祝・200回目のテーマは結構前から決めていた。実は100回目を書いてからすぐ構想したもの。
80年代ソニーの迷宮は奥が深く、アルバム単位だけでは俯瞰しきれないし、アルバムの中の隠れた名曲もいっぱいある。
前置きはここまで、早速始める。行くぜっ。
パール 「One Step」
1987年デビュー、男女各2名で構成されたハードロック・バンドで、これはデビュー・アルバムのラストに収録されている。PVも制作されており、リコメンドとして結構な回数で流されていたので、てっきりシングル・カットされているかと思ったら、プロモ盤のみで一般流通はされなかった。まぁヴァージョンはまったく同じなので、音源自体を探すのは、それほど難しくない。
そのデビュー作のプロデュースに、すでにこの時点で日本のロックの重鎮的存在だったCharを起用している。ここではChar、70年代ロックのイディオムを押し通すバンド側と、ソニー・サウンドのフォーマットに当てはめたがるレーベル・サイトとの緩衝役をうまく勤め上げ、80年代に通用するサウンドにどうにか仕上げている。クラシック・ロック一辺倒と思われがちな人だけど、案外新しもの好きで時流を読むことにも長けているため、今の地位がある。ただの70年代ロックゴリ押しの人ではないのだ。
メイン・ヴォーカルとギター、それにほとんどの作詞・作曲も手掛けていたのが、リーダーの田村直美。セールス的に上向く兆しが見えなかったパールは、90年代を迎えることができずに田村のソロ・プロジェクトに移行、その後はちょっとした棚ボタでミリオン・シンガーとして復活する。もともとシンガーとしてもコンポーザーとしても充分なポテンシャルを秘めていた人であるからして、成功もまた当然の帰結とは言えるけど、根っこは泥臭いハード・ロックにある。
「ミュートマJAPAN」や「ポップ・ジャム」への出演も多く、そこそこテレビ出演もこなしていたけど、ポップでキャッチーでライトなサウンドが主流の80年代ソニーにおいて、彼女らのサウンドは異質だった。バンド・サイドとしては、取り敢えずメジャー・デビューのきっかけとしてソニーを選ばざるを得なかったのだろうし、当時のソニーもまた、アングラ臭極まりなかったスライダーズのようなバンドを、どうにか一般向けにディレクションして商品価値を高めた実績から、彼らもうまくソニー・カラーに染め上げることができると踏んだのだろう。双方、それなりに企業努力は行なったはずなのだけど、実を結ばなかったのはやっぱり相性だったわけで。
パールとしての活動自体はフェードアウトしてしまったものの、ソロ・アーティスト田村直美のポテンシャルは別格とされ、その後もマイペースな活動を継続中。しかも十年に一度くらいのペースで「パール」の名前を復活させ、短期限定でライブを行なっているくらいだから、それ相応の思いれが強いのだろう。
デビュー作となったこの曲の頃は、まだソニー・サイドのディレクションが強く、バンドとしての一体感やグルーヴを抑えめに、パーツごとの分離の良いミックスを施すことによって、聴きやすくフラットな音像に仕上げている。いわゆるCD初期特有のドンシャリ・サウンド、Aメロ~サビを際立たせるメロディ・ラインによって、見事な歌謡ロックに仕上がった。
ただ、基本ラインはゴリゴリの70年代ハード・ロック。80年代のChar のベスト・ワークのひとつである。
GOLDEN☆BEST PEARL-early days-
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PEARL
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松岡英明 「Kiss Kiss」
1989年リリース10枚目のシングル。1986年に布袋寅泰&ホッピー神山という、字面だけでも濃すぎるタッグのプロデュースにてデビューしている。その後の音楽的傾向から見て、どうしてもこの2名とは結びつかないのだけど、まぁ彼らもお仕事ということで。当時のソニーだからして、そりゃもうギャラが良かったとしか思えない。
で、一応ニューウェイヴ~ニューロマ系のサウンド・コンセプトで作品をリリースしていた松ボー、ソニーの戦略としては、先んじてヒットを連発していた渡辺美里の男盤として売り出したかったらしく、その甘く端正なビジュアルを前面にだした、アイドルとアーティストの中間的な路線で活動していた。当時のリリース・ペースはアイドル並みのローテーションでスパンも短かったけど、出来不出来は別として、ほとんどの楽曲を自らてがけていたことは、ちょっと驚いた。もう少し歌が上手かったら、徳永英明にとって代わる存在になれたはずだったのに。いや、当時のソニーじゃ無理か、どれだけうまくてもビジュアル優先だったろうし。
Duran Duranに憧れたバンド少年が、TMネットワークのビデオ・ライブを観に行った時にスカウトされた、というエピソードからわかるように、基本はミーハー気質の人である。ニューロマ系の煌びやかなサウンドにマッチした美少年的ルックスは、ソニーが画策していた「ビジュアル系アイドル」のイメージにピッタリだった。
シンガー・ソングライターとしてデビューはしたけれど、本人的にもアイドルへ比重のかかったポジションを楽しんでいた感があり、実際、初期作品のクオリティは、お世辞にも高いと言えるものではない。結局、この時期の代表作と言えるのは純粋な自作曲ではなく、NHK「ジャスト・ポップ・アップ」のMCという、アーティストとしては厳しい現実だった。
これまで松ボーの作品は、コアなファンの買い支えによって、そこそこのセールスを獲得してはいたけど、大きなシングル・ヒットもなかったため低め安定、ライト・ユーザーを引き込むキラー・チューンがないのがネックだった。ていうか、当時の松ボー・サウンドの主流は、TMの劣化コピーのようなお子様向けダンス・ポップ・チューンばかりで、とてもスタンダードになり得る楽曲は見当たらなかった。しかも、ビジュアル優先でファンとなった松ボー・ユーザーらにとっては、「松ボーが歌ってればそれで充分」なので、彼自身も創作意欲が掻き立てられなかったこともまた事実である。
そんな中でリリースされたのが、この奇跡の楽曲。これまでは、どれだけニュー・アイテムがリリースされたとしても、松ボー・ファン以外の広がりを見せなかったのが一転、すれっからしの音楽ファンでさえ、思わず耳を疑ってしまったのが、この甘く切なくドリーミーなポップ・チューン。
松ボー本人としても、この一世一代のナンバーによっぽど自信があったのだろう。彼の甘いヴォイスの魅力を最大限活かすには、リズムに凝るよりもむしろ、基本的なカノン・コードで押し通した方が良いことを悟り、しかもすべてを英語詞で押し通すことによって、時代に風化しない楽曲となった。
セールス的には大きく目立った動きはなかったけど、80年代のライト・ポップ好きの間では、いまだ根強い人気を持つナンバー。こういった隠れ名曲がゴロゴロ転がってるのが、80年代ソニーの底の深さでもある。
GOLDEN☆BEST 松岡英明~シングルズ 1986-1994~
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松岡英明
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Radio-K 「使い放題tenderness」
1988年に公開された映画『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』サントラ収録曲。今では知る人も少なくなったユニット Radio-Kは、バービーボーイズのコンタといまみちともたかを中心に結成された、実質バービーのサイド・プロジェクトである。そこにいまみちの旧友能勢寛を加え、かれはここでアルバム6曲中2曲のヴォーカルを取っているけど、正直特筆するほどの個性はない。ていうか、コンタと比べたらキャラは薄いよな、誰だって。これで自信喪失したのか、その後の活動状況は不明。
映画主演が決定したコンタがサントラも担当することになったため、コンポーザーとしていまみちを引っ張り込んだ形。となっているのだけど、これが当初、バービーとしてオファーがあったのか、それともバービーとして受けられなかった事情があったのか、その辺がどうも不明。
この時期のバービーは、前年リリースのシングル「女ぎつねon the Run」のスマッシュ・ヒットによってブレイク、「ロック版ヒロシ&キーボー」と揶揄されていた状況から一転して、本格的なロック・バンドとしてのステップを歩みつつあった頃である。初期のバービーは、80年代トレンディ・ドラマのような男女の丁々発止の掛け合いが好評を博していたけど、「女ぎつね~」以降は次第に内省的な歌詞が目立つようになり、それに伴ってコール&レスポンスのような一体感は失われてゆく。U2のEdgeを始めとしたUKニュー・ウェイブ・サウンドにモロに影響を受けた、いまみちのギターを軸としたサウンドも、次第にトーンに歪みがかかるようになり、得も知れぬ不満を露わにしたサウンドが主となってゆく。
なので、この時期のバービーは、次の展開を練るために小休止中、他者からのインプットを得るため、メンバーは各自ソロ活動中だった。サウンド・メイキングの要であるいまみちもまた、特にPSY・S松浦雅也とのコラボによって新たなインスピレーションが沸いてきた頃であり、それが後期の傑作『√5』として結実する。
その緩やかな変化の前、ここでは「クライアントが求めるバービー像」を軸として、取り敢えず新たなサウンド・コンセプトは封印している。真のクリエイティヴを追求するオリジナルとは違い、あくまで外部発注の要望に応える「商品」制作の要請であるからして、ここでのいまみちは「ヴァーチャルなバービーボーイズ」サウンドの構築に専念している。まぁそれだけじゃ飽きちゃうので、知り合いを入れて新味を添加してみたわけで。一応、バービー名義でシングルは発表されているのだけれど、正直、バンドとしての体裁が整えられているだけで、ほとんどいまみちとコンタで作り込まれたと言ってもよい。
前述したギター・オリエンテッドなサウンドは、Edgeによって完成された深いディレイで埋め尽くされ、サビで力強いカッティングを入れている。この強めのカッティングが、これまでのバービーにはなかったもの。初期バービーをよりソリッドに近づけたサウンドは、彼らが真性のロックバンドであることを思い出させてくれる。
JUST TWO OF US(紙ジャケット仕様)
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BARBEE BOYS RADIO-K RADIO-K バービーボーイズ
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バブルガムブラザーズ 「やっぱJB」
芸人としての行き詰まりを感じた近藤伸明が小柳トムを誘って結成、1985年にレコード・デビューしたバブルガム・ブラザーズは、「WON'T BE LONG」まではなかなかヒットに恵まれなかったけど、今でいうパーリーピーポーの元祖的なショーマンシップと、グループ名から察せられるように、Blues Brothersをモチーフとしたステージ・パフォーマンスによって、そこそこの知名度を維持していた。80年代バブルの申し子的な賑やかし要員として、久保田利伸を中心としたR&Bコミュニティの幇間的役割を担っていたけど、肝心の音楽面では特筆するほどの活躍は見せられずにいた。
音楽面・ステージ面においてもイニシアチブを取っていたブラザー・コーンは、70年代ディスコの申し子的存在としてダンス・クラシックにも精通しており、その膨大な勉強量に裏付けされた知識は、本職のミュージシャンでさえも舌を巻くほどであったけど、そのスキルが楽曲にフィードバックされていなかったこともまた事実。ソウルだファンクだディスコだと説いていても、いつものソニー・マジックによって不本意なポップ成分が添加されるしまい、パッケージされるのは中途半端なポップ・ソウルばかり。しかもそれがかなりポップ寄りだったから始末に負えない。アメリカで芽生えつつあったギャングスタ・ラップの風貌を先取りしていながら、歌ってるのはMTVサイズの小さくまとまった「悪ぶったポップ・ソング」だったので、そのギャップには本人たちも歯がゆかったんじゃなかったかと思われる。
そんな彼らがブラコン「風」やディスコ「風」といったフェイクを取り払い、ルーツであるJBへのリスペクトをストレートに表現したのが、このシングル。裏返してみると、これもまたある意味フェイクであり、「~風」ではあるのだけれど、これまでと違って自分たちのキャラクターを客観的に捉え、第三者的な批評性を付加することによって、「~風」ではないバブルとしてのオリジナリティが強く打ち出された。
どうだい そっちの住み心地
こっちはどうにも 気が抜けて
早い帰りを待っている
やっぱJB やっぱJB
すごいメンバーそろってるんだろ 新聞で見たよ
司会が欲しけりゃ 言ってくれ すぐにも飛んでくぜ
古今東西、ここまでJB愛にあふれた曲を、俺は知らない。
これが本人に届いたのかどうかはわからないけど、もし届いていたのなら、彼は一言、きっとこうつぶやくだろう。
「最低の曲だ、でも、最高だ」。
GOLDEN☆BEST バブルガム・ブラザーズ
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バブルガム・ブラザーズ
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白井貴子 「プリンセス TIFFA」
80年代の学園祭の女王として、またはフィメール・ロック・シンガーの草分けとして、はたまた山下久美子から渡辺美里への中継点的役割を果たしたのが、白井貴子である。こうやって書いちゃうと、何だか場繋ぎ的なポジションのように思われてしまうけど、その後のソニーの女性ミュージシャン戦略のプロトタイプとして、彼女の功績は重要である。
80年代初頭までの女性ロック・ミュージシャンは、どうにもアバズレ的、子宮を中心に据えたビッチ的視点(またはJanisの視点)で捉えがちだったけど、セクシャリティの薄い山下久美子の登場によって、ビッチ路線以外の新たな方向性が生まれ、次にクイーンの座を委譲された白井貴子によって「近所の大学生のお姉さん」的なカジュアル路線が誕生した。美里の「アイドルとアーティストの中間」路線が、それほど抵抗なく世に受け入れられたのは、白井の存在が大きい。
大きいのだけど、その美里への委譲があまりにスムーズに行ったおかげで、白井のカジュアル路線は霞んで見えるようになる。美里との差別化を図るため、これまでのシティ・ポップ路線を一旦封印、ロック・バンドCrazy Boysを結成してサウンド・コンセプトも一新を図る。
もともと佐野元春「Someday」のカバー・ヒットで注目されるようになった白井だけど、それさえもトップ10に入るほどの勢いではなく、ましてやオリジナル曲のチャート・アクションはもっと地味なものだった。彼女の中ではもっとも知名度のある「Chance!」でさえ、最高12位だったことは、俺もちょっと驚いた。リリースされた1984年はアイドル歌謡曲全盛期、大きなタイアップでもない限り、当時の彼女が志向していたシティ・ポップは影が薄い状態だった。
そんな行き詰まり感から活路を見出すためのロック路線だったと思うのだけど、それまでライトで爽やかなタッチのナンバーが多かった彼女の路線変更に、戸惑いを見せたファンも多かったはず。菊池桃子が突然、ロック・バンド(?)「ラ・ムー」を結成したように、彼女もまたどこか無理やり感、消化不良気味な状態が続いていた。
そんな中、Crazy Boys 名義でリリースされたのが、このシングル。化粧品CMとのタイアップということもあって、ビート感を追求していたロック路線からはちょっと外れて、半分お遊び的な軽いポップ・サウンドでまとめられている。冒頭のコケティッシュな吐息、オールディーズのパロディのようなコーラス、敢えてアイドル路線に舵を切ったような甘いヴォーカライズ。ハードなサウンドを求めていたCrazy Boysのコンセプトとは、真逆のサウンドである。
ただこれも、バンドというしっかりしたバックボーンがあったからこその結果であって、もしこれをソロでやったとしたら、もっと中途半端な仕上がりに終わっただろうと思われる。盤石とした土台があったからこそ、しかもCMオファーということで別コンセプトを設定でき、これだけ遊ぶことができたというのは、白井とバンド、相互の信頼関係の為せる技だろう。
シンプルなコードとキュートなメロディは21世紀においても互換性はあるとおもわれるので、誰かきちんとしたガールズ・ポップとしてカバーしてくれないものか。甘いヴォイスでグルーヴ感のある若手シンガーと言えば…、ダメだ思いつかねぇや。
白井貴子 ゴールデンJ-POP THE BEST
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白井貴子
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10曲紹介する予定だったのだけど、思いのほか長くなったので、一旦ここでひと区切り。
残り5曲は次回。