c0074067_19361490 1977年リリース、大滝詠一4枚目のソロ・アルバム。この年のナイアガラ・レーベルは3月に『CMスペシャル』、6月にシリア・ポールの『夢で逢えたら』、11月に多羅尾伴内楽団の1枚目、そして年末も押し迫った12月25日に『カレンダー』リリース、といったラインナップ。1枚はアーカイブ、もう1枚もインスト・セッションをまとめたものとはいえ、ほぼ独りで4枚のアルバムを製作しているのだから、そりゃあもう、いっぱいいっぱいだったことは想像できる。

 第1期ナイアガラの大滝詠一は、アーティストというより、レーベル・オーナー/プロデューサーとしての意識が強かった。単に自分名義のアルバムだけを取り扱うプライベート・レーベルではなく、プロデュース業務を主体とした、関連アーティストのバックアップと流通を取り仕切る、強い志を持っていたのだった。ただ、そういった思い違いが、レーベル運営の早すぎる破綻を招くことになる。
 正直、そんな裏方意識でいたのは、大滝だけだった。はっぴいえんど時代からの数少ないファンからすれば、「まぁ、そんなマニアックな発想も悪かないけどね、でもソロ活動もきちんとやってくんでしょ?」って感じだったし、ディストリビューターであるコロンビアもまた、メイン・アーティストは大滝と位置付けていた。
 「プロデューサー主体っていうけど、今のところ所属アーティストいないんだし、『年4枚のアルバム制作』って契約条件クリアするためには、自分のアルバムも作っていかないと、とても回らんでしょ?」。

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 レーベル設立時の大滝は、ちょうどCMソングを量産していた頃であり、創作ペースとしては順調そのものだった。なので、「その気になればフル・アルバムの1枚や2枚、チャチャっとできるでしょ」と、過信していた部分もある。
 生前のインタビュー・発言からにじみ出てくる理屈っぽいキャラから、ロジックで動く理路整然とした人だと受け取られがちだけど、考えてみれば、これまで散々、発売延期だ企画倒れだを繰り返してきたわけで、その辺が何かと誤解されている。基本は行き当たりばったり、怒涛のつじつま合わせを強引に行なう人、というのが大滝の本質である。
 そんな彼の裏も表も含めて、最も深く理解していたのが、山下達郎だった。
 年に一度の新春放談で催される、「アーカイブはともかく、新譜はまだか」の丁々発止のつば迫り合い。オチがわかっていながらつい聴き入ってしまう、ダチョウ倶楽部顔負けのお約束合戦は、まだ続いていれば、伝統芸能の域に入っていたんじゃないかと思われる。

 『カレンダー』に限らず、先人への強いリスペクトが顕著な良質の楽曲に加え、演奏の主軸になっているのは、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ・コネクションのミュージシャンなので、素材自体のクオリティはとても高い。なのに、第1期ナイアガラの作品クオリティにムラがあるのは、録音やミックスダウン、音像処理の問題が大きい。
 設立時の配給先だったエレック倒産を経て、新たなディストリビューターになるコロンビアとの交渉によって、大滝は最新タイプの16チャンネル・マルチレコーダーを手に入れる。災い転じて福となり、スタジオ設備は増強されたのだけど、所詮は米軍払い下げ住宅を改造したプライベート・スタジオ、どれだけ高い志と熱意を持ってしても、オーディオ的なクオリティには限界がある。
 所属アーティストになるはずだった山下達郎も伊藤銀次もいなくなったため、大滝自身がフル稼働して制作ノルマをこなさなければならなかった。作品のアイディアだって使い切っちゃってるので、ストックもほとんどない。締め切りギリギリまで粘りに粘り、どうにか搾り出したモノを録って出し、といった無限ループ。クオリティより納期が最優先となるため、納得ゆくまで作り込むことができず、言ってしまえば雑な仕上がりの作品も多い。
 ソニーに移籍してからは、潤沢な時間と予算、有能な外部スタッフの起用によって、初期構想に準じた作品を作る環境が整った。ただ、そうなったらそうなったで、「あれもできる」「ここをもう少しこだわりたい」と時間がかかり、結局、コスパ的には昔と大差なくなっちゃうのは、どんなもんだか。

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 で、長くなったけど、ここからが本題。
 ソニー移籍を機に、第1期ナイアガラのアーカイブは、大なり小なり、どれもリミックスを施されて再リリースされている。Fussa 45スタジオのマシン・スペックでは叶わなかったサウンド・エフェクト、バランスやピーク・レベル、フェード・イン/アウトの長短に至るまで、あらゆるポイントで改変が行なわれている。
 で、そんなマニアックな編集作業が最も大胆に行なわれたのが、この『カレンダー』である。
 結果的に、第1期ナイアガラにおいては最後のソロとなったこのアルバム、底の見えないセールス下落を阻止するため、またレーベルの存続を賭けて制作された。これまでプロデュース業務の多かった大滝が、アーティストとしては久しぶりに重い腰を上げ、持てる力のすべてを注ぎ込んだ自信作である。
 はっぴいえんど時代のアンチテーゼとして、第1期ナイアガラの主題となっていたリズムものやノベルティソングに加え、敢えて封印していたメロディ・タイプの楽曲も復活しており、バラエティに富んだ作品になっている。いわばとっ散らかった印象もないわけではないけど、それにも増して伝わってくるのは、アーティストとしての覚悟、強い意志表明である。
 俺的にも、第1期ナイアガラのアルバムの中では、最もターン・テーブルに載せたことの多い、何かと想い出深い作品だ。

 『ロンバケ』以降にファンになった俺にとって、『カレンダー』といえば、黄色いラベルのソニー盤であり、吉野金次リミックスによる81年版である。ほぼ同時期に単行本『All About Niagara』を購入して、隅々まで嘗めるように読みまくった中学生の俺は、そこでコロンビア盤の存在を知った。ただ、当時はすでに廃盤となっており、中途半端な田舎の中学生が安易に入手できる代物ではなかった。
 それからしばらく経って、札幌の中古レコード屋で一度だけ、コロンビア盤が飾られているのを見たことがあった。レア物コーナーに陳列されていたそれは、社会人になっていた俺でさえ、二の足を踏んでしまうほどの高値をつけられており、気軽に手が出せるものではなかった。
 次にそのレコード屋に行くと、誰かが買ってしまったのだろう、もう『カレンダー』はコーナーから消えていた。せっかく、手が届くところにあったのに。

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 20周年プロジェクトが一巡して30周年プロジェクトが始まり、ファンの間で、最もその発売が待たれていたのが、『カレンダー』だった。
 20周年プロジェクトでは、『ムーン』や『CMスペシャル』を始め、他プロジェクトのアルバムでも未発表テイクが追加され、多くのファンが狂喜乱舞した。しかし、『カレンダー』だけは、目立ったリミックスやボーナス・トラック収録はなかった。
 「オリジナル〜リミックスの時点で作品としては完結しており、これ以上足すものはない」というのが、大滝の見解だった。それだけ『カレンダー』に格別の思い入れがあった、ということなのだ。
 それならそれで、コロンビア盤のレジェンド感は、さらに高まってゆく。他のアルバムの20周年エディションのライナーノーツは、どれも時系列に沿って事象を丹念に記しており、ここで明らかになった新事実も多い。しかし、『カレンダー』だけはペラ1枚、やけにアッサリした文章になっている。
 やはりここで完結しているのか、それとも付け足すことがあんまりないのか。

 「新旧ヴァージョン完全収録」という、『カレンダー』の30周年エディションの詳細が明らかになって、全世界のナイアガラーは、再び狂喜乱舞した。これまで存在だけは知られながらも、ほとんどの人が聴いたことのない、まるでUMA的に伝説となっていたコロンビア盤を聴くことができる!
 正直、アーカイブものが続いて興味が薄れていた俺も、このインフォメーションを聞いた時は、大勢のナイアガラー同様、狂喜乱舞したのだった。

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 で、耳にしたのだけど。
 …なんか微妙だった。
 黎明期を見てきた初期ナイアガラーが、こぞって「傑作だ」「コレを聴いとかなくちゃ」など期待感をあおるものだから、さぞ革新的なクオリティなのだろう、とドキドキしながら聴いてみると。
 …案外ショボかった。
 「初期構想の忠実な再現」というコンセプトでもってリミックスされたソニー盤は、スタジオ機材やインターフェイスの問題で叶わなかった、リヴァーブやコンプレッサーをふんだんに使用している。アカデミックなレコーディングを習得していない大滝のビジョンを具現化するため、『カレンダー』のサウンド・コンセプトを反映するには、吉野金次という熟練のプロフェッショナルが必要だった。時間的な余裕と適切な投資によって、『カレンダー』はソニー盤で完成を見たと言える。
 ソニー盤を聴いてからコロンビア盤を聴くと、やってる事はほぼ変わらないのだけど、コロンビア盤の音像処理はスッキリしすぎて、これってデモ・テープなんじゃね?とさえ思ってしまう。今ならDTM機材の発達によって、高音質のホーム・レコーディングも珍しくなくなったけど、当時の宅録レベルのスタジオ機材では、ピーク・レベルを抑えることが精いっぱい、想いはあってもやれる事は相当限られる。ましてや素人ミキサーである大滝が、吉野金次と同等レベルのスタジオ・テクニックがあるかといえば、それを求めるのはちょっと酷。
 実際、第1期ナイアガラを支えたミキサー笛吹銅次(大滝の別名)は、その後、引退しちゃうし。

 前述したように、俺的にはソニー盤を長らく聴き込んでいたため、愛着はあるのはそっちの方である。なので、「ミックスダウン前のお蔵出しトラック」と言われたら信じちゃいそうなコロンビア盤に、格別な思い入れはない。
 リリースされた1977年のサウンドとしては、充分イケてたのだろうけど、やたらと神格化するのも、ちょっと無理矢理すぎるんじゃないかと思うのは、俺だけじゃないはず。原理主義が嵩じて後発を否定するには、クオリティ的にちょっと弱すぎるのだ。
 ごく少数だけ流通したコロンビア盤をリアルタイムで手に入れた初期ファンの思い出補正によって、妙に神格化されたことも誤解を生んだ。このアルバムに限らないけど、レア物は、本来の価値以上に高評価を受けてしまう。
 幻の音源を入手する希少な機会を得た者は、選ばれし初期ナイアガラーとして、知ったか顔で第1期ナイアガラを神格化していった。
 でもあいつら、「多羅尾伴内楽団」さえ絶賛しちゃうんだぜ。信用できねぇよ。



ナイアガラ・カレンダー 30th Anniversary Edition
大滝詠一
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1. Rock'n'Roll お年玉
 レーベル存続を賭けた悲壮感を思わせない、ていうか突き抜けて躁状態で歌われる、日本人のためのロックンロール。プレスリーからはっぴいえんどまで、古今東西の文化遺産を一緒くたに詰め込んでシェイクして撹拌して煮詰めて蒸留した、ナイアガラ・ワールドの完成形。新春放談でも一発目でよくかかっていたし、正月が近づくと思い出したように聴いてしまう、俺的にはすっかり季節の風物詩的ソング。
 コロンビア盤冒頭の「おめでとうございます」のリヴァーブの薄さが、俺のガッカリ感を助長させた。全体的にエコー感が薄いため、スタジオの密室感が強調される。当時としてはがんばったんだろうけどね。

2. Blue Valentine's Day
 80年代を通過してきた者にとって、バレンタイン・ソングといえば圧倒的に国生さゆりだけど、楽曲的には断然こちらの方がクオリティは上。「どうせもらえるわけねぇや」といったネガティヴな歌詞の世界観は、後にコンビ復活する松本隆のそれと大きくかぶっており、キャリア通して1,2を争うウェットなヴォーカルと見事にシンクロしている。
 1.同様、コロンビア盤はエコー成分が少なく、ていうかほぼデッドな響き。近年、『Best Always』で発掘されたシングル・ヴァージョンではほどほどのリヴァーブがかけられているため、アルバムでは敢えて他の曲とのバランスを考慮して抑え気味にしたんじゃないかと思われる。
 第1期ナイアガラの中では異質の甘さと大衆性があったにもかかわらず、リリース当時はほぼ世に知られることもなかった。もしこれが売れてたら、流れもまた変わっていたかもしれない、非常に惜しい名曲。

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3. お花見メレンゲ
 メレンゲというリズムが何なのか調べてみると、サルサやサンバに近似したジャンルであるらしい。ラテン方面はあんまり詳しくないので、知ったかぶりはやめておこう。
 リズム・トラックは基本楽天的なのだけど、ヴォーカルは全然ノリノリといった感じじゃなく、この辺が和のテイストなのかな、と無理やり思ったりもする。
 つくづく思うけど、この時代のミュージシャンって、引き出しめちゃめちゃ多いよな。大滝のムチャ振りに対応するためには、あらゆるジャンルを網羅しとかないといけなかったのか。

4. Baseball-Crazy
 続くリズムものシリーズ。私設草野球チームまで持っていたベースボール・マニア大滝として、野球愛にあふれる自身を自虐的なパロディとして描いている。
 正直、漫才ブーム以降を生きてきた俺世代にとって、戦前戦後のギャグやパロディをベースとした彼のノベルティ作品は、あんまりピンと来ない。まぁ絶賛されてるから面白いんだろうな、といった感じ。身内の間で披露してる分にはいいんだろうけど、誰か止めなくちゃダメでしょ。あ、プロデューサーだから、その辺のジャッジも全部自分か。

5. 五月雨
 ご存じオリジナルはソロ・デビュー作『大瀧詠一』より。当時のソリッドでコンパクトなファンクから一転、ここではドラマティックなストリングスと女性コーラス、重く響くバスドラに彩られ、荘厳としたムードに包まれている。語呂と語感のみで構成されている歌詞には、まったく意味性はない。ないのだけれど、これだけ深淵なサウンドにのせて歌われると、妙な重みが醸し出されているという不思議。
 コロンビア盤で終始流れる雨のSEは、陰鬱とした長雨の気だるさを活写しているけど、ソニー盤の深い深いエコーを聴くと、あっさり感じてしまう。この粘っこさがサウンドの肝なんだろうか。

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6. 青空のように
 長らく彼が研究対象としてきたスペクター・サウンドの、この時点での完成形。ヴォーカルもパーツの一部として同等に扱われ、バッキングと同じレベル、フラットな配置にされている。多分、モノ・ミックスで聴くのが理想なのだけど、他の曲とのバランスを考えてステレオにしたんじゃないかと思われる。でも、シングル盤でもステレオなんだよな。
 ただ、ソニー盤ではヴォーカルを少し前面に出したダイナミックなバランスになっており、アルバムの中の一曲としては調和が取れている。あ、それとイントロはコンパクトなソニー盤の方がメリハリあるよな。

7. 泳げカナヅチ君
 昔のサーフ・ロック、多分Beach Boys周辺をモチーフにしたのと、ベンチャーズっぽいギターを入れて、テーマとして「およげ!たいやきくん」のアンサー・ソングという体裁を取ったパロディ・ソング。コロンビア盤では全編波音のSEが流されており、それが災いしたのか、演奏パートの出力レベルを抑えてしまってるのが、ちょっと残念。あとで聴いてみて、「やっぱいらねぇや」と思ったのか、ソニー盤ではSEは削除されている。

8. 真夏の昼の夢
 のちの『ロンバケ』サウンドのプロトタイプとして、もっともわかりやすいポップ・バラード。サウンドの構想は、もうずっと昔から大滝の頭の中にあったことが窺える、貴重な一曲。ただ、ここに盟友松本隆はおらず、あくまで大滝自身が松本隆っぽい言葉を選んで順列組合せしているだけであり、ストーリー性は弱い。
 松本と大滝の書く言葉の違い。それは、「恥」の温度差の違いでもある。

9. 名月赤坂マンション
 エンジニア笛吹銅次のベスト・ワークとして、もっと語られてもいいトラック。あのプライベート・スタジオと彼のスペックで、ここまで臨場感あふれる形で尺八や三味線の音を録音できたのは、単純に「すごい」の一言。それだけ和楽器のレコーディングは難しいはずなのだ。ソニー盤ではリヴァーブがもう少し盛られているけど、哀切漂う泣き笑いの感情を表現するためには、ややデッド気味のコロンビア盤の方が感情に訴えてくるという不思議。
 唯一、俺がソニー盤より気に入っているトラックである。

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10. 座読書
 ソウル系が好きな人なら、誰でもすぐに思い浮かべるBo Diddleyのリズム。考えてみれば、取るに足らないことをテーマに歌うのはソウル/ファンクの伝統なわけで、内容をどうこう言うより、無内容なテーマに合わせてリズムを楽しむのが、本来のマナーなわけで。「読書」という語感からジャングル・ビートに思いを馳せてしまう、大滝の自由な発想はとんでもないところにある。

11. 想い出は霧の中
 「11月と言えばなんだ、冬だ、寒い、北国だ、じゃあ北欧ギター・インストだ!」ってな感じで作られたナンバー(嘘)。「さらばシベリア鉄道」の前哨戦といえばわかりやすい。

12. クリスマス音頭〜お正月
 1.同様、クリスマスになると無性に聴きたくなる曲。俺にとってクリスマス・ソングと言えば、山下達郎でもワム!でもなければマライア・キャリーでもない。そんなかしこまったソフト・フォーマルのクリスマスじゃなく、やけっぱちなカオス空間の和洋折衷クリスマスの方に、シンパシーを感じたのだった。ひねくれてたんだよな、30年くらい前は。






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