好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Pop

元ビューティフル・サウス:ポール・ヒートン栄光の軌跡と紆余曲折 その2 - Paul Heaton & Jacqui Abbott 『What Have We Become?』


Heaton&Abbott-What_Have_We_Become

  前回の続き。




 一応、円満な発展的解消に落ち着いたビューティフル・サウス解散を経て、ポール・ヒートンはソロ活動を再開する。2006年サウス最終作『Superbi 』リリース以降、バンドは開店休業だったため、時間だけはたっぷりあった。
 2007年、正式に解散が発表され、翌2008年にはソロ再デビュー作『The Cross Eyed Rambler』をリリースする。相変わらず立ち直り早いし切り替え早いし、尽きない量産ぶりはコステロ並みだなヒートン。
 細かい変遷はあったけど、基本はオーソドックスなアコースティック/フォークポップだったサウス〜ビスケット・ボーイに対し、独りになって思うところがあったのか、ここでは大胆なイメージチェンジを図っている。
 どこから引っ張ってきたのかヒートン、ひと回り世代の違う若手ミュージシャンを集め、新たにバンドを結成した。その名も「The Sound of Paul Heaton」。有名どころはヒートンしかいないので、ほぼバックバンドみたいなものである。しかしダセェネーミングだよな。
 Mark E. Smith率いるFallに一瞬いたSteven Trafford以外、ほぼ無名の若手中心で、インディーポップ/ロックバンド的なアプローチが展開されている。ガレージロックに触発されたラウドめのサウンドに触発されたのか、メロディもシンプルに抑えられ、ヴォーカルも心なしか前のめり気味になっている。
 わざわざバンド名義にするくらいだから、それなりに気合い入れてたはずだし、原点回帰でマメにUKツアーも行なったのだけど、チャートはUK最高43位に終わっている。まっさらの新人バンドならともかく、ヒートンのネームバリューがまったく通用しなかったのは、スタートとしてはちょっと肩透かしだった。
 「まぁロック界隈ではそんなに知名度なかったし、そんなにプロモーションもしてなかったし」と、第2弾『Acid Country』でも引き続き、ギターメインのパワーポップで押し通してみたのだけど、前作よりさらに低い最高51位という結果に終わる。明らかに固定ファン離れてるな。

 ポップなメロディとガレージロックは決して相性が悪いわけではなく、ハードめならメロコア、ソフトに振れてもパワーポップというフォーマットがあるのだけど、そのどちらともリンクせず中途半端だったのは、やっぱ向いてないんじゃなかろうか。かつては英国の標準家庭に一枚はあったサウスのアルバム、そんな保守層が荒ぶるヒートンを求めているとは、とても思えないわけで。
 山下達郎だって、ほんとはAC/DCみたいなハードなサウンドが大好きなんだけど、自分の声質には合わないから、ソフトサウンド路線を選択したわけだし。今はもう無理だろうけど、ヘドバンする達郎も見てみたかった気もする。イヤやっぱいいわ、なんか怖いし。
 さすがに2作続けてコケたことで懲りたのか、バンドは解散、ロック路線にさっさと見切りをつける。多分、周辺スタッフも「そろそろサウス路線に戻った方がいいんじゃね?」と口添えしていたはずだけど、そう言われると逆張りに行ってしまう英国人気質。元メンバー残党で結成されたThe Southの手前、同じ路線は歩みたくない。
 そんな矢先、ちょっと違う方面からオファーが舞い込む。アーティストとしてではなく、サウンドプロデューサーとして。

p0d5frv3

 「世界で初めて新作の委託製作のみに特化した国際フェスティバル。2007年に第一回を開催。舞台芸術、ビジュアルアート、ポップカルチャーを融合した作品が特徴的」という趣旨のマンチェスター国際フェスティバル。隔年で約2週間の開催期間中、演劇からオペラ、映画から現代美術からパフォーミングアートまで、世界中さまざまなジャンルのアーティストが参加している。
 過去のラインナップを見ると、スティーヴ・ライヒとクラフトワークのコラボ、マッシヴ・アタックによる映像と音楽のパフォーマンス、デヴィッド・リンチ:プロデュースの舞台パフォーマンスなど、斜め上のサブカル好きには垂涎のプログラムが並んでいる。今年も草間彌生が新作提供していたり映画『マトリックス』をテーマとしたダンスパフォーマンスがあったりして、興味なくても行けば虜になってしまうイベントが盛りだくさんである。
 そんな2011年のラインナップのひとつとして、「七つの大罪」をテーマとしたショウが企画された。マンガや映画『セブン』でも取り上げられた、カトリック由来のテーマである。そのサウンドプロデューサーとして「なぜか」ヒートンが指名された。
 高潔でアーティスティックで先鋭的なフェスティバルに対し、場末のアイリッシュパブでサッカー中継を横目にクダを巻く労働者階級のヒートンは、控えめに見ても場違いである。彼の作風である「市井の一般庶民のドタバタ悲喜劇」と新約聖書とのギャップ萌えを狙ったー、イヤ強引すぎるな、どう好意的に見ても。やっぱ何かの間違いだったとしか思えない。
 地元の強力なコネでもあったのか、はたまたキュレーターが誰かと勘違いしたのか。ヒートン自身も「なんで俺?」って思わなかったんだろうか。

 ただショウのすべてを取り仕切ったわけではなく、大筋のコンセプトは著名劇作家のChe Walkerがシノプシスを書き、舞台演出も実績のあるGeorge Perrinが腕を奮った。そりゃそうだ。
 ヒートンの役割は、シノプシス/テーマに沿った、8楽章から成る組曲を制作することだった。嫉妬や強欲など、テーマにフィットしたシンガーの選出・構成も、彼のミッションだった。強引に1人で歌い分けることも可能っちゃ可能だけど、それじゃただのソロライブだもんな、サエない中年男だけじゃ華もないし。
 これまでとは趣きの違う不慣れな仕事ゆえ、いろいろ苦心惨憺だったことは察せられる。いろいろダメ出し食らったりボツにされたりもしたんだろうな。
 おそらく敬虔なクリスチャンとは思えないヒートン、これまで宗教を揶揄したり遠回しに小バカにしたような楽曲は書いてきたけど、パロディ抜きのシリアスな表現はしたことがなかった。今回はさすがにシニカルな視点は傍に置いて、真摯かつエンタテインメントとして成立してなければならない。
 きちんとしたシナリオがある分、まだ救われたと言える。じゃないと、ヒートン成分が入りすぎてキンクスみたいになっちゃってただろうし。
 世界的には無名だけど、堅実な仕事をするスタッフやアーティストによって、『The 8th』は格調高いエンタテイメントとして演じられた。キリスト教由来のテーマなので、無宗教の俺がどうこう言えるものではないけど、トータル的にはちゃんとしている。ヒートンのくせに。
 ていうかヒートン、この本編ではほぼモノローグのみの役割で、基本的には裏方である。なので、彼目当てだとちょっと肩透かしを喰らってしまう。
 のちにこのプログラム、CD/DVDにまとめられたのだけど、実際の公演では後半でヒートンのソロライブもあり、むしろそっちの方が堅苦しくなくて好評だったらしい。大衆的なアーティストの箔づけとしては有効なんだけど、本人的にもお呼びじゃない感が先立って集中できなかったんじゃなかろうか。
 ちなみにこの年のマンチェスター国際フェスティバル、他のプログラムがやたら充実しており、デーモン・アルバーン制作の京劇オペラやビョークのライブなど、ヒートンが霞んでしまうラインナップが目白押しとなっていた。そりゃ世間の注目はそっちに行くし、そこまで興味のない俺でさえ、やっぱ生ビョークは見たいもの。

a78721cb-740c-4939-9b89-42e8d02fb4a3

 なのでこの『8th』、これまでのヒートンのキャリア中、CDセールスは最低ランクだった。まぁ本人歌ってるわけじゃないしね。
 収益性はともかく、クリエイティヴ面で手ごたえを感じていたら、その後も地道に続けているはずだけど、いまのところそんな動きもない。当時の劇評に目を通すと、それほど批判的な意見は見受けられないのだけど、だからと言って絶賛もない。
 ヒートンにしてみれば、たまたまスケジュールが空いてた時に舞い込んだ請け負い仕事であり、評判良ければ、そっち方面へ行くのもアリかな?と思ってはいたけど、リアクションの薄さと作業の煩雑さに辟易しちゃったんじゃなかろうか。いつもの自作自演と違って、お題はガチガチに決まってるし、そもそも長編小説的な組曲を書くタイプではなく、短編小説の作風だし。
 なので、ヒートンのキャリア中、ほぼなかったことにされているこの『8th』。セールス面でもクリエイティヴ面でも、ほぼ得るものはなかったのだけど、大きな出逢いがひとつあったため、重要なターニングポイントとなっている。
 プロジェクトに参加したシンガーの多くは初顔合わせだったのだけど、おそらくヒートンの強い希望だったのか、旧知のジャッキー・アボットが参加していた。

 「もうこんな下品な歌は歌いたくない」という理由で脱退したブリアナ・コリガンの後釜として、アボットはサウスの2代目女性ヴォーカリストに就任した。脱退後、ソロデビューを経て、学校の先生になったコリガン。もともとまともなキャリアを歩んできた人だから、相当我慢してたんだろうな。
 そんな反省もあったのかヒートン、アボット加入以降、あからさまで下品なエロを表現することは減ってゆく。チマチマした小市民のソープオペラは相変わらずだったけど、クセの少ないアルトヴォイスはヒートンの声質とも相性が良く、数々のヒット曲を生み出す名パートナーとなった。
 そんなサウスの黄金期を支えていたアボットだけど、2000年に脱退を表明することになる。幼い息子が自閉症と診断され、多忙なツアーに帯同することが困難になったのが理由だった。
 事情が事情なため、脱退はスムーズに受け入れられるのだけど、思えばこの辺からサウスの凋落が始まっている。三代目女性ヴォーカリスト:アリソン・ウィーラーを加入させて建て直しを図るのだけど、一度止まった勢いはもとに戻らなかった。フェードアウトするように解散したサウス以降、彼女もまたThe Southに合流することになる。
 ソロ活動も行なわず、ほぼ引退状態だったアボットに声をかけたのは、偶然だったのか何か意図があったのか。多分、どっちもだろう。
 ほぼ10年、表舞台に出ていなかったにもかかわらず、彼女の歌はヒートンの書いた曲にすっぽり収まった。たった一曲だけだけど、彼女の歌う「Envy」は、ヒートンの世界観を巧みにかつ自然に表現していた。
 「彼女はは私が一緒に仕事をした中で最高の歌手の 1 人であり、私の過去の一部でもあります」とヒートンはアボットを絶賛している。「私はいつもジャッキーを念頭に置いて曲を書きました」。ここまで言うと調子良すぎるけど、実際、彼のメロディに最適なハーモニーを合わせられる/メロディに選ばれたのが、彼女だった。
 大げさな表現ではない。実際、2人のハーモニーを待ち望んでいた音楽ファンが多かったのだ。

Heaton-Abbott-Shirlaine-Forrest-copy-1000x600

 最初のコラボアルバム『What Have We Been?』は、発売間もなくUKチャート3位、たちまちゴールド認定された。この週のトップがマイケル・ジャクソンの遺作『Xscape』、2位がコールドプレイという、ビッグネームに続いての3位だから、発売週によってはトップだった可能性もある。
 ライブはどこもソールドアウト、テレビ出演も引っ張りだこで、これまでの迷走はなんだったのやら。盟友アボットの力を借りながら、ヒートンは再びトップシーンに躍り出る。といっても、相変わらずの普段着ファッションは変わらなかったけど。
 その後もマイペースを守りつつ、コンスタントにコラボは継続しており、今年も3枚目のアルバムがリリースされた。こちらはUK1位。天下獲ったなヒートン。
 もう過去の人ではない。ちゃんとしたメインストリームを歩む真っ当なアーティスト。それが現在のポール・ヒートンだ。
 ただ、キャリア総括ベストに『The Last King Of Pop』ってタイトルつけちゃう茶目っ気残ってるけど。




1. Moulding of a Fool
 直訳すれば「愚か者の形」だけど、Mold=カビのダブルミーニングにかけてるっぽい。だってヒートンだもん。
 リーディングトラックだけあって、爽やかで軽快なポップソングだけど、歌ってる内容はひねくれた視点で相変わらず性格悪い。間奏でなぜかギターが荒ぶってるけど、こういう曲調ならアクセントとして機能している。

2. D.I.Y.
 アボットがリードを取る、ロカビリータッチのトラック。こちらも軽やかでメリハリの効いた小品なのだけど、「自分より若い娘に彼氏を取られた」って内容なので、やはりスパイスが効いている。アメリカ人を小バカにしたような脳天気なコーラスも小気味よい。




3. Some Dancing to Do
 ファズ入ったギターから始まる、やや大仰なサウンドプロダクトのデュエットソング。2人とも、彼らにしては情感込めてドラマティックに歌い上げているのだけど、内容は「レストランや映画館、病院、高速道路出口など、とにかく行列でテンションガタ落ち」って、どうでもいいこと。そんな他愛もないことをわざわざ歌にしてしまうところが、ヒートンの個性でもある。

4. One Man's England
 センテンスを目いっぱい詰め込んだ、全盛期のサウス節全開のフォーク・ポップ。古き良き大英帝国から現在までの風刺を盛り込んだ内容になってるっぽいけど、ネイティヴじゃないとわかりづらい歌詞。でもこのポップさは嫌いじゃない。

5. What Have We Become
 5曲目と言う地味な配置のタイトルチューン。こちらも全盛期サウスを彷彿させる、時代が時代だったらシングルヒットしていたはずのナンバー。アボットのヴォーカルに幅があり、時々、上品なスティーヴィー・ニックスみたいに聴こえたりもする。
 こうしてここまで聴いてみると、確かにサウスの演奏スキルじゃ望めないアイディアやアレンジがあったりして、やっぱこの2人でやるのが正解だったと、改めて思う。

6. The Snowman
 DeepLで翻訳したのを読んだだけだけど、比較的皮肉も暗喩もなさそうな、ストレートな寓話調のポップバラード。もしかして裏があるのかもしれないけど、俺の英語力じゃ無理だ。
 なので、普通に楽しもう。メロディとハーモニーは文句のつけようがない。

OALXWJYG65HDZCURHV4WX42NZM

7. Costa del Sombre
 サウンドこそハードめだけど、昔のメキシコ歌謡っぽさ漂うレトロ風味のメロディは、案外日本人にもヒットするんじゃないかと思う。橋幸夫もメキシカンロックって歌ってたし、我々日本人はもともと、こういった異国情緒エキスの濃いサウンドやメロディを好む傾向にあるのだ。
 いわゆるパロディなのだけど、サウンドもメロディもしっかり作り込まれており、2人とも巻き舌多用したりしている。

8. The Right in Me
 このアルバムの中では異彩を放つ、ボトムの効いたガレージポップ。ていうかどの曲も統一性なく、結構曲調ばらけてるか。何もコレだけが特別じゃない。

9. When It Was Ours
 「Some Dancing to Do」同様、大げさなアレンジ・凝ったアンサンブル・ドラマティックなヴォーカルと3つ揃ってるけど、相変わらず歌ってるのはどうでもいいことばかり。「再び墓地やパブ、クラブへ行こう」なんてイミフで中身がないことを、全力で歌う2人。いい年してコレをやることに、一つの意味がある。

10. I Am Not a Muse
 珍しくリズムループを使った、ヒートンにしては「今風」のトラック。「俺は音楽の女神なんかじゃない」ってどういう意味?
 「俺はジャズにもヒップホップにも興味なければ、ブルースにだって関心ないんだ」とモノローグ調で語ってるけど、要は「饅頭怖い」みたいなもの。全編DTMなのも、逆説的に「好き」っていってるようなもので。

nqpnbPMp9YLMwyqriyY2MR

11. Stupid Tears
 彼らのレパートリーの中では数少ない、ストレートなラブソング。歌詞がノーマルな分だけ、せめてサウンドでアクセントをつけようという意図なのか、The Sound of Paul Heatonみたいなガレージ・ロック。ただアボットのヴォーカルがある分、ヒートンだけでは単調になるのをうまく回避している。

12. When I Get Back to Blighty
 サザンが往年の歌謡曲にインスパイアされたような、ドリーミーなバラードポップ。ドライな声質のアボットのヴォーカルによって、甘さがほどほどに抑えられており、そこがいい塩梅。これも日本ウケしそうなんだけどな。









元ビューティフル・サウス:ポール・ヒートン栄光の軌跡と紆余曲折


ab67616d0000b27368a131b7f5ea38fbb00f6936

  1990年代のイギリスでは、幅広い人気を誇っていた庶民的バンド:ビューティフル・サウス。露悪な皮肉とペーソスに塗れた彼らの歌は、他人の不幸をこよなく愛する英国人のツボにハマっていた。
 穏やかでポップなサウンドと、英国人特有のひねくれた悪意とペーソスに満ちあふれた作風は、老若男女問わず受け入れられた。ただ世紀末を迎えるあたりから、チャートの趨勢はEDM主体のダンスポップに取って代わられ、人気は下降してゆく。
 少しは時流に合わせるよう、レーベルからのプレッシャーでもあったのか、7作目『Painting it Red』は、かつての盟友ノーマン・クック = ファットボーイ・スリムにリズムトラックのアドバイスを依頼、彼らにしてはダンスビート寄りのトラックが収録されている。ただ、変に勢いあまって2枚組にしたことで、微妙なセールスに終わってしまう。
 従来ファンが買ってくれたことで、初動売り上げは確保できたものの、チャートアクションの勢いはなかった。これで伸びしろがないと判断されたのか、リリース契約も更新されず、窮地に陥ってしまう。
 先行きの不透明感とマンネリズム、レーベル移籍交渉が進まなかったこともあって、メンバーの士気も低下、バンド活動も停滞してゆく。周囲の雑音なんてどこ吹く風、マイペースを貫いていた印象だったけど、時代に取り残された現実を突きつけられ、モチベーションはダダ下がりした。
 ただ、完全に忘れられるにはまだちょっと早すぎたサウス、この時点で気持ちを切り替えて、小規模ライブ中心のツアーバンドとして生き残る道もあった。コンテンポラリーなスタンダード曲はないけど、そこそこのスマッシュヒットはたくさん持っていたため、市民会館クラスのハコなら充分埋められる知名度は持っていた。

 楽曲制作に携わっておらず、印税収入の恩恵も少ない演奏陣からすれば、フロントマンの青臭い苦悩なんてのは他人事でしかない。進んでソロ活動したり客演したりもせず、とにかく演奏して日銭を稼ぐことだけが、彼らの処世術だった。
 特別、演奏テクニックに秀でていることもなく、現状維持を望む連中を重荷に感ずるのは、何もいま始まったことでもない。おそらくずいぶん前から、火種はくすぶっていたのだろう。
 クリエイティヴ面でスランプになったわけではない。歌うテーマはいくらだってある。ライターズ・ブロックなんて言葉とは縁遠いヒートンにとって、袋小路にはまったバンドの現状は、別な見方で言えば転機でもあった。ソングライターとしてパフォーマーとして、まだ伸びしろがあると思っていたヒートンは、早々にソロ活動に乗り出すことになる。
 初ソロアルバム『Fay Chance』は、外部ミュージシャンを多く起用しているけど、作詞作曲は全部ヒートンなので、基本は従来サウス路線を踏襲している。一曲目でスクラッチが導入されていたり、なんちゃってブルース風な楽曲もあったりして、サウスとの差別化を意識したバラエティ感はあるにはあるけど、まぁ「ほぼサウス」。
 サウスとの違いを強調するためか、アーティスト・クレジットも「ビスケット・ボーイ」に改めた。さらに別名「クラッカーマン」っておまけもついている。彼流のジョークなんだろうけど、ちょっと何言ってるかわかんない。
 EDMを使用した一部のトラック以外はいつものビューティフル・サウスであり、メンバーへの配慮や気遣いもなかった分、クリエイターの意図が充分反映された良作なのだけど、やっぱ「変な名前」が災いして反応は薄く、UK最高95位とチャートでは低迷した。あまりの手応えのなさにヒートンも思い直し、「ビーバス・アンド・バットヘッド」のパクりみたいなイラストから、無難なポートレートにジャケットを変更、ヒートン名義で翌年再販してみたけど、結果は変わらなかった。
 もしかして、アメリカのインディー市場を意識して、あんなアートワークにしたのだろうか。イヤ無理だってキャラに合わんし。

Music 3-1

 ソロプロジェクトは大コケしたけどそれはそれ、さっさと気持ちを切り替えたヒートン、サウス再始動のため、バンドメンバーらを招集する。言い方悪いけど、自ら考えて動くような連中ではないので、拒否するはずがない。よく言えば従順なんだよなみんな。
 前作のセールス不振で微妙な関係になっていたGo! Discsともどうにか和解、本格的な再始動を踏まれ、サウスは新アルバムを制作する。ていうかヒートン。
 「今さら「Little Time」や「Don’t Marry Her」の時代じゃねぇだろ」と開き直ったのか、従来路線を踏襲しつつDTMもそこそこ多用した、ビスケット・ボーイ路線の『Gaze』を発表する。サウンドプロダクトもコンセプトも時流からはずれてないし、サウス名義だったらもっと受け入れられるんじゃね?とでも思ったのか。
 控えめながら自信を持って世に送り出したはずなのに、結果はUK最高14位と肩透かし。これまで着いてきてくれたコアユーザーがさらに目減りして、いよいよ落ち目感が漂ってくる。
 活動休止前までは、どのシングルもそこそこスマッシュヒット、アルバムもトップ10常連でプラチナ獲得も当たり前だったのに、『Gaze』はシルバー獲得がやっとというレベルにまで落ちてしまう。そりゃ多くの同年代バンドと比べれば充分な成績だし、リリース契約があるだけまだ恵まれている方なのだけど、ヒートン的にもレーベル的にも、期待値上げ過ぎちゃった感がある。

 どっちが先に三行半を叩きつけたのかは不明だけど、Go! Discsを飛び出したサウス、普通ならここで活動もフェードアウトするところだけど、捨てる神あればなんとやらで、大メジャーのソニーUKに移籍する。何がどんな経緯で、英国ローカルの右肩下がり中年バンドと契約に至ったのか。ディレクターのコネかエージェントの強さか、はたまた闇の力でも持っていたか。
 一応、契約アーティストではあるけど、今さら猛プッシュしてくれるポジションではなく、かといってお荷物になるほどひどい売上でもない。ある程度の固定ファンもいるから、おおよその売上予測も立つので、「まぁ好きにやってれば?」という放置プレイ。
 心機一転で仕切り直しと行きたいところだけど、移籍後初のアルバムは、なぜかカバー集だった。ヒートンがスランプで何も書けなかったのか、はたまた担当ディレクターにダメ出しされまくったのか。それならそれで、楽曲コンペで集めそうなものだけど、そこまでの予算は組めなかったんだろうな、だってサウスだし。
 実際聴いてみると、キャラに合ったメロディタイプの楽曲中心で構成されており、無難で危なげない仕上がりになってはいる。もともとサプライズやスリルを求める音楽性じゃないし、まぁ確かにサウスっぽく仕上がってはいるんだけど、本人たちのやる気のなさがにじみ出てくる、そんなネガティヴな無難さが漂っている。
 食ってゆくため/次回作リリースのため、いわば消化試合のようなアルバムゆえ、プロモーション・ツアーも積極的に行なわれず、UK最高11位と、これまた中途半端なチャートで終わってしまった『Golddiggas, Headnodders and Pholk Songs』。それでもそこそこロングテールで売れたのか、最終的にゴールドディスクを獲得している。多分、本人たちは不本意だったろうけど。

Fat_Chance_-_Biscuit_Boy_album_cover

 2006年、移籍後初となる念願のオリジナルアルバム『Superbi』がリリースされた。ソニーもそこそこプロモーションに力を入れたのか、UK最高6位と久しぶりにトップ10入りを果たす。次週には急降下しちゃったけど。
 せっかくそこそこのヒットを打てたにもかかわらず、いまいちモチベーションが上がらないのはヒートンだけではなく、その他メンバーも同じだった。手応えがあろうとなかろうと、今さら一喜一憂する年代でもないし関係性でもない。もうずいぶん昔に、バンドを寿命を迎えていたのだ。
 以前ほどライブも行なわず、それに伴って達成感もカタルシスも得られなくなり、翌年、ビューティフル・サウスは解散する。「音楽的な類似性」というコメントを残したけど、誰も笑いもしなければ、関心さえ持たれなかった。
 お別れライブもなければ記念シングルもない、メンバー同士のあからさまな中傷や暴露合戦もなし。ファアウェル感のまったくない、円満離婚手続きのような解散だった。
 それほど盛り上がらなかったのは、正確には「解散」ではなく「ヒートンが抜けた」というのが周知の事実だったせいもある。「解散する/しない」じゃなく、「ヒートンに振り回されたくない」と思っていたメンバーが相当数いたらしい。事実、サウス解散後、多くのメンバーはサウス楽曲をレパートリーとした新バンドThe Southに合流している。
 あんな飄々とした風情だったけど、キツいこと言わなきゃならないこともあったんだろうなヒートン。嫌われ役しなくちゃならない事もあっただろうし。どんな組織でもあり得ることだ。

 ほんとはこれ以降のヒートンの足跡、再ソロデビューの不振と迷走、ジャッキー・アボットとの再会を契機とした完全復活まで書き進めていたのだけど、そこにたどり着くまでに結構な分量になった。なので、ここで一旦切って、続きは次回。
 ここまで書いてきてなんだけど、ちゃんと聴いてみるといいところも多い『Fat Chance』。ビスケット・ボーイとして向き合うからショボく思えちゃうわけで、最初っからヒートン名義でリリースしてりゃ、こんな扱いじゃなかったはず。
 そんな空気の読めなさ・ズレてる感もまた、彼の魅力なわけで。そういうことにしておこう。




1. Lessons In Love
 逆回転テープ処理みたいな響きのギターが印象的な、ヒートンにしてはざっくりしたサウンドがオープニング。「サウスとは違うんだ」感を強調したいことが伝わってくる。
 このアルバムの多くのセッションは、ジョー・ストラマーのバンドにいたMartin Slattery (Key)とScott Shields (Dr)を伴って行なわれ、サウンドメイキングに大きく貢献した2人も作曲クレジットされている。なので、全体的にリズムは立っている。

2. Mitch
 グラウンドビートとブルースの融合、取ってつけたようなスクラッチなど、いろいろ新局面を見せているトラック。なぜか元サウスのDavid Rotherayが作曲クレジットされているので、おそらくバンド時代のボツ曲の再演と思われる。後期のサウスのアルバムに入っててもおかしくない出来なんだけど、あの演奏陣じゃ満足できなかったんだろうなヒートン。

3. The Perfect Couple
 これはヒートン単独のクレジット。おそらく独りでスタジオにこもってるうちに仕上げちゃったんじゃないかと思われる。
 初期サウスのメロディに近いため、逆に女性コーラス不在の物足りなさを感じてしまう。こういった甘いタッチのメロディなら手クセでいくらでも書けるだろうし、ちょっとスパイス効かせるためバンド・スタイルにしてるんだろうけど、もう一味が欲しい。

4. Last Day Blues
 サウス時代からキーボードのサポートで付き合いのあったDamon Butcherとの共作によるバラードナンバー。そんなに凝ったコード進行でもなく、シンプルな構造なのだけど、気心知れてる昔馴染みとのコラボは、安心して聴くことができる。
 アルバム全体をサウスとは違う展開にしたいのはわかるんだけど、やっぱこういった曲の方がヒートンのキャラが明確になってるし、彼の曲である必然性が見えてくる。この当時、彼の中では「抑えの曲」だったんだろうな、従来ファン向けの。

CIl0INIWgAAy_nM

5. Man's World
 再びButcherとの共作。「Last Day Blues」よりも少しザックリして、バンドスタイルのバラード感が演出されている。ヒットチャートでは太刀打ちできないけど、アルバム中の佳曲としては充分なアベレージ。

6. Barstool
 R&B/ダンスコンテンポラリー系のサウンドプロダクトを使った、ヒートンにしてはちょっと攻めた感のあるポップバラード。EDMバリバリに入れて、ヒートンのヴォーカルも全編エフェクトかけてて、女性ヴォーカルもセクシー系だ。
 これまでは色気の薄い女性ばかり起用していたのに、だいぶ背伸びしてがんばってる。こっち路線もやってみたかったのかもしれないけど、でも「ビスケット・ボーイ」名義でやるのはシクったよなヒートン。

7. Poems
 なので、ここでバンドスタイルのアレンジが出てくると、ちょっとホッとする。ゲスト女性ヴォーカルのZoe Johnstonもフラットなスタイルで安心する。アコギ主体なので往年のネオアコっぽさも漂い、ゴメンやっぱこういう方が好きなんだ。

8. If
 同じくアコギがメインだけど、ピッチフォーク系ユーザーを想定したような、ビスケット・ボーイ感のあるトラック。ソリッドなベーシックリズムをバックに、ちょっぴり粗野なヴォーカルでつぶやくヒートン。
 のちのThe Sound of Paul Heatonに連なるサウンド。ここでやめ解きゃよかったのに、手ごたえ感じちゃったんだな。

9. The Real Blues
 ギターやエレピはブルースっぽいけど、ヴォーカルにブルースっぽさはひとっつも感じられないので、やっぱシャレでつけてるんだろうな、このタイトル。こういったキッチュで自虐な視点を忘れないのがヒートンの持ち味なので、あまり突っ込んじゃいけない。まぁ聴き流そう、いい意味で。

4254515500000578-0-image-a-93_1500043583616

10. Proceed With Care
 考えてみればハウスマーティンズ、あのまま解散せずにネオアコ・ポップ路線を続けていれば、こんな感じになっていたのかもしれない、と思わせるトラック。そう考えるとこのアルバム、「もしビューティフル・サウスが存在してなかったら?」という異世界モノなのかもしれない。
 それくらい好きなトラック。

11. Man, Girl, Boy, Woman
 おそらく自宅で機材いじってるうちに何となくかたちになっちゃった、密室感の強いEDMトラック。おそらく自分で打ち込みなんてできやしないだろうから、プリセット中心に適当にかぶせてうち、こんな感じになっちゃったんじゃないかと思われる。
 ヒートンの別サイド、ややダークなモノローグ(ラップじゃない)中心のサウンドアプローチは嫌いじゃない。全編コレだとキツいけど、アクセントとしては悪くない。







ブライアン・ウィルソンがブライアン・ウィルソンであるためのアルバム。 - Brian Wilson 『Smile』


brian-wilson-brian-wilson-presents-smile-Cover-Art

  苦節37年、ついにブライアン・ウィルソン本人監修でリリースされた「幻の」アルバム『Smile』。ちなみにこのアルバム、ジャケット・アートワークや楽曲リストが流出したことから誤解されているけど、発売を見合わせてお蔵入りしたわけではない。リリース・スケジュールに合わせるため、レコード会社が勝手に勇み足で曲順やデザインを勝手に決めて発注しただけであり、今回が初めてアーティスト側の意向を組んだ形となっている。
 一応、ブライアンお墨つきとなる『Smile』決定版は、当時のマスターテープを参考としつつ、その多くは現在のツアー・メンバーでリテイクされている。当初から収録予定だったメイン・トラック「Good Vibrations」も「英雄と悪漢」も、2004年時点での音質クオリティにアップコンバートされているのだけど、基本構成は当時のまま。
 なので、かつての少年:70オーバーのブライアンのヴォーカルを感慨深く受け取るか、はたまた切なさを憂うか、それは意見の分かれるところ。
 ビーチボーイズもうひとつの代表作『Pet Sounds』同様、これまでさんざん研究し尽くされ、また語り尽くされてきたアルバムなので、「何を今さら」感はあるけど、一応、これまでの経緯を整理してみる。

611q8UBHYYL._AC_SY355_

 これまでの「夏だ!海だ!サーフィンだ!」のイメージから大きく逸脱した『Pet Sounds』、評論家筋やイギリスのウケは良かったけど、本国アメリカでは微妙なセールスに終わる。
 一方、レコーディング技術を駆使することで、消費サイクルの早いポップソングを、後世に残るアート作品へステップアップできる可能性を見出したブライアン、そのメソッドを突き詰める次回作『Smile』に着手する。
② 取っ掛かりとして『Smile』、「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」という、おそらくブライアンにしか理解できないコンセプトが掲げられた。『Pet Sounds』で意気投合したヴァン・ダイク・パークスをパートナーとしてシノプシスを書き、おおよその概要が見えた頃合いで、ブライアン主導によるレコーディングが開始された。
 ヒット曲や適当なカバー曲を寄せ集めた、これまでのポップ・アルバムと違って、テーマに沿って書かれた小曲をつなぎ合わせた組曲スタイルのコンセプト・アルバムのハシリとなったのが『Pet Sounds』で、そこにシンフォニックな要素を加えたのが、ビートルズ『Sgt. Pepper’s~』だった。田舎町リバプールのチャラ男たちの才能に触発されたブライアンは、その上を行こうと奮起する。
 個々の楽曲単体で起承転結を描くのではなく、ひとつのメロディを転調したりテンポを変えたり、または反復させ、様々なエフェクトや効果音、ハーモニーをブリッジにしたストーリー展開が、『Smile』の初期構想だった。膨大な素材を必要とするため、ブライアンは短いフレーズやモチーフとなるメロディを大量に録音した。コラージュとも言うし、今ならマッシュアップの手法。
 おそらくこの時点で、ブライアンの頭の中では、すでにおおよその完成形は見えていたはずだけど、何百テイクに及ぶ大量の素材を組み合わせて理想の形に仕上げるには、スケジュール的にも技術的にも限界があった。理想のビジョンはあっても、実作業にあたるスタジオ・エンジニアとは齟齬が出るし、当時の機材スペックでは、リズムやピッチもどうしてもズレる。 
 理想と現実のギャップが埋まらず、時間ばかりが過ぎてゆく。
 絶え間なく襲ってくるプレッシャーとストレスを酒とドラッグで紛らわす、一進一退の悪循環に陥るブライアン。「消防士の帽子を被り、スタジオ内で火を焚いてレコーディングした」というエピソードに象徴されるように、もう彼の精神は限界だった。 
 ほどなく『Smile』は製作中止が決定、ブライアンはそのまま永き隠遁生活に入る。ただそれはそれ、新アルバムのリリース・スケジュールは動かせない。 
 大量に残されたデモテープの中から、手直しすれば使えそうなものをピックアップして、ブライアン以外のメンバーがどうにか形にした。それが『Smiley Smile』。
 そんないわく付きのアルバムだったため、グループ的にもレコード会社的にも、できれば「なかったこと」にしたかったのだけど、人伝えで伝説のヴェールは日増しに広がってゆく。また『Smile』がらみだと話題になるものだから、その後も未発表テイクが小出しに発表され、音楽マニアの渇望感を煽り続けてゆく。
 そんなこんなで月日は過ぎて80年代末、どうにかブライアンが社会復帰、初のソロ・アルバムをリリースする。ただこの時は、悪名高い精神科医ユージン・ランディが横にくっついていたため、ほぼ彼の操り人形状態。自分の意思があるかどうかもあやふやなため、完全復活とは言えず。
 家族やメンバーらの助力によって、トラブルメーカーだったユージンとのパートナーシップを解消し、ここからが本格的なブライアン復活。こちらもある意味、呪縛となっていた『Pet Sounds』の全曲再現ツアーを敢行、さらに勢いづいて、ついに2004年、『Smile』の落とし前をつけることを決意するのだった。 

ダウンロード

 …案外長くなった。5行程度でまとめるつもりだったのに。 
 これでもだいぶはしょってるけど、何しろ40年だから、これくらいになるか。 
 さらに補足すると、
 2011年、膨大な未発表セッション音源をまとめた『Smile Sessions』が、ビーチボーイズ名義でリリースされる。ほぼ時系列にそってCD5枚組にまとめられ、5枚目は全25曲「Good Vibrations」別テイクという、もうマニアにとっては垂涎の代物。
 もはやビギナーなんて相手にしない、ハイエンド・ユーザー向けの学術資料とまで言い切ってしまえる重厚感は、ボックスの重さだけにとどまらない。 
 足かけ40年にも渡った『Smile』問題は、これで一応、決着となった。ブライアン本人による完成形が提示されたことで、なかば妄想めいた憶測も解消された。 
 ただ、在庫一掃総ざらいを謳った『Smile Sessions』だけど、実はまだ収録されていないテイクが残っており、研究家・マニアによる発掘作業は続いている。オフィシャルでは補完しきれない音源を網羅するブート界隈では、真偽のほどはともかく、いまだ『Smile』音源はリリースされ続け、手堅い定番アイテムとなっている。 
 逆に言えばビーチボーイズ、『Pet Sounds』『Smile』両巨頭の注目度が飛び抜けて高かったため、他のアルバムはほぼ「知らんけど」扱いである。レコード会社的には悩みの種でもある。 
 全盛期の60年代アルバムのリイッシューがほぼ済んでしまったため、近年は70年代作品のリイッシューが進んでいるのだけど、正直、ラインナップ的にはショボく、格落ち感は否めない。イヤさすがに無理やり感あったよ、『Beach Boys' Party!』のデラックス・エディション化は。 

o0400028410981608910

 21世紀に入ってから、ほぼ恍惚の人状態だったブライアンにとって、『Pet Sounds』も『Smile』も、すべてはもう終わったことだった。なので、自ら進んで完結させる気は、毛頭なかったんじゃないかと思われる。 
 ただ、自分がステージに立って歌うことで、みんなが喜んでくれる。そのナチュラルな善意のみで、ブライアンは重い腰を上げた。 
 メンタル面・体力面で不安があった彼が、世界ツアーを完走できるようになったのも、ツアーのレギュラー・メンバーであり、よき理解者であるワンダーミンツ:ダリアン・サハナジャのサポート失くしてはあり得なかった。ミュージシャンである前に、熱狂的なビーチボーイズ・マニアだったダリアンは、身勝手で気分屋で駄々っ子のブライアンに根気強く寄り添った。 
 少しずつ音楽への関心を取り戻していったブライアンは、世代も立場も違うはずのダリアンと向き合い、いろいろな話をした。少年時代のこと、グループのこと、家族のこと、音楽のこと。 
 起こってしまったことは、すべてよいことだ。忘れたくなる思い出なんて、所詮、その程度のものだ。 
 ダリアンは焦らずゆっくり、ただ耳を傾けることで、ブライアンの凝り固まった心をほぐしていった。特別、何をするでもない。ただ、そばにいて話を聞くだけ。ユージンなら時間単位で診察料が発生するけど、ダリアンは物質的な何かを要求することはなかった。 
 ふと、ピアノで「God Only Knows」のイントロを奏でるダリアン。 
 「あぁ、そこはこうで…」。言葉少なにキーを探るブライアン。 
 勝手な想像だけど、そんな音楽を通した対話によって、ブライアンの気持ちも前向きになってゆく。少しずつ、ゆっくりと。 

A-276411-1452421863-8600

 「過去の自分と向き合う」ため、『Pet Sounds』の全曲再現ライブに挑んだブライアン―。というのが大方の見解なのだろうけど、おそらくそんな大それたものではない。
 まわりのみんなが求めてくるし、喜んでくれるから。そんな単純な発露だったんじゃね?と、ブライアンを聴くたび、そう思う。 
 時々、ネガティヴになったりもするだろうけど、おおむね21世紀以降のブライアンのメンタルは安定している。いつもコピペで張りつけたような同じ笑顔で、発言もしどろもどろではあるけれど、少なくとも今の生活に大きな不満はなさそうである。
 強烈すぎる体験は、脳が記憶することを拒否する。自己防衛反応がうまく働かなかった時期のブライアンは、自身の殻に閉じこもり、食っちゃ寝の無限ループだった。
 歳を経ることで、イヤな記憶は薄れ、よかった想い出だけが鮮明に残る。 
 自浄作用とは、人が生き続けるための前向きな意思表示だ。

 好評のうちに『Pet Sounds』プロジェクトが一段落し、休む間もなくブライアン、ついに『Smile』完結を決意する。多分、ダリアンあたりが終わった頃合い見て、それとなく勧めてみたら、勢いでOKしちゃったんだろうな。その辺のタイミングは心得ていただろうし。
 ただ承諾したとは言っても、そこから翻意したりドタキャンしようとしたり、一進一退はあっただろうけど、多分、周囲のスタッフもその辺は織り込み済み。なだめすかしたり短いブランク入れたりして、ほぼダリアン主導でトラック作成、事あるごとにブライアンの確認を得て、『Smile』は完成した。
 決着を見たことで、呪縛から解き放たれたわけではない。「囚われている自身を充分把握できていない」っていうか。時々イヤな記憶がぶり返したりするけど、褒められるとそれも忘れちゃうし、しかもやればできるタイプだしブライアン。 

24_0105_01

 前回のレビューの続きとして、長々書いてきた。で、ここまで来てアレなんだけど、個人的には『Smile』、実はそこまで入り込めていない。
 ブライアン版だけではスッキリしなかったため、『Smiley Smile』『Smile Sessions』にまで手を出したのだけど、余計にワケわかんなくなった。 
 なぜ『Smile』は、俺が深く踏み込むのを拒むのか。ちゃんと考えてみた。
 レコーディングを控え、ブライアンは「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」というコンセプトを掲げた、と前に書いた。華やかなロックスター・ライフを満喫していた反面、ブライアンの青春は決して幸福なものではなかった。 
 ロサンゼルスの機械工マリー・ウィルソンは、若い頃に成し得なかったミュージシャンの夢を、3人の息子に託した。厳しい指導は次第にエスカレートしてゆき、時に手が出ることもあった。
 鉄拳制裁が長じて、長男ブライアンは右耳を強打、聴力は永遠に失われた。ステレオ録音がメジャーとなった60年代後半においても、彼がモノラル・レコーディングにこだわり続けたのは、それもまた一因である。
 彼の息子と友達を中心にビーチボーイズが結成され、マリーはマネージャーに就任する。大して実績のない学生ローカル・バンドにマネジメントが付くのも何か変な話だけど、コワモテで弁の立つ大人が交渉役になったことで、早々にキャピトルとのリリース契約にこぎ着ける。 
 兄弟の中で最も才能があったのがブライアンであり、マリーからのプレッシャーや風当たりが強いのも彼だった。息子に期待を寄せていた反面、おそらく自身との才能の差に嫉妬していたのかもしれない。
 ブライアンにとって、曲を書く行為は純粋な悦びであり、また父の機嫌をなだめるための処世術だった。
 「サーフィンの歌を書いてるのに、サーフィンが嫌い」。当時のブライアンが置かれた状況を端的にあらわしているエピソードである。
 ヒット曲を書くことを強いられ、ステージでは精いっぱい陽キャを演じていたけど、素のブライアンは真性の陰キャでインドア派で、地味で控えめな人格だった。強欲な父に脅され尻を叩かれながら、彼は陽気で笑顔で脳天気なポップソングを量産した。
 陽気な笑顔の裏側で、ブライアンは泣くのをこらえていた。長く演じているうち、その笑顔は張りついて戻らなくなった。その笑顔は、いま現在も続いている。

SMiLE_On-A-HolidaySleeve

 ブライアンが経てきた道程は、一見華やかなものであったけれど、その実情は散々たるものだった。きらびやかな栄華の裏側で、ブライアンは父からのプレッシャーに怯え、また他メンバーらの嫉妬、または無関心を嘆いた。彼にとってのリアルな青春時代とは、忌むべきものであったのだ。
 その反作用として、彼は理想の青春時代、ほんとはこうあるべきだった10代の日々、そして視点を再構築しようと試みた。それが『Smile』の真の姿だ。
 ここで描かれる世界観は、ブライアンが思うところの「理想の青春」、そして生活。朗らかで快活な、それでいてナイーブな少年少女たちの独白と讃歌。ほんの少しの感傷と迷走が、アクセントとして作用する。
 こうやって書いてると、ヘッセの世界観とリンクするところ多いんだよな。宗教観の違いだけで。「荒野のおおかみ」なんて、まんまブライアンのもうひとつの人生だもの。
 で、その世界観はブライアンの中で枯れることなく、40年ずっと地続きのままだった。ただ、そのニュアンスを70代のかすれ声で表現するのは、やはりちょっと無理がある。「伊代はまだ16だから」を自虐半分で演じるなら受け入れられるけど、本人にマジ熱唱されてしまうと、ちょっと引いてしまう。ジャンルは大きく違うけど、そういうことだ。

 時を経て、周囲の好意と努力によって、『Smile』は完結した。ただ「完結した」という話題性が先行して、客観的な音楽的評価がしづらくなっているのも、また事実である。 『Pet Sounds』『Smile』推してりゃ、取り敢えず音楽通っぽく振る舞える風潮もまた、ブライアンの真意を見えづらくしている。
 なのでこのアルバム、単体で好評だったヒット曲「英雄と悪漢」「Good Vibrations」はともかく、アルバム総体では、第三者目線での批評が機能しづらい。他人の評価とは別次元の、「ブライアン・ウィルソンがブライアン・ウィルソンであるためのアルバム」というのは、そういうことだ。




1. Our Prayer / Gee 
 ファンファーレ的な位置づけのアカペラと、ガーシュインっぽい小曲との組曲。ビーチボーイズ版では別々だったけど、ここでは自然にシームレスな流れで構成されている。
 コーラス・アレンジもベーシックなアンサンブルも、ほぼ初期テイクと変わりなく、「楽曲単体としてはすでに完成し尽くされていた」というブライアンの意向がダイレクトに反映されている。
 なので、この曲に限らず、ほぼどれも1967年時点のアレンジを踏襲している。唯一、大きく違うのがブライアンの声質なのだけど。
 躍動感あふれる20代と紆余曲折を経てきた60代、まったく性質の違うヴォーカルを同じ土俵で比較するのは無意味だけど、「ティーンエイジ・シンフォニー」というコンセプトを通してみれば、前者の方が意に沿ってはいる。
 ただここで大事なところ、ブライアン自身は歳を取っていない。あくまでブライアン的には。ブライアンのためのアルバムなので、我々はただ、降りてきた音と言霊を黙って受け取るだけなのだ。

2. Heroes and Villains 
 1967年、『Smiley Smile』からシングルカットされて、当時、ビルボード12位にランクインしたのが信じられないくらい、凝りに凝った複雑な構成を持った曲。4分弱の中でコロコロ曲調が変わるので、ラジオでかかりづらかったことが察せられる。大雑把なアメリカ人が受け入れたことが不思議でならない。 
 ちなみに『Smile Sessions』では、1枚丸ごと「英雄と悪漢」のアウトテイクのみで構成されているパートがあり、それだけ制作に紆余曲折があったことが窺える。コーラスだけ・ハープシコードだけのテイクが山盛りで、マニアや研究家にとっては垂涎なんだろうけど、堅気の人が聴くものではない。個人的には面白いんだけど。
 で、この曲でスイッチが入ったのか、ヴォーカルは最新のブライアンがベストテイク。見かけの若さじゃなくて、曲のコンセプトに準じた若さと言う意味で。





3. Roll Plymouth Rock 
 初期タイトルは「Do You Like Worms?(ミミズは好き?)」だったけど、ブライアン版では「あばれるニワトリ」に改題されている。どっちにしろ、意味わかんない。
 ブライアン的には「こっちの方がいいと思ったから」ということらしい。すべては、ブライアンの意に沿うままに。そういうことだ。 
 『Smile』収録曲全般に言えることだけど、単一のフレーズを発展させたものではなく、あらゆるシノプシスを複合的に組み合わせた組曲スタイルが多く、この曲もあっちへ行きこっちへ行きで、ちょっと気を抜いてると全然別の曲になってたりする。
 ハンパない集中力が求められるアルバムなので、キチンと対峙して聴き込まざるを得ない。長いことマニアが掘り続けていたのも納得できる。今さらだけど。

4. Barnyard 
 「英雄と悪漢」セッション時に録音された、動物の声帯模写を主体とした小品。歌いやすいメロディは、全盛期のビーチボーイズを踏襲している。もともと単体ではなく、「英雄と悪漢」に組み込む予定だったらしい。
 今回、独立させた意味は不明だけど、アルバム/ライブ構成的にインターバルとしてちょうどよかったんだろうか。

5. Old Master Painter / You are My Sunshine
 自作曲だけでは世界観が狭くなることを危惧したのか、ここでスタンダード曲を入れてきたブライアン。ていうか、単に歌いたかっただけなのかもしれないけど、アルバムのカラーには合っている。
 ラジオ音声っぽくエフェクトされているけど、この曲も年輪を経た最新版のヴォーカルが最もよい。ただこれも、ほぼサビメロしか歌っておらず、正味1分程度。やっぱ、サビ歌いたかっただけだったのか。

6. Cabin Essence
 ちょっと肩の力が抜けた後、再びやってくる多重構造のポケット・シンフォニー。書いてて「なんか矛盾してる」って気づいてしまった。ポケットに収まるほど気軽じゃないんだよな。
 「カントリーっぽいガーシュイン」のオープニングから、凝りに凝ったコーラスの波状攻撃、再びガーシュインに戻って、また分厚いコーラス、そして二たびガーシュインへ、の円環。『Smile Sessions』聴くと、まだいろいろぶっこんでたらしいけど、これでもシンプルにまとめている。
 ここまでが、第一楽章というくくり。

6796793_1169224298_z

7. Wonderful
 神への敬意とティーンエイジャーへの憧憬とが交差する、アルバム・コンセプトを象徴的に描いた歌詞世界は、盟友ヴァン・ダイク・パークスによるもの。地味ではあるけど、確実にアルバムのコアに位置する曲。
 荘厳かつ繊細なメロディは、その後の数多のソングライターにも確実に影響を与えている。特にポストパンク以降、アンディ・パートリッジ(XTC)やパディ・マクアルーン(プリファヴ・スプラウト)など、いわゆるポップ・マエストロの出現を後押しした。 
 腺病質的な繊細さを目指した初期ヴァージョンはエヴァ―グリーンな輝きを放っているけど、甘さの抜けたブライアン版のヴォーカルの方が、メロディの腰の強さを引き立てている。
 歳を経ることで歌える曲もある。そう思わせてしまうだけの説得力がある。

8. Song for Children
 初期セッションでは仮題「Look」というインスト・ナンバーで、ブライアン版ではヴァン・ダイクが新たに詞を書き下ろし、現行タイトルに改題されて完成版となった経緯を持つ。『Smile Sessions』収録ヴァージョンも聴いてみたけど、ヴォーカルを入れる余地もなく、インストでも充分成立している。
 心境の変化なのか、はたまた歌入れ前に製作が頓挫しちゃったのか。その辺はブライアンにしかわかり得ない。
 膨大なアイディアをありったけ詰め込んで、時にとっ散らかった印象さえ受ける第一楽章に対し、第二楽章はひとつのテーマを深く掘り下げる方向に特化した曲が多い。変に凝り過ぎないで、このコンセプトで統一すれば、レコーディングもスムーズに運んだのだろうけど、でもそれじゃ『Smile』にならないか。

9. Child is Father of the Man
 と思ってたら、また曲調変化著しいナンバーが。初期テイクは細かなフレーズをつなぎ合わせた歪さが感じられるけど、37年経ったことでテクノロジーの進化と演奏スキルのレベルアップが、違和感を抑え込んでいる。
 ただ、ストリングスの重厚感は初期ヴァージョンの方が勝っている印象。アナログ・レコーディングの強みかね。

10. Surf's Up
 ポストパンク以降のポップ・マエストロ、いわゆる「ポップ馬鹿」たちが憧れ、そして誰もたどり着けなかった極みとも称される、ブライアン渾身のキラー・チューン。キャッチ―で覚えやすいメロディでもなければ、前向きな歌詞を歌っているわけでもない。
 でも、「なんか他のヒット曲とは立ち位置違う」ことだけは、誰でも理解できる。そんな曲。
 ピアノ一本だけでも成立するし、壮大なオーケストレーションにも負けない、しなやかな旋律。そして、それはブライアンが歌う時のみ成立する。
 万人に愛されるスタンダードとは言えないけど、その存在感の強さには、多くのソングライターがひれ伏してしまう。大げさすぎるかもしれないけど、そんな曲。
 ブライアンであれば、どのヴァージョンでもいい。時空を超えた記名性の強さは、聴けばわかるとしか言いようがない。





11. I'm Great Shape / I Wanna be Around / Workshop
 ここから第三楽章。「英雄と悪漢」セッションからの派生フレーズやスタンダード・ナンバーをメドレー構成にしたオープニング。前曲のイメージを払底し、新たなフェーズに入ることを予想させる、要するに場つなぎ的なブリッジ。
 こういうのまで忠実に再現するのだから、ブライアン的には必要なパートなのだろう。細切れで聴くとつまんないのは、コンセプト・アルバムの善し悪しである。

12. Vega-Tables
 「野菜摂取を勧めることで、万人を健康にしたい」という発想から飛躍に飛躍を重ね、なぜか「人々を野菜に変えてしまいたい」というテーマにたどり着いた、ほんとか冗談かわかりづらい世界観。当時、いろいろ追い込まれてたブライアンならあり得るか。
 もろもろのプレッシャーもあって、こじれにこじれてた当時のブライアン、一説にはこの曲、未完成とされている組曲「The Elements」の一部とされている。レコーディング中に消防士のヘルメットをかぶったりスタジオ内で火を焚いたり、何かとスピリチュアルかつキンキ―なセッションの産物なので、これももしかして、カボチャやズッキーニ振りかざしながらレコーディングしていたのかもしれない。
 …冗談だよ、本気にすんなって。

13. On a Holiday
 もともとインスト・テイクしか残っていなかったのを、このアルバムを機にヴァン・ダイクが新たに詞を提供、これが決定版となる。オリジナルも陽気でドラマティック感は薄く、なんでわざわざこの曲をリテイクに選んだのかは不明だけど、箸休め的にこういった曲もあった方が肩が凝らない。

14. Wind Chimes
 ピアノとハープシコードを主体としたポップバラード。最初の『Smile』セッションでも初期に作られた楽曲なので、そこまで大きな捻りはない。ただ、ハーモニー・アレンジからは強いこだわりが窺える。

14504

15. Mrs. O'Leary's Cow
 前述した「The Elements」の中核を担うパート「Fire」のリテイク。よくこんなの再録音させようとしたなダリアン。初期レコーディング直後に原因不明の火災に見舞われて、スタジオ全焼しちゃったトラウマ抱えているはずなのに。
 ていうかブライアン、もう忘れちゃったのかな、そういうネガティヴな出来事って。 
 そんなバイアスがかかっている曰く付きの曲なので、前評判は高かったのだけど、当然のことながら仕上がりはスッキリちゃんとしてて、案外普通。初期構想の火・水・木・気の4部作であれば、また違ったテイストになっていたのかもしれないけど、でもスッキリ納めちゃうんだろうなダリアンなら。

16. Blue Hawaii 
 初期セッションでは「Love to Say Dada」「I Love to Say Da Da」「Da Da」「All Day」などあらゆる名称で呼ばれ、その後、『Sunflower』制作時に「Cool, Cool Water」としてリメイクされ、最終的にこのタイトルで決定版となった、大事にされてるんだかされてないんだか、よくわからない曲。
 『Smile Sessions』に収録されているだけでも3テイクあるので、どうにかしようと思ったけど、当時は消化不良で終わっちゃったんだろうな。

17. Good Vibrations 
 ラストは超有名なこの曲だけど、あまりにヒットしたし誰でも聴いたことくらいはある曲なので、なんかここに収録されても今さら感がハンパない。イヤ、ここから始まったってことは知識としては知ってるんだけど、フラットな状態で聴き進めてラストがコレだと、やっぱなんか浮いてる。 
 本文でも書いたように、『Smile Sessions』ではこの曲だけでCD1枚使っているくらいだけあって、ブライアン/ビーチボーイズの歴史的にも外せないことはわかる。わかるんだけど、でも。 
 いっそのこと、アウトテイク全部詰め込んでボーナスCDつけた方が良かったんじゃね?とまで思ってしまう。多分買うよ、マニアだったら世界中にいるし。














サイト内検索はこちら。

カテゴリ
アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
最新コメント