんまりポジティヴな感じには聴こえない。
 っていうか、単にシンセいじってギター弾きまくりたかっただけなんだろうな。「ギター+シンセ=未来っぽくね?」ってお手軽な理由だったんじゃないかと。
 終盤の怒涛のギター・ソロ、ドロドロでエモーショナルなプレイは絶品で、これまで見過ごされがちだったデーモニッシュなギタリストの側面が強く打ち出されている。

4. An Elpee's Worth of Toons
 濃厚でコンセプチュアルな3曲から一転して、地上に降り立ち、間の抜けたポップ・ソング。アメリカの古いドラマの挿入歌へのオマージュなのか、チップマンクスみたいなコーラスが入っていたりふざけたモノローグが挿入されたり、かと思えば、終盤で再びシンセの洪水になったり、いろいろ目まぐるしくせわしない曲。
 でも最後は「I Want to be Loved」とシットリ締めくくるあたり、やっぱトッドってロマンチスト。

5. A Dream Goes On Forever
 おふざけでさんざん遊んだ後、代表曲となるトッドの絶品バラード。ここでこれを入れてくる構成センス、その見事さは、やっぱトッド、優秀なプロデューサーである。他の曲との落差がすごい分、ベストや単曲で聴くより、『Todd』で聴く方がよく聴こえてしまう。
 ここまでの楽曲は、ほぼすべてトッドのセルフ・レコーディング。この曲もメロディの秀逸さで目立たないけど、結構な割合で音が詰め込まれており、オーディオ的な見地で言えば、褒められるものではない。リマスター音源で聴いても、そもそものマスターが雑なので、あんまり改善したように聴こえないし。
 そういうのを補って余りある、メロディとパフォーマンスの妙。と言いたいところだけど、まぁクセは強い。本人は至って真剣なので、周囲はあたたかく見守ろう。
 



6. Lord Chancellor's Nightmare Song
 今度はのっけからオペラ。なんでこんなの入れたんだろ、この人。タイトル通り、トッドの見た悪夢、頭の中で流れてる音を再現してみたのだろうけど、整然と並べられるわけでもなく、ミュージカル的なSEやチープなピアノ、最後に爆発。
 -理解しようと思うんじゃない、感じるんだ。
 確かにそうだ。この曲に限らずトッド、理解を求めるアーティストじゃない。

7. Drunken Blue Rooster
 全パートを独りで演奏してみた、3分のインスト・チューン。そんなに長い曲じゃないのに、いつものトッド同様、この曲も曲調がコロコロ変わる。自分がプロデューサーなんだから、もっと薄めて分割して、きちんと構成すればアルバム1枚に展開することも可能なはずだけど、そうはしたくないんだな。

8. The Last Ride
 ちゃんとしたバンド・スタイルでレコーディングしたおかげもあって、アンサンブルも比較的まともで、ちゃんと聴こえるクールなロッカバラード。変に冗長にならず、ソリッドな展開には「やればできるじゃん」と思ってしまう。そうなんだよ、やればできるんだよ、トッド。
 間奏のソプラノ・サックスの響き、あと終盤のエモーショナルなギター・ソロも、効果的に聴こえるのは盤石なアンサンブルがあってのものであって。ただ、ちゃんとしてるんだけど、こんな曲ばっかだと、それはそれで物足りなくなってしまう。ファンとしては、トッドの暴走するところを見たいのだ。




9. Everybody's Going to Heaven/King Kong Reggae
 変拍子もバンバン入れた、それでもまともなハードロック。グランジのルーツのような荒れたヴォーカル、リズム/リードともしっかり構成された中盤のギター・パート。6分の長尺だけど、飽きる展開がまるでない、ちゃんとしたロック・チューン。でも、レゲエの要素はまるでない。
 
10. No. 1 Lowest Common Denominator
 再びハードなギター・チューンだけど、今度はスローなブルース・タッチ。退廃的なコンセプトに基づく曲調はブラック・サバスに通ずるところもあるけど、トッドの場合、これだけやりたいわけじゃないんだよな。引き出しの多さというか、落ち着きのなさっていうか。
 
11. Useless Begging
 なので、ここでギアチェンジ、シンセ中心のポップ・バラード。また独りでで全部やってるけど、比較的バランスの取れたシンセ・ポップ。ただ2分過ぎたあたりでタップ・ダンスを思わせるパートに移り、実はミュージカルの一節だった、と気づかされる。イヤ余計な演出入れなくてもいいのに。でもそんなムダなパートも、またトッド風味。

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12. Sidewalk Cafe
 リズムボックスとシンセを巧みに組み合わせた、再びレトロ・フューチャーなインスト・ポップ。2分程度というサイズ感がいいんだよな。これがヨーロッパ・プログレなら、アナログ片面20分くらいに展開しちゃうところだけど、ここではコンパクトにまとめている。

13. Izzat Love?
 ややリズムの立った、ちょっとだけ体温を上げたポップ・バラード。ややリズムが走り気味なのは、独りレコーディングなのでご愛敬。バンド・スタイルで3分程度に展開すれば、もっと知られてもいい曲なのに。2分はちょっと短すぎ。

14. Heavy Metal Kids
 いま現在のヘヴィメタ感ではなく、ハードロックからの発展形としてのヘヴィ・メタル。略した方じゃなく、あくまでヘヴィーなメタル。自分で書いててめんどくせぇな。
 この時代にヘヴィ・メタルという言葉が一般的だったかどうかは知らないけど、今の耳で聴くと、ちょっと賑やかなハードロックだよな。この曲単体で聴くとそうでもないんだけど、やはりアルバム一連の流れでは、すごくよく聴こえてしまう。
 アナログ2枚組の長尺だからこそ、飽きさせず、最後まで聴き通せてしまう構成力、そして勢いと適度なアバウトさ。プロデューサー:トッドの手腕を感じさせる。

15. In and Out the Chakras We Go (Formerly: Shaft Goes to Outer Space)
 って思ってたら、またスペイシーかつフューチャーなプログレッシヴ。Outer Spaceって言ってるくらいだから、異星人との邂逅を表現しているのだろうけど、時々、ジョー・ミークみたいなキッチュ感がにじみ出ている。
 そうなんだよな、こういうチープな未来感って、ジョー・ミークが先駆けだったよな。多分、トッドなら聴いてたと思うけど。

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16. Don't You Ever Learn?
 のちのユートピアの序章とも言える、ドラマティックなハード・プログレなバラード。『Something/Anything?』~『A Wizard, a True Star』から連綿と続いてきた、スタジオ・マジックの検証作業のひとつの結果となったのがこの曲であり、そんな重要な曲だからこそ、このラス前という配置に置いてきたのだろう、と察する。
 
17. Sons of 1984
 そのユートピアのお披露目と言えるライブ・ステージ2か所で、トッドはこの曲のコーラスを録音した。歌ったのは、その時の観衆。
 今ならもっと臨場感あふれる音像になるよう、マイク・セッティングや機材にもこだわるんだろうけど、「こうやってみよう」っていうコンセプトが先立ち、音はそんなに良くない。ただこういうのって、記録より記憶なんだよな、結局のところ。結果的に、そんな手作り感が良い方向に作用している。
 全員で歌ってもらうためもあって、メロディもそんなに凝っておらず、そんなところにトッドの人の良さがあらわれている。どんなに悪ぶっていてもこの人、ちょっとひねくれてはいるけど、憎めないんだよな。





イギリス代表ポップ馬鹿のコミュニケーション・ブレイクダウン - XTC 『Mummer』


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 1983年リリース、6枚目のスタジオ・アルバム。セールス的に不利な2枚組でありながら、UK最高5位/シルバー・ディスクも獲得した前作『English Settlement』の勢いに続くはずだったのに、今回UKでは51位と大ハズシ、USでも大健闘48位だったのが、145位と大幅ダウンしている。
 本人たちも述懐してるように、確かに地味なアルバムではあるんだけど、でも。さすがにここまで落ち込むとは、思っていなかったことだろう。普通の会社だったら、担当者のクビが飛んでも不思議はない。
 マネジメントとの度重なるトラブルや手応えの薄いセールス状況も相まって、この頃のアンディ・パートリッジは神経性ストレスがMAXに達していた。「とにかく人前に出たくない」「ライブなんてやりたくない、スタジオに篭っていたい」など、もろもろのイヤイヤ期を発症しており、そんなどん底のメンタルが反映されていたのが、この『Murmer』。
 ライブ演奏を前提とせず、スタジオ・ワークを駆使して作り上げられた密室パワー・ポップは、緻密に丁寧に組み上げられているんだけど、第2次ブリティッシュ・インベイジョン華やかなりし83年としては、地味だな確かに。そこからさらに雑味を抜いて、簡素なバロック・ポップにたどり着いた『Apple Venus』と比べれば、十分アクティヴではあるんだけど、同じヴァージンのカルチャー・クラブには太刀打ちできないよな。
 中古レコードの通販をスタートとして、メジャー流通には載せづらいマニアックなプログレを主に取り扱っていたヴァージンも、80年代に入るとすっかりチャート至上主義に鞍替えしてしまう。ピストルズ〜P.I.L.やマガジンなど、ポスト・パンク期のレーベル・メイトは続々抜け、XTCの居心地は悪化する一方だった。
 バジェットの大半がカルチャー・クラブやヒューマン・リーグに費やされる中、ビジュアル的なインパクトも薄い彼らへの期待値はわずかなものだった。バカ売れするとは誰も思っていなかったけど、それでもアルバムは制作しなければならなかった。契約は契約だ。
 で、どうにかこうにか完パケしたらしたで、プロモーションの一環として、彼らも国内ツアーくらいはノルマとしてこなさなければならない。でもアンディが部屋から出てきてくれないので、それも叶わず。
 レコードは売れない、バンドは被害妄想と疑心暗鬼に取り憑かれてるしで、コミュニケーション・ブレイクダウン。担当ディレクターもやる気なくしちゃうだろうし、そりゃ険悪になるわな。

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 アンディの発案でXTCは結成されたので、彼がフロントマンに収まるのは、当然の流れだった。アーティストとして、自身のビジョンを作品にできるだけ反映させたいと願うのは普通であり、むしろそれをゴリ押しするくらいじゃないと、独自色が出てこない。
 曲が書けてギターも弾けて、歌うこともできる。メロディアスなバラードを歌うわけではないので、そこそこピッチが合ってれば、上手いヘタはそこまで重視されない。
 要は人前で臆せず、歌いガナれるかどうか。多少のヤジではへこたれない、強靭なエゴとステージ映えするカリスマ性があれば、フロントマンとしての資格は充分だ。
 思いつくまま挙げるとこんな感じだけど、そうなるとアンディ、ステージ映えには必須のカリスマ性においては、ちょっと弱い。後年、大量の未発表曲とデモ・テイクを小出しにして話題をつなぎ、世界有数のポップ馬鹿のポジションを築いてゆくプロセスからは、また別のカリスマ性を感じさせるのだけど、ビジュアル面はどんどん世間からズレる一方だし。
 ビジュアル映えするというのは、ニューロマのようなファッション・センス云々ではなく、表現者としてのパフォーマンスの問題である。単純な見映えではなく、エキセントリックな言動やパフォーマンス、またはコンセプトなど。
 シアトリカルな演出効果を施したりメーキャップに凝ったり、フォーメーション・ダンスや一糸乱れぬハーモニー・ワークだったり。はたまたステージで臓物ぶちまけたり重機持ち込んで暴れたりなど、まぁそこまで行っちゃうと極論だけど、要は「目立ちたい/誰かに認められたい」といった承認欲求の産物が、もろもろの表現衝動であって。
 で、XTC。数少ない初期の映像を見てみると、あんまり面白くない。そりゃデビュー間もないから機材や衣装にかける予算もないし、またそんな風潮でもなかったから、一気呵成・勢い優先のバンド演奏になるのは仕方ない。前述したエンタメ的演出へのアンチテーゼとして、パンクが誕生したわけだから。
 まともな3コードとも言えない楽曲をただガナり立てたり、エキセントリックな言動ばかりが目立って、肝心の楽曲がショボかったりする、多くのポストパンク・バンドと比べ、XTCは当初からまともだった。多分、そんな連中を反面教師として、「良い曲を最良の形でパフォーマンスする」ことを重視したことが、結果的にバンドの継続につながった。

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 そんな彼らの「純音楽主義/ビジュアル映えはそれほどちょっと」という基本コンセプトは、デビューから現在に至るまで、わりと一貫している。スクール・カースト的に中の下クラスで結成された軽音部を彷彿させる初期ピンナップから始まり、登録数少なそうな中年YouTuberみたいな風体のアンディ近影も、そういう意味ではまったくブレがない。
 デビューから最終作まで、アルバム・ジャケットの変遷を追ってみると、まともなアーティスト・ショットを使用しているのは、デビュー作『White Music』くらいしかない。一応、『Black Sea』でも顔出しはしているのだけど、何の暗喩だかオマージュだか意味不明な19世紀の潜水服のコスプレでトーンも暗めだし、ハイセンスを狙ったとは言いがたい。
 そう考えると、「60年代サイケデリック・リスペクトな屈折ポップ」というサウンド・コンセプトを投影させた、中期ビートルズ風にデフォルメしたイラストの『Oranges and Lemons』が、彼らのパーソナリティを最もうまく表現できているのかもしれない。変にこじれた中年トリオのパネマジとしては、よくできているとは思う。
 奇をてらったパフォーマンスに頼るのではなく、純音楽主義に基づき、楽曲のクオリティを上げることでバンド活性化につなげていこうよ、っていうのが、中期以降XTCの成長戦略だったんだろうな。まぁそれも、あくまでアンディ個人の願望と妄想の産物なんだけど。
 ライブ・バンドとしての彼らのキャリアは、おおよそ76〜82年までと短いもので、その後はスタジオ・ワーク主体の活動へシフトしてゆくこととなる。ネット環境が整った現在なら、Adoみたいに一切顔出しせずの活動も可能だったはずだし、また彼らクラスの知名度であれば、無観客ライブ配信も充分収益化できるのだけど、生まれた時期を半世紀くらい間違えちゃったのが、彼らの不運である。
 メンタル不調がある程度落ち着いてからのアンディは、プロモーションの一環としてラジオ番組に出演、そこで無観客パフォーマンスを数回行なっている。なので、レコーディング以外の演奏がまったくダメなわけではない。
 内輪でのラフなライブ演奏ならともかく、キッチリした段取りに則ってステージに上がるのが、とてつもないプレッシャーというだけで。今となっては、人前で演奏するより、懐古エピソードや御託ならべる方が多いため、それもやりたがらないだろうけど。

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 じゃあXTC、バリバリの現役活動時のライブ・パフォーマンスは、一体どんな感じだったのか。一応、79年に来日公演を行なってはいるのだけど、実際に見た人は相当レアだし音源も映像も残っていないので、確かめようがない。自国UKでさえ、キャリアの浅かった彼らの単独ライブはホールクラス程度だったため、やはり観た人は限られる。
 のちに開陳された膨大な音源アーカイヴが物語るように、早い段階からデモ制作やレコーディングに注力していた彼ら、ライブへかける比重は相対的に少なくなっていった。なので、今世紀に入るくらいまで、彼らの動く姿を見る手段は、ごくごく限られていた。
 80年代以降の彼らとリアルタイムで接してきた俺が思いつく限りでは、MTVでランダムにオンエアされる『Skylarking』以降のPVくらいかな。一応、それ以前の初期PVを集めたVHS『Look Look』が国内発売されていたのだけど、流通量が少なかったのか、現物を見たことがない。
 なので、XTCのファンの多くは、全盛期のライブはおろか、まともに動く彼らを見ることさえ叶わなかった。「映像」=と「テレビ」と同義だった、北海道の中途半端な田舎の高校生は、ほぼ不意打ちのようにオンエアされる「Dear God」や「Mayor of Simpleton」を待ち望んで、深夜テレビを見続けるしかなかったのだった。
 そんな時代もあったよね、と懐かしむのもいまは昔、バンド活動もフェードアウトし、半隠居状態となった近年に入ると、演奏する彼らの姿が手軽に見ることができるようになった。YouTube様さまだよ。
 まだデビューして間もない79年のメンバーは、アンディとコリンに加え、バリー・アンドリュースとテリー・チェンバースのオリジナル・ラインナップ。ライブでの再現性を重視したレパートリーが多く、時に勢いづいて走り過ぎてしまうリズムも、まぁご愛嬌。ブランクを置かず、集中したスケジュールのおかげもあって、おおむねアンサンブルはまとまっている。




 もうひとつは、82年のロックパラスト。この前年、アンディがステージ・フライトを訴え始め、ちょっとムリしていた時期に当たる。




 『English Settlement』がスマッシュ・ヒットしたことで、ここでもうひと押しふた押し、と展開したいところだったのだけど、すっかりメンタルやられちゃったアンディ的にはそれどころじゃなく、居心地のいいスタジオに引きこもり続ける始末。それでもどうにか引っ張り出してみても、以前のテンションはどこへやら、心ここにあらず。
 そんなアンディの心境を象徴するかのように、フェスの雰囲気もあるけど、ステージ・セットやライティングも全体的にダークな味わいが漂っている。この時期のサウンドになると、トリオでのライブ再現は厳しいので、テープ使用は仕方ないとしても、やる気のないゴシック・パンクのようなアンディのヴォーカルは、時に呪詛のように響いてたりする。

 そんなテンション低めの状況で制作された『Mummer』だけど、先入観抜きで聴いてみると、当時からの持ち味であったポップなメロディと、ほどよくアコースティックなサウンドとがバランスよく配置された良作である。かつての沸点低めなパワー・ポップの面影、ギターをかき鳴らしてがなり立ててた「Statue of Liberty」のような高揚感は、どこにもない。
 熱病のような昂りを否定するわけではないけど、それを再び演じられる場所に、彼らはもういなかった。がむしゃらで前向きだった、そんな蒼き熱血は、過去になったのだ。
 ライブでの再現性、そこで得られるカタルシスを自ら放棄し、スタジオを根城としたアンディは、多重ダビングやエフェクトを駆使して、レコーディングの沼にはまり込んでゆく。エンジニアを務めたスティーブ・ナイもまた、アンディに負けず劣らずのスタジオおたくだったことから、暴走を止める者がいなかったことも、その後の彼らの方向性を決定づけてしまった。
 もしアンディがそこまで思い詰めず、ライブ活動のペースを落としてバランス良く活動し続けていたら、『Mummer』ももう少しはじけたサウンドになっていたのかもしれない。それかもっと徹底的に、がっつりスタジオ・マジックの追求に走った末、シンクラヴィアまみれのテクノ・ポップに走る資質もあったはず。
 なぜかそっちには行かなかったんだよな。『Mummer』もそれ以降もだけど、テクノロジーのトレンドを追うことはなかったし、ここで使われてるのもメロトロンだもの。
 何が何でも人力にこだわってる風はないんだけど、まだ「変な音が出る箱」程度のスペックしかなかったポリ・シンセを使いこなすより、エフェクターやコンソールを駆使して変調させたサウンドを得ることにこだわっていたのが、当時の彼らだった。あ、どっちにしろ結果は「変な音」か。
 演奏テクニックやメッセージ性をどんどん脇に追いやってライブ感を薄め、突飛なサウンドやジョンブル由来の皮肉とペーソスが取って代わったことで、XTCのバンド・コンセプトはマニアックなコアに向かって収斂してゆく。出口のない袋小路を延々とうろつくことは、病んだアンディにとっての対処療法であったのだ。
 そんなポップ馬鹿の暴走を、結果的に食い止める役割を担っていたのが、もう1人のソングライター:コリン・ムールディングだった。アンディほどひねりのない、ポップの王道セオリーを踏襲した彼の楽曲は、ひとつの理想像であり、また手近な仮想敵だったとも言える。





1. Beating of Hearts
 オリエンタル調のアラビックな旋律のイントロで幕を開ける。呪術的なアフロ・ビートをバックに、アイリッシュっぽいメロディやギターはあらゆるパターンで変調させたりして、ストレートな表現がどこにもない。
 そんなエフェクトや細かい装飾を作り込んでゆくことが、この時期の彼らであり、『Mummer』の主題だったのだな、と気づかされる曲。そりゃ全体的にサウンドは古いんだけど、アイディアの方向性は今も十分通用する。

2. Wonderland
 テクノ・ポップ風味のシーケンス・ビートと、中期ビートルズのポール・マッカートニーが書きそうな、キャッチ―なフックを散りばめたメロディは、コリン・ムールディングによるもの。みんな驚かせる「変な音」に執着していたアンディに対し、彼の場合は比較的まともで、実はシングル・カットされているナンバーも地味に多かったりする。
 コリン的80年代解釈による「Strawberry Fields Forever」といった趣きのサウンド・プロダクションは、ヒット・チャート上位に食い込むほどの貪欲さには欠けているのだけど、比較的まともなのを選ぶとしたら、これくらいしかなかったのだろう。苦労したよな、ヴァージンの担当者。




3. Love on a Farmboy's Wages
 タイトルが示す通り、サウンド的にもほぼ何のひねりもない、牧歌的なフォーキー・チューン。このレコーディングを最後に脱退することになるテリー・チェンバーズを引き留めるため、アンディはこの変則シャッフル・リズムを思いついたらしいのだけど、あんまりお気に召さなかったらしい。
 普通に叩かせればいいものを、何でこんなひねくれたリズム・アプローチにしちゃうんだろうか、と思ったけど、インパクト薄い曲だから、こういったアクセントがないと、印象薄いか。でもそれならそれで、ほかにもっといい曲あったんじゃね?とも思ったりもする。
 それでもポップ・ユニット:XTCとして、アルバムの中ではわかりやすいメロディということだったのか、一応、シングル・カットもされているのだけど、結果はUK最高50位。ま、こんなもんか。

4. Great Fire
 かつてはそこそこライブ・サーキットを回っていた彼らの面影を、多少思い起こさせてくれるナンバー。全盛時とまでは行かないけど、そこそこバンド・アンサンブル感が出ており、シングル・カットされたのもうなずける。
 ただ後半に入るにつれてストリングスが入ってELOっぽくなったり、フェイザーやエコーかましたりして、曲調が目まぐるしく変化してゆくのが、とっ散らかった印象として残る。あれもこれも詰め込んだ結果、それでも4分弱でまとめるのはさすが。
 スタジオ・ワークに専念すると、ここまでのものができる。でも、いいモノを作れば、必ず売れるわけではない。世に広く知らしめる手段が必要なのだ。そのためのプロモーション活動だったりライブ・ツアーだったりするわけで。

5. Deliver Us from the Elements
 コリン作による、ミステリアスなポップ・チューン。「まだまともな方」としての認知が高いコリンだけど、やはりアンディの毒気に多少煽られたのか、グレゴリオ聖歌みたいな多重コーラスや、火山爆発みたいなエフェクト、テープ逆回転させていたり、実は何かと実験的。のちのサイケ・ユニット:Dukes Of Stratosphearにも嬉々として参加していたくらいだから、そういった資質はあるのだろう。

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6. Human Alchemy
 同時代ではピーター・ガブリエルがアフロ・ビートに傾倒していたように、西欧音楽の限界を見たアーティストらが、未知の第三世界リズム/サウンドを取り込んでいた時期にあたり、アンディもまたキャリアの初期からレゲエやダヴなど、果敢に取り組んでいた。
 ガブリエルにもアンディにも、またデヴィッド・バーンにも共通することなのだけど、真摯にのめり込めばのめり込むほど、その不定形なビートと旋律は、彼らのサウンドのコアから遊離してゆく。どれを聴いてもそうなんだけど、借り物的なミスマッチ感は否めない。
 これって悪い意味じゃなく、そんな食い合わせの悪さが起こすケミストリー、いわば相容れなさから誘発されるギャップこそが、彼らのオリジナリティである、と言いたいのだ。特にアンディ、グルーヴ感からは程遠いんだよな。
 ただ、そういった偶発性の最たるものであるライブ感の否定、細かくシミュレートされた工芸品的サウンドというのが、当時のアンディ/XTCの理想形だったわけで。本人が聞いたらあんまりいい気はしないだろうけど、ニュー・ウェイヴの系譜的には正しいサウンドなんだよな、この曲って。




7. Ladybird
 『Mummer』のラインナップの中では、最も彼らのルーツに忠実な、中期ビートルズ・テイストの濃いポップ・チューン。時期で言えば『Rubber Soul』あたり、『Revolver』に行かず、そのままキャリアを重ねていけば、こんな感じになったんじゃないかと思われる。
 スタジオ室内楽っぽさは、のちの「Chalkhills and Children」~『Apple Venus』につながる系譜であり、とっ散らかったポップ馬鹿テイストを好む層からすれば、オーソドックス過ぎるんだけど、アルバムの流れ的には、こういった箸休めも必要なんだよな、と勝手に納得してしまったりする。

8. In Loving Memory of a Name
 アンディとしては比較的まともなポップ・バラードの後に続く、コリンのナンバーだけど、ここでは立場が逆転して、こっちの方が変化球が多い。耳ざわりの良いポップな曲調なんだけど、ドラム・パターンがやたら走ってたり変な転調があったり、後半のコーダ突入あたりからまたテープ逆回転が入ったりして、実はカオスだったりする。

9. Me and the Wind
 アンディの声質が『Skylarking』以降になってるな、という印象。もうライブに合わせてキーを低めにしたりすることもないので、こういった曲調もレコーディング的にアリなのだろう。
 音数はそんなに入っていないのだけど、オペラチックなアンディのヴォーカルが全体を引っ張っており、そういう意味で言えばもっともソロっぽさが出ているのが、この曲。様々なエフェクトによる小ネタも適度に効いており、地味だけど案外良曲。

10. Funk Pop a Roll
 とは言っても、ラストに収録されたコレ、パワー・ポップ・テイスト全開のアッパー・チューンに全部持っていかれてしまう。なんだ、まだライブっぽくできるじゃん、と錯覚してしまいそうだけど、このテンションを続けることができなくなってしまったのだ、彼らは。
 最後、アンディが「バイバイ」とシャウトするエンディングといい、最高なんだけど、多分、負のパワーだったんだな。地球上で彼らは3分しかテンションが持たないのだ。









80年代U2の自己否定(いい意味で) - U2 『POP』


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 俺が思い出せる限り、デビューしてからメンバー・チェンジを行わず、不動のメンツで活動し続ける最古のバンドは、おそらくU2である。他にもいるのかもしれないけど、取り敢えず思い浮かばない。多分他にもいると思う、知らんけど。
 長いキャリアを持つバンドにありがちで、例えばストーンズなら「レーベル設立前が一番」「イヤイヤ、ビル・ワイマンが抜けてから尻上がりに良くなってるよ」とか、サザンなら「『Kamakura』前まで」「やっぱデビュー前が一番彼ららしかった」って、レアな意見もあったりする。共通するのは、やはり最初に聴いた作品が思い入れも深く、何回も聴き直したりすることも多い。
 俺にとってのU2もまた同様で、聴き返すのは『The Joshua Tree』周辺の作品が多い。彼らが世界的なブレイクを果たし、日本で紹介されることが増えたのもこのアルバムからなので、俺のようなアラフィフ世代のU2ファンは、日本で大きな割合を占めている。
 「尊大な怖いもの知らずでエモーショナル」なヴォーカルと、「態度は控えめながら、アレンジの引き出しの多い」コンポーザー兼ギター、「態度は控えめ・プレイも控えめ」なリズム・セクションらの勢いは、80年代UKロック・シーンを席巻した。と言いたいところだけど、初期のU2はたんなる「実直なギター・バンド」でしかなく、他のバンドとの優位性がイマイチあやふやだった。
 多彩なギター・サウンドなら、狡猾なキュアー:ロバート・スミスの方がバリエーションもあり、演出力も秀でていた。アイルランドの独立問題や宗教観をリアルに活写したメッセージ性においても、まだ現役だったクラッシュの方が明快でインパクトがあった。
 爛熟期の80年代UKロック・シーンは、ゴシック/ハードコアからネオアコまで、極端に玉石混合なジャンルが乱立していた。まだキャラ確立されていない初期U2サウンドは、まぁ若手としては器用だけど、いわば類型的ギター・ロックの延長線上の域を出ず、UKローカルの域を出なかった。
 彼らが一歩抜きんでるには、もうひと工夫必要だった。

 サウンド・コーディネートの多くを担っていたエッジが、この時点でギタリストとしてのエゴを優先して、あの浮遊感あふれるディレイとリヴァーブにこだわり続けていたら、U2のポジションは全然違ったものになっていたはずである。ギターいじりが昂じて、マイブラ先取りしたシューゲイザーのフロンティアくらいにはなっていたかもしれないけど、まぁ売れないわな。
 トータル・サウンドの完成度を高めるため、彼らはブライアン・イーノとダニエル・ラノワの子弟コンビををサウンド・プロデュースに迎える。何となく想像つくと思うけど、師匠イーノが思いつき担当、忠実な弟子ラノワが実務担当。
 既存のロック・バンドのセオリーである、ギター中心の音作りからの脱却が、『焔』のサウンド・コンセプトだった。複層的にダビングされたギター・サウンドは、トラック数を大幅に絞り、リヴァーブを深め静謐なシンセで隙間を埋めた。
 ひとつひとつの楽器パートのボトムを重視し、際立たせることで、トータル・サウンドに深みが増した。手のうちをすべて明らかにするのではなく、曖昧でミステリアスな部分を敢えて残すことが、イーノの思惑だった。
 ボノの発する声も言葉も、サウンドに倣い、変容していった。直情的な告発や不満を書き連ねていた初期とは違い、『焔』からのボノは、ある種の使命感をまとうことを意識して振る舞い、そして言葉を発した。堅牢なサウンドに裏打ちされたボノのパフォーマンスは、次第にカリスマ性を増してゆく。
 バンドとプロデューサー・チーム双方のアーティスト性、そしてマーケットのニーズとが次第に擦り合わされ、最初の到達点となったのが、『The Joshua Tree』だった。発売当時からすでに最高傑作とされ、日本を含む全世界でブレイクのきっかけとなったのが、このアルバムだった。
 そのスターダムへの過程を、リアルタイムで目の当たりにしていた俺世代のロック・ファンにとって、U2は避けて通れない存在である。もう好きとか嫌いとかを抜きにして、いわば問答無用の存在感を有しているのが、この『The Joshua Tree』というアルバムである。

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 いわば最初の到達点、すべて吐き出しちゃった感があったのか、その後のU2はサウンド・コンセプトのフレキシブル化、言っちゃえば紆余曲折を辿ることになる。ある意味、ここからがリ・スタートと言うべきか。
 UKギター・バンドとしては、自他ともに認める完成度となった『The Joshua Tree』によって、サイケデリック・ファーズともアラームともG.I. オレンジともミッドナイト・オイルにも、大きな差をつけたU2。普通なら調子こいてしまうところだけど、その辺はクソ真面目でストイックな彼ら、次回作のコンセプトで迷走することになる。
 並のロック・バンドなら、無難な売り上げキープとファンのニーズに沿って、『The Joshua Tree』の二番煎じ・三番煎じと行くところだけど、潔いというか意識高いというか、その線は選ばなかった。「ロックは常に成長しなければならない」という使命感の前では、それは不誠実だった。
 別の選択肢として、取り敢えずやみくもに前に進むことをやめ、「一旦立ち止まって原点回帰」というルートもある。バンド結成時の理念に立ち返り、自分たちが影響を受けたクラシック・ロック、さらに遡ってリズム&ブルースをモチーフにするとか。
 で、当時のU2サウンドになかった要素というのが、そのリズム&ブルースを含めたブラック・ミュージック全般。サン・シティ・プロジェクトにて、キース・リチャーズとロン・ウッドとレコーディングすることになって、ブラック系全般ズブの素人だったボノが、ストーンズ組2人から指導を受けて、どうにかこうにか「Silver and Gold」を書き下ろした、っていうのは、わりと有名なエピソード。「パンク以前のレコード・コレクションは持ってない」と豪語していたのが、当時のボノ。いやいやビートルズやストーンズ1枚くらいはあっただろ、世代的に。破天荒だったんだな、ボノ。
 で、そんな出逢いがきっかけだったのか、次作『Rattle and Hum』は、ブルースを主体とした、アメリカン・ルーツ・ミュージック全般へ大きく舵を切ることになる。ある種、殉教者的な佇まいを見せていた『The Joshua Tree』から一転して、泥臭いマッチョイズムと荒々しいライブ感が、新展開のU2だった。
 ただ、もともとブルースにそれほど思い入れのない彼ら、例えばB.B.キングとのコラボ「When Love Comes to Town」に顕著なように、どこか取ってつけた感/無理してる感があったことも、また事実である。「真面目に努力してブルースを学習する」彼らの姿勢は、素の持ち味がにじみ出ており、それはそれでまた面白いのだけれど、でも自分たちでも「これじゃない感」があったんだろうな。
 なので、この路線は単発で終わる。アーティストとしてのポジションは爆上がりしたけど、純粋な音楽的成果としては、やや不首尾だったのが、この時期。ここまでが80年代。

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 ルーツ探しの旅にけりをつけ、再び新規巻き直しとなった90年代U2。無難に収めるなら、ほんとの原点回帰で『焔』〜『The Joshua Tree』の焼き直し、または潔く解散というルートなのだけど、彼らが選んだのは、ベテランとなってしまった「ロック・バンド:U2」の解体だった。
 で、ここからちょっと駆け足になるけど、シーケンス・ビートを多用し、クラブ・ユースを強く意識した『Acthung Baby』、さらにテクノ要素の大幅増によって、ダンス+アンビエント色を強めた実験作『Zooropa』と続く。清廉潔白公明正大質実剛健なイメージだったボノもまた、露悪的な発言や冒涜的なステージ・コスチューム、歌詞の内容も官能的だったり不条理さを際立たせたり、これまで培ったパブリック・イメージの破壊に勤しんでいる。
 フロントマンとして、率先して「80年代U2の自己否定」を実践していたボノ、この時期から過剰なトリックスターとして、悪魔に扮したメイクで「俺がマックフィストだ」とのたまったり、インタビューでも毒を吐きまくったり。ただこれらのパフォーマンス、神格化されて抹香臭くなってしまったU2の軌道修正の一環であることを忘れてはならない。
 彼らのレパートリーの重要曲である「Lemon」や「Numb」、「One」が生まれたのはこの時期であり、80年代のストイシズムな視点からは生まれ得なかった作風である。清濁あわせ飲むことによって、表現力に幅と深みが生まれ、既存曲の解釈=当時のステージ・パフォーマンスにも、それはあらわれている。

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 で、やっと辿り着いたよ『POP』。前2作はまた別の機会に書くとして、今はこっちを書きたかったのだ。
 「80年代U2=ロックバンドのフォーマット」の自己否定を推し進め、ダンス・ビートを追求した彼らが行き着いたのが、ディスコのリズムとサウンドだった。8ビートの対極として位置づけた、フィジカルの強化、そして下世話な世界観は、既存イメージの破壊行為として、かなり振り切れたものだった。
 先行シングルがそのまんま、「Discothèque」。やっちまったな。U2ファンだけじゃなく、世界中のロック・ユーザーが同じ思いだった。そこまでやる?
 前作『Zooropa』までの製作陣は、イーノやラノワなど、多かれ少なかれロックに関わりのあるスタッフで占められていた。どれだけ暴走したとしても、それはロックの範疇で行なわれたものであり、振り回されていたファンやメディアにとっても、何とか着いていこうと思わせるところがあった。
 ただ『POP』では、その常連イーノとラノワの名はなく、ソウルⅡソウルやゴールディを手掛けたハウィー・Bが、共同プロデュースとして初参加している。マッシヴ・アタックからビョークまで、当時はヒット請負人的なポジションだった彼を押さえちゃうくらいだから、金に糸目つけなかったんだろうな、きっと。
 既存ロックからのはみだし加減には拍車がかかり、ハウィーの代名詞でもあるトリップホップを始め、ブレイクビーツやテクノ・ビートの使い方も大胆となり、アルバム冒頭3曲でのロック的要素は激減した。特に「Discothèque」は、ロックはおろか、ボノのヴォーカル以外、U2の要素を探すことが難しい。
 しつこいようだけど、その「Discothèque」の「これじゃない」感、「デジタル世代を意識して最先端に仕上げたつもりだけど、限りなくダサい」アルバム・ジャケットの微妙さは、翻弄されながらもどうにかしがみついていた当時の俺でさえ、遂に振り落とされた。タワレコでほぼ発売日に速攻買ったんだけど、たいして聴かずに速攻売っぱらっちゃったのも、いまは昔。
 U2ファンの間では極めて評判の悪い、まるでなかったことのようにされている『POP』。ただ、リリースからほぼ四半世紀、俺もU2も歳を取った。恥ずかしい過去もまた、それはそれでいまの自分を形作ってきたことは間違いないのだ。
 アラフィフとなり、いろいろと寛容になった俺は、そんな彼らも含めて受け入れることにした。「どんな駄作だって、いいところはあるよきっと」と、上から目線の気持ちで久しぶりに聴いてみたのだった。
 そんな経緯だったので、正直、全然期待してなかったのだけど、当時、乗り越えられずにいた3曲目を過ぎてからは、印象が変わってしまった。「アレ、こんなに良かったっけ?」。
 ディスコだダンス・ビートだトリップホップだグラウンド・ビートだというコンセプトで作られているのは冒頭3曲だけで、それ以降はちゃんとロック・スタイルのU2である。もちろん、先祖返りのUKギター・ロックではなく、シーケンスやエレクトロニカも自分たちなりに消化して、アンサンブルとの親和力を高めている。
 かつてエッジが発明した、繊細に空間を埋めるディレイ・サウンドは少なく、ボディのナチュラルな鳴りを活かしたプレイが中心となり、ボトムの太さが際立った。ディテールよりグルーヴ感を優先したリズム・セクションは、16ビートを通過したこともあって、もったりした重さから解放されている。
 バンド・コンセプトの言い出しっぺであるボノはといえば、これがまったく変わりない。ボノは相変わらず、ボノのまま。尊大な自信はさらに勢いを増し、若き血潮がたぎる使命感は、世界を憂うほどまでになった。

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 なので『POP』、何かと誤解されることの多いアルバムである。俺のように、3曲目の壁を乗り越えることができれば、90年代に対応した進化形U2を堪能できるのだけど、リリース当時は力尽きてしまったのだった。そんなのは多分、俺だけじゃないはずだ。
 もうちょっと要領よく考えたら、冒頭3曲だけ分割して、マキシ・シングルでリリースしたり、それか思いっきりクラブ層にターゲット絞って、12インチ・シングル切っちゃう手もあったはず。部外者で素人の俺がそう思うくらいだから、スタッフもいろいろ案はあったと思うんだけど、バンドとしては、そうはしたくなかったんだろうな。「こういうのもロックだし、U2だし」ってことで。





1. Discothèque
 当時はボロクソに酷評されたというより、「えっ…、こんなんなっちゃってるの?」という戸惑いの方が多かった、U2史上最も暴挙と喧伝された先行シングル。とはいえ、US10位・UK1位と堂々の成績を残しており、市場には一応受け入れられたという形。まぁ話題性は充分だった。
 で、四半世紀経ち、あんまり先入観を入れずに聴いてみたところ、普通にクールなデジ・ロックとして成立している。まぁこれをU2としてやったから、あれだけ騒がれたんであって。
 取り敢えず「ディスコ」をお題を先に決め、「ディスコ」ってワードを入れてプレイしてみたら、案外形になっているっていうか。ベーシックのバンド・サウンドはクレバーで、まぁボノがちょっとテンション高いけど、結局、ちゃんとしたU2ブランドで成立している。



2. Do You Feel Loved
 ドラム・ループを効果的に使った、同じくビート強めのデジ・ロック。この時期、ナイン・インチ・ネイルズやスマッシング・パンプキンズ、P.J.ハーヴェイなど、主にUSオルタナ系との仕事を手掛けていたフラッドをメイン・プロデュースに起用していたことも、『POP』のクオリティの高さにあったんじゃないか、と今ごろになって気づいてしまう。
 もしかしてボノ、彼が同時期に手掛けていたデペッシュ・モードとの仕事を見て、「なんかあんな感じで」とか言ったんじゃないかと思われる。いやいやあんたら、あそこまで振り切ってグルーヴできてないし。

3. Mofo
 『Acthung Baby』以降、ロック・バンドとしてのグルーヴ感は獲得できた彼らだけど、ダンス・チューンの場合となると、使う筋肉も感覚もまた違ってくる。『POP』収録曲の中で、最もハード・テクノ~エレクトロ色が強いチューンで、ボノのヴォーカルもバンド・アンサンブルも、ここではパーツの一部でしかない。
 「Lemon」同様、若くして亡くなったボノの母親について書かれた歌で、抒情的で切ない内容なのだけど、サウンドはその正反対で、かなり自己破壊的。当初、ブルース・ナンバーとして書かれた「Mofo」は、紆余曲折を経て、最も激しさを増したアレンジで彩られた。
 その真意は、誰にも知りえない。

4. If God Will Send His Angels
 EU諸国で4枚目のシングルとしてリリース、UK12位。4枚目のカットとしては、なかなか健闘した方。多少、シンセのエフェクトは入るけど、ほぼバンドでの演奏がメインとなった、いわばここからが通常営業。
 こういった曲調は80年代にもよくあったので、古くからのファンは馴染みやすいけど、もしかして3曲目までが好きなファンだったら、逆に古臭く感じるのかもしれない。まぁ昔よりはもう少しくだけて、地に足の着いた感じはあるけど。

5. Staring at the Sun
 ほぼ出オチみたいなインパクトを持った「Discothèque」以降、エレクトロとバンド・セットとのすり合わせが消化不良だったけど、ここに来て一気にクオリティが上がる。言い訳不在のバラード・メロディに骨太のアンサンブル、それでいてアウト・オブ・デイトに寄り過ぎないスタジオ・ワーク。
 US26位・UK3位はなんか中途半端なチャート・アクションだけど、間違いなくこの時期のベスト・パフォーマンス。カナダとアイスランドでは首位獲得していることから、緯度が高く日の短い国では、共感できるのだろう。なんだそれ。



6. Last Night on Earth
 このアルバムのレコーディング中に「POP Mart」ツアーを行なうことが決定し、タイトなスケジュールとなった末、最後にレコーディングされたのが、『Zooropa』セッション中に書かれたこの曲。要は当時、ボツだったってことなんだけど、よくこんな曲お蔵入りさせたよな。「みんなが思うU2」としては、理想的なサウンドだもの。
 ただ、その出来の良さ、いわば「端正にまとまってる」感が、当時の「U2の自己否定」というコンセプトにはそぐわなかった、ってことなのだろう。時間がなくてアウトテイクを流用したって結果ではあるけれど、逆にこの曲が世に出るきっかけになった、ってことなので、それはそれで結果オーライ。

7. Gone
 ここ数年、やさぐれたヴォーカルが多かったボノ、当時としては珍しく、ストレートにエモーショナルなスタイルで歌っている。細かいシーケンスやサンプリングなどの小技はあるけれど、ここはバンド・セットが主役。
 あんまりソロらしいソロを弾くことのない、エッジのギター・プレイが大きくフィーチャーされている楽曲なので、ライブの定番となっており、ファンの間でも人気は高い。デジ・ロック風味はまるでないけど、あからさまなエレクトロ臭がないこともあって、この辺が90年代U2の到達点だったんじゃないかと、個人的には思う。
 「10知るためには、12調べなければならないし、じゃないと気が済まない」って言ってたのは大瀧詠一だったけど、確かに両極端を知らなければ、真ん中ってつかめない。でもこの時の大滝、確か日本映画か苔の研究についての発言だったかな。
 本業と関係ねぇことばっか張り切ってたよな、あの人。

8. Miami
 ほぼハウィー・Bの仕切りとなる、もうリミックス・ヴァージョンって言っちゃっていいアブストラクトなダンス・チューン。とは言っても、これで踊るのはかなりきつい。もっと密室的な、スタジオ・ワークで作られた音楽。
 ザックリした音色のギター・リフと人力ドラム・ループは、当時のロック・ファンには敬遠されたんだろうけど、USオルタナを通過していれば、そこまで拒否反応を催すものではない。
 まぁ王道ロックからはかなり逸脱した路線なんだけど、でもそこに新たな可能性があったのは確かなんだよな。あのまま『The Joshua Tree』路線だけ続けてたら、単なる懐メロバンドで終わっちゃってたろうし。

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9. The Playboy Mansion
 なんか『Zooropa』っぽい、ゆるいトリップホップ。ほんとにクラブでトリップしながら聴いてたら、多分、この曲が一番ハマるんだろうけど、日本じゃ伝わりづらいよな。
 ブルースを習得したことによって、それをあからさまに出すことはなくなったけど、シーケンスを使いながらも、生のグルーヴ感とマッチングさせられる点が、彼らの強みなんではないか、と。十分なベテランであるはずなんだけど、モダン・レコーディングへの適応力の高さ・貪欲な吸収力こそが、彼らの原動力なのだ。
 そう感じさせるのは、あとはレッチリかな。ほかに誰かいるかな。多分いるだろうな、知らんけど。

10. If You Wear That Velvet Dress
 思わせぶりなバラードっぽい導入部から、徐々に音数も増えてゆくのだけど、間奏のエッジのギター・プレイに心奪われる。繊細に音を重ね、一音・ワンフレーズの残響音までをも計算に入れた、かつてよく聴いた音。
 「まだこんなこともできるんだ」と思わせつつ、「もう、ここではない」とも。彼らはもっと、まだ見ぬ先の音を追い求めているのだ。

11. Please
 ある意味、アルバムのメイン・トラックとも言える、アイルランドで現在進行形で起きていた諸問題を切々と訴えたバラード。「POP Mart」ツアーでは「Sunday Bloody Sunday」とセットで歌われることが多く、ライブのハイライトとなっていた。
 朦朧と虚ろなボノの声は、当初、無常観にあふれているけど、次第にその響きは熱を帯び、遂にはピークに達する。かつてなら、多重ダビングされたエッジのギターがカタルシスを煽るところだけど、ここでのエッジは野太いコーラスにとどめている。その小手先の少なさにこそ、彼らの成長を感じさせる。

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12. Wake Up Dead Man
 「Please」同様、沈鬱としたバラード。ループされる女性コーラスの異様さ、そして抑制されたアンサンブル。ちっとも『POP」でもないし、ディスコでもない。それでも、彼らはラストをこの曲で締めなければならなかった。
 答え?そんなのあるもんか。何でも正解なんて、あると思うな。
 彼らはここで、そう言っている。









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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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