好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

「Rolling Stone Magazine 500 Greatest Album Of All Time」全アルバム・レビュー:451-460位


 451位 Roberta Flack 『First Take』
(初登場)

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 去年、死亡説が流れたけど、きっぱりデマと否定された、どっこい生きてるロバータ・フラックのデビュー作が初登場。ただ筋萎縮性側索硬化症という難病ゆえ、現在は闘病中。無事を祈ろう。
 永遠のスタンダード「やさしく歌って」のイメージが強すぎて、っていうか日本ではほぼそれだけの印象だけど、海外ではバラード中心に多くのヒット曲を持つソングライターとして、認知度も高い。80年代以降はピーボ・ブライソンとのR&Bデュエットが多く、ピンで注目されることは稀になったけど、シンガーとしてもっと評価されてもいい人である。
 このアルバムが制作された時のロバータは32歳、当時としても遅咲きのデビューだった。大人の歌手として売り出そうとするレーベルの判断だったのか、はたまた彼女の意向だったのかは不明だけど、ロン・カーターはじめ、ほぼジャズ寄りのミュージシャンで固められている。
 なので、「リズム&ブルース臭が薄い洗練されたバラード」という彼女のパブリックイメージとはほぼ真逆な、ジャジーでゴスペルライクなヴォーカルスタイル中心で、メロウさは感じられない。ただ、アーティスティックなこだわりを貫こうとする頑なさが、張り詰めたテンションがギリギリのところでせめぎ合っている。
 その切実さは、半世紀経った今も聴く者の心を揺れ動かす。
 世界中でカバーされまくっている「やさしく歌って」、もちろん日本でも人気でいろいろな人が歌っているのだけど、ほぼみんな正面からのアプローチで、そんなぶっ飛んだアレンジはあまりない。




 正直、どの曲もバラード仕様に精巧にカスタマイズされているため、中途半端なアレンジを許さないので、やや変化球的なカバーを。シティポップ界隈で注目を集めた井田リエ&42ndストリートが「Feel Like Making Love」を日本語カバーしているのだけど、邦題が「ひらめきラヴ」。アレンジ自体はほぼストレートなポップバラードだけど、日本語詞が秀逸。歌ってみれば、あぁなるほど、って納得してしまう。
 前回451位はAmy Winehouse 『Back to Black』。今回は33位。




452位 Diana Ross & The Supremes 『Anthology』
(423位 → 423位 → 452位)

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 ジャケットを替えたり曲順を替えたり、おそらくその世代それぞれの『Anthology』があるはずなのだけど、基本、中身はほぼ同じの定番2枚組ベストが、微妙にランクダウン。正直、1枚ものでも十分事足りるけど、俺的には80年代末に買った2枚組CDの印象が強く、それなりに愛着がある。このシリーズのマーヴィンとテンプス、ジャクソン5はかなりの回数聴き返した想い出。
 ちなみにモータウン、創成期から女性アーティスト/グループに力を入れており、マーヴェレッツやグラディス・ナイト、タミー・テレルやマーサ&ヴァンデラスなど、決してマイナーと言い切れないメンツが揃っていたのだけど、今回ランキングされているのは、シュープリームスと394位ダイアナ・ロスのみ。アルバム時代以前のアーティストゆえ、こういうランキングの時はどうしても分が悪い。
 久しぶりに通して聴いてみて、そりゃ録音の古さはしょうがないにしても、ダイアナ・ロスのウィスパー・ヴォイスはひとつの発明だったのだな、と改めて思う。泥臭くソウルフルで声がデカいことが最低条件だった女性シンガーのセオリーをとことんはずした、細いウィスパー・ヴォイス抜きでは、ベリー・ゴーディ&スモーキー・ロビンソンのポップ・ソウルがヒットすることもなかったんじゃないか、と。




 歌番組やライブでのみ発表されたものも含めれば、べらぼうな量となるシュープリームスのカバーだけど、ここはシンプルに「シュープリームスの日本版」と言い切っちゃっても差し支えない、キャンディーズのカバーメドレー。特別音源化はされていないみたいだけど、一定の需要があるのか動画で簡単に見ることができる。
 彼女らのエネルギッシュなパフォーマンスだけではなく、近年になって再評価されているライブサポートのMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)らの熱演も必聴。
 前回452位はJohn Prine 『John Prine』。今回は149位。




453位 Nine Inch Nails 『Pretty Hate Machine』
(初登場)

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 90年代アメリカ・オルタナ界で頭角を表したナイン・インチ・ネイルズのデビュー作が初登場。あまりこの界隈は通ってこなかった俺だけど、なぜかリアタイでこの次の『The Downward Spiral』は買っており、一回聴いてギブアップしてしまった記憶がある。
 この後に出てくるカン同様、世の中に絶望したり鬱屈したりする者にはうってつけなこのバンド、陰のオーラが激強なため、狭く深く根強い人気を持っているはずだけど、ここではやっと初登場。しかもこのデビュー作のみ。
 個人的に入り口が『The Downward Spiral』だったため、緻密に構築されたテクノ+インダストリアル・メタルという印象だったのだけど、このデビュー作ではまだ確立されていない。よく言えば幅広い音楽性、悪く言っちゃえばとっ散らかってる印象。
 ついでなので、彼らの中ではわりと有名な『Broken』も聴いてみたのだけど、前述の要素が高純度で抽出されてて、俺的にはこっちの方が好み。昔なら敬遠していた音だけど、一周回った今だったら、正直カンより面白い。
 湧き上がる鬱屈や抑圧を吐き出しても、それを余すことなく表現する技術が追いつかない。頭の中だけで考えてシミュレートされたサウンドへのもどかしさと葛藤、そしてその悪循環。
 稚拙なあまり、自傷へ向かう衝動。実際は事に踏み切れないやるせなさ。
 ここには、そんな情念が詰まっているのかもしれない。
 前回453位はEPMD 『Strictly Business』。今回は圏外。




454位 Can 『Ege Bamyasi』
(初登場)

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 名前を見ると、思わず口に出して言いたくなってしまう「ダモ鈴木」。そんな彼が在籍していたジャーマンプログレ・バンド3枚目のアルバムが初登場。すごくざっくり言えば、それぞれが現代音楽とロックとジャズと電子音楽を持ち寄って好き勝手に演奏して、それをそのまま放り投げた、そんなサウンド。
 こうやって書いても、全然言い表せてない。具体的に言えねぇよこんな音。
 いわばアバンギャルドの代名詞、ロック聴きかじりの背伸びした高校生が食いつくバンドなのだけど、ここにきてやっと初登場っていうのが、逆に不思議。これまでランクインしてなかったんだ。
 40年くらい前のロック名盤ガイドでは、すでに伝説の存在の位置付けだったカン、アルバムはすべて廃盤だったため、実際に聴いた者は少なかった。人づてで「なんかすごいらしい」と小声でささやかれる、そんなバンドがカン。
 80年代末頃、ドイツでサラリーマンに転職していたダモ鈴木が、なぜかロキノンで短いインタビューを受けていた。おそらく彼にとって黒歴史扱いだったのか、活字で読んでもそのぶっきらぼうぶりが伝わってきた。
 で『Ege Bamyasi』、3枚目ということで初期に比べれば音楽的にまとまっているらしい。他のアルバムも聴けばその変遷がわかるのかもしれないけど、正直そんな気は起きない。
 多分、中高校生だったら聴いてたな。中学生のくせにピンク・フロイドにかぶれてた当時の俺。
 前回454位はAlice Cooper 『Love It to Death』。今回は圏外。




455位 Bo Diddley 『Bo Diddley/Go Bo Diddley』
(216位 → 216位 → 455位)

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 インパクト強い名前がよく知られているけど、あんまり曲は知られてない、ロックンロール創成期の代表的アーティストのひとり、ボ・ディドリーの初期作品が、大きくランクダウン。落ちてはいるけど、踏みとどまりはしている。
 同じカテゴリのリトル・リチャードやバディ・ホリーもジェリー・リー・ルイスも、なんだかんだで最低一枚はランクインしているため、この枠は順位変動はあっても、今後も安定株であり続けると思う。日本史で例えると、本能寺の変や応仁の乱みたいなポジションだもんな。
 名前と同じくらい特徴的でインパクトの強いマッチ箱ギターは、ここ最近もフットボールアワー後藤がカスタマイズして使っていた。見た目のウケ狙い的な側面は大きいだろうけど、結構ディープな嗜好の人なので、純粋なリスペクトもあったと信じたい。
 これまでまともに聴いたことがなかったため、今回初めて通して聴いてみたアルバム通して聴いたみたのだけど、正直、どれがどの曲か判別がつかない。一聴して誰の曲か明らかなジャングルビートは、単純な8ビートとの明らかな差別化であり、強力な武器なのだけど、でも正直、どれも同じに聴こえてしまう。
 もう2、3回聴き返せばわかるかもしれないけど、それじゃ学習になってしまうので、またちょっと違ってくる。まっさらな10代で聴いていれば、全然衝撃度も違っていたかもしれない。もうそんなまっさらな心じゃないもんな、50過ぎると。逆に新鮮に受け止めても気持ち悪いだけだし。
 ギターメインのロックバンド中心に、日本でもカバーしているアーティストは多いのだけど、やはり彼らははずせないボ・ガンボス。ここではカバー曲ではなく、なんとボ本人参加のコラボ曲を。




 タイトルはまんま「ボ・ガンボス」。どちらかといえばジャングルビートより、コッテリ泥くさいガンボ風味が強い。憧れのスターと共演できて嬉しさのあまり、相変わらずのテンションMAXで対峙するどんとと、余裕しゃくしゃくでそれを受けるボとの対比が面白い。
 前回455位はLos Lobos 『How Will the Wolf Survive?』。今回は431位。




456位 Al Green 『Greatest Hits』
(52位 → 52位 → 456位)

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 ロバータ・フラック同様、ソウル史に名を残すベテランゆえ、なんとなく名前は知ってるけど、日本ではどうにもパッとしない、そんなアル・グリーンのベストが大きくランクダウン。シュープリームス同様、彼もまたオリジナル以上にベストアルバムが量産されているため、このアルバムじゃなくても全然構わない。正直パッケージ変わっただけで、中身はどれもおんなじだから。
 日本ではソウルシンガーへの定型句として「ソウルフルなシャウト」という言葉があるように、「血管切れそうなくらい大声で叫ぶ」ことを褒め言葉として使うことが多い。彼のようなソフトなヴォーカルスタイルは、日本では「ブルースを感じない」と一蹴されて、また別のカテゴリ「ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)」に放り込まれて一緒くたにされてしまう。
 「ブラコン=大衆に媚を売った商業的音楽」といったレッテル/偏見のもと、ピーボ・ブライソンもアレキサンダー・オニールもジェームズ・イングラムもテディ・ペンタグラスも全部ひとまとめにされ、思考停止のまま、きちんとした評価の対象とされていなかった。いまはだいぶ改善されているけど、90年代くらいまではみんな、ノンシャウトで朗々と歌い上げるシンガーはみな、そんな扱いだった。
 同じくノンシャウトのダイアナ・ロスは、シュープリームスで培ったイメージをかなぐり捨ててディスコ路線に舵を切り、どうにか爪痕を残すことができた。対してグリーン、そのキャリアのピークにガールフレンドへのDVをきっかけに牧師に転身、一時、表舞台から身を引いてしまう。そこでキャリアが止まってしまったことから、特に日本ではイメージが定着してしまったのでは、と勝手に思っている。




 彼のレパートリーの中で最もよく知られている「Let's Stay Together」をスカパラがカバー。デビューからしばらくはインストスカファンク中心だった彼ら、収録アルバム「グランプリ」がターニングポイントとなって、ゲストヴォーカルを迎えたコラボ曲が増えてゆくことになる。
 ホーンが多め以外はほぼオリジナルに準じた、ゆったりしたスロー・ソウル。これでシンセが入ってきたらブラコンだけど、生演奏中心なので、極上な大人のソウルとして仕上げられている。
 前回456位はMarvin Gaye 『Here, My Dear』。今回は493位。




457位 Sinéad O'Connor 『I Do Not Want What I Haven't Got』
(初登場)

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 今年7月に亡くなったシニード・オコーナー2枚目のアルバムが初登場。このランキング集計時(2020年)、表立った活動もなくほぼ隠遁状態だった彼女、なんでこのタイミングでフィーチャーされたのが、ちょっと不思議。おそらくだけど、当時ポリコレに過剰反応した「RollingStone」のポリシーが反映されているのか。
 いわば昔の江頭や出川のようにキモ扱いだったプリンスが書いた「Nothing Compares 2 U」は、全米・全英ともにNo. 1ヒット、ほぼ無名のアイルランドのシンガーは、ワールドワイドな知名度を獲得した。当時、シーンの中心はマドンナやカイリー・ミノーグなど、フェミニンを売りにしたタイプが大勢を占めており、シニードのようにスキンヘッドのユニセックスな出立ちと過激な言動は、日本でもなかばゴシップ的に動向が伝わってきた。
 俺的に彼女の言動で一番インパクト強かったのが、ディラン30周年ライブでのアカペラ独唱。みんな彼への敬意を込めて代表曲をカバーする中、力強くボブ・マーリー「War」だもの。ディラン信者のブーイング、ハンパなかったよなアレ。
 ただ一周回って考えると、手放しな賛美礼賛というのも、ディランにそぐわない、とも思う。全世界が注目するあの場所でこそ、あのパフォーマンスを演じたことは、再度検証しても良かったんじゃなかろうか。まぁ、やらかしちゃったことで生きづらくはなっちゃったけど。
 多かれ少なかれデフォルメされた「女性」を前面に押し出すことがセオリーとされていたポピュラー女性シンガーの中、ダンス要素のないメッセージ性強いトラックの数々は、どの曲も流し聴きを許さないエゴの強さが浮き出ている。スタッフが保険的な意味合いで時流に合わせたのか、当時流行っていたポリス「見つめていたい」インスパイアなギターロックも入っており、それはそれでよくできた80年代ポップでいいんだけど、シニードが歌う必然性がちょっと薄い。
 いろいろ生きづらい人だったな。
 前回457位はMy Morning Jacket 『Z』。今回は圏外。




458位 Jason Isbell 『Southeastern』
(初登場)

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 ジョージア州アセンズで結成された、骨太なサザン・ロック/オルタナ・カントリーをプレイするバンド、ドライヴ・バイ・トラッカーズを脱退したジェイソン・イズベル4枚目のソロアルバムが初登場。ほぼタワレコのレビューの引き写しだけど、バンドもアーティストもまったく未知数。
 ほぼ日本語での情報がなく、アメリカ以外ではほぼ無名だけど、国内では絶大な人気を誇るという、典型な内需型アーティスト。なにしろタイトルがストレートに「南東部」だし、もう他のマーケットなんて見向きもしない、全ベットそこに注ぎ込んでいる。
 アーティストもファン双方、それで充分と思っている、そんな音楽。誰も損はしていない。
 今どきのダンスポップやオルタナ風味を取り入れて、若い層を取り入れようだなんて微塵も考えない、ど直球の正調フォーク。アルバムの流れにメリハリをつけるためか、大味なアメリカン・ロックもあるけど、基本はセミリタイアしたようなレイドバックなサウンドでまとめられている。
 そんなに泥臭く感じられないのは、アコースティックにもかかわらずカントリーっぽさが薄いおかげもある。なので、もう少しバンドサウンドを厚めにすれば、ブライアン・アダムスやスプリングスティーンみたいになってたのかもしれないけど、本人もそこまで望んじゃいないだろうな。ベテランが冒険できる時代じゃないし。
 前回458位はElton John 『Tumbleweed Connection』。今回は圏外。




459位 Kid Cudi 『Man on the Moon: The End of the Day』
(初登場)

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 カニエ・ウエストに見出されたラッパー:キッド・カディ2008年のデビュー作が初登場。当然、俺は知らない。
 EDMをバックトラックに使ったスムースラップが特徴らしいけど、いまだビギナーの耳なので、他のラップと比べて違いはほぼわからん。ただ、カニエとコラボしたトラックはフロー多めなので、そこだけはちょっと惹きつけられるけど、大方はそんな印象に残らない。
 ただ、見た目も育ち良さそうだし過剰にオラついていないし、それを反映してか、広く開かれたコンテンポラリーな音。英語なのでメッセージはあるのかどうかもわからないけど、耳障りの良さは伝わってくる。別に皮肉でもなんでもなく、いい意味で。
 前回459位はThe Drifters 『The Drifters' Golden Hits』。今回は圏外。




460位 Lorde 『Melodrama』
(初登場)

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 「ロード」と読む、ニュージーランドの女性アーティストが初登場。デビュー作がいきなり全英・全米で首位獲得、その後も大物アーティストからコラボ希望で引っ張りだこだったらしいけど、2018年、突然すべてのSNS書き込みを削除して隠遁生活に入ってしまう。以降は活動も謎に包まれ、神出鬼没の状況とのこと。
 最初から持ち上げられ過ぎた反動なのか―。「それだけ自我を確立している」「強いエゴに支えられている」のだと思いたいけど、逆にいろいろめんどくさい人なのかもしれない。あまり思い詰めるとシニード・オコーナーみたいになっちゃうかもしれないので、好きにほっといた方がいいんじゃね?と勝手に思ってしまう。
 近年の女性アーティストといえば大方、EDMダンスポップかバロックポップのどっちかだと勝手に思っているのだけど、彼女の場合、そのどちらっぽさもあるけど、どちらにも軸足を置いていない。前者のあっけらかんさも後者の内省感とも、位相が微妙にずれている。
 そう考えると彼女、新たなジャンルの創造者なのかもしれない。ビリー・アイリッシュほどサウンドがこじれてもいないし。
 前回460位はHole 『Live Through This』。今回は106位。







ストリート・スライダーズ 『Nasty Children』


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  マジか。スライダーズが再びステージに立つ。ただ、これが本格的な活動再開なのかどうか。
 -と、実は春頃に書き出して、大方書き終わっていたのだけど、ズルズル引き伸ばしてるうちに武道館はおろか、ライジング・サンも終わってしまった。いつの間に月日は流れ、ただいま全国ツアー真っ最中。すっかりタイミング逃してしまった結果、今に至る。
 現時点で唯一のニュースソースである公式サイトでは、ツアー詳細やグッズ物販など、ほぼ業務連絡のみで、至ってシンプル。よくあるツアーメンバーの集合写真や動画メッセージなんてのは、一切なし。相変わらずの無愛想ぶりだ。
 多くのファンからすれば、再結成自体が奇跡だったため、メンバー自ら情報発信するなんて誰も期待してなかったし、そういう意味で言えば予想通り、逆説的にファンのニーズに沿ってはいる。そんな中、饒舌とは決して言えないけど、ジェームスと蘭丸は時々、X(旧Twitter)でつぶやいていたりして、時代の変遷を感じたりするのだけど、孤高のハリーは相変わらず。逆に饒舌だったら、それはそれで、なんかイヤ。
 ここ数年、ハリーのソロでズズとジェームスが客演したり、ほぼ四半世紀ぶりにハリーと蘭丸によるJOY-POPSが再結成ツアーしたりで、徐々に再結成の機運が高まりつつあったのは確かである。ただ2020年、ハリーが肺ガンを発症して長期休養に入ったため、それどころではなくなってしまう。
 その後、体調も徐々に回復し、いつも通りのマイペースでソロ始動、どうにかスケジュール調整やら根回しやらが済んで、このタイミングでの再結成となった。いくら周りがどうこう言ったり動いたとしても、結局はハリー次第なのだ、このバンド。
 傲慢なワンマンではないけど、ハリーが「また一緒にやる」と言えば、周りはせっせと動いてしまうのだ。だって、また見たいから。
 いまのところ、ツアーファイナルは10/26大阪で、追加公演の予定はなさそう。実はメンバーの中で最もアクティブに活動しているのがジェームスで、11月からライブハウス・ツアーが予定されている。
 スライダーズ再結成以降、5月武道館から8月ライジング・サンまで中途半端なブランクがあったのだけど、この間にもジェームス、地方中心にライブハウスを巡っている。おそらく彼のツアーが先に決まってて、それ前提でスケジュール組んだんじゃないかと思われる。フロント2トップじゃなくて、ジェームスがキーパーソンだったなんて、人生ってやっぱわかんない。
 正直、ソロツアーをキャンセルしてスライダーズでやった方が、集客も収益も段違いなはずだけど、あくまでソロ活動優先という方針が徹底していることが、この活動状況から見えてくる。蘭丸あたりはおそらく、麗蘭以外は全部すっ飛ばして、スライダーズに専念したいんだろうけど。
 今後は多くのベテラン・バンド同様、各自ソロを優先、何年かに一度、スケジュール合わせて短期集中で活動し続けてゆくのだろうか。今どきは「解散」って言い切るより、「長い長い活動休止→適当な頃合いで再始動」ってパターン多いし。
 ジェームスのソロツアーが11月いっぱいまでなので、年末にまた何か動きがあるかもしれない。フェス関連で考えられるのがカウントダウン・ジャパン、またはニューイヤー・ロックフェスといったところ。
 WOWWOWが武道館生中継を仕切っていた流れから、長期密着してるかもしれないし、いろいろ妄想は尽きない。一回くらいシャレでテレビ出演、例えばMステかSONGSあたりが、ダメもとでオファーしてみるとか。もうしてるのかな。

 1990年、10枚目のスタジオ・アルバムとして、『Nasty Children』がリリースされた。特別、ヒットシングルが収録されているわけでもなく、ドラマCMのタイアップも、当然あるわけがない。
 いくつかの音楽雑誌でのインタビュー程度のプロモーションだったにもかかわらず、オリコン最高12位と、なかなかのチャートアクションを記録している。ユーミンバブル真っ只中の百花繚乱なラインナップの中、無骨な彼らのサウンドは、明らかに異色だ。よく売れたよな。
 ライブ動員も好調で、フェスに出演したらメインアクト待遇、CDセールスも安定していたのだけど、地味目な楽曲中心で構成されたこのアルバム以降、メディア露出も少なくなってゆく。おそらくハリーの意向が強く働いたのか、ライブ中心にシフトしたのも束の間、次第に活動ペースもスローダウンし、第一線からフェードアウトしてしまう。
 約5年の沈黙を経て、スライダーズは最期の力を振り絞って、2枚のスタジオ・アルバムを残す。でも、そこまでだった。

 そんな彼らの活動経緯をザックリ分けると、おおよそ3期に大別される。
 ① デビュー〜『天使たち』まで
 ② それ以降〜1度目の長期休養
 ③ 活動再開から解散まで。

 細かい線引きするとキリがないけど、ファンもメディアも、だいたいこんな印象なんじゃないかと思われる。ズズの骨折やら夜ヒット出演やらJOY-POPS始動やら蘭丸ソロ活動やら、いろいろな角度での節目はあるのだけど、厳密にしちゃうとめんどくさいしわかりづらいので、その辺は割愛。
 ① 「初期ストーンズのフォーマットを借用してるけど、むしろブルース要素の強いガレージパンク」が出発点。地道なライブ活動によってバンドの演奏レベルは向上、また各メンバーの音楽嗜好が楽曲に反映されて、ブルース一辺倒からの脱却が垣間見える。
 「粗暴な荒々しさ」っていうか、ほぼそれしか印象にない『SLIDER JOINT』から2年強で『夢遊病』に行き着いてしまった彼ら。楽曲のベーシックな部分は大きく変わってないけど、ドラッグのトリップ状態を想起させるダウナーなテイストは、のちのUS音響派に直結している。そこまではちょっと盛りすぎだけど、同時発生的にアメリカ・インディーでもその萌芽があったのは確か。
 ②  名実ともにスライダーズ黄金期。固定ファンに支えられてライブ動員もレコードセールスも増え、当初から不変だったふてぶてしいキャラが、この辺から浸透してゆく。
 外部プロデューサーやスタジオミュージシャンの積極起用によって、従来のベーシックなロックコンボにホーンやシンセが加わり、ライトユーザーにも敷居が低くなっている。2023年現在もライブ定番であり、認知度の高い「Angel Duster」「Boys Jump the Midnight」は、うっすら耳にしたことのある人も多いはず。
 この時期のネタを引っ張ると長くなるし、以前まとめて書いてるので、できればこっちを参照。




 アクは強いしとっつきづらいし、話しかけてもロクな返事が返ってきた試しがない。とはいえ、まったく浮世離れしてるわけでもなく、おそるおそる頼んでみれば、大抵のことはやってくれる。
 表情は計りづらいけど、案外悪い気はしてなさそう。まぁ相当気は使うけど。
 そんなスライダーズだったけど、この『Nasty Children』前後あたりから、様子が変わってくる。ズズ骨折による最初の活動休止以降、蘭丸のソロ活動が活発になったあたりから、多彩なコンテンポラリー王道路線のレールからはずれ、粗野で朴訥なサウンドへ回帰してゆく。
 周囲の提案を受け入れて、一応付き合ってはみたけど、やっぱ性に合わないのを自覚したのか。もともとハリー、メジャーデビューに前向きじゃなかったし。

 書き下ろした曲をメンバーに聴かせ、アンサンブルを揃える。ライブでやってみて反応見ながら、またリハで、いろいろ直したり削ったり足したり。そうやって少しずつ、レパートリーを増やしてゆく。
 できるだけライブのテンションそのままで、レコーディングに挑む。客前じゃないため、調子合わせるのでまたひと苦労だけど、現場でまたいろいろ試したり。
 完パケした素材をもとに、またライブで調整してみたりアドリブかましたり。初期のスライダーズは、そんな好循環ループが成立していた。手間も時間もかかるけど、結局のところ、それが一番効率がいい。
 人気も知名度も上がってゆくに従って、ライブ本数も会場もスケールアップしてゆく。本人たちの知らないうちにスケジュールがどんどん埋められ、余裕がなくなってくる。
 ふとした合間にギターをいじる余裕も少なくなり、制作ペースも落ちてくる。とはいえ、アルバムのリリーススケジュールは決まっているため、スタジオ入りするギリギリまで苦心惨憺し、どうにかこうにかひねり出す。
 スタジオ入りしてもできてない場合もあり、そうなると、いろいろ妥協せざるを得ない。ライブやリハで試すプロセスはすっ飛ばされ、充分練り上げられないまま、録って出しが当たり前になる。
 楽曲のクオリティが落ちたわけではない。たとえハリーがちょっとスランプだったとしても、そこはバンドの強み、どうにか形にはなる。
 ただ、ハリーが頭の中で描いていた仕上がりとは、微妙に違ってくる。いくら気心知れているメンバーとはいえ、本当のところは誰もわからない。みんな自分のことでさえ、隅々までわかってるとは言い切れないのに。

 前作『Screw Driver』以降、スライダーズのリリース・ペースは落ち、主にライブ主体の活動にシフトしてゆく。アルバムリリース→プロモーションツアーの円環ループを、おそらく自らの意思で断ち切った彼らはその後、ひたすらステージに立ち続けた。
 エピックとのリリース契約もあるから、いくらかはスタジオに入って音合わせしたり、デモ作成くらいはしていたのだろうけど、思うような形にならなかったのかもしれない。幅は広がったけど、深みが足りない。または、その逆かもしれないし。
 で、『Nasty Children』。長期休養に入ること前提で作られたのか、素っ気なく先祖返りしたような楽曲で占められている。
 以前のような引きの強いキラーチューンはなく、ロックコンボの原点に返ったシンプル・イズ・ベスト。キャリアを重ね、いろいろ潜り抜けた後でしか出せない熟練の深みはある。あるのだけれど。
 ハリーが抱えている闇はもっと深く、もっと暗かったのかもしれない。




1. COME OUT ON THE RUN 
 軽快なリフから始まるオープニング・チューン。キャッチーで覚えやすいメロディだし勢いもあるけど、重厚なリズムがどっしり地に足をつけて、浮わついた感を抑えている。
 少し前だったら高揚感あるサビメロで盛り上げてブーストかけるところだけど、手前で踏みとどまっている。
 求めている音は、そういうんじゃない。そういうことなのだろう。

2. CANCEL
 やや荒ぶったハリーのヴォーカルが印象に残る、こちらもネチッこいギターの音が煽るブルース・ロック。ライトユーザーへの配慮なんてカケラもない。

3. IT'S ALRIGHT BABY
 「多彩なアルバム構成?何それ?」的なワンパターンのブルース・ロック。前曲より、こっちの方が南部っぽさが強い。
 よく言えば様式美を追求した、シンプルなロックンロールではあるけど、単純な原点回帰ではない。キャリアを重ねたことで、デビュー時とはテクニックも解釈の仕方も違っている。
 伝統芸とはいえ、保守的ではない。単なるルーティンでは出せない音の厚みと重さは、ベテランならではの味。

4. FRIENDS
 ここでちょっとペースダウン。テンポゆるめでしっとりした、でもちゃんとロックンロールとして成立しているナンバー。
 切ないしっとり感は「ありったけのコイン」っぽい得意のアプローチだけど、ここではもっとカラッとした無常感、「歌はただの歌」という刹那さに満ちている。一時、ハリーの描く歌詞が深読みされたり意味性を深掘りする風潮があったのだけど、そういうめんどくさい外部の雑音を一笑に付してしまう潔さが、全編に流れている。 

5. LOVE YOU DARLIN'
 「レゲエ・ビートを取り入れたロック」じゃなくて、ロックバンドがプレイするルーツ・レゲエ。空虚でありながら重いリズムは、異様な存在感を放っている。
 日本のアーティストがレゲエにアプローチする際、大方はゆるく享楽的なビートにフォーカスする場合が多いのだけど、彼らの場合、当然だけどそんな陽キャな側面は見られない。通常セオリーである8ビートやファンクではなく、質感の違うリズムを選んだ必然が見えてくる。

6. THE LONGEST NIGHT
 ほぼ3コードで押し通した、シンプル極まりないロックンロール。ほんと愛想はないけど、この時期の彼らの本質に最も肉薄している。
 解釈のしようがないベタな歌詞や凝った捻りのない演奏など、結局、ハリーが志向していたのは、こういったサウンドだったんじゃなかろうか。偉大なるワンパターンを繰り返すことで、幅より深みを目指す。
 ひたすら愚直に基本パターンを繰り返す演奏。その円環の果てには、理想のサウンドが見えてくるのかもしれない。

7. ROCKN'ROLL SISTER
 そんなトラディショナルなルーツロックの深みに足を踏み入れながらも、現世との橋渡し的な役割を担っていたのが蘭丸だった。積極的に新たなアプローチをバンドに持ち込み、スライダーズがカビの生えたブルースもどきバンドに陥らなかったのは、明らかに彼の功績である。
 あるのだけれど、でも正直、彼のヴォーカル・ナンバーは…。歯切れ悪い物言いになってしまうけど、まぁそういうことだ。ハリーのちょっとひと息タイム的に、アルバム・ライブで一曲程度なら、まぁ。っていうところ。これ以上、言わせるなよ。

8. 安物ワイン 
 このアルバムの中ではメロディも明確で、『Bad Influence』あたりに入っていても違和感ないキャッチーなナンバー。歌詞は深読みしようがないくらい不器用な男のラブストーリーだけど、サウンドの素っ気なさと合わせるなら、このくらいベタでいい。
 無理やりシングル切ったら、そこそこ好評だったんじゃないかと思うのだけど、もうシングル・リリースなんて興味なかったんだろうな、この時期。ジャケット撮影したりPV作ったりで時間取られるより、ライブがしたい。そんな心境だったのだろう。

9. PANORAMA
 ラス前にフッと力を抜いたロッカバラード。おおよそスライダーズ、以前はサイケやファンク・テイストの楽曲があったり、辛うじて「多彩」と形容できる瞬間もあったのだけど、もうこの辺からはロックンロールとバラードの2本立てしかない。
 朗々としたヴォーカルとカラッとしたリズム、無骨だけど憂いのあるギター。たったそれだけだけど、これらが合わさると…、やっぱモノクローム。彩りを求める人たちじゃないけど。

10. DON'T WAIT TOO LONG
 ラストはちょっと趣が違って、このアルバムの中ではポップ寄り。ギターの音も心なしか浮遊感あるし、リズムも軽やか。
 この時代においても、決して新しい音ではなかった。ユーミン・バブルやバンドブームが華やかだった反面、こういったアウト・オブ・デイトな音楽にも、確実な需要があった。
 ヒット曲を否定する気はないけど、こういう音もないと、風通しが悪くなる。





甲斐バンド 『シークレット・ギグ』


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  最初の解散から3年後にリリースされた、甲斐バンド6枚目のライブ・アルバム。すでに解散していたとはいえ、ネームバリューはまだ充分あったはずだけど、オリコン最高31位と地味目のセールスに終わっている。
 メンバー4人がそれぞれ制作したミニ・アルバムをまとめたラスト作『REPEAT & FADE』から始まった解散プロジェクトは、当時のミュージシャンのステイタスだった武道館5日連続公演でファイナルを迎え、足掛け12年の歴史に終止符を打った。打ったのだけど、その2日後、マスコミや業界関係者、応募総数24万通の中から選ばれた幸運なファンら1500人を招待して、ごく小規模のライブ・パーティが開催された。
 甲斐バンドとして、“ほんと”の「最後」の『最後』となった演奏を収録したのが、この『シークレット・ギグ』。その後、事あるごとに何度も再結成するとは夢にも思ってなかった俺は、その貴重な音源を何度も繰り返し聴き込んだのだった。まだウブだったんだよな、当時の俺。
 会場となった黒澤フィルムスタジオは、名称から察しがつくように、主に映画やTVドラマの収録に使用されており、コンサート会場として使われた例はなかった。調べてみると、この少し後にユニコーンがPV収録しているのだけど、それ以外の使用例は見当たらない。
 大掛かりな舞台装置と緻密に構成されたアンサンブルを柱とした、大規模ステージでの甲斐バンドは、最後の武道館で終止符を打った。前を向いて突っ走り、決して後ろを振り向かなかったバンドのフィナーレとして、最後にたった一度だけ、原点を振り返るー。
 バンドの原点をテーマとして据えるなら、本来は最初にステージに立った福岡のライブハウス「照和」を会場とするべきだったのだけど、すでに時代の役割を終えて閉店していた。いわばその代替案として候補のひとつに挙がっていたのが、都内からアクセスしやすい黒澤フィルムスタジオだった。
 ちなみにこの「照和」、78年に一旦閉店してから91年に営業を再開している。その後、(多分) 再再再結成(くらい)した甲斐バンドは2010年、デビュー35周年を記念して、3日間5回のライブステージを敢行している。彼ら的にも「収まり悪い」って感じてたんだろうな、長らく。

 確かに「きれいなバンド・ストーリー」としてまとめるなら、「照和」をラストに持ってくるのが正解なのだけど、当時の彼らの勢いからして、正味60席程度のライブ喫茶を会場に選ぶのは現実的ではない。東京から遠いし狭いし、いくら盛ったって音響クオリティは望むべくもないし。
 いわば「照和」の代替案としてスタートしたのが、黒澤フィルムスタジオ・プランだった。その後も類例を見ない立食パーティ形式も、言っちゃえば後付けだけど、結果的には良い方向へ作用した。
 普段とは勝手が違う会場の仕様、客席もステージも全員フォーマル・スタイルという異質のライブ空間を演出・記録するためには、映像撮影スタジオは当時の最適解だったのでは、といまにして思う。もし「照和」で撮影できていたとしても、当時の機材・技術スペックでは、ざっくりした記録用以上のクオリティには仕上がらなかったろうし。
 もともと映像前提の企画だったにもかかわらず、ちょっと忘れかけた頃にこの音源が先に出たきり、長らく映像が発表されることはなかった。解散プロジェクトの記録映画として制作された『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』でその一部が収録されていたため、いつか完全版がリリースされることが待望されていた。
 2008年のDVD『DIRTY WORK』にて拡大版が収録されはしたけど、完全版ではない上、他ライブ映像との抱き合わせだった。なんでこんなはしょった形で、しかもお得な詰め合わせ形式でリリースしてしまったのか。
 ぶっちゃけた話、「どうせコアなファンしか買わねぇんだから、完全版で単体リリースした方がよかったんじゃね?」とボヤきたくなってしまう。安直な企画盤乱発するくらいなら、映像アーカイブ整理しとこうよ。そっちの方が需要多いはずだし。
 なぜ、20年の長きに渡って、映像素材が手つかずのままだったのか。あくまで推測だけど、もっと早い段階で何らかの形、タイミング的には解散から1年後あたりで、映画orテレビでの映像公開→ビデオ発売という素案があったんじゃないか、と。
 ゲストの権利関係や、メンバーのスケジュール調整が進まなかったりその他もろもろで、映像プロジェクトが進まなかったんじゃないか、という仮説。そんなこんなで3年引っ張ったけど見通し立たなかったため、比較的軽微な作業で進められる音源リリースをもって、フェードアウトしちゃったんじゃないか、と。
 もうひとつの可能性として、前述『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』を予告編として、CD/ビデオ同時発売もアリだったんじゃね?というのも。83年リリースのライブ『Big Gig』が同様の販売形態だったため、前例がなかったわけではない。
 ちなみにこの『Big Gig』、現在の東京都庁建設前空き地で行なわれ、TVとFMでも特番が組まれている。しかもそのメディア素材すべてがミックス違いという、過剰に力入れ過ぎた企画なのだけど、そんな意気込みがお茶の間やライトユーザーには届かなかった。そりゃそうだよな。
 そんな『Big Gig』の前例が逆に仇となって、同時発売に二の足踏んじゃったのかもしれない。

 黒澤フィルムスタジオ収録から間もなく、最後の武道館ライブを収録した『Party』がリリースされた。6/29ライブ終了→7/31発売だから、入念な前準備があったにしても、相当の突貫作業があったと予想される。
 感動の余韻冷めやらぬうちに、怒涛の人海戦術で『Party』は店頭に並べられ、オリコン最高4位と、スタジオ作品と遜色ないセールスを記録した。LPとシングルEPの袋詰めだけでも充分な手間なのに加え、特製ギターピックを表ジャケットに1枚1枚貼り付ける作業は、パン工場のライン作業にも匹敵する苦行だったことだろう。
 その後も『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』の編集やら何やら、細かな付随作業はあったのだけど、それと並行して甲斐よしひろがソロ活動準備に入ってしまう。バンド末期からすでに「ポスト甲斐バンド」的なサウンド・アプローチに傾いていた彼にとって、目線の先はもうずっと先にあった。
 潔いほど前向きだったゆえ、過去の栄光を懐かしむ言葉を放つには、まだ早すぎた。幕は下りてしまったけど、ノスタルジーと言い切るには、まだ生々しかったー。
 それから時を経て、1989年。甲斐をはじめ、他メンバーのソロ活動も順調だった頃に『シークレット・ギグ』はリリースされた。
 一応リリースはされたけど、メンバー誰も積極的ではなく、目立ったプロモーションは行なわれなかった。フロントマンである甲斐が取材を受けていたかもしれないけど、そんな前のめりではなかったはず。
 無理にこじつければデビュー15周年と言い切ることもできたかもしれないけど、それもちょっと強引過ぎた。要するに、エラい中途半端なタイミング。
 ゲストを招いてのデュエットもあるし、カメラ配置や照明プランの兼ね合いもあって、まったくのノープランだったとは思えないけど、ある程度融通のきく、フワッとしたセットリストに基づいて、ライブは進められた。往年のナイトクラブの再現を狙ったシチュエーションでありながら、カバー曲やゲストとのデュエットも織り交ぜたりして、彼らにしては肩の力が抜けたラフなムードが伝わってくる。
 とはいえ冗長なインプロやMCがあるわけでもなく、どの曲もきっちりした事前リハの上、吟味された構成で演奏されている。その辺は妥協しないし、アドリブかますタイプじゃないんだよな、このバンド。
 このライブに限った話ではないけど、NY3部作以降の楽曲はレコード音源と大差ないため、意外性はそんなにない。まだライブ優先だった初期と違い、末期はレコーディングで練られたアンサンブルの再現となっていたため、ライブ用リアレンジの余地が少なくなっていたせいもある。
 70年代ロック/フォークの定番であるニール・ヤングはまだ予想の範囲として、一貫してストーンズ派とされていた裏をかいてのビートルズ、接点が見えずまったくノーマークだった柳ジョージ&レイニーウッドなど、カバーの人選も多岐に渡っている。「Helpless」はともかく、「Two of Us」のカバーは古今東西かなりレアだし、そういう意味においても範囲は広い。
 オリジナルのアレンジがシンプルだった初〜中期の楽曲の方が、解釈のスキルが上がったこと、単純に演奏回数が多かったことでヴァージョン・アップしていたりして、聴きどころは多い。後期楽曲も打ち込み主体の楽曲ではなく、バンド・アレンジと相性の良い「キラー・ストリート」を選ぶあたりは、ライブのコンセプトとを考慮したはず。
 多くのサポート・ミュージシャンに支えられているとはいえ、ライブバンドとしてのポテンシャルが落ちていたわけではない。単純な洋楽コピーを超えて、まだ日本には根づいていなかった「ハードボイルド」という視点コンセプトを加えたことで、バンドのオリジナリティは強靭さを増していった。そのドライな質感をサウンドで表現するためには、相応のテクニックを有する職人の才覚が必要だったわけで。
 この時点での甲斐バンドは、緻密なスタジオワーク/肉感的なライブ・パフォーマンスとも、高い水準に達していた。「キャリアのピークで潔く散る」という選択肢以外に、2、3年ほど活動休止してリフレッシュの上、再結集するのもアリだったんじゃなかろうか。
 まぁ当時のスタッフも、そんなプランで踏みとどまらせようとしたのだろうし、頑なに首を縦に降らなかった甲斐の覚悟も想像できる。「その先」を見て聴いてみたかった気はするけど。
 なので、このアルバムも『Party』同様、あまりブランクを置かずにリリースしていれば、また評価も変わっていたのでは、と勝手に思う。まぁ年内だったら『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』とかぶるし、そこを外したとしても、年明けてすぐに甲斐のソロデビューが控えているし、そんなこんなでタイミングを逸した末、3年後となったわけだけど、微妙な今さら感は否めない。
 『シークレット・ギグ』がリリースされた89年、ロック/ポップスのバリエーションが一巡した海外では、やたら枚数の多いボックス・セットや未発表ライブの発掘など、アーカイブ・ビジネスが確立しつつあった。対して、歴史もリスナー層もまだ充分育っていなかった日本では、まだ時期尚早だったし、ノウハウを持つ者もいなかった。現在進行形で消費する/させることで、いっぱいいっぱいだったし。あ、1人いたわ、大滝詠一。
 3年なんて中途半端じゃなく、頃合い見て10年くらい経ってからの方が、その後の扱いも違ってたんじゃないだろうか。今後再発するんだったら、やっぱCD/Blu-rayのセット売りしかないな。もちろん完全版で。




1. キラー・ストリート
 実質的に甲斐バンド最後のアルバム『Love Minus Zero』収録曲からスタート。実際のライブでもオープニングナンバーとなっている。
 前述したように、ほぼCD音源と同じアレンジ・構成なので、そんなに意外性はない。ただ、この時期の日本のメジャーなロックバンドで、ファンク・テイストを盛り込みながら、こういった洗練されたスタイルのサウンドは、唯一無二だったんじゃないか、と思う。
 土着的なスワンプか、クラプトン・リスペクトなブルースの二択しかなかったファンク+ロックから一皮むけた、甲斐言うところのハードボイルド・ロックの完成形。ひとつの到達点というべきサウンドなので、再構築するには時間が足りなかった。

2. SLEEPY CITY
 『Gold』に収録されていた、ちょっとマイルドなストーンズタイプのロックチューン。全体的にポップ路線に傾倒した時期の作品なので、ディスコグラフィーの中ではやや地味めの扱いだけど、コンテンポラリー=王道を志向していると言う視点で見ると、バラエティ感もあって飽きないアルバムでもある。
 おそらく極力『Party』とかぶらないように選曲されているんだろうけど、ライブではやっぱ地味なんだよな、この曲に限らずだけど。

3. 東京の冷たい壁にもたれて
 実質的なデビュー・アルバム『英雄と悪漢』収録、初期の人気ナンバー。初めて聴いた時は気づかなかったけど、イントロがゾンビーズ「ふたりのシーズン」そっくりだな。歳を経るごとに気づくことって多い。
 一夜のアバンチュールを真に受けた、未練タラタラな男は、まだ都会に馴染めず虚ろな表情を隠しきれなかった。それから12年を経て、強靭な精神と肉体を獲得した男の声から、曖昧な響きは聴こえない。
 人はそれを、成熟と呼ぶ。

4. ジャンキーズ・ロックン・ロール
 ホンキートンク・スタイルで泥臭い、タイトル通りの直球ロックンロール。下世話一歩手前で踏みとどまるアンサンブルは、初期エアロスミスを彷彿させる。
 ライブで盛り上げやすく遊びも入れやすい、いろいろと便利なチューンではあるけど、ライブのメインとするには、クセが足りない。こういったサウンドを突き詰めてゆく方向性もあるにはあったけど、彼らが目指していたのはそこじゃなかった。

5. HELPLESS
 海外ではディランと肩を並べる知名度・ポジションであるにもかかわらず、日本ではイマイチ知られていない、そんなニール・ヤングの代表曲を弾き語りスタイルでカバー。アレンジが「天国の扉」っぽいけど、こういう曲って、どうしてもこんな感じに落ち着いてしまうのはやむを得ない。
 アルバムのプロモーション・ツアーという性質上、これまでのライブは持ち歌中心だったけど、いわばアンオフィシャルな場であるがゆえ、ここではプライベートな顔で好きな歌を披露している。冒険するシーンは当然ないけど、演奏はきっちり仕上がっている。

6. 港からやって来た女
 このライブのハイライトであり、いまだベスト・バウトと語り継がれている、「今夜最高のクイーン」中島みゆきが登場。薄手のパーティドレスに真紅のローヒールで颯爽と登場、クリスタルのエレキギターをかき鳴らしながら、堂々としたヴォーカルを聴かせている。
 このみゆきのテイクについてはさんざん語り尽くされているので、今さらつけ加えることもないけど、敢えて言うならアレンジのボトムアップ感が飛び抜けている。全般的に音圧薄めだった初出スタジオ音源に比べ、気迫のこもった演奏ぶり。
 冷静に考えれば現実感希薄な世界観にリアリティを与えるには、やはりアタック強めの音の壁が必須だった、ということか。っていうか、これくらいじゃないとみゆきには勝てないし。

7. 青い瞳のステラ、1962年 夏
 おそらく観客の多くが「こんな曲あったっけ?」と、少し戸惑ってしまったと思われる、柳ジョージ&レイニーウッドのカバー。1980年にリリースされたシングルだけど、それほどヒットしたわけでもなく、俺も知らなかった。カバー曲のみのソロアルバム「翼あるもの」でもそうだったように、甲斐は隠れ名曲を察知する能力がおそろしく高い。
 カバーの方を先に聴いてるため、ちょっとひいき目になってしまうけど、ハスキーな声質で雰囲気あるけどやや押し弱めなオリジナルより、ザラっとした質感を持つ甲斐のヴォーカルに引き寄せられてしまう。真摯なロックバンドの終焉を飾る、ひと息抜いた一コマとして、アレンジも演奏もヴォーカルも申し分ないんだけど、シティポップ的な軽やかさは、オリジナルが優っている。

8. ランデヴー
 『破れたハートを売り物に』に収録されたロックチューン。一聴すると普通のロックサウンドで、演奏もオーソドックスなんだけど、メロディの譜割りが独特で、ちょっと引き込まれてしまう。
 この時代あたりから歌謡ロック・テイストが薄くなり、キャッチーで覚えやすいメロディラインは後退してゆく。そんな曲調の変化を促したのが、ハードボイルドを志向した、ドライで現実味の薄い歌詞世界。
 まだステレオタイプな書き割り感がにじみ出てはいるけど、これ以降、カタカナ多用のフェイクさは薄れ、逆に起承転結がはっきりしたストーリー性が前に出てくるようになる。「カンナの花の香り甘く漂い」と歌い出す日本語のロックは、新たな切り口だった。

9. TWO OF US
 最後に選んだカバー曲は、ストーンズじゃなくてビートルズだったのは、意外っちゃ意外。ロックの危うく儚い側面を体現するため、わかりやすいストーンズをモデルケースとしていたのだけど、キャラが認知されて以降は、あまり言わなくなった。
 ロックバンド的なアプローチとしては、ポール・マッカートニーよりジョン・レノン楽曲を聴きたかった気もするけど、多分、やりやすかったのかね。全国ツアー〜武道館ファイナルと来て、そんなに音合わせする時間もなさそうだったし。
 なので、選曲的には意外なところついてるけど、演奏プレイは比較的完コピに近い。

10. 悪いうわさ
 オリジナルは3枚目『ガラスの動物園』なので、1976年のリリース。ほぼミック・テイラー期ストーンズのパクリみたいな演奏と歌謡ロックなメロディが貧相に感じられるオリジナルから10年後、音圧も演奏力も、そして甲斐のヴォーカルも段違いにレベルが上がっている。
 同郷の先輩バンド:チューリップとの差別化を明確にするため、ストーンズのダーティなスタイル取り込みに加え、サウンドもまたロック色の濃いアプローチとして、オリジナルはなんと8分調。ギターソロもなかなかの長尺で、その奮闘ぶりは伝わってはくるのだけど、とにかくリズム・セクションを小さく絞ったミックスがたたって、楽曲の良さがスポイルされている。
 ここでのヴァージョンはギター・パートもタイトに的確に絞られ、もちろん音圧も充分。ソロ・パートをどうにか埋めるため、苦心惨憺の結果だったギター・プレイも、リラックスかつ引き出しが多くなっている。

11. 25時の追跡
 ある意味、ラスト・アルバム『REPEAT & FADE』のメイントラックである、ギター大森によるインスト・チューン。実際のライブではもう少し前に演奏されているのだけど、CDではラス前に移動されている。
 アルバム構成的に、ラスト曲のインタールードに適しているため、ベストな編集だったんじゃないかと思う。当時、常夏リゾートの象徴だった高中正義とは対照的に、タイトル通り、人気の少ない深夜のハイウェイを想起させる硬質な響きは、バンドの影の部分を具現化していた。
 ちなみに後年、甲斐が歌詞を後付けしてヴォーカルを入れているのだけど、逆にその雄弁さが暗闇を薄れさせている。影を形容するのに、多くの言葉は必要ないのだ。

12. 破れたハートを売り物に
 実際のライブでも、これがラスト。メンバー全員楽器を持たず一列に並び、ユニゾン・コーラスで歌い切って幕を閉じる。
 テープ演奏が続く中、1人また1人、手を振りながらステージを降りてゆく演出は、潔さを信条とした彼らにとってふさわしかった。変にウェットなメッセージを残すこともなく、いつもと変わらぬテンションでステージに立ち、そして、散る。
 最後であるはずなのに、『Hero』も『安奈』もない。でも、確実にファンのニーズを捉えている。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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