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尾崎豊

80年代ソニー・アーティスト列伝 その5 - 尾崎豊『回帰線』

folder 1985年リリース、尾崎豊2枚目のオリジナル・アルバム。デビュー・アルバム『17歳の地図』の初回プレスは3千枚に過ぎなかったが、このアルバムはオリコン初登場1位と、大きくジャンプ・アップしたチャート・アクションを残した。さして注目もされなかったポッと出の新人アーティストがいきなりビッグ・セールスを記録したのは、特別大きなタイアップがあったわけでもなく、先行リリースされた12インチ・シングル”卒業”のヒットが大きく作用している。

 ちょうどこの年は未曾有の卒業ソング・ブーム、尾崎を始めとして、あらゆるアイドル・アーティストらが揃って卒業をテーマとした曲をリリースしている。何の因縁か、後日すったもんだでゴタゴタあった斉藤由貴を筆頭に、菊池桃子や倉沢淳美(欽どこのわらべ出身のあの娘)が代表的なところ。
 なぜこの時期に集中したのかは不明。

 個人的な話、”卒業”リリース当時、俺はちょうど中3、卒業を間近に控えていたため、どうしても思い入れが深くならざるを得ない。
 尾崎との初めての出会いはラジオ、何の番組かは忘れたが、FM北海道(後のAir-G)で流れてきた”17歳の地図”だった。もし30年遅れてこの曲に出会っていたら、「Springsteenをルーツとした、浜田省吾のオマージュ的サウンド」だと冷静に受け止め、それほど魅かれることもなかったはず。ただ、2週に一度発売されるFM雑誌を隅から隅まで丹念に読み込んでいた北海道の中学生にとって、魂を叩きつけるような尾崎のヴォーカルは、たちまち心を捉え鷲掴みするほどのインパクトがあった。
 多分、同じ体験をした同世代は少なくはないはず。ほぼ無名ながら、デビュー間もない頃から既にカリスマ性を備えており、それが草の根的に徐々に伝播してゆき、そして絶好のタイミングで爆発したのだ。

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 当時の日本のロック/ポップス・シーンにおいて、最も語られる存在・対象として、強烈なカリスマ性を有していたのが、尾崎である。その求心力は生み出された詞曲だけでなく、インタビューや語録という形でもファンに伝えられ、そこからにじみ出る人間性や生き様までが魅力として捉えられ、そして批評の対象となった。
 尾崎以前、同等のカリスマ性を発信していたのが吉田拓郎や矢沢永吉だったのだけど、俺の世代が彼らに対して感情移入するには、ちょっと違和感があった。俺世代が物心つく頃、彼らは既にスターだった。彼らの視点は分別のついた大人のものであって、十代の俺たちが共感を抱くには、世代的な壁が大きく立ちはだかっていた。

 “卒業”と『回帰線』のヒットを受け、泥縄的なコンセプトとして、「10代のうちにアルバムを3枚リリースし、ティーンエイジ3部作を完結させる」ことが目標となる尾崎プロジェクト・チーム、この頃はプロデューサー須藤晃とのデモテープ制作→ボツの無限ループの連鎖との戦いだった。その間にも、ライブハウス規模の短期ツアーやイベントをはさんだり、突発的なアクシデントとして、伝説のアトミック・カフェ・ライブでの骨折事故(これはちょっとはっちゃけ過ぎたため)、不本意な停学処分が発端となった高校中退などなど、公私ともども慌ただしかったおかげもあって、なかなかまとまった時間が取れず、レコーディングは断続的に行なわれたようである。

 で、このアルバム、楽曲レベルとしてはとてもデビュー作とは思えないほど高水準の『17歳の地図』が、サウンド的・アレンジ的には若干装飾過多で、オーバー・プロデュース気味だったという反省を踏まえ、今回はシティ・ポップス風のソフト・サウンドは鳴りを潜め、ある程度固定したバンドの一体感を前面に打ち出した、ヴォーカルもややラウド気味の響き方をしている。ニュー・ミュージック系のオーソドックスなアレンジを無理やり型にはめるのではなく、ちゃんと歌のテーマに沿って、限られた時間でありながらも丁寧に、作者尾崎の意向を最大限尊重した作りになっている。

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 デビュー作については仕方ない面もある。そりゃどこの馬の骨ともわからないアーティストだ、制作サイドもまだ適性がつかめず、取り敢えずオーソドックスで耳触りの良いサウンド作りを選択するだろう。なるべくリスクを負わず、全方位的なサウンドを展開することによって、無難な線を押さえてゆくのは、経済の論理としてみれば当然だ。
 まな板の鯉的な扱いの尾崎もまた、本格的なレコーディングなどもちろん初体験、勝手がわからず、何をどう発言してよいのやらわからなかった部分も大きかったはず。
 で、ライブの場数を踏むことによって次第にサウンドが固まり、制作サイドも何となく方向性が定まってゆく。尾崎の発するメッセージをできる限り効率よくリスナーへ伝えるサウンドとは-。
 で、この時期に尾崎と制作サイドとの利害が一致、出来上がったのは、Springsteenや佐野元春、浜田省吾のスタイルをモチーフとした、ヴォーカル&インストゥルメンツそれぞれを明確に打ち出したサウンドである。
 基本、デビュー前から書き溜めていた曲と、レコーディング前に書いた曲とがほぼ半々の割合なのだけど、どの曲も無理がなく、取ってつけたようなアレンジのナンバーはない。グルーヴ感冴えわたるラウドなバンド・サウンドと、10代にしては卓越過ぎるヴォーカルを前面に出した、ドラマティックなバラードとがうまく混在している。

 俺個人の印象として、同世代の尾崎ファンは意外なほど多い。もちろん”I Love You”や”卒業”をカラオケでたしなむ程度のライトなファンが圧倒的に多いのだけれど、特に初期3部作を隅から隅まで嘗め尽くすように聴きこんでいた人も、同じくらい多い。
 彼の活動時期はちょうどCDとレコードの切り替え時期と被っており、ましてや時代はアイドル全盛期、なので大きなセールスは記録していないのだけど、「OZAKI現象」とまで称されたムーヴメントは、静かながらも、当時の多感な10代の多くに深く浸透していた。そのメッセージの受け止め方は人それぞれだけど、当時中高校生だった者なら、まったくの無関心よりはむしろ、何かしら思い入れを持っていた者の方が多かったはず。
 尾崎という存在は時代を象徴するイコンであったため、強烈に惹きつけられるか、または強烈な嫌悪感を持つかであり、まったく無視することはできなかったのだ。

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 「昔、尾崎が好きでしたっ」「今でも聴いてますっ」。人それぞれだけど、意外にヤンチャしてた人の中に尾崎のファンは多い。車に乗せてもらった時、カラオケで一緒になる時、飲み屋で同世代トークを繰り広げる時、「好きな音楽って何?」「今でも尾崎」「昔は尾崎ばっか聴いてた」と言う人は、思いのほか多い。
 そういった彼らも俺同様、大抵はオジサンやオバサンなのだけど、尾崎の話をする時は、ちょっと恥ずかしげながらも、若干誇らしげな表情をする。
 自分たちの時代には、こういったカリスマ性のあるスターが存在していたこと、そういったカリスマと同時代を生きていたことに対し、すごく自分に自信が持てるのだ。


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1. Scrambling Rock’n’Roll
 Springsteen & E Street Bandの疾走感とエッセンスとを上手い感じに抽出し濃縮し、それでいてただの真似ごとに聴こえないのは、やはり尾崎の存在感か。ハード・スケジュールの中、どれだけサウンドを練り上げることができたのかは不明だけど、多分それほどテイクは重ねていないのだろう。ヴォーカルは時々ピッチがズレたり裏返ったりする箇所もある。
 勢いが重要なナンバーなので、それほど歌い直しもしてなさげ。エコーの効いたドラム、要所要所で突っ込まれるスラップ・ベース、泣きまくるギターの音色が80年代ソニー系のサウンドなのだけど、そこにうまく嵌まる尾崎のヴォーカルがやはり良い。
 2番終わりのBメロ、「寂しがり屋の君の名前すら 誰も知りはしない♫」あたりからの下り、初っ端から飛ばしまくって疲れ切っているはずなのに、ここで立ち直り、凛と立ち尽くす尾崎の姿が美しい。

2. Bow!
 尾崎自身によるオープニングのハーモニカが印象的。拝金主義への批判的な歌詞、サウンドのテイストなど、浜田省吾”Money”との相似点が多いのだけれど、まぁ似たようなことを考えていたのだろうと思いたい。
 
“鉄を喰え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰いつくな“
 
 印象に残るこの歌詞、実は石原慎太郎の戯曲『狼は生きろ、豚は死ね』からインスパイアされたもの。後年の松田優作主演『白昼の死角』のキャッチ・コピーの方が有名だけど、元ネタはこちら。
 
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3. Scrap Alley
 子供が生まれた友人へ捧げた、きっかけはパーソナルながら、若くして親になった者なら迫りくるものがある。チンピラでもロック・バンドを組んだわけでもないが、誰もがこの熱く真摯に迫った激励を好ましく思えるはず。
 ちなみに俺は30過ぎての結婚だったため、この曲に強い思い入れはない。ただの楽曲として聴いてただけ。

4. ダンスホール
 デビューのきっかけとなったソニーのオーディションで初めて歌った曲であり、同時に生前最後のライブでラストに歌った曲として、ファンの間では特別な思い入れの強い曲。もちろん音源化される前までには、須藤晃より恒例のダメ出し攻撃を掻い潜らなければならなかったはずだけど、基本形はほぼ完成していた、とのこと。曲も歌詞もこれだけのクオリティの物を提示できた10代が、歴史上どれだけいただろう?
 前作にはないヴォーカル・スタイルである。叩きつけるシャウトと情感たっぷりのバラードの2種類のヴォーカルで構成されたのが『17歳の地図』だったけど、ここでは特定の「誰か」に語りかけるような、優しげな表情を見せている。同じバラードでも、思いのたけを押しつけるのではなく、相手への思いやり・気配りが垣間見える、きちんと理解を求めようとする尾崎のスタンスがある。その「誰か」とは、ほんとに身近な「誰か」だったかもしれないし、またスピーカーの向こうの不特定多数の「誰か」かもしれない。
 そう思わせてしまう説得力が、この頃の尾崎には既にある。
 


5. 卒業
 多分、リアルタイムでの尾崎ブレイクのきっかけとなった曲。これで一気に認知度が高まった。と思ってたのだけど、オリコンでは最高20位。12インチ・シングルという価格的な条件を考慮したとしても、思いのほかチャート・アクションは地味だった。音楽好きな誰もが、多かれ少なかれ尾崎の話題を口にしていたにもかかわらず、大きなセールスではなかったのだ。
 ただ前述したように、全世代へアピールするようなアクションはなかったけど、ピン・ポイントで確実に、当時の10代への影響力は絶大だった。誰もが尾崎に共感し、嫌悪し、憧れ、そして拒絶した。まったくの無反応な人間はいなかった。
 トータル6分の大作だけど、不思議なくらい冗長さは感じない。曲自体はミディアム・テンポでゆったり、後半でドラマティックなオーケストレーションが入ってくる構造なのだけど、歌詞の情報量がハンパない。優に2~3曲分くらいに相当する言葉を、これでもかというくらいパンパンに詰め込んでいる。しかも、その言葉のどれもが削れない、いや多分遂行しまくった結果がこの分量、このサイズなのだろう。そのため、メロディに無理やりはめ込んだり字余りの箇所も多いのだけれど、それが自然に聴こえるよう構成したのは、制作チームの努力の賜物である。
 歌詞については色々な所で散々書かれているので、今さら感もあるし、今の若い人たちには実感が湧かない内容も多い。今や学校は窓ガラスを壊す場所ではないし、教師はか弱き大人の代弁者でもない。学校とはただの通過点であり、そこでわざわざトラブルを起こすことなど、愚の骨頂なのだ。
 後追いで聴く者にとって、当時の焦燥感と無力さ歯がゆさに満ちたこの歌詞をリアルに受け止めることは不可能である。ただメロディは現在の水準としても十分高いので、難しいことを考えずに聴き継がれてほしい楽曲でもある。
 


6. 存在
 ここからレコードではB面。ライブ映えする曲が多かったA面に対し、こちらはもう少し軽やかなポップ・ソングを多く収録している。アップ・テンポで軽快な曲で、シンセの含有量が多い分だけ、サウンド自体はポップで、ソフトな内容っぽく聴こえるのだけど、歌詞カードを読んでみると、横文字カタカナどちらもきれいさっぱり排除されていた。
 当時から囁かれていたこと、Springsteen ”Badlands”にあまりに似過ぎているのだけれど、まぁそこはスルーで。

7. 坂の下に見えたあの街に
 ブギウギ・ピアノから始まる、こちらもポップ・ソングでありながら、2.と同じ世界観を歌っている。あそこまで悲観的になるわけではなく、視点はもっと前向き、金を稼ぎ、実家を出て一人立ちし、いつかは親父同様、新しい家族を作ることを夢見る19歳の普遍的な視点を見事に活写している。

8. 群衆の中の猫
 仰々しいシンセのイントロがミスマッチだけど、それを抜けば隠れ名曲とも言える、地味に良いバラード。往年のニュー・ミュージックの香りがまた、郷愁を誘う。
 もともとさだまさしなどを愛聴していた尾崎、連綿と続く日本フォークの伝統に則った、半径5mの小宇宙をみずみずしく描写している。

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9. Teenage Blue
 再び、隠れ名曲的バラードが続く。『17歳の地図』はもうほぼ全曲、何かしらのタイアップがついており、誤解を恐れずに言えば今さら感が強い曲も多いのだけど、『回帰線』はまだ手垢にまみれていない曲が数多くある。
 この曲もリアルタイムの尾崎ファンや、またはほんとここ数年でファンになった、予備知識のない若い人たちには、純粋にメロディの良さで地味に人気が高い。

「抱きしめてよ 震える心
愛を捜して さまよってるから
変わらないもの 街にはないけど
それでもいいよ 抱きしめてほしい」

 ティーンエイジの、そして晩年になっても尾崎が追い続けていたテーマが、この詩に見事に集約されている。

10. シェリー
 「後楽園の近くの川を見て作った曲」と本人談の、アルバム・ラストを飾る名曲。確かリリース当時から名曲扱いされていたため、もうさんざん語り尽くされており、世間的には「もういいよ」と思われてしまう、哀しい曲でもある。
 オープニングのエレピ、シェリーに語りかけるように、そしてボロボロに疲れ切ったかのような尾崎。徐々に厚みを増してゆくバンド・サウンド。どれを取っても名曲の風格あり、である。
 尾崎が永遠に追い求めて来たもの、それをサラリと表現したのが9.なら、もっと赤裸々に生々しく表現したのが、この”シェリー”である。ここには、世間一般で語られる『尾崎豊のパブリックなイメージ』がほぼそのまま体現されている。こういったテイストの曲が形として残されることによって、尾崎は大きな成功を勝ち得たと共に、後年に渡って長く、そのパブリック・イメージに自ら縛られて苦しむことになる。
 





 正直、年に何回も聴いているわけではない。今回もちゃんと通して聴くのはほんと久しぶり、もう思い出せないくらい昔のことだ。
 ただ、最初に聴いた時の空気感、”卒業"のシングルを今か今かと発売日まで待ち焦がれて、やっとの思いで手に入れた時の喜びや躍動感、レコードに針を落とすまでの期待感など、そういったことは肌で匂いで覚えているものなのだ。

 そういえば、”卒業”がリリースされたのは30年前、ちょうどこの時期だった。
 30年前の俺は、今の俺をどう思うだろうか―。
 尾崎を通過してきた同世代なら、こういった想いをわかってくれるだろう。



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飾らない尾崎を聴くのなら、このアルバムから - 尾崎豊 『壊れた扉から』

51CWSnFPMLL 1985年末にリリースされた、一般的に言うティーンエイジ3部作の最後を飾るアルバム。wikiで調べてみたところでは、オリコン最高5位はちょっと以外。当然1位だと思っていたのだけど、年末は他にもいろいろ目玉アイテムがあったため、ソニー的には黙っててもそれなりに売れる尾崎より、さらに当たればデカいレベッカや松田聖子に力を入れたんじゃないかと邪推してしまう。
 また制作進行が結構ギリギリで、プロモーションのスケジュールを立てることもままならなかったことも、スタート・ダッシュが弱かった要因のひとつ。何しろ尾崎が十代のうちにリリースすることが優先されたため、現場作業はケツカッチン、尾崎はブーたれるわ遊びたがるわで、どうにか発売日に間に合ったことだけでも奇蹟だった、という事情もある。

 当時の尾崎の活動の主体はほぼライブ活動、当時のスケジュールを見ると、特にこの時期はツアーに明け暮れている。懐かしの音楽特集で見たことがある人は多いと思うけど、尾崎と言えば、あのハイ・テンションのライブ、序盤から全力で飛ばし、ペース配分も考えず120パーセントの全力疾走、終盤には汗と涙とヨダレでデロデロ、ろれつも回らず朦朧とした目つきでステージ上をウロウロしながら、ヤケクソ気味にがなり立てる、といったスタイルが定番だった。こういったステージが連日のように続くのだから、毎日が文字通り完全燃焼といった具合。
 なので、まともに創作に当てる時間はほとんどなく、このアルバムも事前に用意された曲はほとんどなく、ほんとレコーディング作業と同時進行で楽曲制作が行なわれた。ブースの片隅で頭を抱えることも何度となくあったはずで、スタッフやバンドメンバーの助力がなければ、恐らくリリースそのものが危ぶまれたくらいである。

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 前作『回帰線』のヒットによって。「十代のカリスマ」としてマスコミに祭り上げられ、おかげで俺世代周辺の人間にとっては、半ば神聖な立場として映った尾崎だけど、後年の関係者/事情通の証言によって、案外人間くさく俗っぽい面もあったことが明らかになってきている。
 当時のソニー・スタッフによるイメージ戦略のおかげもあって、今では中二病の基本フォーマットとなった、「何かに反抗し何かに抗い純愛を求める若者」を自己陶酔的に演じていた反面、若いうちから名声を得たことによって、息抜きも兼ねて、それなりに遊んでもいたようである。日増しに盛り上がる世論から来るプレッシャーはハンパなかっただろうし、ハード・スケジュールに縛られたストレスも溜まってゆく一方で、どこかで捌け口は必要だったのだろう。
 何よりも「大人への反抗の代弁者」というスタンスで活動していながら、現実は日々、その大人たちとのしがらみと思惑の間で振り回されるというジレンマ。そうした矛盾や大人の事情にまつわる何やかやが積み重なって、少しずつ尾崎の中でズレが生じ、引いては悲劇的な結末の遠因となってゆく。

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 尾崎の歌詞について長らく続いている誤解として、未だに根強いのがメッセージ性の強い世界感について。『17歳の地図』も『回帰線』もそうなのだけど、ティーンエイジャーの葛藤や大人たちへの不信など、ある意味わかりやすいメッセージの曲が取り上げられることが多かった。マスコミ的にもソニー的にも、その方が紹介しやすいし、尾崎もまたデビューへの取っかかりとして、世間の注目を浴びるため、手っ取り早いルートを選択した節がある。
 ただどのアルバムでも1枚通して聴いてみればわかるように、そういった傾向の曲ばかりで埋め尽くされているわけではなく、ほぼ半数は何気ない日常の情景描写、心象風景を切り取った内容のものである。最初に制作したデモ・テープにもさだまさしのカバーが含まれているように、本来は内省的なフォーク傾向の強いシンガー・ソングライターである。
 尾崎について語る際、語る側の感情移入がしやすいがため、どうしてもメッセージ性の強いタイプの曲についての考察が多くなりがちだけど、そういったのはあくまで尾崎の一面でしかない。

 3部作時代のアップ・テンポなナンバーはストレートな言葉遣いが多く、直接的な感情をあからさまに吐露するタイプの歌詞が多い。言葉の力が強い分、聴き手に与えるインパクトも大きい。ひとつひとつの言葉のオーラが強いため、微妙な感情の揺れを描く描写は掻き消され、むしろミス・マッチになってしまう。なので、言葉のインパクトを重視することによって、メッセージの羅列が多く、散文的な内容になることが多い。
 対して、スロー~ミドル・テンポの曲、例を挙げれば、尾崎のレパートリーの中では最もポピュラーな曲である”I Love You”、この曲に強いメッセージ性はない。ちょっと親とうまくいってない、普通の男の子と普通の女の子が愛を確かめ合う、言ってみれば他愛ないストーリーを淡々と連ねている。大げさな表現やねじ伏せるような心情吐露もない、ごく普通の言葉を丁寧に並べることによって、シンプルなストーリーに普遍性を持たせている。
 十代の普通の男の子と同じ高さの目線、日常の機微の詩的描写こそが、本来の尾崎の本質である。

 3枚目となるこのアルバムでは、極端なアジテーター的視点に立った曲は抑えられ、本質であるシンガー・ソングライター的な楽曲が多く収録されている。もちろん従来イメージの延長線上として”Freeze Moon”のような曲も収録されているのだけれど、それもなんて言うか、「メッセージ・ソングのためのメッセージ」という印象が強く、どこか無理やり感も見られる。本人的にもある意味、営業政策的なアジテーションという意識もあったんじゃないかと思う。人間そうそう、何かと青筋ばかり立ててはいられないのだ。
 なので、激しいロック・ナンバーより、むしろここで印象に残るのは、8や9のようなメロウな曲である。ごく普通の日常を素直に切り取り、淡々とした曲の方が、尾崎自身も思い入れが強いのか、丁寧に歌っている。


壊れた扉から
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1. 路上のルール
 うまい感じでBruce Springsteenへのリスペクトを表明したロック・ナンバー。何でもパクリと言ってはいけない。特に尾崎の場合、憧れの対象への敬意を素直に表現しているだけなのだ。
 この時期のソニー共通の特徴だけど、ベーシックとなるロック・サウンドのフォーマットに、これでもかとシンセを被せてくるのが得意技。まぁ確かに十代のロック性根少女にはきらびやかに映っていたし、コピバンする際もシンセ担当の女の子がいる方が、バンド的にも華がある。
 レコーディングのメンバーがほぼライブのメンツと同じなため、取ってつけたようなサウンドではなく、一体感から発せられるグルーヴ感がある。ライブ・テイクでも違和感なく、これまであったようなチグハグさが解消されている。

 「今夜もともる 街の明かりに 俺は自分のため息に
  微笑み お前の笑顔を 探している」

 こうした客観的な視線を描くようになった点に、ソングライターとしての尾崎の成長が窺える。



2. 失くした1/2
 全体的にアタック音を抑えたサウンドを基調とした、よく聴けばドゥー・ワップ調のナンバー。こういった軽みのあるサウンドも受け入れられるようになったのも、尾崎の成長なんじゃないかと思う。ヴォーカルは相変わらず力が入りまくりだけど。
 語りかけるような口調の歌詞からは、独りよがりな愛情の押し付けではなく、相手の気持ちをおもんばかった姿勢、一回り大きくなった包容力さえ感じられる。
 でももう少し、キーは下げても良かったんじゃ…。

3. Forget-me-not
 『壊れた扉から』レコーディングでは、最も最後にレコーディングされた曲。とにかく歌詞が出来ず、されどスケジュールは押し迫っており、苦肉の策でメロディだけ鼻歌で入れたデモ・テープを元にバック・トラックを録音、ギリギリのタイミングで間に合わせた曲である。
 とはいっても、やっつけ仕事的な部分は少なく、きちんとしたレベルの歌詞に仕上げているのは、やはりプロとしての自覚だろう。とにかくギリギリで仕上げた歌詞なので、ろくに校正する間もなく、レコーディング・ブースに飛び込んでほぼワン・テイクでOKしてしまっているので、後になってからその完成度に驚いた、というのが後日談。
 俺より十歳下、30代中盤以前の世代には、とても人気の高い曲である。俺世代から見れば甘さが強すぎて、どうもいまいち受け付けなかったのだけれど、前述したように、メッセージよりはむしろ、素直なメロディが良い、という層が増えてきたのだろう。
 メロディもサウンドも甘さが際立つのに、ヴォーカルは相変わらず青筋立ててる、そのミス・マッチ感、これは昔から好きなところ。

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4. 彼
 かなり洋楽テイストの濃いサウンドと、従来と比較して起伏の少ないメロディは、このアルバムで見せた新境地。キャッチーなフック・ラインで耳を引くのではなく、あくまでトータルのサウンド、そしてメインのヴォーカルのパワーを感じてもらうことに尽力した、アルバムやライブ構成を考えた作りのナンバー。
 第三者的な視点のストーリー展開のため、若干感情移入はしにくいのだけれど、ヴァリエーションとしては良いのだろうし、変なアクがない分だけ、もしかすると若い層にも人気はあるかもしれない。

5. 米軍キャンプ
 80年代シンセの音色が郷愁を感じさせる。絶叫混じりのヴォーカルとのコントラストが耳を引きつける。シンプルなメロディとサウンドなので、逆にひと言ひと言が艶めかしく響く。まぁ言ってしまえば『Born in the U.S.A.』以降、虚脱感に満ちたSpringsteenなのだけど。
 歌詞に描かれてる情景は浜田省吾と同じ世界観なのだけど、彼よりも世代的にリアリズムに満ちており、浜省ほど勧善懲悪でもない。

6. Freeze Moon
 Springsteenタッチはまだ続く。ステレオタイプな捨て鉢な若者を描いているのは前作・前々作とパターンを踏襲しているけど、以前より諦念のような無力感が漂っているのは、怒涛の十代を乗り越えた尾崎の達観から来るものか。
 アウトロからの独白は賛否両論あるけれど、ファンからはこういった直情的な曲を求められ、そしてまた尾崎も真正面からその期待に応えなければならなかったが故の絶叫である。
 時として私生活はルーズな面が垣間見られたけど、歌に対しては常に真摯だった尾崎、その思いつめ具合が後々、自身を縛りつけることになるのを予想しているかのよう。
 Beatlesの”HELP!”にも通ずる、尾崎の心の叫びが生々しく記録されている。

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7. Driving All Night
 先行シングルとして発売された、ノリの良いロック・ナンバー。5分超の曲のため、”卒業”同様、12インチ・シングルで発売された。オリコン最高9位。
 6.がどこかファンに応えるために無理をしてる部分があるとすれば、こちらはファンのニーズも踏まえながら、しっかり現在進行形の尾崎豊を反映させた、疾走感あふれるロック・ナンバーに仕上がっている。バンドの一体感も良く、それぞれのソロ・パートなどの見せ場もあるし、コーラス・アレンジもきちんと構成されている。

 「俺にとって 俺だけが すべてというわけじゃないけど
  今夜俺 誰のために 生きてるわけじゃないだろう」

 この一節こそ、『壊れた扉から』というアルバムのポテンシャルをグッと押し上げ、何万何十万というティーンエイジャーの虚ろな心を鷲掴みにした。



8. ドーナツ・ショップ
 甘いメロディと柔らかな歌声。この曲を聴くと、微かな笑顔を見せながら歌う尾崎の表情を思い浮かべてしまう。
 こういった表情をもっと見せてほしかった、と思ってしまうのは、俺だけではないはず。こういったソフトな曲の方が、尾崎の歌の上手さも引き立つし、声もずっと聴いていたくなる。
 メッセージを押し付けるのでなく、緩やかな流れに乗せて言葉を紡ぐ。心地よい調べを聞き流すもよし、また気に入ったフレーズを噛みしめるもよし。このまったりした世界観を十代のうちに創り出したこと。これこそがこのアルバムにおいて、もっとも大きな成果だったんじゃないかと思う。
 カラオケでアウトロのセリフをやると、ちょっと気恥ずかしいけどね。

 「何もかもが 僕の観念によって 歪められてゆく
  そして それだけが 僕の真実だ」
 「さぁ もう 目を開けて
  取り囲む すべての物事の中で
  真実を 掴むんだよ」

9. 誰かのクラクション
 俺的には尾崎の中で一番好きな曲。昔はそれほどじゃなかったけど、やはり年を経るごとに好きになってきた。
 俺世代の尾崎ファンはどうしても『十七歳の地図』から入っているため、そのインパクトが強いので、どうしてもこのアルバムは後回しになってしまう。なので、純粋なシンガー・ソングライターとしての尾崎の魅力に気づいてるんじゃないかと思う。
 このフレーズが好き、というのは実はない。この曲に流れる空気感が好きなのだ。
 多分、言葉に対して一番しっかり向き合った曲なんじゃないかと思う。






 かなり広い世代からの支持の多いアーティストなので、その捉え方も思い入れも世代それぞれなのだけど、俺のようなリアル世代にとっては、”I Love You”も”卒業”も入ってない、最も地味な立ち位置のこのアルバム、今では若い世代からの支持が最も多い。リリース当時はリアルだった、「盗んだバイク」や「か弱き大人の代弁者」というキーワードがすっかりフィクションの世界となってしまった現代においては、ニュー・ミュージック的傾向の強いこのアルバムの方が共感しやすいのだろう。
 アジテーターとしてではなく、ごく普通の少年、真摯なシンガー・ソングライターとしての尾崎を堪能するのなら、ぜひ聴いてほしい一枚。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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