『Melodies』制作時まで行なっていたバンド・スタイルでのアナログ・レコーディングから一転、『Pocket Music』からは最新機材フェアライトCMIなどのデジタル機材中心のセルフ・レコーディング・スタイルに移行した山下達郎。前回のレビューでも書いたけど、達郎だけじゃなく、スタジオ・スタッフやオペレーター自身もマシンのスペックを最大限活かすノウハウが足りなかったため、どうにも過渡期的な仕上がりとなった。
どうにも望み通りのサウンドに仕上がらず、ていうか「デジタル移行後の理想型」が確立されていない頃だったせいもあって、その試行錯誤振りがクオリティとして如実に表れてしまったことは、これはこれで模索した証である。
そもそも収録された楽曲のカラーが、これまでの「夏だ!海だ!達郎だ!」的なアッパーチューンのものではなく、どちらかと言えば70年代欧米のシンガー・ソングライターを祖とする内省的なスタイルのものが多かったせいもあって、そのモヤモヤ加減に拍車をかけることになる。
陰鬱とした打ち込み作業によって楽曲のテイストに影がさしたのか、それとも逆なのかはわかりかねるけど、本人言うところの「パンチが足りない音」になってしまった。
エジソンの蓄音機時代からノウハウを積み重ね、70年代末のSteely Danではほぼ完成の域に達していたアナログ・レコーディングは、同時演奏から引き出される相乗効果による倍音効果やグルーヴ感、ダイレクトに刻まれる低音のズシンとした響きなど、きちんと手間ヒマかければ安定して高レベルのサウンドを創り出せるようになった。録音技術や解像度、マイク・セッティングのコツやエコー、リヴァーヴのかけ方など、職人芸や小技が熟成されたのもこの頃である。
そんな風潮と相反するように、敢えてラウドなガレージ系のサウンドが台頭したりもしたけれど、メイン・カルチャーあってのサブであって、キッチュなテイストがメインとなるはずもない。
対してデジタル機材、80年代中頃と言えばMIDI規格が統一されたことによって、やっとシンセや周辺機器が安価に普及し始めた頃、コンセプト的に相性の良いCDの登場によって、シンセがメインのバンドやユニット、「サンプリング」という単語が認知され始めた時期である。
発売当初は70分超ノンストップ長時間録音と、驚異的なSN比の高さが喧伝され、レコードと比べて取り扱いの簡便さが強調されたCDだけど、クリアな音質と高音質とはまったく別のベクトルであり、アナログ時代の強力な音圧、ダイナミズムが足りなかったことは事実である。
そんな事情もあって、リアルタイムで聴いた『Pocket Music』、当時の俺はピンと来なかった。後の本人解説や他のレビューを読んだりすると、その達郎自身も不満足な仕上がりにどうにも納得できず、結局のところリリースして翌年、すぐリマスター盤を出したことは、彼流の落とし前だったのだろう。
ただ、そういった情報はライト・ユーザーにまで行き届くわけもなく、田舎の高校生だった当時の俺にとっては、「山下達郎の新譜はイマイチだったよな、ま、他に聴きたいものいっぱいあるし」って感じで終わってしまった。どっちにしろ、いくら「高音質になりました‼」と言われたって、去年買ったアルバムを再び買い直すなんてこと、普通の高校生にできるわけもなし。結局、イマイチな印象のまま、時は流れてしまったわけで。
ここで達郎の肩を持つわけではないけど、この時点で「やっぱり俺、デジタルって合わないんだな」と安易にアナログへ回帰することはせず、さりとて時流に合わせたチープなシンセ・ポップへおもねることもなかったのは、音楽職人として生きる達郎の意地だったんじゃないかと思われる。
『Pocket Music』と『僕の中の少年』との間、達郎は超私的なライフワーク、『On the Street Corner』の2枚目をリリースしている。これこそ究極のアナログだよな。だって自分の声だけを重ね合わしてゆくんだから。特に当時、このような多重コーラスの厚みを演出するには、アナログ機材の不確定さが大きなファクターを占めていた。解像度の良いデジタルでは、分離が良すぎてハーモニーにならないのだ。
ただ、これはあくまで企画モノ。趣味的なアルバムである。
作家性を露わにし、パーソナリティを前面に押し出したオリジナル・アルバムは、作り込みとリテイクの繰り返しが多く、時間がどうしてもかかる。真夜中に突然、アイディアが閃いたとして、バンド・メンバーを呼びつける手間と気苦労を抱えるよりは、独りでやれることは独りでやってしまった方が早いし意図を正確に反映できる。
ディスコ/ファンクのオマージュ的なフィジカルな音楽性から、心情に訴えかけるソングライター的な音楽性へのシフト・チェンジによって、レコーディング・スタイルの変更は達郎にとって必然だった。
この時期の達郎の発言を読むと、まぁネガティヴなものが多い。「そろそろ一線を退いて引退を考えていた」だの「40代を間近に控え、現役での活動に先行きの見えなさを感じていた」だの、今にして思えば後ろ向きな発言が多い。
スマッシュ・ヒットとなった「高気圧ガール」時の勢いも遠い昔となり、もともと本意ではない、夏だの海だのリゾートだの、浮ついたイメージからの脱却を図った末、次第にリズムよりもメロディの重視が顕著になりつつあった。本人なりに年相応のサウンド傾向を模索していた感もあるけど、それが地味でキャッチーさとは無縁の方向性となってしまったのが、この時期の特徴である。なので、どこか背伸びしてる感が強い。昔から内輪で冗談半分に呼ばれていた「若年寄」的ポジションに収まってしまっている。まだ30過ぎて間もない頃なのにね。
本人としても、若き日のがむしゃらにはっちゃけた音楽より、年相応に腰を据えてじっくり聴いてもらえる音楽を目指そうとしたんじゃないかと思われる。ちょうど時期的にかぶるのだけど、同世代の桑田佳祐もまた、サザン休止中の初ソロでは内省的なアーティスト性を露わにしていたわけだし。やはり30代半ばというのは、何かと思うところがある年頃なのだろう。
ほとんどの楽器パートをすべて独りで行なうセルフ・レコーディングは、ジャッジメントが難しい。必然的にプロデュースも兼任することになり、あらゆる作業進行を自分で管理しなければならない。際限なくスタジオワークを行なうわけにもいかないし、早々に切り上げて「手抜き」と思われてしまって責められるのは自分だ。どの辺まで作り込めばいいのか、微妙な判断が求められるのだ。
達郎の場合、このセルフ・レコーディングへと向かうプロセスが、他の宅録アーティストとは若干方向性が違っている。一般的にセルフ・レコーディングのアーティストと言って思い浮かぶのが、Prince や70年代のTodd Rundgrenあたり。他にもPaul McCartneyやPaddy McAloonなんかも単独制作の経験がある。加山雄三も経験あるんだな、初めて知った。
で、彼らの場合ほとんどに共通するのが、「自分で制作した楽曲を、すべて自分で演奏することによって、100%思いのたけを表現したいんだ」という純粋な動機の末での宅録作業である。普通に考えて、自分で作った曲だからして、自身が一番、演奏やヴォーカルもうまく表現できるのが当たり前であり、その考えは間違っていない。いないのだけれど。
その完成品に作者の意向がすべて反映されているのと、果たして不特定多数のユーザーに共感を得られるのかはまた別問題である。要は、自己満足で終わってしまっているかどうか。その意向が多くの人々の気持ちを揺らがせることができるかどうか.
例えばToddの一部のアルバム。正直、「ぼく独りでここまでやってみました」的な、クオリティやポピュラリティとは別物に仕上がっているものも多い。まぁ作ってるのがToddだし、彼にはコアなファンも多いので、「たいへんよくできました」的な声は多い。どの作品がとは言わないけどね。優しいファンが多いんだよな、Toddって。
で、達郎の場合。
これまでほぼ固定されていたメンバーで行なっていたレコーディングが、各メンバーとも業界内で名前が売れてきて他アーティストからの依頼も多くなり、長期間の拘束が難しくなった。長年に渡って熟成されたアンサンブルは、そう簡単に替えが効くものでもなく、今後の時代の趨勢から見て、単独でのレコーディング作業へと向かわざるを得なかった、という事情がある。なので、先人のように能動的な理由によっての経緯ではなく、なかば成行き的なニュアンスが強い。
フルバンドでレコーディングできるのなら、ほんとはそれがいい。そんなことはわかっているのだ。でも、それには膨大な時間もかかるし経費もかかる。ギャラだって上がってるし。
普通のミュージシャンなら、新たな機材を入手すると、その機材のポテンシャルを最大限に引き出そうと思うのが一般的である。プリセット音源でも新たなミックス音源でもいいけど、とにかくその音色から着想を得て毛色の変わったサウンドを創り出そうとすることが、創造的なミュージシャンの業である。
で、達郎の場合、そういった新機能も使わないわけではないけどひと先ずそれは置いといて、使い慣れないデジタル機材という縛りを入れて、これまでのバンド・スタイルと同じグルーヴ感を出す、という発想なので、そこがめんどくさいところである。
ファンクやヒッピホップのレジェンドたちは、敢えてそのチープな音色を逆手に取って独自のサウンドを生み出したけど、彼の場合、全然違う方向に行ってしまった。まぁそういったところは独自性の塊なんだな、と思ってしまう。
山下達郎
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1. 新・東京ラプディー
軽快で爽快感あふれる響きのシンセのリフ、とぼけたテイストのタイトルで隠れがちだけど、さり気なくぶち込んでいるスラップ・ベースの響きは純正ファンク。延々ループするコードはグルーヴ感をきちんと保っている。Jon Faddisによるトランペットはニニ・ロッソばりに過剰にロマンチック。そう、達郎のエッセンスが過剰に詰め込まれたサウンドは、時に息苦しくもなるけど、聴き続けると共にリスナーを絶頂に誘う。
なので、コーラス参加の村田一人も竹内まりやも、どこか影が薄い。過剰さが足りないのだ。
2. ゲット・バック・イン・ラヴ
オリコン最高6位、年間チャートでも27位と大きく食い込んだ、「高気圧ガール」以来のヒット曲。ドラマの主題歌ということもあって耳にした機会も多く、この辺りから「達郎と言えばバラード」という印象が定着し始めた。「クリスマス・イブ」はまだそこまで定着してなかったしね。
本人いわく、「今後の方向性を念頭に入れて、「夏」イメージの脱却を図った」とのことだけど、今にして思えばちょうど良いタイミングだったのだろう。ここでアッパーな「夏」イメージに固執してたら懐メロ歌手にフェードアウトしてしまい、今ほどのブランドイメージは確立されなかっただろうし。
3. The Girl In White
これもCMソングとしてお茶の間で聴く機会が多かった、なじみの深い曲。もともとは当時、日本でもちょっとした人気だったアカペラ・グループ「14 Karat Soul」に書き下ろした曲。タイトルは商品が「サントリー・ホワイト」だったため、そこから由来する。
曲の構造自体はオーソドックスなドゥーワップ風味のポップ・ソウルで、子のセルフ・カバーでは達郎自身がほぼすべての楽器を担当、メジャー・タッチの曲調ときらびやかなプログラム・サウンドとがイイ感じにシンクロしている。肩の力を抜いて作られたポップ・ミュージックは、聴く方も単純に楽しめてよい。作り込みが多すぎると、聴いてて疲れちゃうので、アルバム構成的にもベスト・ポジション。
4. 寒い夏
で、ここまでは比較的ライトな曲調が多かったのだけど、ここで内省的なナンバーをぶち込んでくる達郎。曲調、演奏とも、ズッシリボトムの効いている.何たって「夏」とはついているけど、そこに反語のような「寒い」という形容詞をつけちゃってるのだから、ある意味自虐的、またはシフトチェンジへの決意表明とも見て取れる。
どうしても歌詞がまとまらなかったのか、ここでは竹内まりやに依頼している。
大人になると みんな
話し方を忘れてく
やがて いつか
青い鳥がいないことに 気付くよ
アルバム・コンセプトに基づく「少年から大人への長い過渡期」を淡々と描写した歌詞は、やはり女性ならではの視点。この曲調で当時の達郎が歌詞を載せたなら、もっと技巧的になって上滑りしてしまったのかもしれない。これが中島みゆきだったら、もっとサラッと抉るような言葉の礫を投げてくるのだけど、やはりまりやはどこまでも優しい。
5. 踊ろよ、フィッシュ
達郎いわく、「意識して夏路線として作った最後のシングル」とのこと。アーティストとしてというより、むしろCM発注を受けたソングライターの目線で受けた仕事なので、いわゆる当時のパブリックなイメージの山下達郎がパッケージングされている。
チャート・アクションを見ると、オリコン最高17位。2.と比べると地味な売り上げだったんだな。ANAのキャンペーンソングとして、TVスポットではよく流れていたのだけど、引っ掛かりが少なかったということか。本人もあまり芳しいコメント出してないし。
単純にサウンドだけ見ると、デジタル機材があまり導入されてなかった時代のシングルだったため、バンド・スタイルのグルーヴ感が良く出ており、俺的には結構好み。青山純のドラムの音も良く響くようにミックスされているし、何よりファルセットを効果的に多用した達郎のヴォーカルが歌ってて気持ち良さそうに思える。
6. ルミネッセンス
レコードで言えばB面トップなのだけど、荘厳としたシンセ・コードとスラップ・ベース、朗々と歌い上げる達郎。星座と神をテーマとした大仰な歌詞は、逆に今なら歌い手さん達の中二病をくすぐるかもしれない。
7. マーマレイド・グッドバイ
ホンダ・インテグラのCMソングとして書き下ろされた曲。柔らかな16ビートはファンクのドロドロさを希釈し、むしろ爽快感さえ漂う。職人芸だよな、やっぱ。きっちり仕事としてこなしながら、イントロだけで「山下達郎」という記名性を保ってるんだもの。
入念にプログラミングされたサウンドの中、アウトロのサックス・ソロが生音の存在感を際立たせている。こういった肉声に近い管楽器のグルーヴ感を凌駕しようともがいていたのが、当時の若き達郎である。今はそんなこだわりはないんだろうけどね。
8. 蒼氓
もともと歌詞を書くことが苦手だった達郎。キャリアの初期はもっぱら吉田美奈子に意図・コンセプトを伝えて書いてもらうか、またはサウンド・メロディ重視で語感が合うものを組み合わせていった。
RCA時代はそれで良いと思ってたし、自分でも深く考えてなかったけど、『Melodies』あたりから、ちょっと歌詞に興味を持ち始めた。最初はうまく書けない。これまでの美奈子メソッドを手本にして書いてみたけど、どこか言葉が上滑りする。そのメソッドから遠ざかるよう、自分なりに書いてみると、抽象的で理屈っぽくなる。理論武装をはぎ取った自分の中に、どんな言葉があるのか?
「無名の民。生い茂った草のごとく、蒼きさすらう民」
旋律ではなく、言葉が先に出てきた楽曲。その帰結点はシンプルな言葉。
テクニカルな比喩や言い回しじゃない、ごくごくストレートな自己主張、そして名もなき民への問いかけ。
日本で唯一、純正のゴスペル・ミュージックなんじゃないかと、俺は勝手に思ってる。
9. 僕の中の少年
ラストもホンダ・インテグラCMソング。この時期の達郎はほんとCM起用が多い。
リリース当時、8.はちょっと重く感じられ、最後の軽快でリズミカルなナンバーで一息ついたのだった。でも今聴いてみると、ヴォーカルは重いよな。シンガー・ソングライター・モードだったのが顕著になっている。
アウトロのプログレッシヴな展開は難波弘之の影響が強いのか、それとも同類によるものなのか。
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