folder 1985年リリース3枚目のアルバム。チャート・アクション的にはあまり目立ったものではなかったけど、この時期の彼女はほぼ1年ペースでアルバムを制作している。
 当時のレコード会社は営利企業としての利益の追求はもちろんだけど、ある意味文化事業に携わっているという高い志が強かったのか、彼女のようにビッグ・セールスには結びつきづらい音楽も積極的にマーケットに出していた。そのマーケット自体がまだ未成熟だった為、大きな販促予算やサポートは充分ではないけど、取り敢えずリリースだけはできた時代である。

 YMO一派の隆盛によって、これまでならアンダーグラウンド・シーンでくすぶっていたはずのアーティストでも、何かのはずみで脚光を浴びることができた時代ではある。あるのだけれど、その代わり今のように自由度の高いネット配信もなく、ましてやインディーズ・シーンも発展途上だった。プレス枚数の少ないインディーズ盤を全国津々浦々のレコード店に納入できるはずもなく、そのようなニッチな音楽を取り扱う店はごく限られたものだった。まだメジャーの流通力が圧倒的に強かった時代、彼女のようなサブカル系にとっては厳しいものだった。
 レコードかライブ演奏くらいしか表現手段のなかったこの頃、彼女のようなスタジオ・ワーク中心に音を作り込んでゆく箱庭ポップ系は、そのインパクトの弱さゆえラジオでもオンエアされる機会が少なかった。ほぼ半数のレパートリーがインストだったことも、ライト・ユーザーにはアピールしづらかった点である。当時のテクノロジー機材は動作不安定によるアクシデントも多く、ライブでの完全な再現も難しい状況だった。

 なので、必然的にレコーディングを中心としたスタジオ・ワークに活動の重心を置くことになる。ただ、華やかなライブ・パフォーマンスとは違って、アルバム制作とは恐ろしく地道な作業の積み重ねである。特に彼女を含むポップ系アーティストの場合、スタジオで一同介してせーので一発録りというスタイルはフィットせず、黙々ミキサー卓とディスプレイに対峙する、それはそれはもう地味なもの。スネアの音色を選ぶだけで半日をかけ、0.1秒単位のピッチのズレやリバーブの長さにこだわるだけでさらに半日費やしてしまう、そんな徒労の末の産物である。当事者以外には理解し得ない、職人芸的な世界がそこにはある。

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 どこの業界でもありがちなことだけど、職場での出会いから恋愛に発展し、やがては結婚に至るというお決まりのパターン。始終顔を付き合わせることによって親密度が増し、情が移ってしまって―、というのは昔からよくあること。大抵は女性の方が家庭に入って職場を離れることが多いのだけど、社則や雇用保険に縛られることのないアーティストの場合、お互いそのまま仕事を続けるケースが多い。仕事でもプライベートでも顔を合わせる機会が多いため、どちらも順調なら問題はないのだけど、むしろそういったケースの方が少ない。特にアーティスト同士のカップルの場合、時間のすれ違いもそうだけど、互いのエゴの衝突による食い違いで破局を迎えることが多い。そのくらい自己主張が強くないとこの世界ではやって行けないし、そんな事は周りのカップルを見ててわかってるはずなのに。
 なので、発展的解消というか、婚姻関係を一旦クリアにして再スタートを切るカップルも多い。スタジオ作業で互いに煮詰まった後、また同じ家に帰って顔を突き合わせなければならず、それが原因で悶々とするよりは、精神安定上その方がよい。
 そう考えると、山下達郎・竹内まりや夫妻の凄さがわかる。

 そういった事情があったかどうかは不明だけど、このアルバムでは鈴木慶一・さえ子夫妻の共同クレジット「Psycho Perchies」の比率が減って、当時はまだメジャー・デビュー前だったパール兄弟サエキけんぞうとのコラボが多くなっている。3枚目ともなるとスタジオ・ワークにも慣れて、単独でやれる作業が多くなったせいもあるのだけれど、それよりもアーティスト・エゴの目覚めの方が大きい。
 で、その慶一もこのアルバムのレコーディング当時はムーンライダーズ結成10周年、記念ツアーだアルバム制作だ取材だCM制作だでめちゃめちゃ多忙を極めており、体がいくつあっても足りない状態だった。最終的な監修クレジットだけ入れて、多くのパートは彼女に丸投げしている。
 そんな外部環境の変化も契機となったのか、さえ子自身もまた、今後のビジョンである「ポップ印象派」を明確に志向した曲作りが顕著になっている。これまでのレコーディングで吸収した慶一のスキルを消化して、「アーティスト・鈴木さえ子」としてのオリジナリティを強く打ち出している。幼少時から培ってきたクラシックの素養とニュー・ウェイヴ的衝動とのハイブリッド。
 もう慶一の助けはいらない。

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 俺も最近知った事実なのだけど、この人、テクノロジー系には疎かったらしく、特に初期はピアノと打楽器系を演奏するのみで、シンセ系のサウンドはほとんど慶一が担当していた、とのこと。もともと「美人女性ドラマー」という謳い文句でデビューしたので、看板に偽りはない。ないけどちょっと意外だった。
 ただレーベルの意向としては、そのテクニカルな面よりもむしろビジュアル面、言葉通りの「才色兼備なお姉さん的キャラ」を強く推したかったことは明らか。上品な年上のお姉さん的ルックスと、囁くような響きのウィスパー・ボイスは、サブカルにかぶれた全国の童貞少年たちにあらゆる妄想をかき立てる力を持っていた。
 ずっと後になってから「ケロロ軍曹」のサントラでアニメ業界に足を踏み入れる事になるのだけど、この時期にアニメの世界に入って今も続けていたら、女性版平沢進のポジションくらいにはついていたかもしれない。

 前述したようにこのアルバム、ヴォーカル入りとインスト・ナンバーとがほぼ半々ずつの構成になっている。この時期になるとさえ子自身でシンセをプレイしている曲も多く、これまではピアノや口述で伝えていた楽曲イメージも、しっかり独力で具象化できるようになっている。この時期くらいからごく一部でだけど、「ポップ印象派」というキャッチ・フレーズが浸透しつつあったため、一聴すると少女性の強いファニー・ポップなのだけど、リズム・アプローチは結構攻めに行っている。ポスト・パンクから派生したインダストリアル系の影響を強く受け、時に暴力的なハンマー・ビートを多用した曲もある。
 ドラムを始めたのが学生時代、それ以前の積み重ねであるクラシックの基礎が影響しているのか、ビートは効きながらも独特のリズム感覚によって、打楽器なのにメロディアスな部分も多い。この辺がドラム一辺倒でやってきた者との大きな違いである。


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1. 夏休みが待ち遠しい-mon biclo
 爽やかなムードのジャジー・スタイルなインスト。ウッド・ベースとフィンガー・スナッピング、自転車のベルのエフェクト、口笛っぽいシンセ音だけで構成されたシンプルなナンバーだけど、ランニング半ズボンの小学生の夏を想起させる、とてもビジュアライズなムードに満ちあふれている。
 タイトルからして夏休み前のワクワク感を表しているのだけれど、俺的なイメージとしては、真夏の昼下がり、庭の芝生の水撒きを終えた後、縁側で麦茶を飲みながらボーッとする風景。それぞれの夏のイメージを掻き立てる不思議な曲。

2. Hallo,Shoo Shoo 
 大昔のキャバレー・スタイルのサックスによるオープニングは、当時リアル・フィッシュを率いていた矢口博康によるもの。思えばこの人も、サブカル人脈御用達のプレイヤーだった。
 おもちゃの兵隊によるマーチング・バンドが奏でるファニー・ポップは後半、天から舞い降りるさえ子の讃美歌的コーラスによって、神々しくさえある展開になる。



3. 柔らかな季節
 ピアノをメインとしたバロックと現代音楽とのハイブリット的インスト。こちらもオーソドックスなピアノの音色を使わず、トイ・ピアノ的な響きを選ぶことによって大人カワイイ感を演出している。薄く流れるマンドリンもいい味出している。当時レーベル・メイトだった大貫妙子にも通ずる浮世離れ感がまどろみを誘う。

4. The green-eyed monster
 冒頭3曲が静かなプロローグだったかのように、ここでMAXハイ・テンションで爆発するディストーション・ギター。音域の狭いサンプリング・ホーンのチープな響きは80年代ニュー・ウェイヴ~テクノ・ポップを象徴するものであって、これはこれでOK。
 彼女のレパートリーの中では比較的パワー・ポップな部類に入り、サビもきちんとフックが効いているので覚えやすく口ずさみやすい。ここぞとばかりに詰め込まれているDX7系エフェクト&サウンドは、個々がそれぞれきちんとリズム・パターンを形作っており、きちんと計算されているのがわかる。
 ちょっとサブカル寄りのアイドルにリメイクしてもらったら、案外好評なんじゃないかと思う。きちんとフリもつけてね。

5. Good morning
 鈴木慶一とのデュエット。曲によってはほとんど参加していないレコーディングもあったため、ここでは久々に存在感をアピールしている。
 不協和音スレスレのエフェクトやXTC経由ニュー・ウェイヴ的に捻じれまくったギター・ソロ、ヴォコーダーを使った歌声などなど、何か思い至るところがあったのか、ここでは遊びまくり。
 確か『Studio Romantic』発売当時だったと記憶してるけど、さえ子のライブがFMでオンエアされたことがあり、この曲がオープニングだったのだけど、そこではもっと癒し系のまったりしたアレンジだった。それはそれで良いのだけど、ちょっとソフト・サウンディングに寄り過ぎて物足りなかったのも事実。慶一という異種の存在が、癒し系ポップ・サウンドの中で屈折した音を出してメリハリをつけている。何だかんだ言ってもプロデューサーとしては有能であることを再認識させるナンバー。

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6. Exile
 ここでテンポ・アップ、BPMがちょっぴり速くなる。と言っても普通の8ビートだけど。
 ドラマーということもあって打楽器系の響きが良く、リズム・アレンジはお手のものだろうけど、それよりも良質な歌謡曲的に流麗な3連メロディが光っているので、もっと聴かせるアレンジでも良かったんじゃないか、というのは余計なお世話かも。その割に歌詞は結構辛辣なので、バランスは取れているのか。

7. Come Wonder With Me
 ちょっとAORっぽいオープニングから始まる、しっとり落ち着いたバラード・ナンバー。一歩間違えればほんと大貫妙子だけど、ロリータ性を醸し出す声質は皮肉で残酷な歌詞を紡ぎ、アクセントが効いている。
 これもメロディがしっかりしているので、大人の歌手にリメイクして欲しいのだけど、いないよな今ってそういう人。現在の女性シンガーはR&Bを通過した「歌い上げる系」が多いため、このような曲を歌える人がいない。なので、現在は徳永英明と稲垣潤一の寡占状態になってしまっており、人材不足が続いている。May.Jじゃちょっと雰囲気違うしね。



8. イワンのバカ 
 タイトルまんまの曲。ロシア民謡とおバカ・コーラスとの融合。また慶一が変なエフェクトをぶっ込んでちょっかいを出している。30秒くらい小さなボリュームでロング・トーンのコーラスが続く。まぁ1分半くらいの曲なので幕間的なもの。

9. BИЙ
 ここで正統派のピアノ・ソロを交えたインスト。CMソングで聴いたことのありそうなデジャ・ヴュ感。80年代のTV-CMは映像も音楽もふんだんに予算をかけた作品が多々あって、金と時間がかかっていそうなシャレオツなものがたくさんあった。俺的にはこの曲、当時CM界で売れっ子だったMark Goldenbergの作品を連想させる。

10. KASPAR’S STATEMENT
 エピローグ的インスト・ナンバー。(多分)慶一のモノローグが延々と続く、インダストリアルとアバンギャルドの両方を併せ持っている。お遊び的楽曲なのか、きちんとしたコンセプトに基づいての結果なのか―。多分、両方だろう。
 精巧に組み立てられたポップ・サウンドのパーツを寄せ集めて一旦壊し、また組み立てようとしたけど気まぐれにやってるうちにこの辺でいっか、と投げ出した印象がある。重要なのは、その投げ出すまでがひとつのパフォーマンスであり、プロットの完了である、ということ。




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