好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Stevie_Wonder

1972年、モータウンのお家事情その1 - Stevie Wonder 『Talking Book』

folder 1972年リリース、長いこと拗れにこじれたモータウンの呪縛から解き放たれ、自他ともに成人として認められたStevie Wonder、やりたい放題3部作のスタートを切ったソロ15作目。
 俺が物心ついた頃には、すでにソウル/ファンクの名盤として位置づけられていたので、さぞかし売れまくったのだろうと思っていたのだけど、実際のチャート・アクションはUS3位UK16位。UKとカナダではゴールド認定されているけど、本国アメリカではそこまでのセールスを挙げていない。もちろんレジェンド級のアルバムのなので、これまでの累計で量るとプラチナ何枚分のセールスになってはいるのだろうけど、瞬間最大風速的にはそこそこの成績で収まっている。モータウンだけに限らず、当時のソウル系アーティストのウェイトがシングルに重きを置いていた証でもある。この辺から徐々に変わってくんだけどね。

 Diana RossがSupremesを卒業したあたりから、モータウンのクリーンナップも世代交代、60年代前半までの「豊かなアメリカ」を象徴した、キラキラしたポップ・ソウルのマーケットは縮小してゆく。
 この時期のモータウンの筆頭といえばDianaだったけど、Berry Gordieがやたらとハリウッドに入れ込んでいたせいもあって、すっかりLiza Minnelliになりきっていた。Marvin Gayeは『What’s Going On』の大ヒットのおかげで我が道を行くみたいになってるし、Four Topsは相変わらずの男臭さ満載だったけど、レーベル全体を引っ張るほどのカリスマ性はなかった。由緒正しきモータウンのレーベル・カラーを遵守しているのはJackson 5くらいで、それもこの頃にはメンバーの成長も相まって方向性が微妙にずれつつあった。

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 なので、1972年モータウンの最大勢力は正統派ではなく、60年代後半から勃興したサイケ/ロックのテイストを保守派ソウルに持ち込んだプロデューサーNorman Whitfield一連の仕業だった。エフェクトをバリバリ効かせたギターの音色に始まり、ラジオ・オンエアを無視した10分超の大曲志向、これまでポップ・ソングでは取り上げられなかった反戦や貧困、人種差別をテーマとした歌詞など、従来モータウンのセオリーからはことごとく外れたファクターを積極的に取り込み、時代性も相まって収益の柱となってしまう。
 もともとモータウン本流のアーティストだったTemptationsもEdwin Starrも、好き放題にトラックをいじりまくったNormanに感化されて、この時期はメッセージ性の強い楽曲を歌っている。子飼い的存在だったUndisputed Truthには特にNormanも入れ込んでおり、ほぼメンバー的な立場で好き放題やっている。ていうかNormanのワンマン・バンドだもんな、末期は。

 そんなお家事情だったので、Stevieもまた好き放題やれる環境が整っていた。経営陣はDianaを最上のエンターテイナーとしての売り出しに奔走していたし、ブランド・イメージはまだ辛うじてJackson 5一派が守っていた。社内的な不満は頻出しているけど、Normanは稼ぎ頭としての一角を担っていた。若い跳ねっ返りの居場所を確保することも、企業としては時に必要な場合だってあるのだ。それが反旗を翻さない限りは。

 とにかく歌って稼げてたらそれでオッケー的なデビュー当時ならともかく、次第に青年としての自我が芽生えてきて、押し付けのポップ・ソウルばかりじゃ物足りなくなってきたStevie。世間じゃロックだサイケだ反戦だラブ&ピースだと言ってるのに、享楽的で無内容のモータウン・ソングは、彼にとっては時代錯誤のように思えてきた。とは言っても当時のStevieは大抵がスマッシュ・ヒット止まり、他のモータウン・レジェンドのような大ヒットには恵まれていなかったため、未成年ということもあって発言権は微々たるものだった。ただささやかな抵抗として、DylanやBeatlesを我流にアレンジしてカバーして、ちょっとは話題になった。なったのだけど、それらは結局、他人の言葉、他人の旋律だった。自分の言葉、自分のメロディで表現したい、という欲求は日々募っていった。

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 後見人の呪縛から外れてからが、アーティストStevie Wonderとして真のスタートとなる。それまでの彼が演じていた「陽気なポップ・ソウルを歌う無邪気なティーンエイジャー」から一転、時代に即したシリアスなメッセージを内包した辛口のサウンドが、彼のトレードマークとなった。モータウン・スタジオのハウス・バンドであるFunk Brothersらの手を借りず、シンセ・オペレーターRobert MargouleffとMalcolm Cecilとスタジオに篭って何百曲にも相当するマテリアルを量産、その中から厳選されたのが、70年代一連の作品群である。
 従来のモータウン・サウンドが時代の趨勢に押し潰される中、Stevieの転身はある意味、当然の流れだったのだろうけど、これまでのStevieファンにとってはすぐには受け入れられなかったんじゃないかと思われる。実際、アメリカでのチャート・アクションはシングルほどの勢いではなかったし。この時点でもまだ、Stevieはシングル中心のアーティストとしてしか認知されていなかったのだ。それが覆されるにはもう少し、『Innervisions』『Fulfillingness' First Finale』『Songs in the Key of Life』と畳みかける名作のリリース攻勢を待たねばならない。

 長い長いキャリアの中において、この70年代初期の一連のアルバムを一気呵成に制作した頃がStevieのいわゆるピーク・ハイの時期にあたり、今もライブ・レパートリーに入ってる楽曲も多い。ここ2,3年は『Key of Life』全曲再現ライブなんてのも断続的に開催してるし、本人的にも思い入れは強いのだろうし、ファンのニーズも高い。
 その後のStevieは、憑きものが落ちたかのようにコンテンポラリーな方向性に転じ、音楽シーンを引っ張ってゆく牽引力は薄れたけど、巧妙に組み立てられたサウンドの奥に潜むメロディとコードは、年を経るごとに磨きがかかっている。
 ちょっと口ずさんでみたらわかるけど、歌いづらいよどれも。転調に次ぐ転調はジャズの素養から由来するものだけど、メロディを追ってゆくだけで至難の業。だからといって、ピッチさえ合わせてしまえばオッケーというものでもなく、ここにStevie特有の跳ねるリズムが加わって、さらに再現不能。
 親しみ深いメロディとキャラクターの陰には、難攻不落の関門が待ち受けているのだ。

Stevie Wonder late60s

 ソウル/ファンクというジャンルにロックのテイストを持ち込み、それが一般的な人気を得るスタイルを確立したのは、俺が知る限りではSly Stoneが最初だったと思う。他にもいるかもしれないけど、ヒットして大衆性を得た、という意味合いで。フラワー・ムーヴメントの聖地LAに育ったSlyにとって、多様な人種との交流も作用して多ジャンルの音楽的要素を取り入れてオリジナリティを形成してゆく、というプロセスはごく自然なものだったと思われる。実際、その中のロック的要素を導入した初期のヒット曲は、ボーダーレスで間口の広いサウンドに仕上がっている。
 ただ、人種混在のグループFamily Stoneは、後に様々な歴史的セッションに携わることになるLarry Graham、Andy Newmarkという名プレイヤーを排出したのだけど、基本的な音楽的バンド的コンセプトにおいてはSly の独裁制に左右されており、ロックのテイストというのも構成パーツのひとつに過ぎなかった、というのが正直なところ。
 フラワー・ムーヴメントに湧いた60年代末という時節柄、ロック的イディオムの意匠を借りて独自のファンキー・リズムを乗せ、人種の壁を越えたハッピーなサウンド、という方向性は間違ってなかったと思う。ただ、その音楽性は刹那的なものであり、時代が変われば飽きられてしまう。彼の本質はそこじゃなかったのだ。

 『Stand!』で一躍時代の寵児となったSlyだったけど、そのピークの最中にすべての予定をキャンセル、初期Family Stoneも解体してスタジオに引き篭ることになる。時節柄、ドラッグ癖が悪化しただの、人種混合のユニットゆえブラック・パンサーに目をつけられて逃亡しただの、様々な説が流布しているけど、まぁどれも当たってはいると思う。
 ただひとつ付け加えると、キャリアを重ねるにつれ、自身の黒人としてのアイデンティティに目覚めたことが、ロックのエッセンスを捨てて根源的なリズムの追及、密室ファンクのマイルストーン『暴動』を産むに至った、ということになる。

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 もともと黒人ブルースからの発展形として成熟していったロックは、他ジャンルのエッセンスの導入については門戸が広く、ファンキー・リズムの導入も早くから行われていた。そういった試みがうまくハマって広く知られるようになったのが、David Bowieの『Young Americans』あたりじゃないかと思われる。もしかしたらもっと早くから誰かやってたかもしれないけど、その辺はスルーで。
 で、逆に黒人サイドがロックを取り入れる、といった試みは案外少ない。これも俺の私見だけど、70年代では目立った動きは見当たらない。当時のソウル/ファンク・シーンはほぼディスコ一色だったので、P-Funk一派以外はほぼ8ビートなんかには見向きもしていなかった。80年代に入ってからFishboneがデビュー、ミクスチャー・ロックの時代が到来したけど、排出されるのはRage Against the MachineやRed Hot Chili Peppersなど白人側のリアクションばかり、黒人側はほぼヒップホップ方面へ流れてしまった。
 ソウル/ファンク・アーティストがロックをプレイするというのは、割合的には少数派と言える。ディスコ・ブームもひと段落し、ロックのサウンドを取り入れる試みが始まったかと思えば、先鋭的なアーティストはヒップホップに走ってしまう。
 すでに耐用年数に不安が生じていたロックには、見向きもしなかったわけで。

 本来なら、ロックだソウルだ、とジャンル分けしてしまうのは乱暴極まりないことであるのだけれど、まぁある程度の目安があった方が、ビギナーには探しやすい。細分化し過ぎるのも逆に混乱を招いてしまうけど、だからと言ってピコ太郎と高橋竹山とを同じ「音楽」というくくりに入れてしまうのは、もっと乱暴になってしまう。
 で、Stevie。彼の場合、もともとソウルだファンクだというより、すでにStevie Wonderとしての独自の音楽性を確立してしまっているため、エッセンスのアクが多少強くとも揺るぎはしない。逆に取り込まれた方に影響を与えてしまうくらいである。

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 そういうわけで話は「Superstition」なのだけど、もともとプレゼントされたはずのJeff Beckヴァージョンと聴き比べてみれば、その相互の影響力の強さがわかる。Stevie同様、Beckだってギターにおいては異端の天才とされている。アクの強さは天下一品で、どんな楽曲も自分の変態ギター・プレイでねじ伏せてしまう。
 これもよく言われていることだけど、Jeffの特徴として、あんまり器用な方ではないことは知られている。必ず制作にあたるパートナー、それはバンド・メンバーや共作者、プロデューサーでもいいけど、誰かしら第三者がいた方が高クオリティで仕上がる率が高い。誰かが全体を俯瞰しつつ、その下で感情の赴くまま、好き勝手にプレイした結果が、彼の傑作アルバム群となっているのだ。
 この曲でのJeffのプレイは、ちょっと趣が違っている。もちろん、当時最高のリズム・セクションTim BogertとCarmine Appiceを従えてのトリオ編成はロック界最強とされており、どの曲も最高のハード・ロックとして完成されている。いるのだけれど、諸事情で結果的に後出しとなってしまった「Superstition」だけはオリジナリティが薄く、Stevieヴァージョンをなぞっただけのような仕上がりで落ち着いてしまっている。
 Beckとしては彼から渡されたデモ・テープを聴いて、あれこれ試してみたものの、結局はこのアレンジに落ち着いてしまったと考えられる。それくらい独自解釈の余地がなく、普通にプレイするだけでも難しい曲なのだ。通常営業のJeffなら考えづらい仕上がりである。「クセのない天才」と俺が勝手に呼んでいるPaul McCartney の楽曲なんかではJeff、ここでは通常営業で独自の解釈で弾きまくっている。なので、Stevieとの相性が悪かったと考えられる。諸事情って言っても金がらみなのか、何かともめたらしいし。

 なので、ジャンルは違うけどStevieの楽曲をモダンにアレンジメントしたincognito は侮れないんだな、という結論


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1. You Are the Sunshine of My Life
 US1位UK7位を記録した、アルバムから2枚目のシングルカット。古くはLiza MinelliやFrank Sinatra、日本でも平井堅がカバーしてるので、誰でも一回くらいは何らかの形で耳にしたことはあるソウル・スタンダード。
 最初聴いた時は、いつものStevieのヴォーカルとは全然違う声質のシンガーが歌っていたので、イコライザーか何かでいじったのかと思ってたけど、Jim Gilstrap、Lani Grovesというシンガーが歌っていたことを知ったのは、ずっと後のこと。アルバムのリード・ナンバーで、しかも出だしから別シンガーに歌わせるというのは聞いたことがない。何をしたかったんだろうか。
 Jimは当時、Stevieのバック・コーラスを担当しており、ボスの薦めで裏方が表舞台に押し出された形だが、そのせいかどこか所在なさげ、居心地悪そう。



2. Maybe Your Baby
 Stevieお得意のミディアム・テンポのファンクだけど、これまでよりねちっこさが上回ってる印象を持っていたのだけど、パーソナルを調べてみると、ギターを弾いてるのが若き日のRay Parker Jr.。コーラスを含め、その他のバック・トラックはすべてStevieによるもの。この2人だけのパフォーマンスで組み立てられた楽曲だけど、セッション臭が強い。密室ファンクのような自己完結性が薄いのだ。
 この後、RayはCommodores風味のディスコ・バンドRaydioを結成、数曲の全米ヒットを送り出した後にソロ活動へ移行、80年代からはすっかり「Ghostbusters」の人となってしまう。あまりに色が付きすぎてしまって活動は低迷、つい最近まで「あの人は今」的な扱いとなっていた。一発屋じゃないはずなのに、大ヒット曲のおかげでそれまでの栄光が霞んでしまった、考えてみればかわいそうな人である。

3. You and I (We Can Conquer the World) 
 ほぼStevie自身によるソロ・ピアノだけをバックに紡がれる、『Key of Life』以降に頻出する極上バラード。これだけアクの強い楽曲の中では特徴が薄く、実際影も薄い。3曲目じゃないでしょ、この曲だったら。A面でもB面でも、もっと後ろに持って行くべき楽曲である。
 オーソドックスなバラードに聴こえるけど、もはや自由律と呼んでも差し支えない、小技の効いた転調の嵐。やはりあなどれない。

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4. Tuesday Heartbreak
 ほぼギターのような響きのクラヴィネットを操りながら、オフ気味のヴォーカルを聴かせるStevie、これもお得意のミディアム・ファンク。ゲストはDavid Sanborn (sax)と、コーラスにDeniece Williams。この辺からDenieceはStevieのお気に入りとして、たびたびアルバムにもライブにも参加している。この時期はStevie、前妻Syreeta Wrightと袂を分かっており、その辺の事情もあってDenieceがフィーチャーされ始めた、という見方もできる。ゲスい視点だよな、これって。
 当時は新進気鋭のスタジオ・ミュージシャンとして幅を利かせていたDavidのプレイは、この頃から特定できちゃうくらいに記名性が高い。1曲だけじゃなく、もっと聴いてみたくなるセッション。

5. You've Got It Bad Girl
 で、そのSyreetaの妹Yvonneとの共作がA面ラスト。てっきり姉の七光りかと思っていたのだけど、Discogsで調べてみると、Stevieだけじゃなく、Quincy JonesやArt Garfunkelなど、結構な大物とも仕事をしていた。あなどれないな。
 終始マイナーで押し通したスロー・バラードは、従来のバラードとはテイストが違っている。ジャズ7:ソウル3といった配合の、ハイブリット・ファンク。クセになる曲だ。

6. Superstition
 US1位UK11位を記録した、言わずと知れたStevieの代表曲。本文であらかた書いてしまったけど、単体では軽い響きのムーグの低音が、ここではボトムをしっかり支え、P-Funk一派にも引けを取らない極上ファンクに仕上がっている。
 Jeff Beckがリリースしなかったから、先に自分でやっちゃった、という逸話は有名だけど、ここまでやられちゃうと、後出しジャンケンの立場はとってもきつい。やりすぎだよ、Stevie。



7. Big Brother
 6.のアウトロに被さるように始まる、再びStevie完全単独演奏によるミディアム・バラード。タイトルから連想してしまうのはGeorge Orwellの小説『1984年』だけど、あながち間違ってはいないみたい。それぞれ解釈は違えど、政治家を糾弾するようなメッセージ・ソングであり、当時のニュー・ソウルの勢いが窺い知れる。

8. Blame It on the Sun
 こちらは元妻Syreetaとの共作とされているストレートなバラード。これまでとは趣が違って、ヴォーカルに憂いがあり、もの悲しげな様相が漂っている。ちょっとウェット感が強いかな。Stevieはパーソナルなテーマを歌うより、むしろ壮大な事象を扱う方が合っている。珍しいアーティストだよな、それって。

9. Lookin' for Another Pure Love
 で、このアルバムでJeff Beckが参加しているのは、実はこの曲だけである。6.には参加していない。もしかしてアウトテイクがあるのかもしれないけど、Stevieの流出音源は案外少なく、ガードが固いことで有名である。それだけスタッフの結束が固いのか、それとも監視が強いのか。多分両方だろう。
 ここでのJeffのプレイは歌メロをなぞるようなストレートなプレイ。頻繁にオブリガードを入れてはいるけど、特筆するほどではない。
 あるかどうかは不明だけど、やっぱり聴いてみたいよな、「Superstition」をセッションする2人の攻防。

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10. I Believe (When I Fall in Love It Will Be Forever)
 ラストは再びYvonneとの共作によるバラード。スロー・テンポではあるけれど、これまでのバラードのような甘さはなく、むしろドライな仕上がり。次作『Innervisions』に入れてもおかしくない、ややジャジーな香りのする楽曲。これも完全単独演奏でまとめられており、彼の意気込みが伝わってくる。



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「愛と平和の人」だけじゃないんだよ - Stevie Wonder 『In Square Circle』

folder 1985年リリース、Stevie Wonder 20枚目のオリジナル・アルバム。
 成年になるまで抑圧されていた才能が一気に炸裂した70年代の名作群と比べ、80年代のStevieのアルバムは、長い間まともに評価されずにいた。既存のソウル・ミュージックを一新させたニュー・ソウル・ムーヴメントを牽引しつつ、一時グラミーを独占するほどの大衆性も獲得した70年代に対し、80年代の彼の音楽はミドル・オブ・ザ・ロードに方向転換したかのように映る。ただ彼にしてみれば、その時代を反映する鏡の役割として、自身から湧き出てくる衝動を素直に具象化しているだけで、単に「日和った」という一部の評価は正しくない。
 青年期の抑圧された衝動が、結果的に実験的な作風として昇華されたのが70年代だとすれば、そういった重たい澱を出し切って、攻撃的な姿勢を弱めた円熟期に入ったのが、80年代以降と言える。

 チャート・アクションとしては、US・UKとも最高5位ということで、モータウン創成期からの大物として、アベレージはクリアしている。第1弾シングルだった「Part-time Lover」大ヒットの印象が強いおかげもあって、70年代と比べると「売れ線狙い」という先入観が強く、ソウル史の中でも長いこと軽視されていた。ただ近年では、CMに起用された名バラード「Overjoyed」の流麗なメロディラインが、多くの人々の琴線に響き、再評価が高まりつつある。80年代特有であるダイナミック・レンジの狭いMIDIサウンドを抜きにすると、特にバラード系のクオリテイは70年代をも凌駕すると言ってよい。
 この前作のサントラ『Woman in Red』収録曲「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」がバカ売れしてしまったおかげで、すっかり「愛と平和の人」的なイメージが定着してしまったStevie。いつもだったら原題を先に書いてるのだけど、ここ日本ではすっかり、この意味不明の邦題が定着してしまっているので、敢えて先に記述してみた。このイメージが強いよな、やっぱ。冷静になってみると、何だかフワッとしてよくわかんないタイトルである。

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 そういった事情もあって、特にここ日本においては聖人君子的なイメージが付いてしまっている。それが根っからのものなのか気まぐれなのかは不明だけど、この人は時々博愛主義的なメッセージを前面に出し、それに伴うように曲調もポピュラー・スタンダード的な様相を呈することがある。
 俺も未だちゃんと聴いたことがない、ある意味Stevieの問題作『Journey through the Secret Life of Plants』収録の「愛の園」がその極端な例で、怖いもの聴きたさで西城秀樹の日本語カバーに手を出すと、そのこそばゆさが垣間見えてくる。
 とは言っても、これらはあくまでほんと極端な例で、Stevie特有の予測不能なコード進行やメロディ・ライン、他の曲では従来通り自由奔放に炸裂している。むしろ彼のディスコグラフィの中で、「心の愛」と「愛の園」だけが極端にラブ&ピースなだけであり、そこだけで判断すると、Stevieの実像は見えにくくなる。
 なので、このアルバムではそこまで人類皆兄弟的な思想は見られない。相変わらず従来仕様のStevie Wonderがここにある。ていうか、以前よりサウンドがオーソドックスになった分、よく聴くと本人以外ではとても歌いこなせないレベルの楽曲に仕上げられている。80年代のトレンドだった、フェアライトCMIのキラめいたアレンジの奥では、相変わらず奔放な狂気が顔を覗かせている。

 -瞳の見えない強いミラーのサングラスをかけ、後ろで引っつめたドレッド・ヘアを振り乱しながら、思いのまま自由にキーボードを叩く。循環コードに収まらないメロディを奏でながら、テンションが高まるにつれて、ハミング、いや唸り声も最高潮に達し、コール&レスポンスを観客に求める。
 80年代のStevieのビジュアル面の主な特徴としては、こんな感じ。多少頭髪も後退して、体格もどっしりして動きは緩慢になったけど、今も大体このイメージで変化はない。多分、今後も不変のスタイルなんだろうな。
 このスタイルが定着するきっかけとなったのが、あのUSA for Africaでのパフォーマンス。80年代を過ごした者なら誰でも記憶にあるはずだけど、あの贅沢な豪華メンツの中でも群を抜いた存在感だった。あくの強いキャラクター揃いの中、Stevieのヴォーカルは特に力強く、それでいて熱い説得力を持った名演だった。で、その余韻冷めやらぬうちに発表された「Part-time Lover」のPVによって、それは決定的になった。
 そのインパクトの強さは、普段洋楽に興味がない層にも強くアピールした。Stevieのモノマネといったら、今でもこの時期のイメージをモチーフにしているケースが多い。

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 80年代に入ってからのStevieは、自ら望むものだったのかどうかはともかくとして、結果的に「愛と平和の人」的なイメージが強くなったこと、またUSA for Africaでのドヤ顔的パフォーマンスを機として、社会活動・慈善運動への参画も積極的になる。ユニセフやら国連界隈でのパフォーマンスが多くなるのもこの頃である。
 何かと音楽以外で忙しくなったせいもあるのか、オリジナルとしてはこのアルバム、前作『Hotter Than July』からなんと5年ぶりという、結構長めのインターバルになっている。とは言ってもStevie、この間に遊んでいたわけではなく、ていうかかなりのワーカホリックぶりを発揮している。
 Paul McCartneyとのデュエット・シングル「Ebony and Ivory」や、70年代の作品を中心にまとめたベスト・アルバム『Original Musiquarium』をリリース、前述の『Woman in Red』など、沈黙どころか働き過ぎ。方々からオファーを受けて気軽に引き受けた挙句、本業にまで手が回らなかった、というのがこの時期の印象である。
 これはStevieに限った話ではないけど、多忙を極めてるおかげもあって、オリジナル・アルバムのリリース・スパンは次第に長くなり、今のところ、2005年の『Time to Love』がレイテスト・アルバムになっている。それでも空いてる印象が薄いのは、マイペースではあるけれどライブを続けていること、また若い世代とのコラボにも積極的だし、CM出演など露出が途切れないおかげもある。年末のAppleのCMなんて感動モノだったしね。

 で、これもStevieに限った話ではないのだけれど、今の時代、「アルバムを作る」という行為は、いろんな意味で難しい面もある。特に彼クラスになると、それなりに期待も大きいので下手なレベルのものは作れないし、それはStevie自身が誰よりもよくわかっているはず。
 いるのだけど、70~80年代のように、潤沢な予算と膨大なレコーディング時間を使って、有名セッション・ミュージシャンをとっかえひっかえ起用するという作業は、遠い昔のものになりつつある。レーベルは予算を渋るし、スタジオ代だって高騰の一途である。第一、DTM主流の21世紀において、生演奏で生計を立てるミュージシャンが少なくなった。傍目から見ると、コスパの悪い作業の積み重ねが、旧来のレコーディングという行為に映ってしまう。
 「アルバム1枚を通して聴く」という行為自体が時代遅れになりつつある現在、そのアルバムの存在価値が問われている。今の状況では、時間をかけた書き下ろし主体の作品集より、シングルの寄せ集め的なオムニバスの方が、効率は良い。「アルバム全体でひとつの作品」という押しつけより、「気分に合わせて好きな曲順・好きな曲だけ選んで聴く」というフレキシブルな形態が、音楽業界全体のセオリーとなっている。

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 そんな状況をStevie、彼はどう思っているのか―。
 今の時代、彼がオリジナル・アルバムを制作することは、あまりにリスクが高い。セールス的な問題ではない。あくまでクオリティの問題だ。
 「売れない」ということはないと思う。アメリカのエンタメ界ではVIP的扱いのStevieゆえ、それなりに売れることは予想できる。何しろ10年ぶりの大物の新譜だからゆえ、業界を挙げての大盛り上がりになるだろう。世界中を巻き込んだ大々的なプロモーション展開は、かなりの注目を集める。セールス的には保証されたようなものだし、時期が良ければグラミーのひとつにでも引っかかるかもしれない。
 でも、ただそれだけだ。
 70年代の作品群のようなクオリティになるのかといえば、それはちょっと難しい。そんなことはStevie自身、よくわかっているはずだから、わざわざ火中の栗を拾うような所作はしない。なので、内容的には中道路線、この『In Square Circle』のように、一見万人向けの作品になる。
 それを潔くない、と断定するのは簡単だ。しかし、今のStevieに過去の作品のクオリティを求めるのは、あまりに酷だ。ていうか彼自身、そんな方向性を求めちゃいないだろうし。

 遡れば60年代末期からニュー・テクノロジーへの抵抗もなく、随時最新機材のサウンドを導入して世間を驚かせていたStevie。このアルバムでも、当時のトレンド機材をふんだんに盛り込んだサウンド作りを展開している。
 従来までのStevieは基本、プレイヤー視点からの音作りを中心としていた。『Hotter Than July』以前にもシンセ機材は使っていたけど、基本は人力プレイが多くを占め、そこから編み出される独特のリズム感覚、自由すぎるメロディ・センスは記名性の強いものだった。細かなピッチのずれから生じるグルーヴ感こそが、アーティストのオリジナリティと謳われる時代だった。
 このアルバムから顕著になる最大の変化が、1曲目から炸裂するシーケンス・リズムの多用。ミリセコンド・レベルで調整されたジャストなリズムによって、肉体的なグルーヴ感は確かに減衰した。シンプルな響きのリズム・ボックスと比べて音の隙間がなくなった分、そこにアーティスト自身が付け加えるグルーヴ要素の余地はなくなった。これが80年代MIDIサウンドの功罪のひとつである。
 なので、使い方によってはどれも同じ曲に聴こえてしまいがちだけど、そこはさすがキャラの強いStevie、打ち込みサウンドであろうがなんだろうが、そんなのは意に介さずいつも通り、独自のStevie的世界観を披露している。逆に、基本のリズム面を潔くマシンに委ね、その浮いたリソースをメロディやヴォーカライズに集中させることによって、これまでとは次元の違う、新たな解釈のグルーヴ感を形成している。
 どれも変わり映えのしない、工業製品のように画一化された80年代のポップ・サウンドの中、彼の創り出すサウンドは異彩を放っている。


In Square Circle
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1. Part-Time Lover
 先行シングルとしてリリースされた、80年代Stevieの代名詞とも称されるポップ・ナンバー。モータウン・サウンドの基本リズムを土台から創り上げたのだけど、スタジオ・ミュージシャンという役回り上、あまり注目されぬまま1983年に亡くなった名ベーシストJames Jamersonへ敬意を表す、特有のランニング・ベースは今も古びずに聴くことができる。
 ほぼドラムとシンクラヴィアで構成されたシンプルなバッキングは、Stevie単独によるもの。これだけだと寂しいと思ったのか、バック・ヴォーカル陣にLuther VandrossやPhilip Baileyらが参加している。とは言っても、サビでタイトルをコーラスする程度で、特別彼らならではのコンビネーションといった体ではない。まぁ映画で言えばカメオ出演といったところ。なぜかそのコーラス陣に、元妻Syreeta Wrightも参加しているのは意味不明。別れた女房と仕事したいか?普通。
 ちなみにUSを始めとする5か国でチャート1位を獲得、UKでも3位、日本でも16位という好結果となっている。TDKカセットのCMに本人出演したのが、大きく作用している。



2. I Love You Too Much
 こちらもほぼStevie独りによるマルチ・レコーディング作品。モータウンのフォーマットから、さらにソウルの演奏パターンにも捉われない、極上のシンセ・ポップ。かっちり構築したシーケンス・サウンドの中で、次はどの音なのか、予想がつかないメロディ・ラインを奏でるStevie。ちゃんと聴くとありえないくらいマニアックなのだけど、きちんと商品としてポップにまとめてしまえるのは、やはり才能の為せる技なんだろうな。

3. Whereabouts
 『Fulfillingness' First Finale』くらいから顕著になってきた、なんというか抽象的で壮大なムードを醸し出したバラード・ナンバー。要するに「Creapin’」のことなんだけど。悪い意味ではない。時おり垣間見せるジャジーなコード進行で不安定なメロディになりそうなところを、ギリギリのところで調和の取れた楽曲に仕上げてしまうのは、やはり持って生まれた特性ならでは。
 この曲もほぼStevieの独演会なのだけど、バック・ヴォーカルにお気に入りDeniece Williamsを引き込んだりして、ちゃんと話題性も用意している。しているのだけど、邦題『未来へのノスタルジア』はもうちょっとひねっても良かったんじゃないかと思う。



4. Stranger on the Shore of Love
 5枚目のシングル・カット。さすがにアルバム・リリースから1年以上経っているだけあって、チャートインしたのはUK55位のみ。ていうか、何で今さら感が強い。
 ソウル・テイストが薄くポップ感が強いバラードは、Paul McCartneyとのコラボの影響があったんじゃないかと思われる。口ずさみやすくて普通にいい曲だし。
 でも、邦題は『愛の浜辺で』。まぁロマンティックを喚起させる曲調だけどね。

5. Never in Your Sun
 70年代のアウトテイク的な様相の、このアルバムの中ではファンク要素が少し多めのナンバー。シーケンスも控えめでStevieのキャラクターが強く出ている。惜しいのは、全体的にサウンドがオフ気味。バックもヴォーカルも少し控えめで、後ろに引っ込んでる印象。もうちょっとミックスなんとかならなかったの?と突っ込みたくなってしまう。
 まぁしゃあないか、レコードで言えばA面ラストだし。

6. Spiritual Walkers
 前曲に続き、再びファンキーなイントロによるポップ・チューン。個々のパートの音が引き立っており、少なくとも5.よりはキャッチーで掴みが良い。
 当時としてもそろそろ時代遅れになっていたヤマハCS-80というシンセをいじり倒し使い込んでできたのがこの曲だけど、逆に言えばこのサウンドを活かしたいがため作られた曲という印象も強い。俺はレトロ・シンセについてはほとんど知らないけど、この音を使いたくて作ってみました、というのが本音のところだろう。

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7. Land of La La
 4枚目のシングルとしてリリース。US最高86位は妥当なところ。個人的に、このアルバムの中ではほぼ惹かれるところのない曲である。シンセの音色といいリズムといい、80年代に流行したオムニバス形式のサウンドトラックを連想してしまうのは、俺だけではないはず。
 Kenny Logginsあたりが歌えば、もうちょっとサマになったかもしれないけど、そういったのをStevieに求める人はあまり少ないと思われる。なんだろう、こういうのも流行りだから、一回くらいやってみたかったのかな?

8. Go Home 
 2枚目のシングルとして、US10位UK67位にチャートイン。これもStevieにしてはごく普通のポップ・ソング的な展開なので、それほど面白くはない。確かにリズムは立ち上がりの強いエレクトロ・ファンクだけど、正直リズムだけの曲。ていうかStevie、前半で息切れしすぎ。

9. Overjoyed 
 発表当時はファンの間での名曲だったのが、近年ではCMやMary J. Bligeらのカバーによって広く知れ渡り、不滅のスタンダードとして再評価された。もともとは本文でもサラッと紹介した問題作『Journey Through the Secret Life of Plants』レコーディング時のアウトテイクで、ほぼ10年寝かせてやっと日の目を見た次第。Stevieの場合、こういった曲はいくらでもある。
 もともと環境映画のサントラというコンセプトで制作されていたため、鳥のさえずりや波の音、森の中を歩いてるような雰囲気が残されており、それが壮大な自然のリズムを演出している。
 2枚目のシングルとしてリリースされた当時、US24位UK17位という及第点的なセールスだったけど、数字にあらわれた記録以上に、世界中の多くの人々の記憶に残ってるナンバーだと思われる。少なくとも、俺はこの曲が大好きだ。



10. It's Wrong (Apartheid)
 Stevieのアルバムの最後は大体パターンが決まっており、大団円的なアッパー系ソウル・ナンバーが多い。特にゴスペル要素とシーケンスとの融合はかなり先駆的だったんじゃないかと思うのだけど、それについて触れた記事は見たことがない。
 タイトルから想起される通り、当時の南アフリカ共和国のアパルトヘイトを痛烈に批判した、いわゆるプロテスト・ソングであるため、理念ばかりが先行して紹介されることが多く、肝心のサウンドについてはあまり評価されていない。南アフリカの公用語であるコサ語でのコーラス、それを包み込むミニマルなアフロ・ビートは、今の耳で聴いてもクール。
 全然ジャンルは違うけど、この数年前にリリースされた甲斐バンド「破れたハートを売り物に」の進化形がこのサウンドだと思うのだけど、まぁStevieは甲斐バンド知らないよね。




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1973年のモータウン事情 その2 - Stevie Wonder 『Fulfillingness' First Finale』

folder 1974年にリリースされた、通称3部作のラストを飾ったアルバム。これまで短いペースで立て続けに「濃い目」のアルバムをリリースしているにもかかわらず、さらにこの後、大作『Songs in the Key of Life』が控えているのだから、ほんと「音楽の神」が降りてきてどっしり居座った状態である。これだけ短期間にハイ・ペースかつハイ・クオリティの作品を連発しているのだから、何か怪しげなドラッグでもやってたんじゃないかと勘繰ってしまうものけど、Stevieに限ってはそんな話聞いたことがない。そんなモノに頼らなくても脳内ドーパミンが出っぱなし、いつもニコニコしている印象である。
 リリース前年にあたる1973年、前作『Innervisions』をリリースして間もなく、従兄弟の車に同乗していたStevieは事故に遭い、結構シャレにならない状態で生死を彷徨うことになる。もともと欠損していた視力に加え、一時的ではあるけれど味覚と嗅覚を失い、そのせいもあったのか、心境的に転機が訪れることになる。
 革新的なサウンド作りに躍起になっていた前作までと比べ、ここでは悟りを開いた修行僧のごとく、達観した静かなサウンドで満たされている。のちのStevieサウンドの特徴である、大河の流れのごとく壮大で緩やかなバラード・ナンバーが顕著になったのも、ちょうどこの辺りから。アップテンポ・ナンバーが少ない分、耳を惹く派手さも少ないけど、虚ろな時代の流れに揺らぐことのないスタンダード・ナンバーを創り上げることを、Stevieの中の精神的な部分が希求したのだろう。

 そのようなアクシデントによる前評判も手伝って、これだけ地味なアルバムにもかかわらず、US1位UK5位という好成績を収めている。この時期はStevieにとっては確変状態が続いており、グラミー賞においてもベスト男性ポップ・ヴォーカル、最優秀アルバム、ベスト男性R&Bパフォーマンス、3つの部門で授賞している。1個貰えるだけでも大騒ぎだし、ノミネートされるだけでも簡単には行かないはずなのに、この時期のStevieはいとも簡単に複数授賞を果たしており、まさしくグラミー賞とはStevieのためにあった、と言っても過言ではない。あのPaul Simonでさえ、「Stevieのリリースがなかったから、僕が授賞できた」とコメントしたくらいだし。

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 で、前回の続き。メジャーとも引けを取らない巨大企業に成長したモータウンではあったけれど、内実は閉鎖的な同族経営が続いていた。どこの企業でもそうだけど、一代で成り上がった創業者が存命中の場合、他企業では想像もつかない謎理論によって独裁制が敷かれることが多い。
 『What’s Going On』で革新的なソウル・ミュージックの新たな地平を切り開いていたMarvin Gayeでさえも、社内の論理に逆らうことはできなかった。モータウン黎明期から粉骨砕身の思いで会社に貢献、オーナーBerry Gordyの姉Annaとの政略結婚によって、どうにか幹部クラスにまで上り詰めることができた。そういった立場もあって、経営状態や販売計画にも関与せざるを得なかった。音楽的には何のメリットもないDiana Rossとデュエット・アルバムを制作したのも、今後のDianaの販売戦略に基づいた営業政策上、致し方なかったことであって、Marvin個人としては、ビジネスライクに徹しなければならなかった。やるからにはきちんとMarvin Gayeとしての職責を果たしてはいるけど、どうせ手柄はDianaに行くことはわかっているのだから、どこかお仕事的な面は否定できない。それでも十分傑作だけどね。

 こういった比較は正確じゃないかもしれないけど、「すっごく」わかりやすい例えとして、いま現在のジャニーズ事務所内の力関係に例えると、ちょっとスッキリする。レーベルとしてのイチオシであるJackson 5やDianaが嵐で、マッチやヒガシに例えられるのがSmokey Robinson、そしてそのSMAPに値するのがMarvin、その弟分としてのキスマイがStevie、と勝手に想像してみた。
 オーナーGordyと共にレーベルを立ち上げ、初期の稼ぎ頭として大きく貢献したSmokeyはある意味モータウンの象徴、レジェンド枠で扱われる人物である。一応現役でもやってはいるけど往年の勢いは薄れ、でも人格者ゆえの人望は厚い。なので、権力争いからは一歩身を引いた印象。
 で、レーベルの基本路線であるポップ・ソウルとは一線を引き、外部のサウンドやノウハウを貪欲に吸収することによって、独自路線を築き上げたMarvin、それにStevie。モータウン・サウンドの幅を広げ、実際に利益をもたらした功労者ではあるけれど、会社のスタンダードにはなり得ない。新たな収益策を見出したことは本来評価されるべきなのだけど、創業者オーナーの発言力が強い同族企業においては、会社への服従こそが美徳とされ、独断専行は評価の対象にはなり得ない。
 レーベル・カラーを無視したサウンドを展開するMarvinやStevie、時代に応じたバリエーションのひとつとしてはアリかもしれないけど、傍流はあくまで傍流、それよりも、もっと従順で品行方正なJackson 5やDianaを売っていきたいのだ、モータウンとしては。
 とは言ってもStevieの場合はちょっと違っていて、いわゆるモータウンの血族には入ってなかったおかげもあったのと、世代的にもMarvinやDianaとは離れていたため、会社の意向を強要されることは少なかった。
 ていうかStevie、相当なタマの持ち主で、会社の論理に取り込まれるかなり前から手を打っていた。

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 若干12歳でモータウンからデビュー、自分のレコードをリリースさせてもらうだけで満足していた少年時代のStevieだったけど、次第に会社への不満や疑念を抱くようになる。
 「もしかしたら俺、会社からギャラ抜かれすぎじゃね?」
 結構な数のシングルをチャートに送り込んでいたし、時には他アーティストへの楽曲提供も行なっていたので、それ相応の報酬が支払われてもいいはずなのだけど、いつも渡されるのは小遣い程度。
 「未成年に大金を持たせるわけにはいかないから、信託預金にしておいてあげる」という甘言を真に受けていたStevieだったけど、どう計算しても実績に見合った利益を得ていない、と感じるようになる。
 デビュー当時に結んだ契約に穴があった。
 「Stevieの制作した楽曲の著作権は、すべて会社に帰属するものとする」。
 この不当契約に値する一文によって、Stevieの収入はちょっとした子役並みに抑えられていた。
 Stevieに限らず、当時のミュージシャン契約は文字通り子供だましレベルの内容で、隅から隅まで契約書に目を通す者は少なかった。ブルースの世界では、ストリート・ミュージシャンにウイスキー1本買い与えてスタジオに幽閉し、適当に弾き語りさせたレコードが後の歴史的名盤になった、というのはよくある話。60年代に入ってからも、その状況はあまり変わらなかった。
 普通ならボヤキや愚痴程度で終わってしまい、実力行使に訴えることは少ないのだけど、そこは子役時代から傍目で大人の美醜を観察してきたStevie、泣き寝入りで終わらせようとはしなかった。もちろん周囲のブレーンからの入れ知恵もあっただろうけど、ゆっくり時間をかけて外堀固めを行なってゆく。
 アメリカでは21歳が法的に「成人」と認められる。その時点で後見人の保護から解かれることになり、きちんとした義務と権利を主張できるようになる。
 「成人になった時点で、未成年時に締結した契約はすべて無効となる」
 なのでStevie、19歳から21歳までは創作活動のペースがガタンと落ちる。ていうか意識的に落としている。これ以上不当な搾取をされないため、契約履行の最低基準ギリギリまでセーブしたのだ。当然セールスは減少するし、人気にも陰りが出る。周囲は才能の枯渇かと揶揄する者もいたけど、雑音は無視してこっそり曲のストックを溜めていった。人気商売ゆえ、それは一歩間違えれば二度と這い上がることができない恐れもあったけど、不正に搾取する連中がどうしても許せなかった。

 21歳になると同時に、Stevieはモータウンに通告する。
 「これまでのレコーティング契約、著作権契約、マネジメント契約を全て破棄する」
 もちろん弁護士を通しており、その辺は抜かりがない。しかも自前で音楽出版社「タウラス・プロダクション」を設立、今後はそこから配給してゆく手はずを整えた。
 ここまで用意周到に段取りされてしまうと、もはやモータウンとしても手の出しようがない。電光石火の手際の良さが功を奏し、その後はStevieの思い通りに事が進むことになる。自己プロデュース権の獲得、未払い印税の清算、著作権の委譲など、これまでにない好条件でモータウンとの再契約を結ぶことになる。モータウンとしても、下手に独立されたり他のレーベルへ移籍されるよりは、と大幅な譲歩の上、対等のビジネス・パートナーとして手を組んだ次第である。
 周囲の環境がすべて整い、不安材料もすべてクリアとなって、あとは純粋な創作活動へ向かうだけ。
 ここからStevieの快進撃が始まる。


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1. Smile Please
 邦題「やさしく笑って」。"You Are the Sunshine of My Life"に似たゆったりした曲調の、それでいてしっかりグルーヴ感を出したナンバー。『Innnervisions』のオープニング”Too High”がファンキーなアッパー・チューンだったのに対し、ここではしっとりした幕開けになっている。
 David T.Walkerを思わせるトロけるギターは、初参加となるMichael Sembelloによるもの。また、バック・コーラスにはDeniece Williamsが参加。地味なナンバーなのに、豪華メンツを揃えている。



2. Heaven Is 10 Zillion Light Years Away
 邦題『1000億光年の彼方』は言いえて妙。こちらも流れるようなゆったりした曲調にもかかわらず、リズム・パターンが人力ハウスっぽくてレアグルーヴ的にも評価が高い。
 常連だったSyreeta Wright参加は順当として、なぜかPaul Ankaが参加している。1973年当時ですでに懐メロ歌手扱いとなっていたはずなのにどうして?と思って調べてみると、1968年にFrank Sinatraにあの”My Way”の詞を提供したのがきっかけとなって前線復帰、再び現役シンガーとしてバリバリ活動中の頃だった。ていうか”My Way”、そんな新しい曲だったの?もっと古い歌だと思ってた。

3. Too Shy to Say 
 ほぼピアノ・メインで弾き語られる美しいバラード。そっと寄り添う感じで優しく響くスティール・ギターの音色、そしてこれも目立たないけど、James Jamersonによるウッド・ベースの調べ。あくまで歌を引き立たせるための、出しゃばり過ぎないプレイ。

4. Boogie on Reggae Woman
 ほぼStevie単独で創り上げたレゲエ・ナンバー。ムーグ特有のリズム・サウンドでちゃんとグルーブ感を出せるのは、やはりStevieならでは。でもこれってリズム・パターンはレゲエだけど、全然レゲエっぽくないよね。Stevieもダルっぽいニュアンスのヴォーカル・スタイルだけど。なので、タイトルにレゲエと入ってはいるけど、完全にStevieオリジナルのサウンドに仕上がっている。
 US3位UK12位まで上昇。レゲエにこだわらなければ、全然良質のポップ・ファンク・チューン。

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5. Creepin
 おなじみMalcolm CeciltoとRobert Margouleff 3人で創り上げたバック・トラックだけど、あまり技巧を凝らしておらず、この上なくシンプルなサウンド・デザイン。
 Minnie Ripertonとのデュエットというのも目玉なのだろうけど、特筆するのはやはりこのミステリアスなメロディ・ライン。落ち着きどころが定まらず、浮遊しまくるコードに乗せて、普通なら破綻しているはずのメロディが、きちんとまとまっている。なんでこんな曲書けるの?ていうかどうしてこれでまとまっちゃうの?と思ってしまう。



6. You Haven't Done Nothin'
 レコードではここからがB面。クラヴィネットの音色がもろ”Superstation”なので、多分ベーシックは同時期に録られたものと思われる。
 ここでの目玉はやはりJackson 5のコーラス参加。世代的に長兄JackieとStevieはほぼ同世代だけど、モータウンのキャリア的にはStevieが全然先輩、そこはやはり胸を貸していただく立場である。正直、サウンド的にはそれほど大きな貢献はしていないのだけど、まぁ話題性としてはアリだったんじゃないかと思う。ちなみにJackson 5、この頃はすでにキャリアのピークを過ぎており、モータウン的にもそろそろ肩たたきの準備を始めていた。
 邦題”悪夢”。US1位UK30位。いい感じでファンキー・チューンなのに、UKでは反応が薄かったのはちょっと不思議。

7. It Ain't No Use 
 邦題“愛あるうちにさよならを”。このサウンドをうまく表現したタイトルである。先ほど登場した2代歌姫DenieceとMinnieがコーラスで参加。「Bye Bye」というリフレインはキャッチーであって、そして切なさも感じさせる。Stevieのヴォーカルのノリも良い。なのに、当時シングル・カットしなかったのは失策。いい曲・いいプレイなのになぁ。
 ほんと、何やってんだモータウン。

8. They Won't Go When I Go
 邦題"聖なる男”。ほぼ打ち込みで作られた幽玄さの漂うバラード。前作『Innnervisions』では積極的に社会問題とコミットしたナンバーを歌っていたけど、ここではStevie、もっとシリアスに踏み込んで、人間の内面に鋭く切り込んだ歌詞を書いている。

 人間の欲望から 僕は遠ざかろう
 そして 僕の魂は自由になる
 そして彼らは 僕に従うことはない
 僕が信じることを 魂が理解したその時から
 僕は王国を見るだろう

 死の淵を垣間見てきた者の叫び。それはどこへ届くのだろう。

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9. Bird of Beauty
 レゲエの次はラテン風味のボサノヴァ・チューン。デュエットのDenieceの硬質なヴォーカルがサウンドに心地よい緊張感を与えている。サンバのリズムはもっと享楽的であるはずなのだけど、ここでのStevieは汗をかいていない。どこかクールな印象が終始付きまとっている。
 なんでだろう、と思っていたら、エコー成分がほとんどないことに気づかされる。解放感よりはむしろ閉塞感、密室で行われたセッションは現実味が薄い。でも、そのヴァーチャル感こそがStevieの狙いだったのか。

10. Please Don't Go 
 ラストは大団円、ゴスペル・タッチのコーラスがセッションを盛り上げている。今アルバムのMVPであるDenieceもそうだけど、ア・カペラ・グループPersuasionsもまたキャリア最高のコーラスを披露している。どこかシリアスで閉塞感が漂っていたアルバムだけど、ここではグルーヴィーなStevieが堪能できる。あまり披露してなかったハープも吹きまくってるし。





 これは余談だけど、このアルバム・リリースの翌年、Jackson 5はいろいろと制約の多いモータウンとの契約を解消、CBSに移籍することになる。しかし、3男Jermaineは当時、Gordyの娘と結婚していたため身動きが取れず、彼だけはモータウンに残留することになった。当然、Jackson 5の商標はモータウンが持っていたため継続使用することができず、彼らはJacksonsに改名して再スタートを切ることになる。Michaelと人気を二分していたJermaine脱退のマイナス・イメージを薄めるため、彼らは末弟Randyを加入させることでイメージ回復に努めた。
 Jermaineが取り残されたのか、それとも自らここに残ると断言したのか、今もまだ諸説飛び交う状態だけど、Marvin同様、ファミリーに取り込まれたのなら抜け出すのは難しい。いくら同じ釜の飯を食ってきた兄弟とはいえ、大人になってしまうと自分たちの意向だけではどうにもならない部分もあるのだ。
 どっかで聞いたような話だな、ここ最近。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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