_SL1039_ これまでアメリカのシンガー・ソングライター系の音楽といえば、Joni MitchelとDylanくらいしかまともに聴いてなかったのだけど、今年に入ってから何となく聴いてみたところ、俺的にすごくツボにはまったサウンドだったので、ご紹介。

 バイオグラフィー的なところからダラダラ綴っていくと、もともと音楽一家に育ったらしく、父親はジャズのトランペット奏者、親類に大御所ジャズシンガーHelen Merrillがいる。そういった環境で生まれ育ったため、音楽の世界に入るのはごく自然なことで、19歳ですでにソロ・アルバムをリリースしているのだけど、まぁクオリティは高くても、商業性に結びつくのはまた別の話、というパターンで、最初はそんなに売れなかったらしい。

 60年代後半の女性シンガー・ソングライターで、多少なりとも名が知られていたのがJoni、職業作曲家として活躍していたCarole Kingが表舞台に出てくるのは、もう少し後になる。一見接点のなさそうな3人の女性の共通点として挙げられるのが、「ソングライターとしての有能性」。
 Joniが最初に注目されたのはCSN&Yに書いた”Woodstock”だったし、Caroleもまた、70年代に入ってから『Tapestry』でブレイクするまでは、オールディーズ時代から活躍する専業ソングライターとしての側面が強かった。当時の音楽業界は圧倒的な男性社会、アイドル的要素の欠落した、要はクリエイティブ志向の女性アーティストには、居場所がなかったのだ。

 なので、Lauraがやっと注目され始めたのはフラワー・ムーヴメント以降、セカンド・アルバム『Eli and the Thirteenth Confession』からである。その後は創作上のスランプや出産による休止期間を経ながら、コンスタントに活動していたのだけれど、そのインターバルが仇となっているのか、前者2人と比べて日本での知名度はちょっと低めである。
 ただこれは日本に限ったことでもなく、本国アメリカにおいてもLaura、アーティストというよりはむしろ、ソングライターとしての認知の方が高い。5th Dimensionが取り上げた”Stoned Soul Picnic”から始まり、Blood, Sweat & TearsやThree Dog Nightなどの同時代アーティストから、アメリカ・エンタテインメントの大御所Barbra Streisandなど、結構錚々たる顔ぶれが彼女の作品をカバーしてるので、70年代洋楽をかじってる人なら、Laura本人の歌は聴いたことがなくても、あぁあの曲といった感じで、一度は耳にしたことがあるはず。

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 志向する音楽性は違うけど、Joni との共通項として、Lauraもまた他アーティストからのリスペクトが多い。いわゆる通好みのアーティスト、代表的なところとしてはVan MorrisonやThelonious Monk、日本だと矢野顕子やシオンあたりなんかじゃないかと。
 クセが強いというのか、いわゆる独りのアーティストでひとつのジャンル、その人自体がジャンルそのものとなってしまっているオンリーワン状態なので、一度好きになってしまえば中毒性が高く、熱狂的なファンも多い。なので、業界内外にも支援者は多く、メディアに取り上げられる機会も多いので、誰でも名前くらいは聞いたことはあると思う。ただし万人受けする音楽ではないので、セールス的には微妙な人が多いのも、特徴のひとつである。
 他のアーティストとのコラボが多かったり、作品がカバーされたりなど、案外話題が尽きることもないので、レコード会社との契約が切れたことがなく、大きなセールスは見込めなくても、紙ジャケやらデラックス・エディションやらでカタログには残っているし、息の長いロング・セラー・アルバムが多いので、長い目で見れば採算は取れている。
 一度大きくブレイクしてしまうと、あとは落ちるのみ。大きな上り下りもなく、マイペースに続けていられるのなら、アーティストとしては理想的な状態なんじゃないかと思う。この、「消えそで消えなさ加減」というのは、案外ワザがいるのだろう。

 で、実はここからが本題。
 俺自身、Lauraに関しては、これまでまったく聴いてこなかったわけではない。一応デビュー作を含め、代表作が集中している70年代前半の作品を中心に聴いてはみたのだけど、どうもイマイチしっくりこなかった。全般的にアレンジ、とはいってもピアノの弾き語りがベースのサウンドなので、あまりイジりようのないものだけど、実はそれって、色々着飾ってみてもどれもピッタリしないんで、だから仕方なくアコースティックでやってるんじゃないの?という気がしてならなかったのだ。
 若い頃はもっぱらナチュラル志向、ノー・メイクだった。60年代末期はヒッピー全盛期、「飾らないことこそが本当の自分」という時代の流れもあって。でも、いろいろなファッションを試してみた上でたどり着いたナチュラルと、最初から選択肢を放棄した、一択のみのナチュラルとでは、 明らかに意味合いが違う。それは彼女もわかっていたのだろう。
 なので、金銭的にも心情的にも余裕ができてからは、他のバリエーションも試してみた。基本のベースはもともと端正なので、どれを選んでも、それなりにサマになる。他人からのウケも良い。
 けど、やっぱり違う。なんか思ってたのと違う。
 これならまだ、変に着飾らない方がマシだ。

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 アコースティック・ピアノ一本の弾き語りは、余計な装飾がなく、アーティスト本来の実力が見えてくる、とはさんざん言われているけど、Laura本人としては、そう思ってなかったんじゃないだろうか。なにも好きこのんでシンプルにしてるわけじゃないのだ。
 直接は関係ないのだけど、Lauraのサウンドへのこだわりを象徴するエピソードがある。
 ある曲のレコーディングで、大人数のミュージシャンが集まって一発録りしたのだけど、サウンド・チェックしたところ、あるパートだけが納得行かず、そこだけ録り直しすることになった。それはそれでスムーズに終わったのだけど、そこを直したことによって、今度は他のパートの出来も気になってきた。で、そこもまた録り直し。あそこを直せば、今度はあそこもまた気になってきて…。
 で、最終的に完成したテイク、もはやそれは当初の原型を留めず、最初に録音したパートは、何ひとつ残ってなかったそうである。

 結局のところ、いろいろ試行錯誤して、流行りのサウンドも取り入れてみたりしたのだけど、下手に余計な音を入れるくらいなら、ピアノ一本で弾き語りした方がまだマシ、というのが晩年のLauraのスタンスだったんじゃないかと思う。
 もともとポテンシャルの高い人なので、例えば洗いざらしのジーンズでもサマになるのだろうけど、うまくコーディネートできないからそうしてるだけで、本人の思うところは、そういったことじゃないのだ。
 ナチュラルな魅力?仕方ないから、そうしてるだけなのに。

 で、オリジナルとしては最終作となってしまったこの『抱擁』。一応海外の作品なので、『Walk the Dog and Light the Light』という原題があるのだけど、このアルバムには邦題の方がしっくり来る。丁寧に時間をかけてデコレーションされたそのサウンドの中で、居心地良さそうに、くつろいだ歌声のLauraがそこにいる。
 プロデューサーはGary Katz。言わずと知れたSteely Dan第3の男、後期のDanサウンドを支えた功労者であり、『Gaucho』のレビューでも書いたように、ある意味彼も理想のサウンドに取り憑かれた男である。
 ほぼ完全燃焼と言ってもいい『Gaucho』リリース後、Steely Danはその後10年にも及ぶ無期限活動休止状態に入る。Katzとしてはまだ野心があったのか、その後も期待の若手をいくつかプロデュースしているのだけど、そのどれもが不発、Danの足元にも及ばない評価とセールスしか得られなかった。
 で、イチから若手を育てるのはやめにして、ある程度評価の定まっているベテラン中堅アーティストを自分のフィールドに引き込むことを目論む。幸いDan時代の実績は業界内でも絶大だったので、プロデュース依頼はそれなりにあったのだ。あったのだけど、Katzが選んだアーティストというのが…、Diana Ross? Joe Cocker? どれもしっくりこないアーティストばかり。よりにもよって、なんでこんなオファーを受けてしまったのか、疑問に思ってしまうくらいである。緻密に組み立てるGaryのプロデューシングとはマッチしそうにない、あまりに傾向の違うアーティストばかりなので、金に困ってたんじゃないかと勘ぐってしまっても、不思議ではない。

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 Katzによるプロデュース作品の特徴として、録音の良さが真っ先に挙げられるのだけど、このアルバムもこれまで同様、どの楽器も音の芯が太い。静寂からスッと立ち上がる楽器の音色、音の立ち上がりも良い。どの音もダンゴにならず、ひとつひとつの音がしっかり自己主張して、しかもそれらがバラバラにならず、すべてが有機的に絡み合ったサウンドとして成立している。
 復活後のSteely Danも同じ制作手法/ノウハウを持っているはずなのに、どこか漫然と締まりなく聴こえてしまうのは、サウンドに対するこだわりの強さの違いだと思うのだ。
 現在のDanはアルバム・アーティストというよりは、むしろライブ・バンドとしての側面が強い。一応断続的に活動はしているのだけど、そのほとんどはアメリカ国内ツアーに費やされ、ここしばらくアルバム・リリースの噂は聞かない。時に懐メロバンドっぽくなってしまう現在のDan、メインの2人は変わらず、楽曲だって過去のレパートリーばかりにもかかわらず、今ではまったく別のバンドである。もはやかつてのように、永遠とも思えるスタジオでのルーティン・ワークに戻るには、気力が切れてしまっているのだろう。


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1. Oh Yeah Maybe Baby (The Heebie Jeebies) 
 初めて聴いた時は、福山雅治"桜坂”とサウンドが似てるなぁ、と思ったのだけど、もちろんこちらが本ネタ。さらに遡ると、原曲は1961年にリリースされたガール・グループCrystalsのカバー。そしてプロデュースは「あの」Phil Spector。オリジナルは例の跳ねるリズムに乗った、もっと軽快な曲なのだけど、ここではLaura、もっとしっとりとしたタッチで、楽曲自体の良さを活かした音作りに仕上げている。
 冒頭の多重コーラスといい、すべてが心地よい音像の世界。これだけまったりしそうなサウンドでありながら、きちんとリズムが立っているのは、Garyの為せる技のおかげもあるのだけど、全編でドラムを叩くBernard Purdieの力量によるものが大きい。



2. A Woman of the World
 ほぼ1.と同じ印象のサウンドだけど、また表情が違っている。若かりし頃のLauraと違って、エモーションに頼った歌い方をしていない。もっと肩の力の抜けた、良い意味で技巧的な歌い方なのだ。俺が旧作のLauraに抵抗を感じていたのが、そこ。ゴスペルを基調としたブルー・アイド・ソウルのルーツ的なヴォーカリゼーションは、時に感情的過ぎて鼻につく場合もある。
 実際どうなのかは知らないけど、パートごとの個別録音ではなく、一堂に会したセッションで作られたような音作りであることも、Lauraの声も構成楽器の一部として機能して、自己主張し過ぎていない。
 この、1.から2.に続く流れがとても心地よくて、今年のヘビロテになっている。



3. The Descent of Luna Rose
 少しテンポ・アップして、ギターもちょっとファンキーになっているのに、この落ち着きようはどうだ。Lauraの声自体、ファンキーさは薄いのだけど、時折ロング・トーンで見せるゴスペルっぽさが、普通のAORに終わらせないリズム感を創り出している。
 ギターのMichael Landauは、もともとジャズ/フュージョン畑で長らく活躍してた人、またJoni Mitchelの公私に渡るパートナーでもある。

4. Art of Love
 で、これは何となく80年代のJoni、ジャズ/フュージョン路線からコンテンポラリー路線へ移行する際に伴い、デジタル楽器を使いこなそうと悪戦苦闘していた頃のサウンドに酷似している。その辺はJoniの先駆性なのだろうけど、さすがにそこから10年も経つと機材も進化、Katzのプロダクションによって不自然な音は何ひとつない。
 もともとギター、ベース、ドラム、そしてLaura自身のヴォーカルとキーボードという、シンプルかつ盤石の布陣で基本のサウンドが作られているので、ちょっとやそっとの乱れた音ならビクともしないのが、このアルバムの特徴。

5. Lite a Flame (The Animal Rights Song)
 タイトル通り、動物への愛を描いたナンバー。ここまで肩の力を抜いてリラックスして歌っていたLaura、ここではほぼピアノ一本での弾き語り、心なしか声にも熱がこもっている。かつてフェミニズム的なメッセージの強さ(これも曲解されて受け止められているのだけど)が仇となって迷走してしまったLauraだけど、ここではハイ・レベルな音像処理のおかげか、極端な暑苦しさはない。でも、俺はちょっと苦手だな、このアルバムの中では。

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6. Louise's Church
 1.同様Lauraの多重コーラスから始まる、ややエスニックなリズムが全編に流れるナンバー。後半のモノローグの後は曲調が変化、往年のBrecker Brothersによるホーン・セクションがちょっぴりファンキーにキメる。それに乗ってピアノを叩くLauraも楽しそう。

7. Broken Rainbow
 1985年のアカデミー賞ドキュメンタリー最優秀賞受賞の映画『Broken Rainbow』に提供した曲の再演。主にアリゾナを拠点とするネイティヴ・アメリカン、ナヴァホ族への密着取材が主題となっているのだけど、日本では取り上げられることもなく、俺ももちろん未見。まぁ映画を見ていなくても全然問題ないのだけど、スケールの大きさは伝わってくる。

8. Walk the Dog and Light the Light (Song of the Road) 
 やはりこれもJoniとの親和性の高い、フォーク・テイストだけど、ジャズっぽいテンションも感じられるナンバー。これだけキャリアが長いと、目指す方向も近くなってしまうのだろう。どっちがいい/悪いではない。だって俺、どっちも好きだもん。
 並みのアーティストが同じことをやろうとしても、ここまでのグルーヴ感は出せないはず。特にLauraの歌に触発されたMichael Landauのネチッこいオブリガードは絶品。Joniの時よりもサービス満点である。
 邦題はほぼ直訳なのだけど、これほどこのアルバムを的確にあらわした一節は見当たらないと思う。もし実際、Lauraにこの言葉をそっと囁かれたとしたら?若い頃のギラついた脂がすっかり抜けた、年上の女性からの文学的な言い回し。
 そういった仕草に魅力を感じるのは、それだけ俺が大人になったということなのだろう。



9. To a Child
 1984年リリース『Mother's Spiritual』の1曲目に収録されており、今回はほぼ10年ぶりの再演。いくら10年前とはいえ、『抱擁』のひとつ前のアルバムにあたるため、セルフ・カバーするには異例のペースなのだけど、ここ10年で思うところがあったのだろう。
 ここではシンプルなピアノ弾き語りなのだけど、俺的にはこのソロ・スタイルより、前作のヴァージョンの方が好き。こちらもやはりフュージョンを通過したAOR的なサウンドとなっているので、弾き語りにそれほど強く惹かれない俺としては、サウンド的にきちんと作られたオリジナルの方に軍配。

10. I'm So Proud / Dedicated to the One I Love
 最後はそれぞれImpressions、Shirellesのカバー。前者はもちろん有名なCurtis Mayfieldの名曲、俺的にはTodd Rundgrenのヴァージョンで初めて知った、なじみの深い曲である。対して後者はまたしてもSpector、多分、アメリカでは有名なオールディーズなのだろうけど、俺的には今回初めて知ったナンバー。
 かなりソウルフルに歌い上げるLaura、そして気楽なセッションながらも緊張感を忘れないリズム・セクション、いちいちメロディアスなギター、そして何と言っても感傷的なMichael Breckerのアルト・サックス・ソロ。ほんと、極上の空間とはこういったことを指すのだろう。

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 ある程度自分でも感づいていたのだろうけど、キャリアのほぼ末期になってやっと、自分にしっくりするサウンドが得られたLaura。この頃はすでに癌に侵されており、だからなのか、長いインターバルを置いたマイペースな活動から一転、これまでにない精力的な活動を行なっている。奇跡の再来日公演を含む積極的なライブ活動、また創作意欲にも火が点いたのか、次回作の構想もアルバム3枚くらいはあったらしいし、実際この時期のデモ・テイクは大量に残されている。

 死後もうすぐ20年は経とうとしているにもかかわらず、いまだLauraの音楽を求める人は多い。今でも未発表音源やライブ・テイクの発掘は行なわれているのだけど、この遺作で彼女のファンになった俺的に、デモ・テイクの飾り気の無さは、「そうじゃない感」が強い。

 それとも俺はまだ、Lauraの音楽を受け入れる器じゃないということなのか?
 「シンプル」なLauraをも受け入れられるようになるのは、いつになるのだろうか。



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