2004年リリース、岡村ちゃんにとっては6枚目、そしてなんと9年振りとなるオリジナル・アルバム。前作の『禁じられた生きがい』が1995年で、こちらも5年のブランクがあってのリリースとなっており、その寡作ぶりは大滝詠一・山下達郎に匹敵する。みんな手間ヒマかける作風だしね。
デビューからずっとエピックに所属していた岡村ちゃん、まぁその、何やかやいろいろあって、『Me-imi』は設立されて日の浅いデフ・ジャムからのリリースとなっている。そう、あのデフ・ジャムである。Beastie BoysやPublic Enemyが代表的アーティストとして有名な、ヒップホップ・レーベルの。
80年代歌謡曲とファンクとのハイブリッド・サウンドを志向していた岡村ちゃんの復活と、デフ・ジャムの日本進出とがうまくリンクしたことは、奇跡的な邂逅と言ってもよい。ちょっと大袈裟かな。どっちにしろ、デフ・ジャムでのアルバムはこれ1枚きりだし。
オリコン最高14位はもう仕方のないところ。何しろ9年振りの新作なんだから、普通なら「満を持しての活動再開」といったムードで盛り上がるはずだったけど、何やかやのおかげもあって大々的にキャンペーンを張るにはリスクが大きすぎた。日本では新興扱いであるデフ・ジャムのプロモーション体制が整っていなかったのも、ひとつの原因ではあるけれど、まぁやっぱり岡村ちゃん自身の問題だよな。
この時期の彼はある意味、火中の栗であって、誰も好きこのんで手を差し伸べようとはしなかったのだ。筑紫哲也のニュース番組に出演したこともあったけど、あれだって「犯罪者の更生」といった左翼的な視点であって、別に音楽性について突っ込んでるわけじゃないし。
もともと友達の少ない岡村ちゃんにとって、数少ない友人、同世代でよくつるんでいたのが吉川晃司と尾崎豊だった、というのはわりと知られている話。調べてみると、みんな1965年生まれだった。
よく遊んでいたのが18,9の頃で、尾崎と吉川はすでにデビューしており、岡村ちゃんはまだ「ダンスがうまい作曲家」の域を出ない、なかば業界人に足を突っ込んだだけの存在だった。デビュー曲「モニカ」が大ヒットしたことによって、ザッツ芸能界に取り込まれようとしながらも馴染めず、独りもがいていた吉川と、まだヒット曲はなかったけれど、すでに十代のカリスマとして、知る人ぞ知る存在になりつつあった尾崎、で、当時はまだ「その他大勢」「吉川と尾崎、それともう一人のデカいの」的扱いだった岡村ちゃん。考えてみりゃ、接点ないよなどう見たって。
もろ体育会系の吉川と、ナンパな文化系の尾崎、そうなると岡村ちゃんは帰宅部といったところか。あまりにかけ離れた三者三様は、逆に接点の無さによって、ビジネスを超えた友情を育むことができた。ライブで共演なんかはいくつかあるのだけれど、ガッツリ組んだコラボはないものね。
岡村ちゃんのデビュー前後までは、大きなガタイの3人組の深夜の徘徊が、たびたび六本木界隈で目撃されていた、ということだけど、次第に3人とも多忙になったせいもあって、出会う頻度は少なくなってゆく。
時期的には、確か尾崎の逮捕がターニング・ポイントになったと思われる。「ひたすら飲んでダベってナンパして」のズッコケ3人組は、それぞれの生活を背負うようになった。それなりに知名度もあるため、互いに顔を合わせると、それだけで周囲が騒ぎ出す。
-もうあの頃のように、無邪気に遊び回ることはできない。気ままな青春時代は終わったのだ。
ザッツ芸能界への不信感がピークに達していた吉川は、ナベプロから独立して音楽活動に専念、これまで以上にロック・サウンドへの傾倒を強めていった。これまでと違うフィールドをサヴァイブしてゆくため、パートナーとして選んだのが布袋寅泰で、その後はコンプレックス結成へと動く。
彼ら2人に遅れは取ったけど、岡村ちゃんもまた「ピュアでちょっぴり不器用な十代の代弁者」というソニーお得意のメソッドから脱却して、「ピュアで不器用だけれどエッチな君のことが好きなんだよベイベ」というキャラクターを見出した。その純粋な変態性がコアなファンを生み出し、両者とは別な意味でのカリスマ性を築き上げていた。
もう、「その他大勢」じゃない。
ないのだけれど、もう一人。
青春時代をうまく終われなかった男が独り。
尾崎の死と前後するように、次第に岡村ちゃんの活動はペースダウンしてゆく。そんなアクシデントが引き金となった、と言えばドラマティックなのだろうけど、多分関係ないだろうと思われる。25、6という年齢は、男にとっても女にとってもひとつの曲がり角なのだ。
当時のインタビューで岡村ちゃん、「曲は書けるけど詞が書けなくて、たびたび作業がストップする」と漏らしている。世の中はバブルが弾けて経済的にも曲がり角だったけど、「またそのうち、景気だって上向くさ」という希望が残っていた。享楽と喧騒に満ちた永続的モラトリアムはまだ続いていたはずだったのだ。だったのだけど。
岡村ちゃん自身のジャッジの基準が上がっていたのは、真摯なミュージシャン・シップからすれば至極当然な経緯ではある。
題材は変わらない。愛はいつだって不変のものだ。
でも、その表現の仕方を進めるには?今までと同じだったら、それじゃいけないんじゃない?
かつて尾崎は「ファンと共に成長する」ことを強いた挙句、そのファンのニーズから大きく乖離した方向へ迷走し、そして志半ばで息絶えた。
岡村ちゃんもまた、自己成長を急ぎ過ぎた挙句、袋小路にはまり込んでしまったのだ。
その後の岡村ちゃんの音楽は、混迷と流浪の歴史である。その軌跡が生々しく刻まれているのが、この作品集というわけで。
『Me-imi』での岡村ちゃんが放つ音は、どれも攻撃的になっている。ピーク・レヴェルや定位バランスは二の次で、90年代の主流であるテクノやレイブ、ハウスから大きく影響を受けた、歪みの多い暴力的なビートが支配している。これまでエフェクト的に使われていたパーカッションや複雑なリズム・アレンジは後退し、四つ打ちに代表される、トランス効果を狙ったミニマルなアレンジが多くを占めている。
ラウドな響きに呼応するように、発声のインパクトを重視した単語の羅列は、これまでのストーリー性を放棄している。十代二十代の童貞臭漂う切なく笑っちゃう叫び、前向きに生きていきたいけれど変に自虐的な過去の自分。想い出とは常に郷愁の中にあるものなのだ。
岡村ちゃんの青春時代は終わってしまったのだ。
青春時代を総括するため、尾崎は「その後」を探し求めて迷走し、確かな答えをつかまぬまま、生きることをやめてしまった。良くも悪くも「完結」しなかったことで、尾崎は伝説となった。本人的にはどう思ってるんだか。
『誕生』のレビューで書いたけど、別に成長なんかしなくても良かったのだ。自分が良いと思ってるのなら、永遠に少年少女に向けた歌を歌ってたって構わない。それが「商業主義すぎる」とか「ユーザーのニーズにベッタリし過ぎ」とか言われたって、誰に迷惑をかけるわけでもない。どんな時代においても、そんな歌を求めているファンは必ず一定数は存在するのだから。
何も強引に、「成長しなくちゃ」と無理に変えることはなかったのだ。
『Me-imi』リリース後、岡村ちゃんは再度、世間をお騒がせすることになる。その後も紆余曲折を繰り返し、完全復活までにはもうちょっと時間が必要だった。
「好きなこと歌って気持ちよくなって、みんなに喜んでもらえりゃソレでいいんだよベイベ」と開き直れるのは、もうちょっと先の話である。
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1. 5!! モンキー
リズムにこだわりがあるのは変わらない。『家庭教師』期に確立した、複合リズムのごった煮。ただ、以前の岡村ちゃんの作るトラックには「え?」と思わせる隙間があり、そこでひと息つかせる余韻を感じさせる余裕があった。最も伝えたいのは言葉であって、リズムが前に出過ぎると、そのメッセージは薄れてしまう。「高慢ちき」「抜本的思想」「土・天・冥王」など、普通なら歌詞として使うには難しい言葉を躊躇なくチョイスするのは岡村ちゃんらしいけど、ストーリー性より発声の語感を優先しているため、散漫な印象ばかりが残る。
なので、後にリメイクされた『エチケット』ピンク・ヴァージョンではもうちょっとサウンドがトリートメントされており、本意が伝わりやすい。
2. モン-シロ
先行シングルとして発売。これもやたらエフェクトが多い乱雑なリズム・アレンジとなっているのだけど、1.ほどヴォーカルがそれほど歪んでいないので、なぜかソフトに聴こえてしまう不思議。でもどっぷりファンクなのは変わりない。
モンシロみたく直接 花のひだに密接したいな
おいしいもん見たら即決 力の限り いま飛び越える
岡村ちゃん得意のエロソングだけど、以前のようについ笑っちゃうようなナルシシズムな視点はなく、比喩は使っているけどダイレクトなエロを展開している。「大人になった」ってことなのかな。
3. ア・チ・チ・チ
このアルバムの中では最も人気も高く、外に開かれたキラー・チューン。その後のライブでもほぼセットリストから外されていないので、本人的にも会心の出来だったんじゃないかと思われる。
かなりクラブ・シーンに接近したファンクとなっており、ひとつひとつのパートの音は軽いのだけど、それらがうまく融合し合って独特のグルーヴ感を創り出しているのは、岡村ちゃんの面目躍如といったところ。かなり80年代Princeの影響が強く出ているのだけど、オマージュと呼んでおこう。
4. ファミリーチャイム
「ペンション」の世界感を想起させる、このアルバムの中ではどストレートなバラード。ただ、このアルバムのテイストではちょっと浮いた感じ。宅録打ち込みの薄いサウンドじゃなくって、これこそベタなストリングスを使ってゴージャスなサウンドの方がもっと映えるはずなのだけど、この時期じゃ無理だったか。岡村ちゃんのヴォーカルも手クセが強く、もっとドラマティックに表現できるはずなのに。ラストの適当英語は結構好きだけど。
5. ミラクルジャンプ
先行シングル・カットの2枚目。エロさを排除して、さわやかな青春時代をヴァーチャルに表現することに長けた岡村ちゃん渾身のエヴァーグリーン・ソング。ファンのニーズど真ん中の歌詞なのだけど、やっぱこの世界観の量産はキツいのかな。3.なんかと違って時事風俗的な言葉は使われてなく、普遍的なパーツで構成されているのだけど、風化しない物を作り続けてゆくのは困難だし、本人が先に飽きちゃうんだろうな。
そこを開き直るには、まだ数年待たなければならない。
6. 未完成
よくライブの小休止的に行なわれていた、弾き語りコーナーをそのまま移植したようなバラード小品。シンプルであるがゆえ余計な味付けがなく、まるでアドリブのような岡村ちゃんの語りが堪能できる。アルバム全体が同じテイストだからしょうがないのかもしれないけど、これもサウンドにもう少しガッツがあれば。バックがピアノのみなのはいいんだけど、せめてヴォーカル。エコーかけようよ。ノンエコーだとサウンドがドライ過ぎる。
7. 軽蔑のイメージ
岡村ちゃんにしてはギターが前に出ており、音もちょっとアメリカ・オルタナ気味で珍しい。ハイハット・バスドラの響きがやたら重厚で、その他にも多種多様なエフェクトがとっ散らかった印象を受ける。それでいてメロディはやたらキャッチー。歌詞は支離滅裂であっち行ったりこっち行ったりなので、まともに分析しようとするとバカを見る。一応ライムにはなっているけど「超マブ 総立つ」はダサいと思う。
8. マシュマロハネムーン~セックス
ハウスのフォーマットをいち早く導入しながらも、ちょっと消化不良気味でフワッとした微妙な仕上がりとなってしまった2001年のシングルと、リズムがダウナー過ぎて試行錯誤ぶりが表出してしまった1999年のシングル。
それら2つをくっつけるとあら不思議、高機能なダンス・ファンクとして生まれ変わっちゃった。曲調はまったく違うのに違和感なく馴染んでしまうのは、ハウス・ビートの消化によるトラックのスリム化が勝因。
-John Lennonがある日、プロデューサーGeorge Martinに、「まったくテイストの違うこの2曲をひとつにまとめて欲しい」と無理難題を押し付けた。「また始まったか」と内心思いながら、どうにかこうにか工夫したり加工したりして、望み以上の楽曲を仕上げた。それが「Strawberry Fields Forever」。
まとめ上げたMartinもすごいけど、そんな突拍子もない発想をするJohnの方がやっぱ偉大。天才と変人の紙一重だな。
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