folder 1982年リリース、オリジナルとしてはMarvin生前最後の作品。当時US7位UK10位というチャート・アクションは「あれこんなもんだったの?」という印象。ただアメリカではトリプル・プラチナム獲得というデータもあるので、相当息の長い売り上げ動向だったことがわかる。
 明確に表れた数字もそうだけど、その後数十年に渡るメロウ系R&Bの方向性を決定づけた一大名曲「Sexual Healing」が収録されているおかげもあって、Marvinとしては後期の名盤として位置づけられているアルバムでもある。あるのだけれど、反面、この曲の印象が強すぎて、他の収録曲は影が薄い。正直、俺も他にどんな曲が入ってるのか、つい最近まで知らなかった。何度も繰り返し聴いているので、知らないというのは正確じゃないのだけど、あまり印象に残っていないのは確か。それくらい「Sexual Healing」のインパクトが強すぎるのだ。

 基本のリズム・セクションをしっかり組み立て、その上にホーンだコーラスだ混声ヴォーカルだ鍵盤だパーカッションだと、これでもかというくらいまで音を重ねてサウンドに厚みを出す。アンサンブルが安定してくると、今度は必要のないパートを抜いていく。サウンドのバリエーションは減衰するけど、その分、各パートの受け持つ比重が大きくなり、結果的にひとつひとつの音は太くなる。さらに必要な音だけを残し、全体をビルドアップしてゆくと、最後には強靭なリズムが残る―。
 これがJBを始祖とするファンクの基本的な流れであり、これまでのMarvinの音楽性の変遷も同様なのだけど、このアルバムの場合、ちょっと事情が違っている。構築された音からマイナスしてゆく作業ではなく「最初から条件が限られていた」という点において、ニュアンスが違ってくる。結果的にはリズムの強さは残ってるんだけどね。

 モータウン創成期から在籍していたMarvin、その卓越した才能は誰もが認めるものだったけど、レーベル・オーナーBerry Gordyの姉Annaと結婚することによって、社内での立場はさらに盤石のものになった。レーベルの要請に応じてヒット狙いのポップ・ソウルを歌いながら、もともとの志向であるスタンダード・ジャズのアルバムもリリースされていたのは、オーナー一族の威を借りていたからに他ならない。セールス的には充分な売り上げとは言えなかったけど、モータウンからすれば、それまでの貢献に応える功労賞的なもの、穿った見方をすれば、一種の税金対策でもあったのだろう。
 自己陶酔の色彩が強い一連のアルバムからは、Marvinのメロウな感性がほとばしっており、従来のモータウン・ユーザーにアピールするものではない。ただ労務管理的な視点で見れば、時にこういったガス抜きをしておくことによって、何かと弄しやすくなるし。

hqdefault

 そんな感じで、肩までどっぷりモータウンの社風に浸かり、幹部クラスの立場を謳歌していたMarvin だったけど、Annaとの別離を機に状況は一変する。もともとMarvin自身、それほど彼女に興味があったわけでもなく、交際に積極的だったのはAnnaの方である。Marvinとしては一種の政略結婚という判断で入籍しただけで、当初から愛情はなかった、というのが定説となっている。
 ハナから愛情がないのだから、冷めようもない。すれ違いの生活が続いた末、結局は離婚という結論に落ち着くのだけど、そうなるとMarvin の社内での立場も変わってくる。
 いくらレーベル内でもトップの稼ぎ頭とはいえ、所詮、経営陣は身内で固めた同族企業、一旦外様になってしまえば待遇も違ってくる。膨大な慰謝料を支払うために2枚組大作『Hear My Dear』をリリースするのだけど、これがセールス的には大幅に苦戦したため、目論見が狂ってしまう。最後にはGordy一族に身ぐるみ剥がされてしまった上、モータウンとも契約解除、自己破産の憂き目に会ってしまう。
 ちょっと冷静に考えれば、オリジナル2枚組のソウル・アルバムなんて、そうそう売れるはずもないのに、手っ取り早く稼いで楽になろうと思ってしまったのが、そもそもの転落の始まりである。まぁ、それだけ追い詰められていたのだろうけど。

 捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言ったもので、そんな落ちぶれた彼を支援する者がいた。
 彼の名はHarvey Fuqua 。Marvin ソロ・デビュー前に所属していたドゥーワップ・グループMoonglows のリーダーで、彼をエンタテインメントの世界に導いた恩師である。かつてはFuqua自身もモータウンに所属していた縁もあって、その後もMarvinとの交流は続いていた。
 wikiを見ると、Fuqua自身はヒット・メーカーというよりは、裏方的なコーディネーター、もっと言ってしまえば仕掛け人・フィクサーという印象が強い。そんな人物だからして、失意のどん底にあったMarvinに、純粋な好意だけで手を差し伸べたとは思えないのだけど、まぁ結果的にはみんなが丸く収まったわけで。
 あらゆる方面へのツテを持つFuquaの助力によって、なぜか新天地ベルギーにてコロンビアとの契約を取り付け、第2の黄金期に突入したのは周知の通り。

 かつてのMarvinなら、自身の声を重層的に組み合わせたコーラスで空間を埋め、柔らかなアタック音のコンガやパーカッションによって有機的なポリリズム・ビートを配し、David T. Walkerのまったりしたギター・プレイをあしらったりしていたのだけど、ここではそれが一変している。これまで培ってきたレコーディング・テクニックをすべてチャラにして、最小限で調達したパーツを無駄なくシンプルに活かしたサウンド・デザインになっている。
 名作『I Want You』で完成を見た分厚いコーラスは影を潜め、エコーも最小限にとどめている。小さなバジェットという条件下、シンセやキーボード、リズム・ボックスの基本的なシーケンスもMarvin 自身が行なっており、そこで浮いた予算をブラス・セクションとGordon Banksのギターに投入している。曲によってはコンガやドラムも自身で叩いているのだけど、まぁもともとドラマーでデビューしているのだから、その辺はお手の物だとして。何しろ予算が限られているのだ。
 自社スタジオを構えていたモータウン在籍時には気にも留めなかった、スタジオや機材のレンタル費用などにもシビアにならざるを得ず、サウンドとしてはチープである。演奏パートだけ聴いていると、デモテープ・レベルのクオリティの楽曲もある。もう少し予算と時間があれば、サウンドもじっくり熟成されるのだろうけど、そうしちゃうと「Sexual Healing」のニュアンスも失われてしまうわけで、なかなか難しいところ。

marvin-gaye-midnight-love-02

 時代を彩った名機TR-808を駆使して創り上げられた名曲「Sexual Healing」について散々語られているのが、「経済的な事情が云々〜」というのが定説となっている。いるのだけれど。
 ちょっと穿った見方かもしれないけど、いわゆるアナログ・レコーディングの頂点を極めたMarvinに、「このサウンドしか選択肢がなかった」というのもちょっと考えづらい。確かに予算は少なかったはずだけど、ヨーロッパ諸国にだって、無名でも腕利きのミュージシャンはいくらでもいるはずだし、ましてやMarvinが一声かければ、手弁当でレコーディングに駆けつける者も少なくなかったんじゃないかと思われる。いくら没落したとはいえ、それだけのネーム・バリューはあったわけだし。
 むしろ、「Marvin 自身が能動的にこのサウンドを選んだ」と考えた方が自然である。
 このアルバムがリリースされた80年代初頭とは、70年代の長いエピローグの最中であり、まだディスコ・ムーヴメントの残り香が漂っていた時代だった。特にソウル系のアーティストは、猫も杓子もディスコ・サウンドに手を染めており、若手もベテランもその潮流に飲み込まれていた。
 もちろん、そのブームに乗っかったからといって、誰もがヒットにありつけたわけではない。むしろ、一定の評価を築いていたベテランほど、風当たりは強いものだった。年月を経て熟成されたサウンドを捨て、時流に迎合して変に若作りしたベテランの醜態は、嘲笑の的になるケースの方が多かった。
 そういった失敗例を横目に見ていたのか、安易に流行りに乗っからなかったMarvinの姿勢は、結果的に正解だった。もしかすると、モータウン時代に何曲かシャレでディスコ・アレンジを試していたのかもしれないけど、今のところそれっぽい音源が発掘された話は聞かない。
 キンキラのジャンプ・スーツに身をまとい、不慣れなステップをキメるMarvinも見てみたい気もするけど、…いや、ないなやっぱ。

 と、ここまで書いて気づいたことがある。
 -これって、UKニューウェイヴの流れと似てるんじゃないの?
 ストレートなロックンロールへの原点回帰を謳ったパンク・ムーブメントがひと段落し、80年代初頭のイギリスのミュージック・シーンは、一時的な真空状態に陥った。既存のロックを混乱に招き、破壊の後の再生に至るまでは、幾らかのタイムラグがあった。大きなムーヴメントに育つ動きはなかったけど、その分、アイディア一発・ハッタリとも言える新機軸の音楽が続々生まれていた。
 楽器もロクに弾けないくせに、「ロックじゃなければ何でもいい」とうそぶいて実験的なサウンドを提示したwire 。既存の楽器にとどまらず、叩いて音のなる物なら何でも素材として取り入れ、今でもインダストリアル・ミュージックのレジェンドとして君臨するEinstürzende Neubautenなど、従来の概念では捉えきれない音楽に日が当たり、続々メジャー展開しつつあったのが、 この時代である。
 オールド・ウェイヴに属するMarvinが、そんなUKシーンの動静を本気で追いかけてたわけでないだろうけど、その余波は確実に受け止めていたんじゃないかと思われる。


ミッドナイト・ラヴ
ミッドナイト・ラヴ
posted with amazlet at 16.05.26
マーヴィン・ゲイ
ソニー・ミュージックレコーズ (2000-07-05)
売り上げランキング: 220,056




1. Midnight Lady
 日本ではMC Hammerの元ネタとして有名なRick James 「Super Freak」のベース・ラインからインスパイアされて制作した「Clique Games/Rick James」を元に作られたナンバー。あぁややこしい。
 今でこそ70年代終盤のディスコ・ファンクの一翼を担ったオリジネイターとして一定の評価を得ているRick だけど、当時はそのビジュアルの特異さから、色モノ的扱いの域を出ず、まともな評価がされていなかった。
 そういった色メガネを外し、チープな音色のサウンドでも充分グルーヴ感を引き出せることに着目したMarvin の慧眼は鋭い。
 ヴォーカル的には初期のポップ・ソウル的なアプローチで、中期のウェット感を抑えることによって、サウンド全体の疾走感を演出している。中盤のドラム・ブレイクにいつもドキッとしてしまう。

2. Sexual Healing
 前に出過ぎないリズム、尾を引きすぎないカッティング、全編に薄く漂う雰囲気シンセの調べ。
 いわゆる「ブラコン・サウンド」のパーツをすべて詰め合わせた、Marvinサウンドの最終形。この後のメロウ系ブラコンはここに端を発しており、無数のヴァリエーションが今も増殖中。
 アルバム・リリースと同時にシングル・カットされ、US3位UK4位という成績を収めてるけど、前述したように、この曲はチャート・アクションのみで語られるものではない。ここ日本においても、男性ソロ・ヴォーカリストといえば、尾崎紀世彦や松崎しげるに代表される熱情シャウト中心の傾向が強かったけど、Marvinによるソフト・タッチのソウル・チューンは新たな方向性の位置づけとなり、後に徳永英明を輩出する下地となった。



3. Rockin' After Midnight
 8.のB面としてシングル・カットされた、1.と同じ方向性のダンス・ファンク・チューン。細かく刻まれるギターのフレーズはスパイス以上のアクセントを添えている。モータウン時代ならもっとまったりしたアレンジだったと思われるけど、限定された条件を最大限に活かしてるのが、このナンバー。でも、ロックじゃないよね?

4. 'Til Tomorrow
 2枚目のシングル・カット。USブラック・チャートでは31位。往年のフィリー・ソウルをヴァージョン・アップしたような、『I Want You』期を思わせるメロウ・チューン。年季の入ったファンには人気の高いナンバーでもある。間奏のサックスがAORっぽいのは時代を感じさせる。でも、好きだ、こういう世界。

5. Turn On Some Music
 デモテープを思わせるシンプルなリズム・パターン。構成パーツも多くはない。けれど、Marvinマジックが最も強く放たれているのが、実はこの曲。
 このアルバム・セッションで大活躍しているJupiter-8のウニョウニョした音色、奥に引っ込んだミックスのホーン・セクション。あとはほぼMarvinの声しかない。それだけでここまでの世界観を形作ってしまうとは。

marvin_gaye_facebook

6. Third World Girl
 タイトル通り、秘境のジャングルの中でのMarvinの雄たけびからスタート。エスニック・ムードの先取り感がほのかに感じられる。シンセのエフェクト音でいろいろ遊んでるうちにできちゃったような、そんないい意味でのお気軽さが窺えるナンバー。間奏のブルース・ハープはご愛嬌といったところ。

7. Joy
 3枚目のシングル・カットとして、USブラック・チャート78位を記録。1分に及ぶイントロがカッコいい。ダンス・ミックスとかリリースしていれば、新たな方向性が見つかったかもしれない。そのくらい、ダンスフロア・ライクなファンキー・チューン。
 なので、ここでの主役はMarvinというよりむしろギターのGordon。軽快かつムダのないカッティングはずっと続いてても飽きない。中盤のコンパクトなソロも簡潔にまとめている。ラストはサックスを中心として、なんかグダグダに終わる。

8. My Love Is Waiting
 ソウル・レビューの終わり、Marvinによるディナー・ショーの締めくくりを連想させる、モノローグからスタートする爽やかなグルーヴ・チューン。2.のアンサー・ソング的なコード進行・メロディを持ち、このアルバム全体が「Sexual Healing」を軸として発展していったことを示している。
 作り込まれているけどラフな感触は、海辺のドライブにもピッタリ。ギターの音色がいい。




 既存のフォーマットを借りるのではなく、新たにフォーマットそのものを創り上げてゆく行為は、時代を彩るアーティストとしての使命である。まだ何者でもなく、また何も持たぬ若い才能に秘められているのは、正体不明のパワーであり、恐れを知らぬ無方向性だ。
 そういった動きに触発されたかのように、原初的な響きのリズム・マシンを操るMarvin 。古き筵を捨て、新たに生まれ変わったひとりの男は、未踏の新境地を切り開いた。過去からの決別と、既存概念からの脱却を図って。
 そう考えた方が、この変節はスッキリする。


ミッドナイト・ラヴ(レガシー・エディション)
マーヴィン・ゲイ
Sony Music Direct (2007-05-23)
売り上げランキング: 523,377
The Very Best Of Marvin Gaye (Special Limited Edition with bonus CD)
Universal Music LLC (2001-06-25)
売り上げランキング: 32,135