1985年リリース、尾崎豊2枚目のオリジナル・アルバム。デビュー・アルバム『17歳の地図』の初回プレスは3千枚に過ぎなかったが、このアルバムはオリコン初登場1位と、大きくジャンプ・アップしたチャート・アクションを残した。さして注目もされなかったポッと出の新人アーティストがいきなりビッグ・セールスを記録したのは、特別大きなタイアップがあったわけでもなく、先行リリースされた12インチ・シングル”卒業”のヒットが大きく作用している。
ちょうどこの年は未曾有の卒業ソング・ブーム、尾崎を始めとして、あらゆるアイドル・アーティストらが揃って卒業をテーマとした曲をリリースしている。何の因縁か、後日すったもんだでゴタゴタあった斉藤由貴を筆頭に、菊池桃子や倉沢淳美(欽どこのわらべ出身のあの娘)が代表的なところ。
なぜこの時期に集中したのかは不明。
なぜこの時期に集中したのかは不明。
個人的な話、”卒業”リリース当時、俺はちょうど中3、卒業を間近に控えていたため、どうしても思い入れが深くならざるを得ない。
尾崎との初めての出会いはラジオ、何の番組かは忘れたが、FM北海道(後のAir-G)で流れてきた”17歳の地図”だった。もし30年遅れてこの曲に出会っていたら、「Springsteenをルーツとした、浜田省吾のオマージュ的サウンド」だと冷静に受け止め、それほど魅かれることもなかったはず。ただ、2週に一度発売されるFM雑誌を隅から隅まで丹念に読み込んでいた北海道の中学生にとって、魂を叩きつけるような尾崎のヴォーカルは、たちまち心を捉え鷲掴みするほどのインパクトがあった。
多分、同じ体験をした同世代は少なくはないはず。ほぼ無名ながら、デビュー間もない頃から既にカリスマ性を備えており、それが草の根的に徐々に伝播してゆき、そして絶好のタイミングで爆発したのだ。
多分、同じ体験をした同世代は少なくはないはず。ほぼ無名ながら、デビュー間もない頃から既にカリスマ性を備えており、それが草の根的に徐々に伝播してゆき、そして絶好のタイミングで爆発したのだ。
当時の日本のロック/ポップス・シーンにおいて、最も語られる存在・対象として、強烈なカリスマ性を有していたのが、尾崎である。その求心力は生み出された詞曲だけでなく、インタビューや語録という形でもファンに伝えられ、そこからにじみ出る人間性や生き様までが魅力として捉えられ、そして批評の対象となった。
尾崎以前、同等のカリスマ性を発信していたのが吉田拓郎や矢沢永吉だったのだけど、俺の世代が彼らに対して感情移入するには、ちょっと違和感があった。俺世代が物心つく頃、彼らは既にスターだった。彼らの視点は分別のついた大人のものであって、十代の俺たちが共感を抱くには、世代的な壁が大きく立ちはだかっていた。
“卒業”と『回帰線』のヒットを受け、泥縄的なコンセプトとして、「10代のうちにアルバムを3枚リリースし、ティーンエイジ3部作を完結させる」ことが目標となる尾崎プロジェクト・チーム、この頃はプロデューサー須藤晃とのデモテープ制作→ボツの無限ループの連鎖との戦いだった。その間にも、ライブハウス規模の短期ツアーやイベントをはさんだり、突発的なアクシデントとして、伝説のアトミック・カフェ・ライブでの骨折事故(これはちょっとはっちゃけ過ぎたため)、不本意な停学処分が発端となった高校中退などなど、公私ともども慌ただしかったおかげもあって、なかなかまとまった時間が取れず、レコーディングは断続的に行なわれたようである。
で、このアルバム、楽曲レベルとしてはとてもデビュー作とは思えないほど高水準の『17歳の地図』が、サウンド的・アレンジ的には若干装飾過多で、オーバー・プロデュース気味だったという反省を踏まえ、今回はシティ・ポップス風のソフト・サウンドは鳴りを潜め、ある程度固定したバンドの一体感を前面に打ち出した、ヴォーカルもややラウド気味の響き方をしている。ニュー・ミュージック系のオーソドックスなアレンジを無理やり型にはめるのではなく、ちゃんと歌のテーマに沿って、限られた時間でありながらも丁寧に、作者尾崎の意向を最大限尊重した作りになっている。
デビュー作については仕方ない面もある。そりゃどこの馬の骨ともわからないアーティストだ、制作サイドもまだ適性がつかめず、取り敢えずオーソドックスで耳触りの良いサウンド作りを選択するだろう。なるべくリスクを負わず、全方位的なサウンドを展開することによって、無難な線を押さえてゆくのは、経済の論理としてみれば当然だ。
まな板の鯉的な扱いの尾崎もまた、本格的なレコーディングなどもちろん初体験、勝手がわからず、何をどう発言してよいのやらわからなかった部分も大きかったはず。
まな板の鯉的な扱いの尾崎もまた、本格的なレコーディングなどもちろん初体験、勝手がわからず、何をどう発言してよいのやらわからなかった部分も大きかったはず。
で、ライブの場数を踏むことによって次第にサウンドが固まり、制作サイドも何となく方向性が定まってゆく。尾崎の発するメッセージをできる限り効率よくリスナーへ伝えるサウンドとは-。
で、この時期に尾崎と制作サイドとの利害が一致、出来上がったのは、Springsteenや佐野元春、浜田省吾のスタイルをモチーフとした、ヴォーカル&インストゥルメンツそれぞれを明確に打ち出したサウンドである。
基本、デビュー前から書き溜めていた曲と、レコーディング前に書いた曲とがほぼ半々の割合なのだけど、どの曲も無理がなく、取ってつけたようなアレンジのナンバーはない。グルーヴ感冴えわたるラウドなバンド・サウンドと、10代にしては卓越過ぎるヴォーカルを前面に出した、ドラマティックなバラードとがうまく混在している。
で、この時期に尾崎と制作サイドとの利害が一致、出来上がったのは、Springsteenや佐野元春、浜田省吾のスタイルをモチーフとした、ヴォーカル&インストゥルメンツそれぞれを明確に打ち出したサウンドである。
基本、デビュー前から書き溜めていた曲と、レコーディング前に書いた曲とがほぼ半々の割合なのだけど、どの曲も無理がなく、取ってつけたようなアレンジのナンバーはない。グルーヴ感冴えわたるラウドなバンド・サウンドと、10代にしては卓越過ぎるヴォーカルを前面に出した、ドラマティックなバラードとがうまく混在している。
俺個人の印象として、同世代の尾崎ファンは意外なほど多い。もちろん”I Love You”や”卒業”をカラオケでたしなむ程度のライトなファンが圧倒的に多いのだけれど、特に初期3部作を隅から隅まで嘗め尽くすように聴きこんでいた人も、同じくらい多い。
彼の活動時期はちょうどCDとレコードの切り替え時期と被っており、ましてや時代はアイドル全盛期、なので大きなセールスは記録していないのだけど、「OZAKI現象」とまで称されたムーヴメントは、静かながらも、当時の多感な10代の多くに深く浸透していた。そのメッセージの受け止め方は人それぞれだけど、当時中高校生だった者なら、まったくの無関心よりはむしろ、何かしら思い入れを持っていた者の方が多かったはず。
尾崎という存在は時代を象徴するイコンであったため、強烈に惹きつけられるか、または強烈な嫌悪感を持つかであり、まったく無視することはできなかったのだ。
彼の活動時期はちょうどCDとレコードの切り替え時期と被っており、ましてや時代はアイドル全盛期、なので大きなセールスは記録していないのだけど、「OZAKI現象」とまで称されたムーヴメントは、静かながらも、当時の多感な10代の多くに深く浸透していた。そのメッセージの受け止め方は人それぞれだけど、当時中高校生だった者なら、まったくの無関心よりはむしろ、何かしら思い入れを持っていた者の方が多かったはず。
尾崎という存在は時代を象徴するイコンであったため、強烈に惹きつけられるか、または強烈な嫌悪感を持つかであり、まったく無視することはできなかったのだ。
「昔、尾崎が好きでしたっ」「今でも聴いてますっ」。人それぞれだけど、意外にヤンチャしてた人の中に尾崎のファンは多い。車に乗せてもらった時、カラオケで一緒になる時、飲み屋で同世代トークを繰り広げる時、「好きな音楽って何?」「今でも尾崎」「昔は尾崎ばっか聴いてた」と言う人は、思いのほか多い。
そういった彼らも俺同様、大抵はオジサンやオバサンなのだけど、尾崎の話をする時は、ちょっと恥ずかしげながらも、若干誇らしげな表情をする。
自分たちの時代には、こういったカリスマ性のあるスターが存在していたこと、そういったカリスマと同時代を生きていたことに対し、すごく自分に自信が持てるのだ。
自分たちの時代には、こういったカリスマ性のあるスターが存在していたこと、そういったカリスマと同時代を生きていたことに対し、すごく自分に自信が持てるのだ。
1. Scrambling Rock’n’Roll
Springsteen & E Street Bandの疾走感とエッセンスとを上手い感じに抽出し濃縮し、それでいてただの真似ごとに聴こえないのは、やはり尾崎の存在感か。ハード・スケジュールの中、どれだけサウンドを練り上げることができたのかは不明だけど、多分それほどテイクは重ねていないのだろう。ヴォーカルは時々ピッチがズレたり裏返ったりする箇所もある。
勢いが重要なナンバーなので、それほど歌い直しもしてなさげ。エコーの効いたドラム、要所要所で突っ込まれるスラップ・ベース、泣きまくるギターの音色が80年代ソニー系のサウンドなのだけど、そこにうまく嵌まる尾崎のヴォーカルがやはり良い。
勢いが重要なナンバーなので、それほど歌い直しもしてなさげ。エコーの効いたドラム、要所要所で突っ込まれるスラップ・ベース、泣きまくるギターの音色が80年代ソニー系のサウンドなのだけど、そこにうまく嵌まる尾崎のヴォーカルがやはり良い。
2番終わりのBメロ、「寂しがり屋の君の名前すら 誰も知りはしない♫」あたりからの下り、初っ端から飛ばしまくって疲れ切っているはずなのに、ここで立ち直り、凛と立ち尽くす尾崎の姿が美しい。
2. Bow!
尾崎自身によるオープニングのハーモニカが印象的。拝金主義への批判的な歌詞、サウンドのテイストなど、浜田省吾”Money”との相似点が多いのだけれど、まぁ似たようなことを考えていたのだろうと思いたい。
“鉄を喰え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰いつくな“
印象に残るこの歌詞、実は石原慎太郎の戯曲『狼は生きろ、豚は死ね』からインスパイアされたもの。後年の松田優作主演『白昼の死角』のキャッチ・コピーの方が有名だけど、元ネタはこちら。
3. Scrap Alley
子供が生まれた友人へ捧げた、きっかけはパーソナルながら、若くして親になった者なら迫りくるものがある。チンピラでもロック・バンドを組んだわけでもないが、誰もがこの熱く真摯に迫った激励を好ましく思えるはず。
ちなみに俺は30過ぎての結婚だったため、この曲に強い思い入れはない。ただの楽曲として聴いてただけ。
ちなみに俺は30過ぎての結婚だったため、この曲に強い思い入れはない。ただの楽曲として聴いてただけ。
4. ダンスホール
デビューのきっかけとなったソニーのオーディションで初めて歌った曲であり、同時に生前最後のライブでラストに歌った曲として、ファンの間では特別な思い入れの強い曲。もちろん音源化される前までには、須藤晃より恒例のダメ出し攻撃を掻い潜らなければならなかったはずだけど、基本形はほぼ完成していた、とのこと。曲も歌詞もこれだけのクオリティの物を提示できた10代が、歴史上どれだけいただろう?
前作にはないヴォーカル・スタイルである。叩きつけるシャウトと情感たっぷりのバラードの2種類のヴォーカルで構成されたのが『17歳の地図』だったけど、ここでは特定の「誰か」に語りかけるような、優しげな表情を見せている。同じバラードでも、思いのたけを押しつけるのではなく、相手への思いやり・気配りが垣間見える、きちんと理解を求めようとする尾崎のスタンスがある。その「誰か」とは、ほんとに身近な「誰か」だったかもしれないし、またスピーカーの向こうの不特定多数の「誰か」かもしれない。
そう思わせてしまう説得力が、この頃の尾崎には既にある。
5. 卒業
多分、リアルタイムでの尾崎ブレイクのきっかけとなった曲。これで一気に認知度が高まった。と思ってたのだけど、オリコンでは最高20位。12インチ・シングルという価格的な条件を考慮したとしても、思いのほかチャート・アクションは地味だった。音楽好きな誰もが、多かれ少なかれ尾崎の話題を口にしていたにもかかわらず、大きなセールスではなかったのだ。
ただ前述したように、全世代へアピールするようなアクションはなかったけど、ピン・ポイントで確実に、当時の10代への影響力は絶大だった。誰もが尾崎に共感し、嫌悪し、憧れ、そして拒絶した。まったくの無反応な人間はいなかった。
トータル6分の大作だけど、不思議なくらい冗長さは感じない。曲自体はミディアム・テンポでゆったり、後半でドラマティックなオーケストレーションが入ってくる構造なのだけど、歌詞の情報量がハンパない。優に2~3曲分くらいに相当する言葉を、これでもかというくらいパンパンに詰め込んでいる。しかも、その言葉のどれもが削れない、いや多分遂行しまくった結果がこの分量、このサイズなのだろう。そのため、メロディに無理やりはめ込んだり字余りの箇所も多いのだけれど、それが自然に聴こえるよう構成したのは、制作チームの努力の賜物である。
歌詞については色々な所で散々書かれているので、今さら感もあるし、今の若い人たちには実感が湧かない内容も多い。今や学校は窓ガラスを壊す場所ではないし、教師はか弱き大人の代弁者でもない。学校とはただの通過点であり、そこでわざわざトラブルを起こすことなど、愚の骨頂なのだ。
後追いで聴く者にとって、当時の焦燥感と無力さ歯がゆさに満ちたこの歌詞をリアルに受け止めることは不可能である。ただメロディは現在の水準としても十分高いので、難しいことを考えずに聴き継がれてほしい楽曲でもある。
6. 存在
ここからレコードではB面。ライブ映えする曲が多かったA面に対し、こちらはもう少し軽やかなポップ・ソングを多く収録している。アップ・テンポで軽快な曲で、シンセの含有量が多い分だけ、サウンド自体はポップで、ソフトな内容っぽく聴こえるのだけど、歌詞カードを読んでみると、横文字カタカナどちらもきれいさっぱり排除されていた。
当時から囁かれていたこと、Springsteen ”Badlands”にあまりに似過ぎているのだけれど、まぁそこはスルーで。
当時から囁かれていたこと、Springsteen ”Badlands”にあまりに似過ぎているのだけれど、まぁそこはスルーで。
7. 坂の下に見えたあの街に
ブギウギ・ピアノから始まる、こちらもポップ・ソングでありながら、2.と同じ世界観を歌っている。あそこまで悲観的になるわけではなく、視点はもっと前向き、金を稼ぎ、実家を出て一人立ちし、いつかは親父同様、新しい家族を作ることを夢見る19歳の普遍的な視点を見事に活写している。
8. 群衆の中の猫
仰々しいシンセのイントロがミスマッチだけど、それを抜けば隠れ名曲とも言える、地味に良いバラード。往年のニュー・ミュージックの香りがまた、郷愁を誘う。
もともとさだまさしなどを愛聴していた尾崎、連綿と続く日本フォークの伝統に則った、半径5mの小宇宙をみずみずしく描写している。
もともとさだまさしなどを愛聴していた尾崎、連綿と続く日本フォークの伝統に則った、半径5mの小宇宙をみずみずしく描写している。
9. Teenage Blue
再び、隠れ名曲的バラードが続く。『17歳の地図』はもうほぼ全曲、何かしらのタイアップがついており、誤解を恐れずに言えば今さら感が強い曲も多いのだけど、『回帰線』はまだ手垢にまみれていない曲が数多くある。
この曲もリアルタイムの尾崎ファンや、またはほんとここ数年でファンになった、予備知識のない若い人たちには、純粋にメロディの良さで地味に人気が高い。
この曲もリアルタイムの尾崎ファンや、またはほんとここ数年でファンになった、予備知識のない若い人たちには、純粋にメロディの良さで地味に人気が高い。
「抱きしめてよ 震える心
愛を捜して さまよってるから
変わらないもの 街にはないけど
それでもいいよ 抱きしめてほしい」
ティーンエイジの、そして晩年になっても尾崎が追い続けていたテーマが、この詩に見事に集約されている。
10. シェリー
「後楽園の近くの川を見て作った曲」と本人談の、アルバム・ラストを飾る名曲。確かリリース当時から名曲扱いされていたため、もうさんざん語り尽くされており、世間的には「もういいよ」と思われてしまう、哀しい曲でもある。
オープニングのエレピ、シェリーに語りかけるように、そしてボロボロに疲れ切ったかのような尾崎。徐々に厚みを増してゆくバンド・サウンド。どれを取っても名曲の風格あり、である。
尾崎が永遠に追い求めて来たもの、それをサラリと表現したのが9.なら、もっと赤裸々に生々しく表現したのが、この”シェリー”である。ここには、世間一般で語られる『尾崎豊のパブリックなイメージ』がほぼそのまま体現されている。こういったテイストの曲が形として残されることによって、尾崎は大きな成功を勝ち得たと共に、後年に渡って長く、そのパブリック・イメージに自ら縛られて苦しむことになる。
正直、年に何回も聴いているわけではない。今回もちゃんと通して聴くのはほんと久しぶり、もう思い出せないくらい昔のことだ。
ただ、最初に聴いた時の空気感、”卒業"のシングルを今か今かと発売日まで待ち焦がれて、やっとの思いで手に入れた時の喜びや躍動感、レコードに針を落とすまでの期待感など、そういったことは肌で匂いで覚えているものなのだ。
ただ、最初に聴いた時の空気感、”卒業"のシングルを今か今かと発売日まで待ち焦がれて、やっとの思いで手に入れた時の喜びや躍動感、レコードに針を落とすまでの期待感など、そういったことは肌で匂いで覚えているものなのだ。
そういえば、”卒業”がリリースされたのは30年前、ちょうどこの時期だった。
30年前の俺は、今の俺をどう思うだろうか―。
尾崎を通過してきた同世代なら、こういった想いをわかってくれるだろう。
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