好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock : Japan

なぜか空気扱いのアルバム。40年以上経ったいま、ちゃんと聴いてみよう。 - 甲斐バンド 『地下室のメロディー』

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  1980年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『My Generation』を最後に、デビューからのベーシスト:長岡和弘が脱退し、甲斐・大森・松藤の3人体制で作られた初めてのアルバムでもある。
 時系列でアルバムリリースをたどってゆくと、 
 79年10月『My Generation』
 80年3月ライブ『100万$ナイト』
 80年10月『地下室のメロディー』
 81年6月ライブ『流民の歌』
 81年11月『破れたハートを売り物に』
 という流れになる。まるでアイドル並み、ほぼ半年ペースでアルバムがリリースされているのは驚きだけど、当時はこれが当たり前だったのだ。
 シングル「HERO」の大ヒットを受けて、本格的なロック・サウンドへ大きく舵を切ったのが『My Generation』から、というのが、大まかな流れとなっている。デビュー以降、長らく「フォーク」または「歌謡」という注釈付きだったサウンドは、地道なライブ演奏によって鍛えられ、強いビート感を獲得している。
 長いロードを経て自信と確信を得た彼らが、70年代の総決算とした『100万$ナイト』には、骨太なマッチョイズムとセンチメンタルな郷愁とが、混在して刻まれている。この2年前にリリースされているライブ『サーカス&サーカス』では、まだ蒼く情緒的なメロディが勝っていたのだけど、ここでは強靭なリズムの成長が著しい。
 『流民の歌』は以前レビューしているけど、解き放たれた野性のギラつき、急激に変化せざるを得ないアンサンブルの荒々しさが、克明に記録されている。荒々しくザラついた音の礫は、洗練より混沌に収斂され、予定調和を拒む当時の彼らのスタンスを象徴している。
 そんなライブ演奏に比肩するカタルシスを追求するため、彼らはスタジオ・レコーディングのグルーヴを強化するため、試行錯誤の袋小路にはまり込む。その過渡期に産み落とされたのが「破れたハートを売り物に」だった。
 同名アルバムもあるけど、この一曲だけで、それまでのフル・アルバム以上の密度と暗中模索が詰まっている。このトラックをあるべき姿に仕上げること、それが彼らの大きなターニング・ポイントとなり、またバンド・ストーリーのエピローグの幕開けとなる。
 「HERO」以降からNY3部作までを辿ってゆくと、おおよそこんな感じになる。どのアルバムもベクトルが明快だし、プロセスの連続性は保たれている。
 で、敢えてすっ飛ばしちゃったのが、本題の『地下室のメロディー』。ここまで一気に書いてみたけど、どうにもハマらない。
 スタジオ作品としては「明確なロック路線を打ち出した『マイジェネ』と、NY3部作の糸口となる『破れた~』との橋渡し的アルバム」と言いたいところだけど、2作との連続性はほぼ感じられない。前作の『マイジェネ』で歌謡ロック・テイストは払底したはずなのに、ここでは再びメロディが立つアレンジが多くなっている。言っちゃえば番外編、まるで寄り道しちゃったような立場のアルバムである。
 その上、前後をライブ・アルバムに挟まれているため、ますます印象に残りづらい。まるでエアポケットみたいな場所に突っ込まれていることもあって、地味さ加減がハンパない。
 サウンドの変遷で言えば、むしろ『マイジェネ』の前にリリースされていた方が収まりがいいくらいである。リリースから40年以上経った現在なら、順番なんか気にせずランダムに聴き進めてゆけるけど、リアタイで聴いてたファンなら多分、ちょっと戸惑ったんじゃないかと思えてしまう。

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 このアルバムがリリースされた頃、俺はまだ小学生で、甲斐バンドは「ヒーロー歌っている人たち」程度の存在でしかなかった。少年ジャンプとガンダムこそ至高だった俺が『地下室のメロディー』を聴くのは、もっと後の話である。
 日本のロックに興味を持ち始めたのが中学生になってからで、甲斐バンドの存在を意識するようになったのが『Gold』からだった。なので、リアタイで聴くようになったのはキャリアも末期の頃で、それ以前のアルバムは後追いである。
 チャチャっとネットで調べられる時代ではなかった80年代前半、詳しい情報を得るには、雑誌やラジオを細かくチェックするしかなかった。レベッカやBOOWYを聴く同級生は多かったけど、甲斐バンドを聴いてる者は周囲にいなかった。北海道の中途半端な田舎なんて、そんなもんだ。
 そんな1985年、甲斐バンドの歴史を網羅した一冊の本が上梓された。音楽評論家:田家秀樹による「ポップコーンをほおばって」。
 エンボス加工を施された表紙カバーに映るのは、濃いサングラスをかけた甲斐の虚ろな横顔。荒い粒子のモノクロ写真とザラついた手触りは、無骨さとダンディズムを強く打ち出している。カバーをはずした表紙は眩いゴールド一色で覆われ、余計な装飾は排除されている。シンプルだけどこだわりの強いレイアウトと装丁は、静的なインテリアとしても遜色ない。
 基本は甲斐の発言を中心に、バンドの歴史を年代別で追ってゆくオーソドックスな内容なのだけど、関係者や周辺スタッフのインタビュー・エピソードに紙幅を多く割いており、この手のアーティスト本ではあまり見ないスタイルである。なのでニュアンス的に、「甲斐バンド」じゃなくて「甲斐よしひろ」、彼を素材に多角的に捉えたノンフィクション・ノベルという意味合いが強く出ている。
 サイド・ストーリーを丁寧に組み立ててメインを引き立たせる手法は、当時、ノンフィクションの主流だった沢木耕太郎の流れを汲んでおり、タレント本のセオリーとは一線を画している。このメソッドをストレートに用いると、もっと傍観者的視点が強くなるはずなのだけど、それより田家の甲斐バンドへの思い入れが強いため、結局は熱心なファンもビギナーも共感できる作品になっている。
 久しぶりに読み返してみると、おおむね事実関係に沿ったプロットになってはいるのだけど、熱心なファンである田家の主観、「俺の見解=甲斐の主張」というバイアスが強くかかっていることに気づかされる。対象への過度な感情移入は、ノンフィクション的にはNGなのだけど、甲斐バンドのブランド・イメージ形成という目的は達せられている。
 この本が上梓された80年代、音楽雑誌のレビューはこういった文体が善しとされていたのだった。当時のロキノンの読者レビューなんて、おおむねこんな感じだったしもっと赤裸々な感情吐露も多かったし。
 で、「ポップコーンをほおばって」、書籍版は早々に絶版、のちに加筆訂正された文庫版も、絶版になってから随分経つ。よくある話だけど、引っ越した時に無くしちゃったんだよな書籍版。なので、いま俺の手元にあるのは文庫版のみである。
 話は戻って、北海道の中途半端な田舎の高校生の時に初版を入手した俺はその後、巻末の全アルバム・レビューを頼りに、『GOLD』以前のアルバムを追っていった。200字程度のシンプルな文章ではあったけれど、予備知識ゼロの状態だった俺にとっては、貴重な情報の宝庫だった。
 当時、廃盤扱いだったことから、おそらく甲斐的にも黒歴史だった『らいむらいと』と並んで、なかなか食指が動かなかったのが、『地下室のメロディー』だった。そのアルバム・レビューをちょっと引用してみる。
 「甲斐よしひろの私生活を感じ取りたいという人は、このLPを聴けばよいのかもしれない。男と女の別離の痛みが、そこここににじみ出ている。歌詞カードに、レコーディングの時期を明記してあるのは、もしかすると「この時期だった」という時間的なことを残しておきたかったのかもしれない。このLPで一番意味を持っているのはそこなのかもしれない」。
 取材対象への深いリスペクトが伝わってくる文章ではあるけれど、内容についてはまるで触れてない。プライベートな色彩の濃い内容なのだろうな、というのはフワッと感じるけど、どんな音なのかは、これを読んでもさっぱり掴めない。
 「じゃあ」と本文に戻って1980年の章を見ても、「漂泊者(アウトロー)」がドラマ主題歌に採用された経緯しか書かれておらず、アルバムについては一切触れていない。そんなに田家、『地下室のメロディー』に関心がないのか、はたまた書きようがないほど印象薄いアルバムなのか。
 レコーディングに至る経緯や状況を事細かく綴っている『マイジェネ』や『破れた~』と比べ、ひどくぞんざいな扱いの『地下室のメロディー』。投下された熱量がまるで違っているのは、当時の俺にも感じ取れた。

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 その後ずいぶん経って、CD借りたのか買ったのか、それすら判然としないのだけど、結構後追いで聴いたのは確かである。こんな書き方でわかるように、初めて聴いた時はあんまり印象に残らなかった。
 ていうか、聴く前から負のバイアスがかかっていたせいもある。まぁ、そんな先入観を吹き飛ばすほどのインパクトには欠けていた、ってことなのかもしれない。
 借り物の歌謡ロックから脱却して、彼らオリジナルのロック・サウンドの追求、揺るぎないスターダムを確立し、純音楽路線へ突き進んでゆくプロセスの流れでは、このアルバムはうまくハマりづらい。だからこそ「ポップコーンをほおばって」でも、軽く流さざるを得なかったわけで。
 変な先入観抜きで聴いてみても、確かに地味だった。ただ最近、アナログで入手して聴き直してみると、思い込んでたのと印象が変わったので、取り上げてみたわけで。
 ロックだけどメロディアス、歌謡曲っぽさもありながらドライな質感。「ロックの」「歌謡フォークの」という注釈から自由になった、甲斐よしひろの素直な音楽性がストレートに反映されている。特に甲斐のヴォーカルからは甘さや粗雑さが抜け、大人の色気と憂いを漂わせている。
 ストレートなロック・チューン「漂泊者」がオープニングだけど、他の曲はバラエティ豊かに多彩なアレンジを施されている。曲ごとにアプローチを変えて丁寧に歌うことで、ヴォーカリスト:甲斐よしひろの可能性を引き立たせている。
 甲斐バンド独自のロック・サウンド確立の発露となったのが『マイジェネ』で、その実践→迷走が『破れた~』という位置づけになる。サウンド括りではなく、楽曲の解釈やアプローチの変化に意識的になったのが、この『地下室のメロディー』だったと捉えればすっきりする。横道に逸れたんじゃなくて、フロントマン:甲斐のアイデンティティ確認という、併行した流れだった、と。
 一様なバンド・アレンジに限定せず、楽曲に合わせてアレンジを変えたりヴォーカル・スタイルを変えることに躊躇いを感じなくなったことも、甲斐の覚悟のあらわれのひとつである。前に進むために、余計な気遣いをやめた、というべきか。
 なので『地下室のメロディー』、楽曲ごとに多くのゲスト・ミュージシャンが参加しており、どの曲のサウンド・メイキングにも、甲斐の意向が強く反映されている。急速に変容してゆくバンド・サウンド、そして自身のアイデンティの確立のため、甲斐はクリエイティブな前進を選択した。
 バンドを取り巻く状況はのぼり調子でありながら、当時の内情はゴタゴタしていた。混乱した状況を取りまとめるためには、とにかく前に進むしかなかったのだ。
 まだ見えぬ理想を想いながら、甲斐は80年代へ進む覚悟を決めた。行き先は不確かだけれど、前向きに倒れることさえ厭わなかった。後ろを振り返るには、まだ若く頑なだったから。




1.  漂泊者(アウトロー)
 当初、発売未定のままテレビドラマ『土曜ナナハン学園危機一髪』主題歌として採用され、番組プレゼント用に片面シングルを制作したところ、60万通の応募があったため、急遽発売となったエピソードを持つ。ただこのドラマ、「ポップコーンをほおばって」によると平均視聴率は10~15%、当時の基準としては良かったわけではない。
 なので、60万人が関心持ってたのか、当時からちょっと疑問だった。まぁこういう数字って大抵盛ってるんだろうけど、一定の支持はあったことは事実なのだろう。
 クラッシュとボブ・マーリーからインスパイアされたと思われる歌詞はパンクで、楽曲もロックのフォーマットなんだけど、アレンジがちょっとお茶の間に媚びちゃってるよな、というのが俺の私見。ハードな歌謡ロック、っていうか歌謡曲のアイドル歌手がロック歌ってるっていうか。
 ブラスとピアノがミスマッチなんだよな。なんでこんな中途半端なアレンジ組んじゃったんだろ星勝。

2. 一世紀前のセックス・シンボル
 星勝はそんなにブラス・アレンジが好きなのか、それともこれも甲斐の意向だったのか。そんなアレンジの甘さが目立ってしまう曲。なんでホンキートンクなんだろ、難波弘之のピアノ。引き出し多い人だけど、そんな技使う曲調じゃないのに。
 ベーシックなアンサンブルはファンキーで、甲斐のヴォーカルも程よいルーズさが引き立っている。「ソフィア・ローレン」や「ラクエル・ウェルチ」なんて人名、当時でも古くて伝わらなかっただろうに。

3. ダイヤル4を廻せ
 松藤ヴォーカルによるミステリアスなロック・チューン。あまり目立つポジションではないけれど、時に甲斐よりもキャッチ―なフレーズを繰り出す、寡作だけど優秀なメロディー・メーカーでもある。
 当時の甲斐はあまり使わなかったリズム・ボックスやシンセ・エフェクトを多用しており、声質も含めてライトに寄り過ぎてしまうところを、大森の重いギターがボトムを支えることでバランスを取っている。「ハイウェイはハリケーン」という無国籍観は、ある意味、甲斐のハードボイルド志向への同調と思われる。

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4. スローなブギにしてくれ
 南佳孝と同題の曲だけど、リリースされたのはこっちの方が先。主題歌がリリースされたのが81年1月で、片岡義男原作の映画公開が81年3月、『地下室のメロディー』が前年10月で、時期的には近い。
 楽曲選考コンペで負けちゃったのかしら、と思っていたのだけど、考えてみれば、ボツになった曲をそのまんま発表するのは、当時の甲斐のプライド的に、ちょっと考えづらい。原作小説は75年発表なので、タイトルからインスパイアされて歌詞を書いた、と考えた方が自然。
 小説のあらすじは、ティーンエイジャーを主人公に、ひと夏の無為な同棲生活を描いた青春ストーリーなのだけど、甲斐バンド・ヴァージョンは夜のバーを舞台としたハードボイルド・タッチなので、映像とは明らかにミスマッチ。爽やかさのかけらもないシリアスなストーリーテリングは、まったく別ものと考えた方がよい。

5. 聖夜
 デビュー間もなくから、キーボードでライブ・サポート参加していた豊島修一作曲によるバラード・ナンバー。タイトルから察せられるように、一応クリスマスをテーマとしているのだけれど、かなりダウナーな内容で、あんまりクリスマス・ソングっぽくない。
 独り淋しいプライベートの赤裸々な告白は痛々しい。それをウェットになりすぎず、ありのままをさらけ出すのは、少年から青年へ、そしてちゃんとした大人の男への成長過程でもある。

6. 地下室のメロディー 
 アルバム・リリース後にシングル・カットされて、オリコン最高75位にチャートインしたタイトル・チューン。一応、アルバムのメイン・トラックという位置づけだからシングル切ったのだろうけど、適当な宣材写真を適当にレイアウトしたようなジャケットが物語るように、あんまり売る気が感じられないデザインであり、曲調である。
 ダルシマーやマリンバなど、ロックとはあんまり相性の良くない楽器をフィーチャーしたり、ある意味実験作ではあるのだけれど、これ以降、同様のアプローチでの楽曲は発表されていないので、果敢な失敗作という見方もできる。あくまでサウンド的には。
 ただ「妖しいマダム」や「いなせなジゴロ」など、オールド・スタイルな無国籍感漂う歌詞のワード・センスは、これまでとは違うステージに立とうとする甲斐のビジョンを強く打ち出している。古めかしい映画のフォーマットを用いることによって、日本のロックに「ハードボイルド」という新たな語彙を根づかせようとする試みは、この時点では先駆的なものだった。

7. 街灯
 シングルとしては地味だけど、ファンの間では根強い人気を保つ、趣き深い正統派バラード。しんみり落ち着いた「聖夜」より、ドラマティックなサビが印象的な「街灯」の方が、俺も好みではある。
 今夜むくわれない 恋人たちのように
 あの人は 涙を流している 
 一緒の景色を見ているはずなのに、彼女との隔たりはとても深い。肩をそっと抱きしめても、その先に進めない。
 ハードボイルドと背中合わせのペシミズムは、大人の苦みを伴っている。




8. マリーへの伝言
 この曲のみ、元メンバーの長岡が参加していることから、おそらく『マイジェネ』のアウトテイクだろうか。妙に歌謡ロックなホーン・セクションも女性コーラスも後付けっぽいし、直情的な歌詞も蒼さが残っている。
 「男のダンディズム」を主題としたアルバム・コンセプトとは趣きが異なるので、流れとしてもちょっと浮いている。独立したシングル・オンリーだったら、まだアリだったかもしれない。

9. 涙の十番街
 ちょっとスワンプ入ったファンキーなロック・チューン。ほど良いキャッチーなメロと練られたアンサンブルは秀逸で、こういった路線もアリだったんじゃね?と思わせてしまう。
 もっとアレンジをシンプルにして、ベーシックなバンド・サウンドだけでも充分イケたと思うのだけど、なんでいろいろ足しちゃうんだか。いらないってば雷のSEなんて。






「桑田佳祐とゆかいな仲間たち」からの脱却。 - サザンオールスターズ 『タイニイ・バブルス』


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  その告知はあまりに突然だった。
 「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」名義による楽曲「時代遅れのRock’n’Roll Band」が5月23日、緊急配信リリースされた。昭和、平成、令和を通して活動を続けてきた“同級生”たちによる、平和へのメッセージと次世代へのエールを刻み込んだロックンロールだ」。




 事前に噂が流れることもなかったことから、よほど情報統制がしっかりしていたのか、はたまた漏れる隙間もないくらい、「巻き」のスピードで製作したのか。これが昔だったら、事前にTV・ラジオにサンプル盤ばら撒いて、全番組メディア・ジャックしてプロモーションに励んでいたものだけど、今はそういうの効果ないんだろうな。
 近年の海外大物アーティスト、例えばビヨンセやカニエ・ウエストもケンドリック・ラマー、彼らが直前まで情報出さないのは、違法ダウンロード対策もあるけど、そもそもCDショップに並んで買う時代じゃないし。まぁ冷静に考えて、このメンツでピンナップ撮影するだけでもスケジュール調整大変だったはずだし、ましてやTV・ラジオ局行脚も、このご時世なら現実的じゃないし。
 今年の2月、桑田と世良が久しぶりに再会したことが、プロジェクトの発端だった。主に桑田が「言い出しっぺ」として実働部隊を引き受け、他3名と直接会って交渉、そこからトントン拍子に事が運んで、5月にリリース。イヤどんな工程表組んだんだコレ。
 実質的には、桑田のプロジェクトに4人が参加した形なのだけど、まぁコレが一番効率よかったんだろうな。5人集まってイチから創り上げるとなると、こんなスケジュールじゃ絶対無理だし、お互い変に忖度しちゃって、すごい無難な仕上がりになりそうだし。
 こんな錚々たるメンツの中で、影響力やら交渉力やら、それらすべてをまんべんなく兼ね備えているのが桑田であることは、ほぼ衆目一致する事実であり、彼もまたそれを自覚したからこそ、旗振り役を務めたのだろう。前述のスケジュールやら所属レーベルとの調整やら権利関係やら、そういうのを最初から桑田サイドが取りまとめるよう申し合わせたことが、このプロジェクトの成功要因だったんじゃないか、と。
 この中では野口五郎が場違いっぽく見えてしまうのだけど、考えてみれば五郎、デビューして間もなくLAレコーディング敢行したり、周囲の反対を押し切ってギター・インストのアルバム作ってみたり、実はロックな人なのだった。フュージョンの大御所ギタリスト:ラリー・カールトンや、知る人ぞ知るプログレ界のベーシスト:トニー・レヴィンとセッションしていたり、ジャパン・マネーに力のあった時代の話。
 最もロック一筋なのがCharで、一番こだわり強そうだけど、でも案外フットワーク軽いので、段取りさえ整えてやれば、大抵のことはやってくれる。佐野元春も、こういったイベントやプロジェクトで我を張るタイプではなく、主旨に合わせてキッチリ自分の役割は果たす人である。
 そう考えると、絶妙な人選なんだよな。みんな方向性はバラバラだけど、それぞれ独自のポジションを確立しているため、ここで爪痕残して一旗上げよう、ってゲスな考え持っている人いないし。これが同じ同年代アーティストでも、長渕剛入れてたらひと悶着ありそうだし。まぁいろんな意味で。

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 ところで今回、桑田と世良に繋がりがあったのは、ちょっと意外だった。デビューはほぼ同期だったけど、そういえば接点ってあったっけ?方向性があまりに違うので、相容れないと思っていたのだけど。
 彼らがデビューした頃、ロック/ニューミュージック系のアーティストはTVに出ないことが一種のトレンドとなっていた。TBS「ベストテン」にランクインした甲斐バンドも中島みゆきも松山千春も、それぞれアーティスティックな理由をつけて出演しなかった。
 大衆に媚びない姿勢がアーティストの格を上げる風潮に対し、そんなの関係なくテレビ出演に積極的だったのが、ツイストとサザン、そしてゴダイゴだった。他にもスペクトラムやクリエイションなんかもいるのだけど、とりあえず出演頻度の多かったこの三者に絞って考えてみる。
 あくまで私見だけど、ゴダイゴは結成当初から明確なビジョンを持った集団だった。ど真ん中のロックというよりはポップス寄り、間口の広いソフトロック・サウンドは、老若男女を問わず幅広い人気を誇っていた。
 GS時代から培ったキャリアと幅広い人脈を持つリーダー:ミッキー吉野の手腕によって、早くから海外デビューを果たした上、ペンタトニックに頼らない旋律の英語曲も数多く歌っていた。それでいてマニアックにならず、マスにコミットするヒット曲も連発しており、バランスの取れたバンドだったんだな、といまにして思う。
 対してツイスト、過去・現在を通して和製ミック・ジャガーを名乗るヴォーカリストは多々いたけど、「世間が思うところのミック・ジャガーのマス・イメージ」を確立し、広く印象づけたのは、世良だったんじゃないか、と。ゴダイゴ同様、彼らもまたマニアックに走らず、かといって単調にルーズに寄せるわけでもなく、「世間が思うところのロック」に程よくウェットな歌謡メロディを巧みに融合させていた。
 破天荒でルーズなロック・バンドのイメージを保ったまま、「燃えろいい女」や「銃爪」など、お茶の間にも充分訴求できる大衆的なメロディとキャッチフレーズを量産していた。ゴダイゴとはまるで方向性は違うけど、彼らもまた世間一般で「ロック・バンド」として広く認知されていた。

 で、サザン。たまに彼らのヒストリー紹介でオンエアされる「ベストテン」初登場時の映像から窺えるように、当初はほんと、目立ちたがりの学生バンドに毛が生えた程度の扱いだった。勢いだけの一発屋臭がプンプンしており、本人たちもそんな心持ちだったんじゃないかと思われる。
 一応前二者同様、「バンド」という括りではあったけれど、「ロック」を冠するには、ちょっとおちゃらけが強すぎた。当時、ロックはシリアスが求められていた。
 ゴダイゴやツイストのスタンスがあくまで音楽中心、TV出演もほぼ歌番組限定だったのに対し、サザンは言ってしまえばNGなし、バラエティ番組にも結構な頻度で出演していた。80年代までのバラエティ、例えば「8時だよ全員集合」も「スーパージョッキー」にも、必ず歌のコーナーが設けられていたため、一応、歌手やバンドが出演しても大義名分は立つのだけど、コントやトークがメインの番組の中ではオマケであって、ステージ・セットもスタッフの対応もぞんざいなことが多かった。
 そういったテレビ局スタッフの上から目線な対応に嫌気がさして、多くのアーティストらが反旗を翻し、前述のテレビ出演拒否に結びつくことになる。多くのアーティストからオファーを断られる中、出る番組を選ばなかったサザンの存在は貴重だったはずだけど、だからといって扱いは変わらず、軽くあしらわれる立場は変わらなかった。歌「も」歌う若手タレントという認知だった彼らは、ロックというにはあまりに芸能寄りだった。
 YouTubeにアップされてもすぐ削除されることが多いのだけど、運が良ければ、当時の彼らの出演映像やCMを見ることができる。メンバー全員で出演した「焼きそばUFO」のCMなんて、もう完全に若手芸人扱い。詳細は書かないけど、興味ある人は自分で調べてみて。

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 ただ80年を境にして、三者のパワーバランスは微妙に崩れてくる。キャリアを重ねて中堅クラスになったことで、どのバンドも新展開を模索し始めた。
 当初から世界展開を視野に入れていたゴダイゴは、次第に英語曲の割合が多くなり、洋楽志向を強めてゆく。シングルのタイトル一覧を見ると、「アフリカ」や「カトマンズ」や「ナマステ」なんてワードが頻出しており、達観したスピリチュアルな香りが漂っている。それまでの実績によって、そこそこCMタイアップはついていたけど、お茶の間に馴染みの薄いテーマが多かったこともあって、シングル・ヒットは減ってゆく。
 ツイストもまた、世良をトップとしたバンド内関係は良好だったのだけど、ヤマハ→個人事務所設立を機にいろいろギクシャクし始め、それもあってセールスも活動も停滞してゆく。思えばヤマハ、彼らがポプコンでグランプリ獲得するまではフォーク/ニューミュージックのイメージが強く、ロック方面には弱いとされていたのだけど、それでも後ろ盾としては有効だったんだな。
 80年代を境として、70年代メンタリティを持つバンドが続々失速してゆく中、サザンもまた活動方針の転換を図り始める。「ドリフターズに本気で勧誘された」とかなんとか、ミュージシャンのくせに類いまれなタレント性とコメディ・センスを持つ桑田のキャラクターは、テレビとは抜群の相性だったのだけど、知名度とバンド/音楽的な評価の乖離が激しかったことで、次第に迷走してゆく。
 -ていうか俺たち、こんなことやりたかったっけか?
 とにかく顔を売るため、テレビや雑誌やラジオに出ずっぱりで、そりゃ人気は出たしレコードも売れてるけど、それがバンドや楽曲の魅力で売れてるのかといえば、それはちょっと自信ない。小さい頃からTVのコントやバラエティは見てたから嫌いじゃないけど、でもそれって、ロック・バンドがやることじゃなくね?
 思えばこの時期、ダディ竹千代やスペクトラムなど、見た目や楽曲で笑いを取りに行くバンドは、実は結構いた。いたのだけれど、どのバンドも基本のアンサンブルはしっかりしており、プレイヤーとして充分な裏づけを持つ者がほとんどだった。
 そもそもの始まりが大学の軽音サークルだったサザンの場合、演奏テクニックを売りにしていたわけではない。この時点では、桑田のキャラとワードセンスに多くを依存した泡沫バンドに過ぎなかった。
 バンドとしてのアイデンティティ獲得・ポテンシャル向上のため、彼らは芸能仕事から撤退、音楽活動に専念することを決断する。ゴダイゴのような演奏テクニックもツイストのようなカリスマ性も持たない、まだ学生気分を引きずっていたサザンのひとつの試練となったのが、この時期にあたる。

 「テレビ番組などに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」「5か月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」、そう謳って始まったプロジェクト『FIVE ROCK SHOW』を経たことで、サザンはやっとプロのロック・バンドらしくなってゆく。「桑田佳祐とゆかいな仲間たち」だったデビュー時と比べ、メンバー個々の輪郭が浮き上がってくる。
 メンバーとスタジオに入って延々セッションを重ねることで、なんとなくクラプトンっぽいフレーズやサザン・ロックの引用みたいなニュアンスは後退していった。過密スケジュールから解放されることによって、間に合わせのやっつけ仕事みたいな楽曲は少なくなった。
 音楽の神が降りてくる桑田待ちではなく、メンバーそれぞれ、自分で考えたフレーズやアプローチを持ち寄り、そこからインスパイアされた桑田が叩き台を作り、それをメンバー全員で膨らませた。
 クラブ活動の延長線でなんとなくデビューしちゃったパーティ・バンドは、メンバー全員のボトム・アップを経て、アルバム制作に移行してゆく。
 前述の『FIVE ROCK SHOW』と併行して作業が進められた『タイニイ・バブルス』、俺は後追いで聴いている。『Nude Man』から聴き始めて順に遡っていったので、実はそんなに思い入れのないアルバムだった。
 今ならシティ・ポップの視点から語ることも可能な『ステレオ太陽族』の洗練されたAORサウンドと比べて、まだ青さと泥くささの目立つ『タイニイ・バブルス』は、過渡期と勝手に位置づけていた。ただ俯瞰して見れば、『ステレオ太陽族』もまた、かしこまって背伸びした青臭さはどっこいどっこいなのだけど。
 多くの同世代バンドが曲がり角にぶち当たる中、サザンも新たな方向性を模索していた。ゴダイゴやツイストが迷走してゆくのを横目にしながら、愚直にまじめに音楽と向き合い始めたのが、おそらくこのタイミングだったんじゃないかと思うのだ。
 サザンは当時から、桑田のワンマン・バンドと言われてきた。多くの楽曲を書き、メイン・ヴォーカルとしてフロントに立ち続けているので、そう言われざるを得ないのだけれど、それでも彼らはいまだ活動し続けている。
 何となく周囲の大人たちに仕切られ、流されるままだった学生バンドは、自らの意志で考え動く道を選んだ。このままテレビ・タレントと両立して、そこそこのペースで活動することも可能だっただろうけど、でもそれじゃ、そのうち中途半端にフェードアウトしてしまう。
 -バンドとしての足腰がおぼつかない。それは桑田が、そしてメンバー自身が、最も痛感していた。音楽以外の雑事をシャットアウトすることは、長期的な活動継続には必要な過程だった。

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 がっつり顔を突き合わせることで、それまで見えてなかったことも見えてくる。それは、互いのエゴなど真意など。
 言いたくないことも、言わざるを得なくなる。時に声を荒げ罵倒したり、そこから居心地の悪い沈黙が続いたり。
 桑田がリーダーシップを執っても、思うように事が運ぶわけではない。時にカンシャクを起こし、時にスタジオを飛び出したりすることだってある。
 人と人とが真剣に渡り合うわけだから、衝突は避けられない。意見が食い違い、「顔も見たくねぇ」と憤っても、しばらくすればまたスタジオに入り、ギターを手に取る。
 ちょっとしたフレーズを弾くと、誰かがカウンターを入れる。さらにリズムが割り込んでくる。ハーモニーを入れたりオブリガードを思いついたり、徐々に形になってゆく。
 みんな多かれ少なかれ不器用で、スッキリ一発ではまとまらない。でも、それが一番手っ取り早い。あちこち頭をぶつけながら、あれこれ試してみることで、サザンの楽曲は少しずつ形を整えてゆく。桑田ひとりのセンスや才覚だけで作られているわけではないのだ。
 言っちゃ悪いけど、桑田頼りのおんぶにだっこだったメンバーの意識改革の分水嶺となったのが、ここからだった。なので『タイニイ・バブルス』、サザン史的には大きなターニング・ポイントとなっている。




1. ふたりだけのパーティ ~ Tiny Bubbles (type-A)
 「泥くさい」「男くさい」、っていうかムサい洋楽ユーザーのものだったサザン・ロックを、お茶の間にわかりやすく翻訳した好例。メロディよりアンサンブルを重視したせいか、サビのフックはやや弱めだけど、ロック・バンドとしてのサザンを堪能できるオープニング・ナンバー。
 ギター・ソロを大きくフィーチャーしたサウンドなので、どうしてもそちらに注目しがちだけど、サイドで硬めのタッチでエレピを叩く原ボーのプレイが際立っている。ザ・バンドに大きく影響を受けた彼女のセンスは、桑田にも匹敵するほど。考えてみればこの時代、女性ピアニストはみんなキャロル・キング へ流れちゃう中、プレイヤー指向の彼女の存在は、貴重だった。
 そんな彼女を大きくフィーチャーしたのが、メドレーで続くタイトル・チューン。ジャジーというよりはジャズっぽいというプレイだけど、アーシーなフレーズとサイド・ヴォーカルは、フェイク・スタイルの桑田のヴォーカルを巧みにサポートしている。

2. タバコ・ロードにセクシーばあちゃん
 タイトルだけ見ると単なるウケ狙いっぽいけど、実は緻密に真面目にアレンジされたモダンAORブルース。スペクトラム:新田一郎によるストリングス・アレンジは、要所要所でロマンティックと躍動感を演出している。器用な人だよな、のちの代官山プロ。
 ファンキーなギター・カッティングやグルーヴィーなエレピ、目立たないけどスラップ・ベースも入っていたりして、各メンバーのアイディアが惜しげもなく投入されている。そういえばムクちゃんのチョッパーって、この曲くらいでしか聴いたことないよな。
 当時からトリッキーなタイトルと歌詞として受け取られていたけど、シカゴ・ソウルにも通ずる演奏とのギャップはファンにも人気が高かった。当時のコミック・バンド的偏見を逆手に取った、ある意味、戦略的なナンバーでもある。

3. Hey! Ryudo! 
 アプローチの仕方は違うけど、サザンに先行して、日本語をロック・サウンドに換装する試みを続けていた宇崎竜童へのリスペクトを歌ったナンバー。でも、なぜかロックじゃなくてビッグバンド・スタイルのディキシー・ジャズ。よく怒らなかったよな、竜童。
 単純に「ヘイ・ジュード」→「リュード」→「竜童?」って語呂合わせを思いついて、多分後づけだったんだろうな。コミック・バンドの威を借りて、シャレで押し通せばウヤムヤでどうにかなった、そんなのどかな時代。
 サウンドの性質上、メンバーはほぼコーラスに専念しているため、桑田のソロみたいになっているけど、改めてちゃんと聴いてみると、ヴォーカル・スタイルの巧みな使い分けに気づかされる。いつものスタイルに加え、前川清・淡谷のり子タッチは予想の範囲内だけど、テンポを速めたキャブ・キャロウェイまでカバーできてしまうのは、ポテンシャルの高さかものまねスキルの高さゆえか。
 後天的に身につけた教養ではなく、サザン結成以前から摂取していた古いジャズや洋楽、歌謡曲や民謡やら、その他もろもろで形成されたバックボーンによって、それは培われている。音楽単体だけじゃなく、日活映画やクレイジーキャッツへのリスペクトも込みで。

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4. 私はピアノ
 かつては高田みづえヴァージョンが有名だったけど、いまはこっちの原ボー・テイクの方が一般性が高い。そうか、もう40年だもんな。元・若嶋津夫人って言ったって、アラフィフ以下にはおそらく通じないし。
 昭和30〜40年代ムード歌謡に寄せたマイナー・メロディはウェットで叙情的で、抑揚の激しい桑田のスタイルではクドくなってしまう。高田みづえ同様、フラットな声質の原ボーが歌うことで、メロディの流麗さが引き立っている。
 すごくおぼろげな記憶なのだけど、多分、日曜昼間にやってた「TVジョッキー」で、原ボーじゃなく桑田が歌っていたのを見た記憶がある。あるのだけれど、どう探してもそんな記録がないので、正直自信がない。
 誰か知ってたら教えてほしい。

5. 涙のアベニュー
 おそらくビリー・ジョエルから強くインスパイアを受けてはいるけど、でもちゃんと桑田のオリジナルとして成立している、サザン初期の絶品バラード。俺的にはこの曲、数あるサザン楽曲の中でも常にベスト5入りしていることもあって、何かと思い入れは深い。
 まだ発語快感を優先した言葉遊びが多かった時代の作品であり、実際、この曲もそんな和洋折衷が混在しているのだけれど、日本語の部分は無理やりな造語もなく、オーソドックスな言葉で構成されている。一貫したストーリーテリングではなく、シーンの一瞬を刹那に切り取った散文スタイルは、すでにこの時点で完成している。
 「FIVE ROCK SHOW」のスタートを飾る一発目としてシングル・リリースされたのだけど、趣旨コンセプトからすると、もっとストレートなロック・ナンバーの方が相応しかったんじゃね?といまにして思う。オリコン最高16位という微妙なチャート・アクションが、バンドと市場ニーズとの食い違いを象徴している。
 まだ不器用だった初期サザンの迷走が転じて、詞・曲・アレンジとも奇跡的なバランスで、唯一無比の世界観を形成している。ゴダイゴやツイストと比べて湿り気を帯びた「涙のアベニュー」は、永遠の隠れ名曲として、いまも鎮座し続けている。

6. TO YOU
 曲調といい詞のテーマといい、のちの「涙のキッス」とのリンクを感じさせる楽曲。若気の至りで強がりだけが取り柄だった男は、歳を取ることによって、気負うことなく弱みと情けなさを歌えるようになる。それが「涙のキッス」。
 でも、サザンのハートウォーミングな曲って、正直ピンと来ないんだよな、俺。変にかしこまったり抒情的なポップ・チューンは、いわばダシだけの味みたいに思え、ちょっと上品すぎる。

7. 恋するマンスリー・デイ
 アルバム構成的に中庸なナンバーの後は、日本ではまだマイナー・ジャンルだったレゲエ・チューン。ラガマフィンやラヴァーズ・ロックを知ってしまった現在では、そのオールド・スタイル振りが際立っているけど、当時としては新鮮なアプローチであったことは間違いない。
 男性としては、初めて桑田が生理用品CMに出演することとなり、歌詞もおおよそテーマに沿った内容となっている。テレビ出演をシャットアウトした「FIVE ROCK SHOW」シリーズのシングルなのだけど、しっかりタイアップがついちゃったのは、何かと断れないしがらみもあったのだろう。設立間もなかったアミューズも、まだ経営基盤安定していなかっただろうし。

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8. 松田の子守唄
 ドラム松田弘のソロ・ナンバー。ドラマー=リズム・マスターという先入観とは裏腹に、フォーキーでメロディ重視なアプローチは、この後のソロ活動でも一貫している。
 シングルにするほどの独自性やキャッチーさは薄いけど、圧倒的なメロディメーカーである桑田が同じバンドにいるのだから、その辺はキッパリ割り切っているのだろう。ただ寡作ゆえの奇跡的な良曲というのは失礼だけど、桑田よりセンチメンタルなメロディ・ラインは当時から定評があり、隠れ名曲としてのポジションを確保し続けている。

9. C調言葉に御用心
 オリコン最高2位まで上がったこともうなずける、いまだ人気も高くライブの定番曲となっている初期の代表曲。発表から40年以上経っているにもかかわらず、いつ聴いても古さは感じられない。なんだこのサウンドの普遍性は。
 爽やかな夏の海辺を想起させるイントロから抑えた展開のAメロ、キーを一段上げるけど、まだテッペンには行かない。もう一周ループして焦らしてその気にさせて、ようやくサビに突入。
 そして、

 砂の浜辺でナニするわけじゃないの
 恋などするもどかしや
 乱れそうな胸を大事に
 風にまかせているだけ

 コミック・バンドの言葉遊びの域を超えた、男女間の切なさと憂い、そして少しの照れを内包しており、はるか江戸の戯作者ともリンクしている。多分、そこまで深く考えてはいなかっただろうけど、20代でこんなフレーズを書いてしまった桑田の言語感覚の鋭敏さ、またそれを引き出してしまうバンド・アンサンブルとの幸福な邂逅による成果である。
 ちょっと持ち上げ過ぎだな。

10. Tiny Bubbles (type-B)
 オープニングと演奏はほぼ同じだけど、ブルース・スタイルのヴォーカルによる英詞曲。一応タイトル・チューンなので、普通ならコンセプト・アルバムのメインとなるはずなのだけど、そこまでトータル性を強調した風もないので、インタールードやブリッジと捉えた方がよさそう。
 これ以降、『ステレオ太陽族』『Nude Man』にもアルバム・タイトルの楽曲が収録されることになるのだけど、どれも小品のため、コンセプトを象徴しているとは言い難い。それから随分経って『キラーストリート』で復活したけど、あれもそんな大げさなモノじゃないし。

11. 働けロック・バンド (Workin' for T.V.)
 で、ラストを飾るにふさわしいのが、この曲。タイトルから察せられるように、TV出演やタレント活動に忙殺されていた様を自虐的に描写したロッカバラード。
 こういう曲の原ボーのプレイを聴くと、「あぁほんとザ・バンドが好きなんだなぁ」と改めて思う。ややアバウトで情感を込めたヴォーカルに対し、緩急をつけながらも揺るがないリズム、適度なオブリでアクセントをつけるアンサンブルは、時間をかけただけの成果があらわれている。
 あんまり言っちゃいけないんだろうけど、やっぱ何回聴いても「天国への扉」なんだよな、曲調といい演奏といい。
 オマージュって言っとこうか。






当時のキャッチコピーは『新米感覚』。ちょっと何言ってんだか。 - 米米クラブ 『シャリ・シャリズム』


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  1985年10月リリース、米米のデビュー・アルバム。CBSソニー的には次の11月、10代最後となる尾崎豊の3枚目『壊れた扉から』とレベッカの出世作「Maybe Tomorrow』に力を入れていたため、「リリース・スケジュールのエアポケットにラインナップ揃えました」的な、あんまりやる気のない日取りとなっている。
 見た目はハデだけど、音楽的にはまだ方向性が定まっていなかったのか、表ジャケットに貼られたステッカーに書かれたキャッチコピーは「新米感覚」と、何かよくわからない。多分、担当ディレクターもどうやって売り出したらよいのやら、頭を抱えてたんじゃないかと察せられる。
 スタイリッシュなのかおふざけなのかエキセントリックなのかウケ狙いなのか、各メンバーまったく統一感のないポートレートを用いたジャケットから、今でこそ「ニューウェイブ/ニューロマ系のバンドじゃね?」と想像することもできるけど、当時はまだそんなジャンル分けも確立していない時代だった。もう在籍していないメンバーもいるせいか現メンバーにとっても黒歴史なのか、現行ジャケットはシンプルな太陽のロゴに差し替えられているけど、コレだってどんな音か想像つかないって。
 プロモーションもそこまで力を入れた風でもなく、メディア露出もそれほど目立ってなかったはずなのだけど、新人バンドのわりにはオリコン最高35位と、そこそこ健闘している。好事家のイカもの喰いにしては数が多すぎる。
 80年代も後半に差し掛かると、ソニーが地道に築き上げてきた新人育成/マルチメディア戦略の成果が出始めつつあった。主に自社メディア中心ではあったけれど、米米も十把一絡げのニューカマーとしてプッシュされていた。
 ひとつの広告ページにエコーズや大江千里やゴンチチやゼルダと一緒にギュッと押し込まれ、個々に深いつながりはないのだけれど、これだけ幅広くそろえれば、どれか1つくらいはツボにハマる。こういった抱き合わせ商法は昔からあったのだけど、ソニーはそこを徹底してやっていた。楠瀬誠志郎のファンがPSY・Sを気になったり、または何でか小比類巻かおるのレコード買っちゃったり。
 「ソニー系アーティスト」という大きな枠組みにブランド価値がついてきたのがこの頃であり、米米もまたその流れに何となく乗っかって、当初からそこそこの認知度を得ていた。単体で宣伝費かけるには、リスキーな存在でもあったし。

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 80年代後半のCBSソニー邦楽アーティストの序列は、浜省と大滝詠一が大御所扱い、レベッカが若手筆頭、次にハウンドドッグが続く。独自の営業戦略で動く二大巨頭は別として、この時期の若手の多くはSDオーディションを経て育成枠→本契約というプロセスを辿っており、米米もまた同様のルートでデビューしていた。
 まだ独自のブレーンを持たない彼らを後押しするため、宣伝媒体として設けられたのが、雑誌・映像によるマルチメディア戦略だった。ソニー・グループが立ち上げた雑誌「PATi・PATi」と、映像コンテンツ「ビデオジャム」は、エピックも含めた所属アーティストを中心に、ていうかほぼソニー系だけで構成されていた。
 同じグループ内のプロモーションが主目的なので、ギャラも発生しないし、払ったとしても格安で済む。販促費のかけ方としては極めて合理的な手段である。その周辺事情は以前書いてるので、詳しいところはこちらで。




 80年代ソニー隆盛の要因のひとつとして、従来の「良い楽曲だけを地道に売り込む」手段だけではなく、その発信先、アーティスト本体のブランディングに注力した点にある。目新し好きなティーンエイジャーの位相にフィットしたトータルイメージ、「なんかイケてる」風にコーディネートした。単なるレコード流通だけじゃなく、レーベル自らトレンド発信する機能を確立したことによって、80年代ソニーは大きく差別化を図る。
 70年代の「新譜ジャーナル」や「音楽専科」に代表されるように、雑誌に載る写真の多くはインタビューのついでに適当に撮影されたものが大半だった。それに対しソニーは、撮影スタジオを別でセッティングし、照明やメーキャップに凝ることで、ビジュアル映えを強く打ち出した。
 PVもカットアップを多用してスピード感を演出した。漫然とライブ映像を流すのではなく、CGの多用で目新しさを出し、青春や恋愛など10代が共感できるストーリー性も盛り込んだ。
 まだ新米に毛の生えた程度で、バンド運営のノウハウも持っていない米米も、多くの所属アーティスト同様、とりあえずソニーの敷いてくれたレールに乗っかった。ソニー的にも、可能性以外は何も持たない勝手気ままな連中を型にはめるため、そういったシステムに組み込む方が管理しやすかった一面もある。
 メジャー活動の処世術として、ソニー・メソッドに沿っていた米米だけど、そもそも大半のメンバーは自由な校風を謳っていた文化学院の卒業生であり、お行儀よくできるはずがなかった。まぁみんなイキってたんだよな、米米に限らず。

 で、ソニーのビジュアル戦略だけど、当時はハイセンスでキラキラしてた印象が残っていたのだけど、30年以上経ってから再見すると…、まぁ見返すもんじゃないな、こういうのって。「最先端」「トレンディ」を太文字で強調していた80年代の作品って、いろいろと気恥ずかしい。
 逆に一周回って、この時期の作品はシティ・ポップ系で再発見されたものも多いんだけど、歴史に埋もれた作品の方がもっと多いのが事実。そりゃ当時の現場スタッフは、真剣にものづくりに励んでいたのはわかるんだけど、でもあんまり掘り返さない方がいい稚拙な作品も多かった。
 なので「PATi・PATi」といえば、斜をかけたスカしたモノクロ画像、PVはおおむね気恥ずかしいドラマ仕立てと光学処理を施したライブ映像がひとつのフォーマットとなっていた。いまと違って、アーティストを専門に取り扱うカメラマンや映像監督が少なかったこともあって、似たような作品が多かったのは、当時を物語る微笑ましいエピソードである。
 で、米米の場合、カールスモーキーのスカしたビジュアルは、黙ってりゃ充分映えるのだけど、インタビューの発言はいい加減だし適当だし、変にウケを狙ってわかりづらいオチでモヤモヤさせたり、「いいから普通にカッコつけてろよ」と諭したくなってしまう。他のメンバーはといえば、歌舞伎メイクの大男やユニセックスな女装のギタリストやら統一感はないし、こうやって書いてると単なるコミックバンドだな。
 音楽ひとすじで根はまじめなロックバンドや、真摯なメッセージを伝えようともがき足掻く熱血シンガーとは一線を画した。っていうか米米自身も「イヤイヤ俺たちなんて、そんな大したモンじゃねぇでゲスよ」と謙遜していたのだけど、音楽性を高めていく気がまるでない人たちなので、比べること自体にズレがある。それでも博多めぐみやジョプリンら演奏チームはまだ、アレンジやアンサンブルに凝ったりなど、まっとうなミュージシャン・シップを持っていたのだろうけど、見た目ナルシストで内実お調子モンのカールスモーキーはあんなだし、真面目にやればグルーヴ感MAXなファンク・マスターのジェームス小野田もあんなだし。

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 もともとレコード・デビューを目標としていたバンドではなく、米米は結成当初からライブ・パフォーマンスを軸に活動していた。80年代はサブカルチャーの勃興によって、非メジャーの小劇場やパフォーマンス集団がアングラ・シーンで脚光を浴びており、米米もまた「音楽もやる」ユニットのひとつだった。
 ゆるやかなストーリー仕立てのエンタテイメント・ショウは、笑いあり小芝居ありシリアスありのてんこ盛りで、その一要素として音楽も組み込まれている、といった按配だった。本人たちは真剣だったのだろうけど、パロディやギャグの部分がクローズアップされることも多かったため、まじめに音楽に向き合ってる層にはウケが悪かった。
 楽器の弾けないカールスモーキーの適当な鼻歌をもとに、演奏チームが試行錯誤しながらアンサンブルを整え、それらはショウの構成パーツとして当てはめられた。その中で出来のよい楽曲はスタジオでブラッシュ・アップされ、音源として残された。
 「出来が悪い」って言っちゃ語弊があるので、「わざわざ記録するほどではない」「納得いってない」楽曲が大量に残っている。後年、そんなくっだらねぇライブ楽曲、本人たちいうところの「ソーリー曲」を『米米CLUB』でまとめて放出しているのだけど、正直、コア・ユーザー向けのファン・アイテムのため、何度も聴き返すものではない。
 一応『米米CLUB』、以前レビューを書いているのだけど、あんまりにもくっだらねぇので、いつもの楽曲詳細も書いてなかったっけ。そのうち書き足してみようかね。




 で『シャリ・シャリズム』、85年という時代性を感じさせるサウンドでまとめられている。当時からお水っぽさとインチキ振り全開だったカールスモーキーの美メロと、歌えば全部ファンキーになってしまうジェームス小野田、UKニュー・ロマンティックなデカダン・ポップをベースに、ニューウェイヴのショーケース的なサウンドを捻り出す演奏チームがせめぎ合い、最終的にソニー推奨のコンテンポラリー中庸ポップにパッケージングされている。
 一応、メジャーの流儀に沿ったのか、その後の変質ぶりから比べてかしこまってる感はあるけど、レコーディングのイロハもわからない状態ゆえ、ディレクターの意に沿った形になってしまったのは致し方ない。スネークマン・ショーのようなギャグやメロドラマ風小芝居を入れても伝わりづらいし、「I・CAN・BE」タイプのメロウなシンセ・ポップ、それとライブ感が伝わりやすい「かっちょいい!」タイプのファンキー・チューンの二段構えで構成したのは、結果的によかったんじゃないかと。
 ジェームス小野田は当時から相変わらず飛ばしてるからいいとして、やはりカールスモーキーの中途半端さ、ハジけきれなさが目立ってしまう。「狂わせたいの」で見せる天性のタイコ持ちっぷりは、レコードじゃ伝わりづらいよな。
 スタジオ録音で作り込んだ楽曲を、ライブでとことんイジり倒すセオリーとは真逆のベクトルを歩んでいた米米は、その後もしばらく迷走し続ける。最初からパール兄弟みたいな立ち位置でデビューしていれば、もうちょっと楽だったのかもしれないな、とも思ってしまう。
 でも、売れずに解散してたかな、その路線じゃ。




1. フィクション
 バブリーなシンセとブラスのイントロから始まるオープニング・チューン。アート・オブ・ノイズとパワー・ステーションから良さげなところをちょっとずつパクったサウンドは、いい感じで和風に調味されて程よいポップ・ファンクに仕上げられている。サビメロで力みながら歌うカールスモーキーは、ある意味、貴重。多分、こんな歌い方したくなかったんだろうけど、ディレクターに言われて仕方なくやった感がにじみ出ている。
 「シティ・ハンター」の挿入歌としても使えそうな、ハードボイルドな歌詞の世界観は、この時期ならではの産物。「蔑んでいた太陽に手をかざす」なんて抉れた歌詞は、サブカルっ気がまだ染みついている。

2. I・CAN・BE
 アルバムと同時リリースされた、米米のデビュー・シングル。オリコン最高67位は当時としても中途半端なポジションだな。一応、CMタイアップもついてコレだったから、ソニー的にも肩透かしだったんじゃないかと思われる。
 ライブで固めたアレンジをディレクターの美意識、ていうか独断で強引に変えさせられてレコーディングしたことを、ずいぶん後になってからもボヤいており、本来のアレンジに戻したヴァージョンも発表されている。過密スケジュールの中、わざわざリアレンジするくらいだから、よっぽど根に持ってたんだろうな。
 ただ、この『シャリ・シャリズム』ヴァージョンが全然ダメというわけでもなく、俺的には最初に聴いたこちらの方が馴染みも深く、チャラいシンセ・ポップのアプローチはそんなに間違ってなかったんじゃね?とも思う。『K2C』ヴァージョンは落ち着いてて、それはそれでいいんだけど、売れた後の余裕綽々ぶりがちょっと鼻につくんだよな。

3. ニュースタイル
 トムトム・クラブとイレイジャーのイイとこどりで仕上げちゃった、あんまり深く考えて作った感じのない歌詞が逆に印象的。カールスモーキーの適当なフェイクやスキャットを軸に、演奏チームが自由奔放にアレンジ膨らませると、こんな感じになる。
 イントロはソニー系のロック・グループのフォーマットとなっていた、ブライアン・アダムスとU2を適当に混ぜ合わせた感じで、俺的には嫌いじゃない。ていうかスッと馴染むんだよな。

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4. エクスクラメーション・マーク
 祭りばやしとケチャをミックスしたオープニングに続き、性急なシンセビートが走る、このアルバムの中では最もUKポストパンクの影響が強いナンバー。これ見よがしなシンセ乱れ弾きは、人によって抵抗あるかもしれないけど、ただパクりやパロディの域を突き抜けていることから、演奏チームのポテンシャルの高さ・引き出しの多さを感じさせる。
 このアルバム以降はBIG HORNS BEEがフィーチャーされることが多くなり、シンセ<生音という比重になってゆくのだけど、この時期のシンセポップ・アプローチも趣深く、リアタイで触れてきた者にとってはツボ。

5. On My Mind
 OMDとマイク・オールドフィールドの意匠を借りて、壮大なオリエンタル感を演出したバラード。ストレートなラブソングなので、カールスモーキーのクセに真面目に歌っている。

6. かっちょいい!
 初期楽曲の中でも人気の高い、ジェームス小野田ヴォーカルのアッパー・チューン。ライブ映えするしノリはいいしで、米米本来の魅力を最もダイレクトに伝えているのが、このナンバー。いま聴いても単純に気分はアガる。
 ライブの肝となるキラー・チューンであるのと同時に、当時発表されたドラマ仕立てのPVが話題になった。内容はくっだらねえ刑事ドラマとヒーローもののパロディなんだけど、どうでもいいところにすごくこだわったおかげもあって、いま見ても普通に楽しめる。


7. SPACE
  中華テイスト漂うオリエンタルなアレンジに乗せて歌われる、カールスモーキー二枚目路線のナンバー。インダストリアルなリズムとのコントラストが、ちょっぴりアングラ風味。つかみようのないメロディと歌詞は、無理におちゃらけてカールスモーキーを演じる、石井竜也個人の吐露だったのか。
 若さもあっていろいろ抉れてた時期なので、ポロっとこういうのが表出してしまったりする。

8. だからからだ
 後年の健全エンタメ路線に近い、でも言ってることはチャラいバブリーな男の身勝手が、ポップなアレンジで彩られている。メインを張るにはちょっと地味だけど、おちゃらけてない米米を聴きたい人なら、多分好きになるかも。でも、かしこまった米米って、やっぱ一味足りないんだよな。

9. ノンコンプレックス
 シンディ・ローパーから持ってきたようなオケに乗せて歌われる、さらに増長した尻軽男の独白。間奏でガラリと曲調が変わり、ちょっとダークな展開になる、スタジオならではの凝りようがうかがえる。

10. リッスン
 スウィング・アウト・シスターとケニーGのニュアンスをうまくミックスした、男の切なさをストレートに表現したメロディ・タイプのナンバー。いい曲なんだけど、あっさり3分程度で終わっている。
 ここまで聴いてきて、やっぱ物足りないのがジェームズ小野田の存在感。いやインパクトは強いんだけど、もう1,2曲はメインで歌ってほしかった。
 そういった反省も踏まえたのか、次作『E・B・I・S』では、もうちょっと出番が増えることとなる。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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