好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

これもひとつのハッピー・エンド - 高橋幸宏 『Life Time, Happy Time 幸福の調子』

folder 1992年のYMO再生プロジェクトは、あの伝説となった記者会見でひとつのピークを迎え、その後、緩やかな下降線をたどっていった。間もなくリリースされたアルバム『テクノドン』はそれなりのセールスを上げはしたけど、一般的に強く印象に残っているのは、豪奢な棺に収められた姿であり、やる気があるのかないのか微妙なリアクションの「モジモジくん」のコントだった。なので、当時の音楽シーンに多大な影響を与えた感は、まったくなかった。
 業界総出で盛り上げられた、そりゃもう空前の前評判に煽られて、一応、即買いしたはいいけど、なんかピンと来なくて2、3回聴いただけで、速攻売り払ってしまった『テクノドン』。近年になってアナログ再発されたこともあって、再評価の機運を盛り上げるムードが高まりつつあって―、と途中まで書いてみたけど、いやないな。
 CDバブル華やかなりし90年代までと違って、音楽メディアや業界が扇動しても、マーケットはそれほど簡単に動かなくなった。YMOの評価や歴史的位置づけが、そこそこ固まってしまった現在、「往年のファンに向けての高額ノベルティ」といったエクスキューズ以外、ニーズはそんなにないんじゃないかと思われる。
 かつて創造したテクノ・ポップというイディオムを引き継がず、果敢に現在進行形のテクノを取り込んでいたのは、強い攻めの姿勢のあらわれだと思っていたのだけど、その後の各メンバーの発言やコメントからすると、どうもそんな感じでもないっぽい。彼らが自発的に、抑えきれぬ表現衝動に突き動かされて発動したプロジェクトではなかったこともあって、消化不良と妥協と齟齬の積み重ねが、全体に暗い影を落としている。
 3人が3人とも、プレイヤーとしてコンポーザーとして、それぞれピンで成立しちゃっているので、フワッとしたお題がひとつあれば、チャチャッと1トラック仕上げてしまうのは、お茶の子さいさいである。極端な話、ザックリしたアイディアやフレーズをメンバーに伝え、あとはスタジオでいじくり回せば、それなりに形になってしまう。出来はどうであれ。
 YMOというユニットは、カッチリした民主制でもなければ、絶対的カリスマによる独裁制でもない。一応、年長者であり、言い出しっぺでもある細野さんがリーダーではあるけれど、音楽的なイニシアチブを完全掌握しているわけでもない。
 「細野さん」≠「教授」という、微妙に位相のズレたカリスマ2人の緩衝役として、「両者のパワー・バランス調整に神経をすり減らし、それでいて案外、そんな役回りが性に合っている幸宏」という相関関係が奇跡的に釣り合っていたのが、散開前までのYMOだったと言える。そんな張りつめたテンションの緩急具合は、時に『テクノデリック』、時に「トリオ・ザ・テクノ」といった風に、大きな振り幅を描いていた。
 ただ、そんな緊張緩和が永続的に続くはずもない。細くしなやかな糸も、次第に擦り減ってゆく。
 無理やり結び直したとしても、かつてのしなやかさを取り戻すことはない。そう考えると、再生YMOに大きな「バッテン」がついたのも、納得がゆく。

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 それなりのキャリアや実績を築いたバンドが解散すると、1人くらいはソロ活動がうまく行かなかったり、表舞台から消えたりするものだけど、YMOはその轍を踏まなかった稀有な例である。セールス的に大きな成果を上げることはなかったけれど、3人とも新レーベルを立ち上げたり海外アーティストとのコラボがあったりで、クリエイティブ面ではむしろYMO時代よりアクティブだった。
 3人が3人とも、「元YMO」という肩書きを振りかざすこともなければ、真っ向から否定することもなかったけれど、それまで築いた過去の業績は、未来のキャリア形成において、確実に有利に働いた。客観的に見て、新たなプロジェクトやレコード会社の移籍話ひとつ取っても、「元YMO」というブランドは、3人にとって都合の良い方向に作用したことは明らかである。下世話な話、企画書に彼らの名前があると、予算は確実に一桁違ってくる。
 散開後、真っ先に行動を起こしたのが教授だった。ていうか、もともとバンド活動に理想を求めないノマド体質だったからして、逆にYMOで5年も続いたこと自体、奇跡だった。
 映画『ラスト・エンペラー』サントラでアカデミー賞ゲット後、名実ともに「世界のサカモト」となり、現代音楽からハウスまで、はたまたイギー・ポップからユッスー・ンドゥールまで、興味が湧けば手当たり次第、あらゆる音楽性を貪り、未知の音楽への経験値を上げていった。
 細野さんは細野さんで、『銀河鉄道の夜』のサントラや、松田聖子・中森明菜への楽曲提供といった、比較的コンテンポラリーな路線と並行して、「ノン・スタンダード」と「モナド」2つの新レーベルを立ち上げ、若手アーティストの育成やプライベートな色彩の作品を発表していた。ゼビウスの音源をベースとしたメタ=テクノ・ポップ的なアルバム・リリースの傍ら、「セックス・マシーン」のカバーでJBと共演したり、実は3人の中で最も振り幅の大きい活動をしていたのが、細野さんである。
 2人ともザックリ要約しちゃったけど、深く知りたい人は自分で調べてね。細かく拾ってくと、めちゃめちゃ長文になるし、ていうか、本題とは大きくズレる。

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 で、幸宏。
 良い言い方で天衣無縫、悪く言っちゃえば傲慢この上ない2人のカリスマの板挟みに合って、文字通り、身も心もすり減らしたのが彼だった。橋渡し役と言えば聞こえはいいけど、体のいいサンドバッグみたいなもので、5年に渡るジャブの応酬は、確実に彼の精神を蝕んだ。
 基本、控えめで自分の意見をゴリ押しせず、なんとなく気心の知れたメンツを中心に、ほどほどの距離感を保つのが、いわば彼の処世術だった。これは何も幸宏だけではなく、当時の東京人の特性と共通する。
 身ひとつで田舎から上京してきた地方出身者と違い、都内が実家なら、そんなに生活の心配もいらない。ていうか、都内が実家で学生時代からバンド活動ができるというのは、つまりはそういうことである。
 楽器が買えて大きな音で演奏できる環境は、中高校生が努力して得られるものではない。医者や経営者、または大地主の子息による、同じ趣味を持った緩やかなコミュニティからの派生で、日本のミュージック・シーンの一面は形成されていった。
 カリスマティックなコンポーザー:加藤和彦が多くを仕切っていたミカ・バンド時代の幸宏は、いわばバンドの1ピースに過ぎなかった。強く進言することもなく、与えられた役割をきっちりこなす。
 バンドと違うコンセプトでやりたいのなら、ソロでやればいい。自分から事を荒立てるのは好きじゃないし、意見をゴリ押しするのは、ちょっと気恥ずかしい。
 そんなゆるく穏やかな東京人が集うコミュニティにも、異彩を放つ者がいないわけではない。ちょっと違う感性・違う見方をする者は、時に孤立し、時に同好の士として意気投合したりする。
 そんなカリスマを2人も抱えていたのが、YMOだった。当時から何を考えているのかわからないけど、先見の明はズバ抜けていた、ミステリアスな細野さんと、同じく何を考えているのかわからないけど、理屈っぽくてエゴの強い教授。
 当時から洒脱なセンスと育ちの良さが際立っていた幸宏もまた、一般人の視点からすれば、充分カリスマティックではあるのだけれど、この2人に比べれば、キャラの強さはちょっと落ちる。ていうか、一歩引いちゃうんだよな。
 周辺スタッフからすれば、最も聞き分け良さそうな幸宏に進言することが多くなり、バンドの調整弁とならざるを得ない。四方八方丸く収めなくちゃ、という気持ちが先立ってしまい、自分のことは後回しになってしまう。
 あくせくせず、飄々とした表情の裏は、常に泣き顔だった。YMOで得たポジションや収益の代償は、それなりに高くついたという事なのだろう。
 YMOから解放されてからは心機一転、テント・レーベルを立ち上げたり映画で主演したみたり、あれこれ手を尽くしたけど、どれも消化不良気味で終わっている。密度の濃い5年間をリセットするには、やはり同程度の歳月が必要だったのだ。

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 EMI移籍第1弾としてリリースされた『Ego』にて、それまでの膿をある程度出し切ることに成功し、幸宏はのちに「恋愛3部作」と称されるコンテンポラリー寄りの作品群に着手することになる。
 神経症が完治したわけではない。ただ、病との向き合い方、無理せず長く付き合ってゆく心づもりを体得した、という事なのだろう。大きな意味で、人はそれを「大人になった」と呼ぶ。
 鬱屈した想いを主観で吐露するのではなく、客観で語る。大局的な視点とは、突き詰めれば神同然になってしまうけど、そこまで大袈裟なものではない。
 もっと地に足のついた、古典的なストーリーを軸とした、傷つき、疲れ切った大人の男を主人公としたメタ・フィクション。ハッピー・エンドで終わるとは限らない、迷走なら迷走のまま、なんとなく終着点の見えてしまったコスモポリタンへ向けた自虐、そして、ささやかなエール。
 ごく普通のラブ・ストーリーのフォーマットを用いながら、きちんと言葉を追うと、聴いた後にほのかな苦味が残る。陳腐な言葉と物語でお茶を濁さず、それでいて広範な大衆性を意識できる存在として、EMIにとって高橋幸宏は理想の素材だったと言える。
 恋愛3部作は玉置浩二をロール・モデルとしており、意識してそっち方面へ寄せるよう心がけていた、という発言が残っている。そこに加えて、徳永英明や小田和正のエッセンスも入れたんじゃないかと思われる。
 要は都会的センスを持ち合わせた男性アーティスト全般、東京または地方中核都市で、仕事にプライベートに充実した、または充実させたいと願っているホワイト・カラーをターゲットにしたマーケティング戦略に則っている。

 で、何を言いたいのかというと、この時期の幸宏もまた、ポスト・ユーミン戦略の一環だったんじゃないか、と。EMIに限らず、当時のレコード会社はユーミンの対抗馬作りを模索していた。
 岡村孝子はそこそこ成長株だったはずなのだけど、絶対神:ユーミンの前では屈せざるを得なかった。杏里や今井美樹も、作品クオリティ的には健闘したのだけど、初回出荷でミリオン叩き出しちゃう力技に対抗できる術を持たなかった。
 難攻不落のユーミン一強体制に一矢でも報いるため、各メーカーはあらゆる手段を講じていた。真っ向勝負で新進女性アーティストをぶつけるのと並行して、同傾向の男性アーティストもまた、それまでのキャリアとはちょっぴり意匠を変えて、ポスト・ユーミンとしてコーディネートされた。
 リスクマネジメントの視点で言えば、この戦略はそのままEMIにも当てはまってくる。ユーミン無双が「永続的なものではない」と仮定すると、やはりポスト・ユーミンの存在は必要となってくるし、むしろその可能性は高くなる。
 EMI内におけるポスト・ユーミン戦略の中で、大人目線から恋愛教を語れる男性アーティストとなると、確かに幸宏が適任だったと思われる。当時の所属アーティスト・ラインナップを振り返ってみると、元BOOWY2名とYAZAWA、あとはRCと、ロック勢が多くを占め、ポップス系でセールスを見込めそうな者が、いそうで案外いなかった。
 単発のプロジェクトでは世間への浸透力が薄いため、コンスタントに3枚続けて同コンセプトのアルバムを制作したのも、そう考えれば納得がゆく。もともとセンチメンタリズムを持ち合わせていた人なので、その部分をクローズアップして大衆向けにコーディネートした、というのが正確な言い方だけど。

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 大人の「痛い恋愛」路線も軌道に乗り、そこそこタイアップも取れてセールス的にも安定した、とされているのが、この時期の幸宏である。EMIが目論んでいたほどのビッグ・セールスには及ばなかったけど、変に気負わず無理をせず、都会を生きるホワイト・カラーを対象とした戦略は、幸宏自身のメンタル・ケアにも幾分か作用した。
 鬱の人に「ガンバレ」と声をかけるのが逆効果であるように、幸宏もまた、声高に励ましたり、背中を押すわけではない。時にネガティブに呟きながら、「ダメだなぁ僕」と肩を落とす。
 共感を押しつけたりはしないけど、その姿・スタイル・生き方は、思わぬところから共感を呼ぶ。癒し成分の多い幸宏の声質は、そういう意味ではかなり得をしている。
 ―時々、すべてを投げ出して、リセットしたい衝動に駆られる。でも、そこへ一歩踏み出す勇気なんてない。今の自分の置かれた環境・ポジションに折り合いをつけて、どうにか1日を乗り切って行くしかないのだ。
 あまり展望の見えぬ生き方ではあるけれど、でも後ろ向きではない。そこに踏みとどまっているうちは、まだ後退ではないのだ。





1. 元気ならうれしいね
 アルバム発売前に先行リリースされたリード・シングル。クノール・カップスープCMとのタイアップが話題となって、オリコン最高82位。あれ、思ってたより全然低いな。ただ、1992年当時のシングル・セールスは、10位までがミリオン超えなので、そう考えると決して低い数字ではない。まぁEMIの皮算用は大きくはずれちゃったけど。
 なので、幸宏のことを詳しく知らなくても、聴いたことある人は案外多いんじゃないかと思われる。当時の牧瀬里穂が凛々しくて可愛くて、その辺の印象が強い名CMでもあった。
 デジタル臭の薄い、跳ねたリズム・パターンを基調に、オーガニックなアコースティック・テイストでまとめられたサウンドをバックに、緩い脱力感のヴォーカルの幸宏。思えば、この辺から再生YMO関連で周囲がざわついていた頃だから、こういった肩の力が抜けるセッションは、精神衛生のバランス的にも作用していたんじゃないかと思われる。

 人が言うほど 僕は不幸じゃない
 こんなに君のこと 想えるから

 ホンワカしたメロディに載せて、サラッと重い心情吐露してしまうのが、やはり幸宏の持ち味。つい自己投影してしまうアラサー男子の穏やかな叫びを代弁してしまっている。
 「愛はちょっと 不思議なんだ」で締めるところに、ほんの少しの救いを感じさせる。



2. 男において
 で、この時期の幸宏の代弁者、または「もう一人の幸宏」と言い切っちゃっていい存在だったのが、鈴木慶一。当時、ムーンライダーズもEMI所属であったため、かなり密な間柄だった。
 互いに近づくことによって、互いの精神状態も侵食し合って、特に慶一の言葉は才気走っていた。ズバッと本質をえぐり出すわけじゃないけど、ジワジワ傷口を広げ蝕んでゆく、それでいてクセになってしまう遅効性の刺激は、多くのアラサー男子を悶絶させた。
 ステレオタイプの「男」を演じるため、いろいろ失ってきた。「こうであるべき」なんてのに意味はないのに、体面やしがらみなんかを考えると、「男」であることは楽ではある。
 ただ、そんな自分が時折、とても窮屈で泣き出したくなってくる。もう少し勇気があって、もっと素直になったら、自分自身も、そして、君も好きになれるかもしれない。
 ユーミンなら、同じ主題を流麗な比喩やプロットで飾り立てるけど、慶一はシンプルな言葉に重層的な意味を込める。その辺が最大公約数じゃないんだよな。俺は好きだけど。

3. 素敵な人
 アルバムと同時リリースされた、2枚目のシングル・カット。オリコン最高74位と、あれ、1.よりチャート・アクションいいんだ。ラジオではちょっと流れてたかもしれないけど、タイアップもないので、あまり印象に残っていない。
 ピリッとしたスパイスは効いているけど、おおむねコンテンポラリー・サウンドの枠をはみ出ない、そんな職人:森雪之丞による大人のラブ・ソング。

 夢は風になって 明日は今日になって
 人を好きになって、君は君になった

 慶一が書くと、もう少し陰影がつくのだけど、ちょっと刺激が強すぎる。ある程度のセールを見込むのなら、この程度の文学性が行き渡りやすい。

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4. Follow You Down
 海外ドラマ『Friends』の挿入歌でおなじみ、アメリカのポップ・デュオ:レンブランツのカバー。って書いてみたけど、彼らの存在知らなかったし、しかも海外ドラマちゃんと見たことないしで、俺にとっては未知の存在だった。
 なので、オリジナルをYouTubeで聴いてみたのだけど、ほぼまるっきり同じアレンジだった。アレンジもリズムも特別ひねりがなく、違いといえばヴォーカルくらい。当たり前か。
 なので、純粋に「歌ってみた」かったんだろうな。この人の洋楽カバーは、大抵ストレートなアプローチなので、特段珍しいことではない。
 
5. Good Days、Bad Days
 アルバム・ジャケットのポートレイトにて、玄関の掃き掃除の手を止めて、虚空を見つめる幸宏。そんな彼がつぶやくように、かつ丁寧に言葉を紡ぐ。

 砂の国の争いや 汚れた星を嘆くけど
 僕には 君さえ救えない

 悩み過ぎて拗れすぎて、あらぬ方向まで想いが巡ってしまうけど、大事なことは、いつもすぐそこにあるんだ。ていうか、足元さえおぼつかない者が、どうして世界を、そして愛する女を救うことができる?
 でも、僕には空を見上げ、涙をこぼすことくらいしかできない。情けない男の真骨頂が、ここにある。刺さるよなぁ。

6. Fathers
 亡き父親へのストレートな憧憬と思慕が交差する、まっとうな男のラブ・ソング。酸いも甘いも孤独も葛藤もすべて飲み込んで、常に動ぜず変わらぬ横顔を見せる父の面影。
 こういう歌を正面切って歌えるようになったこと、それはやはり「大人になる」ということなのだろう。

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7. Pursuit Of Happiness
 アルファ時代を思わせる、全篇英語詞のドライな質感だな、と思っていたら、作詞はステーィヴ・ジャンセン。幸宏が声をかけると、すぐ馳せ参じちゃうジャンセン。美しき師弟愛だよな。
 ちなみにこの時期のジャンセン、Japan解散後は、元メンバーとくっついたり離れたりを繰り返していたけど、遂にフロントマンであり、同時に実兄であるデヴィッド・シルヴィアンの説得に成功し、再結成Japan(なんやかや諸般の事情があってRain Tree Crowに名称変更)始動となるのだけど、始まった途端にまたなんやかやあって、アルバム1枚で活動停止、ちょっとへこんでいた頃である。
 それぞれ経緯は違うけど、師匠・弟子とも、近い時期に再結成騒動に巻き込まれていた、というオチ。あそこの兄も、何かとめんどくさそうだもんな。同時期にロバート・フリップともつるんでたし。

8. Happy Children
 何となくスタジオで空き時間ができて、何となく機材いじってたら、面白い音があったんでループさせて、あれこれいじくり回してたら案外出来がよかったんで、ならマンドリンも入れちゃえ、ってな感じで仕上がっちゃった曲。タイトル通り、ゆったり和んでしまうサウンドなので、最適なインタールード。

9. MIS
 はるばる大英帝国から駆け付けたスティーヴ・ジャンセンに対抗意識を燃やしたのかどうかは知らないけど、日本からの門下生代表:高野寛とのコラボ。クラフトワークを意識したこともあって、まんまテクノ・ポップ。
 こじれて屈折した恋愛観が描かれた歌詞は、オーソドックスなラブ・ソングのような歌い方では合わず、強いエフェクトをかけたドライな質感が似合う。皮肉の強い言葉の端々に、ストレスが見え隠れする。

10. しあわせになろうよ
 幸せにするから「ついて来いよ」と言うのではなく、「だから許してよ」と言ってしまうのが、やはり幸宏流。でも、言えるだけまだいい。泣いて時をやり過ごすだけのアラサー男子は、斜に構えず、一歩踏み出すことも大事だよ、と教えてくれた曲。
 もう少し力強さを加えたらヒットするんだろうけど、でもそれじゃ長渕みたいになっちゃうか。

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11. 幸福の調子
 ラストは、アルバムのサブ・タイトルとなったミディアム・バラード。ここまで慶一と森雪之丞に手伝ってもらっていた歌詞も、ここは単独クレジットとなっている。
 アルバム全体に通底したテーマという想いがあったのか、平易な言葉をストレートに、無理に技巧を凝らしたり比喩を織り交ぜたりすることもない、純粋なメッセージ。誰かに押し付けたりすることもなく、無理な共感を得ようともしないけど、でもちょっとは気づいてほしい。
 すごく自分を卑下しているかのような口振りだけど、「そんなことないよ」と言ってあげたい。そしてまた、言ってもらいたい。
 でも、誰でもいいわけじゃない。そんな風に思ってもらいたいのは君なんだ、と。
 いくつになっても、頭ポンポンされたい気持ち。そんなのは、誰だってある。表立って言えないけどね。






80年代の西城秀樹をちゃんと聴ける環境を作ろう。 - 西城秀樹 『FROM TOKYO』

400_400_102400 去年書いた西城秀樹:80年代シティ・ポップ期のアルバム『GENTLE・A MAN』『TWILIGHT MADE …HIDEKI』のレビューが大きくバズり、洋楽関連が多かった俺のTwitterのタイムラインは大きく変化した。レビューに対して、リツイートや「いいね」してくれると、ほぼ無条件でフォロバする主義のため、フォロワーはヒデキのファンがかなりの割合を占めている。
 なので、ほぼ連日、ヒデキのメディア情報に加え、熱いヒデキ愛にあふれた様々なツイートを目にしている。没後2年経っているにもかかわらず、その勢いは衰えることを知らず、ますます盛り上がりを見せている。
 このブログは歌謡曲からジャズ・ファンク、それこそちあきなおみからウェルドン・アーヴィンまで、節操なく幅広いジャンルを取り上げている。なので、様々なジャンルのフォロワーの声を聞く機会も多いのだけど、ヒデキ・フォロワーの熱量は、そんな中でかなり高い。
 「ヒデキLOVE・好き好き」といった他愛もないつぶやきもあれば、どこから引っ張り出してきたのか、古い雑誌のピンナップや記事画像、または古いビデオ動画も盛んにアップされていたり、なかなかの賑わいとなっている。
 過去の情報・マテリアルを丹念に拾い集め、そしてより分ける。時系列でもテーマ別でも、ある種の一貫した基準でまとめ上げることで、散逸した情報は、固有の価値基準として生まれ変わる。
 それはひとつの考現学となり、また商品としての付加価値となる。精力的な活動を続けたヒデキのアーカイブは膨大であるけれど、きちんとした検証作業が行なわれるようになったのは、ほんとつい最近のことである。
 ここ1年の間に、若き日の写真集『HIDEKI FOREVER blue』、1985年のライブBlu-ray 『’85 HIDEKI SPECIAL IN BUDOHKAN -For 50 Songs-』が発売された。判で押したようなヒット曲中心のベストでお茶を濁すのではなく、ヘヴィー・ユーザーを満足させるコンテンツの提供に、やっと本腰を入れるようになったのだろう。
 そういった姿勢は、素直に喜ぶべきことであって。

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 ヒデキにまつわるツイートのほとんどは、様々な出演記録やエピソードに基づく、あふれんばかりのリスペクトが多くを占めている。斜め上からの否定的な意見や、アンチによる荒らしなどは、ほとんど見たことがない。
 これだけ知名度もあって評価も確立されたアーティストゆえ、悪意や揶揄混じりの意見が出てもおかしくはないのだけど、ほんとそういったのは目にしない。これは結構すごいことである。
 多くの夭折したアーティスト同様、ヒデキもまた皮肉なことに、没後から再評価が進んでいる。過去のドラマや映画出演、歌番組のアーカイブが商品化され、異例の売り上げを記録している。きちんとマーケティングすれば利益が出るコンテンツとして、需要は根強いのだろう。
 ただ肝心のところ、メインの活動である音楽面については、いまだ正当な評価が進んでいない。ていうか、評価対象となるアーカイブの整理作業が、あまり進んでいないのが現状だ。
 これが女性アイドルの場合だと、思うにディレクターの熱量や思い入れが強いのか、結構な博覧強記振りのアーカイブ構築が進んでいる。ファンクラブ限定のカセット音源やラジオのCMスポットまで、とにかく録音されたモノはすべてかき集めてボーナス・トラック化するマニアック振りなのだけど、ヒデキにおいては今のところ、そのような動きは見られない。
 煩雑な権利関係や社内事情、テープの保存状態如何にもよるので、レコード会社だけに責任を問うのは、ちょっと早計である。あるのだけれど、でももうちょっと、メディアの方から盛り上げてもよろしいんじゃないかと。

 とはいえ、「ヤング・マン」や「ローラ」や「情熱の嵐」や「走れ正直者」など、パッと聞かれて誰もが即答できるヒット曲が複数あるだけ、ヒデキはまだ恵まれている方である。あるのだけれど、メジャーな楽曲ばかりクローズアップされ、その他がないがしろにされている状況がもどかしいのだ。
 ヒデキに限ったことじゃないのだけど、70年代の歌謡界において、楽曲クオリティが論議されることは、ほぼなかった。「売れた曲」が「いい曲」で、キャッチーで覚えやすいサビを持つのが、「名曲」の条件だった。
 内輪のコミュニティ・レベルでは、ミュージシャン・クレジットへの言及やインスパイアされた洋楽などの分析も行なわれていたのかもしれないけど、外部へ拡散するほどの波及効果はなかった。そもそも、「歌謡曲の批評」という視点、論ずる土壌がなかったのだ。
 賞味期限が短く、早いスパンで消費されていたため、「多くの歌謡曲は、流れ作業で安直に作られている」というのが、近年までの定説だった。シングルこそ、著名なヒット・メイカーにオファーしたり、さらに楽曲コンペで候補を厳選したりはするけど、「B面曲やアルバム収録曲には、そこまで予算も時間もかけなかった」とされていた。まぁ大方は事実。
 歌謡界のセオリーとして、「シングル音源の二次利用」という扱いだったアルバムゆえ、予算も時間も限られていたのは事実だけど、だからといってすべてがすべて、手を抜いて作られていたわけではない。限られた時間の中、「最低限、歌手の声が入っていれば、何をやってもオッケー」という条件を逆手に取って、レコーディング・スタジオは大胆な発想と果敢な実験精神にあふれていた。
 以前も書いたけど、『サージェント・ペパーズ』のぶっ飛んだ解釈が伝説となった大場久美子、有名どころでは、いしだあゆみのブランドを利用して、従来歌謡曲とは別次元のサウンドをねじ込んだティン・パン・アレイなど、ディレクターやスタジオ・ミュージシャンらの暴走による怪作・奇作は、枚挙にいとまがない。
 まさか30年後、菊池桃子/ラ・ムーが海外ディガーのマスト・アイテムになるだなんて、当時は一体、誰が予想したことだろう。

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 80年代のヒデキのシングルで、一般的に知名度が高いのが「ギャランドゥ」、次に「抱きしめてジルバ」といったところだろうか。ちょっと地味なところでは、なぜかスティーヴィー・ワンダーの、なぜか地味曲カバー「愛の園」、当時はオフコース・ファンの間では名曲認定されていた「眠れぬ夜」カバーも追加で。
 80年代に入ってからは、アイドルの世代交代も進んでいたため、ヒデキがチャート上位に食い込める確率は、大幅に減っていた。どの曲もそこそこのスマッシュ・ヒットで終わっており、アイドルとしてのピークは明らかに過ぎていた。
 1983年、所属事務所からの独立以降は、歌手に限定せず、テレビの司会や俳優業の割合が多くなってゆくのだけど、リスクヘッジを考えた経営者目線で言えば、間違った選択ではない。結果的に仕事の幅を広げたことで新たな人脈も生まれ、その後の息の長い活動に結びついている。
 歌番組への露出が減り、芸能界的な仕事が多くなっていた80年代のヒデキ、大きなヒットに恵まれることはなかったけど、それでも音楽活動は地道に続けている。ディスコグラフィーを見ると、独立後初のシングル「ギャランドゥ」以降、ほぼ年2〜4枚のペースでシングルをリリースしている。思ってたより出していたのは、ちょっと意外だった。
 通常、シングル3か月:アルバム半年とされる、アイドルのリリース・ペースに対し、80年代のヒデキのアルバムは年1枚前後だけど、今回調べてみると、全盛期の70年代も年1ペースだった。ここにライブやベスト盤が追加されて、なんだかんだで年3枚程度にはなるのだけど、一貫して年1だったのは、ちょっと驚きだった。
 安易な水増しや量産を潔しとしない、事務所やブレーン、そしてヒデキ本人の強いこだわりだったのだろう。

 上質な和製AORサウンドで彩られた前作『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、元来洋楽志向が強かったヒデキの音楽センスが、強く反映された力作となった。なったのだけど、歌謡曲のサウンドとしては垢抜け過ぎ、選民的なジャパニーズ・ロック/ポップスのメディアからは徹底的に無視され、セールスも反響も芳しいものではなかった。
 「歌謡曲のアルバム」というエクスキューズ抜きで評価してもらうため、「西城秀樹ブランド」を前面に出さないプロモーション戦略を取ったにもかかわらず、当時の音楽メディアは意固地で排他的で性格がねじ曲がっていた。従来の固定ファンは無条件で受け入れたけど、ライト・ユーザーにまで波及するほどの勢いはなかった。
 ただ、ヒデキが描く「アイドル以降の大人の歌」というビジョンは、確実に具現化されており、製作現場やレコード会社の反応は良かった。クオリティ的にある程度の成果を残したこともあって、コンセプトは引き継がれ、次作『FROM TOKYO』へ発展する。
 アーバンでトレンディな80年代中盤の東京の空気感を表現するため、ヒデキが選択したのは、リズムを主体としたダンス・チューン中心のサウンド・プロダクトだった。当時、一時的なセミ・リタイア状態で、もっぱら裏方に徹していた吉田美奈子を前作に続いて起用したこともあって、ブラック・コンテンポラリー/R&Bへの接近が著しい。
 一般的にヒデキのパフォーマンス・スタイルといえば、ロッド・スチュワートやミック・ジャガーをモチーフとした、ロックのイメージが強い。強烈なエモーションを含んだ、リミッターを外したシャウトが、ステレオタイプの「西城秀樹」として広く認識されている。
 ただ70年代の作品でも、複雑なシャッフル・ビートを多用した「ブーツを脱いで朝食を」や、スケール感あふれる壮大なバラード「ブルースカイブルー」など、高度な表現力を駆使した楽曲がある。「ほとばしる熱情」というイメージはあくまで一面でしかなく、アイドルの枠を超えた早熟なエンターテイナーというのが、シンガー:西城秀樹の実像なのだ。

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 もともとデビュー時点から、アイドル特有のバブルガム・ポップではなく、洋楽サウンドと歌謡曲メロディを強引にまとめた、ハード・ロック/ブラス・ロック主体のシングルが多かったヒデキであり、その傾向は自身の趣味・嗜好と一致していた。年齢を経ることによって、そのコアが変わることはなかったけど、新たなジャンルの吸収・異ジャンルのミュージシャンとの交流によって、嗜好の幅は広がった。
 このアルバムでも見られるように、派手なホーン・セクションや四つ打ちビートに頼らない、洗練されたブラック・ミュージックをソフトに、それでいてエモーショナルに表現できるようになったことは、シンガーとしての成長である。背伸びして歌っていたバラードも、年相応にしっくり馴染み、気負わず歌えるようになった。そして、その歌を活かせるサウンド・メイキングにも、深く関われるようになった。
 前作同様、セールスも評判も芳しいものではなかった。ただこのアルバムに限らず、80年代の西城秀樹が残した作品はどれも、同時期に勃興したバンド・ブームのアーティストよりも、ずっと挑戦的である。上辺だけ取り繕った、安易なマーケティングに基づいて構成された時代のあだ花より、丁寧に作られたサウンド・プロダクトは、深い傷跡を残す。
 今年に入ってからも、いち早くアルカトラスをカバーした1983年のシングル「ナイトゲーム」が再発されている。リマスターされた当時のバック・トラックに、ヒデキの未発表ヴォーカル・トラックを載せ、さらにオリジナル・シンガーのグラハム・ボネットがバック・ヴォーカルで参加という、ちょっとなに言ってるかわかんない状態になっている。誰も思いつかないすごい企画であるのと同時に、それがきちんと売れちゃってるのだから、もはや潜在ニーズと言えないところまで来ているのだ。
 ほんとはこういった動きを、もうちょっと深く突っ込んで語りたいのだけど、あいにく80年代を総括したコンピレーションもなければ、実はこの『FROM TOKYO』、2020年時点では今どき配信もされていないため、気軽に聴くことはちょっと難しい。辛うじてiTunes に80年代のシングルA面コレクションがあるけど、単にリリース順に並べているだけなので、何とも芸がない。さらにAmazon Musicときたら、ガンダム関連や90年代以降がごくわずか、といった体たらくである。
 「ニーズがない」というのは考えづらいので、「再発や配信の条件すり合わせが捗っていない」というところなのだろう。映像も含めた再発プロジェクトはそこそこ順調なので、近い将来、公開されるのだろうと信じたい。





1. CITY DREAMS FROM TOKYO
 フュージョン系のギター・ソロに絡まる、軽快なシンセ・ドラム。前作に続き起用となったMAYUMIの曲をトップに据えたことから、あくまで楽曲重視で選曲されたことが窺える。やたらアーバンでトレンディでセクシーなオケを作ったのは、まだアイドル仕事がメインだった頃の鷺巣詩郎。この前、久しぶりにバラエティのロケに出ててビックリしたな。
 初出はシングル「追憶の瞳 - Lola -」のB面で、なんでこれがA面じゃないの?と思ってしまうくらい。同時代の日本のロックやポップスより、ずっとしっかり作り込まれているのだけど、こういった洗練された楽曲を受け入れるには、当時の歌謡界は硬直化していた、ということなのだろう。シチズンのCMソングに起用され、アジア諸国のテレビで流されたのだけど、なぜか日本はスルー。謎だ。

2. MADNESS
 再び、MAYUMI - 鷺巣のコンビによる、さらにブラコン色を強調したダンス・チューン。イントロのキラキラしたシンセ使いは、これはもう職人の技が冴える。そこからシーケンスとサンプラーの洪水で、今にして思えばチャカチャカ騒々しいのだけど、バブリーな空気感の演出には最適だった。
 打ち込みサウンドに対し、肉感的なヒデキの声との相性はあんまり良くないんじゃないか、と思っていたのだけど、いや普通に対応してるんだよな。あらゆるアレンジに対応できる反射神経は、ベテランの成せるわざ。

3. MESSAGE OF SILENCE
 ここで急に、ガクッとウエットに、歌謡曲っぽくなる。作曲・アレンジは中堅どころの水谷公生。歌謡曲の視点から見れば、安心できるバラードとしてアリだけど、まぁちょっと落ち着きすぎるかな。アルバムの中の1曲として、箸休め的なポジションか。
 ヒデキとは関係ないけど、この水谷公生という人、かつてGSを経て、柳田ヒロとLOVE LIVE LIFEを結成、イギリスのミュージシャン:ジュリアン・コープに「日本のフランク・ザッパ」と称賛されるくらい、実はなかなかのキャリアを持つ人だった。まぁジュリアン・コープ、今じゃ仙人みたいな風貌になっちゃってるけど、なかなか本格的なジャパニーズ・ロックの研究家なので、耳は確かだ。
 さらに話はズレて、日本のハード・ロックの祖と言ってもいいLOVE LIVE LIFE、テンションMAXで血管ブチ切れでシャウトするヴォーカルは、なんと布施明。あの布施明だよ、イメージと全然違うじゃないの。なんで俺、知らなかったの?
 はっぴいえんど史観とは別の次元に位置する日本のロック。まさかジュリアン・コープに教えられるだなんて…。



4. 夢の囁き
 同じ歌謡曲属性のバラードとは言っても、付き合いの長い鈴木キサブローの楽曲だと、ヴォーカルの艶がまた違ってくる。ヒデキのヴォーカルが最も映えるキーを多用することで、セクシーな男性像が浮かび上がってくる。
 ラス前にストリングスにアルト・サックスを絡めるという、まぁベタなシチュエーションを想起させるところも、ヒデキなら許せる。このヴォーカルは、そんな世界観を享受する力を持っている。

5. RAIN
 で、ここからレコードB面。吉田美奈子の独壇場となる。
 妖し気な美奈子のフェイクに、シンセ・ベースと軽快なギター・ワーク。一聴して思いっきりブラコン風味だけど、歌謡曲のセオリーである、明快なAメロ~Bメロ~サビという構造はきっちり抑えており、そこら辺はさすが業界が長い美奈子。

6. AGAIN
 いろいろギミック的なサウンド・プロダクトがクローズアップされることが多い『From TOKYO』、この時期の吉田美奈子を起用すること自体が大きなギミックでもあるのだけど、そういった事前情報を抜きにして、ストレートにいいメロディ・いいヴォーカル・プレイとなったのが、この曲。
 ちょうどバリー・マニロウやジョージ・デュークとの交流が始まっていた頃なので、英語で歌い直して海外展開するのもアリだったんじゃないかと、外野からは勝手に思ってしまうのだけど、まぁ何かのかけ違いでうまく行かなかったんだろうな。埋もれてしまうには惜しい曲だ。



7. ROOM NUMBER 3021
 初出は1986年のシングル『Rain of Dream 夢の罪』B面。しかし、この『FROM TOKYO』からまともなA面シングル・カットがなかったのが疑問。シングルとは別に、アルバム・アーティストとしての評価を欲していたのはわかるけど、もうちょっと周辺スタッフに柔軟性があれば、TVタイアップなんかでシングル・ヒットの可能性はあったんじゃないか、と。
 まぁ現場では努力はしていたのだろうから、外野のぼやきとして聞き流してもらえれば。

8. 今
 ラストは作詞・作曲・アレンジとも吉田美奈子による、ゴスペル・タッチの壮大なバラード。世界初の自主製作CDと謳われた『BELLS』制作時期と被るので、同じメソッドを使用したんじゃないかと思われる。





制御不能の無邪気な怪物、そして音の礫。 - Talking Heads 『Remain in Light』

folder トーキング・ヘッズのアルバム中、最も知名度が高いのが『Remain in Light』であることに異論を唱える人は、多分少ない。スタジオ・アルバムに限定しなかったら、『Stop Making Sense』を推す意見もあるだろうけど、これまた多分、少数派だろう。
 アラフィフの俺のように『Little Creatures』から入った世代だと、『Remain in Light』は当時からすでに80年代ロックを代表する名盤扱いされていたため、別格扱いだった。MTVにもうまく馴染んだフォーク・テイストのポップ・ロック主体の『Little Creatures』に比べ、愛想のないミニマリズムで塗りつぶされた『Remain in Light』は、ちょっと敷居が高かった。
 デビュー~活動休止までを時系列で追っていくと、どんな角度・どんな視点で捉えたとしても、『Remain in Light』がひとつのターニング・ポイントとなるのは間違いない。好き/嫌いや好みの問題ではなく、『Remain in Light』をピークとして、以前/以後という座標軸ができあがってしまう。ていうか、それ以外の視点で語るのは、ちょっとこじつけが過ぎる。
 メンバー4人の思惑やポテンシャルを軽々と超え、制御不能の怪物として生み落とされた『Remain in Light』だけど、何も突然変異であんな感じになったわけではない。ディランを始祖として、ルー・リード→パティ・スミスから連綿と続く、パフォーミング・アートとしてのニューヨーク・パンクを正統に継承しているのがヘッズであり、このアルバムもまた、その時系列に組み込まれている。
 とはいえ『Remain in Light』、オーソドックスなニューヨーク・パンクのフォーマットからは大きくはみ出しており、やはり異彩を放っている。逆説的に、「既存価値の否定」という意味合いで行けば、正統なニューヨーク産のガレージ・パンクである、という見方もできる。あぁややこしや。

Heads

 テクニックよりエモーション、熟練より初期衝動を優先し、ライブハウス直送のガレージ・バンドとしてデビューしたヘッズだったけれど、早々に下積み時代のスキルを使い果たしてしまい、壁にぶち当たることになる。単発契約でそのままフェードアウトしてしまう、数多の泡沫バンドと比べ、彼らのどこに期待する要素があったのか、その辺はちょっと不明だけど、外部プロデューサーによるテコ入れを入れる、という条件で2枚目のアルバム制作の目処が立つ。
 そこでプロデューサーとして抜擢されたのが、ご存知ブライアン・イーノ。ロキシー・ミュージック脱退以降、「枠に囚われない活動」といった言葉そのままに、ボウイのベルリン3部作で重要なファクターとして存在感を示し、偏屈で理屈っぽいロバート・フリップと組んで偏屈で理屈っぽいアルバムを作り、一方で「環境音楽」というカテゴリを創造するなど、もうあちこちから引く手あまた。要は、空気の読み具合にメチャメチャ長けて、メイン/サブ・カルチャーのニッチな隙間を右往左往することに悦に入っちゃう、そんな「意識高い人」である。
 曲も書けなければ、まともに歌うことも演奏することもできない、「自称」ミュージシャン時代は、もっぱら「変な音」担当として、派手なコスチュームと言動に明け暮れていたイーノだったけど、根拠不明な確信と意識高い系の振る舞いが、逆に純正ミュージシャンらの共感を得た。決して自分で手本を示さず、あくまで傍観者の視点から、確信を突くかのように錯覚させる、暗示めいた助言やアドバイスをつぶやくことが、彼の処世術といえば処世術だった。
 しかも、その言動に決して責任を持たない。彼こそ正しく、真の「意識高い系」である。

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 テクニカル面でのプロデュース能力はひとまず置いといて、アドバイザーとしてはすこぶる有能だったイーノの導きもあって、ヘッズはバンドとしての体裁を整え、2枚目『More Songs About Buildings and Food』のリリースに至る。大して欲もなければ野心もない、学生バンドに毛が生えた程度の存在だったバンドは、ここでささやかなブレイクを果たすこととなる。
 続く3枚目『Fear of Music』で、シンプルな8ビート+ファンクのハイブリッドを完成させたヘッズは、その後、イーノとデヴィッド・バーンによる合作『Bush of Ghosts』を経て、呪術的なミニマリズムとアフロティックなビートを取り込んでゆく。フェラ・クティやキング・サニー・アデへのオマージュが強く、厳密に言えばヘッズの発明ではないのだけれど、ポスト・パンクの枠を超えてメジャー・バンドとなっていた当時の彼らとしては、かなりの野心作である。
 思わせぶりなイーノの妄言や思いつきを、いちいち真に受けていたのがバーンであり、逆にどこか醒めたスタンスを崩さなかったのが、クリス・フランツ、ティナ・ウェイマス、ジェリー・ハリスンら他メンバー3名だった。「エイモス・チュツオーラの小説からインスパイアされて云々…」といったアカデミックなウンチクを聞き流し、「なんか良さげなノリのリズム教えてもらったから、レゲエもアフロもファンクも混ぜ込んじゃって、ダンス・ポップに仕上げちゃえ♡」と、軽い気持ちで作った「おしゃべり魔女」が大ヒットしちゃったのが、お遊びバンドのトム・トム・クラブである。
 バーンだけじゃなく、こういったセンスを持った彼ら3人の存在が、実のところヘッズ・サウンドの多様性に大きく作用している。イーノの場合、半製品に絶妙な茶々を入れて完成度を高めることはできるけど、ゼロから具現化することには向いていない。
 人にはそれぞれ、役割がある。

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 『Remain in Light』制作の準備段階ではイーノ、スケジュールの都合上、不参加を表明していた。イーノの過干渉でストレスフルとなっていたバンド内人間関係を考慮してか、バーンもメンバーのみの製作を了承する。
 『Fear of Music』で手応えを掴んだファンク/ミニマル・ビートの沼にさらに一歩踏み込み、リハーサルではワン・コードを基調とした長時間セッションが繰り返し行なわれている。現行の最新リマスター・エディションでは、当時の未発表セッションがボーナス・トラックとして収録されており、現場の雰囲気を感じ取ることができる。
 決してテクニカルを売りにしたバンドではないため、強烈なグルーヴ感を生み出すほどではないけど、ポスト・パンクから見たアフロ・ファンクのフェイク/リスペクトというアプローチは、案外前例がなく、強い記名性を放っている。
 そうなると、新しもの好きの鼻が嗅ぎつけてくる。ひょんなきっかけでデモ・テープを耳にしたイーノがしゃしゃり出てくるのを止められる者はいなかった。
 既存ロックの「破壊」という意味合いで、ファンクのリズムを借用したPILやポップ・グループと違って、ヘッズの場合、彼らよりはずっと、ミュージシャン・シップに溢れていた。初期衝動のみで、既存のロックを「破壊したつもり」になって、その後を手持ち無沙汰に過ごすのではなく、基本の4ピース・ロックに他ジャンルの要素を取り込んでゆく。
 「破壊」の後、空虚な高笑いを放つ輩には目もくれず、ただ愚直に異ジャンルの音楽性を取り込み、完成度を高めてゆく彼らの姿勢は、ロック・バンドの理想形である。安直な自己模倣を拒み、常に「その先」を追い求めるその姿は、真の意味でのプログレッシヴである。
 なんか持ち上げ過ぎちゃったけど、この時期のヘッズの勢いは、それだけ突出していた。あぁ、リアルタイムで聴きたかった。

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 イーノにそそのかされて、暴走に拍車がかかったバーンと、不本意ながらその煽りで火事場のクソ力を引き出されたメンバー3名の異様なテンションの高まりによって、ベーシック・トラックが完成する。そこでイーノが、テープを切った貼ったの鬼編集を加え、流浪のギター芸人:エイドリアン・ブリューをぶっ込んだり、そんなカオスな経緯の末、『Remain in Light』は完パケに至る。この時期のブリューって、イーノやロバート・フリップにいいように使われてたよな、「変な音」担当として。
 そこで産み落とされたのは、バンド自身では制御不能の怪物だった。狂騒状態のセッション/スタジオ・ワークを経て排出されたのは、彼らのポテンシャルを遥かに超えた、カテゴライズ不能の音の礫だった。
 テープ編集と人力セッションとが混在して編み出された呪術的ビートは、冷徹でありながら、強烈な中毒性と強制的な代謝を促す。張り詰めたミニマリズムは、強迫的な緊張感を誘発し、ヴォーカルは神経をすり減らしながら、嗚咽と見紛う雄叫びを上げる。その声は弱々しくかすれ、そして時に裏返る。
 強力にブーストされた暴力的なリズムに対し、線の細いヴォーカルは翻弄されながらも、一歩手前で踏みとどまり、ミスマッチな存在感を示す。本来、このようなリズム・メインのサウンドでは、グルーヴに飲み込まれない声質、またはシンクロするリズム感が必須なのだけど、ヘッズはそんな予定調和へNONを突きつける。
 強烈なミスマッチを対峙させることで、ヘッズとイーノは80年代の音楽シーンに深い傷痕を刻みつけた。
 その痕跡はいまだ尾を引き、多かれ少なかれ彼らの足かせとなっている。





1. Born Under Punches (The Heat Goes On) 
 1曲目からこんなインパクト充分なアフロ・ファンクをぶっ込んじゃうあたり、仕上がりにかなりの自信があったことのだろう。リズムとノイズとエフェクトを一緒くたに混ぜ込んでいながら、ちゃんと分離も良くてディテールも明快だし、それでいて妙なグルーヴ感があるし。
 このアルバムのどの曲でも言えることだけど、全篇バーンは狂言回しのようなポジションに徹しており、リズムに飲み込まれまいと必死に足掻くその様が、妙にリアル。ヒット・チャートやキャッチ―さもまるで無視していながら、それでいてきちんと商業音楽にまとめ上げてしまうイーノの手腕は、悔しいけど見事。



2. Crosseyed and Painless
 ほぼ終始ワンコードで展開される、こちらはロックなギターがフィーチャーされているので、もう少し開かれた音作りなのかね。いや、間奏のブリューの変なギター・シンセは、やっぱ未知のスパイスとして機能している。
 乱れ飛ぶパーカッションとシンセ・エフェクトがサウンドのメインではあるけれど、ちょっと深く聴き込むと、手数は少ないけどポイントを突いたティナのベース・プレイに耳が行ってしまったりする。バカテクという感じでもないんだけど、ツボを得たシンコペーションはいいアクセントとして作用している。

3. The Great Curve
 またまた延々と連なるパーカッション、またまたワンコード・ファンクの無限ループ。レコードで言えばA面ラストだけど、全篇こればっかり。ここまで畳みかけられると、いやでも虜になる。ていうか、ここまでダメ押ししないと伝わらない音なのだ。
 流暢とは言えぬ朴訥なバーンのヴォーカルに対し、やたらソウルフルなノナ・ヘンドリックスのコーラスとは相性が合わなさそうだけど、これもリズムの洪水によるグルーヴ感が成せる技。このリズムがないと、多分噛み合わない。
 「象の雄叫び」と評されたブリューのギター・プレイは、やはりいつ聴いてもカッチリ音世界にハマっている。もともとはこれが「素」なんだから、ボロクソに言われながらクリムゾンやることなかったのに。ブリューの世間のニーズは、ここにあったはずなのに、当時は気づかなかったのかね。

4. Once in a Lifetime
 アフロ・ファンクとエレクトロの融合。シャーマニックなバーンのヴォーカル。ほぼ素材コラージュのような方法論で制作された『Bush oh Ghosts』から進化して、アフリカン・リズムを咀嚼してヘッズのメロウな部分をちょっと足して創り上げられたのが、コレ。
 シングル・カットもされて、今ではほぼ彼らの代名詞的な有名曲でありながら、当時のUSでは100位前後とパッとしなかった。UKでは最高14位にチャート・インしており、この辺は英米の嗜好の違いが見て取れる。いや、いい悪いじゃなくてね。
 今回初めて知ったのだけど、なぜかロバート・パーマーがギターとパーカッションで参加している。コーラス参加とかならまだわかるけど、なんでギター?贅沢な、っていうか、もったいない使い方だよな。



5. Houses in Motion
 パーカッションがあまり前面に出ておらず、バーンのダブル・ヴォーカルとオリエンタルなギター・リフが主役の、メロディとコードは従来のヘッズを踏襲している。ここでもまた、ブリューの象の雄叫びが聴こえる。
 ボウイ成分がちょっと強いかな。彼なら多分、こんな感じになるんじゃないか、と何となく思う。

6. Seen and Not Seen
 ダウナーなヴォーカルを抜いたら、あらアンビエント・テクノ。リズム・メインのわかりやすいアフロティックではなく、漆黒の密林を想起させる、底知れぬ闇が広がっている。
 思わせぶりな散文的な暗示をつぶやくバーンは、ひたすら俯き加減で言葉を探り、そして紡ぐ。

7. Listening Wind
 漆黒の密林は、まだ続く。闇夜を切り裂く猛禽類の雄叫びは、どこから響くのか。
 ブリューもイーノも、ここではシャーマニックなバーンに跪く。ここまでずっと張り詰めた緊張感を維持しており、ここでもサウンドは妖しげな獣の芳香に満ちているのだけど、バーンは静かに狂い、そして正気を保とうとする。
 少なくとも、ここでのバーンの声は、これまでと比べて最も「素」だ。

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8. The Overload
 裏ジャケのグラマン戦闘機を思わせる、静かなプロペラ音。執拗なリズムは嘘のように引き、虚無感にあふれるダークで重い空間。救いの見えぬ深淵は、ポップでライトな80年代とは相反し、けっして交じり合おうとしない。
 能天気なアメリカ人:ブリューの出番もなく、ここではイーノの存在感も薄い。これがヘッズの素顔だとしたら、それはちょっと斜め上過ぎるしペシミズムが強すぎる。
 ちょっとはブリューの爪のアカでも煎じて飲めばよかったのだろうかね。肩が凝っちゃうよ。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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